最近のいずみ

Last Update:2024/10/31



パートタイムアスリートいずみ 24年目に突入 

■2024年10月31日(木曜日)


職場でアライグマに遭遇
 学生たちの体力測定で日中はずっと外にいた。朝6時には出勤、夕方5時近くまで外にいて、その後データ確認のためパソコンとにらめっこ。一通り作業が終わって帰路についたのは夜9時。お昼休みも10分程度で、朝食と昼食は食べられず、16時間以上のプチ断食となった。ということで勤務時間は約15時間。通常の勤務時間は7時間45分なので、今日は、約2日分働いた感じになるが、7時間15分はサービス残業。10時間以上立ちっぱなしで體への負担も大きい。年に1回とはいえ、あとこれを15年やらなければならないと思うと、なかなか辛い。

■2024年10月30日(水曜日)
 昨日政府は、運転免許証とマイナンバーカードを一体化したマイナ免許証を2025年3月に導入するとの閣議決定をしたとの報道があった。第2次安倍政権の頃から閣議決定という言葉を頻繁に聞くのだが、そもそもこれは何かを理解できていなかった。閣議決定は、全閣僚が賛成し位置統一されていなくてはならないらしく政府の統一見解となるとのこと。これを元に国会での審議を経て、法案が成立となる。安倍政権、岸田政権の時には、自民党と公明党が国会での議席の過半数を占めているため、閣議決定はそのまま法案成立ということになるため、閣議決定されたら、それは事実上実行されるというくらいインパクトが強かった。
 来月行われる衆議院議員選挙では自民党の裏金問題などで、自民党と公明党で過半数が取れない場合もある。そうなると閣議決定がそのまま法案成立ということにはならなくなる。
 今後の免許更新の手数料は、免許証のみ、マイナ免許証のみ、双方所持という3種類に分けられるという。マイナカードが入ることで、逆にややこしくなり、システム構築に無駄なお金が必要になるのではないかと思える。システムに絡む業者だけが儲かる利権ではないかとも思えてくる。

■2024年10月29日(火曜日)
 ニュース番組で、アメリカ大統領選挙について、誰を支持するかということを公にすると、友だちが友だちでなくなったり、家族内でも分断が起こりかねない状況になっていると述べられていた。また、両候補の支持率については、無党派層が一定数いて、隠れトランプ派と隠れハリス派がいるため、実際の所は数字として公表されているものとは違う可能性があるとも述べていた。結局わからないのであれば、支持率なんてわざわざ公表する必要はないと思うのだが、それでもあえて両者が接戦となっていると報道するのはなぜなのか。
 日本や世界への影響として、ハリス氏が当選した場合は、現状維持のため影響は小さいが、トランプ氏が当選した場合は、関税が上げられ、円高政策が採用される可能性が高く、輸出企業にとっては厳しい環境となり、日本経済は冷え込み、中国からの輸入については60%の関税をかけるとのことで、それにより世界経済も冷え込むことになるだろうと述べていた。トランプ大統領時代は、かなりアメリカの景気は良かったし、当選した場合も、アメリカの景気が良くなる政策をすることになるはず。関税をかける理由は、最終的には所得税を廃止する目標があるからで、アメリカ国民にとっては、大歓迎な政策となるだろうし、景気が上向くように思う。アメリカの景気が良くなれば、世界経済も上向くのではないかと思うのだが、ニュース番組では、関税をかけることと世界経済が冷え込むことのつながりについて説明がなく、理解ができなかった。

■2024年10月28日(月曜日)


横須賀線踏切にて
 昨日の選挙は、自民党と公明党の議席が減り、野党の議席が増えた。自民党と公明党で過半数を獲得できなかったため、首相は誰が選ばれるのか、政権はどの党が担うのか不透明となった。横須賀市の投票率は、小選挙区も比例代表も51.67%だったという。前回は、それぞれ52.34%と52.33%とのことで、前回よりも投票率は低下していて驚いた。今回は、普段選挙に行かない有権者が増税が続く現状に不満を持つことで投票に行き、投票率が上がると予想していた。しかし、結果は無関心な有権者は無関心のままだった。18歳から投票ができるのだから、高校までに国や政治についての学びや有権者としての自覚を持てるような教育を充実し、投票率を上げていかないと、将来は、一部の人だけが選挙をしていて、大半の人は知らないという状態になりかねない。

■2024年10月27日(日曜日)
 衆議院議員選挙当日。近所の公民館に投票へ行ったのだが、比例代表の投票所で、党の略称について疑問を持った。国民民主党も立憲民主党もどちらも略称が民主党となっている。これは各政党からの届け出によるもので、同じ略称でも公職選挙法では認められており、最終的に民主党と書かれた票は、開票区ごとに、各党の有効票の割合に応じて割り振られる按分票となるのだという。しかし、投票した人の意向が正確には反映されないので、中途半端な感じがして納得しがたい。そもそも民主党と名乗る党が、お互いに重ならないように略称を届け出ればいいということなのだが、なぜわざわざ重複するような届け出をするのか。理解不能だ。
 我が選挙区は、3名が立候補したが、投票前から当選者は決まっている。現状を変えてもらいたいと思って投票をするが、人が変わらなければ何も変わらない。選挙の度に無力感やむなしさだけが残る。それだけこの選挙区の有権者は、増税ばかり、ワクチン推進の現状維持を望んでいるということなのだろう。残念だが抗えない。

■2024年10月26日(土曜日)
 9月27日にアメリカバイデン政権は、Nom-Compliant(非従順者)の取り締まり強化の大統領令に署名したという。カリフォルニア州で警察官をしているゆりさんが動画でこの法案の危険性について語っている。この法案の内容を簡潔にすると「政府の言うことに従わないアメリカ人に対して、軍は武器を使っても良い」というもの。大統領が署名したということは、この大統領令はすでに施行されているということになる。極論かもしれないが、政府の方針に従わない市民は、殺されても文句は言えない。この大統領令は、民主主義国家としてはあり得ないことなので、違憲ではないかと思うのだが、マスメディアでは全く話題になっていないようだ。日本でもそんな報道はない。アメリカは、既に民主主義国家ではなく、独裁国家のようだ。子どもにこのことを話したら、そのうち日本もそうなるのではないかと心配していた。全く同感だ。
 アメリカ合衆国憲法修正第2条には、市民が武器を持つ権利があることを認めている。銃を規制して、その権利を奪いたいと考えているのがバイデン政権で、大統領選挙を戦っているトランプ候補は、逆に銃規制反対の立場を取っている。今回の大統領選挙で、ハリス候補が勝利した場合には、この大統領令は継続され、銃規制反対を表明しているトランプ候補や、その支援者たちは、政府の意向に従わない人ということで、軍から銃を向けられる可能性が出てくる。このままでは大統領選挙をきっかけに内戦が始まってしまう。多様性を認める政策を推進するはずだった現政権だが、多様性は認めないことを宣言し、全く逆の政策を推進していて、理解不能だ。


■2024年10月25日(金曜日)
 自衛官の処遇改善に向け政府の関係閣僚会議が開催されたという。自衛隊は人手不足で定員が満たせておらず、現状は約2万人の不足状態。昨年は採用できたのが、計画の50,8%だったというのだから、現状のままであれば、今後は現職自衛官の負担は益々大きくなっていくことが目に見えている。魅力ある職場にし、入隊希望者を増やさなければならないということになるのだろう。在職中の待遇改善は当然だが、定年が早くその後の生活が保障されているわけではないことにも注目してくれたらなぁと思う。アメリカの退役軍人の地位は高く、尊敬の対象となっていると聞くが、自衛官は退官後、ただの一般人となり、特に尊敬されるわけでもなく、年金がもらえる歳までは、職を探し何とか食いつないでいかなければならない。もう少し、国防に従事してきた人たちへの処遇は改善されても良いのではないかといつも思っている。
 話は変わり、寝ているときに寝返りを打つと、左ひざの痛みが出て、目が覚めるということがつづいているが、今日は日中はそれほど痛みを感じることがなかったので、2週間ぶりにジョグ。膝よりも両アキレス腱の方が痛いくらいで、足首の底背屈を制限するように走れば、ほぼ痛みはなくジョグができた。久しぶりに痛みなくジョグができ、調子に乗って流しをしたくなったが、今日はグッとこらえた。明日以降も、状況を見ながら、脚を動かしていきたい。
■2024年10月24日(木曜日)
 三男は、2日連続の登校ならず。朝は、何度も起こしたが、中途半端な返事はするものの布団にもぐったままで、なかなか起きてこなかった。しかし、歩いて学校へ行く場合の出発時刻には起きてきて、一応自分の椅子に座ったのだが、そのまま動きはなく止まったまま何もしようとしない。直ちに朝食を摂り、制服に着替えてくれれば、車で送っていくことが可能だったのだが、いつまでたっても座ったまま固まっていた。今日はどうするつもりなのか、何度か声をかけたが、反応なし。耳をふさいでいるわけではないので、こちらの話は聞こえているのだから、こちらとしては完全に無視されているとしかとらえようがない。こちらのイライラは募るばかり。どうしたいかはっきりしてくれれば、こちらも行動しやすいのだが、三男には、相手のことを考える選択肢は全くないようだ。三男に向き合い、ただ黙って返事が来るのを待つしかなかった。待っている間に出勤時間を越え、時間休を申請せざるを得なくなった。子どもとはきちんと向き合わなければならないが、毎日これが続くとなると、なかなかきつい。最終的に、小さな声で返答があり、学校を休むこととなり、その理由は何かを尋ねたところ頭痛と返答があり、その後、おでこを机に置くように具合悪そうにしていた。
 一応起きてきたということは、学校へ行く意思が少しはあったのだと思う。しかしながら、起きるまで、朝食に至るまでに、様々な葛藤があり、学校へ行く選択しと行かない選択肢がせめぎ合っていて、行かない選択肢が勝ったということなのか。行かない理由をきちんと話してもらえない間は、お互いに解決策を見つけていくことはできず、ずっとこの繰り返しなのかもしれない。

■2024年10月23日(水曜日)
 三男が約2か月ぶりに学校へ登校した。夏休み1週間くらい前から休みだし、夏休み明けは、初日を休み、2日目に登校して以来2回目の登校。9月の初めのころは、お腹や頭が痛いという理由で登校していなかったのだが、その後、朝どれだけ起こしても起きてこなくなった。学校の前期試験は受けることなく終了し、一応中間テストの成績が加味されたおかげか通知表は、一応評価された形で受け取った。学校へ行かなくなってからは、毎日ゲームか動画三昧。自分たち親が話しかけても無視。何度も話しかけると「うるせー、黙れ」と返事にならない言葉が返ってきた。これが一体どのくらい続くのか、こちらはもちろん、本人も、成り行き上演技も必要になってくるだろうし、お互いに苦痛だったはず。
 何かを変えなければならないということもあり、2週間前に旅に誘った。一緒に旅をする大人たちが、いろいろと世話をしてくれ、宿泊先の部屋も親子別々で、初めて話す大人と一緒。部屋で一緒になっていただいた方のおかげで、普段全く会話をしていなかったので、溜まりに溜まったものが、吐き出せたのかもしれない。深夜まで話し込んだと聞いている。帰宅の際に「ただいま」という言葉が出てきただけで、何かが変わったと思った。旅から帰った翌日、まずは部活を辞めたいとのことで、登校というわけではないが、先生のお昼休みの時間を狙って、母親と学校へ行き、部活を辞めてきた。その後は、また元通りの学校へ行かない生活となった。
 先週末に、今週から学校へ行くと言い出し、昨日は、何とか登校時間に間に合うように起きることができたが、結局学校へ行けなかった。しかし夕方、久しぶりに習い事の習字へは行くことができた。そして今日もなかなか起きることはなかったが、ギリギリ食事をして制服へ着替えることができた、しかし、すぐに登校とはいかず、頭が痛いと言い出し、どうするのだろうと見守ったが、決断には時間がかかった。いろいろと葛藤があったのだろう。結局車で送っていったら登校する感じになったので、車で送っていった。車の中ではお腹が痛いと言い出したが、学校へ着くと、げた箱へ向かって歩いて行ってくれた。
 教室へ本人が入った際には、クラスメイトが、驚きの目で注目したというが、その後は何事もなかったかのように今まで通りの感じで接してくれたという。家庭科の調理実習があり、そもそも時間割を知らないので、材料を何も持っていなくて、担任の先生が氣をかせて材料を買いに行ってくれたのだろうか、担任の先生から材料の卵をもらったのだという。今日一番うれしかったことを聞くと、みんなが部活の時間に堂々と帰ることができたことだと語った。1学期のころは、部活が楽しくて部活だけが学校へ行くモチベーションだったはずなのに、人は変わっていくものだと思った。なぜ学校へ行かなくなったのか、行きたくないのかということは、結局何も話してはもらえないが、本人の中で何かが変わったのだということだけは間違いない。時が経ち、あの頃はこうだったと昔話として聞くことができる日を待つしかない。明日以降も朝は葛藤の連続なのかもしれない。本人ができるだけ氣持ちよく登校できるようサポートしていきたい。

■2024年10月22日(火曜日)
 たまたまテレビをつけたときに、衆議院選挙埼玉県選挙区の政見放送がやっていた。政党は国民民主党。その中で顔に見覚えのある男性が登場した。自分の記憶をたどってみると、どう見ても、自分が授業で担当したことのある学生の顔だった。名前を見て間違いないと確信した。授業だけでなく、何かのイベントでもリーダーをしていて、関わった覚えがある。早速、名前を検索してみて、いつ頃の学生だったを確認してみると、10年ほど前に卒業した学生だった。航空自衛隊に進み、その後経営コンサルタントを経て、今回の立候補となったようだ。政見放送の中では、高校生の時に政治を志したと話していた。彼を紹介するウェブサイトでは、政治を志しながらも、同時に、「国の最前線で奉仕し、ビジネスの世界で働き、働く者、生活する者の心を宿した上で、政治を動かすという行き方を定めた」との記述があった。高校生で、そんな先まで見据えて進学先を選んでいたとは恐れ入った。自分がもうすぐ50歳になるが、先の展望を具体的に決めず、今の状態を漂っているようで、なんだか恥ずかしくなってきた。

■2024年10月21日(月曜日)


カーテンにヤモリの赤ちゃん
 10月6日に棒高跳びの練習で、マットへ着地した際に、左膝が少しねじれた状態で屈曲する形になり、激痛が走った。しばらく痛みで動けなかったが、その後なんとか歩くことができたので、そのままにしておいたが、先週、授業で砲丸投げを連続してやったところ、投擲の体重移動で、どうしても左ひざの部分でひねることになり、痛みが増し、歩くのが辛い状況になった。行きつけの治療院で、ケアをしてもらい、テーピングで固定してもらったおかげで、週末は、それほど痛みを氣にせず歩くことができた。しかし、一度医師に診てもらう必要があると思い、受診。膝の検査をいろいろとやってもらい、半月板が怪しいということになり、いちどMRIで確認した方が良いとのことで、諸紹介状を書いてもらうこととなった。MRIの撮影は来週。11月3日の筑波大記録会にエントリーをしたが、出場はかなり厳しい感じになってきた。

■2024年10月20日(日曜日)


本日の収穫
 昨日と違って、今日は風が強く氣温が低く、上着を着ていても寒い。昨日のとの落差があまりにも大きく、今日のような気象条件だったら、昨日の結果は大きく違っただろうと思うが、1日違えば、それは全く違う日だと当たり前のことだが、改めて実感した。
 午前中は、撮りためていたNHKの大河ドラマを3本視聴。わき役として登場した藤原伊周(これちか)が亡くなる場面があったのだが、彼の亡くなった年は36歳。現代から見れば、あまりにも短い生涯だが、当時の、人生はそのくらいの長さだったのだろうか。ドラマの中で「親子って変わらないようで変わるんだな」というセリフがあった。我が家も自分たち夫婦と子どもたちの関係がぎくしゃくすることもあり、この関係がいつまで続くのだろうかと思うことがある。しかし、いつかはそれぞれの立場が変化し、関係も変化していくんだろうと思えるようになった。
 午後は、畑仕事。サツマイモを収穫した。自然栽培に切り替えて、土が整っていない影響もあるためか、鶴野育ちがそれほど良くなく、収穫量もかなり少なかった。その後は、整地しなおし、白菜とキャベツの苗を植えた。できれば、玉ねぎの苗を植えたいのだが、植えるスペースがない。どうやれば植えることができるか。しばらく頭の中で趣味レーションが続きそうだ。

■2024年10月19日(土曜日)


本校選手と応援団




レース終了後の選手たち




関係者全員で
 箱根駅伝予選会当日。今年は、43校がスタートラインに立つことができた。駐屯地の滑走路を約3周して、その後市街地を走り、昭和記念公園を1周してフィニッシュとなるハーフマラソンのコースでレースが行われた。各チーム上位10名の完走者の合計タイムが、学校対抗の順位となり、10位までが来年の正月に開催される本戦へ出場できる。
 スタート直後から、ケニア人選手の大集団が突出して速く、日本人選手は、その集団から大きく遅れて、2名が集団を作り、その後ろに日本人の大集団が出来上がっていた。2人の日本人選手の一人は、結果的に最後まで日本人トップで走り切り10位となった中央学院大学の吉田選手。吉田選手の後ろを走っていたのが東京大学大学院博士課程4年生の古川選手。その後古川選手は、大集団に飲み込まれてしまったが、素晴らしい走りで60位となった。また、東京大学の秋吉選手は77位となり、東大生2人が関東学生連合チームの一員となる可能性が高まった。
 9時35分のスタート時の気温は23度台だったが、選手が走っている間に氣温は急激に上昇した。氣温は30度まで上がり、長距離を走るにはあまりにも過酷で、箱根駅伝本戦常連校の選手が途中棄権で、チーム順位に大きく影響を与えてしまう場面もあった。本校の学生たちも、個人レースであれば、途中棄権していたかもしれない。しかし、部員、OB、家族がコース上で、選手の名前を叫び応援してくれ、チーム順位がかかっていることもあり、やめるわけにはいかず、誰もがフィニッシュ地点を目指した。結果的に、コース上の制限時間があり、制限時間に間に合わないということで、途中棄権となった学生が2名、完走できた学生が10名ということで、なんとかチーム順位が確定した。結果は42位。10000mの標準記録突破を目指す練習が続き、ハーフマラソンの準備は、2週間程度だったこともあり、ほとんどの学生が後半失速、1年生は、この1週間定期訓練があり、全く走っていないということでさらに過酷な条件での走りとなった。この暑さの中、本当にみんなよく走ったと思う。
 来年も出場条件が同じであれば、3年生以下で標準記録突破者が9名なので、あと1名が突破できれば、来年の出場が決められる。なんとかこの冬の間に出場を決め、ハーフマラソンの練習をして今年以上の結果を追求したい。

■2024年10月18日(金曜日)
 明日の箱根駅伝予選会へ向け学生たちを連れて立川駐屯地へ移動。仕事が終わって学校を出られるのが17時15分ということで、そこからレンタカーを借りに行き、学生たちを乗せて目的地へ。渋滞はほぼなかったが、およそ2時間のドライブで、到着は21時前だった。今回は、いろいろな人のつながりで、宿泊先が決まった。そして様々なサポートもすべて人のつながりで成り立った。人とのつながりや巡りあわせというものが、その人の人生になんと大きな影響を及ぼしているのだろうと思うと同時に、このつながりや巡り合わせに心から感謝したいと思った。こういうことは、偶然のように見えるが、必然だったのだとも思えてくる。

■2024年10月17日(木曜日)


本日の収穫
 今まで文字を書くのは楷書が当たり前で、楷書をちょっと崩して筆の流れを意識すると結果的に行書になり、草書になると、何が書かれているのかわからないというイメージだった。あることがきっかけで今日は行書と草書に挑戦。行書はイメージ通り楷書の筆の流れを意識すれば書くことができるが、草書になると、書き順はあまり関係なくなり、文字の形を残しながら、できるだけ少ない画数で流れるように書くという感じになった。そいういうイメージはできたものの、実際にお手本に沿って書いてみると、そもそも文字の原型をとどめていない感じで、これを読むことは困難だと思った。これを読めるようにするには、小学校1年生に戻って読み書きを始めるように、漢字を一つ一つ学びなおしていかないとわかるようにはならない。その学び直しの時間は気の遠くなるような労力が必要なことが想像できる。草書を学べば、江戸時代以前の文章が少しは読めるようになるのだろうか。

■2024年10月16日(水曜日)
 NHKEテレ100分de名著の録画を視聴。今回紹介されている本は「ドリトル先生航海記」。階級社会で成り立っているイギリスの架空の町に住む下級階層で生きるスタビンズ少年から見た中流以上の階層で生きるドリトル先生を描いた話。
 階層が違うと話をすることすらできない時代背景の中、ドリトル先生は、階級には関係なく、どの人とも対等な関係を結んでくれ、さらに人だけでなく、あらゆる生物とも平等に接するという博物学者だった。スタビンズ少年は、その先生の魅力にどんどん引き込まれていく流れが紹介されていた。
 今の世の中も、親子だったり先生と生徒だったり、無意識に上下の関係が出来上がってしまうのだが、子どもたちには、学校でも家庭でもないところにいる何かを教えてくれる大人が必要ではないかという話に発展していった。番組ではその関係を、縦の関係でも横の関係でもない「斜めの関係」と定義していた。この関係により、子どもたちには、今まで見たことのない違う世界が開かれる可能性が広がってくる。
 週末の旅行は、三男にとって、そんな斜めの関係を構築できるとても良い機会だったと思った。そのおかげか、「ありがとう」「ただいま」など、当たり前の挨拶が皆無だった状態から、旅行の後は、その言葉を発してくれるようになった。本人の中で何かが変わったということだけは感じることができ、成長の旅だったなぁと思った。

■2024年10月15日(火曜日)
 2か月くらい前にテレビで見たある番組から、こうなったらいいなぁと思うことがあった。しばらくは、頭の片隅にその思いが残っていたが、そのうち忘れてしまったのだ、しかし突然今日、なんとなく頭に浮かんできたのが、あの時の願いが、形は違っているが叶っていたということだった。テレビ番組に映っていたものとは全く違うので、他人から見れば、全く関係のない出来事なのだろうが、自分の中では、自分に与えられた環境に合った形で、実現しているとしか考えられない出来事だった。自分の願いというのは、目の前のことを一生懸命やっていて、氣が付かないうちに叶ってしまっているというものなのかもしれない。願いを自分自身に常に伝え続けることって大事だなと思った。
 次男は、12月に台湾への修学旅行が計画されているが、本人はあまり乗り氣ではない。次男の通う学校では、隔年で修学旅行先がシンガポールと台湾に決められているということで、次男は台湾の年に当たってしまったが、シンガポールへ行きたかったという氣持ちが強いようだ。そんな中、今日は、旅行に行けなくなるかもしれないと嬉しそうに語り、シンガポールに変更にならないかと話していた。中国軍が台湾を囲んでいるらしいとの情報からだった。この週末全くニュースを見ていなかったので、何のことかと思って調べてみると、中国の軍事演習が台湾を囲んで実施されているとのことだった。軍事演習なので、直ちに戦争というわけでもなさそうだが、不穏な動きではあると思う。

■2024年10月14日(月曜日)


親子で



平泉寺白山神社



空氣の変わった場所



白山中居神社
 旅行2日目。朝は、旅館周辺を60分ジョグ。山奥の棚田を見に行ったのだが、山に登る道は途中からフェンスで道がふさがれ、それ以上は入れず。しかし、この地域は、坂ばかりなので、どこも棚田となっていて、特徴ある景色だった。また、海沿いも走り、日本海の水平線も眺めることができた。水平線はわずかに弧となっていて、地球は丸いんだろうなぁと思った。昨夜は、親子は部屋が分かれて、お互い別の方と2人部屋だった。三男は3時近くまで話をしていたとのこと。しかし、同じ部屋の方に6時半には起こされて、そのまま目の前の浜辺で行き、はだしで動き回りながら、太陽と海の写真撮影を熱心にやっていた。
 午前は、平泉寺白山(へいせんじはくさん)神社へ。ここは、鳥居をくぐるとコケに包まれた神秘的な境内を堪能できた。苔の影響か、音が反響せず吸収されてしまう感覚があり、とても静かな空間が広がっていた。この景色は、訪れたことはないのだが平泉中尊寺のイメージに似ているのではないかと思った。ここでも、不思議な体験ができた。ご神木に感謝の氣持ちを発すると、ご神木からその念が返ってくるように感じられ、感謝の循環ができ、エネルギーを与えているようで、与えてているようでもあり、不思議な感覚だった。創建した泰澄(たいちょう)大師を祭る場所も参拝でき、開山のきっかけとなった御手洗池は祈っている間は暗くなり、祈り終わった直後に明るくなるなど、たまたま日の光の入り方が変化しただけなのかもしれないが、神秘的な体験だった。
 午後は、岐阜へ移動。断崖絶壁と言えるくらい狭い車道をマイクロバスで移動し、郡上市の白山中居(はくさんちゅうきょ)神社へ。無数の杉の巨木がそびえ立つ場所で、それだけで圧倒された。大鳥居を入り参道を歩いていくと、川があった。その川に橋が架かっているのだが、その橋の中央付近で、空氣が変わるのが面白かった。本殿に近づくにつれて、どんどん體の動きが向上し、スムーズに歩けていなかった80代のおばあちゃんがすたすたと歩く姿には驚かされた。ここは、今まで訪れた神社で最も體に感じる圧が強く、ずっと滞在していたい場所だった。ここにも磐座があり、縄文時代から神聖な場所とされていて、泰澄大師が3年間滞在し、社殿の修復拡張をなされたとのこと。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑とその家臣から特別な尊崇を受けていたそうで、こんな山奥にこんなすばらしい場所を見つけた縄文の人々の感性のすばらしさを感じることとなった。
 2日間で滋賀、京都、福井、岐阜と移動し、神社めぐりをしつつ、その土地の食べ物を堪能できた。どんなへき地にも神社はあり、それぞれの地域で神聖な場所があるというのが不思議であり、興味深かった。普段話をすることがなかった三男ともよく話せたし、普段離れていて、全く話の出来ない仲間とも直接話ができ、懇親が深まる素晴らしい旅だった。旅行を計画し、マイクロバスの運転も請け負っていただいた方々には感謝しかない。

■2024年10月13日(日曜日)


富士山



若狭鯖街道 熊川宿



元伊勢籠神社



親子で天橋立股のぞき



日差しの強い1日でした
 三男を連れて、骨ストレッチの仲間と旅行。朝5時過ぎに家を出発し、小田原から新幹線に乗り米原へ。米原からはマイクロバスに乗って、福井を経由して、京都北部にある天橋へ。
 天橋立では、元伊勢籠(この)神社を参拝し、さらに奥宮の真名井神社を参拝。神社の鳥居をくぐり、本殿に近づくにつれて、何かが前から自分を押してくるような圧を感じ、鳥居の外とは違う空気感があった。それはとても心地いいし、腕を回せばよく腕は回るなど體の動きが格段に上がる不思議な場所だった。真名井神社には、本殿の後ろに磐座(いわくら)と呼ばれる岩が祭られていた。それは、神社の社殿が建てられる前の大昔に崇拝対象とされていたもので、ここには、縄文時代の石斧などが出土するなど、大昔から神聖な場所として人々が生活を送っていた歴史ある場所でもあった。
 神社参拝の後は、ケーブルカーとリフトに分かれて、山を上り天橋立傘松公園へ。日本三景の一つでもある天橋立に1度は訪れて見下ろしてみたいと思っていたので、その願いがかなった。股のぞきをする場所というものが設置されていて、前屈をするように自分の股の間から天橋立を見下ろすという、はたから見るとばかげたような動作なのだが、ここでは、恥ずかしがらずにやれる場所となっていて、逆さまに天橋立を見下ろすことができた。その景色は、天に昇る龍のように見えるとのことだったが、なかなかそんな風に見ることはできなかった。
その後は、ケーブルカーで下山し、歩きと観光船の二手に分かれて、天橋立の対岸にある、天橋立駅目指して移動。自分は歩こうと思っていて三男は船に乗りたいとのことで、親子は分かれて移動となった。今日は、日差しが強く、天橋立に映る夕日がとてもきれいだった。天橋立の中央付近には、天橋立神社があり、こちらも参拝。約50分歩き、予定時刻に天橋立駅で合流となった。三男は、景色を楽しむというよりも太陽の写真を撮影するのに熱中しながら、時間を過ごしたようだった。
 その後は、マイクロバスで、福井へ移動。本日の宿泊は三方郡美浜町菅浜。旅館の目の前は若狭の海が広がり、窓を開ければ、波音が聞こえてくる素晴らしい場所だった。夕食は、海産物が豪華に並んだ。特にセイコガ二というカニが1人1杯食べることができたのは驚きだった。刺身には、カンパチ、カジキマグロ、甘えび、アオリイカ、さらにサヨリの焼き物、サバの丸焼きもあった。さらにシイラを出す予定だったとのことだが、食べきれないので、朝食に回ることとなった。
 ここ何か月か、三男はイヤホンをつけてゲームや動画に夢中となり、面と向かって話ができていなかったのだが、今日はイヤホンをすることがなく、久しぶりに話をすることができた。普段は、不機嫌を作り、親とは話したくないという雰囲気なのだが、今日は久しぶりに、笑顔を見ることができホッとした。

■2024年10月12日(土曜日)


次男初の公認記録
 1か月ぶりに芝刈り。相変わらずコニシキソウが、芝生の間から大量に発生していたが、それは無視して、作業をした。芝刈り自体は、芝刈り機できれいになるが、問題は、芝刈り機が刈れない、壁際の処置。地道にハサミで切っていくしかない。毎回、ハサミを使っているうちに指のどこかがはさみとの摩擦で水膨れになったり、皮膚が擦り切れたりする。今日は、右の薬指の甲側が擦り切れ、手を洗う時にはしみて痛かった。
 畑の畝には、スペースを見つけては、スーパーで買ってきたおろ抜き大根を不定期に植えているが、植えた直後は、一旦枯れてしまうが、根はしっかりしているようで、その後、しっかりと葉を茂らせて、大根として生長してくれている。種から植えるよりも確実に育ってくれるので、なかなか良い。ニラは花が咲き終わり種ができ始めている。花を見るのは初めてなので、当然だ種がどうやってできるかを見るのも初めて。知らないことを、実践を通して知るということは、楽しいことだと思った。今年は、万願寺唐辛子も初めて植えたのだが、出来は最高。今も大量に実ってくれていて、いつでも収穫が楽しめる。本当にありがたい。種から育てているナスも適度にできている。最初はなかなか育たず、夏の収穫はほとんどない感じだったが、秋になってやっと実ってくれるようになった。畑は、昨年からは、肥料なしで自然農法に挑戦しているが、想像していたよりは、植物たちは良く育ってくれた。雑草もよく育ったが、彼らも野菜の栄養の一部として貢献してくれている。すべてに感謝したい。

■2024年10月11日(金曜日)
 学生の集団ジョグに混じってジョグ。学生の集団ジョグに加わるのは、8月初旬の合宿以来。あれから2ヶ月経ち、当時は、学生たちと主練習ができていたが、今は、一緒に練習はできず、アキレス腱の痛みを氣にしながら、恐る恐るジョグをするという日々。当時の自分は、秋のシーズンでは800mでM45の日本記録を更新するつもりで、今の状態は想像できなかった。
 どんな状態であろうと、今のベストを尽くすしかない。一昨日、久しぶりに痛みをそれほど感じることなく氣持ち良くジョグができたことから、集団に入ってジョグをしてみるという一歩進んだ段階へ挑戦してみることにした。走り始めは、アキレス腱の痛みを感じていたが、集団走は、5分/kmのペースで、ペースが乱れることなく淡々と走っていたので、リズムは取りやすく、すぐに楽に走れるようになり、その心地よさがとても久しぶりの感覚だった。少なくとも40分走ろうと思っていたのだが、残り5分くらいから、急に左ハムストリングがつり出してしまった。ハムはかなりの収縮をするので、左手でハムをグッと抑えて、その収縮を防ぎながら、なんとか40分走り続けた。強度の高いスピード練習をしたときのような、ハムのつり方だったので、それがジョグでなってしまったことにショックを受けた。まだ集団ジョグは早いとのからだからの声なのかもしれない。

■2024年10月10日(木曜日)
 メンタルヘルスカウンセラーの上田光俊氏のブログで「自分じゃないことをやっている」というタイトルの文章を読んだ。
 自分に備わっていないものは、そもそも使えない。備わっているものをどう使うかが人生。魚は空を飛べないし、鳥は水の中を泳げないのと同じように、自分にできることとできないことがあり、できないことを無理してやろうとすることで辛くなるのではないかと。要は、「自分でいたらいい」ということ。自分じゃないことをやるというのは、自分がやる必要がないことをやっていると言い換えることができ、自分がやる「ドンピシャな場所」があると語られていた。それを見つけるのに、時間がかかる人もいて、心が折れそうになることもある。無理していないのに喜ばれるというのがドンピシャな場所で、個性とも言える。それがあることを信じて心を腐らせず生きていきましょうという感じだった。
 自分もどこかでないものねだりをすることがあり、だれかと比較しているが、まったく比較する必要はなく、みんなが喜んでくれることを無理せずやるということに尽きるのだということが学べた。

■2024年10月9日(水曜日)
 多くの人が美しいと感じる比率に黄金比というものがあることを知っていたが、もう一つ白銀比というものが存在するということを知った。
 黄金比は1:1.618の縦横比で、オウムガイや人間のDNAの二重らせん、松ぼっくりの渦、鳴門の渦など自然の中にも見ることができ、モナ・リザの顔の形や目の大きさなど、多くの人工物に活用されている。黄金比が音楽にも含まれているとのことで、ビートルズにはそれを活用して作曲していたりするという。
 白銀比は、1:1.414の縦横比で、身近なところでは、A版やB版などの紙の寸法が白銀長方形となっている。そして、これは大和比とも呼ばれ、日本人にはなじみがあるという。法隆寺の金堂や五重塔に使われていて、日本人が美しいと感じる比率で古くから使われている。ドラえもん、アンパンマン、キティちゃんの顔も白銀比というのが面白い。最近では、東京スカイツリーのてっぺんの高さと、第2展望台までの高さの日が白銀比なのだという。
 美しいという感性は、人によって違うとは思うが、民族性にも違いがあるということで、太古の時代から紡いできた、目には見えない何かが引き継がれているということなのだと思った。

■2024年10月8日(火曜日)
 2週間ほどさぼっていたワットバイクの1000m全力こぎ2本を再開。2週間前は、この半年では最も良い記録を出していたが、今日は、2本とも最後までこぎきれない感じで、タイムは2秒も遅くなっていた。まともにこぎきれないときは、終わってみると疲労も意外と少ない。それだけ自分を追い込めていないということになる。
 その後、40分ジョグ。バイクをこいだ直後は、脚は全く動かず、歩きに近い速度でしかジョグはできないが、時間が経ってくると、通常のジョグに変化してくる。11月2日と3日に筑波大学の記録会があるので、そこで競技復帰したいという氣持ちがあるので、その記録会での走りをイメージしながらジョグをしたところ、だんだんからだの動きが良くなってきて、最近では最も速いペースでのジョグになってしまった。そしてアキレス腱の痛みはほぼなく気持ちよく走れた。イメージって大事だなぁと改めて実感したジョグだった。

■2024年10月7日(月曜日)
 TBSで深夜に放送されていた「解放区」というドキュメンタリー番組を視聴。「いつか、わかるわよ。佐伯先生と山と人生」というタイトル。89歳という年齢でクロスカントリースキーを競技として続けている日本人女性の話だった。
 彼女は、85歳を越えて競技を続けている唯一のクロスカントリースキーヤーとのことで、ギネス世界記録の認定を受けていた。番組の中では、体調を崩し、入院する事態にもなったが、退院後、スキーの練習に復帰し、今年もまた滑れると喜んでおられた。
 「来年この桜を観られるかどうかはわからない」と自分の年齢を意識されているようなところがありながら、「歳いったからって我慢はしない。今できることを楽しむこと。これが私」と開き直るように、今を楽しむことをモットーして日々過ごされているようだった。日々のトレーニングについては、「ちょっと上を向いて、ちょっと努力して、やっと昨日と同じ」ということで、昨日の自分に追いつくために今日のトレーニングがあるという感覚だった。この感覚は、その年齢になってみないとわからないのだろう。しかし、全日本マスターズの大会では、前年度よりもタイムを伸ばし、65歳以上の中でトップタイムでのフィニッシュ。競技力は向上していて、全く昨日に追いつくための今日ではなく、言葉とは裏腹に、自分たちと同じく常に競技力をより高めることを目指しているということは想像できた。
 背筋がしっかり伸びて、89歳には見えない。定年までは学校の理科の先生として勤め、校長先生も経験され、その経歴を生かして、山の自然を案内したり、蝶の調査をして、家の中で羽化させたり、様々なことに興味を持ち、行動されている姿がとてもまぶしく、見習いたいと思った。

■2024年10月6日(日曜日)
 アキレス腱痛は、ある程度緩和し、朝起きたときに階段を下るときにはかなり痛みはあるものの、日中は、日常生活をする分には支障はなくなった。その場ジャンプはそれほど痛みはないのだが、ジョグをしてみると痛みがあり、ジョグができない。といことで、その場ジャンプのできる運動をしようと思い、負荷が高いかなぁと思いつつも3週間ぶりにサーキットトレーニング。3週間ぶりなのだが、意外と體は動き、3週間前とほぼ変わらないタイムでやり切った。ジャンプ系の運動は多いので、痛みは感じながらやらざるを得なかったが、何とか我慢できる痛みだった。
 その後、ポール練習。ポール練習も3週間ぶり。今日の目標は、6歩助走で跳躍し、體の位置を真っ逆さまにしてマットに着地すること。先日の横須賀市民体育大会の時に、審判の先生から、ケツの穴を上に向けるイメージということを指導してもらったので、それを目指して練習。イメージできると、比較的自分のやりたかった動きになり、今までで最も上手くできたのではないかと思った。その後、8歩助走にし、13mの助走で跳んだ。8歩助走にすると、6歩でできたことができなくなる。これは、次の練習の時に持ち越しになった。今日は、12.0フィート130ポンドのポールを使用。握りは、まだ端を握っていないが、端を握るようになったら、使うには柔らかすぎという感じになりそうだ。

■2024年10月5日(土曜日)
 午前中は、コトタマを学ぶ人たちの集まりでZOOMを使った講習会。その中で、西洋の姫と日本の姫の感覚が全く違うことを知った。西洋の姫の話は、白雪姫やシンデレラのような白馬の王子様を待つ乙女が主人公で、結婚するまでの話。結婚したらハッピーエンド。日本の姫の話は、古事記に載っているが、大人の女性が結婚し、それをタートとして始まる話で、2人で幸せな家庭を作るやり方が課題が書かれている。日本の姫の出会いは、男性が出かけて姫を見初めるという感じ。西洋と日本の結婚観というものがかなり違うことが想像できる。近頃の日本人は、古事記や日本書紀に登場する姫については、全く知識がなく、西洋の姫については知っているということもあり、女性の理想を外国に求めているのかもしれない。ということで、日本の女性は変身願望があり、自分の中に魅力がないと思いこんでしまっている可能性があり、劣等感を持ち、自分の魅力に氣がついていないのではないかと講師の方は語られていた。ディズニーのプリンセスたちを見て、素敵な人と結婚しましょうと洗脳され、自分は何も持っていないので、持っている人と結婚しようとする傾向にあるが、日本の姫を見習って、魅力は元々持っていて、出会った人を素敵にしましょう、一人で頑張らず、誰かの協力を得て助け合って幸せになりましょうというストーリーが当たり前になれば、日本の女性はもっと幸せになれるのではないかとも語られていた。ということでロールモデルを西洋にしていると苦しむので、日本神話をロールモデルとしてはどうかという提案だった。今まで考えたこともなかったことで、とても面白い議論を聞くことができた。
 午後は、妻と不登校相談会へ行った。三男が、夏休み明けに学校へ行ったのは、たった1日。どうしたらよいのか、どういう選択肢があるのか知りたくて参加した。不登校の生徒は、「そっとしておいてほしい」という本音があり、それと同時に「どうやって目の前の課題をさけていこうか」を一生懸命に考え、「何かをやっても、どうせうまくいかないだろう」というあきらめの氣持ちもあったりする。しかし、不登校から立ち直った生徒たちは、不登校になったからこそ考える機会ができ、登校をゴールとはせず、もっと先のことをゴールとして、ゴールを決めたことで、自分で考えて行動を起こすようになる傾向が高いという。とにかく親は子どもを否定せず、存在だけでうれしいという態度で、子どもを信じることで、子どもは歩き出してくれるとのこと。自分たちは、子どもを優しい氣持ちで見守るしかないということは理解できたが、イライラしてしまうこともあり、なかなかの課題だ。

■2024年10月4日(金曜日)
 石破政権が誕生し、マスメディアでは連日その話題で持ちきりなのだが、10月1日から、新たに承認された新型コロナワクチンの定期接種が始まっていて、その話題は全く取り上げられない。国際ジャーナリストの堤未果さんは、「国民の注意が根こそぎ持っていくような大きなニュースが流れているとき、特に人物にフォーカスされているときは、要注意」だと話している。こういうときは「政府が国民に知られると不都合なルールを変更する大きなチャンス」だからなのだという。
 定期接種に加えられたワクチンは、メッセンジャーRNAワクチンの進化版、新しい自己増殖型遺伝子製剤「レプリコン」。開発したアメリカでも、治験をしたベトナムでも承認されていないにもかかわらず、日本は世界で初めて承認した。各国の医師や科学者たちがその危険性に警鐘を鳴らしているのに実施するということで、日本は人体実験場として使われているのではと思えてくる。
 堤未果さんの旦那さんで国会議員の川田龍平さんが、政府に対してレプリコンに関する質問主意書というものを提出し、政府から正式な回答を得たという。「スパイクタンパクの伝搬について、これまで政府としてどういう調査をしたのか、それでわかっていることは?もし伝搬の可能性がわかっていないのであれば、しっかりわかるまで使用しない方がよいのではないか?」という内容の質問に対して、政府は「その伝搬の科学的知見は現時点ではわからないので、実施する」との意味がわからない回答をしていた。また「レプリコンはアメリカのバイオ企業の技術を使用しているのに、なぜか世界で初めて日本で承認されたが、その背景は?」という質問に対して「世界で初めて日本で承認された理由は承知していない。アメリカでは令和6年6月21日現在では承認されていないと承知している」という回答。何も質問に答えていない。わからないものを定期接種をさせようとするのが政府の方針ということなのだ。超過死亡数の問題も、前厚生労働大臣は、記者会見で質問されても、全く質問への回答をせずはぐらかすような感じだった。このもどかしさは、どこにぶつければ解決できるのだろうか。

■2024年10月3日(木曜日)
 天外伺朗公式サイトを見ていた時に、「やり方」ではなく「あり方」が変われば会社も家庭も人生も変わるという文章に出会った。様々な問題に直面した時に、どうやったら変えられるかばかりを考えてしまう。内面が整えば自分の身の回りが整うという文章もあったが、目に見える部分を変えようとするのが現代社会を生きる人の常だが、そうではなく、目に見えない部分を整えることの方が大事だということなのだろう。言うは易く行うは難しであり、「あり方」に意識を持っていくには、どこか自分の中に余裕が必要なのではないかと思った。そういえば、ペンキ画家のショーゲンさんの本「今日、誰のために生きる?」にも、そんなようなことが書いてあったことを思い出した。今を一瞬一瞬味わうことを意識していくと、ゆとりにつながってくるというようなことが書いてあったと思う。とても非効率な感じもするが、効率を重視するなら、生まれたらすぐに死ぬのが一番効率がいいということになる。結果だけを求めるのではなく、その過程や感情を大事にする、そういう生き方が、「やり方」から「あり方」へシフトする方法なのだと思う。

■2024年10月2日(水曜日)
 NHKで「拝啓十五の君へ 〜30歳になった私からのメッセージ」という番組を視聴。2008年にNHK音楽コンクールで全国大会出場を目指した五島列島の中学生たちを追った番組が放送され、その時、アンジェラ・アキさんと交流した中学生たちが、30歳になったとのことで、改めて、アンジェラ・アキさんと対面し、今の自分が15歳の自分に手紙を書くとしたら、どんな手紙を書くかということで、実際に手紙を書いて朗読してもらうという内容だった。一人一人それぞれのドラマがあり、同じ人生は一つもない。どの人生も、その人にしか経験できない貴重な人生で、自分の人生も、他人には経験できない貴重な人生なのだと実感した。誰一人同じ人生はないということを改めて実感し、生きているだけで、貴重なことであり、褒め称えるべき事なのではないかと思え、今生きている自分を褒めたいと思った。

■2024年10月1日(火曜日)
 自民党の石破総裁が内閣総理大臣に指名され、石破政権が誕生した。新防衛大臣は、私が入間基地勤務だったときに、防衛庁長官として来られた大学の先輩中谷さんが就任された。防衛省としては、現場をよくわかってくれている人なので、とてもありがたい存在なのではないかと思う。>br?  新しい政権が誕生したのはいいが、前政権の総括はいつなされるのか?何を公約とし、何ができて、何ができなかったのか、そういった総括を国民に示してから、次の政権へ移行して欲しい。前総理は、所得倍増と宣言されていた。それが、あっという間に資産所得倍増と違った形に変化したが、自分の資産所得は倍増どころか確実に減っている。資産所得って結局投資しなさいということなのだろうが、そもそも投資をするお金をどこから捻出すればよいのか?裏金があればできるということなのか?前政権は、最後の最後まで海外にはお金をばらまいている印象も強かった。それを国民に還元できなかったのか。聞いてみたいことは沢山ある。次の政権も前政権の政策を引き継ぐと言っている。前政権がやってきたことは間違っていないと宣言しているようなもの。ということは、ますます僕らは貧困に陥っていきますよと言っているようで、僕らは、選挙のたった1票で抵抗するしかないということで、無力感が高まるばかりだ。



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