最近のいずみ

Last Update:2011/1/31

パートタイムアスリートいずみ 11年目に突入 



■2011年1月31日(月曜日)


昨日の雪の跡
 長男は、最近、ちょっとだけ遅刻をしていて困っているのだという。友達がゆっくりと歩くためそれに合わせてゆっくりと歩き、最後は走らないと遅刻する時間になるため、友達に「走ろう」と説得するが、友達は急がず、結局自分だけが走りちょっとだけ遅刻してしまうことになる。その友達は、完全に遅刻となり、遅刻するたびに先生に説教をされているという。長男は、友達に対し、時間ギリギリまで走るように説得したり、友達が追ってくることを期待し、少し走って逃げてみることをするそうなのだが、全く効き目がなくどうしたらいいのかと嘆いていた。友達が話を聞かないのであれば、早めに見切りをつけて、走っていけばいいのに、それをせずに説得を繰り返すとは、長男は、なんと忍耐強いのだと思った。
 長男の小学校では、通学班がなく、子供たちは、近所の友達と登校している。通学班があれば、高学年が低学年の面倒を見ながら学校へ連れて行くので、遅刻することはなく、学年間の連携も強くなる。学校では、学年間で交わることがないために、授業時間に縦割り学級という授業を開講し、別の学年と遊んだりすることで、何とか学年間で交わる機会を作っている。それで授業時間を割くのであれば、通学班を作れば必要なくなるのではないかと思えてくる。高学年は、責任が伴うので、通学班で何か合ったときに子供に責任を取らせるのか?という苦情が以前あったのかもしれない。大人の責任回避の考えが、子供たちにも大きく影響しているのではないかと思える話題だった。

■2011年1月30日(日曜日)


雪雲
 横須賀では珍しく雪が降った。横須賀へ来て5年近くが経つが、これほどの雪はこれまでにはなかった。次男は、雪を見たことがなく、初めて見る雪に大はしゃぎしていた。初めは、目をこらして見ないと見えない程度しか降っていなかったのだが、時間が経つにつれ雪国のように視界がぼやけるほどの降雪となった。「雪は冷たくなく、すぐ消えちゃう」というのが次男の雪にふれた感想だった。

■2011年1月29日(土曜日)


小学生の器楽演奏
 幼稚園のリズム発表会があり、横須賀で最も大きなホールのあるよこすが芸術劇場へ行ってきた。次男は、初めての発表会で、音楽に合わせて踊ったり、歌ったり、楽器の演奏を行った。踊りは、友達同士で見合って、所々で動きが止まり、烏合の衆という感じだった。歌と楽器の演奏は、きちんとしていたが、時々よそ見して休憩していた。3歳の子供がやっていることなので、先生はよくここまでまとめ上げたなぁという印象だった。
 長男も参加した幼稚園を卒園した小学生3年生までの子供たちの合唱と器楽演奏は、幼稚園生とはレベルが違っていて、特に「威風堂々」の演奏はすばらしかった。長男は、幼稚園の時から、合唱しているときに時々あくびが出るのだが、今日も同じようにあくびしながら歌っていて、妻と共に笑ってしまった。

■2011年1月28日(金曜日)
 暖房のある部屋にいても、足下が冷たく、体の芯が冷えた感じで、1日中寒かった。職場の売店に、1〜2ヶ月に1度健康グッズを販売に来る方が、今日は来ていたので、アイシングジェルを買いに行き話をした。お店の方は、気功の使える方で、こちらの、体に手を近づけ、気がとても弱っていることを教えてくれた。自分の感じている体調通りだった。
 最近、朝起きたときに、自分が歯を食いしばって寝ていることに気が付く。寒いためなのか、何らかのストレスがあるためなのか、よくわからないが、あまり良い感じではない。以前、歯の食いしばっているために、歯が削れてしまっていることがわかり、それをを防ぐため歯医者でマウスピースを作成してもらったことがあったが、完成するまでに何度も通わなければならないため、予約していた時間に都合が悪くなり、キャンセルしたのをきっかけに途中で行くのをやめてしまったことがあった。もう一度歯医者へ行ってみた方がいいのかもしれない。

■2011年1月27日(木曜日)
 子供と風呂の湯船に入り、湯船に頭をもたれかからせ、目をつぶったところ、突然次男がのど仏を触ってきた。「これ何?」という感じで、自分にはない不思議な突起に見えたようだった。以前は、髭を頻繁にさわられ、自分も髭が欲しいと言っていたが、のど仏も欲しいとのことだった。大人になったら当たり前のことでも、小さな子供にとっては、すべてが新鮮で、視点が違うなぁと感じる瞬間だった。

■2011年1月26日(水曜日)


リス?
 島根、宮崎、鹿児島に続き、実家のある愛知県でも鳥インフルエンザ発生の疑いが出てきた。鳥インフルエンザが発生すると、発生した養鶏場の鶏たちはすべて殺処分となる。「殺処分」という言葉を聞いたときに、鶏をモノのように扱っているように聞こえ、違和感があった。毎日卵を人から搾取され、人間の都合に合わなくなったら殺されてしまう。気の毒でならない。鶏たちに感情があるのかどうかわからないが、一斉に殺されてしまう瞬間、どう感じて死んでいくのだろうか。殺処分は万単位という想像できないほどの数で、殺処分をする人たちにとっても、生き物を殺すという大きな苦痛が伴うことだろう。人には発症した後タミフルが処方されるが、鶏たちには何もない。鶏の回復を促すようなエサはないものだろうか?と思う。

■2011年1月25日(火曜日)
 サッカーのアジアカップで日本対韓国の試合がテレビで放送されていた。最近のサッカーは本当に相手の反則によって倒れたのだろうか?と疑問に思える動作をよく見る。審判もわざとやっているのか本当に倒れたのかを見極めるのが大変なのではないかと思える。
 日経新聞のスポーツ欄に、サッカーの統一ルールを定めた時には、主審は存在しなかったというコラムが載っていた。ルールを守ることは当たり前で、反則があっても故意ではないと見過ごされるほど紳士のフェアプレー精神があったという。今のサッカーは、反則をしているのに、反則をしていないような振る舞いでアピールした、、相手の反則を誘うようなプレーが目立ち、イエローカードやレッドカードが審判から出される。サッカーが始まった頃の人たちが、今のサッカーを見たら、サッカーではないと言うのではないか。子供たちは、トップクラスの選手たちの動作をまねをしながら育っていく。子供たちのためにも、選手たちは審判がいなくても試合のできるような、紳士な振る舞いをして欲しいと思う。

■2011年1月24日(月曜日)
 600m×5を休息200mのジョッグで行った。8割くらいのスピードで気持ちよく走るつもりだったが、気持ちよくスピードを出せたのは、1本目の200mまでで、その後は脚が自分の体重に耐えられず潰れた走りになってしまった。2本目以降は1000mのペースよりも遅くなり、さらに3本目は、ペースが遅くなっているのに、呼吸が異常に苦しくなり、止まりそうになった。タイムは2分07秒もかかり、中止しようかと思うほどだった。4,5本目は多少タイムを戻したが、呼吸の苦しさは変わらず、気持ちよく走る動きのトレーニングをするつもりだったが、呼吸循環器系のトレーニングになってしまった。

■2011年1月23日(日曜日)


はやぶさの模型





ルナリングの模型
 国立科学博物館で行われている空と宇宙展の招待券が懸賞で当たったので、長男と見に行った。招待券を入り口で見せたところ、1月10日に使用期限となっていて100円の割引券としてしか使用できないと言われ、ショックを受けた。ここまで来て帰るわけにも行かず、仕方なくチケットを購入した。入り口では、自分たちと同じ招待券を見せて期限切れだと言われている家族がいて、自分たちだけではなかったと意味のない安心感を得た。
 特別展示場へ入ってみると、思っていたよりも狭いスペースで展示が行われていた。飛行機やロケットの歴史が大半で、最後の方にメインとなる「はやぶさ」や「イカロス」の展示があった。長男が細かい質問をしてくるのだが、自分も理解していないことばかりなのでなかなか説明が難しかった。エンジンがたくさん展示してあったが、そのエンジンの価値が理解できず、ただ置いてあるという認識にしかならなかった。長男は自分以上に何が展示してあるのか理解できなかったのではないかと思う。今回の展示で最も驚いたのは、月の赤道に太陽電池パネルを敷き詰め、そこで作った電気を地球に送るルナリングという構想。石油が枯渇した後のエネルギー確保をどうするかとということを考えると、おもしろい構想だと思う。
 国立科学博物館は、特別展示の他に、地上3階地下3階の地球館と地上3階の日本館があり、1日ではすべてを見切れない量の展示があった。長男は、映像を一つずつ見たり、すべての体験をしたかったようだが、時間が全くなく、早足ですべてを通過して、閉館時間となった。次は、時間をかけてゆっくりと見学したい。

■2011年1月22日(土曜日)


作品と一緒に
 横須賀美術館で児童生徒造形作品展が行われており、長男の作品も展示されているというので、家族で見に行った。市内の小中高校の代表作品が展示してあり、長男の小学校は13枚の絵が展示され、その中の1枚として長男の作品が飾られていた。学校の代表として展示されているので、長男は絵を見た瞬間はうれしそうだったが、こちらが「すごいじゃん」と声をかけ、写真を撮ろうとすると、うれしい顔はやめ、何でもない無表情な顔になってしまった。普段は、怒られることが多く、なかなか褒められないためか、褒められても素直に受け取れないのかもしれない。日常でもできるだけ褒められることを探さなければ、と思った。

■2011年1月21日(金曜日)


朝の海
 昨日からまた授業で走り幅跳びをするようになり、学生に説明するためにジャンプを重ねていくと、アキレス腱の違和感が強くなってくる。ジャンプした直後は、違和感が強いが、時間が経てば緩和してくるので、まだ深刻な状況ではない。
 今日は、昨年春から夏まで苦しんだハムストリングスの痛みが復活し、アキレス腱の痛みよりも不安になった。ジョッグをしている際に気になっただけなので、それほど強い痛みではないが、慎重に対処したい。

■2011年1月20日(木曜日)
 1000m×5を3分10秒の設定で行った。1本目は3分11秒台で設定近くで走れたが、2本目以降は、全く走れず、中盤は3分30秒近くまで落ちた。1週間近く走らなかったので、ある程度リフレッシュできているつもりだったが、火曜日の筋肉痛は相変わらずひどく、全身が疲労している感じだった。設定タイムくらいの強度に慣れるには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

■2011年1月19日(水曜日)
 朝から全身が筋肉痛で、体が動かしづらかった。先週はスキーのため全く走れず、この2日間は久しぶりに強度は低いながらも長めに走ったために筋肉痛になったのだろうと思った。下肢の筋肉痛はそれで納得できたが、上肢の筋肉痛には納得できず、よく思い出してみたところ、体育の補習をした際に、学生と腕立て伏せやジャンプの動作を一緒にやっていたことを思い出した。準備運動の一部としてやった運動で、そのときは何でもない運動だった。昨年は年間を通してほどんど練習をしていないので、試合に出た後にはいつも筋肉痛になっていたが、準備運動だけで筋肉痛になるほど体が弱くなっていることにショックを受けた。アキレス腱に違和感があっても上半身のトレーニングはできるので、できる範囲でやっていかなければ、と思った。

■2011年1月18日(火曜日)
 布団を見るため布団屋へ行った。最近は、敷き布団も掛け布団もあまり綿布団が売れなくなり、綿布団の方が逆に値段が高い傾向があるとのことだった。敷き布団ではウレタンでできたムアツ布団がよく売れているようで、ムアツ布団を薦められた。ムアツ布団にも通気性やコンパクト性を重視した商品などいろいろとあったが、においがなく、汗をかいてもにおいが残らないという炭入りの商品が気に入った。ムアツ布団は、太陽に当てて干すと劣化が速くなるので、干す必要はないというのがますます気に入った。布団は10年くらいが換え時とのことで、我が家の布団は、ちょうど10年くらい経っていることもあり、換え時としても適度な時期だという判断もあり購入することにした。今まであまり布団のことなど考えたことがなかったので、とても勉強になった。

■2011年1月17日(月曜日)
 普段の平日に戻り、授業が始まった。妙高高原の気温は氷点下だったが、横須賀の方は、気温は一桁台。中途半端な寒さのためか、ちょっとした風が冷たく感じる。家の中は、エアコンを入れないとかなりの寒さで、布団の中からなかなか出られなかった。職場の暖房は、午前中は8:30〜10:30までしか動かないらしく、8:30の時点では、あまり暖かさは感じられないので、暖房が入っているのは実際は2時間もない。足下が冷たくなるほどで、とても寒かった。
 昼休みは、50分ほどのジョッグをし、雪のないところで、久しぶりに自由に動き回れた気がした。スキー中は、ほとんど足を使わなかったので、アキレス腱の具合はかなり良くなっていた。ある程度走ると違和感は感じるが、痛みというほどではない。このまま回復してくれればと思う。

■2011年1月16日(日曜日)


混み合うスキー場



黒姫高原駅
 訓練隊長から、訓練の評価をする際の基準となる動作についての動画を撮影し、教官に示すようにと指導を受け、訓練の本部要員の3名でビデオの撮影にスキー場へ行った。雪が激しくなってくる中で、初級、中級、上級のプルークボーゲン、プルークターン、パラレルターン大回りと、上級のパラレルターン(小回り)を撮影した。自分は、初級用の動作を担当したが、最終的に自分の動作は中級用として使用することとなった。今日は、昨日までの講習を思い出しながらの滑りだったが、緩斜面での動作だったため、注意すべき点をある程度意識して滑ることができたため、自分でもうまく滑ることができたのではないかと思った。自分の滑った時の映像を見たが、きちんと滑れていて、3日間講習を受けてきた甲斐があり、少し自信が持てた。
 午後からは、横須賀へ戻った。妙高高原駅へ行ってみると雪のため列車は走っておらず、隣の黒姫高原駅までパスで代替輸送となり、黒姫高原駅から列車に乗ることができた。長野まで来ると雪の量はかなり減り、上田駅までくると、それほど雪は積もっておらず、佐久平では、雪は、うっすらと存在する程度、降雪していなかった。同じ長野県でも、地域によりかなり積雪の量が違うことを感じた。

■2011年1月15日(土曜日)


電話ボックス上の雪
 午前中は、昨日同様に「谷プルーク」と「トップ出し」の講習を受けた。毎日「左肩が上がる」と注意される。自分では、注意点を意識して動きを変えているはずなのだが、全く変わらないようだ。講習3日目になるのに、今日の方が昨日よりもうまくできず、また自信を失った。8名中、6名は、SAJの2級以上の力があると言われ、自分は、3級くらいだと言われた。講習中は、一人だけ動作ができず、お荷物的なところがあったので、それでも級がとれそうなくらいには、上達したのだと喜ぶべきなのかもしれない。
 午後からは、別の先生が講習を担当し、全くスキーをしたことのない初心者への指導について、一人一人に質問をしながら、実際に自分たちで動作を練習した。リフトで先生と話したときに、ボーゲンで使っている内股の力を解放するだけで、簡単にパラレルになるというアドバイスをもらい、それだけを考えて実際に滑ってみたところ、意外と簡単にパラレルになった。同じ内容でも、話し方次第で、簡単にできることもあれば、全くできないこともあるということを実感した。

■2011年1月14日(金曜日)


つらら
 天気予報では、1日雪の予報だったが、午前中は晴れて、気持ちよく講習を受けることができた。講習は、昨日の復習が主だったが、昨日よりは、先生の指導に近い滑りをする回数が増え、昨日沈んでいた気分もいくらか回復した。外側荷重で内側の足を上げる動作など、講習班の中で自分だけできないということもあったが、間違いなく昨日より進歩していることを実感し、うれしくなった。
 午後は、前半は、午前中の続きを行い、後半は、自衛隊スキーを履いた。スケーティング動作は難しく、下り坂では、直滑降はできるが、うまく回ることができず、2回ほど転んだ。昨年に続き2回目だったが、上り坂は昨年より楽に登ることができ、汗もあまりかかなかった。また、機会があれば体験したい。

■2011年1月13日(木曜日)
 この冬一番の積雪だった地域が多数あったというニュースを見たが、池ノ平スキー場も1日中雪が降り続いていた。今日から講習が始まり、昨年と同じ先生が担当となった。「トップ出し」と「谷プルーク」をキーワードに講習は展開され、昨年と同じ内容だったが、1年ぶりのスキーということもあり、先生の指導通りに体を動かすことはできず、先生も苦笑いという感じだった。講習を受ける8名の中で、自分だけがあまりにもレベルが低く、みんなの足を引っ張っているようでもどかしかった。

■2011年1月12日(水曜日)


宿からの眺め
 朝6時半に観光バスで職場を出発し、妙高高原へ向かった。バスから外の景色を見ていて、気になったのは、一戸建ての家に設置されているソーラーパネル。設置をしている家が増えている印象を受けた。長野までは、ほとんど積雪はなかったが、長野を過ぎた辺りから急に雪が降り出し、黒姫高原からは、かなりの積雪だった。積雪地域でも高速道路は、しっかりと除雪がなされており、管理がしっかりしていてすばらしいと思った。
 午後からは、自由滑走で、一人でスキー場へ行き、スキーをしてみた。久しぶりなので、仕方ないが、まともに滑ることができず、ショックを受けた。横滑りが多く、スムーズに滑ることができない。圧雪がしっかりしていない場所が多く、足下がどのようになっているか把握できないため、何度も転びそうになり、天候が悪いため視界も悪く、すべてが真っ白に見え、途中から気持ち悪くなり、終了した。
 日本でスキーが始まってちょうど100年らしく、テレビでは、上越市での記念イベントについてのニュースが何度も繰り返されていた。妙高高原でも週末に赤倉で100周年記念イベントが開催されるらしい。記念すべき日に、発祥の地新潟でスキーができ、なんだかうれしくなった。

■2011年1月11日(火曜日)
 昼休みに、3000m、300m×1、200m×2、100m×3をした。3日前にある程度のペースで走れているので、3分20秒/kmのペースでは走れるだろうと思って3000mをスタートしたが、全く走ることができず、3分30秒〜40秒くらいのペースでしか走れなかった。かなり疲れている。その後の300m以降も、自分の感覚と実際のタイムに差があり、感覚以上に走れていなかった。レースの疲労は自分の感覚以上にたまっているのだと思う。明日から5日間は、全く走れなくなる予定なので、そこでリフレッシュして来週以降の練習に臨みたい。

■2011年1月10日(月曜日)


カット中
 子供たちは冬休み最後の日。小学校は冬休みの宿題がいっさいない。これは2学期制だからなのだろうか。3学期制であれば、冬休みが終わった次の日は、始業式だが、明日は、始業式はなく、通常通りの授業となっている。終業式や始業式がなくなるだけで、授業時間が増えることになり、良いことなのかもしれない。
 長男と次男を床屋へ連れて行き、次男は床屋デビューをした。おとなしく座席に座り、床屋さんには迷惑をかけることなく無事に終了した。本人は終わった後に飴をもらえて大満足だった。

■2011年1月9日(日曜日)


海南神社



どんと焼き
 朝早く近所の神社へ初詣に行き、その後、我が家を建てるときに地鎮祭をお願いした三浦市の海南神社にもお参りに行った。子供たちがおみくじをしたいというので、一人ずつこどもおみくじというおみくじを引かせた。長男は末吉、次男は小吉だった。おねがい・おべんきょう・おともだち・びょうき・うせものという運勢がひらがなで書いてあるのだが、長男のうせものの項目には、「もうないでしょう さがしてもむだです」というようなことが書いてあって笑ってしまうとともに、子供にも容赦ない記述に驚いた。整理整頓ができず、すぐにモノをなくす長男にとっては、整理整頓をさせるきっかけにはなるのではないかと思った。
 海南神社へ行った後は、また、久里浜へ戻り、どんと焼きを見て、その場で振る舞われたお汁粉をすすった。どんと焼きを初めて見たのだが、竹の上の方ににつながれたダルマが火あぶりにされているようで、あまり良い感じがしなかった。
 どんど焼きの後は、横須賀市の消防出初式を見に行った。消防車のパレード、はしご乗り、消火訓練展示などが行われ、最後は、消防の音楽隊による演奏が行われた。長男は、演奏で使われた消防車のサイレンの音がする楽器が気になるようで、じっとその楽器を見つめていたのが印象的だった。

■2011年1月8日(土曜日)
 横須賀市長距離記録会の5000mに出場。出場者のほとんどが高校生で、休暇中に3000mを3分25秒/km程度のペースで2回しか走っていないので、16分を切れれば、かなり良い結果ではないかと思っていた。
 最初の1000mは楽なので、3分02秒台で入ってしまい、どう考えてもオーバーペースだった。それでも急激にスピードを落とすわけにはいかないので、できるだけその速度を保持するようにした。2000m通過が6分10秒台で、まだまだ15分台は余裕で出せるという感覚だったが、その後は、3分20秒台、3分30秒台と落ちて次々と後続の高校生に抜かれた。残り2周で先頭の高校生に1周差をつけられそうになり、必死にスパートをしたが、最後の直線で抜かれ、残り1周を必死に走りフィニッシュとなった。タイムは16分09秒97で19位だった。
 前半はアキレス腱痛を気にしながらの走りで、後半は気にならなくなったが、速度は上げられず、向きになってがんばることができなかった。とにかく練習不足。少しずつ練習量を増やしていきたい。

■2011年1月7日(金曜日)
 NHKで郷ひろみのドキュメンタリー番組を見た。年不相応と言われることに対してどう考えているかを質問され、40代らしい、50代らしいということはありえず、自分らしいということが存在するだけと答えていた。毎日様々なトレーニングを継続し、20分以上の連続した体幹トレーニングや加圧トレーニングなどをこなす映像があった。加圧トレーニングは、以前経験しているので、彼がどのくらい厳しいことをしているかがよくわかった。年々ダンスをはじめとするパフォーマンスはパワーアップしており、ダンスの先生からもこの先どうなるのだろう?と言わせるほどのパワーがある。年に1回は、人間ドックを受け、20代後半の肉体を保ち、担当した医師はトップアスリートと同じ体なので、同じようなケアが必要だとコメントしていた。
 15歳でデビューし、すぐにアイドルとして大人気となったが、提供される曲と自分の求める曲に隔たりがあり、ヒットソングが生まれても、ずっと納得できないまま歌ってきたという。40代に入って、やっと自分の求める曲に出会い、活動を中止し、3年間のアメリカでのトレーニングを経て、55歳の今は、自分らしさがしっかりと理解できたなかで歌うことができるようになったという。テレビで何となく彼の歌を聴いている側からすると、彼は、昔から変わらず元気だという印象しかもっていなかったが、彼は、常に自分を変えることで人気を保っていたことがわかった。激しいトレーニングは苦にならないかという質問を受けていたが、それほど苦ではなさそうだった。24時間郷ひろみであり続けることについても聞かれていたが、周りが考えるほど、つらいことではないと答えていた。成功する人は、見えないところで努力をし、他人が苦に思うことを、苦と思わずに実行できる能力を持っているのだと思った。

■2011年1月6日(木曜日)
 授業が始まった。走り幅跳びだったので砂を掘り返す必要があり、30分ほどかけて砂場を掘り返したのだが、家の庭と違って瓦礫が存在しないため、気持ちよく掘り返すことができた。いつもなら砂場すべてを掘り返すと腰痛になったり、手にまめができてそれが破れるほどだったが、庭仕事でさらにきつい状況を味わっているためか、今日は腰痛にもならず、それほど疲れることはなかった。庭仕事が、仕事に役立った気分だった。

■2011年1月5日(水曜日)
 長男と家電量販店へ行くと、時間のあるときはマッサージ器に座ることが多い。マッサージ器は常に進化しているように見え、プロの手技が受けられるとの説明がある機種もあった。実際に座って体験してみるが、自分の求める場所を押してくれる場合もあれば、全く的はずれなこともある。痛すぎる部位と適度な強さの部位が同時に押される場合には、痛い部位については我慢しなければならない。今日は、特に中臀筋や前脛骨筋がこっていたが、ソファー型のマッサージ器では、その部位へのマッサージがなく、この形の機種には限界があると感じた。
 最近、クッション型のマッサージ器が販売されているが、そちらの方が、逆にピンポイントでマッサージができるのかもしれない。先日、店頭で体験し、なかなかいいかもしれないと思い、ネットで購入しようと決めた。ついでに実家にも送ってみようと思う。

■2011年1月4日(火曜日)
 昨日は、箱根駅伝を見ることができなかったが、今日は、日テレで1日中、いろいろな番組で箱根駅伝のハイライトを放送していた。特に山下りの東洋大学と早稲田大学の攻防と、シード権争いには時間を割いていた。東洋大学は8区から10区で区間賞を獲得し、ゴール手前では早稲田大学の姿をしっかりと確認できているにもかかわらず、21秒差で優勝を逃してしまった。この悔しさは、大変なものだと思う。ゴール直前に道を間違え、シード権を失いそうになりながら、何とかシード権を獲得したった國學院大學の選手の走りはすばらしく、シード落ちしてしまった学校には悪いが、とてもおもしろい戦いだった。高校駅伝、実業団駅伝、箱根駅伝とすべての駅伝で競り合いがあり、この冬の駅伝は、本当に見応えがあったと思う。

■2011年1月3日(月曜日)
 昨日は、大渋滞の中、なんとか横須賀へ戻り、帰ってきたのは、0時半だった。行きは5時間で住んだ移動時間が、帰りは、10時間ほどかかった。
 今日は、妻の実家へ行き、妻の家族と昼食を共にし、また横須賀へ戻った。家の駐車場へ車をバックで入れる際に、こちらの駐車によって通行できず、待たされている車がいたため、少し焦ってバックしたところ、駐車場の入り繰りの壁に車をぶつけてしまい、気分が沈んだ。昨日からずっと車の運転をしていて、疲れているためなのかもしれない。明日は、ゆっくりしようと思う。

■2011年1月2日(日曜日)


おばあちゃんと子供たち
 祖母の家で、親戚が集まって昼食会をした。祖母は、昨年グループホームで生活を始めたため、久しぶりの帰宅となったようで、食事が終わった後は、グループホームに戻ることを母から告げられ、「誰もいないから戻らずに家で過ごしたい」と必死に抵抗していたことが、気持ちがとてもわかり、もどかしかった。グループホーム入所前は、畑まで自転車で行き、野菜を育てるなど、体を動かしていたが、入所後は、あまり体を動かすことがなくなったためか、移動するのにタンスや壁を支えにしないとなかなか立ち上がれないほど、動けなくなっていた。祖母の妹も介護認定を受けるなど、家の中でしか生活できなくなり、自力での移動は困難になってきていた。体は使わなければ退化することを改めて感じた1日だった。

■2011年1月1日(土曜日)


大豆を拾いました
 昨夜、帰省し、朝から実家でくつろぎながらニューイヤー駅伝のテレビ観戦をした。体育学校は、1区で、シード権に近い順位でたすきを渡したが、その後30位台まで順位を落とし、最後は24位まで戻ってきてフィニッシュした。上位の争いは、最終区で4チームの争いとなり、最後のスパート勝負まで3チームが順位争いをするという今までにないスピード感のある戦いが見られ、自分の地元のトヨタ自動車が初優勝し、とても興奮した。また、外国人選手を使わずに最終区をトップで通過した安川電機はすばらしい走りで、レースをおもしろくしてくれたと思う。昨年の高校駅伝も優勝争いが、ラスト勝負になってとてもレースがおもしろくなったので、明日からの箱根駅伝でも、そういうレースが見られることを期待したい。



[昔のいずみ]