最近のいずみ

Last Update:2010/11/30

パートタイムアスリートいずみ 11年目に突入 


■2010年11月30日(火曜日)
 6000mのペース走を3分20秒/kmのペースで行った。先週土曜と同じく、走り始めてすぐに、アキレス腱痛となり、呼吸も体の動きもあまり良くなく、すぐにやめるかどうかの葛藤が始まった。2000mから3000mでは、かなりペースが落ちたが、最後にスピードを上げ、なんとか設定通りに走り、3000mで終了した。このままで、記録会の5000mを走り切ることができるのだろうかと、ちょっと不安になる練習となった。

■2010年11月29日(月曜日)


久里浜の砂浜
 カイロプラクティックへ行き、身体調整。施術前のチェックで、骨盤はねじれ、腰部の筋肉にはかなり張りがあるとの指摘があった。実際に体を触ってもらうと、腰部だけでなく、大腿部は両側の腸脛靱帯や腓腹筋外側には強い痛みがあった。極度に外側を使った体の動かし方をしているようだった。腰部の張りは、たぶん先週火曜と昨日の庭の雑草抜きが原因。ずっとしゃがんだ姿勢をしていたので、仕方のないことなのだと思う。最後に頸椎の6番の方向がずれているとの指摘があり、周囲を押されると強い痛みがあった。自分では気が付かない調子の悪い部位がたくさん見つかり、いくらか矯正してもらうことができ、施術には満足した。

■2010年11月28日(日曜日)


三浦海岸
 庭の雑草と瓦礫取りをした。今日も瓦礫で指を擦りむき、治りかけていた傷口が、広がってしまった。ムカデにもシロアリにも遭遇するようなハプニングはなく、淡々と作業ができた。長男も手伝ってくれ、小さな子供の助けでもとても助かった。8月に庭いじりをしていた頃には、19時を過ぎてもまだ明るかったが、今日は、17時前には、真っ暗になり作業ができなくなり、季節の移り変わりを感じた。

■2010年11月27日(土曜日)


次男の描いた大根
 8000mビルドアップを行った。ペースは、3分30秒/kmから始まり、2000mごとに5秒アップという設定だった。
 走り始めて1000m過ぎから早くもアキレス腱痛を感じ始め、2000mの時点でやめるかどうかかなりの葛藤があり、3000mまで走ったところで、4000mまで行こうという決心をして、4000mまで走ったときには、痛みがなくなり、4000m〜6000mまでは自分がペースメーカーとなったため最後まで走ることにした。後半は腰痛を感じ始め、設定通りにペースは上げられず、6000m〜7000mは3分33秒までタイムを落としてしまった。最後の1000mは、少しタイムを戻したが、ビルドアップ走にはならなかった。
 走る前は、難なく走りきれる設定だと思っていたが、自分の感覚と体調が合っておらず、先週の状態からは、一歩後退した感じがした。来週は、日体大の記録会に出場する予定だが、今のままでは、16分前半が出れば良いところだろう。

■2010年11月26日(金曜日)
 長男と次男は、何かにつけ競争をする。4歳も年が離れているので、長男が勝って当然なのだが、実際には長男はのんびりしているため、そうでもなかったりする。食事では、長男は、かなりゆっくり食べ、次男は、食べられなくなると、「食べさせて」と言い、親に助けを求め、比較的早く食べ終わってしまう。服を脱ぐ際には、次男は自分で脱ぐことのできない服もあるため、親が手伝ったりする。そうすると長男よりも次男の方が早く脱ぎ終わることになり、長男は「ずるい」と言いだし、泣きそうになっている。長男が次男と同じ年だったときには、次男と同じように、食べるときも服を脱ぐときにも手伝ってあげていたのだが、本人は覚えているはずがなく、次男のことを「ずるい」と怒鳴りつけるばかりで困ってしまう。1日に何度かけんかし、どちらかが必ず泣いている。いつになったら穏やかな関係が築けるのだろう?当分は、この騒がしい光景を眺めるしかないのかもしれない。

■2010年11月25日(木曜日)
 よこすかシーサイドマラソン後は、練習は控えたためアキレス腱の痛みは回復し、ジョッグでは痛みなく走れるようになり、本格的に練習を再開した。メニューは、1000m×5のインターバル。設定は3分10秒/km。1本目は設定通りに走れ、2本目は1秒遅れとなった。2本目でアキレス腱痛みが出て、やめるかどうかの葛藤が始まり、3本で終わることを決心し、痛みは多少我慢し、3本目で終了した。ちょっと練習を再開するのが早かったのかもしれないが、その後、300mのウインドスプリントを行ったが、痛みなく気持ちよく走り切れた。間違いなく9月よりは、良い方向には向かっていると思う。

■2010年11月24日(水曜日)
 昨日起こった北朝鮮から韓国の延坪島へ砲撃について、現場からの状況が盛んに報道されている。砲撃された島の住人たちは、近くの防空壕に隠れて、砲撃の被害を逃れたとのことだったが、韓国には、当たり前のように防空壕が整備されているということに驚いた。朝鮮半島は、休戦はしていても終戦しておらず、戦争状態なのだということを再認識させられた。被害の状況を映像で見ることができたが、すべてが焼けこげ、家を失った人々の生活は、今後どうなるのだろうかと気の毒に思えた。終戦は、簡単なことではないが、同じ民族が対立することなく、安心して暮らせる日が早くやってくることを願う。

■2010年11月23日(火曜日)


シロアリ?
 引っ越し以来ほぼ手つかずだった庭の西側の雑草取りと瓦礫の撤去に励んだ。引っ越した頃は、蚊が多くて、作業どころではなかったが、最近は涼しくなって、蚊もいなくなり快適に作業ができる。
 今の家を建てる前に建っていた古い家を撤去したときに出た瓦礫が、たくさん埋まっているため、ガーデニング用の小さなスコップで掘り進めていると、指が瓦礫と擦れ合って、何度も痛い思いをし、かすり傷がたくさんできた。場所によっては、瓦礫でできたすき間があり、ムカデが出てきて驚いた。さらに驚いたのは、土の中からびっしりと白いアリがくっついた大きな木の破片が出てきたこと。これがシロアリなのか?と思ったが、シロアリかどうかわからないので、専門家に診てもらうため写真を撮っておこうと思い、あわてて、家に入り、デジカメを持って現場に戻ったところ、アリの数は半分くらいになっていた。残ったアリで撮影はできたので、これを持って近所のホームセンターにでも行こうと思う。建って4ヶ月ほどしか経っていないが、いろいろな生き物の住処になっていることがよくわかった1日だった。

■2010年11月22日(月曜日)
 学生が開校祭の代休のため授業がなく、長男も学校が休みだったため、自分も休みを取って、久しぶりに長男と2人で、遊びに出かけた。長男は、ボーリングがやりたいと言っていたので、久しぶりにボーリング場へ行った。
 長男は、まだボールをまっすぐに転がすことができないので、ガーターのないボーリングを選択した。長男は、ストライクを取ったときの、爽快感を味わいたいようで、「ストライクを取りたい」と言っていたが、1ゲーム目に、こちらがストライクを取るよりも先にストライクに成功した。しかもガターよけの壁にあてることなく、そのときだけは、ボールはまっすぐに進んだ。その感覚を覚えておいて、同じように投げれば、ガーターにはならないはずだが、その後は、またガーターになる投球ばかりで、結局ストライクは、3ゲーム中1回だけだった。それでも本人は1回成功したことがうれしかったようだ。長男は、ゲームが進むごとにスコアが下がり、逆にこちらは、少しずつ感覚を戻したためか、ゲームが進むごとにスコアが上がり、最後はやっと150を超えることができた。

■2010年11月21日(日曜日)


顧問もがんばってます
 よこすかシーサイドマラソン男子5kmに出場した。ウォーミングアップの段階で、アキレス腱痛があり、スタート直前に痛み止めを飲んで出走した。
 スタート直後は、冷やかしでダッシュする人がいくらかいたが、すぐに先頭集団は、3名ほどになり、1.5kmを過ぎる頃には、2名になってしまい、自分は、2番手で必死に先頭にくっついた。2kmを過ぎる頃には、ついて行けなくなり、単独2位で中間点を過ぎた。この時点で、かなりきつく、やっぱり練習不足だったなぁと改めて実感した。
 中間点通過は7分45秒台だったので、悪くないペースだったが、単独2番手で走るようになってからは、どんどんペースが落ち、折り返し地点で3位の選手に追いつかれ、3番手に落ちてしまった。2番手を走る選手は、同じ陸上部の顧問をしている大学院生だったので、負けてはいけないという気持ちが強く働き、なんとか離されずに走った。
 残り1kmを過ぎ、いつもスパートしている信号を通過したところで、相手があきらめたくなるほどの急激なペースアップをし、一気に距離を開くことができ、そのままフィニッシュラインに入ることができた。結果は、2年連続の2位。タイムは15分57秒だった。16分前後のタイムで走ることができるだろうと考えていたので、ほぼその通りのタイムとなり、自分の動きと感覚がほぼ一致していたので、結果に満足した。トップの選手は15分18秒ということで、全く歯が立たなかった。この4年で3回出場して3回とも2位なので、次こそ優勝したい。

■2010年11月20日(土曜日)


タイ文化研究同好会
 職場の学園祭「開校祭」が始まった。今まで文化部の展示をゆっくりと見たことがなかったので、今年は、文化部の展示をゆっくりと見て回った。留学生が、それぞれ自国の紹介をするブースがあり、いろいろな文化や景色を知ることができた。
 特に注目したのは、防衛学研究同好会。この同好会の存在すら知らなかったが、陸上競技部の学生がブースで紹介をしていたので、ポスター展示をゆっくりと見せてもらった。ポスターの中には、尖閣諸島に関する発表ポスターがあり、尖閣諸島にある島のうち1島を除いて、すべて私有地だったということを知って驚いた。総務省は、賃貸料として、毎年約2400万円も払っているとのことだった。

■2010年11月19日(金曜日)


富士山に雪が積もりました
 国会では、自衛隊は暴力装置だと発言した官房長官や、大臣は2つの台詞を覚えておくだけでいいと発言した法務大臣の失言など、発した言葉に対して、野党の攻撃が激しく行われている。麻生首相のころは、次から次へと失言があったことを考えると、まだまだ今の政府関係者の失言数は少ないように思え、そんなに揚げ足を取るようなことをするのではなく、もっと大事なことを決めるための議論を行って欲しいと思えてくる。野党は、与党のミスばかりを追求し、与党は、政権を維持することばかりを追求しているように見え、お互い立場が変わっても、同じことを繰り返しているようにしか見えない。もう少しお互いの立場を考えながら、国を良い方向へ導く議論を求めたい。

■2010年11月18日(木曜日)
 昨日、行政刷新会議の事業仕分けで職場が対象となった。任官辞退者には、手当の返還を義務づけることや、受験料を徴収した方が良いのではないかという意見が出されていた。また、現在は募集定員が以前よりも増え、防大卒の幹部を増やす方向に向かっているが、コストを抑制するために募集人員を減らすべきという意見を述べる人もいた。
 現在は、無料で受験できるため、模試代わりに学校全員で受験する高校もあり、受験料を徴収することで、そういった冷やかし受験が少なくなると考えると、受験料の徴収には大賛成だが、受験とは言っても、入学試験ではなく、採用試験であり、一般企業の採用試験で、受験料を徴収しているかといえば、どこの企業もそのようなことはしていない。そう考えると、受験料を徴収していいのかどうかわからなくなる。コスト削減には、いろいろな困難があるのかもしれないが、少しでも税金の負担が少なくなるように変更されればと思う。

■2010年11月17日(水曜日)
 長男が、なかなかはっきりとものを言わない。ちょっとした軽い質問でも口を開いてくれない。何か言うと、怒られるのではないかと思っているのかもしれず、何か警戒しているようにも見える。答えてもらえるように、じっと待っているが、いつまで待っても返答がなく、最後は、関係ないことを始めて、こちらの質問が無視されることになり、結局「なんで質問を無視するんだ?」とまた質問することになる。それでも答えないことが多く、最後は、こちらが怒るという悪循環が続いている。こちらが変わらなければと思うのだが、なかなか我慢が足りず、妻と共に落ち込む日々が続いている。

■2010年11月16日(火曜日)
 16歳の少年が公認会計士の試験に合格したというニュースがあった。1年以上毎日勉強を重ね、1日の平均勉強時間は10時間半だったという。何年もこの試験に挑戦しても、なかなか合格できない人もいる中で、本格的な勉強が2年未満で、このような成果を出したこの少年は、すばらしい集中力を持っていたのだと思う。「人間やる気になれば何でもできる」と言われることがあるが、まさに彼は、その言葉を体現したことになる。このニュースを聞いて、自分もがんばらなければと思った。

■2010年11月15日(月曜日)
 長男が、宿題のプリントをしているときに、しっかりと問題文を読んで問題に答えること、採点する側がきちんと読めるような字を書くこと、できあがった答案をもう一度確認することなどを教えているが、なかなか親の希望通りに子供は動いてくれない。
 職場で試験の採点をしていても、問題をきちんと読まずに回答していたり、何でもないミスをする者が意外と多い。逆に採点者側の採点を確認をしてみると、採点のミスも発生していたりする。自分の目では見つからないミスでも、他の人が見ると見つかることがよくある。完璧ということは滅多にない。こういうミスが見つかるたびに、人間が行うことにはミスがつきものだということを再認識する。小さなミスは許されるかもしれないが、多くの人に影響を与えるような大きなミスは、できうる限り避けられるように気をつけたい。

■2010年11月14日(日曜日)


3つに分けられた幸福の木
 不動産屋さんから新築祝いでいただいた幸福の木が、日に日に弱々しくなり、たくさんの葉が枯れ始めている。小さな鉢の中に5本の木が植わっていて、土の中は、根が張りめくらされ、栄養が亡いのかもしれないと思い、近所のホームセンターで新しい鉢と培養土を購入し、3つの鉢に分けて植え替えることにした。
 元々あった鉢から、5本の木を分けて土を軽く取り除いてみたところ、どの木からも、チョロチョロッと小さな根が生えているだけで、想像していた根が張り巡らされているような状態ではなかった。これほどの弱々しい根だけでは、自立は難しく、5本の木は、発泡スチロールで支えられていて驚いた。植え替えた際にも、自立は難しく、発泡スチロールや石で固定し、目立たないようにその上に培養土をふりかけ、見た目は自立しているようになった。枯れ始めた原因は、つかめなかったが、水分が少なかったのかもしれず、葉にも霧吹きで水をかけてみたところ、少し元気になったように見えた。これからは、葉にも水を吹きかけ、乾燥させないようにしようと思った。

■2010年11月13日(土曜日)
 学生の練習に混じって2000m×3のインターバルを行った。設定は6分30秒で、休息は400mのジョッグだった。1本目は、イーブンペースだったが、6分37秒台で、少し遅く、2本目はほぼ設定通りで走れ、3本目は後半の1000mが3分07秒まで上げることができ、6分21秒までタイムが上がった。すべてを一定ペースでは走れなかったが、後半にペースアップできたことが大きな収穫だった。今日の練習で5000mで16分30秒は切っていける自信がついた。

■2010年11月12日(金曜日)


しらはま丸
 全国各地で黄砂が観測された。この時期に観測されることは滅多にないことだという。天気は良いはずなのに、どんよりとした曇りという雰囲気で、夜には月がぼんやり見えるだけで、気持ちよさがない。太陽光発電の発電量やピーク値を見ても、元気がない値だった。晴れの天候でも、外に洗濯物が干せないのがつらい。室内で干せば、乾燥機を使わざるを得えなくなり、電気代がかかる。自然の現象なので仕方のないことなのかもしれないが、中国の砂漠化が進み、黄砂の量が増加するのであれば、日本でもマスクとメガネをかけないと外出できない時がやってくるかもしれない。海を挟んでいても国はつながっていることを考えると、砂漠化は他人事ではないことを強く感じた。

■2010年11月11日(木曜日)
 1000m×7を行った。設定は3分10秒で、3本目までは余裕を持ってこなせたが、最後の2本は、3分12秒と3分17秒となり、設定通りには走れなかった。先週は5000mで3分20秒のペースもキープできなかったことを考えると、走力は少し向上し、たぶん17分を切ることができるレベルまでは回復したのではないかと思う。よこすかシーサイドマラソンまで、あと10日。なんとかもう一段上のレベルに戻したい。

■2010年11月10日(水曜日)
 2週間ぶりにパワーマックスのミドルパワートレーニングを行った。スタートボタンを押し、ペダルをこぎ始めたときに、いつもと違う感覚で、とてもこぎやすく、後半までがんばることができ、いつもと比べ、ハンドルの高さが高くなっていたことに気が付いた。サドルとハンドルのポジションを変えると、体への負荷のかかり方も、こんなに変わるのかと驚いた。3セット終了後に、回転数、パワー、対ピークのすべてがいつもより数値が高かった。自分の体の部位の角度が変われば、力の入りも変わることはわかっていることなのだが、自転車をこぐときには、あまり深く考えたことはなかった。運動は、物理学だと思った。

■2010年11月9日(火曜日)
 幼稚園の参観があり、次男の様子を見に行った。朝礼前に、園庭で走り回ったり体操をしたりするのだが、全員裸足で、ほとんどの子供たちは上半身裸で動き回っていた。先生の合図で、クラスごとに素早く縦隊になり、整頓していて、自分の受け持っている学生たちよりもしっかりと先生の話を聞いているように見え、ここまで子供たちを引きつける先生たちは、本当にすばらしいと思った。
 次男は、幼稚園では、クラスの先頭に立って積極的にいろいろなことを行い、先生も頼りにしているとの話を聞いていたが、今日はそういった姿が見られず、逆に足を引っ張っているのではないかと思えるほどだった。親が見に来ていると、それを意識して、普段とは、違った心理状態になるのだろうか。

■2010年11月8日(月曜日)
 昼休みにジョッグをしてみたが、アキレス腱の痛みは20分を過ぎると顕在化し、今日も途中で断念することとなり、40分走ったところで歩いた。20分間は、痛みなく走れたので、回復傾向にはある。
 午後の授業は、砲丸投げだったため、走り回る必要はなく、アキレス腱には無理な負荷はかからず助かった。4年生の授業は、3年生までに習ったことの復習も多いため、こちらが言葉で説明すれば、きちんと理解してくれ、行動も素早く本当に授業がやりやすい。学年が下がれば下がるほど、受け身な態度が強く行動が遅い。学生寮の中では、上級生の指示に従い機敏に動いているはずの1,2年生が、授業に来るとなぜ動きが鈍くなるのか?3,4年生はきちんと動いてくれるのだから、1,2年生は、寮での行動の反動が授業に出てきている可能性が高い。自分が学生の時は、積極的に授業を受けていたので、あまりそういったことを感じなかったが、昔からこういう傾向なのかもしれない。

■2010年11月7日(日曜日)


水平線
 1日、次男と家で留守番をすることになり、天気が良かったので、近所のフェリー乗り場からフェリーに乗って、千葉の金谷まで行って帰ってくる散歩をした。
 フェリーに乗るのは、2年半ぶり。以前乗ったときには、次男は、1歳にもなっていなかったので、本人には、前にも乗ったことがあると説明はしたが、初めて乗ったと思ったに違いない。その割には、特にはしゃぐこともなく、普通に乗り物に乗るように落ち着いていた。カモメがお客の投げるエサめがけて飛んでくるところを見せたいと思っていたが、次男は、客室で座っている方が良いと言い、外へ出ようとせず、往路は、客室内を移動するくらいで、金谷に着いてしまった。
 金谷では、10分程度しか土産屋を巡る時間がなく、すぐに折り返しの便に搭乗した。帰りは、自分の大好きなラムネをカモメにあげると言って、外に出てカモメを待ってみたが、エサをやるお客がいなかったため、カモメは集まらず、遠くのカモメを見るくらいしかできなかった。
 往復約80分の短い時間だったが、子供と無言で景色を眺め、久しぶりにのんびりとして落ち着いた時間を満喫できた。今日から36歳。また新しい1年が始まる。

■2010年11月6日(土曜日)


久里浜港
 長男と、早朝サイクリングに出かけた。長男は薄着だったため、寒いというので、途中で家に帰ることにしたのだが、太陽の光に当たれば温まるのではないかと思い、太陽の光を遮らない、港の岸壁へ連れて行った。
 岸壁では、10人前後の釣り人がつりをしていた。長男は、すぐに釣り人の近づいていった。魚を釣り上げる釣り人がいると、走っていって近づきすぎなくらい近づいて釣り人のやっていることに見入っていた。こんな港の岸壁から魚が釣れるのだろうか?と思って海の中を見てみたが、いくらか魚が泳いでいるのが見え、意外にいるのだと思った。タナゴ、メジナ、カワハギがよく捕れるのだと釣り人は話していた。
 その後、釣り人を見ながら岸壁を散歩していたら、長男が「パパ、見て!!」と海を指さすので、海を見てみると、魚の大群が太陽の光に照らされてキラキラ光っていた。水族館で見たことのあるイワシの群れに見えた。こんな港で、これほどの大群を見ることができるなんて想像できず、長男と共に驚き、とても得した気分になったひとときだった。早起きって気持ちが良い。

■2010年11月5日(金曜日)
 尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の船に衝突した事件の映像がネット上に流れて、大騒ぎになっている。映像が出ても、中国政府は相変わらずの主張を続け、日本政府も、なんだかはっきりしない。
 先日警視庁でも、国際テロに関する情報が流出し問題になったが、一般に公開されないはずだった映像や情報が、これほどたやすく流出してしまうものなのかと驚いてしまう。これらの件から、日本に情報を流すと、情報が漏れる可能性があり、重要な情報は、日本へ送るべきではないと考える国が出てきてもおかしくはない。日本は、政治でも信用を失いかけているのに、さらに情報流出で信頼低下に追い打ちをかけているように見える。信頼回復には、時間がかかるが、国際社会で信用される国となれるような政治をお願いしたい。

■2010年11月4日(木曜日)
 レース翌日は、全身が筋肉痛になることが多いが、今回は、それほど筋肉痛がない。1500mを走り終わった後は、吐き気が長く続き、かなりの疲労になるのではないかと思っていたが、下腿部に少し疲労があるくらいですんだ。5000mを適度なペースで走って、適度なクーリングダウンとなったためなのだろうか。それとも、体に局部的なストレスを与えない、上手な走りができたためなのだろうか。
 下腿部の張りは、ある程度あるので、先週行った鍼灸院へ行き、治療をしてもらった。レース翌日なのに、先週よりは下腿部の張りが緩和していて、先週の治療の効果を実感した。アキレス腱の痛みは、確実に緩和に向かっており、何とか11月中旬のロードレースには出場できそうな感じになってきた。練習を再開できる日も近いのではないかと思う。

■2010年11月3日(水曜日)
 横須賀市秋季陸上競技記録会に出場した。1500mは、3分台に挑める今シーズン最後のレースで、一緒に走る石垣くん(横須賀陸協)にレースを作ってもらうお願いをしスタートした。
1周目は63秒、2周目は64秒くらいで通過し、4分切りには最適なペースで、先頭に立ちたくなったが、先頭に出るのは我慢して、石垣くんについて行った。残り500mを切ったところで、ゴールまでペースアップして走りきれる確信が持てたので、先頭に立って逃げた。
 残り1周のタイムが2分54〜55秒くらいだったので、いつもより速く、そのまま走れば、4分が切れることを確信し、喜びながら残り1周を走り、1着でフィニッシュした。タイムは3分58秒32だった。昨年のベストとほとんど変わらないくらいで走れ、トラック練習を全くしていなかったことを考えると、上出来な結果だった。このタイムは、昨年度マスターズM35の日本記録とアジア記録を上回るタイムだった。走り終わった後は、疲労が激しく、吐き気にも見舞われ、長い時間動けなかった。練習せずにレースに出た代償は大きいと思った。
 1500mから5時間半ほど経ってから5000mのレースにも出場した。1500mのペースから比べれば、ゆったりとしたペースなので、なんとか一定ペースで走りきれるだろうと考えていたが、練習不足を露呈する結果となった。前半の3000は3分30秒/kmのペースを下回り、抜かれるはずはないと思っていた学生に抜かれショックを受け、さらにアキレス腱の痛みもでてきたので、やめるべきかどうかの葛藤をしながら走った。後半の2000mは、3分20秒/kmのペースまで戻し、なんとかフィニッシュした。タイムは17分16秒09だった。17分台を記録したのは、高校1年生以来約20年ぶりのことだった。

■2010年11月2日(火曜日)


富士山
 学生全員による体力測定が行われ、運営の補助をした。50m走では、4人一組で学生を走らせ、4年生がストップウォッチを持って、タイムを計ったのだが、同着だったのに、隣の学生よりもタイムが遅かったという苦情がいくらか上がってきた。手動なので、ストップウォッチを握る学生の反応速度に大きく依存するため、0秒2〜3は誤差の範囲だから我慢して欲しいという説明は走る前に説明してあったのに、苦情を言う学生は、たぶんその注意を聞いていなかった可能性が高い。毎年同じ苦情が出るが、手動である限り、同じことを繰り返し話をするしかないのだろう。
 1500mでは、知っている学生の応援をしたのだが、顔がわかっていても名前がわからないという学生がたくさんいるので、名前が言えずもどかしかった。陸上競技部の学生についても名前がわかっているはずなのに名前を思い出せず、それが一人ではなく複数いて、自分の頭に何か異常なところがあるのではないかと不安になった。

■2010年11月1日(月曜日)
 パートタイムアスリートとして活動を初めて10年目が終了し、今日から11年目が始まった。この1年は、5000mで4年ぶりに15分台を記録して、出だしは良かったが、シーズン直後から、ハムストリングスの痛みで、多くのレースを欠場し、夏以降は、アキレス腱痛に悩まされ、シーズン中は、満足のいく練習と成果が得られなかった。800mでは、1分54秒台までタイムを落とし、全日本実業団の標準記録突破も厳しいところまで近づいてきた。
 これからの1年は、アキレス腱痛を緩和させ、練習のできる状態にすることを優先し、今年度よりは、速いタイムを出せるように努力していきたい。



[昔のいずみ]