最近のいずみ

Last Update:2023/12/31



パートタイムアスリートいずみ 23年目に突入 

■2022年12月31日(土曜日)


西尾市(お茶の町)の郵便ポスト
 朝のランニングは、小学生の時に毎年冬になると父と走ったランニングコースをたどってみた。当時は、雑木林のようになっていた公園もかなり整備され、自然から人工物に変わってしまっているのが残念だった。その後、自宅近くの山にある、高校受験勉強時期に、毎日走った1kmほどの上り坂を走った。こちらの景色は当時と変わらなかったが、田んぼしかなかった場所に新たに駅ができ、その周辺の開発が激しく、高層マンションの建設が始まっているのが山の上からよく見えた。15年ほど前にほど前に、大雨で完全に水に浸かった地域なのだが、防災面は大丈夫なのだろうかと思った。
 午前中は、祖父母のお墓詣り。午後から長男は、ポケモンカードの大会に出るということで、会場へ送っていった。妹の次男もわざわざ隣の市から自転車で来て合流した。参加希望者が定員を大きく上回り大会参加は抽選となったが、2人とも当選して大会には参加できたようだ。長男は5回中3回勝ち、妹の次男は、最初に負けて終了となったとのこと。来年も参加して次は勝つと言っていたそうだが、その前に受験をしっかりと乗り切ることを優先して欲しいと思った。

■2022年12月30日(金曜日)


徳川家康公



岡崎城



乙川と夕日



Chabacco(ちゃばこ)
 帰省のため、朝6時に、長男と三男を連れ自宅を出発。もともと渋滞予測が出ていて、午前10時頃には35kmくらいの渋滞になるとのことだったので、その時間帯よりも早い時間であれば、渋滞の距離も短いだろうと思っての出発時間だったが、横浜町田から東名高速道路に入ると、すでにノロノロ運転の状態だった。厚木辺りから一瞬渋滞が解消されたように見えたが、秦野中井辺りを先頭にまた渋滞で、12km150分という表示がでていて驚いた。12kmだったらジョグでも60分前後で走れそうなのに、その倍以上かかるとうことは、ほとんど進まないことを意味したため、その直後に目に入った出口へ飛び込んだ。しかし、そこは出口ではなく、新東名の入り口だった。こちらは、混雑がなく、なんてついているんだと思ったのだが、この道は、途中までしかできていないようで、結局しばらく走った後、秦野丹沢で一般道へ降りることになった。その後は、秦野中井を目指し、秦野市内を通過し、秦野中井から改めて東名高速に入ったところ、少し車の量は多かったが、止まるような渋滞はなく、上手く渋滞を回避できた。
 その後は、新東名に入り、浜松まで来たのだが、その先の新城で事故渋滞が発生したとのことで渋滞の距離と時間が表示を見るたびに増えていったため、東名に乗り換えた。しかし、東名でも新城の手前で渋滞となり、しばらくノロノロ運転が続いた。結局実家についたのは12時頃。移動時間は6時間。たくさんの渋滞に遭遇した割には早く到着できた。  実家には、既に下の妹とその娘たちが帰省していて、夜には、上の妹家族も合流して、久しぶりに話ができた。上の妹の次男も、我が家の次男と同じ受験生なのだが、今日は、我が家の長男とおポケモンカードで遊び、明日は、2人で大会に出ることを約束したらしい。受験生に何をやらすんだか・・・
 夕方ランニングで岡崎城へ行ってみた。岡崎の玄関口となる名鉄東岡崎付近は、再開発が進んでいて、駅ビルは、半分が新しくなり、もう半分が昔のまま残っていた。ロータリーは、新しく整備され、馬に乗った徳川家康の立派な銅像が新たに立っていた。東海オンエアというYouTuberのグループが岡崎市の観光伝道師らしく、戦国武将の格好をしたメンバーが「ようこそ岡崎」というキャッチフレーズと共に駅前の大きな看板に掲載されていた。駅ビルの自販機には、ウナギの自販機や中華料理の自販機、Chabaccoと書かれた一見タバコの自販機のように見えるが、実は、お茶の葉の自販機があるなど、なかなか見ることのない自販機を見ることができ、とても楽しかった。
 駅周辺の菅生神社、龍城神社、六所神社は駅前の新しいビルとは対照的で昔と変わらないたたずまいで、なんだかホッとした。

■2022年12月29日(木曜日)
 今日から冬期休暇に入った。子どもたちは先週末から冬休みに入っていて、長男は、毎日ポケモンカードをいじり、次男は、勉強をしているが、こちらが氣がつくと動画を見ていて、三男は、全く宿題をやらずにゲーム三昧。子どもたちは、完全にだらけた生活をしているので妻は常にイライラしている。明日から帰省の予定だが、次男は受験生ということで妻と次男は自宅にとどまることになっている。三男は、やるべき宿題をきちんとやったら連れて行くという話をしたところ、それだったら帰省しなくていいと言いだし、泣き出すようにふさぎ込み、面倒なことになった。最終的には、夜になって、妻に強制的に宿題をさせられ、一応帰省することになったが、最近は、こういったことが続き、三男の対応に夫婦で右往左往している。
 夜には、骨ストレッチの関係者によるZOOMでの懇親会が行われた。2時間程度の予定だったが、終わったときには日が変わる時間帯で、4時間も話込んでいた。目に見えないものを感じられる方が、パワースポットの紹介をしてくれ、来年は、こういったパワースポットをめぐるツアーを企画しようということになった。上手く都合がつく日程になってくれればと思う。 

■2022年12月28日(水曜日)


久里浜海岸



富士山
 練習は12月3日以来のサーキットトレーニング。この3週間コロナの影響で、體が動かせなかったり、ジョグだけでもきつい時期が続いたので、なかなかウエイト器材を使ったサーキットトレーニングができなかった。久しぶりなので、かなりきついだろうと思ってスタートしたが、體は意外と動き、スクワットを除けば、比較的余裕を持って動くことができた。3セットのタイムも、ほぼイーブンペースで、さらにコロナに感染する前よりも良いタイムで驚いた。スクワットだけはきつく、サーキットが終わった後は、内転筋が痙攣しそうな感じの疲労があった。明日以降は筋肉痛かもしれない。
 サーキット後は、400mトラックで4000mペース走を実施。ペース設定は3分40秒/km。1周目は、なかなか設定よりも速いペースで走れているのではないかという感覚だったが、タイムは89秒。設定は88秒なので、設定よりも遅く、これはかなりきつくなると覚悟しつつ、なんとか設定ペースに戻すべく頑張った。最初の1000mは3分39秒7。なんとか設定に戻したが、思っていたよりもきつかったので、この後はペースダウンの可能性が高いと思い、必死にピッチをキープすべく頑張った。その甲斐あって1000mから2000mは、3分37秒0。なんとかペースを維持し、この感覚でいければ何とか設定通りにいけそうだという目処がつき、残りは、比較的リズム良く走れた。その後の1000mは3分37秒5、3分38秒4で設定通り走り切れた。1周目の状態からすれば、本当に良く走れたと思う。
 最後は、300m。43秒台で走れればと思ってスタートし、思ったよりも體が動くので、43秒を切っているかもしれないと思ったのだが、結果は43秒9。ちょっと感覚と実際のタイムにズレがあった。
 今年のトラック練習は、帰省の関係もあり今日で終了。コロナで全く走れなくなったが、少し間隔を戻して、来年に入ることができそうだ。

■2022年12月27日(火曜日)


JERA横須賀火力発電所方面
 練習は1000m×5。休息は200mを3分ウォーク。練習参加者は、2年生2人、4年生2人、顧問2人ということで、現役の選手は2年生しかいないという何とも言えない年齢構成のメンバーで練習が始まった。設定3分10秒。先週のトラック練習を途中で止めたので、コロナにかかって以来、初めてまともなトラック練習となった。
 先週の400mと同じペース設定にもかかわらず、なんとか集団についていくことができ、1本目は3分10秒0。それほど大きく呼吸も乱れず、今日は走りきれるという自信が湧いてきた。
 2本目は、ちょっと呼吸が苦しくなったが、集団から離れることなく走り切れた。しかし、タイムが取れず、先頭の学生によると3分12秒台だったということで、ちょっと設定よりは遅かった。
 3本目は、かなり苦しくなり、走り終わった後に2回ほどえづいた。タイムは3分09秒6で設定通りに走れた。
 4本目も3分09秒6。走り終わった後に、数え切れないほどえづき、かなり呼吸が苦しくなってきたが、あと1本ということで、なんとか次のスタートを切った。
 5本目は、走りの姿勢を4本目までとは変え、4本目までとは違う感覚で走ってみた。最後の方は、かなり呼吸が苦しかったが、集団から離れることはなく、3分10秒5で走りきった。
 先週の400m×7と比較すると、格段に走れ、少し走りが戻ってきた。学生たちは明日の夕方から冬期休暇に入るため、1月9日までは、一人練習となる。この期間に、しっかりと練習を継続し、1月の横須賀市長距離記録会できちんと走れるように準備したい。

■2022年12月26日(月曜日)


鴨居の海岸
 アメリカの中間選挙の際にアリゾナ州知事選挙が行われたが、今裁判になっているという。選挙を仕切るトップが州務長官と言うのだそうだが、知事選に州務長官が民主党の候補者として出馬し、自分の当選を自分で承認したという。自分の選挙を自分で仕切るというのは、そもそも間違っているように思えるのだが、アリゾナ州では、何事もなくこれが選挙として成り立っていることが驚きだった。
 この州知事選において、最も共和党の支持者が多いとされるマリコパ郡では、選挙の投票が締め切られた際の投票数と、締め切られた2日後の投票数に2万5000票ほどの差があり、締め切られた後に票数が増えていたという。票の追跡調査をするために、州の法律では、票の移動がどうなっているかを記録しておくことになっているが、これらの票は、どこから来たかは記録されていなかった。その時点でこれらの票は無効となるはずなのに、無効とはならず、そのまま票として数えられてしまったとのこと。これが選挙として成り立ち当選が決まっているというのがよくわからない。
 さらに選挙結果は、当選した州務長官と、負けた共和党候補の票差は1万7000票ほどだったというのだから、増えた票がなかった場合には、結果が変わってくる可能性もあるにもかかわらず、何事もなかったかのように当選が決まっているということに驚く。
 もっと驚きなのは、マリコパ郡の特に共和党支持者の多いとされる地域の投票日当日の印刷機、集計機が故障したこと。これにこの地域の住民は散々待たされて、結局多くの人が投票ができなかった。これらのことが裁判で問題とされ、裁判所が、当日の投票用用紙、期日前投票用紙、当日破棄された無効票をそれぞれ50枚ずつ検査することを認めた。その結果、20インチのはずの投票用紙の印刷が19インチに縮小されていたために、集計機が投票用紙を読み取れなかったことが判明した。当日の印刷用紙は、当日印刷機で印刷するそうで、前日の動作確認の際には異常がなかったということなので、プリンターの設定を故意に変えない限りあり得ないと、セキュリティの専門家は証言したという。まだこの裁判は続いているらしいが、この事実だけを聞くと明らかに不正選挙が行われたように見えるのだが、やっていることが滅茶苦茶で、理解できない。この州はもう民主主義を掲げる国の州ではないのかもしれない。

■2022年12月25日(日曜日)


赤くなってきたイチゴ
 テレビでは全国高校駅伝が放映されていたので、高校駅伝を何となく見ながら、昨日印刷した年賀状の1枚1枚にコメントを書いた。年賀状は90枚近くあったので、午前中の女子駅伝が終わる頃までかかってしまった。
 女子は、神奈川県代表の白鳳女子が大健闘の5位入賞というのが最も印象に残った。連覇を狙った仙台育英を最終5区で長野東が逆転し初優勝した。ケニア人ランナーがいないチームが優勝ということでよく頑張ったと思う。
 男子は、1区で昨年同様西脇工業の長嶋選手が飛び出して、今年は逃げ切って区間賞を獲得した走りは素晴らしかった。3区では、ケニア人ランナーと日本人高校生最速の佐久長聖高校吉岡選手の戦いが注目された。吉岡選手も日本人最高記録を出したが、先頭に立った倉敷高校のサムエルキバティ選手は区間新記録を樹立し、この差が最終区まで詰められず、倉敷高校は2時間01分10秒の大会新記録、佐久長聖高校は2時間01分57秒で日本人だけのチームでの最高記録を記録し、レベルの高いレースを見ることができた。
 厚底シューズが販売される前までだったら、大学生や実業団でないと出せないようなタイムが、当たり前に出るようになり、あまりにも強度が高く、高校生たちの體が心配になったりもした。

■2022年12月24日(土曜日)


日の出前





海水に浸かる犬と飼い主
 冬期休暇前最後の週末ということで、午前は氣合いを入れて練習をしようと思い、職場のグラウンドへ行ったのだが、グラウンドには投擲の学生が3名のみ。トラックには誰もいなかった。練習の予定を学生に聞いていなかったので、聞いていないのが悪いが、クリスマスイブということでどうやら練習はないようだ。クリスマスイブで練習がなくなるくらいのチームだったということにショックを受けた。自分の社会人チームでは、クリスマスイブだから激しい練習をするという感じなので、学生の感覚がかなりずれていることを認識させられた。いろいろ誘惑のある時代なので仕方がない。結局、練習はせず、小学生の陸上教室の指導へ行った。
 午後は年賀状作成。年賀状だけつながっている人がかなりいて、年賀状を送るのは止めようかなぁと思って、出さなかったりするのだが、そういう人に限って年賀状が届くので、結局毎年、正月になって年賀状を出すということが続いている。今年も出すのは最小限とし、相手から届いたら返信することにした。
 先日注文して送られてきたプリンターは段ボールに入ったままになっていたため、プリンターを出してパソコンやスマートフォンに接続を試みた。最初にスマートフォンと接続してしまったためなのか、年賀状の住所録の入ったパソコンはプリンターとWi−Fiでつながるはずなのだが、何度チェックしてもつながらず困った。その間にタブレットとも接続を試みたが、つながらず。タブレットは、直接プリンターとつなぐ方法で接続成功。パソコンは直接USBでの接続を試みたが、こちらもプリンターがパソコンを認識せず、初期不良かと思った。しかしWI−Fiの接続先が2種類あるので、パソコンとプリンターの接続先をもう1種類の方へ変えたところ、何とかつながってくれた。そして最後にメインで使っているWindowsXPのパソコンをUSBで接続し、すべての接続が完了。
 今年は、妻がもう年賀状を止めると宣言したため、いつもの5分の3程度の枚数となり、比較的早く印刷が終わった。あとは、一人一人にコメントを書くだけだ。

■2022年12月23日(金曜日)


横須賀中央駅前通り
 職場の体育学校OBと久しぶりに食事。OBといってもこの3年間こういう会ができなかったため、その間に自衛官の人たちは入れ替わり、3年間に在職した人たちはいなくなって、今回は、初めて会う人が多かった。自分よりも10歳ほど若い人たちが多かったが、体育学校では共通の知り合いがいるので、話は弾んだ。今どこに住んでいるかという話になったときに、我が家と町名が、「おおーっ!!」と盛り上がったのだが、その後の丁目の番号までが同じでさらに驚き、我が家から1分以内に自宅があることがあることがわかり盛り上がった。夫婦で熊本出身で横須賀には何の縁もないのに、転勤で横須賀へ来て自宅を購入したとのこと。同じゴミ捨て場を使っているのに、お互い知らないこともあり、全く氣がつかなかった。今後はご近所さんとして仲良く付き合っていければと思う。

■2022年12月22日(木曜日)
 練習は、学生と400m×10。休息は200mジョグ。設定は72秒くらいを予定していて、コロナ開けということもあり、少し厳しいかもと思いながらスタートした。
 学生の後ろをただついていくことだけを考えて1本目が始まり、72秒の感覚で走ったはずだが、結果は76秒7。全く走れていなかった。2本目、3本目も77秒7、77秒2ということで、今日は、72秒のペースは無謀だという認識になり、これ以上ペースダウンしないように走ることになった。意sかし、4本目は78秒6とさらにペースダウン。4本目が終わったところでえづくようになった。5本目も78秒4となり、6本目は76秒5に戻したが、6本目では走っているときにもえづき呼吸が乱れ、これ以上走り続けるのは困難になってきたため、7本目を最後の1本と決めペースアップ。65秒1で走り、終わった後はえづきまくり動けなくなった。
 自分が思っている以上にコロナの影響は大きかった。少しずつ體に負荷を慣らしていくしかない。

■2022年12月21日(水曜日)


フウセンカズラ
 2004年の自衛隊イラク派遣第一次復興支援郡長を務められた番匠幸一郎さんの講演を聴いた。学生のリーダーシップ教育の一環で話をされたので、学生向けの内容だが、イラクでの経験や覚悟など、現場の人しか体感できない貴重な話を聞くことができた。
 学生たちには、主語が国家(国家を中心に考える)であり、同業他社は国内に存在せず、20代前半で30名ほどのリーダーになる立場だという国内の他校にはない特性があることを認識して欲しいとのことだった。
 イラク派遣では、他国の軍隊との違いが、現地の人たちの信頼を得たそうで、これは、義理(G)、人情(N)、浪花節(N)という「GNN」と「ABC+DE」というキャッチフレーズを心がけた結果だという。「ABC+DE」は、国内でやっている「当たり前(A)のことをボー(B)っとしないでちゃんと(C)やる。できるだけ(D)笑顔(E)で」なのだという。とにかく徹底した規律の重視が自衛隊を際立たせたようだ。現地では、隊員が命を落とす可能性もあり、棺桶を持っていったそうで、実際、宿営地にロケット弾が何度も着弾するいわゆる戦地であったという。日本国内では、政治家が、安全な場所に自衛隊を派遣しているという説明をしていたが、現地では、このオペレーションは、軍事作戦であるという認識で、とにかく基本基礎を徹底し、死者を出すことなく帰国できたが、これを成功体験としないよう進言したと述べられていた。基本基礎の徹底の話では、射撃の例が出され、とてもわかりやすかった。射撃では、銃の先にある照星と銃の後方にある照門という2つの目印と的を合わせた状態で引き金を引ければ的に当たるが、どちらかがずれれば外れてしまうことになる。片方だけでなく両者のバランスが重要であり、バランスをとることが基本基礎の徹底ということになる。当たり前の話なのだが、現場で錯綜した場合には、偏った考えになりがちになるため、自分たちの戻る場所は何かという、軸となることを常に確認したようだ。
 指揮官の究極の役割は「決心」と「責任」であり、それを成すには、相当な困難が伴い、一人で悩むことが多々ある。隊長室や秘書となる副官、隊長の専用車両が与えられる理由は、それらが隊長にとって支度をするための場所や人であり、自分が悩む姿を部下に見せないためのものなのだと番匠さんは解釈されていて、納得させられた。そして、「高安定、高感度、高淡泊」が指揮官としての態度であり、危機的な状態でも平氣を装い、精神的感化ができる姿勢が見せられないと部下を不安に陥れることになってしまう。孤独の中での謙虚さ、感謝、内心の清潔さを保つことが大切で、これを「忘己利他(もうこりた)」と表現されていて、上手い表現だと思った。
 「人事を尽くして、天命を待つ」という言葉があるが、それでは平和や安全は保てないという。番匠さんは、「天命を信じて、人事を尽くす」という表現をされていた。「全ての問題は解決されるために存在する。そして解決してくれる人のところにしか来ない。」という言葉も印象的だった。

■2022年12月20日(火曜日)


 最近、朝寒い。今週は、自宅周辺では珍しく霜が降りた。横須賀は海に囲まれているため冬でも暖かい印象なのだが、今朝の氣温は2度だったと職場の友人が話していた。横須賀での2度は、滅多にあることではないが、日本列島に大寒波が押し寄せているようなので、こういうこともたまにはあるのだろう。
 新潟では、大寒波により大雪となり、車の立ち往生が相次いでいるという報道があった。特に長岡の報道が多い。長岡は、友人が来年3月から移住を計画している場所で、購入した土地には、自宅の他、山や川があり、自宅に温泉を敷くことも可能になるような場所だと聞いた。耕作地も借り、兼業農家をして、自給自足を目指す話も聞き、ちょっと憧れていたが、今回の大雪の話を聞き、移住には相当な覚悟が必要だと思った。

■2022年12月19日(月曜日)
「ゲンゴロウ、ニホンザリガニ、販売禁止 希少種指定へ」という記事を読んだ。環境省は、来年1月11日から、ゲンゴロウやニホンザリガニなど新たに指定した15種類の動植物の捕獲や採取、販売などを原則禁止するという。例外的に研究や飼育のための採取は認められるらしい。
 ゲンゴロウやニホンザリガニは子どもの頃は、田んぼに行けば、だいたい捕まえることができるほど身近な存在だった。当時はアメリカザリガニとニホンザリガニが混在していたが、アメリカザリガニの勢力が強くなり、ニホンザリガニの存在感が薄まってきていることをなんとなく感じていた。しかし、実家付近の田んぼの多くは、畑になってしまい、ザリガニ自体を身近に見ることができなくなってしまった。どの地域も最近はため池や田んぼがなくなっているようで水生昆虫の生息域は激減しているということから、こういう水生昆虫たちは、今や希少種ということになってしまうのも仕方のないことなのかもしれない。農業をする人口も減ってきて、いろいろなところに営業が出始めているということなのだろう。

■2022年12月18日(日曜日)
TwitterのCEOに就任したイーロン・マスク氏の指示により、3人のジャーナリストが次々とTwitter内部の議論の経緯についての記事をTwitterで投稿している。
 バイデン大統領の息子ハンター・バイデン氏のラップトップに関する記事が出回らないようにブロックしたり、当時のトランプ大統領の大統領選挙に関する書き込みがブロックされたりした裏には、バイデン大統領側を応援するTwitterの上級幹部、民主党関係者、FBIの関係者が関わっていることがわかった。また、2021年1月6日の米議会襲撃事件に関連しトランプ大統領のアカウントが凍結された裏にも、元々大統領のアカウントを排除したいと考えていたTwitter幹部が社内規定を無視し、無理矢理理由をでっち上げた結果で、大統領が襲撃事件をあおった事実はないことが判明した。2020年の大統領選挙の合法性が揺らぐほどの選挙不正と言ってもいいくらいの大問題なのに、大手メディアからは、この話題が全く出てこない。大手メディアで報道されなければ、世の中には存在しないことにされているようで、なんとも腹立たしい。この話題を報道すれば大手メディアは自分たちが間違っていたことを認めなければならず都合が悪いということなのだろう。まさに報道しない自由。結局テレビや新聞は真実を報道しないということが如実にわかる出来事だった。まだまだ暴露記事は続くようなので、注目していきたい。

■2022年12月17日(土曜日)
 横須賀市長距離記録会にエントリーしていたが、水曜日まで隔離だったため、試合前1週間異常なしのルール上、参加できず一人で練習。メニューは8000mペース走。設定は3分50秒。
 出だしは、3分48秒5、3分49秒0という感じで、1週間以上トラック練習をしてなかった割にはきちんとしたペースで走れた。このまま一定ペースで走り切れるだろうと思っていたのだが、2000m〜3000mは、3分54秒2となり、その後は、3分56秒4、3分58秒2とペースダウンすることとなった。何とか4分以上にはいかないようにしたかったのだが、残念ながら4分02秒4、4分02秒5となり、想像以上に持久力が低下していることを実感した。最後の1000mは何となくペースアップし、3分56秒3。4000m以降は、左下腿が攣りそうになりながらの走りで、特に左足は地面を蹴って走っていることが想像できた。ペース走後、300mを走ろうと思って軽くダッシュしてみたが、左下腿がすぐに攣りそうになり、今日は断念。急にいろいろと求めるのではなく、少しずつやっていきなさいという體の声だと思った。

■2022年12月16日(金曜日)


たたら浜
 ウエイトリフティング部の4年生が走りについて質問に来たので、わかる範囲でフォームから食事に至るまで、いろいろと回答した。種目が種目なので、腕も脚もかなりの筋肉がついており、本人としては、できればこの筋肉を落としたくはないが、持久走も速くなりたいということで、なかなか難しい問題に直面していることがわかった。
 話をしている中で、ウエイトリフティングの部外顧問を最近見ないが、どうされているかと聞いたところ、なんと今年4月ごろに亡くなったということを聞き、とても残念に思った。自分が学生になる前から部外顧問として学生のサポートをされていた方で、お会いするたびに、学生の話や、共通の知人の話などをして交流していた。近年は、手術により、筋肉が落ち、自分の體で実技指導が難しくなったと嘆いておられたが、まさか亡くなってしまっているとは・・・。生前、学生のためにサポートを続けてこられたことに対して感謝申し上げたい。
 今年は、日本の超過死亡数が東日本大震災の被害以上となり異常な数値だという。自分の身近なところでは、父の兄が3月に亡くなった。団塊の世代が75歳以上となり、自分たちの親世代がいつ亡くなってもおかしくない年代になってきた。コロナの流行により、なかなか帰省ができず、親が亡くなるまでにあと何回会えるのか。帰省の機会を大事にしたいと思う。

■2022年12月15日(木曜日)


東京湾と富士山
 職場復帰ということで、今日から、以前と同じ生活スタイルに戻そうと思い、朝5時過ぎに起床したのだが、当然まだ外は真っ暗で、先週までと比べるとかなり寒い。いったんトイレへ行った後、あまりの寒さにまた布団にもぐってしまったところ、気が付くと6時を過ぎていて、朝練のタイミングを逃してしまった。結局朝練はできず、犬の散歩だけとなった。
 今日は、昼休みに観音崎へジョグ。走っているときに、一瞬意識を失いそうになることが何度もあり、頭がなんだかクリアーではなかった。コロナに感染した人の中には、頭の中が雲がかかったようにはっきりせず、後遺症のような状態(ブレインフォグ)になる人がいると聞いたことがある。1日を通して何となく頭がはっきりしない感じがしているので、ブレインフォグなのではないかと心配になった。

■2022年12月14日(水曜日)


花の国からの眺め
 明日から職場復帰ということで、外に出てゆっくりとジョグをしてみた。1週間、ほとんど横になっていたおかげで、張りのあった臀部やハムストリングスの張りがなくなり、アキレス腱の痛みもなくなった。アキレス腱は、さわるだけで激痛だったのに、1週間寝込むと、痛みのあった部位をつまんでも痛みがない状態にまで回復した。下腿が軽く、意外と走りやすかったが、下り坂を走るときには、内側広筋への負荷が大きく感じられ、1週間の休みで筋力低下していることを実感した。
 8月16日以降1日も欠かさず走ってきたために、疲労が積み重なっていたということで、體が休息を必要としたために、わざわざコロナに感染してくれたのかもしれない。體の回復という意味では、貴重なお休みだった。

■2022年12月13日(火曜日)
 体温は、1日を通して36.7〜36.8度で安定したが、時々何となく熱っぽい感覚が戻ってきたりする。妻と長男は、まだコロナが始まったばかりなので、ほぼ1日寝込んでいた。次男と三男はほぼ平熱となり、時々37度台に入ったりして、実際の感覚とはずれているときもあるようだった。
 三男は、一昨日まで発熱状態にもかかわらずゲーム機から離れられず、休まなければならないのにそれができなかったことで、妻からゲームをストップさせられた。しかし母が寝込んでいることをいいことに、次は、スマートフォンで動画ばかり見ている。ゲームをストップしても、何の反省もなく何も変わらないところが凄い。
 次男は、鼻をかみ過ぎなのか、コロナ後連日大量の鼻血。発熱よりも鼻血の方が大変なことになっている。今日からの変化としては、長らく寝たきりだったため勉強が滞っていたが、今日から少しずつ再開。シャープペンシルを持って字を書きながら、「久しぶりに字を書いた」と言って自分で驚いていた。
 職場復帰まであと2日。味覚もかなり戻ってきたので、あとはちょっと熱っぽい感覚が抜けてくれればと思う。

■2022年12月12日(月曜日)
 次男と三男に続き、昨夜から妻と長男が発熱。午前中に発熱外来の予約をし、お昼に彼らを発熱外来へ連れて行き、2人ともコロナ感染ということになった。長男は39度台が続き、解熱剤を飲んでもなかなか熱が下がらない。昨日の次男と同じく、しばらく辛い状態を耐えるしかないだろう。
 政府の新型コロナ分科会の尾身会長がコロナに感染というニュースが出ていた。彼は、ワクチン接種が始まった頃、感染を防ぐために接種を推奨していた。しかし、政府やマスコミは、途中からなぜか周りの人にうつさないためとか、重症化予防という言葉にすり替えるようになった。日本人は、マスクと消毒という感染対策とともに8割以上の人がワクチンを2回接種した。第8波が来ないために、日本人はまじめにやることやっているのに、尾身会長は、先日第8波が来ると発言されていた。第8波が来ると宣言することは、人にうつさないためにやっているはずのワクチンや感染対策は意味がないということを宣言しているに等しい。そして、自分の第8波発言に説得力を持たせるかのように、ワクチンをしっかり接種し、感染対策をしっかりやっているはずの本人が感染。倦怠感があるが、喉に違和感がある程度だそうで、ワクチンのお陰で重症化しなかったということになるのだろうか。対策をきちんとやってきている中でなぜ第7波までやってきたのか誰も説明してくれない。第7波までと同じ対策をしているから第8波が来るのではないかと思うし、第8波が来れば、何も変えなければ当然第9波が来ることになる。永遠に続く。もういい加減この繰り返しを止めるため、全く違うアクションを起こしてはどうかと思う。

■2022年12月11日(日曜日)
 朝は37.3度。次男は今朝39.8度ということで、体調の悪くなった三男と共に救急医療センターへ行き、抗原検査陽性となりコロナと診断。薬の処方では、解熱剤のカロナールの量が自分より多く、処方された通り飲んだ次男の体温は、37度台まで一氣に下がった。頭が痛くて発狂しそうな感じだったのに、体温が下がるとお腹が減ったと言って、腹減りでイライラしはじめちょっと暴力的だった。体調が悪いというのは、その人の心の部分にも影響があることを如実に示しているように見えた。
 駅伝は、自分が出なかったことで、優勝争いからは後退したようだが、それでもチーム全員で3位入賞したとの連絡があった。来年は、出られるよう体調を整えたい。

■2022年12月10日(土曜日)
 朝起きた時点では36.8度。昨夜は夕食後薬を飲んで寝たのだが、氣持ち悪くなったり、頭がおかしくなり、何かを破壊したいような衝動に駆られた。薬の説明には、「気持ちが悪い、吐く等が現れることがあります」との記載があったので、薬の副作用だったのかもしれない。昨日は、解熱剤の他にも処方された薬を、試しに飲んでみたのだが、必要のない薬は飲むべきではないということなのだろう。自分が寝込んでから、自分が主に家事として担当していた洗濯が滞りがちになり、家族に迷惑をかけているので、起きて干してある洗濯をたたみ、洗濯機にある洗濯を干した。
 腰が痛くてしばらく寝られない感じだったため、少し庭に出て動くことにした。庭で落ち葉をひたすら拾った。すでに腰痛の状態なので、しゃがんで作業をするのはやはり辛かった。散歩のような経って歩くことの方がよさそうだった。
 次男が昨夜から調子が悪く、今日は午前中に発熱外来を予約して、予約時間になったら病院へ行ってみたが、どれだけ待たされるかわからないということで、一旦家に帰ってきた。結局改めて受診しても解熱剤などの対処療法でしかないことがわかっていたので、今日は、病院へ行くのを止めた。そして、夜になり三男もどうやら体調が悪くなってきたようだ。

■2022年12月9日(金曜日)
 昼前まで寝て、体温を計ってみると37.6度。少し体温が低くなり落ち着いた。一昨日の夜は、體が熱くて布団に潜って寝るのが苦痛で、寝返りが多く、トイレへ行く回数も多かったため全く寝られた感覚がなかった。しかし、昨夜は、体温が下がったためか、一昨日と比べるとトイレへ行く回数も減り、ある程度眠ることができた。寝られた分、昨日以上に腰が痛くなり、寝るのが苦痛になってきた。

■2022年12月8日(木曜日)
 昨夜発熱し、今朝の体温は38.3度。職場にお休みと授業のお願いをし、発熱外来を探して予約。昼前に発熱外来へ受診し、抗原検査の結果「残念ながら陽性です」と言われ、コロナと診断されてしまい、家族の行動にも影響を与えることとなってしまった。
 症状は、発熱のみなのだが、薬局へ行って、処方箋を渡すと4種類の薬を渡された。解熱剤はもちろんだが、そのほかは、痰や咳、喉の痛みなど、自分にはない症状に対応した薬だった。コロナなので、医療費は国持ちということで無料だったが、コロナに対応した薬ではなく、ただの対処療法的な薬ということであれば、必要な薬だけくれればいいのに、なぜこんな余分に薬が配られるのか?薬局は、薬を出しただけ収入が上がるのだろう。こんなところにも医療費の無駄遣いが発生していて、これが日本で2000万人以上が陽性となっているのだから、とんでもない額だと思った。コロナが始まって3年ほど経つのに、いまだに対処療法しかないというのも残念に思った。
 週末は駅伝に出場予定だったが、これで出場できなくなり、チームの関係者に連絡し、補欠の選手との調整など、寝ている場合ではないくらいいろいろとやりとりが必要だった、なんとか調整がつき、すべてチームメイトにお願いすることができ一安心。
 基本的には寝床でずっと寝ていたのだが、じっとしていると、勝手に足の指や下腿が攣りそうになる。先週くらいから、よく足をつるのだが、これはコロナと関係なく疲労なのかもしれない。

■2022年12月7日(水曜日)


海から湯氣
 体育学校レスリング班の選手2名が渋谷で大麻所持をした疑いで逮捕されたという報道があった。一人は昨年の全日本選抜のチャンピオンで、日本代表として世界選手権にも出場している選手だった。報道によると、11月27日の深夜、警察官から職務質問を受けたことで発覚したとのこと。11月27日の深夜というのは、日曜の深夜。その時間帯は、普通は駐屯地内にいる時間帯で、翌日の練習のために寝ていてもおかしくない時間帯。そもそもその時間帯に外をうろうろしていること自体がよくわからない行動だ。それ以上の詳しいことはわからないが、自分の後輩が、こういう報道で目立つのは残念でならない。

■2022年12月6日(火曜日)
 三男が先週日曜から頻繁に微熱となり、学校へ行ったり早退したり休んだり、はっきりしない状態が続いていた。鼻水をため込んですすっていたりするようなので、妻は副鼻腔炎を疑い、午前中は三男を耳鼻科へ連れて行った。
 三男は平熱が36.9〜37.0度くらいなので、体温を計って37.1だと微熱といえば微熱になるのだが、病院の受付でそれを申告すると、発熱外来へ行ったかどうかを問われ、「困るんですよねぇ」という感じで、一旦病院の外へ追い出されて待つこととなった。外で待つ間に、オンライン問診を行い、別室へ案内され実質隔離状態で待った。待っている間、次々と新型コロナワクチンの予防接種を受ける人の名前が呼ばれていた。いまだにかなりの人たちがワクチン接種を継続していることがわかった。三男は、診察を受け、副鼻腔炎疑いという診断だった。とりあえず薬を飲んで、からだを落ち着かせてもらうしかない。

■2022年12月5日(月曜日)


試運転中の発電所から煙が・・・
 脱炭素と言われるようになって、いくらか時間が経っているが、その脱炭素を声高に叫んで、電氣自動車を推進している欧米で、なぜか石炭業界の株が急上昇中なのだという。その理由は、ウクライナやロシアの影響によるエネルギー不足。安定した電力の確保という観点から、ヨーロッパでは石炭火力発電所の稼働再開が拡大、廃止の延期が表明されている。中国でも石炭の需要が拡大し、ロシアからの輸入もあるというが、最大輸入先はインドネシアなのだという。インドネシアは、世界中から石炭を求める国からのオファーが殺到しているようだ。結局脱炭素は絵に描いた餅になってしまうのかもしれない。
 日本は、脱炭素を無視するかのように当時の環境大臣のお膝元である横須賀で新型の石炭火力発電所を建設が始まった。東京湾の周りにいくつかそういった発電所建設が計画され、他の地域の建設計画は住民の反対で中止となったが、なぜか横須賀だけは計画通りに進んでいる。いまだに住民の反対署名が続くなど、住民は納得していないが、1号機が完成し、この秋ごろから試運転が始まっている。寝ていても何かの振動音が常に伝わってきて住民としては迷惑な施設だと思っている。

■2022年12月4日(日曜日)


結婚式後



ウェディングケーキ
 教え子の結婚式と披露宴に参加。3年近く前に別の教え子から結婚式の招待があったが、新型コロナの影響で結婚式が中止になってしまったので、教え子の結婚式に参加するのはちょうど9年ぶり。今日招待してくれた教え子と9年前に招待してくれた教え子は、期別では2つしかずれていないが、2人とも中距離を一緒に走った仲間。新郎と新婦は800mを通じて知り合い、新婦は日本選手権チャンピオンだったということもあり、今日は男女とも800mの歴代の日本選手権チャンピオンを筆頭に、各年代で全国タイトルを獲得した人が多数招待され、関係者からすれば、試合会場かという顔ぶれでかなり豪華な結婚式だった。
 ほとんどが新郎新婦と同世代の招待者ばかり。自分は披露宴の乾杯を頼まれていたのだが、祝辞を読まれた主賓(自分の選手時代のコーチ)と自分だけが明らかに年齢が突出していて、挨拶を頼まれる年代になったのだということをあらためて実感した。
 披露宴は、新郎の趣味(アベンジャーズ)にちなんだケーキやイベントが用意され、みんなが楽しめるように様々な工夫がなされ、新郎新婦らしいとても明るい清々しい宴だった。

■2022年12月3日(土曜日)
 練習は、学生と400m×10(学生達は10〜12)。設定は68から70秒。休息は200mジョグ。
 1本目からきつく、それでも設定ギリギリの70秒台。一昨日の1000mのペースの方が速いのに、今日はたった1周がきつかった。2本目は長距離の学生たちが内側を走っているため2レーンを走ることになった影響もあってか、なんとタイムは72秒6。感覚としては1本目と同じだったのにタイムがかなり落ち込んでショック。今日は、自分を含め走っている4人全員の走るリズムが悪いと感じた。
 その後も70〜71秒台が続き、先頭を引っ張る4年生は、呼吸が異常な状態になり珍しく途中棄権。自分は10本と決めていたので最後の1本は少しペースアップし65秒2で終了。もう1人の4年生も10本で終了し、3年生1人だけが12本走った。
 途中棄権をした4年生は、今、走ることが全く楽しくないと話していた。いつも競うようにして走っていた2人の学生が練習に出られない影響が特に大きいとのことだった。1人はインフルエンザで隔離となり、もう一人は足の故障。自分が学生の時は、練習はスタートが一緒でも、競う人がいないので結局一人練習で、それが当たり前だと思っていたためか、モチベーションが上がったり下がったりということはなかったが、同程度の力の選手が集まって練習をしている集団では、仲間の影響は大きいということなのだろう。

■2022年12月2日(金曜日)


日の出



庭のイチゴ
 NATO外相会談が一昨日終わり、ウクライナが求めていたNATO加入申請については何事もなかったかのように無視となり、引き続きウクライナを支援するとの声明が出されるにとどまり、何も新しいことは決まらなかった。
 昨日は、ホワイトハウスでバイデン大統領とフランスのマクロン大統領が首脳会談を行ったが、こちらも外相会談と同じく継続してウクライナを支援するということで一致したらしい。何も変化がないということは、ウクライナの状況は当分このままということになるのだろう。バイデン大統領は、プーチン氏が戦争を終わらせる用意があるなら会談を行う用意がある、と上から目線で話しているが、バイデン大統領には戦争を終わらせる用意がないと言っているようにも見える。
 マスコミを中心に、ウクライナは戦争に勝利していると言わんばかりの報道が続いているが、戦争に勝利しているのであれば、引き続きの支援は必要ないはずなのだが、会議で何も新しいことが打ち出されず、継続支援を表明している時点で、マスコミの言っているウクライナが優勢というのは間違っているのではないかと思えてきた。

■2022年12月1日(木曜日)
 練習は、1000m×3。休息は10分。この1週間の練習は一人でジョグが多く、全く呼吸循環系に負荷をかけていなかったので、かなり追い込まれた。
 1本目は控えめに、学生の後ろについて、ついていけるところまでついていこうと思ってスタートした。最初から先頭の学生はちょっとペースが速いなぁと思ったが、2番手以降は、若干離れながら走っていたため、2番手以降の学生にはついて行けそうだと思え、とにかく離れないように走った。スパイクを履いているお陰が、思ったよりも辛い思いをせずについていくことができ、残り1周になったときに、まだ余裕があるじゃん、と思え、前にいる学生を一人ずつ抜いていき、最後の直線に入るときには、先頭の学生に追いついてそのまま離れずにフィッシュできた。タイムは2分49秒3。3分を切ることができれば上出来と考えていたので、自分が思っている以上に走れて驚いた。しかし、その直後から氣持ち悪くて吐きそうな感じがつづき、體の方はかなりの負荷がかかっていることがわかった。
 2本目は、調子に乗って、先頭の学生についていったのだが、1周が終わる頃には、呼吸が苦しく、腰が引けた走りで力が地面に伝わらなくなってしまった。その後、何度もえづくようになり、学生たちからは離れ一人で走ることになった。フィニッシュ時に時計のストップウォッチを止められないほどダメージが大きく、タイムはだいたい3分07秒くらい。フィニッシュ後も何度もえづき、その場から動けなくなった。1本目の強度が高すぎたようだ。
 3本目は、初心に戻り、一番後ろから走り、とにかく一番後ろの学生から離れないように努めた。周りの学生たちもみな辛かったようで、先頭の学生だけが一人先に行ってしまった。最後の1本なので、しっかりと走りきりたかったので、残りの1周で単独の2番手となりペースアップしてそのままフィニッシュ。タイムは2分53秒台。思ったよりも速いタイムで、意外と走れるじゃないかと自分で自分を褒めたくなった。
 走り終わった後は、ダウンのジョグを始めたが、両下腿と内側広筋がつりそうになり、今日の走りは、力任せのあまりいい走りではなかったということを実感した。



[昔のいずみ]