最近のいずみ

Last Update:2023/12/31



パートタイムアスリートいずみ 24年目に突入 

■2023年12月31日(日曜日)
 5時半頃にはいったん起きたが、雨が降っていたため、今日は走れないと思い2度寝。しかし、その後、目が覚めたところで天気予報を見ると、雨があがる感じだったので、起きてその後の行動を考慮し30分だけジョグし、中学時代の塾の恩師のお墓詣りに行った。しかし、お寺の門が開いておらず、残念ながらお墓詣りはかなわなかった。
 午前は、母方の曾祖父母、祖父母、叔母のお墓詣りへ隣の市まで行った。その後、豊川に新たにできたショッピングモールへ行くつもりでいたが、子どもたちは、ショッピングモールよりもブックオフに行きたいと言い出したため、市内のブックオフに行くことになった。このブックオフがかなり巨大で、本の数も、その辺の本屋よりも多く、1日いても飽きないような場所で、子どもたちの狙いは、古着だった。子どもたちには食事と好きなものをかえるようにちょっとだけ長男にお小遣いを託し、自分と妻は、昨日ゆっくりと見ることのできなかった道の駅へ改めて行くことにした。その途中で、雰囲氣の良さそうなカフェにより昼食。人もそれほど入っておらず、久しぶりにゆっくりと2人だけの食事ができた。その後は、道の駅でゆっくりとショッピング。先月お隣さんの家でもらったキクイモが販売されていて、珍しいので購入。リンゴがバケツに5つ入って500円だったので、安いと思い購入。その後、車で走っていて目についた和菓子屋に入り、新年に食べるという花びら餅を購入。さらに、実家近くの文具店へ行き、またゆったりとショッピングをするつもりだったが、子どもたちから迎えに来て欲しいとの連絡があり、あまりゆっくりできずに子どもたちを迎えに行くことになり、今日のお出かけは終了となった。
 夜は、子どもたちを中心に紅白歌合戦を遅くまで見ていたようだが、自分は全く興味がないため、7時台には、寝床に入り読書。眠くなったところで早々と寝てしまった。

■2023年12月30日(土曜日)


足柄SAでのドッグラン




富士山と氣球




子どもたち
 朝から実家へ帰省。高速道路は渋滞が予測されていたので、できるだけ渋滞を避けるため朝5時半頃に出発した。まずは足柄サービスエリアを目指した。横浜町田付近、秦野付近で多少渋滞があったが、完全に流れが止まることはなく、思っていたよりもスムーズに通過できた。
 足柄サービスエリアではドッグランがあり、犬をそこで放して休憩させた。しかし犬にとっては見知らぬところに放され、かえってストレスだったかもしれない。他の犬には吠えて、家族の元にすり寄ってくる感じだった。とりあえずそこで朝のエサを与え、自分たちも朝食を食べ1時間ちょっとゆっくりした。その後は、ひたすら新東名を進んだ。新東名は制限速度が時速120kmまで引き揚げられていて、進みは速かった。直線が多く、トンネルも多く、単調な運転が続いたので、時々眠気に襲われたが、その後は休憩なく実家の最寄りのインターチェンジまでたどり着いた。
 犬を預けるペットホテルには14時頃に預けることを伝えてあったが、10時半頃にはインターチェンジを降りることになり、あまりにも早くついたので、道の駅により最初にお土産を購入。その後、犬の散歩を兼ねて、山の上のお寺さんへ行き、お寺の隣の山を散歩。昔は、小学校の遠足で行った山だったのだが、山は削られお寺さんの駐車場になってしまっていた。
 その後、実家へ帰宅したが、ペットホテルに預ける際に渡す予定だった犬のエサを、事前に送った荷物に入れてあったのだが、その荷物が届かず、結局犬を預ける時間になったので、ペットホテルへ犬を連れて行った。犬は、自分がみんなから離れなければならないことがわかっていたようで、「置いていかないで!!」と言わんばかりに吠えてゲージに飛びかかっていて、ちょっとかわいそうだった。1日3回ホテルのドックランに出して動き回ってもらうことになるとのことで、迎えに行く日まで、お任せすることにした。犬には環境が変わってストレスになるかもしれないが、実家に連れて行くことができないので、頑張ってくれと思いながらペットホテルをあとにした。
 夕方は、一人で(2分ダッシュ+2分ジョグ)×10。山道を中心に走り、時間が若干遅かったこともあり、道路は真っ暗で、反対車線から車が来ると、完全に足元が見えず恐く、もう少し早い時間に走り始めればよかったと思った。
 実家には、先に妹とその娘たちが帰省していて、一番下の子が我が家の子どもたちを心待ちにしていて、その後、我が家の子どもたちにべったりだった。普段弟たちの面倒を全くみない長男が、なぜか良く面倒を見てくれて、意外な一面を垣間見ることができた。

■2023年12月29日(金曜日)


久里浜



東京湾フェリー
 約3週間ぶりにサーキットトレーニング。先週土曜の砂浜練習の影響をまだ引きずっていて、股関節というか、からだ前面の脚の付け根付近に疲労があり、動きが鈍い。その影響かスクワットがかなり辛かった。しかし、3セットやったトータルタイムは、3週前と10分の1秒まで同じで、からだ全体としては良く動いてくれた。
 その後4000mペース走。股関節周りの疲労の栄子床、動きが悪く、最初の1000mは4分04秒9。これ以上はペースアップは難しいと思い、とにかくペースを維持することを考えながら走った。その後は、4分00秒5、4分07秒4、4分05秒7だった。
 走りながら、あっという間に1年が経ってしまったなぁと思った。末っ子があっという間に大きくなったが、小学生の頃は、冬になると父と毎日ランニングをし、小学校のマラソン大会で1位になることを目指したが、自分の子どもとも同じようにランニングをしたくて、次男とは少しそういった時間を過ごせたが、三男は、陸上スクールに入って、長距離をしているが、成長痛の影響もあるが、ゲームとスマホに浸かってしまって、まったく一緒にランニングをしよう感じにはならない。父は、自分が高校生の頃に様々な市民マラソン大会に出て、年齢別で上位入賞をしていたが、当時は何歳くらいだったのだろうと計算してみると、今の自分よりは若い年だったということがわかり、自分も年をとったなぁと改めて実感した。

■2023年12月28日(木曜日)


ひなたぼっこ
 芸能人が「強迫性障害」であることを公表したとのニュースを見た。強迫性障害というものを全く知らなかったので、このニュースで知ることになったのだが、自分の意志に反してある考えが頭に浮かんでそれが離れず、そこから生まれた不安を振り払おうと何度も同じ行動を繰り返してしまい、日常生活に影響が出てしまう状態になるのだという。代表的な行為がいくつかあるそうなのだが、その中で確認行為ということについて思い出すことがあった。
 以前住んでいたところで、一つ下の階の方が、外出の際に、ドアのカギをかけた後、カギがかかっているかどうかの確認をとにかく過剰にやっていて、ちょっと変わった人だなぁと思ったことを思い出した。今考えると彼女は、強迫性障害で、自分の意志としてはやりたいと思っていないのに、結果的にはその行為をしてしまっているということだったのだ。今から13年ほど前のことだが、彼女は今どうされているのだろうかと思う話題だった。

■2023年12月27日(水曜日)


夕暮れ
 練習は学生と600m×5。休息は400mウォークで、設定は、2本目までが400mを62秒、3本目以降は64秒のペース。1500mのレースペースということで、約3か月ぶりにスパイクをはいて走った。
 1本目は比較的余裕をもって学生についていくことができ、タイムは94秒台。このまま走れれば800mは2分05〜06秒くらいで走れそうな感じだった。3か月ほど前の市民体育大会のペースをこの寒い季節の練習で走れていることに驚いた。しかし、走り終わった後の呼吸はかなりつらく、いきなりえづいてしまった。
 2本目は、200mくらいまでは学生について行けたが、その後は、大きく離され、自分の脚が自分のからだを支えられていないような走りになってしまった。走り終わった後は、またえづいた。タイムは1分43秒7だった。
 3本目は、最初から学生について行けず、一人旅。2本目と同じく、自分の脚で自分のからだを支えられず、つぶれたような走りしかできなかった。3本目が終わった後もえづいた。タイムは1分45秒6だった。
 4本目は、学生も疲れてきてペースを落とすということだったので、頑張ってついていった。人の後ろで走ると、つぶれたような走りにならず、きちんと脚は自分のからだを支えて走れているというのが不思議だ。1本目ほどではないが、意外と余裕を持って走り切ることができた。タイムは1分38秒7だった。
 5本目も4本目と同じような感覚で走りたいと思いながら400mウォークをしていたが、両下腿が攣りそうな状態で、ちょっと攣っては回復するという状態になってしまった。走り始めたらすぐに攣って走れなくなることは明らかだったため、5本目は中止で練習を終了した。
 最近は、練習の後半で脚が攣って走れないということが多く、日常でも足の指や足裏が攣ることが多い。あまり練習をしていない割には、疲れているということなのかもしれない。

■2023年12月26日(火曜日)
 ひすいこたろうの名言セラピーというYouTubeチャンネルで「全ての日本人に伝えたい本当のこと。」という動画を視聴。
 タンザニアのある村で絵を学んだショーゲンさんと作家や画家のはせくらみゆきさんがゲストで会話をしている様子が映像となっていたのだが、ショーゲンさんが村で学んだことは、すべて縄文時代の日本人から教えてもらったという不思議な話だった。
 村の歴代のシャーマンは、夢の中で縄文人から様々な教えを授けられ、その教えをもとに村が運営され、争いのない平和な村を作っていた。
 日本の縄文時代は平和が1万年以上続いたとされているが、日本人は神社もあればお寺もありながら、クリスマスをやっていしまうなど海外からは相当奇妙に見られるが、何万年も前から世界中のあらゆる人たちの文化や考え方を受け入れ、戦わずに風呂敷で包むようにしてきた歴史がある。それができた日本人がなぜ近年は戦争など争いごとに関わるようになっているかということについて、今は忘却の旅に出ている最中で、特にこの2000年くらいはそれが顕著だったのではないかとのこと。なぜ忘却の旅に出ているかというと、自分たちにとって大事なことを再認識するためには、大事なことをいったん忘れる必要があるからだという。しかし、そろそろ大きなサイクルの中で、夜から昼へというように眠りから覚め、いろいろな機会の中で、縄文時代に大事にされたことを思い出し(ショーゲンさんが村で教わったこともその一例として)、また平和な世の中を作っていけるような方向へ向かうために、日本人が目覚めることが世界にとって重要ではないか、とはせくらさんが解説してくれた。
 うれしいことを早くみんなに伝えようとするショーゲンさんの姿を見た村人から、まずは浅い呼吸を整えることを諭され、「今日1日は長いよ」と言われたという。日本人は、日常のルーティーンがあり、それをこなせないと眠れなかったりするのだが、ちょっとした小さな心の喜びやそれにつながる出来事が一つあったらその日1日は十分じゃないかと教えられ、これが毎日を丁寧に生きていくことだと感じたという。ショーゲンさんが村の7歳の女の子に言われたことが、「おはよう、ショーゲン、今日は誰の人生を生きる?私は自分の人生を生きるから、また夕方のご飯の時に会おうね」。これが本来の日本人の挨拶だったと村人から教えられ、「自分の心の喜びに集中していると、周りも明るくハッピーになていく、これを知っていたのが日本人でしょ?」と自分たち日本人が忘れてしまったことを思い出させてくれているという先ほどの忘却の旅の話につながった。
 「ショーゲンを見ていると、自分を置いてきぼりにする瞬間をよく見る。困っている人がいたら今すぐ駆けつけて助けてあげたいという氣持ちは優しいが、世界中の人の心には喜びのグラスがあり、そのグラスの水がいっぱいになり溢れた分で人に愛を注いであげればいいのに、今のショーゲンのグラスは枯渇してすり減っている」と指摘されたという。「世の中で起こるすべてのトラブルの原因は、この水がすり減っている人たちが誰かに何かをやってあげようとした時にすべてのトラブルが起きるんだよ。あなたの周りにいる大切な人たちを幸せにしたいのであれば、まずは自分の心を喜びで満たそうね」とも。「日本人は、今のようじゃなく、自分の心の喜びに目を向けていたでしょ?」とずっと言われ続けていたという。
 一昨日、自尊心、自己肯定感、理想像の3つの違いを知り、3つの三角形を整えることが大事だとある方から教えてもらったのだが、自分の心を喜びで満たすという面では、自尊心を高めることは大事だなぁと動画を見て改めて実感した。世界中の人が、それぞれ心のグラスが満たされれば、争いごとはなくなるのだろう。その第一歩は、自分の自尊心なのかもしれない。

■2023年12月25日(月曜日)
 2日前の砂浜練習の影響が相変わらず続いている。昨日の筋肉痛は、若干緩和してきてはいるものの、今朝から新たに筋肉痛になっている部位もあった。僧帽筋とハムストリングスは、相変わらず変化なく痛い。新たに筋肉痛となったのは、大腿筋膜張筋、広背筋の上腕骨付着部付近。昨日より痛みが強くなっているのはみぞおちのラインより下側の肋間筋。首周りだけはだいぶん改善し、風邪をひいた時のような違和感から解放された。
 部活の際に、学生たちに砂浜練習後の疲労について聞いたのだが、自分のように全身が筋肉痛になっているという学生はいなかった。局部的に痛みがあるという学生はたくさんいるが、長距離でもっとも競技力の高い学生は全く筋肉痛はなく、翌日は、普段使っていない部位に刺激が入ったためかとても調子が良くなったと話していた。どうやら、自分の疲労が最もひどいようだ。年なのか?それとも学生たちが練習の中でうまく全身が使えていなくて自分だけが全身を使っていたのか?よくわからないが、学生たちは、それぞれ何事もなく自分の練習をしていたが、自分は、筋肉痛のため今日も運動ができなかった。

■2023年12月24日(日曜日)
 昨日の疲労がものすごい。久しぶりに筋肉痛らしい筋肉痛で、僧帽筋、大腿直筋、ハムストリングスの中央から臀部へかけて、みぞおちより下側の肋骨周辺あたりがひどい。学生に張り合って、頑張ったんだということを筋肉痛で改めて痛感。何をしていても痛く、朝からサーキットトレーニングをするつもりだったが、断念。今日は1日何も運動はできなかった。
 その代わりに年賀状作成。プリンターが壊れ、インクの量は十分あるとの表示がパソコンでは確認でき、プリンターでも確認できるのに、印刷をするとシアンとブラックしか色が出ない。先月は6色中5色までは色が出ていたのに、ヘッドクリーニングをする度に出てくる色の数が減り、最終的に2色しかでなくなり、今日も確認してみたが状況は変わらず。
 印刷は今日してしまわないといけないということもあり、電気屋に同じプリンターを買いに行き、新たな機種にすると設定等に時間を取られるので、泣く泣く同じプリンターを購入。20年以上前のフォトショップを使って年賀状を作っているのだが、どうにも使い勝手が悪く、長男にどうしたらよいか聞いたら、彼が自分のパソコンには行っているイラストレーターでさっさと年賀状を作ってくれ、なんとか年賀状印刷を終えることができた。

■2023年12月23日(土曜日)


手押し車



練習後
 練習は三浦海岸の砂浜で実施。来週の部活の時間は、いろいろとイベントが入り、チームとしての練習はできないこともあり、今年の最後のチーム練習ということで、、短距離、中距離、長距離での合同練習となった。
 練習メニューは、メディシンボール投げ3種類を10回、おんぶ歩き×1、おんぶ走り×3、変形ダッシュ(10m×1、30m×3、45m×2、60m×1)、1人100mのリレー、300m。
 普段の環境とは違い、自分たち以外にはほぼ人がいない貸し切り状態で、開放感があった。砂浜での練習のため、高校時代までに砂浜練習を積んできた学生は、トラックでの走りとは違う強さを見せ、リレーでは戦力となるなど、普段の学生とは違った一面を垣間見ることもできた。
 部員数が多いため、種目が違うと同じ学年でも名前と顔がわからないということがあるので、時々こういった練習を入れることで、チームとしてのまとまりを作っていければと思った。

■2023年12月22日(金曜日)
 1週間ぶりの練習。この3週間は、仕事の関係、体調の関係で週に1回の練習しかできていなかった。今日からは、きちんと練習を再開したいと思い、まずは、一人で、2分ダッシュ+2分ジョグを10セット。
 最初の1本目は、途中から、呼吸がきつく喉が痛くなるほど追い込まれ、小学生の時のマラソン大会の時のような辛さがあった。久しぶりに一人で呼吸器系を追い込んだ。2本目以降は、1本目ほどの呼吸の苦しさはなくなったが、ただ速度が落ちて追い込めていないだけなのかもしれない。1、2本目は左膝を曲げるタイミングで曲がりきらないような違和感があり、10本目まで走りきれないのではないかとおもったが、3本目からは、膝の違和感がなくなり、左アキレス腱の痛みが氣になりだした。3本目を走り終わったところでえづき、ますます10本目までたどり着くのだろうかと不安になった。空気が乾燥しているので、喉に水分がなくなり、ツバが喉を通らない感じが辛かった。その後は6本目の後にまたえづき、後半は、比較的安定した走りで、苦しくはあったが、自分の中ではベストを尽くした走りができ、前半の状態があまり良くなかったこともあり、走り切れたことの達成感は大きく、久しぶりに練習をやった感を味わうことができた。

■2023年12月21日(木曜日)
 昼前くらいから頭痛がひどくなり、午後は、ひたすら耐えるという感じだった。夕方売店へ行ったのだが、月に1回〜2回売店に来る健康グッズを販売する方が来ていて、午後から頭痛でどんどんひどくなっているという話をしたところ、氣の状態をみてもらうことができた。頭の上に手をかざして、最初に言われたことが「氣が全くないですね」だった。元氣ではないときには、まったく手に氣を感じることができないようで、その後、頭に手をかざしてもらいながら、こちらはじっとしていたのだが、すぐに頭痛が緩和した。その後も手をかざしながらいろいろな動きをしていただき「邪氣をとっておきました」と言われた。自分の状態はあまり良い状態ではないということがわかった。その後も手かざしの動きは続き、最終的に氣を入れていただくことができた。
 物事は、本人が解釈するまでは、良いも悪いもなくニュートラルだが、本人の解釈が入ることで、良いか悪いかに別れていく。しかし物事は、コインのように表と裏があり、良いと解釈をしたうらには、悪いと解釈できる何かが必ず存在するという。今日の頭痛については、自分の中ではかなりネガティブな解釈をしていたが、からだの声であり、最終的には、邪氣を払い、氣を入れてもらい頭痛が改善するという結果となった。なんとなく表裏一体という言葉が思い浮かぶ出来事だった。

■2023年12月20日(水曜日)
 前WBC日本代表監督の栗山英樹さんによる講演を聴講。タイトルは「監督と選手の絆はいかに築かれたか〜WBC大会の裏側〜」。最近、テレビでもWBCの裏側を撮影した動画をつなぎ合わせた映画があり、大谷翔平選手のドジャース移籍の話題もあり、栗山さんは、毎日のようにテレビで見るというくらいお忙しそうなのだが、そんな中で、本校に講演に来られるというのが驚きだった。
 この講演は、リーダーシップ教育の一環で行われているので、WBCの事例を通して、リーダーとはどういうものかということを教えて頂くことができた。
 栗山さんがよく聞かれる質問は「なぜ世界一になれたのか、結果が出るための条件」と「村上選手の起用について」だという。今回世界一になれたたくさんの要因の中で、特に選手については、ダルビッシュ選手、源田選手、大谷選手、村上選手のエピソードが詳細に語られた。
 源田選手が小指の骨折をしてしまい(全治3ヶ月)、普通であれば通常のプレーを行うことができないところ、これまでに全ての指を折るような経験をしてきたことから、「指1本であれば大丈夫」と話し、チームのためであれば、自分のことはどうでもいいというくらいの意気込みでプレーに復帰し、周りの選手たちにもこれが波及しチームの結束が高まったという。プロの選手たちなので自分が控えにまわることは、マイナスな氣持ちを抱くことが多いが、このチームは、選手全員がベンチで前のめりに試合を見るという感じでチームが勝つことを優先する雰囲氣だったため、控え選手もチームの一員という結束感で、勝利を最優先にできたことも世界一になれた要因のようだった。
 村上選手の起用については、村上選手よりも、村上選手を取り巻く選手やスタッフのやりとりが面白かった。村上選手の代打としてバントをするために準備するよう言い渡された選手が、言い渡された途端に顔が青ざめていたということで、プロでも自分のプレーが勝敗を左右し、失敗した場合のリスクがあまりにも大きいと、かなりのプレッシャーを感じることがわかった。結果的には代打を出さずに村上選手が決勝打を打つことになったが、代打を打診された選手は、代打にでられないことがものすごくうれしかったと後にコメントしていたということで、プレッシャーから解放されたときの落差を感じることができた。監督は、選手が責任を被らず、自分の責任となるにはどうしたらよいかということも考えていたそうで、村上選手を起用しつづけて失敗をしても監督の責任となるということもあり、選手と心中する選択肢しか結果的にはなかったようだ。
 日ハム監督時代の話もあったが、みんなが「いいね」というものは確率が高いが、みんなが考えることは長期的にはうまくいかず、その逆をやると確率は低いがうまくいったときのインパクトが強いという考えで、周りが反対したにもかかわらず、大谷選手の打順を1番に持っていったことが、今では当たり前になっているというエピソードも面白かった。この作戦を最初に聞いた大谷選手も、自分の知らないことをするということでワクワクしていたとのこと。大谷選手は、自分で考え自分でやるということを誰よりも実践していて、合宿で投球練習をしていても、感覚が悪ければ投球練習は突然止めたり、コーチが休んだ方が良いと助言しても「それは今じゃない」と答えて練習を継続するなど、とにかく自分を通して自分にとってプラスかマイナスを判断するという癖が付いているようだ。
 監督業は、選手に技術を教えることはなく、とにかく人を見るという商売だと感じた。栗山監督の場合は、この人のためにやってあげたいと想われる人と表現されていた。選手は、人として成長したときに競技力も伸びるということで人間力というキーワードも重視されているようだった。

■2023年12月19日(火曜日)
 12月10日に開催された東海学生駅伝で名古屋大学が18年ぶり2回目の優勝を果たしたという情報を知った。東海地方の大学で、近年の有力校は皇學館大学が筆頭というイメージがあり、卒業生が実業団でも活躍している印象があるのだが、今年の大会は、2分42秒差で岐阜共立大学が2位、3位の皇學館大学は名古屋大学と2分57秒の差があった。参加校は18チームと少ないが、選手を推薦などで入学させていない国公立大学が優勝するというのは、なかなかできることではない。1区から、1度も先頭を譲ることなく逃げ切ったというのがまた凄い。区間賞は3名で、1名は区間新記録。区間賞が取れなかった選手も全員区間2位。完全勝利というくらい他大学を圧倒したように見える。大学院生が2名走るなど、面白いメンバー構成。こういった大学が全国大会で活躍してくれると面白いのだが、現実は、関東の有力校が上位を占める。今回の大会で、来年の出雲駅伝の出場が決まったとのことなので、あと11ヶ月でさらなるレベルアップを期待し、ぜひテレビで映る位置でたすきリレーをしてもらいたい。

■2023年12月18日(月曜日)
 昨日、午前のイベントが終わり、帰宅するために車に乗っているときから、あまり体調がよくなく、帰宅後は、時間がたくさんあったのだが何もやる氣が起きず、ぼっーとテレビを見るなど、あまり充実した時間が過ごせなかった。昨日は朝早くから活動したこともあり、21時頃には床に就いたのだが、あまり眠れず、2時過ぎに目が覚め、その後は、左後頭部の頭痛がひどく、寝たような寝ていないような、中途半端な感じで4時間ほど時間が過ぎた。眠れないので、6時過ぎに起き、いつも通りの生活をし、洗濯物を干し、犬の散歩に出かけた。昨日までは、太陽の光を浴びていれば、暑いくらいの氣候だったが、今日は、ダウンのコートを着ても寒く、耳も寒いので、フードを被っての散歩だった。帰宅後、首周りがどうも変な感じがするので、熱でもあるのかと思い、体温を計ったところ、37.5度だった。確認のためもう一度量る37.6度。微熱があることがわかった。微熱よりも頭痛の方が辛く、今日は休暇を取った。一日家の中で過ごしたが、微熱は変わらず、頭痛は時々現れた。明日は、職場の忘年会だが、無事に参加できればと思う。

■2023年12月17日(日曜日)


800mの仲間たちと
 「FCコラソン創設30周年記念大感謝祭in国立競技場」というイベントのお手伝いで早朝から国立競技場へ行った。FCコラソンは、相模原のサッカーチーム。今日は国立競技場を貸し切ってのイベントで、午前は子どもたちやその関係者がトラックを走るイベントで、午後はブラジルのクラブチームを迎えてサッカーの試合が行われた。
 自分は、トラックを走るイベントで、タイムを計る仕事をした。陸上の友人から声がかかり、この仕事を引き受けたのだが、同じように仕事を引き受けたのが、同じ800mを走る仲間ばかりで、プチ同窓会のような感じになり、とても楽しく時間を過ごすことができた。
 声をかけてくれた友人は、このイベントの関係で、ブラジルの子どもを2人ホームステイさせているそうで、ポルトガル語は、まったくわからないものの、スマートフォンの翻訳アプリがあれば、会話は問題なくできるとのことで、今の翻訳アプリを絶賛していた。ホームステイした子どもたちがお土産として持参したものが、缶のコンデンスミルクとココアパウダーだったという。彼らは、コンデンスミルクをスプーンですくってそのまま食べるのが好きだそうで、それだけでは申し訳ないということで、毎日みかんとイチゴを出してコンデンスミルクと食べてもらっているとのことだった。友人は、料理が上手なのだが、日本食を出したところ、彼らは、慣れない食べ物にはなかなか手を付けられなかったそうで、特にみそ汁はダメだったと残念がっていた。食の好みは、子どもの時に決まり、それが基準となるので仕方のないことなのかもしれないが、せっかくホームステイに来たのであれば、挑戦すればいいのにと思ってしまう。
 今日のような大イベントは通常広告代理店にお願いして実施するのだろうが、今回は、クラブチームが自前で運営したこともあり、友人の話によれば、いろいろと事前に決めていないことが多く、現場レベルで適宜対応せざるを得ないこともあり、本部は、グダグダだったとのこと。自分たちのタイム計測にしても、参加者が何名かわからないにも関わらず、開始時刻と終了時刻が決められ、実施中に、なぜかトラック上でサッカー芸人さんたちによるパフォーマンスが急に入ることになり、さらに事前に示された使用時間を大幅にオーバーされ、結果的にこちらの計測時間が大幅に削られてしまった。結局、自分たちの計測終了時刻も10分オーバーとなった。
 今日は、日が出て本来であればかなり暖かいはずなのだが、競技場内は、観客席の延長線上にある天井のような囲いの影響で、日が当たる場所が少なく寒かった。フィールドの芝も、日が当たらないため、友人によると芝の質は悪いとのことだった。設計段階で、芝の日当たりまでは考慮されていなかったということなのかもしれない。しかし雨の日には、比較的トラックの外側は雨が降り込まず、選手にとってはメリットが大きい。選手にとってはありがたい競技場だ。

■2023年12月16日(土曜日)


花の国のゴジラ



夜の久里浜港
 練習は、1ヶ月ぶりの韓国式サーキット。学生たちは、先月2セットやって、翌日以降の筋肉痛などがひどかったこともあり、やる前から憂鬱そうな感じだった。そういったことから、全力で走る100mダッシュは、ちょっとセーブしながら走っているようにも見えた。自分は、できるだけ出し切れるように努め、頑張りすぎたためか2セット目に入ると、脚が震えて立ちつづけるのがかなりつらかった。1000mは1セット目が3分02秒台、2セット目も3分04秒台で、かなり速度を出して走ることができた。今日は3セットやるものだと思っていたのだが、3セット目をやる学生はなく、3セット目は自分一人でやることになった。一人だと妥協が入り、それまでの疲労が積み重なった影響もあり、最後の1000mは、両下腿が攣りながら走ることになり、3分20秒台となってしまい、ちょっと強度が落ちてしまった。
 午後は、小学生の陸上教室へ行き、800mの計測がメインだったので、全てのグループに混じって子どもたちに声をかけながら走り続けた。
 教室終了後は、チームスタッフによる忘年会が開催された。50名以上の参加で、大宴会となった。今までは声をかけられても、必ず別の用事があり参加できなかったので、初めての参加だったのだが、陸上競技が好きな人たちの集まりなので、話が尽きることはなく、とても楽しい時間を過ごすことができた。

■2023年12月15日(金曜日)
 「月刊三橋」事務局からのメールマガジンで、最新の研究では、古代日本の縄文遺跡と弥生遺跡から、自分たちが学んできた歴史を覆す発見が続いているとの記述があった。自分たちの学んできた歴史とは明らかに違った内容で、特に縄文時代のイメージが変わった。
 「農業の誕生によって、むしろ餓死者が増え、戦争、格差、疫病が生まれてしまった」という。農業が始まることで、食糧をため込むことが始まり、貧富の差が発生し、貧しい者は餓死をするリスクが高まり、農業をすることで土地が重要になってしまい、土地の奪い合いから戦争が始まるようになってしまったというのが新説。縄文時代と弥生時代の両時代で剣が出土しているが、縄文の剣は、石をを削っているが、丸みを帯びていて、人を殺すようには作られていないが、弥生の剣は、金属を磨き鋭い刃があり、人を殺すことができるようになっているということからも、縄文時代には、戦争というものはなかったのではないかとの考察だった。1万年以上続いたとされる縄文時代は、自然と共生するとても平和な時代だったのだ。

■2023年12月14日(木曜日)
 自民党の政治資金パーティーの問題が、連日話題になっている。防衛副大臣がパーティー券販売のノルマ超過分のキックバックについて、「(政治資金収支報告書へ)記載しないでよいと派閥から指示があった」とインタビューで述べていた。組織的な指示があったとうことが初めて明るみに出たということが新たな情報だが、誰の指示だったかは「まったくわからない」という。そして派閥から箝口令が敷かれていることも加えられた。個人の責任を回避すべく「誰」ということは言わず、派閥という言葉を使っているように見える。
 安倍派の4閣僚は辞表を提出。理由はそれっぽく説明しているが、いろいろと追求される前に辞めた方がよいと判断したように見えてしまう。キックバックが裏金かどうかを質問されているのだと思うが、大臣たちは、陳謝したり確認中とするなど、全く質問には答えてくれない。いらぬことを言えば、芋づる式に次々と問題が出てきそうだらか何も言えないというように捉えたくなる。
 もっと国民の生活にとって大事なことが議論され報道して欲しいところだが、しばらくはこの話題が続きそうで、なんだかむなしい。

■2023年12月13日(水曜日)
 一昨日の棒高跳び練習で落ち方が悪く、軽いむち打ち症状になった。昨日は、治療院で首周りの動きが改善できるよう施術をしてもらい、ある程度楽になったが、今日も1日首周りは不自然な痛みというかこわばりがある状態が続いた。ジョグをしたいが、首のことが氣になり、ジョグもできず、昨日に続き運動はできず、棒高跳びのリスクというというものを改めて実感。跳躍時に着地のことまで頭が回らないので、氣をつけたくても氣をつけられないというのが今の自分の現状。一度にいくつもの注意点を抱えて跳躍をすると、結局まともな跳躍ができないので、現状では、跳躍をするたびに1つの注意点を意識せざるを得ない。ケガのリスクと向き合いながら、少しずつレベルを上げていくしかない。

■2023年12月12日(火曜日)
 今年は、ChatGPTが流行ったが、どういうものか知りたくて、無料のオンライン講習会に参加した。今のAI技術は、人が作成した文章かAIが作成した文章かの区別がつかなくなるほど向上しているという。様々な資料を、日本語で要求すると、ほぼ要求したものが出力される。エクセルにもワードにも変更できるのだという。素人には、プログラムを作る必要はなく、日本語さえできれば多くのことができてしまうというところが画期的だ。人とAIとの差を縮めるテクニックとしては、AIに要求する前に前提条件を細かく指定しておくと良いのだという。それをプロンプトと言うそうで、今後は、このプロンプト作成能力、その成果を確認する能力、プロンプトを修正する能力がある人が活躍できるとのことだった。
 自分のやっていることで、AIが代わりにやってくれたら作業効率が上がるのにと思っていることがあるので、プロンプトを勉強し、活用してみたいと思った。
 今日は、昼過ぎから、特に背中側の首周りが痛い。筋肉痛のような、ひねって痛めたような感覚なのだが、原因を考えてみたとろ、昨日棒高跳びの練習で、首から落ちた跳躍があり、ちょっと首が痛かったことを思い出した。むち打ちみたいなものか。若干首周りが不自由だ。

■2023年12月11日(月曜日)


最も上手くいった跳躍
 1ヶ月半ぶりに棒高跳びの練習。最初は4歩助走(6.5mくらいの助走距離)で真っ直ぐに跳ぶ練習をし、久しぶりの練習の割には、しっかりと真っ直ぐ跳ぶことができ、以前よりも上手く跳べているという感覚があった。次に、4歩助走のままバーを越えるための動作練習。跳んだ後両脚を前に出し、からだを反転させるような動作。こちらも問題なくできたので、6歩助走(9,5mくらいの助走距離)で、ポールの高さは、自分の基準から10握りくらい上にして、跳躍。今日は意外と恐怖心はなく、すんなりと動作はできた。しかし、跳躍の位置がちょっと前過ぎるとのことで、跳躍位置を確認し、それを目標に跳ぶ練習をした。それがクリアーできた後は、跳躍直後にお尻の位置がもっと上に行くべきところが、ゆったりと上がっているため、素早くお尻が上がるように意識することが課題となった。何度かやっている内にお尻が上がるタイミングは最初よりも早くなった。最後に、お尻が上がった後にポールからからだが離れてしまうことと、からだが反ってしまうところの修正が課題となった。お尻が上がってポールがからだに沿うイメージとしては、ほっぺたがポールに触るような感じという説明をもらい、お手本を見せてもらったが、そこで練習時間が終了となってしまい挑戦はできなかった。次回はこれを課題に取り組みたい。

■2023年12月10日(日曜日)


走り終わった後



表彰後
 葉山駅伝に出場。2年間は新型コロナの影響で中止、昨年は自分が新型コロナに感染し出場できず、3大会ぶりの出場だった。今年も、当初決めていたメンバーの中に、急に仕事が入ったり、ケガをして走れないという人が発生したため、ベストメンバーとはならなかった。
 自分は1区3.6km。同じく区間に葉山役場に勤めている卒業生もいて、彼にどれだけついていけるか、できるだけ離されないように2区へ渡すというところが一つの目標だった。スタート直後から、元実業団選手が飛び出し、誰も付いていけず、自分は、高校生が引っ張る第2集団で走った。卒業生は、自分の後ろにピッタリとついて来た。周回コースを2周する中の1周半くらいまでは、一緒に走っていたが、高校生にはついていけなくなり、卒業生との1対1の勝負となったが、急にえづいて速度低下となり、競り負けた。タイムは11分38秒くらいで区間4位だった。
 我がチームは、2区で2位に上がり、3区でトップに立ったが4区で2位となり、最終区でも追いつくことはできず、1位に26秒差の2位となった。
 2位は、野菜詰め合わせとスーパードライ1箱だった。優勝は地元の有名パン屋のフランスパンだったので、2位で満足。40代中心のチームだが、若者たちに混じってよく健闘したと思う。来年は、50歳になってしまうが、まだまだ若者たちに抗いたい。

■2023年12月9日(土曜日)
 中距離パートの練習は、(2000m+1000m)×2+6000m。自分は、明日の駅伝の調整で、2000m+1000mだけ一緒に走った。ペースは1000mあたり3分15秒。休息は200mウォークだった。
 ウォーミングアップは、からだが良く動き、とても調子が良かったのだが、走行中左脚スイングの際、左膝が曲げづらく痛みが発生する症状が出て、走って良いかどうか迷った。結局痛みが出たら止めようと思ってスタートした。走り始めると、全く膝は氣にならず、かなり調子よく走ることができた。1000mは3分15秒台。次の1000mは3分12秒台で、そのまま3000mまで走ってしまえば9分40秒くらいはいけそうな感じだった。200mウォーク後の1000mは、前半3分15秒のペースで走り、残り300mからはペースアップし、フィニッシュタイムは3分01秒台。こちらは、かなりきつかったが、久しぶりに速度を上げた練習ができた。
 今日は、アシックスのターサーで練習したが、明日は、脚に負担のないようHOKAの厚底シューズを履いて走る予定。脚の負担は今日よりは確実に低下するので、氣持ちよく走れるのではないかと思う。

■2023年12月8日(金曜日)
 朝日新聞デジタルで、「政府は、海藻や海草などに吸収された二酸化炭素「ブルーカーボン」を正確に算定し、温室効果ガスの削減量として奥連に報告する取り組みを本格化させる」という記事を読んだ。このブルーカーボンの算定量を温室効果ガス削減の量に含める狙いがあり、政府が認証する削減実績「クレジット」として民間投資を呼び込むことも狙っているという。
 随分回りくどいことをしているなぁと思った。先月、水と二酸化炭素から人工の石油ができるという話を聞き、さらに国内で既に実用化されていることを知った。これを使えば、二酸化炭素を吸収できるし、できあがったものは格安で石油として使用でき、この石油を使用しても窒素酸化物は発生せず採掘された石油よりもクリーンという一石二鳥以上のメリットがありそうなのだが、世間では何の話題にもならない。政府は、この国内発の技術をどんどん推進すべきかと思うが、二酸化炭素が削減され、さらに国内で石油が作れるようになると、石油メジャーの立場や原子力関係者の立場などさまざまなエネルギー産業にとって都合が悪くなることが考えられる。そういったことから、推進ではなく無視を決め込んでいるのか?それともこういう情報について何もしらないのか?人工石油で日本のエネルギー自給率が大幅に高まり、様々な問題が一氣に解決してくれればと思う。

■2023年12月7日(木曜日)
 犬の散歩をしているときに、建ったばかりの建物や、建築中の建物を見ていると、更地にされる前の建物があった景色は、どういう景色だったかと思い出そうとするのだが、思い出せない。ちょっと前までは当たり前の景色で、記憶に留めようとも思わなかったのだが、思い出せないと、しっかり記憶に留めておくべきだったと後悔する。
 当たり前だと思っているものがなくなると、急に当たり前だったことがどれほど大事なものだったのかということを実感する。それが健康だったり、人だったりすれば、特にそういった感情が強くなる。当たり前がいかに幸せか。当たり前に感謝ができなければ、いつまで経っても幸せな状態にはなれないということを更地にされる前の建物を思い出そうとしながら考える散歩となった。

■2023年12月6日(水曜日)
 「食糧不足に備え、政府の役割強化へ」というニュース報道があった。平時は、民間の在庫状況等を把握し、供給量が2割以上減少した場合は、輸入拡大・増産・出荷先調整をし、最低限必要なカロリー確保が困難になった場合には、さつまいもなどを念頭にカロリー重視した品目への生産転換をする要請などを政府に求めるとのこと。
 政府は、長年減反政策を実行し、種子法は廃止され、種苗法は改悪され、外資が日本を支配するような条件をそろえ、最近では畜産業を衰退させるような政策を実行して、いつからか食糧自給率への言及もなくなり、食糧安全保障とは真逆な政策をしているようにしか見えなかった。食糧安全保障を考えるのであれば、種子法復活、種苗法改正、後継者不足の農業、漁業、畜産業を復活させるような政策を実行して欲しいものだ。

■2023年12月5日(火曜日)
 自宅周辺は、縄文時代の遺跡があり、近所の神社は、源頼朝と北条政子が参拝したことが記録に残るなど、古くから人が住んでいる地域で、現在は、高齢者が中心の町となっている。そのため、この地域に引っ越してきたときには、外壁がトタンのいかにも昭和の建物もたくさん残っていた。毎朝、犬と散歩をしているのだが、最近、そういった昭和の建物が次々となくなり、新しい家が建ち始めているということに氣がついた。トタンは、軽くて安い建材として、高度成長期にはトタンが選ばれたようだが、今では、それが錆び、朽ちかけている建物も多い。そういったものでも大事に使い続けているところが、日本っぽくて好きだ。また、木でできた電柱がまだ現役で使用されていたりもする。しかし、そのうちこれらの景色が見られなくなってしまう可能性は高く、それがとても寂しい。今のうちに写真におさめ、自分の中の昭和を残したいと思った。

■2023年12月4日(月曜日)


左:旧、右:新
 最近炊飯器の蓋がロックできず、勝手に開くようになってテープで蓋を留めて炊飯をしていた。さすがに限界だと思い、先週、新たに炊飯器を購入し、今日やっと届いた。今まで使っていたのは2013年3月29日に購入し、パナソニック製で3万円以上する商品だった。約10年使用したのだから、しっかり使い倒すことができたと言えるだろう。今回購入した炊飯器は、象印。価格は1万7千円ほど。今まで使っていたものと比べるとスチーム機能がないようだが、今まで表面の加工が剥がれてしまった釜を使っていたので、新しい釜は、表面の加工がしっかりしていて氣持ちがいい。この10年で、炊飯器の技術がどのように変化し向上したかはわからないが、きっと以前の炊飯器よりおいしいご飯が炊けることだろう。この10年間、働いてくれた炊飯器に感謝したい。

■2023年12月3日(日曜日)


黒船塗装のしらはま丸
 4ヶ月ぶりの骨ストレッチ講習会参加。最初の講習のテーマは「背骨」。しかし、参加者が常連さんばかりだったため、テーマからは若干外れて、氣がつけば「側面を緩めれば動きが変わる」というような内容に変わっていた。6人組で、體の側面を伸ばす骨ストレッチをしたのだが、その効果は絶大だった。2つ目の講習も参加者は常連さんのみだったため、テーマについてはさらっと話があるだけで、本題は、骨ストレッチでいつも使っているWTプレートを使うと體に不思議なことが起こるという内容だった。このプレートを體の下に置くだけで、なぜだかわからないが體が楽になる。今後は、寝るときには、必ず使おうと思った。
 講習中、先生たちからは、4ヶ月講習会へ参加していないためか、大腿部の力が全く抜けず動作をしていて、ほぐれていないところがたくさんあるとの指摘があり、先生たち直々に體をほぐしてもらうことができた。特に左はハムストリングスのストレッチ感がなく、硬かったのだが、右の肩甲骨付近、特に菱形筋をほぐしてもらうと、左はハムストリングスのストレッチ感が少しずつ戻ってきた。その後は足首やあばら骨を中心にほぐしてもらい、ある程度、まともな状態に戻って講習会が終了した。あらためて継続して講習会に参加したいと思った。

■2023年12月2日(土曜日)


三男の走り



マスコットと一緒に表彰式
 平塚で三男が駅伝に参加。平塚商工会議所やサッカーの湘南ベルマーレなどの主催する大会で、開会式には、来賓として河野デジタル大臣が来られ挨拶をされていた。会場に、SPらしき人たちがたくさんいて、誰が来るのだろうと話していたのだが、開会式の来賓紹介で納得した。
 三男は4区を走り、一人を抜いて一人に抜かれたと話していた。区間は6位だったが、区間1位の子は、一人だけ大人のようなタイムでレベルが全く違っていて、三男はその選手に抜かれたようだ。チームは、1区で5番手につけ、その後は、3〜8位争いをし、最終的には3位と同タイムで惜しくも4位となった。
 表彰は、サッカーチームが主催していることもあり、かなり派手な表彰式となった。天気は良く、12月とは思えない暖かさで、子どもたちがスポーツをするにはとても良い環境だった。
 今日は、駅伝とは別件だったが、10年以上ぶりに、昔一緒に800mを走っていた友人が平塚競技場まで来てくれた。最近は、年賀状のやりとりくらいしかなかったので、久しぶりにお互いの近況等を話すことができ、充実した時間が過ごせた。

■2023年12月1日(金曜日)


飲み会中



参加者全員で
 社会人クラブチーム「アンビバレンス」の元メンバーによる飲み会に参加した。10年以上前に解散し、いくつかのチームに分裂して、その一つが今自分の所属するチームなのだが、いまだに競技を続けている人は少ない。海外赴任をしたり、様々な場所へ転勤をしたりしながらも、今首都圏に勤めている人たちが大勢集まって、お互いの近況を語り合うことができた。
 陸連に勤めている方もいて、自分の大学院の指導教官も陸連で仕事をされていることもあり、先生の近況についても聞くことができたが、JOCの山下会長が頸椎損傷された影響で、先生が職務を代行されているとのことで、かなり大変な状態だということを知った。
 子どもが成人になっても家に閉じこもっているという家もあり、我が家も子どものことでゴタゴタすることが多いが、子どもが大人になっても、親の心配事としていつまでも続く可能性があるのだと思うと、ちょっと困るなぁと思った。
 普段会うことない懐かしい人たちと話をするというのは刺激が多く時間が足りない。この会を企画してくれた人たちに感謝したい。



[昔のいずみ]