最近のいずみ

Last Update:2011/9/30

パートタイムアスリートいずみ 11年目に突入 



■2011年9月30日(金曜日)


元に戻りました
 アキレス腱の痛みが緩和し、触ってもあまり痛みがない。痛みには波があるので、今は、最もいい感じなのかもしれない。
 昨日から、学生たちが練習の最後に行っている300mのタイムトライアルに参加している。昨日は、スタートから全くついて行くことができず、後半少し盛り返して38秒8を記録した。全力で走りたいが、全力が出せないという感じで、切れのある速い動きができない。自分が考えているトップスピードに到達できずに終わってしまう。
 今日は、最初の100mだけでも昨日とは違う走りをしようと決めてスタートラインに立ち、昨日よりは、ましなスタートが切れた。自分の決めた最初の100mは、先頭の学生から離れそうになりながらも離れずについて行くことができ、昨日よりは速い動きができた。しかし残り150mは、下腿が攣りそうになり、フォームはバラバラで失速してしまった。タイムは38秒1だった。前半のスピードが上がった影響が大きいとは思うが、100mだけ走ったという感覚で、300mは走りきれなかった。自分で立てた課題をこなせたのだから一歩前進できたと思う。

■2011年9月29日(木曜日)
 イチロー選手のシーズン安打は184となり、200本安打の連続記録が10年連続で止まってしまった。本人は、「なぜか晴れやか」というコメントを残している。11年ためてきた緊張感から解放されたからなのだろう。応援する側は残念という気持ちがあるが、184安打でも、まねできる選手はわずかしかいないのだからこの結果でもすばらしい結果だったと思う。
 年齢が一つ上のイチロー選手が、野球の世界ではトップクラスの実力を維持し、同じ学年の室伏選手も世界一になっている。レベルは違うが、自分も全日本実業団への16年連続出場を目指し、あきらめずにやっていきたい。

■2011年9月28日(水曜日)
 ラジオで暴力団についての話題を聞いたのだが、暴力団を排除した場合、暴力団を廃業した人たちはどこへ流れるかということが問題となっていた。暴力団を辞めた人が、再就職を考えたときに、経歴に暴力団組員だったことが入っているだけで、不採用となる可能性が高く、行き先がなくなり、さらに闇の道へ進んでいくという悪循環が生じるのではないかと。ただ暴力団反対と唱えるのではなく、辞めた人が、一般市民に戻れるようなサイクルを作るところまで整えなければ、暴力団を辞めたいと思っている人も辞められないのかもしれない。暴力団に関わった人を非難してもなにも変わらないので、暴力団の人たちをどう社会に復帰させるかの議論が盛んになればと思う。

■2011年9月27日(火曜日)


台風で標識が落ちてました
 久しぶりに満員電車に乗り、すぐに具合が悪くなった。都内に勤めている人たちは、1日に2度、週に5回はこれを経験することになる。仕事の前であれば、仕事前の肉体労働であり、帰宅時であれば、仕事疲れに追い打ちをかける肉体労働に見える。つり革にしがみついて、自分がどこへ移動しているかもわからなくなり、なんとか立つ姿勢を保つことに必死になっていた。横須賀から筑波へ通っている時期も、途中で気持ち悪くなり、途中下車し、休憩しながらなんとか耐えてきたが、5年が立った今、もう耐えられる体ではなくなってきていることを感じた。

■2011年9月26日(月曜日)
 三男が産まれて2ヶ月半ほどたち、骨と皮しかなかった体に肉が付き、あごは二重あごとなった。最近は、こちらが話しかけるとしっかりと目を開いてこちらを見てくれ、お腹が満たされて機嫌がいいときには、こちらの話に答えるように声を出してくれる。笑った顔も頻繁に出るようになり、その顔を見るたびに癒される。授乳時にゲップができるようになり、吐くことが少なくなってきたが、口からよだれを垂らすようになり、よだれかけが必要になってきた。赤ん坊は日々いろいろな変化が会っておもしろい。毎日成長を実感できるところも楽しい。 

■2011年9月25日(日曜日)
 普段使用していたノートパソコンの調子が悪く、キーボードも壊れてしまった部分があり、そういった不具合を直してくれるリフレッシュサービスにパソコンを出していたのだが、一昨日そのパソコンが戻ってきた。キーボードはすべて新しくなり、キーボード周りのフレームもすべて新品になった。充電回数等の履歴がわかり、ハードディスクやDVDのチェックも行われ、とても気分がすっきりした。掃除をした後は気持ちがいいという感覚と同じなのだと思う。
 掃除と言えば、庭には、台風の影響で、たくさんの枯れ葉が散乱し、掃除するのがとても大変な状態になっている。台風の日にはきれいな緑だった垣根のウコギが枯れ、常緑のはずの芝生まで茶色く枯れかけている。お隣さんのクルミの木はすべて葉が枯れ、街路樹の銀杏もほとんどが葉が黄色くなることなく茶色となり枯れてしまった。台風により塩水を浴びたためなのだと思うが、台風の威力は風だけではないということを感じた。台風の日にウコギを支える竹はなんとか元に戻し、ウコギは倒れることはなく、命を守ったと思っていたが、今後ウゴキが芽を出してくれるのかどうか、気がかりでならない。

■2011年9月24日(土曜日)


大塚製薬の製品名入りの
スポーツ施設ばかりでした



名物「徳島ラーメン」
 全日本実業団800mに出場。今大会で、15年連続出場となった。
 予選は4組あり、各組1着と2着以降タイムの早い者が4名が決勝へ進出できた。自分は最終組の4組に出場し、1名が欠場したため持ちタイムでは4番目となった。スタートから持ちタイムの最も良い選手が先頭を走り、自分はスピードに乗れず、出遅れた感じで5番手となった。バックストレートは向かい風の影響で全員のスピードが上がらず、ホームストレートに入っても向かい風があるように感じ、全くスピードが上がらなかった。先頭の2人が56秒台で通過し、自分は3人の第2集団の中にいて58秒台で通過した。2周目は4番番手で走っていた佐藤君(体育学校)の後ろについて、スピードを上げ、一人抜き、最終コーナーまで行ったが、最後は離され、4着でフィニッシュした。タイムは1分58秒68。今シーズン最も悪いタイムだった。来年のこの大会の標準記録を目指してスタートラインに立ったが、目標は達成できなかった。この時期に標準記録を突破できていないのは、この15年間で初めてのこと。連続出場もだんだん厳しい状況になってきたが、来年の有効期限まであきらめず、標準記録の突破を目指したい。

■2011年9月23日(金曜日)


吉野川
(後ろに鳴門大橋と淡路島)



眉山
 全日本実業団出場のため徳島へ向かった。競技場は鳴門にあるポカリスエットスタジアム。大学の後輩が徳島勤務で、彼と事前に連絡を取っていたので、空港まで迎えに来てもらい、競技場へ連れて行ってもらった。彼は、我が校で唯一箱根駅伝の選抜メンバーとして本戦を走っていて、今でも走れそうな体つきをしていた。
 競技場で後輩と30分ほどジョッグをした後、300mの刺激を入れ、最終調整を終えた。バックストレートの向かい風が強く、ホームストレートは追い風となっていたが、風が強すぎるため、風に体を押されすぎ、自分の足がついていかない感じ、気持ちよく走ることは出来なかった。気温や気候は最高だが、明日もこの風に影響を受けるのではないかと思った。
 夕方にはホテルにチェックインし、ホテルの近くにある眉山へ行って、徳島市内を見下ろしてきた。徳島市は、吉野川の下流の海沿いにできた町で、東南海沖地震が起こった時には、町全体が津波の被害に遭う可能性があるのでないかと思った。眉山へは10年前の正月に1度行っているが、そのときにはそんなことは全く考えなかった。3月11日の地震は自分の見方にも大きく影響を与えていることを認識した。

■2011年9月22日(木曜日)


曲がった標識
 台風が去り、朝から晴れ渡っていた。朝起きて、すぐに庭に残っている防犯砂利と防草シートをできる限り戻し、一汗かいた後出勤した。海岸線の道路は、浜からの砂が堆積し、ゴミも多く、朝から道でそれらの撤去作業をしている人たちがたくさんいた。
 職場でも、道路標識が曲がるなど被害があった。陸上競技場では、結構太い木が折れたり、いつものように高跳びと棒高跳びのマットが吹き飛ばされていた。
 出勤時にすでに車道はロードスイーパーが稼働していたので、ある程度きれいになっていたが、帰宅時には、車道は完全に砂やごみはなくなっていた。しかし歩道の砂は撤去されておらず、元に戻るには当分時間がかかりそうに見えた。
 自然の力には、人間は無力だということを思い知らされる2日間だった。

■2011年9月21日(水曜日)


浜に押し寄せる波



弁当屋の看板が
強風で破壊されていました
台風15号が本州に上陸し、横須賀も夕方から暴風圏内に入った。帰宅する時間帯は、雨も風も強く、久里浜の海岸は、浜辺が見えなくなり、見たこともないくらいの高さまで波が押し寄せ、野比海岸へ向かう道は通行止めになっていた。
 我が家は、全ての雨戸を下ろし、台風に備えていたが、雨戸が風で曲げられそうな勢いだった。庭の防犯砂利はとても軽いため、吹き飛ばされ、雑草が生えないように敷いていたシートも吹き飛ばされてしまった。垣根のウコギは全てなぎ倒されそうになりながら、なんとか根は地面に張り付いていた。畑のトマトは完全に倒れ、サツマイモも根こそぎ吹き飛ばされそうになりながらなんとか地面に張り付いている感じだった。ウゴキの支えになる竹が全て吹き飛ばされ地面に落ちていたので、竹を元の位置に結びなおし、ウコギの命は守った。
 これだけの強風で、電線が切れて停電になってしまうのではないかと心配し、電気の切れる瞬間が一瞬だけあったがその後は何事もなかった。この強風の中、通行止めの交通整理にあたっている人たちは、ずっと持ち場を離れず仕事をしていた。危険な任務を行っている方々に感謝したい。

■2011年9月20日(火曜日)
 試合前の最後のトラック練習。メニューは400m+300m+200mを2セット。設定はそれぞれ58秒、43秒、27秒だったが、自分の現状を認識した設定ではなく、自分の希望するタイムだったため、1本も設定より速く走ることはできなかった。
 2本目の300mが終わった時点で、脚が棒のようになり、つなぎのジョギングもままならない状態で、4本目の400mが終わったときには、吐き気、5本目の300mが終わったところで、頭痛が発生し、メニューが終わった後は、動くことができなかった。
 追い込んだと言えば、追い込んだのだが、以前だったら軽く走っていたタイムで今は走れず、一昨日の試合に続き、自分の状態は、かなり悪いということだけはよくわかった。あとは、しっかり休んで、試合に臨みたい。 

■2011年9月19日(月曜日)
 この夏は、2リットルのペットボトル入りのスポーツドリンクを購入して、口にすることが多く、ペットボトルのキャップに商品名が印刷されず、色が白のものばかりが目立つような気がして気になっていた。今日、たまたま日経新聞の付録にそれに関する記事が載っていて納得した。
 3月11日の地震以降、ペットボトルのキャップを作る工場の稼働率が6割程度となり、必要最低限を追求した結果が、共通して使える白のキャップとなったとのことで、今もその影響が残っているとのことだった。この白の共通キャップはリサイクルにも向いているが、企業としては、商品に差別化を図ることができず、歓迎されないのだという。両者を同時に成立させられる方法が作り出されればと思う。

■2011年9月18日(日曜日)


富士山



鋸山



トマトを食べるイモムシ
 豊島区秋季陸上競技大会400mに出場した。来週の全日本実業団へ向け練習では出し切れないスピードを出したいと思って申し込み、なんとかアキレス腱痛の影響もなく走りきることができた。
 朝9時20分出走予定だったが、写真判定機の調子が悪く30分近く待たされた。ウォーミングアップの時間が少なかったので、自分には都合が良くとても助かった。
 400mはスターティングブロックを使うので、普段のスタンディングと比べ、慣れない動作をすることで、あまりスピードが乗らないことが多いが、今日は、スピードに乗れる感覚があり、ウォーミングアップの時点で51秒台では走れるのではないかという予感があった。しかし実際にスタートしてみると、第2コーナーから直線に入ったときには、内側のレーンの選手の足音が大きくなり、バックストレートの真ん中辺りで、内側から2名の選手に抜かれてしまった。何とかついて行こうと思いながら走ってはみるものの、差はどんどん開くばかりで、何の見せ場もないままフィニッシュとなってしまった。タイムは53秒34だった。1位と2位は高校生で49秒台と50秒台だった。
 久しぶりに自分の思い通りのレースができず、ショックだった。確かにスピード練習を全くしていないので、走れないのは仕方ないが、400mのレースで800mの1周目のタイムでしか走れなくなてしまい情けなく思った。
 今日のレースは腕振りを意識して走っていたこともあり、それだけ脚の動きに注意が行かなかったのかもしれない。後半は、スピードを上げるためのピッチが上がらず、逆にピッチを落としてオーバーストライドになっていた。自分にとって体の負担が少ない選択をした結果なのだと思う。普段のレースだったら、レース後、いわゆる「ケツワレ」で、動けなくなるものだが、そんな状態にはならなかった。
 来週のレースに向け、あまりいい結果ではなかったが、なんとか残り1週間で調子を上げていきたい。

■2011年9月17日(土曜日)


全園児
 次男の幼稚園の運動会を見に行った。次男はいくつかのイベントに参加していたが、特に注目していたのは、20mの徒競走。次男は、運動会へ向かう車の中で、幼稚園よりも20m走が好きだと行っていた。かなり自信があったのだと思う。
 実際の20m走は、スタートの合図で、すぐにスタートせず、他の子供たちよりも遅れてスタートし、少しずつ追い上げ、フィニッシュラインで、ギリギリ先頭の子供に追いついて1番となった。周りの子供と同時にスタートしていれば、間違いなく独走だった。本人はスタートに失敗した感覚は無く、自信満々の走りだったようなので、がんばったことを褒めてあげた。今後も走ることが好きな子に育って欲しい。

■2011年9月16日(金曜日)
 アキレス腱痛は、日によって波があり、今日は、少し強く歩いていても気になり、走ることができなかった。足を使わない体幹のトレーニングを少しだけ行ったが、左大腿部を屈曲すると、上前腸骨棘付近に痛みがあり、体幹トレーニングもままならない感じだった。昨日、一昨日より体の状態は悪くなったが、たまたま調子の悪い日ということなのだろう。

■2011年9月15日(木曜日)
 昨日は、かなり追い込んだ練習ができたが、筋肉痛はなし。明日筋肉痛になる可能性は残っているが、今のところは、体が適応してきていると思いたい。
 今日は、体力維持のためのサーキットトレーニングを行い、前半は、悪くないタイムでできたが、後半は、動きが悪くなりタイムが低下した。昨日の疲労はいくらかあるのだと思う。

■2011年9月14日(水曜日)


浦賀港と月
 800mの変化走を20分休息で3本走った。1本目を2分05秒で走り、疲労困憊になったが、2本目も何とかがんばり、2分05秒台で走った。3本目は完全に力尽き、1周目が75秒もかかってしまい、残り400mは62秒台で走ったが、まったく練習にならなかった。2本走れただけでもよく走った。全日本実業団へ向け、少しずつ前進していると思う。

■2011年9月13日(火曜日)


猿島
 次男の幼稚園で行われる運動会の親子競技の練習のため、幼稚園へ行った。相変わらず残暑が厳しく、雲もあまりないため、半日で肌がかなり焼けた。幼稚園の運動場は、山の上にあり、日光を遮る物はテントだけ。砂埃もすごく、あまり長くはいたくない環境だったが、子供たちにとっては当たり前の環境なので、気にする様子もなかった。自分たち大人は弱いなぁと思った。

■2011年9月12日(月曜日)


東京電力と中秋の名月
 先週土曜日の練習の筋肉痛が、かなり緩和してきた。先週は、筋肉痛の回復に4日間かかったが、少しずつ体が適応し、筋肉痛の回復期間が短くなり、とてもいい傾向だと思う。
 今日は週に2回行っているサーキットトレーニングを行ったが、4月以降のトレーニングで、2番目に良いタイムでこなせた。少しずつ体のキレも良くなってきている感じが、実際の動きからもタイムからもわかる。なんとか2週間後の全日本実業団に間に合わせたい。

■2011年9月11日(日曜日)


避難訓練



横須賀本港
 午前中、横須賀市で一斉津波避難訓練が行われた。訓練ではマグニチュード7・9の地震で6メートル以上の津波が10分以内に押し寄せるとの想定だったようだが、近所の避難場所となっている公園は、家から歩いて2分程度なのだが、想定の津波に飲み込まれる海抜ではないかと思えた。
 大勢の町民が公園に集まり、解散時に、乾パンとお茶が配られる予定になっていたが、想定外の人数が訓練に参加したとのことで、用意された乾パンとお茶が足りず、一家族にどちらか一つの配給となった。訓練の時点ですでに人数が想定外となったことからも、3月の地震の影響で町民の関心は高く、実際に地震が起こった際には、さらに想定外なことが次々と起こる可能性を示唆したのではないだろうか。避難場所へ避難しても、そこは避難所ではなく、避難所へ移動したとしても、行政の動きは遅いので、必要な食料や生活用品は自分で用意するようにとの話を聞いた。まだまだ家で夭死すべき物がたくさんあることを感じる訓練となった。

■2011年9月10日(土曜日)


畑で収穫したネギ
 今週2回目のスパイクを履いての練習。学生たちと一緒に1500m、800m、400mのレペティショントレーニングを行った。
 1500mは4分20秒程度では走ろうと思って、スタートしたが、残り2周の時点で、速度が落ち、学生に抜かれ、離されてしまい、4分26秒台でフィニッシュした。1500mだけで疲労困憊となり、800mは、2分11秒台で完走しただけになった。400mはなんとかスピードを上げ、55秒5で終了した。明日以降また筋肉痛になるのだろうが、回復したところで、また刺激を入れ、少しずつ慣れさせていくしかない。

■2011年9月9日(金曜日)
 左アキレス腱の凝りが、固く大きくなってきているように見える。右にも少し凝りができはじめている。朝起きて階段を下りるときの痛みがかなりあるが、日中は、階段を下りてもそれほど感じることはない。毎朝、足首を動かして血行をよくした状態にしてから起きあがるようにしているが、あまり効果はない。
 月曜日にスパイクを履いて走り、昨日までは下腿の筋肉痛が強くあり、ジョギングすらできなかった。今日はやっと筋肉痛が緩和し、ジョギングができた。ずっとスパイクを履いて走っていないのだから、仕方ないことだが、スパイクの負荷は想像以上だった。週に2回はスパイクを履いて走ろうと思っていたが、週1回が限度なのかもしれない。これ以上凝りが大きく固くならないことを願う。

■2011年9月8日(木曜日)
 職場の運動施設や建物の放射線量の測定があり、一部の排水溝や汚泥表面からは高い値が検出された。この結果からすれば、我が家の庭も水がたまったり泥がたまったりする場所は、高い放射線量が予想される。なにも知らずに、汚染された土に肥料を混ぜ畑を作り、育った作物を家族みんなが口にしている。今さらどうしようもないので、開き直るしかなく、畑作りは継続するつもりだが、どのくらいの値が検出されるか気になってしまう。庭に張り巡らせた芝生にも寝ころんでいいのだろうかと考えてしまう。
 夜のニュースで放射線を測定する測定器が安く売られるようになり、一部の商品には、制度や誤差が大きく使えないという報道があった。現場は深刻な状態だが、売る側は、売れれば何でも良いという気持ちで売っているのだろうか。弱みにつけ込んだ商売は許せないが、消費者ももだまされないよう気をつける必要があるのだと思う。
 未だに、福島の原子力発電所の問題は、収束していない。核燃料が、どこにあるのかもはっきりせず、まだまだ放射線をまき散らす可能性がある。現場の人たちは、必死に対処していることと思うが、彼らの仕事が国民が見える成果として現れることを願う。

■2011年9月7日(水曜日)
 思春期の子供の10人に1人が朝起きられない起立性調節障害であるという。寝た状態から起きあがると、自律神経の働きに問題があり、血圧が上がらず、脳血流が低下した状態となることで、朝起きられず、吐き気、めまい、だるさ、立ちくらみ、頭痛など様々な症状が現れる。特に午前中、自律神経の働きが悪く、本人は起きたくても起きられず、本人がしんどい思いをしているところに、親が追い打ちをかけるように、子供に対してきつい言葉をかけ、子供はさらに追い込まれるという悪循環が生じることになる。
 治療は、根本的な治療法はなく、低血圧を予防するような薬物療法、生活習慣の改善、しんどくて運動ができず、筋肉が弱ってしまうため、体をうごかす運動療法などが行われ、治療には半年から数年かかるという。周囲の人も子供本人も、怠けではなく病気であることを認識し対処すれば、お互いがストレスを減らすことができ、病気の治療にも繋がっていく。
 うちの長男は、比較的朝は起きられないが、休日になると、早く起きたりするので、この障害ではないとは思うが、物をなくす、時間が守れない、片づけられない、集中できない、相手のことが考えられないなど、こちらが、何度言っても改まらないことがたくさんあり、親も子もお互い毎日ストレスを抱えている。ADHDの症状と似ているところもあるが、どこの家庭も同じような問題を抱えているのだろう。叱れば叱るほど逆効果だとはわかっているが、つい、こちらが当たり前と思っていることができていないと叱ってしまう。当たり前のことが当たり前にできることが当然と思っていることが、こちらの思いこみであり、間違いなのかもしれない。できないことが当たり前と思うのはイヤだが、一つずつ改善していけるように、穏やかに接していきたい。

■2011年9月6日(火曜日)


次男と三男
 昨日は、感じなかった下腿の疲労が出始めた。大きな変化を感じたのは、左アキレス腱のしこり。昨日よりも大きく硬くなっているように感じた。これはまずいと思い、ストレッチをしたり電気を賭けてみたりしているは、変化はない。まだ筋肉痛は少ししか現れていないが、明日以降、さらに痛みは強くなるような気がする。少しずつ体をスパイクに慣れさせ、普段の練習で筋肉痛が起こらないようにしていきたい。

■2011年9月5日(月曜日)
 アキレス腱痛はなかなか改善せず、日常生活では気になるが、臀部の痛みは、日常生活では気にならず、全力で走るときにだけ痛みが出る。全力で走らなければ、どちらの痛みも出てこないので、全日本実業団へ向け、練習を再開した。メニューは1000m、600m、400mのウインドスプリント。久しぶりにスパイクを履いて走った。1000mは、長く感じ後半は、急激にスピードが落ち、走った感覚がなかった。600mは、比較的スピードの低下がなく気持ちよく走れ、400mも感覚よりもタイムは良く、意外と走れた。この調子で、練習が継続できれば、試合もまともに走れるのではないかと思うが、明日以降、スパイクを履いて走った影響が、どのくらい現れるか気になるところだ。

■2011年9月4日(日曜日)


出場した学生たち
 水泳、ランニング、射撃の3種目で競う第8回チャレンジ近代五種国際大会IN千葉の応援に行った。自分も出場するつもりでいたが、脚の状態が良くないので、申込をしなかった。毎年この大会は、海外からの招待選手が何名が参加しているが、今回は、国内選手のみで、出場者が、とても少なかった。学生の出場したシニア男子の部は7名中6名がうちの学生で、ちょっと盛り上がりには欠けた。
 レースは、水泳で、学生が2名と一般選手1名の争いとなり、ランニングと射撃が交互に3回行われる間には、あまり差がつかず、最後は、走力の差が勝敗を分け、学生が1位と3位に入賞した。
 個人レースの後は、3名一組で一人ずつ射撃とランニングを行うリレー競技が行われ、こちらは、個人で入賞できなかった選手たちが、射撃でがんばり、2位に入賞した。このメンバーの中には、陸上競技部に転部してきたばかりで、初めての試合で表彰台に乗ることもできた学生もいて、とても印象に残る試合になったのではないかと思う。陸上競技とは違ったきつさとおもしろさがあり、競技をする側も観戦する側も楽しむことができる。来年以降は、もっと参加者を増やしたいと思う。

■2011年9月3日(土曜日)


男子砲丸投げ決勝



男子棒高跳び決勝
 関東理工系2日目。台風12号は、四国と中国地方へ上陸したようで、埼玉県でも強風や大雨が予想され、突然強い雨の降ることはあったが、晴れか曇りが長く、強風だけが選手を苦しめた。
 特に棒高跳びは風の影響が大きく、4m20cmで残ったのが2名という状態だったが、その中で家の学生が優勝し、最終的には自己記録に並ぶ4m60cmまで記録を伸ばした。また、投擲ががんばってくれ、砲丸で1と2位、円盤で3位となり、フィールドの部では1位となった。
 トラックは、昨日同様厳しい戦いだったが、自分が防大へ来て初めて4×400mリレーで決勝進出し、6位となったほか、5000mで7位、400mハードルで8位となった。男子総合は46点で5位となり、昨年の2位から順位を落としてしまったが、3位が49点、4位が48点だったことから、3位入賞の可能性があったのに、得点が伸ばせなかったのが残念だった。
 初日に男子よりも得点を稼いだ女子は、2日目は0点だったが、総合では男子と同じ5位となった。女子は、少ない人数でよく頑張ったと思う。今後は、一人で複数種目出ることで、さらに得点が伸ばせるのではないかと思った。

■2011年9月2日(金曜日)


唯一の表彰台(女子3000m)
 関東理工系学生陸上競技大会の応援に鴻巣へ行った。昨年は、早大同好会に大きく離されて2位となったため、今年は、その差を縮め優勝争いをすることを目標に臨んだ。
 台風12号が日本に接近している関係で、大会が中止になる可能性もあった。警報が発令されていたので、大雨と強風の影響が心配されたが、ほとんど雨が降ることはなかった。風が舞っていて、風向きが変わりやすく、やり投げでは、やりが風に流されたり、トラックレースでは、タイムに影響があった。
 我が校は、男子では、1500mで5位と8位2人、やり投げで6位となったものの、昨年以上の力が出せず、予定していた得点を大きく下回った。女子については、3000mで2位となり、走り幅跳びで2位と5位となり、男子よりも高い得点を獲得した。学生たちは、狙った試合に合わせて結果を出すことは難しいということと、試合の流れに対応した練習の必要性を実感したことと思う。明日の結果に期待したい。

■2011年9月1日(木曜日)
 陸上競技の世界選手権は6日目に入り、男子やり投げの予選が行われたが、前回の銅メダリストの村上選手は、2週間ほど前に自己ベストを更新し、その記録を出せば、決勝進出できるのではないかと期待していたが、残念ながら予選落ちとなった。今シーズンは、とても調子が良さそうだったが、前回以上の記録を誰もが期待し、それに対するプレッシャーがかなりあったのかもしれない。来年のオリンピックでは、雪辱を果たして欲しい。
 6日目で、最も印象に残ったのは、男子400mハードル。優勝候補が3人ほどいて、自分は、アメリカのジャクソン選手の優勝を期待していたが、フライングはなかったのにスタートを2回もやり直した結果、優勝候補として名前の挙がっていなかったイギリスのグリーン選手が優勝した。解説をしていた為末選手が、スタートのやり直しがなかったら違った結果になったかもしれないと言っていたが、選手の気持ち次第で大きく結果が左右される競技なのだということを感じることができた。グリーン選手は、来年の地元開催のオリンピックへ向けとても良いスタートが切れたのではないかと思う。この結果が本物だったことを来年のオリンピックで示して欲しい。



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