最近のいずみ

Last Update:2021/12/31



パートタイムアスリートいずみ 22年目に突入 

■2021年12月31日(金曜日)


乙川



岡崎城



ヤギと



曾祖父の作品を広げて
 朝練は、一畑山薬師寺を目指して走った。細い1車線の道が拡張されて2車線になり、曲がりくねっていた道も真っ直ぐになり、山の麓までは想像以上に速く到着した。しかし、その先は立ち入り禁止で柵があり、それ以上は進むことができなかった。目的地を変更し、中学時代の塾の恩師のお墓のあるお寺へ行き、お墓詣り。先生の建てた学習塾もそのお寺の近くにあるのだが、残念ながらデイケアサービスの看板が出ていて、もう学習塾ではなかった。その後も、故郷の変化に驚くばかりで、日清紡の工場があった大きな敷地は、すべて更地になり、その一部は住宅地とショッピングモールに変わっていた。帰省できなかった2年以上の間に、故郷の景色は大きく変わってしまったことを実感した。
 昨日、近所のペットホテルに宿泊した犬は、自分たちが去った後はしばらく鳴き続けていたようだが、その後は、落ち着いていたという。今日は朝と夕方2度連れ出して散歩をした。しかし、全く知らない土地のため、犬は左右を何度も見渡し、落ち着きなく歩いていた。午前は雪が降り、犬は、初めての雪ということで、雪を追い食べようとしていたが、食べようとしても溶けてしまうので納得がいかないようだった。夕方は、ヤギを飼っている檻を通った。ちょっと興味を示して近づいたが、ヤギが寄ってきたら逃げ出した。犬にとっては未知の生き物は恐怖なのだろう。家族と離れ寝泊まりし、知らない土地を歩き、未知の生き物に遭遇し、犬の頭の中は大混乱しているのではないかと思った。
 日中は、午前中家族を連れて岡崎城を見に岡崎公園へ、午後は母方の家のお墓参り。久しぶりに夏に花火大会が開催される乙川を見て、あらためて美しい場所だと思った。岡崎公園は、桜の名所でもあり、藤の名所でもある。その時期に帰省することはないが、その景色をまた見たいと思った。岡崎城は、年末年始ということで入館はできなかったが、近くで眺めることはできた。城の麓の龍城神社は、新年の準備が整い、参拝客を迎える状態になっていた。城の周辺も多くのマンションが建ち並び、景色は大きく変わっていた。
 長男は、4年ほどタイミングが悪く4年ほど帰省できず、直接祖父母に会うことがなかったので、近況は自分の美術作品の画像を祖父母に見せながら作品について語っている姿が印象的だった。父の父は、その地域では有名な石の彫刻家だったことから、その写真を見せてもらい、昔話も聞かせてもらっていた。自分も聞いたことのない話もあり、子どもを介して思いがけない話を聞くことができた。

■2021年12月30日(木曜日)


ペットホテル



あんころもち作り



孫が勢ぞろい
 2019年10月以来の帰省。起床時に妻がぎっくり腰で動けないというので、最近学んだ手技で対処はしたものの劇的な改善はできなかった。しかし多少は効果があり、なんとか立ち上がることはできるようになった。
 8時前には出発したが、出発時刻が予定よりも1時間ほど遅くなり、東名高速に入る頃には、大渋滞が始まっていた。3時間ほどかけて渋滞を通過し、足柄サービスエリアで休憩。このサービスエリアにはドッグランの施設があるので、ここでインコには車の中で待ってもらい、犬をドッグランへ連れて行った。最初は恐がり、家族の元からなかなか離れず、小さな犬からも逃げ回る感じだった。妻がドッグランへ残り、子どもたちと自分は朝食兼昼食を食べに施設へ移動する際には、「自分を置いていかないで」と言わんばかりにこちらに向かって吠え続けたようだが、その後は、古手の犬がいなくなり、自分がドッグランの主のようになったようだ。
 今日、最も印象に残っているのは、高速道路を走行中に、15〜20cmくらいの太さの角材が道路上にあり、前の車がよけて、それに氣がつかず、そのまま乗り上げてしまったこと。かなりの音がして、車に何らかのダメージを与えてしまったと思い、次のパーキングで確認したが異常はなかった。事故につながりかねない落下物に遭遇し、恐怖を感じる瞬間だった。
 高速道路から見える景色で、氣になったのは、山が削られ太陽光発電の施設になっているところがたくさんあったこと。自然を削りながら、自然に優しい発電だと言うのは、矛盾しているのではないかと思った。
 出発から約8時間で実家へ到着。到着後は、犬を近所のペットホテルへ預けに行った。初めてのペットホテルでのお泊まりになるが、お店の人は、とても穏やかで親しみやすく、用意された寝床は我が家よりも広くて暖かく、安心して預けられる場所だった。犬にとっては、慣れない環境で不安かもしれないが、実家で寝泊まりできないので、我慢してもらうしかない。

■2021年12月29日(水曜日)
 練習は、ウエイトを使ったサーキットと4000m。この2日間の疲労の影響で、サーキットもまったく體が動かず、セットを重ねるごとにタイムが落ち、ただそれらしい運動をしているという感じになってしまった。
 ペース走についてもペース設定を3分40秒としていたが、最初の1000mが3分51秒7で、まったく速度が上がらず、次の1000mは3分56秒9に落ち、このままサーキットと同様に、さらにペースダウンするのではないかと思った。しかし、そこから昨日の50m走を思い出し、意識を変えて走ってみたところ、最初のペースに戻すことができ、2000m〜3000mは3分51秒9、最後は、3分48秒5で、なんとか完走できた。
 今日で、今年のトラック練習は終わり。明日からは帰省が始まる。帰省中もいくらか走れればと思う。

■2021年12月28日(火曜日)


富士山



長男の作品と
 練習は、50m+50m×2+・・・+50m×9+50m×10。通称ゴジラ走。今年は、1年中故障続きだったため、ダッシュができなかったこともあり、1度もやることがなかった。今日は、膝も股関節も比較的調子が良かったので、今年最初で最後のゴジラ走に挑戦した。
 1セット目から呼吸が乱れて、55本もつのだろうかと心配になりながらの始めることとなった。2セット目、3セット目と本数が多くなるにつれ呼吸の辛さは増し、途中で止めたくなった。5セット目以降は、4本目を走るあたりまでは、比較的反発がもらえる走りができて、その後は潰れる感じで、ダッシュにならなくなってきた。8セット目以降は、意識をちょっと変えてみたところ、全ての走りで反発を得られるようになり、速度も上がったように感じ、呼吸は辛かったが、最後まで気持ちよく走り切れた。終わってみると、左のアキレス腱の疲労が大きかった。左足首を使った走りだったということなのだろう。縦巻き横巻き理論から見た自分の特性上、仕方のない疲労だと思う。

■2021年12月27日(月曜日)


畑にできた霜柱
 昨夜の氣温はかなり低く、この冬一番の寒さだった。日本海側では、数年に一度の大雪との報道がなされていたが、今朝は、庭で久しぶりに霜柱を見ることができた。あまりの寒さに、昨日までは青々としていたバジルが全て、茶色になり枯れてしまっていた。ホウレンソウには甘みを蓄えるのにとても良い寒さだったが、バジルは今の時期には適さないということをバジルの命でもって教えてもらうことになってしまった。
 練習は、シャフトを使ったサーキットトレーニング、3000m+300m+200m×2+100m×3。
 シャフトを使ったサーキットトレーニングは、10月に1回、11月に1回しかできず、月に1回しかできていないため、シャフトが重い。しかし、今回は、大腿四頭筋を使わずに動作が上手くできていたためか、動きは良く、セットごとに少しずつタイムを上げていくことができた。
 トラック走は、最初は4000mペース走を走るつもりだったが、サーキットトレーニング後に、たまたま同期に会い、彼がすでにトラックで1000m×6をやったということを聞き、ペース走よりもスピードを上げた練習がしたくなり、メニューを変更した。
 3000mは1000mあたり3分20秒を目指してスタート。サーキットトレーニングと同様、大腿四頭筋をあまり使わずに走ることができ、いつもよりもピッチがあがり普段の自分ではないような感覚で走れた。1000mごとのタイムは3分18秒8、3分21秒9、3分19秒5。股関節も膝も痛みを氣にすることなく走れたが、残り200mからフィニッシュまでに何度も吐きそうになった。
 3000mを走った後は、次に走る距離をジョグし、短い距離へ。300mは3000mの疲れの影響で全く走れず、50秒4。200mからは、少し動きが戻り31秒3と30秒5。100mは14秒3、14秒1、13秒5とタイムを上げて走り切れた。
 先週までは、膝の痛みで練習ができていなかったことを考えると、練習ができるだけでうれしい。

■2021年12月26日(日曜日)
 男女の全国高校駅伝をテレビ観戦。
 女子は、1区から3区までの区間賞を獲得した仙台育英高校が圧倒的な差で優勝。特に1区の米澤選手の積極的な走りは素晴らしかった。
 男子は、出走予定だったキャプテンが走れなくなり、戦力としては低下したはずの世羅高校が、1区で先頭に立ち、女子と同様全区間で先頭を維持し、見事に優勝した。今日最も注目された区間は3区。今年1500m、3000m、5000mで高校新記録を出している洛南高校の佐藤選手とケニア人留学生との戦い。世羅高校のムワンギ選手が先頭でたすきをもらい、佐藤選手が4秒差で続いた。佐藤選手は、中盤までは先頭から7〜8秒差で粘り、最後は倉敷高校のキプチルチル選手に並ばれそうになりながらも2位を守り、先頭から15秒差でたすきリレーをした。佐藤選手は、11秒差で区間賞を逃し区間4位。上位3名はケニア人留学生だったが、今までの高校駅伝では見たことのない、ケニア人留学生たちと、対等に戦う姿にはとても感動した。
 男子のレースは、ゴール前のラストスパートで順位が入れ替わる場面がたくさん見られ、とても見応えがあった。残念だったのは、地元愛知県の豊川高校。過去には優勝をしている学校だが、今回は1区の吉村選手が区間46位。5000mのエントリータイムは13分53秒90ということで、区間賞を狙うこともできるレベルだったが、何らかのアクシデントに見舞われたのかもしれない。神奈川県代表の東海大相模高校は1区で17位となり、その後多少の順位変動はあったが、15位でフィニッシュ。2時間05分台の記録は、素晴らしい記録だったのではないかと思う。
 京都の天候は雪ということで、昼にスタートした男子駅伝の時間帯には、かなりの雪が舞っていて、選手たちはコンディションを整えるのにくろうしたことだろう。我が家の周辺でも雪が舞った。昨日の暖かい氣候とのギャップが激しかった。

■2021年12月25日(土曜日)


犬とクリスマスプレゼント




港でサプライズ花火
 日本海側では寒氣により大雪になっているが、三浦半島は、明日以降寒氣の影響があるとのこと。明日から寒くなるという割には、今日は、天候は快晴に近く、風もほとんどなく穏やかで12月の氣候とは思えないほど暖かかった。午前中は、小学生の陸上教室へ行ったが、子どもたちの中には、半袖半ズボンという服装の子もいるほどだった。今日の5,6年生の子どもたちは800mのタイム計測がメインで、ペースを確認するための400mを1本と本番の800mを1本走った。自分はそのさぽーとで400mを4回、800mを4回走った。800mを3分で走るペースということで、普段のペース走よりも遅く、ジョグよりは速いペースなのだが、子どもたちからは、「先生は疲れないんですか?」と聞かれた。何本走ってもあまり疲れていないように見えるコーチ陣は、子どもたちから見れば、驚きの存在に見えるようだ。子どもたちの方に意識を向けて走っているため、膝の痛みや股関節の違和感をほとんど感じることなく走れた。意識の向け方次第では、痛みや違和感は緩和させることができるという可能性を感じることができた。

■2021年12月24日(金曜日)


クリスマスディナー
 昨夜は、お腹と仙骨あたりを温められるようにして寝たところ、久しぶりに1度も起きることなく朝が来た。昨日のアドバイスのお陰で、今朝は久しぶりに寝た氣がした。氣功整体の先生に感謝したい。
 お昼休みに久しぶりにサーキットトレーニングをした。最初は動きが重かったのだが、セット数が増えていくうちに動きは良くなり、最後はベストラップを記録することができた。
 その後は8000mペース走。ペース設定は1000mあたり3分50秒。最初から股関節と膝の痛みが氣になり、3分50秒のペースがきつかった。1000mごとのラップは3分50秒3、3分51秒7、3分48秒2、3分45秒9、3分46秒8、3分44秒7、3分44秒0、3分45秒5で、ビルドアップ走のようになったが、最初からきつかったため、ペースが落ちるかもしれないという強迫観念によって結果的にはペースが上がったという感じだった。
 今週は、膝と股関節の違和感の影響で、ほとんど走ることができなかったので、走れただけで満足。

■2021年12月23日(木曜日)
 最近頻尿で、日中は30分から1時間に1度はトイレへ行き、夜も4〜5回はトイレへ行かなければならなない。そのため、夜は寝た感じがしない。今日はたまたま氣功整体をやっている健康グッズ販売の方が職場へ来ていたので、この話をしたところ、「冷えですね」と言われた。「お腹や仙骨あたりを温めると改善すると思いますよ」というアドバイスをいただいた。試してみようと思う。
 授業では、東チモールの学生と少し話をしたのだが、彼は、この年末年始は、学校に残ると話していた。東チモールに帰るには片道13万円なのだという。1ヶ月の給与以上の額は高額だ。さらに実家へ帰るには、かなりの時間も必要とのことで、学校に残って勉強をするとのことだった。東チモールは、赤道に近いところにある国なので、年明けのスキー訓練をとても楽しみにしているようだった。当然チモールではスキーができないので、もし楽しければ、また自分でスキーに行く機会を作りたいとも話していた。いろいろな経験をして、国に帰ってもらえるよう、授業も充実させたいと思った。

■2021年12月22日(水曜日)
 リップや目薬などを頻繁に使うと、本来人間に備わっている機能を発揮しなくても代用できてしまうということで、本来の機能が発揮されなくなってしまう危険があるという記事を読んで、氣をつけなければと思った。自分は、それほど、そういったものに頼ることはないのだが、家族は、頻繁に肌にクリームを塗っている。肌がかさかさになってどうしようもないから塗るとのことだが、止めるタイミングがあるようには見えない。水仕事をすると指の関節がかさかさになり切れることがあるが、毎日は塗らないようにしようと思った。
 大阪では新型コロナウイルスのオミクロン株が市中感染しているとの報道があった。またオミクロン株の濃厚接触者は自宅ではなく、隔離施設で過ごすような話も出てきて、感染者ではなく、濃厚接触者も危険視するという危機のあおり方は、ちょっとおかしな方向に進んでいるように思えてならなかった。今のところ、オミクロン株の症状の特徴は、ただの風邪と変わらないように見える。風邪やインフルエンザでは、こんなに騒がないのに、なぜ今回はこんなに大騒ぎしているのか理解ができない。

■2021年12月21日(火曜日)
 6割を超える飲食店が人手不足らしい。しかしその人手不足とは、安い時給で働いてくれる人が不足しているという意味のようだ。その話を聞いて、とても残念な氣持ちになった。
 昭和の時代は、働く人たちは正社員であり、会社の人間は一つの家族という認識があった。平成以降は、政府の政策により、正社員が減り、派遣社員が増え、働く人たちは、会社にとって家族からコストに変わってしまった。コストになると、会社の都合の良いときだけ呼ばれ、ただの物扱いをされ、必要ががくなればいつでも首を切るという感じになる。この現状は、人に対して誠実ではないように思える。百田尚樹氏の書いた出光の創業者をモデルにした「海賊とよばれた男」は、主人公が、どんな厳しい状況でも、店員は家族なので首を切ることはなく、会社に関わる全ての人に対しても誠実を貫き、みんなを幸せにしていったが、この物語のような経営者がたくさんいて欲しいと思う。

■2021年12月20日(月曜日)
 新型コロナウイルスのオミクロン株の感染者が国内で84人になったという。それよりもオミクロン株感染者の濃厚接触者が1000人を超えたということでテレビでは大騒ぎになっている。入国者は新規では入国できないようになっているが、日本国民やその配偶者、日本の永住者などは、入国ができている。オミクロン株が見つかった国からの入国は指定施設で隔離となっているが、走ではない国からの入国者は自宅待機とのこと。隔離ではなく待機なので自由に動けるのと変わらないということになる。入国を禁止しているものと思っていたが、実際は、ザルのような状態だった。今後は、市中感染という話になってくる可能性が高いが、濃厚接触者で大騒ぎをしていたら、収拾がつかないのではないかと思う。

■2021年12月19日(日曜日)
]


中距離メンバーと




満月
 中距離パートの学生たちとチームを組み、川崎国際EKIDENに参加した。自分の参加したカテゴリーは、高校駅伝と同じ区間配置と距離で、自分は5区の3kmを担当した。この駅伝には、NHKBSのランスマの関係者も参加していて、1区はカンボジア代表のオリンピアン猫ひろしさんだった。長距離パートの学生が、前半は猫ひろしさんの真後ろでレースを展開していたが、後半は失速し、大きく離された。中距離チームは長距離チームから少し遅れて2区へリレーし、2区は、両チームとも同じタイムでランスマチームから大きく離された。3,4区で中距離チームは長距離チームより前を走り、4区では前を走っていたランスマチームに追いつき追い抜いた。ランスマチームはオリンピックマラソン銅メダルのワイナイナ選手だったが、さすがに昔のような走りではなく、あまり速度が上がらなかったようだ。
 チームの順位がどのくらいかは全くわからず自分はたすきをもらい、とにかく前にいる人を抜くことを考えて走った。前半は砂利道ということであまりペースが上がらず、折り返しで、一旦速度を落とし、また元のペースに戻さなければならないのがとてもきつかった。後半は、一瞬だけ舗装道路があったが、折り返しがもう1回あった影響もあり思ったよりもペースアップできず、昨日のタイムでは走りたかったが、結果は10分04秒。あとでリザルトを確認したところ、順位は28位から27位へと上げ、区間15位とのことだった。チームの最終順位は96チーム中24位。タイムは2時間23分53秒。長距離は2時間28分56秒だった。高校駅伝の県大会に出るくらいのレベルという感じだろうか。2年ぶりに駅伝に参加することができ、レクレーションとしては、とても楽しく走ることができた。参加を企画してくれた学生に感謝したい。

■2021年12月18日(土曜日)


長男の作品展




中央公園平和モニュメント
 横須賀市長距離記録会3000mに出場。目標は、自分が中学の時に走った9分34秒台。1周78秒ペースで走り、最後の300mをダッシュして達成するというプランでスタートした。
 最初の1000mは3分09秒3。予定タイムよりも速かったが、思ったよりも余裕はあった。しかし、1000mから2000mの間は、単独走となったため、思っている以上にペースが落ち、3分18秒0もかかった。残り1000mでペースアップをしたいと思ったが、まったくペースが上がらず、2年下の高校の後輩に抜かれ、必死に後輩の後ろを離れそうになりながら走り続けた。高校の後輩には、負けたくないという氣持ちが強く、残り500mで、無理をしてペースアップし、それまでのペースよりは上がったが、残り300mからのダッシュには結びつかず、そのまま中途半端なスピードのままフィニッシュ。タイムは9分40秒20で、後輩よりは4秒ほど早かったが、中学時代の自分にはかなわなかった。
 後輩は、3000mの次の組が終わった後5000mに出場。17分半を切るタイムで走っていて、トレイルランナーのタフさを見せつけられた。彼は、今回3000mは中学1年生の息子と同じ組で対決していた。自分も息子と試合で走ることが、夢の一つなのだが、目の前でそういう親子を見てうらやましく思った。我が家は長男は陸上をせず、次男は陸上を始めたが走り幅跳びをしている。今日は、中学校の方針で1000mには出ていたが、一緒に走ることはできなかった。次は三男に期待するしかない。

■2021年12月17日(金曜日)
 朝のテレビ番組でZ世代という言葉が出てきて、長男がZ世代とは何なのかと聞いてきたのだが、答えることができなかった。Z世代とは、インターネットが普及していた時代に生まれた、デジタルネイティブと呼ばれる世代なのだという。X世代が1960年から1974年生まれ、Y世代が1975年から1990年代前半生まれ、Z世代はその後の世代と定義されているようだ。自分は、ぎりぎりX世代ということで、かなり昔の人たちのくくりに入っていることになる。インターネットが始まって普及するまでの歴史は、しっかり見てきている世代だが、始まった頃のセキュリティー意識はとても低く、ネットリテラシーも低かった。それが基準となっているとすれば、フェイクニュース等に引っかかりやすい世代なのかもしれない。

■2021年12月16日(木曜日)
 練習は一人で8000mペース走。設定は3分40秒にしていたが、最初の1000mは3分44秒1で、その後は、3分52秒0、4分02秒8、4分09秒7とどんどんペースダウンしていった。これ以上は知ってもさらに状況は悪くなるだけなので、4000mで終了した。右膝と股関節、左のアキレス腱など、痛みや違和感があり、體は重く試合直前の練習としては、あり得ないほどの状態の悪さだった。このままでは、週末の3000mは10分を切るのは相当厳しいだろうということだけは予想できた。

■2021年12月15日(水曜日)
 政府は、18歳以下への10万円相当の給付に関する指針を示した。当初は5万円が現金、残りの5万円はクーポンということになっていたが、全額現金でもかまわないということになった。岸田総理は、「聞く力」というのを売りにしていたが、さっそのくその「聞く力」のお陰で、方針転換となったと考えればいいのだろうか。政府は、全体を俯瞰して見たときに、経費が多くかかってもクーポンの方が経済にとってプラスになると考えていたのだろうが、自治体では、年末に迅速に対応するにはクーポンを用意する手間は省きたいということから政府に対して様々な働きかけが会ったのだろう。横須賀市は、とりあえず、最初から決まっていた5万円の現金については、年内に振り込まれるとの通知を出している。残りの5万円についてはクーポンになるか現金になるかは今のところ情報がない。

■2021年12月14日(火曜日)
 練習は、学生と2000m×3。ペースは1本目が400mを76〜78秒、2本目は、1周おきに78秒と70秒、3本目は76秒だった。1本目は学生に必死についていって3分14秒9、3分15秒5で、78秒ペースで走り切れた。しかし2本目以降は、5周を走りきることができず、3周の1200mまでで終了した。1200mは3分49秒7、3分47秒0で、平均76秒のペースだった。自分の体調からすれば、学生たちに引っ張ってもらったことで、なんとか設定ペースに合わせて走ることができた。学生たちは、ほぼ設定通りに走り、週末のレースに向けてまずまずの状態で走れているように感じる。

■2021年12月13日(月曜日)
 新谷弘実著「病気にならない生き方」という本を読んでいる。著者は、胃腸内視鏡外科医としてこれまでに約30万例以上の胃腸を診てきた経験から、今では常識となっている数々の健康法を否定し、常識を信じると危ないと警告している。臓器別医学は、「木を見て森を見ない医療」であり、医者をダメにしているとも述べていた。医師は、医師免許を取得した時点で自分の専門を決めなければならず、専門以外の臓器のことを学ぶ機会がないという。自然は単独では成立せず、すべては互いに影響しあい、バランスを保っていることを理解する必要があるのに、最初から専門が決まってしまい、他の部位についての知識は、学部生の時の授業のみでは、総合的な診療は難しいのだろう。
 同じようなことを運動の場面でも感じている。部位別の筋トレをすることが、パフォーマンスに結びつくかと言えば、そうとは言えない。野生動物は筋トレはしないが、全ての部位が互いに影響し合って連動し、素晴らしい動きをしている。お手本は野生動物であり、自然そのものなのだと思う。

■2021年12月12日(日曜日)


参拝中の三男



阿夫利神社からの眺め
(奥の方が三浦半島)
 三男と大山の阿夫利神社へ行った。江戸時代には庶民による大山詣りが流行ったという。テレビで、大山を走ったり、お詣りに行ったりする番組を続けて視聴したため、なんとなく氣になって行ってみることとなった。
 京急、相鉄、小田急と乗り継いで、約1時間で伊勢原駅に到着、その後大山の入り口までの直行バスに乗り20分程度で入り口へ到着した。登山が目的だったが、三男がロープウェイに乗りたいというので、ロープウェイに乗り、駅を降りれば、すぐに阿夫利神社に到着となった。神社からの眺めは、雲の上から下界を眺めるという感じで、爽快だった。神社には、わき水があり、その水がとてもおいしかった。大山は、相模湾から流れてくる水蒸気がぶつかる場所で、それが雲となり雨を降らすことから、阿夫利神社は雨降り神社とも呼ばれるそうで、そのお陰で、わき水も豊富のようだ。
 下山は、ロープウェイを使わなかった。下山ルートは男坂と女坂の2つがあり、三男が午後から友だちと遊ぶ約束をしているというので、かなり急な男坂を選択して下山した。登山をしていたら、相当な時間がかかったことを考えると、行きはロープウェイの選択は正しかった。次に行くときには、十分な時間を確保し、登山をしてみたい。

■2021年12月11日(土曜日)
 先週と同じく練習は200mの上り坂ダッシュ×6。先週は、1本目のタイムがあまりにも速く、2本目以降のダメージが大きかった。そのため、今日は1本目を若干抑えながら7本しっかりと走ることをテーマにスタートした。
 7本のタイムは、31秒1、30秒8、31秒2、30秒9、31秒2、31秒5だった。4本目が終わり、5本目が始まるまでの休息時間に、じわじわと臀部とハムストリングスの張りが強くなり、最後の2本は、脚が思うようには動かなかった。前回は、6本目がまともに走れなかったので、今日は、安定したタイムで走ることができ、少し進歩したような氣分になれた。

■2021年12月10日(金曜日)
 2週間ほど前に、我が家の犬の右の背中側首のあたりに小さなしこりを発見した。ちょっと氣になるなぁという感じで放置していたのだが、3日前に、長男が、犬を触っているときに、凝りが大きくなっていることに氣がついた。この短期間に、大きくなっているというのはあまり良いことはないということで、昨日、妻が犬を病院へ連れて行った。診察をしてもらうと、表皮にできた嚢胞(のうほう)というものだった。これは、皮膚の下に袋状のものができ、皮脂や角質が溜まる病気なのだという。良性で、全身どこにでもでき、大きくなると破裂するというもの。病院では、溜まったものを絞り出し、レーザーでちょっと痛そうな処置をしてもらったとのことだった。犬は、痛みでさぞかし吠えただろうと思ったが、あまりの痛みのためか、縮こまって声を出すのもこらえていた様子だったという。10日間は、食事に薬を混ぜて食べてもらうということで、昨夜から薬を入れている。見た目は、毛に血の塊があるなど痛々しいが、今朝は何事もなく、散歩の際には、いつも通りダッシュもしていた。ダッシュをしたら血流が高まり、患部に痛みが出るのではないかと想像するのだが、犬は自分の体調の変化を話してくれることはなく、いつも通りにしかみえない。こちらが忖度して制御するしかないのだろう。

■2021年12月9日(木曜日)
 練習は8000mビルドアップ走。ペースは3分40秒/kmから始まり2000mごとに5秒上げていくという設定だった。先週までの状況から、6000mまで集団についていくことはできるだろうと思いながらスタートした。最初から接地の度に右股関節の違和感が続き、ずっと氣になりながら走ることとなった。ラップは、3分41秒9、3分40秒4、3分35秒3、3分34秒7で順調に走れ、4000mを過ぎる頃には、股関節の違和感にフォーカスするのではなく、違和感なく動かせる部位を意識して走るようにした結果、意外とリズム良く走れるようになってきた。4000m〜5000mは設定通り3分29秒5で走れ、このまま行ければ、8000mまで走れるのではないかと思った。しかし、5400mを過ぎたところで、急に脚が重くなり、走りが地を這うよう感覚になってきた。呼吸も急に苦しくなり、えづいてしまい、6000mで終了。最後の1000mも設定通りの3分29秒4で終えることができた。リズムが良くなったところで、8000mまで行けるかもしれないという欲が出たことが良くなかったのかもしれない。自分にとっては、長距離は精神的な部分の戦いが大きなウエイトを占めている。

■2021年12月8日(水曜日)
 デジタル庁は、中央省庁や地方自治体が扱うデータを一括して管理するクラウドサービスとして、アマゾン・ウェブ・サービスとグーグル・クラウド・サービスを使うという。国際政治学者の藤井厳喜先生が、動画でこれに対して警鐘を鳴らしていた。現在は、自治体ごとにバラバラのシステムを使っているが、これを全て統一すれば、効率はとても良くなる。しかし、このシステムを担当しているアメリカの企業は、簡単にそのシステム上にあるデータにアクセス可能となってしまう。安全保障の観点からは、これはまずいのではないか、国産の方が良いのではないかということなのだが、たとえ国産であっても、安心はできないというところが悩ましい。アメリカでは、CIAがアマゾンのサービスを利用しているとのこと。アマゾンであればアメリカの企業だから問題ないように見えるが、今のGAFAと呼ばれるIT大手企業は、国よりも力を持っていて、情報を操作できる側に立っている。だから国産でも安心はできない。イギリスの諜報機関もアマゾンにクラウドを発注したというニュースがあった。各国の情報がアマゾンから見れば丸見え状態ということになる。安全保障の観点からは、各国は、とても都合の悪いことを推し進めているように見える。日本であれば、現状の、各自治体がバラバラのシステムを使うということが、最も安全保障にとっては良い状態と言えるというのが何とも皮肉だ。

■2021年12月7日(火曜日)
 昼休みに、久しぶりに(2分ダッシュ+2分ジョグ)×10。2分ダッシュと言っても以前のようなダッシュにはならず、ちょっと速いジョグという程度だった。夕方以降は嵐になる予報が出ていたが、昼の時点で、風は強く走りづらかった。また、右の座骨結節から大転子側の臀部にかけて、接地の度に鈍い痛みが生じた。それを氣にしながらの走りということもあり、速度が上げられなかった。速度は上がらずとも、ある程度呼吸は上げることができ、今日は、呼吸器系のトレーニングとして、何とか10セット耐えた。ダッシュとジョグの時間は同じなのに、どうしてもジョグの時間は短く感じる。この練習をするたびに時間は平等ではないと感じてしまう。
 最後に300mを走ったが、體が重く、かなり頑張って走ったが、タイムは45秒1。ただもがいているだけで全く進まないという感覚だった。

■2021年12月6日(月曜日)
 首都圏の新規感染者数はどの都県でも一桁だったとの報道があった。TBSは陽性者数と言っているが、他のテレビ局は相変わらず感染者としている。この数は、風邪をひいた人数よりも少なく、報道する必要はないのではないかと思うのだが、次はオミクロン株が入ってくると言って相変わらず恐怖をあおっているように見えてしまう。南アフリカの医師のコメントを見る限り、オミクロン株は、軽症か無症状とのことで、重症になる感じには見えない。これってただの風邪なのではないかと思えてならない。
 群馬県太田市の工場で従業員42名が新型コロナウイルスに感染したとの報道もあった。このうち29名はワクチンを2回接種し2週間が経過していたという。計算上はワクチンを接種した方が感染の確率が高いということになる。それなのに、知事は3回目の接種を急ぐとの発表をしていた。国も3回目の接種を原則8ヶ月経過後としていたところを、期間を短縮すると言い出した。8ヶ月とした理由が何かあったはずはのに、その原則を簡単に反故にできるのなら、原則はいらないのではないか。そして、3回目接種には、現在在庫のあるモデルナ社のワクチンを使用するとも言っていた。接種が始まった頃は、同じ会社のワクチンを接種することを原則としていたが、こちらも反故にされてしまった。ワクチン接種者が7割を越えれば集団免疫が作られた状態になると試算されていた。現在では、実際に7割を越え、新規感染者が激減した。ワクチンの効果はともかく、結果的には目標を達成したように見え、本来であれば、新型コロナ流行以前の日常が戻ってくるはずだった。しかし、海外の状況が改善しないことで、日本もそれに付き合わなければならず、目標とする日常は戻ってこない。

■2021年12月5日(日曜日)
 骨ストレッチの講習会に参加。テーマは『「筋肉」よりも「骨」を使え!』。今までの講習会とは違い、日常生活の何氣ない動作が、実は凄い力を発揮しているということを、手を替え品を替えという感じで、体感させていただいた。
 参加した講習会は、今日開催された3つの講習の内の3つ目ということで、すでに前の講習に参加している人たちは、しっかりと體がほぐされた状態にあるということで、途中からやってきた自分は、まだほぐれていないため、すでにほぐれている人たちから集中的にほぐしをしてもらうこととなった。自分一人に3人が付いてくれ、特に上半身は、激痛の嵐。久しぶりに叫びまくり、呼吸は、短距離を走り終わったときのような激しさで、嫌な汗が噴き出てきた。普段は、それほど叫ぶことはなく、痛みには鈍感な方なのだが、今日は、その鈍感な自分でも痛みを感じるほど筋肉は硬かったようだ。ほぐし終わってみると、あまりの脱力感に、生まれたての子鹿のように立ち上がるのも大変だった。
 何氣ない日常動作とは、例えばシャンプー、歯磨、照明のスイッチを入れる動作だったりするのだが、無意識にやっている動作ほど、意外と全身が連動していていることがわかった。他人に腕を捕まれて振り払おうとしても、力では振り払うことは難しいが、その捕まれた部位のことは氣にせず、ただ日常動作をやってみるととんでもない大きな力が発揮され簡単に振り払うことができ、その効果に驚くばかりだった。骨ストレッチの講習会に参加するようになって「居着く」ことから離れるということを何度も教わってきたが、改めて居着いているということを体感した。骨ストレッチの動作も、意識を別のところへ持っていき、居着く場所を意識させないという意義があることも学べた。意識をすると、その部位を筋肉で何とかしようとしてしまう。究極的には全てを意識しないで動かすということになる。これが無意識ということなのだが、日常動作は無意識の宝庫だった。元々誰もが身に付いていることをやれば、大きな力を何の努力感もなく発揮できるということで、脳は認めたくないけど、体感としては認めざるを得ない。

■2021年12月4日(土曜日)


干しすぎて固そうな干しイモ
 練習は200mの上り坂ダッシュ×6。つなぎは、200mの下り坂のウォーク。自転車部の学生たちも同じ坂でダッシュをしていて、お互いが走り終わった後に道を空けて走るという感じで坂を共有した。
 この坂で30秒を切って走ることは今までほとんどなかったが、1本目は29秒4で走れた。学生は26秒台だった。2本目以降は、30秒5、30秒7、31秒5、32秒4、41秒5だった。全員本数が増えるごとに走りの後半は體が浮くようになり進まずタイムが落ちていった。3本目以降は、少しずつハムストリングスと臀部への疲労が高まり、ケツ割れ状態が強くなっていった。5本目を終わり、6本目に入るまでにケツ割れにより歩くのも辛くなった。6本目はスタートから全く走れず、ジョグのような感じになり大きくタイムを落としてしまった。今日は、筋肉にも呼吸器系にも大きな負荷をかける練習ができた。

■2021年12月3日(金曜日)
 深夜寝ているときに地震があり、今朝も地震があった。かなり揺れた感覚だったが、震度は2だった。平成29年度の神奈川県地域防災計画では、都心南部で震度6強の直下地震が30年間で70%という発生確率が示され、三浦半島でも震度6強の地震が30年間で6〜11%と示されているので、そのうち大地震がやってくるかもしれないという認識は、頭の片隅に残っている。地震が来るたびに、とうとう来たかと思ってしまう。今回は山梨で震度5弱を記録し、この地震の震動が横須賀にも届いたということだった。日中には和歌山でも震度5弱の地震があったという。山梨の地震と和歌山の地震の関連性はないとのことだが、地球の表面がちょっとずつ動いているということは間違いない。そのための備えをしているかと言えば、日々の生活で手一杯で、備えにお金が回らず、何もしていないというのが実情。将来の備えか、目の前の生活か、天秤にかけると目の前の生活を優先してしまう。

■2021年12月2日(木曜日)
 学生と8000mペース走。学生たちは今シーズン最も速い1000mあたり3分25秒という設定で走るというので、完走はできないだろうと思っていたのだが、一人の学生が3分35秒で単独走をするとのことだったので、こちらで一緒に走らせてもらった。最初の4000mまでは、3分35秒5、3分35秒3、3分36秒7、3分35秒4で、ほぼ設定ペースで通過していった。しかし、4000m以降は、前を走る学生がとても辛そうだったため、4400m以降は、自分が前に出た。その後、学生はすぐに止めてしまったため、残りは単独走となった。4000m〜5000mは3分36秒2で何とかペースを保ったが、その後は、3分42秒0、3分38秒3で、ペース維持ができず、途中でやめたくなったが、なんとか氣持ちを持ち直し、最後の1000mを頑張り、3分25秒2で走りきった。大勢の集団で走れば、乗り切れるペースだが、一人だとなかなか厳しい。3分25秒のグループに入っていたら4000mも持たなかったかもしれない。8000mを走りきることを目標としていた今日の練習としては良い選択ができた。

■2021年12月1日(水曜日)


お昼は快晴
 昨夜は、爆弾低気圧が三浦半島を通過し、台風並みの暴風雨だった。しかし警報は、波浪警報のみで、朝になって大雨警報が追加された。起床後庭を確認してみると、防犯ジャリは飛びまくり、街路樹のイチョウの葉が至るところに散らかり、畑の野菜たちは、風に吹き飛ばされた影響か、しおれた感じで弱っていた。
 子どもたちは、暴風警報が出れば学校に行かなくてすむということで、暴風警報を期待していたが、残念ながら出されることはなく、通常通り学校へ行かなければならなかった。雨は弱まったが風が強く、傘を差して登校するには、ちょっと厳しい感じだった。警報はでないので、登校せざるを得ず、結局車で送っていった。
 各地で冠水しているという話題が朝のニュースになっていたが、横須賀市内でも同様に冠水した場所がたくさんあったようだ。実際に通勤途中に冠水した道路が2カ所もあり、短時間に大量の雨が降ったということを実感した。



[昔のいずみ]