最近のいずみ

Last Update:2023/10/31



パートタイムアスリートいずみ 23年目に突入 

■2023年10月31日(火曜日)
 日曜日に突然右膝を曲げると痛みが出て、膝を曲げきることができなくなった。ジョギング程度の可動域であれば、膝の違和感はないが、しっかり曲げようとすると、曲げるのは困難なので、異常な状態。夜は接骨院へ行って、超音波診断機で、膝の状態を見てもらった。半月板とその周辺の脂肪体に問題がありそうとのことだった。今日の仕事は、1日体力測定で、朝6時過ぎには出勤し、夜も7時過ぎまで仕事でmずっと立ちっぱなしだった。疲労もあり、膝はいつも以上に負担があったと思う。電氣治療器で膝の周りに電氣をかけた後、内側広筋をはじめとする大腿四頭筋に刺激を入れる運動療法を施してもらい、動きは改善した。完全には回復できていないので、様子を見ていくしかない。  

■2023年10月30日(月曜日)


富士山
 イスラエルとハマスの戦いの報道が続いている。国連に加盟している多くの国は、イスラエルとパレスチナは、2つの国としてやっていくことに賛成しているが、アメリカはイスラエルの立場を指示し、あくまでパレスチナはイスラエルの一部という立場を継続している。そして残念なことに日本もアメリカと同じ立場を取っている。この立場だと、イスラエルはハマスと戦争をしていると発表しているが、2国間の戦争ではなく、イスラエルの立場からすれば内戦ということになる。連日の報道からわかるのは、イスラエルは反撃と言うには、あまりにも過剰な攻撃で、一般市民の犠牲者数が多い。ハマスは、一般市民を人間の盾にしているので、反撃にはある程度の犠牲は仕方ないと言いながら一般市民を標的にした虐殺をしているようにも見える。完全に人権を無視しているので、アメリカやイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国は、それについて「人権を守れ」と叫ぶ立場にならなければおかしいのだが、イスラエルのことになると、何も言わない。結果的に人権を重要視ししている欧米は虐殺を肯定していることになり、アメリカや日本は、そもそもパレスチナを国として認めていない時点で、この戦いについてとやかく言うこと自体が内政干渉なのではないかと思えてくる。ロシアの戦闘停止を求める提案が氣に入らないかもしれないが、人権というのであれば、ロシアの提案は間違っていないと思う。

■2023年10月29日(日曜日)


本日の収穫



収穫後茹でた里芋
 午前は、庭の芋掘り。昨夜我が家に泊まった義母が手伝ってくれた。サツマイモは2種類育てたのだが、結局品種は何だったのか忘れてしまった。それぞれ適度な大きさのイモが出てきたが、思ったよりも量が少なかった。ほとんどのイモには虫に食べられたような穴がたくさんあり、本当に食べられるのだろうか?という感じ。土を良くしなければ、収量は増えることはないので、今後の課題だと思った。
 午後は、年に1度参拝に訪れている寒川神社へ。今年は、時間に余裕があったので寒川駅で下車し、第一鳥居から歩いて神社へ向かった。第一鳥居から神社までの道がかなりの距離があるのだが、参道に生えるクスノキ、スギ、マツ、ケヤキは大木が多く、樹齢は何年くらいなのだろうと思いながら、いちいち止まっては、眺めてしまった。
 本殿の裏に神嶽山神苑という裏庭のような場所があることがわかり、本殿の裏に入れるとのことで、行ってみようと思ったが、祈祷をお願いした人だけが入ることができるとのことで、祈祷をお願いすることはなかったため入れなかった。それでもゆったりと散歩ができ、由緒等の看板もゆっくりと見ることができ、約1600年の歴史があることを知った。参拝をして清々しい氣分で帰ってくることができた。

■2023年10月28日(土曜日)
 午前中は、三男の運動会。例年は、入試と重なって運動会を見ることができなかったが、今年は、1週間ずれてくれたお陰で小学校最後の運動会を見ることができた。三男は、学校を休みがちで、運動会もあまり行きたくないという感じ。義母が見に来るということで、車に乗せて、送っていくことで、何とか参加となった。コロナ流行後、運動会は学年を分けて半日ずつという流れだったが、今日は、全学年で午前中のみというかなり端折ったスケジュールだった。その割には、途中で休憩時間があるなど、随分のんびりとした運動会だった。三男が参加したイベントは、組体操と徒競走のみ。組体操も、昔のようなピラミッドや塔などの危険な種目は全くなく、昭和を生きてきた自分たちにとってはかなり物足りない内容だった。子どもたちは、座って待っている時間が長かったが、三男は、とてもつまらなそうな顔をして座っているのが印象的だった。応援団が走り回って合図をして、座っていた子どもたちが両手を上げてウェーブを作っていたのだが、三男のやる気のない手の上げを写真を撮って、夜本人に見せたのだが、本人は苦笑いをしていた。思春期ということもあり、無理にふてくされたような態度をとっているのかもしれない。演技も大変だと思った。
 午後は、横須賀市秋季記録会3000mに出場。1000mを3分20秒のペースで刻み、最後にちょっとだけペースアップして9分台でフィニッシュというのを目標にスタート。
 相手は、ほとんどが中高生だったのだが、スタートからみんな速く、自分の設定ペースでは、最初から最下位という状況だった。それでも1周目は76秒台と、自分の設定からは速すぎ、その後は、設定通りのペースを刻み、前から落ちてくる選手を一人ずつ拾って順位を上げていった。1000m通過は、3分20秒7、次の1000mは3分21秒9。WT−LINEシューズを履いているお陰で、呼吸は辛かったが脚に疲労はなく、余裕があった。残り300mからはペースアップし、800mを走っているときよりもスムーズに走ることができ、9分52秒67でフィニッシュ。最後の1000mは3分10秒1。思ったよりも良いタイムで上出来だった。 

■2023年10月27日(金曜日)
 明日の横須賀市秋季記録会へ向け一人で1マイル走を実施。タイム設定は80秒。余裕を持って4周を走りきることを目標とした。
 トータルタイムは5分12秒8だった。1周ごとのタイムは、76秒8、78秒9、2分37秒2(ラップが取れず、2周の平均は78秒6)。ペース感覚に乏しく、1周目が速かった。2周目から、残り3周を一定ペースで走りきれるのだろうかという不安に襲われた。2周目は、若干ペースダウンしたが、その後は、なんとか一定ーペースで走れた。しかし、左下腿の張りが強く、明日のレースに疲労を残しそうな感じで、5周目以降同じペースで走れるかと言えば、ちょっと厳しいという感じだった。明日は、前半は80秒のペースをキープし、最後だけペースアップし、3000mを10分切りできればと思う。

■2023年10月26日(木曜日)
 練習は、長距離パートで400mのインターバル。昨日の練習で、右の踵の外側が接地の度に痛みを感じ、左の大腿筋膜張筋がかなり疲労をしていて、左右差を感じた。この状態で練習ができるかどうか怪しかったが、、できるところまでやるというのを目標に、10本目までいけたらいいなぁという感じでスタート。設定は72秒、休息は200mのジョグ。
 1本目のスタートから、72秒よりも速いペースとなり、最初の200mでこの後10本できる自信がなくなり、とにかくできるところまでやろうと再決意。後半は、少しペースが落ち着いて、71秒8。結果的にはほぼ設定タイムだった。2本目以降は、70秒8、70秒9、71秒7、72秒8、71秒4。最初のつなぎのジョグは84秒だったが、2本目以降は、だんだん早くなっていき、70秒を切るペースでのジョグとなり、つなぎで回復させるのがきつくなった。3本目でえづいてしまい、その後は、それを必死にこらえる感じになった。特に5本目は、連続してえづき、呼吸が完全に乱れ、6本目で終了。この2週間ほど、ジョグ程度の練習が多かったので、呼吸器系が対応できなかった。72秒が速く感じる。来月のよこすかシーサイドマラソンまでには、対応したい。 

■2023年10月25日(水曜日)
 110mハードルのための練習をした。最初は、女子100mハードルの高さで5台のハードルを並べ、ハードル間5歩で體を動かし、その後ジュニアハードルの高さに変え、ハードル間を3歩で走ろうと思ったが、3歩では走りきれなかった。最終的に110mハードルの高さで、ハードル間も110mハードルの距離にして、5歩で走ることを繰り返した。後半、学生たちが、混じってきて、学生たちの動きを見ることで、自分の抜き足の動きに無駄があることがわかり、少し改善できた。ハードル通過の際は、木が前に倒れるような感じだったり、ハードルの抜き脚の膝が脇よりも前にくるようなイメージをするなど、学生からアドバイスをもらうことができ、かなり勉強になった。しかし、ハードルを通過する際に、重心が後ろにあるため、抜き足がハードルを通過し接地する際に、何度もトラックに踵をぶつけるような接地となり、踵が痛くなってしまった。歩いていても痛みがある。しばらくこの痛みは続きそうだ。記録会前にちょっと嫌な感じになった。ハードル練習は、今日が初日。初日からハイハードルの高さにまで挑戦してしまい、かなり欲張りな練習をしてしまったかもしれない。焦らず、ゆっくりとレベルを高めていきたい。 

■2023年10月24日(火曜日)


観音崎たたら浜
 久しぶりに学生とペース走。1000mあたり3分40秒のペースで、10000m〜15000mというかなりアバウトなメニュー。部員の多くが、棒倒しの練習に参加している関係で、参加者は少なかった。設定ペースで一人で練習した場合は4000mを走るのが限度だが、ペースは学生が作るので、ついていくことができれば、8000mくらいまでは走りたいと思ってスタート。  学生の作るペースは完璧だった。3分40秒9、3分40秒0、3分39秒6、3分41秒3、3分40秒9、3分40秒5という感じで6000mまで走れた。5500m過ぎに、なんとか8000mまでは走りたいが、きつくなってきて我慢しなければと思って走っていたのだが、氣持ちの弱さが呼び込んでしまったのか、急にえづき始めてしまい、その後か呼吸が激しくなり、走り続けることが困難になってい、6000mで終了。長距離の練習は、精神的に我慢するところがとても辛い。とりあえず、一人で練習をすることを考えれば、引っ張ってもらったお陰で、長い距離を走ることができた。
 最後は、300mを走ったが、43秒3。體は動いていると思い、タイムも42秒台では走れたのではと思ったのだが、全くタイムがついてきていなかった。かなり感覚がずれている。

■2023年10月23日(月曜日)
 2週間ぶりに棒高跳びの練習。まずはトラック上で低いにぎから、ポールにぶら下がる練習をし、マットへ移動。握りを10個分高くし、4歩助走で6.5mを走って跳ぶところまでの練習を繰り返した。最初は、2週間前に教わったことを忘れ、跳躍直後に、體が右へねじれ真っ直ぐ跳べなかった。すぐに教わったことを思い出し、真っ直ぐ跳べるように修正はできた。その後握りをさらに一つ分高くすると、急に恐くなり、やるべきことができず、また真っ直ぐ跳べなくなった。恐れずに、やるべきことは同じだと強く心を決めてやってみると、自分の意図したように跳ぶことができる。結局恐れていたら恐れているとおりの結果になるわけで、氣持ちの揺れというものを跳ぶたびに実感した。
 後半は、踏みきった足を振り上げた脚と共に上に上げていく動作をやったのだが、これも恐れとの戦いで上手くいったりいかなかったり。上手くいったときには、そのまま首から下に落ちていくような感じでさらに恐かった。最後は、両脚を上に振り上げた後、體を反転させてバーを通過する動作をしたのだが、體を返す動きがポールから離れたところで大きく動かしていたため動作が鈍く、ポールの近くでコンパクトにやるというのがなかなか難しかった。
 2回目の練習で、なかなかここまではいかないので、かなりできているとの評価を学生からはもらったので、自信を持って続けていきたい。

■2023年10月22日(日曜日)


久里浜港と房総半島



ハロウィングッズに怯えてます
 早朝にサーキットトレーニング。昨日、新たに入手した骨ストレッチにより、腕が中丹田から動く感覚を身につけ、體の動きが変わったお陰か、今日は機敏な動きができ、1セットごとのラップタイムが、いつもより10秒ほど良く、久しぶりにキレのある運動となった。その後4000mのペース走。こちらも1000mあたり3分40秒のペース設定だったが、結果はそれよりも良く、3分36秒2、3分36秒6、3分36秒9、3分32秒7で走り切れた。最近は、練習不足で、長距離を走るのは厳しいと感じていたのだが、この感じであれば、来週の記録会での3000mも なんとか、ある程度納得のいくタイムが出るかもしれない。
 今日は、初めて植えた里芋を収穫。収穫時期がはっきりしないのだが、葉が枯れ出したら収穫とのことで、いくつかの葉は枯れたので、そろそろ収穫できるのではないかと思い、掘ってみた。種イモに若干の小さな子イモがついているだけで、想像していたよりも小さくて残念に思った。ちょっと収穫時期が早かったのかもしれない。3つ植えてある内の1つを収穫しただけなので、2つは、もう少し収穫を待った方が良さそうだ。

■2023年10月21日(土曜日)
 ラグビーワールドカップがいよいよ準決勝とのこと。日本が予選リーグで敗退し、日本のテレビは、NHKで細々と放送はしているが、まったく国内では盛り上がりがない。というよりも日本が負けてからは、ぱったりと報道がなくなった。この前の女子サッカーワールドカップも同じだが、多くのスポーツで、日本選手が出場している時には、日本のマスコミは盛り上げるが、日本選手がいなくなった途端、急に熱が冷めたように話題に上がらなくなる。そして今回のように、たまたま放送があることを目にして、まだワールドカップはやっていたのかと思うのだが、このことを寂しいと感じていた。そう感じていた直後に、このことについて、ある大学の先生の視点がなるほどと思った。
 日本では、日本人が試合からいなくなると急に熱が冷めてしまい報道されなくなるが、日本人がいなくなってからも、世界のトップの選手たちがどのようなプレーをしているのか、敗者との違いがどういったところにあるのかという観点で、報道し続けてほしいとのことだった。日本のレベルを上げていくには、子どもたちに世界トップレベルのプレーを見てもらう必要がある。しかし、日本チームが負けると、その後の視聴率が期待できないために放送が少なくなってしまう。それでも見たければ、CS放送などの有料チャンネルで見れば良いということなのだろう。特に球技では、そういった傾向が強い。子どもたちが氣軽に見られるよう地上波で報道し続けて欲しいが、テレビもビジネスなので、仕方のないことなのかもしれない。チームスポーツと比べ、水泳や陸上は、特定のテレビ局が独占配信してくれ、日本人がいなくても、きちんと決勝を放送してくれる。普段は、あまり注目を浴びることはないながらも、恵まれたスポーツなのではないかと思った。

■2023年10月20日(金曜日)


くつろいでます
 短距離の練習に参加。前半は、ハードルを使ったドリルやジャンプ等をやり、後半は、引っ張ったり押したりする練習用のそりを使ってトレーニング。
 そりを押すときには、10kgの重りを乗せてもちょっと重いと感じるくらいでそれほど苦になる重さではなく、意識するべきことを意識してそりを押すことができたのだが、引っ張ることになったら、まったく感じる重さが違っていた。相当な覚悟を持って引っ張らないと、まずスタートができない。引っ張ることばかりを考えていると、意識すべきことはすべて吹っ飛び、ただなんとなく前傾で走るだけになってしまった。また、最初は30mを走ったが、後半は60mに距離が伸び、それがさらにきつかった。しかし、その後の通常のスタート練習になったときには、重りがなくなったことで、本当に走りやすく動きが速くなった。動作が速くなった分、ハムストリングスへの負荷が強くなり、最初のスタートダッシュで、ハムストリングスがちょっと肉離れになりそうな感覚があった。30mのスタートダッシュは3本で終了となったが、適度な量で終わることができホッとした。
 普段やらない動きをするというのは、體にとってはストレスかもしれないが、こういう刺激を適度にいれつつ、自分も専門種目をやっていくのが総合的な体力を向上させるには重要だと思う。

■2023年10月19日(木曜日)
 NHKのBSで放送されていたX−ALPSというレースの映像を視聴。X−ALPSというのは、ヨーロッパアルプス1周1200kmを自分の足かパラグライダーで踏破する究極の冒険レース。制限時間は12日間。このレースに挑むのは世界各地から選ばれた32名。その中には、参加者は男性が多いが、女性の参加者もいて、女性初の完走者となり、歴史に名を刻んだ記念すべきレースでもあった。日本人の参加者も、初出場で初完走した。
 参加するには、様々な条件があり、選ばれし者のみが参加できるということで、スタートラインに立つだけでもすごいことなのだが、パラグライダーでの移動は、風の影響を受けるので、一つ間違えば自分の命を落とすことにもなる。7連覇中のマウラー選手は、今年の大会では、スイスのホームタウンがコース上のチェックポイントとなっていることもあり、前半から快調にレースをリードし、最速レースとなる6日間と6時間ほどで完走した。女子の初完走となったエッガー選手は10日と5時間、日本の江本選手は、制限時間ギリギリの最終日(12日目)のフィニッシュとなった。
 パラグライダーでの移動は、山の上から風に乗って上昇し、そのまま下っていき、着地したところから再び飛び立てる山に登ってまた飛んで降りるという繰り返しなのかと思っていたのだが、実際は、上昇気流を見つけて風を読みながらコースをうまく選ぶと1回のフライトで100km以上も移動していた。その間トイレはどうしているのだろうというのが氣になったが、どう考えても空中にいる間は、トイレには行けないはず。実際選手たちはどうしているのだろうか。天気の悪い日は、歩くか走るかで移動するしかなく、荷物を背負って最悪1日足で移動ということもある。パラグライダーの技術はもちろん、オリエンテーリングやトレイルランの要素もあり、一人の選手がすべてをこなさなければならないとても複雑なレースだった。当然選手一人でレースをするのではなく、サポートをするチームのメンバーも重要になる。サポートが先読みして選手の通過する場所へ移動していなければ、レースが継続できない。サポートする側も選手の一員という感じだった。
 このレースに勝つと高額な賞金が出るわけではなく、名誉を得るだけのレースに命を懸ける人々がいるというのが今の世の中では貴重な存在なのではないかとも思ってしまった。

■2023年10月18日(水曜日)
 2025年開催の大阪・関西万博の海外パビリオンの工事が遅れていて、かなり深刻だということが先月ニュースになっていた。儲からない仕事に人員をつぎ込むのという認識がゼネコン関係者にはあり、そいった中で、予定通りに工事が進むようには見えない。
 今日はさらにこの話題に関連して、月刊三橋というメールマガジン内で、万博は大丈夫か?と思えるような事実を知った。
 その一つは、会場となる夢州(ゆめしま)の地盤が危ういこと。地盤調査で使用されるN値という値。63.5kgの重りを75cmの高さから自由落下させてサンプラーという棒が30cm沈むまでに何回叩けば良いかという数。これが地面の固さの指標となる。一般的な家を建てるときにはN値は20以上、ビルやマンションであれば50以上が必要だと言われているのだが、夢州はなんと5。ここに万博後にカジノを開設するとなると、そこに巨大な建物が建つことになるのだが、その建物の重さに地盤が耐えられるわけがないように思えてくる。さらに大阪市のハザードマップでは、もっとも海沿いにある夢州は浸水しないことになっていて、夢州よりも奥の地域は浸水する予想がなされている。夢州だけ予測し忘れたのか?と思うような無理があるマップだった。万博やカジノを作るためにごまかしているようにも見える。
 もう一つは、万博には半年で2820万人の来場を予定していて、これがUSJの3.5倍の人数なのだという。夢州とつながる交通手段は、地下鉄とシャトルバスのみ。自家用車では入れない。1日に16万人が来場する計算になるので、片道だけでも最低2000台(1台50人を想定)のシャトルバスが必要になってくる。ということでシャトルバスの運転手を2000人募集したところ、3人しか応募してこなかったという。これでは万博の会場準備が整ったとしてもお客さんが会場へ来られないということになる。
 こういったことは全くニュースにはなっていないが、かなり深刻な問題であり、関係者は、冷や汗どころではない。どうするつもりのだろうか?2025年まで注目していきたい。

■2023年10月17日(火曜日)
 イスラエルとハマスの戦いが始まって10日ほどが経つ。ガザ地区では、病院が攻撃を受け、世界中から非難の声が上がっている。誰の仕業なのかは、はっきりしないが、戦闘員ではない人たちの被害はあまりにも大きい。
 イスラエルは、ガザ地区の住民に対して南部へ避難するよう呼びかけているが、病院関係者は患者がいるので移動はできない。そういった中での今回の爆撃だった。国連の人道支援関係者も多数ガザ地区には滞在しているが、そういった人たちも容赦なく殺されてしまう。
 イスラエルは、建国以前から、パレスチナ人の排除を始め、最終的にはパレスチナ人のいないイスラエルを目指している。特にハマスについて、イスラエルのネタニヤフ首相は「血に飢えた怪物を根絶やしにする準備はできている」と言い、別の閣僚もパレスチナ人を人間として見ていないような発言をしている。イスラエルのやっていることは、南アフリカで行われていた人種隔離政策となんら違いがないように見えるのだが、人権にうるさいアメリカのバイデン政権は、これについては何も語らず、イスラエルを全面支援する姿勢を示し、SDGsと言っている西側メディアもSDGsじゃないことが目の前で起きているのに何も語らない。言っていることとやっていることが矛盾しすぎて、今起きている出来事をどう捉えればよいか頭が混乱している。西側諸国とアラブ諸国またはBRICsとの対立の火種になりかねない。武器商人たちが、この状況を喜んでいると思うと腹が立つ。 

■2023年10月16日(月曜日)
 箱根駅伝予選会のテレビ放送を録画してあったので、うちの学生がどのくらい映っているだろうかと思って確認した。映っていたのは、スタート直後とフィニッシュ。スタート直後のテレビ放送は、出場校紹介が画面の下に流れながら、バイクのカメラが最後方から徐々に先頭の選手へ移動していくのだが、このことを学生たちには出走前に話してあったためか、ある学生は、バイクが横に来たときに、わざわざ走りながらもカメラの方向へ顔を向けてバイクを確認していた。関係者であれば、誰なのかはよくわかる。レースを楽しむことを注文していたので、その注文通り楽しんでいることがわかった。フィニッシュの映像については、学生たちがフィニッシュする頃には、CMが多かったり、有力校の監督インタビューなどの時間になっていて、小さな画面に映るくらいで、本人しかわからない映像が多かった。
 試合会場となっている国営昭和記念公園を特集するNHK「趣味の園芸 いきものパラダイス」という番組についても録画してあったので見てみたのだが、こちらも面白かった。元々は、駐屯地も含め米軍基地だったのだが、それが日本に返還され、更地の状態から公園を作っていったとのことで、今は自然豊かな公園となり、もともと山があったところを切り開いたのではと思っていたので、全てが人工ということに驚いた。この公園は、日本初の人工の里山なのだという。
 標高30mの山があり、それは多摩ニュータウンの残土が材料で、約4300人の市民が1万本の苗木を植えて、40年経った今では雑木林となっている。5年に1度生物調査が行われ、最新の調査では、植物713種類、昆虫982種類、鳥類65種類、狸や狐などのほ乳類が9種類、水生生物は11種類生息しているのだという。これを維持管理していくには、たくさんのボランティアが関わっていて、18団体約650人が現在活動されている人間と生き物の力で自然が再生された公園としてはとても規模が大きく、驚くばかりだった。

■2023年10月15日(日曜日)
 マラソングランドチャンピオンシップの放送を視聴。男子は朝8時、女子は8時10分からという早朝から激しい雨の中のスタート。なかなかモチベーションの上がらない天候の中で、自分の気持ちを切らさず、さらに無理せず最後まで自分の脚を残した選手が誰になるのだろうと思いながら見ていた。解説者も、頻繁に選手の顔つきについてコメントしていたが、今日の勝敗は、選手の顔つきを見るとかなり予想ができた。
 男子は、川内選手が前半から飛び出し単独走となり、そのまま逃げ切って欲しかったが、35km付近で第2集団に捕まってしまった。しかし川内選手は、そのままペースダウンするのではなく、きちんと先頭集団について粘った。その粘りには感動だった。解説者も顔つきを見て、余裕がある選手として小山選手と赤ア選手が上げられていたが、解説者の言っていたとおり小山選手が優勝、赤ア選手が2位となりパリオリンピック代表に決まった。川内選手は、大迫選手との3位争いで敗れ残念ながら4位。しかし、積極的なレースで、勝敗にこだわるため、消極的になった他の選手の走りと比べると、本当に氣持ちの良い走りだった。
 女子は、一山選手が中盤から飛び出したが、最後の最後で鈴木選手が逆転し優勝。一山選手が2位となりパリオリンピック代表に決まった。こちらも、先頭に離されても諦めることなく、淡々と自分のペースを貫いた鈴木選手の走りは素晴らしかった。しかもこの悪条件の中で自己ベストを更新。今後が楽しみだ。

■2023年10月14日(土曜日)


スタート前



学内トップの学生



レース後
 箱根駅伝予選会に3年ぶりに母校が出場。昨年は標準記録突破者がゼロだったので、本当に全てがリセットされた状態から今年度は始まった。有望な新入生が入部し、他の部の4年間の活動を終えて陸上競技部に転部し予選会を目指してくれた4年生がいたり、中距離の試合に出ながら、なんとか10000mの標準記録突破を目指してくれた中距離の選手たちなど、寄せ集めのチームだったが、11名が標準記録を突破しスタートラインに立つことができた。
 前回出場したときには、監督として参加していたが、今回は部長。学生たちはだれもこの予選会を経験したことがなく、選手の応援などのイメージが湧かないため、サポート側は、手探り状態だった。いつもであれば、自分は駐屯地内で選手たちを応援し、その後昭和記念公園へ移動し、さらに応援をするのだが、今回は、OBと監督と共に、選手の荷物を駐屯地から公園へ移動させるために選手の走りを見ることができなかった。公園では、大画面のスクリーンでテレビ画像を見ることができた。直接選手を応援するときには、選手は一瞬で通過していくが、テレビ画面では、全体像が見えるのが良い。本校がテレビに映ることはほぼないので注目するのは、10kmや15kmの定点ポイントでの各校10名通過の表示のみ。10km通過は49番目とのことで、ナンバーカードの56よりもかなり上にいたので、関係者で盛り上がった。
 最終的には10人の合計タイムが12時間14分57秒で51位。50位とは29秒差。49位とは10分以上の差があった。学生たちの多くが、今年の10000mの記録前後のタイムで10kmを通過していた。その時点でオーバーペースだったのかもしれないが、そのまま押し切れた学生もいれば、後半失速した学生もいた。控えめな目標設定だった学生は、目標以上のタイムとなり、攻めた感じの目標設定だった学生は、少し目標には届かなかった感じだった。しかしチームとしては、3年前や4年前の記録よりは大幅に高く、箱根駅伝本戦に連合チームで出場した5年前の成績に迫るタイムで完走し、予想以上の結果だったと思う。
 応援に来てくれた関係者の方々、支援をしてくれた方々に感謝したい。

■2023年10月13日(金曜日)


箱根予選会参加校ののぼり
 授業は走り高跳び。人数が多く、跳躍場所を2カ所にして、説明の度に集まってもらい、指示を出して、その後2カ所で実際に動作をするという繰り返しだった。跳び方は、3種類。小学生が行うはさみ跳び、一昔前に主流だったベリーロール、今の主流の背面跳び。はさみ跳びは、ほとんどがスムーズにでき、学生たちの合意で、どんどん高さが上がっていき、1m50まで高さを上げるグループがあった。普段の授業では、それほど際立った動きをしていない学生が、はさみ跳びをすると、思った以上に高く跳んでいたりして、学生たちのジャンプ力に驚かされた。中でも陸上部で長距離をしているある学生の動きが良く、種目を変更しても良いのではと思えるほどだった。
 昨日、部活の時間に、自分も走り高跳びをやったのだが、1m30をはさみ跳びでクリアーできず、ベリーロールでクリアーという感じで、自分自身が思った以上に股関節の動きが悪いことが、今日の学生たちのジャンプを見ていて思い知らされた。

■2023年10月12日(木曜日)
 昨日、立教大学の駅伝監督が女子学生と不適切な関係により謹慎という報道があった。本日発売の週刊新潮で記事が出るとのことで、それを受け、昨日学校側の対応として謹慎となったが、本日解任となった。
 監督は、部員同士の恋愛は禁止していたとのこと。監督の言動が一致しなかった。人の心は浮き沈みがあり、一定ではなく、その人と同じ立場になったときに自分はどう行動するかはまったくわからないことなので、人のことをとやかく言うことはできない。しかし、箱根駅伝予選会直前に、監督がいなくなるというのは、選手たちの動揺は大きいだろう。人には心があり、ちょっとしたボタンの掛け違いにより、結果が大きく異なることはある。言動を一致させるということは簡単なようで難しいということなのだ。
 監督が解任となると、本人は突然無職ということになる。本人も家族もこの後どうするのか、自分が同じ立場だったら何も考えられず呆然とするだろう。さらに人と顔を合わせることができなくなり、競技の現場にも出て行けなくなる。本人の選択した行動の代償はあまりにも大きい。
 部活の時間に、学生とこの話題について話していたのだが、学生からは、「和泉さんも氣を付けてくださいよ」と言われてしまった。誰にでも可能性はある。自分の行動の選択は、他人には任せず、自分自身で後悔のないよう選択するしかない。

■2023年10月11日(水曜日)
 イスラエルとハマスの戦闘のニュースが続いている。今日は、大学の後輩がフェイスブックで投稿していたことに心を痛めた。後輩の親しくしていたイスラエルの軍人が、今回の戦闘で亡くなったのだという。
 日本の報道は西側メディアということで、いかにハマスがひどいことをしているかという報道が多く、ハマスが何の抵抗もできないイスラエル人を射殺している映像が流れていた。本当にひどいことをやっていると思うし、こういうことが行われるべきではない。イスラエルはイスラエルで、何の抵抗もできないパレスチナ人に対してひどいことを長年続けていて、パレスチナの側からすれば堪忍袋の緒が切れた結果にも見える。殺し合いが続けば続くほど、憎しみがより高まる悪循環となる。イスラエルとサウジアラビアが良い関係を作ろうとしているが、この戦闘により、そうはいかなくなるかもしれない。対立を作ることで誰かが得をするという構造があるのだろうが、人の命を何だと思っているのかと、この対立を深刻化させようとする人たちに怒りがこみ上げてくる。

■2023年10月10日(火曜日)
 昨日で、中距離のトラックレースはシーズン終了とし、今週は、ちょっとトレーニングから離れて別のことをしようと思う。その第一弾として、先週から授業でも棒高跳びをやっているので、棒高跳びの選手について、棒高跳びに挑戦。基本的なぶら下がることはできるので、実際にマットを使って、助走をして跳んでみた。
 最初は4歩助走。うまくいくときには、自分のかだらをポールにあずけられるのだが、うまくいかないときには、右側にからだが回っていく感じがあった。学生から、ジャンプの際に右の胸か脇をポールに突き出すようなイメージをしてみてはどうかとアドバイスを受け、やってみると動作が改善。狙ったことが狙い通りになるというのはなかなか氣持ちが良い。
 助走を4歩から6歩にすると、ジャンプもしやすくなり、ポールの握りの高さも高くできるのだが、高くなればなるほど、恐怖心との戦いになる。この恐怖に打ち勝ち、狙ったことができるととても楽しく、一瞬だがポールが曲がる感覚があり、滞空時間が長くなる。怖さと楽しさが同居する何とも言えない感覚だった。恐怖に負けると、狙った動作はできず、自分の身が危ない状態に去らされることが多い。
 5mを跳んだことのある学生も、練習の度に、自分に失望することが多く、こちらの動きを見て指導をしてくれつつも、自分自身の今日の跳躍はなかなか思い通りに行かなかったようで、かなり沈んでいる様子だった。
 棒高跳びは本当にメンタルが影響する種目なのだということが実感できた。

■2023年10月9日(月曜日)


800m2周目




表彰




800m上位3人で




リレーメンバーと
 国立競技場で開催された東京スポーツ祭典に出場。種目は昨年と同じ800m。今日は昨年優勝しているうちの学生と同じ組なので、彼の後ろについて行って1分台を出したいと思って臨んだ。天候は雨。気温は16度。11月の気候とのことで、寒かったが、国立競技場は、雨が降っても観客席はぬれず、アップは室内走路なので、比較的暖かく、雨に濡れるのは競技中のみということで、他の競技場よりは良い条件だった。この競技場は、風向きによるのかもしれないが、9レーンはほぼ雨に濡れず、100mは1レーンと9レーンではかなり条件が違うように見えた。昨年は、芝生の養生のための大型照明機材が芝生上にあり、バックストレートは観客席からも見えず、走っていても違和感があったが、今年は、それらがなく走る側としても違和感がなく良かった。
 レースは、タイムテーブル通りに進まず、召集の時点で30分くらい遅れていて、ウォーミングアップのタイミングが難しかった。日本ではタイムテーブル通りにいかない方が珍しいのだが、ヨーロッパでは、大きな大会でもタイムテーブルがずれて、1時間くらいズレるのもあったなぁということを思い出し、改めて日本人の規則正しさを実感したりもした。結局40分遅れくらいでスタートとなった。
 男子800mは2組タイムレース決勝。エントリーの時点では各組9名以上でスタート形式が普段あまり経験しないオープンスタート。1組目は、自分のクラブチームのチームメイトが2分04秒台で1位。このタイムが3位入賞の基準となった。2組目は、スタート地点に並んでみると出場者は5名。この人数でオープンスタートなので練習をするような感覚だった。予定通り、学生が先頭に出て、自分はその後ろについて走る展開となった。1周目を60秒5で通過。2分を切るにはちょっと厳しいかもしれないと思ったが、とにかく学生から離れないことだけを考えた。しかし、650m付近から、どうしても学生についていけなくなり、徐々に距離が離れ、その後は、動かない體と格闘しながら、なんとか體を動かし続けるという自分との戦いだった。結局最後の直線は、大失速となり、2着でフィニッシュ。タイムは2分06秒29。全体では3位となり、久しぶりに賞状と銅メダルをいただいた。
 今日は、チームのメンバーがたくさん棄権したため、1600mリレーに出場できる選手が限られ、急遽自分も走ることになった。タイムテーブルが40分遅れていたが、800mの疲労もあり、あまりウォーミングアップもすることができずに、走ることとなった。走順は4走。1走で2番手につけ、2走で先頭に立ち、3走が後続を引き離した状態でバトンをもらった。自分の走力は、チームのメンバーの中では明らかに劣っているので、とにかく後ろの選手に追いつかれないよう前半は、必死に逃げた。300mを越えた頃から、體は固まり、最後は、転びそうになりながら、転ばないように、またピッチも極端に落ちて、スローモーションのようになったが、何とか先頭をキープしたフィニッシュとなった。タイムは3分35秒96で総合2位となり、こちらでも賞状と銀メダルをいただいてしまった。この年で、チームのリレーメンバーとして走ることは想像もできなかったので、走らせてもらっただけでうれしかったが、さらに賞状とメダルのおまけがついてきて、本当にラッキーな1日だった。

■2023年10月8日(日曜日)


くりはま花の国
7時半ごろに目覚め、洗濯物を干し、犬の散歩に出かけた。今日は1日プランはなく、久しぶりに犬との散歩を長く楽しんだ。急に秋の気候に変化し、肌寒さも感じるようになった。散歩をしている道沿いに、カキが大量に実っていて、一層秋を感じた。花の国に散歩へ行ったのだが、今は、小さなひまわりが咲き乱れていた。そのひまわりの名前は大雪山という。通常のひまわりよりは、開花時期が遅いようで、10月初旬までが開花時期とのこと。この肌寒さでひまわり見るとは思っておらず、季節とのギャップにインパクトがあった。
 散歩を終え、帰宅したが家族は誰も起きておらず、一人で朝食を食べ、職場へ行った。週末までにやりきれなかった仕事を、パソコンに向かってひたすらやり続け、なんとか3時前に終了。この時間帯には雨がぱらつきはじめ、明日は完全に雨なので、本格的に雨が降る前に犬の散歩をしておいた方がよいと思い、午後も犬の散歩。連休なので、海岸にはたくさんの人がいるのではないかと思ったが、海岸には人は皆無だった。明日は雨で散歩はできない可能性が高いので、午後の散歩ものんびりゆったりと楽しんだ。犬と過ごす時間は、時間の流れがゆったりしていて貴重な時間だ。

■2023年10月7日(土曜日)
 練習は600mを1本。先週の市民体育大会後、トラックでの練習はまったくやらずに1週間が経ってしまった。木曜日に刺激を入れようと考えていたが、仕事の関係で、走ろうというモチベーションが高まらず、ずるずると1週間が経った感じで、明後日のレースへ向け、今日こそは走って最終刺激としようと意気込んでスタートした。目標は1分30秒切り。できれば前半の300mを43秒台で入り、後半は粘って1分28秒台くらいでフィニッシュできればともくろんでいた。
 風はホームストレートが追い風だったので、2回追い風となるように、200mのスタート地点からスタートしたのだが、ホームストレートに入ってみると、なぜか向かい風だった。300m通貨は43秒1で設定通り。しかしバックストレートは向かい風で速度は上がらず、残り200m。ここからは失速が始まり、できるだけ速度低下を穏やかにしてフィニッシュラインまでいくことばかりを考えて走っていた。最後の直線は、手足が動かなくなり、転ばないように走ることだけに集中せざるを得なかった。タイムは1分29秒5。一応目標は達成できた。しかし試合ではさらに200mが残っている。現状では、600mを1分30秒前後で走ってさらに200mを走るのは厳しいという感覚だけが頭に残った。

■2023年10月6日(金曜日)
 NHKBSで放送されていたBS世界のドキュメンタリーの録画を視聴。タイトルは「私は人身売買の被害者だった 〜イギリス 金メダリストの告白〜」。イギリスの長距離界の英雄モハメド・ファラー選手は、ソマリアからの難民でイギリスへ渡ってきたということになっていたのだが、今回の番組では、ジプチ共和国の親戚の家に預けられていた9歳の時に、見知らぬ女性にイギリスの親戚の家へ行くと連れていかれ、モハメド・ファラーと名乗るように言われ、飛行場の入国審査をつうかしたのだという。その後は、その見知らぬ女性の家で、家事をする使用人のような生活だったが、学校へ行きたいと何度も交渉し、学校へ行けたことで、信頼できる先生と出会い、使用人生活から抜け出て、最終的には長距離の世界チャンピオンにまで上り詰めた。番組では、本当の名前は、フセイン・アブディ・カヒンといい、自分の子供を連れて自分の連れ去られた当時のことについて聞くべく、実家へ帰り家族と会ったり、ジプチの親戚の家やイギリスで奴隷生活から抜け出た際に保護してくれた家族に会ったりしていた。当時彼をさらっていた女性については、番組関係者がコンタクトを取ったが、当時のことについての質問への回答はなかったとの字幕で番組は終了した。
 告白するまでの彼は、だれにも話せない秘密を抱えて、とてもつらかっただろう。イギリス代表選手でありながら、イギリス国籍を取得した経緯に偽りがあったとすれば国籍をはく奪されかねないということもある。子供のころに負った傷は簡単には癒えないだろうが、選手を引退し、やっと告白でき、少しは重荷は軽くなったのだろうか。人身売買は、現代でも行われているという事実を少しでも多くの人に知ってもらうべく告白したとのこと。本当に勇気ある告白だったと思う。

■2023年10月5日(木曜日)
 棒高跳びの授業をした。自分自身が初めてやったときも同じだったが、最初に肘を伸ばしてポールを握ってぶら下がるということがなかなか難しい。どうしても怖がって肘を曲げることになる。これを何度も繰り返し、少しずつ自分のからだをポールにゆだねられるようになっていく。センスの良い子は、すぐに適応し、その後は、ポールの握りの高さを少しずつ高くし、簡単な棒幅跳び的な動きができるようになり、楽しくて仕方がないという感じになる。その過程を見るのがとても楽しい。しかし、うまくできずに苦労している子に重点を置き、指導をするのだが、そういった子が、コツをつかんだ時のうれしそうな顔を見るのは、さらに楽しい。
 できなかったことができるようになるということは、モチベーションを高めるのに本当に大事なことだと改めて実感した。

■2023年10月4日(水曜日)
 久しぶりに骨ストレッチの動画を見て、最も基本的で、象徴的なメソッドの腕の位置を少し変えるだけで、特に肩から腕にかけてのゆるみ方が全く違うレベルになることがわかり、一人でニヤニヤしてしまった。先生は、日頃から、微差が大差という言葉がけをするのだが、今日はそれを実感。今までやってきた、初心者に教える方法でも十分変化を感じる。しかし、腕を真横に持ってくるというのが関節可動域の狭い人にはなかなか難しかった。今日は、腕を真横に持ってくるのではなく自分の前に持ってくるようにして運動をした。こちらの方が初心者でもやりやすくなり、より簡単に結果が出せるようになった。骨ストレッチは年々簡単になっていき、今までやってきたことは何だったのか?と思うことが頻繁にある。簡単であればあるほど普及もしやすくなる。どうしたらより簡単に結果が出せるようになるかという追求は終わりがないと思った。

■2023年10月3日(火曜日)
 伊勢丹立川の正面入り口付近シャッターにアライグマが発見され、3時間以上シャッターにとどまった後、捕獲騒動となり、深夜1時半頃専門業者によって捕獲・保護されたという。アライグマは特定外来生物に指定されているが、立川市周辺では、最近1年間で数十匹ものアライグマが捕獲されているとのことから、この地域で産まれて育った野生のアライグマが繁殖していることは間違いない。いくら外来生物と言っても、彼らの故郷はこの地域であり、この地域に適応した生活を送っていて、外来生物と言えるのかよくわからない。人間がペットとして輸入してきたものが飼育放棄などで野に放たれ、繁殖したアライグマたちは被害者なのではないかと思ってしまった。生態系が破壊される可能性があるため、外来生物として捕獲する必要はあるのだろうが、人間が勝手すぎた結果とも言えるので、何ともスッキリしない。

■2023年10月2日(月曜日)
 アジア大会では女子5000m決勝が行われた。廣中選手が残り3周で先頭に出て、集団を引っ張り、後続の選手たちを一人ずつ引き離していき、最後は、インドの選手と一騎打ちとなった。最後の1周は、バックストレートで素晴らしいスパートをし、いったんは2番手の選手との距離を離したが、最後の直線で、少しずつ距離が詰まり、最後の20mで並ばれ、残念ながら2位となった。
 高橋尚子さんのレース前のインタビューでは、調整がうまくいかず、調子は上がっていないとのことだったが、そういった状態にもかかわらず、今まで見てきた廣中選手のレースの中では、最もスピードの高いスパートで、積極的に攻めていく強い心を感じ、最後まで勝利を追求した姿にとても感動した。

■2023年10月1日(日曜日)
 横須賀市民体育大会2日目。800mに出場。こちらの予選突破ラインは、各組1着と2着以降タイムの速い4人。自分は1組だったので、できるだけ着順で決勝進出を決める必要があったが、同じ組には、うちの学生がいるので、全体のペースを上げてタイムで拾われるしかないと思った。
 予選の組はスタートラインに並んだのは4名だった。スタート直後から、あまり速度が上がらず、他の3名に後れを取ってバックストレートを走っていた。これは、昨日の疲労の影響が大きい。とにかく我慢して集団の後ろにつくしかなかった。1周目は63秒を切るくらい。タイムが遅いので、残り1周の鐘が鳴った直後に、全体のペースが上がった。残り350mくらいで、ついていけなくなった高校生を1人抜いて3番手に上がった。残り150mくらいで、2番手にあがり、トップを走る学生を抜きにかかった。しかし学生は最後まで先頭を譲らず、2着でフィニッシュとなった。タイムは2分06秒24。予選4組が終わってタイムで3番目となり決勝進出となった。1着となった学生は、昨日県記録会で10000mを走っていた。そういった意味で、お互い相当な疲労の中のレースだった。
 決勝は、先頭を引っ張るのは昨年優勝しているうちの学生だということはわかっていたので、来週のレースを意識した練習にしたかった。そこで600mを1分30秒以内で通過することを課題とした。600m以降は、2日で4本目なので、失速は当然で、最下位になっても悔いはないというつもりでスタートした。スタート直後から、予定通りうちの学生が先頭をひっぱり、2番手に尽きたかったが、後れを取って3番手。1周目は58秒5で通過し、予定通り。しかし500mを過ぎた当たりから急にきつくなってきて、前の選手から少しずつ離れ始めてしまった。600m通過は1分30秒3。残り200mは予定通り大失速。後続の高校生2名に抜かれ、5位でフィニッシュ。タイムは2分07秒22。最後の200mは37秒近くかかったことになる。
 2日間でとても良い練習ができた。



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