最近のいずみ

Last Update:2021/2/28



パートタイムアスリートいずみ 21年目に突入 

■2021年2月28日(日曜日)
 昨夜は、夕食が終わった後、8時過ぎには眠くなり、リビングで寝てしまい、その時はいびきが凄かったという。そして眠気が強いので、そのまま9時には床に入った。
 最近寝ているときに、喉が乾燥し、喉に痛みが出そうな雰囲氣がある。昨夜は昨夜は鼻づまり氣味だったが、その乾燥を防ごうとマスクをして寝た。マスクをするとタダでさえ詰まり氣味な鼻での呼吸は、より困難になる。何度も起きては鼻をかみ、マスクを外すとすぐに喉が乾燥するので、またマスクを付けてみるも眠れないということが続き、まともに寝られなかった。鼻のかみすぎなのか、今日は1日頭痛が続いた。
 三男は、昨日の昼頃から、頭が痛くて眠いと話していたが、3月から始まる塾の入塾前テストがあるということで、無理矢理塾へ行かせたが、頭痛と眠気でまともに解答できなかったと話していた。今朝は何事もなく、午後からは友だちと外へ遊びに行ってしまい、昨日の体調不良は何なのだろうかと思った。
 ある方から頻繁に月と体調の話を聞くのだが、昨日は満月だったらしい。満月になると眠気が強くなり、体調も悪くなるという。確かに月と太陽の間に地球が入り、月と太陽の引力で引き裂かれるような状態になるのかもしれない。潮の満ち引きを考えれば、人間も6割から7割は水分でできているので、その水分が引力に影響を受けている可能性があるのかもしれない。目に見えない力に敏感になれるようになったのだろうか。また、来月の満月で観察したい。

■2021年2月27日(土曜日)


色づき始めたイチゴ
 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の28話から30話の録画を一氣に見た。織田信長を中心とした軍勢が、越前の朝倉義景を攻撃しているときに、近江の浅井長政が裏切り、織田軍は逃げるようにして撤退した。撤退するときに、少人数で、朝倉と浅井の軍勢を食い止めて、本陣の撤退がうまくいくように耐えたのが明智十兵衛と木下籐吉郎の軍勢だった。
 25年前に、竹中直人主演のNHK大河ドラマ「秀吉」を見たときに、秀吉が、「しんがりを務める」という話をしていて「しんがり」という言葉がずっと頭の中に残っていた。25年前はその意味がわからず、その意味を知ったのは、それから10年以上経ってからだった。当時は、歴史の流れもよくわからず、秀吉の派手なパフォーマンスが面白くて見ていたので、言葉の意味はあまり氣にしていなかったが、どういう場面で「しんがり」という言葉が使われていたのかが思い出せないのに、妙に頭の中に残っていた。今日は、正にその場面が出てきて、明智十兵衛に木下籐吉郎が「しんがり」を務めさせて欲しいと訴えていた。25年前に何のことかわからなかった場面だが、この場面だったのかということで理解が進んだ。

■2021年2月26日(金曜日)
 「さとり」とは差をつけることから差を取ることだと斎藤一人さんがどこかの講演会の話で述べていた。ブッダは、すべの物が等価値に見えたときに悟ったと苫米地英人さんが話していたが、表現が違っても、同じことを言っていて面白い。
 お坊さんは悟りをひらくべく修行をしているはず。執着することから離れることが、差を付けることから差を取ることになるのだろう。どのくらい執着しないかということを追求すると、「執着しないこと」に執着することになるという難しい状態になる。プラスでもマイナスでもない中庸ということなのだろうか。「さとり」を開く修行は頭の体操だ。

■2021年2月25日(木曜日)
 内田樹著「先生はえらい」という本を読み始めた。「いい先生」というのは、万人に当てはまるものではなく、人によって違い、その出会いは偶然ではなく、出会った後になると「運命的必然」と思えるような人のことなのだと定義されていた。「いい先生」は恋愛と同じで、「誤解」あるいは「妄想」と言ってもいいもので、他の人と同じ内容を教えられても、同じことを学ぶのではなく、「いい先生」からは学びの創造性や主体性を学びとることができ、弟子たちは、それぞれの器の大きさにより、学びとることに違いがある。先生の発するメッセージは「教え」であると受信するときに学びは成立し、自分が教わったと思っていることが、先生からはそんなことを教える気はぜんぜんなかった、ということがあったりして、教育というのは本来そういうものなのだと述べられていた。
 授業では、みんなに理解してもらいたいと思って授業をしていたが、そもそもひとりひとりの器が違い、受けとるものも違うと考えると、授業内容に対して賛否両論があることは仕方のないことなのかもしれない。実際、教えたことがとても響く学生がいる一方、全く響かない学生もいる。講習会のような学びの場では、そもそも興味ある人しか聞きに来ないため、響く人の割合は高いが、授業は、仕方なく履修している学生もいる。先生としては一斉に教えるが、それぞれ学生の置かれた状況によって、自由に理解し解釈してもらうしかないのだ。全員に理解してもらえるようにするにはどうすべきかと考えていたので、氣持ちが少し楽になった。

■2021年2月24日(水曜日)
 斎藤一人著「微差力」を読み終わった。プロは微差を馬鹿にしないし、パフォーマンスは期待以上なのだが、期待通りとの差は、微差なのだから、その微差を積み上げようという話だった。
 人はそれぞれ、思い通りにならない世の中を、どうやって面白く生きられますかという謎解きゲームをやっていて、その中で与えられた役を名演技すれば、次の機会には、さらにいい役をもらえ、その繰り返しが、プロになる道であり、どんどんいいことが起きるようなると述べられていた。
 自分の人生のゲームの主人公になり、主体的に生きていくことが重要なのだろうが、幸せではないと思う人ほど、他人に左右される人生となっているのかもしれない。こんなこと自分にはできないという考え方ではなく、どうやって名演技をしていこうかと考えるほうが前向きな進み方だ。

■2021年2月23日(火曜日)


河津桜



三浦海岸
 三男と三浦へサイクリング。海岸沿いの道は、車道で交通量が多く信号も多く走りづらかったので、途中から1ブロック内側に入った狭い道を走った。それでも、車の交通量はある程度有り、車が来る度に止まらなければならなず、走りづらかった。三浦海岸駅前まで来ると、河津桜が咲き誇っていた。満開の時期は終わって、若干葉桜に近づいている状態だった。人出は多く、駅を降りた人たちは、みな同じ方向へ歩いていくので、歩道はずっと混み合ったままだった。その歩道を横に見ながら、車道を自転車で走り、桜並木に向かった。
 桜並木の歩道には、菜の花と河津桜が見事に咲き誇っていたが、それよりも人の数が余りにも多く驚いた。京急の線路を上から見ることのできる橋には、京急と桜を一緒に撮影しようとする人たちがたくさんいて、交通整理員の方が、立ち止まらないよう誘導しようとしていたが、なかなか思い通りにはできていないようだった。
 三浦へせっかく来たので、お土産に野菜を買って帰ることにした。我が家の畑ではできないような大きさの野菜ばかりで、さらに価格も150円から250円くらい。とてもお得な感じがした。小さなかごのついた自転車で運ぶには限界があり、ダイコンはあきらめ、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーを購入した帰った。
 帰りも一旦三浦海岸へ出たのだが、海は、ウインドサーフィンなど、マリンスポーツを楽しむ人たちであふれかえっていた。、今まで、あまりマリンスポーツに注意を向けることはなかったが、新型コロナの影響である程度の外出自粛がなされていることを考えると、新型コロナの影響がなかった時期には、海も大変なにぎわいだったのかもしれないと思った。

■2021年2月22日(月曜日)
昨日はかなり下痢がひどかったので、今朝の散歩では出せる便は出ないのではないかと思っていたが、それでも下痢として排便があった。エサを食べたも、内臓にはよくないと判断し今朝はエサを与えなかった。
 日中、妻が病院へ連れて行き、獣医の診察を受けた。受診の度に体重を量るのだが、10kg近かった体重が8.1kgになっていた。注射を2つ打ったが、痛みで吠えたりすることはなく、とてもおとなしかったようだ。この動物病院では、何度か注射をしたり、去勢手術をしているが、我が家の犬は、先生が大好きなようで、会う度にしっぽをよく振っている。いやな印象は何もないのだろう。診察後は、整腸剤や下痢止めを処方された。とりあえず、処方された薬を飲んでゆったりとしてもらうしかない。

■2021年2月21日(日曜日)


ジャガイモを植えました
 金曜日から愛犬の下痢が続いている。水のような便が出て、血も混じり、その後一旦柔らかい便になったのだが、昨日から今日にかけてはゼリー状の便か液体状の便ばかり。人間が下痢の時は、頻繁にトイレに駆け込むこととなるが、犬も同じで、頻繁に便をする必要が出てくる。家の中にあるゲージにはトイレが用意してあるが、それを汚すと飼い主に面倒をかけるという氣使いがあるのか、トイレで便をする前に、吠えて教えてくれる。深夜に吠えられても外に連れて行くことができず、しばらく吠えた後トイレで用を足したりする。こちらが朝起きてトイレを確認すると、水分がある程度失われた便が存在し、足で踏んづけてあったりする。
 今日は4回の散歩に出かけ、10回以上の下痢をした。散歩にでで最初にある程度の量が出てしまうので、その後は、便を出したくても出せる物がない感じで、最後は、お尻を地面にすりつけて歩いている。見ていて本当に氣の毒でならない。

■2021年2月20日(土曜日)


トマソン
 三男から幽霊が見えると告白された。小さい頃から、職場に連れて行くと、見えると話していたのだが、職場以外で見るという話は、今日が初めてだった。サイクリングへ行き、公園で休憩のためベンチに座っていたときに、学校で幽霊をよく見るという話が始まり、髪の長い緑の着物を着た骸骨で刀を持った侍の姿が多いという。学校では音楽室と理科室でたくさんの幽霊を見るが、久里浜の夫婦橋を通ると、幽霊ではなく、鈴の音が聞こえくるので、何だろうと思っていたら、夫婦橋の昔話では川の氾濫を沈めるために人柱となった女の子がいて、人柱とするときに一緒に鈴を入れたという言い伝えがあり、それなのかもしれないと話していた。
 話している最中に公園のトイレの屋根の上に子どもの幽霊がいると言いだし、その後滑り台を滑っている、今ベンチに一緒に座っていると教えてくれた。その後、サイクリング中に、次々とあそこにいる、ここにいると実況中継をしてくれた。家にもいるという話をしていて、最初は白い玉を見ると話していたが、本当は、7人の子どもの幽霊が一緒に生活しているのだと言われて驚いた。その中でも、5歳の幽霊は弟のようでかわいくて、いつも一緒にお風呂に入っていて、一緒にリビングで寝っ転がって、幽霊の側に腕を置くと、重みを感じるのだという。
 古い建物には多くいるようで、そういった建物が近づくと、背中に痛みを訴え、そこから離れると痛みがなくなったというなど、からだも反応しているようだ。
 自分には感じられない世界なのだが、三男は2つの世界を同時に見ているのかもしれない。

■2021年2月19日(金曜日)
 なかなか膝の痛みは取れないが、ちょっとずつ運動をしている。今日は最初にサーキットトレーニング。ジャンプ系の運動は、膝へのダメージが大きく、膝をかばいながらの運動となってしまった。その後、8割くらいのスピード感覚で、走ってみたが、膝には痛みがありながらの走りとなり、やっぱり走るのはまだ早いのかもしれないと思った。
 しばらく大腿部周りをほぐすなどして、もう一度流しをしてみたところ、痛みを感じることなく走れたので、学生たちのトラック練習の後ろについて、走れるところまで走ってみようと思い、学生たちについていった。学生たちは1200mを走っていたが、300mを過ぎると、ハムストリングスへの疲労が大きく、400mで終了。69秒台で走ったのだが、その直後に吐きそうになるなど、呼吸器系へのダメージは大きかった。さらに300mを走る学生の後ろについて300mも走った。残り100mは、脚に力が入らず、大きく失速してしまった。タイムは48秒台。ロングタイツとジャージとウインドブレーカーを着た状態で走ったので、かなり走りづらかったということもあるが、久しぶりに走ったという感覚を得ることができた。

■2021年2月18日(木曜日)
 骨ストレッチに出会ってから、自分がどう感じるかということを最も大事にしている。自分が感じて良かったことを人にも伝えるようにしているが、それは科学的に根拠があるのか、エビデンスはあるのかと言われたりする。そういったものはまだないので、体験してみて良ければその後もやってもらえばいいし、わからなかったり、意味がないと思えば、その後はやらなければ良いのではないかと思っている。数字で表し、統計処理をし、全員ではないが、多くの場合は、効果がありそうだというものが、科学的な根拠ということになるのだろう。数字で表せないことは科学的ではない。人の體は、部分的ではなく體全体として扱う必要があるが、科学的を示そうとすると、體を部位ごとに分断してそれぞれを数字に変換するなど、部分的な解析をするしかない。部分を集めれば全体となるかというとそうではなかったりする。また、科学的は、100%信頼に足るというイメージを持ちやすいが、外れ値の人たちは無視されることにもなる。外れ値の人たちは、科学的には効果があるといわれても、変化を感じない場合がある。感覚は人それぞれなので、こちらも全員の人に当てはまることはあり得ない。相反するようなことをどちらも納得するには、矛盾を矛盾のまま受け入れるということをする必要があるのかもしれない。または相反することを超越する概念を作り出す必要があるのかもしれない。自分で何を書いているのかよくわからなくなってきた。

■2021年2月17日(水曜日)
 次男が2〜3週間くらい前から左足の中指が痛いと話していて、先週から急激に中指が腫れて、赤く変色し、日が経つに連れどす黒くなって心配になったので、先週整形外科へ受診した。整形外科ではレントゲン撮影を行ったが、医師も診断に困ったようで、特に診断名を言われることなく、経口の痛み止めと貼るための消炎鎮痛剤を処方され様子を見ることとなった。その後は、痛み止めを飲んだり消炎鎮痛剤を貼ってはいるものの変化はなく、学校への通学も車で送る必要があるなど、改善がないので、今日は皮膚科へ受診した。痛みがあって歩くのが困難というところに医師は引っかかっていたが、今までの臨床経験からは、「しもやけ」ではないかということで、しもやけのための塗り薬が処方された。横須賀は比較的温かい場所で、しもやけになる人がいるのだろうかと思ったのだが、医師は、「横須賀でもたくさんいますよ」と話していた。しばらくは、しもやけの処置をして様子を見ることになった。 

■2021年2月16日(火曜日)


施術台
 昨夜、なんとなくスマートフォンでFacebookのアプリを立ち上げて見ていたところ、横須賀Facebook交流会というところにたどり着いた。最初に見たのが「施術台を欲しい人はいませんか」というような書き込みだった。新しい施術台を購入し、古い物がいらなくなったので、2月中に反応がなければ処分するということだったので、早速コンタクトしてみた。まだ誰もコンタクトしていなかったようで、いただけることとなり、早速今日、施術台を受け取りに行ってきた。自宅で治療院をされていて、マタニティ整体をすることなり、妊婦にも対応した施術台を購入したことで、元々使っていた施術台が必要なくなったとのことだった。ずっとほしかった施術台が、同じ町内の人からもらえてしまった。話をしてみると共通の知り合いがいたりして、世の中狭いですねという話になった。全く知らない人と簡単に交流ができてしまう今の時代って本当に凄いと思った。

■2021年2月15日(月曜日)


 午前中は、台風が来たわけでもないのに大嵐だった。昼過ぎまでは大雨警報が出るほどだった。大雨の中では、花粉は飛んでいないはずだが、今日は午前中から、くしゃみが止まらなかった。そして鼻水も止まらなかった。雨があがると、目のかゆみが強くなってきた。そして鼻水だけではなく鼻づまり氣味になり、1日で完全に花粉症の症状となってしまった。昨年は、症状は比較的穏やかだったが、今日の症状はかなり深刻になりそうな雰囲氣がある。妻からは「納豆食べたら」と言われた。最近納豆をあまり食べていない。これを機に発酵食品を食べる回数を多くしてみようと思う。

■2021年2月14日(日曜日)
 骨ストレッチの2つの講習会に参加。最初の講習会は、股関節の動きを良くする運動が中心だった。最も印象に残っているのは、腸脛靱帯周辺のほぐし。めんぼうでゴリゴリとほぐされ、激痛で叫ぶしかなかった。メインの運動は、特に大転子と小転子の動きをイメージして動かす動作だった。この動作をすることで、股関節が先に動き、それに連動して上半身がついてくるという感じになった。さらに歩く際には、踏ん張らなくなった。どうしても日常生活では無意識に踏ん張る動作が入ってしまうが、日常から今日習った動作を実践し、無意識で踏ん張らないところまで到達したい。
 2つ目の講習会は、和紙を使って凝りをほぐすことをした。特に面白かったのは、恥骨周りをほぐすと足首の動きが良くなることだった。恥骨周りを直に触ってほぐすと痛みが強いため、代わりに、胸鎖関節を使ったり、顎のラインと胸鎖乳突筋のクロスポイントを刺激しても変化があることがわかった。
 オンラインでも講習会はあるが、リアルでないと伝わらないことは多い。実際に人と会うことが重要だということを改めて実感できた。

■2021年2月13日(土曜日)


久里浜港
 昨日、整形外科の先生との会話で、全力でダッシュすることをしても良いんだという考えに変化したので、今日は、200mを走ってみた。入念に體をほぐし、ウォーミングアップをしてみると、ちょっとした流しは、膝の痛みはなく走ることができた。
 200mは200mウォークでつなぎ、3本走った。最初は37秒台。自分の感覚よりもかなり遅いタイムだった。2本目は32秒台。1本目とそれほど感覚的には差はなかったが、タイムは大幅に上がり、だいだい感覚通りのタイムとなった。3本目は、もう少しスピードアップを目指して走り31秒台。こちらもだいたい感覚通りだった。
 走っている最中は、痛みを感じなかったが、3本を走り終わったあとは痛みが出てきた。しばらくは、痛みとにらめっこしながら、走ったり走らなかったりを続けていくのだろう。

■2021年2月12日(金曜日)
 今日は、11月以来、短い距離だったが少し速く走ってみた。若干違和感はあるが、走っているときは、それほど強い痛みはなく走ることができた。止まるときには痛みが出る。しかし、競技復帰へちょっとだけ前進したような氣がした。
 その後、火曜日に撮影したMRIの画像を使って整形外科で診察を受けた。画像を見ると、相変わらず内側側副靱帯周辺は白くなっていて、水が存在するようで浮腫んでいて炎症は続いているようだった。問題の半月板は、切れずにつながっているので、手術をする必要はなさそうだということだった。先生からは、「全力でダッシュできてる?」と聞かれた。全力ではないが、少しだけ走れたことを伝えた。痛みはある状態なので、全力ダッシュをするのは怖いのだが、画像の状態から先生は、全力でダッシュしても問題ないと判断されたのだろう。先月よりは動けるようになっているので、少しずつだが回復過程にはある。受診はまた1ヶ月後。良い報告ができるよう少しずつ體を動かしていきたい。

■2021年2月11日(木曜日)


本日の収穫(水菜、小松菜)
 先週受診して、膝の痛みはあるものの痛みの少ない日があり、経過は順調ということがわかり、ちょっとダッシュをしてみたくなった。走り始めは痛みがあるが、思い切って膝のことを忘れてみると、痛みが緩和して、ちょっとしたダッシュにはなった。しかし止まるときには、また痛みが強くなるので、上手に止まる必要があることがわかった。ダッシュをしてみて氣ついたのは、痛みが氣になっているのは右膝なのに、なぜか左膝まで違和感があることだった。左膝が曲がると、膝関節が何かにつっかえて、膝がきちんと曲げられない感覚があり、若干痛みもある。以前左膝に痛みがあってMRIの画像を確認したときに、関節の中にガングリオンが存在していたことを思い出した。このガングリオンの存在が今更存在感を増してきた可能性がある。ちょっとはダッシュができたが、両膝とも観察し続ける必要がありそうだ。

■2021年2月10日(水曜日)
 JTや近畿日本ツーリストが希望退職者を募集しているというニュースがあった。また、葬儀業界も再編が避けられないというニュースもあった。
 新型コロナの影響で、緊急事態宣言が発出され、どの業界でも、大手、中小企業に限らず、多大な影響を受けている。希望退職者は強制的な解雇ではないのかもしれないが、希望退職者という名で強制解雇が行われている企業もあるのかもしれない。とりあえず、リストラが各企業で行われているということだ。仕事がなければ、雇用する人数も調整する必要があり、雇用を維持すれば会社自体が倒産の危機に瀕する。何を優先順位の上位に持ってくるかで、結果が大きく変わってしまい、企業にとっては本当に難しい局面に直面している。
 日本は、年々人口が減っていて、日本政府は人が不足するということで外国人労働者を入国させる政策に傾いているが、外国人労働者を入れる前に、働きたい日本人が働ける環境を整備する必要があるように思う。

■2021年2月9日(火曜日)
 最近clubhouseという言葉を頻繁に目にするようになった。iPhoneのアプリでダウンロードでき、誰かから招待されない限り、そのアプリを使えるようにならないとのことだった。誰かから招待されたら入れるようにアプリをダウンロードしたら、すぐに大学の同期から招待が来て、登録ができた。そして、小学校からの友だちが、別の人から依頼され話をするルームがあったので、早速入ってみた。話をする人は限定され、聞くことは自由。音声は、その場限りで録音ができないとのことなので、その場限りの話を楽しみつつ頭の中にとどめておくというもののようだ。他人の会議通話を盗み聴きしているような氣分になったが、様々なルームがあって面白い。落語家さんは、落語を疲労しているらしいので、そういったルームにも行ってみたいと思う。

■2021年2月8日(月曜日)
 全盲ろう者の福士智さんの「生きるって人とつながることだ!」という本を読み始めた。「生きることは、人とつながることであり、つながりを持とうとする営み自体に生きる手応えがある」と述べている。9歳で完全に目が見えなくなり、18歳で聴覚を失った。その後は、「暗黒の宇宙を旅している」ような状態。自分からは話すことができるが、相手の話は聞くことも見ることもできない。全盲ろう者となってからは、母が考案した指点字を使って、コミュニケーションを取るようになり、孤独な世界から抜け出ることができたというようなことが述べられている。
 音がなく、暗黒の世界を想像するだけで、絶望的な心境になる。完全に孤独な世界。そういった中で、指を通してコミュニケーションをとることにより、生きるということを考え直し、自分の感じていることを外に発信する。日本の全盲ろう者として初めて大学へ進学し、その後大学院へ進学。そして大学教員となり、バリアフリーについて研究されている。この本を読み始めて、全盲ろう者について知り、具体的にどうということを表現するのは難しいが、見方が変わってきた。

■2021年2月7日(日曜日)


東電方面





三男と駄菓子屋へ
 斎藤一人さん「寝る前に聞くだけで次々と凄い事が起こる話」というYouTube動画を、寝る前でなく起きた直後に、洗濯物を干しながら、犬を散歩しながら聞き、さらに2度目を朝食を作りながら聴いた。
 一人さんのYouTube動画は、数え切れないほどたくさんあるのだが、どの話を聞いても素晴らしく、新しい情報がある。今日、特に大事だと思った話は、脳の使い方の話。自分の発する言葉は、脳に伝わり、脳はその言葉通りの結果を求めて機能するという。否定や肯定は無視され、イメージできることを求めるので、○○しないようにと言葉を発しても、脳は○○を求めるという結果になる。自分って最高だと思っていれば、脳は、自分が最高となる材料を求め、自分のところに持ってきてくれる。一人さんの学歴は中卒なのだが、中学卒業して大学へ行く人たちよりも早く社会へ出ているので、大卒の人たちよりも稼いでいるのは当然だと思っているから、納税日本一という結果がもたらされたのだと解説され、これは一人さんが、やってのけたことではなく、一人さんの脳がやったことだと説明されていた。自分自身のことを魂と表現し、脳とは分けて話をされていた。脳はすぐに怠けたがるので、良い働きができるようにどんどん肯定的なことばを自分自身に投げかけてあげる必要ある。マイナスなことを投げかければ、マイナスなことばかりが起こるようになる。脳は自分自身にとって、敵であり味方でもある。自分の目の前に起こる全ての出来事の原因は自分自身にあり、自分の魂で脳を上手く使いこなした人が、好ましい人生を歩んでいるとも言える。
 天氣が良くて今日は最高、人生も最高と思いながら、犬の散歩をしていたのだが、散歩の途中で、おばあちゃんが犬をかわいがってくれ、犬は横になってもっと撫でて欲しいとアピールした。よその人には、なかなかそういったことをしないので、犬にとってそのおばあちゃんは最高だったのだろう。その後、何年ぶりかに陸上を通じた知人がランニングしているところに遭遇。犬をかわいがってもらいながら少し話ができた。おばあちゃんも、陸上仲間もマスクはしておらず、こちらもマスクはしていない。どう考えてもこれが自然だ。これが当たり前で、氣持ちの良いことだと思った。最高だと思ったら、脳はそれを連れてくる。人から見れば何でもないことかもしれないが、自分にとっって最高なら、最高なのだ。一人さんの教えはお金のかからないことがほとんどなので、実践がしやすい。話を聞きながら、その場で実践ができ、朝からとても満足な時間を過ごすことができた。

■2021年2月6日(土曜日)
 次男がどうしてもウインドブレーカーが必要だというので、市内の大型スポーツ店へ出かけた。市内では一番の品揃えだろうというイメージを持っていたが、想像していたよりも品揃えは少なかったた。しかし、すぐにでも欲しいということで、限られた中で選択をすることとなった。最初は、ナイキやアディダスという有名メーカーを探していたが、その後、機能を売りにしたガーミンと比較し、有名メーカーよりも機能が高く、価格も安かったため、最終的にガーミンの商品を買うこととなった。最近は、商品カタログやウェブ上での見た目だけで商品を買うことが多いが、実際に触って、着てみて判断する方が、自分に取ってより良いものが選択できるということを改めて実感した。仕事がオンラインとなり、直接人と会う機会が減る世の中にはなったが、直接目で見る、手で触れることの重要性は変わらないと思った。

■2021年2月5日(金曜日)
 膝の痛みの経過を観察するため、整形外科を受診。診察室に入った瞬間に、先生からは、先月より良さそうだと言われた。見た目が先月とは違っていたということなのだろう。診察で、患部を押されても、痛みはあるが、先月ほどの強い痛みはなくなってきた。先生が2ヶ月前に話していた通り、自分にとって不必要な部分がマクロファージによって削られ始めているのかもしれない。とにかく先月は、歩くのにも支障があり、ジョッグができなかったが、今は、痛みがない合には、ジョッグができる。ゆっくりと30分ほどジョッグをすることがありますと話すと、先生は、それでいいのではないかと言ってくれた。来週は、もう一度MRIを撮影して、再度診察するということになった。物理的にも変化していることを願うばかりだ。

■2021年2月4日(木曜日)
 妹の旦那さんのお父さんが亡くなったという連絡があった。先月末に亡くなられ、通夜や葬儀は既に終わったという連絡だった。お父さんは、年末まで妹の家の庭にある畑に来て畑仕事をされていたそうだが、その時から呼吸が辛いと話されていて、年が明けてから病院へ行ったという。近所の病院で診察を受けて、すぐに入院した方が良いということになり、入院となったが、新型コロナの影響で、精密検査の順番がなかなか回ってくることがなく、検査は月末になるということで、検査待ちの入院が続いていた。結局検査をすることなく亡くなることになった。死因は胃ガンだった。新型コロナの影響で、家族は、面会が許されず入院後はずっと会えなかったが、亡くなる前日は、家族全員が面会でき、お父さんはとても呼吸が苦しそうだったが、とにかくお別れをすることができたのだという。新型コロナがなければ、毎日面会はできただろうし、精密検査もすぐに受けられただろうと思うと、PCR検査陽性者を感染者と呼び恐怖をあおる新型コロナの報道や、それをベースにした新型コロナの対策に違和感を感じてしまった。
 日本での陽性者数がもうすぐ40万人になるという。この累計数に意味があるのか。症状が出て感染した人が何人で、現在症状が出て感染している人は何人なのか。その人数が公表されて、例年のインフルエンザと比べてみたらどうなのかが知りたい。今の報道は恐怖をあおる詐欺にしか見えない。この詐欺を広める側にはどういう意図があるのか。現状に違和感ばかりが募ってくる。

■2021年2月3日(水曜日)
 三男が、国語で反対語についての宿題をやっていた。戦争の反対は平和。三男は、これが納得できなかった。本当に平和なの?と言い放った。この指摘はとても鋭い。現代は、戦争の定義自体が難しい。武器を使って戦うのだけが戦争ではない。武器ではないが、あらゆるものを兵器と考え、戦っていくのが中国の超限戦という考え方。米中覇権戦争と言われ、目には直接戦っているように見えなくても、陰でとんでもない戦いが繰り広げられている。日本は、目に見えない部分に目をつぶって平和だと言い、憲法のおかげで平和が保たれていると信じている人たちも存在する。戦争の反対語は、戦争の定義によって変化するように思える。これだという答えは存在しないのかもしれない。しかし、日本では、当たり前のように戦争の反対は平和だと教える。教育は子どもたちに思考停止させるために行われているのではないかとすら思えてくる。そういった現状からすれば、三男の思考と指摘は素晴らしく、自分の體で何か違和感があるということを表現していることがわかる。たまたま三男の担任の先生が、そういった感性を育てるために、通常の学校ではあり得ない教育方法を実践されているからなのだと思う。そのために子どもたちが宿題をしなかったりして、それでいいのだろうかと思うこともあるが、今日の子どもの疑問により、先生の教育は間違っていないと思えてきた。

■2021年2月2日(火曜日)
 大学の先輩が86歳にして初の本の出版をするということを聞き、先月本の予約をしていたのだが、一昨日届き、今日読み終わった。
 先輩は、大学時代から空手を始め、それ以来40年以上空手を続けられている。武道の極意として「力を抜く」ということの重要性を強調されていた。これはどのスポーツでも同じで、日常生活でも重要であり、先輩が自分と同じ考え方をされていると思いうれしくなった。自分は、これを実践するための方法として「骨ストレッチ」という方法を用いている。先輩はそれが空手という手段なのだ。
 先輩は、若手自衛官の時代にアメリカへ留学され、留学先で空手を普及し、その街の名誉市民として表彰されるにいたり、いまだに、その地を訪れる自衛官は、現地の人に彼を知っているかと聞かれるほど有名らしく、とても誇らしく思った。
 先輩は86歳にして、見た目はまったく80代には見えず、立ち姿がとにかくきれいでかっこいい。本は、どのようにしこの健康な状態を維持し今に至ったか、その実践方法がテーマとなっている。運動と死亡年齢の関係を述べているところがあり、種目別平均年齢の表が掲載されていた。その中で、なぜか陸上中距離が最も長生きとなっていた。「瞬発力」と「持久力」をバランス良く備えているのが中距離だが、一生の間に心臓が打つ総数は動物のサイズによらず一定だということからすると、走っているときには、脈はかなり高く、日常での脈は長距離選手ほど少ない訳ではないので、あまり長生きしないのではないかと考えていたのだが、このデータは、中距離をしている自分に取っては、とても喜ばしいものだった。
 健康の話に関連して、先輩がとても尊敬する人の文献について触れられていた。その一人が中村天風氏。彼について初めて知ったのは、20年以上前。日航機123便が墜落した上野村の元村長さんの講演でその人生と教えについて教えてもらった。その後関連する本を読んで、少しは知識があったのだが、先輩の本で「絶対積極」という教えを初めて知った。中庸という考えにも似ていて、世の中には良いも悪いもなく、自分が勝手に解釈しているだけなのだと改めて考えるきっかけになった。
 本を読み終えた後、ウェブ上に特典PDFファイルがあることを知り、そのPDFファイルを開いたところ、何とその中の記事には名前は伏せられていたが、43歳800m日本記録保持者ということが書いてあり自分のことだったので驚いた。
 先輩は、40年先はこうなりたいという自分のお手本。ずっとその背中を追わせて頂こうと思っている。

■2021年2月1日(月曜日)
 新型コロナ特措法の審議が行われている。患者が入院を拒否したり、店の時短要請に応じない場合に罰則があるようだ。店の場合は、お客が閉店時間が過ぎても居座って退店してくれない場合でも、店の責任となってしまうのだろうか。具体的にどうなったら罰則となるかという判断基準がはっきりしていないように見える。
 国会議員の先生が店に来たら、お店の人も閉店時間だから帰ってくれとなかなか言いづらいのかもしれない。先日、緊急事態宣言中にもかかわらず、深夜に銀座のクラブを訪れたということで非難されていた公明党の議員は、問題の責任を取り、辞職する意向を固めたという。同様に自民党の議員3名も銀座のクラブ訪問で非難されていたが、彼らは離党する表明をした。この対応の差は党が違うということなのか。「ノーブレス・オブリージュ」という言葉があるが、身分にふさわしい振る舞いが求められているが、その期待に応えられていない方もいらっしゃるということなのだろう。
 とにかくお店をやっている人たちにとっては厄介なルールが次々と適用され、商売どころではなのではないかと思えてくる。それよりも消費税をなしにするなど、お店にとって面倒なことが減り、消費者にも喜ばれる施策をして欲しい。また、お店を支える商売をしている人たちがお店以上にたくさん存在しているかと思うが、そういった人たちが救われる政策が必要なのではないかと思う。



[昔のいずみ]