最近のいずみ

Last Update:2009/9/30

パートタイムアスリートいずみ 9年目に突入!! 


■2009年9月30日(水曜日)
 1日中、家の中に閉じこもって、科学研究費補助金応募のための研究計画書と格闘した。初めての申請のため、書き方などで困り果て、なかなか作業が進まなかった。同じ分野の研究動向など、調べることが無数にあるし、今までの業績がないため、申請する研究と、今まで行ってきた研究との関係を書くことができず、申請する前から、採用されるには厳しい状況だと思った。ダメでもともとというつもりで挑戦していくしかない。

■2009年9月29日(火曜日)


自衛官最後の制服写真
 航空自衛隊を退職した。午前中に辞令交付というものがあり、「退職を承認する」という発令事項で、新大臣の名前入りの辞令書を頂いた。最近制服が新型に変わったばかりで、今日は、支給されて初めての着用となったが、制服を着るのも今日が最後となった。大学卒業後、約12年半の勤務だった。明後日からは、教官として正式に採用される。今後も、学生達には、先輩として、自分の経験を通して学んできたことを還元していきたいと思う。

■2009年9月28日(月曜日)
 受診して、手首のレントゲンを撮影し、診察を受けた。骨には異常なく、確実に回復しているとのことだった。また、前回の受診時と比べ、背屈は、改善してきたと言われたが、掌屈は、45度程度しか曲がらず、まだ時間がかかりそうだと言われた。受動的に手首の曲げ伸ばしを何度かされ、かなりの痛みを伴った。地道にリハビリに励むしかない。

■2009年9月27日(日曜日)


お墓作り



四つ葉発見
 先週の連休が終わる頃に、3匹いたカブトムシ(もともと4匹いて、1匹は子供が友達にあげてしまった)のうち最後まで生き残っていたメスが死んでしまった。すでにメス1匹とオス1匹は、子供達がお墓をつくって埋めており、今日は、最後の1匹を埋めることになった。
 虫かごに入っていた、土をすべて出して虫かごを洗おうと思っていたところ、土を3分の1くらい出したところで、幼虫を見つけた。さらに掻き出してみるともう1匹幼虫を見つけた。長男は、ものすごくうれしそうな顔になり、今すぐにでも誰かに話したいという感じだった。
 メスが3匹とオスが1匹で、オスはいつもメスを追いかけ回していたが、そのたびに逃げられているように見えたので、新しい生命は誕生しないだろうと思っていた。しかしこちらの予想に反して、見事に命がつながった。また、来年の羽化へ向け、土を入れ替えるなど、少し手間がかかりそうだが、子供の喜ぶ姿を想像すると、面倒だけどやらなければと思う。

■2009年9月26日(土曜日)


レース直前



男子800m決勝(最後の直線)



岡山城
 全日本実業団の800mに出場。これで13回目の出場となった。速い動きができないので、今回は2分切りを目標にレースに臨んだ。予選は、4組あり、1着と2着以降タイムのいい選手4名が決勝に進めた。自分の組には、宮崎くん(体育学校)と口野くん(富士通)という日本選手権決勝進出者が2名いた。1着争いがとても厳しく、着順での決勝進出も視野に入れ、宮崎くんがレースを引っ張ると宣言していたため、できるだけそれについていくことだけを考えていた。
 宮崎くんは、スタートからハイペースでとばし、こちらは、全くついて行けず、最初の100mでレースから離脱してしまった。400m手前で何とか1人を抜き、400mは56秒台で通過した。先頭は、遙か彼方を走っていて、52秒台での通過だった。
 バックストレートでも1人を抜き、600m通過が1分25秒台だった。2分切りは間違いないと確信し、残りは体が固まらないよう、できるだけ力を抜きつつスピードを維持してフィニッシュラインへ向かった。先頭は1分48秒73の大会新記録で、こちらは1分56秒67の5位でフィニッシュした。   大会新となる歴史的なレースに参加できたが、まったく別のレースを走っているようだった。以前であれば、ついて行けるスピードだったのに、今では1周目を全力で走ってもついて行けないスピードになってしまい、とても悔しく、もう一度彼らに近づけるようになりたいと思った。レース自体は悔しく思ったが、800mを1本走るためだけに、時間とお金をかけ試合会場へ行き、日本のトップクラスの選手たちとスタートラインに立ち、同じレースを走り、サブグランドでは、トップアスリートたちの動きを間近で見られ、缶コーヒー「ボス」のCMではないが、「贅沢だぁ」と言いたくなる2日間だった。

■2009年9月25日(金曜日)


羽田空港



三浦半島
 全日本実業団出場のため岡山入りした。岡山でのレースは6年ぶり。岡山空港から直接桃太郎スタジアムへ行き、練習時間ギリギリだったが、メイン競技場で300mのタイムトライアルができた。
 ハムストリングスの張りと膝裏のしこりが相変わらずあり、走りづらかった。スタートからピッチは上がらず、中間疾走のストライドも狭く、全く進んでいる感じがしなかった。全力で走ったつもりだったが、動けなくなるほどの疲労感はなかった。タイムは、38秒切りを目指していて、38秒0だった。一応、自分の感覚と実際のタイムは近く、感覚は戻ってきていると考えてもいいのかもしれない。以前であれば、流しても走れるタイムなのに、全力でなければ走れないタイムになってしまったのが、ちょっと悲しかった。
 手術から2ヶ月半近く経ち、やっと試合に出られるまでに回復したのだから、それだけれも幸せだと思って、明日のレースに臨みたい。

■2009年9月24日(木曜日)
 連休中は、全く運動ができず、4日ぶりにジョギング。相変わらずハムストリングスの張りはとれず、走りづらい。あまりスピードは上げられず、あきらめてゆっくりと走った。途中で、右足内果の上部が痛み出し、我慢しながら走った。
 学生の練習に混じって2分ジョッグ+2分ダッシュを10本行うつもりで、ジョッグを始めたが、すぐに内果に痛みを感じたため、中止した。土曜日以来、全く息を上げていないので、このままではまずいと思い、600mほどの坂ダッシュを1本だけ行った。動きに切れはなく、全力を出し切れず終了したように感じたが、タイムは意外によかった。
 明日、岡山へ行って、もう一度刺激を入れて、土曜の試合に臨みたい。

■2009年9月23日(水曜日)
 妻と2人で、相変わらず毎日子供たち叱るのではなく怒ってしまっている。長男には、歯磨きや着替えなどするように声をかけるが、返事をほとんどしない。そして、行動を起こさないため、こちらは、わかっているかどうか、顔を見て確認をするが、口を閉じたままで、何も答えずに泣く。本人が明らかに間違っていたり失敗した際にも謝らず、泣き出すことの方が多い。泣くくらいだったら、思っていることを話すように促すが、口を開くことはない。泣いている本人はストレスなのだろうが、聞こうとしているこちらもストレスになる。
 次男は、挨拶ができ、返事もして、自分が悪ければ謝ることが多いが、食事の時間だけは、別人で、異常な頑固さを発揮する。座って食べることをせず、スプーンやフォークを使って食べることができるのに手づかみで食べる。座るように促したり、フォークやスプーンを使うように話すと、こちらを逆なでするような行動に出る。スプーンやフォークで食べさせようとすると、怒りだし、わざわざスプーンから食べ物をよけたりする。食事の度に、同じことの繰り返しになるので、1日3食つきあう妻のストレスは計り知れない。
 親も子供も、お互い自分たちの思い通りにはいかないのだが、お互い、自分たちの思い通りにしたいという気持ちがぶつかっているのかもしれない。こちらは、親としてきちんとしたしつけをしなければ ならないという気持ちもあり、少し強制することもあるが、子供はどう受け止めているのだろうか?こういったことの積み重ねにより、将来子供に刺されることのないよう、なんとか納得させたいと思っている。

■2009年9月22日(火曜日)
 子供たちの間でベイブレードというおもちゃが流行っている。近所の子供たちが持っていて、外で遊んでいるのをよく目にするため、長男もほしいと言い出した。
 ベイブレードは、昔でいえばベーゴマ。コマのことをベイと言うらしく、ひもを使ってベイを回すのではなく、回す装置があり、技術はあまり必要なく、簡単にベイを回すことができる。ベイを落として戦わせる場所がスタジアムと呼ばれていて、クレーターのように窪みのある大きなプラスティックの容器が売られている。メイドインチャイナと書いてあった。ベイにはいろいろと種類があり、形や重さによって、当たったときに威力が強かったり、持久力に優れたりと特色がある。ベイは、4つに分離でき、組み合わせが無数にあるようだ。相手によって、使うベイを変えるということなのだと思う。
 ブームの元は、自分も小学生の頃読んだコロコロコミックの連載漫画のようで、アニメとしてテレビでも放送されているという。当時、コロコロコミックでは、「ゲームセンターあらし」が流行っていて、テレビゲームがブームになり始めたころだった。30年近く経った今でも、子供たちに読み継がれているということを知り、とても驚き、なんだかうれしくなった。そのうち、うちの子供たちも、自分の小遣いで買うようになるのかもしれない。

■2009年9月21日(月曜日)
 テレビで、昨年話題になった映画「おくりびと」を見た。誰もが最期には死ぬことになるが、日常生活では、自分が死ぬということを忘れて、ずっと生きるという認識で生活している。そのため、人が死ぬということは、非日常的なことで、できるだけ遠ざけたいという心理が誰にでも働いているように思えた。映画の中では、死者を食い物にしているという軽蔑の眼差しで納棺士を見る人々がいたが、実際の仕事ぶりを見て、見方が変わていった。納棺士という職業があることは、この映画がなければ知ることはなかったが、死者を送り出すとても大事な仕事に見え、動作のすべてが洗練され、芸術のようにも見えた。自分にも最期があるということを肝に銘じ、いつ死んでも後悔のないよう、一瞬一瞬を大切に生きていかなければ、と思った。

■2009年9月20日(日曜日)


砲丸投げ
 関東学生新人3日目。男子砲丸投げの応援に行った。今日出場した学生は4年生。
 1,2投目は、10m台となり、思ったような投擲ができていなかった。3投目で11m台の記録を出したが、自己ベストには及ばず予選落ちとなった。1部校の学生がかなりいるため、14m台の記録を出さないと決勝進出は難しく、1部校のレベルの高さを実感した。
 今年の関東インカレでは、2年生が12m54cmの記録で2部校の3位となったが、1部校では、標準記録にも達していない。この冬にしっかりとトレーニングを積んでもらい、せめて1部校の標準記録を突破するレベルまでは、記録を上げてもらいたい。

■2009年9月19日(土曜日)


4×400mR
 関東学生新人2日目。今日は、夕方に4×400mリレーの予選があるだけだったため、午前中の内に東京へ出て、午後から久しぶりに織田フィールドで行われているアンビバレンスの練習会に参加した。メニューは450m、350m、300mのレペだった。400m程度のスピード練習をしたいと思っていたので、とてもいいメニューだった。前に引っ張ってくれる人がいたため、とにかく必死についていった。1本目は61秒台。2本目は46秒台。3本目は38秒台ということで、今できる限界に近いタイムで走れた。距離が短くなってもあまりスピードを上げられないというのが今の状況だということがよくわかった。スピードが上がらないので、レースでは、いったん上げた速度を、フィニッシュまでキープし続ける走りをするしかない。
 関東学生新人の4×400mリレーは、何の抵抗もできず、予選落ちとなった。先週の関東理工系大会と同じメンバーで走ったはずなのに、先週よりも5秒悪いタイムだった。来年度も、同じメンバーを中心にチームを組んでいくはずなので、今後に期待したい。

■2009年9月18日(金曜日)


やり投げ



5000m最終コーナー



5000m表彰
 国立競技場で関東学生新人が始まった。3日間開催なのに、なぜか1500mと5000mが同じ日という日程で、我が校の学生は両種目にエントリーしていたため、5000mのみに出場することとなった。ベスト記録では4番目ということで、入賞の可能性は高く、うまくいけば表彰台に乗れるのではないかと思って、競技を見守った。
 レースは大東大の選手2名が先頭を走り、3番手以降は少し遅れて集団を作り、我が校の学生もこの集団で走った。3000mまでは、先頭は、1000m辺り3分切りのペースで引っ張ったが、4000mまでにペースダウンし、3番手以降の集団に吸収された。4000m通過は12分02秒だった。その後、大東大2名と我が校の学生が3名の集団で飛び出し、残り200mまで集団のまま走り、残り150m辺りから、我が校の学生がスパートをかけ先頭に立った。2位以下の選手とは少しずつ差が開き、そのままフィニッシュラインへ逃げ切り優勝となった。タイムは14分57秒03だった。
 この大会は、5月の関東インカレで決勝に残れなかった学生が出場できるため、優勝した学生は4年生だったが、この大会への出場権があり、4年間で最後の大きなトラックレースでの初タイトルとなった。特に調整をしたわけでもなく、練習の流れの中で出場した試合で、15分切りという最低目標を達成し、さらに優勝という結果が残せて、本当にうれしく思った。
 今日は、やり投げでも3年生が惜しくも9位でベスト8には残れなかったが、自己ベストを2回記録し、女子3000mでも3年生が自己ベストを15秒ほど更新した。それぞれが自分で考え、練習をした結果が着実にあらわれ、本人たちも気持ちよく、見ている側も気持ちよく、本当にすばらしい結果だったと思う。

■2009年9月17日(木曜日)
 外務大臣は、外務省内で核兵器持ち込みに関する密約の調査をするよう命じた。前首相や前大臣の見解は、存在しないとのことだったが、元外務事務次官は存在を証言している。新聞報道でも大きく載り、国民は、真実を知りたいと思っているはずなので、真実はどうであれ、すぐに実行に移す新大臣の行動は、すばらしいと思った。報道を見る限りでは、どの省庁も同じように動き出し、間違っていたことは間違っていたことを認め、よりよくするために前進するという意志が感じられ、頼もしく思う。

■2009年9月16日(水曜日)
 5日ぶりに運動。まったく運動していなかったのに疲労はとれず、膝裏のしこりが痛い。ジョギングをしていても体が重く、ゆっくりとしたペースでしか走れなかった。あと10日でレースに出場するとは思えない状態。トラック練習で、少しずつ刺激を入れ、なんとか走れる状態に変えていかなければならない。

■2009年9月15日(火曜日)


雲海
 研究の打ち合わせで、香川大学へ出張。搭乗した航空会社は、今新聞で頻繁に記事にされているJAL。機内放送では、「今日もワンワールドメンバー日本航空をご利用くださいましてありがとうございました。」と流れていた。デルタ航空からの支援の話も出ているが、ワンワールドとはグループが違い、マイルはどうなるのか?など、いろいろと話題にはなっているが、働いている人たちも不安なのではないかと思った。
 出張先は、工学部のある研究室だったが、国立大学では最も新しい工学部の一つということで、後者は新しく、いろいろとセキュリティーがあり我が校との違いに驚いた。打ち合わせでは、先方の作成したプログラムを利用して研究をしていく方向で話が進めることができ、やるべきことが少し具体的になり、成果があった。

■2009年9月14日(月曜日)
 一昨日、伊東市富戸の海岸で、ダイビングに来ていた人が、鉄製の手すりに寄りかかったところ、手すりが折れて、岩場に転落し亡くなった。富戸にはダイビングで行ったことがあり、利用されなくなった船を使った露天風呂が2隻あり、体を温めたことをよく覚えている。今回の事件は、この露天風呂の隣にあった手すりが折れたことが原因となっている。この手すりには、ウエットスーツやシュノーケルなど、ダイビングで利用した道具を乾かすために引っかけるようにして使っていた印象がある。テレビの映像を見ると、かなり錆び付いていて、いつ折れてもおかしくない状態に見えた。しかし、いつもダイビングで利用している人であれば、ずっと前から錆び付いていて折れることなく使えているので、気にすることもないのかもしれない。ダイビングではいろいろな危険が伴うが、今回は、ダイビングとは関係のないところで事故が起こってしまった。今回は、ダイビングを行う場所で事件は起こったが、似たようなことは、誰にでも起こる可能性がある。当たり前のことかもしれないが、日常生活でもちょっとした違いに気がつく感覚が必要であり、管理する側もいつも大丈夫だからという考えでなく、常に安全管理には注意を払う必要があるとあらためて思った。

■2009年9月13日(日曜日)


リレー



鼓笛演奏
 長男の幼稚園の運動会が行われた。昨日は、雨の予報だったため朝6時過ぎには延期が決まったが、雨はそれほど降らず、夜になった豪雨となったため、今朝は、開始時間を1時間遅らせての開会となった。しかし、運動場は、かなりの水分を含んでいて、歩くと靴底に次々と泥が重なっていくという状況だった。
 長男は、年長になったため、幼稚園最後の運動会となった。20m徒競走、リレー、鼓笛演奏、組体操、ダンスなど、9月から始めたとは思えないほど、多くの催しに参加し、子供たちの吸収の早さに驚かされた。走ることについては、当然力を入れて見てしまうが、徒競走では3位、リレーでは2位となり、先頭で走ることがなく残念だった。長男は、肘が伸びたまま腕を振るため、ピッチが遅いのだが、それは、足の速い女の子を手本にして走っているからだと言っていた。何度か、肘を曲げたほうが、速く腕が振れることを教えたのだが、まったくこちらの言葉は届いていなかった。
 年少の時には飛び火で参加できず、運動会は昨年と今年の2回だけだったが、ついこの間入園したと思っていた子供がもう卒園となり、来年は小学生になる。子供の成長は本当に速く、同じように自分の年の取り方も本当に速く感じるようになった。

■2009年9月12日(土曜日)


やり投げ



3000mSC
 関東理工系学生陸上競技大会の応援に鴻巣へ行った。久しぶりに、手動でドアを開ける電車に乗り、高崎線に乗っていることを実感した。
 男子1500m、3000m障害、やり投げでは、出場者全員が決勝に進出し、1500mでは7位、3000m障害で優勝、やり投げで優勝、5位、7位となった。特にやり投げで入賞した2人は、やり投げを始めたばかりの初心者だったので、かなり驚いた。2人は1年生と3年生なので、この冬にしっかりとトレーニングを積むことで、来春は、とんでもない記録を出してくれるのではないかという期待感で、とても楽しみな気分になった。女子では、走り幅跳びでの8位が唯一の得点だった。
 今日は、OBが4名応援に来てくれ、同期と自分の知っている後輩たちだったため、久しぶりに学生時代に戻ったような気分で、近況や昔話で盛り上がった。海外での勤務をするなど、いろいろな部署でみんなが活躍しているのを聞いてとてもうれしく思った。

■2009年9月11日(金曜日)


夕焼け
 最近、髭が濃くなってきた。髭を剃り始めたのは、26歳の頃。毛は薄い方なので、それまでは、目立った髭を切るという感じだった。一度剃れば、1週間は剃らなくても問題はなかった。しかし、最近は毎日剃る必要が出てきた。朝剃ったとしても夕方には、口の周りは黒い点で覆われ、子供の絵で描かれるお父さんという感じになってきた。実際にお父さんなのだから、なんら問題はないが、髭が濃くなっていくことには、なんだか抵抗がある。妻が脱毛したいと言っていたことがあったが、自分も髭に関しては脱毛したいと思えてくる。

■2009年9月10日(木曜日)
 一昨日受診した際に、整形の先生から、医務室でのリハビリを勧められ、バイブラバスでの可動域訓練をしている。具体的には、ジャグジー付きの人が入れないくらいの小さな風呂に腕を入れて、手首を15分間動かし続けるということをしているのだが、手首を可動域ギリギリまで動かすと痛みがあり苦痛を伴う。終わった後も痛みが残るので、日常生活では手術した側の手はあまり使いたくないが、仕方なく使っている。
 なかなか腫れも引かず、手術からもうすぐ2ヶ月が経つ。術後3ヶ月の間は、腕をつくような運動はしないようにと言われているが、腕をつく動作をするだけで、かなりの痛みがあり、運動なんかはとうていできない。3ヶ月もすれば、腕をつく運動もできるようになると思いこんでいたので、今の感じからすれば、腕をつけるようになるのは当分先という気がする。完全に回復する日がやってくるのだろうか、不安になりながら毎日が過ぎていく・・・

■2009年9月9日(水曜日)


トラック改修工事
 東京メトロ東西線で、保守車両が始発列車に衝突し、始発から運休となった。通勤・通学客29万人に影響があったとのことで、東西線の各駅では、大混乱だったようだ。原因は保守車両の運転ミスだったという。人間だから「うっかりミス」は絶対にないとはいえない。事故を起こした企業は、必ず再発防止策を出すことになるが、どういう内容になるのだろうか。
 自分も、ずいぶん前に勤務していた職場で、うっかりミスによる、重大な問題を引き起こした経験があり、再発防止策について考えたことがあった。ヒヤリハットを蓄積したり、指さし確認をするなど当たり前のことしか思いつかなかった。視線は、自分の目の前にあっても、考え事をしているだけで、視線の先は見えていないことがよくある。そう考えると、一人一人が責任を持って一つ一つを確認しながら仕事を進めていくしか防止する手だてはないように思えてくる。考え事をせず、目の前にある仕事に集中すること。あれからかなりの時間が経ったが、やっぱり当たり前のことしか思いつかない。

■2009年9月8日(火曜日)
 昨日の練習の影響で、脚はかなりの疲労状態になった。ジョッグが辛く、すぐに歩きたくなってしまう。そんな状況だったが、無理して400mのタイムトライアルを行った。昨日と同じく、伸びやかさはなく、もがいている感じで、残り100mでは失速した。タイムは、53秒9で、先週よりも0秒2遅かった。先週のタイムトライアルと比べ、走る前から疲労していたので、タイムがほとんど変わっていないと考えれば、力は上がっているように感じる。今後も、高強度の運動を少しずつ増やして、試合のレベルに上げていきたい。

■2009年9月7日(月曜日)
 練習メニューは、800mの変化走2本と300m×4。変化走では、1本目が650mまで8割くらいの感覚で走り、残り150mをダッシュ、2本目は500mまで8割走で、残り300mをダッシュという設定。しかし、2本とも8割の力での走りが全くできなかった。スタートからストライドが狭く、スピードが上がらず、気持ちよく走れなかった。後半のダッシュは、ただもがくだけで、トータルタイムは2分07秒台と2分06秒台だった。
 300mについては、50秒前後でのタイムで4本走り、ジョッグを含めた1500mのトータルタイムは4分45秒台。こちらは、夏の合宿の時と比べれば、走りやすい気候になったためかタイムは上がっていた。
 昨日の疲労の影響があるため、思い通りの走りができなかったが、この1ヶ月の練習は、ジョッグが中心で、実際のレースに近い強度の練習をしていなかったので、このような練習ができたということで一歩前進したのだと考えたい。

■2009年9月6日(日曜日)


水泳





ランニング





射撃
 日本エアロビクスセンターで行われたチャレンジ近代五種国際大会に学生たちと出場した。競技は、水泳を200m泳いだ後、ランニングを3000m走り、走っている途中で4度の射撃を行い、最も速くフィニッシュラインへ入った選手が優勝となるというもの。18歳以上は全員シニアの部となり、年齢順に3組に分けられ、自分は2組目となった。
 3年前に優勝しているので、今回も優勝を狙った。前回の水泳では、先頭にはまったくついていけなかったが、今回はなぜか、がんばらないのに先頭で通過し、拍子抜けした。しかし、トランジッションエリアでランニングシューズを履くのに、他選手の倍以上の時間がかかってしまい、順位を3位まで下げてしまった。靴は、ひもを結ばなくても履くだけでいい状態にしておかなければならなかった。
 射撃エリアでは90秒以内で5つの的を倒さなければならなかった。5つの的を倒した時点でランニングへ復帰となるが、なかなか思い通りには倒せなかった。1回目の射撃は、10発撃って2つの的が倒れたが時間切れとなってしまった。2回目の射撃に入るまでのランニングで2位に順位を戻し、2回目の射撃は、9発目で5つの的を倒すことができ、83秒台でランニングへ復帰した。3回目の射撃に入るまでのランニングで、先頭に並べる位置まで追いついたが、3回目の射撃は12発撃って4つの的しか倒すことができず、時間切れでランニングへ復帰した。4回目の射撃に入るまでのランニングで先頭に立ち、最後の射撃は9発撃ってすべての的を倒し75秒で射撃エリアを抜けることができた。フィニッシュラインまでのランニングは、先頭に立ってしまって目標がなくなったためか、体の苦しさに耐えられず、かなり妥協した走りとなり、練習不足を露呈した。フィニッシュタイムは、19分16秒22だった。
 組ではトップとなったが、一番若い組の3名の方がタイムは速く、自分は総合4位となった。優勝したニュージーランドの選手は、15分53秒05という記録で、2位と3位が17分台だったことから、圧倒的な力の差を見せつけての優勝だった。3位は、我が校の2年生だった。負けるとは思っていなかったので、かなり悔しかった。自分も彼らと一緒に競技ができれば、順位は変わっていたかもしれないと思ったが、水泳からのトランジッションと、射撃でのタイムロスがあまりにも大きく、順位は変わらない可能性の方が高かった。
 最後の3組が終了した後、リレーに出場した。3名一組で、ランニングと射撃を1回ずつ行い、リレーするという内容だった。もともとリレーには申し込んでいなかったが、知らない人からリレーに参加できる人を探していると声をかけられたため、参加することになった。全員が30代以上の年齢ということもあり、10代の選手たちと競技をするには、なかなか厳しいメンバー構成だった
 自分は第1走で出場した。射撃は3つ的をすべて倒せばランニングに復帰できるというもので、11中2番目に射撃を通過した。トップはオーストラリアの選手で、ランニングも速く、追いつくことはできず2位で2走につないだ。2走の人は、射撃で逆転し、トップで3走につないだ。3走の人もトップで射撃を終え、フィニッシュラインへ向かったが、途中で先頭は明け渡すことになってしまった。しかし、2位でフィニッシュし、表彰台へ上がることができた。即席のチームだったが、3人とも射撃が他チームよりもうまかったことが大きかった。来年も機会があれば、このチームでリレーを組み、若手を脅かしたいと思った。

■2009年9月5日(土曜日)
 観音崎写真コンテストが明日締め切りになるため、選んでおいた写真をあわてて印刷し、タイトルとコメントをつけた。昨年は、「観音崎の思い出」というようなテーマで、今年のテーマは、「観音崎のお気に入りはここ!」。昨年は、かなりいい賞が取れるのではないかという自信があったが、今年は、そこまで自信のもてる作品は撮影できなかった。それでも1人3枚まで出品できるということで、妻と2人で6枚の写真を選んだ。写真を選んでみたものの、なかなかタイトルとコメントがかけなかった。妻とああでもないこうでもないと言いながら、半日くらいかけてやっと書き上げ、夕方、ビジターセンターへ持参した。
 昨年は、妻と2人で出品した5枚のうち、1枚がグランプリ、4枚が入選という結果だった。今年は、どうなることやら・・・

■2009年9月4日(金曜日)
 一昨日の水泳と、昨日の練習の影響で、全身がだるい。特に腕とハムストリングスは、筋肉痛で動かしづらい。ジョギングをしてみたが、歩くようなペースにしかならなかった。週末に試合に出ることを考えると、あまりいい状態ではない。
 今日も水泳を軽めに行った。メニューは50m×6。50mほどであれば、かなりのスピードがでて気持ちよく泳げる。この勢いが200mまで続いてくれればかなりのタイムが出るが、そこは期待せず、本番は、ランニングにうまくつなげられるような、追い込みきらないスイムにしていきたい。

■2009年9月3日(木曜日)
 約1ヶ月ぶりに陸上競技場を走った。学校の競技場は、改修工事のため、学生たちは、週2回ほど、市内の競技場で練習をしている。学生たちは5月以降、このペースで競技場へ通っているため、棒高跳びのマットの設置など、準備にも慣れてきているようだった。
 メニューは400mと300mのタイムトライアル。学生たちは、これらのメニューの前にリレーの練習をしていた。骨折をしてから50m以上の全力疾走をしたことがなく、400mのペース配分が全くわからなかった。一番外のレーンを走っていたためペースがわからず、学生に抜かれてペースが遅いことを認識するなど、すべてを出し切るような走りはできなかった。タイムは53秒7で、感覚よりは速かったが、800mの1周目のペースだと思うと、全力で1周しか走れない状況は、ちょっとまずいと思った。
 300mは、400mの疲労が回復せず、呼吸も整わないままスタートとなってしまったため、全く走れず、タイムは39秒7だった。自分でも妥協していることがよくわかったが、このようなタイムトライアルを長い間行っていなかったので、復帰への第一歩として、まずはスピード練習ができたことを喜ぼうと思った。

■2009年9月2日(水曜日)
 久しぶりに水泳をした。200mを5本だけだったが、25mのプールで泳いだためターンが多く、ターンをするたびにどんどん辛くなる感じだった。5本ともクロールで泳ぎ、泳いでいる最中はプルの中盤で手首の痛みが何度かあったが、全体としてはそれほど気にせず泳ぎ切ることができた。
 最後の2本はタイマーを回して、タイムを計測してみたが、3分10秒と3分15秒だった。前半の75mくらいまでは、快調に進んでいくが、75mでターンをする頃から急に水をとらえられなくなり、急激にスピードが落ちた。後半は、もがきながらひたすら腕を動かし続けるという感じで、競泳にはならなかった。週末にビアスレ&シューティングに出場する予定にしているが、最初のスイムで、先頭から1分は遅れることになりそうだ。

■2009年9月1日(火曜日)
 練習は坂ダッシュ。予定としては、700mほどの上り坂を3本と1000mほどの上り坂を1本としていた。走る前からハムストリングスに痛みがあり、1本目から動きが悪く思ったようなタイムが出せなかった。2本目も変わらず、3本目は、少しだけタイムを上げることができたが、フィニッシュ手前100mほどは、2〜3度吐き気をもよおし、フィニッシュ後も、その場でうずくまって2度ほど吐くことになってしまった。最後に一番長い坂が残っていたが、もう走ることはできず、中止した。この吐き気何とかならないものか・・・



[昔のいずみ]