最近のいずみ

Last Update:2010/12/31

パートタイムアスリートいずみ 11年目に突入 



■2010年12月31日(金曜日)


富士山





朝の久里浜港
 夜中に次男がトイレに行きたいというので、トイレへ連れて行くと、トイレが詰まってしまっていた。とりあえず次男はトイレをすませ、おそるおそる水を流してみると、水位は上がっていったが、便器からあふれるほどではなかったため、処置は朝になってから考えるつもりで、また床に入った。
 朝は、妻の叫び声で目を覚ました。何かと思ったら、トイレの便器から水が漏れだし、トイレ中にあふれていた。トイレが詰まったときに使う道具を持っていなかったので、すぐには問題を解決できず困った。自分もトイレに行きたかったので、コンビニへ行ってトイレを借りようと思ったが、すでに先にトイレに入っている人がいて、なかなか出てこないので、コンビニはあきらめ、フェリー乗り場でやっと願いを叶えた。
 家に帰った後、便器の詰まりを解消する道具を職場のトイレに探しに行き、それを借りて何とか詰まりは解消された。詰まりの原因は、大量のトイレットペーパーだった。2,3日前に入れたばかりのトイレットペーパーが今朝にはすべてなくなっていた。たぶん次男が入れたのだと思う。最近、トイレットペーパーだけでなく、ティッシュペーパーもあっという間に一箱が空になる。遊ぶモノではく、大量に出さないように次男には話し、本人はわかったと言っていたが、まだ小さいのであまり期待はできないかもしれない。
 詰まりを解消する道具を何と呼べばいいのかわからず、ネットで検索してみたところ、ラバーカップや通水カップと呼ぶ道具だとわかった。一家に一つは必要な道具だと思った。

■2010年12月30日(木曜日)
 3000mのペース走と300m、200m×2、100m×3を行った。3000mのペースは、3分30秒/kmで走れればいいと思っていたが、3分24秒、3分28秒、3分25秒というラップで走れ、練習していない割には悪くないタイムだった。しかし300mは47秒かかり、200mも全力ではしいて30秒前後のタイムということで、短い距離については、納得がいかなかった。ペース走時には、アキレス腱の痛みが気になったが、短い距離の時には気にならなかった。痛みはある程度あるかもしれないが、来年からは、継続して練習をしていきたい。

■2010年12月29日(水曜日)
 宇宙航空開発機構の広報施設が、事業仕分け第2弾で廃止となり、昨日閉館したとの記事が新聞に載っていた。今年は、宇宙の話題が多く、我が家の長男も、はやぶさや星座に興味を持つようになった。羽田空港の新国際線ターミナルに新たにプラネタリウムができたり、渋谷のプラネタリウムが復活したり、六本木では3Dで星の見られるイベントが開催されるなど、多くの人が宇宙に興味を持った年だったのではないかと思う。将来の研究者や技術者を育成していくことを考えると、この広報施設は、とても重要な施設だったのではないかと思え、閉館の記事を読み、とても残念に思った。

■2010年12月28日(火曜日)
 民主党の小沢氏が政治倫理審査会する意向を表明した。政治資金についての説明をするとのことだが、何年も前の出来事についてそれほど詳細に覚えているのだろうか?と思ってしまう。発言をする本人の思いこみで、記憶が書き換えられ、その思いこみを事実と勘違いすることも考えられる。裁判でもそういったことはないのだろうか?といつも思う。一時期政治家の発言に「記憶にございません」というフレーズが頻繁に使われたが、昔の出来事を詳細に話すことは難しいと考えると、間違っていない回答なのかもしれないと思った。

■2010年12月27日(月曜日)
 冬期休暇に入ってから、時間のあるときには、庭の瓦礫を掘り出す作業をしてるのだが、今日も同じ作業を続けた。腰痛にならないようにいろいろと姿勢は変えていたのだが、かがむ姿勢が多いためか、結局腰痛になった。耕したいと思っている面積の6割くらいを耕し終えたが、まだまだ残っている。いちいち腰痛になっていたらなかなか進まない。子供たちに手伝ってもらおうと思う。

■2010年12月26日(日曜日)
 次男の咳や鼻水がひどく、就寝中は、「鼻水!!」「しっこ!!」「お水!!」と叫ぶため、叫ばれるたびに起こされ、要求に応えて、静かに寝てもらった。頻繁に起こされるので、しっかりとは寝られなかった。次男も当然、継続して寝られていないので、日中はある程度昼寝をしてくれたので、昼間もいくらか静かに過ごせた。
 今日は、全国高校駅伝が行われていたので、テレビで観戦した。留学生のいるチームは、一気に順位を上げ、例年中盤区間以降は、独走態勢に入ることが多いが、今年は、競技場内まで先頭争いが続き、とてもおもしろかった。男子は、多くのチームが丸坊主で、優勝した鹿児島実業も全員丸坊主だったが、以前よりは、丸坊主の学校が減ったように感じた。

■2010年12月25日(土曜日)
 久しぶりにレジェンズ練習会へ参加した。メニューは400m(60秒前後)×10。休息は7分サイクル。
 自分が等々力競技場へ着いたときには、1本目が始まるところで、いきなり始めるわけにはいかないため、5〜6本走れるようにウォーミングアップした。市民駅伝以降、アキレス腱痛を緩和するため全く走っていない。いきなりスピードを出すのは怖かったが、ジョギングよりはスピードを出した方が痛みを感じない感覚があったので、とにかく挑戦してみた。1本目が終わったときに、右のハムストリングスに違和感を感じ、本数が増えるごとに痛みが増していった。その痛みのおかげで、アキレス腱の痛みは全く感じなかった。5本目以降は、後半、体が思うように制御できなくなり、もがくという感じだったが、無事に予定通りの6本をこなすことができた。久しぶりにスピードを上げて気持ちよく走れ、まだまだやれるという気持ちになった。

■2010年12月24日(金曜日)


瓦礫の山
 庭を掘り返して出てきた阿瓦礫がかなりの山になったので、瓦礫を持って行ってもらうため、家を建ててくれた業者の担当者に連絡をしたところ、担当者ではない人が電話に出て、「退職しました」という返事が返ってきて驚いた。
 以前も、今の家を建てる前に建っていた家のリフォームをお願いするため大手住宅メーカーの営業の方にいろいろと動いてもらっていたことがあり、リフォームが難しいという結論になり、その後、あまり連絡を取らなくなったのだが、住宅展示場へ新しく家を建てたことを報告に行った際に、退職していたということを聞いて驚いたことがあった。
 この業界は、転職が多いのだろうか?担当してくれた方の次のステージでのご活躍を祈りたい。

■2010年12月23日(木曜日)
 朝食後から腹痛となり、ずっと家で寝ていた。次男の具合は、相変わらずで、頻繁に咳をしている。次男の風邪がうつったのかもしれない。妻は昼過ぎまで、パートに行っているため、子供たちは、こちらが寝ている間、ずっと2人で遊んでいたようで、目が覚めると13時半になっていて、あわてて、子供たちにうどんを食べさせた。次男はずっと食欲がないが、昼食は完食してくれ、少し安心した。気が付けば腹痛はなくなり、終わってみれば何でもなかった。せっかくの休みだったのに、ずっと家にいて、子供たちは退屈だったかもしれない。

■2010年12月22日(水曜日)


追浜駅前
 職場の忘年会があった。毎年、他の学科の教官も参加するなど、とても開かれた会で、ビンゴやくじ引きで参加者全員に何らかの景品が当たるのだが、他の学科の教官が最も良い景品を当てることが多い。今年の1等賞は、豪華客船でのディナーペアチケットだったのだが、今年も、他の学科の教官が当てていった。他の学科の教官が良い思いをするということが口コミで広がった結果、参加者が増えたのかもしれない。ちなみに自分は、「伊佐美」とい焼酎が当たった。景品の中ではベスト3に入るものだったが、自分は、あまり焼酎を飲まないので、あまりありがたみがなかった。家に遊びに来た焼酎好きの方にプレゼントしようと思う。

■2010年12月21日(火曜日)
 午前中に次男を病院へ連れて行くと、風邪という診断を受け、インフルエンザでなかったので安心した。食欲はそれほどないので、食事は、少しだけ食べさせたあと薬を飲ませた。夜になると熱が上がり、40度近くまで上がった。食べたものも吐き、一緒に飲んだ薬もあまり意味をなさなかった。まだまだ次男の戦いは続きそうだ。

■2010年12月20日(月曜日)
 次男の具合が悪く咳き込んでいるうちに吐いてしまうことが何度もあった。それなのに泣くこともなく、自分の症状をきちんと言葉で説明してくれ、説明しながら吐いている。大人でもなかなかできないことだと思う。首や腕、脚が痛いと言い出しているが今のところ熱はない。インフルエンザなのだろうか?とにかく様子を見守るしかない。

■2010年12月19日(日曜日)


荒川河川敷
 荒川河川敷大学対抗駅伝の応援に行った。2年前までは2連覇するほど、選手がそろっていたが、昨年からは、有力選手の卒業により、一気に戦力が落ちてしまい、昨年は5位だったので、今年は、それ以上の順位を目標に臨んだ。
 1区は、多くの学校がエースを走らせる区間のため、5000mで14分台の選手が多く、我が校は14分台の選手はいないため、上位でのたすき渡しはできなかった。しかし、2区以降の選手が少しずつ順位を上げ、最終的に4位となった。女子の部も、多くの選手が、故障を抱え思うように練習ができていなかったが、1区で出遅れたものの、後続の選手たちが順位を上げ、2年連続の2位となった。全員がしっかりと力を発揮した結果だと思う。 

■2010年12月18日(土曜日)


東京電力の煙突とフェリー
 横須賀市内で勤務している体育学校OBが集まって忘年会があった。初めて会う人もいたが、懐かしい人たちにもたくさん会うことができ、いろいろな人の近況を聞くことができた。特にレスリングの関係者が多く、何名かはマスターズの試合に参加し、日本チャンピオンとなって、海外の大会にも出場していた。半数以上は自分より年上だったが、いろいろと子供の話も聞かせてもらえた。一番上の子供は、おっとりしていて、動きが遅く叱ってばかりいて、反省として腕立て伏せをやらせているという話を聞いた。家の中でも自衛隊なのだと驚いた。

■2010年12月17日(金曜日)


富士山
 妻が子供の習い事などで車を使う日には、自転車で通勤しているのだが、今週はたまたま3回自転車に乗った。行きも帰りも路上でタバコを吸う何人かとすれ違い、タバコの煙を浴びて不快な気分になった。路上でタバコを吸う人は、吸い殻を路上に捨てる人も少なくなく、さらに不快になることもある。神奈川県は条例で飲食店での喫煙の制限をしているため、最近は、飲食店での不快感は少なくなってうれしく思っているが、喫煙する人たちにとっては、増税も影響し、ますます吸いづらい環境になっているのだろう。
 たまたま信号で停止した際に真横にタバコの自動販売機があって、どんなタバコがあるのかじっくりとみてしまった。タールの含有量がが1mgと書いてある箱もあれば、19mgとなっているのもある。ニコチンの含有量についてはよくわからなかった。たぶん含有量が高い方が健康には悪いのだろうと思ったのだが、逆に含有量の少ないタバコを吸うことで、本数が多くなる可能性もあるので、一概にそうとも言い切れないのかもしれない。タバコの広告では、あまり見たことのない、「わかば」が気になったが、学生時代に硫黄島へ行った際にお供え物として買っていったことを思い出した。

■2010年12月16日(木曜日)
 次男は母親や長男とけんかができるほどに言葉が上達してきたが、カ行がうまく発声できない。「き」は「ち」になり、「け」は「ちぇ」になってしまう。「けんたろう」は「ちぇんたろう」となり、「けんじ」は「ちぇんじ」となる。「うさぎ」は「うさじ」で、「キック」は「チック」となり、大好きな「ポケモン」も「ポチェモン」となってしまう。一人前のことを言うが、こういった言葉を聞いていると、まだまだ赤ん坊だなぁと思う。

■2010年12月15日(水曜日)
 プリンターの紙がなくなり、紙を補充すべく普段あまり開けていない職場の書棚を開けた際、滅多に使わない上質紙の置いてある付近に大量の小さな黒い個体が散らばっていた。封の開いた上質紙にもかなりくっついていて、使えない紙になってしまっていた。考えられるのは、ゴキブリの糞くらい。ゴキブリホイホイは、ゴミ箱の近くに置いてあるが、たまに引っかかってはいるが、それで十分退治できていると思っていたので、大量の糞を発見し、かなりショックだった。部屋の中は、基本的には暖かいので、住む場所としては最適なのかもしれない。洗面の水を食料としているかもしれず、水を使った後は、拭き取るようにしたほうがいいのかなぁと思った。

■2010年12月14日(火曜日)
 合宿に来ている体育学校の同期と、最近は練習をしても追い込めなくなり、レースでも練習同様に追い込めなくなったという話をした。今は、アキレス腱痛の影響もあり、強度の高い練習ができないので少し長距離にシフトして走りながら、400mから5000mまでのレースに出ているのだが、もっと短距離的な練習にシフトした方が良いのではないかとのアドバイスを受けた。
 今日は、体育学校の選手が、たまたま練習の後半で、100m×10を行っている状況を見ることができた。100mを走っていても、全力を出し切ったという感覚が残らないのではないかと思ったが、前半は、自分の走りがわからなくても、中盤以降はだんだん動きがわかってきて、出し切る感覚も出てくるのだという。アキレス腱痛が回復したらやってみたいと思う。

■2010年12月13日(月曜日)
 次男の咳が1週間以上続き、病院でもらった薬を飲んでもほとんど変わらないため、また別の病院へ連れて行った。今日は、朝からあまり咳がなく、ひょっとしたら治ったのではないかと思いながらの受診で、診察では全く問題ないとのことだったが、夜には激しく咳が出るので、薬は処方してもらった。
 半日次男と過ごしたが、雨も降っていて外に出ることができないので、家の中で遊ぶしかなかった。ボールを投げたり蹴ったりするうちに、次男の咳が頻発するようになり、動き回ると咳が出るようなので、動き回らないように静かに工作などをして過ごすしかなかった。小さな子供と2人で静かに遊ぶというのは、間が持たずなかなか難しい。

■2010年12月12日(日曜日)


優勝メンバー




防大中距離メンバーと
 横須賀市民駅伝に出場した。地元の30歳以上の自衛官を中心にメンバーを組み、自分は1区の4.5kmを担当した。昨年から30歳以上の部(一般B)が設けられ、昨年は、20代の選手がいたため、一般Aでの参加となり総合3位という成績だった。今年も、メンバーは大幅に変わってしまったが、ある程度走れる人を集めたので、昨年に近い結果を目指してスタートした。
 スタート位置が4列目だったため、スタートのピストルが鳴って周りのひとをかき分けて前の方へ出るのに時間がかかり、不必要な力を使ってしまったような気がした。1区は周回コースを約2周するコースで、1周目は、比較的ペースが遅かったためか、先頭集団は、かなりの大集団だったようだが、2周目にペースが上がり一気にばらけた。自分は、3位争いをしながら2周目に入った。
 下り坂で、自分のペースが落ち、5番手まで下がったが、下り坂が終わった後の平地で、2人を抜き返し、14分16秒の区間3位でたすきを渡すことができた。昨年は14分18秒で区間4位だったので、悪くない結果だった。
 チームはその後、順位を落としたが、最終的に6位となった。上位は、防大が3チームと高校が2チームだったことを考えれば、30代以上のおじさんチームとしてはかなり健闘したのではないかと思った。
 表彰は、一般Bでの表彰となったため、優勝となり、区間賞については、チーム全員が区間賞となり、完全優勝という結果となり、若者たちにもある程度存在感をアピールできたのではないかと思った。

■2010年12月11日(土曜日)
 この1週間は、アキレス腱痛のため、まともに走れていない。明日は、駅伝に出場することになっているので、1000mを適度なペースで走ってみたが、ずっと痛みが消えない。長距離のペースで走ると痛みが継続するが、300mのような短くて、少し強度が高くなると、逆にあまり痛みを気にせずに走れたりする。自分のアキレス腱がよくわからない。痛みの出る走りと痛みの出ない走りがあるのであれば、痛みの出ない走りをすればいいのだが、なかなか難しい。
 木曜から、体育学校の中距離選手たちが合宿のために我が校に来ているが、今日は、40秒走を行っていた。40秒走は、1本ごとに距離を伸ばし少しずつスピードが高まってくるように設定されている。40秒走を行っていたある選手が高いスピードになってきたときに、脚の痛みが発生し、やめたいとコーチへ申告したのだが、その痛みについて、スピードが上がって痛みが出たのであれば、どこかで無理をして悪い動きが出ている可能性があるので、その悪い動きを改善すれば、痛みが消失する可能性があると指導していた。その選手は、最後まで走りきり、痛みは問題ないと話していたが、そういった修正ができるところが一流選手だなぁと思った。
 明日は、痛みのあるなかで走ることになるが、慎重に行きたい。

■2010年12月10日(金曜日)
 機密情報を公開するウェブサイトの一つウィキリークスが、様々な情報を公開し問題となり、創設者は、機密情報の公開とは関係ない容疑で国際指名手配され逮捕された。ウィキリークスのミラーサイトが次々と立ち上がり、ウィキリークスとの取引をする企業が取引を停止し始め、その企業を狙ったハッカー攻撃も行われているという。
 インターネットは、もともとアメリカの国防総省が支援して少数の大学間のコンピュータをつないだことが始まりとのことだが、自分たちで作ったネットワークに自分たちが苦しめられる結果となってしまった。いったん情報が公開されてしまえば、コピーサイトが次々と作られ、その情報を消し去ることは、ほぼ不可能になっている。そんな中、中国は、インターネットサイトの検閲を行い、大量の監視員をつけ、国民に知らせたくない情報の載っているサイトについては見られないようにするという処置をしているようだが、すべての情報に対処できるとは思えない。いつまでそんなことが続けられるのか注視していきたい。

■2010年12月9日(木曜日)
 金星探査機あかつきが、なんらかのトラブルにより金星の周回軌道に入ることができなかった。あかつきが再び金星に近づく6年後に再チャレンジする予定らしく、太陽光パネルで工夫することで、なんとか電池を持たせる計算だという。そまで壊れずに機能を維持できるのだろうかと思った。宇宙の歴史からすれば、6年なんてほんの一瞬に過ぎないが、人間にとっての6年はかなり長い。あかつきと地球の通信は、逆噴射時に片道3分半だったという。これは、意外と速いと思ったが、あかつきに何かが起こってもすぐには状況が確認できず、少々待たなければならないということになる。宇宙に関係する仕事をする人たちは、気長でなければ納得できる仕事はできないのだなぁと思った。

■2010年12月8日(水曜日)
 ある飲み会に参加したのだが、たばこを吸う人が1名だったこともあり、たばこを吸う人は、みんなに遠慮して一番隅に位置し、申し訳なさそうにたばこを吸っていた。そういう状況の中、たばこを吸う人は参加して欲しくないというようなニュアンスの発言をする方がいたために、たばこを吸っていた人は不機嫌になってしまい、最終的に具合が悪いと言って帰ってしまい、その場の雰囲気がしらけてしまった。たばこの煙は自分も好きではないが、煙ができるだけみんなに被らないよう配慮してくれていたのだから、ああいう発言は必要なかったのではないかと思えてならない。発言した人は、空気を読めなかったということなのだろうか。今後の2人の関係は、とても難しいものになってしまったようで、心配になった。

■2010年12月7日(火曜日)


平作川
 来年度の子供手当が財源が足りないため、3歳未満の金額が予定よりも減額される可能性があるとの報道があった。財源がなければ、無理する必要はないのに、一度決めたことなので、なんとか増額したいらしいが、無理をすればするほど、次の選挙の票集めのための増額にしか見えず、将来のことを真剣に考えてているのだろうかと疑いたくなる。ねじれ国会で、国の政策決定がなかなか進まないが、与党の中でも意見が割れてしまっている。いろいろな考えが出ることは大事なことだが、それをまとめる人がいなければ前へは進めない。先を見通し、良い方向へ導いてくれるリーダーはいないのだろうか?

■2010年12月6日(月曜日)
 来年度の子供手当は、3歳未満が2万円になる見通しらしいが、来年度に限った1年間の時限立法となるらしい。厳しい財政状況で、平成24年度以降、柔軟に制度を変更できるようにするための余地を残すという理由というが、長期のビジョンがなく、場合によっては、3歳以上の13000円についても継続されなくなるのではないかと、子を持つ親としてはとても不安に思う。子供手当の費用を捻出するために国が借金をするのであれば、結局子供たちが大人になった時にそのツケが回ってくるだけで、あまりいいことはない。
 子供手当は子供が中学生になるまで支給されることになっている。子供は小さいときよりも、大きくなるにつれ必要な費用が増えてくるはずなのだが、あまりそういったことは考慮されていない。年間の手取りが、3歳未満の子供のいる家庭ではマイナスになるという理由で、増額になっているが、中学卒業まで支給が保証されるのであれば、支給される全期間ではプラスになるはず。こんな無理な制度は見直して、今の財政に見合った制度に変更した方が、良いのではないかと思えてくる。

■2010年12月5日(日曜日)
 日体大長距離競技会の5000mに出場。同じ組の多くの選手は、自分より格上の可能性が高いので、前半から後ろの方で走ろうと思っていたが、スタート直後は、先頭に近い場所に入ってしまったため、少しずつスピードを緩め、1000m通過までにかなり順位を下げた。アキレス腱の痛みもあり、途中棄権も頭によぎったが、少し我慢して走った。1000mの通過は2分59秒台で、予定よりも速く、あまり良い出だしとはならなかった。
 腕時計をつけていなかったので、細かいタイムは把握できなかったが、3000mの通過が9分26秒台で、15分台を狙える走りができていることは確認できた。3000mから4000mは、集団から大きく離れ、一人で走らなければならなかったため、急激なペースダウンをしてしまった。3分30秒近くかかっていたのだと思う。残り1000mになってもそれほどペースアップできず、最後の1周だけスピードを上げて1人抜き、タイマーも見ずにフィニッシュした。フィニッシュ後にタイマーを確認すると16分03秒だったので、なんとか16分を切ったのではないかと思ったが、結果は16分00秒76だった。
 16分は切りたいと思っていたので、ちょっとがっかりしたが、ほぼ自分の想定していたタイムではあった。今日は、全くがんばる局面はなく、後半の2000mはちょっとあきらめかけた走りで、全く一定ペースでは走れなかった。残り1周でも、死にものぐるいでスパートをすれば15分台は出せたはずだったが、全くそういった気力がなかった。アキレス腱痛と練習不足が原因なのは間違いなく、やる気を回復させるには、アキレス腱痛の回復が必要なのだろう。

■2010年12月4日(土曜日)


夜明け
 明日の日体大記録会へ向け、最終刺激を入れた。メニューは1000m。1ヶ月ぶりにスパイクを履いて走った。設定は3分だったが、入りの200mを31秒で通過してしまい、後半は、少し失速気味になってしまった。初めからアキレス腱の痛みは気になり、特に左側の腓骨筋に張りを感じながら走った。タイムは2分52秒台だったが、かなり疲れた。明日は、これより10〜15秒程度ゆっくり走ればよい。最低でも15分台で走りきりたい。

■2010年12月3日(金曜日)


本日2度目の暴風雨
 爆弾低気圧と呼ばれる、強力な低気圧の影響で、明け方前から激しい暴風雨が雨戸や窓を激しく揺らして大きな音をたてた。その音があまりにも大きく寝ることが困難なくらいだった。雨戸のシャッターの揺れはあまりにも激しく、壊れてしまうのではないかと思うほどだった。
 車を運転していても風の影響で真っ直ぐに進めないほどで、風の当たる面積の大きいトラックなどは、蛇行するような感じにも見えた。庭にあるシートやバケツなどは、吹き飛ばされてしまい、シートは家の外へ吹き飛んでしまったようで、近所を探してもどこにも見つからなかった。自分も風に吹き飛ばされ、直立が維持できなかった。これほどの風を経験したのは、おそらく初めてのことで、台風接近時にテレビのレポーターが暴風の中、風に吹き飛ばされそうになりながらレポートをしているのを見ることがあるが、彼らがどういう状況でレポートをしているのかがわかったような気がした。長男は、通学するのが困難なため、近所の友達と一緒に友達のお父さんの車で送ってもらうことになった。
 テレビでは、風の影響により各地の被害状況が報道されていた。漁船22隻が横倒しになっていたり、屋根瓦がとばされたり、屋根ごと吹き飛ばされている家もあった。木が倒れてきて家の一部が潰れてしまったところもあり、どれほどの威力のある低気圧だったがよくわかった。
 我が家は、庭に風を遮るようなものがないため、直に風を受けてしまう。ご近所さんからは、台風の時は気をつけた方がいいと言われているが、台風が来たときには、どんな状態になってしまうのだろうかと不安になった。
 強風のため雲も吹き飛び、朝のうちに雨はやんでしまい、その後は、ほとんど雲はなく快晴だった。これほどの快晴であれば、かなりの発電ができると喜んでいたが、帰宅して発電量を確認してみると、思ったいたよりも発電量が少なく、がっかりした。太陽光発電を導入する際に、見積もりでは、もっと発電をするはずだった。しかし、毎日15時以降の発電が全くなく、近所の山によって日光が遮られてしまうことで、見積もり通りにはいかないことがわかった。家を建ててもらった工務店の方からは、たぶん元を取るのは難しいと言われていたが、その通りだと思った。太陽が借金を払ってくれる計算だったが、なかなか思うようにはいかない。

■2010年12月2日(木曜日)
 学生たちは、体力測定でソフトボール投げとして3号ボールを投げている。全国平均に使われているボールが小学生用1号ボールということで、大きさが違うため単純に比較ができず、学校には1号ボールがないので、ハンドボール投げをしてもらった。航空自衛隊の体力測定では平成18年度までは測定種目の中にハンドボール投げがあり、40mくらい飛んでいたような覚えがあったのだが、学生で40mを超える学生はいなかった。そんなに飛ばないものなのかと思って、自分も投げてみたが、2回とも32mで、学生の記録に納得した。自宅で過去の自分の記録を確認してみたところ平均33m台だったので、自分の記録も平均的な記録だった。
 ソフトボール投げでは、得意な者と不得意な者の記録に大きな差が開くが、ハンドボール投げだと、大きく開いても15mくらい。実施する側は、手応えを感じづらく、記録を測定する側にとっては、投擲場所が多少狭くても測定ができ、測定時の移動距離も少なくてすむという特徴があることがわかった。

■2010年12月1日(水曜日)
 普段通勤は、車が多いのだが、今日は自転車も車も使えなかったため、バスと徒歩での通勤となった。バスに乗ってきた人が、たばこを吸った直後で、息がたばこくさかったり、歩道を歩いていた際、自分の進行方向とは反対からたばこを吸いながら歩いていて来る人がいて、すれ違った後にたばこの煙の匂いをかぐことになったりしてイヤな思いをした。たばこを吸うなとは言わないが、吸わない人への配慮ができないのであれば、吸わないで欲しい。



[昔のいずみ]