最近のいずみ

Last Update:2010/5/31

パートタイムアスリートいずみ 10年目に突入!! 


■2010年5月31日(月曜日)
 今日は、世界禁煙デーらしいが、報道番組では、インドネシアの2歳児が1日にたばこを40本吸っているという映像が流されていて驚いた。インドネシアでは、たばこは年齢制限が無く、子供が吸っていてもなんらおかしくないという。この子供の親は、今のところ健康だから何も心配していないというコメントをしていたが、今は問題なくても将来が大変だろうと言いたくなった。インドネシアでは、たばこの害については、あまり認知されていないのだろうか。たばこの売り上げが、国家予算の1割程度を占めるということで、たばこの売り上げに影響を及ぼす情報については、あまり流されていない可能性もある。先進国では、禁煙の流れに勢いが出てきたように見えるが、生産国にとっては、売り上げが減る動きに関しては迷惑なことなのかもしれない。
 環境問題も似たような感じだが、すべての国が同じ方向を向いていくことは難しいのだと思った。

■2010年5月30日(日曜日)
 長男と久しぶりに市内のプールへ行った。長男は、春休みや夏休みになるとスイミングスクールへ短期の講習に行き、少しずつ水に慣れてきている。前回一緒にプールへ行った際には、顔を水の中へ入れることができなかったが、今回は、水の中に入れることができ、成長しているなぁという実感はあった。しかし、本人は水が怖いため、ヘルパー(腕につける浮き輪)をつけなければ、なかなかプールへ入ることができない。ヘルパーがとれると、重心の位置を調整でき、泳ぎの練習も行いやすいが、ヘルパーをとることは嫌がったため、結局ヘルパーを付けた状態でバタ足などをした。バタ足は、どうしても膝が曲がってしまい、推進力にならならず、逆に後ろに進みそうな場面もあって困った。1時間半ほど、プールにいて、最後は、腰が上がって膝をあまり曲げずにバタ足ができたときには進むという感覚は少しはわかってくれたようだった。次こそは、ヘルパーを取らせて練習をさせたい。

■2010年5月29日(土曜日)
 日体大長距離競技会に出場予定だったが、火曜の練習の影響で大腿二頭筋の痛みが再び強くなってしまったため棄権し、学生たちの応援をした。
 1年生や今年から転部してきた学生は今年度最初のレースとなった。今年の1年生は、高校時代にある程度実績を残している学生もいるため、4年生よりも速く走るなど、走りを見ていてとても頼もしく思えた。転部してきた学生たちは、初心者なので、レースでは集団にも入れず後ろの方で走るしかなかったが、それぞれの自己ベストを更新し、やる気は高まったようだった。

■2010年5月28日(金曜日)
 政府は、普天間飛行場の移設先を辺野古と明記し、閣議決定した。この方針に反対し署名を拒否した福島大臣は罷免された。移設先が結局元通りで、自民党の行っていたことと変わらなかったということで、どこの政党が政権を獲得しても政治は変えられないという印象を残した。議員の人数は少ない政党ながら、最後まで抵抗した社民党は、沖縄県民のためにがんばったと思う。しかし、最大勢力の民主党の意向には抵抗しきれなかった。結局数あわせのための政党にしかならなかった。社民党は、今後連立政権から離脱するのか、それとも党内が分裂して、連立に残る人と離脱する人に別れるのだろうか。今後の動向を注目したい。

■2010年5月27日(木曜日)


梅の実
 次男は、幼稚園で、おむつ生活からパンツ生活へ変われるよう毎日トレーニングされている。今までは家からはおむつをはいて登園し、幼稚園でパンツに替えてもらって家に帰ってくるということを繰り返していた。家でも、毎朝起床後にトイレに行けるようになったが、いつもトイレにいけるわけではなく、遊んでいるときにはおむつで漏らしてしまうことが多い。うんちは、トイレでできる日もあればおむつの中にしてしまうこともあり、パンツで生活するには、ちょっとサポートする側が大変だと思っていたが、今日は、初めてパンツをはいて登園した。1日問題なく生活できたようで、話を聞いて褒めたところ、本人はとてもうれしそうにしていた。
 最近、次男のトイレに行く回数が増えているためか、2ヶ月に1回送られてくる水道使用量のお知らせを見ると、水道料金も下水道使用料も毎回高くなってきている。子供が大きくなり、風呂やトイレで使う水の量が増えているためだと考えられる。次男がおむつからパンツへ完全移行すると、おむつ代がゼロになった分、下水道使用量は値上がりするということなのだろう。

■2010年5月26日(水曜日)
 昨日の練習の影響で、今日は左のハムストリングスが張って、歩く動作でも痛みがある。全力で走ったつもりはなくてもスパイクを履いて走るとスピードが高まるため、強度が上がり、体への負担も大きくなるので当然の結果だったとも言える。ハムストリングスの痛みは、ある程度予想できた結果だが、腹斜筋群にも試合翌日のような筋肉痛が現れ驚いた。試合後に腹斜筋群の筋肉痛が現れるようになったのはここ1,2年のことだが、練習後に経験することは一度もなかった。それだけ、練習で体幹の筋肉が使われたということなのだが、裏を返せば、年々体幹の筋力が低下し、練習で走っているときの負荷にも耐えられなくなってきているとも言える。このまま放置しておくと、試合に出られない体になってしまうのではないかと思った。継続して練習できるよう努めたい。

■2010年5月25日(火曜日)
 学生たちと久しぶりに練習。300mを15分休息で3本走った。3本とも40秒を切って気持ちよく走れればいいと思って臨み、38秒5、39秒6、40秒6という結果で、後半は苦しみながら走った。まだ左の大腿二頭筋の違和感があり、全力で走ることができないので、1本目は様子見という感じで走ったが、意外と速く走れた。2本目以降は、全力を出そうとしても体が動かない状態で、最後の100mはもがいて走っていた。3本目はさらにもがく距離が長くなり、体が硬直しながら走っているようだった。スパイクを履いて強度の高い刺激が得られたのは久しぶりだった。一人で走ると妥協した走りとなり、スピードが上げられないが、一緒に走ったり引っ張ってくれる人がいると、格段に走りやすい。
 人と一緒に走ると、楽に走れる感覚はあるが、その感覚は、今のところ数値としては表せない。こういう感覚を数値として表すことができれば、今までにない研究になるのではないかと思った。

■2010年5月24日(月曜日)
 発熱などは全くないが、日増しに咳がひどくなってくる。日中はそれほどでもないが、夜になるとひどくなり、特に寝ているときに激しく眠れていない。次男も似たような症状なので、2人で病院へ行った。
 病院では、症状を聞かれ、胸と背中に聴診器をあてたくらいで、「咳は長引くことがありますから」ということを言われ、薬を処方された。薬局へ行って薬をもらうと、かなりの種類があり、支払った金額は自分の薬代だけで3000円近くになった。はっきりとした診断をするのが難しいので、心当たりのある症状に対し対処できるよう薬を処方したのだとうと思った。

■2010年5月23日(日曜日)


円盤投げ
 関東インカレ最終日の応援に行った。出場者は円盤投げの1年生だけだったが、昨日の砲丸投げでは3年生が1位と2cm差で2位という結果を残していて、投擲パートの勢いとしてはとても良く、その勢いを引き継いで欲しいと思っていた。
 天候は雨のため、サークル内で滑って転ぶ選手がいるなど、コンディションとしてはあまり良くなかった。大学院の部では47m台の大会新が出るなど好記録が出ていたが、2部は、優勝が45m台で、40m越える選手が数えるほどしかおらず、多くが30m台の戦いだった。出場した1年生も、特殊な生活環境に置かれたばかりで、練習もあまりできていないこともあり、記録は30mに届かず、力が発揮できなかった。まずは練習を継続できる環境を自ら作ってもらい、秋の大会で来年度の標準記録を突破し、来年のこの大会につなげて欲しい。

■2010年5月22日(土曜日)


玉入れ




徒競走
 小学校の運動会を見に行った。PTAで広報委員を担当しているため、低学年全体の写真を撮影した。写真を撮るという理由で、グラウンドの中に入って撮影ができたため、我が子の写真もグラウンドの外からの撮影と比べ、大きく撮影できたのが良かった。
 子供の小学校は、市の中でも最も子供の数が少ない学校の一つということで、1日の運動会を行うには、それぞれの学年で5〜6の催し物を行う必要があり、各学年とも子供の数が20名前後のため、二学年が同時に行う催し物も多かった。徒競走などは、スタート前に子供の名前が一人一人放送してもらえ、大人数の学校ではあり得ない特徴があった。しかし、子供たちの名前は、男女問わず、さん付けで呼んでいてとても違和感があった。男の子はくん付けなのだというこちらの偏見なのかもしれないが、自分が子供の頃に、先生からさん付けで呼ばれたら、女の子の扱いを受けているような気分になるという感覚があるからで、どうしても今の学校の常識について行けない。徒競走では、順位をつけない学校もあると聞くが、今回は、学年混合の紅組と白組の対抗戦で、それぞれの結果が得点となるため、しっかりと順位は決められていた。この部分は、昔と変わらなかった。
 長男の参加した玉入れでは、玉を入れるかごが小さかったため、かごに入る玉の数が多く、数えるのにかなりの時間がかかった。そして最終的に96対96で引き分けという珍しい結果となった。紅白両者が喜べたというのは、とても良かった。
 次男は、午前中のうちに退屈になり「おうちへ帰りたい」と言っていたが、なんとか食べ物でごまかして最後までつきあわせた。1日中日の当たる場所にいたのが疲れたのか、帰りはだっこをするとあっという間に寝てしまい、12〜3kgの次男を担いで帰らなければならなかった。

■2010年5月21日(金曜日)
 左の大腿二頭筋の痛みがかなり回復し、全力の8割程度であれば痛みなく走れるようになり、久しぶりにスパイクをはいて走ってみることにした。中距離種目は、もともと全力で走る局面はなく、8割くらいの力であれば、ちょうど専門種目の練習になるということで、800m、600m、500mを20分休息で走ってみることにした。
 800mは、2周目に入ると、片脚支持の際には、自分の体が支持できず、膝が曲がるような感じがあり、きちんと走ることができなかった。全力ではなかったはずなのに、体の状態は全力と変わらないような疲労感に包まれた。600m、500mと走るにつれ、結果的にはスピードを上げることができたが、フォームを崩さずに走りきることはできなかった。思ったような走りにはならなかったが、今までは練習ができなかったので、練習ができたということだけで大きな進歩なのだと自分で自分を納得させるしかなかった。

■2010年5月20日(木曜日)
 横須賀美術館に併設された谷内六郎館から、作品がすべて撤去される可能性が出てきたとのニュースが報道されていた。横須賀市と遺族との間で交わされていた覚書に書かれている内容がいくつか守られていなかったという理由で、遺族が寄贈した作品すべてを2週間以内に返還して欲しいと求めている。覚書には、谷内氏の長女に作品の調査研究のための専門委員としての委嘱料を毎月22万円支払うこととなっていて、今年の3月までは支払われていたが、現在の横須賀市長は、市議会議員時代から、この値段は市民感覚から高額で財政が厳しい市の事情から考えると必要ないのではないかと訴えていたことから、今年度は市の予算に計上しなかったという。
 両者の合意で行われていたことが、遺族の主張するように話し合いなく一方的に市の予算から削ったのであれば、話し合いの場を持って解決するしかない。しかし市長の言う市民感覚からは、受け入れられないという意見もその通りだと思う。どういった調査研究が行われているのか、その結果をどこで発表しているのかという業績を示してもらえると判断しやすいのかもしれない。 

■2010年5月19日(水曜日)
 2週間ぶりにパワーマックスをした。パワーはそれほど変わらなかったものの、回転数が以前よりも急激に落ちた。前半に回転数が上げられなかった分、後半はなんとか回転数を維持できている。この状態がそのまま競技結果に出ていて、前半のスピードについて行けない感じがしている。
 1年生も初めてこの練習をして、かなりきつそうだった。後半は急激に回転数が落ち、自分の意志ではどうしようもないという感じだった。週に1,2回はクロストレーニングとして練習に取り入れ、競技の動きにもつなげていって欲しい。

■2010年5月18日(火曜日)
 NHKのクローズアップ現代でにおいのビジネスについて特集していた。子供たちに自然のにおいと人工のにおいをかいでもらったところ、人工のにおいを好む子供の方が多かったという。自然のにおいは、複雑なにおいが混ざってできたものだが、人工のにおいは、対象とするものに特化しているため、本物を知らない子供たちは、普段から慣れている人工のものを好むようになってしまっているという分析をしていた。日本は、香道が発達するほど、微妙なにおいをかぎ分けてきた国だったはずだが、今の子供たちの生活環境を考えると、そういった文化は継承されなくなるのではないかと思った。
 家で食事をしていると、自分も子供も「おいしい」と言いたくなるおかずがあったときに、作ってくれた妻に感謝の言葉を伝えるのだが、そのおかずは妻が作ったものではなく、加工食品だったりする。こうして、妻は、時々家族の素直な「おいしい」という言葉を聞くと傷ついていたりする。においの話ではないが、我が家でも人工的なものに慣らされているというようなことが起きていて、人ごとではないなぁと思った。

■2010年5月17日(月曜日)
 相変わらず咳は激しく、左の臀部からハムストリングスにかけての痛みも続いている。また、両側の腹斜筋や左の内転筋が筋肉痛になっている。普段走っていない人が、急にレースに出るのだから、当然の結果なのかもしれない。
 最近、舟状骨骨折の手術をした左手首の可動域が改善してきている。毎日風呂に入ると、医務室で行ったリハビリを真似て、湯船の中で痛みをこらえながら手首を動かすようにしている。以前は、腕立て伏せの姿勢ができなかったが、最近は腕立て伏せの姿勢だけでなく、腕立て伏せができるようになってきた。手首に体重をかけるとまだまだ痛みはあるが、その痛みも少しずつ緩和し始めている。改善が見られると、ますますリハビリをがんばろうという気持ちになる。この良いサイクルを続け、完全な回復を目指したい。

■2010年5月16日(日曜日)


馬堀海岸
 東日本実業団800mに出場。自分の出場した第1組には、日本選手権で優勝したことのある選手が2名いるなど、かなりレベルの高い組だったが、記録の上位者2名が欠場し、あまり記録の出そうな組みではなくなってしまい、1周目のペースが遅くなることが予想でき、体の具合の悪かった自分としては都合が良かった。
 スタートしてから、誰とも接触せず、自分のペースで走ることができた。先頭は1周目を56秒台で通過し、自分は57秒4で5番手の通過となった。残り300mから少しずつペースが挙がったように見えたが、なんとか集団にはついて行くことができ、残り110mくらいから、急激なペースアップがあり、そこで離されてしまった。後は、動かなくなった体を必死にもがきながらフィニッシュラインまで走り5着でフィニッシュした。タイムは1分56秒04だった。この1ヶ月、運動をしてもジョギングばかりで、ほとんど走っていなかったことを考えると、このタイムでよく走れたと思う。走り終わった後は、急に咳が激しく出るようになり、体の状態としては、少し悪化させてしまったような気がする。

■2010年5月15日(土曜日)


荒川運動公園の木
 喉の痛みは楽になってきたが、まだ咳や痰が出たりする。午後からは熊谷へ移動するなど、今日は人と話すことがほとんどなかったのが良かったのかもしれない。
 熊谷は10年ほど前に生活していた地域だが、駅の北側は、少しずつ発展してきているように見え、駅の南側は、以前と全く変わらない雰囲気を残していた。荒川河川敷まで散歩をしたが、時間が止まったようにゆったりとしてのどかな景色だった。

■2010年5月14日(金曜日)
 昨夜は、寝ているときに何度も激しい咳をして、苦しい思いをした。起きたときに出した鼻水と痰は濃い黄緑で、自分の今の体調はあまり良い状態ではないことがよくわかった。月曜日に内科に受診し薬を処方してもらったが、この4日間で悪化し、薬も飲み終わってしまうため、医務室へ受診した。今の症状を伝え、外の医者で処方された薬のリストを見せたところ、先生はちょっと首をかしげるようなそぶりを見せた。今の症状には合わない処方だったのかもしれない。今回処方された薬は、前回とは全く違うものだった。

■2010年5月13日(木曜日)
 今日も授業後は、かすれたひどい声になっていた。夕方からは、屋外で学生の体力測定をしたので、さらにかすれ方がひどくなった。そして夜は、学内で行われた懇親会に参加し、思うように声が出ないため、積極的に人と話すことができずもどかしかった。
 職場では、ほとんど咳は出ないのに、帰宅すると急に激しい咳が出始める。妻は、家の中の空気が悪く、鼻や喉が敏感になっているためではないかと考察していた。外壁工事のときに空気の入れ換えがほとんどできず、締め切った状態でカビが繁殖していたので、その影響はいまだにあるのかもしれない。

■2010年5月12日(水曜日)
 のどの違和感は続き、授業で声を出すので、声はどんどんかすれていき、学生にも声が伝わりにくくなってきた。帰宅してからは激しい咳が出るようになり息苦しいときもある。喘息はこれがもっとひどくなったものだろうと想像すると、喘息にかかっている人の苦しさも少し理解できるような気がした。口で呼吸をするとのどの具合がさらに悪化するので、ランニングもできない。困った・・・

■2010年5月11日(火曜日)
 柔道の谷亮子選手が参議院議員選挙に出馬するというニュースに驚いた。選挙に立候補するために3月末には所属先のトヨタ自動車を退社していた。議員に当選したとしても選手を続け、ロンドンオリンピックでの金メダル獲得を目指すという。最近は、出産や子育ての影響もあってか、日本人選手にも勝てないこともある。そんな状況で、さらに別の仕事も抱えて臨むという姿勢がすごい。競技へのモチベーションを保つためには、何らかの変化が必要だったのかもしれない。橋本聖子さんも国会議員でありながらオリンピックに出場していた前例もあり、本人が決めたことなのだから、やっていけるという自信があったのだと思う。スポーツ選手の代表として、子供を育てている母親として、それぞれの立場の声を国政の場に伝えられる人となって欲しい。

■2010年5月10日(月曜日)
 この1週間ほど次男は、咳と鼻水がひどい。うがいができず、マスクもマスクをつける意味が理解できずすぐに取ってしまうので、こちらもつけさせることはあきらめている。そういう状況なので、家族みんなが咳をするようになり、みんな何となく具合が悪い。
 自分も土曜日から、少しずつのどが痛くなり、今日の午前中からは、声がかすれ始め、午後からの2コマの授業が終わった頃には、完全にかすれ声となり、声を出すのが辛くなった。
 これ以上ひどくできないので、病院へ薬を処方してもらいに行った。「風邪ですね」と診断された。診察までは長い間待たされたが、診察は一瞬で終わってしまった。のどの痛みが最も気になるため、脚の痛みが以前よりも気にならなくなってきた。処方された薬には、痛み止めもあるので、これを機会にすべての痛みが忘れられれば、と思う。

■2010年5月9日(日曜日)


カブトムシの幼虫のために
土の入れ替えをしました
 長男が、運動会のリレーの選手に選ばれて走り方を教えて欲しいというので、彼の走りを見ることにした。背中は丸まり前傾しすぎ、肘は伸びたまま腕を振り、足は地面をベタベタとつきながら走っているため、地面からの反発が得られていなかった。いろいろ言っても仕方ないので、走り方を教えてくれるテレビ番組の映像を見せて走り方をイメージしてもらった。
 ビデオを見る前に50mを2本走って2本とも11秒4だった。ビデオを見た後にまた2本走り、11秒3と11秒4という結果となった。ビデオを見ただけでは速く走れるようにはならなかった。頭の中でイメージができ、そのイメージを実現するために練習をしてもらわなければならない。今回のビデオを見ることで、どう走ったらいいかは理解できたようで、いくつかのキーワードを言うことで、それを意識できるようにはなり、共通の認識ができたのではないかと思った。

■2010年5月8日(土曜日)


足場を組んでます
 家電量販店へ行った際、なんとなく店内を歩いていたら、3Dテレビに遭遇した。映像は2重になっていて専用のメガネを通して見なければならない。映像は海の中で魚が泳いでいるもので、メガネを通して見てみると、魚がテレビの画面から飛び出し、奥行きもしっかりと感じられ、実際に海の中を潜っているような錯覚に陥った。すごいなぁと思って集中して見ていると目がかなり疲れる。3Dの映像に対応した放送がどのくらい行われているかわからないが、わざわざ3Dで見て、目を疲れさせる必要もなく、この商品が売れるようになるのだろうかと思った。
 続いてマッサージ器のコーナーへ行き、子供とマッサージ器を体感してみた。フットタイプやチェアータイプがあったが、子供は、どのマッサージ器を使っても、くすぐったいと言っていた。子供には筋肉の凝りはないようで、マッサージが気持ちいいと感じるようになったら大人ということなのかもしれない。マッサージ器は、昔よりかなり進化して、いろいろな動きをするようになったが、機械の動きなので、手動の設定でも「強」と「弱」の2段階か「中」の入った3段階の設定で、物足りなかったり、逆に痛かったりする。部位についても細かい設定はできるもののボタンがたくさんありすぎてちょっと面倒に思えた。高い金額を払って購入するより、たまにお金を払ってマッサージにいく方がいいような気がした。

■2010年5月7日(金曜日)
 昨夜は、棘下筋や小円筋の上腕骨頭付着部付近に微弱電流を流しっぱなしにしたおかげか、痛みはかなり緩和した。押さえれば多少痛みはあるが、それほど気にならなくなった。結局、相対的に左の臀部やハムストリングスの痛みの方が強く、痛みを忘れることはできなかった。

■2010年5月6日(木曜日)
 授業の際に、懸垂逆上がりと長座状態での懸垂をした。懸垂をしたときに左肩周辺に鈍い痛みがあり、棘下筋や小円筋の上腕骨頭付着部を押さえると右側とは、明らかに違う痛みを感じた。直ちに氷でアイシングをしたが、特に痛みに変化はない。ランニング時の腕振りには、全く影響がないが、日常生活のちょっとした動作をするときに、違和感がある。肩の痛みを気にしているうちに大腿部の痛みを忘れられれば、スピードを上げて走れるようになるかもしれない。コンディションは走るという状態からはどんどん離れていく。今は走ることよりも別のことをしなさいと体が教えてくれているということなのだろうか?

■2010年5月5日(水曜日)
 普天間基地の移設問題は、首相が沖縄へ行き、県外移設断念についての説明があり、県民に理解を求めた。自民党は、約束と違うではないかと非難し、社民党は、政権からは離脱せず、最後まで県外移設を追求するとのコメントをしていた。
 すべての人が納得できる結論は、絶対に出せないということは明らかで、どこかで妥協しなければならないことは、誰もがわかっている。社民党は、沖縄県民のためになんとか県外移設をと叫んでいるが、どのくらい具体的な地域名は挙がってるが、それ以上の細かい話は新聞やテレビでは報道されていない。自民党は非難するだけでなく、どうしたら最適解が得られるか、今まで政権を担ってきた党として様々な情報を持っているはずなので、そういった情報を提供して協力するということはできないのだろうか。
 どの党の発言も参議院選挙を視野に入れての発言で、選挙のことしか考えていないように見えてしまう。選挙のことは後回しにして、まずは、日本の安全保障について深く議論し、みんなで解決方法を探して欲しい。

■2010年5月4日(火曜日)
 修士論文の分析をやり直してみると、とうやって分析していったらいいのだろうという当時の思いがよみがえってくる。当時の自分が記述したメモをみると、今考えていることと同じことが書いてあったりして、結局同じところでつまずいていることがわかる。本来は、実験前にそういった問題を考慮して実験計画を組み、対処していくべきなのだが、すでに終わってしまっている実験なので、そういったことができない。当時の準備不足というのを痛感し、ため息ばかりが出てくる。

■2010年5月3日(月曜日)


浜で遊ぶ子供たち
 近所の子供たちのお友達家族と観音崎でバーベキューをした。朝7時半ごろ場所取りに行った時点で、かなりのバーバキュー客が来ていて、すでに炭に火をつけていた。彼らは、バーベキューを朝食にするつもりなのだろうか?いったい何時からきているのだろうか?など、様々な疑問が頭の中を通過していった。
 我が家はバーベキューを昼食にするつもりで、11時過ぎに動き出した。炭に火をつけるのにいつも通り1時間近くかかり、炭に火がついてもなかなか火力が上がらず、子供たちはしびれを切らして海に遊びに行ってしまった。火力が安定しない間に少しずつつまんでいたためか、火力が安定した頃には、お腹が一杯という感じだった。次は、ガスバーナーを用意して、強引に火をつけてみようと思う。
 次男は、1歳のお友達と仲良くしていた。お互い、ほとんど会話がないのに、笑ったり、手をつないだりして楽しそうにしている。言葉がなくても通じ合う何かがあるように見え、子供のコミュニケーション能力に感心した。

■2010年5月2日(日曜日)
 自分の修士論文を読み返すと、恥ずかしくて読んでいられなくなる。何が書いてあるのか全くわからない。よくこれで審査を通過したなぁと思う。修士課程を修了して3年が経つが、ずっと見直してまとめ直さなければという考えが頭の片隅にあった。関連した文献だけでも膨大な量があり、あれから3年の間に、新たに関連した文献も当然増えている。気が重くなるが、ずっと修士を終えた気がせず、その気分を晴らす必要と、職場で行われる研究会に何か題材を提供しなければならなくなったため、重い腰を上げて、見直し始めた。自分が納得しつつ、他者にも理解できるようまとめていきたい。

■2010年5月1日(土曜日)


願掛け撫で牛
(久里浜天神社)
 次男は確実に語彙を増やしているが、自分の表現できないことでもなんとか自分の語彙で対処しようと努力しているところが、ほほえましく感じられる。
 最近は、お腹がすいて何かが食べたいときに「お腹すいたい」と言う。「お腹がすいた」と「食べたい」という言葉が合わさってしまっている。逆に、お腹が一杯になったときには、「お腹すいたくない」と言う。お腹が一杯なので、もう食べたくないということを彼なりに表現した結果出てきた言葉なのだと思う。
 テレビを見れば、テレビから聞こえる言葉を同じように復唱し、一人で遊んでいるときにも、日本語にはなっていないような謎の言葉を発している。長男とけんかした時には、怒っているのはわかるが、何を言っているのか全くわからず、家族みんなでどうしたらいいのだろうと一瞬固まることもある。
 「作る」を「くちゅる」、「がんばる」を「ばんがる」と言うなど、本来の発音とはちょっとずれた言葉もある。連休に入って家族が一緒に過ごす時間が長くなり、次男がどんな言葉を発するのか、毎日楽しみにしている。



[昔のいずみ]