最近のいずみ

Last Update:2025/1/31



パートタイムアスリートいずみ 25年目に突入 

■2025年1月31日(金曜日)
 昨年、子どもの学費を捻出するため、保険を減額したのだが、運用益が出ていることもあり、確定申告が必要なので、保険会社にどのくらいの運用益が出ているのか確認したくて、保険会社に電話をしてみた。
 電話がつながったところで、音声案内が始まり、いちいち番号を入れて進まなければならず、時間がかかって面倒だなぁと思っていたのだが、今回は、自分で番号を入れる方式ではなく、最初に番号を押した後は、AIが対応するとのことで、名前や生年月日など、必要なことは、ただしゃべれば対応してくれ、要件についても、普通に話をするだけで対応してもらうことができた。今までであれば、必要事項を数字で入力し、その後、オペレーターにつながるまで待つしかないという方式だったが、今回は、AIに話しかけた後は、すぐにオペレーターにつながり、つながった時点でオペレーターもこちらの要件をすでに理解した状態で話が始まるということで、とても短時間で用事を済ませることができた。改めてAIってすごいと思ってしまった。

■2025年1月30日(木曜日)
 14年使い続けている洗濯機の洗濯槽洗浄を昨日初めて行った。洗濯機には、洗濯洗浄のメニューがあり、専用の洗浄剤を購入し、スタートボタンを押してみると残り時間が13時間。終わってみると、カビキラーのような臭いが洗濯槽の中から臭ってきた。ここ最近は、洗濯が終わるとフィルターを清掃するように警告が出るのだが、フィルターは常に汚れはない状態で警告が出ているので、別のところが詰まっている可能性が高かった。今日は、洗濯槽洗浄後の洗濯を行い、警告が出ることなく洗濯を終了してくれた。洗濯槽には、カビキラーのような臭いは残っているが、洗濯物にはそういった臭いはなかったので安心した。このまま警告が出ることなく、洗濯機を使い続けられるといいなぁと思っている。

■2025年1月29日(水曜日)
 妻が次男の担任と話をする機会があり、最近の学校での次男についての様子を教えてもらった。次男が学校で突然泣き出した日があり、先生はとても心配されたそうだが、後日、次男から先生にインコが亡くなったことなど、いろいろと涙の訳を説明したとのことだった。インコが亡くなった翌朝の遅刻は、喪失感が大きかったということだ。学校でも制御しきれず涙を流すくらい、氣持ちが落ち込み、家でも棘のある言動となったのだということだ。
 毎朝犬を散歩していて、犬は、今を一生懸命生きているように見えてくる。氣になる場所があれば、必死にそちらへ向かおうとするし、臭いを嗅ごうとする。目的地があるわけではなく、目の前の事に集中しているように見えながら、ただ寄り道を楽しんでいるようにも見える。昨日の次男の常に緊張して差し迫った感じと比較すると、何と穏やかなのかと思ってしまった。とにかく時間がないと思って生活しているので、思った通りの現実が目の前に現れるのだと思うのだが、犬のように少し寄り道をしながら、今を楽しみつつ目標に向かっていってほしいなぁと思う。

■2025年1月28日(火曜日)
 次男は学校が終わった後、塾へ寄って、夜遅く帰ってくる。その後夕食と風呂を済ませ、勉強をするか寝るという生活を送っている。今日は、塾から帰って来るなり、塾の勉強が遅れているから学校へ行かずに勉強したいと言い出した。塾の先生からも勉強が遅れていることを指摘されたのだという。学校へ行くのが大前提で、それを補うために塾へ行っているという認識でいたが、最近の国立大学入試では、最低限の出席日数が確保できていれば、内申点は特に考慮されず、大学共通テストと二次試験の結果で評価されるのだと次男から説明を受け、自分の高校生の頃とは全く違う入学試験なのだと認識させられた。高校とは何だろうと思った。
 とにかく次男は、部活はやりたいが、学校へ行くことで自分のやらなければならない勉強が進まないということに相当なストレスを抱えているようで、家族に対する言動に棘がありすぎる。今という瞬間しか生きられないのに、目先のことばかりが氣になり、今に集中できていないように見えるが、今、それを指摘しても口論になるだけな氣もする。

■2025年1月27日(月曜日)
 テレビでは中居正広とフジテレビの話題で盛り上がっている。こういったときにはショックドクトリンという手法が行われるといわれているが、日本銀行が1月24日(金)に政策金利の引き上げを決めた。経済評論家の三橋貴明氏によると、景気の過熱を抑制することを目的として利上げをするのが本来の利上げなのだが、今は、利上げをするべきタイミングではないという。お金を借りるどころか、返しつづけている状態で、さらにお金を借りづらくする政策であり、所得が増えないのに、住宅ローンの金利が上がっていくことは、増税と変わらないという。
 また、中国人は10年間ビザの申請が不要になり、65歳以上の中国人はビザ不要で国保に加入可能となったという。日本の高度な医療を安く受けたい中国人が、日本人が保険料を払って支えている国民健康保険を使って、簡単に長期にわたって医療を何度でも受けられるようになってしまい、さらに中国政府に配慮してSNSで中国批判を規制することも約束されたという。
 国民を苦しめ、中国人を優遇する政策にしか見えないのだが、政府はどこを向いて仕事をしているのだろうか。ショックドクトリンが多すぎて、またかと思うばかりだが、それが当たり前になっている状態というのは、間違っていると思うが、これを推進する人たちは何を考えて推進しているのか知りたい。

■2025年1月26日(日曜日)


お墓参り
 亡くなったインコのお墓詣りに長男を除く家族4人で行った。場所は自宅から来るまで20分くらいのところ。ちょっとした山の中にあるのかと思ったら、住宅が並ぶところに、山を削ってできたような広い敷地の中心にお墓が設置されていた。お店自体は、とても小さいが、お墓の敷地は、芝生が敷き詰められていて犬が走り回れるドッグランのようだった。
 お店の人は、わざわざろうそくと線香を用意してくれ、お墓に一人一人お詣りをした。氣軽にお詣りに行ける距離ではないが、時々家族で訪れようと思う。

■2025年1月25日(土曜日)
 昨日業者さんに引き取ってもらったインコは、今日火葬される予定になっている。その後共同のお墓に埋葬され、明日には、お詣りに行くことができるという。亡くなってから、引き取られるまではとても長く感じたが、その後はあっという間だ。
 今日は、久しぶりに小学生の陸上教室へ行った。5分間走を5分休息で3本、10分後、200mを5分休息で5本以上というのが自分の担当したグループの練習メニューだった。200mは45秒くらいのペース設定だったが、子どもたちは、5本とも40秒を切るペースで走っていき、とても元氣だった。昨年までは、毎週最後に1500mを走っている印象があったが、子どもたちには不評だったようで、今年は、練習内容が大幅に変更されていた。前年度の子どもたちの要望を組み入れて次年度に活かしていてなかなかいいなぁと思った。

■2025年1月24日(金曜日)


お別れする犬



遺影と亡骸
 インコの亡骸は、今日夕方業者さんが引き取りにくるとのことだったので、朝は、おわけれをすべく、大好きだった豆苗をあげてから出勤した。犬にもお別れをしてもらおうと思い、亡骸を犬の前に差し出したところ、犬は、大事そうにインコを何度も舐めていた。インコが生きていたときには、近くに寄っていっては噛みつこうとしていたが、今日は噛みつくことなく、とても優しく舐めてくれていて、インコが亡くなったことをわかってくれているように見えた。
 インコのお迎えには、仕事から帰る時間には間に合わなかった。写真や家族それぞれ空の手紙などを添えて、妻、長男、三男の3人で送り出してくれた。明日の午前に火葬される予定になっている。


 7年間、一緒に過ごしてくれてありがとう。

 生きているときに體にふれたかったけど、ガードが厳しく結果的にはくちばしでかまれるかつつかれるかでした。

 屋外へ逃げ出した時には、もう会えないかと思いましたが、戻ってきてくれました。一瞬だけど外の空氣を味わうことができてよかったね。もう體にしばられる生活は終わったので、自由に好きな所へ飛んでいってください。でも時々我が家も見に来てね。またどこかで会おう。

■2025年1月23日(木曜日)


インコの亡骸
 インコは次男が欲しがって飼い始めたので、主に次男が世話をしていた。今朝は、次男がいつも通りに起きることができず、学校は遅刻。インコが亡くなったことが影響しているのだろうか。
 昨夜から、妻に亡骸をどうするか探ってもらっている。調べてみれば、火葬からお墓まで提供できる業者もあれば、火葬だけだったり、お墓だけを提供する業者もあった。我が家にもっとも近い所ではお墓のみの墓地があった。
 あらためてインコの體に触れたり持ち上げたりしてみたのだが、亡骸は空っぽの「空だ」と思った。自分たちの體は、ただの物体で空であり、そこに、目に見えない魂が宿っているように感じた。物体としてはほとんど変わらないのに、生きていることと死んでいることには大きな違いがある。人が死ぬと21グラム軽くなり、これが魂の重さと呼ばれたりしている。亡骸を眺めれば眺めるほど、インコが體から抜けて、何者にも縛られない自由な世界へ旅立ったのだと思えてきた。
 インコは、明日業者さんがお迎えに来て、火葬され、その後埋葬ということになった。

■2025年1月22日(水曜日)


発電所と朝日
 突然、我が家のインコが亡くなった。たまたま休暇を取っていたのだが、午前中は、駅前に用事があって、昼過ぎに帰宅し、3時台に眠くなって寝室でちょっとだけ昼寝をしていたところ、妻と三男が悲鳴を上げていて、何があったのかと思い駆けつけてみると、インコが亡くなっていた。見つけたの妻で、ゲージの床でうつぶせの状態で動かなくなっていたという。
 朝は、ゲージの中で止まり木に止まって元氣にしていたのを見ているのだが、お昼に帰宅した際に、インコの鳴き声が聞こえていたかどうか定かではない。妻が見つけたときには、体温はまだあったようなので、お昼から夕方にかけて亡くなったのだと思う。
 家にやってきたときには、體を包んで體を安定させてエサをやっていたので、體を触ることができたが、飛ぶようになってからは、死ぬまで體を触らせてもらうことができなかった。やっと触れるようになっても死んでしまったら意味がない。
 彼は、我が家で7年と5ヶ月を過ごしてくれた。明日からは彼の生きられなかった1日を生き残っている自分たちが大事に生きていきたい。

■2025年1月21日(火曜日)


夕方の陸上競技場
 アメリカの大統領にトランプ氏が再び就任した。初日から大量の大統領令に署名したという報道があった。パリ協定からの離脱やWHOからの脱退など、初日からトランプ大統領の信じる道を突き進んでいるようだ。政府が認める性別は男と女の2つしかないという当たり前のことを発言されていたが、アメリカのパスポートでは、現在、男でも女でもないXという性別があるそうで、それを修正するとのことだった。最近自分の答えたアンケートにも、男と女と答えたくないというような選択肢があったことを思いだしたが、アメリカではXという選択肢になることを知った。マスメディアは、前政権からの大転換と言い、前政権がやってきたことを全て否定する滅茶苦茶な大統領だという雰囲氣の報道となっているが、バイデン大統領も就任した際には、トランプ大統領の政策を全て否定するような大統領令を出していた。その時には、滅茶苦茶だというような報道は全くなかった。何が違うのか?自分たちメディアの都合でしかなく、公平な報道からはかけ離れていると思った。

■2025年1月20日(月曜日)
 世界マスターズ陸上の世界ランキングを目にした。昨年は、日本選手権でマスターズの部1500mに出場したので、その記録が反映されているのではないかと期待したのだが、反映されていなかった。
 45〜49歳の男性のM45というカテゴリーでは、世界ランキングトップはエストニアの選手が3分56秒61だった。3分台は3名。日本人のトップは36位で4分17秒81だった。日本選手権で一緒に走った際には、同じカテゴリで自分より速かった選手が2名いたので、自分のタイムはおよそ30番くらいということになりそうだ。
 今年からはカテゴリーがM50となる。昨年のトップタイムは4分07秒86で、自分が今年と同じタイムで走れば世界ランキングは10位以内に入れる。カテゴリーが変わって、少しモチベーションが高まりそうだ。

■2025年1月19日(日曜日)


ティラノサウルスレース
(駅伝と並行して開催)
 横須賀市民駅伝に出場。毎年、チームのメンバーが30歳以上となる一般Bで出場しているのだが、今年は、いつものチームが結成できず、学生がエントリーの際に人数が足りずチームが組めないとの話しを聞き、学生のチームに入れてもらい一般Aでの出場となった。
 チームは優勝争いをするレベルなので、チームの足を引っ張らないように走りたいところだが、昨日の練習の状況からは、足を引っ張ることは間違いないが、そのダメージをできるだけ少なくできるよう走るしかなかった。
 1区の学生がトップの高校生のすぐ後ろの2番手で来てくれたので、2区の自分は、その高校生に必死についていくことだけを考えて走り始めた。しかし走り始めて200mくらいから、先頭からの距離が離れ始めて、あとは一人旅。淡々と自分のリズムで最大の速度を出せるようにして走り続けた。先頭からの距離はどんどん離れていったが、後続の選手に追いつかれることなく3区へたすきリレー。結果は4分41秒で区間3位。目標は5分だったので、1km3分を切るペースで走ることができ、想像以上の結果で満足。区間1位は4分19秒で先頭の高校生、1500mが4分01〜02秒くらいのペースなので、4分で走ることがどれだけ厳しいのかということを、離された距離で実感した。しかし、もう一度そのレベルに戻すことを前提に練習を継続していきたい。
 チームは、4区で1位の高校生とは12秒差だった。うまくいけば5区で逆転というところだが、5区はアキレス腱痛のため走れず、競技としては終了となった。来年は、きちんとメンバーをそろえ、独走で優勝してもらいたい。自分は、一般Bでまた戦えたらと思う。

■2025年1月18日(土曜日)
 練習は2000m×3。休息は400mジョグ1000mあたり3分15〜20秒くらいのペースで周りたいと思いながらスタート。長距離の学生が先頭を走ってくれたので、それについていくことができればよかったのだが、楽について行けたのは2周目までで、1本目の1000m通過は3分18秒1。3周目からは呼吸が乱れ、残り2周でついていけなくなった。1本目のタイムは6分54秒6。後半の1000mは3分36秒5で大失速だった。走り終わった直後にえづき、今日は肉体のトレーニングというよりも呼吸器系のトレーニングだと割り切って、できる限りの速度で、メニューをやり切ることを目標に2本目に入った。
 2本目は長距離の学生に1周目までしかついて行けず、その後は、呼吸もフォームも大きく崩れ、這っているいるような感覚だった。1000m通過は3分29秒8、後半は3分44秒0で、トータルタイムは7分13秒8。フィニッシュ後は、やっぱりえづいてしまった。
 3本目は、長距離の学生が走るのを止めたため、単独走。スタートから速度が上がらず、ペース走をしているような感じになった。1000m通過は3分32秒8。自分のペースで走っているため、呼吸の乱れは少なく、走るリズムも筆画的安定し、1,2本目と比べれば楽に走れた。トータルタイムは7分06秒6で、後半の1000mは3分33秒8で、ほぼペース走という結果だった。3本目が終わった後もえづいた。
 明日は市民駅伝で1.6kmを走る予定だが、今日の状況からすると、1000mあたり3分20秒くらいのペースでの走りくらいしかできないということになる。そうするとだいたい5分20秒くらい。しかしながら、試合は練習とは違う動きになることを綱領に入れ5分前後を目指したい。

■2025年1月17日(金曜日)
 お昼休みに、NHKのEテレで放送していた「チョイス@病気になったとき」という番組を途中まで視聴。ストレスにより病気になってしまうこともあるため、自分自身でストレスを減らすことを目指し、経験者のインタビューを交えて3つの方法が示されていた。  2つ目は、「コラム法」。こちらも自分んで書き出すものだが、書き出す内容は、「出来事」「感情」「その時の考え」「別の考え」「感情の変化」。出来事によって自分の感情や考えが発生するが、別の見方もできるかもしれないという別の視点を自分で探り、見つけ出すことができると、それだけで感情に変化が現れる。自分の感情や考えがすべてではないということが理解できれば、ストレスは軽減できそうだ。
 3つめは、見ることができなかったが、同じように書き出す方法だったようだ。どれも自分の偏った思考を書き出すことで、客観的に自分自身を見つめ、偏りを改善していく方法なのだと思う。書き出すということがとても重要だと分かったが、実際にそれを行動に移せるかどうか、この決断ができる人は変化を起こせるのだろうが、多くの人は分かっているけど、なかなか始められないというのが現実なのではないかと思った。

■2025年1月16日(木曜日)
 練習は長距離パートの学生たちの400m×10に参加。設定は72秒、休息は200mを60秒でジョグ。普段のインターバルとは違いジョグのペースが速いことがわかっていて、何本目まで行けるかという挑戦のような練習だった。
 1本目からペースが速いと感じたのだが後半の200mはさらにペースアップし、感覚としては68秒で回っているくらいのペースだったが、タイムは71秒5。自分の感覚と実際のペースがあまりにも離れていて、1本目で終了してもおかしくないくらいの辛さだったため、今日は5本目まで走れれば上出来だと思った。
 つなぎのジョグは58秒6で2本目に入った。1本目よりも出だしは速く感じたが、中盤は少し余裕があり、タイムは70秒8。少しでも油断すると集団から離れてしまいそうな状態だが、何とか2本目が終了。
 つなぎのジョグは62秒2。3本目は、72秒6だったが、走り終わった後に、何度もえづき、呼吸器系はかなり追い込まれてしまった。
 つなぎのジョグは58秒0で、4本目は、この1本だけは走りきってからやめようと思いながら必死に集団にくっつき70秒6。左大転子付近の痛みが強くなってきて、続けるかどうか葛藤しながらジョグに入った。
 つなぎのジョグは60秒8。なんとかもう1本だけ走ろうと決意し、5本目に突入。集団から離れることなく走り切れた。タイムは71秒1。その後のジョグは61秒9で走り、5本で終了。
 1本だけでもきつかったので、5本走れただけでよく走ったと思う。自分のペース感覚がかなり鈍っていることが認識でき、現状がよくわかる練習となった。

■2025年1月15日(水曜日)
 寝ているときに、ちょっとした動きで、急に左肩甲骨内側付近の菱形筋が激痛となり、左頸椎に沿って首も痛み、寝ている場合ではなくなってしまった。これを寝違えたというのだろうか。最近、睡眠中に、左ハムストリングスが痙攣したり、左足の指が攣ったりしている。日中でもちょっとした動きにより、筋肉を痛めたり、次々と氣になることが増えている。その代わり、ずっと痛みが続いていた左臀部や右アキレス腱については緩和してきて、痛みが移動したとも言え、痛みのない日常がなかなかない。しかしながら、日常生活には支障なく穏やかに過ごせているので、ありがたいと思う。

■2025年1月14日(火曜日)
 練習は、昼休みに2分ダッシュ+2分ジョグを10セット。15年以上走り続けている周回コースを走ったのだが、どのあたりがだいたい何本目の時に走っているという目安があり、残り1本は、周回コースが終わってしまい、トラックで走るということが多かったのだが、今日は、10本目で周回コースなんとか終える感じで、以前と比べると、格段にスピードが落ちていることを実感した。上り坂は特にスピードが落ちているのだが、今のベストを尽くした走りなのだから仕方がない。継続して練習ができていることに感謝するのみだ。

■2025年1月13日(月曜日)


ウルフムーン
 練習は、昨日学んだ方法を取り入れてサーキットトレーニングと4000mペース走。
 ウォーミングアップは、いつもの3分の1くらいの時間となり、サーキットトレーニングは、ここ最近では最もキレの良い動きができてしまった。昨日学んだとおり、手脚を中心に力を出しているのではなく、感覚的には丹田から力が出ているような感じで、手脚の疲労感があまりなく、ベンチプレスやスクワットがスイスイ挙がってしまった。ちょっと意識が変わっただけで、全く別人のような動きができてしまう體は、本当に面白い。自分の體を使ってこういった瞬時の変化を感じるのが楽しくて、運動を続けているのだと思った。
 4000mのペース走は、1000mあたり3分40秒を目安にスタート。結果は3分36秒8、3分39秒9、3分38秒8、3分30秒8だった。4000mは1月2日は3分55秒、1月5日に3分50秒の設定で走ったが、今日はそれよりもペースが速いのに余裕があった。週末へ向け良い方向へ向かっている。
 今日は、長男を除く家族で近所の天神さんへ初詣。その後、次男が服を見に行きたいと言い、三男はドーナツが食べたいと言うので、自分と三男はドーナツ屋へ行きコーヒーをすすった。2時間半ほど、2人で話し続けた。普段は全く会話がない2人なのだが、三男の好きな写真やルービックキューブの話をし、後半は、三男のスピリチュアルな体験と人生について、随分深い所まで話し込み、この子は、普通の子ではない特別な子だと再認識させられた。学校へ行かなかったり、いろいろと親としては困ることはあるのだが、本人は、自分の人生でやりたいことは全てできると確信を持っているようだったので、心配することはないと確信するに至った。今後は、自分が三男から学ぶことの方が多くなりそうだ。

■2025年1月12日(日曜日)
 骨ストレッチ講習会に参加。テーマは脱力。単純に立つという動作で、どれだけ脱力しているかがわかってしまう。脱力ができているほど、横から押されたときにその力をいなすことができたり、その力に負けず全く動かなかったりする。コツを教えてもらうと、丹田に自分の力を集めることができ、手脚の運動でありながら、手脚から力を出すのではなく丹田から力が出ていることが実感できて驚いた。
 後半は、脳と自分のからだの関係について探っていった。脳は意外と自分のからだのことを把握していないとのことで、腕を回すときに普通に回す場合と、回す前にわざわざ自分の腕の輪郭を自分の手でたどり、脳に自分の腕の存在をきちんと示してやると、明らかに腕の周りがスムーズになった。これは、自分のからだだけではなく、モノを持つ際にも、モノの輪郭を、わざわざ脳に分かるように立体的に触って確認すると、モノを持った時の重さの感じ方に変化があり、軽く感じられるようになった。この感じで、棒高跳びのポールや投擲の投擲物もひょっとしたら軽く感じられるようになるかもしれない。
 全体を通して、自分でリアルにイメージできればできるほど、からだはイメージした通りの結果を出してくれるということが分かった。からだは自分が思った通りになる。自分の偏った思い込みを外すことさえできれば、からだはより自由に動くことができる。昨日、300mを走っているときに、自分の頭の中でブレーキをかけて、思ったように動けない自分がいるように感じていたが、今日の講習会は、そのブレーキを取り払うためのヒントを与えてもらうことができた。明日以降、運動するのが楽しみになってきた。

■2025年1月11日(土曜日)


富士山





房総半島
 学生たちは、今日から4連休なのだが、午前中競技場へ行ってみると部員が一人もいなかった。2年生は成人式で地元へ帰ったのかもしれないので、2年生はいないかもしれないと思っていたが、誰も練習に来ていないとは驚いた。
 ということで、一人寂しく練習。メニューは300m×4を2セット。休息は100mジョグ来週は、市民駅伝で1.6kmを走る予定なので、それに合わせた練習メニューにした。52〜54秒くらいで4本走れればいいなぁと思ってスタートしたのだが、1セット目はゆっくり走ったつもりなのだが49秒5。ペース感覚がまったくなくなっていて驚いた。2本目以降は、54秒5、57秒3、57秒4だった。感覚としては4本とも同じ感覚で走ったのだが、タイムの低下は激しかった。4本目の後半は、何度もえづき、現状はこれが限界なのだと分かった。トータルタイムは5分11秒5。この練習で5分以上かかったことはなかったので、2セット目は、1セット目の反省を活かしつつ、つなぎのジョグのペース上げるるつもりでスタート。1本目は52秒4で設設定通り。2本目以降は56秒3、58秒1、55秒1ということで、結局タイムをキープする力はなく失速してしまった。しかしながらもう一つの目標としたジョグのペースを上げることはしっかりできたおかげで、トータルタイムは4分50秒5。なんとか1500mを4分台で走ることができ、今1500mを走れば4分30秒は切れそうだということが分かった。駅伝まであと1週間、今回も突貫工事だが、チームメイトにできるだけ迷惑がかからないよう仕上げていきたい。

■2025年1月10日(金曜日)
 ある方から、新国立美術館で展示会があり、写真をやっている三男に出品のお誘いを昨年いただいたのだが、展示会への意思表示をするための書類の申込期限が今日だった。事前に展示会の要項と申込用紙を印刷し、三男に渡しておいたのだが、三男は、自分の勉強机の目の前に張り出しておいたにもかかわらず、結局読むことがなく、今日に至ってしまい、申込用紙は今日必着ということで、申し込みができなかった。どの写真を出品するかは決めていたので、残念としか言いようがないのだが、展示会を紹介してくれた方からは、今はそのタイミングではなかったのでは、とのコメントを頂いた。今回の失敗から学ぶことがあったのであれば、それはそれで価値があったのではないかと思う。
 新学期が始まって、三男は、2日連続で学校へ通ったのだが、昨日は、出発できる状態だったが、腹痛でトイレへこもり、こちらは朝から会議のため出勤時刻は守らざるを得ず、車で学校へ送ることができかなった。車で送らなければ三男はそのまま学校へは行かない。そして今日は、ベッドから起きあがることすらなく学校を休んだ。行くときと行かないときの落差があまりにもあり、こちらは思春期の心の変化に右往左往している。
 学校のことは、いろいろあるが、最近三男は、次男が通っている予備校の体験授業に行ってみたりし、その予備校へ入りたいと言い出した。今日は妻と三男がその予備校の面談に参加し、次男がすでに在籍しているので、入会金と1科目分の授業料が無料となるとのオファーを受けたという。学校へ行かない分、別のところで勉強するのであれば、何もしないよりはいい。この予備校は、1科目の授業料が割高なので、兄弟割の制度はとても助かる。これで学校へ行かなかったことで学ばなかった空白が少しでも埋まってくれればと思う。

■2025年1月9日(木曜日)
 長距離パートの学生の練習に参加、メニューは1000m×5。休息は200m。ペース設定は3分10秒〜15秒。今の自分にとっては、5本完走するのは難しいことがわかっていたので、1本おきに走ることとし、つなぎはだいたい700m(5〜6分)ほどのジョグとなった。
 1本目の入りは、思ったよりも余裕があり、このペースであれば5本走れてしまうのではと思ったりしたが、現実はそれほど甘くなく、1本目が終わったところで早速えづいてしまった。タイムは3分16秒8だった。2本目は1本目よりは余裕を持って走ることができ、3分15秒4。3本目は、後半ペースアップがあり、なんとか集団から離れないように走りきることができ3分06秒9。1000mを3分切りするのは今の状態では難しいと思っていたのだが、1本だけならなんとか切れそうな感じがした。
 最後に300mを1本走り45秒6。ちょっと前だったら同じ感覚で43秒台というのが当たり前だったのだが、2秒くらい遅くなっている。いろいろと脚に痛みを抱える中でなんとか練習が継続できているのだから、タイムがどうこうというよりは體に感謝しかない。

■2025年1月8日(水曜日)
 三男は、2日連続で通学。これで2学期から4日連続の登校。今日も比較的時間には余裕のある状態で学校へ行くことができた。夕食の際に、学校の様子を聞いてみたが、数学の先生が、授業の半分以上の時間、授業内容とは関係のないIQの話をしていて、授業があまり進まないと話していた。3ヶ月間ほとんど授業を受けていない割には、周りから後れを取っているという雰囲氣には見えなかった。それなりに授業にとけ込んでいるようで安心した。今後は、自分の脚で歩いて登校して欲しい所だが、三男は、学校へ歩いていくのが面倒だと言い放ち、ずっと車に乗っていくつもりでいるらしい。本人が甘えているとも言えるし、送っている親が甘えさせているとも言える。まずは継続して学校へ行く、それが最優先だ。

■2025年1月7日(火曜日)
 次男と三男は今日から学校が始まった。冬休み直前の2日間、三男は、2学期で初めて2日連続で学校へ通い冬休みを迎えることができた。親としては、今日はどのような行動をとるのか最も注目すべき日だった。冬休みの宿題は、やった科目とやっていない科目があるようだが、今日はこちらが声をかける前に起床し身支度をしていた。先月のような遅刻するかどうかの微妙な時刻に出発するのではなく、余裕を持って登校できる時刻に出発ができた。しかしながら、自分の脚で歩くのではなく、こちらの出勤に合わせて車に乗っていくというものだった。先月までは、車で送っていっても登校している生徒の姿は全く見ることがなかったが、今朝は、登校している生徒が沢山いる中での登校となり、学校の前で車から降りた途端、友だちを発見して、友だちの元へ走り寄っていった。明日以降もこんな風になればいいなぁと思いながら、彼を見送った朝だった。

■2025年1月6日(月曜日)
 NHKのクローズアップ現代を見た。今、韓国では日本の歌謡曲が人氣なのだという。韓国では日本語の歌が放送されることが禁止されていたが、昨年解禁となり、テレビで日本の歌謡曲を歌う番組を放送したところ、平均視聴率の2倍以上となる高視聴率を記録したという。番組では、韓国の歌謡番組に出演した近藤真彦さんへの密着が行われていた。
 1965年、日韓国交正常化があったものの、韓国国内では、対日感情を理由に日本の大衆文化の流入は規制されていたのだが、80年代に入ると日本の昭和歌謡がひそかにブームとなったらしい。歌謡曲の正規版は手に入れることができないため、レコードやカセットテープで大量の海賊版が出回ったという。  1998年には日本の出版や映画などが段階的に解禁され、日本の漫画も見られるようになった。そして昨年の2004年、日本の音楽CDの販売が解禁されたが、韓国のテレビ局は放送の自主規制をしていて、公には、「日本の歌が好き」とはなかなか言えない空気があったという。しかしながら、あるテレビ局がそのタブーに挑戦し、高視聴率を得て、タブーを打ち破る方向へ動き出したようだ。
 日本では、韓国のアイドルが大勢日本で活躍していて、韓国の文化に対する抵抗感はなく、好感を持っている人が大勢いるのに、韓国では、世論を操作する側が一方的に反日感情を煽ってきたことから、日本文化解禁ができず、日本文化を愛してくれている人々にとっては、戦後約80年間ずっと表現の自由が許されなかったということになる。世代を超えた長い戦いだ。反日感情は教育のたまものだが、これを解消するには、まだまだ長い時間がかかりそうだ。

■2025年1月5日(日曜日)
 10月くらいから、ピアノを弾きたいと思いながら、なかなか時間を作ることができず、年末年始の長期休暇の間に絶対に弾こうと思っているうちに、休みの最終日となってしまった。最終日になっても、なかなか時間が作れず、氣がつけば夜。とにかく、自分の決意を行動にしなければと思い、夜9時過ぎにやっとピアノの前に座ることができた。
 ピアノに指を置くのはどのくらいぶりかはわからないが、久しぶり過ぎて、何となく指が覚えていて何となく途中まで引ける曲が2,3曲あったが、最後まで弾ける曲が一つもないというのが悲しかった。指が思うように動かないので、まずは指の練習をすべく、長男が使っていた指の練習のためのツェルニーの楽譜を開き、最初の2つの曲を何度も弾いた。自分の指で音を奏でるということが楽しく、30分間の練習時間だったが、あっという間に終わってしまった。今年は、時間を見つけて、6歳の頃に憧れたショパンのノクターンを弾けるようになりたい。

■2025年1月4日(土曜日)
 録画してあった箱根駅伝のハイライト番組を視聴。昨日は、テレビ放送が見られず、車を運転しながらラジオ実況を聞いていたが、ネット上では東京大学の学部生と大学院生のたすきリレーが取り上げられたり、東大大学院生の給水に八田先生が登場して話題になるなど、なかなかレアなことが多い大会だったと思った。ハイライト番組では、青学大9区を走る田中主将の給水の際、給水係となった片山選手と笑顔で乾杯をするシーンが印象に残った。駅伝の最中は、どの学校も必死で余裕がないというのが普通だが、このチームには、心の余裕がある。本当に素晴らしいチームだと改めて思った。
 先頭を走るチームの余裕は印象的だったが、対照的にシード争いをした4チームは、最後の最後まで余裕はなく、とにかく必死だったのも印象的だった。順天堂大学は、予選会を11位と1秒差で勝ち上がり、今回は7秒差でシード権の獲得ができなかった。順天堂大学のタイムは、2021年に優勝した駒澤大学のタイムを上回っていたという。大会のレベルアップが激しすぎる。6区の山下りのタイムは、今年56分台が出た。6年前に本校の学生が走ったときには、57分台の新記録が出たと話題になり、本校学生が1時間02分で出場22チーム中12番目のタイムだったが、今回は1時間かかるチームは2校だけだった。シューズの進化は間違いないが、それに対応する選手の進化も著しい。この急激なタイム短縮による選手の體への負担は大きくなっていないのだろうかと思ってしまった。

■2025年1月3日(金曜日)


焼肉(中央)としゃぶしゃぶ(端)



東京スカイツリー
 箱根は復路となり、往路で優勝していた青山学院大学が危なげなく2連覇。青山学院大学は復路新記録を出したが、2位となった駒澤大学は、その記録を上回り、さらに往路新記録。駒澤大学の意地を見せつけてくれた。
 今日は、妻の実家へ車で帰省。箱根駅伝は車の中でラジオ放送を聞くだけとなった。妻の実家の新年会は、毎年お店で開催なのだが、今年は、メニューが食べ放題。長男と次男は大喜びだった。焼き肉としゃぶしゃぶが同時にできてしまう鉄板というか鍋というか不思議な道具で食べ放題が始まった。焼き肉、しゃぶしゃぶだけでなく寿司、うどん、そばなど、なんでもありという今までに体験したことのない食べ放題で、どの順番で食べていけばいいのか全くわからなかった。
 中央の鉄板で焼き肉を始めてしまうと、その脂が端っこにあるしゃぶしゃぶの出汁湯の中に入ってしまうので、しゃぶしゃぶから始めることにした。しゃぶしゃぶを食べてしまうと、次の焼き肉を食べようという感じにはならなくなってきて、お腹の配分が難しかった。今日はお店へ行ってみて初めて、食べ放題だったということがわかり、なんのプランもなかったが、次に行くときには、もう少し計画的に食べていきたい。

■2025年1月2日(木曜日)
 箱根駅伝をテレビ観戦。中央大学が1区から独走し、4区まで先頭を守り、一時は2位とは2分近くの差を広げていたが、5区の山登りで、目まぐるしい順位の変動があり、最終的には青山学院大学が昨年に続き往路優勝となった。2区では3人が区間新記録となるなど、今年も例年以上にレベルの高いレースとなった。自分が学生の頃であれば、10人が1kmを3分のペースで20kmを走り切れれば優勝ができたが、今はシューズの機能が向上し、1kmを2分50秒を切るペースで走り続け、観客から見れば、選手はずっとダッシュしているのではないかというようなペースになってしまった。この高速レースに対応しなければならない選手の體への負担も以前とは比べ者にならないことだろう。今日は途中棄権の選手が出ることなく無事に終えることができ、運営側もホッとしているのではないかと思った。
 午後は、年賀状作成。今年からハガキの価格が上がり、年賀状をくれた人にだけ返信することにしたため、昨日届いた年賀状への返事を書いた。昨年から、年賀状終いをするコメントを書かれる人が増えてきたが、今年は更にそういった人が多くなっている。我が家もそうしようかと思うが、お世話になった人にだけは、書き続けるつもりだ。

■2025年1月1日(水曜日)


新年最初の朝食



初詣



初駿河湾沼津SA

 早朝、昨年同様、猿田彦神社を目指しランニング。前半は、まずまずのペースで走ったが、神社へ向かう上り坂が長くペースダウンし、神社へ行く氣力がなくなり、神社へは行かずに、山を下った。後半は、左臀部に痛みがあったり、突然左手の平と右足裏に激痛が走り、一旦止まらざるを得なかった。手のひらはなぜか青くなっていて、血管が突然切れたようだった。足裏は見ることは無かったが、手のひらと同じような状態になっているように感じた。時々こういったことがあるが、自分の體は大丈夫なのだろうかと不安にもなったりする。後半はかなりペースダウンしたが無事実家へ戻ることができた。所要時間は80分。普段走っている2倍の時間ということもあり、慣れないことをするというのは、かなりのエネルギーが必要なことを実感した。
 お昼前に実家近くの神社へ家族全員で初詣。今年は、例年より早く初詣をしたためか、お汁粉を振る舞ってもらえた。また、小学生の時にお世話になった文具屋さんに再会することができ、店のおばちゃんに息子を紹介することができた。あのころから約40年。お互いに年を取ったなぁと思った。
 初詣後は、横須賀へ向け出発。御殿場の前後で、次々と事故渋滞が発生し、帰宅の時間が読めなくなってしまった。ダラダラと走り続けるのが辛く、大井松田で高速道路を降り、その後は、一般道で海岸線を走った。明日の箱根駅伝のコースも走り、中継所では放送のためのやぐらがあるなど、準備が行われた形跡を見ることができた。途中眠気に襲われる場面もあったが、無事帰宅できた。長男は、駿河湾沼津サービスエリアで、一昨日新静岡サービスエリアで欲しくなってしまったサングラスのお店へ行き、念願の木でできたフレームのサングラスを購入。もらったお年玉を全て使い果たしてしまった。もらったお年玉を全部使ってしまうことなど、自分はしたことがないので、ちょっとうらやましい使い方に見えてしまった。



[昔のいずみ]