最近のいずみ

Last Update:2012/2/28

パートタイムアスリートいずみ 12年目に突入 



■2012年1月31日(火曜日)
 日本の人口は、50年後には3割減少し、働き手は半減するとの報道があった。生まれる子供よりも亡くなる人の方が多いという予測なのだから、当たり前のことなのだろう。国が政策として何かをする必要があることは、わかっていることなのに、目に見える変化がない。我が家は3人の子供がいるが、自分の友達でも、子供が複数いることが多く、子供が5人という友達もいる。自分たちは「団塊ジュニア」と呼ばれる世代なので、兄弟も多く、人口も多い世代なので、多少出生率に好影響を及ぼしているのかもしれないが、今後は、そういったことが期待できなくなる。民主党政権は、子育て支援を一つの目玉政策として政権を取ったので、期待していたが、財源がなく実現は不可能になった。高齢者人口が多くなっていくため、年金・医療・介護という高齢者向けの政策にお金がかかり、将来を担う子供たちにお金が回っていかない現状を少しでも変えていかないと、この国の将来は、どんどん厳しくなる。海外から人を入れ、移民の国にしてしまうというのも一つの政策かもしれない。50年後は、自分たちの世代は、完全に高齢者となり、若者に迷惑をかけているのだろうと思う。長生きすることはめでたいことのはずなのに、国に負担をかけ、あまり歓迎されないという矛盾が生じることになる。こうした矛盾のない国になるよう、国会では議論をしていって欲しい。

■2012年1月30日(月曜日)
 喉の痛みが回復しない。頭痛も続いている。右のまぶたのけいれんが続き、鼻をかむと左目から涙が出てくる。午後は、ずっと外で授業をしていたため、だんだん声が出なくなり、全く違う声になってしまった。スキーへ行ったときには、スキーウェアの影響もあったかもしれないが、それほど寒さを感じなかったのに、横須賀へ帰って来てからの方が寒さを感じる。たぶん、海が近く風が強いことが体感温度を下げているのだろうが、普通のウインドブレーカーだけではかなり寒い。練習を再開するためにも、まずは、体調を回復させなければならない。

■2012年1月29日(日曜日)
 大阪国際女子マラソンは、てんまやの重友選手が優勝した。30km以降は、とてもきつそうだったが、スピードの低下を最小限に抑え、最後までリズムを崩さずに走りきったところは、すばらしかった。てんまやというチームは、オリンピックの度に、かならずマラソンの代表選手を輩出しているが、今回もはずすことなく、新たな選手を送り出した。女子における監督の影響力はかなり大きいとあらためて感じた。
 優勝候補に上げられていた福士選手は、25km過ぎまでは、重友選手をマークしていたが失速し、完走するのがやっとという感じだった。ハーフマラソンまでのスピードは、間違いなく日本一だが、距離が伸びると、前半にどれだけ余裕があっても、途中で何が起こるかわからないということなのだろう。次は、名古屋の最終予選に出場するのか、4月以降のトラックレースで、代表を目指すのかわからないが、ロンドンオリンピックへ出場するチャンスは、まだ残っているのでがんばって欲しい。

■2012年1月28日(土曜日)
 昨夜は、体温が上がることはなかったが、夜中に何度か起き、あまり眠れなかった。頭痛がなかなか取れなかったので、家族は外に遊びに行って、自分だけ家で留守番し寝ることにした。頭痛薬を飲み、15時近くまで寝て、かなり汗もかき、起きたときには、頭痛はなくなったように感じたが、しばらくすると、また頭痛は復活し、夜まで変化はなかった。明日こそ回復させたい。

■2012年1月27日(金曜日)
 昨夜、寝る前から発熱しそうな感覚があり、マスクを着用し、心配しながら就寝した。マスクをして寝ることが普段とは違ったためか、なかなか寝付けなかった。そして午前0時くらいに激しい寒気におそわれた。体温は39.2度だった。厚着をして寝てみたが、寒気は抜けず、寝られなかった。3時くらいまで、20〜30分に1回トイレと水分補給をしたところ、寒気はなくなり、汗が出てくるようになった。その後は、1時間おきくらいにトイレと水分補給をして朝を迎えた。寝ていない割には、すっきり感があり、起きたときの体温は37度台に下がっていた。
 昼には、平熱に戻り、午後の授業はしっかりできたが、授業内容が砲丸投げの記録計測だったため、ずっと立っているだけで動かなかったため、手や足先の感覚がなくなるほどで、かなり体を酷使してしまったのではないかと思った。明日と明後日はゆっくりと休んで回復させたい。

■2012年1月26日(木曜日)
 3週間ぶりにウエイト器材を使ったサーキットトレーニングをした。昨日は、持久力や心肺機能の低下にショックを受け、今日もかなりタイムを落としてショックを受けるのだろうと思っていたが、意外とタイムの低下が少なく、ホッとした。タイムが落ちるときには、3セット目に綱を登る速度や、ベンチプレスの速度が大きく低下するが、今日は、逆に上がっていくくらいの感覚だった。久しぶりの運動だったため前半の動きが遅かったのかもしれない。とにかく、筋力はそれほど低下していなかった。なんとか来週の横須賀市記録会には間に合わせたい。

■2012年1月25日(水曜日)


富士山
 久しぶりにペース走を実施。12000mを3分40秒/kmという設定だった。1000m過ぎで呼吸が苦しくなり始め2000mでペースダウンし、その後はタイムがどんどん下がっていった。途中からは、右臀部の痛みが再発し、股関節の動きも悪くなり、完全にジョギングになってしまった。それでも呼吸は激しいままで、走るリズムに呼吸が連動した。結局8000mで中止した。先週の2時間ジョッグでも同じような感じだったが、呼吸循環系の機能が低下しすぎている。少しずつでも負荷をかけて、元に戻していかなければと思った。

■2012年1月24日(火曜日)


突然雪が降ってきました
 昨日長男が熱を出し、厚着をして布団に入っていたところで体温を測ったためか39度台まで体温が上昇した。長男の学校ではインフルエンザで学級閉鎖がおき、自分の職場でもかなりの数のインフルエンザ患者がいるという情報がある。家の子供もインフルエンザの可能性があると思ったが、発熱直後に病院へ行っても、インフルエンザの検査はできないので、昨日1日は家でおとなしく寝かせていた。今朝は、37度前後の体温で、本人もなんともなさそうだったが、もう1日様子を見ることにした。学校を休む長男を見て、次男は、お腹がいたいと言い出した。学校を休んで家で遊ぶ兄がうらやましかったのだろう。昼間は、三男が発熱したと妻から連絡があり心配したが、帰宅した頃には、熱は下がっていた。家族全員が体調を崩さずに生活するというのは、大変なことだと改めて感じた1日だった。

■2012年1月23日(月曜日)
 東大地震研究所が首都圏にマグニチュード7クラスの直下型地震が4〜5年のうちに70%の確率で、さらに30年で98%の確率で発生するという計算結果を発表した。いろいろな仮定の下になりたっているのだろうから、その仮定が崩れれば、確率は変化するのだろうが、いつ起きてもおかしくないという状態なのだろう。昨年の震災で、地震が起きたとき、津波の可能性があるときには、どこに避難するかということを家族や近所の人とも確認しあった。同時に、必要な物を考えたが、考え出すと、次々と出てきて、避難するときに持って行ける量ではないことがわかった。今ある物だけは防災グッズとして用意はしてあるが、それだけでは、家族5人が2日ももたない。できればこの計算結果がはずれてくれればと思うが、いつ来てもおかしくない状態になった今、改めて必要最小限の荷物を用意しなければならなくなった。

■2012年1月22日(日曜日)


寝返りが当たり前に
 昨日のジョッグの影響か、両脚のハムストリングスが筋肉痛になっている。かなりスピードの遅いジョグだったので、筋肉痛になることは驚きだった。スキーに行っていた期間は、汗をかくような運動をすることはなく、スキーを除けば、ずっと座っている生活だったので、いろいろな運動機能が低下してしまったのだろう。元に戻すのに、かなり時間がかかりそうだ。
 広島で男子の都道府県駅伝が行われ、NHKの放送を見た。体育学校からも選手がふるさと選手として出場していたが、石川代表の室塚くんの走りはすばらしく、3区8.5kmで、11人抜きをし、区間賞を獲得していた。この勢いで、ロンドンオリンピックの標準記録を突破してくれればと思う。

■2012年1月21日(土曜日)


我が家の二十日大根
 今日も、三男は、なかなか目を合わせてくれない。目を合わせると、すぐに目をそらされてしまう。笑顔も少なく、まだこちらに慣れてくれていないことがわかる。自分の手をじっと見ていたかと思うと、突然その手をこぶしごとくわえようとする。自分の手に何を思い、くわえているのだろうか。スキーに行く前には、指4本を口に入れていたが、今日は、5本の指を入れていた。昨日は確認できなかった歯については、下の前歯が2本生えていることが確認できた。寂しい気分が続くが、気長につきあっていきたい。
 久しぶりにジョギングをした。長距離の学生たちが2時間のジョッグに行くというのでついて行ったが、20分で呼吸がきつくなり、脚が棒のような感覚になった。60分が過ぎたころには、股関節周りが痛くなり、集団から離れてしまった。90分で歩き、ジョッグを止めた。最後は、左足外側に痛みが出て歩くにも支障を来した。ちょっと左足の痛みが心配だ。

■2012年1月20日(金曜日)


雪かきされた電話ボックス
 やっと帰宅し、8日ぶりに家族と再会した。長男と次男は、いつも通りだったが、三男は、誰だかわからなかったのか、目を合わせようとしなかった。目があったらいつも笑顔を見せてくれ、とても癒されていたが、こちらが目を合わせようとすると、一瞬目が合い、笑顔を見せるそぶりはするが、すぐに目をそらしてしまう。何度やっても同じで、とても寂しく感じた。三男にとっては父親の顔を忘れてしまいそうになるくらい長い8日だったのかもしれない。産まれてから6ヶ月ほどなのだからそれも仕方ない。一緒に風呂に入ったが、泣くことはなく、少しずつ笑顔を取り戻してくれたので、2,3日あれば、元に戻ってくれるのではないかと思う。
 たった8日間でも赤ん坊の顔の形が変わっていて驚いた。この期間で寝返りも簡単にできるようになり、歯も生えてきたようだ。毎日見ていると気がつかない変化がある。特に赤ん坊の1日1日は大事に見守っていきたいなぁと思った。

■2012年1月19日(木曜日)


斑尾高原方面
 日本スキー教程では、「重力による落下」、「二軸運動意識」、「体幹主導」、「ニュートラル・ポジション」、「フェース・コントロール」というキーワードを使い、「谷回り」のメカニズムを説明している。スキー板の面を上手くコントロールするという「フェース・コントロール」で混乱している。昨年までは、回転する時に横滑りをできるだけなくし、スキー板のエッジで上手く回ろうと考えていた。エッジで滑ることができると、とても気持ちいい感覚になるのだが、面で滑るということは、わざわざエッジを立てる必要はなく、横滑りでもいいということになる。エッジを立てると、進んでいく軌跡は決まってしまい、重力が上手く使えなくなるので、あまりエッジのことは考えない方が良いようだ。重力、二軸、体幹を特に意識し、やじろべいのような感じで、腕を横に広げ、体を少し傾けるようにして、体重を谷側の脚に乗せるようにしたところ、山側の脚に加重しなくてもスムーズにターンできることが多くなった。谷側の脚に乗れば乗るほど、楽に滑れるようになる。あまりエッジを使っているようにも感じないので、ある程度「フェース・コントロール」ができているのかもしれない。いろいろと考えれば考えるほど頭は混乱し、体の動きもぎこちなくなるので、できるだけ注意することは少なくする必要がある。

■2012年1月18日(水曜日)


妙高山
 朝から快晴で、気持ちの良い1日だった。学生たちはスキーを始めて3日目となり、スキーや雪に慣れてきたためか、ケガ人が発生した。雪に慣れ始めた頃からケガは多くなり、特に午後が多くなるという統計があるそうで、その統計通りになってしまった。
 最近、スキーのターン技術は、山側の脚に加重してターンするのではなく、谷側の脚に加重してターンする谷側主導が指導されている。初日に少しその感覚がわかったような気がしていたが、ずっと山側に加重して滑ってきていたので、なかなかうまくいかずもどかしいことが多い。谷側荷重により、自然に落下とターンが起こるというイメージはできているので、今後は、自分の体をそのイメージに近づけていけるように練習したい。ターンの切り替えのイメージも、自分の体が斜面の下側を向いた瞬間から始まるということで、今までイメージしていたこととは、全く違っていた。また、ターンの度にスキー板が揺れて安定せず困っている。足首をしっかりと曲げ、すねが常にブーツのベロ部分にくっつけられれば、安定することがわかっているが、これもなかなかできない。自然とスピードが上がっていくことに怖がっている自分がいるのだと思う。

■2012年1月17日(火曜日)
 スキー場は、平日のためか、うちの学生が8割くらいを占めていた。残りの2割くらいは、スノーボードのお客で、スキーを滑るお客は少なかった。
 学生が来て2日目になるが、昨日は下山するにも苦労していた初心者班の学生たちの上達には、驚かされた。中には、ハの字からパラレルになりそうな学生もいた。上達している学生のいる班は、多くの学生が上達していたことから、学生たちの上達の度合いは、教官の教え方次第ということがよくわかった。

■2012年1月16日(月曜日)


さらに雪の積もりました
 学生が到着し、早速それぞれの班に分かれてのスキーが始まった。自己申告でレベル別に班を編制しているのだが、中級として申告している学生でも、プルークで緩斜面をまっすぐ滑って止まるのに苦労していたので、ほとんどの学生が初級のレベルに見えた。
 自分は、スキー場の終了時刻に合わせて、全部の班が終了しているかどうか見回ったのだが、終了時刻になっても終了できない班が続出して困った。教官に早く下山するように促したが、残っている班のほとんどが、初めてスキーをする学生の集まった班だったため、下山するにもスムーズに滑れず転んだりするので、班としては、少しずつしか移動できなかった。スキー場では「蛍の光」が流れていたが、その放送も終わり、日も沈み暗くなった状態で学生たちは必死に滑っていた。ある班は、滑って下山するのをあきらめ、スキーをはずして徒歩で下山していった。
 学生たちが全員スキー場から撤収したときには、日が落ちて気温は低下し、かなり寒かった。特に足先の感覚はなくなり、自分で地面を歩いている感覚もなかった。風呂に入ったときには、指先が強く痛み、その痛みに耐えるのがとても辛かった。しばらくすると、痛みは、次第にしびれに変わっていくのだが、しびれの方が痛みよりもさらに辛かった。その後、風呂を出る頃にやっと感覚が戻った。凍傷になるときには、感覚が戻らなくなってしまうのだろうが、二度と味わいたくない感覚だった。

■2012年1月15日(日曜日)


野尻湖
 昨夜も雪が50cmほど積もり、除雪の終わった道路の両脇は、雪が3m以上の高さになる場所もあった。テレビの映像でしか見たことのないような景色を目の前で見て、積雪量の多さにあらためて驚かされた。
 この地域では、スキーのなかった時代には、どういう生活をしていたのか考えてしまった。スキーのような観光収入はなく、車の存在しない時代であれば、除雪は人力だったのだろうし、食料の調達もままならなかっただろう。食べていくだけでも大変な時代だったに違いない。さらにこれだけの豪雪では、生活する建物も雪に耐えられない物件が今よりも多かっただろう。今日は、山形で商店街のアーケードが雪で押しつぶされたというニュースを見たが、現代の建物ですらこういったことが起こるのだから、昔は、もっと押しつぶされる家が多かったことが想像できる。
 これだけの雪が積もる中、スキー場のリフトに乗っていると目にするのは、葉を落とした木々。雪に埋もれたり、枝の上に雪が積もって枝が曲げられたりしているのだが、ほとんどの木の枝の先には、つぼみのようなものを見ることができ、こうした厳しい冬の中でも春の準備が始まっていることが感じられ、植物の強さに感動させられた。

■2012年1月14日(土曜日)


雪に埋もれた電話ボックス
 スキースクールに入校し、レッスン法を学んだ。昨夜は、雪が大量に降り、一晩で1m以上も積もったそうで、スキー場も営業時刻までに圧雪が間に合わなかったようだ。スキー場は普段使用できる広さはなく、圧雪が終わった狭い範囲で滑るしかなかった。
 毎年、初級者を教えるためのクラスに入ってレッスンを受けているのだが、今年は、昨年までとは違う先生だったため、レッスン方法も違い、とても新鮮だった。全くスキーをしたことのない人を教えるということで、スキー板を履くことから始まり、パラレルターンに至るまでのレッスン方法を体験できた。本来は繰り返し練習するところを、1回ずつ体験しながらレッスンが進んでいった。前半は、指示された注意点を意識しながら滑ることができたが、後半は、注意点も複数になり、要求された技術に自分のレベルが追いつかず、自分のレベルがよくわかった。しかし、昨年までは意識できなかった谷スキー主導のターンが少し意識できるようになり、進歩した感覚も得られた。

■2012年1月13日(金曜日)


浅間山
 来週から始まる学生たちのスキーの準備のため、妙高高原へバスで移動。都内では、環状八号線が渋滞だったことを除けば、順調に進み、4時間半ほどで現地へ到着した。
 午後は、早速ゲレンデへ出て、使用するスキー場を一通り滑った。スキーをするのは、年に1度だけのことが多いので、スキーをする度に上達していない自分にがっかりする。特に滑り始めは、ターンをするたびに横滑りして、スキー板のエッジの特性を利用したターンにならないところがもどかしい。また、休まずに滑り降りていると、大腿前面が引きちぎられそうな痛みが発生する。不必要な力が入っているということなのだろうが、どうすることもできない。明日以降は、筋肉痛が待っているかもしれない。

■2012年1月12日(木曜日)


火力発電所と東京湾フェリー
 昨日、刑務所を脱走した受刑者は、依然捕まっていないようだ。白い肌着だけで逃走し、刑務所の周りは、人口密集した住宅地などがあり、目立つはずなのに、目撃情報がないのが不思議だ。ニュース番組で、元受刑者の話として、「広島刑務所は甘い」、「なめていた」、「自分も逃げようと思っていた」というコメントがあった。元受刑者が、当時の本音で話をしていたのかもしれないが、ただ刑期を我慢すれば、更生してもしなくても、刑務所から出られるという現実があるのだろうと思った。
 横須賀市内で起きた昨日の強盗についても今のところ捕まったという情報はない。強盗は、昨日だけでなく、8日と9日にも市内の別の場所でコンビニ強盗があったようだ。いつの間にこんなに治安の悪い地域になってしまったのだろうか。あまりにも頻発し過ぎではないかと思う。

■2012年1月11日(水曜日)
 横須賀の林のローソンと久里浜5丁目のローソンに相次いで強盗が入った。林では、店員が犯人の包丁を取り上げたことで、犯人は何も取らずに逃走したが、久里浜では、13万円が奪われ、逃走している。報道では、同一犯の可能性もあるとのことだった。犯人が捕まっていないことから、長男の小学校では、下校時には、親が交差点などに立つように陽性があったり、先生が手分けして見回った。当分こうしたことが継続されるようだ。強盗が入った時間が午前4時台とのことで、人の出入りのない時間帯にアルバイトをする人は、他人事ではない。
 広島では、刑務所から中国人受刑者が脱走した。下着姿で逃走している可能性が高いそうだが、相当目立つ格好なのに捕まったという報道はなされていない。下着しか着ていないとすれば、誰かを襲って寒さをしのいだりする可能性もある。これがきっかけで犯罪が発生しないことを願う。久里浜にも、刑務所と少年院があるが、同じようなことが発生しないようしっかりと管理してもらいたい。

■2012年1月10日(火曜日)
 昨夜から頭痛が続いている。しっかりと眠ることはできたとは思うが、頭の片隅では、頭痛のことが気になりながら寝ていた。右の前部にツーンとした痛みがあり、普段の痛みとは違うので、心配になり、医務室へ行き、頭痛薬を処方してもらった。頭痛薬を飲んでも変化がなければ、検査をする必要がでてくるようだが、当分は、薬を飲んで様子を見るしかない。
 三男は、寝返りがうてるようになった。寝返りをしたときに、自分の手が自分の体の下に挟まるため、その手を自由にさせるのに苦労し、元に戻れないことが多いので、仰向けに戻してやるのだが、またすぐに寝返りをうとうとする。自分で自分の体を動かしているという初めての感覚なのだろう。今までは、仰向けで寝ているだけなので、目を離していても安心だったが、これからは、だんだん行動範囲が広がってくるので、気をつけなければならない。

■2012年1月9日(月曜日)


三笠



補助砲を動かす次男
 次男と三笠公園の戦艦三笠を観覧した。三笠に入るのは3回目なのだが、まだじっくりと見たことがなかったので、ゆっくり見ようと思ったが、次男がじっとしているわけはなく、次男の生きたいところへ、次男のペースに合わせて、中を見て回った。昨年まで、NHKで「坂の上の雲」の放送があったためか、お客さんの数は多かった。
 戦後、戦艦三笠は、船の上にある主砲や煙突などはすべて取り払われ、ダンスホールと水族館が設置されていたということを初めて知った。昭和30年代に、復元運動が行われ、現在に至っているという。
 日本海海戦には、三等巡洋艦「和泉」という船も参戦していたということも初めて知った。日清戦争のために購入しもともとはチリの軍艦で、エスメラスダという名前だった。自分の名字と同じ名前の軍艦が存在したことが、なぜだがうれしかった。
 今日は、成人の日ということもあり、成人式が終わったばかりの新成人らしき人たちが、横須賀中央を歩いていた。集団で歩く男性たちは、みな両手をポケットに突っ込み、さわやかさはなく、あまり近づきたくない雰囲気だった。こちらは子供を連れて歩き、道を横切るときには、横断歩道を渡ることを教えているのに、彼らは、横断歩道を渡ることなく、気の向いたところで道を横切ったりするので、子供はどのように見ていたのだろうかと思った。

■2012年1月8日(日曜日)
 横須賀市長距離記録会5000mに出場。ウォーミングアップの時点で、かなり体が重かったため、普段はやらないジョッグを体が少し軽くなる感覚になるまでやり、かなり汗をかいた。
 自分の走った組は、持ちタイムが16分25秒までの選手で構成されていたので、自分のポジションは、エントリー28名うち、後ろから数えた方が早いくらいだと考え、あまり張り切って走らないようにスタートした。ウォーミングアップの時の体の重さは感じず、気持ちよく走り始めることができ、集団では後ろの方だったにも関わらず、入りの1000mは、3分03秒台で通過した。しかし、1500mを通過した頃から、両側の内側広筋がつり始め、思い切った動きができなくなってしまった。2000mまでの1000mは3分12秒台。さらに3000mまでの1000mは3分15秒となり、少しずつタイムが落ちていった。もっともタイムの落ちることのわかっていた3000m〜4000mは、次々と後続の選手に抜かれ、25人中24番手まで順位を落とし、3分29秒台までタイムを落としてしまった。3000mまでは、15分台へ入ることのできる可能性があったが、4000mの通過で、15分台は厳しいことがわかった。残り2周の時には、トップの選手が近づいてきた。周回遅れはいやだったので、必死に速度を上げ、残り1周となった。残り300mからは、脚がつっても我慢する決意をし、ラストスパートにより3人を抜いて21位でフィニッシュした。タイムは16分09秒35だった。シーズンベストであり、昨日の調整の走りを思い返すと、このタイムでよく走れたと思う。

■2012年1月7日(土曜日)


ホウレンソウの収穫
 明日の記録会の調整として1000mを1本走った。気持ちよく3分を切って走るつもりだったが、体が重く、バックストレートでは、向かい風に負け、ホームストレートでは追い風で、脚が空回りするような感じで、体を前に進められず、5000mの最初の入りを意識した走りだったにもかかわらず、呼吸が激しく乱れた。努力感は100%出してはいなかったが、体の疲労としては、100%近い状態で走ることになってしまった。タイムは3分ちょうどで、設定通りといえば設定通りだったが、残り4000mを走りきれるかと言えば、あと1000mも走れないというくらい疲労していた。後味の悪い調整となってしまった。明日は、16分30秒が切れれば、上出来かもしれない。

■2012年1月6日(金曜日)


ピニャータ
 長男が、日記を書いたというので、見せてもらったところ、公園で友達に会ったことを書いていた。気になったのは、友達の名前を名字でさん付けで書いていたこと。学校で、友達の名前を呼ぶときに男女関わらず、さん付けで呼ばせているということは知っていたが、文章に書くときも、そのように指導されているのだという。日記の中には、友達の名前が2人出てきたのだが、最初に会ったクラスの友達には、さん付けして、別のクラスの友達は、フルネームのみで、さん付けをしていなくて、笑ってしまった。先生が知っている同じクラスの友達の呼び方には気をつけているということなのだろうか。自分たちが子供の頃は、先生でも名字や名前で呼び捨てだったし、文章に書くときには、自分たちで自由に、くん付けやさん付けができた。自分たちが子供の頃と比べると、今の子供たちは、学校で気を遣うことが増えているのかもしれない。

■2012年1月5日(木曜日)
 授業が始まった。休み明けで、学生たちの雰囲気は、年末とは違い沈みがちで盛り上がらなかった。自分たちが学生の頃も同じような感じだったのかもしれない。しばらくは、この雰囲気につきあうしかない。
 クラブ活動の方は、学生たちが自らの意志で行っているので、こちらは休み明けでも、特に変化はなく、明るい雰囲気だったが、休み中にトレーニングを怠った学生が多いようで、走りには元気がなかった。強くなりたいと思っている学生たちは、休み中にもきちんとトレーニングをしていたようなので、そうしたがんばりが、春からのレース結果に結びつけばと思う。

■2012年1月4日(水曜日)


 子供たちがお年玉をもらったときからずっと楽しみにしていたお年玉を使う日がやってきた。使える金額は、親が決め、長男は、その金額に合うように、自分の好きなプラモデルとその付属品を購入した。それでも数百円余ったため、さらに付属品を購入していた。今のプラモデルは、一つの賞品を購入しても、付属品が別売なため、さらにお金を使わせるようにできている。さらに別のおもちゃでは、ロボットがパーツごとに売られていて、そのパーツを組み立てるとゲームセンターのゲームと連動して遊ぶことができるようになっていた。パーツを変えると強さが変わるようで、すべてを集めたい、強いロボットにしたいと思う子供たちの気持ちを上手く利用して商売をしていた。
 次男は、お金を使うには、まだ早かったが、長男が自分の好きな物を買って自分だけ何もないでは納得しないので、ゲームコーナーでやりたがっていたゲームを1回だけやらせてあげることにした。ゲームコーナーは、小学生で埋め尽くされていた。また、フードコートでは、中学生くらいの子供たちが、集まって、任天堂のDSをやっていた。子供たちが自分で工夫して遊ぶ機会を大人たちが奪ってしまっているのではないかと悲しくなってきた。スポーツをする子供たちは、外で遊ぶ機会が多いが、ゲームをする子供たちは、運動をする機会がなく、その結果、二極化が生じるのだろう。せめて我が子だけは、家遊びばかりの子供にならないように注意したい。

■2012年1月3日(火曜日)


東京スカイツリー
 箱根駅伝は復路が行われた。昨日の往路では、東洋大学が大会記録を5分以上上回る圧倒的なタイムで走ったため驚かさた。復路のスタートでは、先頭から10分以上かかったチームは、先頭がスタートしてから10分後に一斉スタートとなるが、20校中13校が一斉スタートとなり、一斉スタートの多さにさらに驚かされた。見た目の順位と、実際の順位が違うため、見ている方は、順位がよくわからず、走っている方は、見えない敵と戦わなければならず、さらに、繰り上げスタートが相次ぎ、かなり複雑なレースだった。
 東洋大学は10区間中6区間で区間賞を獲得し、そのうち2人が区間新記録だった。往路も大会記録を更新し、総合タイムも、昨年の大会記録を8分以上上回る大会新記録での優勝だった。数年前までは、1kmを3分で走れる選手を10人そろえれば、優勝争いができるレベルだったが、今年は、1kmを2分50秒台前半で押して行けなければ、優勝争いができないほどになってしまった。日本選手権の長距離種目でも実業団の選手に混じって、学生たちが活躍する姿も見られるようになってきているし、箱根駅伝予選会の予選通過タイムも、年々向上していることからも、学生たちのレベルが上がってきているということがわかる。
 期待していた関東学連選抜は、7区で7位まであがったが、残りの3区間が区間19位と20位で、往路は最下位のタイムとなり、総合は17位だった。予選会から漏れたチームのエースたちが集まったチームなので、単独チームよりは、持ちタイムは良かったはずだが、単独チームとはたすきの重みが違ったのか、力を発揮しきれず、とても残念だった。

■2012年1月2日(月曜日)
 トラックで、3000m+300m+200m×2+100m×3をウォーミングアップで行った後、主練習として400m×10を行った。年末は、普段よりも食べる量が多かったためか、体重も重く、走っていてもその重さを感じていたが、横須賀へ戻ってきてからは、普段の食事の量に戻り、年末よりは動きやすくなっていた。そのため、タイムも設定より速く走ることができた。来週は、横須賀市の記録会で5000mに出場する予定になっているが、年末の状態では17分を切るのがやっとという感じだったが、今日の練習からは、なんとか16分前半では走れそうな感覚に戻ってきた。

■2012年1月1日(日曜日)


おせちとお雑煮
 早朝のジョギングに出かけ、野比の海岸沿いへ行ったところ、道沿いは、両側に車が駐車され、1台しか車が通れないような状態になっていて驚いた。海岸沿いは、多くの初日の出を見ようとする人で埋め尽くされていた。そして多くの人たちが、太陽を携帯電話で撮影しようと考えているようで、みんなが携帯電話を太陽に向けている姿が滑稽に見えた。今日は、雲が多く、日の出の時間になっても太陽は見えなかったが、ある程度時間が経つと雲の上に朝日が見え始め、なんとか日の出らしきものを見ることはできた。自宅の近所で、これほどの人が訪れるのは、花火の時だけだと思っていたが、正月も多くの人が訪れることがわかり、今年最初に得られた情報となった。



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