最近のいずみ

Last Update:2013/1/31



パートタイムアスリートいずみ 13年目に突入 

■2013年1月31日(木曜日)
 練習は昼にWattbikeを30分、夕方に30分ジョック。バイクでは、無意識にペダルをこいでいると、右脚の出力の方が大きくなるため、意識的に左脚の出力を大きくしてつりあいをとった。左を意識したためか、左下腿の張りが強くなった。結果的には、左足首を使ったこぎになってしまい、あまり良い動きとはならなかった。普段から、左下腿の膝裏にしこりのような強い張りを感じるが、走っている時も、無意識に左足首を使った走りをしてしまっているのだろう。捻挫後初めてのジョックは、ゆっくりとしたペースで行い、足首に痛みを感じることはなかった。

■2013年1月30日(水曜日)
 大阪市立桜宮高校バスケットボール部の体罰問題が話題になってから、次々とそういった情報が公表されるようになり、長距離の名門校愛知県立豊川工業高校の体罰もニュースとなった。問題を起こした先生は、陸上界では普通の公立高校の選手を強くする先生として有名で、豊川工業で指導する前は、県内では進学校として有名な県立高校でも強い選手を育てていて、自分も高校時代から名前を知っている先生だった。言葉で何度指導しても、変化がないのであれば、体を痛めつけて嫌でもわからせようという意図があるのだろう。我が家でも、子供たちに何度言っても変化がないときには、時には手が出ることもある。どこかで意識してやっているのだろうが、感覚的には無意識でやってしまい、後悔する。先生は同じような感覚でやって、結果的には度が過ぎたということなのだと思う。理想は、選手が自ら考え、変わっていくことができるように指導するということ。それができれば、先生も親も苦労しない。そこに指導する側の苦しみがある。
 柔道女子の日本代表選手がスタッフから体罰を受けていたことも明らかになり、さらに衝撃を受けた。日本のトップクラスの選手であれば、自分たちでいろいろと考え工夫のできる選手のはずなので、体罰とは無縁だと思っていた。しかし、コンタクトスポーツでは、試合中に痛いことはいくらでも起こり、それは我慢するのと同じく、選手たちはずっと体罰に耐えていたのかもしれない。監督が2度とこうしたことはしないということで、続投となったようだが、選手とスタッフの間の溝は簡単には埋めることはできないと思うし、そうした状況で、指導できるのだろうかと疑問に思う。
 自衛隊では、殴るようなことはないが、ルールが守れなかった場合に、特に教育機関では、一人がミスをすると連帯責任で全員に腕立て伏せをやらせたりする。腕立て伏せでも体を酷使し、結果的には自分で体を痛めつけることになる。学生時代に、自分もこうしたことをやらされてきたが、腕立て伏せを続けることに必死で、ミスしたことなど忘れてしまう。結局反省ができる状態ではなく、ただ辛いだけだった。体を痛めつけるという意味では、これこそ体罰だと思う。殴ったりはたいたりすることは、体罰ではなく、暴力というのではないだろうか。言葉の定義は難しい。

■2013年1月29日(火曜日)


久里浜海岸
 筋整流法で体の調整をしてもらった。筋整流法では、捻挫した直後であれば、歩けない状態でも、施術によって歩いて帰ることができたりするほど捻挫には定評がある。たまたま昨日捻挫したばかりでの施術だったので、とてもタイミングが良かった。歩くことには特に支障のない捻挫なので、足首の奥の部分だけに痛みがあったのだが、施術によって、ある程度痛みは緩和できた。最も気になっている、左臀部の痛みもや左膝裏のしこりは緩和し、重苦しかった感覚がなくなり、軽くなった。自分で何も感じていないが、以前よりも肩周りの状態は良くなり、腰の状態は、相変わらず良くないと指摘された。帰りは背筋を気持ちよく伸ばして帰ることができ、施術前は姿勢もかなり丸まっていたことを感じた。

■2013年1月28日(月曜日)


満月
 日常生活に戻り、通常の授業が始まった。スキーの時もインフルエンザで体調を崩す学生が27名もいたが、学校でもかなりの学生がインフルエンザに罹っているようで、授業に出てこなかった。24時間集団生活のデメリットを感じた。
 久しぶりに雪道ではないところでジョッグをし、滑る心配をしなくていいということで安心感があった。その変わり自分の動きに対して鈍感になる。雪道で走ったときの進んだ感覚を思い出しながら走っていこうと思う。アキレス腱の痛みは全くなくなったためか、少し気になっていた左臀部の痛みが強くなり、我慢して走らなければ走れないという状態だった。ジョッグが終わる直前に、ちょっとした段差で右足を捻挫。歩くことはできるが、少し足首を内反させると痛みが強い。今週末から2週続けてレースがあるので、かなりまずい展開だ。

■2013年1月27日(日曜日)


参加者全員で
 長男が、横須賀市内の小学3年から6年までを対象とした「かけっこアカデミー」の参加抽選に当選し、このイベントに参加してきた。最初に50mでタイムを測定し、ラダーやミニハードルで様々なドリルを行って、神経系の刺激をし、腕振り等の指導をして、最後に50mを計測して変化を見るという内容だった。子供たちは、神経系の刺激を受けるだけで、動きが変わってくる。指導前の50mと指導後の50mでは、歩幅が広くなり、走りが大きくなっているように見えた。タイムは手動だったので、簡単に比較はできないが、半分以上の子供たちがタイムを伸ばしていた。ちなみに長男は、9秒94から9秒76に変化した。手動の誤差の範囲と言えば誤差の範囲だが、子供にしてみればタイムが伸び、やって良かったと思える結果だった。

■2013年1月26日(土曜日)


リズム発表




合唱




友達と
 幼稚園のリズム発表会が、横須賀芸術劇場で行われた。
 第1部は、ダンス。女の子は、それぞれがアイドルになりきっているようで、キレのいい動きをしていたが、男の子は、モチベーションに差がありそうで、動きのキレに個人差があった。次男は、じゃんけんで2回勝ち、自分の着たかった緑の衣装を着ることができ、モチベーションが高かった。昨年とは見違えるほどのキレのある動きで、かっこよかった。
 第2部は、暗唱と合唱。次男は、坂村真民氏の「二度とない人生だから」を暗唱していた。これだけの長文をよく覚えたなぁと思った。合唱3曲も、口を大きく開け精一杯歌っていた。一生懸命に取り組む姿は、誰でもかっこよく見える。
 長男も小学1〜3年生の所属する小学部で合唱を行った。天空の城ラピュタのテーマソングを英語で歌い、日本語の曲を2曲歌った。長男は合唱をしている最中に、いつもあくびをするのだが、今回もいつも通り、あくびをしていて、妻と2人で笑ってしまった。小学部でのリズム発表会は、今回が最後ということもあり、3年生は、「お父さん、お母さん、ありがとうございました。」と全員で声かけをしていた。そう言われると、幼稚園に6年間も通い、成長したなぁと思えてきて、とても感慨深かった。
 第3部は、器楽演奏。次男は、ハンガリー舞曲第5番の演奏で、メロディオンを担当し、長男は、ジブリ映画の音楽メドレーの演奏で、タンバリンを担当した。ジブリのメドレーは、8分30秒近くの長い曲で、短期間ながらも、集中してみんなで取り組んだ成果が披露され、素晴らしい演奏だった。
 長男は、スキー訓練中、家に父親が不在だったことが、寂しいと妻に話していたようだ。父親が不在だと、父親が好まなくて自分たちが好きな食事が食卓に並び、嬉しいという感情もあるようだが、東日本大震災の時に、父親が家を不在にしていた記憶が強烈にあるようで、父親がいないとなんとなく心細いようだ。自分が父親として、家族の中で、一応必要とされる存在だということを知り、なんだかホッとしたのと同時に、普段、自分の考えなどを聞くと、「わかんない」と答える長男も、心の中では何か思うところがあり、たまにはそれを声にすることがわかり安心した。

■2013年1月25日(金曜日)


視界不良
 訓練最終日。気象はかなり厳しく、日本海側は大荒れで、新潟県内の多くの地域で、暴風雪警報が発令されるほどだった。スキー場は強風のため、リフトが徐行運転だったり、停止するなど、行きたいゲレンデに簡単には行けなかった。
 朝から雪は降りつもり、スキー場の圧雪もほとんどできていない状態だったので、いたるところが深雪となり、人の踏み入れていない深雪でのスキーが楽しめた。スキー板が、雪に埋まり、速度は減速して、自分の意図するようにターンができず、何度か転倒した。しかし、以前よりも技能が向上したためか気持ちよく滑ることができる場面もあった。
 今回のスキー訓練では、快晴、雨、湿った雪、乾いた雪、深雪、強風など、いろいろなコンディションで滑走でき、もとても密度の高い訓練になった。ぜひ来年も参加したい。

■2013年1月24日(木曜日)


夜明け
 昨日に続き、マンツーマンで学生の個別指導。日本に来るまで雪を見たことがない留学生を教えたのだが、その学生は昨日午後、滑走中に転んだことで、一昨日痛めた膝の靭帯をさらに痛め、滑走できなくなり、スノーモービルの世話になった。大丈夫だろうかと心配していたが、学生は痛み止めを飲んだようで、とりあえず痛みなく訓練を始めることができた。
 学生の指導が終わると、山の頂上から滑走し、学生が全員下山できているか見回りをするのだが、自分のスキーへの力のかけ方が、学生を指導する前よりも良くなっていることに気がつく。人に教えることは、結局、自分を成長させている。教えるということを職業にするということは、ずっと自分を向上させていける素晴らしい職業だと思った。

■2013年1月23日(水曜日)


斑尾方面を望む
 訓練3日目。スキーの上達が、班の中でも遅れている学生たちを集めて、スキーの指導を行った。指導中、学生の中の1人のスキーが全く滑らず、板の裏を見せてもらうと、大きな雪の塊がくっついていた。雪を取り払っても、すぐに雪の塊が出来上がってしまう。たまたま、その学生の靴のサイズが自分と同じサイズだったため、スキー板を交換したところ、学生は、滑れるようになった。自分は交換してもらったスキー板で滑ろうとしてみたが、下り坂でも全く進まず、上り坂も全く滑ることなく登ることができるほど滑らない板だった。そのため、宿泊先の訓練本部からワックスを持って来てもらい、ワックスを塗ったところ、問題なく滑れるようになった。レンタルスキーは、あまり手入れがなされていないことと、スキー板の手入れの重要性がよくわかった。

■2013年1月22日(火曜日)


折れたスキー板
 学生のスキー訓練は2日目。天気予報は雪だったが、宿泊先周辺は雨だった。スキー場も山の麓は雨だった。しかし、山の中腹では、みぞれのようになり、山頂では、雪が降っていた。雪はとても重く感じ、かなり滑りづらかった。いろいろなコンディションが、経験できたという意味では、貴重な経験だった。
 初心者の学生たちは、滑っている際になかなか止まることができず、転ぶことで止まっているが、昨日よりは滑ることができるようになり、リフトで頂上まで行く班も出てきた。初心者のスキーは、まず確実に止まることのできる技術を身につけることなのだろう。そうすれば、下るスピードが上がっても恐怖感は軽減される。今日は、ある学生が、雪に正面から突っ込んで、スキー板を折っていた。普通は折れることのないモノだと思うが、何らかのタイミングで、異常なストレスが、板にかかったのだろう。これも貴重な経験だ。

■2013年1月21日(月曜日)
 朝練は、杉野原方面から山を下って池の平へ登ってくる7.6kmの周回コースを走るつもりで、杉野原交差点から坂を下って行った。地図では、坂を下ってしばらくすると曲がる道が現れるはずだったが、いくら下っても曲がりたい道が現れず、15分近く下ったところで、周回コースをあきらめ、引き返した。宿に戻った後、地図で道を確認したところ、走ろうとしていた道は、雪で埋まっていたようだ。地図に記載されている道でも、重要度の低い道は、全く除雪されないことがわかった。


■2013年1月20日(日曜日)
 NHKで放送されていた都道府県対抗男子駅伝を4区の途中まで見た。優勝候補には、東京と愛知の名前が上がっていたが、1区から兵庫が先頭を走り、最終区まで1位をキープし、最後は2位の東京に5秒差まで迫られたが、逃げ切って優勝した。応援していた愛知県は、優勝候補の筆頭だったようだが、全体的に力を発揮できず、3位に終わってしまったのは残念だった。
 2区の中学生区間では、兵庫チームは、1500mと3000mの中学生記録保持者が登場し、区間新記録の期待がかかったが、記録を狙うのではなく、最初の2kmはジョギングのようなゆっくりとした走りで、後続の2チームに追いつかれながら、残り1kmでスパートし、一気に2位との距離を広げた。彼の身長は183cmで、他の選手とは体格が違いすぎ、大人と子供の競争のようだった。1500m高校記録保持者の佐藤清治くんを思い起こさせる走りだった。前半速度を抑えたため区間新記録や区間賞は獲得できなかったが、素晴らしいチームプレイで兵庫の優勝に大きく貢献した。今後の彼の走りに注目していきたい。

■2013年1月19日(土曜日)


朝日
 朝は、全く雪が降らず、快晴だった。とても気持ちが良いので、朝練をした。赤倉温泉までの往復で40分。上り坂はよく滑り、地面を蹴るのではなく、押す感覚で走れると、あまり滑らずに走ることができる。雪道は、自分の動作を一歩ずつ意識でき確認できる良い練習だと思った。

■2013年1月18日(金曜日)


浅間山
 来週から学生のスキー訓練が始まる。そのお手伝いに参加するため、新潟県の妙高高原へ向かった。
 横須賀には月曜の雪は残っていないと思っていたが、横浜横須賀道路を通ると、路肩にたくさん残っていた。横浜まで来ると、家の屋根に雪が残っていた。都内では、歩道の脇に雪が山積みになっていて、人が通る程度の細い道は、まだ路面凍結が続いていた。やはり横浜や都内と横須賀では気候が違う。埼玉では、川越を過ぎると雪がほとんどなかった。長野の佐久に入ったところから急に雪の量が増えた。地域によって気候の違いを感じる道中だった。

■2013年1月17日(木曜日)
 昼間、我が家に貴金属の訪問買い取りが来たという。何でも良いから貴金属を出してくれれば、見積もって買い取るとのことで、妻は使っていない指輪を出したという。訪ねてきた人は、指輪を受け取り、マグネットのようなものをくっつけて、何かを確認しているようなそぶりをした後、見積もりを行う者が、近所を回っているので、少し時間が欲しいと言い、戻ってくる間に、他にも見積もれる物があれば、用意しておいて欲しいと話して、我が家を出て行ったようだ。妻は、ちょっと怪しいと思ったようで、どこから来たのかを聞いたところ御徒町だと答え、会社の名前はマーベラスと言ったという。見積もりの担当者が来るまでに、ネットで検索したところ、そのような会社は見つからず、ニュースで「押し売り」ならぬ「押し買い」という訪問買い取りが問題になっていることに気が付き、見積もり担当者が家に来たときには、やっぱり売る気がなくなったということにして家から出て行ってもらったという。御徒町の人がわざわざ横須賀まで来ること自体が不自然でならない。とにかく何の被害もなくてよかった。

■2013年1月16日(水曜日)


海岸は鳩だらけ
 東京や横浜では、相変わらず雪が残っていて、首都高速でも雪の影響で、まだ通行止めの区間が残っている。
 天気予報では、いつも横浜の天気を見ているのだが、横須賀は横浜の隣なので、それほど気候も変わらないように思っていたが、今回の雪の融け方をみると、同じ気候ではないようだ。横須賀からの距離は、千葉の館山の方が離れているが、館山の気候に近いのかもしれない。これからは、館山の天気も気にしながら横浜を見ようと思う。

■2013年1月15日(火曜日)


富士山
 東京では、昨日の大雪の影響で路面凍結などの事故があったようだ。歩道でも通行人が転倒する映像がニュースで流れていた。首都圏では雪によるケガ等が1195人と報道されていた。
 横須賀は、昨日あれだけの雪が降ったのに、朝になると全く雪は残っていなかった。深夜の雨でほとんど融けてしまったのだろう。東京のように路面凍結を覚悟していたが何もなく、なんだか拍子抜けした。しかし、路上脇に多少雪は残っていて、朝の通勤時には、小学生たちが雪や氷を持って遊びながら通学する姿が見られた。横須賀では、貴重な体験だったのではないかと思う。事故がなければ、たまにはこういう気象もあってもいい。我が家の子供たちは、一晩で雪が消えてしまい残念そうだった。海岸では、いくつかの雪だるまが融けずに残っていた。庭で雪だるまを作っておけば、今朝も庭に雪が残っていたかもしれない。次に降ったときには、真っ先に子供たちと雪だるまを作りたい。

■2013年1月14日(月曜日)


サックスの兄さんも寒そう





京急では珍しい表示でした
 午前は、職場で学生たちとサーキットトレーニングや、ワットバイクで最大パワー測定をしていたのだが、測定中に外で雪が降っていることに気がついた。練習が終わって帰る時には、道路にも車にも雪が積もり始め、スリップしてしまうのではないかと心配しながら車を運転した。初めての雪道での運転だったが、周りのドライバーたちもスピードを出すことがなく、ゆっくりとした流れだったのて安心した。しかし、明日の朝はきっと道路が凍結する。バス停から職場までの上り坂が滑るかもしれない。
 レジェンズのメンバーの何名かは、この雪の中、競技場で練習をしたようだ。半袖とハーフタイツで、雪に飛び込んでいる画像も目にした。全国高校サッカーは週末に延期となっていたが、レジェンズの一部のメンバーにとっては、大雪は特に影響はないようだ。彼らは、間違いなく陸上競技中毒だ。
 公共の交通では、横浜横須賀道路は全線通行止め、羽田空港でも欠航が相次いだ。横須賀線も時間によっては列車が止まったが、京急は、時刻表通りではなかったが、何とか動いていた。次の列車の情報が表示される電光掲示板には何も表示されていなかった。
 横須賀市では暴風雪警報が発令され、横浜では積雪が13cm、三浦市では最大瞬間風速が23m以上と報道されていた。確かに傘はさしていられないほどの風雪があった。海からは、湯気のようなものが湧いていた。海水温より気温の方が低かったのだろう。横須賀でこんな風景を見ることができるとは思わなかった。
 明日から、また出勤となるが、路面の凍結で転ばないように気をつけたい。成人式のために飛行機で帰省した学生たちの中には学校に戻ってこられなかった者がいることだろう。

■2013年1月13日(日曜日)


久里浜のどんと焼き
 横須賀市長距離競技会2ndラウンド5000mに出場。ほとんど練習ができていないので、先月のタイムより速く走ることは厳しいと考えていた。しかし、走れるところまではしっかりと走るつもりで、常に先頭集団でレースを進めた。
 スタートから、横浜高校の生徒たちがレースを作り、自分は、2〜3番手で走った。1000mは3分07秒。かなり楽だった。次の1000mも楽に走れたが、先頭のペースが落ちたためか3分12秒となっていた。次の2000mから3000mで、だんだん自分のピッチが低下してきて、きつくなったが、なんとか先頭集団で走り、3分14秒を刻んだ。
 3000mを通過したところから、先頭のペースが上がったように感じられた。実際には自分が失速し始めたのだが、そこからは我慢できず、ダラダラと走ることとなり、うちの主将にも抜かれ、このまま離されてしまうのか、と半分あきらめながら走り力尽きたような状態となった。3000mから4000mは3分24秒で、実際かなりの失速をしていた。最後の1000mもなかなかペースは上げられず、少しずつ主将との距離も広がっていったが、残り300mだけは、強烈なスパートをしようと思いながら、残り1周からスピードを上げていったところ、バックストレートで主将を捕らえ、少しついてこられたが、残り200mからさらにスピードを上げ振り切り、そこから3名抜き4着でフィニッシュとなった。タイムは16分04秒02。16分15秒程度で走れれば、上出来だと思っていたので、先月よりわずかだが速く走れ驚いた。来週からは、スキー訓練で、また1週間以上全く走れない。来月も同じくらいで走れればと思う。

■2013年1月12日(土曜日)
 この1週間は、ジョッグもしなかったので、全く走らない1週間だった。明日は、5000mの記録会なのだが、あまり気にせず、学生たちと久しぶりにしっかりと練習した。メニューは坂ダッシュ。600mほどの上り坂を3本と、1000mほどの上り坂を2本。
 1本目は、想像していたよりもよく走れ、タイムも2分06秒で、かなり良かった。2本目以降は、途中で、大腿前面が張ってきて、ピッチが上げられず2分13秒と2分14秒でタイムを落とし、学生たちにも離された。
 4本目以降は、距離が長くなるが、距離の短いときと同じように走っていき、後半は、我慢するということを課題に走った。前半から、大腿前面が張ってきて、後半は、もがきまくってなんとか走った。4本目が3分42秒で5本目は3分32秒だった。最後の1本は、これが終われば終わりだという気持ちが、タイムを押し上げてくれた。5本目のタイムを見ると、4本目ももう少しがんばれたのではないかと思った。
 練習後は、左の大転子付近が張って痛みも出てきた。歩いていても気になる。ちょっと明日の記録会には良くないコンディションだ。

■2013年1月11日(金曜日)
 ヱスビー食品陸上部の移籍先がDeNAに決まった。今までの実業団は、自動車や電気製品といった大企業が多く、ネット関連の企業がバックアップすることはなかったように思う。プロ野球でも、ネット関連の企業がバックアップするようになり、世の中のお金の流れ方が変わったなぁと思っていたが、陸上競技にも新しい流れができたように思えた。最近のヱスビー食品チームは、実業団駅伝には参加していなかったが、新チームでは、全日本実業団駅伝優勝も掲げていた。駅伝をやりながらマラソンやトラックで世界を目指す昔の瀬古監督の選手時代の強いチームが復活することを期待したい。

■2013年1月10日(木曜日)


朝の海
 体力測定に合格できない学生たちを集めた体育の補習を担当した。自分は特に50m走のタイムの遅い学生たちを受け持った。最初は、自分の体くらいは自分で支えて欲しいので、ブリッジや2人組で逆立ちをさせた。ブリッジは、8割くらいの学生が、肘を伸ばしてブリッジの姿勢が作れなかった。ブリッジができず背筋が攣ったという学生もいた。逆立ちについては、今までに逆立ちをしたことがないという学生がいて、脚が上に上げられず、一人が脚を上げるのを手伝い2人がかりで逆立ちをさせた。逆立ちが終わった後、その学生は「初めて逆立ちができました」と少しうれしそうだった。初めてではなくとも、一人で逆立ちの体勢に持って行けない学生は多く、学年が低くなるほどひどかった。できる人にとっては、なんでもないことで、幼稚園の子供たちでもやっていることではないかと思うが、これが子供の時に外遊びをしてこなかったり、体を使ってこなかった結果なのだろう。さらに、走りに大事な地面から反発を得るためのその場連続ジャンプがまともにできない学生もいた。できるだけ高く連続でジャンプするだけなのだが、連続でジャンプができない。振りのタイミングがおかしかったり、反発を吸収してしまう膝の動きが問題に見えたが、そういったことを説明して手本を見せてみても、本人は動きとしてそれが出力できない。いろいろと説明の仕方を変えてみるがなかなか通じない。学生には、まずイメージを作ることをしてもらい、こちらは、説明の仕方ややり方を考える宿題を持ち帰ることになった。

■2013年1月9日(水曜日)
 三男の食欲がすごい。4歳年上の次男よりも食べる。三男は、まだ自分で食べられなにのだが、すごい勢いで食べるため、こちらが食事をしながら食事を与えることがなかなか難しい。そのため、三男の食事は、家族よりも少し早く始まることが多く、家族が食べ始める頃には終わってしまう。三男の嫌いな言葉は、「ごちそうさまでした」。この言葉を聞くと泣き出すし、こちらが食事を始めると、目の前に食べるものがあるため、さらに食事を欲しがり、与えなければ当然泣き出す。目の前に食べるものがあれば、永遠に欲しがるのではないかと思えるほどの旺盛な食欲を持っている。どんな大人になっていくのだろうか?自分と似て、食費のかかる燃費の悪い大人になっていくのだろう。

■2013年1月8日(火曜日)
 子供たちも冬休みが終わり、通勤時には、たくさんの子供たちとすれ違った。その中に、半袖Tシャツと短パンを着た子供がいて驚いた。見た目は寒そうにしていなかったので、本人はそれほど寒さは気にしていないのだろう。周りの子供たちが、ダウンコートなど、厚手のものを着ているので、際だって目立った。
 うちの次男も幼稚園へ行く服装は、短パンと半袖体操服の上に、薄い長袖ジャージを着るだけ。幼稚園では、上半身裸で生活するときもある。半袖Tシャツの小学生とそれほど変わりはない。自分も、小学生のころは、半袖半ズボンで学校へ行っていたこともあった。少し我慢が必要だったような気もするが、今ほど、寒さを感じなかったような気がする。そうやって体を鍛えてきたのかもしれない。今は、寒ければ、親が過剰に服を着せたりするため、

■2013年1月7日(月曜日)
 今日から出勤。バスを乗り継ぎで、いくらか歩くのだが、いつも歩道を占拠する小学生たちがいない。今日までは、小学校から高校までが冬休み。子供たちがいないと、活気がなく、とても寂しげな感じがした。しかし、前を向かず進んでくる子供たちがいないので、とても歩きやすかった。自分は相変わらず体調が悪いこともあり、静かな朝を迎えられ、たまにはこういう出勤もいいなぁと思った。
 我が家の子供たちも、昨日までに冬休みの宿題を終え、今日は、1日遊ぶことができたようだ。明日からは、朝の食事や昼の弁当の準備は大変かもしれないが、日中はやっと妻がゆったりできるようになるだろう。

■2013年1月6日(日曜日)
 子供たちは、昨日に続き、冬休みの宿題をした。長男は習字、次男は作文の清書。自分は、今朝から寒気があり、調子が良くないため多少家事をした後は、ずっと寝ていた。
 習字は、何日も練習して、やっと清書をするものだと思っていたが、長男は、1日でのやっつけ仕事だった。文字は「お正月」。1文字書く度に、休憩があり、遊びだしてしまうので、何度も注意されていた。集中力がないというのは、こういうことを言うのだろう。興味がないことには、集中できないことはわかるが、できるだけ早く終わらせようという気持ちはないのだろうか?習字も泣きながらなんとか1日かけて終わらせた。次男は、清書だけなので、意外とすんなりと終わっていた。
 これで、子供たちの宿題は終了し、明日は1日遊ぶことができる。最後の1日くらい気持ちよい休みにして欲しい。

■2013年1月5日(土曜日)


妻の実家にて
 子供たちは、冬休みの宿題。長男は物語を作るという作文、幼稚園児の次男も冬休みの出来事をつづる作文。
 物語を作ることは、頭の中で具体的なイメージが描けないと文章にはできない。長男は、イメージがわかず、全く鉛筆が動かない。三男のおもちゃで遊んでみたり、何も考えずに時間を無駄にしているようだった。次男も、なかなか鉛筆は動かなかったが、自分の経験した出来事なので、なんとか一通り書ききった。どちらにしても、二人とも妻から何度も叱られ、かなり険悪なムードだった。長男は、15時までに終わらせる予定だったが、16時ごろには、なんとか泣きながら書き上げ、次男は、下書きが完成したところで、本日の宿題は終了となった。
 その後は、妻の実家へ新年の挨拶へ行った。子供たちは、お年玉で自分の好きなものを買い、じいちゃんからもプレゼントをもらい、かなりご機嫌だった。

■2013年1月4日(金曜日)


富士山
 朝9時過ぎに実家を出発し、夕方帰宅した。4日分の年賀状がポストにたまっていて、確認するだけでかなりの時間を要した。自分たちの世代の多くは、結婚して子供がいるので、年賀状も、子供の写真が載っているものが多かった。最近は、少子化と言われているが、我が家も含め、子供が3人いる家族がかなり多く、本当に少子化なのだろうかと思った。中には、子供が4人や5人の家もある。こういった家族に、なにか少子化対策のヒントがあるのかもしれない。

■2013年1月3日(木曜日)


子供目線の水槽



イガグリガニ



タカアシガニ
 蒲郡市にある竹島水族館へ行った。小さい頃に行ったことのある場所なのだが、30年以上前のことで、水族館の建物の風景は覚えているが、それを除けば当時のことはほとんど覚えていない。実際に行ってみると、当時の面影そのままで、何も変わっていなかった。長屋の中にある一軒の店のような入り口で、この中に本当に水族館があるのだろうか?と思えるほどの小ささで、外観はかなり老朽化しているように見えた。入場料は、大人500円、小学生200円で、幼児以下は大人一人につき一人無料ということで、安かった。外観からすれば、こんなものだろうと思った。
 中にはいると、さらに水族館の狭さに驚いた。しかし、内容は充実し、様々な努力と工夫がなされていてとても楽しかった。特に、水槽の高さが低く、すべてが子供目線で作られていた。さらに写真撮影もフラッシュ可能というところには驚いた。また、実際に亀や魚にエサをやることのできる水槽や、巨大なタカアシガニや全身がトゲで囲まれているイガグリガニを触ることのできるコーナーがあった。子供たちは、イガグリガニをつかんだり、タカアシガニを触って大喜びだった。
 水族館の屋外プールでは、アシカのアイちゃんショーが行われた。小さなプールでとてもかわいそうにも見えたが、バランスを取ったりジャンプをしたり、様々な能力を見せてくれ、最後には、お客さんの前まで泳ぎ、顔を出し、触りたいお客さんが全員さわれるというサービスまであった。
 外観の印象とは、全く違う、ワンコイン以上の価値のある水族館だった。自治体の運営する水族館としては、本当にがんばっていると思う。年間パスポートは、なんと大人1250円、子供500円。地元に住んでいたら、きっと年間パスポートを購入し、子供たちと頻繁に行くだろうし、また帰省したときには、子供たちを連れて訪れたい。横須賀美術館もこのくらいがんばってくれればと思う。

■2013年1月2日(水曜日)


お墓参りをしました





母と三男
 祖母の家に、親戚一同が集まった。とは言っても、うちの家族に加え叔母が2人だけなのだが、子供たちもたくさんいるので16名となった。子供たちは2日前に遊んだばかりなので、また3日前のようにブロックやNintedo DSでひたすら遊んでいた。
 祖母の家の隣に住んでいる叔母は、自力で歩くことができず、移動は這うしかない状態で、普段は、介護を受け、介護のデイサービスを受けている。今日は、介護の人はいないので、叔母が車いすで移動するのに、車いすの乗り降りを父と2人で手伝った。体重もそれほど重くないので、こちらは担げると思っているのだが、叔母としては、人に身を預けることは不安なのだろう。こちらに実を預けるのに手足がふるえていた。この状態で一人で生活するのは、かなり困難なことだろうと思うが、叔母は介護施設に入る気持ちはないようだ。
 今まで、介護は、テレビの中の世界だったが、3日前に祖母に会いに行ったときから、いきなり自分の問題になった。みんな歳を重ねていくし、自分たちの親も、そのうち自分たちも同じような立場になる。できることなら人に世話にならずに、自立して生きていきたいが、間違いなく誰かに頼って生きていくこととなる。介護を受けることになれば、お金がかかる。年金だけでは、間違いなくやっていけない。今でも、お金がなくて介護が受けられない人がきっといるだろうが、今後さらに高齢者が増えると、そういった人がさらに増えることとなり、自分たちもそうなる可能性がある。介護が子供たち頼みになると、子供たちの負担は計り知れない。長く生きたいと思う半面、長く生きれば生きるほど、家族の負担は大きくなる。それなら長く生きない方がよいと考えたくもなる。この矛盾をどう解消していくかが高齢化社会の課題なのだと思った。

■2013年1月1日(火曜日)


初詣をした神社からの眺め
(田んぼや畑だらけです)
 長男は、テレビを見はじめると急に腰が重くなり、動かない。いろいろと話をしてもほとんど耳に入っていないようにみえる。夜は、長男が見たいという番組を見ていたのだが、みんなでテレビを見ているので、できるだけみんなが気持ちよく見られるようにできるだけ後ろに座ることや決められた時間になったら歯磨きをして寝るという約束をしていた。しかし長男は、どんどん前に出て行き、後ろの人が見られない状態を作ったり、おもちゃを上に投げ上げたり、音のするおもちゃで遊んでみたりして、全然他の人のことが考えられない。何度が注意してみたが、あまり耳に入っていないようで、しびれを切らした父と自分の2人で長男をしかってしまった。長男は、正月早々泣くことになったのだが、理解してくれているかどうかあやしい。ただ自分のペースでテレビが見られなかったと思っているだけかもしれない。
 母からは、子供の頃の自分も同じで、何度父に叱られたかわからないくらいだと言われた。長男も全く同じなのだという。自分は、叱られた思い出はいくつかあるが、頻繁に叱られたという記憶はない。ということは、自分も、叱られても何とも思っていなかったのだろうか。当時は、親からはどうしようもない子だと思われていたのだろう。なんだか長男を叱れない立場になったような気がしてしまった。また、長男を叱ってもあまり効果はないようにも思えてきた。



[昔のいずみ]