最近のいずみ

Last Update:2018/8/31



パートタイムアスリートいずみ 18年目に突入 

■2018年8月31日(金曜日)


大暴れ中
 週末は学生の試合が続き、なかなか休めず、今日は学生たちが水泳大会ということで、休暇を取って家でゆっくりすることにした。しかし、妻を仕事先に送ったり、銀行でお金をおろしたり車にガソリンを入れたりしているうちに昼近くになってしまった。昼は久しぶりに妻と外で食事をした。11時台にお店へ入ったので、まだ込み合う前で、ゆったりとした時間を過ごせた。その後、ニトリに入って商品を眺め、気が付くと2時を過ぎ、子どもが学校から帰ってくる時間になっていた。帰宅後は、家で読書をしてくつろいだ。庭の雑草取りをしなければならなかったが、結局やる気にならず夜になってしまった。ある程度ゆったりとした1日だった。
 
■2018年8月30日(木曜日)
 先月からプリンターの調子が悪いと妻から言われていたのだが、それを1か月以上放置していた。夏休みが終わり、そろそろプリンターを使うこともありそうだったので、プリンターの状態を確認した。何度ヘッドクリーニングをしても黒が出てこない。そして、どんどんインクがなくなっていく。黒を除けば、残りの色はしっかり出ているのに黒だけが全く色がつかない。長い間電源を入れず、使用していなかったため、インクが固まってしまったのだろう。これに対処するには、修理に出すしかないようだ。修理代は11,000円。9,241円で購入したのに修理代の方が高いとはどういうことなのか?意味がわからない。そしてインク代はすべての色をそろえると6,000円以上する。購入して3年しかたっていないのに、もう使えない。わざと新しいものを購入させるために、品質を落としているのではないかと思えてくる。安く買ったので同じものを買おうと思ったら3万円近くに値上がりしている。まだ使えるインクがあり、それを使うには、修理しかない。納得はいかないが、修理するしかない。
 
■2018年8月29日(水曜日)
 長男が学校へ行く直前になり海水パンツがないと妻に八つ当たりをしていた。昨日は午後から友達と我が家で遊び、塾へ行くギリギリの時間ですぐに出発しなければならないときに、塾に持っていく物を準備するなど、いつも何も準備をしていない。夏休み中に海水パンツがないのがわかっていれば、準備はできていたはず。小学校に入学して以降母親からは、毎日のように明日の準備をしてから寝るように言われ続け、それを無視し続けもう9年。結局彼は、海水パンツがないということで、学校の水泳の授業を休んだという。親としてはずっと注意し続けているし、自分のものは自分で管理することを毎日のように伝えているが、それを無視しての八つ当たり。こちらとしては勝手にしろという感じ。この人は、いつまで親に甘え続けるのだろうか。
 
■2018年8月28日(火曜日)
 昨日から学生たちが、話を聞かせて欲しいと言って部屋を訪ねてくるようになった。2年生で自校史を学ぶ必修の授業があり、その授業の課題で、10期以上離れた卒業生にインタビューをし、卒業生たちによって受け継がれてきた伝統をどのように継承していくか自分の考えを述べるというものだった。昨日は1人に話をし、その直後に2人が話を聞かせて欲しいと来たのだが、先約があったので、今日話をすることとなった。
 普段は、オーラルヒストリーで40期ほど離れた先輩から昔話を聞いているのだが、自分がインタビューされる側になるとは思ってもいなかったこともあり、当時のことを振り返ってみると、当時は何も考えていなかったという印象が強い。最近先輩に話を聞くようになって、この学校がどのようにして始まり、今に至るかということを知り、学校がどうあるべきか、学生はどうあるべきかということを考えるようになったが、当時はどうかと聞かれると、学生たちが参考にできることは何も口から出てこなかった。それでも学生たちは、なんとかレポートにはできますと言って帰っていったが、実際はどうなのか。記憶は、それぞれの頭の中で勝手に作られているので、実際に当時のことを反映しているともいえず、改めてあいまいなものだと感じた。
 
■2018年8月27日(月曜日)
 職場で体育施設管理をしている方と横須賀美術館に併設されたレストランで食事をした。他に食事を共にしたのが、職場と体育学校の教え子たち。
 今は職場で体育施設管理を仕事とされている方なのだが、若い頃は深海ダイバーだったという。30年以上前は、深海に潜れるダイバーは限られていて特殊な技能で、日本ではそれほど仕事がなく、知り合いのつてを頼ってイギリス北海油田のある水深400mの海で仕事をしたのだという。3名一組で宇宙船のような入れ物に入れられ、海の深いところへ行くと、交替しながら2人組で海へ出て行き、様々な仕事をしたという。日本人は、優秀な職人がたくさんいて特に溶接では世界トップクラスだったという。30年以上前だと、深海でも使えるダイバーウォッチはロレックスのみで、当時150万円以上の価格はしたそうだが、作業員全員にその時計が支給されていたり、気圧や分圧を調整する装備はコンピュータで制御された最新の物だったらしいが、それが時には故障する代物で、その故障は即命を落とすことになるほど危険な環境での仕事だったという。当時5000人程のダイバーが仕事をしていて年間500人くらいは亡くなっていたというから、今だったらブラック企業と言われるような仕事環境だろう。海の油田は、吸い出している原油が、海に流れ出てしまうと、海の環境も含め多額の資金が必要になるので、そのリスクを回避するため、深海ダイバーは存在していたようだ。ダイバーが亡くなることより、原油流出の出費の方が企業にとってはダメージが大きいということのようだ。今ではロボットがやるような仕事を、30年前は人がやっていた。一昔前の油田開発やメンテナンスがいかに過酷なものだったのかということを知ることができた。
 
■2018年8月26日(日曜日)
 1日我が家でゆったりと過ごした。8月は昨日まで1日も家でゆったりとする時間はなく、やっと夏休みがやってきたという感じ。遅めの朝食を食べた後は、家族はみんな外出してしまい、一人で過ごした。図書館から借りた本を読み、洗濯をし、先月購入した新しいダイソンの掃除機で掃除をし、靴を洗った。ダイソンは吸引力が強いが、ヘッドは前にしか動かず、横に動かしにくいことがわかった。8月は家事もほとんどできず、久しぶりの家事ですら、我が家で生活している実感が湧いてきて、心地よかった。次男と三男は明日から学校が始まるのだが、三男は、夏休み中、妻から宿題を早めに済ませるよう毎日言われながらそれを無視し続けたために、夏休み最終日になっても宿題が終わっていなかった。昼間は友達が遊びに来ていていたため、結局友達が帰った夕方から残りの宿題をやっつけ仕事で仕上げていた。
 
■2018年8月25日(土曜日)


女子800m予選



男子800m決勝



応援学生と選手たち
 関東選手権2日目。学生は、女子800mに出場。予選から日本インカレの標準記録を狙って、レースを引っ張っていくというプランで走った。気温35.5℃、湿度54%、風は多少あったが、昨日と比べると穏やかだった。スタートは若干遅かったが、バックストレートで先頭に立ち、1周目は67秒。そのまま2周目も第4コーナーまで先頭で走り、最後の直線で、2番手に落ち、残り20mくらいでもう一人にかわされ3着でフィニッシュ。2分13秒00の標準記録は突破できず、2分17秒84で、決勝進出できたのは2分17秒80までだったため、残念ながら予選落ち。7月以降、訓練等により継続した練習が難しかったこともあったので、最後までよくレースを引っ張ったと思う。来週の関東理工系に期待したい。
 男子では、卒業生が男子800mに出場。予選は、運よく1着通過。本人も決勝に残れるとは思っていなかったようで、5年前には予選落ちだったことを考えると、その借りを返す形となった。決勝は、ほとんどが格上の選手だったため、自分のレースにするために200mの通過から先頭に出てレースを引っ張った。残り300mからさらにスピードを上げ積極的に逃げたが、残り250m付近で捕まり、残り200mからは5人に大きく離され6位でフィニッシュ。タイムは1分57秒04。気温は36.5℃にまで上がり、厳しいコンディションの中、よく頑張り、学生の時よりも成績を向上させて6位という順位が付いた。彼は、大学院生なので本業は研究だが、在学中にもう一度自己ベストを更新し、学生時代の記録を破ってほしい。
 
■2018年8月24日(金曜日)


男子やり投げ



偕楽園と千波湖
 朝から雨が降り、やり投げをするにはあまりいいコンディションではなかったが、やり投げの競技開始のころからは、雨がやみ、なんとかやりを握る手元には影響のないコンディションになってくれた。学生は、60mを超える試合にするつもりで、会場へやってきたが、台風の影響で風が強かった。前半の3投は、どの選手も申請記録よりも大幅に低い記録しか出ず、うちの学生も期待したような記録には全く及ばなかった。結局ベスト8には残れず、53m54で27位だった。ベスト8に残った選手たちは、6投目になるにつれ、記録を大幅に伸ばしていき、気が付けばベスト8の選手の多くが60mを超える投擲をしていて、レベルの高さを実感した。それでも、助走からクロスに入るところで、ほとんどの選手が失速し、上半身だけの力で投げているように見えた。失速なく投げていたのは、上位2選手くらい。うちの学生も含め、この失速がなければ、もっと記録が伸びるように見えた。来週は関東理工系。学生には、こちらの方で60m超えを果たしてもらいたい。
 
■2018年8月23日(木曜日)


徳川光圀公像
 明日から学生が関東選手権へ出場するため、午後の練習に間に合うように茨城へ移動。水戸からは学生と合流し、レンタカーで笠松入りした。
 笠松へ来るのは2013年東日本実業団以来。相変わらず、行くのが不便なところだと思った。関東選手権も2013年の甲府以来5年ぶり。練習会場では、800mの仲間が高校の生徒を連れて練習に来ていて、久しぶりに話ができた。何年も前に練習について話したことを今も実践し、生徒の成績も上がってきているという話を聞きうれしくなった。また新しい練習方法はないかと聞かれ、練習ではないが、身体のケアの部分に貢献できるかもしれないということで骨ストレッチをレクチャー。身体の反応の良い先生なので、すぐに変化がわかってくれ、とてもやりやすかった。学生たちが、明日の調整をしている間に、自分もペース走をしようと思っていたが、結局骨ストレッチのレクチャーだけ時間切れ。しかし、新たに骨ストレッチを広めることができた。
 ホテルへ行った後は、千波湖へ行ってジョギング。白鳥、黒鳥、カルガモなどがたくさん泳ぎ、心和む場所だった。この1週間ジョギングのみで、心肺機能に全く負荷をかけていない。だんだん負荷をかけようというモチベーションが下がってきた。
 

■2018年8月22日(水曜日)


少人数モノレール
 朝練は、山の方へ登っていき釜山中央公園というところから、港を見下ろした。公園の向かいにある釜山民主公園にも行こうと思ったが、開園時間ではなく中に入ることができなかった。その後、釜山駅まで下ったのだが、ほとんどが階段で、階段に併設して小さなモノレールを発見。階段があまりにも急で、上るのが大変なため短い距離なのだが設置されたのだろう。あとから調べてみると、階段は168段。このモノレールも釜山の観光地の一つのようだった。
 釜山駅は、外側は工事中だったが、中は空港のように広くきれいだった。駅から海沿いへ出ると、片側6車線もある広い道路を見ることができた。朝8時前だったが、釜山中心へ向かう側は、かなりの交通量だった。
 空港へ向かう途中、釜山のビーチへ寄った。食事のできる店がなかなか開いておらず、店に入るまでに時間がかかったが、なんとか店を見つけ、ブランチ。豚肉のクッパをたべた。それほど辛くなく、久しぶりにおなかに優しい味の食事にありつけた。
 釜山から成田までは、2時間もかからなかった。沖縄より近い。成田からは、乗り換えは1回だけだったが3時間近くかかってやっと横須賀へ帰ってきた。海外へ行くよりも国内の移動の方が時間がかかる。なんだかとてももどかしい移動だった。



広安里(カンアンリ)ビーチ
 
■2018年8月21日(火曜日)


松島海水浴場




釜山タワー
 朝はランニングでホテルから最も近いと思われるビーチへ行ってみた。松島海水浴場という場所らしい。ロープウェイが最近できたそうで、かなりの観光地だった。釜山の街は、細長い高層アパートと教会が多かった。ランニング中は様々な臭いのある場所を通過し、具合が悪くなりそうな場所もあった。歩道が凸凹で走りづらい場所も多かった。ビーチを見渡せる丘を見つけて、そこから写真を撮っていたら、隣にいたおじいさんがこちらをじっと見て、大腿部を手で覆うようにしながら、ジェスチャーで片手の親指を立て残りの指をたたみGOODのサインをし、こちらに向かってにっこりと微笑んできた。大腿部がすばらしいということのようだ。言葉で会話はできなかったが、ありがとうとだけ言うことができ、今までトレーニングしてきたことを認めてもらったような気がして、とてもうれしかった。
 学会は2日目。口頭発表とポスター発表があった。口頭発表の中でスウェーデンの研究が紹介され、就職活動の書類において痩せた顔と太った顔の写真の2つを用意し、同じ会社に2通の書類を送った際、書類審査の合否に違いがあるかどうかを調査した結果、同じ人でも肥満顔の方が不利であるという結論となったという。人は見た目で判断するということなのだろう。ポスター発表では、発表者の中に、自分の母校の小学校で教えている先生の名前が入っていて、彼の研究を指導する先生と研究の内容について話が盛り上がった。久しぶりに自分の母校の名前を目にして、なんだかうれしくなった。
 
■2018年8月20日(月曜日)


東亜大学



ピョンチャン水



学生によるテコンドー実演
 ホテルの宿泊に朝食が入っていなかったため、ホテル前のセブンイレブンでサンドウィッチ、ハンバーガー、ヨーグルト、コーヒーを買って、7600ウォン。レジで10100ウォンを出すと、店員のおばちゃんは、それだけ?という納得しない顔をしてきた。こちらはおつりのコインをできるだけ少なくしたかったのでこれでいいという顔をしたら、おばちゃんは諦めて支払いに応じてくれた。韓国にはこういう感覚はないのだろうか。ちょっとしたことが日本と違う。
 学会会場の東亜大学は、釜山にはいくつかあるらしく、昨日走って確認しに行ったキャンパスは、学会会場ではなく、タクシーを使わないとかなり遠いことが分かり、ホテルからタクシーに乗った。ドライバーに自分たちの行き先を説明したが、理解してもらえず、ホテルの人に通訳してもらい、会場へ向かったが、途中からこちらが想定している方向とは違う方向へ向かい、ついた先は東亜大学の病院だった。明らかに場所が違い、病院ではない別のキャンパスだと説明し、大会プログラムと地図で確認し、なんとか学会会場へたどり着いた。昨日も感じたことだが、釜山を走る車は、速度が速く、タクシーの運転が雑で荒い。一定ペースで走れる直線なのに、微妙にアクセルを踏んだり離したりするので、会場へ着くまでに具合が悪くなった。
 学会では骨ストレッチに関する研究を口頭発表した。20分間の発表時間があり、13分ほど発表し残り時間は質疑応答。骨ストレッチについて知っている方はほとんどいらっしゃらず、実際にどういうことをするのかという質問があり、その場で講習会のようにレクチャーをするなど、骨ストレッチを知ってもらう機会となったが、測定について少しアドバイスも頂き、発表を無事に終えることができた。
 帰りは、韓国の先生が12人乗りの車でホテルまで送ってくれた。ガソリン料金は日本より高いのに、タクシー料金は日本よりかなり安いということが疑問だったのだで、質問してみたところ、韓国のタクシーは燃料に液化天然ガスを使用しているとのことで、ガソリンより安いということがわかった。
 
■2018年8月19日(日曜日)


部屋からの眺め



路上駐車だらけ



宿泊するホテル
 昨夜は、家で学会発表資料を作ろうと思っていたのだが、家のパソコンにパワーポイントが入っていないことを家に帰ってから気がつき、結局資料が作れず、今朝、職場へ行って何とか資料を仕上げた。中距離の学生たちは後段合宿4日目となり、朝6時から朝練をすることになっていたので、朝練開始に立ち会うことができた。
 9時半過ぎの列車に乗り3時間近くかけて成田空港へ。成田空港で食事をし、円を韓国ウォンに両替。2万円が17万ウォンに替わり1062円が戻ってきた。両替は日本でするよりも釜山の飛行場で交換した方がレートが良く、日本で両替したことを後悔したが、さらに宿泊したホテルの方がよりレートが良く、さらに残念に思った。
 成田から釜山へは2時間半ほどで着いた。羽田から那覇へ行く時間と変わらず、久里浜から成田へ行く時間の方が長いくらいだった。
 2002年の釜山アジア大会に出場するときに少しでも言葉が分かればと思って始めたハングルの勉強だが、アジア大会には出場できず、その後も何となくNHKのラジオを聞き続けたのだが、2004年にソウルへ合宿に行く機会があり、2013年にはチェジュでの学会に参加し、今回は3回目の韓国。ハングルは、意味が分からなくても文字が読めるだけで役に立つことがあり、また役立てる機会がやってきた。2000年から目標としていた釜山へ、やっと訪問できることとなった。
 空港からホテルまでは、タクシーで20分ちょっと。4人でタクシーに乗り、一人4000ウォン(400円弱)だった。タクシー料金は日本と比べると安かったが、ガソリンスタンドの軽油の価格を見ると1リットル当たり1397ウォン(130円くらい)となっていたので、日本よりは高かった。
  ホテルに着いた後は、学会会場となる東亜大学までどのくらいの距離があるか知りたくて、ランニングで確認に行ってみた。ゆっくり走って12分で、思っていたよりも近かった。30分ほどのジョギングをするつもりだったが、海沿いの市場などを回った結果45分のジョッグとなった。
 
■2018年8月18日(土曜日)


 中距離後段合宿3日目。午前は、800m組が600m×3、1500m組が1000m×3のレペティショントレーニング。自分は、明後日の学会での発表資料を何も作成しておらず、明日は韓国へ向け出発というところで、今日が資料作成のタイムリミット。緊張感を持ちながら1日資料作成をした。学生たちは、昨日と同じように、なんだか思ったような動きができなかったと話していた。その時のベストを尽くした練習であれば、それ以上のことはできないのだから、納得するよう促した。
 午後からは、短距離と跳躍の合宿が開始となった。短距離と跳躍の合宿参加者は30名以上。中距離の午後の練習は水泳だったので、トラックに中距離の学生はいなかったが、短距離と跳躍の選手がトラックとフィールドに存在するだけで、競技場がとても華やかになった。今日のメニューはコントロールテストなど。年間の目標とする大会が2週間後に迫っているというのに、コントロールテストなのか?と疑問に思ったが、試合に出場する選手は、自覚ある行動を休暇中にもしていたはずで、試合に出ない多くの学生たちは、何もしてこない場合が多いので、現状を把握するために必要なことなのかもしれないと思い、練習メニューに介入することはしなかった。
 
■2018年8月17日(金曜日)


 中距離後段合宿2日目。午前は、観音崎でクロカン走。1週間前と全く同じメニューで、1周目は集団でゆっくり走り、2周目以降はフリー。全部で7周した。今日は、気温も湿度も低く、適度なコンディションで、走りやすい環境だった。1週間前のような走る前からのだるさはなく、秋風の中、気持ちよく走れた。急に夏ではなくなり、身体は戸惑っているようにも感じた。
 午後は、200m×5を3セット。自分は別の用事で練習には参加できなかったが、学生たちは、気候が良い割には、動きは悪く、思ったようには走れなかったようだ。学生たちは、毎日3部練なので、疲労は蓄積されてくる。動かなくなっているところを、どう効率よく走るかを学ぶ機会なのではないかと思う。
 
■2018年8月16日(木曜日)


校内集団ジョッグ
 午後から中距離の後段合宿。今回は基本的には全員参加ということで、14名の学生の参加があった。以前顧問だった方も休暇中にもかかわらず練習に参加され、自分も含め全員で16名。メニューは集団ジョッグ60分。最初の30分はかなりゆっくりなペースで走り、3分間の水飲み休憩の後、ペースを上げて残りの30分をジョッグ。風が強く、比較的気温も湿度も低めだったが、なぜか汗だけは大量に出て、シャツは絞れるほどの汗を吸っていた。後半のジョッグは、かなり辛く、何名かはついていけなくなり遅れていった。前段合宿参加者は遅れることなく走りきり、練習をしていたかどうかの違いは明白だった。
 最後に300mを走ったのだが、あまりにも風が強く向かい風の時には全く進まず、逆に追い風 の時には、押されすぎてバランスが崩れるほどで、自分がどのくらいのタイムで走っているか全く想像できなかった。結局タイムは43秒7。目安としていたタイムだったが、前半の100mと後半の100mの速度があまりにも違いすぎて、自分の中では走りの評価はできなかった。
 
■2018年8月15日(水曜日)
 1日かけて実家から自宅へ移動。昨日の朝は、起床時に強い雨が降っていてランニングをあきらめたので、今日こそランニングしようと思っていたのだが、今日も走ろうと思った時間だけ急に強い雨が降り、結局今日も走ることをあきらめた。このタイミングで走ってはいけないということだったのだろう。
 朝ご飯を食べ、車に帰りの荷物を詰め込むと10時半になっていた。帰りの車の中では、子どもたちが次々と現状の不満を言ってくる。妻はいちいちそれに対処しなければならず、イライラしているのがよく分かった。この3日間、子どもたちは、こちらが注意をしないことをいいことに、携帯ゲームかタブレット端末でのゲームばかりをしていた。そのため車の中ではゲームを止めるよう促したことで、子どもたちの不満が高まる結果となり、子ども同士の軽いケンカが何度かあった。
 パーキングやサービスエリアでの休憩を3回取って、夕方6時前くらいには自宅に到着。次男の飼うインコやメダカもやっと車の揺れから解放された。インコは、車の中にいるときにはいらだつような声を上げ、指を近づけると噛みついてきたというので、インコもストレスがたまっていたのだろう。ペットを飼うというのは大変なことだ。
 
■2018年8月14日(火曜日)


祖父の写真
 家族で母方の先祖のお墓へお墓参りに行き、その後、祖父母と叔母の家に立ち寄った。祖父母も叔母も亡くなってしまい、今は母が家を管理しているが、近いうちに土地を手放す手続きをするとのことで、欲しい物があれば持っていって欲しいと言われて訪れたのだが、そこにはアルバムの山があり、物を見るよりも前にそれを見始めてしまい、本来の目的を見失ってしまった。写真には、父と母の結婚式や自分たちの生まれたときから最近までの写真、母の弟夫婦の結婚式や従姉妹の生まれてから最近までの写真、そして、祖父母が結婚する前後の写真まであった。明らかに戦時中の写真には見入ってしまった。祖父が写っている写真のバックには「米英撃滅」という看板もあった。一般人の生活の写った写真は祖父母の時代の頃から普及したのだろうから、本当に貴重な写真だと思った。今日は時間がなく、すべてを見るとができなかった。自分の今があるのは、自分の先祖のおかげなので、先祖の貴重な写真をしっかりと目に焼き付けておきたいと思った。次の正月には、もう少し時間を作れればと思う。
 
■2018年8月13日(月曜日)
 実家に帰省。朝5時に起きて帰省準備し、家を出たのが6時40分。横浜町田インターからは渋滞。海老名サービスエリアで休憩したのだが、長男と次男が「しっこ臭い」と言いだし、三男がお漏らししていることが判明。そんな時に三男はさらに鼻血を出し、Tシャツまで汚し、妻と手分けして、半ズボンとパンツとTシャツをトイレで洗う羽目になった。
 海老名を出た後も、秦野あたりまでは渋滞し、その後は、気持ちよくドライブできた。大きなサービスエリアよりも、小さなパーキングの方が、客が少なく、店の中をゆっくりと見ることができ快適だった。実家へついたのは13時前。サービスエリアでの休憩時間が長かった分、トータルの移動時間は長かった。
 実家では、妹たちの子どもたちが4人待っていて、その後は、7人の子どもで大騒ぎ。男子たちは、タブレットや携帯ゲーム機でゲーム三昧。女子は、折り紙や絵を描いて遊んでいた。
 夕方食事をするため、車で移動し、友達の実家の前を通った際に、偶然その友達が玄関前にいたので、車を止め少しだけ話をすることができた。彼は100mで日本人で初めて9秒台を出した桐生選手のトレーナー。海外遠征など忙しくしていて、なかなか実家には帰ることはなさそうだが、たまたま今日は実家に家族が集まる日だったらしい。タイミングが少しでもずれたら会うことはできなかったと思うと、再会のうれしさとともにこの偶然への感謝の念がこみ上げてきた。また試合で会おうと約束して別れた。
 
■2018年8月12日(日曜日)


3本目終了後




本日の練習参加者
 中距離合宿5日目。朝は、野比の海岸からくりはま花の国を回るコースをジョッグ。以前だったら50分くらいで回れていたのに、今日は約60分かかり、かなりきつかった。
 午前中は、400mのレペを3本、15分休息で行った。2本目まではマラソンシューズで走り、1本目は55秒5。56秒くらいで走れればと思っていたので、思っていたよりも走れた。しかし2本目は、全く身体が動かず、学生たちに大きく離され58秒7。ジョッグをしているように思えたが、その割にはタイムは良かった。3本目は最後の1本なので、スパイクを履き、必死にもがいて走った。タイムは55秒8。スパイクを履いたが1本目のタイムにはおよばず、納得のいかない結果となった。3本目が終わった頃に部長が練習に来られ、午前練の解散後、一緒に300mをやらないかと声をかけられ、2名が一緒に走ることになった。最後まで部長が先頭を引っ張り3名とも40秒前後でのフィニッシュとなった。部長と一緒に走った2名は、400mの時よりも良い走りができ、走った甲斐があった。学生たちは午前の練習で合宿が終了となった。
 午後は、レジェンズグループの2名だけでの練習。室内トレーニング上でサーキットトレーニング。最近は、1セットのタイムで4分を切ることができなくなっていたのだが、今日は3セット目に久しぶりの3分台が出た。疲労している中で、しっかりと全身を動かせたと思う。
 
■2018年8月11日(土曜日)


本日の練習参加者
 中距離合宿4日目。今日から、自分のクラブチームの選手が合宿に合流して、一緒に練習をした。午前は、トラックで400m×5を2セット。休息は200mジョッグでセット間休息は15分。設定は70秒切りということで始めたが、暑い環境での練習なので、どのくらいで走れるかは走ってみないと分からなかった。1セット目は69秒5、68秒6、69秒4、67秒2と走れたが、4本目で嘔吐。脚には余裕があるのに呼吸が辛く、つなぎのジョッグのペースはどんどん遅くなり、5本目は72秒2で設定通りにはいかなかった。学生たちも3本目以降は、集団で走れなくなり各自バラバラにスタートするような状態になってしまった。
 2セット目は、スパイクを履くつもりだったが、スパイクを履くことで下腿を使った走りになりそうだったため履くのを止めた。3本目までは、67秒9、68秒3、68秒7で、まずまずのタイムだったが、3本目で嘔吐。4本目は75秒3に落ち、最後の5本目だけは、残り200mでがんばり67秒3で終了。脚には余裕があるのにとにかく呼吸が辛かった。
 午後は、学生たちは、疲労回復でフリーにしたのだが、結局プールで30分泳等を行った。レジェンズグループは、観音崎で1kmの上り坂ダッシュ。普段人と一緒に坂ダッシュをすることがないので、一緒に練習する人がいるだけで一気にタイムが速くなる。先月は4分20秒かかっていたタイムが、今日は3分50秒1、3分48秒5、3分44秒1とタイムを上げることができた。しかし2本目で嘔吐し、当然3本目も嘔吐。身体への負担は大きかった。
 
■2018年8月10日(金曜日)


クロカン走




30分泳
 中距離合宿3日目。午前は、観音崎でクロカン走。学生たちが設定したコース(1.2〜1.3kmくらい)を1周目は集団で走り、2周目以降はフリー。昨日のジョッグがきつくて、今日は、まともに走れないと思っていたが、2周目はしっかりと先頭についていくことができた。しかし、その後は、歩くペースに近いほどペースダウンし、6周目からペースが上がり、7周目はさらにペースを上げて終わることができた。気温は高かったが、想像していたよりも湿度は低く、風もあったことは救いだった。しかし、相当な量の汗が出た。今日も体重が大幅に減っていることだろう。
 午後は、屋内プールで30分泳。25mごとにクロールと平泳ぎを繰り返した。骨ストレッチのおかげか、呼吸は全く乱れず、ゆったりと楽に泳ぐことができた。その後は、立ち泳ぎを次の実施時間分の休憩を入れながら、3分、2分、1分。立ち泳ぎができない学生は溺れそうになりながら、激しい呼吸でなんとか耐えていたが、こちらも思っていたよりは楽にできた。最後は、15分フリー。ゆったりと背泳ぎをし、久しぶりに力を抜いて水に浮く感覚を楽しむことができた。
 今日は久しぶりにアキュー整骨院へ行き、膝の治療。電気をかけている間、適度に脚を動かしている必要があったが、氣がつくと寝ていた。左膝から大腿前面の治療だったため、その部位のみが軽くなり、それを除く部位は、重だるく軽い筋肉痛が残り、なんだかバランスが悪くなってしまった。4月末の歩くのが困難だったことを思い出すと、練習に復帰できるようになっただけで、大きな改善をしたように思えた。
 
■2018年8月9日(木曜日)


80m直線ダッシュ



午前練終了後
 中距離合宿が昨日から始まったのだが、昨日は参加者3名。今日は4名。今回の合宿は、希望者のみで、16日以降に始まる合宿の前段合宿という位置づけだと学生の責任者から聞き、全員が参加するものと思っていたので、なんとももどかしい氣分になった。
 午前は、80mの流し込みダッシュ10本を10分休息で3セット。台風13号の影響で、雨は降っていたが、風はあまりなかった。トラックが濡れているので、接地の度に滑りそうになりながら走ったが、蹴らない走りを覚えこませるにはとても良い練習となった。3セット目に、5月以来のスパイクを履き走ったのだが、全く滑らなくなるので、走りやすくよく進んだ。しかしながら、スパイクのピンのおかげで滑らず、逆に蹴る動作をしている感じがあり、後半は、少しずつ下腿が張ってきてしまった。練習が終わると晴れ間が見え、トラックが乾いてきた。
 午後は、60分ジョッグ。午前とは違い、晴れて気温も湿度も高くなり、風が強くなった。ゆっくりのジョッグだったが、かなりきつく、発汗量が多かった。最後に300mを走り、42秒5。ジョッグによって身体がだるく重い割には、タイムはよかった。
 
■2018年8月8日(水曜日)


バジルの種を食べてます
 長男は、先日、近所の高校の説明会で模擬授業を受けた際に、知り合ったバドミントン部の生徒に誘われ、バドミントン部の練習へ行くようになった。昨日も9時から練習があり、行く約束をしていたのに、ちょっと寝坊し、結局行かなかったという。行くと約束していて連絡もせず行かないということでは、信用にかかわると、妻と2人で長男に話はしたものの、どうも反応が悪く、反省しているようには見えない。
 今朝も練習があったが、9時近くになっても、なかなか家を出ず、9時直前になってやっと家を出て行った。雨なので歩いていくとどう考えても間に合わないのだが、本人は9時ごろに集合だから問題ないのだと言い、自転車で出かけて行った。9時ごろでいいと言われても、練習に参加せてもらう身なので、9時には集合すべきだと思うのだが、彼はそういう感覚ではないらしい。
 午後は塾の夏期講習に参加することになっていたのだが、妻が行くように促しても行くことはなかった。帰宅した時に、彼が家にいたので、塾には行っていないことがわかり、なぜいかなかったかと聞いたら、暴風警報だったからだと返答してきた。塾が始まるのが13時からで、暴風警報が出たのは15時半ごろ。暴風警報は行かなかった理由にはならない。時間も約束も守れず、それについて何とも思っていない彼は、常識にとらわれない大物になるのかもしれない。
 
■2018年8月7日(火曜日)


新しい防大みやげ
 政府・与党が夏の時間を2時間繰り上げるサマータイムの本格的な検討に入ったという。2時間繰り上げたとしても、屋外競技の暑さに対する根本的な対処にはならないように思うが、IOCが夏のオリンピックは8月と決めているため、日程が動かせないということなのだろう。1964年のオリンピックの時のように秋開催にすれば、気候による選手への負担は減るのは誰が考えてもわかることなのに、ずらせないこと自体が、選手第一になっていない。国会議員の青山繁晴先生が、時期がずらせない原因について、アメリカの大リーグが関係しているという発言をされていた。大リーグの最も稼ぎ時になる秋に、オリンピックが重なると、テレビを中心とした稼ぎが大幅に減るからなのだという。国内でも、日本スポーツ協会がアスリートファーストということを盛んに謳っているが、それならば、IOCに時期の変更を検討するよう、きちんと提案してほしい。 
 
■2018年8月6日(月曜日)


正座で寝る三男
 東京医科大学が得点操作をしていたという問題で、さらに詳しい内容が分かってきた。減点は、女子や4浪以上の男子にあり、その他の受験生には加点される場合があったようだ。試験の点数を公平に扱えば、半分以上の学生が女子になる可能性があり、女性医師は、結婚や出産で離職する可能性があるので、男子を多めに合格させたという。そして、何度も浪人を重ねた生徒の大学入学後の成績が向上しづらく、現役合格の生徒と比べると留年生が多く、医師国家試験の合格率に影響を与えることから、得点操作があったようだ。これだけの情報だと、不公平だということになるが、最初から大学のアドミッションポリシーに加えておけば、批判はあるのかもしれないが、大学が求める学生はどういう学生か周知でき、受験生もそれを理解した上で受験ができるように思えた。女性医師の離職の問題が、受験にまで影響を与えているとすれば、女性医師が離職をせずに仕事を続けられる環境をどう作っていくかを検討する必要があるとテレビのコメンテーターが話していたが、今回の問題の大元にある問題に対処しなければ何の解決にもならないので、このコメントには納得だった。
 
■2018年8月5日(日曜日)


朝練



ゲレンデダッシュ



朝練後
 長距離校外合宿最終日。朝は、5kmのコースを往復ジョッグ。コースのスタートへ行くまでにちょうど1kmあったので、往復で12km。学生たちは集団ジョッグだったが、彼らのペースは速くてついていけないので、同期と15分速く出発し、ひさし部にゆっくりと話をしながらジョギングができ、結局76分ほどで完走できた。途中、左膝が痛くなったり、左アキレス腱が痛くなったりしたが、無事に走り切れた。60分以上ジョッグしたのは何年ぶりだろうか。
 ジョッグ後は、全員で、ゲレンデの上りを1本だけ全力ダッシュ。顧問の一人が、トップだった学生のみ、コンビニで欲しい物を買ってもらえるという提案をしたため、学生たちのモチベーションは高まった。ニンジンをぶら下げられた学生たちは、いつもより速かった。
 朝食後は、荷物をまとめ、部屋を片づけて、合宿が終了。自分はモンゴル人の卒業生を車に乗せて、新宿へ。車の中では、仕事や家族、将来について卒業生からいろいろと話を聞けた。自分よりも厳しい世界で仕事をし、様々なことを考え、実戦する彼を尊敬するばかりだった。
 新宿では、骨ストレッチの講習に参加。先月の復習をし、改めて自分を定義するには、自分ではないと思いこんでいるものがなければ成り立たないということを感じた。メインは、大腰筋を意識できるようにするトレーニング。両足裏を指先までくっつけて、膝が真っ直ぐ伸びるまでゆっくりと膝を伸ばしていくのだが、かなりつらかった。しかし、このトレーニングにより、脚が大腰筋から動いている意識が少し出てきた。自分の身体の中に意識を持つということがますます面白くなってきた。
 
■2018年8月4日(土曜日)


キャベツ畑



距離走



FAT BURN EXTREME
 合宿4日目。早朝から長距離は距離走。4グループに分かれ、AとBは25km、Cは18km、Dが12kmを走った。普段6分/kmのペースの集団ジョッグすらついていけなかった1年生が、Dで走ったが、4分台のペースで走るCグループからそれほど離れず、12kmを完走し、驚かされた。
 昼には、OB会の関係者が2名激励に来られ、昼食時に、学生たちに激励の言葉を頂いた。
 午後は、スポーツインストラクターをするモンゴル人の卒業生による、スタジオレッスン体験。「FAT BURN EXTREME」という音楽に合わせながら、全身に刺激を入れるレッスン。スキー場のゲレンデで、20分ほどだったが、股関節周りを中心に高強度の負荷がかかり、学生たちはフラフラになりながらも、声を張り上げながら盛り上がっているのが印象的だった。声をかけながら、正確な動作を見せなければならないインストラクターの仕事の大変さを感じた。
 800m組は、800mの変化走を15分休息で3本。激励に来てくれた同期はスパイクも持参し、一緒に走ってくれた。ずっとアキレス腱に痛みがあるそうで、3本目は途中で止めることになったが、2本とも学生よりも前で走ってくれ、適度なペースメイクをしてくれた。3本目は400mを8割程度で走り、残り400mはダッシュという設定だったが、学生は、2周目をしっかりとペースアップでき、納得の走りでこの合宿最後のメイン練習を締めくくることができた。7日連続の練習によく耐え、最後まで集中力を保ち走り切れたことは大きな自信になったようだ。
 競歩の学生は、1000m×10。昨日よりも過酷なのではないかと思ったが、すべてを歩ききり、彼が決めていた4分20秒を2本切ることができなかったため、罰として400mを2本追加し、歩ききった。自ら厳しさを求める姿勢に感動。
 
■2018年8月3日(金曜日)


クロカンインターバル



競歩



午後の練習後
 校外合宿3日目。朝は40分フリージョッグ。学生の内4、5人が脚に痛みを訴え走れなくなっていた。朝練の時間にその内の一人が身体をみて欲しいとのことで、全身を緩めてみたが、腸脛靱帯のテンションが高く、膝の痛みには大きな変化は出せなかった。骨ストレッチで、足を真っ直ぐに出せるような運動をしたのだが、これもうまくいかず、つま先が常に外側に向いたままで、こうなる原因を追及しなければならなかったのだが、自分の能力では、それができず、学生から新しい課題をもらうこととなった。
 午前中は、長距離がスキー場のゲレンデの上にあるクロカンコースで500m×12をした。自分も久しぶりに自分の練習で、学生に混じって走った。呼吸だけが辛く、脚への負担は全く感じなかったが、呼吸の影響で、身体は全く動かなかった。呼吸循環系には、ある程度負荷はかけれられ、一人ではできない練習ができ、満足。
 午後は、長距離はフリー。自分は、関東選手権に出る女子学生と400m+300m+200mを3セット。休息は次の走る距離をジョッグ。校内合宿から数えると連続6日目の練習となる。かなりの疲労感の中、ほぼ設定通り走りきってくれた。トラックでは競歩の学生も練習したのだが、彼のメニューは5000m、4000m、3000m、2000m、1000m。長距離では絶対にやらない過酷なメニューで、最後の1000mが4分15秒台という結果を聞き、あまりの速さに驚いた。2000mの時に200mだけ、自分も競歩の歩きで彼についていったが、200mすらついていけず、前脛骨筋が異常に張ってしまった。彼がどれだけ過酷な競技をしているかということを実感することができた。
 夜には、明日からの練習に参加するモンゴル人の卒業生が合宿先へ合流した。彼は、スポーツインストラクターやパーソナルトレーナーとして様々な場所で活躍している。最近は、スポーツクラブでスタジオレッスンをしているとのことで、彼のレッスンを学生にも体験できる時間を作りたいと思った。
 
■2018年8月2日(木曜日)


日の出



600m



ダボスの丘
 5時前に起床して5時10分集合で朝練。長距離の学生たちは、朝からメイン練習。選手の状態に合わせて10〜16kmのペース走をした。校内合宿を含めると、今日は合宿5日目。疲労等で脚に痛みを訴える選手が少しずつ出てきた。自分は、6kmを1周を含む45分ジョッグ。ジョッグをしていて、人工芝のラグビー場がたくさんあることに氣がついた。8年前には、人工芝はそれほど多くなかった印象がある。ラグビー場は各ホテルが所有しているようなので、この8年で、各ホテルは、お金をかけたのだなぁと思った。また、8年前はほとんど見かけなかった女子ラガーが目立った。東京オリンピックが近づき、女子選手が急増している雰囲気を感じた。
 午前は、トラックで600m+100mを2セット。休息は100mウォーク、セット間は15分。設定はレースペースで、選手は気持ちよく走りたいとのことだったが、1セット目から苦しそうで、設定タイムには届かず、2セット目は400mまではレースペースで走れたが残り200mは大きく失速し、こちらも設定タイムには届かなかった。本来は、休養日にしたいところを、合宿日程の都合で、練習にしたところもあり、疲労が蓄積する中での走りだったので、こちらは、許容できる結果だったのだが、本人は、納得いかず、悔しいですと話していた。明日は、少し時間をあけ、午前の練習を夕方に持ってきて、休養する時間を作ろうと思う。
 午後は、スキー場のゲレンデを上り、ダボスの丘へ。学生たちは、丘の上でクロカンコースを50分ジョッグ。自分は、丘の上に登るだけで疲れ、ジョッグはせず、学生たちの走りを眺めていた。
 
■2018年8月1日(水曜日)


サニアパーク
 長距離の校外合宿のため菅平高原へ。菅平へは2010年に合宿で来て以来なので8年ぶり。行きは、環状八号線で渋滞に遭い、上信越自動車道で、片側車線が工事のため渋滞となったが、およそ4時間半で到着した。昨年までの桧原湖と比べるととても近いという印象を持った。
 学生たちも昼過ぎに到着し、午後は、コースの下見を兼ねて集団ジョッグ。関東選手権に出る女子選手は別メニューをこなすため競技場へ行った。メニューは300m+200m+100を3セット。休息は次の距離ウォーク、セット間は10分。800mのレースペースよりは速いペース設定で走った。選手は2セット目でケツ割れになり、3セット目はかなり苦しかったようだが、なんとか設定通りの走りができた。自分は、1セット目は選手と併走、2セット目は引っ張り、3セット目は、後ろにぴったりとついて走った。最後に、自分の練習で400mと200mを全力で走った。55秒台と26秒台では走りたいと思っていたが、実際は57秒2と28秒1。昨日までの疲労や、女子選手との練習での疲労は感じていなかったが、自分が考えているよりも疲労はあるのかもしれない。
 


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