最近のいずみ

Last Update:2010/3/31

パートタイムアスリートいずみ 10年目に突入!! 


■2010年3月31日(水曜日)


走水水源地
 官舎の外壁塗装工事が終了し、外壁の見た目はきれいになった。階段はペンキのにおいが充満し、ペンキ塗り立てという雰囲気がある。ベランダの網戸がすべてはずされて工事が行われていたが、工事が終わってみると、元に戻された網戸が大きく破れていた。工事前にはなかったので、工事中に破れたのだろう。どうしてくれるの?という気持ちもあったが、もともと使えない網戸だったので、苦情を入れることはしなかった。
 洗濯物や布団がやっと外に干せるようになり、部屋の中にも風を通せるようになってとても気持ちいい。あとは、大繁殖したカビを取り除けば、以前の生活環境に戻ることできる。

■2010年3月30日(火曜日)
 10日以上ランニングの練習ができていないため、4月からのシーズンに入るにあたって、かなりの不安がある。今日は、やっと時間がとれ、観音崎で1kmの坂ダッシュを3本行った。1本目はストライド、2本目はピッチ、3本目は、股関節を意識して走った。1本目はたまりバネがあったためか、考えていた以上にタイムがよかった。2本目は1本目の強度が影響して、フィニッシュ手前で追嘔吐し、13秒もタイムが落ちた。3本目は、2本目よりはタイムを上げることができたが、2本目よりも早く嘔吐した。意外とタイムは出せたが、動きとしてはまったく納得がいかない。

■2010年3月29日(月曜日)
 相変わらず、長男はこちらの話をなかなか聞かないので、妻と共に怒ってしまっている。何度言っても返事もしないし行動を起こさない。言えば言うほど悪循環に陥っていく。褒めようと思っているのに褒めることが見つけられない。歯磨きや風呂、習い事の練習などは、毎日必ずすることなので、本人もわかっているはずだが、床に寝転がってダラダラと時間を過ごしている。
 長男のことをいろいろと言っているが、自分もやらなければならないことを後回しにすることがあり、そういう意味では、長男は自分をそのまま映した鏡であるようにも感じられる。「自分を変える」ことは最も難しいことだが、長男も自分もそれが求められているのだと思う。 

■2010年3月28日(日曜日)


バンクバーオリンピック
チームジャパン旗
 トレーナーセミナー3日目。「救急法講義2」「バイオメカニクス」「テーピング」等の講義と実技が行われた。
 救急法講義では、実際の試合で行われているスリーステーションサポートシステムについての説明があった。トレーナーというと、トレーナーステーションにばかり目が奪われるが、救護の仕事も大事なことで、いろいろと気づかされることが多かった。講師の眞鍋先生は、うまいタイミングでみんなに質問を投げかけ考えさせたのち、どう考えていくかという道筋を示してくれ、全員が講義に引き込まれていくように思えた。
 「バイオメカニクス」は、最も楽しみにしていた大山先生の講義ということで、期待通りの楽しい講義だった。二関節筋での肉離れの仕組みについて理解でき、人間の体は一つ一つは単純な動きをしながら、全体としては非常に複雑な動きをしていることを実感した。また、ランニング中の腸腰筋の活動については、立脚後期以降ブレーキがかかるように働いているという筋電の図が示され、腸腰筋の鍛え方については、よく考える必要があると思った。
 テーピングは、関節の動きを考えれば、ある程度運動の制限を加えた張り方ができるということを実技を通して学んだ。普段からテーピングをさわっていないと、いざという時には、全く役に立たない。国際武道大学では、目をつぶってもできるくらい練習をしているという話があった。挑戦してみようかなぁという気持ちになった。

■2010年3月27日(土曜日)






巣鴨地蔵通商店街
 トレーナーセミナー2日目。医師や理学療法士の方が講師となり、整形外科、婦人科疾患、アスレティックリハビリテーションの講義が行われた。
 下肢を担当された向井先生は、院生で授業を受けていた時には、スライドが次々と変わりメモを取る暇も理解する間もなく、盛りだくさんの内容だったという印象があったが、今回は、短い時間での説明ながら比較的ゆっくりと丁寧に話をされ、とてもわかりやすく感じた。
 婦人科疾患を担当された目崎先生の講義は、取っつきにくいホルモンの話を、様々なデータを示しながら、かなりかみ砕いて説明してくださった。競技スポーツと月経という問題は、とても重要で、激しいスポーツをしたから月経異常や無月経になったと考える人が多いが、その人が本来持っている脳の視床下部や下垂体の異常である可能性も考える必要があるとのことだった。東京オリンピックに出場された女性選手を対象に4年ごとに行っている調査では、一般の女性と比較して、妊娠の回数等は全く差がなかったという。しかし、当時の選手は、今の選手ように月経異常や無月経の選手は存在せず、出産してから選手に復帰している選手もいたということで、この結果は、今の選手には当てはまらない可能性の方が高いようだ。当時と比べ、今の選手は、トレーニングの質が高く、様々なストレスに囲まれながら生活していると言える。トップアスリートにとってコンディションの面で問題になるのも月経であり、黄体ホルモンが分泌される時期には、体がだるく足がむくむなどの症状が出るので、試合2,3ヶ月前から、ホルモンを投与することにより、月経の周期を延ばしたり早めたりして、ピークに合わせていくという。女性は男には経験し得ない様々な苦労があることが少しは理解できたような気がした。

■2010年3月26日(金曜日)


NTC





友人と
 ナショナルトレーニングセンターで行われた日本陸連トレーナーセミナーに参加した。このセミナーは、競技会等でメディカルスタッフとして選手のサポートを行える人材を増やしていく目的で行われ、陸連医事委員会トレーナー部のC級トレーナーとして登録される。
 最初に部長の岩本さんより、ガイダンスが行われ、トレーナーの歴史や制度、委員の紹介があった。委員の中には、筑波大学の関係者が多く、小学校から高校まで一緒だった友人も名前を連ねていて、活躍していることがわかりとてもうれしかった。
 講義は、「栄養学」「健康管理」「ドーピングコントロール」が行われた。「健康管理」では、人間の体温調節について詳しく説明があった。戦中に米陸軍が行った直腸温の変化と体重変化のグラフが示され、人間の体温が2度以上上がると、体重の減少もかなり激しくなり、体力が消耗することがよくわかった。この実験は、日本と東南アジアで戦う際に、高温多湿の地域で人の体はどのように変化するのかということを調べるために行ったものであり、当時は今では考えられないような人を使っ実験をしていたことがわかった。当時の日本には、このような検証をする余裕などなかったのではないかと考えられ、準備段階で負けていたのだろうと思った。
 「ドーピングコントロール」では、最初に、1980年代以降の女子ハンマー投げと円盤投げの年次世界最高記録の図が示された。これらの種目は、1980年代後半を境に記録がどんどん低下していて、今の選手では、世界記録に到達する可能性はきわめて低く世界の大会では優勝することだけに価値が見いだされている状況だということがよくわかった。女子は、投擲だけではなく、100m〜800mまですべてが同様で、共産圏が崩壊した影響は大きく、当時の記録は、ドーピングによるものである可能性が高いということだった。男子についても砲丸投げ、円盤投げ、ハンマー投げが、同じような経過をたどっている。アスレティックトレーナーの「ドーピング」の講習よりもわかりやすく、興味が持てた。講習後の懇親会では、トレーナー部の委員の一人から、実際に、競技会や競技会外の検査に立ち会った際の話を詳しく聞くことができた。検査を受ける選手も3ヶ月ごとのスケジュールを詳細に記述する必要があり、パソコンが使えない選手は、かなり苦労しているらしく、検査する側だけでなく、検査される側も同様な苦労がわかった。

■2010年3月25日(木曜日)


男子1500m
 昨日から駒沢オリンピック公園で行われている関東学連春季オープンを見に行った。2日間とも雨が降って気温が低く、トラック競技をするには、厳しい気候だった。昨日の800mの結果を見ると、記録の申請が1分51秒〜53秒台の選手たちが1分57秒台でのフィニッシュになるなど、かなり悲惨な結果が結果が出ている。もともとこのレースに出る予定にしていたが、申し込みがうまくできていなかったため出られなくなり、残念に思っていたが、出なくて良かったと思った。
 我が校は、厳しい環境の中、短距離の選手たちに自己ベストや自己ベストに近い記録が多く出たことがとても良かった。土日に横須賀市の記録会が行われる。この2日間以上の悪い条件はないと考えると、次のレースが楽しみになってきた。

■2010年3月24日(水曜日)
 風呂に入るために次男の服を脱がせているときに突然次男が、「今日はパパかっこいいねぇ」と言った。何がいつもと違うのか聞いてみたが、うまく話せないためか特に回答はなかった。次男は、最近、「かっこいい」という言葉を盛んに使う。服を着るたびに、「かっこいい?」と聞く。電車を見て「かっこいい」と言うこともある。服のデザインや色によって、好き嫌いがはっきりしているので、こちらも彼の嫌がる服を着せるときには、「かっこいいよ」と言いながら、無理矢理着せていることもある。
 子供から「かっこいい」と言われると悪い気はしない。一昨日、かっこいい親父目指す同期の話があったばかりということもあるが、子供が大きくなってからもかっこいいと言われるようになりたいと思った。次男にしてみれば、普段使っている「かっこいい」という言葉をたまたまパパにも使ってみたというだけのことかもしれない。

■2010年3月23日(火曜日)


プレゼント
 昨日卒業した留学生が、自分の研究室にやってきた。昨日は、卒業式や見送り行事など、いくつかイベントがあり、どこかで会えるだろうと思っていたが、結局会うことができず、学校を去ってしまったものと思っていた。しかし、成績証明書などの書類の受領が今日だったようで、学校に来たついでにわざわざ寄ってくれた。
 いろいろ世話になったということで、手土産を持ってきてくれた。冬の研究室はとても寒く、足下も寒いのではないかということで、暖かそうなスリッパをくれた。それは、動物の毛や皮を使用して作った感じの彼の国の伝統的なスリッパのように見えた。彼の姉が作ったスリッパだという説明を受けた。確かに冬は足下が寒くて困っていたが、年に数回しか出入りしていない彼が、そういったことに気がつき、こういう形で気遣ってくれたことに感動してしまった。留学生は、他の学生と比べ、いろいろなことに気を配り、いろいろなことを新鮮に感じているのだろうと思った。
 彼は、これで帰国してしまうが、今後も彼とは友人として関係が続けられればと思う。

■2010年3月22日(月曜日)


帽子投げ



F−15
 学生の卒業式に参加した。民主党政権に変わって最初の卒業式ということもあり、壇上の来賓席の席順は、昨年までとは大きな違いがあった。昨年まで小泉純一郎さんが座っていた最前列中央には海江田さんが座るなど、最前列中央は民主党議員が占め、自民党の小泉進次郎議員は最前列の右隅から2番目に、本校OBの佐藤議員がその右隣に座るという席順だった。
 マスコミが注目していた鳩山首相の訓辞では、普天間基地問題については言及がなかった。気になったのは、首相が学生をほとんど見ることなく、訓辞の紙とにらめっこしながら話していたことだった。さらに「である」調で話したため、とても不自然な話し方に聞こえた。来賓代表で祝辞を行った柔道の山下さん(東海大学教授)は、祝辞の紙は持っていながら、常に学生に目線を向け、熱く語りかけ、祝辞の後にも観客から拍手が起こるなど、とても対照的だった。
 卒業式後、陸上競技場で観閲式が行われ、陸海空の航空機による観閲飛行も行われた。航空自衛隊のF15には、百里基地に勤務する同期が搭乗していた。昨日同様、同期がいろいろなところで活躍していることを実感した。

■2010年3月21日(日曜日)


新郎新婦&同期と
 同期の結婚式の2次会に参加した。同期の結婚は30歳までがピークで最近は、ほとんどなかった。久しぶりの参加で、結婚のお祝いというよりも同窓会という感じになった。会場へ行ってみると、会場中がたばこの煙で白くなっていて困った。ほとんどが吸っているというくらい喫煙率が高くて驚いた。世の中は禁煙の流れになっているのかもしれないが、自衛隊では、相変わらず喫煙者が多いということなのかもしれない。自分の話した同期の中では、2人だけが全く吸わないと言っていた。彼らは、運動もなんとか続けていて、かっこいい親父を目指していると言っていた。近所の子供たちから自衛隊の人というイメージをもたれているので、そのイメージを崩すわけにはいかないというのが理由らしい。やせ我慢のようなところもあるかもしれないが、この気持ちは大事だなぁと思った。

■2010年3月20日(土曜日)
 明後日卒業する留学生が、卒業前に400mから3000mまでのタイムを計測し、その結果を国に持って帰って、4年間のトレーニングの成果にしたいということで、タイムを計測している。
 一昨日は、400mを走り、2レーンからスタートしたのに1レーンで戻ってきてしまい正確なタイムが計れなかったため、改めて400mを走った。風も強く走りづらい環境だったが、一昨日のタイムより少し遅くなっただけだったので、一昨日とほぼ同じくらいのペースで走れていた。休憩後、800mを走るのに、引っ張って欲しいというので、彼の希望するペースで引っ張った。こちらを風よけとして利用してもらえれば、タイムも良くなるのではないかと思ったが、普段から中距離の練習をしているわけではないので、後半はかなり落ち込み希望したタイムでは走りきれなかった。
 卒業前ではなく、卒論が忙しくなる前に計測ができて入れば、もっとタイムは良かったかもしれないが、今出せる力を出し切ってのタイムなので、本人も納得していた。

■2010年3月19日(金曜日)


期間限定だそうです
 CMで地デジという言葉を頻繁に聞くようになったが、地デジのテレビに初めてさわった。アナログの画像と比べ、格段にきれいだった。デジタル放送を見てしまうと、アナログ放送は、画像が雑で見る気がしなくなる。番組表というボタンを押せば、1週間先の番組表まで見ることができ、番組の検索も簡単にできる。4種類の色のボタンを使えば、さらにいろいろなことができるようになり、アナログと比べとても便利になった。しかし、チャンネルを変える際の切り替わる時間が、アナログと比べかなり長く感じる。それを除けば、デジタルのテレビはいいなぁと思った。

■2010年3月18日(木曜日)
 こちらの常識が、相手にとって非常識で、こちらの意図が相手には全く伝わらず、腹を立てる出来事があった。このムカムカ感は、体にとって良くないよなぁと思いながらも、そのムカムカ感はなかなか治まらない。腹を立てれば相手がわかってくれて、相手が変わってくれるのなら、どんどん腹を立てればいいが、こちらが腹を立てても、相手は変わることはない。そう考えると、腹を立てることには、全く意味がなく、自分の気分を悪くし、自分が損するだけということになる。腹を立てているときには、自分が冷静に見られず、たぶんどんなことをしてもうまくいかない。もっと冷静にならなければ、と思う。

■2010年3月17日(水曜日)
 300m×3のレペを行った。この冬以降、300mはスパイクを履いて走っても40秒が切れていない。そういう意味では、今日のメニューは、冬季練習以降、最も強度の高い練習となった。
 1本目は、学生が引っ張り、こちらは全く余裕がなく、必死についていくだけだった。残り100mで学生の横に並んだが、そのまま併走してフィニッシュとなった。タイムは38秒9だった。かなりもがいて走っていた割には、タイムが遅くがっかりした。
 2本目は、1本目と同様に学生に必死につき、後半学生をかわしたところでフィニッシュした。タイムは39秒8だった。
 2本目までで、かなりの疲労を感じ動けなくなったが、3本目も40秒切りを目標にスタートした。学生は完全に遅れ、部長が引っ張った。ビルドアップするようにスピードが上がっていき、フィニッシュまで離され続けた。タイムは39秒9で、なんとか目標は達成できた。
 10年前であれば、ジョギングの延長のように軽く流しても出ていたタイムが、今では必死に走ってなんとか出せるというレベルになってしまった。当時ほど練習ができていないので、当たり前ということもあるが、加齢に伴う力の低下ということを強く感じた。

■2010年3月16日(火曜日)


卒園児と先生
 長男が幼稚園を卒園した。お寺の幼稚園なので、仏様を前に卒園式をするので、後ろから見ていると、葬式のように見えた。園児はかなりの量の歌を歌い、いろんな記念品をもらうため、なかなか式は終わらず、次男は退屈して困った。1時間40分ほどで式が終わった。感動というよりも、園児が次男が我慢してずっと座っていたことに感心した。3年間はあっという間だった。入園したときと変わらず、いろんなことで叱られているが、いろんなことができるようになったなぁと思う。
 夕方からは職場の謝恩会があった。4年生の卒業も残り1週間を切った。ほとんどの学生の進路は自衛隊となるため、自分の経験をいろいろと話すことができた。話をした学生の中には、先週結婚をしたという者がいて、相手が昨年の卒業生だったりして驚いた。在学中に交際していたわけではなく、卒業後交際が始まったということで、1年先は全く想像のつかないことが起こる可能性もあるのだなぁと思った。

■2010年3月15日(月曜日)
 800mの変化走を15分休息で3本行った。天気が良く、風もなかったため、かなり走りやすい環境だったが、沖縄合宿と比べ、全体的にタイムが4〜5秒遅く、特に最もタイムが上がらなければならない3本目にタイムが落ち、10日くらい前の自分とは、全く違う自分になっていた。
 自分の体を自分の脚で支えられていない感覚や、右足接地で加速し、左足接地で減速している感覚もあり、左右のバランスがとても気になった。ダッシュすべきところでダッシュができず、もどかしい走りだった。

■2010年3月14日(日曜日)


坂本雄次氏



6日間マラソン
 ランニング学会2日目。「ランニングをめぐるスポーツ医学と課題」と題して、スポーツ整形の第一人者として活躍されている中嶋先生が講演された。今までは、人が100歳近くまで生きることを前提として考えていなかったため、後期高齢者の問題が浮上してきており、今後は、子供の時から、後期高齢者となることを前提としてスポーツ等の身体活動についてのカリキュラムを省庁の枠を越えて考えていく必要があると述べていた。
 招待講演では、「超長距離ランニングの指導・サポート」と題して24時間テレビのランニングをサポートしている坂本雄次さんが講演した。会社での陸上部監督から、どのように超長距離ランニングをサポートするようになったかなど、日本の超長距離マラソンの歴史と絡めながら、現在までのサポートの状況についての話が聞けた。海外では、インドアの200m芝トラックを6日間(144時間)走り続けるレースもあり、トップクラスの選手たちはその期間で1300km以上を走るという。現在は、湘南国際マラソンを開催したり、「間寛平アースマラソン」のサポートを定期的におこなっているとのことだった。ランニングなど長続きの秘訣は、自分の身の丈に合ったことをすることであり、わずかなことかもしれないが、続けることで必ずものの真理に近づいていくようになるという言葉が印象的だった。

■2010年3月13日(土曜日)


日産スタジアム





実験中の写真
 横浜市スポーツ科学センターで行われたランニング学会大会に参加した。
 特別講演では、前会長の雨宮氏から、マラソンランナーに対してこれまでに行ってきた医学的サポートについての話があった。1970年代には、成田空港を使い、ダグラスバックを車に乗せ、選手に併走しながらマラソンの距離を走るというような実験まで行っていて、被験者が日本のトップ選手だったということに驚かされた。こういった協力があって、今の運動生理学があるのだなぁと思った。
 キーノートレクチャーでは、体協の森丘さんから、昨年800mで日本記録が出るまでに行った測定等が紹介された。最近は時間走での距離を指標としてトレーニング効果等を見ているということが、新しい情報だった。
 招待講演では、マラソン日本記録保持者の高岡さんから話があった。他のマラソンランナーとは違い、40km走の回数はそれほど多くなく、走っても5km当たり17分30秒くらいのペースまでだったそうで、「体が距離を忘れない程度」「本番に使えるスタミナ」という位置づけがあったという。聴衆からは、もう一度現役復帰できるのではないかという質問があり、本人もそういうことを考えたこともあったが、故障の影響が大きく、指導者の道を選んだとの回答があった。長く競技を続けるには、いかに故障を排除するかということが大事なことなのだと感じた。
 最後にランニング学会賞受賞記念講演として福岡大学の田中先生の講演が行われた。ミトコンドリアの機能に関与する核内タンパク質についての研究から、長距離パフォーマンスを高めるためのトレーニングとして、ウインゲートテストのような30秒全力こぎを4〜6本行い、エネルギーを枯渇させた後に、10km以上の持久走をすると良いというような具体的な練習例も示された。普段パワーマックスでミドルパワートレーニング後、ジョギングをしているが、やっていることがまちがっていなかったということが確認できた。

■2010年3月12日(金曜日)
 官舎の外壁工事は相変わらず続き、3月に入ってからは、すべてがビニールに覆われ、全く換気ができなくなっている。室内の壁には、日増しに緑のカビが増殖し、先日、妻は具合が悪くなり、病院へ行ったところ、副鼻腔炎と診断された。次男は、今日になって吐き気をもよおすなど部屋の中の空気は間違いなく生活には向かない状態になっている。
 風呂の天井は、完全にカビに覆われ、天井の水滴は、乾燥させることができず、風呂に入るたびに天井から水滴が落ちてくるので、とても不快に感じる。天候の影響にもよるが、あと1週間ほどで、外壁塗装が終わるようなので、堪え忍ぶしかない。
 
■2010年3月11日(木曜日)


平調音取(ひょうじょうねとり)



舞楽 陪臚(ばいろ)
 職場で、学生向けに古典芸能鑑賞会という会が開かれた。過去には、落語や和太鼓の演奏が行われていたが、今年度は雅楽の演奏だった。雅楽は、中学の音楽の授業で学んだことを覚えているが、その後は、テレビのCMで篳篥(ひちりき)のメロディーが流れるときに思い出すくらいで、生の演奏は初めてだった。
 パイプオルガンのような音を出す笙(しょう)は、ほかにはない独特の音で、主旋律となる篳篥と合わせて、独特で神秘的な世界を作り出していた。後半には、きらびやかな衣装を着た人たちが舞台に現れ、演奏に合わせて踊っていた。雅楽は、平安時代にはすでに完成していたということで、同じものを平安時代の人が見ていたのだと考えると、遙か昔の日本人とつながっているような気がした。

■2010年3月10日(水曜日)
 週1回パワーマックスでミドルパワートレーニングを行っている。これは、30秒の全力ペダルこぎを120秒休息で3回行うだけの短時間高強度運動で、かなりの苦痛を伴うため、これを行うには「やろう!!」という大きな決断が求められる。
 昨年6月の骨折以来、回転数やパワーが急激に低下していたが、最近少しずつ元に戻りつつある。2セット目までは、ある程度の数値が出せるようになったが3セット目になると突然力の発揮ができなくなる。同じ30秒なのに、3セット目は倍くらいの時間に感じる。楽しい時間は早く過ぎ、苦痛な時間は長く感じるのと同じなのだろうが、3セット目はまさにその苦痛な時間でしかない。
 普段は、時間というものは、誰にでも共通の尺度のように考えるが、人それぞれ時間の感じ方は違うはずなので、実際は共通の尺度ではない可能性が高い。自分の気持ち次第で時間の感じ方が変わるのだから、これをうまく利用して、有効な時間の使い方ができないものかと思う。

■2010年3月9日(火曜日)
 2月末から職場のメールがつながらず困っていたが、やっとつながるようになった。原因は、2月末に校内のシステムが換装され、同じユーザー名の登録が存在していたためだった。頻繁にシステムの担当者に電話し、業者の方も何度か部屋に来てくれたが、なかなか改善しなかった。先週からは送信ができるようになったが受信ができず、受信の度にユーザー名とパスワードの入力を求められ、正しい入力をしても、再度入力を求められ続けた。しかし、ここ2,3日は、1日に1〜2回だけ突然受信でき、訳がわからなかった。今日になって原因がわかり、原因を排除することでやっと正常に戻った。
 送信ができるので、必要なメールは送っていたが、ある人には送れてある人には送れないという状況があり、会議の連絡がうまくできず、本日の会議では、半数の人が日時を知らなかったということが起こり、みんなに謝った。面倒かもしれないが、メールをあてにしすぎず、電話で直接本人と話すことが大事だなぁと思った。

■2010年3月8日(月曜日)
 箱根駅伝の関東学連選抜を廃止する検討をしているという話を耳にしてとても驚いた。インターネット上では、すでに1月にニュースが配信されているらしいが、まったく気がつかなかった。2月に学生の会議で提案されたらしく、3月の会議で決議が行われるという。最近の学連選抜は同じ学校や同じ選手が走るということで、趣旨からずれていることが見直されての提案らしい。しかし、この選抜チームをきっかけに、本戦に出場するようになった学校もいくつかあり、我が校のように、チームとしては出場が厳しくても、一人であれば出場の可能性のある学校というのは多くあり、この選抜チームは、それぞれの学校の夢であることを考えると、廃止になったときの、喪失感は大きいと思う。
 先日の東京マラソンで活躍した埼玉県庁の川内選手は、選抜チームで2回走っている。実業団選手としてではなく市民ランナーとして高い競技力を維持しているのは、選抜チームで走ることができたからだと思う。有力チームに所属しなくても、勉強と両立しながら自分で工夫して一人でやっていける選手が育っている。今後も学連選抜を継続し、こういった選手が多く育ってくれることを願う。

■2010年3月7日(日曜日)


豊崎海浜公園



砂浜ダッシュ



練習後



鍾乳石ができあがる様子
 午前中は、西原きらきらビーチで砂浜ダッシュをするつもりだったが、天気が悪かったため、荷物を置いたり雨宿りのできる施設付きの海岸を探し、豊見城の豊崎海浜公園へ行った。この公園は朝6時から開園しているということだったが、雨のためか、公園には誰もおらず、貸し切り状態だった。この公園には、バスケットの半面コートが3つあり、すべてが陸上競技場のオールウェザートラックと同じ素材ででできていて、なんと贅沢なコートなのだろうと思った。
 練習は、砂浜ダッシュ。30mほどのダッシュを5本、60mほどのダッシュを5本、250mほどのダッシュを5本、シャトルランを5本行った。風が強く、立っているだけだと吹き飛ばされそうなくらいの強さだった。追い風で走ると危険なので向かい風で走った。砂に足を取られ、風にも押し戻されそうになりながら走り、最後の1本は、フィニッシュ後に吐くところまで追い込めた。
 練習後、東洋一の鍾乳洞と言われる玉泉洞へ12年ぶりに行った。ここの鍾乳洞は、鍾乳石が1cmできるのに約30年かかるそうで、できるスピードとしては比較的速いらしい。これだけの鍾乳洞ができるには、30万年という年月が必要だったようで、地球は少しずつ変化しながら生きているということを実感した。鍾乳洞の中には、コウモリや魚がいた。最も驚いたのは、ウナギがいたことだった。鍾乳洞を出た後は、延々といろいろな店を通って駐車場へ戻るというルートができていて、たくさんの誘惑があった。試食もたくさんあり、もずくで作ったといううどんはとてもおいしかった。
 最後に、豊見城の道の駅へ行き、おみやげを買った。豚のタンが丸ごと真空パックで売られていた。値段は330円で激安だった。昨年牧志市場で必死に値切って525円だった。真空パックのタンは、一つ一つ重さが違うのに値段が同じというのが驚きだった。160gのタンも234gのタンも同じ値段ということで、欲張りな自分は当然大きい方を選んだ。タンカンも好きなので、買ったのだが、沖縄産ではなく宮崎の日南産だった。しかしこれも安く購入でき大満足だった。

■2010年3月6日(土曜日)


西原マリンパーク(沼田くんと)



参加者全員で



夕暮れ(18時50分頃)
 40分ジョッグの朝練を行い、午前・午後とも黄金森公園で練習。午前中は、800mの変化走を20分休息で3本行った。ホームストレートは、昨日同様かなりの向かい風があったが、2分05秒、2分03秒、2分02秒で、感覚よりはかなり速いタイムで走れた。レースでは、間違いなく2分が切れるという確信が持てる練習となった。  午前の練習後、クーリングダウンのつもりで、海を見に西原マリンパークまでジョッグで行った。競技場から4kmぐらいなので20分あれば到着できるのではないかと思っていたが、片道で30分もかかってしまい、往復で60分のジョッグになってしまった。西原きらきらビーチは、砂は白くてかなり細かくサラサラし、グアムの砂浜のようにきれいだった。砂浜がきれいなので、海も鮮やかな色で感動した。駐車場は無料で、海岸も自由に出入りでき、シャワーなども完備され、砂浜ダッシュには最適な場所だった。
 午後は、韓国式サーキットを3セット行った。午前中の疲労のためか、2セット目の途中から、ダッシュで下腿を攣るようになり、2セット目最後の1000mもスタートはしたが、両下腿が何度もつり、足を前に出せなくなり、300m走ったところで止めた。その後は、ダッシュはやらず、サーキットの種目だけをこなして、3セットを終わらせた。メニューがこなせず不完全燃焼という感じだった。一緒に練習した沼田くんは、最後の1000mを2分51秒台まであげるなど、かなり充実した練習ができていた。
 今日も最高気温は27度で、晴れていて1日で4日分くらいの練習ができたと思えるほどの練習ができた。

■2010年3月5日(金曜日)


黄金森競技場



今日参加した全員で



ホテルからの眺め
 アンビバレンスの解散に伴い、新たに立ち上がったクラブチームレジェンズの第1回沖縄合宿が始まった。午前中に那覇に到着し、午後から南風原(はえばる)町営の黄金森(こがねのもり)公園陸上競技場で練習した。沖縄では町でもオールウェザーの競技場を持っていて、競技場の多さに驚く。しかもこの競技場は、夜10時まで営業しているようなことも看板に書いてあって驚いた。町営なのだから、職員は当然役場の関係者のはず。ずいぶん遅くまで勤務しているのだなぁと思った。沖縄の競技場の多くは、スタンドの中にトレーニング場が完備されていて、トレーニング器材がかなり充実している。この町営の競技場も同様で、我が校よりも器材は整っていて、これだけの設備を整えるお金がどこから出てくるのだろうかと思った。
 午後の練習メニューは、500m、300m、200mを3セット。休息が8分、5分、15分ということで、ジョッグでつなぐよりは、1本1本の走りをしっかりとしなければならいところが厳しかった。設定は、75秒、42秒、26秒で、ホームストレートが、かなりの向かい風だったため、設定通ることは難しかったが、200mを除けば、ほぼ設定通りに走れた。しかし、感覚としては向かい風の中ではまったく走れた気がせず、タイムと感覚の差は大きかった。
 3セット目の300mが終わったところで、バランスを崩し、前のめりに倒れ、膝と肘を打った。肘は擦りむけ、傷口が固まらず、寝るまでジュクジュクして痛みが取れなかった。
 夜は、国際通りへ行き、飲み食べ放題の店に入った。3000円で飲み放題と食べ放題が付き、3時間までというプランで、沖縄料理をはじめ、食べたいものを食べたいだけ食べることができとても満足した。関東と比べれば、本当に安い。
 今日は最高気温が27度で、曇りの予報に反して天気は良かった。週間天気予報では、週末の沖縄は、天気は曇りか雨となっていたが、1日天気に恵まれしっかりと練習ができただけでも沖縄へ来た甲斐があった。

■2010年3月4日(木曜日)
 千葉の保育園で、園児の口に粘着テープを貼ったり、園児を「猿」と呼んでみたり、ほおをたたいたりするなどの虐待の疑いがあった問題が報道されていた。0歳児や1歳児に対して行っていたとのことで、ひどいことをするなぁと思ったが、自分が小学校4年生の担任は、似たようなことをしていたのを思い出した。
 姿勢の悪い生徒のイスの背もたれに頭の高さよりも高い背もたれになるような板を入れ、ひどいときは、粘着テープで頭を板に固定させていた。生徒の名前から勝手にあだ名をつけて、そのあだ名で生徒を呼んでいた。近所に自生しているガマの茎を採ってきて(時には生徒に採らせに行かせ)、乾燥させて、ムチとして常に持ち歩き、生徒の体をたたいていた。乾き加減によって威力が全然違い、先生は、ムチの乾き加減には常に目を光らせていた。近所の柿畑で、自然に落ちて腐りかけた柿を採ってきて(時には生徒に採りに行かせ)、教室の先生用机の中に保管し、給食を食べるのが遅い生徒に(または早い生徒に)、「おめでとう」と言って手渡し、無理矢理食べさせていた。給食で余ったパンや牛乳も机の中に入れて保管し、乾燥したパンを食べさせたり、ヨーグルトのようになった牛乳を飲ませることもあった。給食の際に、先生から嫌がらせのプレゼントをもらうのは、給食を早く食べた生徒か遅い生徒で、先生のその日の気分によって違うため、誰もが早すぎず遅すぎずというタイミングで食べ終わらなければならず、生徒同士お互いの顔色をうかがいながらの給食を食べていた。自分の食べたいペースで食べられないのが本当にストレスだった。当時は、この人が担任になったのは運が悪かったと思うしかなかったのだが、今考えると間違いなく虐待だった。冬に野良犬を捕まえて、「犬の寒中水泳だ」と言って、野良犬を川に投げ込んでいたが、犬の虐待ということになるかもしれない。
 体育授業は、近所の稲を刈った後の田んぼを使ってラグビーをしたり、何の授業かは覚えていないが、自生している餅米(自生しているものなのか疑問だが)を生徒に刈らせ、餅をついたこともあった。とにかく、あり得ないことだらけの1年で強烈な印象が残っている。
 当時もとんでもない先生だと思っていたが、今思い出すとますますひどい先生だったと思えてきた。子供たちが親に話さなかったのか、話しても信じてもらえなかったのか、親からのクレームは全くなかったと思う。クラスの生徒の多くが、被害に遭いながらも、学校を欠席することはなかった。そういう意味では、当時の子供たちは今の子供たちよりはいろんな面で強かったのかなぁと思う。今、あの先生は何をしているのだろう?

■2010年3月3日(水曜日)
 次男のあまのじゃくぶりがますます激しくなってきている。長男の幼稚園で、毎月、未就園児対象のリトミックへ妻と行っているのだが、周りの子供たちはみな音楽に合わせて楽しそうに踊っている中、うちの子供だけが、泣いて嫌がって参加しないという。毎回参加しないらしく、今日も参加しなかったそうだが、最後にご褒美で絵本がもらえるときには、名前を呼ばれて大きな返事をしてもらいに行くという。夜帰宅した際に、次男に「今日のリトミックは踊れた?」と聞いたところ、全く踊らなかった次男は自信満々で「踊れた」と答えてくれた。こちらは、この言葉を信じて「よかったね。楽しかった?」と話をしていたのだが、妻はこれを聞きガックリと肩を落としていた。なぜ平気でウソをつけるのか?
 今日の極めつけは、妻が来客で玄関に行っている際、次男は、自分で台を持ってきて、台に乗って、台所の棚の上にあるチョコレートに手を出し、チョコレートを頬張っていたという。用が済んで妻が台所へ戻ってみると、次男は、口の周りをチョコレートだらけにして「何も食べていないよ」と何も聞かれていないのに答えたという。長男であれば、たぶん黙ったままか、泣き出す状況だが、次男は、現行犯でも平気でウソを通そうとする。将来どんな人物になっていくのだろう・・・。心配でならない。

■2010年3月2日(火曜日)
 北海道教職員組合の幹部が、政治資金規正法違反容疑で逮捕された。教職員の政治活動といえば、高校時代の現代社会の先生を思い出す。よく駅前で共産党のビラを配っていた。現代社会の授業では、毎回トヨタ批判を繰り返し、何の授業なのだろう?と思った。ほとんどの生徒は寝ていたが、変な先生だと思いながら、授業はいつも聞いていた。トヨタは、下請けを簡単に切り捨て、彼らの生活は常に不安定だということを語っていた。今考えれば、大企業であれば、都合が悪くなれば下請けを切り捨てるということは、どこでもやっていることだろうし、トヨタだけではないだろうと言えるが、高校生の時は、そういうものなのかと思っていた。授業の結論は、トヨタ製品を買わないように、となる。製品を買わなければ、さらに下請けは切り捨てられるような気がし、なんだか矛盾を感じたことを覚えている。当時は、かなり偏った見方からの教育を受けていたのかなぁと思う。

■2010年3月1日(月曜日)
 昨日は、チリ中部沿岸で発生した大地震の影響で、全国の太平洋岸で津波が到達した。各地で警報が出され、横須賀では浦賀や久里浜の沿岸住民に対して避難勧告が出された。昨日の夕方には横須賀市の避難勧告は解除されたので、警報の解除もそれほど時間はかからないのかと思っていたが、警報の解除は、自分が出勤してからだった。津波警報が出される時のサイレンが、大雨洪水警報のサイレンとは違いとても恐怖感をあおる異様なサイレンで不安になった。市内で被害があったというニュースはなく安心したが、気仙沼では、海水が流れ込み冠水した写真が朝刊に載っていて津波の恐ろしさを思い知らされた。



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