最近のいずみ

Last Update:2012/10/31

パートタイムアスリートいずみ 12年目に突入 



■2012年10月31日(水曜日)


紫芋クッキー作り
 今日で、フルタイムのアスリートを辞めて12年目のシーズンが終わった。この1年間は、アキレス腱痛と腰痛の期間が長く、競技者としては、厳しい状態でレースに出場することが多かった。春先に、すべての痛みから解放され、思い切って体を動かせる期間がわずかにあり、すべての種目で前年の記録を上回ることができた。1500mではマスターズM35のアジア記録を更新できたのは良かったが、800mでは、今年も全日本実業団の標準記録を突破できなかった。数年前までは、試合だけ出場していても、練習不足をごまかしてある程度タイムを出せていたが、最近は、そのごまかしがきかなくなった。練習以上のタイムは出ないし、練習レベルのタイムも出ないレースの方が多くなってきた。加齢の問題はもちろんあるのかもしれないが、それ以上に継続した練習ができなくなっている影響が大きい。これからの1年は、もちろん実業団標準突破を目指したいが、できるだけ練習を継続してできるよう、体のケアを含めがんばりたい。

■2012年10月30日(火曜日)


ハート



別の隊形
 次男の幼稚園のイベントで、鼓笛フェスティバルというイベントがあった。横須賀・三浦地区のいくつかの幼稚園が合同で、横須賀市の体育館を貸し切って行った。
 次男のクラスは、2曲演奏し、演奏しながら、次々と隊形を変えていった。時々、自分の動きがわからなくて迷子になる子供もいたが、多くの子供たちは、練習通りに動けたようで、年中さんにしては、演奏も動きも上手かった。このイベントは、毎年平日に行われているので、長男の時から1度も見に行ったことがなかった。鼓笛フェスティバルの前は、幼稚園の先生たちが恐いと子供たちが話しているが、そのくらいの雰囲気がないと、演奏をしながら隊形を次々と変化させていく芸を子供たちに仕込むことができないのだと思う。先生が優しく厳しいというのは、子供たちにとっても人にはいろいろな面があるということを学ぶ良い機会ではないかと思う。

■2012年10月29日(月曜日)
 週末に三男の体調が悪く、鼻水、咳、発熱、下痢が続いた。三男は、うがいをすることができないし、手洗いを頻繁にすることができない。医者でもらった薬を飲まそうとしても、かたくなに拒否するため、自然治癒を待つしかない。そんな状態で家の中のものをいろいろと触るので、家族全員の体調がよくない。妻は、三男の世話をすることも多いので、三男の具合が悪くなってすぐに喉の痛みを訴えるようになったし、次男も黄緑の鼻水を出し喉が痛いと言い、長男も咳をしている。昨日までは何もなかった自分にも夜になると寒気が発生した。これ以上ひどくならなければと思う。

■2012年10月28日(日曜日)


招待レース第3組
 かわさき陸上競技フェスティバルミドルディスタンスデュアスロンに出場。1日に800mと1500mを走り、それぞれのタイムを得点化し、2種目の合計得点で順位が決まる。
 最初の種目は800m。持ちタイムの良い人たちから順に始まり、自分は第3組だった。ウォーミングアップの時点で体が重く、あまり調子が良いとは言えない状態で、スタートしてもそんな感じで、積極的なレースはできなかった。1周目を5〜6番手で走り、1周目の通過が57秒の手前くらい。先頭も56秒前半で、あまり速くはなかった。残り300mからレースが動き出し、自分も4番手まで順位を上げた。600mの通過が1分25秒台で、そのままペースが維持できれば、シーズンベストが出せたが、その後は失速し順位を落とした。結果は、1分56秒77で6着。
 1500mは最も持ちタイムの良い人の集まる第1組。自分より格上の学生ばかりなので、レースの流れに乗れば、4分は切れるのではないかと期待していた。しかし、スタートしてみると、全員が様子見の走りで、あまりにも遅かったため、悲しみを感じながら自分でレースを作ることにした。1周目は64秒。2周目は68秒。急激にペースは落ちているのに、誰も追い越してくれない。1000mを過ぎてもまだ先頭。残り450mでようやくうちの学生が先頭に出で、レースが動き出した。残り1周で、全員がスパートしたが、残り1周のタイムが既に3分を越えて、4分が切れないことがわかり、モチベーションが下がった。その後は、上位の選手を見送って動かなくなった体を必死に動かしてゴールへ向かうだけだった。結果は、4分11秒96で8着だった。第1組が最も速いタイムを出さなければならないのに、第1組のトップは、第2組よりも遅かった。レース中は、なんで40才近いおじさんが学生たちを引っ張らなければならないのか?と何度も思い、タイムで順位の決まる大会なのに積極性のない学生たちの走りに残念さや悲しさがこみ上げてきた。力はあるのに、それを出そうとしない学生たちばかり。こんな学生たちには負けない、最後まで逃げ切れるような力をつけたいと思った。

■2012年10月27日(土曜日)


踊り
 長男の小学校の運動会を見に行った。どの子供たちも、カラフルで、クッションのある運動靴を履いていた。アキレスの瞬足を代表とする、子供のための走る靴が多かった。自分たちの子供の頃は、そういう靴はなかったし、運動会といえば、必ず裸足だった。子供たちが商売の顧客になっているということを実感した。
 運動会を見ていて感心したのは、高学年の子供たち。運動会の運営や道具の運搬、低学年の面倒や応援など、様々な役をこなしていて、とても頼もしく思えた。自分の息子も学年が上がるとこんな風になるのだろうか?なって欲しい。
 運動会の基本は、走ることなのだろうが、低学年は、高学年と比べ、歩幅は狭いが、どの子も脚の回転が速く感じた。高学年は、動きの鈍い生徒と動きの良い生徒に分かれてくる。完全に2極化している。運動習慣があるのかないのかの差なのだろう。肥満の生徒も思ったよりも多く、それぞれの子供の生活習慣がそのまま体型や動きに出てくることを改めて認識した。
 長男は、踊りと綱引きと障害物競走に出場していた。障害物競走では、練習では1位をとっていたそうで、今日も1位になってくると言っていたが、平均台くぐりで時間がかかってしまい残念ながら2位となった。練習と本番は違うということなのだろう。来年は、リレーの代表選手になって欲しい。

■2012年10月26日(金曜日)
 1日中、学生の体力測定で屋外にいた。午前、午後とも日差しが強く、ここ最近の気候では最も暖かく過ごしやすかった。
 学生の体力測定は、50m走、ソフトボール投げ(男子が3号ボール、女子が2号ボール)、立ち幅跳び、懸垂(男子)、斜懸垂(女子)、1500m(男子)、1000m(女子)の男女とも5種目となっている。午前と午後に分かれてそれぞれ800名前後の学生が一斉に測定を行う。毎年、30〜40名程度の班をそれぞれの種目に振り分けて順に回していくのだが、50m走でフライングを行う学生がいるため、時間がずれてくる。いくら注意しても減ることがない。ある程度フライングは考慮してタイムテーブルを作成しているのだが、今年は、特にフライングが多く、最大30分程度まで遅れ、他の種目にも影響があった。陸上競技の国際ルールでは、1回のフライングで失格となるのだが、同じことを体力測定で行うと、記録のない学生が大量に発生し評価できなくなってしまう。全員にスタートの教育もしているが、あまり成果が出てこない。来年の測定へ向け、何か考えなければならない。

■2012年10月25日(木曜日)
 ラジオで、車の走行音を流し、これが現在の音で、同じ場所の音として、小鳥のさえずりだけの音声を流し、これが何十年後かの未来の音だというCMが流れていた。未来は電気自動車が100%になり、エンジン音が聞こえなくなるという説明なのだが、車が無音になることはないのではないかと思った。
 ハイブリット車が登場して、動き始めは、モーターで駆動するようになり、音はたしかに無音になったが、歩行者が気づかないために事故の危険が高まるということで、わざわざ音を出すように作らなければならなくなった。最近は、人や車を自動でよける技術も作られ始めているが、すべての車にそういう技術が導入され、絶対に事故を起こさないというところまでもっていくのは難しいだろう。そういったことからも音がなくなることはないように思える。
 また、二輪車は、電気になるのだろうか?四輪車でも同じだが、大きな音を出すのが大好きな人たちがいて、我が家では、夏はエンジン音や大音量の音楽が車道から聞こえてきて頻繁に起こされる。そういう人たちが100%いなくなることはない。
 エンジン音がなくなる条件を考えていくと、やっぱりこのCMには無理がある。

■2012年10月24日(水曜日)


雪の被った富士山
 昼休みにスパイクを入ってちょっと走ろうと思って、ウォーミングアップとしてジョッグを始めたところ、ものすごく調子が良く、このまま普通の練習をするのがもったいなくなり、600mのタイムトライアルをすることにした。
 全力とはいえ、前半は余力を持っていき、後半は全力を出すことでイーブンペースを保とうと考えていた。前半の余力を持って走るところは、普段以上にストライドよりもピッチを意識して脚の負担を減らそうと思っていたが、ピッチを意識することで、逆にガツガツと力一杯走ることになってしまった。400mは55秒程度で回りたかったのに53秒3で回ってしまい、残り200mは30秒5。1分22秒台を出すつもりだったが、後半の失速でまったく考えていたように走れなかった。前半の400mがほぼ全力のようになってしまったが、その割には、後半はある程度こらえることができた。悪い中にも良いところはあったように思う。週末のレースには良い刺激になった。

■2012年10月23日(火曜日)
 三男は、少しずつ家族の話している言葉がわかってきているようだ。名前を呼んで「こっちへおいで」と言えばこちらへ来るし、「ご飯だよ」と言えば、あわてて近寄ってくる。今日は、「ドアを閉めて」と妻が言ったところ、リビングのドアの所まで行ってドアを閉めたという。妻の意図していたドアは、トイレのドアだったらしく「そのドアじゃなくてトイレのドアだよ」というと、わざわざトイレのドアを閉めに行ったようだ。本人は、おむつなのでトイレは使っていない。それでも日頃の家族の会話からトイレという場所がどこなのかは把握しているようだ。
 しかし、洗面台の下の漂白剤やカビキラーなどの入っている扉は、何度開けないように注意しても開けてしまう。この扉に関しては、全く聞く耳を持たない。こちらの言っていることはわかっているのだろうが、その扉を開けることに何か興味をそそられるのだろう。危険かどうかは本人にはわからないので、なぜ親が開けるなと言うのかわからないということなのかもしれない。

■2012年10月22日(月曜日)
 朝食を食べたときに、食事を噛む度にこめかみ付近の筋肉(側頭筋)に重怠さ、鈍痛、筋肉が張っている感覚があった。鈍い筋肉痛という感じで今までになったことのなかった感覚だった。噛む動作をする度に起こり、頭痛ではないが、頭痛を感じるように1日気分が落ち込んだような感じで過ごした。朝からずっとなんでこうなったのかを考えていたのだが、帰宅中に昨日の行動を思い返していたら突然理由がわかった。昨日は、池袋まで電車で往復したのだが、その電車の中で、普段はしないことをしていた。それはガムを噛んでいたこと。本を読んでいて、眠気もあまり感じずに本に集中していたこともあり、ガムの味がなくなっても、ずっと噛み続けていた。噛んでいたおかげで眠気がなかったのかもしれない。移動の往復で約4時間はガムを噛んでいたことになる。
 何でもない動作だが、それが回数を重ねるとこんなことになるとは驚きだった。日頃から、食事は早食いで大食いな感じがあり、妻からは、もう少し噛んだ方がいいと言われるのだが、いかに普段の食事で噛んでいなかったかということも理解できた。

■2012年10月21日(日曜日)


芋掘りをする兄弟





本日の収穫
 午前中は、池袋まで行き、筋整流法の小口先生の施術を受けてきた。順番待ちをする間、他の具合の悪い人たちの施術を受ける様子を見ていたが、先生は、次々と問題箇所を改善していき、その問題点についても丁寧に説明されていた。その中でおもしろいと感じたことがあった。筋肉は、バラバラに分かれていると、ほぐれていると言えるかもしれないが、その状態の方が姿勢を保つのに力がいる。逆にまとまっているとしっかりして力がなくても姿勢が保てる。ぞうきんに例えると、絞った状態にしておけば、その状態のままであれば、ぞうきんは立てられるが、絞った状態でなければ、ぞうきんは立てられない。人の体でも筋肉がばらけてふにゃふにゃだと力を入れ続けないと立ち続けることは大変だということになる。マッサージで体をほぐすというが、体をほぐす弊害もあるのかもしれないと思った。
 帰宅後、夕方から子供たちと自宅の庭で芋掘りをした。昨年は安納芋を植えたのだが、今年はムラサキ芋を植えた。苗を一つだけ購入し、後は、増えたツルで株を増やし、畑一杯に葉があふれるように生長してくれた。昨年は、大きくなりすぎた芋と全く大きくならなかった芋など、かなりバランスが悪かったが、今年は、適度な大きさの芋がたくさん採れた。長男と次男は、ツルを引っこ抜いて大量の芋が顔を出すとうれしそうにしていた。収穫後、早速焼き芋にしてみたが、あまり甘さはなかった。そういう種類なのだろう。ムラサキの色素が強く、食べ終わると唇と下がムラサキになり、家族全員が病的な顔になってしまった。 

■2012年10月20日(土曜日)


朝日
 来年の1月に行われる箱根駅伝の予選会が立川で行われた。大学の監督なので、毎年学生を応援しに行くのだが、今年は、残念なことに仕事で行くことができなかった。昨年より5チーム多い45チームが出場し526名が完走したようだ。
 初出場のチームが3チーム含まれていたが、その中でも東京国際大学は、創部2年目で、いきなり10時間40分台という好記録で、驚かされた。エチオピアの留学生が走っていたというのがとても大きいが、日本人選手も61分台で走る1年生がいるなど、選手の大半が1年生でありながら、とてもまとまっていた。また、東京情報大学も10名のうち5名が1年生だったが、11時間14分台という結果で選手がまとまったタイムで走り、初出場でのタイムとしてはすばらしいタイムだった。
 我が校は、11時間35分51秒で、昨年よりも15分近く短縮し、突出した選手はいなかったが、全員ががんばってくれた。昨年よりも大幅にタイムを伸ばしたにもかかわらず、順位は2つ下げ38位となり、大会のレベルアップを実感させられた。

■2012年10月19日(金曜日)
 レポートを採点していていつもどうにかならないかと思うことがある。授業でやったことを通じて自分の形態や体力について考察するというレポートを課していて、問題文には、どういうことについて考察するかを具体的に挙げているので、そのまま、具体例について回答してくれれば良いようにしてある。しかし、単純に測定の結果や測定結果を別の言葉で書き直すだけのレポートが多い。授業では、結果からわかったことや、なぜそのような結果になったかを考えて書くように指導しているにもかかわらず、そうしたことを記述するレポートが少ない。そして、「感じた」とか「思った」というどちらか問えば主観的な言葉が出てくる。こちらとしては客観的に分析して欲しいのだが、こちらの意図が伝わっていない。自分が学生の時もこんな感じだったのだろうか?こちらの意図が伝わるように、何か工夫しなければならない。

■2012年10月18日(木曜日)
 長男が突然、「戦争ってどうやって終わったの?」と聞いてきた。長男の言う戦争が何の戦争かわからないので、どの戦争かを聞いてみたが、「戦争」としか返ってこない。小学校低学年では、戦争がたくさんあったことを知らないのだろう。歴史は、戦争の繰り返しのようなものだと教えてあげると、そんなにたくさんの戦争があったの?という反応だった。その後、長男の言う戦争は、日本が最後に負けた戦争だとわかった。そして「だれが負けってきめたのか」「どうやって決めたのか?」「なんでもっと続けなかったのか」「なんでもっと早く終わらなかったのか」など、いろいろと質問された。負けたことに関する質問については、アメリカやヨーロッパの国が集まった連合国から出された降伏条件を、日本の代表者が受け入れたということで納得してもらったが、「なんで戦争は始まったの?」という質問には、あまりにも複雑な要因か重なっていて、説明が難しかった。自分の理解も整理されていないことがわかった。勉強し直さなければと思った。

■2012年10月17日(水曜日)
 帰宅すると、最初に三男がにこにこしながら玄関まで迎えに来てくれる。その姿にまず癒されるので、自分も帰宅を楽しみにしている。歩く姿もだんだん見慣れてきて、本人も移動は歩行が当たり前になった。よたよたと歩いていたのが、短い時間なら小走りで移動するくらいまで速度が上がってきた。
 最近の妻との悩みは、三男が夜中に泣きやまないことと寝ているときに布団を掛けるとそれを嫌がること。長男と次男が寝る夜9時頃には、三男もいったん寝てくれるのだが、11時から12時の間に泣き出し、放っておくと1時間以上泣き続ける。母乳を与えると当然口がふさがるので泣きやみ寝てくれるが、その後布団を掛けるとそれを払いのけ泣き出す。気候がだんだん寒くなってきたので、布団を掛けないわけにはいかないのだが、三男は嫌で仕方ないらしい。その後は、母乳が出ないので、泣きやませる方法はなく、疲れ果てるのを待つしかないということになる。それが一晩に2,3度はある。両手を口元へ持って行き喉が渇いたというサインを出して泣くのだが、お茶を出しても払いのけ、母乳を要求する。妻は寝不足が続く。もうそろそろ母乳から離れても良い時期なので、食事はしっかり与えて、母乳を絶とうとしているが、今のところ離れてくれない。 

■2012年10月16日(火曜日)
 今週末に行われる箱根駅伝予選会へ向け、選手の紹介や当日の役割分担などを確認する部会があった。
 長距離の選手たちは、どのレベルの選手も、この大会への出場を目指して20kmを走る練習をしている。最近は、標準記録が設けられ、その記録も年々レベルアップし、最近は、5000mで16分30秒というタイムになり、その標準記録が突破できず、大会に出場できない4年生もたくさんいて、彼らのモチベーションを維持することがなかなか大変だ。また、標準記録突破者を10名以上集めることのできない学校も出てきて、出場校の数は以前よりは減っている。さらに弱小校の目標となっていた関東学連選抜チームは、今大会までは選抜されるが、来年度以降は未定となっていて、最後の選抜の可能性が高く、弱小校のモチベーションを保つのが難しくなっている。
 選手紹介では、今年の目標は10名の平均が68分だと長距離責任者が説明し、その後各選手がそれぞれの抱負を語った。昨年は、2,3年生が主力だったので、彼らがレベルアップして今年の大会に臨めるので、昨年よりは良い結果が出るのではないかと考えている。そして、昨年よりも4年生が多く、4年目にして初出場という学生もいる。4年生の意地を見せてもらえたらなぁと思っている。残念なのは、レース当日は、出勤で応援に行けないこと。それぞれの選手が納得のいく走りができることを願う。 

■2012年10月15日(月曜日)


東京湾フェリー
 フィリピンは、国内で、政府とイスラム武装組織の間で40年以上戦闘が続いている。今日は、その対立するフィリピン政府とイスラム武装組織が和平向け合意署名したというニュースがあった。
 大学の同期にフィリピンからの留学生がいるのだが、12年ほど前に日本で会った際、彼は、家族をマニラに残し、ミンダナオ島で仕事をしているという話をしていた。フィリピンの陸軍に所属し、イスラム武装組織と闘っているので、自分の目の前で、部下が銃で撃たれ死亡したりもしたとも話していた。当時日本は、オリンピックで盛り上がっている時期だったが、彼は、そういう話題に接する機会はほとんどなく、彼の生活している環境との大きなギャップを感じたことがあった。
 フィリピン軍の人たちも、国内の人へ銃を向けなければならないなんて、とてももどかしいものだったと思う。このまま和平へ進み、ミンダナオ島の人たちが安心して暮らせる環境が作られていくことを願う。

■2012年10月14日(日曜日)


風船に喜ぶ次男と三男
 昨日放送された、日本一過酷な山岳レースを取材したNHKの「激走!日本アルプス大縦断」という番組を見た。レースの制限時間は、8日間以内で、日本海から日本アルプスを縦断し、太平洋がゴールとなる。28名が出場し18名が完走。選手それぞれが、様々な思いを胸にスタートを切り、肉体的かつ精神的な限界に直面しながら、自問自答を繰り返し、ひたすらゴールへ向け進んでいく姿が印象に残った。困難に打ち勝つことで、何かを得ようとする人が多く、制限時間内にゴールできず、レースは終わっても、自分の完走という目標を達成すべく、進み続ける選手もいて、表向きは人との戦いなのかもしれないが、28人全員が自分との戦いをしていることが理解できた。山伏の修行やお遍路も同じような世界なのだろうと思った。

■2012年10月13日(土曜日)


ブロックで遊ぶ3兄弟
 東電が、津波への対処は、想定外だったという見解を一転させ、対処可能だったと認める見解を出した。津波への対策が可能だったことを認めると、訴訟のリスクを抱えることになり、震災前の時点で、津波リスクの検討を公表することで、運転停止につながると考えていたことも、対策を怠る要因となったという。とにかく震災後1年7ヶ月間は、ずっとウソを言い通してきたということになる。こうなると、今公表されていることについても、真実が公表されていない情報があるのではないかと考えたくなってしまう。
 原発のリスクは、地震や津波だけではなく、テロのリスクもある。地震や津波に関して訓練が不十分だと述べているので、テロへの対策も不十分なのだろう。考えられるすべてのリスクに対して、万全の対策があった状態で、初めて稼働なのだと思う。外的なリスク以前に、使用済み燃料の廃棄について、地中に埋めることは決まっていても場所が決まっていなかったということ自体が、何のリスクも考えていなかったと言っているようなものだ。
 原子力発電は、生物のいない別の星で行う方が地球で行うよりは生き物に対してのリスクは低いように思う。そういった方法が実用化されることを願う。 

■2012年10月12日(金曜日)


東電と自衛隊の船
 畑のトマトやバジルは、葉から枝へ、さらに幹へと順に枯れていく。秋になってきて、自分の役目は終えたとばかりに次々と緑から茶色へ変化していく。植物は、自分の引き際を心得ているなぁと思うが、一方で、まだ、新芽が出る部位があり、生長を続けようとしている。一部では命ある限り生き続けようとする力もあるようにも思う。矛盾しているようなことが、同時に成り立っているように見え、自然の偉大さを感じた。
 トマトは、どんどん枯れながらも次々と実を作っている。実のなったところの枝が枯れてしまった所もあるのだが、そういった実は、そのまま水分がなくなってしおれていく。腐るのではなく、ゆっくりとドライトマトになっていく。実を収穫して、そのまま常温で放置しておいても、同じように、ドライトマトになっていく。スーパーなどで売っている商品は、放置しておくと腐る場合が多い。我が家の作物は、農薬を使っていないし、植えたら、水を与えるだけで、ほとんど何も施していないので、自然に近いということなのだと思う。味についても、我が家のトマトは、色は悪いが、味は濃く、甘さもあるが、売っているものは、色はとても鮮やかでおいしそうだが、食べてみると、味が薄く、甘さもない場合が多い。そういったことから、、売っているの作物は、収穫効率を重視した人工的で、不自然な作物と言えるのかもしれない。今までは、食べていくだけなら、できるだけ安いモノが買えればいいと考えていたが、高くても自然農法で育てた作物を買う人がいるのもわかるような気がしてきた。

■2012年10月11日(木曜日)
 最近、他人のパソコンを遠隔操作して、犯罪を予告するという事件が何件か発生し、パソコンの持ち主が、逮捕されるということも起こっている。海外のネットワークをいくつか介して書き込みをしているとのことで、犯人の特定は難しいという。何らかのウイルスに感染していることで、遠隔操作を許しているようだが、インターネットを使用することで、知らないうちに感染することで自分が加害者になる可能性もあり、この事件も他人事ではないと思った。
 ネットワーク技術が日々発達していて、スマートフォンは、家電や車とも連動できるようになってきている。ネットワークにつながっているモノであれば、遠隔操作は可能だと考えると、知らない人に家や車が乗っ取られるという事件も起きるようになるのかもしれない。ネットワークに接続できるということが、便利になることなのか、不便になることなのかよくわからなくなってきた。

■2012年10月10日(水曜日)
 職場のパソコンが壊れた。パソコンを立ち上げると、2〜3秒に1回、ピーっという音を出し続け、画面の表示が表れない。何度か強制終了して、立ち上げ直してみるが、同じ症状が続く。午前中は会議だったので、会議の間は、いったん終了し、電源も抜いておき、昼に、もう一度立ち上げ直したところ、ピーっという音はでなくなったので、これで、立ち上がるかもしれないと思い、そのままにしておいたが、結局それ以上何も変化がなく、音がなくなっただけだった。今年度のデータはすべて取り出せなくなってしまったし、外の人とも連絡が取れない。1日中、絶望的な気分で過ごさなければならなかった。

■2012年10月9日(火曜日)


観艦式準備中(満艦飾)






夜も目立ちました(電灯艦飾)
 夕方、職場の記念講堂で、宮城県知事の村井嘉浩氏の講演が行われた。”「有事におけるリーダーシップ」〜東日本大震災からの教訓〜”というテーマだった。
 村井知事は、防大のOBで、陸上自衛隊のヘリコプターのパイロットから、松下政経塾へ入り、政治家へ転身した経歴を持ち、自衛隊の勤務が、今回の震災対応に生かされたということで、それらの経験を後輩たちに向けわかりやすく話してくれた。
 内容の詳細は、平時におけるリーダーシップ、震災を振り返る、有事におけるリーダーシップの3つに分かれていた。平時においてリーダーシップが確立されていなければ、有事におけるリーダーシップは成り立たないということで、特に平時におけるリーダーシップについては時間を割いて説明があった。松下政経塾を作った松下幸之助氏の言葉の影響はとても大きかったようで、いくつか紹介されていた。「素直な心とは、私心なくものごとをありのままに見る心。何か一つのものにとらわれず、一方に偏ったりしない。」「万物はすべて対立しつつ調和している。」という言葉は特に印象に残った。知事の考え方の根底にあることは、「常に全体の利益を考える」ということであり、全体の利益により小さな犠牲が伴うことが起こるが、全体の利益を考えながら、小さな犠牲についても考えていくスタンスで政治を行っているとのことだった。
 震災の時には、超法規的な措置を講じなければならないこともあったそうで、批判のリスクよりも躊躇するリスクの方が良くないとの考えから、すべて自分の責任で行い、最終的には、国にも認めてもらい法の範囲で処理できた事案があったようだ。また、情報の積極的な発信を行ったそうで、震災直後はかなり混乱した状態で会議等が行われたため議事録を全く残していなかったが、最初からマスコミに会議の取材を認め、すべてオープンにしていたことで、国のように批判されることはなかったようだ。松本復興担当大臣との面会で、知事が大臣の後に部屋へ入ってきたことで、大臣が怒ってしまった件については、「常に冷静に」ということを心がけていたそうで、マスコミが目の前にいることも考慮し、わざわざ反論することはしなかったという。周りからは、毅然とした態度ですばらしかったと言われたそうだが、本人としては、毅然ではなく唖然としたのだという。
 講演中、所々で笑いをとり、聴衆を飽きさせず、引きつける話は、さすが政治家だと思った。学生にとっては、先輩ということもあり、学生の事情も良くわかった上で話をされているので、より身近に感じることができた。最後は、最近出版された本についての宣伝もしっかりとされて、本当に頼もしい先輩だと思った。

■2012年10月8日(月曜日)


撮影中



久里浜天神にて



ボルトポーズ
 午前中は、年に1回の家族写真と、次男の七五三の写真を、市内の写真館に撮りに行った。次男は、初めて着物を着て写真を撮ることになったのだが、撮影時に、次男が少しふざけて動くため、なかなか良い写真が撮れなかったようで、写真屋さんは何度かフィルムの交換をしていた。デジタルカメラでの撮影ではなく、アナログのカメラだったので、撮影の回数が増えると利益が少なくなるはずだが、そこは商売なので、怒らず、グッとこらえて何度も撮影をしてくれていた。家族写真の時にも、同じように次男がふざけてしまい困った。三男がカメラに顔を向けてくれるかどうかが 最も心配だったのだが、次男の方がやっかいだった。たくさん撮ったなかで、写真屋さんのセンスでそれぞれ1枚が選ばれる。できあがりを楽しみにしたい。
 午後からは、長男は、秋休みで水曜まで休みなので、友達の家に泊まりに行ってしまった。次男は、一緒に遊びに行きたかったようだが、一緒に泊めてもらうことはできないので、近所のプールへ連れて行った。今日は、体育の日で、市内の体育施設は無料で使用できた。プールは、無料の割には利用者は少なく快適だった。次男は、腕にヘルパーをつけなくて泳げるというので、ヘルパーはなしでプールへ入った。バタ足は膝が曲がってひどい状態だが、少しずつは進んで、1〜2mくらいは泳げていた。息継ぎができないので、自分の呼吸が持つ間はバタ足ができていた。手をそろえて、ストリームラインを作ったり、バタ足は膝をあまり曲げないように大腿部から動かすことを説明すると、説明通りには泳げなかったが、言われたことを守ろうと努力している姿勢は、見ていてわかった。長男とプールへ行って、泳ぎの話をすると、こちらの話は無視することが多いので、それと比べると次男は素直だなぁと思った。後半は、自分で練習すると言って、こちらは遠くから見守るだけで、一人で練習し始めた。自己流で、腕を回し始め、クロールを泳いでいる気分だったのだと思う。そして、3〜4mは泳げるように上達しとても驚かされた。こちらは、次男の泳ぎを見るのに、水の中に潜って見ていたのだが、次男も潜れるようになりたいと言いだし、体の空気を抜いていく話をすると、すぐに実践しだし、何度も練習し、何回か、尻がプールの底につくようになった。途中からは、水中メガネが邪魔だと言いだし、メガネ無しで潜っていたが、水の中でもしっかりと目を開いていた。普通は、目に水が入るのが嫌で、水の中では目を閉じるものだと思っていたが、次男は、全く関係なかった。次男にいろいろなことに驚かされる1日だった。

■2012年10月7日(日曜日)


次男の発表





長男の発表
 長男と次男のピアノの発表会を見に行った。長男は、幼稚園の年中からピアノを習っているが、今年の5月に教室を変え、それを機会に、次男は、長男と同じ教室に通い始めた。初めは、長男だけ発表会に出させるつもりだったが、次男も出たいと言うので、今回参加することとなり、次男も初めて人前でピアノの演奏をすることになった。
 次男は、発表順が最初で、ぎこちない歩きで舞台に入ってきて、聴衆の笑いを誘っていた。発表自体は、しっかりとでき、終わった後のお辞儀で、また笑いを誘っていた。
 長男は、4番目の登場だった。曲はスーパーマリオブラザーズの「地上のテーマ」。途中で止まってしまい、本人としては、納得がいかなかったのではないかと思う。しかし、先生からは、今までで一番良くできていたとコメントをもらったらしい。ということは、今までのレッスンでは、まともに弾けていなかったということになる。演奏する曲がレベルに合っていなかったのではないかと思ってしまった。
 その後、児童による「ドレミの歌」の合唱があった。次男は歌う直前まで寝ていたため、かなり不機嫌そうに舞台に立っていた。長男もなぜか泣き出しそうな顔をしていた。2人とも、声を出しているのかいないのかわからないような口の開きで、気持ちが乗っていなかった。
 最後に写真撮影が行われるので、プログラムがすべて終わるまで待っていなければならなかったが、予定よりも1時間ほど遅れて終わることになり、2時間半待たされた。子供たちを待たせておくには、あまりにも長い時間で、時間見積もりのひどさにあきれてしまった。2年後に、また発表会があるようだが、今回のことを反省して、上手く運営してもらいたい。

■2012年10月6日(土曜日)


1周目
 国立競技場で行われた東京スポーツ祭典に5年ぶりに出場。出場種目は800m。レースは3組タイムレース決勝。組に12〜13名の選手がエントリーされていて、最近のレースでは珍しいオープンレーンでのスタートだった。事前に一緒に走ったことのある選手と、1周目を55〜56秒程度で走り、お互いにレースを引っ張り合うという話をしていた。
 スタートのポジションは、一番内側だった。オープンレーンでのスタートとということもあり、スタート直後に1レーンに選手が密集するため、スタートして40mくらいで外側から被されてしまい、3番手なってしまった。バックストレートで2番手に上がったが、先頭のペースは、少し遅く、250mくらいでそのペースに我慢ができず、先頭に立った。
 1周目は、56秒8。予定より少し遅かった。残り300mで、少しピッチを上げてスピードを変えた。600m通過は、1分25秒2で、悪くないタイムだったが、その後少しずつ失速し始め、残り150mで2番手の選手に抜かれ、そのまま1mちょっとの差を開かれて2着でフィニッシュとっなった。タイムは1分56秒36で、5年前と同じ総合2位となった。スタート直後のゴタゴタを回避し、もっと速いスタートをしていれば、タイムはもう少し縮められたと思う。
 長男が、ちょうど、銀メダルが欲しいと言っていたので、銀メダルをおみやげにできてちょうど良いと思っていたが、表彰状がなかなかできあがらず、2時間ほど待たされた。最後に、表彰状をもらいに行ったときには、インク切れで賞状が印刷できないので、後日メダルと一緒に郵送すると言われ、待たされた時間は何だったのかと唖然とした。
 この大会は、賞状の他にもあり得ないことがあった。男子200mには、チームの仲間が出場していたが、フライングをしてしまい、失格となってしまった。やり直しのスタートでは、通常、失格した選手は出走できないのに、この大会では、失格した選手も走りたければ走っても良いと審判が認め、走ることができたという。もし、失格した選手がもう一度フライングをしたら、再々スタートをするつもりだったのか?以前出場したときにも、審判が通常ではあり得ないことを要求してきて驚かされたが、相変わらず理解できないローカルルールで試合が運営されていることに、驚かされた。

■2012年10月5日(金曜日)
 明日のレースの調整で、300mのタイムトライアルを行った。この2週間くらいは、比較的調子が良いと感じていたので、今日も、37秒台は出せると思って、スタートをした。しかし、後半は、体が固まり、動きが悪く、気持ちよく走ることはできなかった。タイムは38秒0。もうちょっと走れてもいいとは思うのだが、出そうと思うとなかなか出せない。自分の欲を抑えて走ると意外と走れたりする。明日は、欲を出さず、自分の走りのみに集中したい。

■2012年10月4日(木曜日)


段ボールで遊ぶ三男
 葉山で母親が娘2人を刺殺する事件が起きた。息子2人と娘2人のいる家族だったようで、母親は、「娘を守るために刺した」と言っているという。理由が理由になっていないので、なぜこうなったのか、想像もできない思考過程だ。とにかく娘だけを守らなければということで、息子たちは関係がなかったということなのだろう。小さな子供を刺してしまうという心理状態は、どんな状態なのだろうか。旦那さんは海上自衛官とのこで、自分とも年齢も近く、同じ防衛省の関係者というだけで他人事ではない感じがしてくる。旦那さんのショックは、言葉では表せないほどのものだろう。最近、身内を殺害する事件が続いているように感じる。家族内の関係が、以前とは違ってきているのかもしれない。

■2012年10月3日(水曜日)


メダリストたちの
サイン入り色紙
 全自衛隊陸上競技大会の応援へ行った。多くの学生を出場させるつもりだったが、試験期間と重なってしまったため、試験のない学生2名しか出場ができなかった。大会会場は自衛隊体育学校。久しぶりに前の職場へ行くこととなり、たくさんの懐かしい人たちと再会でき話ができた。再会した多くの人から、「やせた?」と言われた。自分自身は、痩せたと感じていないし、体重自体も替わっていないのだが、久しぶりに会う人から見ると、かなり痩せたように見えるらしい。顔の頬が少しこけて、上半身の筋肉は痩せたかもしれない。InBodyという機械で、全身の体組成をスキャンしてもらったところ、下半身は、発達していたが、上半身は、標準となっていた。そういったことから、見た目はやせたのだろう。
 学生は、400mに1名、800mに1名が出場していた。2年前の卒業生も200mに出場していて、全員が決勝に残り、400mは2位、800mは6位、200mは4位という結果に終わった。それぞれ、もう少しタイムを上げられるのではないかとも思ったが、学生たちは試験期間だったし、卒業生も練習時間の確保が大変なので、今のコンディションでは、力通りだったのかもしれない。来年は、大会が学生の試験と重ならないことを願う。

■2012年10月2日(火曜日)
 朝は、ハイハイをして移動していた三男が、帰宅したときには、ほとんどハイハイをしなくなっていた。手は上に上げてバランスを取っているのかもしれないが、阿波踊りのように見える。足の指を使うなど、使えるものは、すべて使って立ったり歩いたりしているところがかわいい。子供は、日々進歩していく。それを毎日見ることができ、単身赴任になるような職業ではなくて良かったと思う。次は、食事を自分で食べられるようにする課題が待っている。手づかみは大変だけど、親としては、乗り越えなければならない試練かなぁと思う。

■2012年10月1日(月曜日)


被害にあった野菜たち
 昨夜、台風が関東へ接近し、いつものように、我が家の庭では、かなりの被害があった。
 生け垣は、台風が来る前に、吹き飛ばされないように、竹やビニールひもでかなり固定してあったが、竹がとばされてしまった。朝の時点で、少し枯れ始めている。家の前にある街路樹も、少し枯れ始めている。たぶん今日以降、ほとんど葉がなくなってしまうくらいまで枯れてしまうのだろう。
 野菜は、特に下仁田ネギは、真っ直ぐに立っていたのに、すべてが横倒しになっていた。根本から折れてしまっているものもあった。サツマイモは、根本から風が吹き上げたようで、特に風が当たっていたところは、枯れかけていた。トマトやバジルも、横倒しになりながら、何とか生きているが、風にさらされていた部位は、枯れ始めている。
 いつものことながら、家の周りに敷き詰めているジャリがとばされ、戻すのが大変な状態になっている。お隣のクルミの木の落ち葉も、大量に我が家に落ちてきていて、落ち葉拾いも大変そうだ。
 我が家は、日当たりや風通しがとてもよいが、台風の時だけは、それが欠点となる。台風には、利点と欠点は表裏一体ということをいつも感じさせてもらっている。



[昔のいずみ]