最近のいずみ

Last Update:2012/12/31



パートタイムアスリートいずみ 13年目に突入 

■2012年12月31日(月曜日)


公道でマリオカート発見
(髭までつけていました)
 昨日は、子供たちは顔を合わせることができたが、遊ぶことができず、子供たちが残念がっていたので、子供たちが遊べるよう、祖母の家に集まった。妹の子供たちは、Nintendo DSやレゴブロックなどを持ってきてくれたので、我が家の子供たちは、持ってきてくれたおもちゃで、黙々と遊んでいた。親としては、子供たちが話をしながらブロックを作っていってくれればと思っていたが、子供たちは、ブロックには目もくれず、ひたすらDSをやっていた。DSは3台あったためか、けんかすることもなく、それぞれが楽しんだようだ。これで子供たちは、一緒に遊んでいると言えるのだろうか?と考えさせられた。同じ場所に集まっているが、それぞれが違うことをやっている。最近は、ワイヤレスでつないで同じゲームを一緒にできるのかもしれないが、決められたプログラムの中で、決められたことをしているようにしか見えず、それぞれが自分の中にこもっているようにも見える。ブロックと比べると想像力をかき立てるものがないよなぁと思った。子供たちは、また一緒に遊びたいと言っていたが、それはゲームがしたいということなのではないかと思えた。

■2012年12月30日(日曜日)


祖母を囲んで
 祖母の生活しているグループホームへ、妹たちとそれぞれ家族を連れて訪問した。祖母に会うのは、2〜3年ぶり。毎年実家に帰省するときには、顔を見せに行こうとは思っているが、こちらの予定が変更になり、会えないということが続いていた。三男は、初めて曾祖母にあった。
 母からは、痴呆が始まり、孫たちの顔がわからないかもしれないと言われていたが、祖母は、そういった雰囲気は全くなく、いつものように優しく迎えてくれた。久しぶりに会ってみると、依然と比べかなり腰が曲がって、小さくなってしまった印象を持った。子供たちは、はしゃぎ回ってうるさく、なかなか祖母が口を挟むタイミングはなかったが、「遠くから来てくれて、ありがとう」「こんなに子供がたくさんいたら、お正月もにぎやかで大変だ」というような言葉を、笑顔で何度も繰り返していたことが印象的だった。
 自分自身で移動することが大変になり、生活はグループホームの中だけになってしまい、身内に会う機会も少なくなっているので、3人の孫が、7人の曾孫を連れて遊びに来たことは、うれしい出来事だったのかもしれない。帰り際には、窓辺で、こちらの車が見えなくなるまで、手を振ってくれていた。また、帰省の際には訪れたい。

■2012年12月29日(土曜日)


富士山



サービスエリアを楽しむ三男
 実家に帰省。朝8時30分頃に自宅を出たときには、既に東名高速道路は、横浜町田から渋滞が始まっていたので、その渋滞を避け湘南を走り、秦野中井から東名高速に入った。しかし、足柄付近の先頭に、10km前後の事故渋滞があり、ほとんど車が前に進まない渋滞で、たった10kmを進むのに2時間かかった。
 御殿場を過ぎたところから、新東名に入り、初めて新東名を走った。道路がきれいで、走りやすく、自然とスピードが上がった。追い越し車線では、130km/h以上出さないと、追い越せないくらい走行車線の流れは速かった。カーブは比較的少なく、山を削ってできた道路なので、ひたすら山の中を走るという印象で、変化がないように感じられ、かなり眠くなった。
 楽しみにしていたサービスエリアは、どこも混雑していて、食事を摂ることもできず、あまり楽しめなかったのは残念だった。当分、この混雑は続くのだろう。
 新東名が終わって、元の東名に合流するところで、また15km以上の渋滞に遭い、こちらも全く進まず、2時間以上時間を費やした。結局実家についたのは、自宅を出てちょうど10時間後の午後6時30分頃だった。長男や次男は、スマートフォンで動画を見せていたためか、車にいる時間は長かった割には、楽しかったと言ってくれた。三男は、チャイルドシートに縛り付けられているような感じなので、かなり退屈で最後は泣きっぱなしだった。帰りも、また似たような状況になるのだろうが、がんばって帰ろうと思う。

■2012年12月28日(金曜日)
 松井秀喜引退というニュースに驚いた。今年は、所属先のチームが決まらず、浪人状態だったので、日本球界に戻ってくるのではないかと思っていた。甲子園での五打席連続敬遠にも大人な対応で、同じ学年ということもあり、応援したい選手の一人だった。最近は、40代でも選手を続けている人が増えているので、もっと選手を続けて欲しかったが、自分の求め、ファンが期待するフォーマンスが発揮できなくなったということが引退を決意する理由だったようだ。これがプロの厳しさなのだろう。いつまでもしがみつくということも一つの生き方だし、きっちりと区切りをつけるということも一つの生き方なのだが、彼は、後者だった。どちらの生き方が良いということはない。最後は、本人が納得できることが重要なのだと思う。引退後も、彼が別の形で、野球に関わり、活躍してくれることを願う。

■2012年12月27日(木曜日)
 次男は、最近、食事がなかなか進まず、食事がすべて冷たくなってしまうということがよくある。何とか食べきる場合と、お腹が一杯だと言って残す場合があるのだが、今日は、お腹が一杯だと言って残そうとしたので、残したらデザートはないということを伝えると、デザートは食べたいけど、お腹が一杯だから食べられないと言って泣き出してしまった。結局デザート欲しさで、食事はすべて食べ、デザートも平らげた。しかし、その直後にお腹がすいたと言い出した。さっきお腹が一杯だといって泣いたのはウソだったのか聞くと照れ笑いをしながらウソだったと答え、妻と自分を驚かせた。ウソをつくためだったら涙も流せるなんて、あんたは役者か?と言いたくなった。最近、様々なことで次男は泣くのだが、それらの多くがウソ泣きなのかもしれない。幼稚園児はなんとも手強い。

■2012年12月26日(水曜日)
 近所の薬局で不定期だが、健康チェックをしている。その中にヘモグロビンの推定ができる機械がある。以前通っていた六本木の平石クリニックの平石先生からはアスリートは15.5g/dl以上は必要だと言われていて、チェックするたびに値は15〜16g/dlで、安心していたのだが、今日は、初めて12台で驚いた。最初に12.9が出て、これは、何かの間違いだと思い、もう一度測定し見たが、12.2。納得がいかず、もう一度測定し12.3。次であきらめようと思って測定し、最後は12.0だった。かなりピンチな値だったのだが、今日は健康チェックの前に、張り切って練習をするつもりだったが、ジョッグだけで体がきつく、途中で歩くこともあり、ジョッグだけで切り上げた。この数値は、間違っていないということなのだろう。練習を控え、栄養を摂らなければならない。

■2012年12月25日(火曜日)


妻の妹の娘が誕生
 毎年、子供たちには、親からのクリスマスプレゼントと、翌朝にサンタからのプレゼントがある。妻が、どうしても子供たちに夢を見せてあげたいということで、長男が小さい頃から続けられている。長男が、いつそれに気がつくのかということが、自分と妻との間で毎年話題になるのだが、今年は、妻からの話では長男は、うすうす気がついているということがわかった。子供たちは、毎年サンタに手紙を書き、そのときに最も欲しい物をリクエストしている。長男はゲームが欲しくて仕方ないのだが、こちらとしては、自分のことが自分でできない状態では与えたくないため、最近は、希望の物がプレゼントとなることがない。希望した物がプレゼントになっていないことも影響しているのだろう。そして、長男は、次男にもそういったことを話しているようで、次男は、サンタについての疑問をそのまま妻にぶつけようとすると、長男が会話に入り次男が質問できないようにうやむやにしようとするのだという。長男が気がつけば、次男にもわかってしまうし、三男には、もうサンタの存在はなくなってしまう。長男は、長男の計算があるようだ。まぁ、こちらはサンタの存在をうまく利用しながら、子供たちの生活態度を改めさせたいという計算があるので、気がつかぬふりをつらぬこうと思う。

■2012年12月24日(月曜日)
 世の中は、3連休最終日のようだが、うちの職場は普通に出勤。学生たちも通常通りの授業だった。夕方のクラブ活動は、今年最後の合同練習。中距離のメニューはゴジラ走。内容は、50m+50m×2+50m×3+・・・+50m×9+50m×10。休息は50mのジョッグで、トータル55本の50m走を行う。7本終わったところで、やっと半分を超えるということで、短時間で終了するが、呼吸循環器系にも精神的にもかなりきつい。
 前半は、学生たちについて行くことができたが、6セット目で、嘔吐し、7セット目からは、心臓が痛くなってきて、心臓が縮まるような感覚で苦しくなり、8セット目を終了したところであまりの苦しさに継続を断念した。ということで50mを36本目まで走ったところで終了し、不完全燃焼な気分で今年最後の合同練習が終わった。もう一度冬休みの間に挑戦しようと思う。

■2012年12月23日(日曜日)


忘年会の景品で
モッフル作りました
 長男は、靴を擦って歩いているためか、靴底があっという間にすり減って、靴の機能が発揮できなくなってしまう。ということで、家族で靴を買いに行った。次男は、すぐに靴が小さくなるので、ついでに次男にもサッカー教室で使う体育館シューズを買うことにした。長男の靴は、どんなに高いものを買ってもすぐにダメになるし、次男はすぐに小さくなるので、できるだけ安い物にしておきたいという気持ちがある。長男は、こちらの事情も理解して、素直に同意してくれるが、次男はそうはいかない。服や靴など、自分が身につける物については、非常にうるさい。今日も、こちらが選んだ物が嫌で、泣き出してしまった。妻は、いろいろと理由をつけ、どちらが良いのかと二択にするなど、なんとか誘導していたが、次男は納得しなかった。最終的には、最初に妻が選んだ靴に決まったのだが、その靴は、外で履いて、今履いている靴を体育館シューズにするという条件で買うことになった。改めて、次男に関して彼の身につける物については、ややこしいと思った。

■2012年12月22日(土曜日)
 何もしていなかった年賀状作成がようやく始まった。最近は、手書きをしなくなり、なんだか心がこもっていない感じもするのだが、年々人間関係は広がっていき、手書きでは対応できないところもあり、仕方ないと思っている。住所録を整理していて迷うことは、こちらが毎年年賀状を出していて、2年間、相手からは来ていない場合に、その人へ出すか出さないか。これは、今までにお世話になった度合いで判断することになるが、年々増える年賀状の枚数を抑えるには、思い切った判断が必要になってくる。4月の転勤時期に住所変更した人の住所変更はハガキをなくしていたりして見逃すことがよくある。ハガキが来たときに直ちに変更しておけばそれで済むのだが、年賀状作成のためだけにある古いパソコンを立ち上げるのが面倒でなかなかできない。電源を入れても、立ち上がって使えるようになるまでに、10分近くかかるというのが一番のネック。Windows XPのサポートが切れる頃には、買い換えなければと思う。

■2012年12月21日(金曜日)
 30年以内に震度6弱以上の地震が起こる確率について2年ぶりに見直されたという報道があった。その結果、静岡市では89.7%で最も高く、横浜も71.0%とかなり高かった。この確率が、降水確率だったとしたら、間違いなく雨が降ることを前提として家を出るときには傘を用意するくらいの高確率。地震に備えなければならない。また、確率が低い地域でもその値が0ではない限り、いつ起きるかわからないというやっかいな確率でもある。毎日の生活で、一杯一杯で、とても地震に備える余裕がないが、何かしなければと思う報道だった。

■2012年12月20日(木曜日)
 日曜日以降、衆議院議員選挙関連の話題が毎日のように報道されていたが、韓国大統領選挙が終わってからは、こちらの話題にもかなり時間を割くようになった。韓国も日本と同様、男女平等でありながら、女性の社会進出は、先進国のレベルからは遅れていると聞く。日本でも、女性の総理大臣候補は今までに何名が名前が挙がっていたが、まだ女性の総理大臣は誕生していない。韓国では、現実に女性が大統領への就任が決まった。日本が遅れをとってしまったような感覚を持ってしまうが、そういったこともあり、日本人は韓国の女性大統領に興味があるのかもしれない。

■2012年12月19日(水曜日)
 久しぶりにレペティショントレーニングを行った。メニューは800m、400m、300m。休息は10分レスト。ウォーミングアップも十分ではなく、気候が寒くなり、体は動かないが、無理矢理動かして最初の800mを走った。学生たちもあまり積極的ではなかったので、前半は、先頭に出て集団を引っ張った。1周目が60秒9。2周目は、学生2人に抜かれたが、あまり離されることなく、2周目も感覚的には、ペースを落とすことがなかった。実際は、62秒4で、少しペースは低下していた。800mが終わった直後から、吐き気がひどく、400mは前半から先頭についていけなかったが、タイムは56秒2で、意外とタイムは良かった。400mの後は、さらに吐き気が強くなった。しかし、10分という休息は、あっという間に過ぎてしまい、すぐに300mを走る時間となってしまった。300mも、400mと同様、感覚としては、全く走れなかった。タイムは41秒7。だいたい感覚と合っていたので、自分の感覚は悪くはなかった。すべてが終了した後は、吐き気と頭痛が長く続いた。40歳も近い年齢になって、まだこんなことをしているなんて、学生時代には考えられなかった。日常生活からすれば、この瞬間は他では味わえない非日常だと思った。

■2012年12月18日(火曜日)
 三男の語彙がどんどん増えている。正確な発音はできないが、一生懸命聞いた言葉をまねしようとしている。「おはよう」は「はーよー」、「ぞうさん」は「ぞうたん」、「ぺんぎん」は「ぎん」「おにいさん」は「ちーたん」か「じーちゃん」、「パパ」と「ママ」はどちらも「パパ」になる。最後の「パパ」だけは、妻が納得いなかいようで、何度も「ママ」と発音を教えているが、三男は、「パパ」と発音する。
 また、常に家族の行動を見ていて動作のまねをする。昨日は、妻のまねをしたようで、妻のリュックサックを開けて、口紅を出し、口紅を口のまわりに塗りたくり、さらにいろいろな所をよごしたようだ。
 おもちゃは、積み木やブロックが好きで、一生懸命積み上げているが、うまくいかなかったときには、ひたすらおもちゃを投げつけている。
 我が家のアイドルは、これからますます家族を飽きさせない存在になってきそうだ。

■2012年12月17日(月曜日)


用意した賞品
 職場の忘年会が行われた。今回は、自分が幹事の一人で、みんなが楽しみにしているプレゼント抽選会の賞品を用意する役目を任された。毎年、最も高い賞品は電化製品なので、今年も、みんなが喜ぶ賞品を考え、最終的に、ロボットクリーナー、タブレット端末、空気清浄機等を上位の賞品にした。みんなの喜ぶ姿や盛り上がる雰囲気を想像して賞品を用意することがとても楽しい。遠足に行くよりも、遠足に行く前の方が楽しかったり、新築の家に住み始めるよりも、新築の家の間取りを考えているときの方が楽しかったりするのと同じで、準備の段階が最も想像力を働かすことができ、楽しいということなのだろう。
 忘年会では、19名参加し、最初に幹事が全員の名前が別々に記入された紙の入った抽選袋から、一人分の紙を引き抜き、18位の賞品から当選者を決定した。次に18位の賞品をもらった人が、17位の賞品をもらう人を抽選袋から紙を引き抜いて決めていき、その後は、同様に、次々とランクの上の賞品の当選者を決めていった。最後は、1位と19位が残り、1位を決定した後に19位が決まるため、最後まで盛り上がった。自分は、7位のモッフル&ワッフルサンドメーカーが当選した。長男が欲しがっていた賞品なので、長男にはうれしいクリスマスプレゼントになった。

■2012年12月16日(日曜日)


都電荒川線
 学生たちの出場した荒川河川敷対校大学駅伝の応援へ行った。事前に学生から聞いていた会場へ行ってみると、駅伝を行うような雰囲気はなく、学生たちは誰もいなくて焦った。携帯電話に入っている学生の連絡先に何件かかけてみたがつながらず、卒業生が応援に来ることを聞いていたので、卒業生に電話をしてみるとつながり、会場が別の場所だったということがわかった。あわてて電車を乗り継いで、会場へ行ったが、会場へ着いた頃には、レースは後半になっていた。
 結果は、男子が11位、女子は6位だった。学生の訓練の影響で、選手が出場できなかったり、選手も会場を間違えていたなど、いろいろと問題があった。監督にも正確な会場が伝わらないなど、チームとしてまとまっていないと感じた。その中でも、800mランナー2人が対校戦の部とオープンの部で区間を獲得した。悪い中にも、少し良いところはあった。今後は、もっとチームとしてまとまれるようにしていきたい。

■2012年12月15日(土曜日)
 仕事の合間に横須賀市記録会5000mに出場。天候は、雨。特に自分のレース中に強く降られた。風はなかったので我慢はできたが、あまり良い気分では走れなかった。最近ある書籍を手にして、体幹を使った走法について、認識が大きく変わった。調子も良いわけではないので、頭の中でイメージできている走りを、実践してみることを課題とした。
 自分の走った組は、エントリータイムが15分50秒以降の選手が集まっていたので、自分が最も速いタイムを持っている可能性が高く、自分でレースを作るしかなかった。最初は、高校生と何度かぶつかり合いながら走っていたが、2周目からは、先頭でレースを作った。1000mは3分06秒8。次の1000mも同じリズムで走ったつもりだったが、3分13秒6まで、ペースが落ちた。3000m手前で、高校生に抜かれ、2番手となった。3000mの通過が9分40秒くらいだったので、さらにペースが落ちたことがわかった。その後は、さらに高校生に抜かれ3番手となったが、ペースよりも、自分の動きに注意が向いていて、体幹で走るということに集中していたためか、いつもペースダウンする3000mから4000mの区間が楽に感じられ、実際にペースダウンはしなかった。残り500mからは、ロングスパートをして、最後の1周で、先頭に立ちフィニッシュとなった。タイムは16分05秒0だった。結果をよく見ると、この記録会は、最近珍しい手動計時だった。天候や自分のコンディションからすれば、よく走れたと思う。これで、今年のレースが終了した。今シーズンは3月まで続くので、今日確認できた走りをさらに磨き、記録を向上させたい。

■2012年12月14日(金曜日)
 久しぶりに観音崎で1kmの登坂走を3本行った。今週は、仕事が中心で、市民駅伝以降走っていない。久しぶりに走るような感覚で、あまり追い込むこともできないだろうと思っていたが、2本目で吐いた。3本目は、走っている途中で、吐き気が強くなり、走るきつさよりも、吐き気をこらえるきつさの方が強かった。明日は、横須賀市の記録会にエントリーしているが、あまり無理をせず走りきろうと思う。

■2012年12月13日(木曜日)
 三男の体調がなかなか回復しない。下痢が続き、火曜日の夜には吐き、水曜日に病院へ行き、薬をもらってきた。ノロウィルスが流行っているというので、検査をしたが、ノロウィルスの反応は出なかった。
 三男に薬を飲ませようとすると、口を開けてくれない。食事やお茶に混ぜてはみるものの、それもうまくいかない。今日の夕食は、食事もほとんどしようとせず、手で払いのけ、食事が床に散らばり、妻は「我慢できない」と言って、かなりの勢いで切れていた。その後、妻に抱かれて寝始めたが、抱かれながら吐き、妻は、そのまま汚物をかぶってしまった。食事をしなかったのは、気持ち悪かったからで、言葉を発することもなく、一人でじっとこらえていたのだろう。そういった状態だったのに、こちらは無理矢理食事を口に入れようとしていた。もっと子供の様子を観察し、子供の状態に応じた対応をしなければならなかったと反省した。

■2012年12月12日(水曜日)


海辺つり公園方面
 産経新聞のWeb版では1日に3回も号外が出された。見出しは「舞鶴高1殺害 無罪」、「角田容疑者 自殺」、「北 ミサイル発射」。
 最も衝撃的なのは北朝鮮の話題。昨日は、発射予告期間を1週間延長するということで、トラブル対処に時間がかかるのではという報道ばかりだった。昨日の情報は何だったのか。周辺国は、完全にフェイントに引っかかった形となった。まさに奇襲という言葉がふさわしいと思った。防衛省の中枢では、きっと休日も休めず緊張状態を継続させていたことだろう。前回問題だらけだったJアラートは機能したようで、国内にも被害はなく、関係者はホッとしたことだろう。
 角田容疑者の事件についても、3人部屋の留置所で、同部屋の2人に気がつかれずに自殺を図ったということに驚かされた。自分の命を絶つことは、想像を絶する苦しさなのではないかと思う。それを隣の人に気がつかれずやってのけてしまうのだから、次々と事件の内容が明らかになってきて、なんと恐ろしい人なんだと思っていたが、彼女の精神の強さはもっと恐ろしい。

■2012年12月11日(火曜日)


さらに雪が増えました
 昨日は、日本海側を中心に各地で記録的な積雪があったようだ。普段は余り雪の降らない名古屋でも降っていた。関東は天気が良く、天気についてはあまり関係はないが、寒さだけは強まっている。今朝の我が家の最低気温は、この冬で最も低い11度だった。今朝はこの冬初めてエアコンをつけた。出勤時には、場所によっては車のフロントや天井に霜が降りていた。畑では霜柱ができているところもあった。
 最近、両手の拳にあかぎれができ始めた。昨年からできるようになったのだが、皮膚の劣化と寒さのためなのだろう。妻は以前からあかぎれの話をしていたが、やっと辛さがわかるようになってきた。指先や踵が割れるようなので、拳とは比較にならないくらい痛いのだろう。少しでも水仕事を減らし、回復させられるよう、家事で手伝えることはやっていきたい。

■2012年12月10日(月曜日)


平作川
 不安やストレスが常にある。そんなことを考えているといろいろなことが手につかないということもある。安定していたはずの収入がどんどん減っていることもある。先が見通せないためなのだが、今が安定だろうが、不安定だろうが、先が見通せないのは当たり前のこと。特殊な能力のある人を除けば、誰も先のことはわからない。それなのに、先々の不安を消すことができないし、考え込んでしまうこともある。開き直って進んでいかなければと思う。

■2012年12月9日(日曜日)


横須賀連合チーム




賞品と区間賞の賞状
 市民駅伝に出場。職場の人や市内に勤めている知り合いを中心にチームを組み、2チームが30才以上の一般Bの部に出場した。過去2大会は、全員が区間賞で2連覇をしていることもあり、できれば、全員が区間賞で3連覇を考えて臨んだ。
 自分は、4.5kmの最長区間1区を担当した。いつもであれば、スタートから大きく飛び出す選手がいるのだが、今年は、風が強かったこともあり、誰も飛び出さず、かなり自重したペースで、大集団のままレースが展開した。周回コースを約2周する中で、1周目は、かなり楽に感じたが、2周目に入った上りで、レースが動き、三浦学苑高校Aと防衛大学校Aがリードし始めた。自分は、武山自衛隊RC−Aと一緒に3位集団を作っていたが、ついていくことができず、そのまま徐々に距離が開き、単独4位で一人旅となった。最終的には武山自衛隊RCーAが先頭に追いついて逃げ切ってしまい、自分は4番手で2区にたすきを渡した。2区以降は、途中まで4番手をキープし、最終6区では6位となってフィニッシュとなった。
 結果は、一般Bの部優勝、自分は、区間賞、チームの区間賞は、6区間中3区間で獲得できた。前半は2位に50秒ほどリードしたが、後半そのリードを使って中継し、最後は6秒差に迫られたが逃げ切り、3連覇は達成できた。
 うちの学生は、また高校生に負けて一般Aの部で2位となった。全員中距離ランナーで、4.5kmの区間はうまく走ってくれたが、3kmの2区間で大きく離されてしまった。もう少し走ってくれると考えていたが、強風の中、一人で走るということが、普段集団で走っている中距離選手には難しいのかもしれない。また、来年高校生にチャレンジしたい。

■2012年12月8日(土曜日)


下仁田ネギの収穫
 明日は市民駅伝を走るので、調整走として1000mを走った。異常に風が強く、向かい風では全く進まないというコンディションだった。3分程度で走れればと考えていて、3分01秒5で走ることはできたが、かなりがんばったという印象だった。昨日まで調子が悪く食事もできていなかったので、仕方のないことかもしれない。その後、300mを走ったのだが、走り終わった後に吐いた。やっぱり体調は完全ではない。明日は、無理せず走ろうと思う。

■2012年12月7日(金曜日)
 昨夜は、予想通り、長男は吐いてしまった。自分も具合が悪かったので、何もできなかったが、妻は、深夜に洗濯等、処理が大変だったようだ。さらに明け方の地震が気になってあまり眠れていないと言っていた。
 自分も相変わらず、食事ができないので午前中は、休暇を取った。長男も学校を休んだ。長男は、食事をしなければ、気持ち悪くなることはなく、それを除けば元気だと言っていたが、昼には発熱してしまった。さらに三男も吐いてしまい、それらの処理によって家事が増え、自分も寝ている場合ではなくなり、掃除機を駆けたりスチームで除菌したりと、あまり休むことはできなかった。 お昼になって1日ぶりに食事をした。バナナ1本を食べ、午後の出勤途中に菓子パンを食べたが吐き気はなかった。
 帰宅すると、長男も三男もすっかり元気になっていた。このまますべてが終わってくれると良いが、三男は、まだまだあやしい。注意して様子を見ていく必要がある。

■2012年12月6日(木曜日)
 うつぶせになって、上半身と下半身を反らせるように背筋の運動をしていたところ、急に気持ち悪なり、何も出なかったが吐いてしまった。この運動をして吐きそうになったことは今までにはなく、体の調子が悪いのかもしれないと思っていたのだが、夕方から夜にかけて、普通にしていても気持ち悪くなってきて、多少寒気も出てきた。風邪の前兆なのかもしれない。先週は、次男がかなり吐いていたが、今頃になってうつったのだろうか。食事をすると吐く可能性が高いように感じたので食事はしなかった。
 夕食時、長男は食事をしながらお腹が痛いと言い出した。次男もお腹が痛いというところから始まり、展開が似ている。今晩、戦いになるのかもしれない。

■2012年12月5日(水曜日)
 アテネオリンピックの陸上競技のメダリストたちのドーピング違反が再検査によって判明し、4名のメダル剥奪が決まった。男子では砲丸投げ1位、ハンマー投げ2位の選手、女子では砲丸投げ3位、円盤投げ3位の選手。全員から筋肉増強剤が検出されたという。
 警察のDNA鑑定では、以前の鑑定結果が、覆ったニュースを最近よく聞く。スポーツの現場でも大会当時に発見できなかった薬物でも、検体を保存し、科学の進歩により、将来検出可能になるということが、明らかになった。意図的に違反をする側への抑止力につながるかもしれない。しかし、いつまでもいたちごっこは続くのだろう。

■2012年12月4日(火曜日)
 ラジオで、インターネットで選挙運動ができるようと活動している人のインタビューを聴いた。今の公職選挙法では、インターネットで選挙運動はできない。インターネットが使用できるようになると、今まで政治に関心のなかった人たちにも関心を寄せるようになり、印刷代のかかっていたポスター等の経費もかからなくなるのだという。いくつかの党が、法律の改正を視野に入れているようで、そうしたことを後押しするように、賛同者を集めるキャンペーンをしているのだという。 インターネットの使用が可能になると、すばらしいページを作って印象の良い人が有利になるような気もしてしまうが、個人の考えを簡単に知ることができるという意味では、良いのかもしれない。ホームページの改ざんをされる可能性があり、それによって大きく印象を悪くする候補者もでるかもしれない。最も困るのは、いままで選挙で稼いでいた業界の人たちだろう。印刷屋さんやウグイス嬢を派遣するような会社は大きな打撃になるに違いない。ちょっと考えるだけでも、法律を変えるということは、いろいろな人たちの利害の絡む難しい問題だということを感じた。

■2012年12月3日(月曜日)
 昨日、自動車道上り線笹子トンネル内で崩落事故が起こり、9名の死亡が確認された。コンクリートの天井が落下したことで、車が下敷きとなってしまった。自然災害による崩落事故は今までにもあったが、今回は自然災害によるものではなく、取り付けられていたボルト周辺の老朽化が原因の一つとして考えられ、人災のようだ。
 今も残る昔の石垣や木造建築は、何百年とその姿を保っていて、そういう歴史的なバックボーンがあって、日本の現代建築技術はますます向上していると思っていた。しかし、たった30年程度で老朽化と言われ、昔の建築と比べ、あまりにも短い時間で劣化してしまうようなものしか作れなくなっているというのは、なんとも皮肉な感じがした。建築資材の問題なのか。保守管理が適正でなかったのか。無理して自然に切り込んだ結果なのか。同様の事故が起こらないことを願う。

■2012年12月2日(日曜日)


横浜みなとみらい





横浜ベイブリッジ
 日体大長距離競技会5000mに出場。自分の出場した第13組は、800mで日本トップクラスの選手たちが名前を連ねていて、とても楽しみなレースとなった。今日の目標は、すべての区間で3分20秒以上かからないように走ること。2週間前の記録会では、3000mから4000mの区間で3分32秒もかかっていたこともあるので、前回よりは、速度の低下を最小限にとどめ、5000mを走り切りたいと考えていた。
 最初の1000mは3分04秒7で通過。前回よりもアウトレーンを走ったり、他の選手とぶつかったりして、あまり良い感覚の入りとはならなかった。1200mから2400mまでは、400mを75秒から76秒のペースで刻み、なんとか15分台を狙うペースで走れていた。このあたりまでは、800m日本記録保持者の横田選手の近くで走れていて、最後に勝負ができればなぁと考えていた。しかし、2400m以降、3600mまでは78秒に速度が低下した。3000m通過は、9分29秒3で、残りの2000mを3分10秒平均で回るのは厳しいと思った。
 時計を身につけていなかったこともあり、一瞬自分が何周目を走っているかがわからなくなり、いきなり速度が低下し、3600mから4000mは81秒1までペースダウンしてしまった。それ以上のペースダウンはしたくなかったが次の400mは82秒4となった。しかし、3000mから4000mまでの1000mは3分17秒9ということで、今日の目標が達成でき、残り1000mをがんばることができた。4400mから4800mを70秒1まで上げ、残り200mは、自分を抜いていった大学生が強烈なラストスパートをしたので、それを追い抜こうとして、自分もエンジンが掛かり、大学生には追いつかなかったものの30秒0で走り切れた。タイムは15分50秒19。2シーズンぶりの15分台を記録した。日本トップクラスの800mランナーたちは、15分20秒台で30秒近く離されてしまった。
 今日は、同じチームの松本さんが、自分は走らないのに応援に来てくれて、1周ごとのラップを読んでくれた。そのラップの読み上げのおかげで、自分のタイムがしっかりと把握でき、学生たちの応援もあって、目標を達成することができた。また、自分よりも前の組で走った我が校の1,2年生が自己ベストで15分台を出したことも大きな刺激となった。周りの人のサポートや刺激は競技者の力になることを改めて感じた。サポートや刺激してくれた人たちに感謝したい。

■2012年12月1日(土曜日)






幼稚園作品展にて
 長男は、マンガを読み始めたり、テレビを見始めたりすると、人の話が聞こえなくなる。マンガやテレビのときでなくとも聞いていないことが多く、直前に言ったことを忘れたり、目の前にあるモノが見えなくて通り過ぎてしまうことさえある。しかし、テレビで言っていることはよく覚えていて、何でそんなことを知っているの?と驚かされることがある。そこで、親の話が聞こえず、テレビの話だけが頭に残るのなら、こちらは言いたことをビデオに録画してテレビで見せようか?と皮肉たっぷりに長男に提案してみた。長男は苦笑いしていたが、学校でも忘れ物が多く、担任との面談でも指摘されるほどで、我が家の中だけのことではない。人の話を聞くということは、社会生活を営む上で、必要なことなので、なにか工夫しなければと思っている。
 次男は、一昨日の夜吐いてから、何も食べられず、今日の昼まで1日以上何も食べられなかった。それなのに何度も吐くことが続き、本当にかわいそうだった。昨夜は、風呂であばら骨が浮き出た自分の体を見て、自分ではないようだと言っていたという。今日の昼からは、食事ができるようになり、やっと回復へ向かい始めた。なんでこんなに自分だけ大変な目に遭わなければならないのかと母親に愚痴を漏らしていたようだが、回復傾向なので、しっかり食事と睡眠をして元気を取り戻してほしい。
 三男は、最近みかんが大好きで、みかんを見つけるとうれしそうに駆けてくる。そして、みかんを食べる顔が、なんとも癒される。うれしいとおいしいを顔で表現してくれる。また、一生懸命「みかん」を発音しようとするが「ぴぱん」「てぃぱん」「ちぱん」と言う感じで、正確には発音できないところがかわいらしい。次は、どんな言葉を発してくれるのか、楽しみだ。



[昔のいずみ]