最近のいずみ

Last Update:2021/3/31



パートタイムアスリートいずみ 21年目に突入

■2021年3月31日(水曜日)
 ダイナミックプライシングという言葉を知った。商品やサービスの価格をその時の需要と供給の関係から予測して変動させるやり方らしい。昨日は、プロ野球の観戦チケットをそういった方法で販売したそうで、今後は、鉄道の運賃にも導入され、時間帯によって金額が変わるようになるかもしれないという。都内での乗り換えを含めた運賃は、会社をまたぐことになり、複雑きわまりない。そういったなかでどのように共通の運賃を算出していくのかというのが課題らしい。
 商品やサービルの金額が個人の評価によって変化し、一人一人の支払額が違えば、全ての人がその商品やサービスに納得できるのではないかと思い、大学時代の卒論では、そういったことをコンピューターで実現することをテーマにしたことを思い出す。消費者としては、できるだけ安くしたいという意図が働くので、卒論でやったことは現実的ではないのかもしれない。需要が高いときには高くなり、そうではないときには低くなるというのは、飛行機やホテルの価格では当たり前になっている。鉄道での導入も自然な流れなのだろうと思った。

■2021年3月30日(火曜日)


桜の花
 膝の痛みは日常生活には支障がなくなり、腫れも引いたので、約20日ぶりにジョグを再開。歩きでは痛みは氣にならないが、ジョグでは接地の度に膝の痛みは氣にはなる。しかし、痛みがない接地も時々ある。どのように接地すれば痛みがないのか探り探り30分走ってみたのだが、どうすればよいかは見つけられなかった。ジョグだけでなく、スピードを上げた短い距離も走ってみたくなり、最後に200mを走った。タイムは30秒2。右膝は、問題のある部位ではなく、膝の周囲まで痛みが広がり、左膝の同じ部位にまで痛みが出てきてしまった。體がスピードを上げるのは待ってくれという感じだった。

■2021年3月29日(月曜日)
 最近、叔父から自宅で栽培したワケギを送ってくれた。そのため毎日ワケギが食事に様々な形で登場し、おいしく頂いている。
 昨年送られてきたワケギは、4本ほど食べずに残し、我が家の畑に植えておいた。秋になると本数が2倍以上に増え、2回植え替えをし、今では20本以上に増えている。そして最近、さらに1本が2本に分裂し始め、さらに倍の数に増えようとしている。肥料を何もやっていないためか、背丈は低く、叔父の育てたものと比較すると背丈が半分程度にしか育っていない。
 叔父は、自作の落ち葉堆肥を使って野菜を育てている。自分もまねをして昨秋から落ち葉堆肥を作り始めた。しかし、落ち葉は形を残していて、まだ土のようには変化していない。叔父からは、窒素が足りないのかもしれないので、硫安を入れると良いのではないかとアドバイスをもらった。硫安という言葉を初めて聞いた。硫酸とアンモニウムが結合した硫酸アンモニウムの結晶からできあがっている化学肥料のようだ。硫酸とアンモニウム、どちらも人体に悪そうなイメージしかない。化学肥料を使わずに、野菜を育てたいので、できればこれを使わずに、堆肥を作りたい。窒素を補うにはどうすべきか考えていかなければならない。

■2021年3月28日(日曜日)


近所のお寺の桜




本日の収穫
 三男の担任の先生が、毎日書き続けたお手紙は、毎回A5の紙に文字がびっしりと詰まっている。子どもに宛てたのではなく、保護者に宛てて書いている。たまにしか読まなかったが、読むたびに、先生の熱い想いが浸透してくる。最後のお手紙では、1年間何を目指してクラスの運営をしてきたかということについて書かれていた。これについては、先生は子どもたちに読んで聞かせたという。
 子どもたちそれぞれに、それぞれの「普通」があるということをそれぞれが認めるということを目指したという。あらたに人と知り合えば、その人の「普通」を知ることができ、自分の「普通」が新しい「普通に」変化できる。世の中は、どちらかといえば共通の「普通」が存在するものと錯覚し、ある意味強要する雰囲氣すらある。自分の「普通」に自信のない者ほど、人を責め、自分の「普通」を強要するのではないか。自分の「普通」に自信のある人は、そういうことはしない。先生のやり方に、最初は子どもたちのとまどいも大きかったようだが、1年を通して、特に総合の授業で、子どもたちは、それぞれ自分で考え、自分のやりたいことに取り組み、先生は温かく見守ってくれていた。先生も先生のやりたいことを貫いたのだが、他の先生たちからは担任の先生はあまり良く思われていないようだと子どもは話していたし、結果的に周りの先生が大変な思いをすることになったのだが、ああいう風になれたら良いですねというコメントを他の先生から聞いたこともあり、他の先生にとってはやりたいことをやり通せるといううらやましさもあるように感じられた。周りの人に配慮しつつ、自分のやりたいことをやるというシンプルなことをやり通すということがもっと氣軽にできるようになればと思う。

■2021年3月27日(土曜日)


近所の公園の桜





自己ベストの跳躍
 横須賀市春季記録会に棒高跳びのポールの輸送を兼ねて応援へ行った。  次男も走り幅跳びに出場し、1回目の跳躍で4m97cm(+1.6)の自己ベストを出した。2回目と3回目は記録は伸びなかったが、4日ほど前にはハムストリングスの肉離れをしたかもしれず、歩くのもつらいと言っていた。熱感はなく、肉離れのようには見えなかったので、その日は微弱電流をかけ、その後は、骨ストレッチで全身を動くようにしたところ、痛みがなくなったということで、試合に出られた。本人は5mを超えられなかったので納得はできていないようだが、4日前のことを考えれば、走って跳んだだけでもよくやったのではないかと思う。
 次男の走り幅跳びと棒高跳びの開始時刻が同じだったのだが、棒高跳びは申告記録の低い中学生から始まるため、競技開始から1時間半以上経ってからやっとうちの学生が跳躍することとなった。ウォーミングアップのときから腹が痛く、走って跳ぶとその後は吐き気が強くなると話し、下痢の症状もあり、何度もトイレに駆け込んでいて、寒気もあるのだが、一昨日食べた生牡蠣があたった可能性が高いと話していた。直前まで棄権を選択肢に入れながらウォーミングアップをしていたのだが、練習跳躍で、今までにない良い感覚で跳べてしまったという。この感覚であれば跳べるということで、自分の体調を考慮し、多くの本数は跳べないため、いきなり自己ベストと同じ4m30を選択して、最初の試技が始まった。1回目は、體はバーを上手く超えたにもかかわらず、ポールがバーに当たってバーが落ちて失敗。2回目はバーを蹴ってしまい失敗。そして3回目にきれいにバーを超え成功。これによって今年度の関東インカレ標準記録を突破し、3年連続の出場を決めた。その後の4m40は3回失敗で競技終了。競技後も吐き気が強かったが、夕方には何事もなかったかのような普通の状態に戻っていた。関東インカレでは、ベストコンディションで臨み自己ベストを更新して欲しい。

■2021年3月26日(金曜日)
 右膝の痛みは内側なので、関連する筋肉が引っ張っている可能性もあると思い、久しぶりに開脚前屈を試みた。Youtubeでも上半身をベターッと床につけるための方法がたくさん公開されているので、たまには自己流ではなく人の話を聞いてみようと思い、公開されている動画を見ながらやってみた。できない原因の一つが、骨盤が立てられていないことが上げられ、骨盤を立てるには、恥骨が床に接する必要があるということで、恥骨を床に接するようにに努めた。その動作だけでも内転筋群がかなり引っ張られ、痛みが伴う。少し我慢して様々な動きをしてみたのだが、膝の痛みがある右側の内転筋群は、特に痛い。伸ばしすぎたためか痛みが残った。しかし、膝周囲の感覚は良く、動きも良くなった。伸ばしすぎには注意が必要だが、良い刺激にはなった。

■2021年3月25日(木曜日)
 昨夜から三男がスクラッチという子どもたちがプログラミングを学ぶことができるウェブサイトでゲーム作りを始めた。昨夜は夕食の前まで楽しみ、今朝は早起きして1時間ほどパソコンに向かっていた。
 ある程度頭の中で描いたゲームができあがり、朝食を作っている母親にも試してもらい、さらに改良を加えようとプログラムをいじり始めたところ、データが全て消えてしまったという。そして、その状態で画面上にはプログラムを保存しているという表示が出てしまい、プログラムが全部なくなったということで、三男は泣きそうになっていた。
 パソコンで何かを作っていると、長時間かけて作ったものが一瞬にしてなくなるということは時々ある。泣きそうな三男に、そういうことを話したのだが、当然納得するわけはない。パソコンで作ったものは電源が遮断されれば、何もなかったことになる。電子機器で何かを記録しておくというのは、将来まで残すということを考えると危険な手段なのかもしれない。昔はこういった機器はなく、昔のことを伝えるのは、岩に描かれた絵や紙に書かれた文字だったりする。こうした昔から使われている手段の方が、少し不便なのかもしれないが、長く記録を残すためには有用な手段なのではないかと思えてきた。

■2021年3月24日(水曜日)


本日の収穫



富士山
 国内で8600万人が利用しているLINEの個人情報について中国の関連技術者が閲覧可能になっているという問題について、昨日LINEは中国からのアクセスを遮断したことを明らかにした。しかし、データの保管は韓国のデータセンターで行われており、今後は、国内に移転する計画を示した。  LINEのプライバシーポリシーを見ると、「日本以外の国または地域にある委託先、子会社、関連企業などの第三者にパーソナルデータを提供先とすることがある」というようなことが記載されているので、利用者はそれを認めた上で利用していることになり、日本以外の国や地域がどこかということは示されていなかった。  Facebookでは、「米国やその他利用者の居住地以外の国に移転、転送、保存、処理される場合がある」とあり、Twitterも「米国、アイルランド、事業を展開しているその他の国々で、移転、保存および使用すること」が記載されている。LINEと同じく、どこにデータが移転させられるかはわからないが、利用者はこれに同意して利用しているということになる。  こうしてみるとLINEだけが問題なのだろうかと思えてくる。  便利になる裏で大事な何かを捨ててしまっている可能性があるということなのだ。安全保障上問題だということになるが、利用者としても便利なのか有益なのかよくわからなくなってきた。

■2021年3月23日(火曜日)




オオシマザクラ
 日本人が知らない日本人の誇りという動画サイトで、「台湾に息づく、日本精神 私たちは台湾から何を学ぶのか」というタイトルで文筆家の片倉佳史氏の講演の一部を視聴することができた。  主に李登輝元台湾総統のインタビューから得られた「公のために生きる精神」について解説されていた。台湾は、東日本大震災の際に困っている人は助けたいという精神で多額の支援をしてくれた。ある大企業のトップの方は10億円を日本人に託し、足りなければまだ出すことができると言って支援してくれ、そのエピソードは、彼が亡くなるまで知られることがなかったという。彼はこのことを人に話すなと言っていたためだった。これは彼が小学生の時に日本人の担任の先生による「本当の善は人のいないところでしなさい」という教えをずっと実践されてきたという背景があったから。台湾で行われた戦前の日本の精神が、60年以上経っても台湾で受け継がれていて、現在の日本では薄れつつある日本の精神が台湾には残っているということを感じることができた。  李登輝氏が考える日本人だけが世界に誇れるものというのは、日本人の感情表現と美意識だと語られたという。俳句や和歌、演歌、恋文などは、自分の感情を直接出さないにもかかわらず、別の表現を使って、自分の氣持ちを表現する。「愛している」とは直接言わず、しみじみと何か感じられるように伝えるという方法を楽しんでいる。日本では、昔から本当に伝えたいことはあえて伝えないという伝える技術がある。論理的に伝えることが当たり前となり、はっきりと言葉にしなさいと教育される世の中になってきているが、このままでは、大事な文化を消滅させることになってしまうのかもしれない。日本では当たり前すぎて考えることはないことでも、日本の外からの目を通して、大事なことをたくさん知ることができる。そういった意味では、日本を離れて外から日本を見るという経験は大事なことだと思った。

■2021年3月22日(月曜日)
 長距離の春合宿が始まった。週末に記録会があるため、合宿と言うほどの練習メニューは組まず、通常練習という感じ。後期試験が始まる1週間前の2月中旬以降、練習参加者は減り、学内イベントが多数あった影響で、1ヶ月近く練習が継続できていない学生も多いため、合宿が組める状態ではないというところも通常の練習にせざるを得ない理由だった。
 今日は1000m×7。設定タイム別に3グループに分かれて走った。脱落する学生は、思っていたよりも少なく、それぞれが自分のできることをしたように見えた。
 故障者が複数名いて、それぞれ現状を話してもらったが、足の爪が剥がれたり、学内イベントですねを痛めた学生がいるなど、休養が必要そうな学生ばかりだった。
 自分は、学生がウォーミングアップをする時間で、久しぶりにゆっくりとしたジョグをした。膝の腫れは残っているし痛みもあり、完全伸展と完全屈曲はやりづらい。10日ほど前の氣持ちよく走れた感覚が残っているので、もどかしくてしかたない。

■2021年3月21日(日曜日)
 ランニング学会2日目。午前は一般研究発表。Zoomではブレイクアウトルームが使われて3つの発表が同時に行われ、便利な機能があることを実感した。
 興味を持った研究は3つ。800mの成功と失敗のレースから、区間ごとのピッチ、ストライド、スピードを調べた研究では、成功レースでは、最初の疲労のない0-200m区間のピッチが60mの全力走の80%程度、ストライドが90%程度、スピードは70%程度で、ピッチが速くストライドが小さいと失敗が多い可能性が事例研究だったが示された。失敗例は、前半のスピードが速すぎるか遅すぎ、後半は失速するパターンで、自分の感覚ともフィットしていた。
 ランナーが走りやすいと感じるアスファルト舗装に関する研究では、路面舗装の違いによってランナーには走りやすさの違いがあることがわかった。記録の出やすさにもシューズだけでなく舗装の影響がある可能性やシューズと舗装の相性も記録に関係する可能性もあり今後の検討課題となっていた。
 小型義歯装着の長距離ランナーへの影響という研究では、義歯を入れることで、関節可動域や力の発揮が向上する動画で説明があった。筋力と関節可動域が向上するのに筋トレではない義歯でも変化があるということをアピールされていた。脳には12対の神経があるが、その中でも口腔につながる三叉神経は最も太く、歯が1本ないだけで舌の位置が変わり、脳への影響もあり、歯の状態が悪いだけで、脳から筋肉を動かす司令が上手く届かないなど、力発揮に影響を与える可能性があるのではないかとのことだった。左右の噛み合わせが悪いだけで頭は傾き、その状態で長時間走れば、姿勢にとっては悪循環となるので、義歯をいれたり噛み合わせを整えるというのは改善策の一つだということがわかった。
 午後のメインはシンポジウム。コロナ時代のマラソン大会について各地の大会での取り組みについての報告があった。新型コロナにより次々とマラソン大会は中止に追い込まれているが、新型コロナの感染リスクを考慮して中止になるというよりも、ボランティアが集まらず安全安心な大会運営ができないというのが中止の主な原因のようだ。スタート地点で密になるというリスクがあるが、スタート時間を分散させたり、リアルの大会からバーチャルの大会へ移行し、未経験者も参加できるようにするなど大会関係者は様々な工夫をされていた。ランナーは参加できる大会が少ないことで、逆にモチベーションは維持されているようだが、ボランティアの方が、1年以上ボランティアに参加できず、リーダー格の人たちのモチベーションが下がっているという。ある大会では、災害医療のシミュレーションとしてノウハウを共有するという意義を見出し、医療関係ボランティアのモチベーションを高めた事例も紹介された。今後も今の状況が続くのであれば、どうやったら開催できるのか、開催することにどういった意義があるのかということを継続的に検討していく必要があるのだろうという話し合いとなった。大会に出場できるのは、それを準備しサポートしてくれる方々のお陰であるということで、改めて感謝したいと思った。
 今日は職場の学生たちの卒業式だった。見送りの予定時刻に間に合うように職場へ行ってみたものの、嵐のような天候の影響か、すでに見送りは終わっていた。卒業生たちに声をかけられなかったのは残念だった。

■2021年3月20日(土曜日)
 朝から1日、ランニング学会大会のオンライン視聴。昨年度は新型コロナの影響で中止となったが、今年は、人数を制限して会場で実施しつつオンラインでの参加も可能となった。職場ではZoom使用禁止とのことで、自宅で視聴するしかなく、犬が吠えたり、ゲームの音が聞こえるなど、生活音の中で視聴することとなった。
 午前は、過去3年ほどの表彰された方々の研究発表が続いた。ランニングエコノミーについての発表が面白かった。具体的にランニングエコノミーを向上させるにはどうしたらいいかということについては、なかなかはっきりと答えが出ないが、ランニングの時間を少し減らし、筋力を高めたりプライオメトリクスで腱を刺激する方法があるのではないかとのことだった。
 その後の会長によるキーノートレクチャーでは、人はゆっくり長く走るように進化してきたという話があった。もともとは狩猟をしていて、獲物を追うのに、最も暑い環境で、獲物が熱中症等で動けなくなるまで、ひたすら追い続けたところから、「持久狩猟」というキーワードがあり、ゆっくりと走る能力が身に付いたのだろうというネイチャーの論文が紹介された。歩行に最もエネルギー消費の少ない速度が存在するように走りにも経済速度が存在し、それは速度としてはそれほど速くないもののようだ。ランニングハイという氣持ちの良い状態が得られることは、多くの人が経験しているが、その時には、大麻から出る物質と同じような内因性大麻物質が放出されている。心拍数で言えば1分間当たり140拍程度の時なのだという。心拍数から考えれば低強度の運動となる。長距離のエリート選手たちの年間の練習強度についての研究では80~90%は低強度だったという報告があり、中距離ランナーでもレースペースが7% レースペース以上が5%、88%は低強度で好記録を出していた。マラソン世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ選手は、トレーニングでは限界以上まで追い込まず、インターバルや距離走も90%程度なのだという。「ランニングを愛し、レースを楽しんでいる。レース中はリラックスした自由な心で楽しんでいる」と述べいる。マラソンの元日本記録保持者の高岡寿成さんも「マラソントレーニングは5km17分30秒くらい」だと話し、「大半を占める練習はジョッグだ。時計は、タイムを公平に測る機械であって自分の体調を測るものではない。時計に頼らず、ペース感覚を磨くことによってレースで外さない選手になれる」と瀬古利彦さんも話すなど、伊藤会長は、低強度の運動の積極的な意味は、ペース感覚を脳内に刻み込み、経済速度を認識することでペース感覚の尺度がクリアーになるのではないかとの考察をされていた。高強度トレーニングを一切やらない市民ランナーがタイムを上げている報告もあるようだ。
 午後は、学会のプロジェクト事業報告が続いた。ハーフマラソンについての報告で驚いたのは、1万人を超える大会が世界で50あり、そのうち日本の大会が23の大会もあり、日本はマラソン大国だということだった。ランニングシューズとランニングエコノミーについての報告では、カーボンファイバーの入った厚底シューズを履いて全体的にはランニングエコノミーが5.6%向上したが、中には逆に低下した選手もいて、その選手の特徴は、向上した選手と比べ、股関節も膝関節も伸展位で走っていたとのことで、股関節と膝関節の伸展で走ろうとする選手にはカーボンファイバーの反発を利用することができない可能性があり、これはカーボンファイバーが入っていなくても同じことなので、ランニングフォームを改善することの方が優先順位が高くなるのだろうと思った。カーボンファイバー入りの厚底シューズは、アキレス腱の負担が減るが、逆にアキレス腱が鍛えられない可能性もあり検証が必要で、今後のプロジェクトの課題としてあげられていた。
 最後は、実技が行われ、クラブチームで市民ランナーに現場で教えている講師によりウォーミングアップのやり方についてレクチャーがあり、とても参考になった。

■2021年3月19日(金曜日)
 関西大学の小田伸午先生による「走りの進化論」というDVDを見て、とても面白かったので学生に話をして昨日から試してもらっている。じっくりと話しを聴いてくれる学生には良い変化があり、適当に聞いてくれている学生には何も変化がないという感じ。
 最も面白かったのは、主観と客観を合わせる必要はなく、むしろ真逆な場合もあるということ。普段走るときの股関節や膝関節の回転のイメージは前回転で、自転車のペダルをこぐようなイメージなのだが、それを、逆回転にするイメージで走ってみるという提案がDVDの中にあった。このイメージの転換で、小田先生が京都大学に勤められていた際の学生さんが、競歩で日本代表になったという話があった。自分が試してみると急に脚が軽くなり、脚の回転も上がるように感じた。100mの学生は、普段よりも骨盤が良く動くようになると同時に、全く蹴らないで進める感じがあると話し、走り幅跳びの選手は、踏切の際に、地面と戦わなくなり、ジャンプした後の重心位置が自然なポジションになり、空中で考える余裕ができると話してくれた。実際にジャンプを見ていても、イメージを変えた際には、伸びやかさがあり動きが違った。そして通常のイメージと新たなイメージで跳んだときの着地の場所が5歩程度の短助走なのに足1つ分違っていて、逆回転イメージの方が頑張っている感覚がなく結果が良かった。カール・ルイスやマイク・パウエルといった走り幅跳びで9mに近づいた選手たちが跳び上がる時も、地面をたたきつけるというよりも體をすくい上げるようなイメージに見え、学生の跳び方の違いを見せてくれたことで、逆回転イメージの方がフィットするように感じた。自分たちの常識が覆され、體が欲しているのはどちらかということは明らかで、学生も體が発している声に耳を傾けた方が正しいのではないかという実感があったようだ。

■2021年3月18日(木曜日)
 年に1回、学生たちが運営する雑誌委員会から小原台という雑誌が発刊される。テーマが設けられ、学校首脳部の方々がそのテーマに沿った文章を載せている。その中で図書館長の文章にハッとさせられた。
 「人間の目は、顔面についているので、自分で自分の全体を見ることができない。だから鏡を必要とする。人間にとって自分こそが最大の盲点であり、私たちは、他なるものを通してしか、自分を知ることができない。」自分を定義するものは何か。それは自分を除く全てものということになるという話を思い出した。
 ブレないことがもてはやされるが、それは完成されているもので、学ぶことがもはやない時に初めて成り立つというような内容の文章もあった。人は完成されたものではなく、誰しも何かにとらわれていて、その自分から離脱する力を発揮することで成長がある。そのための手段の一つとして読書がある。「読書の醍醐味は、自分が変えられること、自分が打ち砕かれることにある。ソクラテスの「自らの無知を知ること」を忘れてはならない。」とあり、読書に解決の一つを持ってくるところが、さすが図書館長だと思った。
 最後に「異なった考えを持つ人の話に耳を傾けること、読書に励むことなど、努めて自分が打ち砕かれるリスキーな状況を作って欲しい」と締めくくられていた。異なった考えを持つ人の話は、耳が痛く、どちらかといえば聞きたくないと思いがちだが、その時こそチャンスなのだということを改めて学んだ。現実にそういった場面があったりするので、自分を成長させてくれるチャンスだと認識し、そういった人の話に耳を傾けていきたい。

■2021年3月17日(水曜日)
 妻が昨日小学校のPTAの仕事で学校へ行った際、長い間顔を見せなかった方が久しぶりに顔を出して、どうしたのか聞いたところ、新型コロナに感染していたということを知らされたという。最初はおじいちゃんが感染し、その後、幼稚園の子どもが感染し、最後に本人が感染したという。おじいちゃんは症状があり、辛い思いをされたようだが、症状が出たのはおじいちゃんだけで、本人や子どもは無症状だった。同時に感染したのではなかったため、家族で3週間ほど外に出歩けなくなったとのことだった。その間どうやって買い物をして生活していたのだろうかということが氣になったが、そういうことは話せなかったそうで、新型コロナに感染して、ご近所に感染したことを話すことはないだろうから、ネットショッピングで宅配してもらったのではないかと想像した。子どもたちは、3週間家に閉じこめられるという状況は、相当なストレスだっただろう。元氣なのに感染者。主観と客観の大きな食い違い。人はそこに大きな違和感を感じるのだろうと思った。

■2021年3月16日(火曜日)
 中国では、最近10年で最大規模の黄砂が飛散し、北京市は相当な砂埃で黄色く霞んだようだ。天気予報でも西日本や北日本では、大雨の後黄砂が飛散するという予報が出ていた。関東だけは雨も降らず、黄砂は到達しないようだ。
 伊勢雅臣著「世界が賞賛する日本人が知らない日本」を読んでいるのだが、日本は国土面積に占める森林の割合が65.8%で、中国は、21.5%なのだという。森林があれだけ広大な土地の20%ほどしかないということに驚いた。中国では、それだけ人間が自然に手を加えてしまったということなのだろう。自然と共に生活してきた日本人にとっては、国土が砂漠化するということは身近なことではなく緑豊かなことが当たり前なのだが、どれだけ恵まれた環境なのかということを実感するニュースだった。

■2021年3月15日(月曜日)
 男は大黒柱と言われるが、女については全く聞いたことがなかった。女は敷石だという。陰陽という言葉があるが、男が陽で、女は陰とのこと。女は敷石の意味としては、縁の下の力持ちということのようだ。そして、男は1歩前、女は3歩下がるという言葉もあるが、男は、孫悟空のお釈迦様の手の内でいい氣になっているのと同じく、女性は下がったふりをして男を手なずけているというのが実際のところ。NHK「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で、東日本大震災で被災した海鮮丼のお店について、震災前と震災後の映像が出てきたのだが、威勢のいい雰囲氣の旦那さんが、震災後、元氣がなくなり落ち込んでいる時に、女将さんが強氣で支えたというエピソードが紹介されていた。女将さんは危機な時ほど「女は強い」と話しているのが印象的だった。いざというときに頼りになるのは女性なのだろう。男女それぞれに役割があり、性差には意味があるはず。男女平等といって何でも同じとなると、性別の意味がなくなってしまう。昔から言われていることを古くさいというのではなく、現代まで語り継がれてきた意義を考える必要があるのだと思う。

■2021年3月14日(日曜日)


今年最初の苺の収穫
 落ち葉堆肥の空気の入れ替えを行った。1ヶ月近く放置している間に、堆肥は体積が小さくなった。その分、密度は高まったということなのだろう。先月までは、堆肥の真ん中あたりの異臭がきになっていたが、その臭いもかなり治まってきた。まだ臭いはあるので、今回は、使った後のコーヒーの粉を撒いて消臭剤とした。先月までは、2時間以上の重労働で右腰ばかりが痛くなったのだが、今回は、意外と楽にでき、1時間20分ほどで作業が終わった。まだまだ土にはなりきっておらず、落ち葉のままだが、色は完全に土の色になった。まだまだ熟成は必要だが、少し前に進んでいる氣がして、楽しみになった。

■2021年3月13日(土曜日)
 午前中は、小学生の陸上教室の事務作業。久しぶりに大勢のスタッフと会って話をすることができた。この1年は、緊急事態宣言の影響もあり、約40回の教室は、半分ほどしか開催されなかった。その割には出席率は高かったようだ。主な大会は、市の選手権と市民体育大会の2つだけで、全国大会へ行きたいと思っていた子どもたちにとっては物足りないシーズンになってしまったのかもしれない。今年は、今のところ、昨年とは違い、大会や記録会は、開催されるところが多そうなので、中学で陸上部に入って、6年生の時の物足りなさを補ってもらえればと思う。
 久しぶりにたくさんの人と同じ時間を共有し、他人のありがたさを感じるとともに、人と会う事への負担も感じた。自宅に帰った後は、ドッと疲れが出て、昼寝をしてしまった。マスクなしで人と会って話すというのが当たり前だったのに、人とはできるだけ会わず、会うときはマスクをしてできるだけ短い時間におさめるというのが当たり前になってしまったのだろう。慣れというのは怖いと思った。

■2021年3月12日(金曜日)
整形外科へ受診。昨日よりは腫れは引いたが、明らかに右膝は浮腫んでいた。右膝の屈曲伸展は違和感はあるものの可動域は左と大きく変わることはなかった。しかし、走ると腫れてしまうという状態では、練習が継続できない。もう一度MRIを見返して、先生は若干氣になる写真を示してここが怪しいと教えてくれたが、手術して痛みが取れたとしても、また同じようになる可能性があり、痛みに変化がない場合も考えられ、なかなか手術をいましょうと言い切れないと言われた。先生は今月で病院との契約が切れ、来月からは大和市で診察することになるため、今日が最後の診察となってしまった。来月は、院長に見てもらうこととなったが、次の診察まで、自分の膝と向き合いながら、改善を目指す、自分のやることはそれだけなのだろう。

■2021年3月11日(木曜日)


左右差があります
 学生が1000m×2をするというので、その後ろにつかせてもらい600m×2を走った。ウォーミングアップの段階では膝に違和感があったが、ダッシュをしすると違和感はあまりなく、不安を持たずにスタートすることができた。
 学生のペースはとても安定していて1本目は1周目が66秒台。思っていたよりも楽なペースで学生との距離が詰まりそうでスピードを落とさなければならないくらいだった。しかし最後の100mは、急にハムストリングスが張りだした。タイムは1分38秒8で、最後までイーブンペースで走り切れた。2本目も同じペースで走れたが、2本目の方がハムストリングスの張りは強く、フィニッシュまでギリギリで動かし切った感じだった。
 久しぶりに氣持ちよく走れ、これで少しずつ競技復帰への道に向かっていると思えたのだが、帰宅後、風呂に入ろうとしたときに、右膝がかなり腫れていることに氣がついた。右膝は象のようになり、完全な曲げ伸ばしが困難で、左右で全く別の脚になっていた。湯船に入るのは止め、氷嚢がないので、湿布で処置した。明日以降どうなってしまうのか様子を見守るしかない。

■2021年3月10日(水曜日)


人間観察中
 今日は東京大空襲が行われた日。戦闘員も非戦闘員も関係なく無差別爆撃が行われた。これにより多くの戦災孤児が発生した。朝日新聞の「東京大空襲で孤児に 大使館から海老名産に届いた手紙」という記事によると、落語家・初代林家三平さんの妻海老名香葉子さんも戦災孤児のひとりだったという。当時は、遺族証明書や罹災証明書がどこでもらえるかもわからず、今も正式な遺族として認められず、都の毎年開催する慰霊祭には招待されていないとのことだった。当時の孤児も現在は後期高齢者となり、当時の記憶を語り継がれているだろうが、経験者から直接話を聞くための残された時間は少ない。
 日本本土の空襲は200以上の都市で行われ、被災人口は970万人に及んだとWikipediaには記載されていた。広島と長崎の被害は最も大きいので目立つし、今でも原爆が投下された日の報道は続けられている。横須賀市は、軍関係の施設が多かったためか、頻繁に襲撃を受けているが、他の都市と比較すれば被害は少なかったようだが、調べてみて襲撃された回数があまりに多く驚いた。
 東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイは、人道に対する罪を問われてもおかしくない人物だが、航空自衛隊の育成に協力があったという理由で1964年に日本政府は勲章を贈っている。空襲のことは水に流したということなのだろうが、遺族は納得がいかないのではないかと思う。

■2021年3月9日(火曜日)


陸上競技部
 久しぶりに自重でのサーキット・トレーニングをした。段差に片足を置いて、ジャンプをする動作は、続けていく内に内側広筋と大腿直筋の間に違和感が走り、急激に大腿前面に力が入らなくなった。違和感を抱えながらも、とりあえず動作はできているので、無視して最後までやりきった。その後ジョッグを始めたが、すぐに膝に痛みが出て終了。ゆっくりな動きをしている時の方が痛みが強く、ダッシュに近い動きの方が痛みが緩和する感じがある。なかなかはっきりしない症状だ。

■2021年3月8日(月曜日)
 緊急事態宣言が今日から2週間延長となり3月21日までとなった。学校や塾などは、通常通りで変化はないが、営業自粛を要請されている飲食店等はさらに2週間乗り切らなければならない。塾や学校の方が、飲食店よりも滞在時間が長く、問題がありそうにも思えてくるが、飲食をすることによりマスクを外し、飛沫感染しやすいからなのだろうか。以前は、3密回避のために近づくのは15分という時間が強調されていたが、最近はあまり言われなくなった。学校や塾では15分以内は不可能だからなのだろうか。職場の卒業式は、3月21日なので、今年も学生だけの卒業式で父兄はオンラインで見守るということになるのだろう。
 海外からの変異ウイルスが国内でも発生し、変異ウイルスが各地で確認されている。3月25日からオリンピックの聖火リレーが始まる予定となっているが、聖火ランナーとなった有名人が辞退を表明したり、関係者は落ち着かない日々が続いていることだろう。オリンピックを開催するには選手選考をする必要があるのだが、各国で選手選考会が開ける状態なのだろうか。日本だけができても各国で代表選手が決まらなければ開催する意義はなくなってしまう。観客を入れるか入れないかでチケットの販売をどうするかという問題もある。開会まであと5ヶ月ほど。不確定要素が多く、決断をするリーダーたちへのプレッシャーは想像ができない。

■2021年3月7日(日曜日)


つくし発見
 昨夜は、時々鼻が詰まって呼吸ができなくなったり、逆に鼻水がたれてきて目を覚ますことがあった。その時に鼻よりも気になったのは、目やに。目やにがたくさん出て、まつげに絡まり目が開けられない。これほど目やにが出ることはあまり経験したことがない。
 朝、犬の散歩に出かけたときには、昨日よりもかなり寒かったためか、寒さで涙が出てきて、その涙が乾きながら目やにとなってしまった。目やにが乾いて固まると、皮膚が引っ張られ不快となる。目がかゆいとすぐに目を掻いてしまう。それが炎症の元だということで、妻からはお叱りを受け、目薬を使用したが、涙が止まらない1日中鼻水、鼻づまりが続き、まさに花粉症の症状。妻は、昨日は微熱、頭痛、鼻づまり、喉の痛み、長男も喉の痛み、次男は、鼻水、鼻づまり、喉の痛み。みんな、今日は昨日よりはマシになったようだが、本調子ではない。三男だけは元気だ。

■2021年3月6日(土曜日)
 三男の担任の先生は、毎日A5サイズのお便りを配布している。子どもたちに向けたものではなく親に向けた内容で、ひたすら字で埋め尽くされている。これだけ文章がかければ本がかけてしまうのではないかという程の量。妻は毎回読み通しているようだが、自分はたまに読む程度。先生の様々なことに対する想いが溢れる内容となっていて、そうした想いをベースに子どもたちの教育をしてくれている。子どものいるベテランの先生だからこその配慮があり、昨年は、大学を卒業したての新任の先生が担任で、子どもたちにとって困ったことがたくさんあった。そうしたことから、今年は、特に先生の存在はとても重要だと思うようになった。
 子どもたちの中にある様々な壁を取り払い、何でも自由にでき話せるクラスとなった。宿題をやるかどうかは自由。子ども同士の問題が発生すれば、子ども同士で話し合わせ、ルールを考えさせるなど、常に子どもが主体的に行動するよう促す。最初は、無秩序状態だったようだが、年度末になり、クラスがまとまり、勉強も熱心に取り組めるようになり、子どもたちの教えたことに対するのみ込みも早かったようだ。
 昨日のお便りは、家族の中で意見は割れてもいいというような内容だった。父と母が違った意見でも、子どもは、その時々で、どちらの意見の方が自分に合っているか判断すればいいし、第3の道もある。自分で選択したということが重要で、親の意見が一つしかないよりは、多様性の中で生活した方が主体的な生き方ができるのではないかというメッセージだったのではないかと感じた。妻と意見が違いケンカになることがあるが、一致する必要はないというメッセージはとても新鮮だった。それが相手の意見を尊重することにつながるのだろう。

■2021年3月5日(金曜日)
 学生たちが200m×10のインターバルをするというので、4ヶ月ぶりに学生と一緒に走らせてもらった。つなぎの200mが60秒のジョッグということで、とても対応できないため自分はつなぎを歩き1本おきに走った。
 ペースは30秒程度ということだったので、昨日一人で走ったペースと同じということで、比較的余裕を持って走ることができた。タイムは31秒2、31秒7、30秒7、30秒0、30秒0。最後の1本は、ハムストリングスへの疲労が急激に高まり、脚が動かしづらくなったが、大腿四頭筋の疲労はなかったため、失速することなく走り切れた。走り終わった後は、久しぶりにケツ割れ寸前の状態で、歩くのが辛かったが、走った!!という達成感があった。
 4ヶ月前のことを振り返れば、走っているだけで素晴らしい。状態は少しずつだが良くなっている。希望を持って自分のできることを続けていこうという氣分になった。

■2021年3月4日(木曜日)
 2週間ほど前にトラックを速い速度で走って以来、膝が腫れて痛みも続き、なかなか走れなかった。今週も何度かジョッグを試みたが、すぐに痛みが氣になり、止めてしまうことが続いていた。ジョッグをする方が短い距離を走るよりも痛みが氣になる傾向にあるので、今日は、ジョッグせず、ウォーミングアップで骨ストレッチをして、いきなり200mを走ってみた。2週間前のダメージがあるためか、若干膝の痛みが氣になるが、ジョッグしているときよりもましな痛みだった。止まる時に、最も痛みが強くなり、負担が大きいことがわかったが、走り出せばまた痛みは緩和するということで、歩いたりジョッグしたりして200mをつなぎながら結局3本走ることができた。31秒9、30秒6、30秒1で少しずつタイムも上げることができた。
 その時々で痛みが緩和したり、痛くなったりするのだから、物理的な問題ではないのかもしれない。脳が都合よく痛みを勝手にコントロールしているように思える。別のことに氣を取られ痛みを忘れてしまうということが、復帰への近道なのかもしれない。

■2021年3月3日(水曜日)
 緊急事態宣言が3月8日以降も2週間程度延長されるようだ。理由は病床が逼迫していることなのだという。期限が3月21日までということになる。3月20日と21日に都内でランニング学会が開催される予定で、来場でもオンラインでも参加できるということで、今回はオンラインを選択していたので影響はないが、来場にしていたら、参加取りやめとなるところだった。
 3月25日からは、東京オリンピックの聖火リレーが始まるという。それができなければ、オリンピックどころではないという話になってしまうので、延長により3月21日までに陽性者数を抑えて、聖火を行おうという意図もあるのだろう。しかし、日本の状況が良くなっても、海外の状況が改善せず、各国で代表選考会ができない状態であれば、開催しても選手が集まらず盛り上がらない結果となる。ジャマイカ短距離のブレイク選手は、ワクチンを打つことが出場条件となるのであれば、参加はしないというコメントを出していた。大会を運営する側は、あらゆる可能性を考えて動いているとは思うが、表に出てくる情報としては開催するという結論ありきで動いているように見えてしまう。何から優先していくかという優先順位を開示してもらえると、とてもわかりやすくなるのではないかと思った。

■2021年3月2日(火曜日)
 J-WAVEの「JAM THE WORLD」で青木理さんと宮台真司さんが対談をしていた。途中から聞き始めたので何がテーマなのかはわからなかったが、日本では、以前は「死」が身近なものだったのに、「死」を見せないようになってしまい(青木さんはそれをクレンジングと呼んでいた)、それが当たり前になってしまったというような発言をされていた。「死」と「生」は裏返して表裏一体。「死」がクレンジングされてしまうと「生」ということについても深く考えられなくなるのではというような会話もあったように記憶している。
 解剖学者の養老孟司さんが、何かの本で、死には3種類あると書かれていた。まずは第一人称の死。これは自分の死なので認識できない。次に第二人称の死。これは自分の知っている人の死。ここがもっとも、感情移入する死であり、「死」というと最初にこれがもっとも身近な死と言える。最後に第三人称の死。これは、自分の知らない人の死。マスメディアの報道で何かの事件で何名が亡くなったといわれたときに、漠然と認識する死。海外では亡くなった人の映像を映し出すことはあるが、日本では、ほぼない。三人称の死は、まさにクレンジングされ、その情報を聞いている人にあまり死を意識させないようにしている。
 病院関係者は日常に死を実感することは多いかもしれないが、一般の人が実感するのは、身近な人が亡くなったときで、葬儀場できれいにお化粧された状態のご遺体を見る機会くらいしかなく、飾られた状態で、ありのままを見ているわけではない。そういった意味ではこれもクレンジングという状態なのかもしれない。
 父は、自分の死後、医学に貢献すべく献体することをすでに決め、家族全員の了承を得ている。昔からいつ死んでも後悔はないと話していたが、「生」と「死」が表裏一体だということを認識した上での言動なのかもしれない。ラジオでの二人の会話を聞いて、「生」の意義を見いだすには、「死」について考える必要があることを再認識させられた。

■2021年3月1日(月曜日)
 小学館の図鑑NEO「地球」の中に「地球とわたしたち人類」という項目があり、その中に、「汚染される地球①-化学物質」というページがある。石油や石炭などを原料とした化学工業により、さまざまな化学物質が作り出され、生物に害のあるものや、いつまでも自然にもどらないものも作り出されてしまったとされ、一般的な家庭における化学物質の使用状況について、絵を使って説明がされている。
 「接着剤や印刷のインクに使われているトルエン、合成洗剤の主成分、防虫剤の原料などは川や大気を汚す原因となっている」と書いてある。最も氣になったのは、次亜塩素酸ナトリウム。家庭においてはカビ取り剤や台所用漂白剤として使われているという。新型コロナが流行り出してからは、そういった使われ方よりも消毒剤やウイルスの除去・除菌剤として使われているというイメージが強いが、新型コロナのように膜を持つウイルスにはあまり有効ではなく、膜のないノロウイルスのようなウイルスに有効で、嘔吐物の処理に向いているようだ。
 家中に化学物質が使われていて、化学物質が使われていないところはないのではないかと思うほど。シンプルに木だけをくみ上げたログハウスがとても自然な建物だと思えてきた。
 この図鑑は、印刷のインクに言及していて、化学物質がよくないことを示さなければならないためか、この図鑑の印刷にも油が使われているが、大豆から取った油も加えられていると、言い訳をするような記載がなされていたのが面白かった。



[昔のいずみ]