最近のいずみ

Last Update:2023/8/31



パートタイムアスリートいずみ 23年目に突入 

■2023年8月31日(木曜日)


仁和寺



鴨川デルタ



下鴨神社



川床からの眺め
 学会2日目。午前中は、競技スポーツ研究部会のシンポジウムを聴講。テーマは「ジュニア(育成世代)競技スポーツのコーチ養成」。サッカー協会は、コーチ養成について、他の種目よりも進んでいるように見え、アマチュア(参加する、楽しむサッカー)とプロフェッショナル(競技としてのサッカー)のダブルピラミッドを意識し、どこでサッカーをしても質の高い有資格者に指導してもらえる環境を目指していた。コーチは安心安全な干渉(参加者を常に考えさせ、巻き込み、実践するような積極的な関与)が大事であり、課題を確認し実践、課題に対して向上したかフィードバック、合意の上で次の実戦でのチャレンジの設定をするというサイクル(フィードフォアード)を充実させる立場であることが示された。「コーチは学ぶことをやめたら教えることをやめなければならない」、「選手は、何が悪いのかではなく、どうしたら良くなるのかを知りたい」という言葉が印象的だった。
 午後は、本部企画シンポジウムを聴講。テーマは「これからのユース・スポーツを考える―運動部活動の地域移行をめぐって―」。スポーツ庁が昨年「運動部活動の地域移行に関する検討会議提言について」を発表し、休日の活動から段階的に地域活動へ移行するという改革の方向性を示した。少子化に伴い、参加人数は減少、教員の休日の部活参加の問題、勝利至上主義の問題など、部活動には、様々な問題が噴出している。親の年収が高いほどスポーツ活動の割合が高いことから、部活のおかげでそのマイナス面を補ってきたことは間違いないのだが、人数減少による合同部活動をやる難しさ、自治体の熱量の違い、指導者の質など、自分の地域に当てはめて考えてみると、自治体により条件が違いすぎ、スポーツ庁が、こうしなさいと決めつけることができないことが理解でき、本当に地域移行は可能なのかというところに戻ってきてしまうという何とも言えないサイクルにはまっているようにも感じた。しかし、もう来年からは、地域移行をしていかなければならないとすれば、横須賀市の陸上競技については、市と陸協で行っている小学生対象のスクールを中学生に拡大していく感じなのかなぁと思った。
 朝は、8月17日以来のジョギング。なんとか半月板の状態は改善していることが実感できた。ホテルから、仁和寺を目指し走ったのだが、その途中は、妙心寺というお寺があり、敷地面積がものすごく大きく、一般の人は、お寺の中を生活度道路として使っていて、お寺が身近な存在なのだということを実感した。お昼休みには、テレビではよく目にする鴨川へ行ってみた。鴨川デルタを初めて目にし、その後、下賀茂神社を参拝することができた。夜は、大学1年生の時、最初の同部屋で生活した友人が、大阪から京都へ会いに来てくれて、先斗町(ぽんとちょう)の川床で食事をした。今日は満月で、川床での食事ということでとても氣持ちがよく、昔話や近況についてじっくりと話すことができた。

■2023年8月30日(水曜日)


京都御所





御所内の自転車通行の轍





同志社大学





陸上仲間と
 最近、非認知能力という言葉をよく耳にする。発想力、自己肯定感、意欲、好奇心など、尺度が定まらず、なかなか計測ができない能力。先週は、学会のシンポジウムで、保育の現場で意識され、この能力を向上させる取り組みについての報告があった。今日はNHKの「いいいじゅー」という番組。子どもの頃は、田舎なんて何もなくて、早くこの町から出て行きたいと思っていた人が、Uターンで故郷に戻り、「田舎暮らしが非認知能力を育てる」というコンセプトのもと、子どもたちの田舎暮らし体験をするイベントを立ち上げて生活している様子が映っていた。体験にきた子どもたちは、自分でやりたいことを見つけ、それをやる仲間を集める。その中で、賛否があり、様々な葛藤もありながら、成長していく姿が印象的だった。与えられたモノで遊ぶのではなく、自分で工夫することで非認知能力も高まるのだとすれば、昔の子どもたちは当たり前に備えていた能力だろうし、逆に今の子どもたちは、意識してそういう環境を与えてあげなければ、そういった能力は向上していかないとも言える。テレビゲームが遊びの中心になって以降(自分たちの世代以降)は、この能力が低くて深刻な問題なのかもしれない。
 日本体育・スポーツ・健康学会初日。京都の同志社大学で開催された。同志社大学は、全ての建物がレンガでき作られていて、さすが大手の私立大学だと思った。午後に大学の総長による基調講演があったのだが、大学の前身である同志社英学校は、日本で初めて体育授業を始めた学校だったという。新島襄の学んだアメリカの大学も、アメリカの大学で初めて体育の授業を始めた学校とのことで、本学会をこの学校で行う意義を理解することができた。同志社大学の校章を同志社徽章というのだそうだが、三角形の頂点を3つくっつけたマークで、それぞれの三角は知育、徳育、体育を示している。三位一体の均整のとれた発達を望んだ新島襄の考えが反映されているのだという。自分の職場でも、知育、徳育、体育を重視しており、共通点を通して、とても身近な学校に思えてきた。
 学会の開かれたキャンパスは、京都御所の隣接しているということで、せっかく御所の近くまで来たので、京都御所を見学してきた。見学者の多くが外国人観光客で、その多さに驚いた。会話を聞いていると、中国語やスペイン語が多かった。スペイン語の「Muy bien !」(とても良い)という言葉を聞き取ることができ、なんだかうれしくなってしまった。御所の敷地は、市民が通行する日常の場所となっていて、砂利が敷き詰められた敷地の中に、自転車の轍があり、とても生活感があるのが、自分のイメージとのギャップだった。建物は、幕末のまま残っており、絵の描かれたふすまは本当に立派で、1000年以上天皇が代々暮らしてきたこの場所に、自分が実際に立っているということがとても不思議な感じがした。
 夜は、大学時代の陸上仲間に15年ぶりに再会し昔話に花が咲いた。ゾーンの話になり、自分のゾーンの経験を話すと、彼も日本インカレで優勝した時と、アジア選手権で、周りがスローモーションのように遅くなり、自分だけが動けている感覚があったとの話をしてくれ、目には見えなかったり、数値では測れない世界は存在することを改めて実感した。 

■2023年8月29日(火曜日)
 ジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川氏の性加害認定についての報道があった。本人が亡くなってしままった後では、いくらでも非難はできるが、本人が存命の時には、ジャニーズ事務所のタレントたちを使って仕事を成り立たせている放送局等では、非難はできなかったということなのだろう。ジャニーズ事務所が批判の矢面に立たされることになっているが、黙っていた放送局等は、間接的に加害者とも言えるのだが、自自分たちの都合の悪いことには蓋をして、報道しない自由を貫くように見える。なんだかスッキリしない話題だ。

■2023年8月28日(月曜日)
 帰宅して何となくテレビをスイッチを入れたら日本テレビ24時間テレビの中で102.3kmを走ったタレントのヒロミさんの密着取材の映像が流れていた。トライアスロンやマラソンを経験している58歳のヒロミさんが100kmを走ることを打診され、100kmでは面白くないということで、023(オジサン)という語呂合わせをくっつけて102.3kmを走ることになったとのこと。今回のイベントの映像を流しながら、彼の人生を振り返るような番組だった。テレビの前では尖った感じの雰囲氣を醸し出しながらも、カメラが回っていないところでは、常に相手の立場を考えるなど、カメラの前とは違った一面があり、たくさんの方から感謝されているということが伝わってきた。ランニングも後半にはいってくると、脚が痛くて膝が曲がらなくなり、どうしても膝を曲げたくてお尻を地面に付けて座り膝を曲げた結果、立ち上がれなくなってしまったのだが、一般の人からの「頑張れ」という声援を聞くやいなやスッと立ち上がり歩き出した映像には驚いた。これが応援の力というものなのだろう。おそらく脚の感覚は痛みによってかなり麻痺した状態が続いていたと想像するが、歩いてランニングしてを繰り返し、ゴールにたどり着いた姿には感動した。家族で一つのことに向かってまとまっていく姿も良いなぁと思って最後まで視聴してしまった。

■2023年8月27日(日曜日)
 世界陸上は男子マラソンの放送があった。スタート直後は、NTNに所属して競技をしていた時期もあったモンゴルのバトオチル選手が集団から抜け出して単独走となったが、10km手前で集団に吸収され、最終的には途中棄権となってしまった。彼は41歳とのこと。まだまだ現役で頑張って欲しいと思った。
 日本人選手は、山下選手が30km過ぎで先頭を引っ張る場面もあったが、35kmの時点では8番手。その後は、レソトの選手と2人で、ペースダウンして落ちてくる選手を1人ずつ拾っていき、3位の選手にあと20秒というところまで迫った。しかし、残り2kmくらいで、脚が痙攣し立ち止まることとなり、その後は、いろいろな部位が痙攣し、ペースダウン。走るのは困難な状態だったと想像できるが、そんな中でもなんとか走りフィニッシュラインヘ。結果は12位だった。痙攣は熱中症の症状の一つだと思うが、給水をしっかりしていても暑熱環境なので、予防は難しいのかもしれない。上位の選手を一人ずつ抜いていく姿はかっこよく、今後のレースに希望の持てる内容だった。MGCなど、今後も山下選手に注目していきたい。
 世界陸上の会場がブダペストということで、特にマラソンのコースは、世界遺産に認定されている場所ということもあり、23年前に訪れた時と変わらぬ風景で、英雄広場や王宮と鎖橋はとても懐かしく思った。あのときには、現地に住んでいた後輩の案内でただ付いていくだけだったため、地理的な感覚が全くなく、ひたすら地下鉄を乗り降りして観光地を回った印象だけが残っている。鎖橋の先に350mの長いトンネルがあることを今回の中継で初めて知った。ブダペストは改めて美しい街だと思った。

■2023年8月26日(土曜日)


女子800m



男子4×400mR



男子砲丸投
 関東理工系2日目。主な結果は男子は砲丸投げで1位となり同じ学生が円盤投げで3位、女子も砲丸投げで3位だった。3位以内には入れなかったものの4位から8位入賞の数が昨日より多く、対校戦の点数としては、かなり加点ができた。最終結果は、男子で3位、男女総合でも3位という結果で、昨年よりはチームとして対校戦らしい戦いはできた。
 今日は、とくに盛り上がったのは男子4×400mリレー。メンバーが一昨日から発熱ということで走れなくなり、彼の代わりで走ってもらうつもりだった学生も、昨日の熱中症の症状が続いているとのことで、急遽4走に1年生を起用し予選を走ることとなった。1走で上位につき、2走で順位を落とし、3走で集団に近いところまで距離を詰めて1年生が勝負という場面で、3人の戦いで3着争いをし、ほんの少しの差で4着となったが、なんとか全体の8番目で決勝へ進出。本校リレーメンバーは、個人種目で次のラウンドへ残っている学生はないため、全員が最終種目となる決勝まで時間が十分にあり、他のレベルの近いチームよりも有利になるかもしれないということで、5位狙いで決勝に臨んだ。決勝も同じような展開になり、4走の1年生にバトンが渡ったときには7番手だったのだが、彼が前を走っている2人に追いつき、予選と同じような3人の戦いとなった。最後の直線でも3人の集団は崩れることなくレースは展開し、最後の最後で、少しだけ本校が前に出てフィニッシュ。目標の5位を勝ち取った。1位の東京農大はなんと3分11秒台でフィニッシュしていたが、結果の発表では失格となり、本校の順位は4位となった。久しぶりに手に汗握るというレースだった。昨年は、そもそもこの種目にエントリーすらしておらず寂しい思いをしたが、この種目の決勝に出場するというのは対校戦にとって最も大事なことではないかと思えてしまった。大会をさせてくれた関係者の皆様に感謝したい。

■2023年8月25日(金曜日)
 関東理工系学生対校大会の応援で上尾の陸上競技場へ。通常は土日開催なのだが、競技場の予約をする際に既に日曜日に予約が埋まっていた関係で金土開催となったらしい。本校では、すでに授業が始まっており、金曜日は授業を休まなくてはならないというのが辛いところだが、本校を除けば、どの大学もまだ夏休み期間。支障があるのは本校のみというところなので仕方がない。
 昨年は、コロナの影響もあり、3年ぶりの大会開催ということで、学生たちはこの大会が対校戦であることを理解しておらず、エントリーしていない種目が多く、ただの記録会という雰囲氣だった。今年は、対校戦ということは、意識し、一部の学生は、専門種目ではない種目でもできるだけ1種目3名が出られるようエントリーをしてくれ、昨年よりは対校戦らしくはなった。しかし、エントリーできたはずなのに、最大人数の3名のエントリーがなされていない種目や、エントリーされているのに、事務手続きの不備で外出が認められず出場できない学生や、昨夜移動してきたものの発熱によりホテルで就寝せざるを得ない学生など、いろいろと問題はあった。今年の3年生はこの状況をしっかりと認識し、来年はこういったことがないようにしますと話してくれていたので、今年の反省を活かしてもらえればと思う。
 競技の方は、男子が1500mで3位、走り高跳びで1位、棒高跳びで2位、女子は3000mで3位、対校戦の得点が得られる8位以内の入賞者は多数あり、昨年よりはたくさんの点数を取れている。2日目も点数を伸ばしてもらえればと思う。

■2023年8月24日(木曜日)
 世界陸上では男子35km競歩が行われ、自衛隊体育学校の野田選手が出場。後半まで先頭集団で歩いていたが、上位3名の集団から遅れだし結果は6位だった。しかし、日本人選手では、前回大会1秒差で2位となった川野選手(旭化成)が3位となり銅メダルを獲得した。優勝はアルバロ・マルティン選手(スペイン)。男子20km競歩でも優勝し、2種目優勝となった。この35km競歩は来年のパリオリンピックでは実施されず、20km競歩のみの実施となっている。50km競歩の競技時間が長すぎ、テレビ映えが悪く距離が短く変更されたが、35kmになっても同じような問題があるということなのだろう。パリオリンピックでの競歩種目は、20km競歩の他に、マラソンの距離を男女各1名の1チーム2名で、約10kmを交互に2度歩くリレー形式の競技となるらしい。長距離を得意としている選手にとっては、活躍の場がなくなってしまった。川野選手も野田選手も、今後は20km競歩での代表を目指さざるを得ない。テレビ等のマスコミの情報拡散があってのスポーツの普及なのかもしれないが、放映権収入優先の「今だけ金だけ自分だけ」の流れに巻き込まれざるを得ない選手たちは気の毒だ。

■2023年8月23日(水曜日)
 太平洋側にある熱帯低気圧の影響か、昨夜から短い時間だが突然激しい雨が降っていた。今朝も同じように激しい雨が降り、雷の音も頻繁に聞こえてきた。小学生の頃は、雷が鳴ると、頻繁に停電していたことを思い出し、最近は雷が鳴って停電になることがなくインフラがしっかりと整備された結果なのだと納得していたところ、突然、停電となって驚いた。部屋の明かりが消え、テレビも消えた。しかし、2〜3秒で、明かりとテレビが付いた。その後、もう1回同じような停電があったが、エアコンは停電に影響なく付いたままだった。今日も昨日と同じ時刻の電車に乗れば、間に合うと思って準備をしていたが、これだけ激しい雷雨だとひょっとして電車に影響があるのではないかと思い、電車の状況を調べたところ、JR東海は豊橋と米原の間で運転取りやめとなっていて、そもそも電車に乗れないことがわかった。JRが動かなければ名鉄に乗ればいいということで、父に名鉄の最寄り駅まで送ってもらおうとしたが、この激しい雷雨の影響か、どの道を進んでも渋滞だった。最寄り駅には想定よりもかなり遅れて到着したのだが、駅のホームへ降りてみると、名鉄電車も遅延していた。乗った電車は7分遅れということで特に問題はなく、名古屋へ着いたのは、予定より3分遅れだった。
 学会2日目は、午前に口頭発表、ポスター発表があり、午後はシンポジウムが開催された。
 口頭発表で関心を持った発表は、幼児時期に平均よりも特に高い高身長子どもたちと低身長の子どもたちは、高校3年生の時にも高身長のまま、または低身長のままという可能性が高く、幼児時期に標準身長の子は、6割くらいが標準身長のまま高校3年生になっているというものだった。我が家は長男と三男は幼稚園の頃から高身長で、長男は、大学生になったが身長が180cmを越えた。三男も小学校も最終学年となったが、いまだに同学年の中では高身長をキープしている。対照的に、次男は、幼稚園の頃からどちらかといえば低身長で、高校に入った今では、身長は標準ではないかと思うが、高校のクラスや部活の友だちの中では最も低いとのことで、身長にコンプレックスを持っていたりする。今回の研究結果は、まだこれから身長が伸びるのではと希望を持っている次男にとっては、あまり好ましくない情報だった。
 シンポジウムは、子どもたちの発育発達に関するもので、愛知県の50年にわたる子どもたちの測定データや岐阜県で実施されている運動の実践報告や、保育園での音楽を通じた実践報告があった。岐阜県での取り組みは、岐阜大学の方が中心となり、何年にも渡って実践し、モデル園やモデル校を中心に体力測定等の結果を向上させ、県全体の取り組みに変化し、これをモデルとして、全国展開をする目論見とのことで、エネルギー溢れる発表だった。骨ストレッチを普及するにもこのくらいのエネルギーを持って、行政を巻き込まないと、認知は難しいのではないかと思った。

■2023年8月22日(火曜日)
 日本教育医学会大会が始まった。口頭発表、ポスター発表、学会の歴史についての特別企画、パラリンピックと日本についての講演があった。
 口頭発表でインパクトがあったのは、高齢者ドライバーについての研究だった。高齢者ドライバーは、免許を更新する際に認知機能検査を行うことになっており、実は、母が来週その検査を控えている。母は、この検査にパスできるか心配で、予想問題集を買い、その問題を暗記するため、毎日のように時間を取って勉強をしていた。発表の内容を聞いていて、母が恐れている認知機能検査は、運転技能には全く関係がなく、意味があるのかといえば、何の意味もないということがわかり、この検査のために時間を割かなければならない母が不憫に思えてならなかった。認知機能検査よりはマルチタスクの検査を考案した方がよいとの結論だったが、マルチタスクの検査をするとなると、高齢者にはさらにストレスがかかることになりそうだ。加齢というのは、様々な機能が衰えていくことでもあるので、残された機能をフルに使うしかないのだが、なかなか大変なことだと思った。
 口頭発表では、子どもの運動に関する研究が多かった。体育の授業の中で、どうやって子どもたちの体力を上げるのかという課題に取り組もうとする研究が多いように感じた。自分たちが子どもの頃であれば、体育で体力を上げるというよりも、学校が終わって遊びの中で體を使い、体力が上がっていくという感覚だった。今の子どもたちの遊びは、座ってゲームという時代で、学校外で體を動かす機会は、習い事でもなければ、なかなかないという傾向なのだろう。遊びを工夫するということもままならず、子どもたちの遊びも逆に不自由になってしまったのではないかと思いつつ、授業で何とかしようとするのではなく、外遊びをする方向に持って行けないのだろうかと思った。
 パラリンピックと日本についての講演では、パラリンピックの起源、日本での始まりについて詳しい説明を聞くことができた。大阪では社会福祉施設が力を入れて初期の頃は、たくさんの選手を送り出していたが、大阪維新の会が政治を行うようになり、危うく廃止に持って行かれるところだったという。アジア圏でもパラの大会が開催されているが、こちらはパラリンピックとは別ルートで始まったらしく、関係があまりないというのが驚きだった。

■2023年8月21日(月曜日)
 学生たちは、昨日で夏期休暇が終わり今日から授業。我が家の子どもたちは、まだ夏休みだが、次男は今週から授業が始まり、三男は来週から始まる。長男は、まだまだ休みは続くようだが、学費を稼ぐためにアルバイトに出かける日々が続いているようだ。
 明日から名古屋で学会に参加するため、今夜は実家へ泊めてもらうことになっていたため、仕事後、急いで帰宅し電車と新幹線を乗り継いで実家へ向かった。家族で帰省するときには車での移動のため、時間もかかり疲れるのだが、列車だと、新幹線に乗っても1時間くらい。電車を乗り継いでもだいたい2時間半あれば実家に帰ることができる。その代わり旅費は列車の方がかなり高くつく。時間をお金で買うかどうかという選択なのだ。お金に余裕があれば、家族全員で列車にしたいところだが、我が家は選択肢はなく車しかないと改めて思った。

■2023年8月20日(日曜日)
 朝から久里浜駐屯地へ。子どもの陸上スクールの1日合宿。自分は6年生の練習のサポートをすることになっていたが、膝の痛みもあり練習に参加することはできなかった。
 午前は、参加している子どもたちが順番に自衛隊の車両に試乗させてもらい、それと同時に基本教練の体験で「氣を付け」、「休め」、挙手の「敬礼」を教えてもらっていた。普段は私語が多く、なかなか統制できないのだが、自衛隊ということもあるのか、子どもたちはとてもおとなしく、号令に従って動作を行い、スクールでもこういう感じできびきびと動いてくれればいいのにと思った。
 その後は、ランニング系のドリルやラダーなどを行い、エンドレスリレーを行った。エンドレスリレーは、合計5回走ることになり、子どもたちもかなり辛そうだったが、これを2回行い、2回目は、保護者も入ってかなり盛り上がった。
 お昼は、駐屯地の食堂の食事を食べた。自衛官の人たちが食べる食事をそのまま食べたので、子どもたちには量が多かったかもしれない。女の子は、量が多くてかなり残したようだ。
 午後は、有線構成体験。自衛官の方の指導で、リールに巻かれた有線を伸ばして、その後有線を巻き取るということを競争形式で体験。有線を金属のペグに結びつけることが子どもたちにはなかなか難しく、予定よりも時間がかかり、午後はこれで終了となった。
 昨日から陸上の世界選手権が始まり、今日は男子400m予選で32年ぶりの日本新記録が出た。そして日本人選手のもう1人が44秒台となる日本歴代3位を記録した。この32年間、日本記録を持つ高野さんしか45秒を切ったことがなかったのに、1日で2人が44秒台を記録したというのは、日本の男子400mに取っては歴史的な出来事ではないかと思う。しかし、高野さんの頃と比較すると、間違いなくスパイクやトラックの反発が高まり、走りやすくなっている。そういった利点を考慮すると、高野さんを上回るのは、もう少しタイムを上げたときではないかと思った。

■2023年8月19日(土曜日)


午後の練習後
 夏季後段合宿最終日。膝の痛みは、昨日よりは緩和し、歩くには支障がなくなったが、階段の上り下りでは若干痛みがあるという感じ。今日も練習できず、中長距離のタイムを読むなどのサポートをした。
 短距離と投擲は午前中で終了ということで、それぞれ密度の濃い練習をやっていた。中長距離は、午前はトラック練習、午後はプールでの練習だった。今日は、この4日間で最も日差しが強く、特に長距離には厳しい環境だった。
 午後のプールでの練習は、4人1組で50mを4本泳ぐリレーを行い、バタ足は特に膝への負担はなかったので、久しぶりに自分もこの中に入って泳いだ。全力では泳がなかったものの、50mをある程度の速度で泳ぐとかなり呼吸器系には負荷がかかって辛かった。走ることができないので、負荷をかけることができて良かった。

■2023年8月18日(金曜日)


午前練習の集合
 昨日の午後の練習で、右の大腿骨と脛骨が上手くかみ合わず、膝を曲げるときになんだかずれているという違和感があった。その時には、それほど氣にせず、走ったのだが、今朝、朝練でジョグを始めた直後から、右膝関節の内側に鈍い痛みを感じ、ちょっとまずいなぁと思いながら、40分観音崎を走ってきた。その後痛みが強くなり、階段の上り下りが特に辛くなった。午前練習には参加できず、昼にいつも通っている接骨院へ行って、超音波で膝の状態を診てもらった。半月板の中で炎症が起きている可能性があり、滑液胞にも問題があるかもしれないということだった。半月板については、年を取ってくるとだんだんささくれ立ってくるものだが、超音波で画像を診た感じでは、形が崩れているわけではないので、痛みのある間は無理をせず過ごすしかないとのことだった。また内側広筋を効かせると痛みの緩和につながる可能性があるので、内側広筋に力を入れる方法について指導を受けた。いやな痛みが戻ってきてしまった。しばらく運動どころか、犬の散歩もきつい。もどかしい日々が始まった。

■2023年8月17日(木曜日)


日の入り前
 校内合宿2日目。朝練は、各自フリーでジョグ。自分は40分ジョグをした。
 午前は、1週間後には試合がありながら、ほとんど練習ができていないという学生の状況を考慮し、メニューは500m、400、300mを8割程度の感覚で、試合の中間疾走をイメージして走ることにした。休息は20分。これならかなり余裕を持って走れるだろうと思ったが、厳しい暑さの中での練習なので、結果的には、それほど余裕のある走りをできた学生はいなかった。
 自分も学生たちと一緒に走り、それぞれ、75秒1、60秒4、42秒4でまずまずの結果だった。
 午後も、できるだけ緩めにしつつ、ある程度走るようにしたいと思い、韓国式サーキットを100mジョグでつなぎ1セット行い、3000mを4分/kmペース、その後次の距離をジョグという休息で、300m、200m×2、100m×3を8割程度で走った。8割というのがなかなか微妙な設定で、結果的には全力に近いかたちになる。その後ジョグという予定だったが、ジョグをできる学生がほとんどいなかった。来週が試合というのに、壊滅的な感じだと思った。 

■2023年8月16日(水曜日)


ハードルドリル
 夏季後段合宿初日。練習は午後からだったが、午前は、すでに学校へ来ている学生たちに集まってもらい、トラックまで伸びてきてしまっている雑草を抜いたり、砂場に進出してきている芝生を抜いたり、環境整備をした。自分は、トラックの内側にはまっているはずのレールが、10年以上外れたままで、レールをはめるべき穴が砂で埋まっているので、最近購入した高圧洗浄機で、穴の砂を除去する作業をできる限り行った。砂が詰まって年月が経ち、岩のように硬くなり、高圧洗浄機でも取り去ることができない場所が多く、全てを除去することができなかった。今後はアイスピックを用意して作業を続けたいと思う。
 午後は、いよいよ合宿ということろだが、学生たちに休み中の練習状況を聞くと、ほぼ全員が何もしていなかったという状況だった。話を聞く前から、予想はしていたが、来週は学校対抗の試合があるのだから、少しは氣にして欲しかった。昨日までの台風の影響で、新幹線が動かず、学校へ戻ってきていない学生も多数いたため、今日は想像していた人数よりかなり少ない人数での合宿初日となった。

■2023年8月15日(火曜日)


焼き肉
 今日は朝練をしようと思っていたのだが、今日もいったん目覚めてトイレへ行った後2度寝。その後8時前には起きて、犬の散歩。8時頃になると日差しは強く、犬の散歩もできるだけ日陰を探して歩いたが、犬は毛皮に覆われ体温の調節は呼吸に頼っているので、あまり長い時間散歩をすることができなかった。
 今日も、1日読書と昼寝を繰り返す、ゆったりとした時間を過ごした。今日の読書は、「大名倒産」の下巻。1日読書に時間を割くことができるなんて、なんて贅沢な時間なのだろうと思いながら、充実した時間を楽しむことができた。
 夕方、外に走りに出て、(2分ダッシュ+2分ジョグ)×10を行った。アキレス腱の痛みもあり、満足なダッシュとはならなかったが、5日ぶりに呼吸器系に負荷を入れることができた。
 明日からはまた合宿が始まる。しっかりとトラック練習ができればと思うが、学生たちが休みの間に練習をしてくるとは思えず、結果的にはゆるめの練習になってしまうのではと思っている。

■2023年8月14日(月曜日)


日光



北下浦海岸
 昨日までの疲れのためか、5時過ぎにいったんトイレへ行き、その後ジョグをしようかどうか迷い、結局また寝床へ入り、7時半過ぎに起きて犬の散歩をした。家族は全員寝ており、一人朝食をした後、また氣持ち良く朝寝をした。氣がつけば昼を過ぎて2時になっていた。
 その後は、読書をし、眠くなれば寝て、目覚めてまた読書をするという1日だった。読書は浅田次郎著「大名倒産」の上巻。時代背景は幕末ということで江戸幕府ができてから260年後のある大名の話。あとがきのところに、浅田さんの産まれた年が昭和26年で、明治維新からわずか83年しか経っておらず、浅田次郎さんの父は維新の56年後、祖父はたった30年後に産声を上げたとのことで、「通り一遍に学んだ歴史が、にわかにわがごととして迫ってくる」と書いてあった。自分も戦後、29年しか経っていない時期に産まれ、約30年前というのは、今では、ちょっと前という感覚でしかない。自分の産まれるちょっと前まで戦争が行われていたと考えると、かなり戦争が身近に感じられてしまった。父は戦中産まれで、祖父は維新から37年後、その上の世代になると、維新前後となる。物語の時代背景は幕末だが、急に意外と最近のことなんだと思えるようになるあとがきだった。

■2023年8月13日(日曜日)


義理の妹家族と
 今日は、渋滞が予測されたので、朝5時には起きて、5時20分頃には家を出発。出発直後に、子どもたちは、誰にもお土産を買っていないと言いだし、新東名に入ってすぐのサービスエリアへ寄ってお土産を購入。その後は2時間ほど頑張って走り、休憩は足柄サービスエリア。朝食は、マクドナルドで購入し、車で移動しながら食べ、渋滞には一切遭わず自宅には9時半頃に到着。
 自宅には、妻の他に、妻の妹と娘が朝食を食べていた。長男と次男は、その後、横浜で開催されているポケモンカードの世界選手権の会場へ行ってしまった。昼食は、妻と三男と、妻の妹と娘の5人で自宅近くのお店へ入った。台風の影響か、時々スコールのような激しい雨が降るのでお店には車で移動。カレー屋だと思った入ったが、ランチは、カレーかパスタの2択だった。ランチをしている間は、激しい雨が降っていたが、お店を出るときにはある程度弱まり、妻の妹と娘を駅まで送っていくことができた。
 その後は、スーパーへ買い物に行ったのだが、そこで、久しぶりの光景を見た。それは、試食。ステーキの良い匂いがして、食欲がそそられた。コロナが流行りだしてからは、試食がなくなったので、やっとコロナ前のスーパーに戻った。試食の担当の方も、コロナ以来今日が最初の試食だと話し、その話を聞き、やっと日常が戻ってきたと思った。自宅に戻った後は、やっとゆっくりすることができた。あわただしい4日間の帰省だった。

■2023年8月12日(土曜日)


使われなくなったプール



スガキヤ



みんなで写真
 朝は、昨日とは違った場所をジョグ。小学生の頃父とマラソン大会へ向けジョグをした公園などを回った。子ども時には遠かった場所だが、大人になるととても近く、子どもの頃の自分の生活圏は何と小さかったのだろうと思った。
 午前中は、規模が拡大した農園のお店へ行った。買いたいと思っていた梨が全て売り切れていて買うことができなかったが、鉢が安かったので、かなりの荷物になるが、ブルーベリー用の鉢2つとビワ用の鉢1つを植え替え用として購入した。
 昼前に、子どもたちを車に乗せ、妹の家へ妹の次男を迎えに行き、妹の長男がアルバイトをしているラーメン屋へ行った。ラーメン屋は東海地方ではメジャーなスガキヤ。ショッピングセンターのフードコートなどでお店を展開しているが、今日行ったお店は、パチンコ屋さんに併設された店で、フードコートのお店とは店構えが全く違い、一見するとスガキヤには見えなかった。商品もフードコートとは違い、通常の白いスープの他に、赤いスープなどがあり、価格も200円ほど高く、ちょっとグレードの高いお店という感じだった。妹の長男は、こちらを氣にすることなく黙々と仕事をこなしていた。お店に入って、食券を買い、カウンター席に着いた直後に、おばちゃんが突然子どもに餃子をくれた。頭を下げてお礼をいったのだが、なぜ餃子をくれたのかわからない。おばちゃんは、向かい合っカウンター席について、何事もなくラーメンを食べていたので、間違いなくお客さん。男の子4人を連れてラーメンを食べに来ているのを見て、食費も大変だと思われたのかもしれない。よくわからないままみんなで餃子をいただいた。
 その後は、実家に帰り、子どもたちは、ポケモンカードで盛り上がったようだ。夕食は、5時台に予約を取った回転寿司へ行き、子どもたちはお腹一杯食べたいものを食べ尽くした。子どもたちにとっては満足な1日だったのではないかと思う。

■2023年8月11日(金曜日)


東海道松並木



名鉄



父が焼いたマドレーヌ
 朝は、60分ジョグ。子どもの頃は田園風景が当たり前で、つまらない景色だと思っていたが、減反政策の影響か、田んぼが畑になったり、耕作が放棄されたような状態になっている場所が増え、田園風景がモザイク状に変化し、子どもの頃に見ていた当たり前の風景がいかに貴重な風景だったかということを実感した。旧東海道の松並木は今のところ、変化なく景観は保持されているが、将来的に松並木の上に車の走る橋が架かる可能性があるらしく、この風景も貴重になるのかもしれないので、しっかりと目に焼き付けてきた。その後、中学時代の塾の先生のお墓詣り。今の自分があるのは、この先生のサポートがあったお陰だと思っている。平成6年に40歳で亡くなっているので、今も存命であれば、69歳かぁと思った。
 午前は、子どもたちが妹の子どもたちと名古屋へ遊びに行くということで、駅まで送り、その帰りに実家近くのスポーツ店が営業していたので、社長に会いに行った。しかし、店では社長と一緒に仕事をしていた甥っ子さんが対応してくれ、社長が亡くなったことを告げられた。7月21日に心筋梗塞により70歳で亡くなったとのことだった。30歳で独立して店を構え、40年間ひたすら仕事に突っ走り、みんなに元氣を分け与えてくれる方だった。高校時代からお世話になり、初めて買うことになったスパイクは29cmだったが、このサイズがまだ市販されていない時代だっため特注品を注文し、アシックスから4万円という請求が来て、高すぎるということで値段の交渉をしてもらい、値段を下げてもらったことを思い出す。その後、スパイクでインターハイに出場することができた。大学時代は全国優勝し、その際には名前入りのジャージをお祝いとしてもらった。その後も、帰省してお店が営業しているときには顔を出し、その度に激励してくれた。昨年は、忘れもしない7月8日午前に社長から元氣か?という電話が突然かかってきて、それが社長との最後の会話になってしまった。そして、その電話を切った直後に安倍元総理が射殺されたニュースが流れたので、その時のことをよく覚えている。33年間、お世話になりました。

■2023年8月10日(木曜日)


日光



龍北スタジアム



砂場を掘り返す次男
 今日から帰省。朝5時半過ぎに家を出発した。出発してすぐに長男がセブンイレブンに寄って欲しいというのでセブンイレブンに寄ったのだが、長男が欲しかった商品は売り切れ。ユーチューバーのヒカキンさんプロデュースの「みそきん」というカップラーメンなのだが、今日発売で、朝5時半にはすでに商品がないということは、今日0時にすでにお客が買い占めたということなのだろう。長男の友だちは4つ購入できたとのことだった。
 車は、東名横浜町田インターチェンジで、若干渋滞があったものの、その後はスムーズに走ることができ、眠気をなんとか振り切って足柄サービスエリアまで行き朝食を食べた。サービスエリアのトイレで、セアカゴケグモに注意という貼り紙が貼ってあり、サービスエリア内でセアカゴケグモが見つかったと書かれていた。おそらくどこかの港から入り込み、トラックの輸送で移動したのだろう。こんな山にまで広がっているのかと驚いた。
 その後ノンストップで実家を目指したが、また眠気に襲われ藤枝パーキングエリアで休憩。結局4時間半で実家に到着。
 午後は、次男と3年前にできたばかりの龍北スタジアムへ行き練習。暑い時間帯なので、あまり人はいないのではと思ったのだが、地元の強い高校、子どもたちのかけっこ教室、クラブチームの練習会など、かなりにぎわっていた。次男は三段跳びの練習、自分は30分ジョグ後、300mを7分レストで5本。タイムは43秒1、43秒5、41秒9、42秒8、44秒1。5本とも43秒以内で走りたかったが、5本目は、ハムストリングスの動きが悪くなり、目標は達成できなかった。
 夜は、高校時代の友だちに20年以上ぶりに会って話をした。お互いの家のこと、家族のこと、友だちの近況や、農業について話ができた。あっという間の3時間半だった。

■2023年8月9日(水曜日)


石炭火力発電所
 練習は早朝にサーキットトレーニングと4000mペース走。昨日の練習の影響か、ハムストリングスに張りがあり、體は重かった。サーキットトレーニングは、その感覚の通り、キレがなく、タイムはあまり良くなかった。その後の4000mは3分50秒/kmのペースくらいでは走りたいと思ってスタートしたものの、體は全く動かず、4分23秒8、4分40秒4、4分52秒7、4分41秒5ということで、ペースは低下するばかりで、ジョグをしているようなペースでしか走れなかった。走っている最中は、両アキレス腱に痛みがあり、左足は、コーナーを走っているときに何となく捻挫のような痛みがあり、走りづらかった。途中で止めたいとは思ったが、我慢して自分で決めた距離だけはなんとか走りきった。
 午前は、小学生の陸上教室へ行った。前半は、全員で、ウォーミングアップを兼ねたドリル、ミニハードルを行い、後半は、種目別となり、途中まで中距離グループで子どもたちと一緒に走っていたが、最後は、アキレス腱の痛みが強くなり、練習からは抜けて子どもたちの練習を見守った。天氣が頻繁に変わり、なぜか走るタイミングで雨が降り、走り終わって休憩するときには晴れるということが続いたが、子どもたちは雨に濡れることはあまり苦ではないようで、逆に喜んでいるようだった。大人とは違ってこういったところは子どもたちの方がすばらしい。

■2023年8月8日(火曜日)
 練習は600m、500m、400m。休息は10分。全力では走り切れないことはわかっているので、感覚的には8割くらいで、試合の中間疾走のような感覚で走りたいと思ってスタートした600mは1分35秒3。500mは76秒7、400mは60秒8。今日は、カーボン入りのスパイクを履いたので、古いスパイクと比べると楽に走ることができた。600mはとても長く、長距離を走っているようだった。400mは、呼吸が整わない状態でのスタートとなり、最後は、リズムが崩れて、若干もがくような感じになってしまった。60秒を切れればと思っていたが、失速気味となり、目標通りには行かなかった。とにかくスパイクを履いて練習をしたというだけでも、自分の中ではかなり勇気のいることだったので、大きな前進だと思う。

■2023年8月7日(月曜日)


ニワトリ
 早朝に花の国を40分ジョグ。昨日学んだ小転子を意識した動きをジョグに取り入れ、いつもよりも足取りは軽く氣持ちよくジョグができた。3日前にも遭遇したのだが、今日も野生のニワトリに遭遇した。
 お昼は観音崎を40分ジョグ。日中はやはり暑く、體はなんとなく怠さもあり、朝のように気持ちよくは走れなかった。
 夕方は、サーキットトレーニングをして、その後しっかりとスパイクを履いて練習をしようと思っていたが、夕方になるとモチベーションが下がり、サーキットトレーニングは回避し、スパイクを履くこともできず、とりあえず陸上競技場にだけは足を運んだ。簡単にウォーミングアップをし、アップシューズのまま、昨日学んだクラウチングスタートの動きを直線とコーナーで何度も試した。うまくいくときには、体重を下に落とした瞬間にグンと速度が上がる感じがあった。再現性を高めるには、まだまだ練習が必要だと思った。その後、50mの全力走を5本。スパイクは履けなかったが、スピードを上げた練習は2週間以上ぶり。とにかくモチベーションが下がった中で、トラックで練習をしたことだけでも良しとしたい。

■2023年8月6日(日曜日)


 4月以来の骨ストレッチ講習会。2つの講座を受講。最初のテーマは「鎖骨」。鎖骨のイメージの仕方により、腕の動きに変化があり、水泳のクロールの動きやボクシングパンチの威力が高まった。普段、鎖骨を意識しようとすると、鎖骨を動かす意識に集中していたが、極意は逆だった。鎖骨は自転車のハンドルのような形になっており、自転車を運転するときにハンドルを必死に動かそうとすると、自転車はまともに走れない。鎖骨の意識の仕方もこの自転車のハンドルと同じく、きっかけでしかなく激しく動かそうとするものではなかった。鎖骨の意識を変えることにより骨ストレッチの効果も劇的に変化し、この講習を通して骨ストレッチのレベルがまた一段上がったように感じた。
 2つ目の講習のテーマは「構え」。立ち方を改めて考え直す機会となった。立ち方のイメージを変化させると、安定感が増したり、逆に不安定感が増したり、かなり変化することがわかった。また、あらたに小転子を意識させる簡単な動作を学び、走りの質が良い方向に変わりそうな可能性を感じることができた。

■2023年8月5日(土曜日)
 練習は、早朝に2分ダッシュ+2分ジョッグを10セット。いつも走っている周回コースを走ったのだが、富士吉田よりは湿度が高く暑さを感じ、さらにアキレス腱の痛みもあり、思ったよりもダッシュができず、ちょうど1周回れるはずのコースを回りきることができなかった。
 午前は、小学生の陸上教室。今日も5,6年生の走り幅跳びのサポート。その後800mのタイムを計る子どもたちのペースメーカー。子どもたちにとっては800mは長距離で、暑い中走るのはかなり大変なはずだが、それぞれが自己ベストを目指して頑張っていた。先頭が2分40秒切りを目指していたが、子どもがこちらのペースに合わせてくれず、オーバーペースで前半を走ってしまったため、後半は落ち込み、目標のタイムには届かなかった。練習を通して、こういった失敗を繰り返し、自分にとって最適なペースを見つけてもらうことも大事だと思うので、これはこれで良い練習にはなったのでないかと思う。 

■2023年8月4日(金曜日)


本日の収穫
 昨日ガソリンスタンドの価格の表示は178円だったはずなのだが、今日の表示は180円。富士吉田と同じ価格になっていた。横須賀も全然安くない。石油会社に入る政府の補助金価格が段階的に引き下げられるような報道を聞いたような氣がするが、それがじわじわと効き始めているということなのだろう。ガソリン価格のことを考えると、半分以上が税金だと聞く、その税金を含めた価格に消費税がかかってくる。税金の税金とはなんなのか理解ができない。暫定税率といいながら、暫定が50年以上続いている。暫定の定義をどう定めているのか知りたい。民主党が政権を取ったときには、80円よりも低い表示になった時期があったように記憶している。今はその倍以上の価格。物価は需要と供給で成り立っていると中学生の頃に学んだが、需要と供給では成り立っておらず、何者かの介入があって価格が決まっている。ウソを教えられていたのだということがやっとわかってきた。教育とは洗脳の役割があり、ある意味罪なのかもしれない。

■2023年8月3日(木曜日)


距離走




距離走終了後
 合宿8日目(最終日)。朝4時台に起き、5時台には車3台で西湖に移動し、6時ごろに距離走を開始した。顧問は3人しかいないので、スタート地点で給水1人、5km過ぎに給水1人。車で最終ランナーに併走が1人という役割分担だった。例年合宿で距離走を行うときには、けが人をサポート役にしていたが、今回はけが人はなしということで、サポートは大変だった。
 途中で、トイレへ行きたくなり、集団から離れてしまう学生がいたため、一部の学生は目標の距離を走ることができなかったが、概ね長距離は30km、中距離は20km〜ハーフマラソンの距離を走り切った。8日前は、ほぼ1ヶ月間運動をしていないという状況だったことを考えると、本当に学生たちはよくやったと思う。
 距離走が終わり、ホテルへ帰り、食事が始まったのは9時15分。チェックアウトが10時ということで、かなり忙しかったが、予定通り10時にチェックアウト。現地解散の学生たちを乗せる車1台と、横須賀へ帰る車2台に別れた。自分は横須賀へ直行の車となり、サービスエリアへ寄ることなくノンストップで学校へ戻った。若干渋滞になる区間もあったが、約2時間半で横須賀へ戻ってきた。富士吉田と比べれば、横須賀は、湿度が高く暑い。4日前横須賀のガソリンは170円という表示で、富士吉田に来てみると180円となっていたので、富士吉田の方が圧倒的にガソリンは高いと感じたのだが、横須賀へ戻ってきてみると、178円という表示に変わっていて驚いた。どこまで価格は上昇してしまうのだろうか。

■2023年8月2日(水曜日)


浅間神社



西湖と富士山
 合宿7日目。朝練は浅間神社へ行ってみた。第2鳥居から神社へ入ったのだが、入り口から、荘厳な雰囲氣だった。拝殿前の左右には、御神木のスギとヒノキがあり、スギは、根っこが盛り上がってタマネギのようになっていて、ヒノキは根本から2本に別れ、途中でつながっているなど、普通ではなく、スギは県指定、ヒノキは市指定の天然記念物となっているとのことだった。拝殿で参拝した後、拝殿裏にいけないかと思って拝殿裏に回ったところ、問題なく入ることができた。ここは、何かエネルギーが違う感じがして、拝殿側に手をかざすと手がピリピリした刺激を感じた。體の動きを確認すると、関節可動域が広がって、とても體が動かし易かった。とても氣持ちの良い空間だった。
 午前は、北麓公園が使用できないため、陸上自衛隊富士学校のトラックを借りて練習。中距離は400m×4+5000m+400m×4。長距離は1000m、2000m、3000m、2000m、1000m。富士学校で勤務しているOBが激励に来てくれた。富士学校は標高800mくらいなのだが、走ってみるととても苦しく、まったく設定どおりに走れず、多くの学生たちが苦しんだが、ほぼ全員が最後までやりきった。
 午後は、昨日下見した西湖へ行き、思想を兼ねてジョグ。今日も密度の濃い練習ができた。

■2023年8月1日(火曜日)


朝練



西湖
 合宿6日目。練習は朝練のみで、その後はフリー。朝練は、宿泊先からジョグで諏訪の森自然公園へ行き、公園内をジョグ。アスファルト部分は少なく、少々砂利もあったが、適度な起伏があってクロカン練習のようだった。芝生がきれいに整備され、芝生の中を走りたかったが、芝生でのランニングは禁止とのことで、使用できず残念だった。
 午前中は、学生たちの洗濯物をコインランドリーで洗濯。学生たちの多くは富士急ハイランドへ遊びに行った。洗濯後は、明後日に行う予定の距離走の場所を選定するための下見に行った。行った先は、西湖と山中湖。山中湖は、今日の夜が花火大会ということもあり、人が多かった。湖の周りにほぼ1周サイクリングロードが整備されているが、特に距離表示はなかった。西湖は、1周が9.8kmで、1kmごとに10kmまで看板の距離表示があり、その後は、20kmと30kmの看板があった。交通量が少なということもあり、距離走は西湖で決定。
 お昼ご飯は、ほうとうのお店に入った。最初に訪れた有名店は、かなり並んでいたため入ることができず、近くの別のお店へ入った。ほうとうは寒い時期に食べるのが適しているが、車の中のエアコンで體が冷えていたので、體をあたためるにはちょうどよく、おいしくいただくことができた。
 宿泊先へ戻ったのは15時過ぎ。昨夜もしっかり眠れなかったため、その後は昼寝。1時間半寝るつもりが3時間寝てしまった。その後は大浴場にゆっくりつかり、夕食はなし。まだ体調が回復しきれていないので、16時間以上食事の時間を開けるとプチ断食となり、内臓を休めることができるようなので、明日の朝食まで17時間半食事を断つことにした。のどの痛みはかなり緩和してきているが、もう一息。しっかり寝て明日に備えたい。



[昔のいずみ]