最近のいずみ

Last Update:2010/4/30

パートタイムアスリートいずみ 10年目に突入!! 


■2010年4月30日(金曜日)


走水漁港と旗山崎
 シドニーオリンピックで銅メダルを獲得した女子体操の選手が、年齢詐称を認めたためメダルを剥奪されたという報道があった。オリンピックが終わって10年も経ってからの剥奪ということに驚いた。選手として参加した際に登録した生年月日と、役員として参加した際に登録した生年月日に違いがあったことで判明したらしい。
 中国のスポーツ選手の年齢詐称は体操だけではなく、バスケットボールでは、年齢詐称が当たり前と言う中国選手のコメントが報道されたり、サッカーでは、オリンピック出場を目指して年齢を変更するため、特定の年に選手が集中し、若い世代だけが強く、A代表の試合では目立った成績が出せないという指摘もある。国際サッカー連盟は、オリンピックの年齢規定を23歳以下から21歳以下に変更するとの方針を示した。一度登録した年齢を変更できないことをうまく利用し、中国の年齢詐称に狙い打ちをしたルール改定だと報道されている。
 10代の年齢詐称では、1歳違うと、運動能力は大きく違ってくる。年齢制限のある競技では、重大な問題であり、国際大会での不正と言えばドーピングというイメージがあったが、ドーピングだけではないということを知るきっかけになった。

■2010年4月29日(木曜日)


走水漁港
 練習は、2000mのペース走を3本。6分40秒という設定だったが、強風のため、ホームストレートは全く進まず、思うには走れなかった。1本目はなんとか6分42秒で走ったが、呼吸が苦しく、それにつられて体も動かなくなった。2本目は、ジョギング状態になり7分49秒もかかった。3本目はできなかった。かなりゆるめの設定だったのに、走りきれずかなりのショックだった。
 ダッシュをすると、相変わらず左の大腿二頭筋には、激痛が走る。痛いのは、脚を振り下ろす瞬間だけで、走り終わってしまえば、それほど痛みは残らない。我慢すれば、短い距離も走れるが、レースに出るのは危険な気がする。

■2010年4月28日(水曜日)
 民主党の小沢幹事長の政治資金問題で、民間人で構成される検察審査会から、「起訴相当」との判断が示された。検察は証拠不十分ということで起訴を見送ったこともあり、本人は、相変わらず強気な発言をしている。実際に何も知らされていなかったのであれば、本人の知らないところでの話であって、国民への説明と言われても、説明のしようがないように思う。マスコミの報道の仕方で、一般の人は、誘導されてしまう可能性が高い。今回の検察審査員の判断が全員一致したとのことだったが、くじ引きで選ばれた11人の集団で、全員が同じ判断をしたということにとても驚いた。マスコミの影響もあったのかもしれない。選ばれた人たちは、重圧の中、日本を揺るがすような仕事をしていて、大変だなぁと思う。

■2010年4月27日(火曜日)
 家を建てる際には、いろいろと決めなければならないことがある。建て売りだと、それほど選択肢はないのかもしれないが、注文住宅となると、ドアを一つ決めるにも気が遠くなるほど無限に選択肢が現れる。いろいろとこだわり始めると、オプション料金を取られることになる。見た目は気にしたいが、金額との兼ね合いを考えると、見た目よりは、生活した際に必要となる機能に重点を置かなければならなくなる。先日、長男が神社へ行った際に賽銭箱の中をひたすら眺めていたので、何で眺めているのか聞いたところ「お金が欲しい」という回答がかえってきてびっくりしたが、結局自分も子供と同じことを考えているのかもしれないと思うと、なんだか悲しくなった。

■2010年4月26日(月曜日)
 観音崎で1kmの坂ダッシュを3本行った。左の大腿二頭筋の痛みは、気になるので、1本目は速度を控えめに走り、呼吸はそれほど激しくならず、予想していたよりも速く走れた。2本目以降は徐々に上げていくつもりだったが、1本目よりも2本目の方が苦しく、タイムは落ちてしまった。3本目は、速度は上げられたが、中盤から何度も吐き、体が前に倒れそうになりながら何とか走りきった。あまり心肺へ刺激を入れていないため、少し強度を上げると急激に体への負担度が増す。大腿二頭筋は、走行中は、ずっと気になったが、終了後にジョギングをする程度では全く気にならず、ひどくはなっていない。もう痛みのピークは越えたのだと思う。

■2010年4月25日(日曜日)


防大海上訓練場




走水神社
 知人が家族連れで走水神社へ来るというので、我が家にも寄ってもらい、走水神社や観音崎を案内した。走水神社はテレビでパワースポットとして紹介されたらしく、最近は、観光客が多いと聞いていたが、実際に行ってみると、参拝に来る人はまばらながら、参拝者が途絶えることはなく、テレビの影響はすごいと思った。参拝者の多くは、鳥居の前で一礼して入り、参拝後は、鳥居を出て一礼していた。普段、自分たちが参拝するときには、鳥居の前でそのようなことをしたことがなかったので、そういう作法があったことに驚いた。テレビでは、正しい参拝の仕方が紹介されていたらしく、鳥居をくぐる際には、鳥居の中央は神様の道なので、中央からは入らず、少し右か左にずれて入り、右側から入るときには右足から、左側から入るときには左足から入り、神様に背を向けないようにしなければならないとのことだった。
 神社の裏山には、弟橘姫(おとたちばなひめ)の歌碑があったり、さらに登ると、石のお社が3つあり、子供たちにとっては、ちょっとした山登りになっていた。お社の先には、さらにけものみちのような道があり、その道を進めば、自分の職場にたどり着くという新しい発見をした。1日中、天気は穏やかで、とても楽しい散歩ができ、楽しんでもらうことができた。

■2010年4月24日(土曜日)


 左の大腿二頭筋の痛みは相変わらず続いているが、月曜日以降は、少しずつ緩和してきているので、久しぶりにトラックで練習をした。メニューは1000m×7。本数は多かったが、ペースは3分20秒という設定で、かなり抑えめに走った。走り始めてすぐに大腿二頭筋の痛みが気になりだしたが、痛みは強くなることはなく、7本ともほぼ設定通りに走り切れた。強度をこれ以上にすると、月曜の練習のように痛みがひどくなるような感じがあるので、当分は、このくらいの強度で練習していくしかなさそうだ。

■2010年4月23日(金曜日)
 最近次男と風呂に入るといつも「パパちんちんながーい」と言われる。大きいとか長いという表現を頻繁に使うようになり、風呂に入るとちょうど自分の目の前に見えるものがそれだったということなのだろうが、そう言われてもどう答えればいいのか困ってしまう。
 「にっぽん」という単語もよく使われる。「これ日本のお茶だよ」、地図を見て「日本はどこ?」、「パパは日本に行ったことある?」など、次々と日本という単語を使ったフレーズが出てくる。
 時間の概念についても少しわかってきたようで、工場見学でもらった冊子を見て、「さっちあちらくんといった。(前にあきらくんと行ったことがある)」と表現してみたりする。相変わらず「カ行」は「タ行」になってしまう傾向があるが、確実に人とのコミュニケーションができるようになっている。
 新しく身につけた言葉を早く使ってみたい、使ったら楽しいというような喜びが最も大きい時期なのかもしれない。

■2010年4月22日(木曜日)
 舟状骨骨折により、思うように動かなかった手首が少しずつ動くようになり、やっと腕立て伏せができるようになった。しかし、腕立て伏せを行うには、事前に、入念なウォーミングアップが必要で、やろうと思ったらすぐにできるまでには回復していない。とにかく、以前と比べ左手首の背屈ができるようになり、10ヶ月ぶりにハイクリーンをした。10kgのシャフトでは、ほとんど痛みがなかったが、20kgのシャフトに変えたところ痛みが出た。長い間できなかった動作ができた喜びの方が痛みよりも大きかったため、調子に乗って5kgのプレートを付け30kgまでやってしまった。終わった後は、かなり痛みが出た。これでまた当分この動作はお預けになりそうだ。何やってるんだか・・・

■2010年4月21日(水曜日)


食事中




旗山崎
 小学校の給食参観があった。給食の配膳、食べているところ、片づけ、掃除までを、親たちがじっと見守るという内容で、一緒に給食を食べる訳ではなかった。
 1年生なので、まだ要領は悪いためか、先生が配膳をしているという感じだった。先生は、男の子にも女の子にも、名前をさん付けで呼んでいることに驚いた。自分たちのころは、男の子にはくん付けだったり、呼び捨てだったりした印象があるが、今は男女平等という意味合いでもあるのだろうか。
 給食は、自分の席で、机を移動することなく、黒板に向かって食べていた。会話を楽しめるように机を向かい合わせにして食べるものだと思っていたので、これも意外な感じがした。
 片づけで驚いたのは、牛乳の紙パックの処理方法。子供たちは、紙パックを上手に広げて1枚の紙のようにして中を洗ってから回収していた。今は、リサイクルのためにここまでやらなければならないのかと思った。
 最後の清掃は、先生が一人でやっているような感じで、子供たちは、好きな方向にほうきで掃き、掃いている方向に、別の子がぞうきんがけをしていたりする。ほぼ無秩序という感じ。低学年を担当する先生は大変だと思った。幼稚園の先生よりも優しく、先生が何度も言ってやっと話を聞くという感じだった。うちの長男は、学校の先生の方が幼稚園の先生よりも優しいと言っていた。幼稚園の時には、先生が何もしゃべらず、頭に手を持って行っただけで、子供たちは、静かにして先生と同じ動作をしていた。あらためて幼稚園の教育は徹底していたなぁと思った。

■2010年4月20日(火曜日)
 ここ2,3日、送信した覚えのないメールに対し、送信先メールアドレスが見つからなかったというメールが自分の契約している携帯会社から送られてくる。携帯のアドレス帳に登録してあれば、そのアドレスを宛先に入れれば名前が出てくるが、名前が出てこない。送信履歴を見ても、送信していないことがわかり、どこかでこちらのアドレスが漏れ、誰かが携帯会社になりすましてメールを送っているのだろうと思った。
 連絡先は、いろいろな人に伝えているし、名刺にも書いてあったりするので、漏れてしまうのは仕方ない。自分でまいた種なので、自分で対処するしかないのかもしれない。しかし、直接携帯電話にかかってくる投資用マンション販売の勧誘は、自衛隊を担当して、電話をかけていると言っているので、こちらがまいた種と言うより、どこかで名簿をまるごと手に入れて電話をかけているとしか考えられない。出所を聞いても答えてくれるわけもなく、相手には悪いが、話の途中でも電話を切らせてもらっている。自分は、普段から時間は無駄にしているタイプの人間で、こういった電話やメールに費やした時間は、たいした時間ではないのに、とても損をした気分になる。もういらぬメールや電話は、こちらにはよこさないでと言いたい。

■2010年4月19日(月曜日)
 左の大腿二頭筋が痛み出してから1週間以上が経ち、多少緩和してきたので、スピードを上げてジョッグしてみた。初めは気持ちよく走れていたが、すぐに臀部に違和感を感じるようになった。大腿二頭筋の痛みは、座骨結節付近が痛かったのだが、その痛みの大本が臀部にある梨状筋ではないかと感じた。
 ジョッグ後、300mを走った。走っている時には、梨状筋よりも、大腿二頭筋の筋腹が痛み、終了後も続いた。歩く時にも痛みを感じるようになり、以前よりもひどくなってしまったので、市内のカイロプラクティックへ行った。
 カイロでは、大転子の位置が左右で大きくずれていることが指摘された。左が後ろへ、右が前へ出ていた。仰向けに寝ると、左膝の方向が外側へ向き、ねじれていることがわかった。左の大腿二頭筋だけが異常に張って、左の大臀筋付着部、梨状筋、右の脊柱起立筋も張っていた。左脚のねじれについては矯正してもらい、脚の長さはそろったが、大腿二頭筋の張りについては、それほど緩和できなかった。当分練習できない期間が続くのかもしれない。

■2010年4月18日(日曜日)


背の高い神主さんでした



初めは凍ってました
 家を建てるために土地を購入することを決め、現存していた古い家を更地にしてもらい、売主さんと土地の状況を確認し、売買が完了した。家の建築をする業者さんにお願いし、お得意先の神主さんを呼んでもらい地鎮祭を行った。神主さんは三崎では有名な神社の方で、お供え等をすべて準備してくれたので、こちらは特に何も購入しなくてよかった。
 式次第には、9つの儀式が書いてあり、神主さんが一つずつ説明しながら、執り行っていった。降神之儀で土地の神様を迎え入れ、家が建つ予定の四隅にお払いをし、特別に用意した砂の山を施主の自分と施工主の代表者で掘り起こし、参加している全員が玉串をささげ、最後に昇神之儀で元に戻ってもらうというような流れだった。時間は30分くらいかかったため、長男はなんとかじっと我慢できたが、次男は我慢できず、動き回っていた。彼らは、土地の四隅をお清めしたときに色の付いた正方形の小さな紙がばらまかれたのが気に入ったようで、すべてが終わった後で、必死に拾い集め、自分たちでまいていたのが印象的だった。
 これから家の建築が始まる。事故なく、手抜きなく、希望の家が建つことを願っている。

■2010年4月17日(土曜日)
 日体大記録会に出場予定だったが、のどの具合が悪く、発熱しそうな感じがあったので、棄権した。しかし、学生やレジェンズのメンバーが出場するので応援には行った。学生たちは、4月以降訓練等で、練習がほとんどできていない。さらに昨夜は、深夜2時頃に学生全員が起こされたらしく、十分な睡眠がとれていないので、走れるかどうかわからないと嘆いていた。どんなに嘆いても体調は変わるわけではないので、今出せる力をすべて出せば、結果には納得できるはずだと励まして走らせた。2名しか走らなかったが、1名は、この状況でも自己ベストが出てしまった。長男を連れて行ったため、競技場には長くいられなかったので、彼の走りは見ていないのだが、レース後すぐに喜びの電話がかかってきた。先週の自分のレースも同じだが、思いがけず納得のレースができると、準備をして望んだときよりも喜びは大きい。これを自信に、しっかり準備して結果を出してもらえればと思う。

■2010年4月16日(金曜日)


タケノコ
 季節はずれの寒波が到来している。横浜では雪が積もり、横須賀でもみぞれ混じりの風雨となった。職場の部屋は、極寒で、備え付けのストーブをたいてみたものの、それほど室温を変化させるほどの力はなく、寒かった。
 日曜以降気温は急降下し、その変化に対応できなかったためか、水曜の夜にはまた発熱があった。薬を飲んで、木曜の朝には、平熱に戻ったが、ずっと左の大腿二頭筋には痛みがあり、筋肉を酷使した痛みというよりも、風邪の時の筋肉の痛みに近く、じっとしていても痛みを感じる。多少具合が悪くても、試合に出てみたり、出勤したり、友達に会いに遠出したり、普段通りの生活をしているので、それが治すことから考えると、中途半端なのかもしれない。週の始まりまでには回復させたい。

■2010年4月15日(木曜日)
 自衛官から外務省の職員へ転職した大学時代の同期が、久々に帰国したというので、近くにいる同期で集まった。外国から見た日本は、あまり存在感がないらしい。国内では鳩山首相の言動が常にニュースになるが、彼の仕事をしている国の報道では、政権交代が行われたときに鳩山夫人がちょっと変わった人らしいというニュースが流れただけで、それ以上日本への関心はなく、いまだに日本人はちょんまげで、刀を持って歩いているというイメージがあるらしい。江戸時代は200年近く前に終わっているというのに、いまだにそういう印象なのだから、江戸文化の海外へのインパクトはかなり大きかったということなのか、あまりにも今の日本の印象が薄いのかどちらかなのだろう。
 システムエンジニアをしている別の同期は、勤務先が、ある大手財閥系会社の子会社となってしまったため、上司が親会社からの出向となり、給料が下がり住宅ローンの返済に影響があったり、親会社の長期ビジョンがなく、この先どうなってしまうのかと心配し、常に転職を視野に入れて生活をしていた。民間は厳しい状況だと言うことがよくわかった。
 こちらは、母校の現状を話し、同期たちは、自分たちの学生時代と照らし合わせて、こちらの話を楽しんでいた。大学を卒業して10年以上経って同期が集まれば、全員が自衛官ではなく、いろいろな業界で活躍する同期がいて、お互いの話が新鮮で楽しい。こういった機会をたくさん作っていければと思う。

■2010年4月14日(水曜日)


旗山崎
 陸上競技マガジンの5月号に、昨年度の日本ランキングの100位以降のランキングが載っていた。昨年の800mのランキングは107位だった。年末年始の陸マガに載っていたキリ番順位では110位となっていたので、今回は順位が上がっていてよくわからない。
 とにかく、16年目で連続100位以内が途切れた。一度途切れると、1500mがそうだったように、その後元に戻るのはかなり苦しい。そういう意味では、今年は、重要なシーズンだと言える。

■2010年4月13日(火曜日)


トレーニング中?
 新入生が、少しずつ校友会(クラブ活動)の見学にきている。もともと競技力のある学生は、すぐに練習に参加するし、話だけ聞いて帰っていく学生もいる。いろいろな学生がいておもしろい。
 自分も学生の時には、先輩に連れられ合気道部へ行きった。技のかけ方を教えてくれれば、少しは興味が持てたのかもしれないが、技をかけられ倒されたという印象しか残っていない。別のクラブを見学しても似たようなものだと思い陸上競技部へ入った。この入部がきっかけで、陸上競技にはまり、今の仕事をするに至った。これによって交友関係も全国に広がり、良いことばかりだった。自分にとってこのクラブ活動の選択は、人生の分かれ道だったのだと思った。

■2010年4月12日(月曜日)
 悪夢にうなされ、目が覚めて夢で良かったと安心した。こんなことは滅多になく、寝ている最中に体中に力を入れて夢を見ていたら、休養にはならない。普段よりも体が疲れているのだろうか?
 目が覚めたのは6時前だったので、もう一度寝ることもできたが、寝る気分になれず、ジョギングすることにした。左の大腿二頭筋の痛みは昨日以上に増していて、ジョギングをすると痛みがでたので、歩くスピードと変わらないくらいで行った。久しぶりに朝練をし、気持ちよかったが、1日中大腿二頭筋が気になった。
 夕方カイロプラクティックへ行ったが、大腿二頭筋だけでなく、左の腓腹筋の外側や、左の殿筋群にもかなりの疲労があることがわかった。炎症を起こしている可能性もあるので、今日明日は、運動をしない方が良いと言われた。今日は、朝練をしてしまったが、明日はしっかりと休養したい。

■2010年4月11日(日曜日)


三ツ沢公園陸上競技場




観音崎ボードウォーク
 県記録会800mに出場。昨日走った400mの影響で、左の大腿二頭筋に痛みがあり、強度を上げると気になって仕方がない。急に走るのは良くないということなのだが、ここまできて止めるわけにはいかず、そのままウォーミングアップを続けた。
 この時期の記録会では珍しく、最もタイムの速い第1組で棄権者なしの8名がスタートラインに立った。事前に、荒井くん(SAC)が引っ張るという話をしていたが、スタート直後の飛び出しはなく、国士舘大学の選手が先頭を引っ張った。かなり良いペースで、ついて行けず、5,6番手で集団後方について、がんばらないように走った。
 先頭の1周目は54秒前半で、自分も55秒前半では通過した。残り300mからは、有力な選手が上位に上がり、前半がんばっていた選手が遅れだし、自然に3番手まで上がった。残り200mまでは、先頭とは、それほど差がなかったが、その後は、さすがに日本のトップ選手との差は大きく、一気に離された。ホームストレートに入ると体が固まりだし、残り50mで高校生にかわされて4着でフィニッシュした。
 タイムは1分54秒39で、来年の全日本実業団標準を切り、シーズン最初のレースとしては、とても気持ちの良いレースだった。最初のレースでこのくらいのタイムが出たのは2002年以来。年々練習量が減り、スピードも低下して、具合が悪かったことを考えると、出来過ぎな気もする。今年は、全日本実業団標準記録、年齢別(35歳)日本記録、マスターズM35日本記録を目標にしていたが、1回ですべてクリアーしてしまった。来週以降は、日本100傑以内のタイムを目標に、体調を立て直し挑戦していきたい。

■2010年4月10日(土曜日)


新ユニフォーム
 神奈川県記録会が始まった。400mと800mにエントリーしていたが、昨日のジョギングでは頭痛で走れず、トップスピードで走る状態になかったため棄権することにした。しかし、神奈川陸協主催の大会で1年間使うナンバーカードを受け取る必要と、今年度から自分の登録した新チーム「レジェンズ」のユニフォームをチームのメンバーから受け取ることになっていたので、三ツ沢競技場まででかけた。
 プログラムを見たところ400mは39組、800mは1組にエントリーされていた。800mの同じ組には、元日本チャンピオンの鈴木尚人くん(体育学校)と日本選手権決勝にも残っている服部直くん(アスレティックジャパン)の2人の名前があった。鈴木くんには会って話すことができ、明日も走るというので、これほどの高レベルで走れる機会はないので、棄権するのはもったいなくなった。昨日までの状況を考えるととても複雑な気分になったが、800mには出場することにした。
 いきなり試合で走るのは、良くないと思い、横須賀へ戻って、800mの1周目を想定した400mを走った。意外と体は動き、55秒9で走れた。しかし走り終わった後のダメージは大きく、あと1周走れるとは思えない負荷だった。しかし、試合の場面になってしまえば、気持ち次第。明日は、なんとなく先頭について、今日のタイムでは通過していきたい。

■2010年4月9日(金曜日)


職場の桜
 2日ぶりに職場に復帰し、多くの方から「大丈夫?」と声をかけて頂いた。同僚の先生のお子さんがノロウイルスで嘔吐と下痢となり1週間入院となっていて、最近流行っているという話を聞き、その症状から自分もノロウイルスに感染していた可能性もあるのかなぁと思った。熱は下がったが、相変わらず頭痛は続いている。しかし、久しぶりに青空の下でジョギングがしたくなり、昼休みにジョギングに出かけた。足が接地するたびに頭痛を感じるので、30分は我慢してジョギングしたが、その後は歩いて職場に戻った。まだ走るのは無理なようだ。明日から県記録会が始まるが、出場は難しい。

■2010年4月8日(木曜日)
 昨夜は8時半には床についたが、0時半には目が覚めてしまった。頭は少しフラフラする感じがあったが、金曜締め切りの論文を仕上げなければならないと思い、パソコンに向かったところ、気がつけば朝になっていた。具合が悪いことを忘れて没頭した結果、体調は良くなったので、午前中は、次男の幼稚園入園式に出席した。しかし、昼に家へ帰った頃から頭痛になり、また体調が悪くなってきた。
 午後は、妻と長男が外出する用があり、昨日と同様次男と過ごした。次男を外で遊ばせるため、夕方、海と美術館へ散歩に行った。多少、気分転換にはなったが、頭痛は改善しなかった。夕食後、また論文作成に没頭し気がつけば日が変わり深夜1時近くになっていた。24時間のうち、30分ほど横になっただけでほぼ1日起きていた。こんなことは、たぶん学生時代以来のことだったと思う。

■2010年4月7日(水曜日)
 昨夜は、21時前には、床についたが腹痛と吐き気で全く眠れなかった。寝返りをうって脚の配置をかえると、両脚のハムストリングスが攣りそうになる。練習で、きちんとハムストリングスが使えていたと思いながら、攣りそうになる度に筋をストレッチした。
 0時前に1度嘔吐し、少し楽になったが、それでも全く寝られず、なぜか頭はすっきりとしていて、4時過ぎまで時計とにらめっこをしていた。寝られたのはそれから2時間くらい。一昨日もなかなか眠れず4時間くらいの睡眠だったので、体にはかなりの負担がかかっている可能性がある。
 微熱も続き、体の状態が良くないので、休暇を取って家で休んだ。昨夜寝られなかったためか、午前中は、よく眠れた。午後は、妻が学校の保護者会で、次男を連れて行くことができないということで、次男と過ごした。外に連れ出したかったが、こちらの具合が悪いので部屋の中でボール遊びや積み木などをした。3時間ほど遊んだら、具合がさらに悪くなったため、次男には一人で遊ぶように言ってまた寝た。
 夕食で、1日ぶりに食事を摂り、少しずつ回復しているのだろうと思ったが、その直後下痢となった。微熱は相変わらず続いている。骨折をした手首が普段以上に痛み、動かしづらい。明日は次男の入園式。回復するだろうか・・・

■2010年4月6日(火曜日)


職場の桜
 久しぶりにスパイクを履き、50m×4を5セット行った。この距離だと、全力で走っている気がしない。この練習は、いつも同じような感覚で、全力でやったはずなのに追い込めなかったという後悔が残る。
 職場から帰る途中で腹痛となり、痛みがずっと続いた。腹痛に耐えることの方に気を取られ、食欲がなかったため夕食はみそ汁をすするだけで終わった。金曜締め切りの論文を書かなければならないため、夕食後、職場へ戻ったが、腹痛に耐えられずすぐに帰宅した。

■2010年4月5日(月曜日)


入学式
 長男が小学校に入学した。137回目の入学式ということで、明治時代から続いている学校だということに驚いた。各学年が1クラスしかなく、1年生であれば1年1組のみ、4年生以上は、20名未満という少人数のクラスとなっていた。子供の数が少ないので、先生の数も少なく、田舎の分校という雰囲気だった。
 入学式では、2年生以上が歌った校歌の歌詞に驚いた。「日本武尊」「平和の民」「国のため 世界のために 尽くさなん」というような言葉が含まれ、この学校が歴史ある学校で、志がものすごく高いことが示されていた。
 クラスの半分以上が官舎の子供なので、すでに知っている子ばかりという環境。PTAの会長さんが学年を越えて友達をたくさん作るようにとの話をしていたが、全学年で100人を越える程度なので、1年もすれば、全員と顔見知りになれてしまうのではないかと思った。そういう意味では、友達は校外にも求めていく必要があるのかもしれない。
 とにかく子供たちが通学を毎日を楽しみにするような学校であって欲しい。

■2010年4月4日(日曜日)


レッグマジックX
 レッグマジックXというトレーニング器材がテレビのCMで放送されていてとても気になり、妻もやってみたいというので、ショップジャパンで新品同様のリサイクル品を廉価で購入してみた。
 CMでは1日1分と宣伝していたが、付属のDVDでは13分となっていた。両脚を閉じた姿勢で保持するアイソメトリックな運動をすると、内転筋群がかなり刺激されるが、動的なアイソトニックでは、それほど大きな刺激は得られなかった。しかし、脚を挟み込む方向にもう少し傾斜をつければ、刺激は大きくなるので、工夫次第だと思った。DVDの13分の運動は、半分はこの器材での運動、残りの半分は器材から降りて、ランジ、スクワット、腹筋といった基本的な運動をしていた。結局、この器材だけでは、運動が偏り、下肢全体には刺激が行かないということなのだろう。
 長男がこの13分の運動に挑戦していたが、最初の1分で、疲れたと言っていた。運動不足の主婦にとっては、ちょうど良い器材なのだと思う。

■2010年4月3日(土曜日)


花の国のゴジラ
 携帯電話が特定の会社経由でしか使えないようにしている制限が解除されるという記事を読んだ。年内にNTTドコモとソフトバンクの機種で乗り換えができるようになり、年末以降に発売される次世代携帯電話ではKDDIも可能になるという。
 今までは、自分の契約していない会社で欲しい機種が販売されても、契約する会社を乗り換えなければ、その機種が手に入れられなかったという不満があったので、その不満がかなり解消される。最近まで携帯電話は電話だけできればいいと思っていたが、アイフォンなどのパソコンに近い機能を持った機種が登場して、周りの人たちが次々と機種変更しているのを見て、かなり気になっていた。
 今使っている携帯電話は5年くらい使っているが、充電をしても2〜3日でまた充電が必要になり、アドレスの登録は一杯になっていて、さらに登録するには、誰かの情報を消さなければならないところまで来ていて換え時かと思っていたが、この記事を見てもう少し様子を見ようと思った。

■2010年4月2日(金曜日)
 昨夜から強風が続き、交通機関には大きな影響があった。羽田空港では最大瞬間風速が29mを越え、欠航が相次いだという。うちの職場は、南北の海に挟まれた台地の上にあるため、普段から風が吹く際には強風となる。陸上競技場に設置してある棒高跳びのマットは、つないであるベルトが引きちぎられ吹き飛ばされるくらいだが、今日はそれ以上の風だった。前に進もうとしてもなかなか進めず吹き飛ばされそうになった。
 午前中の気温は暖かかったので、暖かい格好をせずに出勤したが、午後からは、風向きが北に変わり急激に気温が下がったため、かなり寒い思いをした。桜は、花が咲き始めたばかりで、花びらが散ってしまうのではないかと思ったが、これほどの強風にも負けず、それほど散ることはなかった。桜の生命力を強く感じた。

■2010年4月1日(木曜日)
 高校無償化法案で、自民党の2議員が賛成に回ったということが、新聞の片隅に書かれていた。彼らは「党議拘束に反して賛成に回ったが、押しボタン方式の採決だったため押し間違いだったとみられる」という内容だった。
 賛成か反対かの2択のボタンを初めて押すのであれば、間違える可能性もあるかもしれないが、押し間違えるものなのだろうか?支持者はこの押し間違えをどうとらえるのだろうか?議員本人の意志で押した可能性はないのだろうか?などいろいろと思うことがあった。
 党に所属することで、議員本人の意志に反して押さなければならないことがあるので、郵政民営化のときには、議員が自分の意志に従った結果、「造反組」という言葉が使われ、自民党を離党した。何名かは結局復党したが、彼らは自分の意見を否定することで復党となった。支持者は、この180度の転換をどうとらえたのだろうか。政治は、わからないことだらけだ。



[昔のいずみ]