最近のいずみ

Last Update:2015/3/31



パートタイムアスリートいずみ 14年目に突入 

■2015年3月31日(火曜日)


近所の公園の桜
 長距離の学生たちが、12000mのペース走をするので、そのペース走に混ぜてもらった。今日は、強風で一定ペースで走ろうと思っても、半周ごとにペースが大きく乱れた。おそらく半周ごとのラップは2〜3秒くらい違いがあっただろう。とても走りづらく、3分25〜30秒/kmのペースで走ったが、3000m付近できつくなり、結局4000mで力尽き、終了となった。蹴らない走りを心がけていたはずなのに、終わってみると下腿に疲労があり、筋肉が硬くなっていた。風があっても力まない走りをするということが課題の一つなのだと感じた。
 
■2015年3月30日(月曜日)


うちのご近所さん
 今畑に植えてある作物の収穫が終わった後に、植える野菜の苗を育てるべく、子どもたちとトウモロコシ、枝豆、ミニトマト、中玉トマト、長ナスの種を蒔いた。子どもたちにはそれぞれお気に入りの種があったようで、それぞれお気に入りの種を蒔いてもらった。最近は、長男が興味を示さなくなり、今興味を持ってくれているのは次男と三男。自分たちで育てた野菜を食べるという経験を大事にしてもらいたいなぁと思う。
 トウモロコシは、今年で3回目の挑戦。過去2回とも失敗し、まだ自分で育てた実を食べたことがない。過去2回とは、違ったことをやらないと失敗を繰り返すことになる。何か作戦を立てなければと考えている。今日蒔くことのできなかったホウレンソウとオクラは、種を一晩水につけてからのほうが目を出しやすそうなので、一晩水につけて明日以降土に入れようと思う。
 
■2015年3月29日(日曜日)


猿江恩賜公園の桜
 昨夜は、子どもたちと妻の実家へ泊めてもらった。寝るのは遅かったが、朝5時過ぎには鼻づまりで呼吸ができなくなり、起きることとなった。1時間ほど読書をしたが、誰も起きる気配はなく、外は快晴だったので、ランニングに出かけた。
 目的地は、東京スカイツリー。東京の街はビルに囲まれ、細い通りは日陰ばかりで、朝のすがすがしさはなく、少し寒かった。しかし、公園が多く、特に川沿いの公園には多くの桜を見ることができ、春を感じられた。
 
■2015年3月28日(土曜日)


1周目






フィニッシュ直前
 関東学連春季オープン800mに出場。出走予定の時間に合わせて競技場へ行ったのだが、競技時間は早められていて、さらに競技時間を早めるべく、番組編成をやり直すこととなり、自分はいつ走るのかが全くわからない状態だった。早めに集合することになった招集所では、番組編成は発表されず招集所付近で待機するように言われ、全くウォーミングアップできなかった。結局、骨ストレッチと流し2本程度で、試合に臨むことになった。スタート地点へ移動した後も、番組編成に時間がかかり、結果的にはもともと予定されていた時刻と変わらない時刻に走ることとなった。
 自分の走った組は、自分を除けば全員大学生。相手の力もよくわからないので、流れに身を任せて走った。1周目は2番手につき、比較的楽に走れたが、400m通過が58〜59秒くらいで、2分を切るにはかなり厳しい通過タイムだと感じた。
 2周目に入る前から、自分は3番手となり、先頭はバックストレートで少しスピードが上げた。1周目が遅かったこともあり、無理することなく先頭についていくことはでき、残り200mせ2番手の選手が先頭に上がったところで自分も一つ順位を上げ、最後の直線に備えた。
 最後の直線で先頭に立つつもりだったが、先頭との差は全く変えられず、残り20〜30mで、差が広がり、後ろの選手にも抜かれ、結局3着となった。タイムは1分59秒66で、何とか2分は切れた。
 レース後、応援していた次男が、「3番だったからメダルもらえる?」と聞いてきた。3番以内に入れば、いつもメダルがもらえると思っていたようだ。「最後は力が入って、スピードが落ちた」ということを次男は見ていた思ったこととして話してくれた。先週は、そういうことを頭に入れながら本人が走っていたので、今日はそれを客観的に見ることができたのだろう。次男の言うとおりだと思った。力を入れない走りを目指し、また練習に取り組んでいこうと思う。
 
■2015年3月27日(金曜日)
 昨日は、2ヶ月ぶりくらいに施術を受けたのだが、それぞれの部位は、ゆるんでいる感じなのに、全体的には体が重い。ランニングをしてみたが、やっぱり重かった。久しぶりの施術なので、体の反応も違うのかもしれない。重心移動のランニングは、かなり定着してきた。あとは、スピードを上げたときにそれができるようになるだけ。明日は、レース。少しでも理想の感覚に近づきたい。
 
■2015年3月26日(木曜日)
 平成26年度の全国体力・運動能力、運動習慣等調査報告書を文科省のHPで見た。運動やスポーツをすることが「好き」と答えた児童の体力測定の合計点は全国平均を上回ったが、「やや好き」、「ややきらい」、「きらい」と答えた児童は、全国平均より低く、否定的になればなるほど得点は低かった。これは、運動習慣や体育授業への取り組み方にもリンクしているように他のデータからも読み取れた。児童のソフトボール投げでは、放課後や休日にボール投げをする習慣があるかという質問に「よくある」と答えた児童だけが全国平均を上回り、「まったくない」と答えた児童と比べると9.5mもの差があった。うちの職場でも、ボールを投げる習慣のなかった学生は、とても苦労しているが、幼少期から運動の習慣がなければ、そして親の取り組みがなければ、運動に自信を持てなかったり、体育授業への取り組みも消極的になりやすく、体力測定の点数も低い傾向となってしまうようだ。職場では、そうした記録が低く自信のない学生たちの指導をしなければならない。練習をして記録が向上することの喜びを通して、少しでも運動に対する否定的な気持ちを解放できるように促せればと思う。
 
■2015年3月25日(水曜日)


富士山
 一昨日から、急に鼻づまりがひどくなり、夜は鼻で呼吸ができず寝られなくなった。昨日も1日鼻づまりで呼吸ができず、集中力も低下し、仕事が進まなかった。今年は、薬を飲まずなんとか耐えてきていたが、もう限界だと思い、朝食後、妻が飲んでいた市販の薬を飲んでみた。職場に到着したころから、鼻が通り、昨日までの憂鬱な気分が一気に晴れた。昼過ぎまでは、かなり集中して仕事ができたが、午後からは、また鼻が詰まり始めた。薬の箱には、薬は1日3回飲むように書いてあったが、午後は薬の効き目が切れたということなのだろう。寝られないと体が持たないので、今夜からは、薬に頼るしかなさそうだ。
 
■2015年3月24日(火曜日)


開国橋からの眺め
 練習は、2分ダッシュ+2分ジョッグを10セット。どうしたら重心を使った走りができるか、いろいろと考え、感じながら走った。そして8セット目以降、上半身の動きに下半身がついていくような感覚が出てきた。自分の前に出た重心を下半身が追うような感じで、勝手に体が前に動いていくようになり、楽にスピードが出ているように感じた。実際はどうかわからないが感覚的にはかなり良かった。しかし、最後にトラックで300mを流した時は、そんな感覚が訪れることはなく、楽に走ろうとしているのに、とてもつらく、その努力感の割には、タイムはとても悪かった。結局筋力で走っている。スピードが少し上がると、自分がどうやって走っているのか相変わらずよくわからない。当分試行錯誤を続けていくことになりそうだ。
 
■2015年3月23日(月曜日)
 体育学校で勤務していたときの上司に久しぶりに会った。職場のバレーボール部の合宿指導のために来られていたのだが、2年前に心筋梗塞になり、心臓の一部が壊死しているということを聞かされ本当に驚いた。年賀状のやりとりはしていたが、毎年家族に亡くなる方がいたそうで、最近は喪中が多い印象だったが、そういったこともあり、頻繁に実家に帰ることが多く、運動があまりできていなかったという。最近やっと運動を再開したとのことだった。見た目はあまり変わらず元気そうに見えたが、塩は1日6g以内、お酒は1日二合以内というルールを守らなければならなくなり、基本的には外食はできず、食生活に神経を使わなければならなくなった。お酒が好きな方なので、お酒が二合しか飲めないというのがかなりきついという。50代に入るまでは、顔色は変わらずにお酒はいくらでも飲めたが、50代以降は、お酒を飲むと顔が赤くなるようになったというが、その時点で、内臓にはかなりの負担があり、からだが危険信号を出していることを認識し、食生活等を改善できていれば、心筋梗塞にならなかったかもしれないそうだ。自分の体には、敏感になっているつもりでも、自分は大丈夫だと思う自分もいる。素直に体の反応に従うということが大事だなぁと再認識させられた。
 
■2015年3月22日(日曜日)


フィニッシュの瞬間



表彰



2位の和泉家と海遊び
 北下浦マラソン親子の部(1,2年生の部)に次男とともに出場した。昨年は小学校入学前の部で優勝しているので、今年は格上の2年生と走らなければならなかったが、同じように優勝を狙って走った。
 次男は、珍しくおねしょをしたという。普段は全くないのだから、前日から何らかのプレッシャーを感じていたのかもしれない。1月のインフルエンザ以降、全く練習もしなかったので、自信もなかったのだろう。昨年は、半分くらいまで一人で走り、後半は手をつないだのだが、今回は、最初から手をつなぎたいと言ってきた。とりあえず、スタートだけは、自分で行くように促し、スタートした。
 昨年は、下り坂からのスタートだったので、かなりの勢いがあったが、今年は、平地からのスタートだったため、それほど勢いはなく、先頭のペースも遅く感じた。しかし、次男も昨年ほどの勢いがなく、先頭集団にはついていけない感じだった。しばらくすると、こちらに顔を向け、何かを話したそうだったので、「手をつなぐ?」と聞くと頷いたので、手をつないでスピードを上げた。その後は、すぐに先頭に追いつき、2家族で先頭集団を作り走った。ライバルの家族も和泉さん。10年以上前からの知り合いでかつては、同じチームのメンバーだった。和泉さん家族も、お子さんは同じ1年生。最後まで子どもが本人で走るという方針で、ずっと一人で走っていて、すばらしい走りをしていた。申し訳ないなぁと思いながら、こちらは、子どもを引っ張りつつペースを上げ、単独トップに上がった。昨年よりは次男に余裕があるように見えたので、トップに立ったところで、「一人で走る?」と次男に聞いてみたが、首を振ったので、そのまま手をつないだままフィニッシュまで走り連覇となった。タイムは5分51秒。2位の和泉さんは5分58秒だった。
 今年も金メダルと吉田市長からの大きな表彰状を頂き、副賞は、キャベツと観音崎のワカメだった。
 
■2015年3月21日(土曜日)


洗浄中
 自宅のベランダが風雨にさらされ、カビや苔が生え始めた。見た目があまりきれいではないので、久しぶりに高圧洗浄機で掃除をした。子どもたちにとっては、高圧洗浄機の握る部分がおもちゃの銃のような形をしているため、いっしょにやりたがり、かなりの部分を子どもたちに任せた。水がかなりの圧で発射されるので、握る部分をしっかりと押さえていないと、反動に負けそうになる。子どもたちは、反動に耐え、ある程度きれいにしてくれた。仕上げはこちらでやったが、物干しから落ちる金属の錆の色がベランダの床についていて、これだけは全く色が落ちなかった。それを除けば、見違えるほどきれいになり、子どもたちと共に達成感が得られた。
 
■2015年3月20日(金曜日)
 この3月で定年を迎える先生から、昔のビデオをもらった。それは2000年に放送されたNHKスペシャル「世紀を越えて 疾走 人間の限界に挑戦」という映像。当時はシドニーオリンピックが直前に迫った時期で、自分もこの大会を目指してトレーニングをしていた。当然、この映像も見たことがあったが、15年たって、改めて見たときに、スポーツ科学は、科学が先行するのではなく、成績を上げた選手を計測することで、何かを発見するという後追いの学問なのだということを改めて感じた。また、今では否定されていることが、当時は肯定されているなど、科学の常識は流動的であり、何が正しいのか、何を採用したほうがいいのかは受け取る側の判断に任せられるということを再認識させられた。
 当時は、高地トレーニングと、血液がキーワードで、トレーニングを通して血液を良くすることが勝つための重要な条件の一つと考えられていた。そして、血液ドーピングという言葉も出てきて、ドーピング検査を尿だけでなく血液でも実施しようという動きが始まった時期だった。映像の中では、「脳をだまして危険な領域に一歩近づいて走り続けることが20世紀の科学」であり、「科学による肉体改造がどこまで許されるか、21世紀ではそれが問われることになる」と言っていた。当時のマラソンの世界記録は、次々と塗り替えられていたが、それでも2時間05分台で、まだ日本人にも届きそうなタイムだった。しかし、今は2時間02分台。一方、日本記録は全く更新されていない。記録更新には、科学的なことは必要かもしれないが、数字にはできない何かが重要な気がしてならない。その何かに少しでも近づくことができれば、変化が起こせるのではないかと思った。
 
■2015年3月19日(木曜日)
 職場で、謝恩会に招待された。横須賀市長をはじめ、たくさんの来賓が招待され、来賓の中には、陸上競技部の大先輩や、自分が今の仕事に就けるように、様々な協力をいただいた先輩も招待されていて、全員に挨拶がしたくて、時間が足りなかった。
 自分が授業を担当した学生たちや陸上競技部の学生たちが、自分のところへ次々と挨拶に来てくれ、この4年間の出来事が、すでに昔話となっていて、人の4年間は本当に短いと感じつつ、学生たちの感謝の気持ちを聞き、先生をしていてよかったなぁと思える時間でもあった。
 
■2015年3月18日(水曜日)
 兵庫県議会で自転車保険加入を義務付ける条例が可決された。罰則は設けないという。
 きっかけは、小学5年生が60代の歩行者に衝突し、頭の骨が折れ、要介護となった事故で、親が指導の義務を怠ったとして9500万円の賠償となった。自転車は、車道の左端を走ることになっているが、子どもや子連れは、車道は危なくて、歩道を走ることになってしまう。保険の加入も必要だが、自転車専用道の整備が進む方めば、事故の件数が減らせるのではないかと思う。しかし、自転車専用道を付け足す余裕はなく、別の方法で対処するしかない現状では、事故が起きることは仕方のないこととして保険加入が現実的なのかもしれない。
 
■2015年3月17日(火曜日)


富士山
 学生の3日間の合宿は最終日となった。午前中は、3000mの変化走×3、午後は、400m×4だった。昨日の午後、骨ストレッチランニングを学生たちに指導し、学生たちは、自分の体重で楽に歩いたり走ったりすることを体験し、今までやってきたストレッチが意味のないことを体感し、ウォーミングアップをどうしたらいいのかわからなくなっていた。「考えるな、感じろ」という言葉を出し、考えすぎないように促したが、自分自身がかなり考えてしまっているので、説得力はなかった。
 午前練習は、比較的ゆっくりなペース走っているときには、重心で移動する感覚があり、かなり楽に走れたが、スピードが上がる局面で、筋力を使うような走りになってしまった。つなぎは、1000mのジョッグだったが、ジョッグでまた重心移動ができ、体は緩められ、リセットされた状態で次の3000mを走ることができたことはとてもよかった。
 午後は、スタートしてしまうと、走ることに必死で、まったく重心移動がうまくいかなかった。3本目以降は、両下腿と両内側広筋が痙攣し、フィニッシュまで何とか走りきることしかできなかった。明らかに筋力で走っていて、とても悪い動きをしてしまった。スピードが上がった時にも、重心移動ができるよう、練習を重ねていきたい。
 
■2015年3月16日(月曜日)
 メニューはサーキットトレーニングと1000m、800m、600mのレペティショントレーニング。「考えずに感じる」ことを課題としていたが、サーキットトレーニングは、この3ヶ月では最もからだが重く感じ、最もタイムが悪かった。
 1000mは2分58秒1、800mは2分11秒4、600mは1分35秒8で、自分の感覚は、もっと速かったのだで、感覚と実際のタイム差に愕然とした。筋肉を使わずに走ることも全くできず、今日も、失敗。いつも以上に疲労し、やればやるほど自分の動きがわからなくなってきた。
 
■2015年3月15日(日曜日)
 昨日のランニングを実践すべく、朝、ジョギングをしたのだが、走り始めたらすぐに上り坂を走ったためか、下腿を使って走っていて、立ち止まって腕回しで、体の反応をチェックすると、動きは悪く、筋力を使って走っているという自分の感覚は間違っていなかったが、修正がうまくできなかった。下り坂になると、ブレーキをかけず重心を追うことは、比較的楽で、この感覚だと思えたが、平地へ戻ると、筋力で走っている感覚に戻ってしまった。昨日と同じような意識で走ってみたが、昨日のような気持ちよさは全くなく、45分程度のジョギングだったが、頭でいろいろと考えてしまったためか、いつも以上に疲れた。「考えずに感じる」ことがなかなか難しい。先生からは、「まじめすぎるところが抜けるともっと良くなる」と言われたが、そういうことなのだと思う。
 
■2015年3月14日(土曜日)
 骨ストレッチランニング初級の講習会に参加した。どうやって自分の体重を利用して走るかということがテーマだった。自分にとって心地よい動きができると、それだけでからだがほぐれ、心地よくない動きだと、すぐにからだが反応し、動きが悪くなる。チェックは、腕をまわしたり前屈をしたりするのだが、ちょっとした動きの違いで、明らかな差が出るのには驚いた。ランニングの講習会なのに、ほとんど歩きで、走ったのは2時間のうちの5分もなかった。まだ、足で踏ん張る自分がいるのはわかりつつも、今までよりは、自分の体重を使って、楽に走る感覚がわかるようになってきた。今まで、どれほど自分が、自分のからだにひどいことをしてきたかということが実感できた。これからは、できるだけからだにやさしく、心地よい動きを追求していきたい。
 
■2015年3月13日(金曜日)
 昨夜、三男は次男とじゃれ合っていて、テレビ台に頭をぶつけたという。耳が切れて、なかなか血が止まらず、かなりの勢いで泣いた。自分が帰宅した頃は、泣き止んだところだったのだが、かなり切れているように見えたので、救急医療センターへ子どもを連れて行き、診察してもらった。縫うほどのけがでは内容で、傷口を閉じるのにシールのようなものでとめ、1日分の抗生剤をもらい、地元の外科で診察を受けるように指示され、今日も子どもと受診した。昨日、処置はしてもらっていたので、今日は血の付いたガーゼを取り替えるだけだった。三男は、とても警戒していたが、痛い思いはせずに済み、病院を出たあと、ビルのガラスに映る耳にガーゼがついている自分の姿を見て、「かっこいい」と言っていた。傷口を見る限り、かなり痛そうなのだが、本人は、もう何ともなさそうな感じだった。
 昨日、結果的に三男を押して、怪我をさせた次男は、今日、学校で遊んでいる時に上級生の蹴ったサッカーボールが頭に直撃したという。その後、先生に「気持ちが悪い」と言ったようで、帰宅した後の次男はどのような様子かと先生から電話があった。本人は、帰宅直後は、何ともないと言っていたが、夕食を食べ、就寝前に、また「気持ち悪い」と言い出した。少し心配な症状だ。
 
■2015年3月12日(木曜日)
 練習は、800m、600m、500mのレぺ。全力で走り切れるとは思えなかったので、8割くらいの感覚で気持ちよく走ろうと考えていたが、スタートしてすぐにきつくなった。800mは1周目くらは60秒で回りたかったが、実際は64秒5だった。2週目は68秒9となり、長距離のようなペースで、タイムは2分13秒4だった。600mは少しスピードは上がって、1分32秒9。500mは、なんとか1周60秒のペースに近づき、75秒7だった。月末には、レースを入れているが、2分を切れるイメージが持てない。厳しい現実を突き付けられる練習だった。
 
■2015年3月11日(水曜日)


夕暮れの横須賀港
 テレビ朝日の報道ステーションで、核燃料の最終処分場についての特集をしていた。フランスやフィンランドでは、使用済み核燃料の最終処分場がすでに用意されているようだ。ドイツでは、核関連施設で使用されたいる等の物品の処分を実際に処分場で行っていて、安全だと考えられていた岩盤から亀裂が発生し、地下水が漏れ出し、地下水が汚染されたという。どの国も最終処分場について長期的な安全性が確保できる確信はないようだ。
 ゴミを捨てる場所を確保できない状態で、原発を稼働させるのは、今の段階では、自分たちが生きている間はどうにかなるが、将来の人たちには、そのツケが回ることになる。政府は、最終処分と再稼働はリンクしていないと言っている。この考え方を理解するのがなかなか難しいのだが、フィンランドでは、両者をセットと考えているという。都合の悪いことを見て見ぬふりという状態なのではないかと思えてならない。
 
■2015年3月10日(火曜日)
 昨日よりは、肋骨の痛みは回復し、自分で前鋸筋ほぐしができるようになった。強くこすれば、一昨日と同じ激痛が走る。それだけ自分がこの部位を固めてきたのだから仕方ない。しかし、一昨日よりは我慢して触れるようになった。ほぐしが終わった後は、肋骨周辺の動きは良くなり、体幹が提灯のように伸び縮みできるような感覚になった。ランニングでもそれが意識できる。それが無意識でできるようになるには時間がかかるだろうが、その域までたどり着きたい。
 
■2015年3月9日(月曜日)
 昨日の前鋸筋ほぐしの痛みが辛い。腕を動かすと痛みが伴う。ほぐしをやってもらった直後から、激痛だったのだから、当然揉み返しは覚悟していたが、今までで一番ひどい揉み返しだ。三角筋ほぐしの時にも激痛ともみ返しは強かったが、翌日からあざを作りながら、自分で我慢して揉むことができたが、前鋸筋は、触らなくても痛みがひどく、今日は、ほぐせなかった。前鋸筋ほぐしは、大変な苦痛を強いるほぐしだということがよくわかった。
 
■2015年3月8日(日曜日)
 骨ストレッチ講習会に参加。3つある中級講習の最後の一つを受講し、その後、上級に突入。
 中級最後の講習は、「手ほどき」、「足ほどき」、「まぐろの中落ち」、「腸ほぐし」が行われた。「手ほどき」とは、手の親指と人差し指の骨の間にある合谷というツボを中心に揉みほぐすことだった。自分は、思っていたよりも痛みは少なく、先生からも比較的柔らかいと言われた。揉みほぐすだけで腕の回旋は、とてもやりやすくなった。「足ほどき」、足の甲や足首まわりを揉みほぐすことで、足の接地の感覚が改善した。「まぐろの中落ち」は、肋骨についている前鋸筋をほぐすことだったが、かなりの激痛だった。自分でやっても痛いのだから、人にやってもらったときの痛みは、想像以上。しかし、終わった後の腕回しは、本当に楽になった。「腸ほぐし」はお腹を押してもむ感じだったが、思ったよりも痛みは少なく、自分では変化を感じられなかったが、やった側の肩は下がったり、腕の回旋も良くなっていたようだ。
 上級は、初級で学んできた内容を復習しつつ、それに応用を加えていくという内容で、盛りだくさんだった。体幹を日常動作の手脚を使う動作にどう連動させていくかということが課題で、先生の指示された動きを行うことで、体幹を使った動作ができ、さらに動きが楽になった。中級の「まぐろの中落ち」をすることで、今までどれだけ体幹を固めて動いていたかということが実感でき、体幹がほぐれて自由度が増すことで、どういう動きができるようになるかということが、少しイメージできるようになった。ランニングに生かせることが多く、内容が盛りだくさんだったため、頭の中で整理して、使っていくまでには時間がかかりそうだ。
 
■2015年3月7日(土曜日)


自転車で寝てます
 久しぶりに学生たちとトラック練習。メニューは300×5。休息は10分。全力で走るので、40秒以内では走りたいと考えていたが、思っていたよりも体は動かず、39秒9、40秒3、41秒0、41秒8、44秒3だった。2本目までは、自分の動きを意識する余裕はあったが、3本目以降は、学生たちに離されそうになったことで、人の動きが気になり、自分自信を見る余裕がなく、フィニッシュまでもがくだけになってしまった。鎖骨を意識した動きは、全くできず、収穫は少なかった。とにかく今まで回避していたスピード練習をしたということが一歩前進と考えたい。
 
■2015年3月6日(金曜日)


春の便り
 三男がテレビで国旗が出てきたときに、突然、その国旗の国の名前を言い出した。最初は中国、そしてインド、ドイツ、イギリス、アメリカと続き、すべて、国名がきちんと出てきて驚かされた。その後出てきたタイと、南アフリカについてはわからなかったようだ。
 風呂に入る前も、突然シンガポールってどこ?と聞いてきた。国旗の入った「アイウエオ」表が脱衣所に張ってあるのだが、シンガポールがあるのはわかっているが、カタカナがまだ読めないので、国旗だけで覚えようとしているようだ。子どもは興味を持ったことに対する集中力は本当にすばらしい。
 
■2015年3月5日(木曜日)
 次男が夕食時に突然、「何で人は死ぬの?」、「死んだ後はどうなるの?」と聞いてきて困った。まだ小学校に入って間もない子どもだが、頭の中では難しいことを考えている。突然、そんなことを聞かれても、なかなか答えは持ち合わせていない。子どもよりもずいぶん長い時間を生きてきて自分は何をしているのだとげんこつを食らったような気分になった。
 人の体は、年を取っていくと、だんだんからだが動かなくなって、最後には止まって死に至ると話し、その後、人が死ななければ、地球は人であふれかえってしまい、食べ物も満足に食べられなくなるから、人が死んでしまうことで、そういったことが回避できるよううまくできていると説明した。本当のところは、誰にもわからないし、死んだ後のことは、死んでしまった人にしかわからないことで、生きている人の話すことは想像なのだが、自分は生まれ変わったという人が実際にいるという話もした。次男だけでなく、自分も本当のところはどうなっているのか知りたい。
 
■2015年3月4日(水曜日)
 職場の航空自衛隊関係者の集まる飲み会に参加した。転勤する人の送別会と、新たに加入した人の紹介や、結婚や出産のあった人の紹介が行われた。自分が自衛官を辞めて7年半が経った。会に参加した人の中でも、年齢は上の方になってきた。別の教官の方は、自分より年下ばかりになってしまったと話されていたが、もうしばらくすると、同じような感覚になるのだろうと思った。大学院生の中に、学部生の時に授業を担当した学生がいて、久しぶりに話ができた。4月から外部の大学院で博士を取るべく進学する学生だった。自分にとってはつい最近の感覚だが、学生にとっては、けっこう昔の感覚だったりして、年齢によって時間の感じ方は違うなぁと何度も思った。久しぶりに忘れていたような昔話に盛り上がることができ、時の経つのも忘れるほどだった。
 
■2015年3月3日(火曜日)
 連日、政府関係者が国の補助金が出ている企業からの献金を受け取っていることに対して、知らなかったということで、法的には問題ないという発言がなされている。今日は首相にも同じ問題が発覚し、同様の発言があった。昨夜の「J-WAVE JAM THE WORLD」で企業献金には問題があるということを詳しく説明していたが、確かに、企業として献金するメリットは何なのかと思える。献金したことで、国の政策に影響があれば、企業にはメリットがあるかもしれないが、政治家に便宜を図ってもらうための賄賂と一緒だし、何の見返りもなく寄付したのであれは、株主から見れば、献金は会社にとって損失であり、背任罪となる可能性もあるらしい。こんな紛らわしいことはやめてしまった方がいいと思うが、そう簡単にはなくせないということは、政治にはお金がかかり、常に集金し続けなければやっていけないということを示しているのだと思う。
 
■2015年3月2日(月曜日)
 中学生の殺害事件で、殺害をしたとされる少年は「リーダー格の少年」と名ずけられ、報道されている。「リーダー」という言葉には、違和感がある。フォロアーとなる者が信用しないような人物は、リーダーとは言えない。「格」という言葉は、地位や身分という意味合いなので、今回の事件の少年は、「リーダー格」という呼び方はふさわしくなく、別の呼び方がないのだろうかと考えてしまう。この時期に、多摩川を全裸で泳がせ、岸に上がったところで、カッターで首を何度も刺して殺害なんて、残虐過ぎる。相手のことや自分の行為によって、その後の自分や自分の周辺がどうなるか何も想像できない心こそ、貧しいと言えるのかもしれない。我が家でも、子どもたちには、「相手のことも考えて動こうね」と諭すことが多いのだか、そのまま聞き流され、家の中の日常生活では、こちらが不快な氣分にさせられることが多い。子どもの立場からすれば、何度も同じことを言って、逆に不快だと思っているかもしれないが、大事なことだと確信しているので、わかるまでは続けなければならない。子どもたちには、この事件を話題にして、語りかけてみようと思う。
 
■2015年3月1日(日曜日)


満開の河津桜




キッズビーチラン
 三浦国際市民マラソンの応援に行った。自分は5kmにエントリーしていたが、レースに出ると終わった後の膝の具合が悪化する可能性が高いので棄権した。5kmは、雨はそれほど降らないうちにフニッシュとなったため、比較的コンディションは良いように見えたが、招待選手がいなかったので、1位のタイムもそれほど速くなく、入賞は狙いやすいレースだと思った。10kmとハースマラソンは、大雨の中、気温が下がった中でのレースだったので、かなり過酷な環境だった。
 学生のレースが終わった後は、次男の出場するキッズビーチランの応援に回った。距離は800m。片道直線400mの砂浜を往復するというレースで、各学年ごとにレースが組まれていた。1月までは、次男は走る練習をしていたが、インフルエンザ発症以降は、何もしていない。結局この大会への準備はできなかった。しかし、ウォーミングアップで、こちらのできることはすべて施しスタートラインへ立った。
 スタートライン付近で応援していると、その先のレースは全く見ることができない。とりあえず、2〜3番手について、最後頑張って1位を目指すというプランで、出だしは上々に見えた。子供たちが折り返して、フィニッシュラインへ近づいてきたときに、先頭の子供は、独走で、2位争いを3人がしているように見え、その中に次男が含まれていた。フィニッシュに近づくに連れ、その3人の間も差がつきだし、自分の前を通過するときには、次男は4番手となっていて、そのままフィニッシュとなった。3位までが表彰ということで、残念ながら表彰台には上がれなかったが、立派な結果だった。3位の子供の親族が3分37秒だったと話していたので、次男はおそらく3分39秒あたり。過去のキッズビーチランの結果を見ると、4分台で優勝している年が多く、4年生でも3分40秒を切って優勝しているのは過去に一人だった。今日トップだった子供は3分20秒くらいでは走っている。今までで一番速いタイムかもしれず、今年は、最もレベルが高かったのだろう。本人としては残念だったかもしれないが、良くやったと褒め称えたい。
 


[昔のいずみ]