最近のいずみ

Last Update:2012/12/19



パートタイムアスリートいずみ 13年目に突入 

■2012年12月19日(水曜日)
 久しぶりにレペティショントレーニングを行った。メニューは800m、400m、300m。休息は10分レスト。ウォーミングアップも十分ではなく、気候が寒くなり、体は動かないが、無理矢理動かして最初の800mを走った。学生たちもあまり積極的ではなかったので、前半は、先頭に出て集団を引っ張った。1周目が60秒9。2周目は、学生2人に抜かれたが、あまり離されることなく、2周目も感覚的には、ペースを落とすことがなかった。実際は、62秒4で、少しペースは低下していた。800mが終わった直後から、吐き気がひどく、400mは前半から先頭についていけなかったが、タイムは56秒2で、意外とタイムは良かった。400mの後は、さらに吐き気が強くなった。しかし、10分という休息は、あっという間に過ぎてしまい、すぐに300mを走る時間となってしまった。300mも、400mと同様、感覚としては、全く走れなかった。タイムは41秒7。だいたい感覚と合っていたので、自分の感覚は悪くはなかった。すべてが終了した後は、吐き気と頭痛が長く続いた。40歳も近い年齢になって、まだこんなことをしているなんて、学生時代には考えられなかった。日常生活からすれば、この瞬間は他では味わえない非日常だと思った。

■2012年12月18日(火曜日)
 三男の語彙がどんどん増えている。正確な発音はできないが、一生懸命聞いた言葉をまねしようとしている。「おはよう」は「はーよー」、「ぞうさん」は「ぞうたん」、「ぺんぎん」は「ぎん」「おにいさん」は「ちーたん」か「じーちゃん」、「パパ」と「ママ」はどちらも「パパ」になる。最後の「パパ」だけは、妻が納得いなかいようで、何度も「ママ」と発音を教えているが、三男は、「パパ」と発音する。
 また、常に家族の行動を見ていて動作のまねをする。昨日は、妻のまねをしたようで、妻のリュックサックを開けて、口紅を出し、口紅を口のまわりに塗りたくり、さらにいろいろな所をよごしたようだ。
 おもちゃは、積み木やブロックが好きで、一生懸命積み上げているが、うまくいかなかったときには、ひたすらおもちゃを投げつけている。
 我が家のアイドルは、これからますます家族を飽きさせない存在になってきそうだ。

■2012年12月17日(月曜日)


用意した賞品
 職場の忘年会が行われた。今回は、自分が幹事の一人で、みんなが楽しみにしているプレゼント抽選会の賞品を用意する役目を任された。毎年、最も高い賞品は電化製品なので、今年も、みんなが喜ぶ賞品を考え、最終的に、ロボットクリーナー、タブレット端末、空気清浄機等を上位の賞品にした。みんなの喜ぶ姿や盛り上がる雰囲気を想像して賞品を用意することがとても楽しい。遠足に行くよりも、遠足に行く前の方が楽しかったり、新築の家に住み始めるよりも、新築の家の間取りを考えているときの方が楽しかったりするのと同じで、準備の段階が最も想像力を働かすことができ、楽しいということなのだろう。
 忘年会では、19名参加し、最初に幹事が全員の名前が別々に記入された紙の入った抽選袋から、一人分の紙を引き抜き、18位の賞品から当選者を決定した。次に18位の賞品をもらった人が、17位の賞品をもらう人を抽選袋から紙を引き抜いて決めていき、その後は、同様に、次々とランクの上の賞品の当選者を決めていった。最後は、1位と19位が残り、1位を決定した後に19位が決まるため、最後まで盛り上がった。自分は、7位のモッフル&ワッフルサンドメーカーが当選した。長男が欲しがっていた賞品なので、長男にはうれしいクリスマスプレゼントになった。

■2012年12月16日(日曜日)


都電荒川線
 学生たちの出場した荒川河川敷対校大学駅伝の応援へ行った。事前に学生から聞いていた会場へ行ってみると、駅伝を行うような雰囲気はなく、学生たちは誰もいなくて焦った。携帯電話に入っている学生の連絡先に何件かかけてみたがつながらず、卒業生が応援に来ることを聞いていたので、卒業生に電話をしてみるとつながり、会場が別の場所だったということがわかった。あわてて電車を乗り継いで、会場へ行ったが、会場へ着いた頃には、レースは後半になっていた。
 結果は、男子が11位、女子は6位だった。学生の訓練の影響で、選手が出場できなかったり、選手も会場を間違えていたなど、いろいろと問題があった。監督にも正確な会場が伝わらないなど、チームとしてまとまっていないと感じた。その中でも、800mランナー2人が対校戦の部とオープンの部で区間を獲得した。悪い中にも、少し良いところはあった。今後は、もっとチームとしてまとまれるようにしていきたい。

■2012年12月15日(土曜日)
 仕事の合間に横須賀市記録会5000mに出場。天候は、雨。特に自分のレース中に強く降られた。風はなかったので我慢はできたが、あまり良い気分では走れなかった。最近ある書籍を手にして、体幹を使った走法について、認識が大きく変わった。調子も良いわけではないので、頭の中でイメージできている走りを、実践してみることを課題とした。
 自分の走った組は、エントリータイムが15分50秒以降の選手が集まっていたので、自分が最も速いタイムを持っている可能性が高く、自分でレースを作るしかなかった。最初は、高校生と何度かぶつかり合いながら走っていたが、2周目からは、先頭でレースを作った。1000mは3分06秒8。次の1000mも同じリズムで走ったつもりだったが、3分13秒6まで、ペースが落ちた。3000m手前で、高校生に抜かれ、2番手となった。3000mの通過が9分40秒くらいだったので、さらにペースが落ちたことがわかった。その後は、さらに高校生に抜かれ3番手となったが、ペースよりも、自分の動きに注意が向いていて、体幹で走るということに集中していたためか、いつもペースダウンする3000mから4000mの区間が楽に感じられ、実際にペースダウンはしなかった。残り500mからは、ロングスパートをして、最後の1周で、先頭に立ちフィニッシュとなった。タイムは16分05秒0だった。天候や自分のコンディションからすれば、よく走れたと思う。これで、今年のレースが終了した。今シーズンは3月まで続くので、今日確認できた走りをさらに磨き、記録を向上させたい。

■2012年12月14日(金曜日)
 久しぶりに観音崎で1kmの登坂走を3本行った。今週は、仕事が中心で、市民駅伝以降走っていない。久しぶりに走るような感覚で、あまり追い込むこともできないだろうと思っていたが、2本目で吐いた。3本目は、走っている途中で、吐き気が強くなり、走るきつさよりも、吐き気をこらえるきつさの方が強かった。明日は、横須賀市の記録会にエントリーしているが、あまり無理をせず走りきろうと思う。

■2012年12月13日(木曜日)
 三男の体調がなかなか回復しない。下痢が続き、火曜日の夜には吐き、水曜日に病院へ行き、薬をもらってきた。ノロウィルスが流行っているというので、検査をしたが、ノロウィルスの反応は出なかった。
 三男に薬を飲ませようとすると、口を開けてくれない。食事やお茶に混ぜてはみるものの、それもうまくいかない。今日の夕食は、食事もほとんどしようとせず、手で払いのけ、食事が床に散らばり、妻は「我慢できない」と言って、かなりの勢いで切れていた。その後、妻に抱かれて寝始めたが、抱かれながら吐き、妻は、そのまま汚物をかぶってしまった。食事をしなかったのは、気持ち悪かったからで、言葉を発することもなく、一人でじっとこらえていたのだろう。そういった状態だったのに、こちらは無理矢理食事を口に入れようとしていた。もっと子供の様子を観察し、子供の状態に応じた対応をしなければならなかったと反省した。

■2012年12月12日(水曜日)


海辺つり公園方面
 産経新聞のWeb版では1日に3回も号外が出された。見出しは「舞鶴高1殺害 無罪」、「角田容疑者 自殺」、「北 ミサイル発射」。
 最も衝撃的なのは北朝鮮の話題。昨日は、発射予告期間を1週間延長するということで、トラブル対処に時間がかかるのではという報道ばかりだった。昨日の情報は何だったのか。周辺国は、完全にフェイントに引っかかった形となった。まさに奇襲という言葉がふさわしいと思った。防衛省の中枢では、きっと休日も休めず緊張状態を継続させていたことだろう。前回問題だらけだったJアラートは機能したようで、国内にも被害はなく、関係者はホッとしたことだろう。
 角田容疑者の事件についても、3人部屋の留置所で、同部屋の2人に気がつかれずに自殺を図ったということに驚かされた。自分の命を絶つことは、想像を絶する苦しさなのではないかと思う。それを隣の人に気がつかれずやってのけてしまうのだから、次々と事件の内容が明らかになってきて、なんと恐ろしい人なんだと思っていたが、彼女の精神の強さはもっと恐ろしい。

■2012年12月11日(火曜日)


さらに雪が増えました
 昨日は、日本海側を中心に各地で記録的な積雪があったようだ。普段は余り雪の降らない名古屋でも降っていた。関東は天気が良く、天気についてはあまり関係はないが、寒さだけは強まっている。今朝の我が家の最低気温は、この冬で最も低い11度だった。今朝はこの冬初めてエアコンをつけた。出勤時には、場所によっては車のフロントや天井に霜が降りていた。畑では霜柱ができているところもあった。
 最近、両手の拳にあかぎれができ始めた。昨年からできるようになったのだが、皮膚の劣化と寒さのためなのだろう。妻は以前からあかぎれの話をしていたが、やっと辛さがわかるようになってきた。指先や踵が割れるようなので、拳とは比較にならないくらい痛いのだろう。少しでも水仕事を減らし、回復させられるよう、家事で手伝えることはやっていきたい。

■2012年12月10日(月曜日)


平作川
 不安やストレスが常にある。そんなことを考えているといろいろなことが手につかないということもある。安定していたはずの収入がどんどん減っていることもある。先が見通せないためなのだが、今が安定だろうが、不安定だろうが、先が見通せないのは当たり前のこと。特殊な能力のある人を除けば、誰も先のことはわからない。それなのに、先々の不安を消すことができないし、考え込んでしまうこともある。開き直って進んでいかなければと思う。

■2012年12月9日(日曜日)


横須賀連合チーム




賞品と区間賞の賞状
 市民駅伝に出場。職場の人や市内に勤めている知り合いを中心にチームを組み、2チームが30才以上の一般Bの部に出場した。過去2大会は、全員が区間賞で2連覇をしていることもあり、できれば、全員が区間賞で3連覇を考えて臨んだ。
 自分は、4.5kmの最長区間1区を担当した。いつもであれば、スタートから大きく飛び出す選手がいるのだが、今年は、風が強かったこともあり、誰も飛び出さず、かなり自重したペースで、大集団のままレースが展開した。周回コースを約2周する中で、1周目は、かなり楽に感じたが、2周目に入った上りで、レースが動き、三浦学苑高校Aと防衛大学校Aがリードし始めた。自分は、武山自衛隊RC−Aと一緒に3位集団を作っていたが、ついていくことができず、そのまま徐々に距離が開き、単独4位で一人旅となった。最終的には武山自衛隊RCーAが先頭に追いついて逃げ切ってしまい、自分は4番手で2区にたすきを渡した。2区以降は、途中まで4番手をキープし、最終6区では6位となってフィニッシュとなった。
 結果は、一般Bの部優勝、自分は、区間賞、チームの区間賞は、6区間中3区間で獲得できた。前半は2位に50秒ほどリードしたが、後半そのリードを使って中継し、最後は6秒差に迫られたが逃げ切り、3連覇は達成できた。
 うちの学生は、また高校生に負けて一般Aの部で2位となった。全員中距離ランナーで、4.5kmの区間はうまく走ってくれたが、3kmの2区間で大きく離されてしまった。もう少し走ってくれると考えていたが、強風の中、一人で走るということが、普段集団で走っている中距離選手には難しいのかもしれない。また、来年高校生にチャレンジしたい。

■2012年12月8日(土曜日)


下仁田ネギの収穫
 明日は市民駅伝を走るので、調整走として1000mを走った。異常に風が強く、向かい風では全く進まないというコンディションだった。3分程度で走れればと考えていて、3分01秒5で走ることはできたが、かなりがんばったという印象だった。昨日まで調子が悪く食事もできていなかったので、仕方のないことかもしれない。その後、300mを走ったのだが、走り終わった後に吐いた。やっぱり体調は完全ではない。明日は、無理せず走ろうと思う。

■2012年12月7日(金曜日)
 昨夜は、予想通り、長男は吐いてしまった。自分も具合が悪かったので、何もできなかったが、妻は、深夜に洗濯等、処理が大変だったようだ。さらに明け方の地震が気になってあまり眠れていないと言っていた。
 自分も相変わらず、食事ができないので午前中は、休暇を取った。長男も学校を休んだ。長男は、食事をしなければ、気持ち悪くなることはなく、それを除けば元気だと言っていたが、昼には発熱してしまった。さらに三男も吐いてしまい、それらの処理によって家事が増え、自分も寝ている場合ではなくなり、掃除機を駆けたりスチームで除菌したりと、あまり休むことはできなかった。 お昼になって1日ぶりに食事をした。バナナ1本を食べ、午後の出勤途中に菓子パンを食べたが吐き気はなかった。
 帰宅すると、長男も三男もすっかり元気になっていた。このまますべてが終わってくれると良いが、三男は、まだまだあやしい。注意して様子を見ていく必要がある。

■2012年12月6日(木曜日)
 うつぶせになって、上半身と下半身を反らせるように背筋の運動をしていたところ、急に気持ち悪なり、何も出なかったが吐いてしまった。この運動をして吐きそうになったことは今までにはなく、体の調子が悪いのかもしれないと思っていたのだが、夕方から夜にかけて、普通にしていても気持ち悪くなってきて、多少寒気も出てきた。風邪の前兆なのかもしれない。先週は、次男がかなり吐いていたが、今頃になってうつったのだろうか。食事をすると吐く可能性が高いように感じたので食事はしなかった。
 夕食時、長男は食事をしながらお腹が痛いと言い出した。次男もお腹が痛いというところから始まり、展開が似ている。今晩、戦いになるのかもしれない。

■2012年12月5日(水曜日)
 アテネオリンピックの陸上競技のメダリストたちのドーピング違反が再検査によって判明し、4名のメダル剥奪が決まった。男子では砲丸投げ1位、ハンマー投げ2位の選手、女子では砲丸投げ3位、円盤投げ3位の選手。全員から筋肉増強剤が検出されたという。
 警察のDNA鑑定では、以前の鑑定結果が、覆ったニュースを最近よく聞く。スポーツの現場でも大会当時に発見できなかった薬物でも、検体を保存し、科学の進歩により、将来検出可能になるということが、明らかになった。意図的に違反をする側への抑止力につながるかもしれない。しかし、いつまでもいたちごっこは続くのだろう。

■2012年12月4日(火曜日)
 ラジオで、インターネットで選挙運動ができるようと活動している人のインタビューを聴いた。今の公職選挙法では、インターネットで選挙運動はできない。インターネットが使用できるようになると、今まで政治に関心のなかった人たちにも関心を寄せるようになり、印刷代のかかっていたポスター等の経費もかからなくなるのだという。いくつかの党が、法律の改正を視野に入れているようで、そうしたことを後押しするように、賛同者を集めるキャンペーンをしているのだという。 インターネットの使用が可能になると、すばらしいページを作って印象の良い人が有利になるような気もしてしまうが、個人の考えを簡単に知ることができるという意味では、良いのかもしれない。ホームページの改ざんをされる可能性があり、それによって大きく印象を悪くする候補者もでるかもしれない。最も困るのは、いままで選挙で稼いでいた業界の人たちだろう。印刷屋さんやウグイス嬢を派遣するような会社は大きな打撃になるに違いない。ちょっと考えるだけでも、法律を変えるということは、いろいろな人たちの利害の絡む難しい問題だということを感じた。

■2012年12月3日(月曜日)
 昨日、自動車道上り線笹子トンネル内で崩落事故が起こり、9名の死亡が確認された。コンクリートの天井が落下したことで、車が下敷きとなってしまった。自然災害による崩落事故は今までにもあったが、今回は自然災害によるものではなく、取り付けられていたボルト周辺の老朽化が原因の一つとして考えられ、人災のようだ。
 今も残る昔の石垣や木造建築は、何百年とその姿を保っていて、そういう歴史的なバックボーンがあって、日本の現代建築技術はますます向上していると思っていた。しかし、たった30年程度で老朽化と言われ、昔の建築と比べ、あまりにも短い時間で劣化してしまうようなものしか作れなくなっているというのは、なんとも皮肉な感じがした。建築資材の問題なのか。保守管理が適正でなかったのか。無理して自然に切り込んだ結果なのか。同様の事故が起こらないことを願う。

■2012年12月2日(日曜日)


横浜みなとみらい





横浜ベイブリッジ
 日体大長距離競技会5000mに出場。自分の出場した第13組は、800mで日本トップクラスの選手たちが名前を連ねていて、とても楽しみなレースとなった。今日の目標は、すべての区間で3分20秒以上かからないように走ること。2週間前の記録会では、3000mから4000mの区間で3分32秒もかかっていたこともあるので、前回よりは、速度の低下を最小限にとどめ、5000mを走り切りたいと考えていた。
 最初の1000mは3分04秒7で通過。前回よりもアウトレーンを走ったり、他の選手とぶつかったりして、あまり良い感覚の入りとはならなかった。1200mから2400mまでは、400mを75秒から76秒のペースで刻み、なんとか15分台を狙うペースで走れていた。このあたりまでは、800m日本記録保持者の横田選手の近くで走れていて、最後に勝負ができればなぁと考えていた。しかし、2400m以降、3600mまでは78秒に速度が低下した。3000m通過は、9分29秒3で、残りの2000mを3分10秒平均で回るのは厳しいと思った。
 時計を身につけていなかったこともあり、一瞬自分が何周目を走っているかがわからなくなり、いきなり速度が低下し、3600mから4000mは81秒1までペースダウンしてしまった。それ以上のペースダウンはしたくなかったが次の400mは82秒4となった。しかし、3000mから4000mまでの1000mは3分17秒9ということで、今日の目標が達成でき、残り1000mをがんばることができた。4400mから4800mを70秒1まで上げ、残り200mは、自分を抜いていった大学生が強烈なラストスパートをしたので、それを追い抜こうとして、自分もエンジンが掛かり、大学生には追いつかなかったものの30秒0で走り切れた。タイムは15分50秒19。2シーズンぶりの15分台を記録した。日本トップクラスの800mランナーたちは、15分20秒台で30秒近く離されてしまった。
 今日は、同じチームの松本さんが、自分は走らないのに応援に来てくれて、1周ごとのラップを読んでくれた。そのラップの読み上げのおかげで、自分のタイムがしっかりと把握でき、学生たちの応援もあって、目標を達成することができた。また、自分よりも前の組で走った我が校の1,2年生が自己ベストで15分台を出したことも大きな刺激となった。周りの人のサポートや刺激は競技者の力になることを改めて感じた。サポートや刺激してくれた人たちに感謝したい。

■2012年12月1日(土曜日)






幼稚園作品展にて
 長男は、マンガを読み始めたり、テレビを見始めたりすると、人の話が聞こえなくなる。マンガやテレビのときでなくとも聞いていないことが多く、直前に言ったことを忘れたり、目の前にあるモノが見えなくて通り過ぎてしまうことさえある。しかし、テレビで言っていることはよく覚えていて、何でそんなことを知っているの?と驚かされることがある。そこで、親の話が聞こえず、テレビの話だけが頭に残るのなら、こちらは言いたことをビデオに録画してテレビで見せようか?と皮肉たっぷりに長男に提案してみた。長男は苦笑いしていたが、学校でも忘れ物が多く、担任との面談でも指摘されるほどで、我が家の中だけのことではない。人の話を聞くということは、社会生活を営む上で、必要なことなので、なにか工夫しなければと思っている。
 次男は、一昨日の夜吐いてから、何も食べられず、今日の昼まで1日以上何も食べられなかった。それなのに何度も吐くことが続き、本当にかわいそうだった。昨夜は、風呂であばら骨が浮き出た自分の体を見て、自分ではないようだと言っていたという。今日の昼からは、食事ができるようになり、やっと回復へ向かい始めた。なんでこんなに自分だけ大変な目に遭わなければならないのかと母親に愚痴を漏らしていたようだが、回復傾向なので、しっかり食事と睡眠をして元気を取り戻してほしい。
 三男は、最近みかんが大好きで、みかんを見つけるとうれしそうに駆けてくる。そして、みかんを食べる顔が、なんとも癒される。うれしいとおいしいを顔で表現してくれる。また、一生懸命「みかん」を発音しようとするが「ぴぱん」「てぃぱん」「ちぱん」と言う感じで、正確には発音できないところがかわいらしい。次は、どんな言葉を発してくれるのか、楽しみだ。

■2012年11月30日(金曜日)
 ラジオで、週末に山伏の格好をして山に登っているフランス人女性のインタビューを聞いた。ヨーロッパでは、山を登ることは、スポーツと同じで、ただ単に山を登るという行為で完結してしまうのだが、日本では、だた登るということだけでなく、山の神との対話というような山岳信仰の意味合いが含まれている。そういうところに、彼女は共感を覚え、山伏の修行に参加し、来日7年目の今ではほら貝を吹くようになったのだという。もともとフランスで柔道をしていて、日本の武道は、スポーツではないと感じていたようだが、日本に来て山岳信仰を知り、体験することで、ますます日本の武道についての理解も深まったという。彼女の話を聞いていて、今の柔道は、柔道ではなく、スポーツとしての「JUDO」だと言われる理由が少しわかったような気がした。武道がスポーツとは違った側面があるということは海外では理解が難しく、いくら本家の日本が主張しても、それが受け入れられずルールがどんどん変更されていく。海外の人たちが理解できるようにするには、仕方のない流れなのかもしれない。日本の武道は奥が深く、日本で生活してみないと理解できないし、今後ますます日本の意図しない方向へ進んでいってしまうのではないかと思う。

■2012年11月29日(木曜日)
 帯状疱疹から回復した次男は、今日から幼稚園へ行き始めた。幼稚園では、嘔吐と下痢になる園児が多いらしく、次男の友達もその症状で早退していたようだ。ニュースで、ノロウィルスが流行始めていると言っていたが、これに関係した症状なのかもしれない。
 次男は、夕食時に急にお腹が痛くなったと言い、食事が止まってしまった。食事の残りが少なかったこともあり、なんとか食べさせたあと寝かせたのだが、床について1時間ほどして、嘔吐してしまった。まったく食事は消化されておらず、食べたものがそのまま出てきたように見えた。幼稚園へ行って、その日に友達からもらってきてしまったのかもしれない。次男は、幼稚園から帰ってきてから三男としっかりと接触してしまっている。次男の帯状疱疹の関係で、そろそろ三男の水疱瘡が始まるのではないかと構えている状態なのだが、これに加えて、嘔吐と下痢が入ってしまうとものすごくやっかいなことになる。明日は、当然次男は家にいるので、三男との接触を避けようとしても、避けられない。水疱瘡だけで済むことを願うしかない。

■2012年11月28日(水曜日)


久里浜海岸
 練習メニューは、800m変化走×3を2セット。休息は400mジョッグ、セット間は800mジョッグ。6本とも2分20秒前後で走りたいと思っていたが、2分20秒を切れたのは1本目だけ。あとは、かなり崩れた。学生たちも前半の8割程度の感覚で走るということが、上手くできず、かなり妥協して走っているのがわかった。6本が終わったときには、下腿に強い痛みが残った。かなり足首の底背屈を繰り返して走っていたようだ。練習をやりきった感はあったが、妥協した自分がいて、追い込めなかった後悔もあった。
 最近、陸上競技部には、他の部が一緒に練習をしたり、他の部を引退した4年生が練習に来たりする。体操部、硬式野球部、アメリカンフットボール部など、普段は話すことのない学生とも関わることができ、部員にも良い刺激になっている。アメリカンフットボール部を引退して練習に来ている4年生からは、「卒業までに、勝負してください」と頼まれた。種目は800mなのだという。800mは専門種目だから、もっと短い距離にしたらどうかと提案したが、800mにして欲しいと言うので了承した。3ヶ月後が楽しみだ。

■2012年11月27日(火曜日)
 職場にあるファミリーマートでは、学校の名前入りのグッズやお菓子が販売されている。久しぶりに、お菓子に目をやると、すべての商品が以前よりも値上がりしていて驚いた。10月から小麦の値段が上がるというようなニュースを聞いたような気がするので、その影響なのだろうか。しかし、小麦を使う、クッキーやパイだけでなく、チョコレートまで値上がりしていた。525円の商品は、よく手土産として購入していたが、その値段の商品は一つもない。給与はどんどん減るが、物の値段は上がっていく。手土産を買うのにも躊躇しなければならない時期が来るのかもしれない。

■2012年11月26日(月曜日)
 11月26日は、いい風呂の日らしい。11月は、いい○○の日が多い。日本人は、語呂合わせ好きだなぁと思う。風呂は、子供とのコミュニケーションを向上させるのに良いらしい。資生堂の調査では、入浴時間が20分以上の方が、20分未満よりも子供の性格や行動に良いことが起こる可能性が高いとしている。普段、我が家の子供たちの入浴は、ほんの少し湯船に浸かっただけですぐに風呂から出てしまう。5分程度かもしれない。自分も湯船に長く浸かって10分程度。子供と入浴すれば、30分程度になるが、子供たちの入浴時間は短い。資生堂の調査を参考に、もうちょっと子供と長く風呂でコミュニケーションがとれるよう、お風呂で遊ぶ道具を用意しようかなぁと思った。

■2012年11月25日(日曜日)


中距離メンバー




表彰式




表彰後(学生たちと)
 よこすかシーサイドマラソン3kmの部に出場。今年は被災地の福島県郡山市から中学生たちが招待選手として招待されていた。代表で挨拶をした生徒が9分13秒で走っていると話していたので、うちの学生だけでなく、中学生とも順位を争わなければならなくなり、負けるわけにはいかないと思いながらスタートした。
 意外と中学生が速いことがわかり、最初から飛ばして逃げ切りを考えていたうちの学生も、様子見となり、適度に緩やかなペースでレースが展開した。動き始めたのは折り返してからで、高校生や招待の中学生が少しペースアップし、上位の人数が絞られた。
 折り返し手前では、自転車に乗った役員が、コーンの左へ行くように手で合図を送りながら、「右へよってください」と言うので、選手はどうしたらいいのかわからなくなり、それぞれ思い思いの方向へ行くことになり、自分は、蛇行して走ってしまった。最終的には、全員が左に入り折り返したが、折り返した後がもっと大変だった。走ってきた車線をそのまま戻ることになっていて、折り返し地点へ向かってくるランナーとフィニッシュラインへ向かうランナーのコースを分けていないため、折り返しに向かうランナーとぶつかりそうになった。
 レースのことを考えるよりも、どうやってぶつからずに走るかということの方が重要で、そんなことを考えている間に残り1kmとなった。自分たちは中央分離帯の右を走って、フィニッシュラインもその延長にあるのだが、中央分離帯で旗をもった役員が、中央分離帯の左を走るように言いだし、また選手は混乱させられ、10kmやハーフの選手と共に中央分離帯の左を走る選手と、フィニッシュラインのある中央分離帯の右を走る選手に分かれることとなった。
 最終的に全員が、中央分離帯の右へ入り、気がつけば、上位は、3名に絞られ、自分は6番手まで落ちてしまった。自分の目の前がうちの学生だったこともあり、彼だけは抜かなければと思い、彼の性格等も考慮し作戦を立てスパートし、作戦は成功し最終的には4着でフィニッシュした。タイムは9分11秒。うちの学生が1位となり、3位は、招待の中学2年生。トップとは4秒差、中学生には2秒差で負けた。頭の中で考えることが多く、自分を追い込みきれなかったところがあったが、体調から考えればかなり健闘したと思う。

■2012年11月24日(土曜日)


防大吹奏楽部定期演奏会
 次男が、木曜、へその周りに水泡ができ、皮膚科でヘルペスだと診断され、薬を塗って処置していたのだが、どんどん広がってくるし、本人が痛がゆくて泣き出すので、薬が合わないのかと思い、別の皮膚科へ受診した。そこでは、ヘルペスではなく帯状疱疹だと診断された。前の皮膚科の診断は、顕微鏡で確認するなど、細かくやっていたので、診断名が変わり、肩すかしをくらったような気持ちになった。
 帯状疱疹は、水疱瘡になっている人であれば、起こる可能性がゼロではなく、特に免疫力の低下するお年寄りには多い症状なのだという。しかし、体調が悪く免疫力が低下する時には、子供にも起こるそうで、腰椎から出ている神経に沿って、片側だけに水疱が出る症状で、次男は、まさに背中からへそにかけて片側だけに水疱ができていてヘルペスではないようだ。塗り薬と飲み薬を服用すれば回復するそうで安心した。

■2012年11月23日(金曜日)


リレー中




なると金時と賞状
 第2回ゆりかもめリレーマラソンという駅伝大会に参加した。場所は江東区にある東京臨海広域防災公園。公園内の1.31kmを32周するというもので、1チーム4名以上10名以内という条件で、1人が1周以上走れば、たすきリレーは何周ごとでもよく、1人が何回走ってもよいというルールだった。天候は非常に悪く、雨と寒さが大きな敵となったが、走り始めると雨は小降りとなり、すぐに止んでくれ本当に助かった。
 我がチームは、中距離の学生たちを中心に自分を含めて9名エントリーし、3グループに分け一人2回ずつを2セット走り、5名がトータル4回、4名がトータル3回を走った。
 最初の一人から独走となり、あとは、チーム内のラップタイム争いが行われた。全員が4分を切れば、2時間8分台が出るという計算だったが、全員が3分50秒前後で走ってきて、後半のタイム争いは激しく、最終的に3分40秒台で走った4年生が最も速いラップとなった。
 フィニッシュは、予想を大きく上回る2時間03分31秒だった。男子マラソンの世界記録は2時間03分38秒なので、どれだけ世界記録がすごいタイムなのかということが実感できた。9人がリレーしてやっとそのタイムということで、無力感も同時に発生した。
 大会記録は2時間09分10秒だったので、6分近く大会記録は更新できた。1位の賞品は、JA徳島北のなると金時と、北海道びえい特産のカボチャが一箱ずつだった。学生たちは、なると金時を持ち帰ったが、カボチャは持って帰れないということで、残ったものは全部自分が引き取った。カボチャは当分買う必要がなくなった。悪天候の中、大会運営を行って頂いた方々には、本当に感謝したい。

■2012年11月22日(木曜日)
 「はやぶさ」のプロジェクトマネージャーを担当した川口淳一郎教授の講演を聴いた。この1週間、先生の著書「はやぶさ式思考法」という本を読んだり、以前ケーブルテレビで録画した「はやぶさ」という映画を見るなどして、ある程度予習してあったので、内容はとてもわかりやすかった。
 講演で最初から最後まで一貫して言われていたのは、「やれる理由を探す」ということだった。日本では、「やれない理由」ばかりを探す風潮があるが、それでは、議論が先に進まないことが多く、探査機のように惑星とのタイミングが重要なプロジェクトでは、何一つ具体化できないということになる。「やれる理由を探す」原点は、体操競技の経験だったそうで、体操競技の採点は、加点法で、加点法には満点はないということが特徴となる。今回のプロジェクトにはやりたいことは山ほどあり、加点法によりいろいろなことを試し、想定していなかったことまでやってのけてしまった。今回のプロジェクトで成果が得られた理由がこれだったと具体的なことには言及がなかったが、やれる理由を見つけて挑戦するという精神が成果に結びついたのだと感じた。
 特に印象に残ったのは、学校教育について。学校では、教えてくれることを学ぶだけなのだが、社会では、答えのないことや教えてもらえないことがたくさんある。学生たちは、教えてくれる人がいないと、どうしていいかわからなくなってしまうことが多いということに、困ってしまうのだという。「目に見えるものは、すべて過去」「これまで学んだものはみな練習問題」など、先輩から言われてきたフレーズを紹介され、先入観に縛られず、自分で考える必要性を説かれていた。宇宙飛行士は、訓練につぐ訓練で、マニュアルを完全にこなす学習の頂点にいる人たちなのだが、彼らにも、その対局の独創性が求められる。日本は、材料を集めてからでないと新しいことが始められない風潮から脱して、創造のできる国になっていく必要がある。そのためには、人材育成は必要で、先生は、今後そういった仕事をしていきたいと話を締めくくられた。常識にとらわれない思考が必要だということを感じた。

■2012年11月21日(水曜日)


雪がしっかりと積もりました
 練習は、8000mビルドアップ走。3分50秒/kmから2000mごとに10秒ずつ上げていき、最後は、フリー。相変わらず、下腿の筋肉痛は続き、体が重く、最初のペースから速く感じた。先頭が2000mごとに変わり、自分は3番目に並んでいたので、4000m〜6000mを引っ張るようになってしまった。ペースは3分30秒/km。最初からきつかったので、このときには、ほとんど余裕のないペースで、何とか引っ張りきったが、その後は、まともに走れなかった。なんとかもう1000mは走ろうと思い、必死についていったが、途中で2回ほど吐き、フォームもバラバラになった。これ以上、ひどい走りを続けるのは練習にならないと思い7000mで終了した。週末は、駅伝と3kmのロードレース。ちょっと不安の残る練習となった。

■2012年11月20日(火曜日)
 800m、400m、300mのレペティショントレーニングを行った。休息は10分。気候が急に寒くなり、下腿の痛みがひどいので、まともなパフォーマンスは出ない可能性が高いので、設定タイムは設けず、ほぼ全力で突っ込んでいった。
 800mは、1周目をちょうど60秒1で回り、2周目は61秒9で、意外と走れた。しかし、走り終わった直後から、頭痛と吐き気がひどく、10分間の休憩では回復できなかった。
 400mは、全く動かず、後半は、脚と腕は連動させることができずバラバラな動きで、もがいて走りきった。タイムは56秒1。800mほど力を出し切れなかった感じがあり、吐き気は変わらなかったが、頭痛は緩和した。
 最後の300mは、中盤から、両脚の内側広筋が痙攣し、痙攣を必死にこらえながら走ったので、スピードは上がらず、42秒6のフィニッシュとなった。追い込む前に筋肉が攣ってしまったので、あまり練習にはならなかった。
 レペティショントレーニングは、冬には避けたくなる練習で、体への負担も大きいが、この4〜5年の悪い流れを断ち切るには、違ったことをする必要があると思い、先週から始めた。週に1回は入れたいと思っているが、週に1回は頭痛と吐き気で動けなくなるというのは、もうすぐ40代のおじさんには、強度が高すぎるような気もする。

■2012年11月19日(月曜日)
 急に気温が下がって、この秋初めて息が白く見えるようになってきた。そろそろ季節が冬に近づいてきている。北海道では、昨日ようやく初雪が観測されたという。札幌や旭川では、過去100年で最も遅い初雪で、札幌では平年より3週間遅い観測だった。日光の紅葉も、かなり遅れているというニュースもあったので、今年は、秋が暖かかったのか、季節がずれているのか、平年とは違うということは間違いない。先週から体力測定の到達基準に達しなかった学生たちが体力測定を行っているが、今週は、先週と比べるとかなり寒く、瞬発的な動きをするには、厳しい気候になってきた。気候の条件は違っても、同じ評価基準で合否判定を行うので、今週測定を行う学生たちは、少し気の毒な感じがする。
 昨日のレース後、下腿に痛みがあり、かなりの疲労を感じた。今朝起きたときは、思っていたよりもひどくならなかったという感覚だったが、1日生活しているうちに、少しずつ痛みが増してきた。夜には、階段を下りる動作が特に痛くて、あまり階段は降りたくないという状態になってきた。できるだけ下腿は使わないように走っているつもりなのだが、この疲労からは、明らかに下腿を使って走っていたことがわかる。次のレースでは、今回よりも、この部位の疲労が少なくできるよう改善させたい。

■2012年11月18日(日曜日)


5000m 第20組
(うちの長距離のエースです)
 日体大記録会5000mに出場。長距離のトレーニングは全くしていないので、最後まで走りきれるとは考えていなかった。タイムを狙うというよりも、強度の高い練習をするという位置づけで、3000mを9分30秒程度で通過することを一つの目安として、その後は、ただ耐えるというプランでレースに臨んだ。
 初めの1000mは3分03秒台で、かなり楽に通過でき、次の1000mも3分06秒台で、かなり余裕があり、先頭集団についていくことができた。しかし、2200m以降、急激に動けなくなり、次々と後続の選手に抜かれ、3000mまでの1000mは3分18秒台まで落ちてしまった。3000m通過は9分28秒台だったので、タイムとしては設定通りの通過となった。
 3000mから4000mは、完全にジョギングのようになり、3分32秒台までペースが落ち、4200m過ぎに2度吐いた。残り1周を16分01〜02秒くらいで通過し、最後の200mだけはなんとかペースを上げ16分14秒90でフィニッシュとなった。
 3000mから4000mの間の落ち込みはひどかったが、3000mであれば、9分10秒台で走れることが実感できた。最近は、ペース走を始めるとアキレス腱痛が発生し、とても気になりながら走ることが多いのだが、今日のレースでは、全くアキレス腱痛を感じることなく走り切れたことが大きな収穫だった。来週はよこすかシーサイドマラソンの3kmへの出場を予定しているが、9分15秒程度を目指していきたい。

■2012年11月17日(土曜日)


3000m 第1組
(右の3名はうちの学生です)
 日体大記録会の5000mに出場することになっていたので、自分の時間に合わせて日体大へ行ったのだが、現地についてから5000mが明日であることに気がついた。仕方なく帰ろうと思ったが、うちの女子の選手が走ることに気がつき、3000mの応援をした。
 午前中から雨が降り出し、天候はあまり良くはなかったが、出走30分くらい前からいったん雨が止み、コンディションとしては悪くない状態となり、選手とコンディションが良くなったなぁと話していたが、スタートした後に雨が降りだし、風もいくらか出てきて、傘をさしていると傘がとばされそうになるくらいまで強くなった。
 3名の学生が1組で走り、最初は、先頭の方で走り、1000mまでは良いペースで走れたが、その後は、大きく失速してしまった。3名の中では3番目に走っていた学生だけが、自分のペースを上手にキープし、自己ベストを更新した。経験者は、高校時代ほど練習が積めていない状態なのに、どうしても試合では当時の感覚で走り出してしまい、後半失速する傾向にある。もう少し、自分の現状を把握した状態で走って欲しいと思った。

■2012年11月16日(金曜日)
 航空自衛隊の部隊の持続走訓練のサポートとして実技講習をした。もともと陸上競技をしてきたという人たちばかりではなく、年齢構成も様々。体幹や股関節のトレーニングを中心に実技をしたのだが、ほとんどの人が苦戦していた。特に、脇腹の筋肉(外腹斜筋や内腹斜筋)を使うことに慣れていないので、上手に力を入れられない人が多かった。股関節周りの運動も、とても単純な動きだが、体幹が動かないように意識し、股関節を動かすとかなりきつい。自重でも様々な運動ができることや、体幹や股関節は、地味な運動を継続していくことが必要だということを理解してもらえた。大会での活躍を楽しみにしている。

■2012年11月15日(木曜日)
 体力測定で、到達基準に達していない学生の測定が今日から始まった。1ヶ月ほど前に陸上競技部に転部を前提で体験に来ていた女子の学生が、今日の測定に含まれていたのだが、1ヶ月前と比べると、首周りがすっきりし、顔が小さくなり、体型が細くなっていてとても驚かされた。50m走の動きも以前より良さそうで、1000mは大幅にタイムを上げたようで、到達基準を超えることができたようだ。
 測定の後、本人や本人の近くにいる自衛官の方から話を聞いたところによると、彼女は、ずっと運動が嫌いで、逃げていたのだが、自衛官になるのに逃げていては、自衛官になったときに困るということを認識し、逃げずに向き合うために陸上競技部へ入ったとのことだった。彼女は、入部してたった1ヶ月だが、走ることがとても好きになり、逃げずに向き合うことができて良かったと話していた。人間関係も良くなって、運動ではない場面も好転しているようだ。運動嫌いを克服するには、本人の意志が最も重要だということを教えてもらったような気がした。 

■2012年11月14日(水曜日)
 大学の同期13名が集まった。新橋で20時からということで、かなり遅い時間から始まったが、みんな仕事をしているので仕方がない。今回集まった同期の中には、自衛官を辞め、別の職業に就いている人が、意外と多かった。頻繁に海外出張に行く人もいるし、景気に大きく左右される業界だったり、別の公務員になっていたりする。民間の会社にいる人は、一つの会社にとどまるのではなく、転職を通してステップアップしている。今も転職活動中だという人もいた。仕事のやりがいや会社の業績と給料など、いろいろなことを総合的に判断して転職をしていることがよくわかった。全員家族持ちなので、そういった中での転職は、本当に大きな決断なのだと思う。それと比べると公務員は、ずっと雇用してもらえるという安心感があり、短期的な業績にこだわらず、長期的な視点が持ちやすいように思えた。それそれ長所と短所があるのだろうが、それぞれが、それぞれの場所で活躍していければと思う。

■2012年11月13日(火曜日)
 三男が、少しずつ言葉を理解したり、道具が使えるようになってきた。絵本も認識できるようになり、こちらがソファーに座っていると、絵本を無言で差し出してくる。もちろん読んでくれというサインなので、読むことになる。ちょっと前までは、絵本の紙をめくることが楽しかったようだが、最近は、きちんと絵を見てこちらの言葉を聞くようになった。「がたんごとん がたんごとん」という絵本が好きで、一人で遊ぶときも電車を走らせて「ちっちー」と言っている。「ちっちー」はたぶん「がたんごとん」のことだと思う。
 食事の前後には、手を合わせて「いただきます」と「ごちそうさまでした」をするようにしているのだが、三男は、手を合わせて「ちっちったっ」と言う。「ごちそうさまでした」の「でした」が「ちっちったっ」になっているのではないかと思うのだが、「いただきます」でも「ちっちったっ」となる。そのうち違いがわかるようになるだろう。
 気がつけば、歯が一瞬では数えられないくらい増え、しっかりと食事のできる状態にはなっている。しかし、今も母乳から離れられない状態が続いている。しっかりと食事をしても、寝る前には、母乳が欲しいようだ。最近は、みかんが好きで、食べていると、近づいてきて欲しがる。この間は、みかんを手に入れると、そのまま皮をむかずにかじりついていたようだ。
 身長も伸び、いろいろなところに手が伸びるようになったが、台を使って、その上に上ることを覚え、キッチンの上に何かあるのがわかると、それを取ろうとする。台から足が離れそうになることがあり、そのときには、キッチンにぶら下がって、ロッククライミングのようになることもあり、とても危ないのだが、一人で上半身を鍛えているようにも見える。
 もうしばらくすると、語彙が増え、コミニュケーションがとれるようになってくる。会話ができるようになるのがとても楽しみだ。

■2012年11月12日(月曜日)


紫芋入りのパン
 昼休みに、長い距離を走ろうと思い16000mのペース走に挑んだ。設定は4分/km。最初の1000mは、設定タイムで走るのがけっこう辛かったが、2000m以降は、リズムがつかめ、3分50秒前後で刻めるようになってしまい、そのままそのペースを維持することにした。5000m以降は、少しずつ呼吸が苦しくなってきて、8000m以降は、接地リズムと呼吸リズムが連動してきてしまった。8000m以降は急激にペースダウンし、8000m〜9000mのタイムは4分04秒。設定タイムの4分を超え呼吸が続かなくなり吐きそうになる手前まできてしまったため、10000mで走ることを中止した。2000m以降設定よりも10秒ペースが速かったこと、体調不良や最近全く長い距離を走っていなかったことが走り切れなかった原因だと思う。昨日に引き続き、呼吸器系にはかなりの負荷をかけたような気がした。その後、300mを走ったが、41秒9だった。こちらは、意外と走れた。長距離練習は、当分呼吸器系にはつらいことが続きそうだ。

■2012年11月11日(日曜日)


表彰式
 全国スポーツ祭典の一般男子800mに出場した。会場はなかなか走ることのできない国立競技場。前日までの天気予報では、15時頃から雨が降るということだったが、16時近くまで雨は降らず、雨に濡れることなく競技ができた。15時前後の気温は13度とかなり低く、短・中距離種目や投擲・跳躍種目には、辛い気候だった。
 800mは、5組タイムレース決勝で、自分は、第5組だった。組がタイムの遅い順に並べられているのかと思っていたのだが、4組までの結果を見ると、一人も2分を切る選手がいなくて、それぞれの組でトップと最下位のレベル差が大きいことから、タイム順に並べていないことがわかった。誰も2分を切っていないということで、自分のレースも一人練習と変わらないことが予測できた。ということで、レースプランは、500mまで8割くらいの力で走り、残り300を全力で走ることにした。
 スタート直後から、誰もついてくることなく1周目を57秒24で通過し、残り300mからピッチを上げ、スピードを上げたつもりだったが上がらず、600mは1分27秒5。フィニッシュは1分59秒23で、さらに失速してしまった。今シーズン2番目に悪いタイムだった。先週、体調が悪く、ほとんど走っていないし、この1週間も、それを引きずってジョギング程度の運動が多かったことも影響していたのだろう。フィニッシュ後は、頭痛と吐き気に苦しんだ。800mを走る状態にはなかったのだと思う。38才最初のレースは、かなり厳しい結果だった。
 総合結果は、1位。予想通り2分を切ったのは自分だけだった。3位には、同じチームの本間くんが入り、砲丸投げでも同じチームの木村くんが1位となり、うちのチームでは、出場した全員が表彰台に上がることができた。
 来週からは、長距離種目へ移行する。このままでは、来週の5000mはかなり厳しいことになりそうだ。

■2012年11月10日(土曜日)


建設中の学生食堂



陸上競技場
 職場の開校祭(学園祭)を見に行った。学生たちの生活する学生舎(寮)に行くと、各階に休憩所が設けられており、そこで飲み物やお菓子が自由に食べられるようになっていて、長男は大喜びだった。階段や休憩所の壁には、大量の写真が貼られ、学生の生活やイベントがどういうものかということがよくわかるようになっていて、資料館よりも写真が多くわかりやすいのではないかと思うほど工夫されていた。自分たちが学生の頃は、デジカメがなかったので、写真の現像や焼き増しには、かなりの時間とお金が必要だったが、今はパソコンとプリンターがあれば、大量の写真が印刷できてしまう。自分が学生の頃は、写真は、それほど大量に撮影できなかったので、貴重な思い出だったが、今は、データがありすぎて管理に困るような状態。この15年で、パソコンを取り巻く環境は大きく変化したことを実感した。
 今日は、長男と2人だったので、長男の行きたいところへついていくだけだった。長男は、休憩所とコンピュータの同好会が主催するゲームコーナーだけに興味を示し、学校にいた時間の大半は、お菓子を食べるかゲームをするかだった。長男がゲームをしている間に、留学生の展示など見に行きたい場所は少しは見ることができた。せっかくいろいろな展示があるので、長男にはお菓子とゲームだけでなくもう少し興味を広げてもらいたい。

■2012年11月9日(金曜日)
 運転免許の更新をしなければならないので、運転免許試験場へ行った。免許の写真撮影と講習があった。講習は、新しくなった交通ルールについて特に時間が割かれていた。交通事故は、車同士よりも、歩行者や自転車との関係の方が割合が多いようで、車道を通ることが原則とされるようになった自転車との関係については特に詳しく説明があった。
 我が家の前に走っている県道でも、車に自転車がひかれる死亡事故が、自分が把握しているだけで2件、歩行者の死亡事故が1件起こっている。起こった場所は、信号のある横断歩道で1件、信号のない場所で2件。今週も死亡事故ではなかったが、信号のない横断歩道で人身事故があった。これだけ人身事故が頻発するので、小学校から警察に、信号の設置をお願いしたようだが、結果は、通学路という看板を立てることに落ち着いてしまったようだ。特に信号のない横断歩道は、子連れで横断しようと車が止まるのを待っていても、止まってくれる車は滅多にいない。ほとんどが、その先の信号に目が行き、スピードを緩めるどころか、スピードを上げようとする。歩行者や自転車は、車に注意していても、車が歩行者や自転車に注意していない場合の方が多いように思う。そういったことからすれば、免許更新時に、講習で注意するということは、大事なことだとは思う。しかし、車を運転する人が歩行者になって、実際に危険な目に遭わないと、歩行者目線にはならないような気はする。すべてのドライバーが歩行者を気にとめられるような方策はないのだろうか。

■2012年11月8日(木曜日)


職場に物騒な乗り物
が停車してました
 テレビ報道で2つの研究がニュースとなっていた。一つ目は、視覚情報が、温度判断に直接影響するということ。見た目が氷のプラスチックでも、氷のように冷たく感じてしまうようだ。これは、照明によって、食事の温度や味まで変わってくる感じがするのと似ているのかなぁと思った。こういう感覚的なことはなかなか数字として示すことは難しいので、こういった研究は、まだまだ材料があるように思えた。
 2つ目は、人は褒められると上手になるということが証明されたということ。授業でも学生を褒めると、上達することはよく経験する。これも、上達をどう数字として証明するかということが難しい。この分野もまだまだ材料がありそうだ。他人を褒めることはうまくいくのだが、家族を褒めて、上達を促すことはなかなか難しい。まず、褒める材料が見つけられないこと。子供たちにはいつも叱ることばかりだし、妻には、料理を褒めると、これは私が作ったものじゃないと言われ、逆に不機嫌にしてしまうことさえある。家族は、当たり前の存在で、他人をじっくり見るほど、家族を観察していないのかもしれない。今まで以上に家族をよく観察しなければと思った。

■2012年11月7日(水曜日)


雲間から太陽が出る瞬間
 38才の誕生日を迎えた。週末の試合に向けて、筋整流法横須賀道場で小口先生の施術を受けた。15分くらいの施術だったが、左足首の痛みと左大腿二頭筋の痛みは改善できた。横須賀道場の方からは、夕食を食べていくように勧められたが、今日は誕生日なので、家族が待っているということを伝えると、誕生日プレゼントとして、家族分のシュークリームをいただいてしまった。プレゼント用ではなかっただろうにと思うと、とても申し訳ないような気分になってしまった。
 今日は、アメリカでは大統領選挙が行われ、オバマ大統領が再選を決めた。4年前の選挙では、「Change」や「Yes, we can.」というフレーズが耳に残ったが、今回は、そういったフレーズは何も印象に残らなかった。4年前の大統領選挙のころは、次男も、頻繁に「チェンジ」と言っていたことを思い出すが、あれからそれほど日が経っていないような気がするが、もう4年も経ってしまった。この1年は、最近では珍しく長く感じたが、気がつけば、入校してきた学生たちは、あっという間に4年間を終え、次々と卒業していく。1日1日を大事にしなければと改めて思った。

■2012年11月6日(火曜日)


燃料体






マスコットのペレ蔵
 近所にある原子力発電所で使用する燃料を作っているGNF(Global Nuclear Fuel)という会社の工場見学へ行った。地域住民へ会社の安全性をアピールするとともに地域住民の意見や苦情を聞くことを目的として、参加者には昼食がつくなど、会社側が住民にかなり配慮したイベントだった。
 最初に会社の概要や、燃料の製造工程についての説明があった。GNFは日本とアメリカに会社があり、久里浜では40年以上の歴史ある会社だった。工場は、毎年IAEAの立ち入り検査を受けるなど、国際的な基準に則って運営されているという説明があった。日本のエネルギー自給率は4%ということにとても驚かされた。
 燃料は、ウラン235なのだが、ウラン235は、ウランの中でもほんのわずかしか含まれておらず、3〜5%程度の含有率に濃縮したものを材料に、焼き固め、ペレットという1cm四方くらいの円柱に加工していた。このペレット4つで石炭では3トン分、石油では2000リットル分のエネルギーが取り出せるという。こんな小さな物体が、そこまで大きなエネルギーを出すのだから、核反応とは恐ろしいものだと思った。ペレットは、金属の筒に入れ、それが燃料棒になり、それを束ねることにより燃料体となり、それが原子力発電所へ運ばれ、使用されることになる。最近は、従業員がわずかだが内部被爆する事故があり半年間運用停止し、様々な対策を行ったことと、大震災の影響で、需要が全くなくなったため、生産量は、かなり少ないようだったが、たまたま今日からほぼすべての行程が再開されたとのことで、一通り工場の中を見ることができた。
 昼食を食べながら、安全性についての説明があり、最後に質疑応答の時間が設けられた。最初は、発言する人がいなかったので、自分と妻が次々と質問をしてしまった。リサイクルできるエネルギーとして原発が始まったという経緯を聞き、どのくらいリサイクルできているのかを質問したが、日本では、まだ始まったばかりで、ほとんどできていないという回答が返ってきた。海外では、リサイクルしているようだが、この工場では燃料体を約8万体作って、海外の工場を含めて200体くらいしかリサイクルできていないとのことだった。リサイクルできるエネルギーという呼びかけだったのに、発電が始まって40年以上経ってもリサイクルできないなんて、国は、国民をだまして発電を始めたのではないかと思えてきた。
 工場内で発生した放射性廃棄物は、ドラム缶に詰めて、敷地内で保管しているというので、あとどのくらいためておくスペースがあるのか聞いてみたが、工場が稼働して以来の廃棄物が保管されており、この40年くらいで約19000個のドラム缶があるという。そして、スペースには、もう余裕がないとのことだった。現在、国が廃棄場所を探しており、見つからなければ、敷地内に新たに保管場所を作ることになるという説明を受けた。廃棄場所がない状態で40年以上原発を動かし、このまま廃棄場所の受け入れ先が見つけられないとなると、原発は、稼働し続けるのは難しいのかなぁと思った。
 津波対策など、工場の安全対策については、安心することができたが、絶対安全ということはないので、想定外とならないよう、想定範囲をできるだけ広げた対策をして欲しいとコメントを残してきた。リサイクルの可能性と廃棄場所の確保については、今後も見守っていきたい。

■2012年11月5日(月曜日)
 一昨日、1月1日に行われる全日本実業団対抗駅伝の予選会となる東日本実業団駅伝が埼玉県で行われたのだが、その結果を東日本実業団のホームページで確認した。応援しているチームは、もちろん自衛隊体育学校。
 東日本からは、上位12チームが本戦出場となるようで、自衛隊体育学校は、今年も、ギリギリ12位で本戦出場の切符を勝ち取った。1区は出遅れたものの、2区の室塚くんが区間3位の好走で順位を3位まで上げ、3区以降は、10位から12位へ順位を落としながらも、なんとか12位にとどまった。
 意外な結果に終わったのがヤクルト。昨年は6位で本戦出場していたが、今年は、ジェンガ選手は出場せず、13位で本戦出場を逃した。毎年この大会では、自衛隊体育学校より上の順位だったチームなので、ヤクルトが順位を落としたおかげで体育学校が本戦出場を果たしたということにもなる。
 自衛隊体育学校は、自分がチームに所属している頃から、一人の選手がチームを引っ張り、その選手のおかげで、何とか本戦出場にこぎ着けているという印象を受ける。今年はヤクルトにも助けられたのかもしれないが、全日本実業団も、室塚くんの走りが結果を左右することになると思う。しっかりとテレビに映るくらいの順位でたすきをつないで欲しい。

■2012年11月4日(日曜日)


タマネギ植えました
 テレビで全日本大学駅伝を見た。久しぶりに全区間をゆっくりと見ることができた。上位12校は、すべて関東の学校が占め、最終区では、繰り上げスタートにならなかったのは関西の学校2校を含む14校で、12校が繰り上げスタートとなった。箱根駅伝予選会でも関東学連全体のレベルアップを感じていたが、この大会の結果を見て、明らかに関東の学校のレベルは高いということがわかった。先月出雲で優勝した青山学院大学は、今回この大会に出場できなかった。関東での出場権は本当に厳しい戦いなのだと思う。そうかと思うと、箱根駅伝の本戦出場のかなわなかった東海大学が出場していたりする。関東の学校は、箱根駅伝が最後に控えているため、20km以上をレースで走る練習をしているので、関東ではない学校よりも練習量が多いという面もレベル差に関係しているし、それよりも、地方の高校生たちの多くが箱根駅伝出場を目指して関東に集まってくるということが大きな要因ではある。
 箱根駅伝は、関東という地域の駅伝でしかないのに、マスコミは、学生3大駅伝の一つと言う。出雲や全日本での結果を見れば、上位はすべて関東の学校なので、そう言われても仕方がない。テレビ放送は、上位12校がフィニッシュした時点で終了し、他の地域の学校のフィニッシュは一つも見ることができなかった。もう少し関東ではない学校には意地を見せてもらい、箱根駅伝は、関東地方の大会だということを示して欲しい。

■2012年11月3日(土曜日)
 文部科学大臣が3つの大学の新設を認めなかった。理由が一般論のようで、それぞれ文科省基準を満たしていて、個別にどこが悪かったという訳ではないようだ。その内のひとつが、地元にある岡崎女子短大で、この申請が許可されると岡崎女子大へ名前を変更する予定だった。ホームページを見ると、岡崎女子大(仮称)2013年4月開学予定(設置認可申請中)となっていた。大学設置・学校法人審議会は「新設を認める」と答申していたとのことで、学校側も、ほぼ認可されるとの判断での動きだったのだろうが、まさかの不認可だったのだろう。入試も迫る時期に、予定が変更されると、受験生への影響はもちろんだが、編入予定の学生や常勤採用の決まっている教員には、死活問題なのではないかと思う。突然就職先がなくなるということは、最近はよくある話なのかもしれないが、基準を満たしている学校なのに認められないのでは、本人たちも納得できないと思う。せめて、学校別に認可できない理由を述べられないのだろうか。

■2012年11月2日(金曜日)


秋の空
 先週末、三男の体調が悪く、手洗いがまだ自分ではできず、うがいはもちろんできないので、鼻水が出ると自分の手でぬぐい、その手でいろいろな所を触っている可能性があり、この1週間は、家族全員の具合が悪くなった。次男は鼻水、長男と妻は、咳が続き、自分は、授業を終えると、声がかれ、夕方になると頭痛になる。最初にきっかけを作った三男は、便の固さも少しずつ回復し、鼻水が多少垂れるくらいで、ほぼ回復したように見える。
 体調が悪いので、運動をする気にもなれず、授業中の準備運動だけが自分の運動となっている。中距離種目のレースは、来週で終わり、その後は、長距離シーズンが始まる。今のままでは、長距離を走ることはできない。今年の春先は、15分台は間違いないと思っていたが、6月以降は調子が落ち、そういう状態にはない。まずは、体調の回復に努めたい。

■2012年11月1日(木曜日)


富士山
 最近、テレビCMで昭和のアニメキャラクターが出てくることが多い。CMだけでなく、いろいろなところで、昭和のアニメの絵をみることがある。我が家の子供たちは、ついこの間まで「未来少年コナン」にはまっていた。次男は、「コナンが強いからコナンになりたい」と言っていた。その後「ドラゴンボール」を見ると、「こんごくう」になりたいと言っていた。「そんごくう」の言い間違いなのだが、本人は、「こんごくう」だと思っている。
 今日は、鉄腕アトムの紙袋に工作の用具を入れて幼稚園へ行ったのだが、幼稚園で、鉄腕アトムの絵が子供たちの間で大反響だったという。昭和のアニメは、今の子供たちにとっては新鮮なのかもしれない。次男は鉄腕アトムのことを「あの足から火をはいてるやつ」と言っていた。おもしろい表現だが、本人はまじめで、友達の注目を浴びたことがうれしかったようだ。
 次男の表現は、どこでそんな表現を覚えたの?ということを突然話し出す。今日は、幼稚園でやかんの絵を描いたそうで、「みんなは、難しそうだったけど、意外と簡単だった」と言っていた。「意外と」という言葉を使ったことに驚かされた。次男は、普段から自分の知っている言葉を駆使して、必死に人に何かを伝えようとしているので、いいなと思った言葉はすぐに使うようにしているのかもしれない。今後の語彙の増加が楽しみだ。



[昔のいずみ]