最近のいずみ

Last Update:2011/3/31

パートタイムアスリートいずみ 11年目に突入 



■2011年3月31日(木曜日)
 長男が自分の持っている100円をドラえもん募金に入れたいと先週から話していて、なんとか希望を叶えてあげたいと思っていた。しかし、今回の募金は、電話ではできず、三井住友銀行の指定された口座に入れる必要があり、口座振替では、子供たちが募金したという気分が味わえず、横須賀には三井住友銀行も存在していなかったので、ドラえもん募金はやめることにした。そのかわり昨日から3日間だけ長男が通うスイミングスクールに募金箱があったので、その募金箱に入れることとなった。
 小学1年生の子供が被災した人たちのために募金をしたいという気持ちがあったことがとてもうれしく、自分も1万円分の500円玉を子供たちに募金してもらうことにした。すると長男は自分も500円を出すと言いだし、最終的には、10800円の募金となった。
 3歳の次男は、ラジオの放送に対して、「毎日、原発事故って言っててつまんない」と言いながらもラジオをしっかり聞いている。毎日ニュースを聞いていることで、わからないながらも何となくどんなことかイメージが出来ているのかもしれない。毎日の積み重ねは大事なことだと改めて感じた。

■2011年3月30日(水曜日)


浦賀ドッグ跡
 大震災以降、ガソリンの供給が少なくなったり、子供たちが春休みになり、家族が車を使うようになって、通勤は自転車が多くなった。車に乗っているときには、車道を走る自転車は、とても危なく感じるが、自転車に乗っていても、バスや大型トラックが自分の横を通り過ぎるときには、危険だなぁと思う。どうしても危ないなぁと思うときには、歩道に入ってしまうが、歩行者にも迷惑をかけるし、困ってしまう。オランダでは、自転車専用道が車道とは別に独立して用意され、信号でも車、歩行者、自転車に分けられてライトがつくようになっている。今更日本で同じことをするのは難しいのかもしれないが、もう少し車と自転車がお互い気持ちよく走れる道路にならないかと思う。

■2011年3月29日(火曜日)
 子供たちは春休みなり、兄弟でけんかをしながら遊んでいる。今日は、車の運転中に妻が地震のニュースを聞くためにテレビのニュースにチャンネルを合わせ、聞いていたところ、次男は、原発の問題に対して、「水ポケモンを使ったらいいのに」と言ったという。次男は、テレビアニメ「ポケットモンスター」の話から、水をまくのであれば水ポケモンがやってくれると思ったのだと思う。それに対して長男は、ポケモンは現実の話じゃないから無理だと事実を話し、次男の話を否定したために、けんかになったという。いろいろなことで兄弟間のけんかが起きるが、原発の話題からけんかになるとは驚きだった。毎日ニュースで地震や原発関連の話題が流れるので、子供たちもイヤでもこうしたことを考えることになってしまうのだろう。

■2011年3月28日(月曜日)


畑作り
 昨夜、就寝していた次男は「地震だ!!」と言って、大声で泣き、こちらに助けを求めに来て、そのままこちらの布団に入り就寝した。彼は幼稚園にいるときに地震に遭ったのだが、避難訓練もしていたので、先生の指示により安全に園庭にでるなど、特に怖がる様子はなかったのだが、心のどこかで恐怖心があったのだということがわかった。
 昨夜のことについて次男に聞くと、夢で見たそうで、「今度、みんなでお家にいるときに地震が来たら、鉄砲でバンってやる」と言っていた。長男は、その話を聞いて、「マントルを冷やすことを考えればいい」と別の解決策を提案した。どちらも現実的には難しいが、子供たちは子供たちなりに地震の恐怖を身を以て体験し、解決策を考えていることがわかり、感心した。

■2011年3月27日(日曜日)


三浦海岸(左奥には大島)
 買い物に行き、次男が駐車場へ飛び出して行き、車が近づいていたので「おい!!」と大声を出し呼び止めたところ、次男は、「そんなふうに怒ったら、パパが恥ずかしいよ」と言って逆に怒ってきて、笑ってしまった。最近、次男は親や長男が言ったことに対し反論することが多い。親は、次男の反論に対して、笑ってしまうか、適度にやり過ごし、次男がそれ以上怒らないようにするのだが、長男は、次男の反論に対して、また反論をするために、次男はさらに反論をするという悪循環になる。長男の方が優勢なので、最後は次男が大泣きし、その後は何を言ってもこちらの言うことを聞かなくなってしまうことが多い。長男も、もう少しうまく話をしてくれればいいのだが、まだそこまでは気が回らず、自分の言いたいことを言ってしまう。小さな人間関係だが、子供たちは、こうしてコミュニケーションを学んでいくのだと思う。

■2011年3月26日(土曜日)


潮干狩りをしました
 東京都の水道水は1日で乳児の飲用制限が解除され、他の県でも同様に解除されつつある。一時の数値が高かったというだけで済めばいいが、福島では、土壌の放射性物質の値が、最高値になったとの報道や、原発付近の海水からも法律で定められた1250倍のヨウ素131が検出されたとの報道もあり、原発事故がおさまらない限りは、こういった内容の報道はさらに多くなる可能性がある。
 新型インフルエンザ騒ぎの時もそうだったが、人の目には見えないものが脅威となることほど、恐ろしい。放射性物質はヨウ素だけではない。今後は、ますますこうした脅威が増えてくる可能性が高い。そういう意味では、日々の計測値を注視していくしかないのだと思う。

■2011年3月25日(金曜日)
 子供が小学校で終業式を迎え、通知表を持って帰ってきた。長男の学校では、先生から成績表と言われてもらったようだが、その成績表には、どこにも「成績表」とは書かれていない。見ただけでは、何の紙なのかわからない。
 評価方法にしても○(できました)と△(もう少し)の2つだけ。長男は、前期と同じくすべて○だった。良くできたと褒めてはみたが、家での生活を見ていると、本当にすべてが○になるとは思えず、複雑な気分だった。
 自分も学生の成績をつけるのだが、陸上競技なので、基本的には記録で評価する。記録を基にすれば成績は明らかなのだが、それでも学生の一面しか見ずに評価をしているのだと思う。一面だけでなく様々な面を総合的に評価しようとすればするほど、評価は難しくなる。というよりも評価出来なくなる。考えを突き詰めていくと、人が人を評価することができるのか?ということになってくる。評価する側もされる側も、ある程度割り切ってこの評価とつきあっていくしかないのだと思う。

■2011年3月24日(木曜日)
 週末に近所の海岸線沿いの道路で行われる予定だった北下浦マラソン大会が中止となったが、子供のTシャツが参加賞として送られてきた。返金された場合には、震災の募金に回そうと思っていたが、大会事務局も、様々な経費がかかり、参加賞もできあがった状態では、参加賞を参加者に発送するしかなかったのだと思う。参加賞と共に送付された中止説明の紙には、残った参加費は、すべて震災の募金に使用すると述べられていて、安心した。全国各地で、大会の中止が続いているが、こういう形で募金がなされれば、かなりの額になるのではないかと思う。この大会以外にも申し込んだレースすべてが中止になっているので、返金がある場合は、募金に使用したいと思う。

■2011年3月23日(水曜日)


横須賀火力発電所
 東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限を超える放射性ヨウ素131が検出され、東京23区と多摩地区の一部で、都は乳児の水道水飲用を控えるようにとの発表をした。福島県産の一部の農産物についても、出荷停止や摂取制限が出されている。今のところ、法律としては規制値が決められていないので、暫定規制値を基準とし、これがかなり厳しめの値とのことで、飲んだり食べたりしても直ちに健康に影響はないという。
 都内では、すぐに店頭からミネラルウォーターがに売り切れてしまった。同じことが自分の地域にも起こっている。このニュースを聞いた一般市民は、値についてはよくわからないが、とにかく不安でたまらないというのが正直なところだと思う。大地震が起こる前と比較すれば、空気中にある体に悪いモノの濃度が高まっているということだけは間違いない。健康に影響がない程度の値だけど、これらの情報を公表し、念のため注意を呼びかけた結果、混乱を招いてしまっているように見える。しかし、公表しなければしないで、逆に問題視されることになり、発表する側にとってはどちらにしても批判を浴びることになるのが気の毒でならない。
 今回発表された値は、サンプルの値であって、違うサンプルを抽出すれば、もっと高いかもしれないし、低いかもしれない。今日の値と明日の値も違う。とにかくわからないことだらけ。しかし、福島の原発周囲の土地の汚染は間違いない。その地域に住んでいた人たちは、今後、家に戻ることが出来るのだろうか。チェルノブイリ原発周囲のように、立ち入り禁止地域になるような汚染が起こらないことを願いたい。

■2011年3月22日(火曜日)
 昨日、風呂掃除をしていたときに、ぎっくり腰となり、何をしていても腰が痛くて日常生活が苦しい。昨日までは、先月から痛めている右股関節と左アキレス腱が気になっていたが、腰の痛みにより、今までの痛みはどこかへ消えてしまった。ペインシフトという考え方があるが、ペインシフトという言葉の通り、痛みが移動してしまった感じがする。また、当分運動ができなさそうだ。
 東電横須賀火力発電所の再稼働が決まったという話を聞いた。長期停止中で再稼働には時間がかかるようだが、不足する電力をできるだけカバーするために、夏には稼働するという。火力発電所が稼働すれば、煙突から煙が出ることになる。ある程度はフィルターにより有害な物質を少なくして排出してくれるのだろうが、毎日それを浴びることになれば、やっぱり健康に影響が出るのではないかと考えてしまい、不安になった。

■2011年3月21日(月曜日)
 新聞の厚さがとても薄くなった。妻は、それだけ、普段は必要のない情報があふれていたのではないかと言っていた。地震の影響で、資源の節約だったり、紙面を少なくすることで、印刷に必要となる電気の節約をするということも考えられる。紙面が少なくなれば、限られたスペースに今本当に必要な情報だけを載せることになる。我が家は、日経新聞を購読しているので、他紙と比べ不必要な情報は少ないように考えていたが、いろいろと考えてみると、妻の言っていることもある程度当たっているのかもしれないと思った。

■2011年3月20日(日曜日)


卒業生たちと





短距離パートの学生たち
 学生の卒業式が行われた。大地震の影響で、県内の多くの大学では卒業式が中止になる中での卒業式だったが、首相や大臣列席の下で行われたという。毎年卒業式には参加していたが、今年は学会に行く予定だったため、参加の希望を出していなかったため参加できず、午前中は、家で過ごし、午後の卒業生見送りにだけ参加した。
 卒業生たちには、「おめでとう」と言って見送り、学生たちは「ありがとうございます」と言って卒業していった。4年間閉じこめられていた学校から解放され、清々しい気分になっている卒業生も多くいるのかもしれないが、自分が学生の時には、あまり大きな喜びはなかった。卒業後、自分がどういう仕事につくのかがイメージできず不安の方が強かった。そういう卒業生もある程度はいるように思う。そうした思いが強かった中にも、一瞬だけ清々しい気分になれる瞬間はあった。それは卒業式直後の帽子投げ。帽子を投げた瞬間、会場中のカメラのフラッシュがたかれ、何かを叫び全力で会場を走り去る時だけは、不安が頭をよぎることがなく、とても心地よかった。今年の学生は、この帽子投げは自粛され、この開放感を味わうことはなかった。震災直後ということもあり、卒業生たちはどういう思いで卒業していったのかが気になる。
 不安に思っている学生は、ずっと不安なままなのだと思う。将来に対して見通しが立たなければいつまで経っても不安は続く。幹部自衛官は、2〜3年に1回は転勤があり、職場が変わる。そのたびに不安になり、自分の仕事がしっかりと出来るようになれば、その不安は解消される。こうしたことの繰り返しにより鍛えられていくのかもしれない。帽子投げが出来なかった今年の卒業生には、特に活躍してもらいたい。がんばれ55期生。

■2011年3月19日(土曜日)


次男の絵
 学会が中止となり、福島第1原発の影響で外の空気がどうなるのかという不安もあり、午前中は、外出を控えていた。しかし、子供たちは体を動かしたくても、家の中では限界があるので、結局夕方からは、家族で駅前まで散歩に出かけた。
 携帯電話のお店で必要な手続きをしにお店に入ったところ、店内の子供のコーナーではアニメ映画が上映されていたので、子供たちは見入ってくれ、とても助かった。帰り際に少し大きな地震があり、早速店内に展示されていたスマートフォンで起こったばかりの地震を調べたところ震度3の表示になっていた。長男は、地震に関係なく映画を見続け、地震が起こったことに気が付かなかった。長男は、集中力に欠けるところがあるのだが、テレビについてはかなりの執着があり、見入ってしまったのだと思う。もっと大きな地震だったら、逃げ遅れも考えられる。もう少し周り状況も気にするように話はしたが、本人はわかっているのかどうかわからない。とにかく今日は何事もなく無事で良かった。

■2011年3月18日(金曜日)


スーパーは品切れです
 朝、ランニング学会の関係者から電話があり、明日と明後日開催される予定だった徳島での学会が中止となったと告げられた。火曜日の時点では開催するとのことだったので、参加する予定にしていたが、急遽、旅行会社へ行き、ホテルや航空機をキャンセルしなければならなくなった。航空機は、キャンセルをしても払い戻しはないと言われていたが、今回は大震災の影響ということで事情が違い、キャンセルをしても全額払い戻しとなりホットした。
 卒業生からは、今日で災害派遣に出て7日目になったとのメールがたった1行だったが届いた。どんな仕事をしているのかはわからないが、終わりのない過酷な勤務に対しはげましの返信をしたところ、本格的にきつくなってきているとの返信が来た。肉体的にも精神的にも厳しい状況での仕事だが、彼らの仕事が明日の日本を支えているのだと思う。一人でも多くの人が救われるよう願う。

■2011年3月17日(木曜日)
 大地震以降、新聞を読む時間が減った。新聞紙の厚さが減ったということもあるが、地震の情報については、あまり読もうという気分になれない。テレビやラジオでは、新しい情報が入れば、すぐに視聴者には伝えられるが、新聞は、前日までの情報しか載っていない。地震が来るまでは、それほどテレビやラジオをつけることはなかったが、地震後は、必ずどちらかをつけている。テレビやラジオでは地震の情報ばかりで、あまり中東のデモなどの情報は入ってこないので、こちらは新聞の記事を頼ることになる。
 大地震以降、テレビのCMはACJAPANが多いが、何度放送されても見入ってしまう。特にみすゞさんの「こだまでしょうか」という詩には、子供たちをみていると、この詩の通りなので、とても心に響き、子供たちは、自分たち親の鏡なんだということを自覚させられる。うるさいCMがなくなり、CMの度に自分と向き合う時間が来るような気がする。
 職場では午後3時過ぎから停電になり、トイレに行った際、手を洗おうとして、水が出ず、センサー式だったことに気が付いた。昨日は停電で信号が止まったために、駅前の交差点は警察官3〜4名が誘導していたが、今日は、信号に発電機が設置されたようで、警察官は1名だけで、普段通りに車や歩行者は通行していた。電気がどれほど生活に浸透していて大事なモノなのかを、改めて感じることとなった。

■2011年3月16日(水曜日)
 次男は、プレゼントと言おうとするとプゼレント、万歳を言おうとするとザンバイとなってしまう。ゆっくりと言ってもどうしてもそうなってしまう。本人は、伝われば問題なさそうで、発音できないことに特に違和感はなく、逆に親が笑うので、喜んでその言葉を使う感じもある。
 次男は叱られると、叱られたことに対して何とか反論をしようとする。長男であれば、黙り込んで、何も意見を言わないので、何を考えているのかわからず、本人もかなりのストレスをためているように見えるが、次男は自分の言葉で何とか伝えようとするので、意味の不明なことは多いが、ある程度何を言いたいのかはわかり、長男と比べるとストレスも少ないように見える。同じ家に生まれた兄弟でも、全く性格などは違い、観察しているととてもおもしろい。
 停電は、夕方6時20分から3時間程度だったが、自分の住んでいる地域は、停電にはならなかった。しかし節電のため、子供たちは7時前には寝かせ、自分たちも早めに寝た。

■2011年3月15日(火曜日)


ガソリンスタンド渋滞




信号の停電
 朝7時前から計画停電が始まった。我が家は計画停電の地域に指定されていたにもかかわらず、停電はなく、家の前の信号も消えることがなかった。道を挟んだ地域は停電し、一つ先の信号も消えていた。山を挟んだ隣の地域も計画停電の地域でありながら停電はなかったということなので、送電の系にが違ったためにこういったことが起こったのかもしれない。
 ガソリン不足のため出勤は自転車に切り替えた。朝から停電だったので、ガソリンスタンドも営業していなかったが、出勤時には、すでにガソリンスタンド渋滞が出来ていた。道は、渋滞が多く、普段であれば2分程度で通過できるところが1時間以上かかっているとのことだった。
 福島の原子力発電所では、次々と爆発や火災が起こり、放射線量の値が高まっているようで、茨城では普段の100倍、東京では20倍、横須賀でも9倍の値を記録したという。レントゲン1回と比べれば極めて低い数値で、健康には影響がないそうだが、不安になる。放射線量の多い地域では、皮膚を露出させないようにし、外から帰ったら、着ていたものをすべてビニールに入れ縛っておくという対処法がテレビでは紹介されていた。ビニールに入れた衣類は、もう着ることが出来ないということなのだろうか?外出から帰ったらすぐにシャワーを浴びたほうがいいそうなので、衣類も洗濯すれば放射線は落ちるのだろうか?いろいろと疑問が出てくる。各地域の放射線量情報を定期的に流してほしいと思った。 

■2011年3月14日(月曜日)


家の階段が少し欠けました




浦賀の渡しで帰りました
 今朝、次男は起きた時に最初に話したことは、中学校の体育館の床が冷たかったことだった。一晩の避難生活が強烈な印象だったことがよくわかった。幼稚園で地震に遭い、なかなか帰宅できず、その後は、行ったこともない場所で一晩を過ごさなければならなかったのだから、とても心細かったのだと思う。長男は、テレビの報道を食い入るように見ていたそうで、地震や津波がどのくらい恐ろしいものなのかを実感しつつ見ていたようだ。普段は、時間にルーズで、親の言うことも無視することが多いのに、今回の避難では、荷物を進んで持つなど、珍しく母親の手伝いをし、頼もしい一面を見せてくれたようで、よくやったと褒めた。
 昨日から、食料を大量に購入する人が多く、スーパーやショッピングセンターはすごい人だかりだと聞いていたが、職場からの帰宅時に、いくつか店に寄ってみたが、話の通り、普段では考えられないような行列が出来ていて、食料はほとんどなくて驚いた。職場のコンビニでも、カップラーメンやレトルト食品は一つもなかった。しかし、普段は入ることのないコンビニに入ったところ、他の店と違い、何事もなく必要な食材がすべてそろっていて購入することができ、ホットした。
 ガソリンスタンドでは、昼過ぎにガソリンがなくなり、閉店する店があったという。帰宅時に、近所のガソリンスタンドでは、1km以上の渋滞ができ、車の流れが全くないため、今後さらに渋滞の列が長くなることが予想された。
 今日から、東京電力が計画停電に入るという情報が流れ、身構えていたが、横須賀地域は、停電にはならなかった。家から見える火力発電所は、昨年4月以降稼働していないそうだが、今のところ稼働している雰囲気はない。新潟の地震により原子力発電所での発電が出来なくなったときには、稼働したという話なので、近々稼働するのかもしれない。引っ越しをしてから一度も煙突から煙が出るところを見ていない。煙が出ると、その煙が直に我が家へ降り注ぐことになるので、あまりいい気はしないが、停電を避けることが出来るのであれば、早く稼働して欲しい。
 夜9時半に、明日の計画停電が実施される放送があった。毎日停電の時間は変化し、それが4月末まで続くのだから、明日から、普段以上に時間にぴりぴりしながら生活することになるのだと思う。

■2011年3月13日(日曜日)


西原きらきらビーチ
 合宿3日目。短距離は、南風原にある黄金森公園陸上競技場で練習し、中距離は、津波注意報が解除されたため、西原きらきらビーチで砂浜ダッシュを行った。
 砂浜ダッシュの内容は、50m×1+50m×2+50m×3+・・・+50m×9+50m×10。休息は、50mのジョッグとした。先月高校時代の恩師から、試してみるといいと言われていたメニューで、どのくらいの強度になり、どれくらい時間がかかるかは予想ができず、とにかく何も考えず、1本1本を一生懸命走った。50mを55本走ることになるということだけはわかっているので、それだけで、憂鬱になるメンバーもいた。
 実際に始めると、50m×5までは、比較的早かったが、6セット目以降は、とても長く感じ、呼吸が苦しく、2〜3度嘔吐しながら走った。練習時間はたった15分だった。終わってみるとあまりにも短かったため、休憩の後、シャトルランを6本行って午前の練習を終了した。昨日は、右股関節の痛みが強く、途中で練習を終了したが、今日は、痛みがあったが、なんとかやりきることができたことは、とても良かった。高校の恩師は、この練習をゴジラ走と名付けていたが、この練習は、練習時間が短時間しかないときには、なかなか良い練習かもしれないと思った。
 帰りの飛行機は地震の影響はなく、予定通り離陸した。東日本の余震は相変わらず群発し、福島の原発は危険な状態が続き、気象庁は地震の規模を示すマグニチュードを9.0に訂正するなど、1日のうちに世の中は、いろいろと動いていた。明日から、普段の生活に戻る。今後も地震の情報を収集しつつ、新たな地震や津波に備える準備をしていきたい。

■2011年3月12日(土曜日)


閉館の張り紙
(避難が非難になってます)



本日の号外
 合宿2日目。メンバーの中には、実家が津波に流されている可能性のあり、家族とも連絡が取れていないため、ホテルで1日待機する人が1人いたが、その他のメンバーは、合宿に集中した。
 朝練は、首里城周辺を30分程度走った。午前練は、西崎競技場で行う予定だったが、津波警報と避難勧告は継続されたままだった。海岸付近にある競技場は、すべて閉鎖され、使用可能な競技場を探したところ、Jリーグの試合を行う予定だったコザの競技場が試合中止のため使用できることがわかり、急遽、コザで練習を行うことにした。
 競技場では、すでに順大や法大の大学生たちや他のクラブチームの選手たちが練習をしていて、かれらの情報収集の速さに驚いた。
 午前中は400m×5+3000m+400m×5だったが、千葉クロカン以降痛めていた右股関節の痛みがひどくなり、3000mの途中で練習を中止した。午後は、韓国式サーキットを予定していたが、つなぎのダッシュや各セットの最後に行う1000mは止めて運動種目だけ行った。ダッシュがないと、たいした負荷もかからず、あまり練習にはならなかった。
 横須賀の家族は、大津波警報は継続されたままだったが、午前1時ごろに停電が復旧したそうで、午前中には帰宅したとのことだった。その後も余震は続いているので、油断はできないが、とにかく家に帰ることができ、電気が使えるようになったおかげで暖がとれ、子供たちも一安心したようだった。関東や東海での大地震は、以前から近々来ると言われながら、今のところは発生していない。今回の件で、今後の地震や津波に備え、すぐにでも被災した場合に必要なモノは備えなければと思った。

■2011年3月11日(金曜日)


富士山



新聞の号外
 レジェンズ沖縄合宿が始まった。午前中に那覇に到着し、午後から糸満市の西崎競技場で練習を行った。メニューは3000m+300m+200m×2+100m×3。スパイクは履かず、8割程度の感覚で走った。
 練習後、東北で震度7、関東で震度5の大地震が発生したことを知った。沖縄も津波警報が発令され、西崎競技場も津波の危険があるとことで、5時前には閉鎖となり、ロングジョッグを途中で終了し、車でホテルへ避難した。
 妻と連絡をとったところ、横須賀は停電で信号が機能せず、コンビニエンスストアは大混雑していたとのことだった。大津波警報が発令され、自宅前の道が通行禁止になるなど、津波の危険があるため、妻と子供たちは、車で近所の中学校へ避難し、無事だということで安心した。たまたまクリーニングに出すつもりでスキーウエアを車の中に置いてあったため、寒さはなんとかしのげているとのことだった。夜になっても電気は復旧せず、星空は街では考えられないほどのきれいさだったという。
 テレビの映像を見ると、車や船が次々と流され、すごい勢いですべてのモノを飲み込み、自然の力を思い知らされた。日曜日に飛行機で関東へ戻るつもりだが、今のところ電車は動いていないようで、余震も群発しているようなので、帰宅できるかどうかわからない。これ以上被害が広がらないことを願いたい。

■2011年3月10日(木曜日)


断郊競技会
 職場の体育学校勤務経験者による送別会があった。レスリングの先輩は、オリンピックでメダルを取ってきた人たちの下で、洗濯などの世話係となりながら、彼らの練習を含めた生活すべてを見てきたそうだが、誰もが文句の付け所のない完璧な人は存在せず、必ずマイナスな面が見えたという。ほんとうに人間くさい人ばかりだったが、とにかく、練習については、休日も練習するなど、人にはまねのできない練習量だったという。他人がまねのできるような練習だけでは世界一にはなれない。、誰よりも努力をし、マイナスな面を補うほどのプラスな面を伸ばしてきた人たちだけが栄光を手にするのだろうと思った。

■2011年3月9日(水曜日)


つくし発見
 右大転子周りの痛みは相変わらずで、ジョッグするだけでも気になり、走れないため、勤務時間が終わるとすぐに帰宅し、家の庭で大汗をかいた。瓦礫撤去が一通り終わり、山になっている土を元に戻し、庭が久しぶりに平らになった。ちょっと腰が痛くなったが、瓦礫の作業と比べ、かがむ姿勢は少なかったので、大きな影響はない。これもクロストレーニングの一つだと思えばいい。とにかく、やっと庭に芝生を植えたり畑を作ったりできる状態になり、作業後は、非常にすっきりした気分になった。

■2011年3月8日(火曜日)
 千葉クロカン以降、右大転子の周囲に痛みがあり、ジョギング程度の練習で、三浦国際市民マラソンを走り、思った以上の結果が出て無理をしたためか、ジョギングをするだけで、痛みを感じるようになってしまった。痛みを気にしながらもジョギングをしてみたが、10分したところで止め、夜は、瓦礫の作業で腰痛もあったのでカイロプラクティックへ行った。右半身の筋肉を中心に張りが強く、特に小臀筋の前部に強い張りがあった。骨盤については、大きなズレはなく、張りのある部位をストレッチすることくらいしか対処策がないとのことだった。週末は合宿を予定しているが、予定通りできるのだろうかと不安になってきた。

■2011年3月7日(月曜日)
 昨日は、午前中にレースに参加した後、午後は、長男と、庭の瓦礫集めをして、1日中体を動かしたためか、風呂と夕食の終わった19時過ぎには眠くなり、寝てしまった。しかし22時半頃から、鼻が詰まって、呼吸ができず、眠れなくなった。たまに片方の鼻の穴だけが呼吸ができるときがあるが、詰まっている方の鼻からは、水のような鼻水が垂れてきて、鼻をかむと通っていた側の鼻までまた詰まってきてしまうということが続いた。鼻が通るのは、必ず、交互にやってくるという発見があり、おもしろいと思ったが、寝たのは4時過ぎで、ほとんど寝られずに出勤となった。
 昨日、一緒にレースに参加した学生が、今日は花粉の量が多いという話をしていて、鼻や目がかなりつらそうだったが、自分も同じ症状になってしまった。昨年までは、多少そういった症状はあったが、病は気からなので、自分としては、花粉症とは認めていなかった。今日は、出勤後もどうにもつらく、医務室へ受診し、薬を処方してもらった。完全に発症してからでは、薬が効くには、時間がかかると言われたが、昼食後すぐに薬を飲み、午前中よりは楽になった。薬の効きはすばらしいと思ったが、今後、毎年この時期になると、薬を飲む必要があると考えると、面倒な症状になってしまったと思った。

■2011年3月6日(日曜日)


夜明け



河津桜



表彰



入賞賞品
 三浦国際市民マラソンの5kmに出場した。千葉クロカン後は、週に1〜2回のジョッグ程度の練習しかしていなかったので、16分前後のタイムが出せれば、上出来だろうという感じでスタートした。
 スタート直後は、うちの学生が先頭を引っ張り、レースの順位には関係なさそうな市民ランナーたちが、ダッシュをしてついて行くので、とても走りづらかった。1km通過は、3分04秒で、先頭から5秒程度離され、10番台の順位だった。予定よりは少し速い入りとなったが、後半の貯金ができたと思った。
 次の1kmは、下りがあったにも関わらず3分15秒となり、先頭からは、かなり離れてしまった。順位は、あまり変わらず10番前後で、スタートで先頭に立っていた学生は、少しずつ順位を落とし始めていたので、彼を目標にして走った。
 折り返し地点から3kmまでは若干上り坂にはなっていたが、ほとんどスピードは落とすことなく走れたと思っていたが、タイムは3分35秒もかかり、ショックを受けた。順位は、すこし上がり、学生の背中も大きくなってきたので、タイムは期待できなくなり、学生に追いつくことだけを考えた。
 3km〜4kmは、最もきつい上り坂があり、目標としていたが学生を抜き去ることができ、7位まで順位が上がってきた。ペースは、ほとんど変わらない感覚だったが、なぜか3分06秒に上がっていた。
 残り1kmは、ほぼ平坦な直線だった。前にいる選手は、3位集団で4人走っていて、50m以上離れていたので、追いつくのは難しく、入賞は厳しいのではないかと思いながら走っていたが、東京マラソンの川内選手を思い出し、死ぬ気で走ることをやってみなければ、と思い、6位の選手に追いつくつもりでスピードを上げた。残り300m位でなんとか追いつき、一気に抜き去ると3位まで順位があがり、表彰台が見えてきたが、最後の50mくらいで、後ろの選手が「くそー」という大声を上げ、後ろから迫ってきて、抜かれてしまい、さらに後ろの選手が自分に並び駆けるようになりながらのフィニッシュとなった。タイムは15分58秒(ネットタイムは15分57秒)で4位となった。3位の選手とは1秒差で、5,6位の選手とは同タイムだった。ちなみに1位は中学生で、15分41秒だった。
 早めにスパートをかけたため、最後まで持たなかった。死ぬ気で走れていれば、3位になれたのではないかと思え、死ぬ気で走るほど追い込めていなかった。死ぬ気で走ったとしても中学生には追いつけず、とてもショックなことだったが、中学生を褒めるしかない。どこかで、走り終わった後のきつさを考えて全力を出し切っていない自分がいる。この弱い自分をどう追い払うかが今後の課題だと思う。

■2011年3月5日(土曜日)
 午前中は、明日の調整で1000mを走るつもりだったが、ウォーミングアップで10分間ジョッグしただけで何もしなかった。昨日庭の瓦礫撤去作業をして腰痛になっていたのと、千葉クロカン以降気になっている右の大転子周りや右の中臀筋の痛みが気になって、まともな走りができなかった。こんな状態で明日は走れるのだろうかと少し不安にはなっているが、一晩これらの不安が解消できるようできる限りのケアをしたいと思う。

■2011年3月4日(金曜日)
 大学入試問題のインターネット投稿で逮捕された学生は、携帯電話を自分の股の間に置いて、送信や受信をしていたという。カンニングペーパーがただ携帯電話に置き換わっただけの、従来のカンニングと全く変わらない手法だった。カンニングだけで逮捕されるというのは、かなりの大事で、見せしめ的なところがあるのかもしれない。
 大学の試験監督は何をやっていたのかとの批判があるようだが、そうとう不自然な動きがなければ見つけるのは難しいだろうし、もともとカンニングを発見するためだけに試験監督を置いているわけでもないので、そういう議論はやめた方がいい。試験する側と受験する側の信頼があって試験が成り立っているものなのだが、それが成り立たず、受験生がカンニングをするものだという前提で試験監督を置かなければならなくなるのであれば、それはとても悲しいことだと思う。しかし、今後大学側は、こうしたカンニングに対しても抑止力を働かせる措置をする必要は出てくるのだと思う。どんどん人が信頼できない世の中になっていく。

■2011年3月3日(木曜日)
 妻は、長男が友達の家へ遊びに行く際に、決めた時間に帰ってこなければ家から閉め出すという約束をし送り出した。長男は、その友達の家へ遊びに行くたびに、帰宅時間を守れず、帰宅すべき時間から30分以上経っても帰ってこない。友達の母親にも連絡をしてあるのに帰ってこないのだから、困ったことなのだが、今日も同じように帰ってこなかったため、真冬の寒さの中、長男は家に入ることができなかった。妻は、鍵が開いてなければインターホンで呼びかけてくるだろうと考えていたのだが、長男は何もせず、真冬の寒さの中、玄関ドアの前でずっと座っていたのだという。妻は長男の帰宅に気が付き30分経過したところで耐えられなくなり、玄関に向かった瞬間、インターホンのボタンが押され、玄関を開けたところで、長男が大泣きしながら時間が守れなかったことを謝ったという。妻も長男もお互いちょうど我慢の限界が来たということなのだろう。ほんのわずかだけ長男の方が早く、妻が勝った。
 これを見ていた次男は、長男の様子をうかがおうと近寄ったらしいが、長男は背中を向けて、そのまま風呂に向かったという。次男に泣き顔を見せてしまったら、「お兄ちゃんどうしたの」聞かれ、面倒なことになるし、弟に格好悪かったのかもしれない。次男も会話ができるようになり、兄弟の関係もおもしろくなってきた。
 友達の親にも長男がどのような約束をしていたかをメールで伝えたそうで、メールを確認してすぐに謝罪の電話があったという。これからは、時間を守らせて帰宅させてくれるのではないかと期待しているが、それがなくても、これを機に長男が自ら時間を確認して帰って来られるようになってほしい。

■2011年3月2日(水曜日)
 インターネットを使った大学入試問題投稿が問題になっているが、チュニジアから始まったイスラム圏の政変でもインターネットは活躍し、ニュージーランドの地震では、被災者が携帯電話のメールで本人の無事や助けを求めるのに利用された。インターネットは上手に使えば、とても便利な道具にもなるが、悪用すれば、犯罪もできてしまう。国の法律はこうした環境の変化には即座には対応できず、現実とはかけ離れた内容となっている場合もある。
 自分がインターネットを始めたころは、ホームページに画像を載せることだけでもすごいという時代で、ネットワークのつながったほんの一握りの人たちだけが楽しむ程度のものだった。携帯電話についても、自分が所持するようになった15年ほど前は、いつでもどこでも電話ができるというだけで驚きで、メールやインターネットが使えるようになるとは想像できなかった。
 これから先も、より高速で大容量のデータを送信できる環境が整っていくことで、世界中で今まで以上に想像できないようなことが起こってくるのだと思う。現代人はこうした流れにイヤでも乗って行かざるを得ず、ますますストレスを抱える社会になっていくのかもしれない。

■2011年3月1日(火曜日)
 以前は、20分以上運動すると脂肪が燃焼すると言われていたが、最近は、細切れの時間でも脂肪は燃焼し、筋力トレーニングを併用するとより脂肪が燃焼すると言われている。テレビショッピングでは、様々な健康器具が出現し、多くの人が痩せることに興味を持っている。痩せることに興味があるということは、それぞれが太っていたり運動不足を認識しているからなのだろう。肥満が少なくなったり、運動不足の人が少なくなれば、国の負担する医療費は削減できる可能性が高い。科学技術の進歩は、世の中を便利にして、人が運動をする機会を奪っているようにも見える。その結果が肥満や生活習慣病となていて、皮肉な結果だと思う。人を幸福にするためにやってきたことが、返って不幸にすることもある。全国どこでも同じ生活スタイルとなり、地域性がなくなってきている。便利だけを追求するのではなく、その地域の過去を振り返り、少し不便でも自らの体を動かし、地域に根ざした生活をすることが大事なのかなぁと思う。



[昔のいずみ]