最近のいずみ

Last Update:2015/7/31



パートタイムアスリートいずみ 14年目に突入 

■2015年7月31日(金曜日)


かえる
 実家へ帰省し、子どもたちを連れて、入院するおばあちゃんの所へ行った。部屋に入ったときには寝ていたが、ちょっと起こして、子どもたちを紹介し、少しだけ近況を話した。話はできないが、耳は聞こえているようで少し頷くような仕草があったし、帰り際には、少し手も振るような仕草もあった。
 病院から帰る途中に、いきものふれあいの里というと所へ寄った。車を降りて、駐車場近くの池に近づくと、足下から大量の小さな変えるが跳んで逃げていくのがわかった。子どもたちは蛙を捕まえようと大はしゃぎとなった。これだけの蛙を見たのは、人生で初めてだと思っていたところ、池の中には、大量のクロメダカがいたり、ザリガニもたくさんいて、まさにいきものとふれあえる場所だった。子どもたちは蛙だけでなく、ザリガニを捕まえようとしたが、ザリガニは池の中央に逃げてしまい、捕まえることはできなかった。三男は、蛙を捕まえるのは初めてのことで、恐る恐る蛙を捕まえ、興味深そうに捕まえた蛙を見ていたのが印象的だった。
 
■2015年7月30日(木曜日)
 アキレス腱の痛みが続く中、何とか練習を続けている。昨日は、ワットバイク30秒全力こぎ3セット後、アップシューズで、300m、200m、100mを行い、それぞれ45秒4、28秒7、13秒6で走った。自分の感覚とタイムは一致していて、体調は悪くなかった。今日はサーキットトレーニング後、400m、300m、200m、100mを走り、それぞれ58秒7、44秒8、28秒4、14秒1だった。今日も感覚とタイムは一致し、意外と走れることに驚いた。全力ではなく、余力を持った走りなのだが、アキレス腱は痛みがあったりなかったり。痛みのない走りをするには、どう工夫すれば良いかを導き出すことが課題だということを痛感した。
 
■2015年7月29日(水曜日)
 次男が、読書感想文を書いている。学校から与えられた夏休みの宿題は、ほとんど終えてしまい、読書も終わり、残りは感想文のみという、自分が子どもの時では考えられないくらい宿題の進みが速い。次男は、やらなければならないことはさっさと終わらせたいという感じで、今日は読書感想文の下書きを終えた。字が雑なので、少し見張っていたところ、書き順の気になる漢字があった。それは「母」。子どもは、点を先に書いていた。自分は、横棒のほうが先だと思っていたので、調べてみると子どもの書き順が正しかった。また、30年以上書き順を間違えたまま書いている文字を発見し、一つ賢くなった。子どもの宿題は、自分の宿題なのかもしれない。
 
■2015年7月28日(火曜日)




イベント会場
 東京ビックサイトで開催されているイベントに参加し、4つのセミナーを受けてきた。
 最初の2つのセミナーは、セルフボディーメンテナンス法の足首周りと股関節について。手や道具を使って関連の筋肉をほぐし、可動域を拡大させ、筋出力を意識させ、体重を使った刺激により安定性や連動性を向上させるという流れだった。先生が言うほど、劇的な変化は感じられず、骨ストレッチのほうが変化が大きいと思った。  3つ目のセミナーは、ウェーブ状のリングを持って様々な運動をするウェーブストレッチという運動を体験した。この道具を使うと、簡単に全身への刺激が入り、様々な部位を伸ばしたりほぐしたりできる。特にほぐしの道具としては優れていて、独特の形状が、それを可能にしていて、なかなか面白い道具だと思った。
 最後のセミナーは、スマートフォンで体力測定ができるというアプリの紹介だった。スマートフォンだけで8種類の体力測定ができる。そして、このアプリを使って測定しているグループ内の順位が出たりして、リアルタイムに情報が更新されていく。子どもたちにとってはすぐに結果が返ってくるので、友達と競争しやすく、一生懸命実施することになる。子どもたちのモチベーションを上げるにもとても便利なアプリで、使ってみたいと思った。ダウンロードは無料だが、アプリ内課金ありと書いてあった。何に課金されるのだろうか?
 
■2015年7月27日(月曜日)


2km折り返し地点
 遠泳訓練の支援で海に出た。先週、海に入ってパニックになっていた学生は、なんとかそれを克服し、今日からは、元のグループに戻っていた。あれだけのパニックを1週間で克服させたこの訓練は、本当にすごいと思った。
 今日は2名の学生に2艘のボートがついた。速度は遅いが、淡々と泳ぎ、速度を除けば全く問題が無かった。4kmの遠泳が目標で、速度の関係で実際に泳ぐのは2kmくらいになるのではないかと思っていたが、他のグループも潮の流れのためかあまり進まず、自分たちのグループも2kmの折り返しまで行くことができた。帰りは、他のグループは進みが速かったが、こちらは全く進まず、訓練時間の制限もあるので、学生たちをボートで引っ張る場面もあり、最終的には3kmちょっとを泳いだことになったのかもしれない。
 
■2015年7月26日(日曜日)


フェリー乗り場へ向かう御輿
 祭本番の日。自分も町内会の役員の一員として、大人御輿について、休憩の際の飲み物配りとして活動した。御輿の担ぎ手は、他の町内会の人たちが大勢来て、我が町内会の人たちと混ざって担いでいる。別の町内会の祭の時には、我が町内会の人たちも同様に担ぎに行き、お互い協力し合っているようだ。御輿の担ぎ手の人たちは、全く面識のない人たちばかりだが、飲み物を配っているうちに、なんとなく顔がわかってきた。1日中、御輿が町内を回ったのだが、5〜10分担いで10〜15分休憩という感じで休憩の方が長く、頻繁に飲み物配りと、飲み終わった後の片づけの仕事があった。
 神主さんたちも歩きづらい格好で1日御輿と共に暑い中を歩き、今日は大変な仕事だと思った。長男は、今日も山車に乗って1日太鼓をたたき、友達とじゃれ合い、好きなときに冷たい飲み物を飲み、暑さは関係なくとてものびのびとしているように見え、家での顔と外での顔は違うなぁと思った。
 
■2015年7月25日(土曜日)


移動中の山車
 地元神社のお祭りが始まった。今日は夕方から山車が出ることになっていて、長男が太鼓をたたいた。長男は、ここ何ヶ月間か週1回太鼓の練習に行っていて、今日から2日間が本番。集合時間に集合場所へ行ったが、実際に山車が動き出すまで、2〜3時間あり、何となくその場で時間をつぶすことになったようだが、長男は、そういう無駄に思える時間については、何とも思わず、何となく過ごすことができる。自分だったら、そのダラダラした時間に耐えられず、何か別のことができないだろうかと思ってしまうのだが、何となく時間が過ごせる長男は、ある意味すごい。
 昨年も祭でも太鼓をたたいているので、要領はわかり、友達もいるようなので、不安な顔は全くなく堂々と太鼓をたたいている姿が印象的だった。この太鼓も、担い手が少なくなり、今年は、新しく下級生は入ってきていないようなので、長男の学年4名は、貴重な担い手になる。町内会のイベントは、お年寄りばかりというのが現状なので、小学生は、町内会の将来を担う人たちとして大事にしなければならないと思った。
 
■2015年7月24日(金曜日)


本日の収穫
 油井さんが国際宇宙ステーションに入った。大学の5期先輩で、油井さん本人は中年の星と話しているとニュースで何度も聞いたが、同じ40代の自分には中年という認識が全くないので、自分に中年を当てはめようとすると、とても違和感がある。
 油井さんは、母校の学生のために講演に来られたこともあり、学校側も油井さんが卒業生ということで注目しているので、ロケットの打ち上げに際してパブリックビューイングでもするのだろうかと思ったが、何もなかった。学生も訓練期間中で、あまり人がいないので、盛り上がらないということもあるのだろうか。とにかく卒業生が、様々な分野で活躍することを聞くと、とてもうれしくなる。
 
■2015年7月23日(木曜日)


玄関前に現れたヤモリ






開国橋
 1年生の遠泳訓練が、昨日からプールでの訓練から海への訓練に移行した。今日は、プールでは2時間の時間泳がきちんとできたのに、海へ行ってみたところ、海では泳げないと言い出した学生につきっきりとなった。自分ではこの事態をどう考えているのか学生に聞いたところ「間違いなくメンタルです」という回答があった。
 今までは、技術的に問題があり泳げなかった学生を何人も見てきて、その中でメンタルが問題の学生もいたが、技術面が改善するにつれ、メンタル面も克服されていった。今回は、技術的には全く問題なく、メンタル面だけを変えていかなければらない。とにかく、本人の話しを聴き、自分で解決していけるよう寄り添った。その結果、なんとか150mくらい沖にある最初の旗まで一緒に泳いでいくということになり、一緒に泳ぎ始めた。60〜70mくらいまでは、順調で、ゆったりとしたリズムできちんと泳いでいたが、急におぼれるように立ち泳ぎになり手をばたつかせてパニックに陥ってしまった。しかし、本人はきちんと立ち泳ぎができているので、全く沈む気配はなかった。そのため、手をさしのべて手を握り、小刻みな呼吸をまずは落ち着かせるように促した。なかなか呼吸は落ち着かず、手もバタバタしたままだったが、こちらにしがみつくことなく、なんとか呼吸を落ち着けようとしていることはわかった。結局呼吸は落ち着けることはできず、そのまま岸へ戻ることになり、沖へ出るときの速度よりも速い速度で岸まで戻った。
 本人は途中から自分が全く進んでいないのではないかと思ったという。なんだかわからないが突然恐くなってパニックになったのだという。その後は、ただ海水に浸かっているだけなのに、呼吸が荒くなり、突然後ろを振り返るなど挙動不審が続いた。もう一度沖へ向かって泳ぐことに挑戦したが、2回目は、50mほどでパニックとなり、またすぐに岸へ戻ることとなった。その後は、沖へは行くことがなかった。来週まで海面での訓練は続く。何とかしなければならない。
 
■2015年7月22日(水曜日)


夕暮れの横須賀港
 東芝の利益水増し問題で、組織的に利益操作があったとして歴代3社長が辞任することとなった。責任を取っての辞任ということのようだ。新国立競技場の計画が白紙となったことに関して、報道では誰の責任なのかという問いに対し、責任の所在がはっきりしていなかったということになっていてはっきりしない。改めて責任って何?と思ってしまった。
 日常でも責任という言葉が頻繁に使われ、できるだけ責任を問われないように対策を立てるということが当たり前になってきている。しかし、いざ責任を問われた場合のことについては、あまり深く考えられていないようにも思える。責任を取るということはどういうことなのか?例えば、金銭的に損をさせてしまったというのであれば、損害額を補填できれば、責任を取ったことになるのだろうか?人を殺してしまったなど取り返しのつかないことの場合は、法的な責任の取り方はあるかもしれないが、責任を取ったと納得することはできない。前にも同じことを考えた気がするが、答えは出ないというよりか、責任は取れないと言った方が現実的な気がしてきた。どんな責任の取り方があるのか、今後も考え続けることになるのだろう。
 
■2015年7月21日(火曜日)


夕暮れの浦賀港
 長寿の秘訣は「笑い」という新聞記事を見た。震災の影響で仮設住宅で暮らす100歳のおばあちゃんは、畑仕事をするほど元気で、食欲も旺盛で、その秘訣は、集会所で茶飲み話をして笑い、輪投げに興じることなのだという。
 心の底から笑える出来事が少なくなっているような気もするが、何にでも笑うことで、気持ちにも変化が起きることもある。好きなことをストレスなく続け、身近な人たちと笑い続けることができたらいいなぁと思う。
 
■2015年7月20日(月曜日)


シミュレーション




オシロスコープに大喜び
 海の日ということで、東京湾海上交通センターが一般公開されるので、今年も子どもたちを連れて行ってきた。毎年、子どもたちはシールなどのおみやげをもらうことを目的に行くので、今年は何がもらえるのかというのが最も関心のあるところなのだが、今年は、入り口では何ももらえず、今年は何もないのではないかと不安な顔になっていた。
 建物の中に入ると、オシロスコープとマイクが置いてあって、マイクに向かって声を出すと、オシロスコープから波形が出てくるのだが、三男がいろいろな声を出して、いろいろな波形を出していて、子供の声の柔軟さに驚いた。三男はひたすらマイクを握って声を出し続け、長男と次男は、船を誘導するシミュレーションに熱中した。安全に船を誘導しなければならないのに、わざと別の船にぶつけたりして、子どもたちは、担当してくださった海上保安庁の職員から、「船がぶつかると、海上保安庁が大変になるので、ぶつけるのはやめてね」と優しく諭されていた。見学者は少なかったため、このシミュレーションは何度かやらせてもらったようだ。そして、あと3つしか残っていなかった海上保安庁のマーク入りのキーホルダーを我が家の3人だけにくれた。ものすごく特別感があり、3人は大喜びだった。あとは、クイズに答えて、シャープペンシルとシールをもらい大満足で帰ってきた。自分も東京湾の中にある海堡のことや、我が家の近所にあるパイロットという会 社の仕事のことなど、新しい知識も得られ、楽しく過ごすことができた。
 
■2015年7月19日(日曜日)
 大迫選手が5000m日本記録を更新した。記録を出した大会は、ベルギーのナイト・オブ・アスレティックスという大会。この大会には、自分も2回出場したことがあり、かなりの田舎で、サブトラックもないところだが、競技場が小さいこともあり、レーンと観客席がかなり近く、お客さんの盛り上がりが、選手に直に届く印象があった。そのため選手のテンションも上がり、とても走りやすく記録が出る。この大会で、自分は自己記録はでなかったが、自己記録に100分の2秒までせまるセカンド記録を記録している。
 男子1500m、5000mの日本記録、女子3000m障害の日本記録は、この大会で出ていて、今も残っている。特に男子5000mは、高岡選手、松宮選手がこの大会で日本記録を出し、さらに今回同じ大会で新たな日本記録誕生となった。日本の男子長距離にとって、この大会はとても重要な大会なのかもしれない。またあの雰囲気の中でレースができればなぁと思えてくる本当に素晴らしい大会だと思う。
 
■2015年7月18日(土曜日)


本日の収穫
 家族は、外に遊びに行き、自分一人、家でのんびりと過ごした。録画して見てなかったテレビを消化するという感じで、とてもだらけた生活となった。
 NHKスペシャルの腰痛に関する番組では、腰痛の原因が、整形外科的な問題ではなく、実は脳に問題があるということがわかったという内容で驚いた。日本には、腰痛に悩む人が2800万人もいるといわれ、そのうちの半分は3ヶ月以上痛みが続く慢性腰痛なのだという。その慢性腰痛の痛みは、整形外科的には回復していることが多く、痛みはないはずなのに、痛みが続くという症状で、その原因は、その人の持つ痛みへの恐怖だった。痛みへの恐怖により、脳のDLPFCという部位(痛みの回路を沈める指令を出す所)の活動が衰えて、痛みが続くのだという。映像を見たり、実際に体を動かしたり、カウンセリングをしたりしながら、恐怖を取り除くことにより、DLPFCが元のように活動するようになり痛みがなくなるということで、具体的な方法が映像になっていた。
 自分も何年かに1度は、腰痛がひどくなるが、そのうち良くなるだろうと思っているので、それほど長引くことはない。その軽い感じは間違っていなかった。あまり深刻にならないということが、とても大事なことなのだと思った。
 
■2015年7月17日(金曜日)


メインイベントの花火
 久里浜駐屯地納涼祭が行われ、今年も家族で見に行った。駐屯地へ向かう途中、海岸上空をヘリコプターがホバーリングし、岸壁には警察車両や消防車両が見え、大勢の野次馬が集まり、海中をダイバーが捜索していて、誰かが溺れてしまったのだろうかと思った。結果的には、中学生が飛び込んで遊んでいて、海から上がってこなくなり亡くなったとうことだった。今日もまだ台風11号 の影響で、波は高く波浪警報が出ていたというので、海には近寄ってはいけないタイミングだったということだけは間違いない。
 納涼祭は、例年通り人がたくさんいて、真っ直ぐ歩くのが困難というとことだったが、今年は、2年ほど前に防大を卒業した卒業生が通信学校に入校していた こともあり、たくさんの卒業生に声をかけられ、話ができた。さらに体育学校の時の教え子が、卒業生たちの教官になっていて、この春に久里浜に転勤してきたということで、世間は狭いなぁと思った。
 
■2015年7月16日(木曜日)


台風接近中
 安保関連法案が衆議院を通過した。与党と野党の数がわかっているので、採決をしなくても結果はわかっている。そのためか、民主党は反対のプラカードをたくさん準備し、採決の際にテレビカメラに向かって反対をアピールし、情熱をそそぐ方向が間違っているのではないかと思った。とにかく、自衛官が派遣先で、どうしたらいいかわからないということがないよう、きちんと法律等をまとめてほしい。
 安保関連法案の採決が決まった途端、新国立競技場の見直しのニュースがあり、スポーツが政治利用されているなぁと思ってしまった。昨日までは、予算オーバーのまま業者と契約して月末のIOCの会合でも、その計画を持っていくということだったので、あまりの変わりようにいろいろな裏があるのではないかと疑ってしまう。デザインよりも、選手の使い勝手を優先し、予算におさまるような競技場に変更されることを望む。
 
■2015年7月15日(水曜日)


ゆでトウモロコシ
 台風が来ると、農作物もひどい目に合う。先日の低気圧では、トウモロコシやトマトが横倒しになった。どちらも根はしっかりと張っていたので、倒れた茎を縦に戻すだけでよかったが、明日以降近づいてくる台風の風は、同じような被害では済まない。そんなことを考え、子どもたちとトウモロコシの収穫をした。
 トウモロコシ栽培を始めて3年目、やっと実が大きくなってくれたのだが、見た目で食べられそうなものは3本。実があまり大きくなってなさそうなものが5本だった。
 夕食に合わせて、8本を茹で、皮をはいで実を確認してみたが、実として食べられるのは半分ほどだった。大きく実った部分は、甘くておいしかった。今年は、受粉をしっかりやったと思っていたが、半分くらい実ができなかったことからすると、まだまだうまく受粉ができていないということなのだろう。来年は、今年以上に食べられる部分を増やしたい。
 
■2015年7月14日(火曜日)
 台風がだんだん近づいてきて、海岸は波が高くなり、風も強くなってきている。上陸は、四国の方面になりそうだが、普段の低気圧でも我が家の被害は大きいことを考えると、台風の風害はそれ以上が考えられる。いつも垣根の支えが吹き飛ばされるので、なんとか固定をして、吹き飛ばされないようにしたいと思い、考え付いたのは、結束バンドで止めることだった。ホームセンターへ行き30cm以上の結束バンドを探したのだが、売り切れていて、もう一軒のホームセンターへ行ってみたが、30cmまでしかなく、結局結束バンドは買えず。結局代わりになるものを探し、最終的に針金を購入。
 針金で支柱と支えの丈を針金でくくり付けたものの、思ったようには固定できなかった。素手で作業をした結果、特に左手人差し指の側面に大きな水ぶくれができ、作業後はかなりの痛みがあった。困ったなぁと思いながら、しばらくの間、右手の親指と小指で、水ぶくれの部位を軽くさすっていたら、痛みが軽減し、水ぶくれも小さくなってきた。こんなところでも骨ストレッチの応用ができるのかと驚き、そのままずっとさすり続けていたところ、全く痛みがなくなり、水ぶくれもあまり目立たないくらいに小さくなった。自分の指には、自分を癒す力があるのだと実感した。人のからだはおもしろい。親指と小指をつかってさすれば、どこにでも応用ができそうだ。最近左アキレス腱がまた腫れて痛み出した。こちらにも応用しようと思った。
 
■2015年7月13日(月曜日)


富士山
 家のある場所が海に近いためか、寝ているときには、窓を開けていると、風がたくさん入ってきて、寒いくらいに感じ、いまだに冬に使っている羽毛布団をかぶって寝ている。しかし、いったん目が覚め、まだ眠くて布団にもぐったままでいると、急に暑くなり、布団をかぶっていられなくなる。そして、窓を開けるのだが、少し寒く、また布団をかぶり、また暑くなって、布団からでることになる。最近は、こんなことを繰り返し、やっと起き上がることになる。日中は、気温がかなり上がり、じっとしていても汗が止まらないが、夜の涼しさは、関東の内陸部と比べて、過ごしやすい気候だと思う。
 
■2015年7月12日(日曜日)


腰越付近



江ノ島を前に



ケーキ屋さんにて
 次男と三男を連れて、江の島へ散歩。年に1度、家族で西鎌倉にあるケーキ屋さんにケーキを食べに行くのだが、今日がその日と決めていて、妻と長男は、午前中に別の用事があるため、午後から合流してケーキ屋へ行くことにしていた。
 午前中は、次男と三男と3人で、電車を乗り継ぎ、江の島へ行った。毎年腰越ではお祭りが行われていて、江ノ電からお神輿や山車が見られる。日本の夏という感じで、見ているだけでとてもワクワクする。
 小さな子供たちにとって、江の島駅から江の島へ行くのにもかなりの距離があり、橋を渡って江の島へ行くだけで、かなりの時間を要してしまった。余裕があれば、キャンドルタワーまで行きたいと思っていたが、妻たちと合流することを考えると、それ以上は進むことができず、そのまま橋を渡って戻ることとなり、次男からは、「何でここまで来てそのまま戻るの?」と突っ込まれたが、江の島へ行くのが目的ではなく家族でケーキ屋へ行くのが目的だったので、何とか説得して戻った。
 江の島から駅までの間にいろいろな店があるのだが、子どもたちは、「えのでんはうす」と「レゴショップ」がお気に入りで、江の島から戻ってくるのに、「脚が疲れた」と文句を言っていた三男も、店が近くなると走り始め、さっきの言葉はなんだったんだ?と言いたくなった。2件の店で時間をつぶしながら、妻と長男を待っていたところ、横須賀線が、逗子駅でのポイント故障とのことで、運転見合わせになったとの情報が入ってきて、1時間以上待っても電車が動かないため、結局3人でケーキ屋へ向かった。
 毎年、人が多くて、ケーキを注文するにも時間がかかったのだが、今年は、お客さんがほとんどいなかったので、すんなりと喫茶ルームに入ることができた。子どもたちは自分の食べたいケーキを選び、自分の食べたいように食べた結果、ケーキはかなりぐちゃぐちゃになっていたが、満足したように見えた。帰りの電車は、横須賀線が使えないので、かなり大回りして時間もかかり、最後の京急では、2人とも寝込んでしまった。1日のほとんどが移動で終わった感じがして、公共交通機関の運行見合わせの影響は大きいなぁと思った。
 
■2015年7月11日(土曜日)


燻製前(左)と燻製後(右)



花火
 久里浜ペリー祭が開催され、今年も花火大会をメインイベントして、多くの人が久里浜に集まった。
 我が家では、毎年、同期を集めて昼からバーベキューをして、その後、みんなで花火を見るということになっている。同期は頻繁に転勤があるので、メンバーは少しずつ変化していくのだが、今年も、仲のいい友達が集まってくれたことがとてもうれしかった。
 今年は、新たな挑戦をした。それは、燻製作り。段ボールと網と燻製用の燃料があれば、簡単に作れるとあるテレビ番組で言っていたので、ちょっとネット検索して、余っている網と、スーパーでもらってきた段ボールを組み合わせ燻製の箱を作った。かかった金額は、燃料代のみで400円ちょっと。オーブントースターの皿にアルミホイルを敷いて、燃料を置き、火をつけ、網の上に燻製したい材料を置き、燃料の上から箱をかぶせて、燃料が燃え尽きるまでそのまま放置した。メンバーがそろってバーベキューが始まることには、チーズ、ウインナー、豚バラは、燻製になっていた。特に豚バラは、かなり縮んでしまい、ポークジャーキーとなっていた。こんなに手軽にできるのであれば、毎週末いろんなものを燻製にできるなぁと思い、とても楽しみが増えた気分になった。
 
■2015年7月10日(金曜日)
 今年初の芝刈り。芝がしっかりと茂っているところと茂っていないところがあり、茂っていないところは、以前の刈りカスが詰まっていて、生長を阻害した結果なのだが、この春は、できるだけそのカス(サッチという)を頑張って除去したものの、除去しきれなかった結果が、茂り方の違いとなっていることがよくわかった。
 芝生は、壁際だけが際立って成長してしまっていて、その部分を刈ると、ほとんどが茶色くなってしまう。生長点よりも下を刈る軸刈りと呼ばれる状態なのだが、まめに芝刈りをしていなかった結果なので仕方ない。煉瓦で芝生と畑や垣根を分けているのだが、生長の激しいところでは、煉瓦を乗り越え、畑や垣根に侵入している場所もある。これの処理がなかなか面倒に思う。近いうちにエッジナイフを購入し、一度に境目をそろえられるようにしたほうがいいと思った。
 芝刈りを終えた芝生は、芝刈り前よりはきれいにはなったが、芝の生え方が粗だったり密だったりするので、来年こそはサッチングをしっかりとして、きれいに生えそろえられるようにしたいと思った。
 
■2015年7月9日(木曜日)
 新国立競技場が、予算オーバーで、どうやってその額をまかなうか決まらないうちに契約をすることになってしまった。トップの人たちの最終的な話し合いで全員が賛成なのだという。当初予定の2倍近くの金額がかかることになってしまい、陸上競技場がいくつもできてしまうくらいの額になっている。デザインを決めるときに、1位のデザインしか選ばなかったのだろうか。2位のデザインがあれば、1位の見積もりが予定額におさまらなかった時点で2位のデザインにするというように、3つくらいのデザインに優先順位を付けておけばよかったのではないかと思えてくる。
 しかも、ラグビーワールドカップに間に合わないからという理由で契約を急いでいるので、オリンピックに間に合わせるためではないらしい。東北にたくさんのお金が必要な時期なのだから、メインスタンドにそんなに見栄を張る必要はないのかなぁと思う。デザイン重視のまま、工事が始まっていくのだろうが、できあがった後のコストを含め、しっかりと注視していきたい。
 
■2015年7月8日(水曜日)
 札幌ドームでファールボールが目に当たって失明し、球団や市を相手に裁判が行われているという。野球にファールボールはつきものだが、臨場感と安全を天秤にかけると、何を求めるかは人によって違うので、誰もが納得する落ち着きどころはなかなか見つけられないのではないかと思う。安全第一であれば、観客席はネットで覆われることになり、ファールボールをキャッチしたい子供たちには、魅力の一部がなくなることになるが、ネットがないと、こういった事故は、必ず発生することになる。安全対策がどういうところに落ち着くのが妥当なのか注目したい。
 
■2015年7月7日(火曜日)
 2018年問題や2025年問題があるということを、雑誌や新聞記事で知った。2018年問題は、日本の18歳人口が減り始めることを問題とし、2025年問題は、団塊世代と呼ばれる世代が75歳となり、後期高齢者の割合が20%近くになり、医療費や社会保障費の増加が心配される問題のようだ。さらに2040年問題もあるようで、2040年までには、全国の自治体の約半分が消滅してしまうかもしれないというのだ。2040年と言えば、自分がちょうど定年を迎える頃、そのころには、病院のベッドが足りず、自分の死ぬ場所がないという状態になっている可能性もある。高齢者の人数が増えるのは、医療の発達もあるので、仕方のないことだが、子供が少ないのは、子供が増えれば、問題は改善の方向に向かう。今の生活で精一杯の家庭では、子どもは増やせないし、それ以前に結婚の意思のない男女が多ければ、なかなか子どもは増えないだろう。
 横須賀市では、坂や狭い道が多いためか限界集落が発生しているという。そして2013年には、人口減少率が全国トップだったというニュースもあり、人口を増やすのに必死になっている。「ヨコスカフェ」という婚活支援イベントを開催し、若い人たちには結婚に近づけるようセッティングをし、「子どもが主役になれるまち」として市外にもアピールして、移住を求めているが、まだまだ子どもが育てやすい環境とは言えない。どこの職場でも子連れで勤務できるとか、病気の時にも子どもをあずかってもらえる施設を作るとか、かなり極端なことをしなければ、改善は難しいと思う。自衛隊の関係者は、比較的結婚が早く、一世帯当たりの子どもの数も多いように思う。官舎の家賃が安いということ無関係ではないような気がする。子どもを増やすには、とにかくお金がかかりそうだ。
 
■2015年7月6日(月曜日)


祖母と
 朝から葬儀に参列し、昼には火葬場へ行き、火葬後はお骨を拾った。叔母は、80代後半で、この1年は、ずっと病院で寝たきりだった。からだを動かさないと骨は弱くなるので、どんな風になっているのだろうと思ったが、もともと食事にはこだわりのある人だったためか、骨はしっかりしているように見えた。片方の股関節は、人工の股関節になっていたので、火葬後はその人工股関節がそのまま出てきた。箸で持ち上げてみたが、かなりの重さがあった。これを体に入れて、歩くというのは、自分の骨と比べると、負担は大きいなぁと思った。抗がん剤などを投与されていた人は、骨に黄色いものがたくさん付着していたり、骨がもろかったりして、薬を使っていたことがわかるのだと、火葬に立ち会った職員の人が話していた。叔母は、とても骨はしっかりしているとのことだった。
 ずっとベッドに横たわったままというのは、どれほど苦痛だっただろうか?祖母は、現在も寝たきりで病院にいる。妹2人と祖母のお見舞いに行ったのだが、相変わらず指が使えないよう手袋がかけられていて、かわいそうだった。こちらの話しかけには、応答してくれているように見えたが、入れ歯もなく、食事は、チューブから栄養を流し込んでいるだけなので、話すことができず、もどかしいだろうと思った。話している最中でも、自然と目が閉じて寝てしまうなど、何が現実なのかわからない状況なのかもしれない。母がお見舞いに行ったときには、まだ祖父が生きていた時の話をしていたというので、昭和の時代を生きているのかもしれない。孫たちは、全員30歳以上になって、ひ孫がたくさんいるよという話をし、最後に「また来るね」と話すと、祖母はしっかり手を振ってくれた。話は通じている。誰が誰だかわからない状況かもしれないが、誕生日が同じ初孫のことは、覚えてくれているのではないかと思っている。また、来月お見舞いに行こうと思う。
 
■2015年7月5日(日曜日)


名鉄



親戚との食事会
 昨日、叔母(正確に言えば大叔母?)が亡くなり、今日は通夜、明日は葬儀とのことで、久しぶりに愛知県へ戻った。豊橋からは、JRと名鉄に乗ったのだが、JRでは、オレンジカードが使えるということにとても驚いた。名鉄は、2両編成で、ワンマン電車。電車の通る地域は、小さいころは、毎週のように利用した路線だったのだが、全く変わり映えがなく、当時も山や畑や田んぼばかりの景色に飽きて退屈だったことを思い出した。こどもの国駅という駅があるのだが、駅の周辺は、小さな集落と畑と山のみで、名前の施設はどこにも見当たらない。実際には、この施設は山の裏側にあるのだが、駅からは全く見えず、当時と少しもかわっていなかった。唯一変わったのは、田園が広がっていたところが、田園ではなくなり、放置されているところがおおかったこと。減反政策の影響なのかもしれない。食料自給率が低下するのは、国の政策の影響は大きいのだろうと思った。とにかくのんびりした雰囲気で、時間に追われる生活とのギャップを感じた。
 通夜には、もう何年もあっていない親戚にたくさん会うことができ、葬儀屋さんからは、「同級会のようですね」と言われた。それぞれの生活が、それぞれの場所であるので、こういったことがない限りなかなか集まれない。そういった意味では、叔母が、親戚で集まる場を作ってくれたのかなぁと思う。
 
■2015年7月4日(土曜日)


三男によるパパの顔
 三男の通う幼稚園のサマーコンサートがあり、子どもたちの歌声を聞きに行った。最近、三男は、あまり幼稚園では、まじめにやっていなくて、先月の父親参観でも、一人だけ歌っていなかったので、今回も同じような感じになるのではと思っていた。
 最初に詩の暗唱があったが、始まりは、大きな口で、しかも笑顔で、みんなと同じように詩を暗唱していたが、しばらくすると、急にしかめっ面になり、口を閉じてしまった。その後は、歌を2曲歌ったのだが、彼だけは、全く歌わず、あくびをしたり、みんなとは別の方向を見たりして、退屈そうにしていた。
 終わった直後に、三男と話したのだが、お腹が痛かったのだという。確かにお腹を押さえるような雰囲気もあって、具合が悪いのかなぁと思える場面もあった。本当は、みんなと同じように詩を暗唱し歌を歌いたかったようで、本人も残念そうな顔だった。
 夜、三男と風呂に入り、昼間最後までできなかった詩の暗唱を、お願いしたところ、それを披露してくれたが、何度やっても途中で言葉が出てこなかった。どうやら忘れてしまったようだ。言葉の意味もわからず、先生の発した発音をまねしているので、仕方のないことなのかもしれない。
 
■2015年7月3日(金曜日)
 昨日午前中の大雨と強風で、庭の農作物は、かなりのダメージを受けていた。昨日は、帰宅後に庭を確認していなかったので、今朝確認したところ、トウモロコシはすべて横に倒れ、トマトも、支柱に固定できていなかったものは横倒しとなっていた。ただの低気圧でこの状態。この地域は、本当に風に注意しなければならない。とりあえず、強風は、根が引きちぎられるほどの力ではなかったので、なんとか、作物は支柱等に固定し、元に戻った。トウモロコシは、受粉が終わり、身が大きくなってきている。過去2年間失敗してきたので、3年目の今年こそ、きちんとした収穫ができるよう、トウモロコシを見守りたい。
 
■2015年7月2日(水曜日)


昨日の強風被害



枝豆収穫



道ばたで発見
 年に1度の生活習慣病検診。身長、体重、血液検査はいつもと同じで、推定体内年齢は昨年と同じく17歳だった。今年は、40歳になったため、胃ガン検診と大腸ガン検診をすることになった。大腸ガン検診は、検便と問診で終わりなのだが、胃ガン検診は、バリウムを飲んでレントゲン室に入らなければならない。初めての体験でどんな苦痛が待っているのだろうと、不安になりながら、自分の順番が回ってくるのを待った。
 最初に胃を膨らませるための発泡剤を飲んだ。飲んだ直後から胃から空気が上がってくる。医務室の人からは、ゲップが上がってきても、胃をふくらませるために、できるだけゲップは出さないでくださいと注意をされていたが、胃から戻ってくるゲップに抵抗するのはとても難しかった。
 レントゲン室に入り、バリウムが渡され、最初に一口飲み、その後、すべて飲むように指示された。なんとなくヨーグルト味で、なんとか飲めるものだった。ヨーグルトよりは粘りがあって、飲み込みづらかったが、想像していたよりはサラサラしていて飲みやすくしてあると思った。
 その後は、レントゲン台の上で、様々な方向に体を回され、片方の腰を上げたり、横になったり、うつぶせになったりして、ゲップをこらえながら、指示された体位に姿勢を変え続けた。
 検査後は、バリウムが、胃の中で固まらないよう、直ちに下剤を飲んで、水分を多く摂り、体から出すようにとの指示があり、直ちに下剤を飲んだが、何も変化がなかった。下剤も初めて飲んだのだが、自分には、あまり効果がないのかもしれない。朝食を抜き、食事ができたのは、ちょうど昼食時。昼食後に、缶コーヒーを飲んだところ、急に便意を催し、下痢のようになった黄土色の便が出た。色を見てバリウムが混じっているのはわかったが、自分が飲んだ量を考えると、まだまだ体の中に残っていることはわかった。その後は、寝るまで、あまり胃の具合はよくなく、ゲップとおならが頻繁に出たが、バリウムは出なかった。明日以降きれいさっぱりと排泄して、普段の生活に戻れればと思う。
 
■2015年7月1日(水曜日)


夕焼け
 横須賀は、午前中、激しい雨が降った時間帯もあったが、昼前くらいから雨はやみ、午後は、強風が吹き荒れていた。雨は降っていないが、あまりにも風が強いので、声を出しても声が届かなかったり、まともに走ることもできないので、午後の授業は屋内でせざるを得なくなった。
 やっと梅雨らしい天気になってきたと思ったが、思っていたよりは雨は降らない。激しい雨を降らす雨雲は、横浜や東京は通過していたが、横須賀上空には来なかった。これはいつものこと。天気予報では、これから1週間近くは、曇りか雨。これも、東京や横浜中心の天気予報なので、あまりその天気予報に引きずられる必要はないのかもしれない。とにかく、農作物に水をまかなくても良くなりそうな雰囲気になってきたのがうれしい。
 


[昔のいずみ]