最近のいずみ

Last Update:2024/2/29



パートタイムアスリートいずみ 24年目に突入 

■2024年2月29日(木曜日)
 新潟の友人宅を訪問した。彼は、昨年春に中古の物件を購入し家族と共に移住をしたのだが、その地区は世帯数が数えるほどしかなく、いわゆる限界集落ということで、なぜわざわざここへ引っ越してきたのかとご近所さんに驚かれたとのことだった。建物の他に山もあり、さらに家の裏には、小さなほこらがあり、移住したことで、自動的にこのほこらの世話をする氏子さんになり、お祭りの運営をすることになったという。建物周辺には、たくさんのため池があり、春から秋にかけては、鯉の養殖が行われているようだ。自宅近くには、大きな川が流れていて、山にも囲まれ、自然豊かな環境で、山菜など山の恵みは取り放題。自給自足を目指しているとのことで、米を作ろうと思ったそうだが、ご近所さんに米だけはやめておいた方が良いと言われ、米にチャレンジすることはやめたと話していた。自然と共に暮らしてみたいと思っている自分にとってはとてもうらやましい環境で、また現実逃避に訪問したいと思った。

■2024年2月28日(水曜日)
 昼休みにジョグ。10分を過ぎると少しずつ右膝内側に痛みが出てきて、15分でそろそろ厳しいかなぁと思い出し、結局20分で終了。夜も走ってみたが、5分で痛みが出てきて10分で終了。今日の練習は合計30分のジョグ。今日ジョグがきちんとできたら、練習がてら週末の三浦国債市民マラソンに出場しようと考えていたが、棄権することに決めた。当日は、学生や子どもたちの荷物番をすることにした。
 日常生活では問題ないのだが、走り出してしばらくすると痛みが出てしまう。これが體の叫びであり、この叫びはどうすればいいか答えを教えてくれているのだろうと思うが、内観力が発揮できていないためか、改善策が思い浮かばない。春のレースへ向け、そろそろ何とかしないと間に合わない時期になってきた。

■2024年2月27日(火曜日)
 学校の謝恩会に参加。コロナの時期もあったので、外部の方々を入れての謝恩会は久しぶり。招待者として、陸上競技部の大先輩も2名参加されていて、久しぶりに話をすることができ、部の4年生にも紹介することができた。
 他人の4年間は、本当に速く過ぎていく。特にこの1年は速く感じ、4年生と夏の校外合宿の話などをしたのだが、あれからもう半年が経ってしまったのかと思った。コロナの時期は、学生との接触も少なく、学生との距離感があったが、今年は、合宿にも行くことができ、学生との距離感は近く、練習で一緒に走ることも多かったので、同士のような感じだった。4年生は、卒業まで残り26日だという。残された時間を有意義に過ごして卒業していって欲しい。

■2024年2月26日(月曜日)
 次男は定期テストが始まり試験勉強をしている。明日は地理があるとのことで、地理の教科書を開いていた。その中に出てきて項目がSDGs。地理でそんなことを教えているのか!と驚いた。
 SDGsは、耳障りの良い言葉が並べられ、一つ一つの目標を見れば、誰も反対できないような目標となっているが、実際は、大手グローバル企業や国際的な銀行家たちを中心としたグローバリストたちがビジネスで儲けるための施策でしかないということを知っているので、耳障りの良い表面的なことを子どもたちが学び、SDGsが正しいと洗脳されてしまうことに腹立たしさを覚えた。
 持続可能な世界にしたいのであれば、江戸時代の日本をお手本にすればいい。当時は国内で上手く循環していた。西洋のような自然を開発するという考え方をするから持続可能でない状態になる。人権と言いながら、SDGsを推進する人たちが、人権が侵害される戦争を続けている。食糧危機になるような政策をしておいて、「飢餓をゼロに」と矛盾したことを言っている。「貧困をなくす」といういうのであれば、推進している人たちが持っているものを世界中の人に分け与えてくれれば、貧困はなくなるはずなのに、人々から搾取することをしておいて、「貧困をなくす」という矛盾したことを言っている。推進する人たちが目標とは真逆のことをやっているのでは、解決などするはずがない。そいうことを学校で教えてくれればと思うが、そうはいかないというところがもどかしい。

■2024年2月25日(日曜日)
 大阪マラソンをテレビ視聴。次男が定期テストの数学の勉強をしていて、わからないところについて解説をしながらという感じだったので、音声を消した状態での視聴となった。
 前半は、比較的平坦な道を走っているように見え、山場は30km過ぎの上り坂だと思ってみていたのだが、先頭のペースメーカーの設定は、1kmあたり2分58秒となっていたが、あるところでは、3分から急に2分53秒にあがるなど、安定したペースメイクにはなっていなかった。25kmを過ぎたところからのペースメーカーは、日本の実業団に所属するケニア人ランナーに交替したのだが、3分1桁までペースが落ちてしまい、予定の30kmへ行く前に脱落してしまったのが、とても残念だった。彼の代わりに集団を引っ張ったのはパリオリンピック代表に決まっているホンダの小山選手だった。彼のお陰で、なんとかペースが戻り、そのまま彼が先頭を引っ張っていくと思いきや、山場となる上り坂で、國學院大學の平林選手が先頭に出て、そのまま逃げ切り、2時間06分18秒の初マラソン日本最高記録で優勝してしまった。最後までしっかりした足取りで本当に素晴らしい走りだった。
 音を消しての視聴だったので、頼りになるのは画面に出てくる表示のみ。いろいろな選手の情報を知りたかったが、先頭集団にいても、画面に紹介されるのは特定の選手ばかりで、もう少し他の選手も紹介して欲しいと思ってしまった。
 この大会には、中学時代の友人も出場していたが、雨が降り寒い中完走したのだろうか氣になるところだ。

■2024年2月24日(土曜日)


脚に乗るインコ
 先週膝を痛め1週間が経ち、痛みはなくなったので週間ぶりにトラックで走ってみた。とりあえず3000mを3分40秒くらいで走れないかなぁと思いながらスタートしたのだが、1週間全く走っていないので、ペースがよくわからず、無理をせずに走ったので、最初の1000mは3分47秒9だった。そのままのペースを維持したかったが、少しずつ痛みのあった右膝に痛みが復活してきて、このまま続けるかどうかの葛藤が始まり、ペースが維持できなくなった。1000mから2000mは4分00秒0だった。まだ我慢できる痛みだったので残りの1000mも走り、最後の1000mは3分54秒0で少しタイムを戻して終了。この後ダッシュを入れる予定だったが、これ以上続けるのは危険だと思い、練習自体を終了することになった。1週間何もしないと呼吸器系の能力は低下するなぁと改めて実感する練習となった。今後も最優先は膝の回復。再来週はロードレースにエントリーしているが、どうなることやら・・・

■2024年2月23日(金曜日)


三男の走り
 三男が金沢区のロードレースに出場するため、海の公園へ行った。雨予報で、みぞれになるかもという予報もあったが、午前中は、若干雨は降ったものの、それほど強くならずみぞれにもならなかったので、寒さはあったものの想定していたよりましなコンディションだった。
 走る前に第一生命のトレーナーさんによるストレッチ講習を受講することができた。雨のコンディションだったため、動的なストレッチや動き作りが中心となり、とてもよいウォーミングアップになった。
 三男は、スタートから飛び出すと宣言していたが、最近は、あまり運動をしていないので、そんなに上手くは行かないだろうと思っていた。フィニッシュ手前で応援がしたかったためスタート直後を見ることができなかったが、スタートして400mくらいのところでは、先頭からは大きく遅れをとり、20番台くらいの順位で、すでに顔が苦しそうで、それ以上ペースアップが難しい足取りだった。
 ゴール手前100mくらいのところで最後の応援をしたが、順位はそれほど変わらず苦しそうな顔で通過していった。本人によるとそこから5人くらい抜いたとのことで、最後は、自分で納得がいく頑張りができたようだ。1.8kmを7分15秒で走り21位だった。
 その後は、三男の友だちが3チームに分かれ4区間の駅伝を走った。結果は1,3,5位。出場した全員が表彰状をもらうという素晴らしい結果だった。

■2024年2月22日(木曜日)
 テレビのニュース番組の中で、冬の妙高高原は、外国人客でにぎわっているという内容の特集があった。取材は妙高高原の中の赤倉温泉についてだった。妙高高原にある池ノ平温泉はスキーで何度も訪れていて、赤倉温泉は、池ノ平温泉の隣の地域ということで、早朝のランニングで何度が訪れたことがある。自分が妙高高原へ行っていた時期は、もう10年くらい前だろうか。当時の赤倉温泉は、かなり寂れている印象だった。しかしこの10年ほどで、特にオーストラリア人にとっては、とても有名な地となっているようだ。インタビューに応えた外国人は、雪質がとても良く、毎年訪れていると話していた。ホテルに1ヶ月滞在するような長期滞在の外国人客もいるのだという。
 国内のスキー人口は減少している状況なので、外国人観光客が、長期で滞在してくれるというのは、ホテルとしてはとても助かることだろう。中には、この地が氣に入り永住するような人も出てきて、廃業したホテルを購入し、改めて開業するという外国人までいるのだという。お金と時間に余裕があれば、スキーに行きたいところだが、日本人は目の前の生活をするだけで精一杯で、そんな余裕はない。円安の影響もあり、外国人にとってはとてもお買い得な環境なのだということを思い知らされる特集だった。北海道のニセコは、国際的なリゾートの町となり、外資により外国人富裕層向けのホテルやコンドミニアムが増え、日本ではなくなってきていると聞く。赤倉温泉は、日本を日本らしく体験することを楽しむ雰囲氣に見えたので、この雰囲氣が残って欲しいと思うばかりだ。

■2024年2月21日(水曜日)
 NHKアカデミア第3回宇宙物理学者の村上斉さんの話を視聴。「宇宙は数学の言葉で書かれている」というテーマだったのだが、このテーマ自体は、ガリレオ・ガリレイが書いた言葉なのだという。宇宙は数式で表せるということらしく、これは身近な暮らしにも言えることなのだという。例えとして、できあがったお好み焼きの上にかけるおかかがゆらゆらと踊ることや楽器の音色についての数式が示されていた。
 宇宙については、現状でわかっていることとわからないことがあるのだが、宇宙の組成は普通の物質が5%で、26%はダークマター、9%はダークエネルギーとのことで、物質ではない部分が95%をしめているということが示されていた。現在わかっていることだけで宇宙の式を作ることができるが、わかっていない部分を今後追加してより完璧な式にしていくことが研究者の目標となっている。
 人生についても、数式で表すことができ、それは、ランダムウォークと言われ、小さな点が、いろいろなところにぶつかりながら、方向を変え、時には行ったり来たりしたりし、突然大きく動いたりする図が描けるという。本当に取り組むことができるのは、自分が信じていることのみであるため、自分が信じていないものは上手くはいかない。信じるというのは自分の決断であり、決して振り返らずに前に向かって進んでいくことを薦められていた。
 最後は視聴者の質問に答えるという時間になったのだが、その中で戦争の終わらせ方についての言及があり、これも数式で表すことができるが、結局戦争が終わるタイミングとしては、自分が得になるタイミングであり、今、戦争が終わらないのはそのタイミングではないためだと解説された。わかるようでわからないという微妙な回答だが、結局人の判断ということなのだということなのだと思った。

■2024年2月20日(火曜日)
 陸上競技の走り幅跳びや三段跳びのルール変更を世界陸連が検討しているという報道があった。今までは踏切板とその先の粘土板の境目を狙って選手は跳躍をしていたのだが、今後は、その境目から手前に「テイクオフゾーン」というものを設け、そのゾーン内から跳躍すれば、跳躍したつま先から記録を計測するということになるようだ。そのゾーンがどのくらいの範囲で設けられるのかはわからないが、今までであれば、踏切板の手前で跳んでも、粘土板との境目からしか距離は測ってもらえず、選手は跳躍位置から境目までの距離を損をしていたが、その踏切位置を調整する能力までが競技力として評価されていたとも言える。
 検討されているゾーンが設けられれば、踏切位置を調整する部分をあまり氣にする必要がなくなり、自分の跳んだところから測ってもらえるので、今までよりは選手の跳躍をきちんと評価してもらえることになる。選手のパフォーマンスという意味では、とても良い方法ではある。実測というのは、選手が跳んだところをきちんと把握し、つま先の位置にメジャーのゼロを持っていかなければならない。これを目測で行うと正確ではない可能性が出てくるため、この新ルールが適用されると、各競技場に計測機器を導入する必要が出てくるのではないかと思う。それが導入できなければ、公認競技場としては認められないとなると、予算のない競技場が多数出てきて困りはしないかと施設の面からは心配してしまう。

■2024年2月19日(月曜日)
 日ウクライナ経済復興推進会議というものが都内で開催され、56の覚書に首相が署名をしたという。まだ戦いは終了していない状態で、復興について検討できるのかと疑問に思うのだが、昨年6月には、イギリスで60以上の国が参加し、すでに復興会議が開かれている。その時の復興費用の試算は58兆円で、各国の支援ではまかなえず、民間企業の参画を促進するとのことで、結局、大手グローバル企業が復興という名の下で儲ける仕組みを話し合い、新たな利権ができたように見えた。
 今回も首相は、「オールジャパンで」と述べていたが、結局経団連に関連する企業が儲けるための仕組み作りなのではないか疑いたくなる。一般のウクライナ人のための政策ならば良いが、今までに日本が支援したモノに大型重機があったのだが、それは送っただけで、結局扱える人が戦争に行ってしまって誰も扱えず、放置されているという映像を見た。現状では、何の役にも立たず、かえって邪魔なくらいだったりする。現状を把握しないで、ただ押しつけるようなものは支援とは言わない。現地をきちんと調査して、望んでいることとできることをすりあわせるのが大事だと考えると、戦争が終結する必要があるし、日本で会議を開催するのは、ちょっと違うようにも思える。
 今回の会議では具体的な支援額は報道されていない。国内も震災によって大変な時期なので、今、支援額を公表すると批判されるからということなのかもしれない。国内での様々な政策については、いつも財源はどうするのか?と野党は政府に問うが、海外への支援について財源をどうするのかと問うている報道は見たことがない。報道されていないだけなのか?

■2024年2月18日(日曜日)
 NHK大河ドラマ「光る君へ」第2回から5回まで一氣見。あまり馴染みのない時代ということもあり、登場人物の把握がしっかりできず、さらに登場人物の多くが藤原性のため、4回分を連続で見たにもかかわらず、誰が誰なのかはっきりとはわからずに終わってしまった。狭い宮中で、限られた人たちのドロドロとした人間関係が描き出されていて、その中で主人公の紫式部と藤原道長が関わっているということだけは理解できた。これ前に学んできた平安時代は、藤原道長と平清盛、清少納言と紫式部くらいしか名前が挙げられないほど知識がなく、自分にとっては未知な時代と言える。どれだけ史実に沿った話が展開していくのかはわからないが、1年間で藤原氏がどのような流れで、国を仕切っていくようになるのか流れを知ることができればと思う。

■2024年2月17日(土曜日)
 練習は、学生と2人で韓国式サーキット。一人でやるにはとても厳しいメニューなので、学生と一緒にやることになったのだが、水曜日から右膝の調子が悪く、痛みが出たり出なかったりしているため、学生が妥協できないようにできる限り学生にへばりつき、膝の状況を見てできるところまでやってみるという感じで始めた。サーキットの種目は10種目あり、3種目ごとに90秒の休息があり、9種目目が終わっところで3分休憩をし10種目目は1000mというのが1セット。これをセット間は10分で3セットを目標にした。
 最初のダッシュだけで、呼吸がつらく、1つ目の種目から今日は辛いと思った。6種目目には10mと20mのシャトルランを3回繰り返すのだが、今日は呼吸がかなり追い込まれ、つなぎの100mダッシュがまったくダッシュにならなかった。そのつらい感じは、自分だけでなく、学生も同じような感じだった。1セット目の中盤から、右膝に若干痛みが出てきて、まずいなぁと思いながら體を動かしていた。1セット目の1000mは、前半は自分が引っ張ったが、後半は学生が前に出てそのまま離されるばかりだった。タイムは3分17秒8。いつも3分15秒くらいを目安にしているので、最初に感じた調子の悪さは、1000mでも感覚通りだった。
 2セット目は、右膝の痛みがだんだん強くなってきて、途中100mダッシュができないところがあり、3セット目をするのは危険だと思い、せめて2セット目の最後だけはしっかり走ろうと思い、1000mの中盤は学生の前に出て学生を引っ張った。2セット目の1000mは3分08秒7。1セット目よりは、歩幅も広がりリズムもよく、しっかり走ることができた。
 膝の痛みが氣になったため、すぐに普段通っている治療院へ行ったのだが、今日はたまたま治療院は休みだった。実は昨日も治療院へ行ったのだが、駐車できるところがなかったため行くのを断念したのだが、昨日はいったん家に帰り自転車で行っておけばよかったと思った。

■2024年2月16日(金曜日)
 及川幸久著『いま世界を動かしている「黒いシナリオ」グローバリストたちとの最終戦争が始まる!』という本を読み終わった。ここに書かれていることが真実なのかどうかはわからないが、ここに書かれていることが真実であれば、今、日本で報道されていることには、いろいろと間違った認識を広めていることになり、人の言うことを鵜呑みにせず、自分で情報を集め、それらを総合して自分で考えだったり答えを見つける必要があることを実感する内容だった。
 特にそうだったのかと思ったことが2つあった。1つは、ウクライナとロシアの戦闘。国連は、一旦はロシアによる「侵略戦争」と言っていたのが、その後「戦争」という表現を控えるようになったという。その裏には、国際的に認めざるを得ないロシアのきちんとした手続きがあった。ドネツク州とルガンスク州は9年ほど前に住民投票によりウクライナからの独立を宣言していたのだが、ロシアはウクライナ侵攻前に、この2つの州を国家承認し、ロシアと安全保障条約を結んでいた。そしてその条約に基づいて行動をしたため、国際法上の「侵略戦争」には該当しないということで、ロシアは「特別軍事作戦」と言っている。これに対して、西側メディアは、「侵略戦争」という言葉を頻繁に使っているように見える。筆者は、「西側メディアは、米国が過去50ヶ国以上に侵略、政権転覆を試みたことは言わない」と述べていた。メディアを使ったプロパガンダが拡散されているのが当たり前なのだと認識しなければならない。ウクライナでの戦闘の目的は、ドイツとロシアの関係を良好にさせないためだということも述べられていた。そのための石油パイプラインの爆破であったことも、バイデン大統領やヌーランド国務次官補の発言からもわかり、ウクライナは、アメリカのネオコンと呼ばれる軍産複合体にただ使われているだけのようで氣の毒に思えた。
 そうだったのかと思ったもう1つの話題は、湾岸戦争。イランが一方的にクウェートへ侵攻したのだと認識していたのだが、その前に、クウェートは、イランとの国境地帯でイラクともつながっている油田から石油を採掘し、イラクにしてみれば石油が盗まれていて、完全に挑発を受けているような状態だったという。そのためイラクはアメリカに制裁の可否を事前に打診していたが、アメリカの代表者は、それについては「関心がない」との反応だったため、侵攻してもアメリカは関わらないと判断し侵攻したようだ。イラン・イラク戦争のときには、アメリカはイラクの味方となってくれていたので、今回も味方になってくれるものと考えていたようだが、イラクにしてみれば裏切られた感じとなった。アメリカの裏切り方も、駐米クウェート大使の娘を現地から逃げてきた少女として議会でうその証言をさせ、戦争に消極的な議会を動かし参戦へこぎつけており、ひどいやり方だと思った。イラクは、中距離弾道ミサイルを全部破壊して、アメリカに恭順の意思を示したにもかかわらず、アメリカは攻めてきたとのことで、イラクの抵抗は難しく、市民は虐殺されることとなり、10万人の市民が犠牲となったという。中距離弾道ミサイルを全部破壊したということについて、いろいろとウェブ検索をしてみたのだが、これについて言及されているサイトを見つけることができなかった。湾岸戦争については、日本は、資金協力として1兆2000億円を拠出したにもかかわらず、戦争終了後、多国籍軍の参加国からは小切手外交と非難されたという話について、直接クウェートに入ったのが6億3000万円に過ぎず、1兆790億円はアメリカに渡っていたということがわかり、日本もアメリカにはめられたのではないかと思えてならなかった。

■2024年2月15日(木曜日)
 荒谷卓・伊藤祐靖著「日本の特殊部隊をつくったふたりの”異端”自衛官―人はなんのために戦うのか!―」を読み終わった。陸上自衛隊と海上自衛隊の特殊部隊の創設経緯や、隊員セレクションの基準、何を守るために任務に就いているのかなど、お二人にしかわからない世界を少しだけ垣間見ることができたのではないかと思った。
 世界各国に特殊部隊は存在するが、組織、武器、戦術など外見は似ているが、その特徴が表れるのは精神的な部分になってくるという。その精神的な部分のバックグラウンドは、その国の文化であり、日本は、氣遣いができる文化であるため、相手が何を考えているかということを氣にするため、敵の心理状態を読み解くという、目に見えない戦力があるとのこと。忖度という言葉は、政治の世界でとてもマイナスなイメージを持ってしまったのだが、特殊戦では、その能力というのはプラスに働くということのようだ。また、日本人の死生観については、独特のものがあり、日本の特殊部隊の隊員たちは、「国のためなら死んでもかまわない」と思える死生観を持っている人たちで構成されており、集団に対する自己犠牲を是とし、それが文化になっているとのことで、それをもたない文化圏の人からすれば、恐怖を感じ、「クレイジー」と言われるという。読んでいてどうしても特攻隊を思い浮かべてしまったのだが、当時の隊員たちも最終的には覚悟を決め同じ思いをもって出撃したのかもしれない。
 本の中で、三島由紀夫が三島事件で読み上げた檄文が掲載されていて、初めて読んだのだが、50年以上経った今でも通用する内容であり、今の日本のありようを見ていると、この文は予言なのかと思うほどで、当時からそのような危機感を持ち、みんなに共有しようとしていた人がいたことに驚いた。
 荒谷さんは、今のままパワーエリートが作る新世界秩序に従っていると、奴隷社会に生きることとなると警鐘を鳴らしていた。伊藤さんは、そうしたパワーエリートとと戦うか戦わないかという選択肢があり、どちらにしても得るものと失うものがあると述べていた。戦わないことは、目に見えるものを守ることで、戦うことは、目に見えないものを守ることではないかと。また、荒谷さんは、文化や伝統の一番大切な部分は感覚的なもので、言葉で表現するのが難しい側面があり、この言語化できないものは、論理的でも合理的でもなく、現代ではその価値が理解されにくいのだが、それが伊藤さんの言う目に見えない何かなのではないかと感じた。

■2024年2月14日(水曜日)


本日の朝日



参加した仲間
 大学の同期たちと久しぶりに食事をした。集まったのは7人。みんな様々な経歴を持っていて、今の仕事の話から昔話まで、話が途切れることはなかった。特に面白いと思ったのは、大学時代に学んだことで役に立っていることについて。民間企業で働いている2人が、2人とも死生観を挙げていた。二人ともリーダーシップを発揮しなければならない会社の役員ということもあるのかもしれない。そのうちの一人は、次世代のリーダーを育てるボランティアをしているとのことで、有名企業の30〜40代の若手を集めてゼミをしているそうで、最初に、それぞれの企業の理念と本人の死生観について考えさせることをすると話していた。話を聞いていて、人生を納得して終えることは、人生をよく生きることに通じるということをあらためて感じることとなった。
 何年かに1回誰かが音頭を取って集まるが、多くが転勤族なので、集まる人は毎回違う。そのため話題も毎回変わってくるため、こういった集まりに参加するたびに、いろんな刺激を受ける。また次回の集まりを楽しみにしている。音頭をとってくれた同期に感謝。

■2024年2月13日(火曜日)
 練習は、学生たちのペース走について行って目標は4000m。ペース設定は1000mあたり3分20秒。
 スタート直後は、意外といけるのではないかと思ったのだが、1000mを過ぎるころには、4000mまで行けるのかと思うようになり、2000mに到達する前にえづいてしまい、結局2000mで終了。1000mごとのラップは、3分15秒5、3分20秒8。呼吸が苦しく、1本で終わってしまおうかと思ったが、少なくとも合計4000mは走ろうと思い、5分後に、あらためて集団について2000mを目標に走った。2本目の方が、1本目よりは余裕があったが、2000mに近づくにつれ、それ以上は走れないくらい呼吸が追い込まれた。1000mごとのラップは、3分21秒2、3分22秒3だった。今日は、とにかく呼吸が辛く、長い距離は走り切れなかった。まあ、そういう日もある。

■2024年2月12日(月曜日)
 TBS日曜日の初耳学の録画を視聴。内容は青山学院大学原監督の熱血授業。ゲストの様々な悩みに原監督は明解に応えてくれるので、聞いていてとても氣持ちの良いものだった。
 後輩の育て方については、心理学の知識から、初頭効果と親近効果というキーワードが出てきた。初頭効果とは、最初のイメージが印象に残るということで、親近効果は、最後の言葉が判断に強く影響するということ。最初の言葉と最後の言葉が重要で、中間の言葉はあまり覚えていないというのが一般的。原監督は、悪いことを最初に具体的に3つ伝え、最後には良いことを1つ伝えるようにしており、その話し方の順番だと、叱られるよりもアドバイスをいただいたと考えるようになり、その後も話を聞いてもらいやすい関係になるのだという。  子どもが失敗したときに親はどう接したらよいかという質問には、失敗には、3つの種類があるということを教えてくれた。1つ目はシンプルミス。防ぐことが可能な失敗。横着、準備不足、確信犯など道徳観のなさで起こる失敗は、厳しく指導する。2つ目はシステムミス。メカニズムの影響による失敗。目標設定の誤りであり、仕組みや外的要因を話し合う。3つ目はチャレンジミス。チャレンジするということは一定の失敗が伴う。真剣に向き合った失敗は、原因をはっきりさせて褒めるべき。しっかり種類を見極めて対応を決めることが重要だ。
 批判の声にどう対処するかという質問には、やるべき事をやっている自負があるので、自分と同じことをあなたもできるのか?と思っているという。何か新しいことをすれば3割は応援、3割は批判、3割どうでもいいと思い、残りの1割は何も思わないという分布だと考えているので、応援してくれる3割の人に指示されれば良いと割り切っており、自分が思っている以上に、人は自分のことは氣にしていないとも語っていた。今日の事は今日やり、明日やるべき事は明日あるので、そういったことを引きずらないというのが行動指針になっているとのことだった。
 短い時間だったが、学ぶことがたくさんある素晴らしい番組だった。

■2024年2月11日(日曜日)
 朝日新聞デジタルで『就活は「オヤオリ」「オヤカク」の時代 同伴説明会、企業も親も安心』という記事があった。「オヤオリ」とは、保護者向けの説明会(オリエンテーション)で、「オヤカク」は、企業が保護者に内定の確認をすることなのだという。メジャーな企業でない場合、親の価値判断で内定辞退者が出てしまうため、親に自社の説明をして、どういう企業が理解してもらい、入社してもらうための確約を取って入社を確実にするための企業の生き残りをかけた行動とも言える。
 良い学校へ入って、良い会社へ入れば、将来は安泰と考える昭和の時代とは違い、終身雇用が崩れ、就職活動のあり方も多様化しているのだとは思うが、そういう不確定要素が以前よりも増加している時代だからこそ、親も子どもの就職に口を出すということなのだろうか。自分の事は自分で決めるのが基本だろと思っているので、親が過保護なのではと思えてしまうが、実際に子どもが、この企業に就職したいと話をしてきたら、自分の価値観と照らし合わせることになるのかもしれない。何が正しくて、何が間違っているかは、後になってみないとわからないし、同じ事象でも解釈が違えば、正しいと間違いは逆になることもある。自分の子どもには中立的な立場で対応したい。

■2024年2月10日(土曜日)
 車の車検。平成18年度の車なので、いくらか問題は発生することは予想していた。
 パワーステアリングのベルトにベルトの軸からオイルが漏れて濡れているような状態になっていた。オイル自体は減っていないため、本当にちょっとずつ漏れているということらしい。今回は、車検は通りそうだが、次回の車検の時には、オイルタンクを含めて交換する必要があることを指摘された。
 最近は、エンジンをかけた直後に異音が時々発生し、しばらくすると通常の音に戻ることがあるので、それについて確認すると、雨の時期にしけるとエンジンをかけたときに特に音が鳴りやすいので、梅雨の時期に音が続くようであればベルトの交換が必要になるとのことだった。
 バッテリーについても若干低いので、次回の車検では交換の可能性が高いとのこと。
 ブレーキパッドはかなり減ってきていて、スジがはっきりと出ていた。かみ合うローターもそれに合わせてスジが入り、ちょっとしたブレーキが急ブレーキになりやすい傾向だという。こちらも今回は交換しないが、近いうちに交換が必要とのことだった。
 総合的に見ると、次回の車検では、かなりの部品交換が発生することがわかった。そろそろ買い換え時期というサインなのかもしれない。

■2024年2月9日(金曜日)
 朝、長男が友達の家から自転車で帰ってきた。家の前で、自転車の前輪が外れ、コンクリートの地面に顎を打ち、口の周りが血だらけで家に入ってきた。下の歯が上唇を貫通し、貫通した歯は差し歯だったこともあり、差し歯がとれ、上唇がはれ上がり、顎は大きな擦り傷となっていた。病院へ連れていくにも、どこへいったらよいかわからず、とりあえず近所の総合病院でできるだけ早い時間から開いているところへ連れて行った。
 病院では、うちでは対応できないので、歯医者や口腔外科の入っている総合病院へ行く必要があると言われ、もっと大きな総合病院へ電話したのだが、総合病院は、紹介状がないと受け付けられないとのことで、最終的に近所にある口腔外科を探し手連絡し、緊急で対応してくれるということで、その口腔外科へ行った。
 最終的に歯科医に診てもらえたのはケガをしてから3時間半ほど経ってからだった。歯が上唇を貫通したため、その部分を縫うことが最優先で、欠けてしまった差し歯の部分は唇が回復してから対処するとのことだった。どのくらい縫ったのかはわからないが、長男が言うには、かなりの数縫ったという。明日は、消毒、木曜には抜糸とのこと。不規則な生活をした代償なのか、自転車の前輪が外れるというのがなかなかないことなのだが、日ごろの整備は、自転車だけではなく車も注意してやらないといけないということを学ぶ機会となった。

■2024年2月8日(木曜日)
 NHKEテレ100分で名著の録画でリチャード・ローティ著「偶然性・アイロニー・連帯」の第1回を視聴。ローティは哲学者として、現代アメリカを代表する哲学者なのだが、彼は古代から連綿と続いてきた哲学について否定をし、論争を巻き起こした人物として評されているという。
 今まで積み上げられてきた哲学とは、真理や本質があるということが前提で、様々な思考が成されていたが、その前提は本当にそうなのか?ということを問い、この前提によって権威づけ特権的な知を創り出し、一般の人を下に見て、それが社会的な分断につながっているのではないかと考え、価値観が多様化した現代にあっては、百害あって一利なしと批判した。そして、全ては偶然的なものと考え、そこから新たな哲学の役割を創り出すことを主張している。
 今までの価値観がひっくり返るような議論で衝撃を受けた。視点を変えると別の考え方ができるということを改めて学んだような氣がした。現代は、数字でものを言われるとそれ以上何も言えないという時代なのだが、それは、数字に見ているモノが全てと考えるから、それ以上何も言えないということになる。しかし、数字に見えているものが全てなのかと問わなければならない。さらに発展させれば、目に見えているものが全てなのかという問いも必要ではないかと思う。正しいかどうかということは、個人によっても時代によっても違うと言え、本当に正しいというものはあるのかどうかわからないというスタンスで日々生活することで新たな視点や発見ができ、人生を豊かにしていくことができるのではないかと思った。

■2024年2月7日(水曜日)
 漫画研究者の東北芸術工科大学准教授トミヤマユキコさんが、ジブリの宮崎駿監督の話をしているのを映像で見た。宮崎監督がしきりに「めんどくさい」という言葉を口にしていた。そして「めんどくさい」と口に出しながらも作業を続けている姿に驚いたという。普通、めんどくさければやらないとか後回しにするということになりがちだが、監督は、口に出すだけで黙々と作業はする。この「めんどくさいと共にある」ことに感動したというのだ。司会の方は、「めんどくさい」という言葉は、ゴールが見えていないと出てこない言葉ではないかと考察されていて、確かにと思った。自分にしか見えていない良いゴールは頭の中にあるから、「めんどくさい」と連呼しながらもゴールに向かうことができるのだろう。もやもやを頭の中で飼い慣らしながら事を進める場面というのが自分にも頻繁に起こるのだが、天才と呼ばれる人も同じようにモヤモヤしながら映画作りをしているという話を聞き、ちょっと勇氣づけられた。

■2024年2月6日(火曜日)
 練習は2週間ぶりにロードでの10kmペース走。設定は1kmあたり3分40秒。自分は昔ながらの腕時計のためペースは把握できないので、とにかく集団についていくしかなかった。今日は、あまり調子は良くないので、少し弾んでくれて、脚への負担も軽減してくれる厚底のシューズを履いて走った。
 コースは約3kmの周回コース。1周目の1kmくらいまでは調子よく走れていたが、その後はちょっと辛くなり、とにかく今自分が最も良い走りができると考えている體の中のイメージを持ち続けながら、リズムを崩さぬよう走り続けた。3周目は途中で止めたくなったりしたが、なんとか我慢して目標の10kmまで走りきった。タイムは36分59秒台。1kmあたり平均3分42秒程度で走れたことになる。坂もありペースは安定しづらいので、2週間ぶりの割には、まずまずの結果だったと思う。

■2024年2月5日(月曜日)


本日の収穫
 1階の天井が乾いてきて、水の後が茶色い染みになった。やっと近所の工務店の方が我が家へ確認に来てくれた。現場を見て、こちらの話を聞いてみて、2階の床から1階の天井にかけて水は浸みてしまったかもしれないが、水の浸みた石膏ボードは硬くなるものの、1回水を吸った程度では、それほど大きく強度を損なうことはなく、リフォームをするという状況にはないとのことだった。天井のシミは、あまりにも氣になるのであれば、壁紙の交換ということになるかもしれないが、出費を考えれば、我慢していただいた方が良いのではとのことで、このまま何事もなく通常の生活に戻るということで方向性が決まった。
 今日も、本棚から浸みてしまった本の乾燥が続いている。1度ふやけてしまった本は、紙が波打って元には戻らない。本については、必要か不必要かの断捨離のタイミングが来たということで、しっかりと断捨離をしたいと思う。

■2024年2月4日(日曜日)
 昨日の出来事は、水害とも言える。昨日は、水道屋さんに対処してもらいいくらか出費があった。これは火災保険で支払いができないものかと思い、保険の書類を確認したのだが、免責3万円となっていた。現状では免責額よりも引くので、請求ができない。あとは、1階の天井の処置がどうなるかで、請求できるかどうかが決まりそうだ。
 昨日は、良く晴れていて、気温もある程度あったので、水に濡れた本や畳などを一部外に干したりもできたのだが、今日は、朝から曇って気温が低く、午後からは大雪警報が発令されるなど、水害の家の復旧には条件が悪かった。
 午前は、本棚の掃除。あらたにたくさんの本が水を吸っていて、とりあえずホットカーペットの上に広げたが、数が多すぎて、干すための面積が足りなかった。引っ越してきて13年以上が経ち、その間全く掃除していなかったので、棚にはそれだけの埃が積もり積もっていた。
 午後は、布団を洗濯すべくコインランドリーへ。敷き布団も洗濯したかったので、持っていったが、対応できる機器はなく、布団だけの洗濯となった。敷き布団の洗濯は専門の業者さんということになるのだろう。出費に余裕がない現状では直接敷き布団には被害はなかったので、洗濯は我慢するしかない。

■2024年2月3日(土曜日)
 朝、次男が「父さん、床が水浸し」と叫ぶ声で目が覚めた。起きあがり、床に足をつこうとしたら、床は水に浸かっていた。寝室は2階にあるのに、2階が水浸しというのはどういうことなのか?この地域が全て水没でもしたのだろうか?と混乱した。1階は1階で、天井から雨漏りのような状態で水が漏れ、こちらも床が水に浸されている部分が大半だった。原因は、寝ている間に洗濯機を稼働させた際、排水がうまくいかなかったのか洗濯機が故障してしまったことだと断定し、とりあえず洗濯機の蛇口を締め、長男と共に2階の水の除去に努め、1階の処置は妻に任せた。次男は、少しだけ手伝ったが、その後は部活へ行くといって、さっさと朝食を済ませ家を出て行ってしまった。三男は、ベッドの上から様子をうかがっているだけで、手伝いを頼んでも無視された。次男と三男は自分のことしか考えられず、普段子どもだと思っている長男だけが結果的には大人として振る舞ってくれたように見えた。
 水は何とか1時間半ほどの作業でほぼ除去できた。1階の雨漏りは主に3カ所。一つは1階にある本棚。本棚の壁を伝って水が広がっていることがわかり、本棚の本を水が使っているものと問題のないものに分け、水が使っている本については、ホットカーペットの上に置いて乾かすことになた。残りの2カ所は、和室とリビングの間の継ぎ目部分とシーリングファン。2階の水は除去したので、どちらも止まるまでは床に雑巾やバケツを置いて対処するしかなかった。シーリングファンは動いたままだったので、ショートしてはまずいと思い、シーリングファンを撤去して、天井の状態を確認した。シーリングファンのとりつけのためのネジの部分から水が漏れており、2カ所から漏れているのが確認できた。
 午前中の内に近所の工務店に電話したところ、市水道局の緊急対応の電話番号を教えてくれたので、すぐに電話し水道屋さんに来てもらった。原因は、洗濯機の排水パイプの詰まりだった。ここ最近、洗濯の脱水に時間がかかり、残り1分と出ているのに、その1分が10分くらいかかる場合もあった。そして、脱水終了後、排水が上手くできていないというエラー表示が出ることが多かった。排水フィルター自体は、きれいにしていて、どうしたらいいのかわからなかったのだが、やっと原因が理解できた。洗濯機と排水溝の間に隙間がほとんどなく、なんとか排水パイプがつながれている状況だったため、パイプが破損して水漏れがあったときにも、無理矢理防水テープで巻いて復旧させていたため、限界が来たということなのだ。とりあえず、排水パイプのヘドロを掃除してもらい、原因は取り除くことができた。
 午後には、1階の天井からの水漏れは止まってくれた。今後は、子どもたちのベッドの下の掃除、1階の本棚の整理、水に浸かった布団の洗濯や、1階の天井をどうするか。工務店さんは月曜以降でしか対応してもらえないので、そこまではやれることを粛々とやるのみ。洗濯機が再三警告をしていたのにそれに対処しなかったことがこのような事態を招いた。氣づいたらすぐに行動することが大事で、水に浸かった後の水の除去をしていて、普段どれだけ掃除をしていなかったかが実感でき、様々な学びがある出来事だった。

■2024年2月2日(金曜日)
 久しぶりに学生と練習。メニューは3000m×2〜3。休息は12分。1本目は1000mあたり3分15秒でのイーブンペース。2本目は、3分05秒、3分35秒、3分05秒の変化走。3本目は、1本目と同じイーブンペースという設定だった。これは、強度が高すぎ、1年生は全員脱落する可能性があるので、ペース設定を変えた方が良いのではないかとパート長には提案したのだが、1度できるところまでチャレンジさせたいとのことで、当初の予定通りの設定で練習を開始した。
 1本目は設定に近いペースで、3分16秒9、3分16秒8で通過した。このペースは自分にとっては3000mのシーズンベストとなるペース。強度が高すぎなため最初から2000mで終了するつもりで走ってのタイムだったのだが、終わってみれば全員にとって強度が高すぎ、全員が2000mで終了となってしまった。
 自分は2本目まで走る氣力はなく、学生たちの練習メニューは2000m×2に変更となり、パート長だけは3本目まで走ったが、その他の学生は2本で精一杯だった。練習前の自分の感覚に間違いはなく、学生たちはチャレンジして失敗となったが、学びはあったのではないかと思う。

■2024年2月1日(木曜日)
 あるテレビ番組で、桐製品を扱う会社を取り上げていて、桐について初めて知ることがたくさんあった。桐は、木に同じと書くが、その文字が示す通り、木ではなく草なのだという。桐の板は1枚で材料が取れることはなく、ほとんどが接着剤でくっつけて板にするということで、接着剤には氣を使う必要があるとのこと。原木を仕入れて、2〜3年はあく抜きを屋外で行うのだが、雨ざらしにして雨や風に去らしておくとあくが抜けるのだという。
 桐は、日本では昔から良質な木材として重宝されてきた。素材が軽く、手に取ったときのぬくもりがあり、調湿性、断熱性、防虫・抗菌作用がり、強度も十分ということで、メリットがたくさんあるのが特徴。一般の木材は弱酸性なのだが、桐は弱アルカリ性らしく、酸化が進みにくいということで、調湿性もあるので食品の保存にも適している。
 我が家にも桐箪笥が一つあるが、それを除けば桐製品は見あたらない。テレビで紹介されていたのは、まな板、コーヒーの豆を保存するキャニスターやお皿を載せるようなトレーだった。桐のメリットを知り、これらの製品が欲しくなったが、お値段はやっぱりそれなりにするので、なかなか手の届かないものだと思った。



[昔のいずみ]