最近のいずみ

Last Update:2011/2/28

パートタイムアスリートいずみ 11年目に突入 



■2011年2月28日(月曜日)
 京都大学で、大学入試時間中に質問サイトへ試験問題を投稿されて問題になっている。さらに複数の大学で行われていたことが発覚した。京都大学の数学の問題は、6問すべてが投稿されていた。あれだけの内容を誰にも気づかれずに投稿していたとすると、あきれるというよりもすごいと感心する気持ちの方が強くなる。カンニングの方法もいろいろとあるのだなぁと思った。さらに、ベストアンサーまで選び、お礼の書き込みまでしているというよくわからない礼儀正しさにも驚く。投稿した学生は、どこまで努力の方向を間違えれば気が済むのか?
 試験監督は、カンニングを発見するために配置しているというよりも、試験が円滑に行われるように配置しているのだろうから、受験生がよほど異常な動きをしない限りは、気が付かないかもしれない。試験をする側と受験する側の信頼関係で成り立つことなのだから、そういった信頼関係を失わせ、全国の大学に影響が及ぶようなことをしたこの受験生の責任はとても大きく、ただのカンニングではすまないように思う。年々人が信用できない世の中になっていっているような気がして、この問題もとても残念に思う。

■2011年2月27日(日曜日)
 東京マラソンで埼玉陸協の川内選手が、2時間8分37秒の好記録で日本人トップの3位となった。マラソン自体は見なかったが、39km地点でのラストスパートの映像を見ることはできた。最もきついところなのに、実業団の選手たちを振り切り、スピードを緩めることなくフィニッシュラインまで走りきっていた。フィニッシュ後の倒れ込み方やその後医務室へ搬送されたことなどを聞くと、最もきついところで、妥協をせず死ぬ気で走っていることがわかる。彼は、フルマラソンを走った6回のうち5回も医務室へ搬送されているという。
 今の自分にないものは、川内選手が見せてくれたような死ぬ気で走るということ。実業団の選手には負けたくないと思いながらも、どこかで勝てるわけがないという気持ちがあるように思う。公務員の川内選手が、がんばってくれることで、自分もまたがんばろうという気持ちになった。

■2011年2月26日(土曜日)


久里浜駅からの眺め
 東京マラソンの審判視察に来た高校時代の陸上部の恩師や高校時代の先輩たちと会う機会があった。先生は定年を迎え、2人の先輩は、大学教員となり、一人の先輩は、一般企業で今日中国出張から帰ってきたばかりだった。自分も大学教員となった。高校時代には、自分たちがこうやって再会することなんて全く想像できなかった。話の中心は昔話や陸上の話なのだが、先生の経験に基づいた各種目の指導法については、目から鱗が落ちるような話が盛りだくさんで、この会に参加した甲斐があった。これからもいろいろな指導を仰ぎたいと思った。

■2011年2月25日(金曜日)
 昨日の午後以降は、下痢がなくなり、体の状態はほぼ戻った。しかし、2週間くらい前から続く右臀部の違和感が強く、ジョッグがつらく、途中で続けられず歩いてしまった。昨日の下痢の影響か、ジョッグをしていても力が入らない感覚がある。丹田の気が抜けているという感じは、こういう感じなのかもしれない。

■2011年2月24日(木曜日)


双子のなす
 起きた瞬間から腹痛気味で、すぐにトイレへ駆け込むと、下痢だった。その後も何度もトイレへ行き、ある程度落ち着いたところで、やっと出勤となった。職場でも2回ほどトイレへ駆け込み、下痢は治らなかった。昼食を抜き、体の外に出すモノがなくなったためか、午後からは、トイレへ行くことはなくなった。
 夕方からは、頭痛がひどくなり早めに帰宅した。先週からどうも体調がすぐれず、練習どころではない。

■2011年2月23日(水曜日)


横須賀中央
 確定申告の時期に入り、昨年は住宅を購入したので、申告をしなければならず、どんな書類を集めればいいか調べてみた。しかし、必要な書類の名前が出ていても、それが自分の保持している書類のどれなのか、はっきりしなかったりして困った。
 法律に関わるいろいろな書類の正式名称はわかりづらい。現実にそぐわない場合もあるし、国会で現実に合った法律に改正していく必要があるのだが、今の国会は、それが機能していないように見える。やるべきことは山のようにあるので、与党内の仲間割れだったり、野党が政府を批判するのではなく、必要なことを決められる場を作って欲しい。

■2011年2月22日(火曜日)
 リビアでは、反政府デモに対して武力弾圧が行われている。戦闘機やヘリコプターにより無差別に爆撃がなされ、市民が多数亡くなっているとの報道もある。リビアの軍は、国民が兵士となるだけでなく、国外の人を傭兵として雇っているようで、市民への無差別殺人にも傭兵を使っているとの報道もある。兵士たちは、どのような気持ちで市民を殺しているのだろうか?体制を維持するためには手段を選ばない最高指導者は、最低な犯罪者でしかない。これだけの悪さをしていても国際社会の動きは鈍く、成りゆきを見守っているだけのように見える。現政権のおかげで、各国の国益が得られていたこともあるのかもしれない。現政権が倒れたときに、誰が次の政権を担うのかが不透明であるというのも原因の一つにある。各国は国益に結びつかなければ、動くことはないということなのだと思う。それがとてももどかしく感じる。

■2011年2月21日(月曜日)
 4年生の最後の授業があった。明日から試験期間に入るため、体育の授業が最後となるだけでなく、4年間の最後の授業となった。授業後にある学生が「これが最後の授業でしたよ」と感慨深そうに話してくれた。「体育の授業が最後で良かったです」とのコメントももらった。彼らの卒業後の活躍を願い、笑顔で母校へ顔を出しに来てくれることを願っている。

■2011年2月20日(日曜日)


家族と
 軽井沢プリンスホテルスキー場へ行き、長男とスキーをした。長男は、この2年間ウインタースクールというイベントに参加し、スキーを教えてもらっているので、はじめからリフトに乗って滑ることができた。天気は昨日と同じく晴れわたり、気温は高めで、雪はアイスバーンとなっていたため、滑りづらかった。ほとんどが人工雪なのだろうが、これだけ雪の降っていないスキー場だと客も少なめでリフトに並んで長時間待つことはなく、快適ではあった。長男は、ターンはできるようだが、直滑降が多く、転ぶときを除き、山の上から下までほとんど止まることなく、時間がある限り滑った。
 次男は、キッズスペースでそり遊びをしていたが、初めての雪遊びに満足したようだった。帰りは軽井沢駅までの車の中で寝てしまい、駅に着いたときに起こすと、家まで車で帰ると言いだし、新幹線には乗りたくないと泣いて抵抗したので、駅へ連れて行くのが大変だった。しかし新幹線に乗ってしまうと、またご機嫌になり、その後は、家に着くまで1度も寝なかった。これらも子供たちが年に1回くらいは雪と戯れる機会を作れればいいなぁと思う。

■2011年2月19日(土曜日)


雪だるまを作る子供たち
 長男は、毎年スキーに行っているが、次男は、スキーに行ったこともなければ、雪遊びをしたこともない。そこで雪遊びをさせてやりたいと思い、家族で軽井沢へ出かけた。次男は新幹線に乗るのも初めてで、駅のホームで目の前に新幹線が入ってくると、興奮して踊っていた。
 軽井沢の駅前は、車道にはあまり雪はなく、路肩に雪が積み上がっている状態だった。子供たちは、その雪をつかんだり蹴ったりして、大はしゃぎしていた。こんな少しの雪だけでこれだけ盛り上がれるのであれば、一面が雪だったときには、どんなはしゃぎ方になるのだろうか。
 今日は、ホテルに着いた後、ホテル前の道で雪だるまを作ったり、雪合戦をした。雪が溶けかかった状態なので、雪を集めて固めるのに苦労した。雪合戦では、子供たちは雪の塊を投げてくるので、さらさらの雪と比べ、かなりの重さがあり、当てられたときの衝撃があった。予定していた降雪状態ではなかったが、子供たちが十分楽しめ、旅行の目的の一つは達成できたのではないかと思う。

■2011年2月18日(金曜日)
 大学の1期上の先輩が亡くなったという訃報が入ってきた。昨日深夜に交通事故で亡くなったという。誰もが明日も生きているという前提で生きているが、誰もが明日この世からいなくなるという可能性がある。知り合いが亡くなるたびに、1日1日を後悔なく過ごすことが大事だと思う。

■2011年2月17日(木曜日)
 長男が時間を守らず困っている。友達の家に遊びに行く際に、帰ってくる時間を約束させたのだが、友達の親にも帰る時間を連絡してあるのに帰ってこなかった。家に帰ってくる時間になって友達の親から途中まで送るとの連絡があり、迎えに行ってみたが、まったく帰ってくる気配がなく、妻は、友達の家まで行ってみたところ、まだ遊び続けていたという。おもちゃを片づけさせて帰ってくると食事の時間になっているのだが、全く食事の準備ができていないという悪循環になり、妻は、腹を立てつつ友達の親の時間感覚が理解できないと言って嘆いていた。
 別の友達であれば、時間になると自分で帰っていくので、長男にも時間の感覚があれば、必ず帰ってこられると思っているのだが、周りに流されやすい傾向があり、さらに友達の親が、時間感覚がルーズ過ぎるということが重なった結果、長男は叱られることになった。登校時も友達との集合時間に遅れていくことが多く、友達とゆっくり歩いていると遅刻することもあるらしい。妻と共にどうしたらいいのだろうかと悩むことが続いている。

■2011年2月16日(水曜日)
 次男が3歳児検診の日で、朝から尿検査、視力検査、聴力検査を行わなければならなかった。尿検査は、おむつに漏らされていたら終了となってしまうが、おむつに漏れた状態で起きてきたが、なんとか採取することができた。問題は視力検査で、次男に何度説明しても理解してもらえず、次男に撮っては新しい遊びの感覚で、ふざけてしまって検査にならなかった。聴力検査は、紙に書いてある絵について耳元でささやき、子供がそれを指さすというものだったが、これはうまくいった。
 検診会場での検査は、子供が電車の絵本を見ている時に、その電車の色を、突然聞いてくるなど、子供からすれば、「この人誰?」という状態だったようで、本人は色はわかっていても、わざと「わからない」と答えて、質問が終わった後にすべての色を話したという。担当の職員があまりにも形式的で感情のない質問の仕方だったそうで、子供は敏感に反応するのだと思った。子供は賢い。

■2011年2月15日(火曜日)


久里浜の砂浜
 昨日は8時過ぎには床に就き、しっかり寝てみたが、昨日とあまり変化はなく、平熱のまま頭痛が続いている。授業がなかったので、明日以降の授業に備えて休暇をとり、午前中はずっと寝た。午後になると、頭痛や筋肉痛は緩和し、幼稚園から帰ってきた子供と散歩に出かけた。官舎に住んでいたときには、頻繁に子供と散歩したが、引っ越しをしてからはなかなか子供と外に出ることはなく、久しぶりに子供とゆったりとした時間を過ごすことができた。

■2011年2月14日(月曜日)
 朝から、右側の中臀筋に張りや痛みを感じ、歩くだけでぎこちなさを感じるほどで、ジョッグができなかった。昨日の疲れのためなのだろうか?
 夕方から首周りの感覚がおかしくなり、発熱しそうな雰囲気を感じた。夜になると頭痛が発生し、筋肉の痛みが中臀筋だけでなく、左側のハムストリングスだったり、下腿だったりするので、ひょっとしたらインフルエンザなのではないかと心配になった。何事もないことを願う。

■2011年2月13日(日曜日)


日本人トップ
(鎧坂選手)




学生たちと
 千葉国際クロスカントリーに出場した。世界トップクラスのレースが目の前で見られ、さらに同じレースに出ることもできるという話を学生たちにしたところ、7名の学生がエントリーした。しかし、体調不良、怪我、卒論のために3名が欠場し最終的に4名が参加となった。
 自分を含めた5名が出場するのは、最終種目の4000mだったため、それまでに様々な種目を見ることができた。特に男子12000mは、カロキ選手(SB食品)が独走し33分台でフィニッシュするなど、超ハイレベルなレースを見せつけられた。学生たちも大興奮で、特に目の前を通過する際の、こちらに伝わってくる振動が、想像以上のものだった。日本人選手たちが通過する際には、それほどの振動はなく、ケニアの選手たちは、日本人と比べ、地面に対して強い力を与えていることが実感でき、速くなるために何か工夫できることがあるのではないかと思えた。
 男子4000mは、100名を超えるエントリーがあり92名が出場した。スタートは全員が横一線で並ぶため、スタート直後の直線ダッシュから右カーブへさしかかるところが、非常に混雑した。今年は昨年よりも参加者が20名以上多いため、いつも以上にカーブを大回りせざるを得なくなった。1000m平均を3分10秒〜3分12秒程度で走る目標を立て、前半を抑えて、後半の失速をできるだけ少なくする作戦で走ったが、1000m通過は3分02秒となり、次の1000mで3分13秒かかり、前半から失速が始まってしまった。さらに2000m〜3000mの間は3分20秒台まで落ちてしまい、目標のタイムは厳しくなった。日本トップクラスの800mランナーたちも自分の3秒〜5秒くらい前で走っていて、フィニッシュでは彼らに追いつくつもりで走っていたが、最後の1000mで一気に差が開いてしまった。最後の1000mは3分14秒台で、トータル12分51秒でのフィニッシュとなった。昨年よりも6秒タイムは上がったが順位は落ち、3年前に記録した最低順位と同じ47位だった。
 学生たちは、他の選手たちのスタートダッシュの速さに驚いたようだった。どんなに全力で走っても全く追いつくことができない。大きな力の差を感じ、来年はもっと強くなってこの大会に出たいと話、こちらも参加させた甲斐があったと思った。

■2011年2月12日(土曜日)


子供たち
 友人家族が家に遊びに来た。次男は自分よりも年下の子供と遊ぶことは滅多にないためか、自分の遊んでいるおもちゃを貸して欲しいと言われると、遊びたいのをグッとこらえて貸してあげるなど、お兄ちゃんぶりを発揮していた。2人がまともに会話をすることはなかったが、一人が大声を出せば、まねをして大声を出すなど、あっという間に意気投合し、うるさいほどだった。
 友人の奥さんは、小学校の先生をしているというので、学校で生徒をさん付けすることについて違和感があることを話してみたが、現役の先生でも違和感はあり、授業中は決められたとおりさん付けするが、授業を除けば、そうとも限らないとのことだった。うちの子供の小学校では、背の順で整列することもないのだが、それについては驚いていた。平等を過剰に演出しているのではないかという意見で一致した。

■2011年2月11日(金曜日)
 1月末に掃除機が壊れ、新しい掃除機を購入したが、届くまでに10日以上かかり、昨日やっと届いた。早速新しい掃除機を動かしてみたが、最新の機種だけあって、吸い込みも強く、対象によって吸い込みの強さを自動調節するなど、以前の掃除機では考えられない機能が詰まっていた。
 最も驚いたのは、回収したゴミの中身。新しい掃除機では、埃というよりは塵といったほうがいいくらいの細かいゴミを吸い込み、集まったゴミの中からは粉のようなゴミが出てきた。以前は、埃や砂は吸っても、そんな細かいものは吸い込めなかった。畳を掃除してもあまりきれいになった感じがしなかったが、この掃除機であれば、きれいになったような感じがしてくる。当分は、以前のものと比べ、きれいになったなぁと思いながら、楽しく掃除ができそうだ。

■2011年2月10日(木曜日)
 棒高跳びの授業をするため、授業の予習をするべく久しぶりにポールを握った。授業用のポールは、普段誰も握っていないため、砂や埃がこびりつき、握っただけで手が真っ黒になり、ぞうきんで拭けばよかったと後悔した。
 自分が背伸びをして届く高さでポールを握り、ぶら下がるようにして自分の体を引き上げる動作を何度も練習したが、自分の重心線に近いところにポールがあるときは安心してぶら下がれるが、重心線から離れてしまった場合は、たいした高さではないのにかなりの恐怖感があった。失敗ジャンプのときは、着地で転びそうになり普段行っていない動きをするため、尻周りを中心にいろいろな部位を痛めた。ぶら下がる度に右の大胸筋が自重で引っ張られ、痛みが出そうな感じだったので、痛みが出る前にやめた。週末には、千葉クロカンに出場する予定なので、尻周りの痛みが気になるところだ。

■2011年2月9日(水曜日)
 次男のインフルエンザが治ったと思ったら、妻の具合が悪くなった。次男の幼稚園が今日から5連休となるため、眠ることと子供の世話を両立しなければならなかったことはつらかったと思う。DVDを見せて寝る時間を確保したとのことだったが、1日中微熱があり常に悪寒が走っているような状況で、全く回復の兆しはなかった。子供が家にいなければ、ある程度静かに体を休められただろうが、タイミングが悪かった。夕方以降は、こちらで子供の世話をすべて引き受けたので、ある程度安心して眠りにつくことができたとは思う。しかし、子供が家の中にいるというのは、なかなかうるさいことだ。眠るというよりも、ただ横になっただけなのかもしれない。とにかく早期回復を願う。

■2011年2月8日(火曜日)
 今年初めて鍼灸院へ行った。左の下腿、大腿二頭筋、右の中臀筋に張りがあり、歩いているときにも違和感があった。記録会の疲れかなのか、日曜日の庭仕事の疲れかなのか、中臀筋の張りに思い当たることがない。張りがひどいときには、筋肉がはっきりと浮き出るほどらしいが、今日は、施術を受けるとすぐに張りが緩和し、疲労は初期段階だったようだ。アキレス腱の違和感はまだ続くが、はっきりした痛みではなくなってきた。もうしばらくつきあっていけば、完全回復も見えてくるのではないかと思った。

■2011年2月7日(月曜日)
 連日、大相撲の八百長問題の報道が続いている。千秋楽に8勝ギリギリの力士がたくさん発生することは、昔から不思議に思っていたが、裏ではいろいろな取引や人情があったのかもしれない。大相撲はいつからスポーツとして認識されるようになったのだろうか?元々スポーツとして発展した競技ではないのだから、そういったことをすべて認め、スポーツに分類することをやめればいい。スポーツのようでスポーツではない。そういったはっきりしないところがどことなく日本らしくておもしろいと思うが、スポーツにしてしまうから、ルールがうるさくなり、白黒をはっきりとさせなくてはならなくなる。公益法人から離れ、プロレスのような興行にして、もっと自由な発想で相撲を発展させたらどうかと思うが、伝統と格式が常に叫ばれる大相撲では、難しいことなのかもしれない。

■2011年2月6日(日曜日)


掘り出されたスコップ
 久しぶりにゆっくりと家で過ごし、庭の瓦礫集めに精を出した。この1ヶ月は、乾燥していたため、庭の土もかなり硬くなり、なかなかスコップが入らず困った。スコップが土の中に入ると土の塊がいっぺんに動くこととなり、その塊は石と変わらない堅さのため、ある程度細かくするのに時間を取られた。
 今日、掘り返して、驚いたことは、錆び付いた大きなスコップが出てきたこと。なんでこんなモノが埋められているのか?さら地にした業者は、さら地にすることだけしか考えず、埋めてしまえば、わからないだろうという気持ちで作業をしていたのだろうか?あらためてひどい業者だと思った。

■2011年2月5日(土曜日)


走水神社まめまき
 横須賀市長距離記録会の男子5000mに出場した。昨日から、左脚にシンスプリントのような痛みが発生し、完走できるのだろうか?という状態だったが、練習の一環として少し無理して出走した。
 先月の記録会は、入りが速すぎたために後半は失速したため、今回は、できるだけイーブンペースで走りきることを心がけた。しかし、スタート直後は、先頭の勢いにつられ、200mを32秒台で通過してしまい、すぐにスピードを落としペースを落ち着かせることができた。それでも1000m通過は3分07秒台で、予定より少し速かった。その後は、3分13秒、3分15秒、3分15秒と安定したペースで刻めたため、15分台が見え、残りの1000mは少しペースアップをし、少しずつ前の選手を抜いていった。ラスト1周でスパートし、1年ぶりの15分台となる15分51秒28でフィニッシュした。呼吸もつらくなく、最後までがんばらずに走れた。昨年の秋は、なかなか16分が切れなかったが、なぜあんなに苦しかったのだろう?と思うほど今日は余裕があった。シンスプリントの痛みやアキレス腱の痛みは、まだ残っているが、とても良い練習となった。

■2011年2月4日(金曜日)
 次男は、朝「熱が下がったー!!」と言って元気に起きてきたが、熱を測ってみると38.0度だった。関節の痛みがなくなったようで、熱は下がらなくても昨日とは全く違う感覚だったのかもしれない。朝から食欲があり、見た目は全く病人ではなくなっていた。夜、帰宅したときには、さらに元気になっていて、熱は、平熱に戻っていた。普段、子供の切り傷や擦り傷が、あっという間に元に戻っているのを目にするが、今日は、それ以上に子供の快復力の強さを実感した。

■2011年2月3日(木曜日)
 次男は、朝起きたときから、「脚が痛い」とか「手が痛い」と言って、体中の痛みを訴えていた。いつもは眠かったり、自分の都合の悪い時に痛みを訴えるので、少し放っておいたのだが、時間が経つに連れて、朝食にはほとんど手をつけず、痛みを訴える箇所が多くなるので、おかしいと思い、熱を測ってみたところ、37度台だった。次男の幼稚園では、インフルエンザになる園児が次々と増えているらしく、インフルエンザの疑いがあるので、幼稚園を休ませた。
 病院での検査の結果は、陽性でA型のインフルエンザに罹っていた。予防接種をしていたためか、熱は、38度台までしかあがらず、本人にとってはちょっと具合が悪い程度の症状だった。処方されたリレンザという薬を飲み、その後は、比較的おとなしく寝ていたようだ。3歳児では、家の中での隔離がなかなか難しいが、できるだけ接触しないように対処したい。

■2011年2月2日(水曜日)
 霧島山・新燃岳では、連日爆発的な噴火が続いている。昨日は、爆発の空振で建物の窓ガラスが割れている映像が流された。陸上自衛隊の都城駐屯地に卒業生が勤務しているのだが、先日連絡をとったところ、毎日火山灰が降り続き、大変な状況で、災害派遣で出動することが決まったと話していた。地震であれば、ある程度時間が経てば、揺れはおさまるだろうが、火山の爆発では、どのくらい爆発が続くかわからない。地元の人たちは、毎日路上の火山灰を掃いてはいるが、掃いても掃いても降り積もっていく。まさにぬかに釘という状態なのではないだろうか。早く噴火がおさまることを願う。

■2011年2月1日(火曜日)
 チュニジアの政変の影響により、エジプトでは大統領退陣を要求するデモが日に日に拡大し、連日様々なメディアで報道が続けられている。軍は、街へ戦車を出して多少圧力をかけているが、デモと軍との衝突は起こっていない。軍の広報官は、国民には発砲しないと発表し、大統領は、強硬な態度がとれなくなった。独裁者の国家では軍は私物化されているような状態が多いが、エジプトでは、軍が大統領の影響下にはありながらも、ある程度距離を置き、国民の怒りを理解しているように見える。
 エジプトの周辺国でも次々と同じようなデモが起こり、国民がみんなで動けば国を変えられるという希望で満ちあふれている。東欧が崩壊したときも、それぞれの国が情報統制をしていても、周辺の国で何が起こっているかという情報は、国民にはしっかりと流れて、民主化がなされた。中東地域も、同じような勢いが感じられる。そういう意味では、北朝鮮は、隣国が中国と韓国しかなく、似たような流れができるには、中国の一党独裁が崩壊することが条件になるのかなぁと思った。北朝鮮のトップは、必死に軍の掌握に励んでいる。世界各国で起こっている民主化の動きを目の当たりにしてさらに焦りを感じているのではないかと思う。



[昔のいずみ]