最近のいずみ

Last Update:2009/8/31

パートタイムアスリートいずみ 9年目に突入!! 


■2009年8月31日(月曜日)
 民主党の308人の当選議員のうち初当選は143人だったという。約半分の議員が初めての国会議員で、その人数は自民党の当選数よりも多い。何のしがらみもない人たちが、それぞれの就いてきた職業からの知識をベースに新鮮な意見を戦わせることができるというメリットと、国会議員としては、素人の人が国を動かしていくというデメリットもあり、期待と不安が半分半分という感じがある。当選した新人議員は、政治をするまでに、スタッフを集め、事務所や住む場所を探し、引っ越しをしなければならない。新人議員の多くが、政治どころではないような気がする。

■2009年8月30日(日曜日)
 衆議院議員選挙は、民主党の圧勝となった。自民党は、大臣経験者や党幹部が次々と落選したり、きわどい接戦だったりした。与党は自民党だけでなく公明党も同じような状況だった。多くの人が、今までとは違う何かを期待して、民主党に票を入れたのだと思う。どの党のマニフェストにも、いろいろな政策が掲げられたが、どの候補者も最終的には、自分の名前を有権者にどれだけ知ってもらえるかが重要だったのではないかと思う。その中で、政権交代を唱えた民主党は、民主党というだけで、知名度に関係なく票が入ったように見えた。
 選挙の度に考えるのは、落選した人が比例で復活するということ。無所属の人は、比例はなく、党に所属している人だけが復活当選の可能性が出てくる。なんだか不公平な気がするし、有権者が支持をしていない人が議員になることになる。比例で復活当選した人も当選はしても、複雑な心境ではないかと思う。
 地域によって1票の格差があって、最高裁判所がそれを認めるとか認めないということで、最高裁の裁判官をやめさせようという新聞広告があったが、1票の格差を是正するには、人口によって当選人数を変えていくことくらいしかないように思う。しかし、そうすると人口の大きい都市よりの政治にならざるを得なくなる。難しい問題だが、1票の価値が、地方でも都市部でもできるだけ同じになるような選挙の方法を作り出してほしい。

■2009年8月29日(土曜日)
 女子棒高跳びのイシンバエワ選手が、世界記録を更新した。10日ほど前の世界選手権では、決勝で記録なしとなり、どこか体の具合でも悪いのかと思った。あれだけの大舞台で失敗をすると、かなり落ち込むはずだが、その失敗を引きずることなく、あっという間に復活した。世界選手権の失敗は何だったのか?世界選手権時の本人のコメントでは、調子がいいと言っていたはずなので、たまたまピークがあわず、10日後にあったということなのだろうか。とにかく、彼女の豪快なジャンプが今後も見られることがわかった。今後もさらに記録を伸ばしていってほしい。

■2009年8月28日(金曜日)
 朝、長男に、カブトムシの飼育ケースを見るように話をしたところ、長男は、何もいないよという返事が返ってきた。オスのカブトムシが横たわっているはずなのに、長男の言うとおり何もいなかった。どうやらオスは生きていたようだ。
 夜になって、すべてのカブトムシが土の上に出てきて動いていた。成虫したころの、素早い動きは全くなく、なんとか体を動かしているような感じで、飛ぼうとしても少し空中に浮くだけで、すぐに落ちてしまう。いつ力尽きてもおかしくないくらい、動きが鈍い。幼虫の時から飼育ケースの中で育ち、一度も自由に空を飛ぶことができず、一生を終えてしまうのかと思うと、かわいそうでならなかった。

■2009年8月27日(木曜日)
 飼っていたオスのカブトムシが、餌のゼリーカップの中に頭を突っ込みながら横たわったまま全く動かなくなっている。メスが餌を食べようとして、頭でオスをどけようとするが、抵抗する感じもなく、どうやら死んでしまったようだ。
 以前、長男に、カブトムシは、夏の間しか生きられないという話をしたときに、死んでしまうという話をしただけで大泣きしていた。何で死んじゃうの?と何度も聞かれ、回答に困った。いよいよそれが現実になって、これを知った長男は、どうなってしまうのか心配なところもある。しかし、生き物を飼うということや、生き物の命ということについて、勉強するきっかけにはなるのではないかと思う。

■2009年8月26日(水曜日)


馬堀海岸
 受診し、約1ヶ月ぶりにレントゲン撮影をし、異常がないかどうかの確認をした。手首の可動域は、毎日つきあっている自分からは、それほど大きな変化はないように感じていたが、時々しか診ない先生からは、1ヶ月前と比べると、ある程度回復してきているとの言葉をいただいた。術後1ヶ月半でだいたいこれくらいの回復であれば問題なく、手術中には、手首は、完全に掌屈した状態で、手術できていたので、心配することなくリハビリをしていけば、回復するはずとのことだった。受傷後、手首は自分の意志では、可動域いっぱいまで動かすことはできなかったはずなのに、麻酔で完全に脱力した状態では、しっかりと動いていたということに驚いた。

■2009年8月25日(火曜日)


浦賀水道を通るタンカー
 人間ドックを受診した人のうち「異常なし」だった人は10%を下回ったという記事を見た。日常生活に支障のない多くの人は、自分は健康だと思っているのかもしれないが、現実は、どこかが正常ではないと思った方がいいのかもしれない。自分には、毎月血液検査をしていた時期があったが、すべての値が正常だったことの方が少なく、医師から食生活やトレーニングについて指導された経験がある。日本人間ドック学会では、「生活習慣を乱す原因となる職場ストレスなど、生活環境の悪化が最大の理由ではないか」と推測しているようで、自分は健康だと思っていて、人間ドックを受診している時間のない人も多いことを考えると、さらに数値は下回るようにも思える。

■2009年8月24日(月曜日)
 昨日、北海道土産で花畑牧場生キャラメルをもらった。かなりの人気でなかなか手に入らないというイメージがあったので、並ぶこともなく買うことができたという話を聞き驚いた。
 どんなにおいしいものなのか、かなり期待して口に入れてみた。味がチョコレートだったので、チョコレートとキャラメルが混じったような味がしたが、すぐに口の中からなくなってしまい、おいしくは感じたが、なんだか手応えがなく、あれっ?という感じだった。生キャラメルとは、こういうものなのだろう。もう少し味わって食べられるものだと思っていたので、期待しすぎだったようだ。

■2009年8月23日(日曜日)
 朝から窓と窓のさんの掃除。妻は風呂掃除と子供の靴洗いをし、子供たちは、家の中で勝手に遊んでいた。時々、おもちゃの取り合いなどで次男は泣き、自分の布団を抱きしめながら、妻か自分のところにやってきて、助けを求めに来た。
 窓がほぼきれいになった後は、次男がビリビリに破ってしまった網戸の修理をすることにした。網戸の網や網を固定するゴムを購入し、妻と2人で初めて張ってみた。長男も次男も珍しいことをしているので、興味があり近づいてくるため、なかなかうまくいかなかったが、材料だけ買ってくれば、自分たちでも、それほど難しくなく網を張り直せた。網戸屋にお願いしたらどのくらいかかるのかはわからないが、数百円での修理は、間違いなく網戸屋よりは安かったと思い、得した気分になった。

■2009年8月22日(土曜日)
 世界陸上は男子マラソンが行われた。前半からハイペースで、日本人選手にとっては、マラソンと言うよりもハーフマラソンのペースと言った方がいいくらいのペースで、20kmを通過するまでに、全員が先頭集団から脱落してしまった。先頭集団はそのままの勢いで最後まで走ってしまい、今大会も昨年のオリンピックと同じく2時間6分台での優勝タイムとなった。かなりのハイペースで突っ込んでいけば、いらぬ駆け引きもなく、自然と人数は絞られていき、その中で、最後までペースを守りきれた選手が優勝するという感じ。ケニアは、メジャー大会で勝ってきた実績がなくても、いくらでも強い選手が出てくる。
 日本人選手は、佐藤選手が、最後まであきらめず、前にいる選手を一人ずつかわして6位に入賞した。彼の最後まであきらめない気持ちの強さは、走りによく出ていて、いつも感動させられる。清水選手は、ゴール直前で、多くの選手にかわされ入賞を逃し、もうちょっと我慢してほしかったと思うばかりで、とても対照的だった。

■2009年8月21日(金曜日)
 世界陸上の男子200mでも、ボルト選手は19秒19という驚異的な世界記録を出して金メダルを獲得した。前世界記録保持者のマイケル・ジョンソン氏は、100mの疲れもあり、世界記録は厳しいのではないかとのコメントがあったが、疲れは全く関係なかった。リアクションタイムも全選手中トップで、文句の付け所が全くなかった。それでも映像を見ていると、もうちょっとタイムを伸ばすことができるのではないかという気がしてくる。彼は、自分に限界を作らず、伝説を作ると述べていた。すでに世界中、彼を除いてこの記録を出すことはできないという統一した認識になっていることを考えれば、すでに伝説的な走りをしているように見えるが、本人の中では、まだまだ伝説になるほどのタイムではないということなのか。
 彼には、あと400mリレーが残っている。昨年の北京オリンピックの記録を上回る36秒台の記録を期待したい。

■2009年8月20日(木曜日)


猿島
 たまたま東京に出たので、絵本の専門店へ行って、次男の誕生日プレゼントを探した。次男も連れてきていたので、次男が読みたいという本を買ってやろうと思っていたら、次男は、5〜7歳向けの本を選んできた。表紙に大好きな電車の絵が描いてあったというのが理由だと思うが、読んでやると、意外とおとなしく聞いていたので、買ってやることにした。帰宅後に、最後まで読んでやったところ、最後まで飽きることなく聞いていて驚いた。今日2歳になったばかりで、言葉もしっかりとはは話せないが、聞くことはできるという年頃なのだろう。しかし、本の内容がどこまで理解できているのか、とても気になる。
 新型インフルエンザがかなり流行っているという話を聞くが、今日の外出でマスクをしている人を見かけたのは、横浜駅での2名だけだった。自分たちを含め、自分はならないだろうと思っている人が大半なのだと思った。しかし、誰にでも感染する可能性がある。久しぶりに東京に出てみて、やっぱり気をつけたほうがいいかなぁと思った。

■2009年8月19日(水曜日)
 ホテルのチェックアウトは10時だと聞いていたのに、9時過ぎには、出て行ってくれと言われた。学生たちは、帰りのバスが14時に出るということで、ホテルの地下にあるスペースに荷物を集積して、ホテルの外で時間をつぶすとのことだった。チェックアウトが午前中に設定されているのに、今日の昼食までが料金に含まれているというのが理解できなかった。自分たち顧問は、居場所がなかったので、昼食を放棄し、そのまま帰ることにした。帰る途中に、何度か、チェックアウトの時間と昼食のことを考えてみたが、何度考えても理解ができなかった。
 帰宅後は、次男と海岸を散歩した。今日の海は、ペットボトルと竹が大量に流れ着き、かなり景観を損ねていた。次男は、ペットボトルを見るたびに「お茶」と言っていた。ペットボトルにはお茶が入っていると思っているようだった。観光にきたお客さんが捨てたものではなく、流れ着いたものなので、やっかいだと思った。沖縄でも、海外から流れ着いたゴミが、生態系を破壊しつつあるという話を聞く。東京湾の中も同じようなことが起こっているのだと思う。

■2009年8月18日(火曜日)


30km走
 女子棒高跳びの決勝で、優勝は間違いないと思われていたイシンバエワ選手が記録無しという結果に終わり、驚いた。彼女は、いつも通り、すべての選手の試技が終わった後に、試技を始め、それまでトップだった選手の4m75cmという高さを一度失敗し、残りの2回の試技を4m80cmにして、優勝を決めようとしたが、跳躍の勢いは全くなかった。いつものような跳躍は一度も見られずとても残念だった。これほどの選手でも、絶対ということはなく、どこか故障を抱えながら競技を続けているだろうし、目には見えないストレスもあるのだと思う。
 男子の世界記録保持者のセルゲイ・ブブカ選手も、全盛期にバルセロナオリンピックで記録無しという結果になったこともある。彼は、その後も世界記録を更新し、現在もその記録は残っている。イシンバエワ選手も、今回の失敗を乗り越え、復活することを願いたい。

■2009年8月17日(月曜日)


20km走
 陸上の世界選手権男子100mで、ボルト選手が9秒58の世界記録を出した。2位のゲイ選手は9秒71、3位のパウエル選手は9秒84というすばらしい記録だった。東京の世界選手権で、ルイス選手が出した9秒86は、自分たちの世代では、伝説的な記録だったが、今では何でもない記録で、完全に過去の記録となってしまった。当時よりもトラックやスパイクは改良され、条件はよくなっているとは思うが、それ以上に選手の能力が上がっていると言ってもいいくらい記録が向上している。
 あさってからは200mが始まるが、100mの記録の短縮から考えれば、200mでもすばらしい記録が出てもおかしくない。今日の記録によって、ますます彼の専門の200mが楽しみになってきた。

■2009年8月16日(日曜日)


天狗ゲレンデと宿泊先
 1週間の疲労が積み重なったためかなかなか起きられなかった。昨日から学生たちが菅平で合宿を始めているので、それに合流するため、午前中はその準備をした。長男は、帰省したときの日記を書き、次男は、適当に遊び、妻は、ひたすら家事に追われた。長男は、次男の遊んでいることに気が散って、次男のやっていることに手を出すと、次男は怒り出し、長男につかみかかる。長男はそれを振り払いながら、たたき返す。30分に1回くらいの割合で、どちらかが泣く。長男の日記はなかなかはかどらず、「集中しろ」と親に怒られる。こんなことが、1日に何度も繰り返される。その度に妻が介入することになり、妻の家事は進まず、ストレスも積み重なっていく。そんな中で、今日から、4日間自分は家を留守にすることになる。もう少し仲良くしてくれないかと思う。

■2009年8月15日(土曜日)


駒ヶ岳から見た芦ノ湖



芦ノ湖から見た駒ヶ岳
 久しぶりにジョギングをした。宿泊が箱根園という場所だったので、ジョギングで向かった先は、箱根駅伝往路のゴール。ランニング中は、至る所に幹にコケが茂った杉の大木や石があり、立ち止まってずっと見ていても飽きない風景で、脈々と命をつないでいる自然の雄大さを感じた。こういうことを感じるのは日本人だからなのかもしれない。自然の中に身を置くと、本当に癒される。
 目的地に着く前に、箱根の関所跡を通った。建物がすべて黒い色で統一され、ものすごい威圧感があった。関所といえば、今で言えば入国審査のようなものだから、通過する人たちは、通過できるかどうかドキドキしながら関所の門をくぐったのだろうかと想像しながら、関所跡を楽しんだ。
 目的地の往路ゴールは、テレビで見て想像していたよりも細い道で驚いた。その後は、復路のスタートから、国道1号線沿いを走ってみた。元箱根からの上りは、思っていたよりも緩やかに思えたが、折り返して下ってみたときに、かなり急な坂だったという認識に変わった。御殿場で富士山に向かって走った時も同じだったが、同じさかでも上りは比較的緩やかに感じ、下りは急に感じる。人によっても感じ方が違うだろうから、駅伝でも選手の起用というのは、大事なことだと思った。
 帰りは、国道1号線をずっと走ったため、第6区の山下りの道をすべて見ることができた。これほどの下り坂をひたすら走っていく選手の体への負担は、どのくらいのものだろうかと想像し、また、5区の山上りをするの選手たちの大変さも、実際に見るとテレビ以上によくわかった。

■2009年8月14日(金曜日)


御前崎灯台



花火
 東名高速道路が、11日の地震の影響で、上りの袋井−焼津間が通行止めになってしまった。静岡を通過するのにかなりの時間がかかることが予想されたため、実家を朝7時半に出発した。袋井までは、まったく渋滞はなく、スムーズだったが、袋井からは国道1号線が渋滞で全く進まなかったため、同じように時間がかかるのであれば、遠回りをして海沿いの景色でも楽しもうと思い、御前崎の方向へ向かって車を走らせた。
 御前崎で灯台を見つけ、灯台に登ってみた。空は曇っていてあまり遠くまでは見えなかったが、観音崎から見る海とは、スケールの違う波が次々と押し寄せ、これが太平洋なのだとなんとなく納得した。
 その後は、国道150号線を走り、焼津を目指した。ずっと渋滞で、20kmくらいの距離を通過するのに2時間ほどかかった。焼津からは、また東名高速に入ったが、車がほとんど走っていなかったため、とても快適に走れた。
 今日は、妻の家族たちと箱根で合流し、宿泊することになっていたため、裾野からは一般道で箱根へ向かった。湖尻峠までは、一車線の狭くて急な坂とカーブが続き、とんでもないところへ着てしまったと思ったが、芦ノ湖が見えてくると、次々とホテルが現れ、人がたくさんいて、やっぱり観光地だと思った。
 宿泊したコテージには、4家族が生活できるような作りになっていたが、我が家の入った部屋には、蜂、ヤスデ、カミキリムシが次々と現れ、外に逃がすのに大騒ぎした。それを除けば、問題はなく、湖畔の静かな夜は、適度な温度で過ごしやすく、とても気に入った。

■2009年8月13日(木曜日)


長男の描いたクモ
 実家には、自分が以前大学院の研究室で使っていたパソコンが置いてある。妹が出産で実家に帰った際に、インターネットに接続できるよう、業者と契約し、インターネットが使える環境になった。以前、Webカメラをプレゼントしたので、テレビ電話ができる環境にある。しかし、父と母は、パソコンにあまり近づきたがらないので、妹が、パソコンの立ち上げから、テレビ電話のやり方までの操作方法を紙に書いて両親に教えていた。今日はそのおさらいを兼ね、妹とテレビ電話をしてもらった。両親ともマウスの扱いが難しいようで、指に力が入り、スムーズなマウス操作ができなかった。マウスのカーソルを目的の位置まで持って行ったとしても、クリックをする際に、カーソルを動かしてしまい、クリックを失敗することが多い。また、ダブルクリックもスムーズに行かず、ダブルクリックにならない場合が多い。カーソルを見失うことも多かった。操作については慣れてもらうしかないが、誰かがついて操作しないと、当分はできなさそうな感じだった。孫の顔を見たいというモチベーションでがんばってもらえればと思う。

■2009年8月12日(水曜日)
 妹の夫の母が気功のようなことを始めて、いろいろな成果が出ているそうで、受けてみないかと連絡があり、ちょうど頭痛と耳痛がひどく、副作用はないだろうと思い、受けてみることにした。
 はじめは、先生のような方と、妹の義母の2人で、体に触らず、頭と心臓を挟むようにそれぞれが手かざしをしてくれた。後頭部は、何となく手の温かさを感じ、比較的心地よかった。耳の痛みが少し緩和したような感じがし、頭痛も緩和しているように思えたが、時々大きな波が来るように痛みが大きくなる瞬間があった。
 その後、次々と関係している人たちが来て、6人の人が自分に対して一斉に手かざしなどをしてくれた。やっている人たちは、掌で何かを感じるようで、手かざしをしているうちに反応がなくなり、しばらくすると、また反応が戻ってくるというようなことを話していた。普通はあまり見られない反応らしく、なんで反応が戻ってくるのだろうかということを盛んに話していた。話を総合すると、自分は、かなり疲れていて、特に心臓、腎臓、腸がよくないらしく、内臓がよくないので頭痛を感じているのかもしれないとのことだった。30分くらいの手かざしを想像していたので、6人がかりの2時間の手かざしには驚いた。胸を張って座るように指示されていたため、座った姿勢を崩すわけにはいかず、姿勢をキープするのに、神経を使い疲れた。2時間やってみて、多少痛みの緩和はあったように感じたが、家に帰る頃には、元通りの痛みになってしまった。
 普段は、この方法で子供の発熱を元に戻したりしているという。また、さらに上の先生にかかれば、難病も回復させている実績があり、医者が見放した患者さんを受け入れているとのことだった。こういうものは、信じて回復させた人の勝ちなのかもしれないが、自分が体験してみてあまり変化を感じなかったため、話の通りに信じることはできなかった。遠くにいても、遠隔操作ができるとのことで、具合が悪くなったら、連絡してほしいと言われた。答えに困ったが、また機会があれば、もう一度受けてみて信じられるかどうか検証してみたい。

■2009年8月11日(火曜日)


宮崎インターハイの団扇を発見
 朝5時過ぎに地震。寝ている時間だったが、妻は揺れの前に地鳴りが聞こえたと言っていた。自分は小学生の時から言われていた東海沖の大地震がとうとう来たかと思った。かなり大きな揺れに感じたが、ニュースの発表では震度3だった。静岡県内は震度6弱とのことで、かなり大きな地震だったが、以前から警戒されている大地震ではないとのことだった。東名高速道路の牧ノ原付近で、道が崩れてしまい、東名高速道路が通行止めになってしまった。映像を見る限りは、復旧には当分かかりそうで、首都圏へ戻るときには、やっかいなことになりそうだと思った。できるだけ早期の回復を願いたい。

■2009年8月10日(月曜日)


ゴーカート
 近所の交通公園と遊園地へ子供を連れて遊びに行った。交通公園では、長男と2人乗りのゴーカートに乗った。子供がハンドルを操作し、自分は、アクセルとブレーキを操作した。ハンドルを完全に任せきったため、路肩にはみ出そうになりブレーキをかけるということが何度かあったが、長男は自分で運転しきったという達成感があったようで満足そうだった。
 遊園地には、市民プールもあり、いつもは、芋洗い状態になるほどのお客がいるはずなのに、今日は、雨の予報があったためか、お客はまばらだった。遊園地についても同様で、どれも家族で貸し切り状態だった。メリーゴーランドに乗ろうとしたら、次男は、怖いと言って泣き出しそうになり、何度か乗せようとしたが、本気でいやがったため、長男が一人でメリーゴーランドに乗った。こちらは長男一人の貸し切り状態で、ちょっと申し訳なく思った。運営をしている市にとっては、まったく割に合わない稼働のように思うが、市民サービスは、赤字覚悟ということなのだろうか。

■2009年8月9日(日曜日)
 実家へ帰省した。朝7時頃に出たため、昼過ぎには到着でき、午後からは、雑貨屋へ行ったり、スイーツショップへ行ってみたり、のんびりと歩きながら近所を散歩した。以前は、畑だったところが次々と住宅地に変わり、山が削られ住宅地となり、子供の頃と比べ、車の交通量も多くなった。この地域だけを見れば、確実に人口は増えているように感じた。

■2009年8月8日(土曜日)


トラック改修工事
 1週間ほど前に、ガソリンスタンドで、エンジンオイルがかなり汚れているから、交換した方がいいと言われ、そのまま放置してあったので、近くのオートバックスへ行き、エンジンオイルを交換してもらった。しかし、作業をした人からは、エンジンオイルも換え時と言われればそうかもしれないが、エンジンよりもギアのオイルの方がまずい状態だと言われたため、そちらも交換してもらうことにした。
 自動車の整備には、全く知識がなく、お店の言われるままにお願いすることにしている。本当はどうなのか?と思うことがよくある。自分で整備している人もたくさんいるはずなので、やろうと思えばやれるのかもしれないが、じっくりと取り組む時間はなく、自分にとって優先順位が低いため、お店に任せることになる。時間をお金で買うということなのだと思う。

■2009年8月7日(金曜日)


トラック改修工事
 医務室へ受診。傷口には、バンドエイドキズパワーパッドを貼っていた。先生はこれを見て、「これはいいものを貼ってますね」と言ってくれた。確かに、今までのバンドエイドと違って、直りがいいような気がしているので、先生からそういわれて、ますます気に入った。
 手首を少しずつ動かしてリハビリはしているが、可動域はなかなか広がらない。先生は、こちらの前腕と手を握って、手首を動かして状態を診てくれた。掌屈にしても背屈にしても可動域いっぱいまで行くと痛みが大きく、それ以上は勘弁してほしいと思うばかりだったが、それでも、可動域以上に動かそうという感じで力が加えられた。動かされた後は、痛みが少し残る感じで、あまりいい感覚ではなかった。少し痛いかもしれないが、とにかく動かすようにとの指導を受けて診察が終わった。リハビリは、気長にやっていくしかない。

■2009年8月6日(木曜日)


散歩中
 合宿最終日。朝練は、ホテルのチェックアウトの時間の関係で、主練習となった。メニューは、2分ジョッグ+2分ダッシュを10セット。昨日よりさらに疲労が積み重なり、全く走れるような状態ではなかった。4セットまでは何とかダッシュができていたが、5セット目以降のダッシュは、呼吸だけは激しかったが、ジョッグに近かった。途中で立ち止まりたいと思いながらも何とか10セットをこなした。終了後はなかなか汗が止まらず、シャワーを浴びたあとのような状態だった。この朝練で合宿は終了し、昼には横須賀に帰ってきた。
 夕方からは、長男が幼稚園へ行っていたので、次男と2人で海を散歩。海は少々荒れていたが、久しぶりに次男と2人だけで歩くことができた。以前よりもよく走れるようになり、散歩の間中走っているような感じだった。

■2009年8月5日(水曜日)


ガンダム
 下腿の筋肉痛がひどく、左足の足底も歩くのが辛くなるほどの痛みがある。誰もが同じように極度の筋肉痛になっているようだった。
 午前中は、3000mペース走と300m×4を2セット。昨日はペース走を完走できなかったが、今日は、何とか設定通りに完走できた。300mについては、最低50秒はかからないように4本を走りきりたいと思っていたが、50秒を切れたのは1セット目は1本目だけ、2セット目は1,4本目ということで、自分の決めたことが達成できず、失望した。ずっと運動をしていなかったので、走れないのは当たり前なのかもしれないが、練習を始めると、そんなことは忘れてしまう。
 午後は、御殿場のプレミアム・アウトレットへ行った。興味ある店がいくつかあったが、ほしい物は割引はされていても高すぎてまったく手が出なかった。バンダイアソビーというお店には、ガンダムのプラモデルが大量にあり、とても懐かしく見入ってしまった。
 その後、須走温泉「天恵」へ移動し、ゆっくりと温泉に入ろうとした。しかし、手術の傷口に湯が入らないような防水処置をしていたはずが、すぐに湯が入ってきてしまい、ゆっくり入ることができず、疲労抜きにはならなかった。

■2009年8月4日(火曜日)


競技場からの富士山



富士山頂上付近
 午前中は、昨日同様、競技場で練習。ホテルの玄関を出たところで、目の前に富士山が見え、とてもうれしくなった。競技場でもバックスタンドの後方に富士山があり、とても気持ちよかった。しかし10時頃から富士山は雲に隠れてしまい、その後は見えなくなってしまった。
 練習は、3000mのペース走と400m×3。ペース走では、左の尻と足首に違和感があり、リズムよく走れず、2000mで力尽き、終了した。400mは、55秒くらいでは行きたいと思っていたが、1本目が55秒2、2本目は、56秒4、3本目は、60秒3ということで、予定していたレペティショントレーニングにはならなかった。
 午後は、競技場から、富士登山駅伝のコースをたどって富士山方面へジョッグ。第3中継所の太郎坊辺りまで行ってみたいと思っていたが、2区の途中くらいで引き返す時間がきたため、折り返して競技場へ戻った。登りは、全く進まず、もどかしく感じたが、帰りは、自分が走っているというよりも下り坂によって走らされているという感じだった。
 午後の練習後ホテルに戻って、エアコンが作動することに気がついた。昨日までは、エアコンが壊れているという説明を受けていて、エアコンは作動しなかったので、作動したことによって、かなり快適になった。

■2009年8月3日(月曜日)


ウォーミングアップ中



参加者全員で
 昨日夜から御殿場に移動し、今日から御殿場合宿が始まった。
 午前中は、御殿場の陸上競技場で練習。3000mのペース走と、200mのインターバルを10本行った。久しぶりのペース走だったが、思ったよりも走れ、設定の3分30秒/kmはクリアーできた。200mは遅くとも31秒はかからないようにしたいと思っていたが、スパイクを履くと、かなりスピードは出しやすくなり、5本目までは、かなり気持ちよく走れた。後半は、少し辛くなってきたが、逆にタイムは上がっていき、最後はもがきながら27秒9で走り終えた。その後は、クーリングダウンもできなほど、疲労困憊で、また追い込みすぎたと思った。
 午後は、競技場隣の体育館で、バドミントン。また30分ほどやっただけで左の尻に激痛が走り、左足を前に出して動くことができなくなってしまい、終了した。歩くのも辛く、これで明日以降の練習ができるのだろうかと心配になった。使いすぎの痛さなので、2,3日経てば治るとは思うが、今までに味わったことのない局部的な疲労だった。

■2009年8月2日(日曜日)
 以前から目をつけていた売地物件を業者と連絡を取り見に行った。昭和45年に建てられた建物が残ったまま売りに出されていて、建物の査定がゼロということで売地となっていた。建物の中は、神棚や仏壇、写真もそのまま残っていて、昨日まで人が住んでいたのではないかと思えるほど、生活感のある状態でいろいろな物が残っていた。売却が成立した時点で売主が片づけるということらしい。
 子供たちは、ベッドに上ったり窓を開けてみたり、いろいろと家の中を楽しんでいるようだったが、「今日のおうちは、きれいじゃない」と言っていた。子供は正直だ。
 土地の一部は、旧海軍の土地だったらしいが、旧海軍の土地となる前から、すでに民家が建っていたようで、現在は横須賀市の土地となっているが、今も民家がそのまま占有しているという状態らしい。そのため、表記上の土地の大きさは、この部分の土地をカットした上での大きさとなっているため、実際は表記よりも大きいとのことだった。さらにこの土地は平安時代から使われていて埋め立て地ではないとの話もあり、一つの土地にもいろいろな歴史があり、とても興味深く感じた。

■2009年8月1日(土曜日)


えさを食べるカブトムシ
 夏合宿は、3日目。午前中は観音崎で坂ダッシュ。650mほどの坂を3本と、1000mの坂を3本。学生たちは、すべての本数を意識しているためか、はじめから突っ込んでいく走りをしないため、そうではないのだというところを見せるため、自分が先頭に出て学生を引っ張った。ゴール手前で失速してしまったが、思ったよりはタイムはよく、運動不足の割にはよく走れたと思った。しかし2本目からは、全く体が動かず、スタートから失速。2本目が終わったところで、傷口から血のにじむような跡が見え、さらに本数を重ねていくと危険だと思い、3本目まで走って終了した。3本目のゴール後は、嘔吐し、自分の体をかなり追い込んでいることを実感した。
 幸い傷口は広がることなく、皮膚を引っ張って止めているテープの間から血や体液が漏れだしているだけだった。1ヶ月間ほとんど動いていないのだから、徐々にやっていかなければならないのに、いざ、始めてしまうと、どうしても競争心が顔を出してしまう。傷口がひどくならないように気をつけてやっていきたい。



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