最近のいずみ

Last Update:2022/1/31



パートタイムアスリートいずみ 22年目に突入 

■2022年1月31日(月曜日)
 冒険家の白石康次郎さんの講演会の動画を視聴。テーマは「突破力〜困難を乗り越える諦めない心〜」。白石さんの話は、子どもが幼稚園の時に幼稚園の講演会で初めて聞き、それ以来ファンとなり、テレビで白石さんの出演する番組は、かなり視ている。直近では、NHKで世界一周の単独無寄港無補給レース「ヴァンデ・グローブ」の初完走の特集を見た。今回の講演では、その時の話などを聞くことができた。
 白石さんは、「人生は自分の信じた通りになる」と信じていて、実際にそういう人生を生きているという経験談をたくさん聞いた。多くの人は逆で、人生は思い通りに行かないと信じているから、そういう人生になるのだということを強調されていた。一人で海に3ヶ月いると、信じられるのは自分しかない。そういった自然の中で学んできた教訓なのだろう。英語は全くできないが、不便はないと信じているから、自然とサポートしてくれる人がでてきて、全く不便なく海外の人ともやりとりができるのだという。
 海外へ行くと、日本人は、必ず日本のことを聞かれる。その時に、日本のことが説明できる必要がある。日本は、地球上に咲いた一輪の桜なのだという。四季が均等に訪れることで、輪廻転生を自然と理解でき、多神教が生まれるのだが、年中気温の変化がない国や砂漠の国では理解できないし、そういったバックグラウンドから一神教が生まれるのではないかと考察されていた。
 日本人は、昔から海を渡ってやることが、白人たちとは違っていた。日本人は、勉強しに、教科書をもらいに命がけで海を渡り、白人たちは、香辛料など自国にないものを取りに海を渡る。日本は、勉強熱心で世界でも珍しい国なのだ。そういった日本を好きになることが、日本人としての根っこであり、最後の最後に覚悟という形で効いてくる。覚悟は、生き死にに影響を与えるのだが、覚悟があるから厳しいときにも笑顔になれるのだという。失敗しても堂々とする。逃げも隠れもしない。全力を尽くしたがかなわなかっただけ。そうしていると、また支援してくれる人が集まってくるのだという。そうやって次々とヨットを作ってレースに出場してきた。
 究極の判断を迫られたときには、最後は諦めるか諦めないかという選択になる。諦めるとは明らかに見極めるということであり、大切な決断といえる。引くべき時には引き揚げる。しかし諦めないということも大切な決断である。判断に迷ったときにどうするか。それは、機嫌の良いときに判断する。調子の良いときは直感で決断し、調子が悪かったり迷うときには直感では良い判断はできない。ヨットであれば、調子の良いときには直感、悪いときにはコンピュータの判断にゆだねるという。異性にもてない連中が、集まっていろいろと話してももてることはない。異性にもてたかったら、直接異性に聞くかもてている人に聞く方がより良いという例えで説明があり、面白かった
 リーダーの仕事は、まさに決断ということになるが、決断とは決めて断つこと。それをするためには、いつも明るく元氣でいること。いつも穏やかで公明正大、心を中心に置くこと。自分の機嫌は自分でとる。ヨットでは自然が相手なので不特定要素が多い。整備された環境での戦いならば実力で勝負は決まるが、自然が相手の場合は、実力だけでは決まらない。その中で実力を発揮するには運が必要であり、運を良くするには、リーダーの仕事と同じく常に機嫌を良くしておくこと。いつも機嫌が良いことで、良い決断をさせ運につながってくる。
 今まで、たくさんの人からリーダーシップについての話を聞いてきたが、白石さんほど、現実的で具体的な話をしてくれる人はいなかった。家に帰れば、妻や子どもが不機嫌なことがしばしばあり、こちらの氣分にも影響があるのだが、そんなことに影響を受けず、常に機嫌良く過ごせるようにしたいと思った。

■2022年1月30日(日曜日)


本日の収穫(小松菜)
 骨ストレッチのオンライン講習会に参加した。最初は、各自の状態を先生が画面から見て、問診状態となった。自分は右ふくらはぎの肉離れの話をしたのだが、右足首がかなり固まっていて、アキレス腱に異常が発生してもおかしくない感じだったようで、アキレス腱に痛みが出なくて良かったと言われた。上半身と下半身の連動が全くできない状態で、その原因が左の僧帽筋だったため、まずは左の僧帽筋をほぐすことを指示された。その後、左の前腕に移動し、特に親指を動かすラインが固いことが判明した。自分でほぐしていても激痛だった。その後は、右のすねと腸脛靱帯のほぐしをやって、ある程度動けるようになった。
 今日のメインテーマは、體の中心から動けるようにすることだった。主に2つの骨ストレッチとイスを使い體がどんどんほぐれていった。歩くときの1歩の歩幅が改善し、歩く速度も勝手に速くなり、體が開放された感覚が氣持ちよかった。今日は特に臍下丹田と普段は一つで語られていたものを臍下と丹田に分けて具体的な解説があり、初めて臍下の位置を認識することができた。丹田は力が入りやすいが、臍下は力は入るところではないということを体感でき、日常でも意識していこうと思った。

■2022年1月29日(土曜日)


波のような雲



東京湾



望遠鏡を覗く三男
 三男と横須賀美術館へ行った。メインの展示は、市内の公立学校の児童・生徒たちの優秀作品の展示なのだが、三男の目的は、「横須賀総合高校 美術活動の歩み」の展示を見ることだった。
 三男は目的があるので、メイン展示の児童・生徒の作品は、素通りに近い状態で見て、最後の総合高校の生徒の作品だけは熱心に見ていた。今年も、総合高校の生徒たちの作品は様々な絵画展に出品され、賞をもらっている作品もあった。大きな油絵は美術部の生徒の作品のようだが、生徒が授業で作成した作品もあり、その作品も中学生と比較すると格段にすばらしかった。素晴らしい作品が選ばれて出品されているのだから当然なのかもしれないが、どの作品もずっと見とれてしまう。
 三男が見たがった過去の総合高校の作品は別料金で地下の展示場で展示されていた。地下に入ると前半は、美術館所蔵の藤田嗣治の作品など、今までも何度も見てきた作品が並んでいて、抽象画のコーナーもいつも通り展示されていた。三男は、目的とした高校生の絵よりも抽象画のコーナーの方に時間をかけて見ていた。抽象画は、見る人が勝手に想像すればいいということもあり、三男は、一生懸命想像をしていた。タイトルが無題というくらいなので、何のテーマもないということなのだろう。見る人が自分で決めればいいということが三男にとっては面白かったのかもしれない。普通子どもは、何が描かれているかわらないと言って、素通りしてもおかしくないところだが、抽象画に目をとめるというところが、他の子どもたちとは違う。高校生の絵は、具体的な絵が多いのでわかりやすい。どの絵にも共通するが、白色を使って光と陰を作るのが上手い。平面の絵をいかに立体に見せるかは、光の表現によるものだと感じた。

■2022年1月28日(金曜日)
 ヨーロッパの国々では、新型コロナに関連する規制を撤廃する動きが出てきている。イギリスは、1日の感染者数がピークから下がってきていて、オミクロン株の重症化率が低いことが決めてのようだ。デンマークでは、陽性者に義務づける自己隔離期間が4日に短縮された。日本と比べるととても短い。ヨーロッパでは、だんだん新型コロナは、新型ではなくなり、ただの風邪に近づいているということなのだと思う。
 ヨーロッパで起こっていることが何ヶ月か後に日本にやってくる感じなので、日本ももうしばらく我慢すると規制の撤廃になるのかもしれない。人流を抑制したら陽性者が減るという相関があるのかないのかはっきりさせずに、人流抑制をするというのでは制限を受ける国民は納得がいかないだろう。

■2022年1月27日(木曜日)


夜明けの海
 ガソリンの値段が下がらない。政府は原油価格高騰を受け、価格抑制策として、補助金を石油元売り業者へ支給することになったが、ガソリンスタンドの価格に反映されるかどうかは不透明で、時間差もあるようだ。ガソリン価格は、ガソリン税、石油税がかけられており、それに加えて消費税がかかり、価格の5割前後が税金となっている。すでにガソリン税と石油税で税金がかかっているガソリン価格に、さらに10%の消費税がかかるという二重課税という状態となっている。ガソリン税は昭和48年に道路整備の財源不足おを補うために暫定的に始めたものだが、なし崩し的に約50年延長され続けている。ガソリンスタンドによっては、レシートにガソリン税がいくらという記載もあるが、普段利用しているガソリンスタンドでは消費税の記載しかないので、どれだけ税金を払っているかは認識しづらい。補助金を配らずに、暫定処置のガソリン税にメスを入れてくれればいいのにと思う。 

■2022年1月26日(水曜日)
 日本中の都道府県で、連日のように新型コロナ陽性者が過去最多となっている。まん延防止重点措置もさらに追加となり34都道府県になるという。対応する病院も入院できるベッドがなく断らざるを得ない救急搬送困難事案も増えているという。保育園や小学校では休みになるところが急増しているという。子どもが休みになって困っている親も増えていることだろう。テレビでは、長らく検査陽性者を感染者として報道していたが、陽性者と報道するテレビ局が増えてきた。何事もなかったかのように言い換えている。何か意図があるのだろうか。
 北京オリンピックでIOC関係者向けの規定が変更となり、PCR検査のCt値が40から35未満となったという。できるだけ陽性者を減らしたいという意図が見え見えだ。世界で何人が感染したと報道しているが、国によってCt値が違っていたら、ある国では感染とされても別の国では感染ではないということが起こる。何の人数を数えているのか訳がわからない。流行が始まって2年になるのに、いまだにCt値の国際基準ができないのなぜなのか。これも何か意図があるように思えてならない。

■2022年1月25日(火曜日)
 1月3日以来、あまりまともな運動ができていないのだが、今日は久しぶりにしっかりとウォーミングアップをして、サーキットトレーニングをしたところ、なぜか今までよりもキレのある動きができてしまい、各セットの最後にある逆立ち歩きもスムーズにできたこともあって自己ベストが出た。まったく運動ができていない中での自己ベストだったため驚いた。脈拍もひさしぶりに1分間あたり200拍を超え、呼吸循環系を追い込むことができた。そのまま調子に乗ってバイクで30秒×3セットをこいだのだが、こちらは、思うような動きができず、中途半端にしか追い込めなかった。まだ走ることについては短い時間のジョグしかできていないが、徐々に時間を長く、速度も速くしていきたい。

■2022年1月24日(月曜日)
 山梨県では、知事が、新型コロナワクチン未接種の県民に対して、不要不急の外出・移動を控えるように要請するという報道があった。接種者と未接種を区別してアナウンスしたということなのだろうが、未接種者からすれば、差別されたと捉える人もいるだろう。端的に言えば、「未接種者は外出するな」ということになる。この話を聞いた三男は、ワクチンを打とうと思ってもワクチンに打ちに行くことすらできないと皮肉っていた。海外では、接種が義務化された国もあり、未接種者が犯罪者のように扱われていたりする。マスクを着用していないだけで子どもでも罰金となったりする。日本では接種は任意となっているが、今回の知事のような要請が強まれば、それが同調圧力となって、任意とはならなくなってしまうことが心配だ。

■2022年1月23日(日曜日)


東京電力



葉っぱを食べてます
 次男の社会の宿題に付き合った。昔の写真集などを参考に我が家周辺の情報を手に入れ、冬休みにある程度レポートはできあがっていたので、その文章に肉付けをし、写真を加え、レポートは完成となった。
 我が家は家から海が見えるほど海が近いが、目の前の道が縄文時代の遺跡だったことから、地域の神社とお寺の周辺が遺跡として指定されており、我が家は遺跡の上に立っていると言える。そのことから、我が家の立地している場所は大昔から陸地だったということになる。この地域では、たくさんの活断層が報告されているが、東北の様な津波の言い伝えなどはないことから、海岸が目の前にありながらも、津波による大災害は起きていない比較的安全な場所なのではないかと思った。
 昔は、遠浅の砂浜が長く続く海岸だったが、その時々の人の都合で、次々と埋め立てられてしまい、今のような狭い海岸となってしまった。隣の町の野比海岸は、東電ができたことで潮の流れが変わり、浸食が激しく、最近では、波により道路が崩壊するというような問題も起きている。改めて自然と人間との関わりについて考える機会となった。

■2022年1月22日(土曜日)
 先週は、ジョグをする前のウォーミングアップで肉離れをしている部位に痛みが走り、ジョグもできず、今日は2週間ぶりにジョグ。日常生活では痛みがなく問題はないが、いつ痛みが発生するかわからないという恐れを常に感じながらのジョグだった。結局25分経過したところで、痛みが出てきて終了。受傷してから約3週間。もうそろそろ回復して欲しいところだが、思うようにはいかない。昼には、電氣治療の治療院へ行き治療。先週よりも痛みの緩和は少なかった。
 明日は駅伝大会に出場する予定になっていたが、昨日から神奈川県はまん延防止措置が適用となった影響で、駅伝大会は中止となった。チームのメンバーが、職場でPCR検査陽性者が発生したことで隔離となり、駅伝には出場できないという連絡が来ていたので、チームとしてどうするかということが一昨日まで話されていた。そして自分も走れないとなると、チームに迷惑がかかってしまうところだったので、結果的には中止となってくれて良かった。次は2月に市の記録会が予定されているが、この3週間の状況を見ると出場は止めた方が良さそうだ。

■2022年1月21日(金曜日)
 NHKBSPで放送された「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ」の録画を視聴。テーマは「時間」。ヒトが認識する時間についての最新研究が紹介された。
 地球誕生時には、地球の自転は1日が4時間だったという。その後、自転の速度が落ち、今の24時間になったそうで、生物は、その時々の地球の自転に合わせて体内時計を作り出してきたようだ。動物たちは、今も体内時計に合わせた生活をしているが、現代のヒトにおいては、ちょっと様子が変わってきている。ゲストの元陸上選手だった為末さんは、ブータンと日本を行き来することが多く、ブータンの人たちは、集合時刻に集合することはなく、遅れてもお腹がすいていたので食事をしてきたから遅れたのだと理由を述べるなど、自分の体内時間に合わせた生活が身に付いていることに驚いたという。個人の体内時計に合わせた社会は、実際に個人個人が幸せそうだとも述べていた。近代化が進んだ都市では、進化の中で作られてきたリズムを持った體と社会の時間がかい離しており、近代化に伴って病氣が増えてきているとゲストの研究者は語っていた。社会に個人を合わせると、全体から見るとオーガナイズされているが、個人はちょっと窮屈になる。為末さんは、個人の時計と社会の時計のちょうど良い加減がないかとブータンと日本を行き来することで思うようになったとのことだった。
 時間は、陸上選手であればこだわりのあることだが、番組の中でゾーンについて為末さんの経験が語られた。大脳の内にある楔前部(せつぜんぶ)という部位が、「今」を作り上げる脳内ネットワークの中心部で、この機能が失われると「今」が失われてしまう。認知症の患者はこの機能が低下するのだという。走っているときのゾーンは、走るということに脳のリソースを集中した結果、楔前部への血流を落としている可能性があり、その瞬間においては、今もここも私もない無我の境地に入っているのではないかとの分析がなされていた。自分も、ゾーンを体感したときには、まさに今もここも私もないすべてが一つという感覚だった。その時の状態を思い浮かべた際の脳の状態を調べれば何かわかるかもしれないという。そういった研究が進んだら面白いと思った。

■2022年1月20日(木曜日)


寝床に上手くおさまる
 自宅を構えて10年以上が経過し、次々と家の中で不具合が生じている。年末に換気扇とシャッターの調子が悪くなり、2年ほど前から、購入して4年ほどの浴室暖房乾燥機からはなぜかサビが落ちてくるようになり、新年早々、次々と修理が始まった。今日は、お昼過ぎに浴室暖房乾燥機、夜には換気扇を修理するために業者の人たちがやってきた。
 お昼の業者さんは、静岡県三島市から来たとのことだった。販売している企業に電話で不具合について話をした際には、錆びない部品が使われているので、錆びるはずがないとこちらの話を信じてもらえず、今日来てくれた業者さんも同じ認識だったが、実際に確認してみると、錆びないとされていた部分が錆びていることを認めてくれた。5年補償となっていたのだが、部品代は無料だが、なぜか出張費は有料となり、1万円以上の支払いが発生した。
 夜の換気扇は、最も外側に位置する網の部分にたくさんのほこりがくっついて換気扇の機能に影響があることから、その部分の掃除までしてもらった。個人では、配線の関係もあり、手が届かない場所だったので、10年の汚れを取ることができ、とてもスッキリした氣分になれた。
 まだまだ細々とした不具合があるので、ちょっとずつ改善して行ければと思う。

■2022年1月19日(水曜日)
 昨日、妻がゆうちょ銀行で、硬貨をATMに入金しようとした際に、手数料が取られるということに氣がつき、今まで無料だったのになぜと思いながら、銀行の人に話をしてみると、窓口であれば、50枚以内であれば無料となると言われ、窓口に並んだという。その列が長く、かなり待たされ一応無料で入金はできたのだが、窓口の人の態度もあまり好ましくなかったらしく、このことを話すときに、その情景を当然思い出すので、とても腹を立てていた。
 昨年、ゆうちょ銀行口座間送金でも手数料が取られるようになり、ゆうちょ銀行には何のメリットもなくなったとすでに思っていたのだが、入金で手数料が取られるとなると、今まで以上に使おういう氣分にはなれなくなる。妻が言うには、他の銀行も今は手数料を取るようになったため、ゆうちょもそれに合わせたと説明を受けたというので、他の銀行ATMはどうなっているのか調べてみた。りそなと三菱UFJはATMを使う場合は手数料不要で、みずほと三井住友はATMでの硬貨入金についての手数料は記載されていなかったが、窓口では、枚数によって無料か有料が決められていた。銀行によって金額も枚数も違うが、最も驚いたのは、ゆうちょが他行に合わせて、ATMの取引で時間外手数料を取るようになったこと。ゆうちょは、差別化を図れていた手数料を導入することでメリットは完全になくなってしまった。
 手数料を設ける理由は、窓口業務の負担軽減と述べるウェブサイトがあったが、ゆうちょは、今回の妻の件に限れば、有料にしたことで窓口業務を増やすという結果になっている。ゆうちょが民営化されず国営だったら、手数料はなかっただろう。郵政民営化を争点とした選挙で、民営化反対により抵抗勢力と言われ、自民党から追い出された議員たちがいたが、彼らは外国勢力から国を守ろうとしたのだということを今では理解ができるか、当時は全く何も考えていなかった。政権のプロパガンダに流されて民営化はすばらしいと思いこんでいたことがとてもはずかしい。
 長い間みずほとゆうちょを主に使っていたが、みずほは頻繁にシステム障害があり、ゆうちょは手数料でせびられるので、お客に優しい銀行に乗り換えたいと思うばかりなのだが、残念ながら、日常で最も使いやすい場所にある銀行がこの2行だったりするので、そうもいかない。

■2022年1月18日(火曜日)


満月
 トンガの海底火山噴火の報道が続いている。噴火の噴煙が北海道くらいの大きさとのことから被害は大きいことが想像できるが、現地の情報がなかなか得られないようだ。報道では、気象庁が津波警報を発令するのが遅れた原因として、「空振」という言葉が出てきた。空氣の振動が、海に小さな波をたくさん作り、波が遠くへ伝わっていく内に、波が重なっていった結果、振幅が大きくなり、津波となって各地を襲ったという説明がなされていた。空氣の振動が、これほどの威力があるということに驚いたが、ウィキペディアで「空振」を調べると、「火山の噴火や核実験などに伴って発生する」と書いてあったので、核兵器を爆発させた広島や長崎でも同様のことが起こり、核兵器による被害は、爆発だけの被害ではないということがわかった。目には見えないところにも真実が隠れているという感じだ。

■2022年1月17日(月曜日)
 大学入学共通テスト初日に東大前で高齢者1人と受験生2人を包丁で刺した高校2年生の報道が大きく取り上げられている。包丁で人を刺すだけでなく、自作の火炎瓶のようなものを20本所持し、東京メトロの車内や駅構内で放火しようとしたとも報道されている。
 愛知県の学力の高い私立高校で医者を目指している等、報道を見ていると、自分も愛知県民だったので、だいたいどこの学校だろうというのが想像できる。周りの生徒も入学時にはほとんど東大を目指すような環境だということも想像でき、その流れから取り残された瞬間に、自分の存在価値がなくなるほどのダメージが彼を襲ったのだろう。他人を巻き込んで切腹しようとしたという報道もあり、考え方が0か1しかないデジタル思考だと感じた。短絡的といえば短絡的だが、その中間を見出すような教育がなされていない日本の教育の現状が浮かび上がっているようにも思えた。
 今回の事件の彼のように、自分が高校生の時も、東大かそれ以外の大学かというデジタル思考をしていて、「とりあえず東大を志望したい」と担任に伝えて、「何を言っているのか?」と言われたことを思い出す。大学を卒業してみて、大学をどこにするかということよりも、そこで何をするかが重要だということがわかり、高校時代の考え方が間違っていたことを反省した覚えもある。
 今、長男は、当時の自分と同じ高校生となっているが、彼は、いろいろなことではっきりしないという面はあるが、デジタル思考ではない。自分の好きなことを優先させ、適度に勉強し、最初に学校見学へ行った大学に目標を絞り、指定校推薦で、一般受験の学生のような苦労はなく、合格してしまった。学校は、すでに週1回顔を出すだけだが、新型コロナの影響でそれもなくなり、ずっと家で、ギターを弾いたりゲームをしたり・・・。高校進学も単願で自動的に推薦となり、学力検査はなく入学したことから、受験戦争って何?という感じだ。高校3年生のこの時期は、自分がどうなるのか先が見えず不安ばかりが募るはずなのだが、そういうプレッシャーが全くないというのは、うらやましくもあるが、この不安とどう折り合いをつけるかということを経験する機会を逸して次のステージへ向かうこととなり、この先の壁にどう立ち向かっていくのか、親としては複雑な氣分で見守っている。
 昨日、海外の大学入試はどういう問題が出されているかというような内容のテレビ番組を視聴したのだが、海外の大学では、答えのない問いが出されて、その考え方を評価するという方式をとっていることを知った。採点する側も、答えがないものを採点するので大変だろうと思った。フランスでは哲学が重視され、授業では言葉の定義を様々な角度から検討し、その後与えられた問いについて考えるということを繰り返し、多くの生徒が哲学こそが重要で、一人一人が自分で考えるということに最上の価値を置いていることが理解できた。しかしながら、日本のテレビで見るフランスの現状は、ワクチンが強制される方向に向かうなど、哲学を大事にし、一人一人が考えた結果なのか?と疑問を持ちたくなるような状況だ。しかし、テレビでは報道されないインターネットの世界では、ワクチンを強制するのはおかしいと多くの人がデモに参加し、反対している映像を見ることができる。一人一人が考えた結果の反対なのだろう。日本は、そういった意味では、御上が決めた方針に、なんとなくイヤだなぁと思いながらも、同調圧力もあり異を唱えることなく、そのままその流れに流されていくというのが一般的だ。そして異を唱えた人たちは、ちょっとおかしな人という扱いを受けることとなる。すべては教育にかかっていると実感した。

■2022年1月16日(日曜日)
 昨夜は、トンガ沖の海底火山が噴火し、その影響で日本にも津波が到達するということで、深夜に津波の緊急速報というものがスマートフォンにけたたましい音と共に流れた。その情報は1回届けば、それでわかることなのに、夜中に頻繁に鳴り、その度に起こされた。5回なったところで、設定を変更し、速報が入らないようにしたが、その頃には目が冴えてしまってしばらく眠ることができなかった。ちょうどこの土日は、大学共通試験が行われているのに、受験生は、満足に睡眠が取れずに2日目の朝を迎えたのではないかと考えられ、ちょっとかわいそうだと思った。
 今日の夕方の朝日新聞DIGITALでは、「津波のエリアメール、20回届いた人も 神奈川県知事が設定ミスを謝罪」という記事があった。未明から早朝にかけて最大で20回も配信されたが、委託業者によるプログラム設定ミスが原因だったのだという。すでに改修したとのことで、業者に責任を押しつけるのではなく、知事が謝罪をするということになったようだ。

■2022年1月15日(土曜日)
 先月に引き続き第2回の横須賀市長距離記録会が開催された。今回も3000mにエントリーしていたのだが、1月3日の肉離れにより、走ったのは先週土曜のジョグのみ。歩いたり階段を上ったりしたときの痛みは全くなくなり、練習再開の契機として、速度を落としてペース走的な走りをすることにしていた。そのつもりでウォーミングアップを始め、ドリルに入ったところで、肉離れの場所に痛みが走ってしまった。その後は歩きでも痛みがあり、すぐに出場を取りやめた。今日は陸上部の顧問をしている同期が同じ3000mにエントリーしていて、学生たちは新型コロナの影響で外出禁止となり、今回は全員棄権となり、陸上部としては、顧問が1名のみの参加となった。同期は、9分39秒02で、一般2位。先月の自分よりも1秒ほど速かった。タイムはほとんど変わらないので、一緒に走れたら面白かっただろうと思った。来月の記録会では一緒に走れるよう回復させたい。
 記録会が終了した後、帰宅しようとして車を走らせたが、突然、2年前まで通っていた電氣治療の治療院を思い出し、その治療院へ駆け込んだ。コロナが流行り始めてから、全く通わなくなってしまったのだが、治療院は、休業補償がないとのことで、ずっと営業はしていたものの、お年寄りが全く来なくなり、経営としてはかなりきつい時期が続いていたとのことだった。昨年秋以降、人がある程度戻ってきたが、またオミクロン株の影響で、少し人が減ってきていて心配されていた。
 肉離れは、右腓腹筋内側頭に痛みがあり、寒い時期になる典型的なものだという。熱感はなく、押しても激痛があるわけでもないので、軽症だが、3週間程度は様子を見た方が良いとのことだった。治療後は、右腓腹筋内側頭の痛みはすっかり消え、逆に歩くと外側頭が氣になるくらいの改善だった。しかし、車に乗って帰宅した頃には、また内側頭にも痛みが戻ってきた。
 来週は駅伝があるのだが、交替してもらえる人はいない。なんとか残された日々で最善を尽くし駅伝に出場したい。

■2022年1月14日(金曜日)
 国立感染症研究所は、昨日オミクロン株感染者の半数以上がワクチン2回接種済みで、1回も接種していない人は約2割との分析結果を公表した。1月13日の時点で首相官邸のウェブサイトでの国内のワクチン接種状況は1回目が終わった人は79.9%、2回目が終わった人は78.6%、3回目は0.9%と表示されていた。オミクロン株感染者とワクチンとの関係は、ワクチンの接種の割合とほぼ同じということが示された。このことから、ワクチンを接種してもしなくても、オミクロン株は同じように感染するということが言えるのではないか。最初は感染を防ぐという触れ込みで始まったワクチン接種だが、いつしか感染しても重症化を防ぐと言い換えられ、オミクロン株は、接種の有無にかかわらず感染し、圧倒的に軽症者が多い。過去のインフルエンザと比べるとインフルエンザの方が重傷者や死亡者数は深刻なのではないか。オミクロン株は天然ワクチンで、さらなるワクチン接種の必要はないという学者がいる半面、ファイザーは3回目の接種をすると効果が高まるとの発表をするなど、相反する意見が飛び交っている。何が真実かは判断しようがなく、科学って何なのかと思ってしまう。新聞やテレビは、製薬会社に有利な報道しかせず、不利なことについては口を閉ざしている。製薬会社としては、自社が不利になることは当然発表はしない。ある事象についてメリットしかないなんてあり得ない。メリットの裏には、必ずデメリットがあるはずだ。そういった意味で、日本では公平な報道がなされておらず、報道の意義がなく残念だ。

■2022年1月13日(木曜日)
 家族とテレビを見ていたときに、歌手の郷ひろみが登場して、芸能界にデビューしてから今年で50周年になるということを話していた。年齢が60代後半となり、70歳が近いということに驚き、子どもたちに「若いよねぇ」と話すと、子どもたちは「40代に見える」と答えた。「40代と言えばお父さんと同じくらい?」と聞き返すと「パパより若い」と言われてしまった。妻からは郷ひろみと比べてしわが多い、とさらに追い打ちをかけられた。郷ひろみと張り合っても仕方がないが、客観的に見た家族の言う通りなのだろう。負けました。

■2022年1月12日(水曜日)
 黒川伊保子著「感じることば 情緒をめぐる思考の実験」という本を読んでいる。その中で著者の息子さんとの話がなかなか凄い。2歳半の時に、保育園ではきちんと箸を使っているのに、家ではなぜ自分で箸を使わないのかと、母が怒り狂って聞くと、「こんなきれいな手が近くにあるんだよ。食べさせてもらいたくなるに決まってるじゃない」と悠然と答えたという。女の扱いが凄くスイートとな息子というのが母の見立て。面白い親子だ。
 息子さんは左利きということで、雑巾の絞る方向が逆だったり、右利き用にできている字を逆の手で書くため、書くだけでもタイムラグが生じてしまう。著者は、そういう息子さんを見ていて、左利きの脳で世の中を見るということは、自動改札が逆だったり、ガスレンジも点火ダイヤルを回すのが難しかったり、雑巾の絞りが逆などで、なんだか裏切られたような感覚となるように、日常の様々な事象に裏切られているのではないかと考察する。その日常の裏切りの積み重ねが、独自の思考術を作り上げ、他人の所作を自分の所作に再構築するように、見たこと聞いたことを自分なりの言葉に焼き直すということが起きる。こういったことの結果、この世の中の真実を小学生のことばに置き換えられると、突然「家族ってなんだと思う?」という非常に思い質問を突きつけられ、答えに窮することになるとのことだった。我が家の三男も同じく左利きなのだが、突然本質をつく何気ない質問をしてくることがあり、全く同じだと思った。右利きの人にはない苦労が見えないところでたくさんあり、日々複雑な思いが渦巻いていると思うと、翌日の学校の準備問題も、著者のように三男のことをよく観察しながらおおらかに見守ろうという氣持ちになった。

■2022年1月11日(火曜日)
 3連休が終わり、やっと平日という感じになった。三男は、朝何度起こしても起きず、遅く起きてきた。すぐに食事をして学校へ向かえば問題ないのだが、食事の前に、習字の筆を見つけ、筆が好ましくない状態で固まっていたことに氣がつき、水でほぐしながら好ましい状態に修正しようとしていたが、なかなか思うようにはいかず、一人で勝手に腹を立てていた。昨日の夜の時点で、翌日の学校の準備をしたか確認したときには、準備はできていると答えていたのに、実際はできていなかったことが明らかで、妻がそれについて言及すると、逆ギレして「昨日は筆が見つからなかった」と言い、ますます準備ができていなかった事実を上塗りした。逆ギレしても状況は変化するわけではなく、とにかくすぐに準備をして食事をするように言うと、「今やってるじゃん」とさらにキレ、筆を投げつけ、「もう学校にかない」と言いだしふてくされた。翌日の準備ができていないことは今までにも頻繁にあるので、こちらもいい加減にしてくれという感じなのだが、頻繁にあるこのどうでもいいやりとりを本人は何と思っているのか。変化がないということは、その瞬間だけ嫌な思いをして、忘れてしまうということなのだろう。
 小学生は担任の先生に大きな影響を受ける。一昨年は担任の影響で学校が嫌いで、全てにだらしがなかったが、昨年は担任が大好きすぎて、学校が楽しく、いろいろなことに積極的だった。今年は、また担任が嫌いで、だらしなくなり言動がきつくなった。子どもの話を聞くと、今の担任の先生の指導も理解できなかったりもする。それについて、先生に他のクラスと違いなぜ、このクラスだけそうなるのか質問するように促すのだが、先生と話すことすら面倒という感じで、子どもたちは先生に意見を言うことはないようだ、昨年の生き生きした三男を見ているので、その落差があまりにも大きく、学校に行く意味とは何かと考えてしまった。学校のことなので話し合いでもって自分たちで解決して欲しいのだが、この流れだと問題は棚上げされそうだ。あと2ヶ月ちょっと、子どもたちは耐えるしかない。

■2022年1月10日(月曜日)
 肉離れになって以降、犬の散歩は、排尿と排便が終わったらすぐに家に帰ることが多く、ゆっくりと散歩をすることができなかった。しかし今日は、予定が入っていなかったことと、歩いて痛みがなさそうだったことで、ひさしぶりにゆっくりと散歩をして町内を回った。実家に帰省した時にも感じたことだが、空き地だったところには、次々と家が建ち始めている。そして建ったかと思うと、売りの看板が出され、あっという間に入居者が決まってしまう。少子高齢化と言われ、人口はどんどん減っているはずで、特に横須賀市は、人口の減りが日本で一番と言われた時期もあったくらいなのだが、新築の家は次々と売れていく。横須賀市は坂が多く、車が入れない細い道も多いため、坂の上の古い家は次々と空き家となり、空き家問題が深刻だと聞いている。しかし、久里浜は埋め立てた地域で平らなため、古い家はすぐに更地にされ、新たに家が建つという流れになりやすい地域なのだろう。電車はJRと京急が利用でき、だいたい座って都内まで出られるということもあり、比較的生活しやすい場所だから、新築がすぐに売れるのだと思う。

■2022年1月9日(日曜日)


消火直前のどんど焼き



海南神社



みかんの皮を食べるインコ
 妻は、昨日までは、声がなかなか出せない状態だったが、今日は、ある程度声が戻ってきた。咳は相変わらず激しい時はあるが、体温は平熱ということで、インフルエンザではなく、病院で診断された喉の風邪ということだったのだろう。声が戻ってくると、子どもたちへの注文がいろいろ出てきて、声を出さざるを得なくなり、声がでるようになったら、こういうことになるから嫌だとうんざりしていた。こちらとしては、日常が戻ってきたように思え、ほほえましかった。
 今日は、朝10時から海岸でどんど焼きが行われることとなっていたが、家族がなかなか目覚めてくれないため、出発が遅れた。最初に氏神様へ初詣し、そのまま海岸へ行ったが、すでにどんど焼きの火は消えかかり、ショベルカーが砂をかけて消化する寸前だった。しかし火はまだ消えていないということで、我が家の門に飾っていた松の枝も火に入れてもらうことができた。あっという間に枝は燃え、そのまま燃えた枝を持ち帰ることができた。例年、厄除けとして燃えた松の枝を持ち帰るが、誰が入れた枝かはわからないのだが、今年は、我が家の松だということは間違いなく、出遅れたことがかえって良かったように思えた。
 どんど焼きから帰った後は、自宅を建てたときからずっと我が家に置いたままだったお守りを、地鎮祭でお世話になった三浦の海南神社へ返しに行った。子どもたちは、行かずに家にいるというので、久しぶりに妻と二人での行動となった。海南神社へ行ったのは、家が建った翌年の1月以来、約11年ぶり。源頼朝が植えたというご神木となっている大銀杏も健在で、とても雰囲気のいい神社だった。最も氣になったのは、白馬が祭られていた御馬社。疫病除けや足の改善などのご利益があるらしかった。神社周辺の街は、昭和の雰囲気がたくさん残っていて、とても懐かしく居心地の良い場所だった。またゆっくりと散歩ができればと思う。

■2022年1月8日(土曜日)
 学校が5日から始まったが7日までは部活は禁止となり、今日から練習再開となった。中距離の学生たちは、3連休はフリーとなり、各自でジョグ等をするということで、まとまった練習はなかった。12月に転勤して、やる氣満々の同期が残念そうにしながら「和泉は何する?」と聞かれたが、自分も3日に肉離れをしてからまったく走っていないため、今日からジョグを始めることを伝えると、一緒に走ろうということとなった。久しぶりにゆっくりと同期と話をしながら観音崎をジョグした。話の中で、昨日の車のブレーキの話をしたところ、ABSという装置が作動したのではないかと教えられた。北国では頻繁に起こることなのだという。車の正常な反応だったと知り安心した。ジョグを初めて60分ほどで、肉離れをした部位に痛みが出始めた。小さな痛みだったので、我慢して残り10分ほどの距離を走り今日の練習は終了。3日以降、走るのを控えていたことで歩きや階段では痛みがなくなったが、また歩きや階段で少し痛みが出るようになった。3歩進んで2歩さがった感じだ。

■2022年1月7日(金曜日)


未知の氷に接する犬
 昨日は、東京都心でも雪が10cm近く降り積もったようだが、横須賀は、芝生などには若干降り積もったが、道路には降り積もることはなかった。しかし、今朝は溶けた雪が氷となり、路面が滑りやすいところがあった。朝の犬の散歩では、犬が初めて路面に張った氷を目にして、氣になったようで近づき、なめてみたり、足をのせて、結果的に氷を割ることになり驚いていて面白かった。通勤時には、次男が荷物が多いということで、車で送ることになったのだが、交差点で信号が赤となり、ブレーキをかけたところ、車がガタガタと揺れ異音がしてブレーキがかからず、前方へ滑っていってしまい車が壊れてしまったのかと思った。この車は大丈夫かと次男と話したのだが、路面が凍って滑ったのではないかと次男は分析していた。

■2022年1月6日(木曜日)


少しだけ積雪
 昨夜帰宅した際、妻はリビングで横になっていて、調子が悪そうで、特に声が出なくなっていた。体温は37.6度ということで微熱だった。食事を軽く済ませ、いつもよりかなり早く床についた。今朝は、7時過ぎには起床したが、相変わらず声は小さなかすれ声しか出せず具合に変化はなさそうだった。体温は37.0度ということで、まだ微熱も続いていた。
 午前は休みを取り、妻を病院へ連れて行った。病院入り口の検温では平熱だったため、すんなり入れたようだが、症状を伝えると駐車場へ連れて行かれPCR検査をしプレハブの診察室で結果を待つこととなった。そして改めて検温すると37.7度ということで、さらにインフルエンザの検査を実施。PCRもインフルエンザも陰性だったが、本人の症状からさらに血液検査とレントゲン撮影をすることとなり、最終的に喉の風邪との診断が下った。しかし、インフルエンザは、発症から48時間以上経たないと陽性にはならないということもあり、インフルエンザの可能性は残されているとのことだった。
 午後は出勤し、帰宅したときの妻の症状は、相変わらず声が出ないし、體の節々が痛いとのことだった。48時間の経過する明日までは様子を見守るしかない。

■2022年1月5日(水曜日)
 NHKの「ためしてガッテン」でカミソリについての話をしていた。カミソリは50年ほど前に革命が起きたそうで、今のカミソリは、剃ろうとはせず、ヘッドの部分を皮膚につけて滑らせば、スムーズに皮膚を痛めずに剃ることができるのだという。
 面白かったのは、同じことがゴルフスイングでも言えるということだった。クラブのヘッドをゴルフボールに当てに行く必要はなく、ヘッドを地面に滑らせるようにすると、結果的には上手く飛ぶのだという。ボールは当てるのではなく運ぶというイメージらしい。
 カミソリは1回でも使用すると刃がこぼれてしまうということをマサチューセッツ工科大学の研究者たちが最近の研究で明らかにしているという話題もあった。これに関して、「ためしてガッテン」のスタッフは、使用の速度を変えることで、1回の使用で刃がこぼれないようになることを発見し、その方法を紹介していた。番組では、刃の動きを秒速3cmとすることで、22回の使用までは刃がこぼれることがなかった。カミソリ使いの名人として番組に出演していた床屋さんの使い方もゆっくりと動かしていて、経験を通してカミソリの使い方の極意を感覚的に習得していたのだと思った。人の感覚というものは、本当に素晴らしい。

■2022年1月4日(火曜日)


現在の住吉神社




昭和初期の住吉神社前
(久里浜海水浴場)
 次男が冬休みの宿題で、自分の住む地域の今と昔を比べて考えたことを書くレポートが課されている。そこで次男は、小学校の時に図書室で借りた地元の写真集を三男に借りてきてもらい、そこに載っている写真から、近所の神社を題材に選び、今と昔を比べることにした。最終的にパソコンでレポートを作成するとのことで、写真集の写真をパソコンに画像として取り込む必要があり、自分はそれを手伝うことになった。どの画像を取り込めば良いか選択しているうちに、次男よりも自分の方が興味を持ってしまい、小学校で借りた写真集では物足りなくなり、今日は図書館の郷土資料のコーナーへ行き、関連資料を探すこととなった。
 さすがに郷土資料コーナーには、写真集だけでなく、地元に昔から住んでいる人たちの回想文を集めたものがあったり、遺跡発掘調査資料があるなど、盛りだくさんだった。1日中その場にいても飽きないし、何日でもいてそれらの資料を見続けたいと思ってしまった。
 我が家のある場所は、遺跡の上だったらしく、目の前の道では発掘調査が行われ、大昔に弥生人が生活していたことがわかった。神社も平安時代には存在したようだが、そのころは、周りが全て海岸だったのだが、徐々に埋め立てられ、今では全く違う景色になってしまっていた。特に昭和30年代に建設された東京電力が地域の景色を大きく替える契機になったようだ。我が家の目の前は昔は山だったのだが、東京電力建設のために山を削り埋め立てをしたということもわかった。昔の写真の中にはその山から撮影したものがあったのだが、山がなくなった今では、同じ角度からの撮影はドローンでなければできないということになる。終戦直後の久里浜海岸は遠浅の長い海岸だった。海水浴客も大勢来ていて、貧しい中にも、人々の活氣や勢いが写真の中に見ることができた。それと比べ、今は豊かになったはずだが、人々の活氣も勢いもない。あらためて昭和の人々の凄さを感じることとなった。

■2022年1月3日(月曜日)
 練習は、シャフトを使ったサーキットトレーニングと4000mペース走。
 サーキットトレーニングは、年末よりは、安定して動くことができ、昨年やった4回分よりもタイムが上がり、3セットともほぼ同じタイムでこなすことができた。
 4000mはサーキットの勢いで走りたかったが、走り始めてみるとそれほど良い感じではなく、最初の1000mは3分38秒9だった。このまま3分40秒切りくらいのペースで走れればいいなぁと思いながら、その後も走り続けたのだが、ペースを落とさないようにという氣持ちが働いた結果、タイムは、3分34秒6、3分32秒1とペースは上がっていった。そのままペースアップして最後は3分30秒が切るくらいでいければと思い、最後の1000mを走ったのだが、残り500mくらいで、突然ふくらはぎに攣るような感覚で痛みが走った。できるだけふくらはぎに力が入らないようにごまかしながら残り500mを走りきり、最後の1000mは3分29秒7で、予定通りだったが、走り終わった後もふくらはぎの痛みは続いた。歩くだけでもかなりの痛みがある。筋肉を攣ったわけではなく、どうやら肉離れを起こしてしまったらしい。1月中旬には、市の記録会にエントリーする予定だが、この感じだと出場できるかどうか怪しくなってきた。

■2022年1月2日(日曜日)


かるた取り



大暴れの孫たち
 昨日は、実家から横須賀へ1日かけて移動し、途中アウトレットモールに寄ったこともあり、9時間の移動だった。
 今日は、妻の家族に会いに東京へ。昨日は、移動しながらニューイヤー駅伝の中継を聞いたのだが、今日は、箱根駅伝の往路の中継を聞きながらの移動だった。箱根駅伝は、テレビ放送がそのままスマートフォンで視聴できてしまうのでとても便利だった。同時にラジオでNHK第1の音声を流していたのだが、スマートフォンとラジオの時間差がかなりあり、ラジオでの実況を聞いていると、テレビ放送がつまらなくなってしまった。インターネットは、まだまだ速度が遅いということがわかった。今後日本中が5Gになると、そのタイムラグもなくなってくるのだろう。
 箱根駅伝は、ケニアの留学生に日本人が遜色なく戦ったところが年末の高校駅伝同様しびれる場面だった。前半は、目まぐるしい順位変動が会ったが、終わってみれば青山学院大学の圧勝。初出場の駿河台大学4区と5区のたすきリレーが中学の先生とその教え子のリレーで、2人とも区間は最下位だったが、徳本監督の言葉も入り、とても感動的だった。
 妻の家族も、我が家と同様元氣そうだった。2年分の写真集を持っていったので、それを見るだけで時間が経ってしまった。孫たちは、見ないうちにどんどん大きくなってしまう。スマートフォンで映像を見ながら会話はできるかもしれないが、実際に顔を合わせることが最も良いことだと改めて感じた。

■2022年1月1日(土曜日)


名古屋市長へのあてつけ?



朝食時



アウトレットモールから
 中日新聞の今日の記事で、水月昭道著「道草のすすめ」という本の紹介があった。子どもの下校時に付き添い、その様子や意義を綴ったものだという。1500部を印刷して700円で販売し、それで終わりの書籍だったが、旅行ライターのツイートをきっかけに古本市場で10万円以上の価格で取引され話題になった。大人も仕事帰りに一杯引っかけることが、氣持ちの切り替えだったり、思わぬコミュニケーションだったりしていたはずなのに、それが昨年から「不要不急」とされてしまった。「目の前の仕事をこなすだけでは、機械と同じ」ということに氣がついたのではと著者はコメントしていた。旅行は目的地に真っ直ぐ進むよりも寄り道が楽しいと旅行ライターのコメントもあり、全くその通りだと思った。
 一方で、同じ新聞のスポーツ欄には、スポーツの転機という特集で「無形の価値 どう伝える」という記事が掲載されていた。経済効果の話が中心で、感動の共有などを数値化できれば、スポーツ関連の事業において、行政の理解、企業の支援や市民への周知がしやすくなると書かれていた。その記事の下には、「30年五輪 年内内定も 札幌本命 日本とIOC協議」という記事があった。東京オリンピックは、終了した後も様々な問題が残されたままなのに、また日本で開催しようとしていることに驚いた。経済効果、効率、合理性を追求した結果、開催の意義が霞んでしまったように見えたのだが、相変わらず同じことを追求している人たちが中心なのだということを認識した。
 大震災や新型コロナなどで、日常が日常でなくなり、全てが停滞してしまっているように見えるが、それも道草として、その価値を考える時なのだと思う。大学時代、数学者の森毅氏が寄り道のすすめをする著作を読み、その考え方に共感し、その後、森氏の著作ばかりを読み続けていたことを思い出す。そして、このことを頭の片隅に置きながら、一人一人の価値を重視できるシステムを考え卒業論文を作成をした。当時は、合理性ばかりが求められる日常に反発する自分の姿があったのかもしれない。やっとその価値が認められる時代になってきたのだとすれば、自分にとっては、生きやすい時代になったのだと思う。あらためて寄り道を楽しめる人生にしたいと思った。



[昔のいずみ]