最近のいずみ

Last Update:2019/12/31



パートタイムアスリートいずみ 19年目に突入 
■2019年12月31日(火曜日)


久里浜港
 朝犬の散歩に出て、犬の散歩をしているおじさんに遭遇したので、「おはようございます」と挨拶したものの無視された。無視されるとなんだか氣まずい。おじさんは逃げるように去っていった。その次に会った犬は飼い主同士は挨拶したものの相手の犬が吠えて逃げていってしまったため交流はなかった。我が家の犬は人が好きで犬も好きでとても友好的なのだが、全ての飼い主と犬が友好的ではないので、なかなか難しい。犬を飼っている人の多くは、犬が好きなので、犬の散歩をしていると声をかけてくれ犬をかわいがってくれる。今年は、犬を飼うことで、今までだったら絶対に関わることのなかった人とたくさん関わることができた。来年も犬を介して新しい出会いがあればと思う。
 
■2019年12月30日(月曜日)
 練習はサーキットトレーニングと3000m+300m+200m×2+100m×3。
 サーキットトレーニングは1セット目のバーピーの数を間違え10回多くやったためタイムが遅くなり、2セット目、3セット目ときつくなっていったのだが、タイムは徐々に上がって終わった。體の動きと自分の感覚が大きくずれているということがよくわかった。
 トラック練習は、3000mを1000m当たり3分40秒ペースで走るつもりでスタートしたのだが、最初の1000mは3分52秒3。これではまずいと思い自分の中ではペースアップしたつもりだったが、次の1000mは3分57秒2とさらにペースダウン。最後の1000mはさらに意識してペースアップしたものの3分51秒2となり、全く設定通りには走れず、サーキットトレーニングと同じように、自分の感覚とタイムに大きなずれがあった。
 300mは48秒くらいを目指していたが、51秒8。これを走っただけで両脚の内転筋が若干攣りそうな疲労感になった。そして200mは30秒で走ろうと思っていたが実際は32秒3と31秒1。内転筋の疲労感よりも下腿の疲労が強くなり、若干痛みも出てきた。最後の100mは15秒0、14秒6、14秒1。最後は呼吸器系の負荷が高くなり、全てを走り終えた直後に嘔吐してしまった。思うようには走れていないが、とにかく練習を再開したことに意味がある。
 
■2019年12月29日(日曜日)


人生ゲームに興じる男ども
 帰省がなくなり、長男は中学時代の友達を家に泊めたいと言いだし、高校生が3人我が家へ遊びに来た。遊ぶといっても録画したドラマをひたすら見つつポケモンカードをし、スマートフォンを見るということをダラダラと続けるだけだった。これに次男と三男も便乗して同じ空間で同じことをしていた。夕食後、人生ゲームが始まり、次男と三男も仲間に入れてもらい深夜までゲームが続いた。高校生たちが小学生と一緒に遊ぶというのは、なかなかなく面白い組み合わせだと思った。
 
■2019年12月28日(土曜日)


鹿の角をかじる犬
 明日から愛知へ帰省の予定だったが、先に実家に帰省していた妹の娘がインフルエンザになったということで、急遽帰省は中止となった。次男は、急に不機嫌になり、母親に八つ当たりをするなど、とても面倒な状態だった。三男は26日からスキー教室へ行っており、夕方に帰ってきた。幼稚園のイベントだったのだが、今まで幼稚園のイベントに関しては「つまんなかった」という言葉ばかりで、行くのが嫌だと行っていたのだが、今日は迎えに行って最初に発した言葉が「来年も行きたい」だった。初めてのスキーで、どうなることかと思ったが、初めて肯定的な言葉を聞き、活かせてよかったと思った。三男にも帰省できない話をしたが、スキー教室でご機嫌だったこともあり、とくに不機嫌になることもなくそのまま受け入れてくれた。
 昨年は、箱根駅伝の関係で、とても忙しい年始だったが、今年は自宅でゆっくりとできそうだ。妻にとっては食事を用意しなければならず、全く休みにならないと不満が出そうなので、休むことができたと思えるよう家事をしようと思う。
 
■2019年12月27日(金曜日)


馬堀海岸と富士山
 昨日は、学生と10000mのペース走をした。3分50秒という遅いペースながらも、それ以上は上げられず、昨日はそのペースが限界だった。そして今日は、脚が筋肉痛。大腿四頭筋とハムストリングス、そして下腿のすべてが痛い。走り終わった直後は、ハムストリングスが最も疲労があるように感じたので、悪くない走りだったのではと思っていたのだが、今日は下腿の痛みが最も強く、結果的には、下腿と大腿四頭筋をメインに使っていたということで、あまり良い走りではなかったということがわかった。今日はバイクの全力こぎをする予定だったが、あまり良い動きができず辛いだけだと判断し、バイクからは逃げ、結局30分ジョギングするのが精一杯だった。インフルエンザの影響があまりにも大きい。體を動かしただけでよくやったと自分を褒めることにした。
 
■2019年12月26日(木曜日)
 自分が昨夜寝た後の出来事なのだが、リビングのコンセントが3カ所も電氣が通らなくなり、その内の一つが冷蔵庫で、朝になっても冷蔵庫に電氣が供給されないという事態になっていた。ブレーカーが落ちたわけではなさそうで、他にも不具合がないかと調査したところ、蓄電池のモニターがネットワークから情報をダウンロードできなくなっていた。そして蓄電池関係のブレーカーがONでもOFFでもないニュートラルな状態で、ONにしようとしてもONになってくれなかった。原因がわからないので、近所の電氣に関する110番のお店に連絡したところ、行けるのは早くて明日の午後と言われ、それで予約を取った。同時に蓄電池を設置してくれた会社へ連絡すると、社長さんが電話に出てくれ、すぐに担当者から連絡があり、午前は相模原にいるので、午後なら行けるとのことで、午後来てもらうことになった。
 蓄電池の会社の方も最初は対処法がわからず、どこかに電話をかけながら調整してくれ、蓄電池の問題が解決したところで、なんと使えなくなっていたコンセントも通電し、すべてが解決した。通電していなかったコンセントが、直接蓄電池ともつながっていたらしく、原因は、電氣ストーブと電氣カーペットを同時に使ったことのようだった。今回の件で、蓄電池を使うにはどのコンセントを使えば良いかということがわかり、問題が発生したおかげで大事なことを知ることができ得した氣分になった。
 
■2019年12月25日(水曜日)


人の家でくつろぐ三兄弟
 学生時代からお世話になっている方の新築の家へ家族で招待され遊びに行った。招待されたのは、我が家の他に先日一緒に飲んだ潜水艦の艦長をしている同期。以前の家は、2階建ての大きな家だったが、新築の家は、平屋建て。子どもたちが社会人となり夫婦2人だけの生活になったということで、2人の部屋が別々にあり、大きなリビングとキッチン、屋根裏にロフトというシンプルな作りだった。ゴールデンレトリバーを飼っているので、犬が自由に動けるように玄関からの土間がとても広く、外のウッドデッキにも出られるように作られていた。土間にはペレットと呼ばれるドッグフードのような燃料を燃やすペレットストーブが部屋全体を温めていた。とてもこだわって作られた家で、特に土間が氣に入った。また新しい家が欲しいと思ってしまった。
 
■2019年12月24日(火曜日)
 明日締め切りの仕事の目処がつき、やっと年賀状に意識を向けられるようになった。土曜に今年の年賀状を見直し、最新の住所や喪中かどうかを確認した。今年は、大学の大先輩が2名も亡くなったのがとても残念に思った。
 今年は、お年玉付き年賀はがきの当選番号を確認していなかった。今更確認して当選がわかってもプレゼントはもらえない。調べてみると、もらった年賀状には4枚が、失敗した年賀状にも2枚が切手シートの当選番号だった。昨年は50枚以上失敗印刷があり、それも放置されていたので、昨日、妻に新しい年賀はがきへの交換をお願いしていたのだが、郵便局では、年賀はがきには交換できないと拒否され、通常のハガキへの交換しかしてもらえなかったという。昨年とはハガキの価格は若干違うが、その差額を払えば価値は通常のハガキも年賀はがきも同じはず。なぜ交換できないのか納得がいかない。結局妻も腹が立ったようで、意地になって郵便局では年賀はがきを購入せず、今日は別の場所で購入してきてくれた。明日までに投函すれば元旦に間に合う。何とか間に合わせたい。
 
■2019年12月23日(月曜日)
 先週はほとんど仕事を休んだので、今日からはやっと完全に授業に復帰という氣分だった。学生たちからは大丈夫ですか?と聞かれることが多かった。體を動かすことも久しぶりで、1週間寝込んでいたので、全く筋肉を使うことがなかった。おかげでアキレス腱の痛みがなくなり、授業がやりやすくなった。4年生の授業では立ち幅跳びや50m走の記録を伸ばすためのトレーニングについて学生に実技を交えながら指導した。50mのバウンディングやホッピングをやったのだが、脚が自分の体重に耐えられず膝が潰れる感じが強く、歩数も以前よりも多く、あまりの弱さにショックを受けた。特にホッピングのダメージは大きく、片脚をやっただけで、呼吸が苦しくなるなど、筋力だけではなく心肺機能も低下していることを実感した。できることを積み重ね回復させていくしかない。
 
■2019年12月22日(日曜日)
 今日も1日職場で残業。単純作業が続くので氣が狂いそうになる。途中休憩を兼ねて高校駅伝の観戦。男女とも仙台育英が好タイムで優勝したのには驚いた。
 女子では神奈川代表の白鵬女子高校を注目。中学時代に少し指導したことのある子が走り、テレビに映っていてとてもうれしく思った。来年は最終学年なので、チームのエースとして走ることになるのかもしれない。彼女を指導したのは3年前。あっという間に3年が過ぎ、時が経つのは速いと思った。
 男子は、1区の八千代松陰佐藤選手の日本人最高タイムに驚くとともに、28分台が7人も出て、そのレベルの高さに驚かされた。1区を走った選手はかなりの人数がピンク色のナイキのシューズを履いていた。次男が言うには、1足3万円以上するベイパーフライネクストのようだ。女子の1区も同じようにかなりの人数が履いていたと次男が教えてくれた。正月の箱根駅伝も同じようにこのシューズで走る人が大半になるのだろう。いつも応援している愛知県代表は豊川。前半は出遅れたが後半は盛り返し10位だった。上位校はほとんどが過去最高タイムを更新し、16位のチームまでが2時間3分台、そして49校までが2時間08分台というレベルの高さにまた驚かされた。神奈川県代表は藤沢翔陵だったが、県代表にはなれなかった鎌倉学園が1区で上位につけ2時間05分03秒の好タイムで21位と頑張ってくれた。そのほかにも熊本県代表になれなかった九州学院が4位、日本人だけのチームでは佐久長聖が3位と健闘した。福岡県代表の自由ヶ丘は初出場ながら8位入賞で4区では区間賞を獲得するなど素晴らしい走りをしていた。以前は、優勝争いの常連だった、西脇工業、大牟田、鹿児島実業は出場していたものの上位には食い込めず駅伝ウォッチャーとしてはとても残念な結果だった。
 
■2019年12月21日(土曜日)
 午前は、学生たちと練習をするつもりで職場へ行ったが、咳は続いていて頭痛も続いているため、学生たちに迷惑をかけると判断し、少しだけ顔を出し、すぐに室内へ戻り、月曜からたまっている仕事に取りかかった。仕事は膨大な量があり、とにかく1つ1つ時間をかけて地道にこなすしかない。締め切りは来週水曜となっているが、間に合うのだろうかと不安になるばかりだ。
 
■2019年12月20日(金曜日)
 昨日具合の悪かった次男は、今朝は何事もなく元気に学校へ行った。インフルエンザではなくてよかった。自分の方は今日から出勤。昨日から急に咳が出るようになり、相変わらず1日中マスクを着けての生活だった。腰痛は相変わらずひどいが、前屈の角度は改善し、立ったまま靴下をはけるようになった。この何でもない動作が、この1週間は、ずっとできなかったと思うと、體はかなり回復したように感じた。
 しかし1週間休んだ代償は大きく、月曜からやるはずだったある仕事が何もされていない状態になっていて、今日から残された短い期間でやらなければならなかった。今日は夜9時頃まで残業。明日も明後日もサービス出勤してやらないと終わらない。年賀状を何も用意していないのだが、年賀状どころではないバタバタとした年末になってきた。
 
■2019年12月19日(木曜日)
 今日は朝から雨だったため、犬の散歩はせず、家に閉じこもった。この日記の作成を1ヶ月半ほどさぼっていたので、メモしてある日記をコピー&ペーストしたり、打ち込んだりした。昼前になって妻がPTAから次男を連れて帰ってきた。PTAは夕方までの予定だったが、次男の具合が悪いとのことで、一緒に帰ってきたのだ。インフルエンザの可能性もあるので、病院へ行こうということになったのだが、ちょっと腹ごしらえをしようということになり、腹ごしらえをしている内に昼を過ぎ、病院の受付は終了。結局午後から行こうということになったが、午後は、どの病院もやっていないということで、病院へは行けずじまい。先週は、次男の具合が悪くて、それもインフルエンザの疑いがあったが、病院へ行かずじまいだった。自分はそれがうつったのだと思っていたが、今回次男がインフルエンザであれば、次男は父親にうつされたということになってしまう。受診は明日に延期なのだが、インフルエンザであれば、次男は、このまま冬休みに入るまでお休みとなる。本人にとってうれしいことかどうかはわからないが、母親としては、連続のインフルエンザは勘弁してくれというところだろう。 
 
■2019年12月18日(水曜日)


菜の花
 やっと平熱に戻り、頭痛もかなり減ったが、腰痛は相変わらずぎっくり腰状態。昼間は、體を動かすため、犬の散歩。くりはま花の国の山を登っていき、展望地域で東京電力火力発電所を見渡す。解体ちゅうんの煙突がかなり低くなり、その周辺はあわただしくトラックが動き回っている。ちょっと前までは、海が見えていたところが、土の壁ができて海が見えなくなっていた。着々と新しい石炭火力発電所開発が始まっている。地域住民は反対の意志を示しており、その協議の結果は聴いていないが、今の状況を見れば、この場所は中止に追い込まれなかったということなのだろう。何年か後には、煙の排出される地域になるのか、最新の技術で、特に生き物には影響のない地域のままでいられるのかわかるだろう。
 
■2019年12月17日(火曜日)
 1日頭痛と腰痛が続いている。どんな格好をしても腰痛はあり、病院で寝たきりになる人たちの苦痛の度合いがどれほどのものか少し想像できるようになった。体温は、37度台が多かったが夜には36度台の平熱に戻った。今日も1日寝ながら読書。昨日からは、丸谷元人著「日本の南洋戦略」を読んでいる。長らくパラオを中心に生活してきた筆者が、中国の侵出が激しい南太平洋地域の安全保障について、日本が、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドと本氣で考えていかないと、中国が覇権を握ることとなり、日本の独立も危うくなると警鐘を鳴らす内容となっている。
 本の中では、パプアニューギニアで長らく内戦が続いていたブーゲンビル島が2015年から2020年までの間に独立するかどうかの住民投票が行われると書かれていた。独立となった暁には、その地域に眠る資源を頼りに国を運営する資金を調達することになる。もともと内戦の発端は鉱山が原因で、当時世界最大の銅鉱山として注目されていたものの、内戦により閉鎖。今だに、世界が注目するほどの埋蔵量がありながら手つかずのままなのだという。住民投票はいつ行われたのだろうとウェブ検索したところ、なんと先月行われ、先週投票結果が発表されていた。結果は、97.9%が独立の意志を示した。今後はパプアニューギニア政府とブーゲンビル自治政府との協議となり、パプアニューギニアの国会が批准すれば独立へ向かっていくとのこと。植民地時代の名残で現地の人たちは旧宗主国のオーストラリアはあまり好きではないが、大の親日国とのことで、日本が支援すると言えば、喜んで協力を依頼してくれるだろうとのことだが、日本はあまり関与がなく、中国が、白人(植民地)からの解放を叫び、多額の投資をして様々なインフラを整備しつつあるのが現実となっている。このままでは、日本にとっての南太平洋のシーレーンは中国のものとなってしまう。大東亜戦争の時に日本人が南太平洋の島々に多く派遣され、現地の人たちとの交流があり、信用してもらったという経緯があっての親日であり、その70年以上前の出来事が、いまだに現地では語り継がれている。昔の日本人が築いてきた大切な遺徳を今の日本人は引き継がなければ、当時の戦いの意味が薄れてしまう。一般の日本人ができることは、まず歴史を学ぶことなのだと思った。
 
■2019年12月16日(月曜日)


建設中の東電火力発電所
 起床時は、頭痛は続いているが、一応36度台の平熱。しかし午前中は、休暇を取り、体調調整。午後は授業に出て先週同様テストを行い、寒い中で突っ立っていた。その授業が終わった後も授業が入っていたのだが、あまりにも頭痛と腰痛がひどく、次の授業は2人で行うことになっていたため、もう一人の先生にお願いし、結局休暇を取って帰宅。その後、病院へ行き、インフルエンザ検査をしてもらいインフルエンザAと診断された。
 病院の先生からは、よく我慢しましたね、と言われた。発症が金曜日と推定され、既に体温は下がっているので、インフルエンザ用の薬の処方はなく、痰や鼻づまり用の薬を処方された。明日から強制的に休みとなり、職場の人たちにいろいろと迷惑がかかってしまうこととなってしまった。
 
■2019年12月15日(日曜日)
 起床後の体温は37.3度。朝食前には36.9度。落ち着いたと思い、昨日まで散歩してもらえていなかった犬を散歩に連れて行く。引っ張られると、いつものように引き返す力が出ず、犬に負けそうだった。
 今日も1日布団で横になり、読書。昨日とは別の小説を読み始め、なんとか1日で読み終えた。午前中は微熱だったが、午後からは夜に向けて昨日同様熱が上がってきた。頭痛と腰痛が激しく、何もしたくないが、何もしないこと自体にもイライラするという感じ。どういう姿勢で寝ても腰が痛いし、起きあがろうとするとさらに痛みは増すし、どうしたらいいのかわからなくなった。久しぶりにぎっくり腰の痛みを思い出した。今日の痛みはまさにぎっくり腰の痛みそのもの。もう 寝たくない。
 
■2019年12月14日(土曜日)
 昨日は帰宅後38度台に熱は上がり、早めに終身。起床までに、数え切れないほどトイレに行き、起きる度に大汗をかいていて着替えをしたり、忙しかった。朝起きてしばらくした後に検温し37.2度。ある程度下がってくれたが、昨日と比較すると同じ体温なのに、頭痛もあり首周りの嫌な感じもあり辛かった。今日は子どもたちの陸上教室が終わった後にお昼に忘年会となっていたが、皆さんに迷惑をかけるのでキャンセル。
 1日布団の上で横になり安静にした。しかしそれほど眠れるものでもなく、寝ながら読書。昨日市の図書館で借りてきてもらったノンフィクション1冊と、学校で借りた小説を1冊読破。普段はこれほど読書の時間を取ることができないので、かなり贅沢な時間でもあった。
 結局夜には38.8度まで体温が上がり、朝と比べるとかなり体調は悪くなってしまった。
 
■2019年12月13日(金曜日)
 朝から何となく體がだるく、体温を測ったところ37.2度で微熱。氣にしていたら仕事にはならないので、氣にせず出勤。しかし、普段は暖房が入った部屋では半袖になることがあるのに、今日は、ダウンコートを着て丁度良いくらい。時間が経つに連れて体調は悪くなっていることを実感。授業はテストだったので、寒い環境で突っ立っていることが多かったが、走り回る仕事でなくて助かった。午後からは頭痛がひどくなってきたので状況は悪くなっていると感じ、最後の授業が終わった後に事務室の体温計を借りてもう一度体温を測ったところ37.8度。少し熱は上がっていた。体温計がデジタルではなく水銀で、久しぶりに体温計を振る動作をした。家にいたとき以来だろうから25年ぶりくらいか。自分の体調よりも、その体温計の懐かしさの方が、1日の出来事の中で印象に残ったこととなった。
 
■2019年12月12日(木曜日)
 地球温暖化についてCOP25という会議が行われているが、小泉環境大臣が脱石炭について言及しなかったとのことで国際的に非難されたとの報道があった。この会議では二酸化炭素の排出をなんとか減らそうということで話し合いが行われているが、削減の義務はなく、努力目標を示すだけで、なんだか中途半端だ。アメリカや中国など最も重要な国を無視して何の議論なのかとしらけてもくる。仮に地球温暖化に向かっているとしても、なぜ二酸化炭素だけが悪者にされるのかも理解できない。気温の上昇が起こった後、追いかけるように二酸化炭素の量が上昇したというデータや、太陽の黒点に連動して気温の変化があるなど、二酸化炭素ではない複合的な要因で起こるものと考えたほうが自然だ。地球温暖化ビジネスと言われる商売が繁盛し、そのプロパガンダを世界的に広げて、それが事実であるかのようにしむけた結果なのだろうが、あまりにも単純明快すぎるように思えてならない。そうした中での日本叩きであり、この会議2度目の化石賞受賞。二酸化炭素=悪の人たちにとっては不名誉なのだろうが、認定した人たちは暇な人たちなのではないかと思えてくる。
 我が家の目の前の敷地では新設の石炭火力発電所の工事が着々進んでいる。まさに国際的な非難を浴びる現場とも言える。地域によっては住民の反対により工事が中止となったと聞くが、目の前の工事現場は、地域住民の反対にもかかわらず、国はGOサインを出したようだ。でも電気がなければ生活はできない。少なくとも、自家発電で日常生活が100%まかなえるようにならない限り、反対という声を上げるのも現実は難しいと思う。
 
■2019年12月11日(水曜日)


葉脈ばかりが残る小松菜
 最近はなかなか庭を眺める時間がなかったのだが、朝、畑がどうなっているか氣になり、1週間ぶりに庭を見に行った。畑もプランターも少しずつ野菜たちが成長していたが、畑では犬が走り回った跡なのか、猫か狸が走り回った跡なのか、野菜が潰されそうになっていた。プランターではホウレンソウは順調だったが、小松菜は先週以上に悲惨な状態に変化していた。よく見ると、先週排除したはずの青虫が大きくなって、相変わらず葉を食べていた。1つの苗をゆすってみるだけで4?5匹は振り落とされた。全ての苗を確認し見えるものは全部潰したが、まだ発見できなかったものもあるかも知れない。葉脈しか残っていないものはインコも食べるところがない。あとは肥料として再利用するくらいしか道はなく、朝から残念な氣分で待たされてしまった。
 
■2019年12月10日(火曜日)
 学生たちの練習に混ざって、久しぶりに1000mのインターバル。学生たちは7本だったが、自分は5本。ペースは3分20?25秒というかなりアバウトな設定だった。以前だったらジョグのようなペースなのだが、半年近くまともに走っていない割には1本目は呼吸が乱れることなく3分20秒5で走れた。しかし2本目からは急激に呼吸が乱れ始め、学生についていくのが必死だった。タイムを見ると3分27秒1。学生たちも2本目から失速していた。3本目もあまりペースが上がらなかったので、自分が先頭に立ちペースを作った。人の後ろにつくよりも先頭で走った方が楽だった。一定ペースで走っていたが学生たちは遅れていき、結局一人で走ることになってしまった。3本目のタイムは3分23秒2。3本目の終わり頃からは嘔吐が始まり、4本目と5本目は頻繁に嘔吐し、呼吸器系がきつかった。タイムはそれぞれ3分20秒1と3分26秒9で全体としては一定のペースで走り切ることはできなかった。できれば避けたいと思っている練習に取り組んだというところだけでも自分を評価したい。
 
■2019年12月9日(月曜日)
 次男が朝から具合が悪く体温は37度台。学校の担任の先生がインフルエンザでお休みということもあり、インフルエンザの可能性も考え学校は欠席。病院へ行ったのだが、熱はなく、鼻水とたんのくすりをもらったようだ。夕方38度台に体温が上がったらしいが、その後また下がり、明日からは学校へ行く気満々だったのだが、学校はインフルエンザの影響で学級閉鎖となった。明日も次男は学校がお休み。長男は明日から試験となるため、昼には家に帰ってくることになる。妻への負担が大きくなることにもなる。三男が先週あたりから急に親の言うことを聞かなくなりだし、宿題はやらない、学校の準備もできない、朝ごはんをほとんど食べずに学校へ行くなど、母親としてのストレスが急激に高まっている。
 
■2019年12月8日(日曜日)


靖国神社





清澄公園
 日本体療協会パワースポット体験セミナーというイベントに参加。伊勢神宮外宮へ行ったときに感じた目には見えない力をまた感じることができればという期待を持って参加した。
 最初に行ったのは靖国神社。人の想いがかなり集まる日本でも有名な場所なので何かあるだろうと思っていたが、最初の鳥居を越えたところで、重苦しい空氣に変化した。腕を回すと、若干回しづらくなった。
 2つ目の鳥居をくぐるとさらに腕は回しづらくなったのだが、手水舎で作法に従い手と口を洗ったところ、重い空氣感が若干緩み、腕が回しやすくなって驚いた。身を清めるとはこういうことだと初めて体感できた。
 3つ目の鳥居をくぐると目の前が拝殿。空氣感は若干軽くなり、腕の回りも若干良くなったが、参拝した後はまた腕が回しづらくなった。
 帰りも鳥居をくぐるたびに空氣感は軽くなり、靖国神社の敷地を出た途端、腕の回りとても良い状態に戻った。伊勢神宮ほどの体感はなかったが、靖国神社も何か外とは違う空氣感があることだけはわかった。
 次に清澄白河へ移動して、清澄公園へ行き、昼食。靖国神社と違い、空氣は軽やかで、日差しが暖かくとてもゆったりと過ごせる場所だった。講師からはとても良いエネルギーのある場所だと教えられた。
 最後に四谷三丁目の愛住公園へ行った。こちらは夕方で日が暮れ始めていることもあったためか、とても寒々として薄暗く重苦しい空氣感が漂っていた。講師陣は誰もがあまり立ち入りたくない場所だと話していたが、腕を回しても腕の回りは鈍く、自分の體にとってもあまり良い場所ではないように感じた。
 3ヶ所のパワースポットを回ったが、パワースポットと呼ばれる場所には、なんらかの大きなエネルギーがあり、それはプラスの場合もあるしマイナスの場合もあることがわかった。多くの参加者は手をかざして何かを感じ取ることをしていたが、自分はあまり実感できず、腕を回しても感じ取ることができるという感覚を得た。いろんな場所で試してみたいと思う。
 
■2019年12月7日(土曜日)


人の肩に留まるインコ
 インターネットのライブ配信で愛知駅伝を観戦。来年からは、元日本代表のマラソンランナーが40代となるため、自分の出番はなくなる。今年が最後の出場の機会でオファーはあったものの、アキレス腱の痛みが回復せず断ることとなった。
 今年は、4区以降豊橋市が独走態勢を築き、2位以降の争いが面白かった。岡崎市は、2区の高校生が今年も頑張って2位に順位を上げ、3区の40代ランナーが昨年の自分よりも17秒速いタイムで上位争いをしたものの4位に後退、3区以降も4位をキープし、8区で3位に上がり、最終9区で3チームによる2位争いがあり、それに競り勝ち2位でのフィニッシュとなった。9区のランナーは素晴らしいラストスパートで、久しぶりに人の走りで感動させられた。
 来年以降の出場は難しいとは思うが、またオファーをもらえるようしっかりと競技復帰したいと思った。
 
■2019年12月6日(金曜日)


切除した犬の睾丸
 動物病院で犬の去勢手術をしてもらった。最初に体重を計り7.52kg。8kgを超えているのではないかと思ったが、体重の増量は止まったようだ。手術は全身麻酔で行い、血管を結んで、その先の睾丸を除去するというもの。除去したところの切り傷は、自然になくなる糸で結んであり、今日は絆創膏が張られているが、明後日には剥がすように指示された。睾丸がなくなることでホルモンバランスが崩れ、しばらく体調が普段とは違ったものになるかもしれないが、その影響は1〜3ヶ月とのこと。とりあえず、家族としては温かく見守るしかない。
 
■2019年12月5日(木曜日)
 3週間ぶりに走りの練習。11月以降は、しっかりと練習を再開するつもりだったが、走ったのは4回。なんとなく氣分が乗らず、なんとなく時が過ぎてしまい、練習をしなかったという日々が3週間にもなってしまい、ちょっとした罪悪感を抱えながら毎日を過ごしていた。今日はそのイヤな流れを断ち切るべく学生の12000mのペース走について8000mのペース走。
 設定は3分40秒。学生たちはうまくペースメイクしてくれ、8000mまで設定通り走ることができた。前半はアキレス腱の違和感があったが、後半はなくなり、左臀部の張りと股ズレが気になった。今までであれば、ペース走後に300mか400mを気持ちよく走るのだが、そんなことをする余裕はまったくなかった。しばらくは練習に慣れることが先決だろう。
 
■2019年12月4日(水曜日)


久里浜港へ寄港中の日本丸
 長男が今週に入って急に机に向かって勉強をする姿を見かけるようになった。そんな姿は初めて見るので、妻と抱き合って喜ぶくらい嬉しく思ったのだが、実際は宿題に追われているだけで、自分で問題に取り組んでいるのではなく、問題の答えをただ写しているということが妻の調査で発覚…。数学は全くわからないそうで、教科書で理解できなければ先生に聞くか自分が理解できそうな参考書を買えばいいのだが、本人は参考書は必要なく教科書で十分だと言う。そのままでは結局解決はないと思うのだが、本人はそれ以上のことは求めていないのが残念なところだ。とにかくスマートフォンでゲームをしている姿を見るよりは、机に向かっている姿が見られるようになっただけ大きな進歩だ。
 
■2019年12月3日(火曜日)
 プランターで小松菜とほうれんそうを育てているのだが、小松菜は、日増しに穴が開いていく。昨日の夜、小松菜を観察したときには、葉脈しか残っていない葉が5枚ほどだったのだが、今朝観察してみると10枚近くに増えていて驚いた。あわてて犯人を捜したのだが、次々とアオムシが見つかった。畑に植えたキャベツと芽キャベツはモンシロチョウ対策で防虫ネットをしていたのだが、小松菜は初めて育てる苗で、モンシロチョウが卵を産むことを知らず何の対策もしていなかった。ほうれんそうも、何も対策をしていないが全く被害に遭っていない。大事に育ててきた苗なのに、17の苗の内、無傷なのは4つしか残っていない。見つけられるだけのアオムシを見つけ排除したものの、きっとまだ見つけられていないアオムシが残っていると思うと、今更防虫ネットをしても結局防虫ネットの効果はなく食べられてしまうように思えた。インコが好きな野菜でもあるので、人間の食べるところが少なければインコのエサにしようと思う。
 
■2019年12月2日(月曜日)
 雨の日になると長男を学校へ送っていったり、迎えに行ったりすることが多い。新学期が始まった頃は、車を出しても無言で乗って無言で降りるという感じだった長男が、最近はっきりと「ありがとう」という言葉を発するようになった。小さな声でありがとうと言い出したのは、この1〜2ヶ月ほどだろうか。この2週間くらいは、乗るときには「お願いします」という言葉も発するようになり、日増しに声ははっきりとしてきて、今日は、きちんとした声で「お願いします」と「ありがとう」と言ってくれた。小さい頃から、挨拶するように話してきたが、小学校を卒業しても中学校を卒業してもなかなかそれができなかった。この最近の変化は何だろうか?と妻と話したのだが、オーストラリアの研修や彼女ができたことがきっかけなのではないかと妻は分析していた。相変わらず勉強をしているようには見えず、常にスマートフォンとにらめっこしている長男だが、何かをきっかけにして少しずつ成長しているということを実感した。
 
■2019年12月1日(日曜日)
 骨ストレッチの講習会に参加。午後から車の修理の用事があったため、普段参加している常連向けの特別な講習会ではなく、どちらかと言えば基礎や基本領域の講習なのだが、タイトルはスペシャル応用編。骨ストレッチがそもそも何を目指しているのかという、最もベースとなる概念が身にしみてよくわかる講習会だった。
 今までは、骨ストレッチという動作をどうやってやるかという方法がメインなのだと思っていたのだが、それはただの手段でしかなく、最終的には、「きちんと立つ」ことを目指すメソッドだった。日頃、当たり前に立つことはしているのだが、きちんと立てていないことを実感した。きちんと立てると、それだけで関節の動きは格段に良くなる。少しずれるだけで、格段に動きは悪くなる。人間の體は本当に繊細にできている。きちんと立つことを一度経験すれば、それ以降できるようになるかと言えば、そんな簡単なものではなかった。常に體の中は変化しているので、同じ場所に立つということは難しく、日々自分の體の動きから感じて探し続け、その時の最も良い場所に立つしかないようだ。先生でもここという場所は見つかっていないし、それを探すことで骨ストレッチが進化していっているとのこと。
 そして「走るよりも歩くことの方が難しい」という説明を受け、実際にそれを体感して衝撃を受けた。なんて歩くことは大変なんだろうと思った。逆に、走ることが楽に思えるようになり、ランナーとしてはとても勇気づけられる体験だった。小さい頃にはできていたことが、大きくなって忘れてしまってできなくなっただけということも理解できた。ただ思い出せばいいわけで、今からあらたに加えるものではないということがわかった。世の中足りないものだらけで、何でも加えたがるが、そうではなく、元々自分に備わっているものがたくさんあり、それを使えば自由に動けるようになるということを教えられ、自信を持てばいいのだということを学んだ。
 先生からは「これは基本ですから」と何度も言われ、そもそも基本ができていなかったということを何度も痛感し、基礎の講習会にも改めて参加した方が良いと思った。
 


[昔のいずみ]