最近のいずみ

Last Update:2021/4/30



パートタイムアスリートいずみ 21年目に突入 

■2021年4月30日(金曜日)
 膝の痛みは、自分に何を氣がつかせようとしているのか考えなければならないと人に話したところ、それを聞いた人からは、他の人と比較すると、自分は練習で限界に追い込むことができてしまうので、體を酷使しすぎないように痛みを出しているのではないかとのご意見をいただいた。自分では追い込みきれていないと思っているのだが、他人から見れば、走っている最中や走り終わった後に嘔吐している姿を見て、相当な追い込み方をしているように見えるのだという。追い込ませないようにしたいと思う自分が自分の中にいるのだろうか。それが痛みの目的であったとすれば、常に痛みがあるのではないかと思うのだが、短い距離を走っている時は、あまり痛みがないし、日常生活でも痛みがあったりなかったり。
 自分の考察は、痛くない時の姿勢がどういう姿勢か、體に負担のない姿勢を学ばせるために痛みを出しているのではないかというもの。痛い時には、その姿勢は良くないということを體が教えてくれているように感じる。何のための痛みが、まだまだ深掘りしていこうと思う。

■2021年4月29日(木曜日)
 朝から雨が降り続き、1日家で過ごした。犬の毛が伸び、2ヶ月近くトリミングをしていないので、妻と長男に手伝ってもらい、3人でトリミングをした。以前、足の裏の毛とお尻の毛はトリミングをしたことはあるが、今回は、それに加え、脚の飾り毛とお腹の下側、後ろ足の周り、胸毛のトリミングにも挑戦。
 バリカンの音を聞くだけで犬は不安になり、バリカンが毛を刈りだすと逃げだそうとするので、2人がかりで押さえた。それがさらに不安をあおる結果となるのだが、途中で休憩してご褒美を与えながら、1時間近くかけてやりきった。そして、バリカンで毛を刈った自分には、犬は近づかなくなってしまった。トリミングだけでもかなりのストレスだったのだが、風呂場でシャンプーをすることになり、さらにストレスを与えてしまった。
 全てが終わった後、ゲージへ戻すと、ひたすら床をひっかく動作をして、どれだけストレスを抱えていたかを表現してくれた。毛を刈ることもシャンプーをすることも人間の都合なので、その姿を見て、申し訳なく思った。

■2021年4月28日(水曜日)
 東京オリンピック・パラリンピックの大会組織委員会など5者による会談が開催され、観客の上限について話し合われた。状況が許せばより多くの観客に見てもらえるようにとの考えを持っているが、医療に支障をきたすようであれば、無観客にする覚悟も持っているとのこと。これについては6月の早い段階で決定する予定だという。
 日本医師会の会長は、東京オリンピック・パラリンピックに看護師の協力を求めていることについて、ワクチン接種でも不足していることから、協力は難しい旨のコメントをしていた。
 関係者が氣持ちよく協力して行けなければ、大会を円滑に運営することは難しいと考えられるが、現時点では、協力体制が不十分ということになりそうだ。
 日本国内では代表選考会が開催されているが、海外でも同様に代表選考会が開催されているのだろうか。種目によっては、世界選手権や世界ランキングにより選手選考がなされるので、国際大会が開催できない状況では選手選考は難しいのではないかと思うのだが、実際はどうなっているのか氣になるところだ。

■2021年4月27日(火曜日)


学校にあった石像
 子どもの学校の保護者会に初めて出席した。昨年は新型コロナの影響で開催されなかったらしいが、今年は、体育館で、距離を開けた座席が用意され、学年ごとに開催された。
 最初に、昨今のジェンダーフリーを意識して、制服が変更されることについて説明があった。在校生には変更はないが、今後は、男女兼用の制服となるらしい。男女兼用ということはスカートではなく全員がパンツということになるのだろう。
 今年は職場体験が行われる予定だったが、受け入れ先の企業側が躊躇すると共に、学校側も生徒の安全への配慮が難しく中止が伝えられた。今年も修学旅行を先送りにするなど、新型コロナの影響は大きいことを実感した。
 学年の担当の先生が全員前に立ち、先生の名前や担当教科等についての紹介があった。マスクをしているので顔ははっきりはしないが、先生たちがとても若く見えてしまった。実際担任の先生はまだ大学を卒業して2,3年というところなので、間違いなく若い。クラスの目標を語られ、先生に理想があるということはわかったが、子どもたちには難しそうで、それについて1年をかけて考えてもらい、それぞれが答えを出してもらうとのことだった。我が子は、2年連続で同じ担任で、昨年も同じ目標だったので、1年間かけて何か答えは出せたのか聞いてみたが、何もないと言っていた。また1年、答えの見つからないことを問い続けられることになるのだろうということが想像できた。
 学業に関しては、全ての教科で1年間のシラバスが配布され、何を重視して評価をするかということが明確に書かれていた。自分が子どもの頃は、こういったことがはっきりしていなかったので、わかりやすくていいのかもしれないが、先生たちには、先生の色を出す自由度が極端に減ってしまっているのではないかと思えた。

■2021年4月26日(月曜日)
 先週は、膝の痛みの影響であまり運動ができなかったが、今週からまた練習再開。練習は、10分ジョグ後、サーキットトレーニング。先週までよりも動きが良くなり、タイムが上がった。その後、4000mペース走。1000m当たり3分50秒くらいのペースを予定していたのだが、相変わらずペース感覚がなく、最初の1000mは3分32秒2。意外と走れると喜んでいたのだが、オーバーペースだったためか、その後のラップは3分49秒0、3分49秒9とだいたい予定通りのペースにおさまった。最後は、意識的にペースアップし3分36秒4まで戻し終了。2000m手前で嘔吐し、その後も頻繁に嘔吐しながらの走りで、とても苦しかった。これで練習を終わりたいと思ったが、その思いを振り切って最後に300m。タイムは43秒5。だいたい感覚と一致していたが、かなり辛かった。

■2021年4月25日(日曜日)


タンポポの根
 夏休みの自由研究を視野に入れ、三男と近所にある植物を使って、様々なお茶を作ってみようという話になり、今収穫できるものを収穫しに出かけた。まずは、庭の垣根のウコギ。これは、新芽がお茶になる。今までも何度か作ってきた。次にヨモギ。これは、家を出れば、どこにでも生えている。犬のオシッコがかかっていないちょっと高い場所にあるヨモギを狙って収穫した。最後は、タンポポの根。これはタンポポコーヒーになるとのこと。家の近所を歩いてタンポポを探したが、最初はなかなか見つからなかった。しかし、大量に生えているところには生えていて、公園に綿毛になったタンポポや、すでに綿毛が飛んでしまったタンポポを発見し、根を収穫した。
 収穫後は、水洗いし、とりあえず天日干し。次は、ドクダミが花を咲かせたころにドクダミの収穫を予定している。まだまだお茶にできる植物を探してみようと思う。

■2021年4月24日(土曜日)


東電火力発電所
 Zoomで懇親会をし、和紙の話を聞いた。高知県で手すきにこだわり、手間暇かけて和紙を作っている方を訪ね、その製作現場を見せて頂き、その人の作った和紙は、上腕二頭筋に巻くと、肩が下がり、上腕二頭腕の筋肉が緩み、作った本人も驚いたという。人の思いが詰まったものは、目に見えない力があるということの証明のような話だった。
 これからは人の思いが敏感になる時代で、しっくりくる場合としっくりこない場合ではっきり別れる時代なのだという。作り手の思いがわかるのが人のセンサー(五感)。会って氣持ちが良いというのが大事なこと。直感が大事なのだろう。アメリカのインディアンの中には、直感を骨で感じるという話があるという。骨ストレッチに通じる何かがあるように思えた。

■2021年4月23日(金曜日)
 「ブレイン・フォグ」という言葉を知った。3月22日の日本経済新聞「コロナ後遺症 脳に霧が」という記事に掲載され、頭の中に霧がかかったような状態になり、考えたり、集中できなくなるのだという。発症の仕組みはよくわかっていないとのことで米国で調査が始まっているという。
 心理関係の研究をされ、著書がある梯谷幸司氏によるYouTube動画によると、コロナ後にこの症状を発症した人を募集し話を聞き、共通点があることがわかったという。自分に起きる現実に対して、私はなすすべがないという無力感のある人、身の回りの現実のうまくいかない原因が見えないところにあると信じ込んでいる人、身の回りの現実を過去基準で見ている(なぜそうなんだと問うなど、うまくいかないことの原因探しをする)人たちにブレイン・フォグが起こっているようだ。
 その現実が何のために起きているの?どういう目的で起きているの?という未来基準がない人に多いと言い換えることができるという。見えないところに原因があるということで、自分の中に霧が立ちこめてしまっている。「なぜそうなんだ?」は言い訳探しで原因は見つからない。そもそもこれが原因ではないかと梯谷氏は語っていた。
 また、成長することの定義を間違えている人が多く、成果がでなければ成長ではない、価値がないと思いこんでいる人が多い。失敗したくないという人も多く、やりたいことを考えなければ失敗はない。脳に霧を立ち込めることでやりたいことを見ないようにして、やりたいことがわからなくなり失敗をしない。まさに人間の嗜好に合うように體が現実を作っている。そもそもが視点がずれているので、解消は未来基準で考えれば良いとのこと。
 この話を聞いて、自分も成長の定義が間違っており、子どもたちにもこの定義を押しつけていたのではないかと反省した。自分の膝の痛みも、何のために起こっているのかを考えてみる必要があることがわかった。

■2021年4月22日(木曜日)
 東京や大阪では、来週には、3回目の緊急事態宣言が発出されるとの報道がなされている。緊急事態宣言を発出する場合には、自粛を基本とした対策ではなく、強力な覚悟のいる厳しい対策が必要だと専門家は述べていた。昔言われていた「欲しがりません勝つまでは」が、現代版としてよみがえってきた感じがする。終わりのない、出口のない非日常が1年以上続き、これが日常と成ってしまっている。厄介なことにこの戦いは目に見えないため、実感がない。公の場でマスクをしていなかったり、集団感染が判明すると非難され、ある意味非国民のような扱いを受ける。ウェブ上ではそれに異を唱える人はいても、報道が皆同じ方向を向き、巨大IT企業は言論統制をし、異論を許さない雰囲氣が作られている。世の中の雰囲氣というか、空氣が変わってしまった。渋沢栄一の「論語と算盤」ではないが、公益とは何かを改めて考える時期に来ているのだと思う。

■2021年4月21日(水曜日)
 YouTubeで自民党の勉強会の動画を見た。元東京都知事で作家の猪瀬直樹氏が講師で「昭和16年夏の敗戦・日米開戦」というテーマだった。
 昭和15年に総理大臣直轄の総力戦研究所が開設され、各官庁、軍、民間の若手エリートが集まり、模擬内閣を作り、対米戦争を想定した机上演習が行われた。その際、様々な見積もりが行われたのだが、石油等の燃料がどれだけ確保できるかというのが重要であり、燃料が国内では調達できず東南アジアへ進出して現地調達となった場合の見積もりもなされ、現実に即した見事なシミュレーションだった。現地で石油を増産してもそれを日本まで船で運ばなければならず、輸送中に船が撃沈される率、日本での造船能力等から、日本が現実的に準備できる燃料の見積もりが算出され、開戦後1年で戦えなくなるとの結論になったという。しかし、現実の政府の試算は、撃沈される船のことを考慮せず、現地調達の石油の量を希望的に見積もり、年々増産させ、3年は燃料がキープできると試算した。猪瀬氏は、当時の政府試算の責任者に直接インタビューし、戦うのを前提で試算したのではないかと問うたが、当時の責任者は、戦争はしたくないので、そうはならないように試算したと述べたようだ。陸軍は、アメリカとの戦争は、海軍がするのであって陸軍は関係ないという態度だった。最終的に海軍が開戦の決断をすることになるようだが、海軍は開戦するともしないとも言わなかったという。開戦しないと言うと、莫大な予算が回ってこないため、開戦しないとは言えなかったのではないかという考察だった。戦わないと言い出した場合、予算が獲得できないだけではなく、言った本人は、左遷され出世からは外れるなど、人事面からも決断を先延ばしするような空気感があった可能性もあり、NOと言える人が海軍にはいなかったことが敗戦への道をたどる要因の一つとなったようだ。 

■2021年4月20日(火曜日)
 昨日よりも膝の痛みが強くなった。走るのは辛く、走ることはできず。サーキットトレーニングだをやった。ジャンプ系の運動では、膝に響く感じはあるが、痛みで継続できないという感じはなかった。1、2セット目は安定した動きだったが、3セット目は疲労が出てきてタイムが落ちた。
 骨からしみ出すような痛みは何なのだろうか。常に痛みがあるわけではなく、痛みのない時もある。痛みが出るときと出ないときの違いが何なのかがわからない。しばらくはそれを探る毎日になりそうだ。

■2021年4月19日(月曜日)


富士山
 土曜の疲労で腹回りとハムストリングスが若干筋肉痛。筋肉痛の部位から考えれば、理想的な部位に刺激が入っていることがわかり、順調だと自分の中で納得。土曜の夜は、以前ほどではないが膝の腫れがあり、その回復に注目していたのだが、最近は、夜中に微弱電流を流しっぱなしで寝ている成果なのか、比較的腫れの引きがよく、こちらも以前よりも回復が早いということで順調なことを今日の時点で実感した。それでも土曜のダメージは大きく、膝は、骨の内側からしみるような痛みがにじみ出て、歩いていても感じてしまう。しかし、今日はなんとか30分ジョグでき、最後にスピードはあまり上げられなかったが200mも29秒4で走れた。1週間に走れる回数が少しずつ増やせている。1ヶ月後に競技復帰したい。

■2021年4月18日(日曜日)
 家族が全員起きるのが遅く、まずは朝食のスープを作り、その後、ゆったりと犬の散歩をした。晴れ渡った休日の空は清々しい。
 朝食後は、久しぶりに落ち葉堆肥の空気の入れ換え。相変わらず悪臭を放つ部分があり、きちんと発酵が進んでいないところがあることを実感した。使い終わったコーヒーの粉をふりかけて臭い消しをした。まだまだ落ち葉は形が残っているが、作り始めて頃と比べると、土らしく変色してきている。これを使うと土がふかふかになることが想像でき、使うのが楽しみになってきた。
 夜は昨日用意しておいた鶏むね肉を使い、夕食を作った。普段鶏むね肉は、脂があまりなくパサパサの印象だが、今日は、パサパサ感が氣にならないようにした調理だったため、子どもたちには好評だった。作りすぎてしまったことで、明日以降の弁当のおかずにも採用されることとなり、少しだけ妻の助けになったということで平穏で満足な1日だった。

■2021年4月17日(土曜日)
 半年ぶりにスパイクを履いて走った。メニューは300m×3。休息は7分。ウォーミングアップの時には、若干膝の痛みはあったが、スパイクを履いて走る時には、特に何も感じることなくスタートラインに立てた。1本目は40秒9。前半は余裕があったが、残り30mくらいで動きが止まった。2本目は41秒4。1本目と同様前半は余裕があったが、残り50mで動きが止まり、もがくしかなかった。3本目は、ハムストリングスが張って最初から全く動かず、ジョグをしているような感覚。学生たちにも大きく離され45秒4。まともに走れた感覚はなかったが、走った直後は、ハムストリングスとお尻が張り、久しぶりにケツ割れに近い状態になった。
 その後もジョグでき、膝へのダメージはあるのだろうが、以前よりは少なくなっている。少しずつだが回復傾向にあることが確認できた。

■2021年4月16日(金曜日)
 NHKEテレで、何となく「にっぽんの芸能」という番組を視聴した。アニメ「鬼滅の刃」の影響で、鬼について注目が集まっているとのことで、「鬼の棲む国 日本〜古典芸能”鬼”の表現〜」というテーマで舞踊「大江山酒呑む童子」の一部が放送された。
 「大江山酒呑む童子」は、天台宗の開祖最澄が比叡山にやってきて、元々比叡山に暮らしていた人が京都へ追い払われてしまい、京都で悪さをするようになり鬼となってしまったのだが、源頼光が、その鬼を退治するために鬼の住みかに乗り込み、鬼に毒入りの酒を飲ませて討ち取るというストーリー。
 鬼は、酒呑童子と呼ばれ、源頼光から酒を勧められ、その毒入り酒を飲んでしまうのだが、その時に、「人間はだますのか?」と人に問い、「鬼はそういうことはしない。人間の方がひどいのではないか」と言い、最後は討ち取られてしまった。確かにこのストーリーを見ていると、比叡山を押し出したのも人、だまし討ちをしたのも人。どちらが鬼なのかわからない感じもある。そういったところから、この物語では、人の中に鬼の要素があるのだということを表現しようとしていたのではないかと思った。

■2021年4月15日(木曜日)


本日の収穫
 今朝は、大量に野菜の収穫ができた。キャベツは、近所からももらうことがあり、最近は、毎日キャベツを消費しているのだが、庭で育てているキャベツも割れだして菜の花が出てきそうな感じなので収穫した。一緒に収穫したレタスと共にとても密度の大きいしっかりしたものが収穫できた。他には、イチゴ、エンドウ豆、ソラ豆が収穫できた。肥料は一切やらず、畑のキャベツとレタスについては、肥料のない土と雨と太陽が育ててくれた。豆と苺は土が乾燥するたびに水を撒いたが、あとは肥料を入れていない土と太陽が育ててくれた。人間は他の生き物から命を奪わなければ生きていけないが、植物は、自ら生長していく。改めて植物を尊敬してしまった。

■2021年4月14日(水曜日)
 朝から車の燃料ランプが、あと1メモリしかなく、ガソリンスタンドへ行かなければならない状態だったが、出勤ではガソリンスタンドへ寄ることができず、帰りに寄ることとなった。職場を出てすぐに、燃料ランプは1メモリのまま燃料マークが点灯し始めて、とても焦った。心なしか車の動きも怪しい感じになり、下り坂ということもあったので、アクセルはできるだけ踏まずに、ブレーキだけで坂を下り、なんとかガソリンスタンドまでたどり着いた。最近車は出勤だけでなく、子どもの塾の送り迎えにも使うようになり、短距離の街乗りのためかガソリンの消費が激しい。震災の教訓で、ガソリンはメモリが半分を切ったところで、できるだけ満タンに入れるように心がけているが、今回は、なかなかガソリンスタンドへ行くタイミングがなく、氣がつけば燃料切れ。毎日運転していて、メモリ見ているはずなのに、見落としていた。

■2021年4月13日(火曜日)
 子どもを塾に車で送りにいった際に車内でラジオを聞いていたのだが、それがNHKの高校講座の現代文だった。「想像する力は人をひとたらしめている力」「チンパンジーは絶望しない」という言葉が印象に残った。
 人は未来を悲観し絶望する。チンパンジーには未来を悲観するという想像ができない。人には、未来を想像するという能力があるから、希望を持てると説明されていて、なるほどと思った。未来を想像する力によって絶望を希望に変えられる。絶望することができるのは、想像する力を持っている証拠。未来のことを考え悲観的になれば、絶望という方向へ向かうが、楽観的な想像ができれば希望に変えることができる。想像する力により、悲観的になることで、そうならないための備えを準備できる。それがイノベーションのきっかけにもなる。そういった意味では、悲観的になることも重要なのだ。人は、今、目の前に見えていないことについて想像でき、自分が他人にはなれないのに、他人の立場に立って物事を想像することができる。何と素晴らしいことかと思った。

■2021年4月12日(月曜日)
 練習はサーキットトレーニングと4000mペース走。
 サーキットトレーニングの中に逆立ち歩きを入れているのだが、少しずつバランスが取れるようになり、歩ける歩数が増えてきた。ジャンプ系の運動は繰り返すと膝に痛みが出てくるが、動き自体はセットを重ねるごとに動きが悪くなることなく安定してして、こちらも進歩を実感できた。
 4000mは、4分ペースを目標にスタート。ペースは安定せず、1000mごとのラップ4分02秒6、3分53秒6、3分59秒3、3分54秒0。久しぶりのペース走で、まったくペース感覚がなかった。途中で膝が痛くなったり、痛みがなくなったり、體の中は様々な変化があった。とりあえず、ペース走をやったということだけで一歩前進。

■2021年4月11日(日曜日)
 子どもたちの年に1回の50m走、握力、垂直跳び等の計測をした。今年は、緊急事態宣言や天候の影響でで、3月に競技場で計測をするのが困難だったため、1つ学年が上がってしまい1ヶ月遅れでの計測となった。3人とも身長、体重、握力は順調に向上し、昨年は3人とも少し記録が低下していた垂直跳びは3人とも自己ベストを更新した。
 メインイベントの50m走は、例年使用していたタイム計測装置が電池切れで使えず、マグネット式のタイム計測装置で代用して100分の1まで計測した。20m〜40m区間は、1歩ごとのストライドやピッチを測りたかったが、計測装置が2年前から調子が悪く、今年も24m〜40mの区間でしか計測ができなかった。
 長男は、部活を辞めて1年以上が立ち、たまに友だちと運動をする程度で、昨年は記録を大きく落としたのだが、今年はなぜか、部活をやっていた時のレベルまでタイムを戻し、走り方やイメージの持ち方などをアドバイスしたところ、自己ベストを更新した。昨年までは、なんとなく付き合いで計測に付き合ってくれていた感じで、あまり積極的に走らなかったのだが、今年は、イメージを変えることで自分の走りが変わったのが面白かったのか、5回も計測に挑戦し、積極的な姿勢に驚いた。次男は初の6秒台に突入し、長男に迫るタイムで走ったが、長男の方が少しだけタイムは速く、長男が兄の威厳を保った。三男は、走りの姿勢が良くなり、大きくタイムを伸ばしてベストを大幅更新した。3人とも身長が伸び、それぞれ走り方が変わり、今年もそれぞれの成長を眺めることができ、幸せな氣分に浸ることができた。

■2021年4月10日(土曜日)


久里浜港と東電
 小学生の陸上スクールが始まった。現状把握と、試合に出せる子どもを抽出する目的も兼ねて記録会が行われた。種目は、100m、走り幅跳び、ジャベリックボールと800m。自分はジャベリックボールの計測を担当した。  昨日、ジャベリックボールに関する論文を読んでいて、ジャベリックボールを回転させて投擲するとボールリリース時の初速と角度から算出される理論値よりも低くなるそうで、無回転の場合よりも記録が低くなるということを知った。今日はたまたまそれを直接確認する機会に恵まれた。100名近くの子どもたちの投擲を見て30mを超える子が4名いたが、ほぼ無回転で、論文に書いてあったことは間違いないということは確認できた。どうやって無回転にするかということが、今後の指導のポイントになってくるのだろうが、今のところ、自分が無回転で投げられないので、無回転のやり方を身につけなければならない。

■2021年4月9日(金曜日)


本日の収穫
 筋肥大と筋力増強には1回しか挙げられないような重さの80%程度の重さでトレーニングをする必要があると習ってきた。しかし、筋肉の専門家石井直方先生は、日本トレーニング指導者協会機関紙JATI EXPRESS vol.81で、リハビリテーションや高齢者のトレーニングという視点からはより低負荷で、かつそれなりに効果のある方法が必要であるということから、そういった方法を紹介されていた。
 低強度でも限界まで動き続ければ、同等の効果があり、限界が近づいた最後の数回で筋肥大に関係する速筋線維が動員され、代謝的にも疲労させることができるというのが最新の知見だという。一昔前の「走り込み」や「千本ノック」のような根性でやるトレーニングは非科学的とされているは、最新の知見からは、「真に疲労困憊まで追い込む」ことができれば、その方法でも速筋線維が肥大し、筋力やパワーも向上する可能性があり、強くなることも可能だと考えられるといい、昔の人は體で感覚的にそういったことがわかっていたということが言えるのかもしれない。しかし、そういった練習に怪我をせずに耐えられた一部の人だけが能力を伸ばしていたのかもしれない。
 低負荷でゆっくりと動かし続けるというスロートレーニングも筋肥大には有効だという研究結果が出ているという。「負荷の上げ下げにそれぞれ3秒以上かけ、常に筋の緊張を維持して動作する」という方法がスロートレーニング。これは、地味で辛い印象しかなく、リハビリや高齢者のトレーニングに適しているかどうかはよくわからない。しかし、特別な器具を使わずにトレーニングができ、新型コロナの影響でなかなかトレーニング施設に行けない人でも自宅でできる運動として有効だと思った。

■2021年4月8日(木曜日)
 バイクでタバタ・プロトコルを試してみた。20秒の全力こぎと10秒の休息を連続8セット。時間にして4分。今まではあまりのきつさで動けなくなることがわかっていたので、やってみようという氣持ちにはなれなかったのだが、スピードを上げて走ることが困難な状況が半年続き、来月には試合に出たいというところで、少しずつ體に負荷をかける必要が出てきた。競技復帰のきっかけになればと思い、今まで避けていた練習に挑戦することにした。
 バイクの全力こぎは1年以上やっていないので、最初の20秒からペダルの回転に自分の脚はついていけなかった。2セット目以降は、ペダルをこぐというよりもペダルが回るのに合わせてただ足をくっつけているような感じになった。しかしハムストリングスへの負荷はかなりあり、呼吸は激しくなってきて體が持たないと思った。3セット目以降は、意識朦朧という感じで、脚に負荷をかけすぎないよう妥協している自分を感じながらの運動になってしまったが、セットを重ねるごとに呼吸はますます激しくなっていった。
 8セットを終えた後は、まともな呼吸ができず、動けなくなり吐きそうになった。その後は、耳がおかしくなっていることに氣がついた。鼓膜の内と外で圧力が違い、内圧が下がって外から押されているような感覚で、新幹線がトンネルに入った時のような感じで耳の聞こえが悪くなった。
 8セットをきちんとこなすには、時間がかかりそうだが、逃げずに継続していければと思う。

■2021年4月7日(水曜日)


本日の収穫
 次男の学校では今日生徒にChromebookが配られたという。何の授業に使うのかと聞いてみたが、次男からは、何の授業に使うのかはわからないが、パソコンの使い方を覚えるためじゃないかと話していた。ログインパスワードは自分たちで決め、メールアドレスは最初から決まっていてドメインはed.jpだったという。学内は無線LANが整備されているようで、すぐにインターネットに接続でき、子どもたちは早速Youtubeを見ていたという。
 GIGAスクール構想という計画に沿い、公立小中学校では4月以降1人1台の環境が整う予定で、文部科学省は今年度をGIGAスクール元年と位置づけているという。情報リテラシー強化と教育改革が目的なのだそうだが、端末とのパッケージでGoogleとMicrosoftがクラウドサービスを無償提供し、端末・アプリ・利用者の一元管理ツールが提供され、先生の研修にも活用できるらしい。
 最近、個人情報流出の報道が頻繁にあるが、配布されたパソコンで使用するクラウドは海外企業に依存するということでなんだかスッキリしない。できれば純国産でやってほしいところだが、そもそも次期政府共通プラットフォームをアマゾンに依存することになるという時点で、大人の事情がいろいろとあったのだろうと想像する。しかし、安全保障を考えるとそれではまずいのではないかと思えてならない。

■2021年4月6日(火曜日)
 NKHのCOOL JAPANという番組を見た。テーマは「世界が驚いたアスリート魂」。 日本に来ている外国人に日本と自分の国との比較で、日本のアスリートに対する疑問、違和感、不思議なことなどを挙げてもらうことで、日本の常識が外国人からはどのように見られているかを認識できる面白い内容だった。
 最初の比較は、日本アスリートは金メダル獲得を宣言する選手がいるが、海外ではベストを尽くすということは話しても金メダルを獲得するということは言わないということだった。宣言してできなかった場合を考えるとなかなか宣言できるものではないが、日本人は、金メダル宣言をすることで、自分でモチベーションを高めるとともに自らを追い込むことで、ギリギリまでパフォーマンスを高めようとするようだ。
 道具が素晴らしく、それを大事にし、練習の後には掃除をするというのが日本の良いところだという発言もあった。特に掃除をすることは海外ではあり得ないという。選手はトレーニングをするのが仕事で掃除は仕事ではないという割り切りをしているが、日本は、全てが教育の一環という考え方があり、外国人からは、この習慣はとても良いが、自国では難しいだろうとのことだった。
 他には、練習時間が長い、先輩が後輩を指導する、応援が素晴らしいなどが日本の特徴として挙げられていた。それぞれの国で違った歴史があり、生活スタイルがあり、長い時間をかけて作られた国民性があっての習慣あり、他国との違いはすべて日本の文化なのだと思う。

■2021年4月5日(月曜日)
 子どもたちが春休みを終え、学校が始まった。長男と次男の担任は、今年も昨年と同じ先生。三男だけが別の先生となった。三男は、ずっと男の先生だったが、初めての女の先生。母親と同じ年齢ということで、かなりのベテラン先生。新任の先生よりはベテランの先生の方が親としては安心だ。
 三男が昨年1年間大きく影響を受けた大好きな先生は、同じ学年の先生ではなくなり、なかなか接点が持てなくなってしまったのは残念だ。三男は、春休み中に、自分の通知表を参考に先生の通知表をパソコンで作った。それを渡したかったようだが、先生には会えなかったという。今日も夕食時に昨年の先生の話をしていた。友だちの話よりも先生の話が多い。職員室へ行けば会えるのではないかと思うが、職員室まで押しかけるほど積極的ではないようだが、先生の通知表を渡すというミッションが残っている限り、先生と関われる機会を作ることはできるだろう。

■2021年4月4日(日曜日)
 2ヶ月ぶりに骨ストレッチ講習会に参加。肩甲骨の存在感を消すために、様々な方法を使い肩甲骨を動かした。前腕や肘のポジションが少し変わるだけで鎖骨や肩甲骨の使われ方が変化するということを感じることができ、最後は、腕を捕まれ、相手がこちらを動けなくなるように関節を締めるような状況でも、こちらの関節にゆとりがあり、逆に相手を動けなくすることができ、一氣に形勢逆転できるようになったことがとても面白かった。
 次に、相手の動きを内部から見ていくという内観力を高めるためにはどうすればいいかというテーマで、ひたすら相手を観察した。相手を観察していると知らず知らずのうちに、相手の體と同じ姿勢になっていく傾向があることを知ったのだが、特に自分は、それが瞬時にできているということを先生から指摘された。自分では氣がつかないが、體は勝手に動いているようだ。相手を見たらすぐに相手の姿勢に自分の體が変化するので、その時の違和感を指摘すれば、相手の姿勢を変えることができる。しかし違和感を感じなければ、自分が相手の影響を受けるだけになり、自分の姿勢が確立できなくなってしまうというデメリットもあることがわかった。指導者は、指導を受ける人たちの前に立つため、お手本となる姿勢をしていなければ、指導を受ける側に悪影響を及ぼしてしまう。指導者という立場は責任重大で、他人の姿勢を見る前に自分自身の姿勢をしっかりとしておく必要があることを実感した。
 最後に、丹田やあばらを使って脚を動かすことを学んだ。体幹ランニングという言葉があるが、どのくらいの人が本当に体幹を使って手脚を動かしているのだろうか。體がほぐれていなければ、そもそも体幹は使えないことを実感しているが、まだまだほぐれていないため不自由で、体幹が使えてくれば、手脚はおまけのように、体幹に振らされているような状態になるのではないかと想像する。體の内側からの動きであって、外からはなかなか見えづらいが、その内側の動きを感じ取りアドバイスできるのが指導者と言われる人たちなのだと先生は説明され、自分はまだその立場にないが、相手をすぐにまねできる體を持ち合わせているという発見があったことから、自分もその立場になれる力はあるのだろうと前向きな氣持ちになれた。

■2021年4月3日(土曜日)
 芝生のサッチングをした。久しぶりに芝刈り機を倉庫から出し、芝刈り用のアタッチメントからサッチング用のアタッチメントに付け替えた。昨年芝刈りをした後に、芝刈り機は水洗いをしたはずだったが、久しぶりに目にしてみると、意外と汚れは落ちず、芝生の緑色がしっかりとこびりつき、石のように固まっていて、水洗いが不十分だったことを認識した。
 芝が枯れて芝生の間に目詰まりしているサッチは大量で、掻きだして集めてみると、大きなゴミ袋2杯分になった。掻き出す時には、サッチだけではなく、砂が舞い上がり、體が砂だらけになった。サッチング後はさらに、掻きだして取りきれなかったサッチをブロアーでできるだけ芝生から分離させた。作業後は、芝生を覆っていた白いサッチがかなり少なくなり、地面と芝生の茎が直に見えるようになった。この後は、肥料を混ぜた砂を撒く必要があるのだが、砂が用意できず今日の作業は終了となった。

■2021年4月2日(金曜日)


タンポポ
 膝の痛みが続き、走るのもバイクをこぐのもイヤだなぁと思ったため、久しぶりに一人で散歩をした。毎朝散歩はしているが、犬と一緒なので、犬に引っ張られて自分のペースで歩くことができず、犬を散歩させるというよりも犬に散歩させられていると言った方が正しく、何の目的も持たずにボーッとしながら歩くのは久しぶりだった。半年も運動が思うようにできない影響か、「人は何のために生きているのか」など、随分と哲学的なことを考えながら歩いていた。木々の中で歩いていると、太陽の光や鳥のさえずりなど、日常であまり氣にしないことが氣になったりもした。自分は自分自身を直接見ることはできず、自分を知るには自分以外の全てを観察し理解していくしかない。そういった意味では、太陽の光や鳥のさえずりも自分を理解するための材料だと言える。日常は、長い時間コンクリートやアスファルトに囲まれた環境にいて、太陽の光や鳥のさえずりを意識することはなく、久しぶりの散歩はとても良い氣分転換になった。

■2021年4月1日(木曜日)


本日の収穫
 回覧板の中に入っていた社協だよりという冊子のあとがきに「コロナ禍」という言葉が使われているが、災い転じて福となすという言葉があるように「コロナ福」という言葉もあるのではないかということで、どんな福があったかについていくつか挙げられていた。
 悪いことがあるから良いことが見えるのであって、悪いことがなければ良いことも見えない。様々な制限があり、不自然な生活スタイルの今だからこそ、何が自然で何が良いことなのかが見える良い機会なのだろう。ということで、この1年何が良かったかを考えてみたが、都内での講習会には参加が難しくなったが、オンラインでの講習が増え、自宅で受講でき、移動する必要がないというのはとても良かった。移動に使う時間が浮いたことで、その時間を有効に使えたかは何とも言えないが、移動するということにかなりのエネルギーを使っていたのだということを実感した。両親に直接会いに行くことができなくなったことで、以前よりは電話をする機会は増えた。スマートフォンをいじる時間が増えたことで、逆に悪影響があることも実感でき、スマートフォンから少し距離をおけるようになった。悪いことを数えれば、それだけ良いこともあるということ。ピンチはチャンスなのだ。



[昔のいずみ]