最近のいずみ

Last Update:2024/11/30



パートタイムアスリートいずみ 25年目に突入 

■2024年11月30日(土曜日)
 大学に入ったときに最初に同じ部屋で生活した同期と1年ぶりに再会。彼は整形外科医ということもあったので、今半月板の手術を勧められていることを話し、膝のMRIやレントゲン画像を見てもらい、彼が担当医であればどうするかという意見を聞かせてもらった。連投源画像からは、大腿骨と脛骨の間隔が内側だけ狭くなっていて、膝へ負荷をかけ続けてきたことを指摘された。内側半月板の水平断裂については、膝の痛みなど感じていない所見からすれば、手術はしないだろうとのコメントだった。これにより、手術をせずに、このまま生きていこうと新たに決意できた。
 彼は医師をしながら、予備自衛官としても毎年訓練に参加している。この1年くらいに起こった医師としての仕事や参加した訓練での出来事など、おもしろおかしく話をしてくれた。病院では常勤の医師が不足しているようで、今勤務している病院をやめても直ちに別の就職先が見つかるくらい、就職には困らないらしい。今勤務している病院も5年以上きちんと仕事をしてきたので、長期の休みを申し出て、迷惑であればやめるという話をしたところ、病院側はやめられては困るとのことで、長期の休みを認めてくれ、さらに月に4回程度の当直を半分に減らしてもらい、給料は据え置きになったという。我々は就職氷河期世代だったが、医者の世界ではまったく氷河期というものがなく、バブルの時代が終わっていないような歓迎を受けたとの昔話もしてくれた。最も驚いたのは、最近の若い子が医者を目指す理由。ミュージシャンになりたい、レーサーになりたいといった人たちが、それでは稼げないから、生活を安定させて自分のやりたいことを実現させたいとのことで、医者になるという人種が出てきているとのこと。医者になっても常勤ではなく、非常勤で十分稼ぐことができるので、非常勤をしながら自分のやりたいことを実現するという形になる。倫理観なってあったものじゃない。凄い時代になってきた。

■2024年11月29日(金曜日)
 オーストラリアで、世界で初めて16歳未満はSNSの使用を禁止する法案が可決されたとの報道があった。この法律に従う場合は、SNSの企業は、16歳未満の子どもたちにはSNSを利用できいないようにする処置をしなければならなくなる。これができなければ罰金が最大50億円とのこと。SNSを使いたい子どもたちだけでなく企業にとってもなかなか厳しい法律だ。
 偽情報やSNSを使ったいじめが原因で子どもたちが亡くなるケースもあり、命を守るためには必要だという考えのもとでの法案なのだろうが、SNSを物心ついたときから当たり前に使用している子どもたちにとっては、これが取り上げられることはこの世の終わりに近い衝撃かもしれない。企業側は、使用者の年齢を正確に把握術はない。しかしながら、アメリカではインスタグラムやティックトックは未成年の利用を制限する方向で動いている州もあるという。技術が先行して、ルールが後追いになってしまうため、なかなか収拾がつかないというのが現状なのだろう。
 日本では、まだ議論すらなく、こども政策担当大臣が、諸外国の事例把握、有識者ヒヤリング、課題と論点整理を行う予定との発言をされたという。いつでも日本は海外から周回遅れという感じだ。

■2024年11月28日(木曜日)
 この1週間ほど、仕事の影響で、なかなか運動をきちんとする時間が確保できていない。少しの時間を見つけてバイクの全力こぎをしているのだが、しばらくバイクをこいでいないと、上手くペダルに力を伝えきれず、パワーなどの数値が低くなる傾向があるのだが、昨日と今日はバイクをこいでみて、ここ最近では最も良い記録が出て驚いた。昨日は30秒全力こぎを120秒休息で3セット、今日は1000mの全力こぎを10分休息で2セットだた。両日とも、後半の失速が少なく、最後までしっかりこぎきることができた。数値も高いので、自分が急に成長したような氣分にもなれ、短い時間の運動ながら、満足できる練習だった。

■2024年11月27日(水曜日)
 昨夜は、低気圧が関東地方を通過したのだが、台風との違いがわからないほどの暴風雨だった。普通の雨が通過するというくらいの認識で、シャッターを下ろしていなかった。寝ている間、様々なものが窓の当たる音が続くのを感じながら朝になるのを待っていたような感覚だった。
 朝になって、すっかり雨は上がり、朝日が昇ったころ、外に出たのだが、空気は澄み渡り、降った雨が水蒸気となり、日光とのコラボレーションでとても幻想的な風景を目にすることとなった。いつも見ている場所が、いつもとは全く違う場所に見えるほど美しかった。センス・オブ・ワンダーという言葉がある。自然の美しさや精妙さに驚く心という意味合いらしいが、今朝の自分は、まさに、センス・オブ・ワンダーを感じる自分だった。当たり前が当たり前じゃないということは面白い。

■2024年11月26日(火曜日)
 ねんきん定期便というお便りが、時々送られてくる。一通りこのお便りに記載されている数字を見るが、自分がどれだけ支払って、将来毎年どのくらいの年金がもらえるのかというのを何となく把握する程度で、それほど詳しく見ることはなかった。しかし、今回これまでの保険料納付額について、しっかりと見てみると、納付額は、括弧書きで被保険者負担と書かれていることがわかった。年金は、自分が支払うだけではなく、労使折半で、勤めている職場が、自分が支払った額と同じだけ支払われていることになっている。とすれば、被保険者負担の金額の倍の額を国に納めているということになる。そういったことを考慮して、年金受給の年齢と労使折半で支払った額が戻ってくる年齢を計算してみた。
 65歳から受給すると77歳代で支払った額に到達し、75歳需給だと81歳代で到達することがわかった。65歳から受給した場合と75歳から受給した場合の受給額が同額になる年齢はいつかを計算してみたところ、87歳くらいだということがわかった。87歳以上生きるのであれば、75歳からの受給にメリットがあるということになる。何歳から受給するか、先のことはわからないので、決めることは難しい。

■2024年11月25日(月曜日)
 次男が通学するのに出発時刻が遅くなったためか自転車では行かず、車で駅まで妻が送ることとなった。妻が、次男を駅へ届けて帰宅した際、車の中に次男の携帯電話が残ったままとなっていることに氣がついた。公衆電話から電話をかけてくれれば、すぐに対応できるところだが、次男には駅にある公衆電話は目に入らず、結局携帯電話のために家まで歩いて帰ってきた。普段、公衆電話を使うことがないので、目に入っていたとしても、本人の意識の中には入らず、見つけたとしても使い方がわからないとのことだった。今はプッシュ型でダイヤル型はほぼないので、そんなに使い方は難しくはないと思うが、使ったことがなければ、知識として知っていても使えないということなのだろう。
 今朝は、車で通勤する際、考え事をしていて、目に入っているはずなのに、全く見えていないということが起こり、運転に集中していない自分に反省した。自分の意識をどこへ持っていくかで見えるものが違ってくるということを、自分と次男の事例から、再認識させられた。

■2024年11月24日(日曜日)
 日本陸連のオンライン講習を受講。タイトルは「ハイパフォーマンス発揮に向けた日々のコンディショニングの重要性」。3名の講師がそれぞれの持ち場におけるコンディショニングについて話があり、その後パネルディスカッションが行われた。
 パリオリンピックでは、本番で使用するサブトラックは事前に使用することができなかったため、選手村から車で30分ほどの場所にトラックを確保し、選手村もエアコンがないなど、あまり環境が良いとはいえないため、選手は選手村に試合直前に入るだけとし、それまでは別の宿泊施設で生活していたという。選手には、それぞれ関係するスタッフが多数存在するが、パーソナルトレーナーを帯同していた選手は34.5%だったという。陸連ではコンディショニングについて様々な対策を講じ、結果としては、女子やり投げでは金メダル、その他の種目においても多くの入賞者が出た。選手のコンディショニングとしては今大会は比較的上手くいった事例になったようだ。
 上記講習の後、アンチドーピング研修となり、「スポーツの価値とサプリメントについて」というタイトルで、陸連の医事委員からの講義とグループ討議が行われた。ドーピングのルールは毎年1月1日に更新され、選手本人が意図していなくても結果として出ると罰則に従わなければならなくなる。今のルールでは、試合直前の点滴は禁止だということを知った。入院して手術という場面は認められるようだが、試合直前に手術はあり得ない。小学生の頃、マラソン大会の前日に寝込んで、病院で点滴を打ち、翌日のマラソン大会を走ったことを思い出した。とにかく点滴は認められないと覚えておいた方が良さそうだ。ドーピングコントロールについては全アスリートに責任があり、自身の体内に取り込むものには全て責任が生じる。テニスのジョコビッチ選手は、新型コロナワクチンについて、接種を拒否し、4大大会の一つである全豪オープンへの出場を拒否された。新型コロナワクチンの中身については、何が入っているか公表されなかったのだから、ジョコビッチ選手は、選手の責任として当たり前のことをしたのだと思った。主催者側は、選手のためにワクチンの中身の公表を訴える必要があったのではないかと思えた。

■2024年11月23日(土曜日)
 8月に長野の治療院でお世話になった先生が、2人の治療家さんを連れて学校へ来てくれた。部活の学生たちを集めて、講習会のような感じで、からだのケアについてご指導を頂いた。からだの動きが良くなるマニキュアの説明もしてもらったのだが、どの部位に問題があるときは、どの指に塗ると良いというような説明もあり、そのつながりはわからなくても効果があることだけは理解でき、今後の使用の参考になった。リンパケアの先生からは、全身を緩めるのに、最初は仙骨周りを動かすことを教えてもらった。参加した部員のほとんどについて、先生からは股関節が硬すぎるとのコメントを頂いた。伸びしろがあると解釈したい。
 もう一人の先生は特殊な能力のある方で、人の内面や未来が見えるようだった。個人的に家族のことを話し、アドバイスを頂くことができた。人と人とのつながりというものは、偶然なようで必然なのかもしれないと思えた。

■2024年11月22日(金曜日)
 三男は、なんとか家族会議での約束を守れた。しかし、登校したのは11時頃とのこと。対応してくれたのが、次の授業の教科の先生だったらしく、そのまま次の授業を受け、その後は給食。午後は、生徒会役員選挙で、候補者の演説を聴いて学校のスケジュールは終了。今日は長男も協力してなんとか登校時刻に間に合うように起こし、朝食を食べさせたようだが、お腹が痛くなりトイレにこもってしまった。10時台にやっとトイレから出てきて、急遽仕事を休んだ妻が車で送っていって成り立った登校だった。過保護と言われてもおかしくない、至れり尽くせりの登校。一人で登校するには、まだまだいろんな壁がありそうだ。

■2024年11月21日(木曜日)
 昨夜は、11時過ぎから家族会議。深夜2時半頃まで続いた。次男は翌日も学校があるので、先に寝てしまったが、三男の不登校について、本人の話を聞きつつ、家族で改善策を探るという場だった。いろいろと枝葉のような理由はあるようだが、幹となるような理由は、自分でも思い当たらないとのことで、何となく学校へ行きたくないというのが3ヶ月も続いてしまっているという状態だった。今のままでは、高校への進学も難しくなるので、何か行動を始めた方が良いということは本人も理解はしていた。いつ行動するかと言えば「今」しかない。週に1回でも良いからなんとか勇気を奮い立たせて登校するという方向性が決まり、とりあえず、毎週金曜に登校を目指すらしい。どうなることか・・・  今週は、仕事が立て込み、運動する余裕が全くなかった。今日はある程度落ち着き、今週初めての練習。メニューは1600m×3。設定は400mあたり80秒で走る5分20秒。休息は400mジョグ。結果は設定通りには走れず。1本目から5分29秒4、5分56秒0、5分21秒5。何度もえづき、からだへの負担は大きかった。継続した練習を目指したいが、これも仕事次第。与えられた環境で最善を尽くすしかない。

■2024年11月20日(水曜日)
 一昨日、バイデン政権がウクライナに対して長距離ミサイルをロシアに対して使用を許可したという話題があったが、なんとウクライナはロシア領土にミサイル攻撃をしたとの報道があった。次の大統領となるトランプ元大統領は、ウクライナの戦争は就任直後に終わらせると話していて、ロシアのプーチン大統領もトランプ政権と終戦の方向で動くつもりなのではないかと思うのだが、アメリカの現政権は何をしているのか。戦争を続けるための悪あがきにしかみえない。

■2024年11月19日(火曜日)
 仕事で問題が発生し、その改善を目指し、係となっている3人で改善策を作成しているのだが、3人だけではなかなか納得のいく改善ができずに困っている。係ではない方からは、その問題に関連した問題点をさらにご指摘頂き、さらにどうすればいいかわからなくなってしまったりしている。しかし、問題点だけを指摘する方もいれば、改善点を提案してくれる方もいて、そんな見方もあるのかと自分にはない視点を氣がつかせてもらい、人によって大きく見方が違うということがとても面白いと思った。自分たちだけでうまくいかなければ、別の視点が必要であり、様々な視点を得ることで良い方向へ進むことができると信じて頑張っていこうと思った。

■2024年11月18日(月曜日)
 職場のアスレティックトレーナーの先生と自分の左内側半月板損傷について話をした。MRIの画像を見てもらい、自分の膝の現状について話し、先生の知見と照らし合わせてみると、先生が自分の立場だったら手術はしないだろうとのことだった。今は、痛みがなく動けるていて、手術をすることで、長い間制限が加わることを考慮すると、手術をするのであれば、もう少し様子を見た方が良さそうだ。運動は継続し、常に膝と対話しながら無理しすぎないように上手く付き合っていくことを決心した。

■2024年11月17日(日曜日)


レース前半



レース後半
 よこすかシーサイドマラソン3kmに出場。この1週間突貫工事のように急に走り始めて、なんとかこの日にたどり着いた。1週間前は、1000mを4分のペースで走ることができなかった。しかしこの1週間で、3分20秒のペースまであげることができた。あとは、これを3kmの区間で継続するだけ。この2ヶ月の走れなかった状況からすれば、スタートラインに立っているだけでも良くやったと自分に声をかけてあげたいくらい、走る前から達成感もあった。
 スタート直後は、毎回だがペースが速く、なかなかコントロールが効かない。間違いなくオーバーペースだとわかってはいるものの、上位選手の集団についてきたいという氣持ちも働き、ペースダウンすることなく走ってしまった。最初の1kmは3分12秒3。予定より8秒も速かった。中間点は4分51秒3。このあたりまでは上位選手が見える位置で走っていた。しかしその後は失速。フィニッシュラインヘ向け必死に走ったがペースアップはできず、後続の選手にも抜かれ、12位でフィニッシュ。タイムは手元の時計で10分08秒7。だいたい練習通りのタイムだった。
 大学4年生の時に初めてこの大会に出て、今まで一度も表彰を逃したことはなかったが、今回は仕方がないと思った。しかし、リザルトを確認すると10分09秒で7位となっており、8位以内の入賞で表彰の対象となっていた。何でだろうと思ったら、今年は中学生の部が新設されていた。昨年までは中学生以上の戦いで、中学生がかわいそうな状態だったので新設となったのかもしれない。今年自分がエントリーしたのは高校生以上の部だった。自分の前には中学生が5名もいたようで、結果は7位となった。5人の中学生に負けたのが悔しいところだが、今年も表彰台へ上がることができ、うれしさもあった。

■2024年11月16日(土曜日)
 練習は1000m×5。久しぶりに中距離パートの学生たちと一緒に練習ができた。開校祭の影響で、多くの学生たちが練習を継続できていなかったので、ペースは3分20秒。休息は200mジョグという設定だった。ちょうど明日のレースで走りたいと考えているペース設定だったので、自分にとってはピッタリの設定だった。しかしスタート時刻が思っていたよりも早く、ウォーミングアップの時間が30分もなく、準備不足でのスタートとなった。
 走り始めから、ペースが速いと感じ、1本目から落ち着いた呼吸で走ることができず、5本走り切るというよりも1本ずつ目の前の走りをなんとか設定通りに走るという意識で走るしかなかった。1本目は、3分18秒1。学生たちによると、スタート直後は、かなりペースが速かったようだった。  2本目は、1本目よりはゆったりと入ってくれたので、1本目よりは余裕を持って走ることができたが、それでも1本目より呼吸は荒くなり、かなりきつくなってきた。タイムは3分21秒5だった。
 3本目は、ペースは2本目と変わらない感じだったが、呼吸がきつく、左臀部の違和感がだんだん強くなってきたこともあり、ここで終わるかもしれないと思いながら必死にフィニッシュラインまで走った。最後の方で、呼吸が激しくなり、えづいてしまった。タイムは3分22秒6だった。
 4本目は、残り250mくらいから連続してえづき、呼吸がまともにできなくなってしまった。ここで終わると決めて、何とか最後まで走りきった。タイムは3分21秒6だった。
 距離を分割しても3分20秒をキープするのがなかなか厳しい。右アキレス腱の痛みも相変わらず続いており、明日の3kmのレースを走るかどうかは、明日ウォーミングアップをしてから決めようと思う。

■2024年11月15日(金曜日)
 練習はペース走。長距離パートの学生たちの10000mのペース走についていって4000m以上を走ることを目指した。ペース設定は、3分40秒。
 スタート直後から、ちょっと速いなぁと感じるペースだった。最初から集団についていけなくなる訳にはいかないので、必死についていったが、1000mの通過は3分31秒6で。設定よりもかなり速かく、感覚としては間違ってはいなかった。その後のペースは、3分36秒1、3分35秒6、と少しだけ設定ペースには近づいたが、それでも今の自分にはなかなか厳しいペースだったが、3000m〜4000mで呼吸がキープできなくなりえづいてしまい、限界となり4000mで終了することとし、少しペースアップをして終了した。最後の1000mは3分30秒4だった。なんとか最低目標の4000m完走はできた。半月板損傷のことを考えると、練習に参加できているというだけでありがたい。

■2024年11月14日(木曜日)
 昨日の左下腿の痛みは、昨日1日だけで治まってくれ、今日は問題なく運動することができた。練習は、ワットバイク1000m×2。休息は10分。ワットバイクは8月中旬以降、できるだけ週に2回はやっているのだが、10月中旬から2週間は膝の痛みの影響で全くやらなかった。2週間休んだだけで、しっかりとこげなくなり、回転数やタイムなどが低下していた。今日は、やっと以前の数値に戻ってきて、ある程度こげているという実感も出てきた。この調子で、継続して行ければと思う。

■2024年11月13日(水曜日)


富士山
 朝、洗濯物を干し終えて、犬の散歩をすべく階段を下りている際に、急に左下腿に神経的な浸みるような痛みを感じた。左足を床に着くと力が入りづらく、自分のからだを支えるのが困難になるくらいで、痛みを我慢しないと歩けない感じになった。とりあえず、犬の散歩はしなければならないので、痛みを我慢して歩いたのだが、特に階段の上り下り動作がつらかった。しばらくすれば痛みは回復するのではないかと期待していたのだが、全く変化はなかった。授業が3コマあり、1日中屋外で動かざるを得なかったのだが、学生からも脚を引きずっているように見えたようで、「脚大丈夫ですか」と声をかけられてしまった。さらに左臀部も痛みがあり、休憩の合間にいろいろと筋肉をほぐしてみたりできることはしたのだが、あまり変化がなかった。昨日はあんなに走れていたのにと思うと、昨日との落差があまりにも大きく氣持ちが沈んだ。
 しかし、夜車で帰宅し、階段を上がったときに、痛みがなく上ることができ、急に回復してくれた。今日1日だけのことであって欲しい。

■2024年11月12日(火曜日)
 久しぶりに学生たちの練習に加わった。長距離の学生たちが3200m、1600m×2,800m×3、400m×4という練習メニューだったのだが、最初の3200mが1000mを3分20秒のペースで走るというので、3000mまでを目標に集団について走らせてもらった。
 入りの1000mは3分20秒1で、意外と余裕を持って走れた。その後は、じわじわと呼吸がきつくなり、脚の動きも悪くなってきたが、なんとか脚を動かし続けた。左膝の違和感はなく、どちらかといえば、左臀部に痛みや違和感があった。1000m〜2000mは3分23秒4で、集団のペースも落ちてきたことで、なとか集団につくことができていた。2000m〜3000mは3分26秒4というこで、さらにペースダウンとなったが、集団からは離れることなく、目標の3000mを走りきることができた。残り200mから呼吸が持たなくなり何度がえづき前のめりに転びそうになりながらなんとか走りきった。トータルタイムは10分09秒9。8月以降まともに走っていなかったので、3ヶ月ぶりに、走りで呼吸循環系に負荷をかけることができた。頑張れば、3kmは10分切りの可能性がある走りができたことも収穫だった。

■2024年11月11日(月曜日)


半月板水平断裂(赤の部分)
 休みを取って病院へ行き、MRI画像で左膝の診断を受けた。結論は、左膝の内側半月板損傷。画像からは、通常黒く映る部位が白くなっていて、半月板が上下に切れてしまっているとのことだった。このままにしておくこともできるが、将来年齢を重ねていったときには、これが原因で、軟骨がすり減って、変形性膝関節症になるリスクがあるため、できれば受傷後3ヶ月以内に出術をしたほうが良いと医師から言われた。今からの予約であれば1月に空きがあるとも。自衛官であれば3〜4ヶ月入院させて完全回復させるのだが、自衛官ではないので、少なくとも1週間の入院と3〜4ヶ月の松葉杖での生活になるとも言われ、現状では、それほどの痛みを感じていないので、急に決断を迫られても即決は難しかった。一旦持ち帰って考えますということで、次の受診の手続きをして病院を後にした。

■2024年11月10日(日曜日)
 2ヶ月ぶりに骨ストレッチ講習会に参加。テーマはあったようだが、先生のフィーリングでテーマ変更となり、今、先生が受講者に伝えたい内容ということで話が始まった。
 最初は内転筋をほぐすことを各自で始めた。自分でほぐしても痛すぎてなかなか奥へ踏み込めない感じだった。次に腸脛靱帯のある大腿外側のほぐし。こちらも痛くてやりきれない感じだった。 その後、先生が直々にほぐしに来てくれて、特に左臀部の座骨の内側あたりをほぐしてもらった。激痛だった。さらにもう一人の先生により僧帽筋を中心にほぐしてもらい、こちらも激痛だった。結局どこをさわられても痛いという體がすべて硬くなっているということがわかり、普段の體のケアが足りないことが判明した。
 その後、上腕骨の意識をちょっと前に持っていくことで、普段の骨ストレッチの動きが良くなったり、クラウチングスタートや走りも動きやすくなったりすることを学んだ。しかし、これを人に説明して実感してもらうことは、なかなか困難な感じだ。自分の伝える能力を向上させていく必要も感じる講習会だった。

■2024年11月9日(土曜日)


寒川神社






比々多神社元宮からの眺め
 開校記念祭で開催された顕彰碑献花式に卒業生の期別代表として参加。この1年で殉職された卒業生が2名いらしたとのことで、2柱を加えた117柱の御霊に思いをはせる時間となった。亡くなられた2名の方は、私が教官として戻ってきた後の卒業生なので、自分の授業を受けていた学生だったのかもしれない。自分より若い方々が殉職されるということは、そのご家族のことを考えると、子どもたちがまだ小さかったりするのだろうと想像し、無念だっただろうなぁと思えてならなかった。自分の家庭にもいろいろと問題はあるかもしれないが、家族が健康に生活しているだけでもありがたく、彼らの分もしっかり生きていかなければと思った。
 午後は、年に1度訪れている寒川神社へ行き、1年のお礼詣りをした。神社の境内は空氣感が外とは違って氣持ちよさはあったが、日が傾きかける夕方で、雲も多く、とても薄暗いこともあり、昨年までの晴れた日の当たる感じとはまた違った雰囲氣でもあった。
 寒川神社へ行くまでに、ウェブ検索していて、県内に縄文時代から存在しているという神社があることを知り、暗くなってきてしまったが、その神社へ行ってみることにした。最寄り駅の伊勢原駅へ着いたときには、完全に暗くなっていた。目指したのは比々多(ひびた)神社。バスで15分くらい乗って最寄りのバス停に着き、歩いて2分以内には神社の入り口にたどり着いた。灯りが全くなく、暗く鬱そうとした感じだったが、入り口の二股に別れたイチョウの存在感だけでも圧倒され、手をかざすと圧を感じた。本殿でお詣りし、スマートフォンでライトを照らし、本殿裏の摂社・末社をお詣りした。その中には白山神社があった。先月白山神社と呼ばれる神社を2カ所まわったこともあり、縁があるなぁと思った。
 その比々多神社の元宮を目指した。古代祭祀をしたという遺跡がある比々多神社の裏を通り、灯りのない畑の山道をひたすら上っていった。とても寂しい感じの場所だったが、元宮は芝生に覆われた開けた丘になっていた。小さな鳥居をくぐり、小さな祠のあるスペースはとても狭かったが、違った空氣感があり、體が良く動く氣持ちの良い空間だった。周りに灯りがないので、星や月がよく見え、遠くに街灯りがキラキラ光る夜景スポットという感じでもあった。晴れた日中であれば、祠の後ろには、比々多神社のご神体でもある大山が見えるらしく、海の方向には江ノ島が見えるという。
 帰りは、バスに乗って駅へ戻るつもりだったが、帰りのバスはすでになく、結局30分ほどジョグをすることになってしまった。次に来るときには、明るい時間帯に訪れたい。

■2024年11月8日(金曜日)


夕暮れの野比海岸
 東大の河岡義裕教授がインフルエンザウイルスを人工合成する技術を世界で初めて開発したということを知った。人工ウイルスは存在するということが証明されてしまったということは、国内で、そのウイルスが漏れ出てパンデミックという可能性もあるということになる。そしてこの教授は、政府の会議で、「医療のマンハッタン計画」を進めると明言している。そもそもマンハッタン計画は、原爆を開発して日本人に落とすことを目指した計画。ワクチンなどの医療で日本人を殺すための計画でなければよいが、ネーミングはあまりにもひどい。人獣共通感染症、新興感染症に対して先回りして対策をする国家プロジェクトらしいが、存在しないものを人工で作り、それを使ってパンデミックを起こし、ワクチンで大もうけするプロジェクトでないことを願う。

■2024年11月7日(木曜日)
 アメリカ大統領選挙は、いまだに開票をしている所があるようだが、前回のような大逆転はなく、トランプ氏の圧勝がほぼ決まった。今回の勝因について、Xの動画で及川幸久さんが言及していた。今回は、総得票数でもトランプ氏の方が多く、同時に行われた上院と下院議員の選挙、さらには州知事の選挙についても全て共和党が過半数を獲得したとのこと。トランプ氏の影響力は絶大だった。動画の中で、司法省とジャック・スミス特別検察官は、トランプ氏に対する訴訟を即時撤回したという情報もあった。日本での大統領選挙特番では、トランプ氏が勝ったことに対して、ある専門家は、彼はたくさんの訴訟を抱えているわけで、犯罪者かもしれない者が大統領になることで、民主主義が破壊されるというようなコメントをしていた。そもそも今の政権が民主主義を破壊して共産化しているのだが、この専門家は、即時撤回に対してどういうコメントを出すのか聞いてみたいところだ。
 今回はアメリカの3代ネットワーク(CNNを除いたABC,CBS,NBC)の大統領選挙の全てを合わせた放送時間の割合は、ハリス氏78%、トランプ氏は15%で、その差は63%もあり、トランプ氏が圧倒的に露出度が低く不利な状態だった。その中で勝利できたのは、Xとポッドキャストがマスコミのウソを暴いたからだとう。「従来のメディアは終わった。市民ジャーナリズムの時代が来た」とX上でコメントする人がいたというが、イーロン・マスク氏は、「この選挙の現実は、Xで明らかになりましたが、旧来のメディアは国民に対して執拗にウソをつき続けました。あなた方は今やメディアです」とコメントしていたという。今のテレビをはじめとするマスメディアの状況を見れば、全くその通りだと思った。ハリス氏は話したことの一部切り取りで紹介されるような従来のメディアに頼り、逆にトランプ氏はXやポッドキャストで、自身の思いを切り取ることなく全てさらけ出して有権者に届けたことが勝利できた要因なのではないかと分析されていた。
 4年前の大統領選挙で、テレビではウソが流されているということを認識したが、今回もテレビはあからさまにハリス氏を応援する偏向報道で、Xで投稿される記事とのかい離が激しく、番組製作者たちは本当に残念な人たちだと思った。番組のスポンサーにとって都合の良いプロパガンダのみを垂れ流すしか選択肢しかないのであれば、公共の電波を使ってくれるなとも思う。報道に値しない情報ばかりを流すのが、テレビなのだということが改めてはっきりする大イベントだった。そもそもテレビは、人々を洗脳する道具として普及させたものなので、そういうものだと認識して、冷ややかな目でもって視聴する必要がある。

■2024年11月6日(水曜日)


違うような氣がする
 アメリカ大統領選挙の開票が行われ、ほぼトランプ前大統領の勝利が決まった。選挙前から、きちんとした情報分析をする人たちは、トランプ氏が勝利すると発言していたが、メディアは、まれにみる接戦と言い、開票中の中継でも、トランプ氏がリードしているにもかかわらず、接戦だと言い続け、あまりにもハリス氏びいきで驚いた。4年前も開票途中はトランプ氏がリードしていたのに、日が変わって翌朝になるとなぜかバイデン氏が勝利となっていた経緯もあるので、まだこの後何が起こるかわからない。しかし回は、激戦州と呼ばれる州の多くでトランプ氏が勝利していることから、票差が圧倒的なので、4年前のようなことはないとは思う。
 トランプ氏が大統領に返り咲くことで、ウクライナでの戦争を終わらせることができるのか。イスラエルの問題は、どういう方向へ動くのか注視したい。そしてロバート・ケネディ・ジュニア氏も政権に加わり、9.11、JFK暗殺、小児性愛者たちの悪行、人身売買、新型コロナワクチンの事実が公表され、世の中が大きくひっくり返ることを期待したい。
 今日は、40代最後の日。最後の1年は、家庭の中は激動だったが、個人的には穏やかに自分の思うように過ごせたのではないかと思う。競技の面では、全く走れなかったのが残念だが、明日以降、新たな自分を作っていきたい。

■2024年11月5日(火曜日)
 昨日の練習の影響なのか、おとといの試合の影響なのか、左臀部、左大腿二頭筋、両内転勤群が筋肉痛。特に左臀部はもともと張りと痛みが合った部位なので、筋肉痛かどうかは良くわからない。左膝裏には、相変わらず違和感がある。右アキレス腱は走らなければ問題ない。
 自分たちの日々は、朝起きて、朝食を食べ、出勤し、帰宅し、夕食を食べて、寝るという感じの生活を送っている。いわゆる規則正しい生活。学生時代寮生活をしていて、一般の大学生との比較で、自分たちの生活を刑務所生活と呼んでいた。外出することを娑婆に出ると言っていた。今も生活のリズムは、当時と変わらないので、刑務所生活を継続しているようなものかもしれない。次男は、学校の生活や日々の勉強が何のためにやっているかわからなくなったと昨日話していた。そして三男のことをあいつは何なんだと非難めいたことをつぶやいていた。次男は三男との比較もあり、この日々の規則正しい生活に疑問を持ったということだ。三男は、疑問を持つどころか、学校へいかず、長時間ゲームをやって動画を見るという完全に常識をぶっ壊した生活をしている。自分たちの常識が間違っているとすれば、三男の方が正常である可能性が出てくる。自分の常識は、自分が育った家庭で育まれてきた。自分の親もそうやって常識が作られてきた。三男は、その常識にNOを示す行動をしていて、その常識を考え直せと自分たちに迫ってきているようだ。自分たちが自分たちで枠にはめていて、枠から外れた人を非難するというのが、一般的な傾向だが、その枠って何なんだと考える時期にきているのかもしれない。

■2024年11月4日(月曜日)
 約1か月ぶりに、サーキットトレーニングを再開。この1か月間は、あまり運動ができていないので、キレのある動きは難しいだろうと思ってスタートしたのだが、意外と體は良く動き、1か月前よりもタイムは良かった。8月初旬までの動けていた時期よりもタイムが良いというのが不思議なところだ。ジャンプ系の運動の際には、若干右アキレス腱の痛みは発生するが、それほど氣にすることはなかった。左膝については、全く氣にならなかった。
 その後は、4000mペース走。こちらは1か月半ぶり。1000mあたり4分のペースをまずは刻むこととした。ホームストレートの向かい風が強く、ホームストレートとバックストレートでは、全く速度が違い、とても走りづらかった。出だしは、左臀部に痛みを感じながら走っていたが、2000m過ぎから右アキレス腱が氣になり始め、最後の方は、左膝裏も違和感を感じるようになった。タイムは、3分55秒4、3分56秒9、4分00秒0、3分55秒6だった。  練習を30分ほどジョグをするつもりで走り始めたが、10分もしないうちに、右アキレス腱の痛みが強くなってきて、10分で終了となった。まだまだ回復過程。ちょっとずつ負荷を上げていくようにしなければならない。

■2024年11月3日(日曜日)
 学生と筑波大競技会へ出場。久しぶりに車で筑波大学へ。渋滞がなければ2時間半くらいでは到着できるはずだったが、三郷インターチェンジ付近で渋滞となり、大学へ到着するのに3時間ほどかかった。一時期は毎日のように車で通っていたので、道に迷うことはないのではと思っていたが、懐かしい景色を眺めながら、手さくぐりで進む感じで、記憶がなくなっている場所も存在し、記憶ってあいまいなものだと思った。
 記録会は、800mに出場。たまたま、うちの学生と自分だけエントリータイムの申請がない状態だったため、最も遅い最終組での出走となった。学生は、風邪気味であまり調子が良くなく、自分は、1か月まともに走っていないという状態。自分はスタートラインへ立つ以前に、ウォーミングアップの段階で、脚に痛みが出たら棄権というつもりだった。ウォーミングアップでダッシュをしてみると意外と走れ、大丈夫じゃないかと思った直後に、右アキレス腱に痛みが出てきてしまった。しばらくすると痛みは緩和したため、レース中も様子を見ながら、痛みが出たらすぐにやめるつもりでスタートラインへ立った。目標は300mを42秒で走り途中棄権。学生のペースメーカーとして、少しでも貢献できればという感じだった。
 自分は、8レーンからのスタートだったが。100m付近のブレイクラインへ到達した時には、すでに学生が自分に並んでいて、予定よりペースがはないのではないかと思い焦った。あわてて、学生の前へ出て、先頭で200mを通過。手元の時計では26秒台に見えた。250mくらいからは體が固まり始め、ペースの維持が困難になったため、すぐにアウトレーンへ移動し、300m付近で、先頭を学生に譲り終了となった。その後学生は、予定通り56秒台で1周目を通過したが、後半は大きく失速し目標とするタイムを出すことはできなかった。
 2人とも今日のベストは尽くせたので、試合へ出場するまでのコンディションをしっかりと整えることが、あえて言えば改善点ということだろう。これで今シーズンの中距離レースは終了。高校2年生から800mを始めて、初めて800mの公認記録のないシーズンとなってしまった。今日は40代最後の800mレースでもあった。

■2024年11月2日(土曜日)
 明日は筑波大学競技会800m。申し込みは、チーム内の締め切りに間に合わず、無理にお願いして申し込んだため、走らないわけにはいかない。たまたまうちの学生と同じ組になったので、彼のために1周目くらいは引っ張りたいと思っている。しかしこの2週間、左膝の痛みの影響でほとんど走れず、この1ヶ月半は走ってもジョグのみ。ぶっつけ本番にならざるを得ないのだが、今日は刺激を入れてみようという氣に昨日まではなっていた。しかし、今日は雨で氣分が乗らず、今日刺激を入れて痛みが出たら明日は走れないことが確定してしまうということも考慮し、練習はバイクの1000m全力こぎ2本とジョグに変更。バイクの全力こぎは、自分の頭の中のイメージと実際の動きにズレがあり、心とからだが整っていないことを再確認。明日は、ベストを尽くすしかない。

■2024年11月1日(金曜日)
 今年も年賀はがきが販売開始となった。発行枚数は、昨年より25%減で、14年連続の減少となり、減り幅は過去最高だという。1枚63円が85円に価格が上がると、それは買い控える人や、年賀状を送らなくなる人もいるだろう。それにしても値上げ幅が大きすぎる。小学生の頃は40円だった。調べてみると、平成元年に消費税が導入され41円になった。そして平成6年に50円。自分のハガキの金額はこのときが基準になっていて、年賀状は最高200枚くらい書いていたので、ハガキ代に1万円かかっていた。今、同じ枚数を購入すれば1万7千円。買う氣になれない。消費税が8%に上がった平成26年には、ハガキは1枚52円となったが、その3年後の平成29年には62円となり、このあたりから、頻繁に価格が変わるので、ハガキの価格がわからなくなった。そして令和に入り、令和元年に63円、今回の令和6年に85円と値上がりした。ハガキ代が62円になった頃から、年賀状を出す枚数を減らし始めたように記憶している。昨年からは、年賀状を送ってきてくれた人だけに返そうかと妻と話したことを思い出す。年賀状だけでつながっている人も沢山いるので、やめてしまうのは残念ではあるが、その他の物価も上昇し日常で食べていくのだけでもなかなか厳しいという状況では、やめざるを得ない。
 国民にとって大事な郵便事業は赤字でも国が運営すれば問題なかったのに、アメリカに言われるがまま民営化したことが、国民の大事なつながりを切り離すという結果に向かうことになった。これも文化の破壊だと思う。電氣、鉄道、郵便、水道等、国民の生活にとってなくてはならない事業の民営化は、国を破壊する政策だと改めて実感した値上げだった。



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