最近のいずみ

Last Update:2010/1/31

パートタイムアスリートいずみ 10年目に突入!! 


■2010年1月31日(日曜日)


ひゅうが
 家族でボーリングへ行った。長男が気持ちよく投げられるようガーターの溝をはじめから塞いでもらった。次男もやってみたいというので、次男にもボールを持たせてボールを放らせたが、スピードが時速1km台だったので全く勢いがなく、ボールが届く前にシャッターが閉まり、さらにはボールがレーン上で静止してしまい驚いた。次男は、ボールを投げることだけがしたかったようで、投げた後は、別の方向を見ていてピンがどう倒れたかということには全く興味を示さなかった。
 長男は、投げ方が相変わらず無茶苦茶で、本来はガーターになるボールが多いが、以前よりもボールがまっすぐに行くようになった。うまく壁を使ってストライクが出るので、本人はそれでも相当楽しそうだった。
 3ゲームをやっただけだったが、早朝ボーリングの金額と比べ、かなり高かった。早朝の方が、終わった後に、1日がはじめられることもあり、ボーリングをするなら早朝にしようと思った。

■2010年1月30日(土曜日)
 武山で合宿をしている体育学校の選手たちが、水曜日に引き続き我が校のトラックへ練習に来た。今日は1000m×12のグループとと400m×10のグループの2グループに分かれて行われた。我が校の長距離の学生たちは全員1000mのメニューを選択し、それぞれの能力に応じて1〜3本おきに走っていた。400mのメニューには中距離の学生が挑戦し、自分もこちらに加わった。
 設定が72秒とのことだったので、軽く流しても走れるのではないかと思っていたが、実際に始まってみると、つなぎの200mジョッグが50秒前後のため、つなぎがかなり辛かった。3本目以降は。左腰部にもイヤな張りがでてきて、走りのバランスも悪く、6本目には何度か嘔吐し、7本目を走ることができず、6本で終了した。いったん休憩した後に300mを1本走り動きを変えるつもりだったが、動きはあまり改善できなかった。41秒4で、思ったより悪かった。
 練習に参加した学生たちもつなぎのジョッグが速いという印象を受けたようで、リカバリーのジョッグについても注意を払う必要があることを認識したようだった。実業団の選手たちと練習することはなかなかできないことなので、こういう機会を持つことができたことは本当に良かった。体育学校の関係者にも感謝したい。

■2010年1月29日(金曜日)
 ある方から、山伏修行に行った話を聞いた。昔は、何年という単位で修行が行われていたが、最近は体験として行われる数日のコースがあり、毎年応募が殺到し抽選になるほどの人気があるとのことだった。
 山伏の格好で、山に登ったりするのがメインのようだが、分刻みでスケジュールが組まれているようで、食事の時間は特に短く、量もわずかしかなく味わっている暇がなく、すべての行動がその行動に集中していないとこなせないため、頭の中でいろいろと考える暇がなく、日常を忘れ、修行が終わったときにはすっきりした感じがあったという。リピーターが多く、20回参加すれば、一段落つくとのことで、かなり高齢の方も参加され、回数を重ねていくほど、本人の中で参加する意味がはっきりとわかってくるらしい。
 我が校の学生も、分刻みに行動することが多い。特に1年生は、考えている暇なくいろいろとやることがあるが、意外と頭の中でいろいろな不満などを抱え、目の前のことに集中できていない。行動に移さずに頭の中で考えつづけることをやめ、まずは行動に移してそれに集中するということを行って、頭をリフレッシュするのもいいのではないかと思った。これが仏教で言う煩悩を消し去ることなのだと思う。

■2010年1月28日(木曜日)


横須賀中央
 練習は、2000m×2。1000を3分10秒で行く設定だった。1本目は、なんとかキープできたが、2本目は、最初の1周のみで、その後は全くキープできず、トータル6分43秒7もかかった。走っている間にだんだん左腰の張りが強くなり、左右のバランスがうまくとれていないような感じだった。水ぶくれの影響はなくなったが、また別の問題が発生して、なかなか気持ちよく走れるようにはならない。

■2010年1月27日(水曜日)
 左足裏の水ぶくれのは、昨日までは歩いていても痛みがあり、かなり赤みがかっていたが、今日はようやく水が抜けきって、固まりはじめた。やっと痛みを感じなくなり、ジョギングができるようにもなった。水ぶくれの半分くらいは、足裏の皮膚に戻ったが、残り半分はまだ赤みがかっていて完全には戻っていない。授業で走り幅跳びをしているため、靴の中には砂がよく入る。水を抜いた穴からばい菌が入るのではないかと心配したが、特に問題はなかった。明日からは、練習を再開しようと思う。

■2010年1月26日(火曜日)
 京急バスが、バス共通カードの販売を3月末で終了し、7月末には使用できなくなるというチラシを京急バスの中で見かけた。バス共通カードは5000円のカードを買うと5850円分利用できるので、かなりのお得感があり、関東地域ではほとんどのバスに使えることもあり、とても使い勝手がよかった。
 今後は、パスモやスイカを利用することでサービスをするとのことで、4月1日以降は、月7000円以上利用する人には、割引額が増額されるという。たくさん乗ってくれる人にはサービスするよということなので、それはそれでいいのかなと思ったが、たまにしか利用せず、5000円のバス共通カードを利用していた自分ようなお客には、なんらメリットはなく、今までよりも割引率が悪くなるだけなので、なんだか納得がいかなかった。

■2010年1月25日(月曜日)
 2,3日続けて寝汗をかいている。かなり汗をかいているので、暑いと感じてもいのだが、汗が冷えたわけでもないのに寒いという感覚で目が覚める。外壁改修工事のため、窓が開けられず、布団は干せないので、日に日に布団が水分を吸って重くなっていくのではないかと心配になる。一昨日は、普段できることのない水ぶくれが練習中にできて、体のバランスが異常なのかもと思ったが、睡眠でも体が普通でないように感じている。医者にかかっても異常ないと言われそうな感じで、どうするべきかと考えてしまう。

■2010年1月24日(日曜日)


作品展示会場
 横須賀美術館で児童生徒造形作品展が行われている。通常の展示とは違い、横須賀市立の幼稚園から高校までの子供たちの作品が展示され、無料で入ることができる。
 自分の住んでいた岡崎市では、「おかざきっ子展」という展示が毎年行われている。おかざき世界子ども美術博物館で、市立の学校の児童生徒の作品がすべて展示され、広大な敷地に作品が埋め尽くされているという印象がある。
 岡崎市と比べ、横須賀市の作品展は美術館のスペースが狭いため、各学校とも一部の生徒たちの作品だけの展示だったが、作品には、苦労したり工夫したことについてコメントがあり、それぞれがどういう思いで作ったかということを知ることができ、とても良かった。特に高校生の油絵の作品はすばらしく、普段横須賀美術館で展示されている理解に苦しむ現代美術の展示と比べ、とてもわかりやすく、自分にとっては、今回の作品たちの方が価値があるように見えてしまった。

■2010年1月23日(土曜日)


我が家のつるし柿
 月曜から練習を再開し、少しずつ走り始めたが、体が重く、なかなか気持ちよく走れない。今日は、学生と12000mのペース走+1000mというメニューを行った。1000mを3分30秒のペースで走り、ほぼ設定通り走れたが、足の裏に大きな水ぶくれができたような感覚があり、痛みをこらえて走らなければならなかった。最後の1000mは2分52秒台で走り、さらに水ぶくれがひどくなった。練習後に、足の裏を見てみると、手の親指くらいの水ぶくれが2重にできていた。針で穴を開けて、何度か水を出したが、針の穴はすぐに閉じてしまい、しばらく立っているだけでまた水がたまり、元通りになってしまった。水を抜けば、痛みが改善するが、立っていると元通りになるということで、改善策としては、水を抜いて寝ることくらいしかないようだ。
 先週1週間は、スキーの関係で1歩も走れず、月曜から練習を再開したが、腰痛もあり調子が悪い。今まで同じ靴で、全く水ぶくれはできなかったので、急にこのような状態になったということは、体のバランスがどこか悪いのではないかと思えてくる。

■2010年1月22日(金曜日)
 次男の語彙は日ごとに増えて言っている。しかし、「かきくけこ」は「たちつてと」になってしまうことが多く、こちらが理解できず、何度も聞き返して意味をなんとか探ろうとしている。特に「き」が「ち」になり、黄色は「ちいいろ」、柿は「かち」、キノコは「ちのこ」など、だんだん言い回しになれてきた言葉もあるが、次々と新しい言葉が出てくるので、対応しきれない。怒り出すと何を言っているのか全くわからなくなるが、その勢いで、相当怒っていることだけは理解できたりする。究極は、言葉は何でもよく、気持ちがあれば、どうにかなるというものなのかもしれない。

■2010年1月21日(木曜日)
 長男と次男のけんかが毎日続く。近くにいるだけでどちらかが手や足を出す。今日は、長男が出した足に対して、次男が仰向けの状態で膝を曲げ伸ばししながら必死に蹴っていたところを発見し、次男の足首をつかみ、蹴ることを止めさせた。すると、次男は泣き出し、母親のところへ行き、「パパ、悪い子。パパ、うるさい子」と言って泣き崩れていた。次男は、自分の知っている言葉を駆使して、なんとか自分の正当性をアピールしようとした結果が、その言葉だったのかと思うと笑えた。

■2010年1月20日(水曜日)


梅の花
 日本航空が会社更生法の適用を申請し、手続き開始の決定を受けたことを発表した。グループの負債は2.3兆円とのことで、株式も来月には上場廃止となるという。3年で黒字に変えていくとの報道があるが、そんな短期間で黒字にできるのであれば、もっと傷の浅いうちに手をつければよかったのではないかとも思えてくる。日本航空は、OBの年金を削ってでもなんとか再生させようと動き出したが、国や地方自治体の財政は、日本航空どころではないのではないところがたくさんあるはずなので、公務員の年金や退職金も当然減る可能性が高い。明日は我が身。誰もがいざというときのために備えておかなければならない。

■2010年1月19日(火曜日)
 舟状骨骨折の手術をして半年が経ち、執刀した自衛隊横須賀病院の先生が一度経過を確認したいとのことで受診した。職場の医務室の先生からレントゲンだけは見せてもらい、こちらの状況は聞いていて、手首の可動域の改善が小さいという認識だったようだが、先生が思っていたよりも可動域は十分あり、心配することはないという話が伺えた。1年くらいは痛むのは仕方ないとのことで、動かすときに痛みは伴うかもしれないが、腕立て伏せなど、痛みがあってもどんどんやっていくよう指導された。痛みを伴いながらのリハビリはやっていたが、手首に体重をかけるような運動はほとんどしていなかった。今後は、少しずつ手首に負荷をかけていく運動を入れていこうと思う。

■2010年1月18日(月曜日)


組まれた足場
 住んでいる官舎は、建ってから20年以上が経過し、海に近いこともあり、外壁の汚れが目立ち、実際よりも古く見え、30年以上経った建物とも見た目は変わらない。昭和40年代に建てられた官舎から順に外壁の塗装工事が始まり、いよいよ我が官舎にもやってくることになり、足場が組み始められた。今後何ヶ月かは、布団や洗濯物が外に干せなくなる。塗装が外に飛ばないような覆いもそのうちかかるようになり、日当たりが悪くなることが予想される。できれば、外壁よりも内装をきれいにして欲しいと思ってしまうが、改修の予定については、元々決められているはずなので、その日が来るまでまつしかない。まだ工事の準備が始まったばかりだが、この囲いがとれて、遮る物がなく部屋に光が入ってくる日が待ち遠しい。

■2010年1月17日(日曜日)


妙高高原駅
 スキーのブーツを5日間履いた。両足の第5中足指節関節がブーツに当たり、真っ赤になってブーツを履く度にかなりの痛みがあった。スキーで滑走するのは楽しいが、この痛みに耐えなければならなかったことがかなりの苦痛だった。普通の靴を履いても同じように靴の中で当たり、スキーブーツほどではないが痛みがある。また、あぐらで座るときにも、ちょうど床に当たり痛みがでる。当分この痛みは続きそうだ。
 夕方横須賀へ戻ってきた。雪の降る地域とは明らかに気温が違い暖かく感じ、過ごしやすい適度な気温だと思った。しかし、我が家の冬は、ホットカーペットだけの暖房で過ごしているので、宿泊した部屋と比べかなり寒かった。官舎は、隙間風が至るところから入ってくるので、寒いのは仕方なく、喚起をしなくても適当に空気が入れ替わり、返って便利と考えることにした。

■2010年1月16日(土曜日)


バスに積もった雪
 講習最終日。午前中は、日本スキー連盟のバッチテスト2級の試験、午後は1級の試験が行われた。受験しない人たちは、昨日に引き続き講習が続けられ、2日間の総復習となった。イメージする股関節の使い方ができる場面が少しずつ増えてきたが、確信できるまでには至らなかった。
 校jしゅうご、レジャーで滑りにきていた昨年の我が校の卒業生たちと会うことができた。彼らは、近くの高田駐屯地勤務で、週末になると滑りにきているとのことだった。普段の訓練では、自衛隊スキーを履き、クロスカントリーをしているそうで、自衛隊スキーの大変さの話を共有することができた。

■2010年1月15日(金曜日)


自衛隊スキー




自衛隊スキー装着
 講習2日目。午前・午後ともプルークボーゲン、プルークターンを中心にトレーニング。初めてスキーを滑る人に方向転換を教える際には、曲がりたい方向と反対側(外側)の足を少し前にずらすようにすることで簡単に曲がれることがわかった。結果的にこの動作が外側荷重になることになり、同じ動作でも言葉の使い方でとてもシンプルに伝えることができると感じた。
 午後の教育後、自衛隊スキーを体験した。自衛隊スキーは、専用の革靴を履き、スキーにはつま先だけが固定され、踵が動くようになっている。一般にテレマークスキーと呼ばれるもので、クロスカントリーで使われている。ストックが太く、スキーの滑走面には鱗のようなものが刻まれ、坂を登るときには、この鱗が雪面に引っかかり、比較的楽に坂を上れる構造になっていた。坂を登るのは楽だが、足首が固定されておらず、スキー自体がまっすぐで細いため、スキーの上に体重を乗せるのが難しく、坂を下りるのが困難だった。部隊からの支援教官たちは、普通のスキーと同じように難なく滑り降りていたが、こちらはプルークボーゲンの形で滑っていても、重心移動ができない場合は曲がることができず、止まることさえできなかった。いろいろと固定されると楽だが、自由がきくというのはとても不安定で難しいということがよくわかった。しかし、その不安定の中でうまく重心移動ができるようになると、通常のスキーでもかなりうまく滑れるようになるのではないかと思った。
 1日中雪は降り続け、夜には大雪警報が発令された。天気予報では、明日の朝までに60cm積もると言っていたが、4時間ほどで膝の高さまで積もっていて、60cmでは済まないのではないかと思った。とにかく大雪警報が発令されるときの積雪はとんでもないということが体感できた。

■2010年1月14日(木曜日)


つらら
 朝4時くらいから外では除雪車が何度も走り、その音で目が覚めてしまった。この地域では、市・県・国がそれぞれ管轄の道路の除雪を地元業者に委託して行っているとのことだった。早朝から作業を始めないと、交通渋滞になるらしい。昨夜は大雪で除雪が間に合わず事故も多数あったようで、昨日中に到着予定だった福島の部隊の支援教官たちは、朝6時台にやっと到着するという状況だった。
 今日から学生の教育を担当する教官対象の事前教育が始まった。自分が学んできた滑り方は、外側荷重で曲がっていく方法だったが、当時とはまったくスキーが変わってしまったため滑り方も変わり、内側にもある程度荷重かあった方がスムーズに滑ることができ、特に股関節の使い方が強調されていた。体重をかけるのではなく、行きたい方向に股関節を曲げるようにするとうまく曲がれる。午前・午後ともこの滑り方に関するトレーニングで、何となく感覚がわかったような気がした。明日以降は確信が得られるようがんばっていきたい。

■2010年1月13日(水曜日)


野尻湖方面
 学生のスキー訓練の事前準備で妙高高原池ノ平へバスで移動した。長野県へ入った頃から路肩に雪がうっすらと積もりはじめ、長野市を越えたころからは、1m以上の高さまで雪が積もっていた。これだけ積もっているのに、道路にはいっさい雪がなく、車は普通に走ることができており、道路公団の管理はすばらしいと思った。宿泊先近辺では、さらに雪が積もり2mほどになっていて驚いた。
 今日は、明日から教官要員が教育を受ける予定になっているスキースクールに、こちらの計画を持って行き、挨拶をしてきた。その後、スキー場全体を把握するため一通りスキー場を回ってきた。圧雪されず、雪が降ったままふかふかのコースもあり、足を取られて何度か転んだ。
 明日からの教育には自分も参加する。しっかりと指導法を学びたい。

■2010年1月12日(火曜日)
 次男は、最近食事で不機嫌になることが多い。とくに箸にこだわりを持っていて、スプーンやフォークを出すとそれらを投げつけて怒る。スープやパスタの時でも、家族はみんなスプーンやフォークなのに、本人は箸でなければイヤだと言ってこちらの話を聞かない。箸を使うといっても、たいてい右手に握って、左手を使って素手で食べることになり、油まみれになった手でいろいろなところを触るので、こちらとしてはいつも困っている。なかなか食事も進まず、こちらは、我慢ができず食べさせることになるが、機嫌が悪いと食べさせることも拒否するので、食事は冷めて台無しになってしまう。毎日がこの繰り返しで、妻はかなり嫌気がさしている。彼が自分で道具を使って食べてくれることを願う。

■2010年1月11日(月曜日)


打ち上げられたクラゲ
 一人暮らしを始めたときに買った炊飯器を使い始めて8年ちょっとが経った。当時は、ご飯が炊ければ何でも良かったので、購入したのは5000円くらいのマイコン炊飯ジャーだった。8年が経ち、釜はかなり傷が付き、とっての部分は、ねじがはずれ紛失してしまった。自分は、ご飯が食べられればそれで十分という気持ちが相変わらずあったが、妻はご飯がおいしくないので早く買い換えたいと言っていた。
 正月に新聞の折り込みチラシで、3万円台のIH炊飯ジャーが1万円で売っていたので買い換えることにし、一昨日やっと我が家にやってきた。今朝は、タイマーをセットして初炊きをした。目が覚めたのは、ご飯が炊きあがっている途中だった。洗濯機が動いているのかと思って目を覚ましたのだが、炊飯器で炊きあげている最中の音だった。以前の炊飯器と比べ音が大きく、さらに炊きあがると訳のわからない電子音のメロディーが大きく鳴り、かなりうるさかった。毎朝こんな音を聞くことになるんだったら、前の炊飯器の方が良かったと思ったりもしたが、音を消す設定もあり一安心した。しかし、炊きあがりの途中の音は、間違いなく以前より大きい。慣れるまでは、この音に我慢して寝続けるしかないようだ。

■2010年1月10日(日曜日)


猿島へ向かう船



フランス積みのレンガなど



猿島の浜と横須賀の街
 朝6時からボーリング場へ行き、長男とボーリングをした。土日祝日の午前8時までは安くボーリングができるという看板を昨日見かけて行くことになった。こちらは、2ゲームくらいできればよく、小学生以下は、かなり割安になるのではないかと期待していたが、早朝ボーリングは、定額で5ゲームできるが、大人も子供も関係なく同じ額を支払わなければなず、2人で3200円かかり、あまり得した気分にはなれなかった。
 1ゲーム目は、普通にゲームをしたが、長男はすべてガーターとなってしまったため、2ゲーム目からは、ガーターになる溝をふさぐ処置をしてもらい、やっとボールがピンに当たるようになり、たまにはストライクも出た。5ゲーム目では、2回連続を含む3回のストライクを出すまでになり、8フレームまではこちらの得点を上回り、長男はかなり楽しめたようだ。自分も長男には負けられないので、久しぶりのボーリングだったが、最高182で5ゲームのアベレージが153ということで、思ったよりも高い得点を出すことができた。ストライクやスペアを出すと、次は絶対にストライクという気持ちになり、必ず手元が狂うということが多かった。考えるほど悪い結果を招く。これこそ煩悩だと思った。
 午前中は、家の近所の神社へ家族で初詣に行った。長男が代表でくじを引き、見事大吉を引き当てた。これで、我が家の今年の運勢はとても良いということにした。
 その後、年末に横須賀美術館のスピードくじで手に入れた猿島行きの船のチケットを使い、猿島へ散歩に行った。学生時代を含め横須賀は8年目になるが、毎日のように目にする猿島には一度も行ったことがなかった。何があるかと言えば、江戸から昭和にかけて作られた要塞の跡しかないのだが、自然にとけむようにコケに覆われた石積みやレンガ積みなど、なかなか良い風情だった。島の奥の方には洞窟があり、弥生式土器や骨が見つかっているとのことで、大昔には人が住んでいたということにはとても驚かされた。冬のわりには風が全くなく穏やかな1日で、午後のひとときをゆったりと過ごすことができた。

■2010年1月9日(土曜日)
 横須賀市長距離記録会5000mに出場。朝は、競技場が凍結していたため、タイムテーブルが変更になるなどしたが、日が上がってくると、風はなく絶好のコンディションとなった。今回の記録会は、かながわ駅伝と三浦半島駅伝の横須賀市代表選考を兼ねていたため、横須賀市出身の大学生が多数参加し、中には、先日の箱根駅伝に出場した選手たちも参加していた。彼らは、中学生からサインを求められるなど、地元ではかなり有名で、箱根駅伝人気の一端を垣間見た気がした。
 5000mは2組しかなかったので、自分も選考会の組に入ることができた。スタートから200mを32秒ほどで入っていくハイペースで、5,6人の先頭集団ができ、自分もなんとかその集団について走った。しかし、800mくらいから離れだし一人で走らなければならなくなった。1000m通過が、2分52秒4となり、先頭集団について行ったことを後悔した。
 その後は一人で走り、2000mを6分01秒4で通過し、やっと理想のペースになったが、1000m以降、スピードが維持できずにズルズルとペースが落ちただけだったので、2000mから4000mはさらに、3分22秒0、3分22秒5と落ちていき、関東学院大学の学生たちに次々と抜かれてしまった。
 最後の1000mは、3分07秒2で周り、フィニッシュは、15分53秒66で13位となった。昨日の調整走の状況から、今日は、16分切りができればいいくらいに考えていたので、ほぼ自分の読み通りの結果となった。先頭は、高校生が14分48秒台で、箱根駅伝に出た学生たちは、15分以上かかっていて、かなりお疲れだった。

■2010年1月8日(金曜日)
 明日の記録会に向け、2000mと300mを走った。2000mは、6分ちょうどの感覚で走り始め、1000mは3分03秒台で、次の1000mは3分09秒台だった。リズムには変化がなく、同じくらいのタイムで走れていたように感じていたが、実際は大きくズレていた。300mについても、40秒を切るくらいの感覚で走ったが、実際は42秒台だった。
 この感覚のずれが、明日は、どのくらい影響するのだろうか。当分、自分の感覚と動きのズレの修正が続きそうだ。

■2010年1月7日(木曜日)
 長男は、「地震ってなんで起きるの?」という質問をしてきたので、図鑑で調べてみようという話をしておいたら、家にある図鑑とは別に、図書館で地震に関する絵本を借りてきた。絵本には、専門用語が多く、カナが入っていて長男でも読むことはできたが意味は理解できず、こちらで用語の一つ一つを説明しなければならなかった。こちらがそれらの用語について説明しても幼稚園児に満足してもらえるような説明ができず困った。絵本もなんとかわかりやすく説明しようとしているが、対象が小学校高学年くらいなので、長男が理解するには、少し時間がかかりそうだ。

■2010年1月6日(水曜日)
 韓国のKBS放送では、韓国の天候についてのニュースを放送していて、ソウルでは、最高気温がマイナス7度で、最低気温がマイナス13度となり、最低気温の記録を更新したと述べていた。南の釜山でも最低気温がマイナス6度となっていて、全国で例年よりも気温が4度くらい低いらしい。
 以前、温暖化で世界中の氷河が溶けているというニュースもあったが、最低気温が過去最低を記録する場所もあり、人が生きているくらいの短い期間での気温の上がり下がりを見て、温暖化や寒冷化などと言うのであれば、あまり意味がないのではないかと思えてきた。

■2010年1月5日(火曜日)
 観音崎で1kmくらいの上り坂を3本走った。休暇中は、走ってもジョギング程度だったため、1本目は体が軽く、中盤までは動きがかなりよかった。調子がいいのかと思ったが、後半は動かなくなり、あまりいいタイムでは走れなかった。2本目は、スタート直後から呼吸が乱れ、脚にも疲労がたまって動かなくなり、1本目よりタイムは30秒近く悪く、練習不足を実感した。3本目は10秒ほどタイムは戻したが、やっぱり動きは悪かった。最後に、トラックで300mを走ったが、41秒くらいの感覚だったのに実際は44秒かかり、さらに練習不足を実感することとなった。週末には5000mの記録会に出場予定だが、これだけ自分の感覚と実際の動きが違うと、あまり良い結果は期待できないだろう。

■2010年1月4日(月曜日)


我が家のカブトムシの幼虫
 1日から妻と次男の体調が悪く、次男の咳と鼻水がなかなか止まらず、朝食にバナナを食べた直後、吐くなどしたため病院へ連れて行った。小児科での診察だったが、妻もついでに診てもらえ、2人とも風邪の治りかけとのことで安心した。処方された薬を飲ませるために、なんとか昼食を食べさせたが、薬は飲まず、昼寝もしないので、なかなか良くなる気配がない。
 2日から長男が妻の実家にお泊まりしていたが、祖母に連れられ夕方に帰ってきた。次男は思い通りにいかないと泣き叫んでいたが、長男が帰ってきて、物の取り合いをするようになり、さらに泣く回数が増え、長男も自分の思い通りにいかないと泣くので、急に家の中が騒がしくなった。いつになったら仲良く遊べるようになるのだろうか。

■2010年1月3日(日曜日)
 箱根駅伝の復路は、往路のリードをそのまま守った東洋大が2連覇を成し遂げた。毎年、惜しいところでシード権が獲得できなかった城西大が6位となり、初のシード権を獲得した。青学大と明大も10位以内となり、久々にシード権を獲得したが、日大が15位となりシード権を落としてしまい、20kmを走れる選手が10人そろわないと勝負ができない箱根駅伝の難しさを感じた。
 妻が、東洋大の監督は若いと言っていたので、自分も陸上部の監督をしていると言ったら、テレビにでも出てくれないと、監督やっているように見えないから、箱根駅伝にも出てよ、と言われた。それはかなり厳しい注文なので、返答に困った。

■2010年1月2日(土曜日)
 箱根駅伝は、明治大学が4区までに区間賞を2つ獲得しトップを守り、2位以下に2分以上の差をつけていたが、5区で、4分以上差のあった東洋大学に逆転され6位となってしまった。以前、明治のコーチの方から、入試制度が変わり、選手を獲得できるようになったので、今後は選手強化ができるようになるという話を聞いたことがあった。2年くらい前までは、やっと本戦に出場できるようになったというレベルだったことを考えると、急激なレベルアップに驚く。全入時代に入り各大学とも受験生獲得に力を入れているが、この箱根駅伝もその一つだと考えると、今年の明治は、大きなインパクトを与えたのではないかと思う。
 明治以上にインパクトを与えたのは、5区でトップに立った東洋だった。柏原選手の走りは、何度かレースで見ているが、最後まであきらめない強い気持ちが、見ている側にも伝わってくるという印象があり、今大会も同様の走りで、区間記録の更新となった。彼は、山登りだけのスペシャリストというわけではなく、トラックレースでも力を発揮できるところがすばらしい。
 学連選抜は、1区で4位となり、出だしは良かったが、2区で順位を落とし、最終的に11位となった。まだまだシード権が獲得できる順位にいるので、予選会に少しでも有利に働くようにがんばってほしい。

■2010年1月1日(金曜日)


朝の雪



あんころ餅入り雑煮



夕日を浴びる富士山
 父は、日の出を見るために岡崎城までランニングをすると言っていたが、雪が降っていたため走るのはやめ、自分が起きたときには居間でテレビを見ていた。外を見たところ雪はわずかしか降っておらず、道にもまったく雪はつもっていなかったので、六所神社までランニングした。六所神社の楼門や拝殿の彫刻を久しぶりに見たが、重要文化財になるほどの建物なので当然のことかもしれないが、すばらしいと思った。拝殿の賽銭箱の横には、純情きらりのロケ地という小さな注意書きがあった。テレビのドラマの舞台になったということで、来客は増えているのだろうか?自分にとっては、特に重要なことではないように思えた。
 今年のニューイヤー駅伝は、日清食品グループが初優勝した。3区のインターナショナル区間と呼ばれる区間で、外国人選手が走るチームは、日本人選手だけのチームよりも明らかに優位となり、彼らの走りを見ていると日本人選手の走りは、切れがなく、とても重い走りに見えてしまう。外国人選手が走ったチームほど、順位は高い傾向にあり、その中で、日本人選手だけで戦った中国電力は、かなりの健闘だったのではないかと思った。我が自衛隊体育学校は、1区の室塚くんが、一時先頭を引っ張ったが、中盤以降は元気なく後退し、28位で2区へ引き継ぎ、2区で31位へ順位を落とし、3区以降は34位となり、そのまま34位でのフィニッシュとなった。最下位も東日本のチームだったので、来年の地区別の出場枠には、あまり良くない影響を与える結果となってしまった。また今年1年トレーニングし、外国人選手のいるチームと戦えるようにがんばって欲しい。
 今日から高速道路は1000円ということで、混雑が少ないうちに関東へ戻ることにした。しかし、りの高速道路は、事故渋滞がいくつもあり、最後は、秦野中井から横浜町田まで約25kmの渋滞が続いた。今日なら渋滞はないだろうと思っていたので、その予想は大きく外れ、結局9時間かかって横須賀へ戻った。



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