最近のいずみ

Last Update:2024/3/31



パートタイムアスリートいずみ 24年目に突入 

■2024年3月31日(日曜日)


ワカメ



久里浜の夜景
 久しぶりにゆっくりできる休日となった。朝の犬の散歩にいつもより時間をかけ、ゆっくりと地元の風景を眺めた。今の時期の港は、ワカメや昆布を乾燥させるためにたくさん干してあった。また、別の場所ではツバメがたくさん飛び交っていて、もう戻ってきたのかと驚いた。我が家の駐車場は、時々巣を作るのだが、また我が家に来て欲しいと思った。
 庭では菜の花が咲いてしまう前に最後のキャベツを収穫した。きちんとネットで覆っていたので、今年はモンシロチョウの被害には1つも遭うことがなく密度の高い良いキャベツが収穫できた。別の畝ではタマネギがかなり大きくなり、ジャガイモのキタアカリが土を押しのけてやっと芽を出した。垣根になっているウコギもかなり芽を出してきた。先日芝焼きをし、空氣を入れるために穴を開けていたのだが、やっと新芽が出てきた。どこを見ても春の兆しが確認でき、あとは桜が咲けば、完全に春なのかなぁと思った。

■2024年3月30日(土曜日)


強風で倒れたタマネギたち





次男は2番手
 市の記録会に出場する学生のために早朝に棒高跳びのポールの輸送をし、午前中は庭仕事。作事までの強風により、エンドウは茎が至るところで折れたり切れてしまったりして、なかなか修復は難しい状態になっていた。とりあえず今収穫できるエンドウ豆を収穫した。落ち葉堆肥の空気の入れ換えをやり、ちょっと腰が痛くなった。朝から異常な暑さだったので昨年収穫した里芋の一部を種芋にするために、太陽の熱を利用して種芋を温めた。そして長ネギを一度すべて抜き、改めて植え替えて、里芋を植える場所を確保し、種芋から芽が出るのを待つ状態となった。
 昼前から、次男が記録会で100mを走る横浜の三ツ沢競技場へ移動。ウォーミングアップから眺めることができ、動きを改善するため丹田を押す運動をしてもらったところ、すぐに動きが改善し、身體感覚が本当に優れた子だと思った。しかし、2週間の海外ホームステイなど、練習自体はあまりできておらず調子はそれほど良くないと話していた。次男が走ったのは28組目。1組からエントリー記録が上位の選手から並べられていて、28組はだいたい12秒ちょうどくらいのレベルのはずだった。しかしスタートしてみると、一人圧倒的な飛び出しをして、2位以下を大きく引き離してフィニッシュとなり、次男もスタートダッシュは良くスタートから2番手だったのだが、先頭の選手を氣になってしまったのか、どこか力が入った走りをしていた。結果は2位で11秒93。初めての11秒台ということで自己ベストを更新した。それほど練習のできていない条件なので、良かったのではないかと思うのだが、本人は不満そうだった。
 次男の走りを見た後は、横須賀の不入斗競技場へ行き、学生の試合を見た。短距離の学生達は、何名か自己ベストを更新していた。長距離は、氣温が高く、かなり厳しい環境だった。また来週以降、県記録会があるので、関東インカレ標準目指し頑張って欲しい。

■2024年3月29日(金曜日)
 週明けからほとんど運動ができておらず、もどかしい氣分がつのっていた。今日は、昼にバイクの30秒全力こぎ3セットと15分ジョグ、夜にバイク1000m全力こぎを10分休息で2セットと30分ジョグをした。
 30秒全力こぎは、1セット目はバイクをこぎ終わった後にモニターの数値を見ると全てが0となっており、バイクのコンピュータ自体が壊れている機種を使っていたことがわかり、2セット目からは別の機種に変更した。2セット目と3セット目は、きちんと数値が出て、先週と3週間前にやった時と比較して、数値が平均パワー、最大パワー、速度等全ての数値が向上していた。
 夜の1000m全力こぎは、1セット目が69秒73、2セット目は68秒78で、先週は72秒台だったことから、かなり数値は上がっていた。これをやる前は、憂鬱になるのだが、とにかく継続していくことで自分の能力が上がっていくことを信じ続けていこうと思う。
 バイクで脚が動かなくなったところからのジョグは、脚が麻痺している感じなので、最初は膝の違和感はなく動けていたが、20分前後くらいからちょっとずつ違和感が出てきて、最後の2分くらいはしっかりと痛みが出てきてしまった。終わった後の痛みのある部位の熱感が氣になるところだ。30分でも続けてジョグができたことは大きな進歩だ。

■2024年3月28日(木曜日)
 紅麹のサプリメントを飲んでいた人が亡くなったという事例が4名に増えた。L/Hを下げる効果があるとのサプリメントだが、先日のランニング学会で横紋筋融解症になった医師や心臓病の治療で走っている新聞記者からは、このL/Hを下げて腎臓の負担を減らす話が詳しく出てきていたことを思い出した。薬ではLを下げる作用を狙って投与し、Hを上げることのできるサプリメントはないという。Hを上げるには有酸素運動が有効とのことで、治療としてランニングをするということになる。紅麹を飲んでいる方々も有酸素運動を行うことで、サプリメントに頼らずL/Hを下げられるのではないかと思う。
 官房長官は、今日の記者会見で、政府がWHOや外国政府に紅麹の健康被害問題について情報提供し、「日本の食品への信頼確保に努める」と述べた。紅麹も重要なことだが、ワクチンの健康被害について情報提供するほうが優先順位としては高いのではないかと思ってしまう。2023年9月の公開情報では、ワクチンでの死亡認定が269名とのこと。紅麹とは比較にならない数だ。小林製薬は、健康被害のあった人が使用していたものについてロット番号をきちんと調べて原因の特定をしようとしているが、まだ何が原因だったかは発表されていない。ワクチンもロット番号により調査できるはずだが、中身を調査できないというルールとのこと。人の命がかかっているのに調査できないって何を最優先しているのか。人命よりも企業の利益としか考えられず、情けなく残念な状態だ。

■2024年3月27日(水曜日)
 小林製薬の紅麹の健康被害が連日報道されている。この紅麹により因果関係が疑われる2名が亡くなり106人が入院となり、約3000件の相談が厚労省に寄せられているという。この紅麹の原料を使ったイオンではプライベートブランドの食品7品を自主回収すると発表した。
 消費者担当大臣は、機能性表示食品の摂取による健康被害の発生が他にもないか緊急点検する旨を話しているが、たくさんの人が被害を訴えている薬品の新型コロナワクチンが無視されて、この食品がこれだけ騒がれるというのが、どうも納得がいかない。この食品について、因果関係が疑われる2名の死亡がこれだけ騒がれるのであれば、それよりも被害の大きいワクチンについてはもっと騒がれるはずなのだが、政府もマスコミもなかったかのような態度を継続している。どういう裏があるのだろうか。氣になってしまう。

■2024年3月26日(火曜日)
 次男が約2週間の海外ホームステイを終え、帰国するということで、羽田空港まで迎えに行った。初めて国際線ターミナルとなる第3ターミナルへ行ったのだが、駐車場の行き方からどうすればよいかわからず、ドキドキしながらの往路だった。
 次男は、行きの最初の飛行機で鼻血が出て、その後乗り換え後の飛行機でも鼻時が出てなかなか止まらず食事を摂ることもできず大変だったようだが、ホームステイ中は鼻血が出ることなかったとのこと。しかし、帰りの飛行機を待つ間にまた鼻時が出て、お土産を買う時間ずっと鼻血を止めることに専念せざるを得ず全くお土産が買えなかったと話していた。しかし、ホストファミリーがある程度購入してくれていたようで、ある程度お菓子などのお土産はスーツケースに入っていた。しかし、それだけでは足りないようで、帰宅後、ウェブでお土産を買うべく検索していた。
 ホームステイ先では、射撃など日本では経験できないような体験をし、楽しめたようだが、とにかく肌が荒れてしまい、感覚としては食事もおいしく食べられたのかもしれないが、體には会わなかったのかもしれないとのことだった。
 かえったらすぐに、ホストファミリーに電話をし、画面を通じて、お互いの家族を紹介しつつ会話ができた。長男が4年ほど前にホームステイに行った際には、長男はホームステイ後全く連絡を取らず、こうした交流がなかく、現地で撮影した画像すら見せてもらえなかった。今回は、家族で交流ができ、これを見ていた三男も英語を勉強してみようというモチベーションが上がったようで、良い交流ができたと思う。今後も、交流が続けばいいなと思っている。

■2024年3月25日(月曜日)
 作家のさとうみつろう氏の昔のブログで「イガイノ・マエノイ」というタイトルの文章を読んだ。人の感情がわく前には「イガイノ・マエノイ」があるという。何か事が起こったときに意外と思うことがあるが、それは意外と思う前に、自分の固定観念や期待や決めつけがあって、それとは違った結果なので意外と思うことになる。漢字に直すと「意外の前の意」となる。何かを期待するから落胆がある。自分で勝手に意外の前の意を仕込んでおいて、勝手に喜んだり落ち込んだりしているというのが今自分たちがやっていることなんだよと教えてもらった。自分の中の重要度というものは人ぞれぞれであり、全ては自分次第ということで、その自作自演を楽しみたいときは楽しみ、そうでないときには何も仕込まず、そのままを受け入れるようにするということで、自分自身を上手くコントロールしてみてはどうかという内容だったのだと思う。視点を変えて、自分を遠くから観察しないとなかなかイガイノ・マエノイを見つけることはできない。自分から少し離れた視点を持ってみるのも面白いと思った。

■2024年3月24日(日曜日)


テレビ塔





時計台
 一昨日は、屋外を走ったため雪の影響があり、さらに信号の影響が大きかったので、今朝はメイン通りの下に長く連なる地下通路を走ってみた。一昨日は10分も経たないうちに右膝の痛みができたが、今日は、いろいろと用心しながらゆっくりと走り、目標は30分走ると決めて、27分くらいから痛みが出てきて、何とか目標の30分を走りきった。走れる時間が延びて、自分が成長したような氣分になれた。
 学会は2日目、午前は口頭発表とワークショップがあり、午後はシンポジウムだった。
最も印象に残ったのはワークショップ。テーマは「ランニング効率アップのための秘訣:ナンバ走り!」だった。講師の矢野先生の本は、20年近く前に読んだのではないかと思うが、20年以上ずっと氣になっているキーワードだ。直接実技指導をしてもらえるというのがうれしかった。一般的なナンバ走りのイメージは間違っていて、體と対話しながら、ちょっと動かす際のイメージを変えることで骨で動くようになる。特に走りでは、骨盤と胸郭を上下に動かして使うことがポイントだった。これを実践していたのが100m世界記録保持者のボルト選手だった。指導者目線では、スピード練習というモノは、速く走れる動きをすることがメインで、速く走ることではない。速く走れる動きができているかどうかを見るのが指導者だと述べられていた。骨が支えているかどうかは、ゆっくり動かすとわかり、筋肉を使う場合は、プルプルと震えるが、骨で動かす場合は、前進をどう動かすか體が勝手に考えてくれ、震えることはないとのことで、骨ストレッチで指導されていることと同じなのではないかと思った。結局自分の體の声を聞くということに尽きるということだ。
 学会は終了予定時刻よりもオーバーし、搭乗口は手荷物も人も列をなし、危うく飛行機に乗り遅れるところだった。帰りの飛行機は、鬼滅の刃のラッピングされた飛行機だったようで、副機長が竈門炭治郎とのことで、機内放送は、副機長から話があるとのことで、炭治郎からコメントがあった。この飛行機では、行きに見た映画を残り半分無事に見ることができ、モヤモヤが解決し、スッキリして帰宅することができた。

■2024年3月23日(土曜日)


日の入り




繁華街中心地
 ホテルの朝食を食べに行くと、中国人観光客だらけで、並んでいる列に関係なく横から入ってきたり、とにかく大声で話し、迷惑な連中だと思ってしまった。街中を歩いていてもこういった人たちが目立つ。日本には「郷に入っては郷に従え」となるが、彼らは、どこへ行っても自分たちのやり方をするということなのだろう。海外に日本人街があまりないというのは、こういった文化の違いがあるからなのではないかと思えてしまった。
 ランニング学会は初日。午前は、前回の優秀賞公園、学会のプロジェクト事業報告、特別講演があり、午後はシンポジウム、特別講演とポスター発表が行われた。
 特に印象に残ったのは、午前の特別講演。ウルトラマラソンを走ったことにより横紋筋融解症と急性腎不全を起こし、緊急入院し、その後回復してまたランニングに復帰するまでを体験した医師と、心臓病を患い、その治療として有酸素運動が推奨されたことからランニングを始め、今では200キロ越えの競技に挑戦するまでになった新聞記者が講演された。お二人とも命が危ないというところを経験し、どのようにすれば自分をコントロールしランニングができるかを探求し続け、様々な教訓を語ってくれた。お二人とも、自分の體の声に耳を傾けることが最も大事だと述べられていて、骨ストレッチで言われていることと同じで、自分の実践していることは間違っていないと思った。
 夜は、20年以上前にクラブチームで一緒だった先輩と久ぶりに再会し食事をした。北海道でしか食べられないような魚介類をおいしくいただくことができた。その後ラーメンを食べに行こうということになったが、ラーメン横丁も新ラーメン横丁もお客さんで列ができていて、どこにも入ることができず、再会を願って別れた。

■2024年3月22日(金曜日)


雪が残っています
 明日からの学会へ向け札幌へ移動。久しぶりに飛行機に乗った。何年ぶりの飛行機だろうか。全く記憶がない。座席の前についている液晶画面が昔よりも大きく、自分の座る座席からの距離が近すぎて、逆に見づらいと思った。以前は、液晶画面が目の前に当ても映画などの動画を見ることは別料金だったようなイメージがあり、いつも落語を聞いていたのだが、今は、選択肢が増え、映画を見ることもできて驚いた。搭乗時間は90分ほどしかなく映画を1本見ることはできないのだが、なんとなく「ミステリと言う勿れ」という邦画を見た。機内放送などで時々映画が止まってしまう関係上。2時間08分程の映画を1時間09分まで見ることができた。まだあと半分残っていて、いろいろな謎が解けずモヤモヤしたまま。絶対に帰りの飛行機でこのモヤモヤを解決して帰ろうと思う。
 以前札幌を訪れたのは、20年前の2004年7月のホクレンディスタンスチャレンジ。気温が17度しかなく夏でも寒いという印象が残っている。今日の札幌は、月曜の大雪の影響で、歩道には除雪された雪が積み上がっていた。せっかくなのでランニングをしてみたのだが、5分で右膝に違和感が出てきて、10分で痛みとなり、そこで引き返した、なんとかごまかしながら20分走った。體の悲鳴が続いているということで、何かを変えなければならない。

■2024年3月21日(木曜日)
 右膝の痛みが続いているため、今日も練習はワットバイク。30秒の全力こぎを120秒休息で3セット。ペース配分を考えずとにかく全力で行っているので、後半の回転数の落ち方がひどく、3セット目の最後は、ペダルに全く力が伝えられない感じになってしまう。以前は、3セット目までなんとか力を加え続けることができていて、きちんとペダルをこげている感覚があったので、もどかしくてしかたない。
 昨日は1000mの距離で全力こぎをしたのだが、一番良かった頃と比べると7秒も遅い。現状を受け入れて、走れない間は、定期的にこぎ続け、少しでも長く力がペダルに伝えられるよう自分自身の動き方を意識しながら向上させていきたい。

■2024年3月20日(水曜日)


芝焼き
 久しぶりに芝の手入れ。茶色くなった芝の隙間に夏場に刈った枯れた芝(サッチ)がたくさん入っていて、新芽の成長に悪影響を及ぼすので、まずはサッチを熊手でかき集めつつ、均等に広げ、火を放ち芝焼きをした。昨年は、芝刈りの回数が少なく、芝が伸びたまま放置されていたじょうたいだったため、火もよく燃え広がってくれた。しかし、芝の短い場所は、火が燃え広がらず消えてしまったため、結局、ガスバーナーを使って例年通り、芝を焼く必要が出てきてしまった。例年よりはその面積は少なく、例年よりは作業量としては少なくてすんだ。昨年は芝刈りだけでなく雑則抜きもさぼったため、既に雑草の新芽がたくさん出てきていた。特にツメクサは多く、今年もツメクサに覆われる可能性が高いと思った。
 芝焼きの後は、垣根のウコギを支えるために、3段階に分けて縄を巻いてウコギを安定させた。その後、ブドウ枝をその縄の上に載せ、今年枝を伸ばす方向を誘引した。目標は、ブドウの木が垣根となりつつ、ブドウを実らせること。昨年ブドウを植えて、今年は2年目、まだまだ実るには時間がかかるかもしれないが、垣根に絡まるように上手く誘引させたい。

■2024年3月19日(火曜日)
 水泳の代表選考会は3日目。
 女子400m個人メドレーでは、前回オリンピックチャンピオンの大橋選手が出場したが、派遣標準を突破できず4位。優勝は高校2年生の成田選手。派遣標準記録を突破し見事代表となった。  男子200m自由形は、日本の第一人者松元選手が力の差を見せつけて優勝し、派遣標準記録も突破し代表入り。
 男子100m背泳ぎは5大会連続の代表を狙っている入江選手が出場したが2位。誰も派遣標準記録を突破できず、代表はなしとなってしまった。
 女子100m平泳ぎは、ベテランの鈴木選手が優勝し2大会ぶりに代表となった。
 昨日同様、有力選手であっても決勝で派遣標準記録を突破できなければ代表になれないという厳しさを見せつけられた。有力選手は、複数種目エントリーをしているので、次の種目で代表権を勝ち取れることを願っている。

■2024年3月18日(月曜日)


富士山
 連日NHKで水泳の国際大会代表選手選考会が放送されている。水泳は、日本選手権で代表選考会をするのではなく、わざわざ別に代表選考会を設けているというのが陸上とは違う。
 今日注目していたは、男子400m個人メドレーの瀬戸選手と女子100mバタフライの池江選手。
 男子400m個人メドレーは、1位の松下選手が派遣標準記録を突破し代表を決めたのと対照的に2位となった瀬戸選手は、派遣標準記録にわずかに届かず、代表から漏れてしまった。  女子100mバタフライの池江選手は2位となったが派遣標準記録を突破でき代表が決まった。
 男子100m平泳ぎは、有力選手がたくさんいて、体育学校の渡辺隼斗選手も決勝に名前が並んでいた。しかし、一人も派遣標準記録を突破できず代表はなし。渡辺選手は5位だった。
 水連の派遣標準記録は、2017〜23年のオリンピックや世界選手権の記録を基に世界10位相当のタイムが設定されていて、今年のオリンピックは8月なのに、今の時点でそのタイムを出さなければ代表になれないというかなり厳しい選考基準だ。陸上で同じことをしたら代表選手は北口選手だけなのではないかと思える。水泳の選手たちのプレッシャーは陸上競技の選手とは比較にならないだろうと思えてくる。

■2024年3月17日(日曜日)


出走前の子どもたち
 昨日は、1日屋外にいて花粉にさらされたためか、昨夜は、鼻づまりでほとんど眠れなかった。運動をすると鼻が通るということがわかっていたので、4時ごろに10分ほどランニングをしに外へ出て、その後40分ほど眠ることができた。花粉症がひどくなると、鼻づまりの薬は、あまり効かないということが残念だった。
 今日は、北下浦ふるさとマラソンの5kmにエントリーしていたが、膝の痛みのため棄権。三男が2kmに出走するので、そのサポートに出かけた。今日は、強風が吹き荒れ、大人でもなかなか前に進めないほどの向かい風があり、向かい風の区間の方が長いので選手達にとってはかなり厳しい環境だった。当然、記録も悪く、三男も昨年より記録を落として納得がいかない様子だった。三男の陸上友だちは、3位に入賞。どんな悪条件でも強い人は強い。昨年40代で優勝した方は、今年は50代となり、40代よりも速いタイムで優勝されていた。来年は、自分も参加して50代での優勝争いをしたい。

■2024年3月16日(土曜日)


新国立競技場
 関東学連春季オープン競技会で新国立競技場へ。学生との連携が上手く取れていなくて、棒高跳びのポールを学生に受け渡すのになかなか連絡が取れず困ったが、なんとか学生が十種競技の合間に連絡がつき、ポールを受け渡すことができた。
 今日は選手やスタッフなど、立場によって使用できるエリアが違ってはいたが、バックスタンドにも入場できるなど、今まで新国立競技場でやってきた大会と比較して、ただの記録会なのにかなり自由に競技場が使える環境になっていた。天氣はよく氣温も適度。混成競技の選手にとっても動きやすい環境だったのではないかと思う。
 学生が出場した種目は、男女の混成競技、男子400m、800m。男子十種に出場した1年生は、初の十種競技。昨日は走り高跳びで記録なしとなってしまったとのこと。今日は専門種目の棒高跳びがあったのだが、疲労の中での跳躍なのに最終的にシーズンベストと同じ4m70mを記録した。1500mもベストということで、最後までベストを尽くして頑張ってくれた。競技後の選手たちは、他の単独種目の選手とは違い、やり切った感は相当なものだろうし、一緒に競技をやってきた選手同士のつながりも他の種目とは違ったものがあったのだろう。選手同士の連帯感があり、終わった後の選手みんなで、一斉にユニフォームを投げ上げる姿が印象的だった。

■2024年3月15日(金曜日)


家族で





久里浜港周辺
 三男の小学校の卒業式。長男から始まって三男が卒業するまで14年間小学校にはお世話になった。妻はPTAの役員も経験し、PTAというのは名ばかりで、Pしか活動していないことがわかり、Tの協力が得られいため、個人情報の関係で学校で持っている生徒の名簿をもらえないため、名簿の整備は自分たちで直接行わなければならず、とても大変だった思い出が残っている。そもそもPTAは必要なのかと思うばかりの活動だった。
 三男が3年生の終わり頃から、新型コロナが流行りだし、イレギュラーな2年があった。最後の1年は、学校へ行く時間になると腹の具合が悪くなりトイレへ閉じこもり、そのまま学校へ行かない日々が続き、6月以降は1週間全て学校へ通ったという週はほぼなかったのではないかと思う。学校へ行くにも自分の出勤の際に車で送らなければ学校へ行かなかった。そして今日も車で送ることとなった。中学校ではそうはならないで欲しいと願うばかりだ。
 卒業式では、全員何らかの役割があり、一言声をだすような場面があったのだが、三男は背中を丸めて面倒くさそうに声を発するなどイヤイヤ感が醸し出されていた。多くの子どもたちが面倒だと思いながらも、大きな声で自分の役割を果たそうとしていた。学校とは、軍隊のように先生の言うことを聞く子どもたち、ロボットのような子どもたちを作る場所なのかもしれないと思った。言い換えればそれが常識で、それに反抗したような1年を送ったのが三男だったのかもしれない。ある意味良くやったと褒めるように三男には伝えた。
 それをさらに実感することになったのは、子どもたちが解放されて、互いに写真撮影などをしているときに、特定の子どもたちは、写真よりもある先生を捜して動き出した。三男が3年生の時に担任をした先生だった。このクラスだった子どもたちが先生の元へ集まったのだった。このクラスは、生徒のやりたいことをやりたいようにサポートしてくれ、常に生徒が主体的に動くなど、素晴らしいクラスだった。三男も毎日が楽しく、口を開けば担任の話をしていて、いまだにその話をしている。先生は、当時の思い出を一番の思い出にしないで欲しいと三男に話してくれた。その理由は、列車での旅の話で、当時もしたそうだが、最初の駅で降りて、そこでのできごとに満足して、先の駅へ進むのを止めるのではなく、その先にはまだまだたくさんの駅と楽しみが待っているのだから、とのこと。素晴らしい例えだと思った。先生のことが記憶に残らないくらい、もっと楽しいことがあり、それに向かって進んで欲しいなんて、なかなか言えるものではない。先生の理想とする教育は、どうやら今の学校教育からはどんどんかけ離れていくようで、もどかしそうだった。こういう自由な発想が子どもたちを引きつける理由だったということが理解でき、三男が一人でも信頼できる先生に出会うことができ本当に良かったと思った。

■2024年3月14日(木曜日)
 イスラエルは、パレスチナ自治区ガザ地区に対して、相変わらずひどい攻撃を加えているという報道が続いている。食糧配給センターが攻撃されたとのことで、食糧の供給が底をつき、飢えが蔓延し、一部では飢饉になりつつあるとのこと。ウクライナを攻撃するロシアを非難している国々はどうしてイスラエルに対して非難しないのか。人権についてうるさいはずのアメリカやヨーロッパは、なぜ攻撃を止めさせる具体的な行動をとらないのか。敵対している国が攻撃しているわけではなく友好国が攻撃しているのだから、何かしてくれよと思う。ダブルスタンダードというようにしか見えず、国際政治は破綻しているとも言える。イエメンとアメリカとの関係はその後どうなったのか?海外のニュースは、日本語では断片的にしか入手できず、何がどうなっているのかわからない。海外の情報を翻訳を通して読もうというエネルギーはなく、そこで停止してしまっている自分が悪いとも言える。

■2024年3月13日(水曜日)
 大企業の労働組合が賃上げ要求をし、多くの大企業で賃上げが要求通りだったり、要求以上の回答があったようだ。日本では、個人事業主を含む中小企業が99%以上で、従業員数では約7割とのこと。大企業の賃金が上がるというのは、従業員の約3割程度。大企業の賃上げの影響が、どのくらい中小企業に影響を及ぼすのか。賃上げは企業の経営状況によるもので、首相が賃上げを要求したところで、売上が上がるわけではなく、あまり意味のない要求に思えたりする。下請けの中小企業は、大企業に値切られて、その要求に応えなければ仕事自体がなくなるというプレッシャーの中で経営をしなければならないというイメージがあるのだが、そいうパワーハラスメントのようなことは、今はないのだろうか。
 高校1年生の時に現代社会という授業があったのだが、先生は、ひたすらトヨタ批判を繰り返していた。下請けは、いつも犠牲になると教えていた。共産党のビラを駅前で配るほどの方なので、かなり偏っていたとは思うのだが、中小企業というと大企業にいいように使われてしまうというイメージが埋め込まれてしまった。
 外国人労働者をどんどん入国させる日本の政策は、人件費を低く抑えるための政策なのではないかと思え、日本国民の生活の質を向上させる方向には動くようには思えない。
 とにかく大企業の賃上げの話題を耳にする度にモヤモヤしてしまう。

■2024年3月12日(火曜日)
 アメリカの士官学校に入るための体力の基準を確認している際に、30フィートの距離のシャトルランという種目があり、そのタイムが8秒台となっていて、30フィートがどのくらいの距離なのかが全くわからなかった。種目の説明には、長さの単位として、フィートとヤードというものがでてきて、調べてみると、繰り上がりかたに一貫性がなくて驚いた。  フィートの下の単位はインチで、自転車のタイヤの大きさで馴染みがある単位だった。1インチは2.54センチメートル。1フィートは12インチ。1ダースの12というイメージがあるので、12進法なのかと認識。しかし、1ヤードは、3フィートだった。12フィートじゃなかった。さらにヤードの上の単位はマイルなのだが、1マイルは1760ヤードだった。訳がわからない。ちなみに1マイルは1609.344メートとのこと。陸上競技では、1600mリレーのことをマイルリレー、トラック4周の競技を1マイルと読んでいるが、正確な1マイルではないということか。メートル法に慣れている人には、この一貫性のない単位に慣れるには時間がかかりそうだ。

■2024年3月11日(月曜日)


つくし発見
 例年この時期は鼻づまりになり眠れないということが続き、寝不足になるのだが、今年は、夜中に目が覚めたのは1回だけ。完全に鼻づまりになって呼吸ができないという状態になることは1度もなく、比較的症状が軽い。例年は少しでも花粉を吸い取ってもらえるよう空気清浄機を使っているが、今年は症状が軽いため空気清浄機も使っていない。例年と何が違うのかと考えてみたのだが、違いと言えば、寝る前に水素を吸っていること。水素を吸うと柔軟性が高まる実感があるのだが、筋肉が緩むことで鼻づまりも緩和しているということなのだろうか。
 昨日は、半日屋外にいて花粉にさらされたので、鼻水も良く出て鼻づまりにもなった。しかし、昨夜は、なぜか鼻が通ってよく眠れた。久しぶりに目覚めも良く氣持ちの良い眠りだった。鼻が通ることが何と幸せなことかとしみじみと思ったりもした。今夜以降も鼻が通って眠れることを信じよう。

■2024年3月10日(日曜日)


子どもたちの走り
 年に1回の子どもたちの体力測定。身長、体重、握力、垂直跳び、50mを行った。身長は、長男が昨年2cm以上縮んでいたが、そこから1.4cm盛り返していた。次男は3cm、三男は10cm伸びた。次男と三男は4歳離れているのに、身長は3cmしか違いがなく、靴の大きさに至っては次男よりも三男の方が0.5cm大きくなっていた。体重については、部活でウェイトトレーニングを始めた次男は7kg、三男は身長の伸びと同じように8kgも増量していた。長男は、運動する機会は減ってきて不規則な生活をしているため、6kgほど増量して、自分と同じくらいの体重となっていた。
 握力は、長男が昨年よりも記録が低くなり、次男と三男は高くなっていた。垂直跳びでは、昨年8cm記録を下げた長男が昨年より3cm向上、次男の記録は、なんと73cm、三男は昨年より3cm下がった。
 メインの50mは、長男は、ウォーミングアップの時点で疲れてしまいそうで、本数は走れないかもしれないと話していたが、3本走り、昨年とほぼ同じくらいのタイムで走れていて驚いた。次男と三男は、昨年よりも記録を伸ばした。さらに最後にスパイクを履いて走ったのだが、次男はランニングシューズで走ったときのタイムとほとんど変わらなかった。次男は、三男のスパイクを借りて走ったのだが、大きく記録を伸ばしていた。同じスパイクを履いていて、次男ははねる走りができているが、三男は歩幅は広がったがピッチが低下し、あまりはねていないので、走る技術の差が大きく出たのではないかと思った。
 これで8年連続で記録の計測ができた。3人がケガなく毎年記録の計測ができているというのが素晴らしく、無事に計測ができてホッとしている。また来年も同じように計測できればと思う。

■2024年3月9日(土曜日)
 午前中は、学生たちの練習だったが、来週の試合に向けて、500m+300を3セット。つなぎは90秒で、セット間の休息は20分。ここ2〜3週は、定期試験もあり、学生たちはあまり練習ができていなかったはずだが、最初からかなり速度を出して、突っ込んだ走りをし、後半體が動かない中でなんとか動かすという中距離的な練習ができた。タイムを読みながら見守るこちら側は、自分も一緒にやりたいというもどかしさばかりがつのった。
 練習後、普段通っている接骨院へ行き治療。昨日の受診結果を院長に話し、医師の言うように、骨の問題であれば、接地時に痛みが出るはずだが、痛みは遊脚期なので、あまり氣にする必要はないと言われ、自分の考えていることと方向性は同じだということがわかり一安心。しばらくは、遊脚時の動きに力を発揮する腸腰筋に刺激を入れる運動をしてみてはどうかとアドバイスを受けた。
 午後は、久しぶりに庭仕事。最初に落ち葉堆肥の空気の入れ換え。今年は、落ち葉の量が少なかったので、作業量は少なく、今までより短時間で作業が終わった。その後は、垣根を支えている縄が至るところで切れてしまい、垣根が好きな方向へ伸びてしまっていたので、あらためて縄を3つの高さで張り替え、同じ場所に植えてあるブドウの枝を誘引し、春を迎える準備ができた。

■2024年3月8日(金曜日)


なめらかではない骨
 昨日のダメージは大きく、ランニング時だけでなく歩行時の遊脚期に右膝の痛みが発生するため、医務室へ受診。レントゲン撮影をし、医師から下された診断は、骨棘だった。正面から撮影した画像には、大腿骨と脛骨それぞれに、ぽこっと出っ張ったような骨が見つかった。大腿骨側は、大腿骨の真ん中の窪んだ部分に突起で、脛骨は内側の外側の縁が変形したような突起だった。
 変形性膝関節症と言うほどのものではないが、ちょっと骨が変形して棘のように出ているので、このあたりの変形が痛みと関係しているのではないかとの診断だった。加齢の影響もあり、改善方法は特にないので、特に内側広筋の筋力維持のためのトレーニングをしつつ、痛みの出る無理な運動は避ける方がよいとのアドバイスを頂いた。
 2017年に左脚で脛骨の同じ位置で、今回より小さい本当にとんがった骨棘が見つかり、長く痛みが続いたことがあったが、これも時間が解決した経験があるので、加齢の影響とは考えられず、骨棘ができやすい體であり、最終的には時間が解決するという方向で考えれば良いのではと個人的には思った。
 しばらく、走れないもどかしい時間が続くが、走れるようになることを信じて、できることをやり続けるしかない。

■2024年3月7日(木曜日)
 久しぶりに長距離パートの学生と練習。メニューは400m×10。つなぎは、60秒以内の200mジョグ。自分は2週間以上まともに走っておらず、このつなぎにはついていけないことがわかっていたので、400mをジョグして1本おきに5本走ることを目標にした。
 1本目は73秒6。呼吸もそれほど荒れることなく楽に走れた。1本休憩してゆっくりと400mをジョグすることができ70秒の設定で走っている学生について2本目に入った。
 2本目のタイムは70秒7。走っている途中から右膝に違和感を感じ始め、つなぎのジョグでさらに痛みが出てきた。しかしまだ痛みはそれほど強くなく3本目を走った。
 3本目を走っているときは、ジョグほどの痛みがなく走れ、タイムは70秒4。しかしつなぎのジョグになると痛みが強くなってきた。400mのジョグの休息の間に関係する筋肉をほぐすなど、痛みが緩和しそうなことを行い、膝に「もう1本お願いします」とお願いしながら何とか4本目もスタートした。
 4本目は70秒3。目標は5本だったので、そのまま痛みを我慢して5本目も走った。最後は69秒5。膝のことを常に氣にして走っていたためか、呼吸に関してはあまり追い込まれることなく一応目標の5本を達成。
 速度が速いと痛みは軽減される感じもあるが、ジョグができないというのがつらい。

■2024年3月6日(水曜日)
 体育セミナー2日目。午前は、体育学校が行ってきた様々な検討の内容についての紹介があり、その後、東海大学の有賀先生による、筋力についての講話があった。ちょっとしたアイソメトリクスの運動を行うだけで、すぐに筋肉はパンプアップするということを、参加者全員で体験するなど、実践的な内容で、現場の体育指導者には取り入れやすい内容だったように思えた。
 午後は、午前中に説明のあった陸自体力検定で低体力者とされている隊員たちの体力向上トレーニングについて実技指導があった。腹に力を入れておくドローインが強調され、ドローインした状態での自重による筋トレが推奨されていた。個人的には、好まない方法なのだが、現場の人たちがどういうことをしているのかを体験する必要はあるので、一緒にやってみたが、やっぱり自分の體は拒否しているということがはっきりした。正解はないと思うので、多様性と言われているのだがら、全てを否定せず、他にも何か良い方法を検討してもらえるといいなぁと思った。

■2024年3月5日(火曜日)
 出張で久しぶりに自衛隊体育学校へ行った。電車で移動したのだが、和光市駅の駅ビルが大きく変わっていて、時が経ったことを感じた。駅前を除けば、20年ほど前とあまり変化はなく、懐かしさを感じながら、駐屯地までの道を歩いた。
 体育学校では、陸海空の体育責任者や指導者が集まって、体育セミナーというイベントが開催された。2日間の開催で、初日の今日は、体育学校に関わる様々な紹介と陸海空に別れて現場の体育責任者や指導者による、現場の問題点やその改善策などを話し合う場が設けられ議論が行われた。どの現場も、任務が多様化し、体力を維持向上させるための時間を作り出すことが年々難しくなっているとのことだった。部隊指揮官が体育に協力的かどうかで、その部隊の体力が決まってしまうという傾向がありそうだった。以前であれば、勤務時間外で体力錬成ということも当たり前にやられていたが、働き方改革と言われるように、勤務時間内で行わなければならないということになると、以前のようにはいかない。解決は簡単にはできないとは思うが、毎年測定をして一定レベルは保つ必要はあるので、最後は、隊員一人一人の意識にかかってくるということなのだと思う。

■2024年3月4日(月曜日)
 ワットバイクプロで30秒全力こぎを3セット。久しぶりにコンピューターが正常な値を出すバイクをこぐことができ、どれだけ自分の能力が落ちているかということを思い知らされた。
 今回の平均パワーは1セット目から600W、575W、531Wだった。ピークパワーは892W、947W、839Wだった。2016年6月から2018年3月の練習日誌を見てみたところ、そのころは、平均パワーは600〜700W、ピークパワーは1000W以上となっていた。6年以上前の記録なので、低下は仕方のないことなのだが、実際にバイクをこいでいても後半の落ち方が激しく、最後までこぎ切れていないのは実感している。今後は、定期的に実施し、少しずつ数値を上げていきたい。

■2024年3月3日(日曜日)


日の出



4年生最後のレースでした
 三浦国際市民マラソン当日。自分は、右膝の痛みが回復しないため、学生や子どもたちの荷物番。男女とも5kmはケニア人ランナーが優勝した。女子のタイムが15分台で、男子の6位入賞ラインに近いタイムで驚いた。中距離の学生たちは、一人も彼女に勝てなかった。学生で最も良かった結果は、16分06秒で7位。4年生の中距離責任者ということで、最後まで後輩たちには背中を見せる形で陸上競技部としての最後のレースを終えた。2年生の途中から転部してきて、その後は本当に熱心に活動してくれ、責任者になってからは後輩達の面倒もよく見てくれた。2年半の活動に心から感謝したい。
 5kmには我が子も含め陸上教室の子どもたちも参加した。21分台が3人、22分台も3人で、三男は23分01秒で、友だちからは少し遅れる形となったが、1年間成長痛で満足に運動ができなかったことを考えれば、よくぞ5kmを走りきったと褒めてやりたいと思った。3月中にもう1回2kmのレースがあるので、そちらも頑張ってもらいたい。

■2024年3月2日(土曜日)
 右膝の痛みは日常では全く氣にならないので、午前中は少しジョグをしてみたのだが、5分もすると痛みが発生し、まだ時期尚早だと理解しすぐに中止。何年か前に同じように膝がいたくなったことがあったが、骨が問題だと言われ、骨だとどうすることもできないのだが、時間が経っていくうちに何となく痛みがなくなり、何となく運動ができるようになり、競技復帰した経験がある。今回も何となくになるのだろうか。自分の體と対話しながら探っていくしかない。
 午後は、小学生の陸上教室へ。年度最後の通常練習となり、子どもたちは、横須賀総合高校のグラウンドを使って、駅伝をやった。距離としては1人700mくらいで、まずは1回競争してみて、その結果からスタート時刻にタイム差を付けて、2回目の競争をさせた。半分くらいの子どもたちは、長距離を走るのは好きではないように見えるが、チームを組んで競争をするとなると、ちょっとモチベーションが変化し、みんな頑張って走っていた。久しぶりに長男も参加し、普段は、ゲームか動画という状態で運動不足のため、本人の理想とする走りとはかけ離れているとは思うが、とにかく最後の練習に参加でき、明日の三浦国際市民マラソンの刺激にはなったのではないかと思う。

■2024年3月1日(金曜日)


もうすぐなくなる駅前ビル
 中学時代の友人と飲んだ。昨年のよこすかシーサイドマラソンで中学卒業以来の再会をし、その後また会おうと約束していた。彼は飛行場に関連する施設の設計を長らくやってきた技術者で、今はその営業で、毎週のように全国の飛行場へ出張するなど、とても忙しそうなのだが、出張でたまった飛行機のマイルで、1月は別大マラソン、2月は大阪マラソンに出場するなど、時間を見つけてはトレーニングをし大会にも出場しているという本当に多忙な生活をしていた。
 彼とは中学2年生の時に仲良しになったが、3年生になるとクラスが変わってしまい話さなくなってしまった。ということで、中学卒業後は、何をして今に至っているのかお互いに知らないのでいくらでも話が続く感じだった。彼が飛行場関連の仕事をしているので、1月2日にあった海保機とJAL機の事故についても、マスコミでは出てこない別の視点から話も聞くことができた。
 お互いが意外と近くに住んでいることがわかったので、また定期的に飲めればと思う。



[昔のいずみ]