最近のいずみ

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パートタイムアスリートいずみ 17年目に突入 

■2017年4月30日(日曜日)
 昨年の12月に4夜連続で放送されたNHKスペシャル「東京裁判」をまとめて見た。裁判自体は、事後法で片づけようとした違法な裁判であり、インドのパル判事は、最初から結論ありきの裁判に対して最後まで抵抗したという認識を持っていたが、ドラマを通して11人の判事に様々な対立があることを知った。
 裁判が始まり、弁護人が裁判自体の無効性や原爆を投下した責任などを問うたことで、判事団にも動揺が走り、アメリカ代表の判事が帰国してしまったり、途中からインドとフィリピンの判事が加わるなど、オーストラリアの裁判長は、10人の判事をなかなかまとめきらなかった。イギリス、カナダ、ニュージーランドの判事の工作で、裁判長は途中で帰国を命ぜられるなど、多数派とされた人たちの策略は激しかった。東京裁判での判決を無罪にしてしまうと、ナチスを裁いたニュルンベルク裁判の判決が間違っていたということになるため、両裁判が矛盾しないようにすることを多数派は優先させていた。そんな中、オランダのレーリンク判事は、国際法に則って判決を導こうと苦悩しながら、一旦はパル判事と考えを同じくしたが、最終的には、他の10人とは違った結論を導き出した。
 裁判の中では、アメリカ側が日本の暗号を解読し、日本が戦争を仕掛けてくることを認識していたということが明らかになっていた。わかっていて日本に戦争を仕掛けさせたということになるのだが、最終的には戦争を始めさせた責任を当時の指導者に背負わせる結果となった。「ビルマの竪琴」を書いた竹山道雄は、指導者にも責任はあるが、それを認めた国民にも責任があると述べていた。しかし、これによって戦争の責任が国民にはなく、指導者にあるという認識が国民の中に広がってしまったため、当時から70年経った今では、戦争は自分たちとは関係のないものという認識が国民に広がり、安全保障について真剣に議論できなくなってしまった。国防については、当事者となる自衛官は真剣に考えるかもしれないが、平和憲法を唱える人たちは自分たちが当事者となることを全く想定せず、はっきり言って独立国の国民ではないように思える。
 東京裁判の判決文は、意見を異にするグループや個人ごとに作成され、最終的に多数派とされた人たちの判決文が採用され、それに対して意見書という形で5つの意見書が出された。公式判決文と意見書を合わせると2800ページを超えるそうで、裁判長は1200ページを超える判決文を読むのに7日間かけたという。
 この裁判では、人は戦争を裁くことができるのか?という問いを人類に突きつけたが、いまだにその問いに対する答えは見つけられず、相変わらず、世界中で戦争が続いている。東京裁判に出廷した判事たちは、戦争のない世の中を作りたいという理想を持っていたようだが、今の世の中を見て、自分たちの仕事の評価をどう考えるのだろうか。
 
■2017年4月29日(土曜日)


月曜の怪我の跡
 練習は、学生と一緒に800mと1000m。競技場へ着いた時刻が出走15分前。満足にウォーミングアップはできない状態で、スタートとなった。スパイクを持ってきたつもりが、体育館シューズとして使っていたWTシューズ(マラソンシューズ)だった。時間がないので、このシューズで走るしかなかった。
 800mは、先頭の学生の後ろについて、前半は、あまり頑張らすに走れ、1周目は60秒3。2周目は残り250mくらいから少しずつ腕がしびれてきたが、脚は元気で、残り50mくらいで、急激に動かなくなった。先頭の学生も動かなくなり、2人で失速してフィニッシュ。2周目は64秒4でトータルタイムは2分04秒6。
 休息は10分で、久しぶりに速度を上げて走ったこともあり、呼吸は激しく、脈も高く、1000mのスタート直後には、吐きそうになるなど、スタートするには厳しい状態だった。スタート直後は、先頭の学生についていったものの、100mで失速し、あとは吐かない程度に走るしかなく、3分36秒1でフィニッシュ。このタイムでも終わった後は、また吐きそうになった。1000mは意図した練習とはならなかったが、呼吸器系は追い込まれ、結果としては練習になったのかもしれない。
 ほとんどアップせず、しかもスパイクもなかったが、800mは思った以上に走れた。左膝の痛みは、走っていないときにはかなり気になるが、とりあえず走っているときには気にならない。少しずつ慣らしていきたい。
 
■2017年4月28日(金曜日)
 文部科学省が昨年度の教員実態調査結果を公表したという報道があった。10年前と比べ学内勤務時間は増え、週60時間以上働いている教諭の割合が、小学校では33%、中学校では57%という結果となった。月80時間超の時間外労働は過労死リスクが高まる一つの目安なのだそうで、文部科学省も早急に対策を考えるとの方針なのだという。職種別で最も労働時間が長かったのは、副校長や教頭の週63時間台で、週休2日で計算すると1日に12時間以上の勤務ということになる。週40時間という労働基準法と比較すると、1日に約1.5倍の勤務時間となる。教頭先生は、学校の開門から施錠まで、とにかく労働時間が長く、教頭先生になるための試験を受けたがらない先生が増えているということを聞いたことがあるが、その通りなのかもしれない。また、小学校よりも中学校の教員の労働時間が長くこちらも週63時間台となっていた。平均がこの数字なのだから、これよりも長い時間勤務している先生がたくさんいるということになる。報道では、中学校の特性として、土日も部活のために出勤するということもあり、結果的に勤務時間が長くなったという解釈だった。
 うちの学校は、部活が勤務時間としてカウントされるかといえば、グレーゾーンとなっている。合宿という位置づけで活動する場合は勤務時間になるが、普段は完全なボランティア。普段の活動時間を勤務時間として計算すれば、中学校の先生たちと変わらない勤務時間になる。自分の好きなことをやっているので、ボランティアで構わないし、勤務時間という認識もないが、中学校では、自分の希望しない種目の担当に充てられ、苦痛でしかないという先生もいるようだ。やらされているという感覚だと苦役であり、それはそのままストレスになる。先生が肉体的にも精神的にも健康で子どもたちにとってあこがれの存在であることが、子どもたちの学習意欲を高めることになるだろう。仕事が苦痛で、やる気が失われている先生が教壇に立つことは、日本の将来にとってプラスにはならない。日本の将来は、今の子供たちにかかっている。子どもたちに投資すべく、もっと先生の数を増やして、仕事のシェアをさせるなど、先生の負担を減らしつつ、子どもたちへの指導が充実する方策を早急に進めてほしいと思った。
 
■2017年4月27日(木曜日)

 三男の幼稚園のイベントで野毛山動物園へ遠足へ行った。三男は、次男の遠足にもついてきているので、記憶のないころから参加していて、今日は、ライオンとトラを見たいと言っていた。野毛山動物園と言えば、国内最高齢のラクダが有名だったが、亡くなってしまい、その後はどうなっているのかが気になった。
 今回は、すべての動物を見たいとのことで、動物を直接触れるイベントには参加せず、ゆっくりと園内を回った。三男が見たがっていたトラは1月に亡くなっていて見ることはできなかった。また、シマウマがいるはずの区画には、子どものキリンがいて、三男はシマウマが見たかったと泣きそうになっていた。
 最も感動したのは、オスのインドクジャクが羽根を広げた求愛行動。「バサバサバサッ」と細かく羽根を動かしながら、メスに近づいていくのだが、メスは、完全に無視。隣のオリでも白いインドクジャクが同じタイミングで羽根を広げ、1度に2羽の求愛行動を目撃でき、あまりの豪華さに手を合わせたくなった。
 
■2017年4月26日(水曜日)
 ニュージーランドでワールドマスターズというイベントが開かれている。4年に1回開催され、オリンピックのように様々な競技が行われている。陸上競技では、5歳刻みの年齢別のカテゴリーごとに競技が行われ、自分の知り合いでも、金メダルを獲得した方がいた。たまたまこの大会の記事をウェブサイトで見つけ、体育学校の先輩も金メダルを獲得したことを知った。国際大会では、過去に世界マスターズ選手権に出場し銀メダルを獲得したことがあったそうだが、一度も優勝をしたことがなく、今回が初めての優勝だったそうで、今大会では日本人最初の金メダリストだったという。円谷選手の走りにあこがれ、先輩が果たせなかった金メダルを取ろうと競技を続けてきたそうで、50年かかったが金メダルを獲得できた。成功者は、できるまであきらめなかった人だということなのだろう。次は、2021年に関西でこの大会が開催される。自分もこの大会に参加し、先輩に続きたいと思う。
 
■2017年4月25日(火曜日)
 利き手ではない側で箸を持って食事をしなければならなくなり、もどかしくて仕方ない。学生が持ってきた書類に署名を求められたが、利き手ではない左で書くことはできず、やれる範囲で右手で書いた。親指が使えないので筆圧が低く、小学生が描いたような字になってしまった。パソコンのキーボードは、あまり親指を使うことはないので、問題なく使えてホッとした。
 左手で何かをしようとすると、いろいろと不便が生じることを実感した。ドアを開ける際にも、右利き用にできていることに気が付いた。車のキーを入れるところも右利き用にできていて、親指が効かないのでキーが回せず、無理やり左手で回すしかなかった。不便はあるが、せっかくなので、このもどかしさを楽しんでいきたい。
 
■2017年4月24日(月曜日)
 昨日の講習会を参考に新たに授業の内容を組み直し授業に臨んだ。前半は、セルフケアをすることで、全身がほぐれ身体が動かしやすくなるということを感じてもらう内容にした。学生によっては、あまり自分の体と向き合ってこなかった者もいて、膝蓋骨が動くことに感動したり、筋肉が硬くて、自分で触るだけで痛みがあることに気がついたり、個々に様々な発見をしていたように見えた。そんな中で、自分の体のどこを押せばいいのかわからないという学生がいたので、場所を教えるため、親指で学生の体の狙った部位を押さえようとしたところ、自分の親指が滑るようにあらぬ方向へ動き、「ゴキゴキッ」というような音がして、親指の周囲に急激に痛みが発生した。最初は骨折かと思ったが、以前手首の骨を折っている経験から、骨ではなく筋肉が切れたのだろうと思った。急激に親指の筋肉は腫れあがったが、授業中なので、冷やすこともできず、そのまま授業は続行した。朝から3コマ連続で授業だったので、2コマ目からは手をアイシングしながら授業をし、夕方医務室へ受診した。
 医務室では、腱が傷ついたのでしょうという診断で、アイシングくらいしか対処はなく、湿布をもらって終了。アイシングをしてもさほど腫れに変化はなく、親指を小指に近づけようとすると痛みが出て、近づけることができず、骨ストレッチができなくなった。利き手の怪我なので、いろいろなことが不便になった。
 夜は、最近通っている整骨院で、電気をかけてもらい、その場で腫れが治まり、親指と小指をくっつけることはできるようになったが、しばらくは圧迫固定をした方が良いとのことで、塗り薬と湿布を貼って包帯で圧迫固定をしてもらった。しばらくは不便な生活を覚悟しなければならない。
 
■2017年4月23日(日曜日)
 骨ストレッチランニングの講習会へ参加。新年度となり、新たに第1回から始まるということなのだが、内容は、先月からの続きということで、今回も基本動作と歩きを組み合わせた動作をすることで、身体の感覚としては劇的な変化があった。特に、今まで以上に鎖骨や肩甲骨が動いていることを感じることができ、最後は、自分がボルト選手になったような気分になれ、とても気持ちよかった。自分の感覚が変わったことで、腕振りは、自分で意識するものではなく、結果的に振っているだけなのだという認識に変わった。うまく鎖骨や肩甲骨が使えてくると、腕が体の後ろへ行かなくなり、腕の重みも重心移動に使われるようになる。自分の授業では、今まで腕振りについていろいろと話してきたが、自分の認識が変わってしまったため同じ授業ができない。明日から授業が始まるが、内容を大幅に変更して臨まなければならない。
 
■2017年4月22日(土曜日)
 練習は4000mペース走。相変わらず左膝の痛みはあるのだが、痛みは、走りだしの時には気になるが、途中からは痛みを感じなくなる。そして、両側の坐骨結節付近の痛みのほうが気になり、自分自身で股関節の可動域に制限を加えながら走っている感じがする。
 今日もペースは3分30秒/kmを目安に、できるだけ頑張らないように走った。ラップは、3分26秒4、3分27秒6、3分27秒1、3分23秒3だった。タイムは落とさずに走りきることができたが、最後の1000mは、何度も嘔吐した。無理をしないで走ったつもりで、実際、筋肉への負担は少なく、楽に走れたのだが、結果から見れば、内臓への負荷は大きかったということになる。吐き癖はどうすることもできない。吐いた勢いで逆にスピードが上がったということもあり、苦しみながらも最後の1000mのタイムは上がってしまった。
 最後に300mを45秒の感覚で走り、44秒4。自分のスピード感覚はちょっとずつ戻ってきているように思う。
 
■2017年4月21日(金曜日)
 北朝鮮の核実験が間近に迫っているとの憶測が飛び交う中、政府が北朝鮮による弾道ミサイルの発射を想定した住民の避難訓練を早期に実施するよう都道府県の担当者に呼びかけたという。また、内閣官房のウェブサイトには、弾道ミサイル攻撃を受けた際の避難方法も掲載された。
 弾道ミサイルが日本に落下する可能性がある場合は、Jアラートを活用して、様々な方法で緊急情報が流れることになっている。弾道ミサイルが発射してから、極めて短時間で着弾するということで、できれば、頑丈な建物や地下街に避難するほうが良いようだが、建物や地下街に入れなかった時には、地面に伏せ頭部を守るしか対策はないとのこと。ミサイルに化学兵器が搭載されていたら、この対策もあまり効果がないのかもしれない。現実にシリアでは使われて、死傷者がたくさん出ている。生き延びるには、個人専用の防毒マスクや防毒のスーツまで用意しなければならないのかもしれない。各国の指導者たちの身勝手な行動が多くの人の命を左右する。全ての国が国益にかなう行動をとった結果が今の状況だとすると、国益の考え方が間違っているのではないかと思えてくる。
 
■2017年4月20日(木曜日)
 新年度に入り、NHKラジオ「まいにちハングル講座」も4月からは新しい先生が担当し新たな内容を勉強している。木曜日は、日本人が間違えやすいことについての講義なのだが、今日は「いいです」の使い分け方だった。日常で「いいです」という言葉を、あまり深く考えずに使っているが、外国語に翻訳する際には、全く異なる意味合いなのに日本語ではすべて「いいです」で済んでしまうということを改めて認識した。「Yes」の意味で使うこともあれば、何かを断るときのように「No」の意味で使うこともある。何かに感心した時には「いいですね」、うらやましい時にも「いいですね」と言う。便利な言葉ではあるが、外国人にしてみたら、全く意味がわからないのではないかとおもってしまった。外国語を勉強することで、逆に日本語を勉強しているような感覚になった。
 
■2017年4月19日(水曜日)
 最近、急に鼻水や鼻づまりが頻繁に発生するようになり、目もかゆいことが多い。今年は2月から3月にかけての最も花粉症のきつい時期を、比較的軽い症状で乗り越えることができ、スギ花粉の飛散する時期が終わったので、花粉症も終わったという認識でいた。スギ花粉の後はヒノキ花粉が飛ぶそうなので、今はヒノキ花粉が飛んでいるだろうが、自分の身体がヒノキにも反応しやすくなってしまったのかもしれない。以前血液検査でアレルギーを調べた時には、スギの反応が圧倒的に高かったが、2番目に高かったのはヒノキだった。スギへの感度が落ち、ヒノキへの感度が上がったと解釈するしかなさそうだ。スギ花粉の症状が以前より穏やかになったが、ヒノキへの反応がたかくなり、結果的には、花粉症の期間が長くなってしまった。しかし、鼻づまりで寝られないということはないので、これも受け入れ、穏やかに付き合っていくしかない。
 
■2017年4月18日(火曜日)


昨夜の暴風被害
 ベトナム人の少女が通学途中に行方不明になり遺体で発見された事件で、彼女の通う学校の保護者会の会長が逮捕された。このことは、他人事ではなく、自分の住む地域でも、年に何度か不審者情報があり、学校から連絡がくる。昨年は学校の爆破予告まであった。
 先日は、妻が三男と歩いていて、三男と少し距離をとって歩いていたところ、三男が知らないおじさんに声をかけられ、握手を求められ握手をしていたということで、かなり冷や冷やしたと妻が話していた。子どもは疑わないので、声をかけられればそれに反応してしまう。知らない人にも親切にすべきなのだろうが、最近は、知らない人とは話さない、近寄らないと教えなければならない。今回の事件は、顔見知りなので、こうした注意も活きてこない。どうやって今回のような事件を予防すればよいのか?子ども自身の、嫌だなという感覚を頼りにするしかないのか。
 最近は、殺人事件でも身内の殺人がよくあるし、身内ですら信用できなかったりする。みんなで協力して生きていた時代には、考えられなかったことのように思うが、今は、個人主義が浸透し、身内でも他人ということなのだろうか。震災の時に、知っている人も知らない人も関係なく、みんなで協力し秩序を保つことができた日本人は世界から賞賛された。そんな日本で、今回のような事件が起きるのは悲しすぎる。
 
■2017年4月17日(月曜日)
 先週は、水曜日の朝起床後から急に臀部に打撲をしたような痛みがあり、1週間痛みが取れず、膝の状況もあまり芳しくなかったので、一度も走る練習ができなかった。新しい週に変わり、今秋から、また練習を再開することとし、まずは4000mのペース走を実施した。設定は3分30秒/km。骨ストレッチのおかげで、意識的に脚を動かすのではなく、以前よりは尾骨や背骨を意識して走れるようになった。臀部や膝の痛みは、走っている中でも強くなったり弱くなったりした。後半は、その痛みよりも、吐きそうになるのをこらえながら走るということの方が気になり、痛みはなくなっていた。ペースは、3分25秒1、3分30秒2、3分27秒7、3分25秒7で、一定ペースではなかったが、設定タイム以上のペースで走ることができた。膝や臀部の痛みは残るが、ちょっとずつタイムは向上している。痛みが強くならない範囲で、練習を継続していきたい。
 
■2017年4月16日(日曜日)


挿し木(ウコギ)の植え替え
 陸上競技部の学生が股関節の手術で防衛医大に入院していたので、お見舞いに行った。15〜16年前に3か月半ほど、防衛医大の中に住んでいたことがあり、とても懐かしいかったが、思い出は、一人暮らしだったというさびしい印象と、朝練を4時台から初めて6時ごろには出勤というとてもつらかった印象が強い。航空公園の駅を降りると、当時と変わらないとても広々とした空間が広がっていて、横須賀の狭くてゴチャゴチャした感じとは違いゆとりのある雰囲気がとても懐かしかった。自分が生活していた官舎もそのまま残っていた。
 学生は、手術が終わって、まだベッドに横たわっているのだろうと思っていたのだが、入院棟のエレベーターを降りた途端に、鉢合わせになって驚いた。すでに松葉づえをついて歩行していた。手術した側の股関節はできるだけ動かさないように注意はしているようだが、とても元気そうだった。最近学んだ骨ストレッチから、リハビリ中でも使えそうなネタを教えてあげると、とてもうれしそうな反応を示してくれた。明日、医師に会って、今後のリハビリ等の説明を受けるようだが、なんとか箱根駅伝予選会に出られるように復帰してほしい。
 
■2017年4月15日(土曜日)
 次男と三男を職場へ連れて行き、運動させた。最初は、プラスチックのバットでゴムボールを打つことをしていたが、あまりにも風が強かったので、室内に入ることにした。室内に入ると、子どもたちが気になったのは、低体力の学生に雑巾がけの動きをさせるために作った台車。雑巾程度の大きさの板に4つの車輪をつけた台車なのだが、これをつかって雑巾がけの動作をしたり、台車に乗って、手で床を掻いて進んだりして楽しんでいた。こうしたほうが面白いという感じで、次々と新しい乗り方を提案し、2人でずっと楽しんでいた。その多くが競争だったりするのだが、かなりの運動だったのではないかと思う。子どもたちは、何もなければ自分たちで工夫して遊びを考え出す。大人では思いつかないことが多く、見ているだけで楽しかった。
 
■2017年4月14日(金曜日)
 次男が近所のプールで水泳を習っているので、帰宅後彼を迎えに行くついでにレッスンを受けている姿を見に行った。本人は、25mなら泳げると言っていたが、昨年一緒にプールに行ったときには、25mは難しいだろうと思った。今日は、平泳ぎの練習をしていたのだが、先生に手を引っ張ってもらいながら、キックがうまくいかず、ちょとバタフライのようなドルフィンキックに近い動きになっていた。生徒の手を引っ張っていると、先生は最も大事なキックについての指導が難しので、子どもにビート板を持たせれば良いのではないかと思った。平泳ぎはまだまだ習得には時間がかかりそうだ。レッスンの最後の方は、クロールをすることとなり、ある程度ストリームラインやバタ足ができ、かなりスムーズな腕の動きで、前に進んでいた。昨年と比べると向上していて、子どもの上達はほんとうにはやいと思った。今の状態であれば、25mは泳げそうだ。
 
■2017年4月13日(木曜日)


オオシマザクラ
 昨日急に痛くなった右臀部の痛みは昨日より強くなり、歩行する際にも気になる。さらに治療中の膝の具合もあまり良くなく、こちらも歩行中でも気になる。これでは、何か運動をしようという気分にはなれず、何もできなかった。
 午後は、まだ春休み中の三男の空手の習い事の送り迎えをした。昨年までは金曜日に習っていたのだが、別の習い事の影響で新年度からは木曜日となった。幼稚園のホールを借りて、幼稚園とは直接関係のない団体から先生が来て教えてくれるのだが、ホールへ行ってみると、生徒は2人しかいなかった。春休みなので、生徒が少ないのかと思ったら、受講者が2名しかいないとのことだった。うちの子供が木曜に変更しなければ、生徒は1人だけだったという。金曜のときには、10名以上の生徒がいたので、あまりの少なさに驚くと同時に、マンツーマンに近くなり、子どもの上達にとっては、とてもラッキーな状況だと思った。
 
■2017年4月12日(水曜日)


きれいです
 接骨院でアキュスコープでの治療をした。身体の生体電流を読み取って、傷ついた神経の電気的バランスを回復できたり、骨の再生をサポートするとのことで、膝の骨棘や骨挫傷の部位に電気をかけている。膝が痛む動作を繰り返しやっていくうちに、痛みが緩和してくる。今朝から右臀部に打撲をしたような痛みが急に発生し、気になっていたが、最優先は骨のことなので、治療は膝だけしかできなかった。
 隣のベッドでは、高校生が治療をしていたのだが、話を聞いていると、陸上競技をしているようで、インターハイへ向け最後のシーズンなのに怪我をして、いい状態では試合に臨めないという話をしていた。高校3年生らしい。試合前で不安な気持ちが話から伝わってくる。自分も当時はいつまで競技が続けられるのかとか、高校卒業後に進学先はあるのだろうかなど、常に不案な気持ちを抱えていたような気がする。安心できる材料は何一つなく、とにかく自分のできることを一つ一つやるしかなかった。その積み重ねが将来を作るということはわかっているが、何も手につかないということもあった。懐かしい気持ちだなぁと思った。
 
■2017年4月11日(火曜日)


夜桜
 北朝鮮がミサイルを発射を繰り返し、アメリカは朝鮮半島周辺へ複数の空母を派遣するなど、朝鮮半島情勢は、かなり緊迫してきた。慰安婦像問題で韓国から日本に戻ってきた大使が、突然韓国に帰任することになったというのも、慰安婦問題どころではないということなのか。アメリカの国務長官は、北朝鮮に対する戦略的忍耐は終わり、今後の政策には、すべての選択肢があるとのコメントを残している。すべての選択肢があると言っておきながら、戦略的忍耐という選択肢はないそうなので、少なくとも話し合いをするという選択肢はなくなったということなのだろう。アメリカが戦争を始めれば、日本は自動的に巻き込まれることになる。その可能性がかなり高まっているように感じるのだが、その割には、日本の報道はそこまでの緊張感があるようには見えない。麻生財務大臣は、先月末「いま日本の新聞が書いているより深刻じゃないか」と述べている。政府高官には、国民が知ることがない情報が入ってきているだろうから、それをほのめかして、国民も危機感を持ちなさいということなのかもしれない。戦争が回避されることを願う。
 
■2017年4月10日(月曜日)


満開です
 体操の内村選手が、全日本選手権の個人総合で10連覇を成し遂げた。2位との点差は0.05点と僅差だった。試合後のインタビューでは、とても苦しい胸の内を明かし、負けた方が楽になれるという気持ちと葛藤しながらも勝利し、「勝ってしまったので、まぁ地獄ですね」とコメントしていた。短い言葉だが、勝ち続けることの重圧というものがどういうものかということを物語っていてとても伝わってきた。昨年のオリンピックでも金メダルを獲得した際、「もう何も出ないところまで出しきって取れたので、嬉しいより幸せ」というコメントを残していたが、ギリギリのところで戦っている人のコメントというのは、本当に短い言葉だが伝わってくるものがある。
 勝ち続けることがどれだけのプレッシャーなのか、うちの部の学生たちが経験することはないのかもしれないが、卒業後は、絶対に負けてはいけない職業に就くことになる。内村選手と同じではないかもしれないが、絶対に負けられないプレッシャーというものを、なんとなく背負いながらの勤務となる。できれば、競技でもそういった経験をさせてやりたいが、能力の高い人が入校してくるわけではないので、まずは、強い人たちに追いつき追い抜ける楽しさを経験させてやりたい。
 
■2017年4月9日(日曜日)
 夕食の時になぜか三男が誕生した時のことが話題となり、長男と次男は、当時のことを何となく覚えているのかもしれないが、生まれてくる三男は、まったく話がわからないということになったので、当時の映像を探して、見せてやることにした。5年ぶりくらいにデジタルビデオカメラに電源を入れようと思ったが、バッテリーは充電されているわけはなく、アダプターをつないで、電源を供給し、ビデオを作動させた。今のスマートフォンの映像よりは画質は落ちるが、40インチを超える画面でもそれほど支障なく映像を見ることができた。
 生まれる直前に、家族4人で行った八景島の映像から始まり、生まれる日の朝、家族で庭のミニトマトを採っている映像、そして、病院で生まれるのを待つ映像、頭から生まれてくる映像、翌日の映像を見た。今では、親の話を聞かなくて、手を焼いている子どもたちだが、当時は小さくて、守ってやらなければならない存在だった。当時の気持ちを少しは思い出し、もう少しおおらかになったほうがいいなぁと思った。それよりも、妻にも子どもにも今まで大病を患うことなく、健康に生きてきてくれありがとうと感謝したい。
 
■2017年4月8日(土曜日)


挿し木が育ってます
 1日何の予定もなく、妻も子供も、朝からいろいろと用事があり、家には自分一人だったので、なんとなくダラダラとスマートフォンを見てあっという間に時間が過ぎてしまった。横須賀市では今年6月に市長選挙があるそうで、現市長は2期8年を務めたことになり、どんな仕事をしてきたのだろうということを、本人のウェブサイトをはじめとして、気になる市議会議員のウェブサイトも見ながら、自分なりに総括してみた。自分にとっては、ここ2年間は、自分のことを評価して表彰してくれる人ということで、悪い印象はなかったが、中学校の給食導入では、なかなか事が進まない印象が強く、特に中学校給食導入について、どのような経緯で、今に至っているかは気になっていた。
 最近の市長は、さまざまな理由で百条委員会にかけられ、そこで虚偽証言をしたとして告発され不起訴となるなど、いろいろと政策とは別のところで目立っている感じがある。以前は、市長を応援していた議員が、市長に対して反旗を翻すなど、市長と議会の関係もあまりよさそうではないようだ。次の市長選にも立候補するそうだが、最近の印象は悪く、厳しい選挙戦となるようだ。市長選にはタレントの上地雄輔さんの父が立候補するという。直近の2度の市議会議員選挙ではどちらもトップ当選とのことなので、議会とうまくいっていない現職市長が再選するには、強力なライバルとなるのではないかと思う。
 
■2017年4月7日(金曜日)


かなり咲いてきました



夜は同期会
 新入生が着校して1週間が経った。入校式からはまだ2日目だが、1週間の寮生活を経験して、それぞれ様々な不満や不安があるようだ。うちの学校では、5〜6人の新入生に対して、教官一人が1年間相談役として対応するフレッシュマン・アドバイザー(FA)という制度があり、今年、自分はFA教官となったため、指定された5名の学生の担当をすることとなり、今日は対面式が行われ、さっそく研究室へ招いて、近況を聞かせてもらった。
 5名のうち、一人が女子で4人が男子だった。そして男子のうち1人が留年生だった。女子には、男子には考えられないようなしきたりがあるようで、面白かった。学生たちからは、次々と理不尽と感じたことについて話が出てきた。生活に慣れてきたら、何も感じず当たり前になってしまうことでも、確かにおかしいということがたくさんある。新入生は慣れていないので、まだ外からの目線なのだが、外からの目線というのは大事だなぁと思った。慣れてしまうと視点が変わってしまうので、今の客観的な視点を持ち続けることも大事だと思ったので、今おかしいと思っていることを忘れないように生活してほしいと要望した。不定期だが、また集まって話を聞くのが楽しみだ。
 
■2017年4月6日(木曜日)


次男のお手伝い
 長距離パートの学生と久しぶりに一緒に走った。メニューは6000mペース走。設定は、3分30秒〜35秒/km。おととい、3分35秒ペースで4000mを走りきったが、それより速いペースで、長い距離を走るということで、自分の中ではかなりの挑戦だった。
 学生たちの集団の最後尾について走ったので、風が強くても、影響は少なく、学生たちのペースメイクも素晴らしかったが、右のハムストリングスの張りを強く感じ、少し走りづらかった。しかし、ラップタイムは、3分27秒5、3分32秒4、3分30秒4、3分30秒8、3分31秒1、3分32秒5で、最後まで学生についてい行くことができ、久しぶりに走ったという達成感があった。その後、800mのジョッグでつなぎ、最後に1000mを1本走った。学生たちにはついていくことができず、ペース走のリズムでしか走れなかった。タイムは3分23秒9。まだ速度を上げることは難しいが、ペース走のタイムは徐々に上げられ、向上していることがわかり満足した。
 
■2017年4月5日(水曜日)


入校式パレード
 日本に原爆を落とすための細部計画を立てた人が、日本でも最高の栄誉である勲章をもらっていたということを知り、とても複雑な気持ちになった。アメリカ空軍のカーチス・ルメイという人なのだが、原爆だけでなく、東京大空襲をはじめ、地方の中小都市の空爆の指揮をとったという。しかし、戦後は、航空自衛隊の発足に尽力した人として、勲章を授与されることとなる。日本国内では、勲章の授与に対して様々な議論があったが、最終的に授与することとなったという。結果的には、アメリカの原爆投下に関する認識を日本が認めたことになったという意見もある。「水に流す」という言葉があるが、まさに日本は、空襲や原爆投下を水に流してしまった。当時の政治的な状況で、どうしても与えなければならない勲章だったのかもしれないが、与えられる側も断らないということは、自分たちがやったことに対して全く罪の意識がないということなのだろう。日本人を同じ人とは見ていないという表れであり、とても残念な気持ちになった。
 
■2017年4月4日(火曜日)
 練習は4000mペース走。先月からランニングの練習を再開し、1か月が経った。トラックでの練習は6回しかできていないが、練習の強度は少しずつ高まり、無理せず順調に走れるようになってきていると思う。先々週に4000mペース走を行ったときには、設定は3分45秒で、ほぼそのペースでできたので、今日は3分40秒という設定で行った。
 ホームストレートが向かい風で、バックストレートが追い風だったので、一定ペースを保つのが難しく、最初の1000mは3分34秒1。その後は、最初が速かったこともあり、速度が低下しているのではないかという不安な気持ちで走ったのだが、次の1000は3分35秒4で、それほど速度は低下していなかった。この調子で走ればいいと思って、同じ調子で走ったが次の1000mは3分38秒5までタイムを落としてしまい、残りの1000mは、最後なので少し頑張り3分34秒2で終了した。
 左膝の鈍い痛みと、と右の坐骨結節付近のはっきりした痛みは走っている間は続いたが、最後の方は麻痺して、気にならなくなった。最初の勢いのまま走り、設定よりも速くなってしまい、ちょっと無理したところが反省点。痛みのある部位をもう少し労わった走りをしなければならない。
 
■2017年4月3日(月曜日)


やっと咲きました
 先週の合宿の疲労で、両側の坐骨結節付近が痛む。ランニングをすると、特に右側の坐骨結節から半腱様筋と半膜様筋を伝ってふくらはぎまで痛みがつながっていることを感じる。そんな状態で、久しぶりに施術を受けた。右の大腿部内側はかなりのしこりがあり、激痛だった。しかし、痛みはその部位だけではなく、骨盤の一部の右腸骨稜内側がそれ以上に痛かった。施術のおかげで両側のハムストリングスとふくらはぎの張りはかなり緩和したが、坐骨結節付近の痛みは残った。しばらくは様子を見るしかないようだ。
 骨ストレッチの講習会で手を加えた広背筋のほぐしの影響か、施術の先生からは、左右の肩甲骨の位置がアンバランスで、とても気になると言われた。講習会では、片方は生徒が触り、もう片方は 先生が触ったのだが、生徒にやってもらった側の肩甲骨が上に上がっていて、後方に盛り上がっているとのことだった。自分では均等になっているつもりだが、自分の感覚は全くあてにならないということがわかった。
 
■2017年4月2日(日曜日)
 骨ストレッチ動作改善コースと芯骨整体の2つの講習会に参加。
 動作改善コースは尾骨メソッドがテーマで、尾骨のイメージの仕方次第で、自分の動きが変わってしまうということを学んだ。特にランニングで、同じリズムで走っていても、イメージが違うだけで、大きくストライドが変わってしまう。今までなんと損な走りをしていたのだろうと思った。
 芯骨整体では、前半は、骨ストレッチの本の制作にかかわった方から、食事についてのレクチャーを受けた。日本人にとって大事な食べ物は、神棚にお供えする米、水、塩であり、それに加え、発酵とだしを大事にすることで、身体感覚は変わってくるとのことだった。最近の栄養学は、必要な栄養素を摂取することと、摂取カロリーを気にする傾向にあるが、そうではない可能性が高いように思えた。話を聞いて、できる範囲で、自分にとって大事なものを摂取できるようにしようと思った。
 後半は、鼻骨と尾骨をつなげるメソッドがテーマとなり、これも、イメージの仕方次第で、自分の動きが変わってしまうことを経験した。「氣」と「気」の違いを簡単に体感でき、日本語の奥深さにも触れることができた。講習会に参加する度に目に見える世界がすべてではないということを実感する。これを、数字であらわすことで科学的に表現できるとより面白くなってくるのだが、それが難しい。
 
■2017年4月1日(土曜日)
 エイプリルフールということで、ウェブサイトでは、様々なウソが提供されていた。ウェブ上では、マスコミのような規制はなく、個人が自分の書きたいことを自由に書ける。普段からウソが書かれている可能性があるとは思っているが、今日は特にウソだらけなのだろうと思った。ウソがそのまま真実にされてしまうことは、各国のプロパガンダが押し通され、それが真実になるということを初めとして、世の中は真実はどうでもよく、多くの人が賛同することが真実になり変わってしまうこともあり、何が真実なのかは全くわからなくなってきた。そうなると、何が真実かは自分で見極めるしかないし、自分の信頼する情報源を頼るしかないのだろう。ややこしい時代になってきた。
 


[昔のいずみ]