最近のいずみ

Last Update:2011/12/31

パートタイムアスリートいずみ 12年目に突入 



■2011年12月31日(土曜日)


イチゴの花
 子供たちにカラーバットを買ってやり、公園でバッティングをさせた。長男も次男も、バットにボールを当てるのにかなり苦労するのではないかと思っていたが、2人とも、第1球目からボールを打ち返し、驚かされた。打った本人たちも大喜びで、バットを振るのがおもしろくなったようだった。しかし、振り方を教えたわけではないので、ボールがストライクゾーンへくると、ほとんどが空振りとなり、高めのボールにだけバットが当たることがわかった。バットをスイングするというよりも、斜めに振り下ろす、いわるゆ「大根切り」打法だった。2人ともボールを10回投げれば3〜4回はバットに当たるので、野球の打率としては、なかなかいい打率だったのではないかと思う。

■2011年12月30日(金曜日)
 帰省する前から、妹の子供の具合が悪かったのだが、昨日は、母と妹も具合が悪くなり、さらに昨夜から次男の具合も悪くなってしまった。そのため、このまま実家にいると、さらに被害が拡大する可能性があるので、横須賀へ帰ることにした。
東名高速道路は、菊川から吉田が大渋滞で、頻繁に車が止まった。途中で眠気が強くなったが、渋滞中では、サービスエリアやパーキングエリアが目の前にあるわけではないため、とても辛かった。
 行きは、5時間半で帰省できたが、帰りは、サービスエリアで食事をしたこともあり、9時間近くかかった。子供たちは眠ってしまい、自分も腰痛がひどくなってしまった。帰りは夜遅かったこともあり、高速道路の料金は、行きよりも割引率が高く、安い料金で走ることができたことは良かった。

■2011年12月29日(木曜日)


山頂(142m)
 子供たちと近所の山へ山登り。三男はだっこひもにくくりつけ長男と次男は自分たちで歩いた。長男は4年前に1度登ったことがあり、山道をどう進めば良いかなんとなくわかっていたようで、彼を先頭に、クモの巣を枯れ木の棒で払いながら進んだ。
 途中で、子供たちが、大きな穴を発見し興奮していた。子供たちが丸ごと入ってしまいそうなほどの深い穴で、子供の頃に山を登ったときには、至る所にこの穴があり、穴が地球の裏側まで続いていると信じていた。今は、山の整備があまり行われていないので、落ち葉で穴が埋まってしまい、落とし穴のように見えなくなってしまっている。この穴は、キララの穴と呼ばれているのだが、昔、雲母(きらら)を掘った跡のようだ。
 次男は、急な坂に敷き詰められたようになっている落ち葉に足を滑らせることが多く、手をつないで、なんとか登り切った。頂上の展望台は、看板だけが存在し、子供の頃にあった展望台は、どこにもなかった。4〜5日前に降った雪がわずかに残り、子供たちは、それをさわりまた興奮していた。  久しぶりに子供たちと同じ目標に向かってがんばることができ、一体感が得られた。

■2011年12月28日(水曜日)
 午前中は、帰省準備。長男が昨夜スキーから帰ってきたばかりで、洗濯などの後かたづけがいろいろあり、なかなか準備は進まなかった。
 午後から車で実家へ帰省。子供たちは、ディズニーのDVDを見せながら移動したので、特に不満はなく、三男もよく寝てくれたため、落ち着いて運転ができた。休憩は、1回だけで済み、渋滞もなかったため、比較的疲れは少なかった。

■2011年12月27日(火曜日)
 1000mを200mジョッグの休息で5本行った。設定は3分10秒だったが、1本も設定通りに走ることができなかった。先週の50mの疲労で、特に左のハムストリングスに痛みがあったためか、左右の脚のバランスが悪く、さらに上半身と下半身が上手く連動しなかった。最も大きな影響があったのは、動きやタイムの割に、呼吸が苦しかったこと。スピードを上げようとすればするほど、呼吸が激しくなり、吐き気が強くなってくる。今日は、3本も3分20秒以上かかり、まったく狙った練習にはならず、自分の体調が把握できていなかったと反省した。

■2011年12月26日(月曜日)
 クリスマスまでは、何があるというわけではないのに、よくわからないワクワク感があるが、クリスマスが終わったとたん、クリスマスの飾りなどは逆にしらけた気分になってしまう。新聞に入ってくるスーパーなどのチラシも昨日までは、赤を中心とした暖かみのある色が多かったのに、急に緑が多くなり寒々しく感じる。
 世の中は、クリスマスは何事もなかったかのように過ぎ去っているが、子供はもらったプレゼントを見るたびにクリスマスを思い出し、うれしそうにしている。次男は、昨日プラモデルをもらい、すぐにでも作りたがっていた。今日、仕事から帰ってきたら一緒に作る約束をしていたので、帰ってきたときには、「帰ってくるのが遅い」と言われた。
 プラモデルを作るのは、小学生以来か中学生以来なのだと思うが、当時は、プラモデルを組み立てる前に、プラカラーで色を塗り、デカールを貼っていた覚えがある。今は、最初から色分けされ、シールを貼れば、細かい色も付くようになっていた。さらに、ロボットの関節部分が様々方向に動かせるよう柔らかいプラスチックでできていて、接着剤を使わなくてもすべてはめ込むだけで済む。組み立ての説明書も、カラーでとてもわかりやすい。自分が小さかった頃のプラモデルとは、全く別物で、今のプラモデルの精巧さに驚かされた。

■2011年12月25日(日曜日)
 長男が早朝からスキーへ出かけた。次男は、朝からお腹が痛いと言っていたが、長男を送りに行った際に、車の中で何度か吐いた。長男を送ったついでに、どこかへ出かけようと考えていたが、次男の具合が悪くなったことで、1日家の中にいた。次男は、1日中何も食べることができず、水分を摂っただけでも吐き、何も胃に入れていないため、吐いても黄色い胃液ばかりだった。
 午前と午後に男女の全国高校駅伝があり、久しぶりに、すべてを見てしまった。男女とも留学生の影響力は強かったが、留学生をエントリーし優勝したチームは、日本人選手たちの走りもすばらしかった。女子では、神奈川代表の白鵬女子が、神奈川県勢最高順位を記録したことが、うれしく思えた。男子では、日本人だけでいつも上位に入賞してくる豊川工業と佐久長聖を注目していた。豊川工業は、前半の遅れを後半取り戻し、6位に入賞となりさすがだと思った。佐久長聖は、昨年までの監督が東海大学の監督になり、新監督による、初めての全国大会だったが、1区の出遅れにより、21位という結果に終わり、残念に思った。
 映像を見ていて気になったのが、たすきの受け渡し時に、次の区間のランナーがいなかったり、たすきを落とすことで、タイムをロスしていたこと。都道府県他校の駅伝では、全国大会といっても即席チームなので、こういったことは起こるかもしれないが、1年間一緒に走ってきた単独チームでもこうしたミスが見られるというのがとても意外だった。 

■2011年12月24日(土曜日)


クリスマスパーティー
 高圧洗浄機を購入して、頻繁に掃除をしようと思っていたが、8月に1回触っただけで、その後は、1度も触れていなかった。そこで大掃除を機会に、久しぶりに触った。今日のターゲットは、ベランダ。1年4ヶ月、放置して汚くなったベランダは、海からの砂や、山からの落ち葉がたまり、水が流れなくなっていた。次男は、高圧洗浄機が気になったようで、大きな水鉄砲だという話をしたら、やってみたいと言うので、触らせてあげたが、握力が低いので、水を継続的に出せるほどガンのレバーを握り続けることができなかった。
 高圧洗浄機は、水圧で強制的に汚れを落とし、汚れを吹き飛ばす快感があった。しかし、古いブロック塀に吹きかけると、汚れだけではなく、表面が削られてしまい、逆に汚くなってしまうこともある。対照的に、高温スチーマーは、汚れを浮かせて汚れを取る。高圧洗浄機と高温スチーマーが「北風と太陽」のようだと思った。

■2011年12月23日(金曜日)
 50m、50m×2,50m×3、・・・、50m×9、50m×10の合計55本の50mダッシュをした。つなぎは50mジョッグなので、ほとんど休息はなく、前半は、あっという間に割るのだが、5セット目を過ぎる頃からは、とても長く感じた。本数としては、7本目がやっと中間になるので、精神的に、きつい練習だった。途中から、右の大腿四頭筋と左のハムストリングスが痛み始め、練習後は、両側の大腿部前面がつりそうになった。明日以降、かなりひどい疲労感が待ちかまえているのではないかと思う。

■2011年12月22日(木曜日)
 今年最後の授業があった。午後の授業では、3年生が砲丸投げの記録の計測を行ったが、学生たちのノリがよく、周りが投擲をする人を応援することで、応援された学生の多くは、記録を次々と伸ばしていった。1,2年生であれば、授業に参加している者同士が知り合いではないことも多いためか、他人の試技に関心を持ったり、応援したりすることが少なく、盛り上がりがない。3,4年生になると、顔見知りが多くなり、他人の試技にも関心を持ってくれる。学年が上がるに連れ、授業がやりやすく、こちらも楽しい気分になれる。これが寮生活を行っている学校の良いところなのかもしれない。

■2011年12月21日(水曜日)
 白熱電球につながるスイッチをオンにしたところ、今までに見たことのない輝きを一瞬だけ放ち、光を発しなくなってしまった。その後何度もオンとオフを繰り返したが二度と電気が通らず、電球のフィラメントが切れてしまったことがわかった。予備の電球がなかったので、直ちに近所のホームセンターへ行って換えの電球を購入することにした。今まで使用してきた白熱電球は、1年5ヶ月しか持たなかった。LEDは消費電力が低く、使用できる期間も長いと聞いているので、店員に案内してもらいLED電球を購入した。それほど大きな電球ではなかったためか800円程度で購入することができた。
 帰宅して、早速取り付けてみたが、購入したLEDは昼光色だったこともあり、白熱電球よりも、明るく、暖かみのある色ではないので、少し寒い感じがした。電気をオンにしたときの反応時間が白熱電球よりも時間がかかる。光を発するまでに一瞬間があるので、電気が切れたのではないかと勘違いしそうになる。慣れるまでは、違和感を感じるのではないかと思う。

■2011年12月20日(火曜日)
 昨日の昼に、北朝鮮の親分が死亡したとのニュースが流れ、昨日から北朝鮮の報道ばかりが目立つ。韓国の情報機関は、2日前に死亡していたことを把握できていなかったことで、国内で非難を浴びているという。移動中の列車の中で病死との報道だが、その報道が正しければ、列車の移動に関わった関係者は、大勢いたことが想像でき、誰かが情報を漏らしてもおかしくないような気がするが、今回はそういったことが全くなかった。列車の移動に関わった人たちの口が堅かったのか、そもそも列車での病死が偽りの報道だったか、とにかく国のトップが死亡したという情報が2日間も漏れなかったということで、これが鎖国というものかと驚いた。
 金日成死去の時の報道でも感じたことだったが、平壌市民の悲しみ方が異常な感じがする。体を揺すったり、膝から崩れ落ちるようにして、膝や地面をたたく人もいる。悲しみ方にもいろいろあるのかもしれないが、日本では、そこまでの動きをする人は誰もいないのではないかと思う。それほどまでに、徹底した思想的な洗脳ができていたのか、周りの監視の目があるために、誰もがあのような悲しみ方をせざるを得ないのか、映像を見ていると、いろいろと考えることがある。
 中国は、北朝鮮に対して中国式の改革開放を期待しているのではないかとの報道もあった。少しずつでも開国が始まれば、日本人の拉致問題も進展するのではないかと思う。最近、海洋問題では、中国に腹の立つことが多いが、北朝鮮問題では、中国にがんばってもらいたいと思う。

■2011年12月19日(月曜日)
 川内選手が、昨日、防府読売マラソンに出場し、日本人トップの2位となった。福岡国際マラソンから2週間しかたっていないのに、自己3番目の記録だったという。最近の彼は、主要な大会で日本人トップという成績が多いが、なかなか勝つことはできない。出場する大会の多くが、勝負をするというよりも強度の高い練習という位置づけのため、調整なしで臨んでいるからだが、いつも上位に入賞しているところがすばらしい。試合ほど強度の高い練習ができることはない。自分も一人で練習するようになってからは、試合を練習の一つとするようになった。仕事をしながら競技を続けている人にとっては、当たり前のことなのかもしれない。しかし、川内選手のように、フィニッシュ後に倒れたりけいれんするような追い込み方は誰もできない。彼には、自分を追い込む才能が他の人よりも優れている。倒れれば倒れるほど、その強度では倒れないように体が適応していくと考えると、東京マラソンでの彼の走りが楽しみになってくる。

■2011年12月18日(日曜日)
 昨日よりは、確実に体調は良くなっているが、外に出て活動するには、ちょっときつい感じがまだ残っていた。家族は外に遊びに行き、自分は、学生たちの駅伝大会の応援に行く予定にしていたが、キャンセルしてずっと家にいた。
 午後は、テレビで実業団の女子駅伝を見ながら、床の掃除をした。掃除機をかけ、高温スチームがけをした後に、ワックスがけをした。久々に床につやが戻り、体調がすぐれず、落ち込み気味だった気分も回復したような気がした。

■2011年12月17日(土曜日)


庭で家族写真
 午前中は、朝食後にひと眠りし、午後は、家族と歩いて駅前の商店街へ買い物に行った。熱は下がり、便も普通に戻ったので、完全に回復したものと考えていたが、歩き始めてみると、少しフラフラした感覚が残っていた。家族と歩いていると、普段は、自分の歩く速度の方が速いのだが、今日は、家族の速度について行けなかった。一昨日まで、300mを全力で走っていたはずなのに、家族の歩く速度に遅れを取るほど、体が弱っていることに少し戸惑った。あと1日休みがあるので、明日までには、回復させたい。

■2011年12月16日(金曜日)
 昨夜から、腹の具合が悪く、食欲がなかったのだが、今朝4時過ぎごろから、急に吐き気が強くなり、寝ていられなくなった。30分ほど、座った状態で我慢したところ、吐き気は治まり再び眠ることができた。しかし、起床後は、まず、下痢になり、その後は、食欲が全くなく、体温を測ってみると37度を上回っていた。授業は休むわけにはいかないので、授業の時間まで時間休を取り、家で休んだ。時間が経つにつれ体温は上昇し、14時過ぎには38.5度まで上がっていた。
 微熱の時点で、腰痛がひどく、下肢の筋肉も筋肉痛のような痛みを発していて、授業はかなりきつかった。授業内容がハードルだったため、学生たちに手本を見せる必要があり、何とか跳び越えたが、筋肉が悲鳴を上げているのを感じた。
 勤務が終了後は、直ちに医者へ行き、診察を受けたが、感染性胃腸炎という診断を受けた。ウイルス性の可能性が高いが、細菌性である場合は、重篤な状態になるため、検査を行った。
 明日から2日間は休めるので、処方してもらった薬を飲み、ゆっくりと休みたい。

■2011年12月15日(木曜日)
 300m×8を200mウォークでつないだ。フォームを崩さないように8割程度の力ですべてを走りきる設定だった。7本目までは43秒台前後で走り、最後は、40秒切りを目指して全力で走ったが、タイムは40秒0だった。普段は、つなぎはジョッグだが、今日はウォークだったおかげで1本1本に余裕があり、最近の練習の状態から考えれば、しっかり走れたのではないかと思う。

■2011年12月14日(水曜日)


寝返り準備中
 三男は、生後5ヶ月が経ち、すっかり首が据わり、首をかなりの角度までねじることができるようになった。首をねじった状態で、上半身もかなり反り返るようになったので、下半身がそれについてくるようになれば、寝返りをうつようになる。寝返りがうてるようになれば、ハイハイをするのも時間。今までは、全く動かず、目を合わせるとニコッと笑ってくれる存在だったが、これからは、床に落ちている物は、すべて口にする怪獣に変身していくことになる。今後は、床掃除をこまめにして、いつでも寝返りやハイハイができる環境を作っていかなければと思った。

■2011年12月13日(火曜日)


収穫したホウレンソウ
 ホウレンソウが大きくなり30cm近くになったので、一部を収穫した。間引きを全くせず、種をまいたまま放置しておいたため、場所により育ちが違い、背の低いものと高いものがあった。株と株の間が余りにも狭いため、根があまり張らず、葉柄が長く、葉も小さいものばかりになってしまった。せっかく育ったのに、それを間引いてしまうのが、なんだかかわいそうで、思い切ったことができなかったことで、結局収穫がうまくいかないという結果になった。
 収穫後は、ソテーにして食べたが、味は、しっかりとホウレンソウの味をしていた。次に植えるときには、間引きをしっかりして、一株一株が大きく育つようにしようと思った。

■2011年12月12日(月曜日)


ホウレンソウの穂?
 今年の世相を表す漢字として「絆」が選ばれた。震災直後から、頻繁に目にした漢字なので、この漢字が選ばれる可能性は高いと予想していたので、予想した通りだった。
 自分が選ぶ漢字は「崩」。震災により、原子力発電の安全神話は崩壊し、政治も言ってることとやってることが一致せず崩壊気味。世界では、中東や北アフリカを中心に、独裁政権が次々と崩壊した。自分については、大学以降積み上げてきた全日本実業団の標準記録突破が15年で崩れ、1500mでも4分切りが16年間で崩れてしまった。
 明るい話題というのは、比較的忘れ去られるまでに時間がかからず、暗い話題は、ずっと記憶に残る傾向があり、毎年選ばれる漢字も、暗い話題に引っ張られることが多いように思える。人が生き残るには、人間の生存に取ってマイナスとなる要因は、教訓とする必要があるからなのかもしれない。

■2011年12月11日(日曜日)


市民駅伝の賞品



横須賀中央駅前の木
 市民駅伝に出場。今年も横須賀で働く自衛隊の関係者を中心に、チームを組み、30歳未満の部と30歳以上の部に出場した。自分は30歳以上の部の1区4.5kmを担当した。
 先週の記録会の結果から、今年は、先頭について行くことは難しいとわかっていたため、防大中距離チームをマークして走り、前半は、4番手で気持ちよく走っていた。しかし、2km手前から、脚が動かなくなり、腰痛も気になりだし、学生について行けなくなった。
 後半の上り坂以降は、さらに腰痛がひどくなり、スピードが落ちたため、少しずつ順位が落ちていった。8番手まで落ちたところで、自分の前を走っている選手が、知り合いだと気づいた。彼には負けたくなかったので、必死にスピードを上げ、しばらく彼の後ろについて走り、最後は、スパートして彼を振り切り、ついでに前にいる2人も抜き去り、全体では5番目にたすきを渡すことができた。
 2区以降は、5番争いをしながら、最終6区まで順位を譲らず全体の5番目でフィニッシュとなった。全体の1位は、高校生で大会新記録、2位は防大中距離チームで大会タイ記録だった。防大中距離には、優勝を狙わせていたのだが、大会タイ記録での2位なので、今年は高校生が強かったのだと思う。今年の防大は、長距離チームが主力選手を走らせなかったので、中距離チームは良く検討してくれた。
 30歳以上の部は、自分のチームが2位以下に9分以上の差をつけ優勝し、6人全員が区間賞だった。これで、全員区間賞での優勝は、2年連続となった。今後は、どこまでこの連続記録が続くか、走る選手にはプレッシャーがかかってくるのではないかと思う。

■2011年12月10日(土曜日)
 明日の駅伝のための調整走で学生たちと1000mを走った。明日走る4.5kmは、ペースとしては1kmを3分ちょっとなので、今日は3分を目安に走った。区間によってペースが違い、ほとんどの学生たちは、自分より短い距離を走る予定になっているため、みんなが自分より前を走っていた。結局タイムは3分を切るくらいで走れ、ほぼ設定通りの走りとなった。ほとんどの学生が3分を切って走り、昨年までであれば、3分を切って走れる学生の方が少なかったことを考えると、この1年で学生たちの競技レベルがかなり上がったように感じた。
 1000m走の後、短距離の練習に混じり、300mを1本走った。41秒程度で走れれば良いと思ってスタートし、ほぼ設定通りで走れた。しかし、腰に力が入らず、不安定な感覚で、後味の悪い走りとなってしまった。
 明日は、昨年のタイム(14分16秒)にできるだけ近づけるようにがんばりたい。

■2011年12月9日(金曜日)
 腰痛がひどく、この1週間は、あまり走れていない。普段通っている治療院の予約が取れないため、自宅近くにある整体へ行ってみた。最初に正座をし、左の骨盤がかなり下がっていることを指摘された。体の背面側すべてに強い張りがあり、特に右の腰は力が入らないような状態だった。また、骨盤も肩甲骨も背骨から外に開き、肋骨周りの筋肉にも強い張りがあり、かなり疲労があると指摘された。施術の最後に骨盤の左側の開きや落ち込みを回復させる運動と、肋骨周りの張りを緩和させるストレッチを習い、施術は終了した。筋肉がしっかりとついているために、筋肉のこわばりを回復させるのに時間がかかるようだ。今日行った整体の先生は、普段行っている治療院の先生と知り合いだったことがわかり驚いた。両者を上手く利用しながら、腰痛と疲労の回復に努めたい。

■2011年12月8日(木曜日)
 自衛隊が福島県の警戒区域の除染作業を始め、その映像が報道された。草を刈ったり、地表のジャリや土などを削り取ったりという作業が延々と繰り返され、大きな土嚢が積み重なっていた。映像を見ているだけで自分の腰が痛くなってきそうなほどの大きな土嚢だった。自衛隊の活動が始まったのは、まだ町役場の周辺のみで、地元の人たちが生活できるように除染するには、あまりにも面積が広すぎる。もし、必要な面積の除染ができたとしても、回収した放射性物質を含む土や砂利を廃棄する場所がどこにもないというのが、とても困る。今は、とりあえず、仮設の保管場所に集積しているようだが、このままでは、警戒区域中に、仮設の保管場所ができることになる。
 原子力発電で出される放射性廃棄物の廃棄場所が決まっていないのは問題だと思っていたが、今回回収した低レベルのものですら捨てる場所がなく、事故のリスクは本当に大きく、今後は、原子力を使わない発電にシフトする必要があるのではないかと改めて思うこととなった。

■2011年12月7日(水曜日)
 柔道でオリンピック2連覇を果たした内柴選手が準強姦容疑で逮捕されてしまった。警察は被害者の証言のみで判断しているので、加害者側の主張も聞く必要があるとは思うが、お互い、飲酒した状態での記憶なので、どちらの記憶が正しいという判断をすることも難しいのではないかと思う。飲酒した状態では、何が起こってもおかしくない。酒を飲むと、自分には何の変化がなくても、相手が別人のようになる場合もある。学生たちと飲酒する場合には、自分自身の行動をモニターしつつ、学生たちをよく観察し、問題が起こる前に飲酒をストップさせられるように気をつけたいと思った。

■2011年12月6日(火曜日)
 政府が、エネルギーの発電コストの試算を新たに発表した。原子力発電のコストは、以前の試算と比較し、5割近く増えたが、それでも、たの発電と比較すると、最もコストが低いと試算になっていた。これだけを見ると、原子力発電が最も良いとなってしまうが、放射性物質の中間貯蔵施設の建設費や福島第一原発の廃炉費用が試算されていないようで、他の発電コストと比較ができるものではないようだ。廃棄物も地中に埋めるということになっているが、埋める場所も決まっていないし、埋めた後の管理のことも考えると、さらに費用はかかるように思えてくる。様々な理由があって、原子力発電を推進してきたのかもしれないが、できるだけリスクの少ない発電に切り替えていく政策を採ってくれればと思う。

■2011年12月5日(月曜日)
 昨日行われた福岡国際マラソンの映像をニュースで見た。パートタイムアスリートの星、埼玉県庁の川内選手が、また活躍し、とてもうれしかった。中盤は、先頭集団から離れてしまったようだが、後半は、日本人トップに追いつき、何の躊躇もなく、一気に追い抜く姿はかっこよかった。実業団の選手にも意地があるので、激しい3位争いがあったようだが、川内選手の気持ちが勝っていた。川内選手が、東京マラソンのための調整にこの大会を走っていたことから、日本人選手との勝負よりも、自分を追い込む練習として激しい争いをしていたことがわかる。最近練習の一環としてレースに出て、納得のいかない走りで終わってしまう自分には、見習わなければならないことが山ほどあるように思えた。
 川内選手は、10月に大阪のマラソンを走り日本人トップになり、2ヶ月以内で、今日のマラソンを走り、さらに2月の東京マラソンまでに、もう1本マラソンを走るという。陸連関係者は、走らないように勧めていると言うが、彼は、自分のやり方で通すだろうし、応援する人たちも、既存の常識を覆して活躍する彼を応援するだろう。
 平日は、ジョッグが中心で、週末だけ強度の高い練習やレースに出場するというリズムが、本当に彼に合っているのだと思う。このままの勢いで2月の東京マラソンも活躍して欲しい。

■2011年12月4日(日曜日)
 日体大長距離記録会5000mに出場。腰の痛みは強く、走りきれるのだろうかという状態でスタートした。申請タイムが速かったためか、自分のペースで走っていたらすぐに一番後ろになってしまった。
 1000mの通過は3分04秒7。3分10秒くらいで通過できればと思っていたが、最下位でこのタイムだったので、自分のレベルから組のレベルがかけ離れていたと言える。申し込みの時点で、走る日のコンディションはわからないので仕方ない。
 2000mまでの1000mは、3分11秒0。やっと自分の設定したペースになったが、落ち着いたペースになったというよりも、自分のペースが落ち始めて維持できなくなっていた。腰痛がさらに強くなり始め、このまま残り3000mを走りきれるのだろうかという不安も強くなってきた。
 3000mまでの1000mは、3分21秒1。前から落ちてきた選手を少しずつ抜きながら走っていたが、前から落ちてくる選手もいなくなり、我慢の走りが続いた。まだ16分を切ることのできるタイムでの通過だったので、タイムを見てまだがんばってみようという気持ちにはなった。
 4000mまでの1000mは、3分29秒7。さらにペースが落ちて、腰痛もかなり強くなり、止めようかという葛藤との戦いをしていた。しかし残り1000mということで、なんとか完走だけはしようと思い、走りを続けた。
 残り1周になり、少しスピードを上げ、残り300mからは、前にいる集団に追いつけそうな差になってきたので、さらにがんばる気持ちが強くなった。最後の直線では、800mの時よりも速い速度で駆け抜け、目標に捕らえていた選手たちを全員抜くことができた。タイムは16分13秒64だった。 

■2011年12月3日(土曜日)


二十日大根
 最近、寝ているときに腰痛が悪化しているように感じる。夜は、腰の痛みで頻繁に起きるし、起きた後は、前日よりも痛みが増している日が多い。
 明日は、5000mの記録会に出場予定だが、調整走をするだけで腰痛がひどくなりそうで、さらに天候が雨ということもあり、モチベーションも低く、体育館で30分だけジョッグをして練習を終えた。臀部から腰部にかけての張りが気になる。最近の傾向では、2000m以上走ると、腰の痛みが距離と共に強くなる傾向がある。明日は、スタートラインには、立ってはみるが、棄権するかどうか走りながら判断しようと思う。

■2011年12月2日(金曜日)
 昼休みに、市内のスイミングスクールに子供の無料体験レッスンの申し込みに行った。申し込んだ際にもらった書類の中に、津波や地震が起こった際の避難経路等が書かれた紙があった。また、夜、市民駅伝の代表者会議があり、そこでも、津波が起こった際の避難について書かれた紙が配られた。こうした紙は今まで配られることはなく、1日に2回もこうした紙を見ることになったためとても驚いた。東日本大震災以降、危機管理は、最重要事項になってきていることを実感した出来事だった。

■2011年12月1日(木曜日)


火力発電所の煙
 高校のOBを中心に電話をかけているという業者から財テクをしないかという勧誘の電話がきた。そして、「敷居が高そうだが職場に伺いたい」と言っていた。「興味ありません」と言って、すぐに電話を切ったが、「敷居が高い」の使い方が間違っているのがとても気になってしまった。最近テレビでも頻繁にこの言葉を聞き、間違った使い方ばかりが目立つ。国語に関する世論調査では、間違った使い方をしている人のほうが割合が高いという報告もあり、正しい使い方をする人の方が少なくなっているようだ。そうなると、正しい使い方をすると、意味が通じない場合の方が多いということになる。ややこしいので、この言葉は使わない方がいいのかもしれないと思った。



[昔のいずみ]