最近のいずみ

Last Update:2009/7/31

パートタイムアスリートいずみ 9年目に突入!! 


■2009年7月31日(金曜日)


2.2cmのチタンボルトです
 念願の手首のシーネ固定がはずれた。同時に、手術の際に切った手首の甲縫い目の抜糸も行った。糸の結び目をはさみで切って、いよいよ痛みを伴う作業に入るのかと構えていたら、スッと糸は抜き取られ、何事もなく終わってしまい拍子抜けした。これで、自分の左手首は、自由の身になったが、どの方向にも全く曲げられず、曲げようと努力すると痛みがでる。全然自由になっていない。シーネ固定がなくなっても、シーネ固定と同じポジションを保っておかなければ、自分が苦痛になるということが、なんとももどかしかった。
 午前中に抜糸をしたが、昼までには、傷口が開いてきてしまった。抜糸はまだ早かったのか?と思ったが、医務室の先生は、「時期としては、もう大丈夫なんだけど」と言いながら、テープで、皮膚を引っ張りながら傷口を閉じるような処置をしてくれた。当分はこれで様子を見ていくしかないようだ。今後は、痛みを伴うが少しずつ動かしていくというようなリハビリをしなければならない。
 午後は、学生の合宿に参加。メニューはバドミントン。張り切ってやっていたら、始めて5分くらいで、右大腿部内側がつりそうになり、気にせず続けていたところ、だんだんと筋肉が切れそうな感覚になってきてしまった。30分の運動で、信じられないくらいの疲労を抱えてしまった。かなりの運動不足だ。

■2009年7月30日(木曜日)
 学生たちの合宿が始まった。学内のトラックが改修工事のため、短距離と跳躍は福島県で、中距離、長距離、投擲は校内での合宿となっている。陸上競技場を利用したければ、市内の不入斗(いりやまず)競技場まで行かなければならず、移動時間がかなりかかるので、学校の食事の時間に合わせて練習時間を確保することを考えると、なかなか行きづらい。
 7月の1ヶ月間は訓練期間で、多くの学生が練習できずに過ごしてきたため、中・長距離は、急に走り込むことはできず、ゆっくりとしたジョッグから体を戻していくしかない。他校では、合宿でしっかりとした走り込みができる時期に、我が校では何もできないというのがもどかしいが、毎年のことなので、普通のこととして受け止めてこの合宿から再スタートとなる。
 久しぶりに学生たちと会ったが、学生たちの多くが、こちらが三角巾で左腕をつっているのをみて、怪我がひどくなったのか、と聞いてきた。三角巾で腕をつるすとかなりひどい怪我に見えるようだ。
 みんなと一緒にジョッグをしたかったが、汗をかいて傷口に影響があるとよくないので、今日は我慢しなければならなかった。明日は、いよいよ念願の抜糸となる。問題なければ、副木もはずれる。当分手首の痛みとつきあっていかなければならないが、やっとジョギングができるようになると思うと、明日が来ることが楽しみでならない。

■2009年7月29日(水曜日)
 我が家で成虫となったカブトムシたちは、店で売っているのと比べるとかなり小さい。特にオスの角は、小さすぎて、角をつまんで持ち上げることができないほど。大人の指だと大きすぎるのでつまめないと思い、子供にもやらせてみたが、子供でもつまめないほどの大きさしかない。遠くから見ると、メスと区別がつかないときもある。
 今週に入って、カブトムシの動きが急に鈍くなってきた。夜11時になってもあまり活動しない。オスもメスを追い回すことがなくなった。まだ死んでしまうには早すぎるような気がするが、成虫してから一度も空を飛んだことがなく、とても気の毒に思えてきた。カブトムシたちが外を飛びたいって言ってるから、外に逃がしてあげようか、と長男に話してみたら、土を入れ替えてほしいって言ってるんだよと言われた。先週から、土を入れ替えようといいながら、こちらの手首の具合が悪いこともあり、なかなか入れ替えができていないことについて言及されてしまった。子供もペットを手放したくないので必死なのだ。

■2009年7月28日(火曜日)
 世界水泳の競泳種目が始まった。26日の初日に8種目中6種目で世界記録が誕生しており、今回の大会も水着が注目されている。来年から新ルールになるとのことで、今回は、新ルールにはない水着を着て泳ぐことのできる最後の世界大会となる。
 陸上競技では、こんなにたくさんの世界記録が生まれることはなく、施設やスパイクの改善があっても、急激な記録の向上はほとんどない。それと比べ、最新の水着が出るたびに、記録が向上していく水泳を見ていると、選手の努力もあるが、ある程度水着の影響はあるように見えてくる。
 新ルールからは、全身を覆うタイプの水着は認められなくなり、男子は、腰から膝までとなり、全身を覆うタイプと比べ、筋肉の振動や体型による抵抗などを押さえることができなくなる。記録を出すなら今しかないという感じなのだと思う。新ルールになって、記録が全く更新されなくなったとしたら、選手たちのモチベーションは低くなるということはないだろうか。
 ルールが違っていても記録は記録として公平に扱われるのだろうが、これが公平なのか疑問に思う。ややこしいので、全員同じ水着を着用するようにルール変更をしたらどうかと思う。

■2009年7月27日(月曜日)
 傷口の消毒のために手首を固定しているシーネを取った。最近は、気温も上がり、包帯で巻かれている部分は、かゆくて仕方なかった。毛穴から汗の出て、それがずっと乾かずに保存されているような感じで、独特の匂いがあり、一部の毛穴は、白く膿んでいた。傷口を防水のテープのようなものでおおい、久しぶりに手や腕を石けんで洗った。腕の回外がしづらく、親指がうまく動かせなかった。前腕は、ずいぶんやせてしまい、親指の筋肉も盛り上がりがなくなってしまった。筋肉は、使わなければ、どんどん退化していくということは、頭ではわかっていたが、実際に、体験してみると、大きなショックだった。

■2009年7月26日(日曜日)


犬を観察中
 10時過ぎから職場へ行き、バスケットボールシュートの動作解析のためのデジタイズを必死にやった。1週間は出張で、もう1週間が入院だったため、やらなければならないことが山積みになっている。3時過ぎまでには一段落して帰宅した。そこからはテレビをボーっと見て過ごしていた。5時過ぎになって、妻と子供たちが、図書館から帰ってきたので、海岸を散歩した。犬の散歩をしている人が多く、次男は「ワンワン」と言って駆け寄っていくが、犬が近づいてくると、後ずさりして、結局犬をさわることはなかった。対照的に、長男は、自然に犬にふれ、経験の違いを見せつけていた。子供たちの行動は、本当に見ていて楽しい。

■2009年7月25日(土曜日)


水中から見たイルカショー
 長男の友達の家族としながわ水族館に行った。4月に遠くへ引っ越してしまったため、5月の連休に会って以来の再会だったが、子供たちは、違和感なくすぐにうちとけた。お互いに2人の男兄弟だが、兄たちは自分の弟の面倒を見ずに、友達の弟と仲良くし、手をつなぐなどしていた。他人の弟の方が、普段接していないためにかわいく見えるのだろうか。弟たちも、進んで、友達の兄と仲良くしていた。
 水族館では、イルカやアシカのショーが行われ、ボールを鼻の先に乗せバランスを取ったり、大きな跳躍を見せるなど、人間の及ばない様々な能力を披露してくれた。しかし、狭い水槽に入れられ、ずっとこの水槽で生活していて、生きるために毎日のショーをこなしているのだと思うと、かわいそうに思えてきた。
 最近水族館へ行くたびに癒されるのは、クラゲたち。ただ水の中で漂っているだけのように見えるが、それを長い時間見ていても飽きることがない。いつか我が家でも飼育してみたい。

■2009年7月24日(金曜日)
 職場でオープンキャンパスがあり、高校生や高校生の家族がたくさん学内に見学に来ていた。その中に、わざわざ自分に会いたいといって部屋まで訪ねて来てくれた高校生がいた。高校で陸上部に所属しているので、入試で合格し、ここの学生となった場合には、陸上部に入りたいとのことだった。とてもハキハキとして、勉強にも運動にもしっかりと取り組んでくれそうな生徒だったので、こちらこそ是非入試を突破してくださいと返答した。しかし、理想を高く掲げれば掲げるほど、入学したあとの現実に失望する可能性があるので、今の学内の実情を話し、それを理解した上で、入学を考えるように伝えた。それでも、彼は、「本当に来て良かった」と言ってますますやる気が出てきたような感じだった。来年4月に彼に会えることを楽しみに待っていたい。

■2009年7月23日(木曜日)
 誠意ある行動とは、どんな行動なのだろうと思った。自分は、相手の立場なって相手の気持ちや希望を考慮した行動と考えているが、100%相手の立場になって考えることは不可能で、相手の立場になるといっても自分の想像でしかなく、相手が納得するかどうかはわからない。こちらの行った行動によって、相手が十分だと判断する場合もあるし、それでも誠意が足りないという場合もあると思う。
 誠意は、人によって認識が違い、抽象的な概念であるので、最終的には、できるだけ相手の意向に添いつつも、自分のできる最大限の行動で示すことが最善策ということになる。それでも誠意がないと言われてしまったら、これ以上のことは、難しいと伝えるしかないと思う。そうなると、人間関係としては、とてもややこしいことになるけど、仕方ない。逆に、誠意がないと要求する側は、要求される側の立場なって考えることはあるのだろうか?多くの場合は、自分の感情にまかせての発言で、相手の立場なって考えることはないと思う。そういう意味では、こういった場面では、要求する側も要求される側も、お互いの人間性が表れることになるのだと思う。

■2009年7月22日(水曜日)
 日本では、46年ぶりに皆既日食があった。横須賀では、曇っていて全く見られなかった。テレビの映像でしか見られなかったが、ダイヤモンドリングやコロナはとてもきれいだった。それよりも、皆既日食中の空の色がとても印象的だった。水平線近くでは夕焼けのような色になり、太陽に近づくにつれて暗くなっていく景色は、本当に神秘的だった。太陽の光がどれほど、地球上の生物に影響を与えているか計り知れないと思った。古くから、人類は太陽信仰があったが、昔の人たちは、太陽からの恩恵を身を以て感じていたということなのだろう。
 大相撲名古屋場所では、琴光喜が全勝の横綱白鵬と対戦し、最後までずっと攻め続け、久しぶりに気持ちの良い勝ち方をした。愛知県が地元のため声援もすごく、観客に後押しされての相撲のようにも見えた。地元の岡崎では、彼は小学生の頃から全国チャンピオンとして有名で、自分も力士になる前からずっと応援している。今日の勝利で、彼の優勝の可能性も出てきた。残り4日間、相手は大関以上の力士ばかりで大変だろうが、チャンスをものにしてもらいたい。
 夜は昨日に引き続き、カブトムシの観察をしてしまった。夜の11時近くになると土から出てきて活発に動いている。時計を持っているわけではないのにとても正確に時間を把握しているように見える。体内時計が備わっているのだろう。オスは相変わらず、メスを無理矢理捕まえては、後尾を強要している。完全に強姦。

■2009年7月21日(火曜日)


長男の用意してくれた飾り
 やっと退院できた。入院中は、病院の関係者の方々に、とても親切にしていただき、感謝の気持ちでいっぱいだった。
 帰宅後には、家族が退院祝いのパーティーをしてくれた。パーティーをやろうと言い出したのは、5歳の長男。部屋の飾り付けも必要だと言って、昨夜は、普段の就寝時刻を1時間遅くして、必死に折り紙で飾り付けをしてくれたという。すべてが長男のアイデアだったということに驚いた。1週間家族に迷惑をかけていたのに、お祝いしてくれ、本当にみんなに感謝の気持ちでいっぱいだった。
 入院中に、さなぎになっていたカブトムシが次々と成虫となったようで、虫かごの中もかなりにぎやかになっていた。妻は毎日観察していたそうで、夜の11時頃から急に活発に動き出すと話していて、今夜もその通りの活動をしていた。5匹の幼虫がいたが、羽化したのは、オスが1匹と、メスが3匹だった。オスは、ひたすらメスの尻を追い、交尾のタイミングを伺い、メスは、その攻撃から必死に逃げようとしていた。とにかくどちらの動きも昼間には見られない機敏さで、驚いた。子供の頃は、夜のカブトムシの行動なんて見たことがなかったので、とても新鮮で、それぞれの行動の一つ一つに見入ってしまった。カブトムシを見ていたら、日常のことなど忘れて夢中になっていた。これがいわゆるペットセラピーかと思った。

■2009年7月20日(月曜日)
 3連休を含んではいるが1週間の休暇を取って入院をしている。手術日を除いて、 病院内ではずっと暇をすると思っていたので、アスレティックトレーナーの勉強をす るつもりで張り切って分厚いテキストを持ち込んだものの、術後はその場にジッとし ていられず、落ち着きがなかったためほとんどテキストを読むことはなかった。手に 取るだけで重く、テキストを開くのも面倒で、読み出してもすぐに眠くなるというこ とを繰り返した。その代わり、手にとってもそれほど重くない文庫本や単行本を今日 までに6冊読むことができた。
 今日は、元東京都監察医務院長の上野正彦氏の「死体は生きている」という本を読 んだ。医者は、生きている人を対象にするのが一般的だが、医者の中には、病死とも 犯罪死とも判断のつかない変死について死因を調べる監察医という立場の人がいる。 「死ぬには、医学的にも、社会的にも相当な理由、原因があるはずである。ましてや 殺人ともなれば、いかに完全とはいえ、生から死への移行には必ず無理、矛盾が潜ん でいる」という。証拠を隠しても専門家にはわかるそうで、こうした人たちのおかげ で事件の解決の手がかりが見つけられたり、自殺か他殺か、病死か災害死かなどが明 らかになり、事故だった場合には、その対策が見出され、予防医学に役立てられたり する。
 子供と大人が溺れ、子供だけが亡くなることがあるが、単に体力の違いではなく、 耳の奥の耳管という細いパイプの形状が大人と子供で違うため、子供の方が水が入り やすく、それによって平衡感覚が失われ、泳ぎが得意でも溺れることになるという。 一般の人が考えていることとは全く違う理屈が存在しすることを、監察医は、きちん と整理し、それを現場にフィードバックできるように努めているということが理解で きた。1日平均20件ほどの検死や解剖をローテーションを組んだスタッフで行って いくということで、毎日がテレビドラマのような世界に立ち会っているイメージを 持ってしまった。対応する遺体の数が想像を超える数で、仕事の大変さが伝わってき た。
 1990年の時点で、監察医制度は、五大都市(東京、横浜、名古屋、大阪、神 戸)のみで実施されているとのことだった。19年経った今、この制度がどのくらい 広がっているのか、家に帰ってから調べてみたいと思った。

■2009年7月19日(日曜日)


病室からの眺め
 手術した部位の痛みは感じることなく順調。午前と午後に1回ずつ抗生剤の点滴が あり、これをもって予定されていた点滴がすべて終了し、注射の痛みから解放され た。明日からは、内服の抗生剤になるようだ。
 今日も家族が見舞いに来てくれた。次男は「パパッ!!」と大きな声で叫びながら 走ってきて、「こっち」と言って手を引っ張り散歩を催促するなど、とてもかわい かった。しかし、あきてくると「おうちかえる」と飯田市泣き出してしまった。子供 の気持ちは、山の天気以上に変わりやすい。
 長男は折り紙で手裏剣作りにチャレンジしていたが、「できない」と言って泣き出 しそうになるなど、いつもどおり泣き虫だった。手本を見て同じようにすればいいと 思うのだが、どうしても違う折り方をしてしまう。手本通りにやっていないのにでき ないと言われてもこちらも困る。泣きそうになりながら「できない」を連発するの で、「泣くくらいならやめてしまえ」と言ってしまった。お見舞いに来てもらってこ ちらが怒鳴ってしまうなんて我慢が足りないと思い、反省した。

■2009年7月18日(土曜日)
 昨日は、8時に床に就いたため、今朝は5時前に目が覚めた。9時頃から、抗生剤 の点滴があり40分ほど寝ていた。今日は、体は正常だとは思うが、なんだかジッと していられない感じで、常にそわそわして動いていないと落ち着けないという訳のわ からない状態が続いた。一つの場所にとどまる場合には、貧乏揺すりをしていないと 落ち着けなかった。昼過ぎから家族が見舞いに来てくれたが、ジッとしていられない 状況を見て、確かに異常だと言っていた。
 3時頃からまた抗生剤の点滴があり、その後3日ぶりにシャワーを浴びた。体の汚 れを洗い流すことで少し落ち着きを取り戻すことができたように思う。
 夕方になり、点滴の針が入っている部位がとてもかゆくなって、我慢できなくなっ てきたため針を抜いてもらった。針が亡くなったことで、昨日以上に、気持ちが楽に なった。

■2009年7月17日(金曜日)
 昨日は1日中寝ていたため、午前1時過ぎから目が覚めて眠れなくなってしまっ た。ずっと同じ姿勢で寝ていたため腰痛になり、その痛さに苦しんだ。膝を立てた り、体勢を動かせる範囲で横にしてみたりはしたが全く痛みは改善せず、朝になるま で必死に耐えた。寝たきりの介護では、介護者は、床ずれをしないように、一定時間 毎に動かすというようなことを聞いたことがあるが、たった1日だが寝たきりを体験 してみて、これは、寝たきりの人にとっては、かなり重要な問題だと思った。自分の 体重によりべっどとの接触部位の圧迫や摩擦は思っていたよりも大きい。今回の腰痛 もこのことで血行も悪くなり引き起こしたのだと思う。寝たきりで介護される人のつ らさを、ほんのちょっとかもしれないが体験したような気がした。
 朝になって尿道のチューブが外され、やっと動けるようになった。これほど立つと 言うことが幸せだと思ったことはない。動けることに感謝したい。
 昼過ぎからは、ずっと付けっぱなしになっていた点滴のチューブがはずれた。点滴 の長い針は付けっぱなしではあるが、今夜は昨夜よりは、安心して眠れそうだ。

■2009年7月16日(木曜日)


術前(左)と術後(右)
 手術当日。食事は、朝から禁止となり、代わりに点滴となった。8時くらいには手 術着に着替え、手術後の口の中を洗ううがいの方法や大便の方法について説明を受け た。
 11時に手術室へ行き、ベッドに横になり、点滴を入れていたチューブから麻酔の 液体が注入された。手術室は、まさにテレビで見るようなイメージの場所だった。麻 酔の注入を始めることを言い渡されたところまでは、覚えていたが、その後は覚えて いない。あっという間に意識を失ったのだと思う。
 気がついたときには、人工呼吸器も外され病室に戻っていて、酸素マスクをしてい た。自分の意識が戻ったのは午後2時半頃だった。尿道には、チューブが入り、尿は 垂れ流しの状態で、のどは、人工呼吸器が入っていたため、多少違和感があった。点 滴は継続され、尿道にもチューブが入り、身動きが取りづらく、医師からも明日の朝 までは、できるだけ動かないようにとの話があったため、おとなしく寝ているしかな かった。

■2009年7月15日(水曜日)


病院の夕食
 自衛隊横須賀病院へ入院。午前中、妻とともに整形外科と麻酔科の先生から手術の 説明を受けた。全身麻酔をすると、本人の自発的な呼吸が止まってしまうため、その 間は人工呼吸器で代用するとのことだった。自分で呼吸のできない状態なんて考えた ことがないので、全く想像できなかったが、病院での手術では普通に行われているよ うなので任せるしかない。舟場骨を固定するボルトは、チタンでできているという。 チタンといえば、ファイテンのチタンネックレスを思い出すが、今回のボルトは、 これと同じ効果があるのだろうか・・・
 午後は、昨日の検査の続きで、呼吸機能検査を行った。内容は、肺活量と、できる だけ素早く大量に吸ったりはいたりする量の検査だった。
 入院して困ったのは、食事の量が少なかったこと。普段の1/3くらいしかない。 入院中にかなりやせてしまうのではないかと心配になった。

■2009年7月14日(火曜日)
 明日からの入院へ向け、いくつかの検査があった。最初に胸部と腹部のレントゲン、続いて患側と健側両方の手首のレントゲンを撮影し、血液検査、心電図、尿検査をした。明日は、手術の説明を受けるという。入院中、パソコンや携帯電話などの持ち込みが禁止されるとのことで、かなり退屈になるのではないかと思った。テレビは、プリペイドカード式で1000円のカードを購入する必要があるという。もったいなくて払う気になれない。本をたくさん持ち込んで勉強でもしようと思う。
 週末は走水神社のお祭りのため、今日からお祭りに関するイベントが始まった。子供たちは、夕方から「トール、トイ」と大声で叫びながら、提灯を持って町内を回る提灯行列を行った。「トール、トイ」とは何を意味するのかはさっぱりわからない。たぶん提灯行列が来たことを知らせるかけ声なのだと思う。

■2009年7月13日(月曜日)
 手首の件で4度目の受診。今回は、手術をするかどうかの判断をした。手術については、先週話を聞き、覚悟はできていた。先生も手術をするつもりで手術先の病院に予約を入れておいてくれたので、日程もすぐに決まった。
 明日は検査、水曜から入院し、手術の説明が行われ、木曜に手術となる。手術は、全身麻酔を行うため、1週間ほど入院となるらしい。全身麻酔とは、どんな感じになるのか。テレビの中の世界を体験するような気分。テレビで見ている第三者的な立場と、実際に受ける本人という立場では、全く感じ方は違うのだろうなぁと思うが、今のところ実感はないため、まだ第三者的な立場にあるように思う。リハビリをして、完全復帰をするまでを考えるとずいぶんかかるのだろうなぁと思う。明日から長い戦いが始まる。

■2009年7月12日(日曜日)


成虫したカブトムシ
 朝、カブトムシの幼虫を入れておいた虫かごから、「ブーン」というような羽を振動させるような音がしたことに長男が気がついた。虫かごの中をのぞいてみると、雌のカブトムシが、飛ぼうとして虫かごの中の壁に何度も激突していた。1匹だけだったが、さなぎから羽化し、とうとう成虫となった。久しぶりに、幼虫から、さなぎになり、成虫になるまでの流れを目撃することができ、「よく成虫になってくれた!!」と思い、とても感動した。長男も、かなりうれしそうだった。
 残りの4匹は、まださなぎの状態。次の成虫がとても楽しみだが、虫かごの中は、土の部分が8割近くを占めているため、成虫した1匹にとってはとても狭い空間になっている。かわいそうだと子供たちと話しているうちに、土の中に潜ってしまい、見失ってしまった。
 成虫用のえさがないので、キュウリやリンゴに砂糖をつけて置いておいたが、食いつくことなく潜ってしまった。夕方、ひからびたキュウリやリンゴから異臭がするので取り除いたところ、夜になって顔を出し、キュウリが置いてあったしめった土をなめていたのを見て、えさを出すタイミングが悪かったことに気がついた。昼間に買ってきた専用のゼリーをあけ、かごの中に入れてやった。ゼリーは緑色をしていて、匂いは、青リンゴのようだった。オシッコ等の匂いを抑制する成分も配合されているという。人間にとって都合の良い物が、次々と開発されているのだなぁと思った。

■2009年7月11日(土曜日)
 1週間経っても次男の体調が相変わらず悪い。微熱が続き、食欲がない。なかなか眠らず、夜中にもよく泣き、昼間でも母親に常にだっこしてほしいと言って泣いている。時々、耳が痛いとか頭が痛いと訴えたりもする。この1週間で、ずいぶんと体重が軽くなってしまった。顔の形も変わってきた。妻は、だっこのしすぎで、腕が痛くて、家事がつらいという。手伝いたいところだが、片腕が不自由なので、手伝いのできることは少ない。僕がだっこしようとすると、いやがって泣き出すので、見ているしかなくもどかしい。早く回復してくれよ。

■2009年7月10日(金曜日)


タワーからの眺め
 研修最終日。新千歳空港管制塔へ行った。千歳の管制塔は、航空自衛隊が管理し、民間機と自衛隊機の両方を管制するという、全国でも珍しいところだという。民間と自衛隊で滑走路が別になっているため、民間機側の管制をする人と、自衛隊機側の管制をする人に別れて業務は行われていた。航空自衛隊の管制官になるには、5年近くの期間を要し、ある程度仕事ができるようになるには、さらに時間がかかるという。また、管制業務は、基地によって地域特性があるため、ベテランであっても、転勤するたびに、ゼロから勉強し直さなければならないという話もあって驚いた。
 帰りは、三沢経由のC−1輸送機で入間まで帰った。行きのC−130と比べると揺れが少なく、飛行時間も短かく、快適に思えた。

■2009年7月9日(木曜日)


戦車に搭乗中



90式戦車



90式戦車(正面)



203mm自走榴弾砲
 北千歳駐屯地で研修。90式戦車への体験搭乗があった。戦車に乗るのは、16年ぶり。駐屯地内の戦車の走れる道路を走ってもらった。戦車が走り出すと砂埃が舞い上がった。戦車はキャタピラで走行するが、曲がるときには、左右のキャタピラの回転速度が変化して曲がることになる。当たり前のことなのだが、普段は車輪のある乗り物ばかりを目にしているので、キャタピラの動きがとても新鮮だった。
 午後からは、卒業生との懇談があった。北海道の自衛隊は、自殺率が高いらしく、メンタルヘルスについては、隊員の教育やカウンセリングなどに今後は力を入れていくというような話を聞き、在学中からこれらの教育を導入する必要性を感じた。昨年から心理学の教官が新規で採用されているので、今後は、我が校でも充実した教育の受けられる環境が作られていくと思う。
 研修が終わり、千歳市内のホテルに到着し、ホテルへ入っていく際に、富士通の木内総監督に会った。日本陸連の長距離合宿が行われているとのことだった。ホテルに荷物を置いた後、テーピングを手首に巻いて手首を固定し、青葉公園のクロカンコースへジョギングに行った。クロカンコースでは、ヱスビー食品の竹沢選手とすれ違った。1時間ほどジョギングをした後、競技場内を覗いたところ、旭化成の岩井選手が400mのインターバルをしていた。木内総監督からは、一緒にインターバルをやったらどうかと言われ、喜んで走りたかったが、手首を骨折しているため、グッとこらえて辞退させてもらった。また女子では、3000障害日本記録保持者の早狩選手と、長距離の福士選手が、走り始めるところだった。練習は2000mを数本行っているように見えた。練習後、木内さんが、わざわざ自分のところへ来てくれ、最近の日本選手や日本陸上界の動向について話をしてくれた。
 夜になり、木内総監督から声をかけていただき、近所の寿司屋で、ヱスビー食品の田幸監督と、九電工男子部の綾部監督とご一緒させていただいた。実業団の監督さんたちの集まりなので、昔話もあったが、これからの日本の長距離の話に花が咲いた。こういう場に入れていただくことができ、木内総監督には本当に感謝したい。

■2009年7月8日(水曜日)


雪像模型



札幌オリンピックのポスター



冬戦教施設内
 真駒内駐屯地に移動し研修。駐屯地内の資料館では札幌雪祭り支援の状況をビデオで見せてもらった。毎年、図面を作り、ミニチュアを作り、雪の加工に必要な道具も作るという準備期間を経て、雪祭り開始までの1ヶ月をかけて、雪像を作っていくとのことだった。かなりの数の隊員が参加しており、本来の任務ではないだろうが、この1ヶ月間の雪像作りは、地域貢献という意味では、大事な仕事なのだろうと思った。
 体育学校の分校として、冬のオリンピックでの活躍を期待され活動している冬季戦技教育隊の施設も見学させてもらえた。体育学校と同じように大きなスローガンが掲げてあり、「挑め!バンクーバー 輝け!日の丸戦士」と書いてあった。選手はクロスカントリースキーやバイアスロンの選手が所属し、体育学校の選手と同じく、24時間競技に専念し生活しているとのことだった。体育学校とは違い、小さな体育館1つの施設だった。体育館が小さいため、トレーニング機器も少なく、この施設で選手を強化しているのということに驚いた。施設の入り口の看板には、(財)日本オリンピック委員会バイアスロン競技強化センターという看板も掲げられていたので、日本オリンピック委員会も一部出費をしてもらって建てたものかと思ったら、防衛省で建てたものだった。
 トレーナーさんは、体育学校時代にお世話になった方だったので、会えるといいなぁと思っていたが、残念ながら前日から合宿に行ってしまっていて会えなかった。
 冬戦教は、オリンピックでは、メダル獲得はならないものの、毎回選手を出場させている。しかし最近は、予算の関係で、ワールドカップに参戦する試合数に制限があり、ワールドカップの成績で得られるポイントが足りず、オリンピックの出場権を逃すこともあるという。本人ががんばり、力があっても遠征費がないために出場権を逃すということには、冬戦教スタッフも選手も納得がいかないようだった。30名程度の選手で、複数の選手をオリンピックに送り出しているのだから、体育学校よりは、代表選手輩出の割合は高いので、可能性のある選手たちにお金を集中投資するなどして、この状況を変えていくべきではないかと思った。とにかく、代表に選ばれた選手たちのバンクーバーでの活躍を期待したい。

■2009年7月7日(火曜日)


F-15
 4日間の北海道部隊研修が始まった。入間基地から、イラク仕様の塗装のままのC−130に乗り、三沢経由で千歳に入った。プロペラ機は、揺れが大きく、移動時間も長く、乗り心地はC−1に比べても良くなかった。
 千歳基地では、第2航空団を研修した。主力戦闘機のF−15を見せてもらい、コックピットにも入った。F−15は鉄腕アトム2人分の馬力で、宇宙戦艦ヤマトの馬力よりも高いという。たとえはおもしろくイメージがしやすいように思えたが、冷静に考えるとよくわからなかった。フルパワーだとマッハ2を超える速度で飛行できるが、燃料があっという間につきてしまうということで、フルパワーでは訓練はできないという話が印象的だった。

■2009年7月6日(月曜日)


骨折画像
 昨夜は午前1時ごろに救急の小児科にかかった。病院へ行く前に嘔吐があったが、病院でのも嘔吐していた。おなかが痛いと言っていたのは、気持ち悪いことだったようだ。まだ表現の仕方がわからないので、知っている言葉で、必死に伝えようとしていたことがわかった。発熱して時間がそれほど経っていないので、インフルエンザの検査はできなかった。先生からは、とにかく何でもいいから、水分をとらせるようにとの話があった。
 午前中は、手首の件で3度目の受診。改めてレントゲンを撮影した。10日前のレントゲンでは、舟状骨の骨折は見つからず、骨折の疑いがあると言われたが、今回は、しっかりと舟状骨の骨折が確認できた。この骨折の状態だとそのままギプスで固定するよりは手術を適用した方がよく、その方が回復が早いとのことだった。できれば早めに手術をした方がよいとのことだったが、明日から4日間出張となるため、その期間に手術を受けるのか保存治療にするかを決めてほしいと言われ、少しの猶予が与えられた。

■2009年7月5日(日曜日)


手に握られたダンゴムシ
 神奈川県選手権の最終日。ジョギングはできても、スピードを上げる過程で、どうしても手首の脱力が必要になってくるため、全力では走れず、舟状骨骨折の診断もはっきりしていないため、1500mの出場も断念した。
 朝、ジョギングだけでもしようと思って静かに準備運動をしていたら、子供たちが起きてきてしまったため、代わりに子供たちと海を散歩した。次男は、ダンゴムシを次々と拾い、家に持って帰ろうとし、長男と2人で何とかあきらめさせようと試みたがなかなか離さず、最後は無理矢理離させて、泣き叫ぶ中、担いで家まで帰った。生き物に興味を持ってくれるのはいいけど、家に持って帰ってきても、そのまま放置するだけになってしまうので、飼育が理解できるようになるまで、もうちょっと時間が必要なのかなと思う。
 夕方から、次男は、体温が上がっているような感じがあった。食欲はなかったが、いつも通り就寝時刻には、寝てくれた。しかし、0時近くになって泣き出し、耳と腹が痛いと言い出した。体温を測ると39.3度だった。

■2009年7月4日(土曜日)


合唱
 長男の幼稚園で、子供たちが合唱と合奏を披露するサマーコンサートというイベントがあった。昨年までの合唱は、みんなが同じ音階で歌っていたので、合唱ではなく斉唱だったのかもしれないが、今年はレベルアップし、メロディーだけではない2パートに分かれた、それぞれのパートが交代でメロディーを歌う二部合唱だった。年長になると年中以下よりも体が大きく、いろんなことができるようになり、本当にお兄さんになったなぁと思う。

■2009年7月3日(金曜日)
 先週、アメリカで心臓移植をした1歳の子供が亡くなったニュースが報道されていたが、たまたまある新聞の記事を目にして、彼の父が昨年陸上仲間の結婚式があった際に知り合いになった人だったことに気がついた。テレビでも臓器移植法の改正についての報道が行われていることもあり、テレビのニュースでは、どこの局でもアメリカでの死蔵移植が行われたという報道もされていたように思う。もっと早く気がつけなかったのだろうか、と悔やんだ。意識をしていないと、見える物も見えないということをあらためて感じることとなった。
 自分も1歳の子供がいるので、一番かわいくて抱きしめたいときに抱きしめられなかったというのは、とても辛いことだったと思う。自分の子供が、自分より早く逝ってしまうなんて、普通は考えられない。本当に無念だったろうなぁと思う。今日は、葬儀だったようで、行くことはでいなかったが、葬儀に参加した友人にお悔やみの言葉を伝えてもらうことはできた。いくらか時間をおいて、陸上仲間で励ますことができればと思う。

■2009年7月2日(木曜日)
 1週間ぶりに運動を再開。手の負傷なので、手を使わなければ、どんな運動でもできると思っていたが、バランスが悪すぎ、偏った体の使い方をするようになるし、運動靴のひもを結べなかったということもあり、全く運動をしていなかった。この1週間手首を固定してみて、負傷が利き手ではなくて良かったと思った。
 今日は、手首をテーピングでしっかりと固定し、ジョギングをし、手首を固定することで、肩の動きまで制限されることを実感した。また、左右の感覚も違い、手首の脱力が、走りのリズムに大きく影響しているように感じた。走り始めは、多少痛みがあったが、後半は痛みがなくなり60分間体を動かし続けることができた。週末は、神奈川県選手権の1500mにエントリーしているが、ジョッグより速いスピードでは、手首の固定によりかなり走りづらくなり、今の感じでは、レースにはまだ対応できないような気がする。

■2009年7月1日(水曜日)
 ある殺人未遂の事件の記事を見た。詳しい情報が載っていないかと思い、いくつかの新聞社のサイトで同じ内容を探したところ、新聞社によって微妙に内容が違っていて何が真実かわからなくなった。たとえば、凶器の大きさや、傷の大きさ。軽傷と書いてあったり、重傷と書いてあったり・・・。元々の情報源は同だとは思うが、伝言ゲームのように、人を介すことでどんどん内容が変わってきてしまうのかもしれない。



[昔のいずみ]