最近のいずみ

Last Update:2011/10/31

パートタイムアスリートいずみ 11年目に突入 



■2011年10月31日(月曜日)
 世界の人口が70億人となったらしい。世界の人口は、1日に21万人、1分間に約150人ずつ増え続けているという。横須賀市は人口が40万人程度なので、2日にごとに横須賀市の人口を上回る人が誕生しているということになり、長男と共に驚いた。急激な人口増加は、医療技術が向上した影響なのだろう。日本は、人口が減少し始め、高齢者が増え、人口減少が問題になり始めているが、世界の動向は人口増加なので、将来は、日本でも食料やエネルギーの問題が大きくのしかかってくることになるのかもしれない。エネルギー問題では、原子力をどう扱うかということも1つの課題となる。こういった問題が、これから産まれてくる人たちに先送りにされないよう今の人たちは努力しなければならないと思う。

■2011年10月30日(日曜日)
 昨日の疲れで、特に内転筋群に疲労がある。腰は相変わらず痛い。長男と妻の用事で送り迎えをする以外は家でだらだらと過ごした。三男をじっくりと見ることのできた1日でもあった。話しかけると笑ってくれ、本当に癒される。しっかりと首が据わり、いつの間にか体も大きくなり重くなった。毎日寝転がっているだけのようで、一人で首や手足を動かしトレーニングを積み、乳を飲んだ結果なのだと思う。子供の成長を見ると、自分は、全然進歩しないなぁと思えてくる。1日1日何か進歩できるよう過ごせるようにしていかなければと思った。

■2011年10月29日(土曜日)


800m(2周目)



苦しそうな1500m



引退レースとなった小林くんと
 かわさき陸上競技フェスティバルのミドルディスタンスデュアスロンに出場した。最初に800mがあったが、自分の出場する組は、持ちタイムの関係で希望していた組でなく、あと一人のところでもれてしまった。自分の組みは、自分の持ちタイムが最も良いということで、誰かにひっぱてもらうことが厳しく、自分で行くしかないという気持ちになった。
 800mは、スタートしてみると、早大の学生が心地よいペースで1周目を引っ張ってくれ、1周目を56秒台で通過できた。残り1周を58秒で回れば、目標が達成でき、自分にも余裕があったので、残り1周になったところですぐに先頭に立ち、目標に向かって走った。600m通過が、1分24秒くらいだったので、今回は行けると確信し、必死に残り200mを走ったが、最後の直線で、後続のランナーたちに抜かれ、失速し始め、最後は、もがいて4着でのフィニッシュとなった。タイムは1分55秒96だった。高校3年生の時の記録にも及ばず、ショックを受けた。残り1周の時点で余裕があったために、早くスパートしすぎたのが敗因だった。昨年までだったら先頭に立たないように我慢していた局面だった。
 1500mは、800mの疲れがあまりなかったので、4分切りも可能ではないかと思ってスタートしたが、1周目から体が動かず、腰の痛みを感じながらの走りで、少しずつ順位を下げ、後ろの方でジョギングをするような感じになり、全くがんばる場面がなく、終了してしまった。タイムは4分19秒19だった。
 2本を全力で走るような練習はできていなかったので当たり前の結果なのかもしれないが、2本ともひどいタイムだった。800mは目標のタイムが目の前に見えていたので、達成可能だと考えられる。まずは、腰やアキレス腱の痛みを回復させ、練習を継続することが重要だと思う。11月3日は、1500mの最終戦があるので、こちらでは、4分を切れるようにがんばりたい。

■2011年10月28日(金曜日)
 朝起きたときには、昨日ほどではないが、腰とハムストリングスに張りがあり、特に腰が痛かった。昨日はがんばって30分のジョッグをしたが、今日は10分のジョッグしかできなかった。あまり体調は良くないが、明日は、800mのシーズン最終戦。目指すは、全日本実業団の標準記録(1分54秒50)。1500mはシーズン最初のレースとなるが、なんとか2本とも納得のいくレースをしてきたい。

■2011年10月27日(木曜日)
 寝ている時に、姿勢を変えるたびに腰に痛みを感じ、目が覚める。腰やハムストリングスの張りも強く、日常生活をするのが辛くなってきたので、筋整流法の治療に行った。いつもの施術であれば、ほとんど痛みがないはずなのに、今日は、どこを触られても痛くて、痛みを必死にこらえる敷かなかった。普段と違うのは、骨盤後傾が強いということだった。背中側がすべて引っ張ってしまっていることに起因するようだが、施術により、背中を反らせても痛みを感じなくなり、ホッとした。一晩寝るとどうなっているかはわからないので心配だが、とりあえず、痛みが治まって良かった。

■2011年10月26日(水曜日)


久里浜海岸
 中学高校の学習について習得せずに大学に入学してきている学生の問題は、彼らの小学校時代の学習に問題があったのではないかと思う。子供が小学1年生の時に以前通っていた学校では、授業中に教室中を歩き回り、授業の妨害をする生徒がいた。先生はかなりストレスを抱えながら授業をしていたが、生徒たちにとっても授業に集中できない環境だったように思う。「学級崩壊」という言葉が使われるようになり、生徒の問題、教師の問題、保護者の問題など、いろいろと原因があると言われている。そういったことも学習の先送りにつながっているように感じる。
 学生が入学しないと経営が成り立たないということで、学力が満たなくても入学を認める大学側にも問題はある。発達障害と診断される子供が増え、こうした子供たちも大学へ入学してくる。卒業生の品質保証をしなければならない大学側は、こうした子供たちへの対処も考えなければならなくなってくる。最後の砦としての大学は、今後は、さらにさまざまな尻ぬぐい役を引き受けることになり、大学側の悩みは増えるばかりではないかと思う。

■2011年10月25日(火曜日)
 日本橋学館大学では、基礎力リテラシーという授業があり、授業内容が、中学前半の英語、数学や国語から始まるということで話題となっている。この授業を受講する学生たちは、大学の授業の前提となる知識が抜け落ちているのに高校を卒業してきたということになる。学長さんは、こうした現状から目を背けずに、正面から取り組むためのシラバスであるという考え方を述べている。
 我が校も、上記大学と同じように、大学の授業の前提となる知識がない学生たちに対して、補習を行っている。文系の学生については、数学、物理、化学の知識がない場合があるため、必要なことであると思う。さらに、今年からは、体育でも同様に補習を始めた。幼稚園の頃には、誰もがやっていると思っていたスキップなどができない学生もわずかだが存在する。ボールを思うように投げられない学生はたくさんいる。子供の頃にやっておくべきことをやらなかったり、先伸ばしてきたツケを大学側が払わなければならないというのが、とてももどかしい。
 私立大学で教えている先生の話では、体育の実技授業で「つまらない」と言って、実技に参加しない学生がいるなど、信じられない光景を頻繁に目にするという。こういう学生たちは何をしに授業に出てきているのかわからない。特に私立は、学生がお客さんということもあり、こういう学生にも単位が出ることになる。そんな大学生がたくさんいるというのだから、こうした学生たちの品質を保証して社会へ出さなければならない大学側は、相当な努力が必要なのだと思う。偏差値上位校は別なのかもしれないが、多くの大学の学生たちが同じような状態であり、上記の話題は、他人事ではない。補習をしている学校は、努力している方なのだと思う。

■2011年10月24日(月曜日)
 職場の宴会があり、半年ぶりくらいにアルコールを摂取した。ジョッキともグラスとも言えない中途半端な大きさのコップでビールを2杯飲んだところで、頭がボーッとして酔っぱらった感覚になった。今までであれば、この2杯は、酔うような量ではなかったはずだが、かなり少量でも酔えるようになり、弱くなったと感じた。その後はビールを1杯と杏露酒を1杯飲み、ソフトドリンクに変えた。
 以前は、酔った感覚は、気持ちいい感覚だったが、今日は、頭がクリアーでなく、あまり良い気分ではなかった。アルコールが入った日は、寝入りは早いが、夜に何度も目が覚めることが多い。あまり体が休まらないので、お酒はたまに飲むだけでいいと思っている。

■2011年10月23日(日曜日)


イチゴ
 昨日は、長男が通っている小学校の運動会だったが、雨で中止になり、今日も早朝の大雨の影響で 中止となり、明日に順延となった。午前中の内に晴れてきて、1日雨も降らず、久しぶりに快適な気候だった。
 畑から安納芋を掘り起こして以降は、我が家の畑には何も植わっていなかったが、次の食物が植えられるように耕してはあった。今日は、子供たちと、ほうれん草と下仁田ネギの種をまき、イチゴの苗を買ってきて、イチゴの苗も植えた。まいた種が発芽するかどうかは、土の水分にかかっているようなので、新聞紙をかけ、その上から水をまいた。うまく水分がキープされ、発芽してくれることを願っている。

■2011年10月22日(土曜日)


幼稚園の作品展
 1日雨の予報だったが、午前中は雨もなく、練習ができた。学生たちと400m×5を3セットした。すべて64秒以内で走れることが理想だったが、1セット目は、65〜67秒台で、2セット目は64秒以内で3本走れた。3セット目は1本目から学生たちについて行けず67秒かかり、2本目に入らずに終了した。直後に短距離パートが300mのタイムトライアルをするというので、動きを切り替えるために、そのまま短距離パートに加わり、300mのタイムトライアルに参加した。スタート直後の先頭争いに加わることができなかったが、400mの時よりは動きはよかった。2着でフィニッシュし、タイムは38秒8だった。400mを11本走っていた割には、悪くないタイムだった。あと1週間調整して、体調を上向きにしていきたい。

■2011年10月21日(金曜日)


大根を与えてます
 三男が産まれて100日が経った。新生児の誕生100日後にお食い初めという儀式があるというので、我が家でも食事を食べさせる格好だけだがやってみた。長男と次男にはやらなかった儀式なので、初めての試みだが、三男の口元に食事を近づけるたびに、おっぱいと勘違いしてか、口を触れてみようとする動作をしてくれた。
 最近、首が据わってきたように見える。だっこの時に首を支えなくても自分で頭を真っ直ぐにしているし、うつぶせにすると、頭を後ろに反らせる動作もするようだ。体も大きくなり、目もしっかりと見えるようになり、話しかけると笑顔で、声を出してくれることが多い。毎日顔を合わせるたびに癒される。妻は夜の授乳が大変だろうが、笑顔を見るたびに、ずっとこのままでいて欲しいと思ってしまう。

■2011年10月20日(木曜日)
 リビアの支配者だったカダフィー大佐が拘束されたというニュースが入ってきた。ニュースでは、カダフィー大佐が顔から血を流している携帯画像が映っていた。画像では彼は目を開けているように見えた。ニュースでは射殺されたとの情報もあり、射殺された可能性もある。生かしておいて裁判にかけられれば、これまでの戦闘や、独裁体制を続けた42年間について語らせることができる。独裁国家では、独裁者が絶対的な存在なので、最前線で戦っている民兵たちには、裁判という考え方はないのかもしれない。これまでの独裁者の国で革命が起きたときには、たいてい裁判もなしにその場で殺されることが多いような気がする。

■2011年10月19日(水曜日)
 右臀部が大きく疲労している。昨日も全身疲労で体が重くだるい感じだったが、今日はさらにその感覚が強い。昨日の疲れなのか、一昨日の疲れなのか、それ以前の疲れなのかはよくわからない。疲労の回復が遅いと感じるたびに歳を取ったなぁと思う。

■2011年10月18日(火曜日)


収穫した芋で作りました
 学生の練習に加わり、8000mのペース走をした。設定は3分40秒/kmだったが、最初の入りが3分33秒と速く、その後もペースが乱れ、一定速度ではなかったこともあり、前半から苦しくなった。3000m以降は、左の臀部から腰にかけて痛みが出てきて、両アキレス腱の痛みも気になりだし、集団から離れないように必死について行ったが、呼吸も追いつかなくなり、5000mで終了した。タイムは17分58秒。  短い距離は、全力で走ることができるようになってきたが、距離が長くなるほど、腰痛がひどくなる傾向にあるので、今の体では、ペース走はまだ厳しいということがよくわかった。5000mのレースに出たとしても、17分を切るのが精一杯なのかもしれない。あと1ヶ月で、5000mにも対応できるようにしていきたい。

■2011年10月17日(月曜日)
 学生たちと200mの上り坂ダッシュを10本走った。昨年までであれば、ほとんどを先頭で走って学生たちを引っ張っていたのだが、今年は、先頭に必死について、最後は離されるばかりだった。一人で走るより1秒くらいはタイムが速く集団で走るメリットは大きい。しかし集団で走っているため、リカバリーのジョッグは一人で走るより遅いというデメリットもある。7本目からは吐き気がして、10本が終わった後は、頭も痛くなり動けなかった。久しぶりの酸欠だった。1年以上酸欠になるような練習をしたことがなかったので、少しは追い込んだ練習になり達成感があった。
 最後に短距離の練習に入って150mのタイムトライアルをした。タイムは18秒7。300mを36秒台で走るにはスピードがなさ過ぎることを実感した。

■2011年10月16日(日曜日)


収穫した安納芋
 家族で庭の畑の芋掘りをした。安納芋の苗を植えて約半年が経ち、枯れかけていた苗が、畑をすべて覆うくらいに葉が茂り、台風や強風にあおられながらもなんとか生き残ってくれた。葉だけが茂って、実が小さい可能性もあるので、心配しながらの芋掘りとなった。
 掘り起こしてみると、一株だけ巨大な芋が2つついていた他は、本当に小さいものばかりで、予想通りという感じだった。異常に大きく成長したものもあるので、肥料の濃度か日光の当たりぐらいによって、成長が変わったのかもしれない。
 収穫後は、さっそく石焼き芋にして食べたが、思ったよりも甘さが控えめで食べやすかった。しかし小さい芋が多いので、茎の延長のような感じでスジが多かった。来年は、もう少し大きなものが収穫できるよう何か策を考えたいと思う。

■2011年10月15日(土曜日)


5km付近





13km過ぎ(本校トップ)





18km過ぎ(先頭集団)
 箱根駅伝予選会の応援へ行った。今年の参加校は40チーム。5000mで16分30秒の標準記録を突破したチームが昨年よりも4チーム増えた。
 天候は、最悪の雨。スタート場所の立川駐屯地へ行ってみると、うちの学校だけが雨よけのテントがなく、荷物の上にシートをかぶせるだけで、選手たちは雨に濡れたままレースの準備をするという状態だった。テントをなぜ用意しなかったのかと学生に聞いたところ、学連に2回もテント使用について問い合わせ、2回とも使用禁止と回答されたためだと言っていた。使用禁止になっているのになぜ、他校は使用できているのか?他校はそもそも問い合わせをしなかった可能性が高い。応援団についても、太鼓は禁止との話であったが、実際に現場へ行ってみると他校は太鼓を使った応援をしていた。我が校の応援団は、ルールを守って太鼓は持ちまずに応援をしていたが、これも納得がいかなかった。テントや太鼓についてペナルティーは特に規定されていないことも原因なのかもしれないが、多くの学校にルールが無視され、ルールを守った学校だけが損をするという状態にがっかりした。うちの学生はまじめすぎたという面はあるかもしれないが、他校よりも悪条件になりながらもルールを守ったという面では、すばらしいと思った。
 9時30分に466人の選手が一斉にスタートした。自分は、5km、13km過ぎ、18km過ぎの地点で応援した。同じ場所で2度応援できる場所まで行くのに時間がかかり、13km過ぎの地点へ着いたときには、すでに先頭は通過した後だった。我が校は、先頭が通過してからかなり時間が空くので、応援はできたが、学内トップの選手でも、真ん中よりも後ろの順位なので、もどかしくも感じた。昨年は学内トップだった学生が学内最下位だったり、陸上競技部に入部して1年も経っていない4年生が学内で4番目にフィニッシュするなど、学内の順位は、予想とは大きく違って、総合タイムはどうなるのだろうということが最も気になりながら競技が終了した。10名の合計タイムは昨年より12分ほど良かったが、順位は40チーム中36位で、昨年より1つ順位を落とした。全体としては力通りの走りだったと思う。年々、中位にいるチームのタイムが上がっていき、30位以内を目指すだけでも難しいタイムになってきた。
 帰り際に、日清食品グループの徳本君に会った。ひさしぶりに会ったので話をしたところ、今年から選手として走りながら、駿河台大の駅伝監督も兼ねているとのことだった。駿河台大は、昨年は最下位の36位だったが、今年は、合計タイムで1時間以上タイムを上げ、27位となっていた。主力は1年生ということもあり、3年後は、本戦出場争いをするチームに成長するかもしれない。ビッグネームが指導者になると選手も集まるのだろう。
 今年は、学連選抜の16名に入るには、61分30秒くらいが最低ラインとなりそうで、日大の選手たちを筆頭に、例年以上にレベルの高い選手でメンバーが構成されることになった。優勝争いも十分できるチームであり、上位校を脅かす存在としてがんばって欲しい。

■2011年10月14日(金曜日)
 昨日の強度の高い練習をした割には、アキレス腱痛の痛みも有痛性外脛骨の痛みもそれほど強くなかったので、久しぶりにロングジョッグをした。走り始めは、痛みを感じるが、時間が経つにつれて、少しずつ痛みがわからなくなってくる。ゆっくりだったが1時間のジョッグができた。先週までは30分のジョッグで痛みが強くなったこともあったので、今週は、痛みの回復度合いとしてはかなり調子が良さそうだ。

■2011年10月13日(木曜日)


枯れたウコギが復活
 400mのウェーブ走を6本走った。最初の100mを全力で、次の100mを8割くらいに抑え、最後の200mを全力で走るというものだったが、全力よりも8割に抑える区間がとてもきつかった。60秒を切って走りたいところだったが、全力のスピードが上がらないため、なかなか60秒を切ることができなかった。
 左足のアキレス腱痛は回復し、有痛性外脛骨の痛みが目立ち、右足のアキレス腱痛は、アキレス腱から内くるぶし付近へ痛みがシフトして、別の痛みになり始めた。とにかくアキレス腱痛は、回復傾向にあるので、少しずつ練習ができるようになってきた。全力のスピードを見る限り調子は、かなり悪いが、2週間後のレースまでには、最低シーズンベストには持って行きたい。

■2011年10月12日(水曜日)
 厚生労働省が年金の改革案を出したという。その中に年金支給の年齢をを68歳からにするという内容もあった。若者が高齢者を支えるという制度では、単純に人口の問題がそのまま財源の問題になるので、支給額や支給年齢を変更せざるを得ないことは理解できる。しかし、68歳まで働ける環境がなければ、無収入の人が増え、生活保護という形で、財政を圧迫することになることも考えられる。震災の影響が大きいのかもしれないが、厚生労働省の発表では、6月の生活保護受給者は過去最多に迫っているという。年金問題は、国の財政に関するすべてのことが関係しているため、簡単に解決できることではないことだけは間違いない。自分たちが定年を迎えるだろう約30年後のことは、誰も予想できない。最悪は年金はただの掛け捨てになるかもしれないということを頭の片隅に置いて、それでも生きていける準備をするべきなのかもしれない。 

■2011年10月11日(火曜日)
 長男の誕生日プレゼンを探しに本屋へ行った。長男は、小学2年生になり、少しは漢字が読めるようになったが、彼がどの漢字が読めて、どの漢字が読めないかはわからないので、すべての漢字にカナがふってあるものを選ぶことにした。すると、なかなか適当な本が見つからず、選択肢がかなり狭まった。逆にそれは選びやすくて良かったとも言える。最近は、原作がマンガだったものを小説のようにしている本がたくさんあり、子供が本を読むきっかけを作れるようになっていて驚いた。近所に本屋がないこともあり、最近はあまり本屋へ行かないので、久しぶりに本屋へ行くと、新しい発見があってとても楽しい。

■2011年10月10日(月曜日)


50m走
 横須賀市の体育の日イベントがあり、長男が体力測定に参加してみたいというので、昨日まで2日間走っていた競技場へ、また行った。長男が参加したのは50m走とソフトボール投げ。走り幅跳びもあったが、長男は、靴に砂が入るのがイヤだと言って参加を拒否した。子供の時からそんなことを気にするなんて、ちょっとショックだった。
 50m走は、小学校高学年くらいの子と一緒に走ったので、スタートから差を広げられ、最後は少しあきらめたようになりながらフィニッシュラインへ入った。タイムは10秒8。昨年は11秒台だったので、自己ベストだった。
 ソフトボール投げは2投投げ、1投目が14mで、2投目はそれよりも低くて計測されなかった。ソフトボールも昨年よりは記録が伸び、投げ方も良くなっていて、1年間の成長を見ることができた。毎年、このイベントに参加できれば、子供の成長が見られる。親にとっては楽しみなイベントだと思った。

■2011年10月9日(日曜日)


1周目



フィニッシュ
 横須賀市民体育大会は2日目となり、一般男子800mに出場した。決勝のことは考えず、予選のみに集中し、1分54秒50を突破することを目標にスタートラインへ立った。
 昨日の400mは今日の1周目を楽にはいるための刺激という意味もあり、昨日よりはゆっくり走れ、昨日ほどの大失速も絶対にないと思っていたので、前半は楽に入ることができた。1周目は56秒台で理想的なタイムだった。
 残り300mからスパートし、2周目を58秒で回れば、目標達成なのだが、残り300mになっても、動きの切り替えができず、スピードが上がらなかった。残り200mの通過が1分25秒台だったので、まだ目標達成の可能性は残っていたが、体はどんどん固まっていき、失速していった。最後の直線も必死にもがいてフィニッシュラインへ入ったがタイムは1分58秒36だった。予選は、1位通過だったが、予定通り決勝は棄権した。
 1周目を56秒台で入ったにもかかわらず、2分を切るのが精一杯だったということがショックだった。しかし、先月は、人と争って1分58秒台だったことを考えると、自分一人で走って先月よりは少し速かったのだから進歩したと評価すべきなのかもしれない。月末がシーズン最後の800mレースとなる。最後まであきらめずに挑戦したい。

■2011年10月8日(土曜日)
 横須賀市民体育大会一般男子400mに出場した。目標は、前半をおそれずに突っ込むことと、きちんと追い込んで、フィニッシュ後にケツ割れを起こすことだった。予選は5組あり、1着と2着以降タイムの良い選手3名が決勝に進出できた。
 自分は第2組の7レーン。目標とする選手が1人しかいないため、人をあてにせず、自分で走るしかないと考えていた。スタート直後に、少しだけ8レーンの選手との差を詰めることができたが、その後は、全く差は変わらなかった。250m付近まで先頭で走ることができたが、その後は、急激に体が固まり、8レーンの選手に一気に離された。残りの100mでは、ピッチが低下し、ストライドも低下し2人に抜かれ、4着でフィニッシュした。タイムは52秒77だった。
 今まで経験した中でも最もひどい失速だった割には、9月のレースよりはタイムは上がっていた。8レーンだった選手は51秒前半のタイムだったので、前半は、目標通り突っ込むことができ、それが後半の失速になったのだと考えられる。しかし、フィニッシュ後にケツ割れはなく、後半の失速によって自分を追い込むことができなかったとも言える。今日以上の失速はないと考えれば、明日の800mはもう少しまともな走りができるのではないかと思う。

■2011年10月7日(金曜日)
 両脚のハムストリングスが筋肉痛になった。昨日は、いつもよりは、練習量が多かったが、ほとんどが持久系だったので、筋肉への負担はそれほどなかったのではないかと思う。よーく考えてみたところ、後期の授業が始まって、昨日は3年生の授業が2つあり、2回ダイナミックストレッチをしたことを思い出した。久しぶりに反動をつけてハムストリングスを伸ばしたのが原因である可能性が高い。ストレッチだけで筋肉痛になるとは、情けないと思いつつ、普段からきちんと行っていないことを反省した。明日からは横須賀市民体育大会なのに、今日の時点で筋肉痛ではあまり良い状態ではない。明日は、明日でベストを尽くしたい。

■2011年10月6日(木曜日)
 学生たちと3分ダッシュ+2分ダッシュ+1分ダッシュを2セット行った。休息は3分のジョッグ。学生たちが3セットを行うところを、初めから2セットと決めて、学生たちについて行った。
 アキレス腱や外脛骨の痛みなどで、持久的な練習を全くしていないため、初めの3分から呼吸がきつく、さらに両足のアキレス腱痛を感じながらの走りだったため、自分の思うようには走れなかった。2セット目の3分ダッシュで、吐きそうになり、呼吸はかなり乱れ、止まりそうになった。最後の1分は、右下腿が何度もつりかけた。まともに走れたのは1セット目だけで、2セット目は我慢の走りで、3セット目は続けようとしても続けられなかったことを考えると、適切なセット数だった。
 アキレス腱の痛みを感じながらの走りだったので、明日の朝、痛みが悪化しているのではないかという心配がある。悪化していないことを願う。

■2011年10月5日(水曜日)
 北京オリンピック4×100mリレーで銅メダルを獲得した末続選手が、3年ぶりにレースに復帰したという記事を見た。無期限休養とのことだったので、学生たちと北京オリンピックの映像を見る度に、いつ復帰するのだろうと思っていた中でのこの記事は、とてもうれしい情報だった。
 200mでは世界で3番になっている選手なので、自分の現状や、次のオリンピックまでに何をしていけばいいのかは良く理解しているのだと思う。3年間の休養で、人間的な成長をし、トレーニングに対しても以前とは違った考え方をしているかもしれない。成長した末続選手が日本選手権やオリンピックに戻ってくることを楽しみに待ちたい。

■2011年10月4日(火曜日)
 学生のレポートを見ていて、いつも思うのは、人に見せる文章は字を丁寧に書かなければということ。明らかにやっつけ仕事で、読めない字を書いてくる学生もいる。字が下手でも丁寧に書こうとしている姿勢は、字ににじみ出てくるものだと思う。
 中学校の技術の試験の時に、ほとんどの人が不合格となったことがあった。理由は、字が汚いから。「せめて自分の名前くらい丁寧に書きなさい」と叱られたことがあった。自分の名前もきちんと書けない生徒は合格に値しないとも言われた。字はその人を表すということが、社会人になって初めて理解でき、中学の先生が言っていたことも同時に理解できた。
 レポートを課す授業では、字は人に読めるように丁寧に書くよう話はしているが、読めない字を書いてくる学生たちは、このことが理解できていないのは間違いない。たぶん卒業後、部下を持つようになれば、すぐに理解できるようにはなるだろうが、できるだけ早く気づいてもらえるようしつこく話をしていきたいと思う。

■2011年10月3日(月曜日)
 昨日の夕方から、歩いていて、右足が地面に接するたびに足の裏が痛いと感じていたのだが、今日はさらに痛みが強くなり、内側の骨(舟状骨)の出っ張った部分が靴に当たると痛いことがわかった。これは、3年前に左足で経験した有痛性外脛骨の症状だった。舟状骨付近に、よけいな骨が出来ているか分離してしまっているために痛みを感じるとされ、3年前は歩くのが困難になるほど痛みが強かった。そのときには、靴に入れる中敷きを作って対処し、今もランニングシューズにはその中敷きを入れている。昨日突然痛み出したので、今なら早期回復が期待できるのではないかと思う。まずはアイシングと微弱電流で対処してみようと思う。

■2011年10月2日(日曜日)


炭を追加してます
 自宅で、学生たちを招待してバーベキューを行った。いつもは炭に火をつけるのに時間がかかって、なかなか始められないのだが、今日は、すぐに火がついてしまい、逆に野菜を切り終わるのを待たなければならなかった。野菜を切り終わってバーベキューを始めるときには、炭にしっかり火がついて、火力が強すぎ、野菜は表面があっという間に焦げ、中は生という状態で、あまりおいしく食べることができなかった。肉を焼いて食べ始めた頃から火力は弱まり、食べている途中で、ほとんどの炭が燃え終わってしまい、新たに火をおこさなければならなくなった。新たに火をおこし終わったときには、日が暮れていたために、肉を焼いても肉が焼けているかどうか確認できなくなり、野菜と同じく、半生で口にいれるようなこともあった。
 子供たちは、大きなお兄ちゃんたちがたくさん遊びに来たと思っていて、話に加わるわけでもなかったが、一緒にいるだけで楽しかったようだ。長男は、「明日学校へ行きたくない」と言いだし、学生たちが帰るときには、彼らに挨拶をすることなく、彼らに見えないようにかくれて泣いていた。長男は別れに弱い。次男は、きちんと挨拶をして別れた。普段は見られない子供たちの性格を垣間見ることができたような気がした。

■2011年10月1日(土曜日)
 学生のTOEICの監督で出勤した。TOEICはリスニングが45分前後、とリーディングが75分の合計約2時間のテストだった。リスニングは、聞きづらいところがあったりすると一時中断し、その問題を確認するということをするため、試験監督は受験者を見るだけでなく、問題も見る必要があった。TOEICは学生時代から、5回ほど受験しているが、リスニングは、集中力が持たないことが多い。理解できない単語が一つ出てくると、その単語の意味を考えているだけで、気がつけば次の問題に入っているということがよくあった。今回もリスニングの問題を追っていて同じことが起こった。選択肢は、正解と、全く関係ない選択肢で構成されていて、日本語だったら絶対に間違えることはないはずなのに、英語になるとそれが当たり前にできないところが本当にもどかしい。自分の試験ではなかったが、改めて英語を理解する力のなさを感じる機会となった。



[昔のいずみ]