最近のいずみ

Last Update:2013/3/31



パートタイムアスリートいずみ 13年目に突入 

■2013年3月31日(日曜日)


豆苗を植えてみました
 午前中、長男と次男は、近所の友達の家へ遊びに行った。昼には帰ってくるように話していたので、昼には帰ってきたが、妻が言うには、2人ともタバコのにおいをつけて帰ってきたという。自分は、花粉症の影響で、鼻が詰まりあまりにおいを感じることがない。三男のうんちにも気が付かないことが多いが、タバコはかなりのにおいだったようだ。
 午後からも同じ家へ遊びに行くというので、タバコの煙の中へ子供たちを行かせたくなかったので、妻と2人で、友達を家へ呼んで遊ぶように諭した。長男も理解してくれたが、友達を説得するのにタバコの煙の話はできないようで苦労していたが、友達が我が家へ遊びに来ることとなった。 自分は全く気が付かなかったが、友達が遊びに来ると、その子が来ただけで、家中がタバコの煙のにおいになったという。そして、子供の吐く息もたばこ臭かったようだ。
 長男の友達の家では、おじいちゃんと両親がタバコを吸うようだ。産まれたときから家にいる間はずっとその空気を吸っているということになる。その子にとっては当たり前の環境かもしれないが、タバコを全く吸わない我が家からすれば、タバコを吸っていなくても、息がタバコのにおいになってしまうとは、なんとかわいそうな環境なのだろうと思ってしまう。

■2013年3月30日(土曜日)


駐屯地の朝礼台にて
 桜が早く咲いてしまったため、市内でも桜祭りが桜がない状態で行われそうになっている。近所の陸上自衛隊久里浜駐屯地でも来週が一般開放の予定だったが、駐屯地司令の意向で、急遽今日も行うことになったと聞き、家族で駐屯地の桜を見に行った。
 駐屯地には、ほとんど見学者はいなかった。桜も散りかけていて、新芽が目立ち始めていた。来週は、完全に桜は散ってしまっているだろう。見学者用の展示としては、駐屯地周辺の地図や部隊の紹介をしているコーナーと歴史館があった。明治時代の久里浜の地図を見ることができた。当時は軍事機密だったようだ。歴史館では、昭和初期の頃に海軍で使用されていた精神注入棒という木の棒が3本ほど展示されていた。3本とも太さは違ったが、こんな棒でたたかれたら、骨が折れるのではないかと思った。軍隊では、こういう棒が当たり前にあって、言うことを聞かない者はこの棒でたたかれたのかもしれない。現在の体罰は、こういったところに起源があるのかもしれない。

■2013年3月29日(金曜日)


練習をした学生たちと
 合宿3日目。昨日午前中の練習があまりにも動かなかったので、少しでも集中して走れるようにということで、メニューは、300m×3となった。休息は20分。
 レペティショントレーニングなので、1本1本を全力で走ることになるが、左臀部の痛みがあるためか、全力とはいかず、脚の切り返しがにぶく、思ったようには走れなかった。1本目が39秒5、本目が38秒8、3本目が39秒0だった。先頭の学生は3本とも36秒台で走り、3本目は36秒2で自己ベスト。もっとも辛いところでベストを出してくれた。彼は、先週の合宿から調子が上がり、春季オープンでも良い結果が出ている。シーズン最初としては、最高の始まりではないかと思う。

■2013年3月28日(木曜日)


浦賀駅のド根性桜
 短距離合宿2日目。午前中は、ラダーを使った坂道ダッシュとトラック走、午後は、股関節と体幹のトレーニング。
 坂道のダッシュは、ラダーを設置することで、大腿の切り返しが行いやすくなり、何もないときよりも、素早い動きができ、スピードも上げられる。それでいて、疲労感も少なく感じる。しかし、本数を重ねてくると、大腿部が張ってきてかなり高強度の運動だったことがわかってくる。頭で感じる疲労感は少ないのに、実際の肉体の疲労感はかなりあり、頭の中での理解が進まず違和感がある。しかし、その違和感がなかなかおもしろい。
 坂道である程度の疲労を感じた後のトラック走は、300m+400m+500m+400m+300m。つなぎは次の走る距離をウォーク。まともに走れたのは、最初の300mと400mだけ。500m以降は、動きが、自分のイメージする動きとは、かけ離れたバラバラな走りで、特に400mは76秒もかかってしまった。長距離のペースより遅い。しかし、心拍数は高く、走り終わった後は、動けないという状態になった。左臀部の痛みがあるため、相変わらず全力では走れないが、練習ができたということだけで進歩だと思う。明日朝起きたときの痛みが心配だ。

■2013年3月27日(水曜日)
 NHKの「100分de名著」という番組を見た。取り上げられたのはフランクルの「夜と霧」。ナチスの強制収容所から生還を果たした著者の経験から「人生とは何か」を問う内容だった。
 現代社会は、欲望を満たすことを幸せだという。戦後の日本での幸せは、まさにその通りなのだろう。モノがなくて貧しくても、豊かに生きていた江戸時代とは、幸せのかたちは全く違うのだろうと思う。ゲストは、見たくないモノから目を背けずに悩むことが大事だと言っていた。現代は、見たくないモノから目を背ける傾向がある。しかし、味わったすべての苦しみは忘れ去ることができず、過去といういうのは、すべてのことを永遠にしまってくれる金庫と言える。過去は、過ぎ去っていくものではなく蓄積されていくもので、年を取ることはおそれることではなく、経験が積み重なっていくすばらしいことなのだと言っていた。年を取ることがなんだかマイナスに感じる人が多いが、そうではないと思えた。
 人間は人生から問いかけられている。その人にしかない運命的な人生がある。「それでも人生にイエスという。」強制収容所で歌われた歌詞なのだという。絶望的な環境にあっても希望を失わなかった裏には、こういう歌があったことを知り、人間って追いつめられても強く生きていけるものなのだと思った。

■2013年3月26日(火曜日)


400m
 関東学連春季オープン2日目。昨日800mに出場した学生が400mに出場した。どの組も、選手が少なく、棄権者が多かった。学生の出場した組も少ないと思ったが、自分も同じ組で棄権したので、非難はできない。
 今日のプランは、特になく、学生の走りたいように走ってもらった。先週の合宿では、最もきつい場面で300mの自己ベストを出しているので、50秒台後半は出せるのではないかと思っていた。スタートレーンが1レーンということで、最終コーナーを出るまでは、順位ははっきりしなかったが、最終コーナーで先頭に立ち、800mと同じく2位以下を大きく離し先頭でフィニッシュした。200m通過が24秒2くらい。彼の200mの自己ベストとほぼ同じタイムで通過し、フィニッシュタイムは50秒47の自己ベストだった。しかし、フィニッシュ後、ケツ割れになるほどの疲労はなかったようで、まだまだ追い込めそうだった。近いうちに50秒切りもできる可能性が出てきた。この2日間、久しぶりに学生にワクワクさせてもらった。

■2013年3月25日(月曜日)


800m
 関東学連春季オープンが八王子上柚木競技場で行われた。400mと800mにエントリーしていたが、棄権届けを出し、出場した学生を応援した。
 出場した学生は3名。もっと多くの学生に出場してもらいたかったが、陸上競技にだけに集中しようという学生は、あまりいなかったようだ。エントリーした3名のうち、今年期待していた3000m障害の学生が直前に自転車で転倒し骨折して棄権となったと聞き、がっかりした。
 期待は、800mを走る学生で、先週の合宿から調子が上がっていた。レースペースに慣らすという目的での出場なので、前半は、あまり張り切らず、後半にペースアップして先頭に出るということだけを学生と確認した。
 1周目は、3〜4番手で走り56秒台で通過し、残り300mから少しずつ先頭に追いつき、600m通過は1分25秒台だった。最終コーナーで先頭に立ち、2位以下を大きく離しフィニッシュとなった。タイムは1分55秒41。全体で3番目のタイムだった。レース内容は想定通りで、完璧なレースだった。上位2人は関東インカレでも勝負をしなければならない選手たちだが、あと1ヶ月半でなんとか戦えるようにしていきたい。

■2013年3月24日(日曜日)


久里浜の桜
 学会2日目。午前中はシンポジウム。「競技としてのランニングへの取り組み」というテーマで行われた。日本の実業団長距離選手は、乳酸閾値に到達しない強度の低い練習の割合が多く、レースペース以上の強度での練習量が少ないのではないかとの指摘があった。海外の選手は、日本の選手と比べ、レースペース以上の強度の練習の割合が高かった。日本では「走った距離は裏切らない」というような神話があるが、距離を走るだけではなく、強度の高い練習を組み入れることでも持久力は上がる可能性があるという研究結果も紹介された。うちの学校の長距離選手たちも、レースペース以下のペース走を行うことが多い。これを参考に、少し強度の高い練習も組み入れるように提案してみようと思う。

■2013年3月23日(土曜日)
 ランニング学会参加のため、久しぶりに都内へ出た。東急東横線渋谷駅が地上から地下へ入ってから、初めての東急東横線。横浜から乗った列車は、特急小手指行。横浜から全く乗り換えることなく、小手指まで行くことができるということに、改めて感動した。飯能行きという列車もあるようだ。埼玉に住んでいる時には、陸上競技のクラブチームの試合で、横浜方面には頻繁に出かけていたのだか、これができていれば、どれほど楽だったことだろう。
 しかし、渋谷駅で別の路線へ乗り換える場合は、ものすごく面倒になった。渋谷駅では、山の手線へ乗り換えたのだか、列車を降りて、どこへ向かったら良いかわからない。表示を頼りに、階段やエスカレーターを上って下って、何とか地上に出て、JRの改札へたどり着いた。地下は迷路のようで、自分と同じように、一瞬立ち止まって、表示を確認する人が何人かいた。地上へ上がるルートには、エスカレーターのみのところもあり、エスカレーターに乗るのに列を作って、時間をかけて上らなければならないなど、以前と比べると、乗り換えに時間がかかり過ぎる。便利になったのか不便になったのか?表裏一体ということなのだろう。
 学会では、「ウォーキングブレイク」という言葉を初めて耳にした。ランニング初心者にとって長距離を走ることは、走り方によっては苦痛になってしまい、ランニングが嫌いになってしまう場合もある。これまでは25分走ったら5分休憩して、それを繰り返しましょうというような指導が主流だったが、最近では、5分走ったら1分歩くということを繰り返した方が、負担が少なくさらに距離も多く走れるということがわかってきたようだ。この繰り返しで走っているとマラソンもそれほど負担なく走れるのだという。ホノルルマラソンでは、14歳以下の子供たちも走ってい、その子供たちの8割は日本人なのだという。親が走るから一緒に走る場合が多く、大阪のある幼稚園では子供たちがマラソンを走りきるイベントを行うなど、休憩を上手く組み入れれば、子供でも走ることのできる距離なのだという。ランニングを普及するには、初心者には無理をさせず、気持ちの良いことを体験してもらうことが始まりなのだろう。

■2013年3月22日(金曜日)
 この2週間ほど、体が重く、月曜からの合宿も、走り始めたばかりで、あまり調子は良くない。毎週サーキットトレーニングを行って開始から終了するまでのタイムを計っていて、特にこの2週間はタイムが遅く、3セット行う中で、セットごとにタイムが落ちていくという症状に陥っていた。自分で感じていることが、数字で出てきて、やっぱり調子が悪いと思うことになり、なんだか悪循環に思えていた。
 ところが、今日行ったサーキットトレーニングでは、久しぶりにセットごとにタイムを上げていくことができ、さらにこの2週間では最も良い記録が出た。実際に動いている自分の感覚も、少しキレがあって、久しぶりに気持ちよくトレーニングできた。
 その勢いで、トラック練習も行って、うまくいったら来週の記録会にも出場してみようと思い、トラックへ行ってスパイクを履いてウォーミングアップをしてみたが、スピードを上げると左臀部の痛みが強く、全力では走ることができなかった。せっかくトラックへ来たので、少しは走ろうと思い、300mを1本行った。タイムは43秒2。精一杯走ってこのタイム。レースに出場する状態ではない。あまり気持ちだけが先行しないよう徐々にやっていくしかない。

■2013年3月21日(木曜日)


キャベツを収穫しました
 久しぶりに三男と散歩をした。普段は行くことのないフェリー乗り場へ行った。三男は、フェリーを見て「うね、うね」と言っていた。うねとは船のことだろう。絵本で見た写真を実際に見ると言うことは、小さい子供にとっては、大事な学習なのだと思う。
 その後、三男は、フェリーの浮いている海を指さし、「パパ、ううお、パパ、ううお」と何度も繰り返した。彼の「ううお」という言葉は「お風呂」。海が水だということが目で見て理解できたようで、彼の知っている言葉で表現するとお風呂しかなかったのだと思う。自分の知っている言葉を最大限活用してなんとか表現しようと言う姿が本当にかわいく思える。「お風呂」ではなく「海」だと教えると、三男は「むみ、むみ」と繰り返していた。すぐに繰り返して覚えようとするところがまたかわいく見えた。

■2013年3月20日(水曜日)


満開の桜を発見
 合宿最終日。メニューはリレー。内容は400m×4本。リレーの関係で、チームによっては5本のチームもあった。2日半しかない合宿で、リレーなの?と思った。一人で追い込めるモノであれば、それでも良いが、多くの者が一人になると妥協してしまうのではないかと心配になり、メニューを定めた学生に確認したが、毎年やっていることなのでという回答が戻ってきて、がっかりした。今の時期に何をしなければならない、どういう位置づけがあるという考えがなかった。そういった考えを持ってメニューを作るように指導し、予定通り走らせた。
 1本目は全員が元気に走れるが、2本目以降は、急激にペースが落ち、フィニッシュすると動けなくなる。3本目以降は、全力で走れているのかどうかわからなくなり、各自の中に、自分が妥協しながら走っていることがわかりながら走ることになった。競技力の低い学生は、400mの走り方自体がわからず、走り終わっても倒れることがなかく、あまり追い込めていないようだった。実際にメニューをこなしてみると、ただきついだけで、800mのレースペース以下の走りしかできず、中には1500mのレースペース以下になる学生もいた。練習後に、今日の練習について学生と振り返り、400mのレペティショントレーニングの方が、より集中でき質の高い練習ができた可能性があることを学生も理解したようだった。

■2013年3月19日(火曜日)
 合宿2日目。昨日の股関節と体幹のトレーニングで、腹回りを中心にかなりの筋肉痛となった体は動かしづらかったが、走ることには支障はなく、走っているときには左臀部の痛みの方が気になった。
 午前中は、600m、400m、300m。レストは15分。1ヶ月半以上ほとんど走っていないので、いきなりスパイクを履いて全力で走ることはできず、気持ちの上では8割くらいの感覚で走った。しかし、体は全力と変わらないような状態で、もっと走れるはずなのにというもどかしさばかりがつのった。タイムはそれぞれ、1分29秒1,56秒6、39秒7。今の状態では、これが精一杯だった。
 午後は、サーキットトレーニングと8000mペース走。サーキットトレーニングは、3セット行い、セットが進むに連れ、動きが悪くなりトータルタイムも低下していった。ペース走は、3分40秒という遅いペースで始まったが、一定ペースを刻めず、4000mまでしか持たず、5000mで中止した。
 練習は、たいした量もなく、強度も低いはずなのに、久しぶりの学生との1日練習ということもあり、強度は高く感じられとてもつらかった。

■2013年3月18日(月曜日)


久里浜海岸
 学生たちの春合宿が始まった。2月の試験以降、チームとしての練習がほとんどできず、各自の練習となっていたところがあるので、久しぶりにチームとして集まっての練習となった。
 午前中は、韓国式サーキットでアップをして3000mのペース走+300m+200m×2+100m×3、休息後、200m×4を4セット行った。自分は、左右両方の脛骨を疲労骨折している学生のリハビリ指導を行い、一緒に運動した。久しぶりに股関節周りや体幹に刺激を入れて、ぐったりした。
 午後は、観音崎公園でクロスカントリー、1周1.2kmほどのコースを10周した。本格的に息が上がるほどの走りをするのは、千葉クロカン以来1ヶ月半ぶり。それほど速いペースではなかったが、息は苦しく、足の裏は、水ぶくれがたくさんでき、痛みを抱えながら走ることになった。明日の朝は、いろいろな部位が痛くなっていることだろう。

■2013年3月17日(日曜日)
 卒業式が行われ、最後は、職員と在校生による見送りが行われた。毎年、別れを惜しみながら多くの卒業生が大泣きしながら、見送られている。今年も、泣いたり笑ったりいろいろとあった。自分の所へ握手を求めてくるのは、授業を履修した学生と陸上競技部の学生だったが、それぞれの思い出が頭の中をよぎった。毎年のことだが、名前を思い出せない学生もいた。とりあえず「おめでとう」と言いながら、名前を思い出しているうちに、学生は自分の前を通過していってしまった。 運動能力の高い学生、低い学生や授業態度の悪かった学生の名前は覚えているが、あまり目立たず良くも悪くもないという学生は、なかなか名前が覚えられない。卒業生を送り出し、教官生活7年目が終わったなぁという気分になった。

■2013年3月16日(土曜日)


3兄弟で公園遊び
 新しい電子レンジが届いた。今まで使っていた電子レンジよりも大きいものが来ると思っていたが、奥行きが短くなり、見た目は少し小さいくらいだった。今までの電子レンジは中が正方形だったが、新しい電磁レンジは長方形。しかし、容積はそれほど変わらないように見えた。最近の冷蔵庫は、見た目の大きさは変えずに容積を増やすことをしているが、同じことが電子レンジにも起こっているということなのだろう。
 早速使ってみると、以前使っていたものよりも音が大きい。音がおかしくて買い換えたのに、その壊れた電子レンジの音量とそれほどかわらない音が出ている。初期不良か?それともそういうものなのか?店頭で確認することなく、インターネットで、画像だけを見て商品を購入するからこういうことになる。しばらく使ってみて、それでもおかしいと思ったら問い合わせようと思う。

■2013年3月15日(金曜日)
 左臀部等の痛みがひどく、改善のために筋整流法の施術を受けているのだが、今日は、いつもの先生に加え、もう一人別の先生からも施術を受けた。その先生は、様々な国家資格を取得していて、鍼灸を基本とした考えで施術を行いつつ、様々な施術法も習得し、できるだけ痛みを伴わない施術をしているとのことだった。
 施術が始まって、まず、体のバランスについて言及された。背骨は、胸骨から下へ向かって左へ曲がり、その後右へ曲がり、また左へ曲がり、後ろへ出っ張っり、尾骨は引っ込んでいるのだという。骨盤周辺は、大転子の位置が左右で違い、腰部はねじられていて左脚が長い。左大腿内側、右ハムストリングス、右膝裏、右下腿が特に張っている。肩甲骨の下角は開いているなど、体中のバランスが崩れているようだった。
 施術は、「力を抜いて」と先生から言われ、その後「1,2,3」とカウントし、何となく背中をさすられただけで、「はい、バランスは整いました」と言われ、この一瞬で何が起こったのか全くわからず、とにかく驚いた。その後、軽く揺するだけの開節法という方法で、さらに施術が進んでいった。腸脛靱帯の真ん中あたりにある風市(ふうし)というツボと、内外腹斜筋と腹直筋がちょうど重なる部位(名前はわからなかった)のツボがかなり痛く、この痛みを緩和するように普段から押す必要があることを学んだ。尾骨が引っ込んだところが元に戻ることで、下腿がゆるむそうなのだが、実際、下腿だけでなくハムストリングスや背筋等もかなりゆるんでいた。肩峰は、いつも左が上がっているのが自分でもわかるのだが、施術後は、肩峰の高さはそろっていた。だまされているのではないかと思うほど、全く触られている感覚はなく、まさに「きつねにつままれた」ような感じだった。 

■2013年3月14日(木曜日)


中距離パート
 陸上競技部の中距離パートで、4年生の追い出し会を行った。内容は、1人800mずつ走るリレー。4年生は卒業論文作成等であまり運動ができていない。800mを走るのはかなり過酷なはずで、明らかに3年生以下の方が有利だった。1走は、1分54秒前半のタイムを持つ3年と1分58秒台のタイムを持つパート長だった4年生の戦いだった。4年生は、出走直前に競技場へ来て、ほんの少しジョッグをしただけで、スタートすることになっった。それなのに、スタートから3年生の前へ出て、残り200m殻は、3年生をを大きく離して2走につないだ。タイムは2分01秒くらい。練習のタイムとしてはかなり速い。いつも本番に強い学生だったが、ほとんどウォーミングアップなしでも走れることに驚かされた。2走以降は、3年生以下が圧倒的に速く、3年成果の勝利となった。昨年は、4年生チームが勝ち、3年生以下は追い出しに失敗したが、今年も、スタートで4年生にリードされるなど、内容としては、3年生以下の勝ちとは言えない結果だった。最後まで、上級生の意地を見せてもらえたような気がした。

■2013年3月13日(水曜日)
 我が家の電子レンジは、購入して11年ほどになる。3年ほど前に異常な音がし、危険な感じがしたので修理を依頼した。その時、修理の担当の方からは、すでに8年も使っているので、使用期間としては十分で、次に同じような症状がでた時には、買い替えた方がいいと言われていた。
 今朝から我が家の電子レンジは爆発するのでは?と心配になるような異常な音が出るようになった。修理からわずか3年。あまりにも短すぎる。先日はビデオデッキが壊れ、2年前に購入したオイルヒーターも油漏れが激しくなり、使えなくなった。
 最近の電化製品は、買い換えるまでの期間が短すぎる。大事に使いたいのに、修理よりも買った方がかえって安いということがよくある。メーカーも壊れやすい商品を作って、すぐに買い替えてもらえるように仕組んでいるのではないかと思えてくる。修理が当たり前の頃は、街の電気屋さんはとても頼りにされていたが、今は、街の電気屋さんの出番はなくなってしまった。大型店の方が、商品を安く買うことができ、壊れれば買い換えとなるので、街の電気屋さんは廃業するしかない。さらにネット販売が普及し始めて、大型店ですら生き残れるかどうかわからない。この先電化製品の販売は、どういう方向へ向かっていくのだろうか。とにかく、最近の電化製品は、機能も複雑になり、中身も昔の製品と比べると複雑で繊細になったために壊れやすいのかもしれない。次に殿商品を買えばよいのか、あまりにも選択肢が多すぎて、悩んでしまう。

■2013年3月12日(火曜日)


陸上競技部の学生たちと
 職場の食堂で、、卒業予定の学生たちによる謝恩会が行われた。来賓として市長をはじめ、学校首脳陣、OB、教職員が参加した。体育の先生は、2人だけで、自分たちのテーブルには、他に誰もいないというかなり寂しい配置だったが、食べるものは他のテーブルと同じように置かれているので、会が始まると、陸上競技部の学生たちがやってきて、ちょうどよい人数となった。
 学生たちは、それぞれが卒業論文を終わらせ、一通り学問を修めたことになり、すべてが終わったという感じで、清々しい顔をしつつも、卒業するには名残惜しいという雰囲気だった。
 卒業後、どういう生活が待っているのか?不安の割合の方が高いだろうが、次のステージへ行ってしまえば、すぐに当たり前の生活になってくる。卒業後も、競技を続けるという学生が何名かいて、実業団の大会にも参加したいと話していた。是非、続けてもらい、全日本実業団で再会できたらなぁと思う。

■2013年3月11日(月曜日)
 花粉症の辛さが続いている。先週から、毎晩、鼻がつまり、鼻での呼吸ができなくなり寝られなくなる。睡眠時間は3〜4時間。当然、日中も眠気、怠さや頭痛が発生する。鼻水が次々と生産され、ティッシュペーパーの消費が激しい。鼻のかみすぎで、鼻の中は、かなり荒れていて、血が混じっている。薬を飲んでいるので、多少軽減しているので、飲み続けながら時が過ぎるのを待つしかない。
 唯一鼻づまりから解放されるのが、運動しているとき。体の痛みについては、実際は、何も改善していないのだろうが、花粉症のおかげで、痛みを感じなくなり、ジョギングができるようになった。このまま、痛みを忘れ、花粉症がなくなったところで、競技復帰できればと都合がよいことを考えている。

■2013年3月10日(日曜日)


食べられる前に食べたかった
 この2〜3日で急激に気温が上がり、4月を跳び越えて5月の気候になってしまった。我が家の庭の瓦礫の上になぜか生えてしまったイチゴが、赤く色を付け、そろそろ食べ頃だなぁと思い、今朝確認したところ、なんと、ナメクジに食べられいた。まだ食べ始めだったので、すぐにナメクジを剥がし、そのまま夕方まで放置しておいたら、夕方にはアリがたかり始めていた。もう少し熟すまで待ちたかったが、これ以上放置しておくと、食べられなくなるので、急いでアリを取り払い今年最初のイチゴを摘み取った。
 へたの近くは白いが、全体的には赤くなり、甘いにおいがしていた。一つのイチゴを、家族で切って食べてみたが、十分甘く、今年最初のイチゴを楽しむことができた。
 庭の生け垣になっているウコギも、新芽が見えだし、お昼には、今年最初のアサリを食べることができ、春を感じる1日だった。

■2013年3月9日(土曜日)


うみかぜ公園にて
 長男が午前中に友達の家へ遊びに行き、そのまま昼になっても帰ってこないので、買い物に行くついでに、迎えに行ってみると、昼食もせず子供2人で家にいたことがわかり、長男の友達も連れて買い物へ行くこととなった。
 昼食は、なんとも貧しくハンバーガー。たまにはいいかと思っていたが、長男の友達に話を聞いてみると、朝は菓子パンで、昼食は用意されず、何か好きな物を買えるようにお金を渡されているとのことだった。両親と祖父母と暮らし、子供は一人だけなのに、だれも子供の相手をせず、子供は放置されていたように見えた。本人にとっては当たり前の環境なのかもしれないが、まともな食生活をしているようには見えず、心配になった。
 その子供は、小学生の低学年ですでに花粉症とのことで、この時期は、外であまり遊ぶことがないようだ。午前中も長男と、家の中でゲームだったので、午後は、買い物ついでに公園で少し遊ばせた。天気が良ければ、子供は外で体を動かして欲しいのだが、花粉症を持つ子供たちは、外に出ることができない。中国のPM2.5の関係で、九州では、子供を外に出すことができないというニュースがあったが、花粉症も人災なのではないかと思った。

■2013年3月8日(金曜日)


食べ頃になりました
 近所のプールで行われている次男の水泳教室に便乗して、同じ時間にプールへ行き、子供のスクールの状況を見ながら、半年ふりくらいに泳いだ。長い水路でも25mしかないので、ちょっと泳ぐとすぐにターンになってしまうので、物足りなかったが、25mずつフリー、ブレスト、バック、バタフライの順に時間がくるまで、適当に休憩をとりながら泳いだ。
 次男のクラスは、腰にヘルパーを付け、5mほどのけのびとバタ足をするレベルだった。先生の話を聞かず、毎回自分の順番になると、先生から水中メガネを付けるように言われていた。泳ぎ自体は、他の子よりはできていたが、態度はなんとも言えない感じだった。
 自分の泳ぎについては、500mを過ぎる頃から、バタフライがきつくなってきた。10本目は、肩が回りづらく、腕を前に持ってくるのに苦労した。また、どの種目でも、腕を自分の近くへ引き寄せることが後半はきつかった。普段使うことのない動きをしたので、明日以降は、筋肉痛になりそうだ。

■2013年3月7日(木曜日)


サッカー教室
 昨夜は花粉症の影響で眠れなかった。ずっと鼻づまりが続き、22時には寝たが23時過ぎまでは寝られず、2時半に鼻が完全に詰まって呼吸ができず、苦しさで目が覚め、それ以降ほとんど寝られなかった。鼻が詰まると口呼吸になるので、その影響で、喉が痛くなってきた。
 午前中も、鼻づまりが続き、口呼吸でくるしかったため、午後に受診し薬をもらってきた。帰宅すると、妻がお隣さんから、花粉症によく聞くという錠剤をもらってきてくれていた。結果的には、お金を払って受診しなくても薬が手に入り、受診しなければよかったと後悔した。まずは、お隣さんからもらった薬を試してみるつもりだ。

■2013年3月6日(水曜日)
 花粉症がひどくなってきた。くしゃみ、鼻水、涙、鼻づまりが続く。特に鼻づまりが辛い。昨日までは、鼻の周りにメンソレータムリップを塗ると、鼻は通っていたが、今日は全く通用しない。鼻孔拡張テープも通用しない。食事をすれば、鼻が通っていたが、それもなくなった。ジョギングをしたり、自転車に乗って、ある程度スピードを上げ、全身を使うくらいの動きを始めると急激に鼻が通ってくる。風呂の湯船に入っているときにも鼻は通る。血の巡りが良いときには、鼻が通るということなのだろう。

■2013年3月5日(火曜日)


畑で採れた下仁田ネギ
 長男は、忘れ物が多いので、最近は、妻が学校の準備の確認を毎日するようにして、忘れ物が亡くなるように世話をしている。もう小学校も高学年にさしかかるので、当たり前にやって欲しいところだが、目の前にある物が見えなかったり、今言ったばかりのことを忘れるということもあり、これは病気と変わらない習性なので、こちらもできるようになるまでは辛抱強くつきあっていくしかないと覚悟し、長男と共に1ヶ月間忘れ物をしないということを目標にがんばっている。
 今朝の長男は、家を出て行った後、10分くらいして、あわてて家に戻ってきた。何かを忘れたのだろうとは思ったが、忘れたのは、着替えだった。寝間着のズボンのまま登校したのだという。普通のジャージを着ていたので、こちらも特に違和感がなかったが、寝間着として使っているジャージだった。次の日に着る物も用意しないといけないようだ。長男の独り立ちは、まだまだ遙か先の話になりそうだ。

■2013年3月4日(月曜日)
 花粉症がひどくなって、夜寝ているときに鼻づまりで呼吸できなくなり寝られなくなっている。妻はそれを心配して、鼻孔拡張テープという商品を買ってきてくれた。鼻にテープを貼って、鼻が通るようにするというものだが、一時期長距離選手が使っていて流行ったことがあった。こんなテープを付けるだけで、変化があるのだろうかと疑っていたが、付けてみると、付けなかったときと比べ、格段に鼻が通るようになった。しかし、テープがくっついているところがかゆくて仕方ない。
 昨夜は、テープを貼って寝たのだが、いつの間にかかゆくてテープを取ってしまった。テープがなくなると、すぐに鼻が詰まり呼吸ができなくなった。これほど違いがあるとテープを貼らないわけにはいかなくなるのだが、かゆいことを我慢しなければならない。これもまたストレスになる。寝るためには仕方がないので、また新たにテープを貼って寝た。もう少しストレスのたまらない方法で、鼻が通らないものかと思う。

■2013年3月3日(日曜日)


キッズラン
 三浦国際市民マラソン5kmにエントリーしていたが、左腰から足にかけての張りや痛みで、立っているだけでも気になり、走ると腰痛や股関節痛が強くなるので棄権した。学生は9名が出場し、昨年よりも記録を3分以上向上させた学生もいれば、昨年よりも記録が低下した学生もいた。中長距離の主力は、立川で行われた日本学生ハーフマラソンに出場しているため、上位入賞はなく、全体の結果としては少し寂しく思えた。今年の5kmの部は、郡山自衛隊が上位を独占する形となり、優勝が15分20秒くらいで、例年よりも上位のタイムが20秒くらい速かった。
 自分は走ることができなかったが、長男は、キッズランに出場した。昨年より学年が1つ上がり、タイムも上がって欲しいところだが、特に走る練習をしてきたわけでもなく、当日いきなり走るだけなので、どのくらいで走れるかは、走ってみないとわからないという状態だった。
 長男は、スタートのポジションだけは前の方に位置し、最短コースを通れるようにするなど、スタート前のやる気だけは他の子供たちには負けていなかった。しかし、スタートすると、周りの勢いに圧倒され、強引なポジション取りはせず、周りの子供たちに前を譲るように自分のスピードを抑えながら集団の中盤くらいの位置で走っていった。
 コースは、片道400mほどの砂浜を折り返す800mとなっていて、先頭は、3分50秒くらいでフィニッシュした。昨年の長男は、距離が長くて途中であきらめそうな走りをしていたが、今年は、最後まで目の前の子供を抜こうとする気力があって、昨年より良い走りをしているように見えた。フィニッシュは33位くらいで、タイムは4分50秒くらい。昨年より2秒ほど速いタイムだった。走り終わった後の長男は、少しだけ来年の話をしていたので、昨年よりは、走ることに興味を持ち始めたように見えた。長男とジョギングが楽しめるようになりたいが、もう少し時間がかかりそうだ。

■2013年3月2日(土曜日)


育てていた白菜に花が・・・
 次男の器楽演奏会を見に行った。他の幼稚園と合同で行うのだが、どこの園児たちも、先生の指揮に従って、見事な演奏をしていた。気になるのは、演奏曲がかぶること。幼稚園同士で、そういった調整はないようだ。毎年、一つはかぶっている。次男は、BLAZILとハンガリー舞曲5番の演奏だったが、ハンガリー舞曲5番が、他の幼稚園とかぶっていた。次男の幼稚園の演奏の方が、テンポが良くキレもあって、勝ったという気持ちにさせてくれ、なんだか気分が良かった。
 園児たちをみていると、うちの学生たちよりも、忠実に指揮官の指揮に従おうとしていて、統制がとれているという意味で軍事化されているように思えた。園児は、日常では、走り回りたい年頃のはずだが、演奏時はじっとして、自分の楽器の番になると機敏に動いて演奏する。演奏の練習をしている時には、先生たちは恐いと子供達は話すが、そういった強制力あっての結果なのだろう。

■2013年3月1日(金曜日)
 受理された論文を、最終的に提出することになり、印刷した論文と、電子記憶媒体にコピーしたものを郵送しなければならなくなった。職場のパソコンは、独自のコピーガードがかかっているので、それを解除しなければならない。解除して、CD−Rにコピーをしようとしたのだが、コピーができず困ってしまい、学内の電算機担当の方に部屋へ来てもらい見てもらったが、結局うまくいかなかった。1日かけて研究室にある3台のパソコンを駆使してなんとかコピーはできたが、メインで使っているパソコンのディスクドライブが正常に動いていないことがわかった。もうパソコンが古いということなのだろうが、最近、自分の周りではそういったことが多い。自宅のパソコンも、DVDドライブが認識してもらえなかったり、認識してもDVDソフトを入れると、それを読み込まなかったりした。さらに、子供に人からいただいたビデオを見せようとVHSのビデオデッキで再生したところ、画面が砂嵐のようになり、音声だけがクリアーに聞こえるという状態で、ビデオデッキの限界を感じたりした。修理して使用したいが、ビデオデッキを売っていないことを考えると、修理は難しいのだろう。物を大事に使いたいが、世の流れは、次々と新しい物に買い換えたほうが安く済み、粗大ゴミを増やす方向に向かっているように見える。長持ちする良い製品を開発する企業は、売り上げが伸びず生き残れないということなのだろう。地球環境を守ろうと言っている裏で、こうした大量消費を促すという矛盾した行動をしてしまうのが人間なのだと思った。



[昔のいずみ]