最近のいずみ

Last Update:2018/1/31



パートタイムアスリートいずみ 18年目に突入 

■2018年1月31日(水曜日)


皆既月食
 神奈川県で午前11時に一斉にJアラートが放送された。横須賀市では、防災行政無線を通して放送された。なんとも気持ち悪い音だった。
 放送があることをどこかで耳にしていたが、そのことを忘れていたので驚いた。この放送がかかった時に自分はどこに行くべきか、全く判断できなかった。誰もが同じようにどうしたらいいかわからなかったのではないだろうか。それを考えるきっかけを作ってくれただけでも、重要なイベントだったように思う。しかし、一部の市民団体は戦争への不安を煽っているとして中止を要請していたという。ミサイルが飛んでくる可能性がゼロならいいが、可能性がゼロではないのであれば、備える必要はあると思う。なんでも戦争に絡めて、訓練に水をさそうとするこうした団体の方が不安を煽っているようにも思えた。
 
■2018年1月30日(火曜日)
 オーラルヒストリーのため久し振りに市ヶ谷へ行った。都内は先週の雪がまだしっかりと残っていて、歩道や車道の端は雪があり、道がいつもより狭く感じた。横須賀と都内では、気温や天候がかなり違うということをあたらめて実感させられた。
 今日話を聞いた先輩は、インタビューする側の理解をより良くするため、わざわざアルバムから写真を剥がして持ってきてくれた。おかげで当時の学生たちの様子を視覚から知ることができた。特に印象に残ったのは、久里浜駅前で3挺ずつ銃を立てかけて学生たちが休憩している写真。今のJR久里浜駅と60年ほど前のJR久里浜駅は全く姿が変わっていなかった。写真には銃が無秩序に立てかけてあるように見え、今だったらかなりの苦情があるのではないかと思った。もう一つは久里浜駐屯地の門の前で撮影した写真。当時は、保安大学校の看板が掲げられていた。門から見た駐屯地内の建物も60年ほど前から全く変わっていなかった。駅も駐屯地の建物も戦前から大事に使われてきたということなのだろう。今まではボロい建物だと思っていたが、しっかり保存すれば歴史的建造物になると思うと、全く見方が変わってしまった。
 
■2018年1月29日(月曜日)
 昨日は夕方4時には就寝し、何度か起きて水分補給をし、深夜1時ごろに目を覚ましたころには、熱は下がったように感じた。朝7時前に起床し体温を測ったところ平熱だったので、インフルエンザではなかったためホッとした。
 今日は、授業後、富士登山駅伝で最多優勝を誇る普通科教導連隊の選手たちに體のケアについてレクチャーと実技の講義をした。彼らは、走ることが仕事の一部になっているので、體のケアには関心があるものの、なかなかお金がかけられないということもあるので、全員が興味を持って話を聞いてくれた。普段、学生たちに同じ話をしても、半分くらいは関心がないといった感じで、残念ながらこちらの話が全員に伝わることはない。全員が興味を持ってくれると、講義の内容も自然と深い話に入っていけて楽しい。話を聞きたい人だけを対象にすると同じ内容でも全く違ったものになるということがよくわかった。授業でも、より興味を持ってもらえるよう工夫が必要だと思った。
 
■2018年1月28日(日曜日)


出走中



COCO-HOUSEのメンバー



優勝メンバー
 葉山駅伝に出場。昨夜は首回りに違和感があり、風邪気味な感じで、横になっていたものの深夜3時ごろまで寝ている感じがなかった。朝になっても若干違和感がありながらも、チーム対抗なので棄権するわけにはいかず、体調があまり良くないことは気にせず会場入りした。
 今回も一昨年参加させてもらったCOCO-HOUSEという不動産会社のチームの1つ、がちCOCO-HOUSEというチームで走った。この不動産会社は3チームエントリーしていて、他に駅伝を盛り上げるべく結成されたコスプレチームと女子チームが出走した。コスプレチームはスターウォーズのコスプレが3名とマリオとルイージのコスプレの5名で、立ち止まると常に子どもたちに囲まれ大人気だった。最近の駅伝大会では、コスプレで走らせてくれるところは少なくなり、この大会は貴重な大会とのこと。ダースベイダーのコスプレで走った方は、すぐに自分の汗で視界が真っ白になり、何も見えず走りづらかったそうで、来年以降は、視界を遮らないコスプレにした方がいいと、走り終わった後すぐに来年のことを考えていて、職人のようだと思った。
 自分は3区(1.95km)を任された。1区が4位、2区がタスキ渡しの時に1位と並び、トップでタスキをもらった。前半は、後ろに足音を感じながら走ったが、後半ののぼりになると足音は聞こえなくなり、独走となったようだった。沿道で応援してくれる人たちが、「速い」と言ってくれるのが気持ちよく、先導バイクの後ろを走ることも気持ちがよかった。2位に30秒以上離しで4区にタスキを渡すことができた。4区は、うちのサッカー部の学生で、駅伝大会は初参加。先頭でタスキを渡されかなり緊張したとのことだった。2位と3位のチームが速い選手だったため、5区にタスキ渡しの際には、ほとんど差のないところまで距離を縮められた。5区はうちの陸上部の学生。彼あh2位の選手にぴったりと後ろにつかれ、嫌な展開だと思っていたが、フィニッシュラインへ戻ってくるころには、2位以下を大きく引き離し独走でフィニッシュ。がちCOCO-HOUSEの初優勝となった。チームとしては、この駅伝に参戦して10年にして初優勝。監督の社長は、とても喜んでくれた。
 この大会は、上位に入賞したチームだけでなく、下位であっても、飛び賞があり、みんなが楽しめる。町の人たちが、ボランティアで走路員をしてくれ、20〜30mおきに走路員がいて、町の人たちみんなで盛り上げ、子どもから高齢者まで選手で参加でき楽しめるとても貴重な大会だ。大会に参加し、改めてこの大会の素晴らしさを感じることができた。参加できる機会があればまた参加したい。
 
■2018年1月27日(土曜日)


卒業予定の4年生
 大学の陸上競技部の1年間の締めくくりとなる納会があった。学生が100名近くと、顧問やOBが集まった。1年間の学生の競技結果の報告、際立った活躍をした4年生の表彰、4年生全員へのOB会からの記念品贈呈、4年生一人一人から一言、3年生以下の新体制のスタッフ紹介などが行われた。毎年行われる会だが、1年があっという間に過ぎていくように感じる。
 今日は4年生のタイ留学生が「先生、最後の質問があります」と言って、自分のところへやってきた。質問は「なぜ先生は、走ることを続けているのですか」。あまり考えることはないが、答えとしては「好きだから」。「なぜ好きなのですか」とも聞かれたが、「好きなことに理由を見つけるのは難しいと思うんだけど、好きなことになぜ好きか理由を考えたことがある」かと聞き返してみた。それで彼も納得してくれた。好きなことというのは、いろんな理由があって好きなのかもしれないが、基本的には無条件で好きであって、理由を考える必要はないのだと思う。この留学生とは、時々グラウンドで人生の話をするなど、哲学的な問答をすることもあり、日本人学生以上に深い話ができた。彼が卒業してしまうのは、とても寂しいことだが、自分の国で活躍してくれることを願っている。
 
■2018年1月26日(金曜日)
 今朝は珍しく長男がごはんのお代わりをしたとのことで、妻のごはんがなくなってしまった。なぜ長男がお代わりをしたかといえば、食欲のわくおかずがあったから。今日は豚肉ともやしのおろしダレ炒めだった。自分も同様に食欲がわき、朝食はあっという間に食べ終わってしまった。普段、妻は弁当を3人分作りながら朝食を用意するので、弁当が優先となり、みそ汁を作ったらおかずは毎日出ることはない。焼き鮭だったり、辛子明太子や納豆が用意されていることはあるが、炒め物はめったにない。子どもたちは、育ちざかりの男の子なので、肉が欲しいということなのだ。毎日こういうおかずが出ればいいのにと長男が話すと、妻は、腹を立てたように、朝食なんてパンと牛乳くらいで済ませてほしいと返していた。そりゃないだろう、と思ったが、それを言うとややこしいことになるのでいうのはやめておいた。妻は実家にいるときはパン食で、おかずがなかったという。逆に自分は、毎日朝食には大盛りのおかずがついていた。育った環境が違うので仕方のないことかもしれない。今のままでは妻は変わらないので、おかずが欲しければ、長男に自分で作るように促してみようかと思う。
 
■2018年1月25日(木曜日)
 読売新聞「想う2018」という解説の記事を読んだ。今年は明治維新150周年であり、平成は、明治維新と並ぶ、大きな歴史の曲がり角であり、明治は坂を上り始めた時代、平成は坂を上り終えた時代だという解釈がなされていた。これからは、谷底に下るのではなく、高原を歩き続けられるようにすることが大事だという。
 NHK放送文化研究所の調査によると、20代で衣食住に満足している人は1973年には6割だったのが、2013年には9割近く、人間の歴史でも世界的にも高い満足度を示しているにもかかわらず、人生全般に満足している20代は2013年でも3割弱。物質的には満たされているものの何かが欠けている。これは経済問題で解決できるものではなく、別次元の幸福という問題だと述べていた。
 100人いれば100通りの幸福があるはずで、全員を幸福にするということを国が目指すのは、難しい時代になってしまったということだ。経済や効率を重視した世の中にブレーキをかけるようなサービスが人気を得るようになってきている。これからは、皆が同じ方向に向かうことはないので、国に頼ることなく、個人がそれぞれの人生を充実できるように努めていく時代がやってきたということなのだ。
 
■2018年1月24日(水曜日)
 ウェブ上で「日本国憲法を英語版で読む」という講座を受講しているのだが、英語と日本語に訳した文章ではかなり違いがあり、GHQが何を意図していたかということについて、日本語の文章ではわからないが、実は英語の文章からは読み取れるということを知った。
 第1条では、天皇について書かれているが、英語の文章からは天皇は象徴でなければならないという義務がつづられていて、全く印象が変わってしまった。
 第9条では、前置詞句が修飾する言葉を日本語ではわざわざ別の言葉に修飾させていたり、「other war potential」を「その他の戦力」と訳していた。「potential」が戦力と訳されているが、これは「戦力につながりそうなもの」という意味合いで、戦力に限らないことを示しているため、解説をしている人は、英語をそのまま読むと安全保障関連法案は違憲だといえるが、日本語では「戦力」と書いてあるので、憲法に抵触することはないと述べていて、当時の日米の担当者たちの攻防がいろいろあったのだろうということが想像できた。そして、原文で読むことの重要性を実感した。
 
■2018年1月23日(火曜日)


暗いうちから作業開始




できあがった雪だるま
 昨夜のうちに雪は止んで、朝になると、雪は解け始め、凍結することはなかった。次男と三男は、朝早く起きて雪だるまを作ると言っていたが、日の出前から庭に出て、今日は、スキー用の手袋をして、万全の態勢で40分ほど、雪を楽しんだ。
 今朝は、職場の坂が凍結している可能性もあるので、バスで通勤した。自宅近くのバスは1時間に2本しか来ないのに、そのバスが遅延し、5分遅れでバス停に入ってきた。バスを乗り換えるときに、小学生たちとすれ違うのだが、大事そうに雪の塊を抱えて歩いている子がいたり、長靴を履いているので、雪を氣にせず、スケートをするような感じで滑りながら移動する子たちも多く、雪をはじくので、その飛び散ってこちらとしては迷惑だった。
 都心は積雪が23cmとなり、横浜も18cmだったという。今日も雪の影響は出ているようだが、横須賀は、雪は解け、特に影響はない。三浦半島は、温暖な氣候で過ごしやすいということを改めて感じることができた。
 昨日の短い停電は、雪の影響で、どこかが停電し、原因特定のために様々な処置をしている過程で発生する現象だったようだ。この地域は、海水の塩分を含んだ風が強く吹いているので、停電のリスクは他の地域よりは高いのだろうが、目の前に発電所があるおかげか、今まで長期の停電になったことはない。そういった意味では、恵まれた地域なのかもしれない。
 
■2018年1月22日(月曜日)






雪だるま制作中



信号に氷柱
 先週から、今日は、雪が降りやすい気候になるとの報道があり、横浜では雪が積もり、東京23区では大雪警報が発令されたという。横須賀では雪は積もることはないだろうと思っていたが、職場では夕方からは少しずつ積もり始め、17時過ぎには三浦半島にも大雪警報が発令された。
 次男と三男は、庭に雪が積もり始め、大興奮。雪だるまを作ると言って、庭で雪だるまを作り始めた。風呂と夕食の時間になり、リビングへ戻ってきて、寒くなかったか聞いたところ、「寒くなかったけど、手が冷たかった」と返ってきた。素手で雪を触り続けたのだから当然なのだが、そんなことを気にするよりも、雪だるまを作ることが最優先で、庭に出て行ったのだから仕方のないこと。大人だったら、準備をしてから外に出るところだが、子どもたちにはそんな考えはなく、吹雪いている中でもモチベーションが高く、やりたいという気持が先走った。こいうモチベーションって大事なことだよなぁと思った。
 夜は、供給される電気の電圧が不安定なのか、雪の影響なのか、頻繁に一瞬だけ停電したり、しばらく停電したりした。最初はブレーカーが落ちたのだと思ったのだが、確認すると落ちていないので、停電だったのだろう。しかし、エアコンは止まらず、台所や洗面所も電気はつくのに、なぜかリビングだけが停電し、リビングの電気が消えたと思ったら、常夜灯だけがついていたりして、我が家でポルターガイストが起こっているかと思い、とても気持ち悪く感じた。長男が友達と連絡を取ったところ、友だちの家でも同じような現象が起こっているとのことで、この地域全体がそうなっている可能性があると思い、少しだけ安心した。とにかく、使用している電化製品にとっては好ましくない現象なので、その後は、リビングの明かりは使わないようにし、家族全員早めに寝ることにした。
 
■2018年1月21日(日曜日)
 J-WAVEで「TOPPAN FUTURISM」という番組を聴いた。ゲストは柔道家の野村忠宏氏。試合で最も大事なことは、「脱力」だという。オリンピックで戦うレベルの選手同士では、技をかけようと意思を持った瞬間に、相手がそれを察知し技を防ごうとする。力を入れるのではなく、柔らかさが重要で、それが脱力ということになる。緊張感の高まる場にもかかわらず、力を入れず柔らかくというのは、とても矛盾した感じに聞こえるが、素晴らしい技は脱力したときに生まれるという。そのためには心の余裕が必要で、そういったことも含めて普段の練習があるとのことだった。
 力を入れないということは、彼も、大事な技をかける局面では、脚を踏ん張ることはしなかったのだろう。練習というと筋肉に刺激を入れることばかりが考えられるが、最も大事なのは、その対極にある「脱力」。彼は、普段の練習で意識して何度も繰り返し、実際の試合では、意識せずできるようになり、相手に自分の意図が察知されないようになったのだろう。オリンピックでの決勝での勝利を決めた技といのは、あとから思い返しても、あまり記憶がないというのが、練習の成果といえるのかもしれない。彼は努力して、そういった境地にたどり着いたが、その脱力が誰でもできるようにする方法がないだろうか。筋力ではなく脱力だという認識が広がり、そのための練習方法が開発されれば、子どもたちの部活動の練習の質が変わり、練習時間も短縮できるようになるのではないかと思う。
 
■2018年1月20日(土曜日)
 昼間は、三男の音楽発表会を見に行った。詩の暗唱、合唱、楽器演奏が行われた。
 詩の朗読は相田みつをの「その人」。長男も次男も三男と同じ年の時に、この詩を暗唱していたが、三男たちの暗唱は、大事なところをゆっくりと話したり、言葉の抑揚もしっかりしていて最も上手な発表だった。
 合唱は3曲あり、そのうちの1曲はサザエさんのオープニングテーマを英語で歌った。子どもたちはネイティブの先生から直接教えてもらいながら歌えるようになったそうなのだが、何を言っているのかは全くわからなかった。本人たちもただ真似しているだけなので、何を言っているのかわからない状態で歌っているというのが面白かった。
 楽器演奏は、ベートーベンの「交響曲第9番4楽章(合唱付き)」。子どもたちは、限られた楽器で見事な演奏をし、さらに合唱はドイツ語。子どもたち用にアレンジはしてあるが、演奏時間は約7分。同じメロディーが続くことはあまりなく、途中でリズムが変わるなど、子どもたちにとっては大変なことだったと思うが、完成度は高かった。楽譜が読めない子どもたちをここまで演奏できるようにした先生たちも素晴らしいと思った。
 夜はレジェンズの新年会に参加。そこで話題になったのが、元会員の逮捕と、織田フィールドがサッカー専用スタジアムになってしまうかもしれないということだった。氣が付けば、自分はチームの中でも年はかなり上の方になり、練習会に参加していないこともあり、最近加入したメンバーの顔も名前もわからない。この会では毎年、前年顕著な成績を残した人を表彰している。優秀選手賞の他に特別賞というものあり、今回は自分よりも年上の方が選ばれた。48歳で100mを11秒55で走ったというのが授賞理由。年々記録が向上しているというところがすごい。先輩が頑張っているということにとても刺激をいただけ、今年はしっかりと競技復帰したいという氣持ちになった。
 
■2018年1月19日(金曜日)
 昨年、自殺した人が21140人だったという報道があった。8年連続での減少だという。男性は女性の2倍以上の人数で、都道府県別では、東京、神奈川、大阪が多かった。40〜60代が全体のほぼ半数を占め、19歳以下が、昨年よりも増加していた。原因・動機別では健康問題が最も多く、次いで経済・生活問題、家庭問題となっていた。
 8年連続の減少とはいえ、あまりにも多くの人が自死を選んでいて残念に思う。亡くなった人の数は、これだけかもしれないが、その数には表れない自殺を試みた人の数を想像すると、いったいどれほどの数字になってしまうのだろうかと恐ろしくなった。原因や動機について健康問題が最も多いとのことだが、自殺した人がみな遺書を残していたはずはないので、どうやって調査しているのか氣になった。また、結果的に亡くなった人の原因や動機に加え、自殺を試みた人についての調査をしないと、予防の方策は導き出せない。そういった情報も公表してくれればと思う。
 
■2018年1月18日(木曜日)
 職場では、元厚生労働事務次官の村木厚子氏の講演が行われた。テーマは「今、なぜ、女性活躍か」。人の半分は女性なのに、その割には、女性の活躍する人数が限られていて、女性が本来持っている能力を発揮できていないというのが日本の現状であるということを前提に講演が始まった。
 日本は、収入と支出のバランスが悪く、年々赤字が増えている。その増大の原因は社会保障費。増税でそれを補おうとしているが、それでも足りない。働く人を増やして税収を上げる必要があり、働く人を増やすためには、働いていない女性に活躍してもらうという流れになる。しかし、日本ではそれがうまくいかない。なぜか。それは出産や子育てがあるから。村木氏が示した資料によれば、女性が子育てをしながら働き続けられる国はたくさんあり、そうした国の方が出生率が高く、日本のように子育て時期に仕事が続けられない環境の国では、逆に出生率が低いということが示された。日本のような国は、ほかに、ギリシャ、イタリア、スペイン、韓国等がある。これらの国は、経済危機になっている国ばかり。日本もその中の一つであり、このままでは将来経済危機になる可能性も否定できないという。
 日本で女性が活躍するために、いろいろ施策は用意されたものの、女性に対して何かをするだけではだめだということがわかり、最近は、「働き方改革」というキーワードが出てきた。男性も含め、全員の働き方を改革しないと、この問題は解決できないということなのだ。ある会社では、働き方を改革するために、有給休暇を全員が100%消化するという目標を立て、すぐに実現したという。それは単純なことだった。100%休暇を消化できなかったら、翌年のボーナスを3割カットし、その上司も3割カットになるからだった。会社のトップのゆるぎないポリシーが会社を簡単に変えてしまう。特定の人のための制度ではなく、全員に関わる制度を作り、仕事を休んだり、先に帰ったりすることを肩身の狭いと思わせず、お互い様の雰囲気を作ることが重要だと村木氏は述べていた。
 自衛官は転勤は多いが、自分の知り合いを見渡すと子だくさんな家の方が多く、日本の出生率よりは、自衛官の家の出生率の方が高いように思える。各省庁ごとの出生率データがあると、何か解決方法が出てくるかもしれない。
 夜のNHKニュースは、今後の人口減少により、30年後の学校数は、統廃合が進み、現在の3分の1の数になると述べていた。大都市ではほぼ半分がなくなり、県によっては7割も減ってしまう県もあるという。子どもの数が減ることにより、子どもたちは、遠くの学校に通わなければならなくなるし、通えない子も増えるということなのだろう。
 学生は、勉強をすることが仕事で、実際に現場での仕事を経験していないため、今日の講演は、少々実感のない話だったかもしれない。しかし、人口減少が、日本にとって、どういうことになるのかということは想像できたと思う。人口減少がボディーブローのように国力に影響を与える時期がすでに始まっていると言える。なぜ政府が「働き方改革」というキーワードを頻繁に使うかということが少し理解できたように思えた。
 
■2018年1月17日(水曜日)
 年金受給開始年齢が70歳以降も可になる指針が政府から示されるという。65歳以上を一律に高齢者と見るのは、現状にはあっていないとの指摘もあったようだ。加齢の進行は人によって全く違うので、高齢者の定義を年齢で区切ってしまうと、その人の状態とは違ってしまうだろう。そういったことを考慮して、年金受給年齢を今までよりも柔軟に選択できるようになるということなのだろう。しかし、年金受給まで働き続けることを考えると、70歳になるまで雇用はあるのだろうか。能力の高い人にはたくさんの仕事が集まるが、そうでない人には仕事がないということになりそうで、仕事をうまくシェアする方法も考えていかないといけないのかもしれない。
 
■2018年1月16日(火曜日)
 スポーツ庁が部活動改革をするとのこと。中学校の運動部の活動時間を平日は2時間、土日や長期の休みは3時間以内とし、週2日は休養日を設けるという指針になるようだ。運動部といっても、様々な種目があり、種目特性上、この指針に合わないものもあるようには思うが、この指針にどのくらいの強制力が働くことになるのだろうか。
 長男は、休日になると、弁当を持って1日練習に参加する。練習が終わった後、別の場所に行ってさらに練習をすることがある。どのくらい休息を取っているのかわからないが、やり過ぎではないかと思ってしまう。長時間の練習は、効率が悪く、子どもたちだけでなく先生の負担も大きい。しかし、先生がその競技が好きで、何の負担も感じていない場合もある。実際、長男の学校では、校長先生、顧問、担任のすべてが、その競技の経験者のため、部活への関与があまり負担になっていないようだ。競技スポーツをやる以上、勝利を求めるため、時には長時間の練習をしたり、非常識な練習を経験させる必要もあるかもしれない。しかし、長男の部活は、休日も少なく、長時間練習も多い。そのため、学生の本文である勉強はほとんどしていない。長時間練習の日には、途中で勉強の時間も設けてくれないかと思ってしまう。スポーツ庁の指針によって、長男の部活はどのように変化するのか見守っていきたい。
 
■2018年1月15日(月曜日)


朝の鋸山とフェリー
 昨日午後から、次男は頭が痛いと訴えたのだが、友だちから電話があり、一緒に遊ぶ話をした結果、急に頭は痛くなくなったと言って、外に出かけて行ったという。しかし、家に帰ってきた後は、具合が悪く、食事もあまり取らずに早めに就寝した。
 今朝、次男の体温を測ると38度台。身体の節々が痛くて、耐えられないほどの痛みだと言い、インフルエンザの可能性が高いと感じた。病院へ受診し、検査をするとインフルエンザBとの診断を受け、薬を処方され、夜にはある程度症状は落ち着いたようだった。
 次男は、処方された薬が気に入ったようで、「この薬かっこいい」と自慢げに三男に見せびらかせていた。薬を吸入器にセットして吸入するものなのだが、これを吸うと次男は「おいしい」と言って幸せそうな顔をする。それを見る三男はとてもうらやましそうな顔をする。何が幸せかよくわからない。病気になっても、薬がおいしいと思い、そこに幸せを見つける次男がすごいのかもしれない。
 
■2018年1月14日(日曜日)


どんど焼き
 骨ストレッチの2つの講習に参加。一つ目の講習は「あるのにない」というのが最も印象に残った。腕が切れてしまい存在がないと思った状態で、腕を動かすと腕に力を入れず素早い動きができ、さらに力も強くなる。脚でも同じような効果があった。「ある」と思うからそれに頼ってしまうが、「ない」と思うとそれには頼らなくなる結果、動きの質が変わるのではないかという説明があり、自分で体感してみて納得した。最終的には、全身をなくしてしまい、自分と自分ではいものの境をなくし、全てのものの価値が同じに感じられるようになってしまえば、仏様の境地にたどり着くのではないかと思った。
 二つ目の講習では「ふんばらない」ということの重要性を認識させられた。普段自分では踏ん張っていないと思っている動作でも、かなり踏ん張っていることを体感させられ、踏ん張らないと、力感なく素早い動きと強い力が発揮できた。これからは、日常の動作で、いかに踏ん張らずに動作をするかということを課題に生活しようと思った。
 
■2018年1月13日(土曜日)
 午前の練習の際、1年生が、「教官、話しがあるんですが」と言って近づいて来た。話を聞いてみると、今月末をめどに学校を辞めるとのことだった。どうしても学びたい大学があるとのことだった。今日はセンター試験の日。今日受験していないということは、もう1年先の受験になる。現役でうちの学校へ入ってきたが、来年合格しても2浪相当となってしまう。本人は、東京で単身赴任をしている父のところから予備校に通い、来年度の合格を目指すとのことだった。
 彼は、高校まではずっとバスケットボールをしていて、大学に入って、走り高跳びをしている学生の姿を見て、走り高跳びをやってみようと思い、陸上競技部へ入ってくれた。初心者ながら、自分の身長に近いくらいまで跳躍ができるようになり、とても楽しみな学生だと思っていたので、とても残念に思った。しかし、もっと学年が上がって辞めるよりは、早く方向修正ができてよかったのかもしれない。彼が納得のいく進路に向かって進めることを願う。
 
■2018年1月12日(金曜日)
 昨日のペース走がビルドアップ走になってしまい、最後に学生と張り合って、ペースアップした影響か、膝の痛みが強くなってしまった。寝ているときに痛みで何度も目を覚まし、起床後も動いているときには、常に痛みが氣になった。歩きだけで痛みが出るのは、久しぶりのことで、膝にとって高強度だったということなのだろう。整骨院へ行き、アキュスコープのお世話になったが、痛みにそれほど変化はなかった。しばらく、この状態が続くのだろう。
 
■2018年1月11日(木曜日)


波で破壊された堤防
 学生と6000mペース走。設定は3分40〜45秒/km。3日前に一人で走った10000mでは、この設定タイムでは走れなかったが、学生に引っ張ってもらうことで、ちょうど良い練習になることを期待してスタートした。
 前半の3000mは、3分43秒6、3分43秒5、3分39秒0とほぼ設定通りのラップで通過でき、かなり余裕があった。後半は、3分35秒7、3分38秒5となり、先頭を走る学生が替わったことで少しペースアップすることとなった。最後の1周は、学生がペースを上げ、負けじと自分もそれにくっつき、最後の直線は、全力で勝負し、わずかな差で学生には負けた。最後の1000mは3分19秒だった。久しぶりに全力を出し、フィニッシュ後は、しばらく仰向けで動けなくなった。遊園地のアトラクション「びっくりハウス」の中にいるような感覚で、自分の周りがぐるぐると回り、自分の平衡感覚が麻痺するほどだった。格上の学生に向きになり、無理しすぎたかもしれない。
 
■2018年1月10日(水曜日)
 昨日から、下腿の張りと筋肉痛が続いている。昨日よりも今日の方がどちらも強い。一昨日の10000mを走った影響なのだろう。できるだけ下腿は使わず、重心で移動することを心がけていたのに、まったくそういった走りができていなかったということが証明されてしまった。なかなか自分の思うようには身体が動いていないということなのだが、それを修正するために練習がある。気長に取り組んでいきたい。
 
■2018年1月9日(火曜日)
 昨年秋に行われたカヌーの日本選手権で、ライバル選手の飲み物に故意に禁止薬物を混入し、そのライバル選手がドーピング違反となり暫定的資格停止処分となったという報道に驚いた。薬物を混入された選手は、このことについて、薬物を混入した選手に相談までしていたというのだから、陥れられた選手が気の毒でならない。日本人選手がドーピング等の不正行為に荷担するわけがないというイメージがあったのだが、もうそういった時代ではないのかもしれない。大学時代、陸上部の監督から最初に「人を信じるな」と指導された。その時、この言葉が矛盾しているため、それを信じて良いのかどうかという葛藤に陥ったという笑い話があったのだが、結果としてはその指導の通りなのかもしれない。信じられるのは自分だけと言いたいところだが、多くの人は自分を信じられるかと言えば、信じられていないようにも思える。
 骨ストレッチを始めて、自分の感覚というものに少しずつ気づき始め、自分が信じられるようになってきた。自分の身体にきけば、自分にとって良いかどうかは教えてくれる。これからの時代はこの感性が大事なのではないかと感じた。
 
■2018年1月8日(月曜日)
 練習は、10000mペース走。設定は3分40秒/km。最初の1000mは3分41秒9で、まずまずのペースだったが、それ以降はペースダウン。呼吸はそれほど苦しくないが、一昨日の200mの影響で、特に左ハムストリングスから大臀筋あたりの疲労があり、脚が動かなくなっていった。3000m〜4000mで3分49秒3までタイムを落とし、3分50秒には落とさないように必死にこらえた。自分の決めたとおり、なんとか最後までそれ以上はタイムを落とさず、残り3000mからは、またペースが上がっていき、最後の1000mだけは3分37秒2で、設定を上回った。終わった直後に嘔吐し、とても苦しかった。そのまま歩こうと思ったが動けず、その時に、歩いた方が回復が早いのか、自分の身体が感じる通り動かずに休息をした方が良いのか、どちらの方が良いのだろうと考えてしまった。自衛隊では、走り終わった直後に止まらず歩けと言われる。呼吸が苦しく、呼吸に集中するには、止まった方が効率がよいような気がするし、実際動くよりは苦しさは緩和されやすい。運動後のリカバリーについての研究が何かあるのかもしれない。文献を探してみようと思った。
 最後に300mを走ったが、左脚の臀部に痛みがあり、バランスが悪くうまく走れず。タイムは46秒0。45秒を切りつつ気持ちよく走りたかったが、納得いかない走りで終わってしまった。それだけ、一昨日の練習の強度が高かったということなのだろう。
 
■2018年1月7日(日曜日)


肩甲骨を出す兄弟
 最近次男は、母親の話を聞かず、無視するようなことも多い。今日は、次男が電話の受話器を元に戻すのに、中途半端な戻し方しかせず、母親が注意したのだが、それを聞かず、たまたまその下で起動していたノートパソコンの上に落とし、キーボードが破損した。注意を聞かないからそういうことになったのだと次男は母親から叱られ、悪循環が続く。
 今年の彼のおみくじには、「うせもの」という項目に「お母さんの話をよくきけばみつかる」というような言葉が書いてあった。初詣に行ってお守りを買ってもらい、それを上着のポケットに入れて持って返ろうとしていたところを、母親からしまうように言われ、それを無視し、その直後にお守りを落としてしまった。スーパーで落としたようなので、次男は、心当たりのある場所に探しに行ったのだが、母親は、まずはサービスカウンターに行った方がよいと判断し、行ってみるとすでに落とし物として届いていた。今年の次男は、おみくじが示す言葉がとても大事なテーマなのかもしれない。結局キーボードは修復できず、修理に出すしかなくなった。
  
 
■2018年1月6日(土曜日)
 久しぶりにトラックで短い距離を走った。メニューは200×10。休息は200mのウォーク。全力ではなく、気持ちよく走れる速度ということでタイムは気にしなかった。30秒が切れるくらいで走れればと思って走り始めたが、1本目は30秒0だったが、2本目以降は、29秒3、28秒6、28秒7、28秒8というようにタイムが上がった。6本目からは、急に身体が動かなくなり、29秒5、29秒3、29秒2、29秒2、29秒1というように29秒台に戻ってしまった。残りの3本くらいは、呼吸も身体も辛くなり、少し無理をして動かしているような感じになってしまった。走っているときには膝の痛みは感じることなく走れたので、それだけで今日は収穫があった。 
 
■2018年1月5日(金曜日)
 横浜南共済病院へ行き、次男の踵周囲の痛みについて診断を受けた。彼の痛みの原因は大きく分けて2つあった。一つは前足部荷重で歩いたり走ったりしていること。もう一つが接地時の足部回内。この2つが組み合わさることで、様々な部位に痛みが生じているとのことだった。
 気を付けの姿勢から、踵を地面に付けてつま先を上げるという動作をするとうまくできず、代償行為として、腰を反らしたり、股関節を曲げようとしてしまった。また、腹に力をいれて重心をずらすこともできないということがわかった。こういったことがリハビリの一部になっていくようだ。前足部荷重は、普段から意識し、接地時の足部回内は、インソールを使うことで修正可能と言われ、次は、大船にある整形外科へ行き、リハビリ指導とインソール作成をすることとなった。まだまだ次男の病院通いが続きそうだ。
 
■2018年1月4日(木曜日)
 午前は届いた年賀状の確認。友人関係は頻繁に転勤する人が多いので、住所の整理は時間がかかる。毎年、住所整理が年末になり、あわてるので、今年こそは、ハガキが届いたらすぐにやろうという決意の元、今年は、早速住所整理ができて満足。  午後は運動。新年最初のサーキットトレーニングと4000mペース走。サーキットトレーニングは、意外と動け、その勢いでペース走に挑んだが、全く走れなかった。設定は3分30秒/kmだったが、結果は、3分33秒8、3分39秒6、3分43秒1、3分56秒9だった。最後は、4分だけはかかりたくないという思いで走り、全く余裕のない走りになってしまった。あまりにも動きが悪かったので、最後に追加で300mを走り、44秒7。ほぼ感覚通りの走りで、少し安心した。
 
■2018年1月3日(水曜日)
 箱根駅伝のラジオ放送を聞きながら東京へ移動。東名高速道路が午前9時以降にいくつかの場所で渋滞が予想されていたため、渋滞に引っかからないように朝6時頃に実家を出発。結果的には渋滞にはまることはなく、東京に10時半には到着してしまった。
 箱根駅伝は、6区から青山学院大学の強さが圧倒的で、先頭争いは面白みがないくらいだったが、シード権争いは、激しく関係した大学は、常に緊張状態だったように見え、テレビの視聴者にとっては面白かったのではないかと思う。
 今回の箱根駅伝は、青山学院大学の選手はアディダスのシューズを、東洋大学はナイキのシューズを履いている選手が多いように見えた。往路は東洋大が優勝し、ナイキの「ヴェイパーフライ4%」のすごさを証明したように見えたが、復路はアディダスも負けていないというアピールにも見えた。選手一人一人体つきが違い、足の形状も違うので、誰もが合うシューズというものは、市販品では作れないとは思うが、日本の一般ランナーにとっては、どのシューズを履こうかという時に何らかの影響を与える2日間だったのではないかと思った。
 
■2018年1月2日(火曜日)


妹の作ったロールケーキ
 大晦日に走った工業団地の坂を今日は5本走った。大晦日の日は、3本走るだけで限界だったのだが、中学生の時にも5本は走れていたので、このままではまずいと思い、年が明けたら絶対に5本走ると決めていた。
 タイムは3分29秒5、3分32秒9、3分29秒3、3分27秒5、3分25秒3だった。大晦日の時よりもタイムは安定して速く、下腿で蹴らず、重心の移動で走るという感覚も今日の方が良かった。最後の1本は、3分20秒を切りたかったが、本数が多くなったためか、思ったよりも身体は動いてくれなかった。
 昨年は、膝の痛みの影響でほとんど走れなかったが、今年は、膝の痛みはコントロールしながら、できるだけたくさん走る練習ができればと思う。
 
■2018年1月1日(月曜日)


妹の作ったおせち
 朝、日の出の頃に実家を走り始め、30秒も経たないところで、自分の方に走っている男性がいた。すれ違う際に「和泉君?」と突然声をかけられた。声をかけてきた男性は、中学生時代の同級生だった。中学卒業以来で、こちらは、すぐには彼だとは分からなかったが、話しをしてみると、彼は、すぐにこちらのことが分かったという。なぜならは、一昨年愛知駅伝で市の紹介映像に写っていた映像を覚えていたからとのことだった。テレビの映像は、だれがどこで見ているかわからないものだ。たまたま市の代表監督さんと職場が一緒で、自分のことが話題になったことがあったということも影響して顔を覚えていてくれたようだ。どこで誰がつながっているか分からない。彼は、たまたま我が家の近所の馬頭観音へ初日の出を見に行っていたそうで、その帰りだった。30秒でもタイミングがズレていたら彼には出会うことはなかった。新年早々、絶妙なタイミングでの出会いだった。今年は、いい年になりそうだ。
 


[昔のいずみ]