最近のいずみ

Last Update:2011/6/30

パートタイムアスリートいずみ 11年目に突入 



■2011年6月30日(木曜日)
 昨日、授業で走り幅跳びを行うため、授業前に砂場を掘り起こした際に、左腰を痛め、今朝は、左臀部まで張りが広がり、寝ていても腰が痛み、何をしていても痛みが気になり困っている。腰痛によって、右の臀部痛は多少緩和したが、アキレス腱の痛みには変化がない。週末のレースの出場もかなり厳しくなってきた。短い時間で、痛み出したので、短い期間での回復も可能かと考え、自分でマッサージをするなど、いろいろと対処はしているが、なかなかうまくはいかない。今日と明日は、体の中が全く同じという瞬間は一瞬たりともなく、何らかの変化が起こっているので、自分の体の回復力を信じて待つしかない。

■2011年6月29日(水曜日)


燈明堂
 新聞に大学の授業での代返を防止するシステムが開発されたという記事が載っていた。授業中に読み取り機を回し、学生証と学生の座っている席のICタグを読み取らせることで、代返を防止するという。大学は、卒業生の質を保障しなければならないので、こうしたシステムが考えられるのもわかる気がするが、そこまでやらないといけないのかというようにも思う。強制的に授業へ参加させても、授業中によそ事を考えていれば、授業に出ない方が有意義だったということもある。授業へ出席させることを目的にするのではなく、学生が授業外で自ら勉強をするようにするための方法を考え、実行することが、卒業生の質保障につながるのだと思う。

■2011年6月28日(火曜日)
 先月末ごろから3歳の次男が食事の時に箸を持つようになった。うちでは特に持つように薦めたわけでもないが、幼稚園に持って行く弁当には、フォークとスプーンの他に箸も入れてあるので、友達が持ち始めた影響で持つようになったのだと思う。まだ食べ物をつまんで食べることはできないが、フォークやスプーンを持つような握りではなく、箸の握りのまま違和感なく食事をしている。親は何も教えなくても、幼稚園で、友達のやっていることを見て、子供が自分で覚えてくるということに感心する。服を着ることも幼稚園で教えてもらい、今では、長男よりも早く着替えたりもする。何でも自分でできるという自信が出てきて、先週からは自分一人で風呂に入ると言いだし少し困った。褒めてやれば何でも自信を持ってやるようになるので、できるだけ褒めてやりたいと思う。

■2011年6月27日(月曜日)
 左手首の骨を骨折して2年が経過した。時々じっとしていても痛むこともあるが、気圧の変化によって、古傷が痛むという話を聞いたことがあるので、梅雨の時期で、気圧の変化があるために痛むのかもしれない。手術の傷跡は、変化がないので、傷跡を見ると骨折したことを思い出し、可動域いっぱいに動かそうとすると痛みは強く、骨折前の可動域には戻らないが、日常生活では全く問題なく、腕立て伏せや、逆立ちをしてもあまり気にならなくなってきている。骨の中に埋め込まれたチタンも体の一部になったということなのだろう。しっかり動かして、さらに体の一部にしていき、少しでも骨折前の動きに近づけていきたい。

■2011年6月26日(日曜日)


男子5000m表彰





庭のエダマメ
 アキレス腱の痛みは緩和し、1本だけなら走ることができそうだったので、神奈川県選手権の800m予選に出場した。今日は、予選だけなので、シーズンベストを目指し全力で走ることにしていたが、ウォーミングアップを終わったところで、右の臀部の痛みが強くなり、タイムを狙うには厳しい状態となった。
 レースは、スタート直後から、日体大の学生が先頭を走り、2〜3m遅れて自分が2番手で追う展開だった。タイムの表示が400mで44秒となっていて、1周目のラップのアナウンスも「44秒」と言われてしまった。400mの44秒は400mの日本記録。ありえないタイムをアナウンスされ、自分がどのくらいの強度で走っているがわからなくなり、混乱した。残り300mから先頭との差を詰められ、残り200mで追いついたので、最後の直線で先頭に立つことができると考えていたが、最後は逆に離されて2着でフィニッシュした。タイムは1分56秒98だった。今日は、1周目が終わったところで、1周目のタイムがわからず気持ちが折れてしまい、力を発揮できずに終わったレースだった。レース後は、臀部の痛みがさらに強くなった。臀部の状況を見て、来週の準決勝に出場するかどうかは決めようと思う。
 レース後、横須賀選手権を見るために、急いで横須賀へ戻り、5000mと4×400mリレーを見た。リレーでは、短距離チームと中距離チームが決勝に進出し、予選では中距離の方が速かったというので、短距離の巻き返しがあるかどうか、とても楽しみにしていた。決勝は、1度も中よりチームは短距離チームの前に出ることはできず、短距離チームは3位争いをしていて、残り100mでは3番手にいたが、最後に抜かれ4位となった。3番手に立ったところで、3位を確信したため、その後、後ろの選手が並びかけたときには、急に走れなくなってしまったと4走の学生が話していた。油断が順位を下げた原因だと本人もわかっていて反省していた。
 円盤投げでは大会新記録の38m台で2年生が優勝した。今年の関東インカレであれば、3位に相当する記録。今後が楽しみな選手が出てきた。

■2011年6月25日(土曜日)


男子100m表彰式
 横須賀選手権の1500mに出場予定だったが、アキレス腱の痛みが強く、棄権した。
 防大陸上競技部は、前半シーズンの仕上げの大会と位置づけているため、多くの学生が出場した。特に男子100mでは4年生が、予選から調子が良く、準決勝では追い風2.6mで参考記録ながら10秒75を出し、決勝では追い風0.1mで10秒89を出し、大会新記録での優勝となった。彼は、1年生の途中から転部してきたため、競技歴は約2年半の学生。昨年から急激に力を上げ、昨年は、11秒1台がコンスタントに出せるようになっていたので、10秒台はいつ出てもおかしくない状態だった。今年の目標の一つとして関東インカレの標準記録突破を掲げていたので、それが達成された。今シーズンで卒業となるため、来年の関東インカレには出場できないが、陸上競技をしたという証が残せたのではないかと思う。彼のがんばりは、チーム全体に影響があり、自己ベストや上位入賞する学生が多く見られ、学生たちの勢いを感じることができた。

■2011年6月24日(金曜日)


夕日と西の空
 1週間、走ることから遠ざかっているが、昨日からアキレス腱痛が強くなり、動かなくても痛みがあるので、歩いたり走ったりするとさらに痛みが強くなる。股関節痛は、痛みが移動して臀部痛に変わってきた。股関節痛が強かったときには、臀部全体に強い張りがあり、股関節付近が痛かったが、どこを押しても痛いということで部位が特定できなかった。最近は、強い張りが緩和し、痛い部位が特定できるようになり、股関節の痛みではなく臀部の一部分が痛いということがやっとわかってきた。臀部は回復傾向にあることは、間違いないが、アキレス腱は、朝起きて歩き出すときに、痛みがあったりなかったりするのではっきりしない。今は、たまたま痛みが強い時期なのだと思いたい。

■2011年6月23日(木曜日)
 クルム伊達選手がウインブルドンのセンターコートに戻ってきた。2回戦は、優勝経験者のウイリアムズ選手。姿を見ただけで、力強さを感じ、圧倒されるような選手だが、クルム伊達選手は、そういったことに影響されなかった。世界ランキング4位だったことろ変わらず、積極的に攻め、第1セットを先取し、その戦いぶりに感動した。深夜のテレビ放送だったので、2セット目以降は、見ることなく寝てしまったが、第2セットはウイリアムズ選手が取り、第3セットも8−6でウイリアムズ選手が取り、クルム伊達選手が勝利することはできなかった。
 自分よりも年上の選手たちが、大きな大会で活躍している姿を見ると、勇気づけられる。故障を抱えていてもあきらめず、自分のできることを続けていこうという気持ちになった。

■2011年6月22日(水曜日)


折り紙を切りました
(剣かたばみ)
 長男のピアノ発表会で、連弾するため、ピアノ教室で長男とレッスンを受けた。仕事が終わってから教室へ向かったため、長男はすでにレッスンを受けていて、一人で弾くベートーベンのトルコマーチを繰り返し練習していた。先生は、長男がスムーズに弾けないところを、何度も繰り返し練習させていた。家では、苦手なところを弾くことはなく、一通り弾くことを2,3度すれば多いと思えるほどの練習量で、親がうまく弾けないところを繰り返し練習するように言っても弾くことがないため、教室で練習させてもらっている感じだった。先生が話をしてもうなずくだけで声がなく、それを叱るわけにもいかず、もどかしかった。
 長男と2人のレッスンは、1回弾いて、長男の直すところが指摘され、長男の練習になった。こちらは伴奏なので低音で和音が多いため、強く弾きすぎるとメロディーを消してしまうため、ベースの音だけは大きめに、和音は小さめに弾くよう指導され、その後2回通しで弾いて終了した。
 グランドピアノを弾いたのは、中学1年生の合唱コンクール以来23年ぶり。自宅にある電子ピアノとは、鍵盤へのタッチの仕方で、音の強弱が大きく変化するところに違いを感じ、グランドピアノっていいなぁと改めて思った。本番までに、もう一度レッスンに参加することになったので、本番を含めてあと2回グランドピアノの感触を楽しみたい。

■2011年6月21日(火曜日)


久里浜海岸



立ち上る雲
 帰宅後、次男と散歩をしていると、次男が「ギャロップできるよ」と言って、スキップを始めた。以前は、片脚ずつしかできなかったギャロップが両脚できるようになり、スキップになった。自然にできるようになったのか、幼稚園で覚えてきたのかはわからないが、長男も次男の年齢のころには、できるようになっていたはずなので、3歳〜4歳は、この動作を習得する時期なのだと思う。
 自分が教えている学生の中には、時々スキップのできない学生がいる。小さい頃に、動作を習得していなかったのか、小学校以降運動をしていないために忘れてしまったのだろうか。昨年までは少し練習すればできるようになっていたが、今年の学生は、時間をかけて練習してもできるようにならない者もいて困っている。ソフトボール投げでも、4年間苦労している学生が多くいるが、動作を習得すべき時期に習得していなかったために、苦労しているのだと思う。彼らが動作を習得できるよう可能な限りの援助はするが、最後は、本人たちのできるようになりたいという強い意志にかかっている。最後は本人次第。できるようになることを信じるしかない。

■2011年6月20日(月曜日)
   東京電力からの白煙は、昨夜寝るときには排出が続いていたが、今朝は止まっていた。新聞受けに朝刊を取りに外へ出てみると、昨日と同じ異様なにおいがした。東電からは煙が出ていないのににおっているので、東電の煙がにおいの原因ではない可能性も出てきた。
 出勤時にも東電からは煙の排出はなかったが、外は相変わらずイヤなにおいがしていた。帰宅時には、白煙が立ち上っていたが、イヤなにおいはなかった。寝る時間になっても排出は続いている。煙が出続けるかぎり、あまり良い気分にはなれない。

■2011年6月19日(日曜日)


表彰式



東京電力の煙
 5月に子供たちがそれぞれお父さんの絵(5月1日の日記の画像)を描いて、お父さん全国似顔絵コンテストに応募したのだが、次男の絵がが佳作となったとの通知があり、今日表彰式があった。次男にとっては、初めての表彰だったが、本人は、表彰の意味もよくわかっていないようだった。賞状を持って写真を撮影したが、賞状より副賞のクレヨンを手にしたほうがうれしそうだった。
 近所の東京電力火力発電所が稼働に向けて動き出している。午後から、東京電力の建物から白い煙が立ち上り始め、我が家は、窓を閉めていたにも関わらず、異様なにおいが入ってきて、少し具合が悪くなった。少しすると風向きがかわったためか、屋外のにおいはなくなり、家の中だけがにおっているという状態になり、あわてて換気した。
 煙は煙突から出されるものだと思っていたが、3本ある大きな煙突からの排煙はなく、建物から排出されていたのに驚いた。3カ所から煙が上っていて、白い煙なので水蒸気だとは思うが、何が混じっているのだろう?と不安にもなったりする。子供たちにとって有害な物質がまき散らされていないことを願う。

■2011年6月18日(土曜日)
 学生たちと、観音崎で坂ダッシュをした。練習開始直後から、股関節とアキレス腱の痛みがあり、動きづらかったが、本数を追うごとに、痛みが麻痺してきてある程度走れるようになった。
 その後、トラックで300mと100mのタイムトライアルをした。300mではシーズンベストの38秒9、100mでは12秒2が出た。100mは、まったく走りきった感じがない。自分の走りをモニターしながら、動きを変化させようとしているうちに終わってしまった。
 1年以上100mの全力走はやったことがなかったので、100mの全力走ができただけで大きな進歩といえる。走り終わった後は、時間が経つに連れて股関節の痛みは戻り、歩いていても気になるほどになってしまった。ちょっとやりすぎたかもしれない。

■2011年6月17日(金曜日)
 福島第一原子力発電所では、汚染水の浄化の準備が進んでいるという。アメリカやフランスの機器が持ち込まれ、何段階にも浄化の過程があるそうだが、最終的に濃縮された廃棄物の処理については、何も決まっていないというのがとても気になる。
 原子力発電所で使用が終わった廃棄物も地中深くへ埋めるということになっているが、無害なものではなく、相当長い期間、生き物にとって有害なものでありつづける。簡単には無害化できない有害なものがどんどん増えていくことがわかっていて、それを作り続けることをしているこの矛盾をどう理解していいのか、悩む。ある国では、原発を推進し、ある国では廃止をしようとしている。これは、国ごとの問題ではなく、地球規模の問題なのだから、国を超えた議論をしていかなければならないことだけは間違いない。

■2011年6月16日(木曜日)
 年に一回の成人病検診を受けた。40歳以上は胃の検査など、いくつか強制的に受けなければならない検査があるが、40歳未満は、希望者のみということで、大変そうな検査は希望しなかったので、尿検査、身長、体重、体脂肪、血液、心電図のみの検査となった。
 昨年は、心電図で引っかかり再検査を受け、再検査の検査料を支払わなければならなかったのが納得いかなかった。今年も競技を続けているので、体の状態に変化がないとすれば、今年も再検査の可能性があるのが心配なところだ。
 体組成は、タニタの測定器で一度に身長、体重、体脂肪などが測定できる。昨年は、体内年齢が16歳と出たが、今年は17歳だった。教授の先生は、60歳を超えているのに36歳という数値が出たという。体の具合はあまり良くないのに、この数値は間違っていると話していた。体育の先生は、一般の人と比較して運動をしているので、体内の年齢が実際の年齢より若くても問題ないような気がするが、今の体の具合との比較ではどうしても納得できなかったのかもしれない。

■2011年6月15日(水曜日)


久里浜海岸の夜景
 長男は、こちらが何度同じことを注意しても、素直に聞き入れようと言う気持ちがないのか、直す気がないのか、多くのことに変化がない。返事すらないことが多く、返事をするようにいちいち言わなければならない。人の話に注意を向けないためか、学校でも、忘れ物が多い。学校へ持って行く物と、家に持って返ってくる物の両方を忘れ、本人は、何とも思っていないそぶりなので、親が耐えられなくなる。
 弟の方は、一度言えば、返事をしてすぐに動く。兄を見ているので、同じ過ちは犯さないようにという心理が働いているのか、何でも素直に聞き入れる年頃なのかはわからないが、どちらが年齢を重ねた賢い行動を取っているかわからなくなってくる。

■2011年6月14日(火曜日)


浅草寺雷門
 本屋へ行くと、いろいろと読みたい本が出てきて、見ているだけで楽しい。実際に読み出すと、本屋で感じたワクワク感が増す本と期待を裏切られがっかりする本がある。そう考えると、本を読む前の本屋で読んでみたい本を探す時が最も楽しい時間のように思えてくる。
 旅行でも、実際に旅行に行っているときよりも、旅行に行く計画をしている時の方が楽しい。実際にお泊まりで旅行へ行くと、初日はとても楽しいが、最終日は、帰ることや、次の日のことが頭に浮かび、それほど楽しむことができない。
 家を建てるときも同じだった。どういう家を建てたいかを考えているときには、いろいろなアイデアが出てきて、想像するだけで楽しかった。
 研究では、実験する前の計画段階で、研究の8割くらいは終わっているという人がいるくらいなので、計画は、研究の成否を左右する最も重要な段階であるとも言える。自分にとっての研究では、計画段階はとても重苦しい感じがある。本屋や旅行や家を建てるときのように、もうちょっとワクワクしながら計画を立てられないかと思う。 

■2011年6月13日(月曜日)
 久しぶりにインターバルをした。内容は、400m×10。72秒の設定だったが、前半は、一定のペースで走ることは出来ず、69〜73秒の間でタイムは変動した。後半は安定してきたがアキレス腱痛と股関節痛との戦いで、次の1本を始めるまでの200mのジョッグで走るか中止するかの葛藤をするのだが、次の1本のスタートまでには、痛みが回復してきたため、最後の10本目まで走りきることができた。最近、肩甲骨を動かせて走ることを追求しているのだが、少し動きがよくなった感じがしている。良い傾向だと思う。 

■2011年6月12日(日曜日)


テレビを見る子供たち
(なぜか正座です)
 川崎市制記念の400mに出場を予定していたが、朝起きたときに股関節とアキレス腱の痛みがあり、練習以上の強度で走るとさらに悪化する可能性が高いと判断し、棄権した。子供たちと公園でサッカーをして遊んだが、ボールを軽く蹴るだけで股関節が痛かったことを考えると、レース棄権の判断は間違っていなかったのだと思う。
 日本選手権は最終日となり、男子800mでは、横田選手が圧倒的な力の差を見せつけ優勝した。個人的に応援していた糸川選手も1分48秒台の好記録で5位に入賞し、とてもうれしく思った。最も印象に残ったのは、女子5000mで優勝した絹川選手。レース中盤では、世界選手権標準A突破は厳しい状況だったが、後半のペースアップによって、世界選手権の標準記録Aを突破する大幅な自己新記録での優勝となった。彼女は高校卒業後、疲労骨折や体調不良で、全く走れない時期があったというが、そういったことを克服しての今日の走りには大きな感動をもらった。

■2011年6月11日(土曜日)


倒れたトマト



次男の描いた「お父さん」
 昨夜から梅雨前線の影響で暴風雨となり、朝になっても静まることがなく、家の窓は、風が吹きつける度にたわむような激しさだった。そのため、庭の畑に植えてある作物はすべて倒されてしまった。トマトは、茎は少し折れていたが、幹は折れていなかったため、土を盛ることによって、ほぼ元に戻すことができた。エダマメは倒れ、植木のウコギも根本がかなり揺さぶられていたが、折れた箇所はなく、根本に土を盛って元に戻すことができた。新居に引っ越してから、台風らしい台風は経験していないが、今回の庭の状況や窓ガラスのたわみを見て、台風が直撃したときには、家の窓ガラスが割れるほどの風が吹き、植木や農作物は吹き飛ばされてしまうのではないかと心配になった。
 子供たちは、それぞれ参観日で妻と手分けして幼稚園と小学校の参観に行ってきた。自分は、幼稚園に行き、次男を見てきた。先生の話を聞いていないようで、意外としっかりと聞き、やるべきことはやり、自分の言いたいことは言えている姿を見て、安心した。
 日本選手権の男子1500mは、前半からスローペースで、後半勝負となり、井野選手(富士通)が優勝した。体育学校の田村選手は、後半のスピードアップにより、集団から離れ、最下位の12位となった。男子800mの予選も行われたが、体育学校の選手は全員予選落ちとなり、800mでは10年ぶりに決勝進出者がゼロという厳しい結果となった。来年のオリンピックへのチャレンジはこれから1年の走り次第なので、来年のこの大会へ向けがんばって欲しい。

■2011年6月10日(金曜日)
 世界選手権代表選考を兼ねた陸上競技の日本選手権が熊谷で始まり、テレビ放送で男子10000m決勝を5000m通過手前から見ることができた。先頭の5000m通過が14分だったので、標準記録を突破していない選手にも標準記録B突破の可能性があり、前半はなかなか良いペースだった。後半は、宇賀地選手(コニカミノルタ)が先頭を最も長く引っ張り、その後ろに村山選手(東海大学)と佐藤選手(日清食品グループ)がついていく展開で、順位を巡る駆け引きが始まったため、平均スピードは低下してしまった。残り600mから村山選手が先にスパートをかけたが、残り300mから佐藤選手が強烈なスパートをすることで大差をつけの優勝となった。
 優勝した佐藤選手は、残り300mまでは、先頭に出ることをせず、じっと力をためるように適度な脱力の中で走り、全選手の中で最も余裕があるように見えた。標準記録を突破している佐藤選手は、おそらく優勝することだけを考えてレースに臨んでいたのだと思う。体育学校の室塚選手は、6000m手前で脱落してしまい、最終的に9位でのフィニッシュとなった。
 男子1500mでは、体育学校の田村選手が予選を通過したという連絡があった。持ちタイムは12人中8番目で、なかなか厳しいが、順位争いとなるレースなので、全員に優勝のチャンスはある。明日の決勝に期待したい。

■2011年6月9日(木曜日)
 300mのタイムトライアルをした。先週から少しずつ練習ができるようになってきたので、38秒台では走れると思っていたが、股関節の痛みも気になり、大きく切れのある動きはできず、最後までスピードが上がらず39秒0でフィニッシュした。今シーズンのベストではあるが、もっと走れるのではないかという気持ちだけが残った。日曜日のレースでこの気持ちが少しでも解消できればと思う。

■2011年6月8日(水曜日)


紫陽花
 朝は特に変わった様子のなかったミニトマトが、帰宅したときには、メインの茎の上部が半分ほど折れてなんとかつながっているという状態になっていた。何がきっかけでこうなったのかは、全く想像がつかないが、この状態でこれから先、上に生長できるのか心配なところだ。
 安納芋は、また苗が1本枯れ、さらにもう1本枯れかけ、元気な苗は4本になってしまった。
 芝生には、毎朝アリの巣が多数発生している。水をまいてやんわりと巣作りの邪魔をしているが、次の日になれば、また別の巣ができている。当分この繰り返しなのだろう。
 最近は、ダンゴムシもよく見かけようになったが、今日は、小さなバッタを発見した。何もなかった瓦礫の庭が、気が付けば、様々な生き物が住みつくようになっている。毎日何らかの変化があり、とてもおもしろい。

■2011年6月7日(火曜日)
 市の消防局の方による救急法の講習会を受講した。前段は、心臓マッサージと人工呼吸、中段はAED、後段は、津波に関する情報だった。
 心臓マッサージと人工呼吸は、何度も講習を受けているが、気が付けば忘れてしまうということが繰り返されている。講習を受ければすぐに思い出せるのだが、実際に必要な場面に遭遇したときに、なかなかできないのではないかと思う。そうした場合にも、心臓マッサージだけは周囲の人が交替して続ければ、何もしないよりは、命が助かる確率が高まるという話を聞き、それならできそうだと思えてきた。
 横須賀市では、風水害避難所、震災時避難所、広域避難地の3種類が避難場所として指定されているが、津波が来たときの避難所は指定されていないという。今後も指定されないので、警報が発令されたときには、とにかく近くの山か鉄骨の建物の上へ逃げることを優先したほうが良いとのことだった。津波の際の避難所がないことを初めて知らされ、とても驚いた。震災の日に家族が避難した中学校は、震災時避難所だったことになり、もし大津波が来ていたら飲み込まれていたのかもしれない。津波の際の避難所を指定している自治体もあるようだが、東日本大震災では、その避難所も津波にのまれてしまった場合もあったという。我が家は海にとても近いので、逃げる場所は、近くの山しかないと再確認でき、この講習に参加した甲斐があったと思った。

■2011年6月6日(月曜日)
 1500m、800m、400mのレペティショントレーニングをした。試合で走る距離を走るのは、最もイヤなことなのだが、現状を知るという意味もあり、あえてイヤなことに挑戦した。
 1500mは、1000m通過が3分近くになり、自分の想定していたペースよりかなり遅かったが、股関節やアキレス腱の痛みも影響し、あまりスピードが上がらなかった。後半は少しペースアップでき、4分17秒台でフィニッシュした。
 15分休憩後の800mは、脚の痛みも麻痺して体が動くようになり、2分05秒台で走れたが、体への負担は大きく、休憩は、仰向けで倒れていた。
 さらに15分休憩後の400mは、動かない体を無理矢理動かし、徐々にスピードを上げていくことができたが、中盤以降は、下腿が何度もけいれんし、まともに走りきれなかった。
 3本走ることは、今の自分には練習強度が高すぎたのかもしれない。久しぶりに強度の高い練習ができた。 

■2011年6月5日(日曜日)


アイコの実
 昨日芝刈りをして、庭はとてもすっきりした感じだったのに、一晩経った芝は、昨日とはちょっと違っていた。芝の上に小さな土の塊が盛り上がり、家の中から見ても5〜6カ所は確認することができた。たぶんアリの巣だろうと予測はついたが、実際に庭に出てみると芝の中にアリの巣が10カ所ほどは発生していた。一晩でこれだけの土を掘り出して住みかを作ってしまうアリはすごいと思った。ある程度芝が伸びて、やっと芝に寝転がることができると思っていたが、こんなにアリがいたのでは、寝転がるたびにアリに噛まれることになる。薬をまいて退治するのはイヤなので、とりあえず、ブロアーの風を使って、芝の表面にある土の塊は吹き飛ばしておいた。これくらいではアリはあきらめないと思うので、今後、アリとどう共生していくかを考えていかなければならない。  畑の安納芋は、さらに2本が枯れ、5本の苗は元気に葉を生やし始め、1本は、枯れかけている。なんとか生き残って欲しい、  トマトのアイコと桃太郎はどちらも実をつけていた。官舎で生活していたときには、ベランダでミニトマト作りに挑戦したが、途中で枯らしてしまったことがあったので、発見したときには、大声で叫びたいほどうれしかった。実に雨が当たりすぎると、実が割れたりするらしいので、今後は、雨対策を考えていかなければならない。

■2011年6月4日(土曜日)


芝刈り中
 子供たちと2度目の芝刈りをした。芝を刈る高さを高めに設定しておけば、大きな負荷はなく、スムーズに芝が刈れるので、高めの設定で子供たちに刈ってもらい、自分は、子供たちが刈った後、低めの設定でさらに芝刈りをした。  芝刈りの高さを低くすると、芝の茎の部分を刈ってしまう場合もあり、そうなったところは、他の部分と比べ白くなってしまった。こうした場所は、もう一度生えてくるまで時間がかかるそうだが、庭を完全に平らにした状態で芝を並べた訳ではなく、送られてきた芝も均一な厚さではなかったので、仕方のないことなのだと思う。芝と芝の間も目立たなくなり、やっとイメージしていた芝生らしくなってきた。今後は、雑草の生えるスペースがないくらい芝生をぎっしりと詰め込んだように生やし、ゴルフ場の芝生を目指したい。

■2011年6月3日(金曜日)
 ある先輩から、悪性リンパ腫を克服された話を詳しく聞くことができた。げんこつほどの腫瘍が見つかり、セカンドオピニオンという形でガンの専門病院へ受診し、適切な処置をしてもらったことで、4段階のレベルでレベル3というかなり進行していた腫瘍が、主に薬の治療だけで、腫瘍を消滅させることができたという。医師からは、最後は、体力が最も重要だと言われたそうで、1回の治療で、白血球数がほぼ正常に戻り、医師も驚くほどの回復を見せ、若い時に体を鍛えていたことが幸いしたとの話を聞き、体を鍛えておくことの重要性を改めて認識させられた。

■2011年6月2日(木曜日)
 昨日、防大改革に関する検討事項についての報告が防衛大臣に提出されたらしく、今朝の新聞に2014年の入学の学生から、任官拒否をする者に対し、授業料に相当する学を返納させることが決まったという内容の記事が載っていた。授業料は国立大学の金額を参考にするようなので、4年間で、230万円程度が予想される。
 もともと任官意志のある者にとっては、何の影響もないが、任官するかどうかはっきりとは決められずに入校してくる学生もいる。そういう学生たちが、4年間の学生生活で、この道に進んでいこうと思えるように教育を施すのが職員の役割なので、あらためて責任重大な仕事を任されているということを自覚した。

■2011年6月1日(水曜日)
 福島の原発は、日が経つに連れ、どんどん不安要素が増えていく。想定外の津波の影響が大きいとの説明が行われているが、本当は、地震が起きたときに原子炉がダメになっていたのではないかと疑いたくなってくる。それが浜岡原発を停止した理由ではないかと思えてならない。報道される情報が正確かどうかは、判断しようがないが、情報を受け取った側が判断するしかない。判断するには、情報を受け取る側の知識を高めるしかない。一生をかけて勉強をする必要があるが、それでもわからないことだらけで一生が終わるというのが現実なのだと思う。



[昔のいずみ]