最近のいずみ

Last Update:2016/5/31



パートタイムアスリートいずみ 15年目に突入 

■2016年5月31日(火曜日)
 昨日の疲労が大きく、体は重だるい感じだった。今日のメイン練習は400m+400mを2セット。つなぎは100mのジョッグで、セット間の休息は15分とった。
 800mの1周目の感覚で最初の400mを走り、後半は、全力で走ろうと思っていたが、走る前から疲労している状態で、全く思い通りにいかず、1セット目は何となく走るだけに終わった。タイムは60秒7と60秒7だった。
 2セット目は、少し動きが良くなり、最初の400mは57秒3だった。この勢いで最後の400mも走ろうと臨んだが、残り200mくらいから、手足がしびれて、動かなくなり、最後は、転ばないように必死に姿勢を維持するような走りで、かなりの失速を感じた。しかしタイムは60秒9。思っていたよりもかなりタイムは速かった。久しぶりに手足がしびれた。
 最後に300mのタイムトライアルを予定していたが、メイン練習で力尽きていたので、200mに変更。ただもがいて走るという感じで、タイムは27秒9。
 今日も練習量は少ないと思っていたが、そんなことは全くなく、2日連続で強度の高い練習ができた。
 
■2016年5月30日(月曜日)
 メイン練習は、150m×4を3セット。つなぎは50mのウォークでセット間は5分の休息をとった。1セット目は、20秒2、20秒8、21秒0、20秒5。全力まではいかず、気持ちよく走れた。2セット目は、20秒7、20秒7、20秒9、21秒2。1セット目と同じような感覚で走ったのだが、急激にきつくなってきた。走り終わった後の、呼吸が特につらい。ハムストリングスは疲労し、脚を動かすのもつらい。もう1セットあるということを考えると、とても重い気分になった。3セット目は、20秒9、20秒8、21秒1、20秒9。3本目くらいから吐きそうになった。なんとかタイムは落とさずに走れてよかった。
 最後に300mのタイムトライアル。タイムは40秒2だった。ハムストリングスは張っていて、無理やり脚を動かすしかなく、感覚としては全く動いていなかったのだが、タイムは、意外と速かった。久しぶりにケツ割れ寸前の状態まで行った。練習の量としては、ちょっと少ないのではないかと思って、練習を始めたのだが、十分過ぎる内容だった。
 
■2016年5月29日(日曜日)
 ちょっと前までは、休日に何もない時には、家族で行動することが多かったが、最近は、長男と次男は、家にいることがなくなった。長男は友達の家に行ってしまうし、次男は、友達と公園で遊ぶことが多い。親にガミガミといろんなことをいわれるのが面倒だというところが最も大きな要因であるような気もする。毎日帰宅するたびに妻が長男と次男に腹を立てているのだが、最近は三男も兄貴たちと同じような態度を取るようになってきて、ますます妻のストレスは高まっているようだ。自分も妻と同じように声を荒げてしまうこともあるが、彼らとは同姓のためか、彼らの気持ちがわからないこともないというところもあり、基本的にはかわいい奴らだ思っている。彼らの気持ちもわかるところで、妻に対して代弁してやると、今度は、自分が責められる場合もあるのでやっかいだ。両者をうまく治めることができないだろうかというのが、最近の家庭での関心事だ。
 
■2016年5月28日(土曜日)


落花生
 畑のソラマメを撤去した。残ったソラマメは、ほとんどアブラムシにやられて、まともに食べられるものは少なかった。しかし、食べられそうなところは、小さいものでも収穫した。ソラマメがなくなったウネに次に植えたのは、落花生。ずっと落花生を育ててみたいと思っていたのだが、畑に烏泡っている野菜の収穫やウネの使い方などのタイミングで、今まで育てることができなかった。たまたま近所のホームセンターで落花生が売っていて、使えるウネもできたので、念願の落花生栽培となった。その他にも、次男と三男の要望で、メロンとスイカとカボチャの苗を買ってきた。植える場所がないので、枯れた垣根を支えとしてツルを伸ばしてもらうべく、すべて垣根の横に植えた。垣根を植えていた土なので、特に栄養を与えたこともないので、とりあえず土の表面に園芸用の土をまき、苗を植えるためにあけた穴から出た土と混ぜて苗を植えた。うまく育つかどうかはわからない。しばらくは、様子見だ。
 
■2016年5月27日(金曜日)
 アメリカのオバマ大統領が広島を訪問した。彼は、被爆者代表とも話しをしたという。被爆者代表で話しをした方は、広島での出来事は、人類の不幸であったが、アメリカを恨んでいるわけではないという旨のコメントをしていた。投下を命令した人が悪いとか、実際に落とした人が悪いとか、被爆した人にとっては、過去にはいろいろと言いたいことはあったのかもしれない。しかし、誰が悪いというのではなく、これは人類全体の責任であって、これからはそういったことがない世の中にしていこうという思いだったのだと思う。オバマ大統領の同じような内容でスピーチをして、両者が同じ方向を見つめているように思えた。
 同日に閉幕したG7の会合の話題よりも広島訪問の話題の方が大きく取り上げられ、G7がかすんでしまったように見えるが、最も核兵器を保有しているロシアをG8から閉め出し、話し合いもままならない現状から、どうやって、核廃絶への道を前進させるのか、今後のオバマ大統領の行動を注視したい。
 
■2016年5月26日(木曜日)
 井の頭自然文化園で飼育されていたゾウのはな子が69歳で息を引き取ったという。ラジオやテレビでは、「ゾウのはな子が死にました」と言っていて、それを聞き、なんだか違和感があった。人が亡くなったわけではないので「死んだ」という言葉を使うのだろうが、人に親しまれ、時には、その存在だけで人の気持ちを和らげてくれるなど、ゾウからはどう見えていたのかはわからないが、人にとっては、とても近い存在だったり思い入れのある存在だったことを考えると、あまりにも「死んだ」という言葉がぞんざいな言い方に聞こえてしまった。数の数え方で「頭」と「匹」は、人への貢献度で違ったりするとテレビで見聞きし、子豚なら「匹」で大人になった豚は「頭」なのだという。マウスは、普通は「匹」だが、実験用は「頭」なのだという。人への貢献度の違いを思うと、この数え方と同じように、「死んだ」という言葉ではなく「亡くなった」と言ってあげたい気分だった。
 
■2016年5月25日(水曜日)
 練習は、220m+220mを3セット。つなぎは40mのウォークで、セット間の休息は12分。短距離パートの学生たちと一緒に走ったので、引っ張ってもらえるのではという期待をしていたのだが、2セット目までは、自分が引っ張っていた。タイムは、1セット目が、29秒0と31秒0、2セット目が28秒0と30秒3だった。3セット目は、学生がこのままではまずいと思ったのか、前半の220mも後半の220mも、スタート直後は、自分よりも前に出てくれ、かなり離されたが残り50mくらいから失速してしまい、結局逆転することができた。タイムは28秒2と31秒0だった。
 これで短距離の練習は終わりで、短距離の学生たちはクーリングダウンに入ると言っていたが、中距離が最後に300mのタイムトライアルをするというので、「身体が動かなくなったところから、動かすところが練習だと思うよ」と短距離の学生たちに300mを一緒に走るよう促したところ、4年生が3名名乗りを上げてくれ、中距離と一緒に300mを走った。身体は悲鳴を上げている中、中距離には負けてはいけないという意地もあったのか、1名だけ先頭を引っ張って走りきってくれた。自分は、全くついていけず、タイムは42秒4。まったく動かなかった。久しぶりに「ケツ割れ」に近い状態になった。一人ではできない練習をみんなで声を掛け合ってやりきるというところが、チームだなぁと改めて感じた。
 
■2016年5月24日(火曜日)


賞状をいただきました
 横須賀市体育協会から体育協会奨励賞をいただいた。昨年度、スポーツで全国レベル以上の活躍をした人たちが表彰されたのだが、2月に横須賀市からスポーツ栄光賞を授与された人たちの中から、それぞれの競技協会から推薦を受けた選手たちが表彰され、水泳では、海上自衛隊横須賀の自衛官たちが大勢表彰され、知り合いも何名かいたり、陸上競技では、デフリンピックで活躍している自分の所属する陸上競技クラブ「レジェンズ」のメンバーもスポーツ栄光賞のときと同じく一緒に表彰された。また今年も、この表彰をうけられるような活躍ができればと思う。
 
■2016年5月23日(月曜日)
 土日の疲れは、ある程度あり、身体は重だるいという感じだったが、週末に練習を継続するということを決意したばかりなので、嫌だなぁという気持ちを振り切って、中距離パートの学生たちの練習に参加した。
 メニューは70m×7を3セット。最初の70mをスタートしたところから1分後に次の70mを走るという1分サークルで行われた。昨日までの疲れの影響があり、全力で走りきれず、予想以上に追い込めなかった。最後に300mのタイムトライアルを行い、40秒6。スパイクを履かずに走った割にはタイムは良かった。
 
■2016年5月22日(日曜日)


シニア砲丸投出場者みんなで





シニア砲丸投結果
 東日本実業団2日目。午前中は800mに、午後はシニア砲丸投げに出場。
 昨日の疲労もあり、ウォーミングアップの状態は、昨日よりは悪く、攻めの走りはできなさそうだったので、前半は抑えて、後半はペースアップし、結果としてイーブンペースで走りきるということを目標にスタートラインへ立った。
 予定通り、1周目は最下位で走り、残り300mからペースアップし、5番手に上がった。先頭集団は3人で、かなり離れてしまい、最後の直線で4番手の選手に並び、抜いたところまでは良かったが、すぐに並ばれ抜き返されて5着でフニッシュとなった。タイムは1分57秒04だった。昨年のベストよりはタイムは良く、今季のセカンド記録。1周目が58秒9で2周目が58秒2。目標以上の走りができた。前半頑張らないことで、後半も速度が保てるようになった。これからは練習を継続して、もう少し速い速度でキープしたい。
 砲丸投げは、全くプランがなく、なんとなく投げていて、毎回投げ方を変えていた。エントリーは6名だったが出場者は4名。3位までが表彰台に上がることができた。当然3位狙いだったが、2投目を7m74に記録を伸ばし、3位の選手に並んだところ、すぐに8m台を出されてしまった。今日は8m台の記録を目指していたこともあったので、まだ並ぶことができると思い、いろいろと投げ方を変えながら投げてみたが、記録は伸びなかった。5投目で、基本に戻って股関節の伸展を意識した投擲で、少し砲丸を押す感覚がわかり、7m84に記録を伸ばし、6投目で今までにない気持ちの良い投擲ができた。記録は8m13。初めて8mを超えることができ、自己ベスト更新となった。しかし、結果は4位。3位とは30cmの差があった。来年は、8m中盤の投擲をして、3位に近づきたい。
 
■2016年5月21日(土曜日)


ドームが張り直されました



1500m予選
 東日本実業団初日。1500mに出場。ウォーミングアップでは、なかなかいい動きで、うまくいけば3分台が出るのではないかと思ったほどだった。しかし、レースが始まると、急に動きは悪くなり、1周目は、集団について行ったが、少しずつついていけなくなり、気がつけば単独で走っていた。800mよりも手前で、喉が痛くなった。小学校のマラソン大会でなったような喉の痛み。今日のレースはそのくらい長くも感じた。残り1周のタイムは3分01秒で、59秒以内で回れれば3分台の可能性があったが、全く上げられず、中途半端なペースのままレースは終了した。結果は4分09秒80で11着。組で最下位だった。
 800mはなんとなくごまかせる感じがあるが、1500mは、練習を積んでいないとまともに走れない。練習を継続させ、もう一度3分台を出せるようになりたいと思った。
 
■2016年5月20日(金曜日)
 昨日の練習の影響で、筋肉痛。最近全く走っていなかった影響はあまりにも大きかった。今日よりも明日の方が、よりひどくなる可能性がある。脚が筋肉痛になると、とても脚が重い。練習をしっかり積んで、自信を持って試合に臨みたいが、ここ10年ほど満足に練習して、自信を持って試合に出たことがない。与えられた環境でベストを尽くしているかというと、気分でサボっていることも多く、仕事ではないこともあり、ほどほどにやっているという感じがする。タイムを向上させたいのなら、走る練習を継続していくことが重要なことはわかっているが、なかなかできない。英語の勉強を継続しようと思って、結局できないのと似ている。何がそうさせているのだろうか?
 
■2016年5月19日(木曜日)


1500m予選




燃えてしまった料亭「小松」
 午前中は、関東インカレ男子1500mに出場している学生の応援。申請タイムが出場者中最下位ということもあり、最下位になることもおそれることなく、攻めの走りをしてもらえればと思っていたが、1周目から、先頭が60秒を切るハイペースで、うちの学生も60秒台で1周目を通過することとなってしまった。顔に全く余裕がなく、ただ、前の選手に必死についていくという感じだった。残り1周の時点では、まだ自己ベストを出せる通過タイムだったが、ペースは上がらず、自己ベストから4秒ほど遅れた4分01秒台でのフィニッシュとなった。4月の1ヶ月間は、学校行事の影響で、全く練習をしていなかったことを考慮すれば、よく走ってくれたと思う。
 練習は、4分/kmのペースで30分ジョッグと、600mペース走。週末には試合があるのに、最近全く走っていないので、まずは少し早いペースでのジョッグでからだを温め、600mを300m当たり43秒のペースで走るつもりだった。
 30分ジョッグは設定通りに走れ、少しきつかったが、気持ちの良い走りができた。
 600mは、前半が速くなりがちなので、できるだけ抑えて走り、後半は全力で走るようなイメージで走った。結果は、前半が42秒8、後半は43秒5で、トータルは1分26秒3だった。今シーズンに入って最も良い走りができた。試合ではなんとか2分は切れそうだ。しかし、1500mはどうなるかわからない。
 
■2016年5月18日(水曜日)
 先週、次男が学校で文科省の新体力テストを受けてきた。最も得意としていて、昨年までは学年トップクラスだったシャトルランの記録が落ちてしまい、学年トップとは20ポイント以上の差がついたようだ。次男は、給食を食べたばかりで思うような走りができなかったと話していたが、みんな同じ条件だったはずなので、理由にはならない。今回の結果が、とても悔しかったようで、週に2回朝練をすると先週から宣言していて、今朝はその1回目となった。
 練習内容はいつも走っているコースを1周。前半は、少し遅いのではないかと思う速度だったが、昨年までは、後半の失速が大きく、最後まできちんと走りきれたことがなかったので、前半はゆっくりでもいいのかなぁと思い見守った。後半になると、今までとは違って速度が上がり、こちらも少し速いジョッグに切り替えないといけなくなった。速度はゴールが近づくにつれ上がり、1周を7分59秒で走りきった。今までは9分近かったはずなので、かなりのタイム向上だった。悔しさを持ち続け、この練習が継続されることを願いつつ見守ろうと思う。
 
■2016年5月17日(火曜日)
 先週から左膝の具合が悪く、土曜の陸上クラブの練習で、女子中学生の200m×8を一緒に走ったあたりから、左膝の完全屈曲と伸展が困難になった。何かが引っかかって常に違和感があった。膝がしっかりと曲げられないので自宅での食事の際、正座ができなかった。膝周辺の筋肉が硬くなっていたりするのが原因かと思い、いろいろと緩めることをしていたのだが、なかなか変化は認められなかった。ところが、今日の夕方、突然違和感がなくなり、その場でスッとしゃがめるようになった。膝を曲げても痛みがない。なぜそうなったのかがわからないが、とりあえず、週末の東日本実業団には出場できそうだ。
 
■2016年5月16日(月曜日)
 横須賀で昔からある料亭「小松」が定休日にもかかわらず、火災となり、木造の建物が全焼してしまったようだ。明治時代の海軍高官から戦後は海自の関係者も多数利用していたという。この料亭の前を通る度に一度は行ってみたいと思っていた。消防署が隣にあるので、通報直後から消火にあたることができたと思うが、明治から残っている古い木造家屋なので、燃えやすかったのかもしれない。建物の中には、貴重な歴史的遺産も多数あったようだ。とても残念なできごとだった。
 
■2016年5月15日(日曜日)
 実家から持って帰ってきた主に大学時代に使った教科書などの古本を、ブックオフへ持って行った。ダンボール箱2箱分詰まった本は、50冊以上はある。中には1冊5000円ほどする高価な専門書も含まれていた。しかし、ブックオフのような買取店では、タダ同然での引き取りになるのだろうが、全部で1000円くらいにはなって欲しいと思いながら、買取の査定を待っていた。自分の番号が呼ばれ、買取額を聞くと、320円。そんなものにしかならないのかとがっかりしたが、廃品回収で捨てられるより、まだ、リサイクルされて、誰かの役に立つ可能性があったほうが嬉しいので、その査定額を受け入れた。帰りに5月人形の防虫剤を買いに行ったのだが、防虫剤を1箱買ったら300円近かった。長い月日をかけ、何度も推敲して書き上げた本たちの貨幣価値は販売が始まった後は、あっという間に低下してしまう。一度定価で購入してもらった後の、古本での買取なので、著者には印税が入っていて問題ないかもしれないが、なぜか買取価格を知ると著者の大変さを想像して悲しくなった。
 
■2016年5月14日(土曜日)


カーネーションが咲きました





くりはま花の国
 日体大記録会は棄権し、次男が陸上教室へ行くのに、付き添って競技場へ行った。陸上教室では、500人近い子どもたちを少ないスタッフが指導していることもあり、少しだけお手伝いをすることにした。お手伝いをしたいとスタッフに名乗り出ると、大歓迎で、最初は、小学校5年生のクラスのサポートをしていたが、すぐに、中長距離の女子中学生4名の指導をしてほしいといわれ、サポートではなく、スタッフと同じ指導を行うこととなってしまった。
 中学生は、2年生が3人と1年生が1人。2年生3人は長男と同じ中学で、一人は、昨年度県の1年生の800mではトップの選手だった。しかし、昨年指導してくれた先生が別の学校へ行ってしまい、新たしい先生は、メニューを作ってくれないようで、なんとなく練習をして、今年の試合は、満足な結果が出せていないとのことだった。
 準備運動で骨ストレッチを使い、身体を動きやすくし、重心を使って移動する歩き方と走り方をレクチャーし、4人とも、重心を使って移動すると身体への負担が少ないということを理解してくれた。うちの学生たちよりも、反応はよく、短時間で習得してくれたので、残った時間は、走り方を意識した200m×8のインターバルトレーニングをした。毎回走り終わった直後に脈拍を測り、180/分になるような強度になるよう、それぞれ意識しながら走りきることができた。
 一番強い子からは、また来てほしいと言われ、スタッフの方からは、練習メニューを作ってくれないかと頼まれた。中学の先生の了承が得られればという条件で引き受けた。
 なんとなくお手伝いをするつもりで、名乗り出たものの、深く首を突っ込む結果となってしまった。今まで経験していない中学生の指導という新しい世界での活動が始まる日となった。
 
■2016年5月13日(金曜日)
 今日の1年生の授業テーマは、サーキットトレーニング。こちらも相当テンションをあげていかないと、学生たちのトレーニング効果が低くなるので、身体はつらいながらも、かなりがんばって声を出しながら、授業を展開した。幸運にも、学生の中で、みんなを盛り上げる役を進んでやってくれる学生がいてくれたおかげで、適度な強度の運動ができたと思う。授業が終わった後は、少し具合がよくなっていた。行動して、気持ちを変えることで、身体へも変化を起こしていくということなのだろう。無理にでも動いてみたほうがよいとすると明日のレースに出場するのも解決策のひとつかもしれないが、相変わらず寒気は続き、なかなかそういう気持ちになれない。
 
■2016年5月12日(木曜日)
 月曜の夜から、平熱なのに、寒気があり、軽い頭痛や関節痛、喉の痛みが続いている。すぐにでも風邪をこじらせるのではないかと思いながら、生活しているのだが、そこにはなかなか到達せず、なんて中途半端な状態なのだろうと思いながら日々生活している。毎日なんとか体を動かし、授業を行っているが、自分自身の練習で走ろうという気持ちになれない。週末は記録会を予定しているが、このままでは厳しいだろう。
 
■2016年5月11日(水曜日)


横浜スタジアム





ヒーローインタビュー中
 次男とプロ野球観戦。毎年、県内の小学生を対象に横浜DeNAベイスターズが、招待してくれる。希望の日付は当選できず、まったく別の日になってしまったが、今年も、子どもと野球観戦ができた。次男は、相変わらず野球のルールは理解していないが、スタジアム内に入り、何か夕食となるものを購入しようと思ったら、とにかく、すぐにでも野球が見たいというので、何も購入せずに観客席へ直行した。19時半ごろに座ったのだが、すでに5回表で、かなりゲームの進行が早かった。ベイスターズがリードしていて、スタジアム内は、一部の中日ファンを除き、ほぼベイスターズファンで埋め尽くされているという感じだった。
 最初は、野球を見ていた次男だったが、しばらくすると、ビールを売り歩くお姉さんを頻繁に見るようになった。なぜか聞いたところ、アイスを売っているお姉さんを探しているとのことだった。野球場でアイスクリームを食べることが、今日最も楽しみにしていたことなのだという。目的が野球ではなくアイスクリームだと聞き、少しがっかりしたが、アイスを売るお姉さんがまったくいなかった。今日はいないからあきらめようと次男を説得して野球を見るように促したが、次男はあきらめなかった。
 ほぼベイスターズの勝利が確信できるころ、一人だけアイスを売るお姉さんを遠くで発見した。なかなか自分たちのほうへは来てくれなかったが、辛抱強く、彼女の行方を追い、なんとか声の届くところまで近づいてきたところで、声をかけ、次男は、念願のアイスクリームを手に入れることができた。アイスを受け取ったときの満面の笑みは、見ているこちらも幸せな気分になった。
 
■2016年5月10日(火曜日)
 テレビの歯磨き粉のCMにクルム伊達公子選手が出演していて、最近、あまりスポーツの話題になっていないなぁと思い、彼女の公式ホームページを開いてみた。すると、2回目の手術をしたという内容が書かれていて驚いた。最近のテニスの話題は、全て錦織選手ばかりで、クルム伊達選手の報道は、全く耳に入ってこなかったのだが、その裏で、彼女の別の戦いが行われていたのだ。1月の全豪オープンに出場し、グランドスラムの大会出場50回を数え表彰されたそうなのだが、全豪オープン後、膝の手術を2回行い、現在は、復帰へ向けてリハビリ中のようだ。再びテニスができるようになるかは、手術のでき、リハビリのでき、あとは本人次第とのこと。再び、彼女が競技者としてコートに戻ってプレイができるということを信じたい。
 ゴールデンウィークの合宿中に、モンゴルからの留学生だった卒業生が走りを見てほしいとのことで、学校に顔を出してくれた。彼は、陸軍の軍人だったが、様々な事情により、陸軍をやめ、現在は日本で暮らしている。今度、ハーフマラソンに挑戦するということで、走りについてアドバイスをしたのだが、今日は、そのお礼のメールを受け取った。
 彼は、人の体に興味を持ち、自らもランニングアドバイザーになるべく、ゴールデンウィーク中は、2日間講習会に参加したそうで、その講習会に関連するホームページを教えてくれたので、確認してみると、自分の知り合いが中心になって開催している講習会だった。世の中狭いなぁと思った。
 彼は、モンゴルと日本を結ぶべく、日本でモンゴル語を教えたり、モンゴルの草原で行われるモンゴル国際草原マラソンのイベント開催にかかわっているという話をしていたのだが、そのホームページのアドレスも教えてくれたので、そのページを見てみた。優勝すると、副賞に馬やラクダが1頭もらえるということに驚いた。海外の選手が優勝した時には、どうやって持って帰るのだろうという疑問が最初に沸いたが、優勝した人が考えればいいことなので、それ以上は考えないことにした。とにかく、まったく人工物が見えない草原と空しかないようなところを思いっきり走れるというこのイベントは、なかなか貴重なのではないかと思った。いつか、参加できる機会があれば、参加してみたいと思った。
 
■2016年5月9日(月曜日)
 昨日等々力競技場で行われたゴールデン・グランプリの映像を見た。テレビ局は、自分たちが勝手に注目した種目だけを放送するので、かなり偏りがあるなぁと思った。男女の400mハードルは、日本人選手がオリンピック標準を突破し、オリンピック出場へ近づいた。特に男子の野沢選手の走りは、前半から積極的に行き、48秒台の素晴らしいタイムでのフィニッシュとなった。それと比べると男女の800mは、積極性はなく、海外の招待選手をうまく利用することなく、何の抵抗もせずに終わってしまったように感じた。2年前にこの大会で日本記録を更新した男子の川元選手は、後半の走りが素晴らしかったが、今回は、後半の伸びがなく、なんとか日本人トップでフィニッシュとなった。
 もっとも驚いたレースは、障碍者の100m。片方の膝から下が義足の選手たちのレースだったのだが、アメリカのウォレスレ選手は、向かい風の中、10秒97で走った。他の選手たちと比べ、バランスがしっかりしていて、走りに違和感がなく、健常者の100m走を見ているようだった。世の中には、すごい人たちがいるものだと感心してしまった。
 
■2016年5月8日(日曜日)
 大迫選手が最近行われたアメリカの10000mレースに出場し、残り600mからスパートし、27分50秒台で2着となったという記事をインターネット上で発見し、動画を見た。海外のペース変化にも対応し、自ら先頭を引っ張って勝負を仕掛けるなんて、日本人ではなかなかできないことだと関心していたが、1着は10000m初挑戦のバーナード・ラガト選手だったということにさらに驚いた。初めて10000mを走って、27分49秒36で1位。彼は自分と同じ41歳。これは、マスターズM40の世界新記録。日本のトップ選手でも、40歳を超えたマスターズの世界記録保持者にはかなわないのか。800mでも昨年の同年代の世界ランキング1位は1分48秒台だった。一昨年は1分47秒台。日本のトップ選手と十分戦えるタイムで走っている。自分と同年代のおじさんたちもまだまだ頑張っているということを知り、自分の記録低下を嘆いている場合ではないと思った。
 
■2016年5月7日(土曜日)


本日の収穫
 スナップエンドウとグリンピースの収穫が一段落ついたので、これらをウネから取り除き、先週購入したサツマイモ(シルクスイート)の苗を植えた。また、トマトの苗も畑に植えたかったが、植える場所がなかったので、プランターに植えた。プランターにトマトを植えると、トマトを支える支柱を安定させることができないので、困ったが、使える道具を総動員してなんとか風などで動かないように安定させることができた。先週植えたキュウリとゴーヤは、先週の低気圧の強風により、葉が枯れたり、伸びたツルが切られたりして、しっかり生長できる状態ではなくなってしまった。来週も雨が降る予報になっているが、強風が吹き荒れないことを祈る。
 
■2016年5月6日(金曜日)
 普段サーキットトレーニングで、自分の体調を把握しているのだが、身体が動かないときは、最初から脚が重くて動かなかったり、早い段階で脚への疲労を感じる。最近は、ずっと脚が重く、タイムがあがらない。たかだが10分ちょっとの時間なのに、最も良いタイムを出していたときと比べると、3セットで2分くらい遅い。体重自体は、それほど変化はしていない。感じ方が違うということなのだ。調子の良い状態をいつでも作れるという再現性の高い方法を見出せないうちは、調子が良くなるまで、のんびりと待つことになる。悪いときがあるから良いときがあると思うと、のんびり待とうという気になってしまう。
 
■2016年5月5日(木曜日)


ふるさと納税で
鰹のたたきが
届きました
 午前は、長男と次男を連れてプールへいった。今日はこどもの日ということで子どもは無料で使用でき、大人料金だけで3人入れた。長男は昨年まで週1回水泳を習っていたので、どのくらい泳げるようになったか知りたくて、泳げるようになったという4泳法を披露してもらった。自由形は、創造していたよりは、上手で、呼吸するときに頭が上がることなく、自由形になっていた。背泳は足が沈みすぎで、腕のかきは、あまり水を捕らえていないため、進みが悪かったが、なんとか25mを泳ぎきった。平泳ぎは、足が、ドルフィンキックのようになることがあり、大きな水しぶきが何度もあがった。バタフライは、、腕が水面から上げるのが難しいようで、おぼれそうになりながら、なんとか25mを泳ぎきった。まだまだ上手になる要素が満載なのだが、本人は、まったくやる気は内容で、こちらが次男の泳ぎを見ている1時間ほどの間、ずっとお年寄りたちと一緒に、歩くコースで、何をするわけでもなく、プールの中で漂っているという感じだった。
 次男は、自分は泳げると張り切って話していたが、実際は、ほとんど泳ぎになっていなかったので、ビート板でバタ足をするところから見ることにした。そのご、片手はビート板にのせて面かぶりクロールを行ったが、ずっと肘を伸ばして腕を動かそうとするので、まったく進まず、呼吸もすぐに苦しくなるということが続いた。今日は、呼吸をする動作までは練習できなかった。時間があるときには、次男の泳ぎ向上に付き合っていこうと思う。
 
■2016年5月4日(水曜日)


参加者全員で
 妻の両親の古希を御祝いする会に参加。妻の家族は、妹たちが子どもを連れて集まった。本来であれば、子どもたちがお祝いするところなのだが、古希は過ぎてしまい、義母が自ら、お金を出して、お祝いをするという形になり、なんだか申し訳ない気分になった。義母は、長い間、こういったことにお金が使えるよう、互助会に積み立てをしてきたとのことで、その互助会の関係のホテルで豪華な食事をいただいた。
 生まれて1年もたたないくらいの赤ん坊が2人参加したので、その食事会もその2人が中心になる感じだった。次男は、赤ん坊の世話を進んでやってくれ、うちにも欲しいと言っていた。ちょっと前までは、三男が同じような赤ん坊だったが、次男は、時々三男に意地悪をする。直接利害関係のないよその子どもはかわいいということなのではないかと思った。
 これからも、義父母には、いろいろと助けてもらうことの方が多いかもしれないが、こちらからも恩返しがしていけるよう、人生を楽しく過ごし、長生きして欲しい。
 
■2016年5月3日(火曜日)


五月人形と子どもたち
 練習は、自宅の周辺を使って2分ジョッグ2分ダッシュ。2日間の合宿の疲労の影響もあり、思ったような走りはできなかった。海岸沿いの公園や、花の国の駐車場はいっぱいで、公園外のあふれ、連休中なのだということを実感した。とうぜん、公園内にいるお客さんの数も普段では考えられないくらいの人数で、自宅付近が、観光地なのだということを再認識させられた。良い所に住んでいる割には、全然公園に行くことがない。近いといつでもいけるという感覚があるのかもしれず、かえっていかないという結果になるのだと思う。
 
■2016年5月2日(月曜日)


こいのぼり
 昨日、実家近くの道の駅で、きゅうり、トマト、ゴーヤの苗を父に買ってもらった。苗の種類が横須賀よりも豊富で安く、逆に何を選んだらよいのだろうと思うほどで、とてもうらやましかった。
 我が家の敷地の中で最も風を受ける場所は敷地の境にある垣根のある場所なのだが、昨年は、強力な風雨により、垣根の半分が枯れてしまい、今年は若葉が生えてこない。今日は、枯れてしまった垣根のウコギにつるが絡んでくれればとの思いで、垣根の近くにきゅうりとゴーヤを植えた。きゅうりとゴーヤのつるが、次の低気圧までに絡んでくれればと思うが、明後日は雨の予報となっている。なんとか生き残ってほしい。
 
■2016年5月1日(日曜日)


ワープロ書院



富士山
 実家の耐震状況を調査するのに荷物が多くて困っているとのことで、自分の必要なものと不必要なものを分別し、必要なものを持ち帰るべく、実家に帰省した。
 朝4時半ごろには出発し、行きは渋滞もなく3時間半で実家に到着。朝食後、自分の荷物を整理した。昔使っていたワープロがそのまま残っていて、液晶画面は、割れたような状態だったが、ワープロ字体は立ち上げることができた。インクリボンも残っていて、ワープロ愛好者にとっては、貴重な部品となるのではないかと思ったが、引き取りたいとは思わなかったので、両親には処分をお願いした。自分の机の中もすべて整理したが、大学や高校の受験票など、懐かしいものがたくさん出てきて、いろんなものを大事にしていたのだなぁと思った。
 荷物の整理がついた後、祖母の家に行き、昼食をはさんで、祖母の家から必要なものをいただいて実家へ戻り、荷物を車へ積み込み、横須賀へ戻った。
 帰りは、御殿場の手前から事故渋滞となり、トイレを我慢しながらの運転となった。14時前には実家を出発したが、22時を過ぎていた。眠気が続き、前半は、何度も休憩したことも影響し、8時間以上のドライブ。行きと帰りで半日は車に乗っていた。とにかく疲れた。  
 


[昔のいずみ]