最近のいずみ

Last Update:2014/3/31



パートタイムアスリートいずみ 14年目に突入 

■2014年3月31日(月曜日)
 初めて横須賀を訪れた日から21年が経った。初めての一人での長旅で、何もかもが不安だったことは覚えている。新横浜から、横浜市営地下鉄で横浜まで行き、そこからは京浜急行に乗ったのは間違いないが、その後は、どういう経路で宿泊先へ向かったのかは覚えていない。宿泊先では、複数の人たちと相部屋で、全員が明日防大へ着校する新入生だった。みんなで防大に関するうわさ話をして、よけいに不安をあおられた気がする。自分が、今の仕事に就いているのは、防大に進学したことが大きな転機だった。いろいろと葛藤があったが、今は進学して良かったと思える。明日は、21年前の自分のように、様々な不安を抱えて、新入生が学校へやってくるのだろう。それぞれが、進学して良かったと思える4年間を過ごしてもらえればと思う。
 
■2014年3月30日(日曜日)
 3月初旬に契約した光回線の工事が一昨日終了し、一昨日は、無線ルーターやパソコンの設定をしてインターネットに接続すべく、パソコンに付属のCDーROMを入れて、指示に従って「次へ」というボタンをひたすら押していったのだが、設定が完了しても、ネットに接続できなかった。ルーターは、緑のランプが点灯するはずなのに橙のランプが点灯し、限定的なサイトのみがネットにつながるという状態だった。
 今日は、朝からまたネット接続を試みた。一昨日は、必要だったプロバイダのIDとパスワードがなく、契約後1週間程度で届くという手紙がなかったために接続ができなかったのだが、その手紙が昨日届いた。契約後、3週間以上経っている。届くのが遅すぎるのだが、とにかく届いて良かった。早速、そのIDとパスワードを入れてみたが、うまくいかなかった。うまくいっていない状態を、自分のスマートフォンで検索し、設定方法を調べてみると、似たような症状で相談する人がたくさんいるようで、CD−ROMでは、説明されていないファイルの削除や設定があり、なんとかやりくりして、最終的に無線LANの接続にこぎ着けた。  知人は、同じ業者のネット接続に3ヶ月かかり、業者に電話をすると、電話をたらい回しにされ、電話代だけで何万もかかったという話しをしていたので、工事後2日でつながってホッとした。
 我が家は、必要のない電気は切るようにしているので、ネットも使わなければ、すべて電源を切っている。夜になって、ネットに接続しようと必要な器材の電源を入れたところ、一昨日の状態に戻ってしまった。その後、いろいろといじってみたのだが、うまくいかず。知人と同様の道を進むことになるのか、不安になってきた。
 
■2014年3月29日(土曜日)


今年最初の収穫





大島桜
 投擲の合宿が最終日となった。学生たちは、午後1時に春の休暇が終了し、新入生受け入れの準備が始まる。練習は、昨日の午後と同様、投げの練習だった。午後からの行動もあるので、早めに練習を終え、春合宿が終了した。
 子供たちは、春休みということで、次男の友達が、我が家へ泊まりに来た。次男の友達も長男のやっているタブレットでの通信教育をしているようで、そのタブレットを持ってきていた。タブレットを持っている者同士、仲良くタブレットでゲームをするため、タブレットを持っていない次男は、仲間はずれになり、自分の友達を兄に取られた形になった。タブレットでゲームをするには、タブレットで学習をする必要があり、学習をすることでコインを貯め、貯めた量に応じてゲームができる仕組みになっているが、ゲームができるのは、1日最大1時間となっている。自分が苦労してコインを貯めて、1時間しかゲームができないので、子供の心情としては、人には貸したくないということになる。便利な道具は、人間関係を崩す可能性がある。「ブッシュマン」という映画のストーリーを思い出した。白人が空から落としたコカコーラのビン一つにより、村の人間関係が崩れたため、村の平和を回復すべく主人公のニカウさんが、コカコーラのビンを捨てに行くというストーリーだった。子供たちには、何もないところから、自分で工夫して遊びを考えるという機会を設ける必要があると改めて思った。
 
■2014年3月28日(金曜日)


引っ越してしまう友達と
 次男の友達が新学期を前に引っ越しをするということで、友達の家でお別れ会をすることになったため、次男を友達のうちへ送りに行った。親が離婚し、兄弟3人が父親についていくそうで、心機一転、新しい場所で生活をするのだという。引っ越し先が、島だそうで、彼らが引っ越しをすると、島の子供の人数が6人になるので歓迎されているとのことだった。引っ越し先を探したお父さんは、テレビでその島の様子を見て、ここに移り住もうと決めたのだという。仕事はどうするのか?などいろいろな疑問は湧いてくるが、次男のお友達は、引っ越し先では、学校に同じ学年の子供はいないと自慢げに話していた。今までの生活が基準なので、なかなか実感がないのだろう。学校へ行けば、自分の兄弟を除けば、年齢の違う友達は3人しかいない。先生は、マンツーマンに近い状態で教えてくれるのだろうが、今の状況からすれば、かなり寂しくなるように思えてならない。次男は、寂しくなることを前提に、寂しくなったら手紙を送ってもらえるように、お別れにレターセットをプレゼントした。島にはいない同じ学年の友達として、今後も交流があって欲しいと思った。
 
■2014年3月27日(木曜日)
 子供たちと、ショッピングモールへ行き、子供たちが映画を見ている間、自分は、喫茶店でパソコンを立ち上げ、論文作成。職場でパソコンをいじっていると、なんだか集中できないことが多く、喫茶店のような少し騒がしい所の方が、仕事がはかどる。一人で閉じこもるのは良くない。
 ショッピングモールは巨大で、ものすごい数のお店が入っているのだが、その多くが服屋だった。子供たちが行きたがるおもちゃ屋は、ほとんどなく、あったとしても小さい子供のおもちゃ専門店だったりして、結局、我が家の子供たちが興味を持てたのは、模型専門店とジブリ専門店。模型専門店は、今まで入ったことのある店の中では、最も大きく品揃えも多く、ジオラマなど展示されているプラモデル等もすばらしく、子供たち共に興奮の連続だった。自分が子供の頃であれば、苦労して自作する物が、今は、すべてパーツとして売られている。パーツを買えば、一通りやりたいことはできてしまうようになっていて、昔のように想像力を働かせて、何かを作る機会が奪われてしまっているようにも思えた。
 
■2014年3月26日(水曜日)


ジャガイモが芽を出しました
 日曜以降、膝の具合が悪く、ランニングは避けてきた。昨日は、サーキットトレーニングを行ったが、悪くはなかった。しかし、今日は、30秒を3セットのバイクを実施し、特に3セット目のパワーの低下が激しく、あまり良い状態ではなかった。バイク終了後、明日のレースへ向け最終調整として300mをスパイクを履いて走った。スタート直後から膝の違和感があり、少し我慢しながら走り、結局スピードを落として300mを走りきった。タイムは46秒2。この状態では、明日は走れないので、明日と明後日の記録会は棄権することにした。
 
■2014年3月25日(火曜日)


桜はまだつぼみです
 東京と横浜で桜の開花宣言があった。毎年、テレビでは、桜の開花がいつになるかという話題で盛り上がっている。日本人は、なぜこれで盛り上がれるのか。日本人にとって桜は、ただの花でないということだけは間違いない。近所の桜は、まだつぼみばかりで、花が咲いているようには見えないが、気温は急に温かくなり、春が来たことを実感し始めている。
 厚生労働省が睡眠指針というものを改訂したというニュースを耳にした。高齢者は、無理に眠ろうとすると、かえって眠りは浅くなるので、無理に寝ようとしないほうがよいようだ。年代別に、睡眠時間が提示され、20〜30代が7時間で、45歳が6.5時間とのことなので、自分は6.5時間から7時間が適切ということなのだろう。
 
■2014年3月24日(月曜日)
 学生たちは、昨日から、春合宿をしている。一昨日4年生が卒業した。4年生は、卒業直前まで練習に来ていたこともあり、4年生がいなくなったことで急に人数が減り、何か足りないような気分になる。
 今日は、レペを行っていたが、1本1本一定の強度を保てず、全員、所々で強度を落としてしまい、トータルとしてはあまり良い練習にはなっていない。2月末以降、学内のスケジュールにより、練習が継続できていないためなので、仕方のないことかもしれない。それならば、合宿をしっかりやればいいのだが、春合宿は、なんと今日まで。たった2日間の練習を合宿と呼ぶのか、と疑問に思うのだが、学生たちは自分が自由にできる休みが欲しいということなのだろう。週末にかけて学連の記録会があるが、学生たちがエントリーするだろうと思い、自分もエントリーしていたのだが、学生たちは誰もエントリーしなかった。自分一人が張り切っている感じもあり、恥ずかしくなるのだが、こちらが期待するほど、学生たちは陸上競技に力を入れようという姿勢はない。昨年は、自分の休暇をつぶしてでも練習して試合に出る学生がいて、彼らは、関東選手権や日本インカレに出場してくれた。全員に同じことを求めてはならず、それぞれのモチベーションに合わせて、指導している。また、走っているときの感覚や、陸上競技について語り合える学生が出てくることを待とうと思う。
 
■2014年3月23日(日曜日)


フィニッシュ前




小泉議員と
 次男と一緒に近所のマラソン大会へ参加。初めての親子マラソン。カテゴリーは小学生未満の1.5km。次男は、幼稚園の年長なので、レースを有利に展開できる。練習は、1週間に1回もできなかったが、できれば上位に入賞したいと思いながらスタートラインに立った。次男の走ったカテゴリーには、衆議院議員の小泉進次郎氏もエントリーしていて、出走前には紹介されていた。
 スタート直後は、園児らしく、多くの子供が全力に近いダッシュをしていたが、すぐに勢いはなくなった。次男には、最初はがんばらずに先頭集団についていくことを話してあったので、冷静に3〜4番手に位置して走ってくれた。それでも先頭は結構速いので、次男も、かなりのストライドとピッチで走っていて、自分の子供ながら、なかなか速いじゃないかと見直してしまった。
 レースは中盤に入り、次男は3番手で走っていたのだが、だんだんスピードが低下してきて、前の2人との距離が少しずつ開いてきたので、次男に「手をつないで走る?」と聞いてみたところ、すぐにうなずいたので、手をつなぎ、こちらが少し引っ張る形でスピードを上げた。スピードが上がると、次男は、その勢いを殺さないよう、足の接地時間を少なく、ストライドを広げ、跳ぶようにして走った。レース前に、手をつないで走ったところ、足がもつれて転びそうになったのだが、その失敗を学習し、走りを変えたことに感動した。先頭とは、すぐに距離が詰まり、そのままの勢いで先頭に立つと、2位以下を大きく離して独走状態を築いた。後半は、ちょっと辛そうだったので、スピードを緩めたが、1位で独走していることを喜んでいるのか、スピードを緩めて欲しいという弱音は吐かなかった。そのまま1位でフィニッシュし、次男はデビュー戦を優勝で飾った。タイムはなんと6分26秒。防大1年生の最低基準よりも速かった。
 次男は、走る前から副賞商品を楽しみにしていたが、副賞商品は、久里浜自動車学校のファイルだった。しかし、自分で勝ち取った金メダルと、今までにもらったことがないほど大きい横須賀市長からの表彰状と大会会長からの表彰状をもらい、うれしそうだった。表彰が終わった後は、追い込んだだけあって、喉が痛いらしく、かなり不機嫌だった。成果を出すにはそれだけのリスクもあるということを感じてくれたのではないかと思う。  小学1,2年生の親子の部は優勝が5分34秒で、タイムの速さに驚いた。次男は、小学2年生以下の親子の部で204人中総合9位だった。来年は、小学1,2年生の部で戦わなければならない。あと1分記録を向上させるのは、なかなか厳しい。
 
■2014年3月22日(土曜日)


大阪体育大学陸上競技場
 ランニング学会2日目。昨日は、ホテルでの開催だったが、今日は、場所を変え、大阪体育大学で行われた。大学へ行くのに、交通手段はバスかタクシーしかなく、バスは、1時間に2本しかないのでとても不便だった。
 昼休みに競技場で、ジョギングでもしようかと思っていたのだが、競技場へ行ってみると、記録会が行われて、人が大勢いて、ジョギングはできなかった。大学には、中学と高校も併設され、高校は野球で有名なのだが、学校周辺には何もないので、別のことを考えることなくスポーツに専念するにはすばらしい環境だと思った。
 学会では、招待講演として、マラソンの野口みずき選手を育てた藤田信之氏が「2013年の男女マラソンを総括する−課題と展望−」というタイトルで講演を行った。主な内容は以下の通り。男女とも日本歴代の上位を見ると、昔の選手の名前が並び、現在の選手たちの記録は停滞している。現状のまま、国際大会でのメダルを求めてもどうしようもない。過去に走れた人たちがいるのだから、彼らに学ぶ必要があるのではないか。基準記録を突破できなくても日本代表になれるシステムでは世界では戦えず、陸連の選考方法には疑問を感じる。世界選手権やアジア大会の結果からの選考では男女で同じ基準にする必要はないのではないか。指導者は、選手のタイムを1秒でも速くすることが仕事なのに、最近は、選手がやりたくないと言えばやらせないなど、練習を目標に合わせず人に合わせてしまっている傾向がある。ベースになる走り込みの量は少なく、ベースとなる5000mや10000mのタイムも遅いので、過去の選手を追い抜くことは難しい。まずは、指導者が意識を変える必要がある、とのことだった。厳しい指摘ばかりで、日本選手の停滞もあるのだが、東アフリカの選手たちの伸びに圧倒されてしまい、差は開くばかりという現状を考えると、過去に学びつつ、全く新しい試みをしていく必要もあるのではないかと思った。
 
■2014年3月21日(金曜日)


学会会場
 ランニング学会に参加。午前は、市民ランナーや市民マラソンについての報告やシンポジウム、午後は、運動と脂質代謝についてのパネルディスカッション、詩の朗読、東アフリカランナーの強さについてのシンポジウムが行われた。
 印象に残ったのは、午後のイベント。脂肪の分解と燃焼という言葉があるが、これは、分けて考える必要があり、分解は、脂肪細胞や中性脂肪が、遊離脂肪酸やグリセロールといったものに分解され血中に出てくることで、燃焼は、それらが、筋肉や肝臓でエネルギーとして消費されることなのだという。体脂肪を減らすには、一般的に持久的な運動をするイメージがあるが、筋力トレーニングを行っても、トレーニング後に、成長ホルモンの影響で、脂肪分解が促されるそうで、筋力トレーニングを行った後に持久的な運動をする方がより体脂肪を減らしやすいようだ。さらに、持久的な運動は、長時間続けるのではなく、休憩をこまめに入れ、分割して実施する方が効果が高いことがわかった。少し運動したら、休憩をとり、そのあとまた運動をするというように、無理せず運動する方が体脂肪を減らせるのだから、運動を長くやりたくない人には、朗報といえる情報だった。
 詩の朗読は、舞台女優が、村上春樹氏が南ヨーロッパでのジョギングについて書いた文章を読み上げた。学会で朗読というのは、初めての試みだったようだが、読み手は、聞き手に聞かせる読み方で、さすがプロだと思った。こういった、学会とはかけ離れた試みができるのがランニング学会の良いところだとも思った。
 今日、最も聞きたかったのは、「東アフリカランナーの強さについて」のシンポジウム。ケニア人選手もケニアから講師として招かれていた。ケニアでは、子供たちが学校へ通うのに、片道5kmほどの道を朝通学し、昼に昼食を食べに家に帰り、午後も通学するということをしているので、15km以上は、移動することになると述べていた。学校へは行きたいときに行き、行ったとしても授業が行われていない場合もあり、そのときにはみんなで遊ぶのだという。遊びは、かくれんぼ、ダンス、ロープ遊びということで、かなり体を動かした遊びをしている。こういった小さい頃の環境の影響は大きいようだ。ケニアでも、靴を履いている子供と履いていない子供がいるようだが、履いていない子の方が、足が発達し、靴を履いている子供の方が圧倒的に傷害の数が多かった。また、ケニアの子供たちの最大酸素摂取量を調査した研究では、平均が73.9ml/min/kgで、高い子供だと82を超える子供もいて、子供たちが、一流ランナー並の数値だったという。ちなみに日本の平均は55.4とのことだった。ケニア人ランナーと日本人ランナーの違いについて、シンポジストの先生から考えが述べられ、呼吸筋の違い、赤血球の大きさの違い(ケニア人の方が小さい)、アキレス腱の長さが長く、筋肉の仕事を少なくし、エネルギー消費を抑えることによるランニングエコノミーの高さ、膝をたたんだ瞬間の前方への股関節の角運動量の大きさ、股関節の動作範囲の大きさ、接地時の衝撃の少なさなどが挙げられた。遺伝要因からの考察についても発表があったが、東アフリカの選手を特徴づけるような遺伝子の違いは、今のところはっきりしないとのことだった。最後に、日本人はどうしたら早くなれるかという質問に対して、ケニア人選手は、日本人は、高校生の頃から練習量が多く、メンタルに影響しているかもしれないので、もっと気楽に走ったらどうかというコメントがあった。確かに、最近の高校生のレベルは急激に上がっているが、彼らは、若いときから無理し過ぎなのかもしれないと思った。 
 
■2014年3月20日(木曜日)
 長男は、今日も腹痛で、学校へ行けず。朝食後、リビングで毛布をかぶり横になっていたが、まったく改善がないようで、自分の状態と学校へ行くのかどうかを聞いてみたのだが、はっきりせず、もじもじしているだけ。こちらは、長男の行動次第で、その後の行動が変わってくるので、自分の口できちんと話すように伝えたのだが、はっきりせず、結局話したのはこちらが聞いてから40分も経った後だった。結論は、お腹が痛いので、ベッドで寝ることにして、学校は休むとのことだった。どれだけ待てば、話しをしてくれるのだろうか。そんな簡単なことなら、その場ですぐに話せば、学校にも連絡できるのに、学校に休むことを連絡できたのは11時近かく、授業が終わりに近づく時間だった。自分のことを何も話さない長男に日々イライラがつのってしまう。毎日のように同じことを注意しなければならないし、何を学んでいるのだろうかと思うことばかりで、なかなか長男の進歩を感じることができない。
 対照的に三男は、日々進歩している。日々、発音がはっきりしてきて、ほぼ日常生活には支障がないレベルになってきた。まだ、「さしすせそ」が「たてぃとぅてと」になってしまったり、「おやすみ」は「おっとぅむみ」となってしまうが、こちらは、何が言いたいかはわかるので、まったく問題ない。三男は、まだおむつをしているのだが、今日は、おむつでうんちをしてしまい、おむつを替えた直後に、「トイレ行く」と言い出したので、「どうしたの?」と聞くと、「しっこ」という回答があった。あわてて連れて行き、便座へ座らせると、本人の言うとおり、小便が出た。三男がトイレで用を足すのを見たのは初めてだったので、「すごいじゃん」と言って褒めまくってしまった。褒められると、三男は、少し得意げな顔をし、うれしそうだった。褒めることが大事なのだが、なかなか長男を褒めてやることができず、もどかしさがつのる。
 
■2014年3月19日(水曜日)
 一昨日から、花粉症の症状がひどくなり、夜寝ているときに鼻が詰まり、寝られなくなる時間がある。さらになぜか寒気がある、体温を測ってみると一応平熱で問題はないのだが、感覚は、微熱のような感覚で、頭痛も続く。夜眠れないことから、日中に眠気が襲ってくる。鼻づまり、鼻水、目のかゆみがあり、鼻づまりから来る呼吸の苦しさもあり、頭痛の影響も大きく、仕事に集中できない。人は、呼吸が整わないと集中できない。呼吸の安定が、いかに人の精神に影響するかを改めて考えさせられた。
 
■2014年3月18日(火曜日)


本日の収穫
 愛知県の刈谷市で、市内の全小中学校を対象に、夜9時以降、携帯電話使用を禁止する試みを4月から始めるという。本来は、家庭で決めるルールなのだが、家庭で親子がそういった話し合いを持てなくなっているということなのだろうか。親の言うことを聞かない子供たちも、親ではなく市のルールということになってしまえば、仕方なく親に電話を渡すようになるのか、ケンカになるのかやってみないとわからないというところだろう。市のルールに反して、親が夜9時以降の携帯電話使用を認めると、家庭によって使えたり使えなかったりするので、ややこしい。禁止にすると、アンダーグラウンドで活動する人が必ず出てくる。それもまたややこしくなるような気がする。どういう結果になるか、経過を見守りたい。
 
■2014年3月17日(月曜日)
 職場で大学院生として勤務する同期の送別会に参加した。参加した6名中、5名が文系出身で、大学院生3名全員が安全保障研究科で勉強しているということで、安全保障に関する話題や、現場で働いている時の仕事と研究者としての仕事の比較など、自分の経験しなかった様々な話を聞くことができた。
 現場では、研究者としての視点がなく、何をどう調べて良いのかわからないそうなのだが、大学院生として勉強することで、現場でいかせることがたくさん学べたという。しかし、研究者は、どちらかというと評論家で、結論が出ないことに対して、期限があり、何らかの判断をしなければならないということがないということが問題だと言っていた。だから防大で学ぶ本科学生たちにも、学問を通して、多くのことを学ぶかもしれないが、卒業後には、結論が出ない問題に対して決断し、その決断に責任を持つという覚悟を植え付ける教育をして欲しいと言われ、とても心に残った。
 
■2014年3月16日(日曜日)
 東大記録会2日目。1500mに出場した。出走時刻が17時を過ぎていたので、寒くなってから走るのではと思っていたが、1日とても温かく、全く寒さは気にならなかった。このレースには、うちの学校の4年生も4年間最後のレースとてしてエントリーしていた。11月に走り高跳びの授業で、足の親指を骨折させてしまった学生なので、レースに出られる状態に戻っただけでもうれしかった。
 レースは、1周目が少し速かったが、集団全体としては4分を切る目安の64秒程度で進んでいったので、とても走りやすかった。自分は66秒程度の速度を維持し、先頭集団からは離れすぎない程度の位置で走り続けた。残り1周がちょうど3分くらい。残り1周を60秒以内で回れれば、目標とする4分が切れる所だったが、それほど余力はなく、そのままのペースを維持するのが精一杯だった。残り300mの地点で、先頭集団との差を見たときに、追いつけるのではないかという感覚はあったが、体はそれには反応してくれなかった。学生は、スタートから、ずっと自分の後ろにいて、最後の直線で、自分を抜いていった。フィニッシュは学生が8着、自分が10着だった。タイムは、学生が4分06秒35で自分が4分06秒83だった。速度低下はほとんどなく、一定ペースで走りきることができ、なかなかの手応えを感じた。次は関東学連春季オープン。シーズン最終戦になるのだが、3分台を目指したい。
 
■2014年3月15日(土曜日)


東京スカイツリー
 東大記録会800mに出場。出走時刻を、大会要項が出たばかりの仮のタイムテーブルで把握していたため、競技場へ到着して、タイムテーブルが変更になり、出走時刻が近いことを知り、少し焦った。満足なウォーミングアップとは行かなかったが、満足にやってもやらなくても、あまり変わらないと思っているので、最終的にはそれほど気持ちに影響はなかった。
 同じ組には、知り合いが2人いたので、組のレベルは把握した状態でスタートラインへ立てた。今日は、無理をせず、まずは2分を切って完走が第1目標で、動きが良ければ1分56秒くらいには到達したいと思っていた。
 スタート直後から、一番後ろの6番手に位置し、がんばらずに走った。1周目の通過は、57秒くらい。残り300mくらいから、先頭との距離が開いてきたので、ピッチを上げ一人を抜いて5番手に上がって、4番手を追いかけたが、その後は、なかなか距離は詰まらず、最後の直線で、後ろの選手に抜かれ、結局最下位の6着でフィニッシュとなった。タイムは1分58秒46。最後の直線で自分を抜いていった知り合いは、そのままの勢いで、先頭に出てフィニッシュし、1分56秒19だった。タイムの感覚や、動きの感覚など、いろいろと確認でき、悪くないレースだった。
 
■2014年3月14日(金曜日)


退屈する三男





修了証書を見せ合う子供たち
 次男の卒園式に参加した。式が始まると、卒園児たちは、様々な歌を歌い、「仏様のおしえ」というものを暗唱し、かなりの長文を話し続けたので驚いた。「規律の中で生活すること」、「人に与えること」が大事だよと言っているのが印象的だった。
 その後は表彰に移った。最初は、3年間皆勤だった子の表彰なのだが、子供の表彰と同時に親の表彰もあった。卒園児は70名ほどなのだが、そのうちの4名が表彰となった。いろんな病気にかかったりしやすい年齢なので、3年間の皆勤は、本当にすばらしいし、それを支えてきた親も本当に表彰に値すると思った。
 表彰は長く、様々なコンテストの表彰があり、最後に修了証書授与となった。この時点で式は1時間を超え、式に一緒に参加していた三男は、静かに立ったり座ったりしながらよく我慢していた。父兄席に座っていると、園児の姿は、ほとんど見ることができなかったが、今回は、父兄席の脇に大きなモニターがあり、モニターの映像は、映像を撮っている2台のカメラを切り替えたり同時に映したりして、子供たちや先生の様子を見ることができた。三男には「お兄ちゃんが映るよ」と言って、興味を持たせていたが、次男が修了証を受け取った後は、泣き出すようになり、結局三男を連れて、式場を出るしかなくなり、園長の話などは聞くことができなかった。園長は、親から園長を引き継ぎ、1年目ということもあり、感慨深かったのだろう。話し初めから泣いていたという。
 次男もだんだん長男のように、親の話を聞かなくなり、面倒な時期になってきた。幼稚園で毎日「自分のことは自分でします」「人に迷惑はかけません」「お友達と仲良くします」ということを 唱えてきた。生きていれば、人に迷惑はかかるし、気の合わない友達も必ず存在するので、この2つについては期待しないが、せめて「自分のことは自分でします」ということは実践してくれればと思う。 
 
■2014年3月13日(木曜日)
 産経新聞に漫画家の高橋のぼる氏の記事が載っていた。記事を読むまでこの人がどういう人かは知らなかったが、記事の中に「過去は変えられない。でも過去の持つ意味は変えられる。」という言葉があり、目から鱗が落ちた。以前、「人は、過去の後悔と未来の心配ばかりしていて今を一生懸命生きていない」ということを耳にして、ハッとさせられた。そして、変わらない過去のことを後悔しても、自分には何もプラスになることはないから、後悔するだけ損だなぁと思っていた。しかし、この記事を見て、過去を振り返ることは決して悪いことではなく、そのとき後悔していたことでも、後になって、解釈が替わり自分にとってプラスだったという意味に書き換えることは可能で、実際に自分もそういったことを経験していることを思い出した。過去の自分を肯定できるようになれば、今の自分をより肯定できるようになる。自分を悲観的に捕らえることは、たぶん自分の過去を悲観的に捕らえることになっている。自分が経験していても意識していなければ、経験を活用できない。一瞬一瞬の今を意識し、どんな意味があるのか考えながら生活していくことが大事だと思った。
 
■2014年3月12日(水曜日)


つくしを見つけました
 ランニングのトレーニングは、膝の違和感のため、あまりできていないが、あまり膝に違和感がない、バイクやサーキットトレーニングは継続している。年間を通して、ランニングのトレーニングが急激に少なくなっているためか、平成25年度は、800mも1500mもタイムをかなり落とし、高校時代のタイムを超えることができなかった。バイクやサーキットは年間を通して継続しているが、これらの数値も、この1年は低くてとてももどかしかったのだが、先週から、急激に数値が戻ってきた。なぜ急激に数値が良くなったのかは、よくわからない。しかし、運動開始時の、動きが2週間前までとは全く違い、キレがあるということはよくわかる。週末は、記録会を予定しているが、この調子で、ある程度タイムが出てくれればと思う。
 
■2014年3月11日(火曜日)
 東日本大震災から3年。家族を含め、周りの人たちとあのときはどうだったという話しをするのだが、自分は、地震の揺れを体験していないため、話しをしていても蚊帳の外にいるような感覚になる。東日本大震災といえば、テレビの映像で見た津波の映像しか浮かんでこない。当日は、たまたま沖縄にいたのだから、揺れを経験することはなく、実感はなくても仕方がない。人が話している内容に無理に共感する必要はないのだが、家族が大変なことになっているのに、一人沖縄にいたことに、なんだか罪悪感を持ってしまったりする。
 家族は、震災の時に自分が一緒にいなかったことで、とても不安だったと語っている。震災後は、出張や試合で泊まりがけで家を空ける度に不安になるのだという。その不安の解消は難しいかもしれないが、泊まりがけの時には、少しでも存在感を示すために、今までは使わなかったテレビ電話を使って話しをしてみようと思う。
 
■2014年3月10日(月曜日)


畑を荒らすヒヨドリ
 家族の送迎などで1日が終わってしまった。午前は、妻を駅まで送り、午後は、長男と次男のお迎え、さらに、昨日長男が公園で右脚の下腿を打ち付け、腫れてしまい、歩けないというので、子供3人を連れて、整形外科へ行った。整形外科では、3時間半も待ち、診察が終わったのは夜7時半ごろ。骨折はなく、打ち身との診断を受けた。
 三男とは1日ずっと一緒にいたのに、ほとんど遊んでやれず、今日は何をしていたのだろうと思ってしまった。自分一人の時間を持てなかったことも影響しているのかもしれない。妻もよく似たようなことを話しているが、家族がいても自分一人の時間を持つということはとても大事なのだと感じた。
 お昼に、用事があって三男を連れて職場へ行ったのだが、三男と歩いているときに、作業服を着た学生とすれ違い、三男は、「じぇーたいの人がいたねぇ」と言い、その直後に、黒い制服を着た学生とすれ違ったのだが、そのときには「けーさつの人がいたねぇ」と言っていた。どちらも同じ学生なのだが、三男から見れば、着ている物が違えば、違う人に見えてしまうようだ。三男が自衛隊という言葉を知っていることに驚かされた。
 
■2014年3月9日(日曜日)
 畑を耕すために今まではスコップを使っていたのだが、腰への負担がかなり大きかったので、先日鍬を購入した。今日は、ジャガイモを植えるために、ホームセンターで買ってきた土を入れ、畑の土と混ぜ合わせ新たに畝を作った。スコップで畑を掘り返すと相当な時間と、汗を流す印象があったが、鍬で掘り返して混ぜ合わせるのは、あっという間だった。もっと早く買えば良かったと思った。
 植えたジャガイモはキタアカリ。種芋と、種芋に付ける草木灰を購入していたのだが、種芋を見てみると、小さい物ばかりで、わざわざ半分に切って、草木灰を付けるようなものはなく、何も考えずになんとなく草木灰を買ってしまったことを後悔した。
 畑でジャガイモを育てるのは、我が家では初めてのこと。ジャガイモは、土壌のPHが5〜6の間で栽培すると良く育つのだそうだが、我が家にはPHを測るものがないため、何もせずにそのまま植えてしまった。うまく育つかどうか、それだけが心配だ。
 
■2014年3月8日(土曜日)


本日の収穫
 学生たちと400m×3+200m。休息は15分。ほぼ全力で走るメニュー。
 1本目は、普段自分の前で走ることのない学生が、自分の前を走り、100mを過ぎたときには、少し差を付けられてしまい、最後まで追いつくことができなかった。昨日の感覚からすると、脚の動きは重く、スピードに全く乗れていないと感じた。タイムは、54秒6。54秒台で走れればと考えていたので、設定タイム通りだったが、感覚はあまり良くなかった。
 2本目は、自分の後ろに誰もついてこなくなり、単独走となり、54秒8。1本目とあまり感覚は変わらなかった。
 3本目は、2本目までとは違い、全く走れなかったが、学生たちは、さらに自分よりも走れなかったようで、自分が先頭でフィニッシュすることとなった。最後の100mは、動かない脚を無理矢理動かすような状態で、タイムは56秒1。設定通りには行かなかった。
 最後の200mは、スタートと同時に、学生たちとの差は距離を追うごとに開いていき、一人大きく遅れて走っていた。タイムは30秒5。スピードが落ちすぎてあまり練習にはならなかった。  あまり感覚の良い走りはなく、後半のスピードの落ち方は心配だが、とりあえず、2本は設定通り走れた。それだけでも収穫だったと思う。
 
■2014年3月7日(金曜日)
 明日は、学生たちと400mのレペを行うことになっていて、いきなり高強度のランニングをすると、体に良くないので、明日の刺激として、200m×10をするつもりで、走り始めた。つなぎはウォーキングということで、しっかり休息をとって、次の1本を走るようにした。1本目は29秒1で、本当に気持ちよく走れた。2本目以降も28秒5、28秒7、29秒0と30秒以内で走ることができ、意外と走れるのではないかと思った。しかし5本目くらいから、脚の動きが重くなり、少しもがかないとタイムを維持できなくなった。5本目は28秒5、6本目は28秒2で、 6本目を終了したところで、膝と打撲した足の指に違和感があったので、6本目で終了した。本数が増えると、体への負担は大きくなってくるのは、当たり前なのだが、思っていたよりは実際の動きは良く、明日のレペもそこそこ走れるのではないかと思った。
 以前の電話会社でアプリを使ってアドレス帳をバックアップしていたのだが、電話会社を変えたことで、IDが利用できなくなり、バックアップデータを取り戻せなかったのだが、昨日、新しいIDが送られてきて、同じアプリが利用できることがわかり、早速ログインして、バックアップデータを戻してみたところ、データが元通りになった。しかしながら、この4日間で新たに入れたデータは、上書きされ、消えてしまった。わざわざ連絡をいただいた方には、申し訳ないが、もう一度、連絡先を聞かなければならない。
 
■2014年3月6日(木曜日)


富士山
 サーキットトレーニングを継続して行っているのだが、ここ1年半ほどは、納得のいく動きができず、もどかしさが続いている。1月に1回だけ、良い動きができたが、スキー訓練へ行って帰ってくると元通りで、速い動きができない状態が続いていた。最近、膝の痛みだったり足の指の打撲で練習量を落としていたためか、今日は動きが良く、久しぶりに納得のいくパフォーマンスを得られた。昨日は、靴を履くと打撲の痛みがあり、歩きづらかったが、今日は、打撲の影響はなく、普通に運動ができた。
 サーキットトレーニングでのタイムが上がってくると、ランニングパフォーマンスも良いことが多く、かなりの相関があると考えている。今月からレースが始まるが、なんとか試合の結果と結びついてくれればと思っている。
 
■2014年3月5日(水曜日)
 昨夜、帰宅直後、リビングのドアを開け、リビングに入ろうとした際に、左足の小指をドア枠にぶつけ、バランスを崩し転びそうになった。その勢いで、リビングの照明のスイッチを触り、リビングの照明が消えてしまったのだが、自分では全く制御することができなかった。無意識にぶつけるときほど、痛みは強く、小指にかなりの激痛が襲った。寝る前に小指を見てみると、腫れがあり、青くなっていた。就寝時には、小指に布団が触るだけで痛みが気になるほどの痛さだった。
 左足小指は、約19年前に大学の柔道の授業で骨折をした経験がある。その時は、すり足をしていて骨折した。何でもない動作で簡単に骨折することは経験していて、今回の件で、当時の痛みを思い出し、同様の痛みなので、骨折の可能性もあると思った。
 家にいるときは、裸足か靴下をはいている程度なので、日常生活では小指の痛みはあまり感じなかったが、出勤時に靴を履いてみると、靴が小指に当たることで痛みが発生し、歩くことがスムーズにできなくなった。靴を履くことで痛みが出てしまうとランニングはできない。10日後には、記録会に出場する予定になっているが、出場は厳しいかもしれないと思った。
 職場の医務室へ行き、レントゲンを撮って、画像を見せてもらったところ、骨には異常がなく、打撲と診断され、痛みは1週間程度で取れるだろうと言われ、少し安心した。「痛み止めを出しましょうか」と聞かれたのでお願いしたところ、痛み止めと湿布をもらってしまった。小指に湿布を貼るには、湿布が大きすぎる。切って使うということなのだろう。自分の体が打撲に反応して、腫れ上がったり、出血したりしながら、損傷を修復しようとしているところに、湿布でわざわざ冷やす行為をしていいものか、ちょっと考えてしまった。スポーツ科学では、氷水で冷やすことを学んだが、氷のなかった時代には、そんな行為はなかっただろうし、そう考えると、冷やす行為は、不自然な気がする。損傷した細胞の状態の変化を見ることはできないので、本当のところは誰もわかっていないのだと思う。とにかく、骨折ではなく打撲だけでよかった。
 
■2014年3月4日(火曜日)
 三男は、人の話している言葉をまねして、急激に語彙数を増やしている。帰宅した直後に聞いた言葉は、「なんか文句あるか!!」だった。どうやら次男が妻に対して怒りをぶつけた時に使った言葉のようだが、三男は、それを連呼していた。本人は意味や使い方がわかっているかどうかはわからないが、何度も繰り返し発音しているためか、発音は正確だった。最近は「死ね」という言葉も連呼しているそうで、これも次男が使っていたためだったようだ。親があまり使って欲しくないと思う言葉ほど、子供は早く覚えてしまう。
 三男の言葉で最も驚いたのは、鉛筆を見たときに発した言葉、「アッペントゥ(a pencil)」。カタカナで表記すると雰囲気は出ないが、本人は、英語のつもりで発音しており、きちんと冠詞の「a」まで入っているところがすごい。日本語の鉛筆は、「えぴんとぅ」と発音している。若干英語が混じっているのではないかという発音だが、本人はまじめに鉛筆と発音しているつもりなのだ。
 
■2014年3月3日(月曜日)
 昨日は、電話の契約だけで閉店時間になってしまい、インターネット回線の話しを聞くことができなかったため、今日改めてヤマダ電機へ行き、光回線の説明を受けた。今使っている回線は160Mなのだが、光にすると1Gの速度になるという。今の契約を解除して、光で契約すると、今よりも若干値段が安くなるようで、さらに今なら4万円ほどのキャッシュバックもあるとのことで、キャッシュバックが、携帯電話やケーブルテレビの解約料分くらいにはなるので、お得だと思い、その場で契約した。こちらも、さまざまなオプションを付けることが条件のようで、最初の1ヶ月は、いくらか値段が高くなるようだ。しかし、最初の月は無料ということで、最初の月に解約してしまえば、それほど高額な請求にはならないという。仕組みはよくわからないが、なんだかお得な気分になり、データ消去で、すこし沈んでいた気持ちも、若干持ち直すことができた。
 
■2014年3月2日(日曜日)


三浦海岸の河津桜



参加賞の三浦大根



「Qoo」をまねする三男
 三浦国際市民マラソン5kmに出場予定だったが、昨日の膝の痛みは悪化するばかりで、朝起きた時点で棄権を決め、学生たちのサポートに回った。天候は雨で、風も強く、学生たちは、モチベーションを高めるのに苦労したようだが、それぞれがベストを尽くして走っていた。今年は、順天堂大学の招待選手たちが独走し、3番以降が16分前後で大混戦だった。
 夕方、近所のスーパーへ買い物へ行ったのだが、スーパーの2階にあるヤマダ電機へ寄ったところ、昨日、横浜まで行って契約した携帯電話よりも条件が良いことに気がついた。昨日の会社はミスが多く、明日、住民票のコピーの提出を求められていて、契約したことにはなっていないため、ヤマダで契約することにした。妻と2人でiPhoneの16Gを契約し、本体は2台とも0円。そして9万円の商品券がついてきた。加入の条件として、いくつかのオプションを入れなければならなかったが、そのオプションには、デジタルフォトフレームとキッズ携帯1台ずつの契約もあった。しかし、それらは代金0円で毎月の支払いも3円だというので、喜んで加入した。今までは一人7000円はかかっていた月額料金が、これで3000円くらいになるという。機種変更ではあまりメリットはなく、電話会社を変えると大きなメリットがある。今後は、2年ごとに電話会社を乗り換えていこうと思った。
 妻は今までAndoroidを使っていたので、店でデータの移行をしてもらったが、自分は、もともとiPhone4Sを使っていたので、自分でデータ移行しなければならず、パソコンにつないでデータ移行をした。しかし、順番を間違えてしまったためか、新しいiPhoneのデータが古いiPhoneに移行され、アドレス帳やメールが消去され、すべてが初期化された状態になってしまった。データ消去に気がつき、直ちにUSBコードをパソコンから抜いたが、遅かった。今までのデータがすべてなくなり、呆然としている。どうやったら復旧できるのだろうか。
 
■2014年3月1日(土曜日)
 明日のレースの最終調整として1000mを1本行った。スタートする頃に雨が降り始め、路面は若干滑り、走りづらかったが、設定通り3分程度で走れた。走っている途中で、急に左膝に違和感を感じ、途中で止めようかと思ったが、違和感は感じながらもスピードが低下するほどでもなかったためそのまま走ってしまった。
 走り終わった後は、歩くのも気になり、膝屈伸や伸脚をすると膝に異物が入っているような違和感と痛みが生じた。11月になった症状と同じなので、当分おとなしくする必要があり、明日のレースは棄権するしかなくなった。
 


[昔のいずみ]