最近のいずみ

Last Update:2025/4/6



パートタイムアスリートいずみ 25年目に突入 

■2025年4月6日(日曜日)
 3か月ぶりに骨ストレッチ講習会に参加。事前のテーマはあったが、内容は変更となり、「小転子」が中心テーマとなった。小転子が上手に意識できるようになると、運動の質が格段に変化することを體感した。野球の大谷選手やイチロー選手は、小転子の使い方がうまく、きちんと力の伝わる動きとなっていることがイメージできた。股関節を動かすときに、股関節を絞るようなイメージ。股関節が絞れず開いている感じだと、力が伝わらず、體の一部分だけを使った力づくの動きとなり、結果的に動作も鈍くなり疲れることになる。小転子を意識させる方法として、ペットボトルを使った簡単な運動が示された。しかし、小転子を使うのに自分の想像していたものと左右が真逆で、左右の意識を間違うと、體が全く動かなくなってしまった。今まで何も考えず常識だと思っていたことが、実は自分の動きを悪くしていたということに氣づかされ、ショックでもあったが、講習会で指導されたとおりにやると動きが良くなってしまうので、自分の體の出した答えに従うしかない。
 小転子とは別に、さらに體の外に意識を持っていくだけで、力の発揮が格段に上がってしまう方法も教えてもらい、日常動作から見直す必要が出てきて、それを意識する日々の生活が楽しみになってきた。

■2025年4月5日(土曜日)
 早朝フジテレビで放送されていた「テレビ寺子屋」を視聴。講師は、明治大学の齋藤孝教授。テーマは『「実語教」に学ぶ大切な知恵』。
 日本の中で、長い年月をかけて作られた実語教という文章が江戸時代の寺子屋で子どもたちに教えられていて、子どもたちは、まずは意味を考えることなくひたすら音読をし暗唱をするような教育を受けていたようだ。しかし読み込んでいくうちに、知らず知らずのうちにその文章が自分の中に浸透し、自分のものになっていった。その学びにより、日本人は、明治維新のような大きな変革にも対応できたようだ。実語教には、学ぶことは楽しく、自分が死ぬその日まで学び続けなさいといような文章もあり、学び続けることの大切さを説いていた。毎日新しいことを知るというのは、確かに刺激的で楽しいことだ。現代は、情報が溢れまくっているので、誰でも刺激的な毎日を送ることができる。学びを大切にしたいと思える講演だった。

■2025年4月4日(金曜日)
 仕事後、30分だけジョグをした。最初は芝生の上を走っていて、肉離れをしていた右下腿外側の状態は特に違和感もなかったので、走り始めて5分後には走る場所をロードに変更した。患部の状態を探りながらの走りなので、速度も遅かったのだが、走り始めて25分くらいしたところで、急に違和感が出始めた。残り5分というところなので、少し無理して残り5分を走り切ったのだが、その後は、患部は筋肉の塊があるような感覚で、歩いていても1歩を踏み出す度に痛みが出るようになってしまった。
 夜は行きつけの治療院のエコーで筋肉の状態を確認してもらったが、若干筋線維がつながっていない黒いところがあり、少しだけ損傷しているようだった。先生からは、2,3日すれば痛みはなくなるだろうとのコメントを頂いた。また振り出しに戻ってしまった。強度管理が甘かった。

■2025年4月3日(木曜日)
 陸上自衛隊レンジャー教育が年度内中止との報道があった。報道によると、レンジャー隊員の教育中に死亡事故が相次いでいて、安全管理体制が適切ではなかったとのこと。さらに「レンジャー隊員が持つべき能力の見直しが必要」という理由もあるのだとか。
 全員でまとまってひとつの任務を行おうとすると、どうしても能力差やその時々の個人のコンディションの差で、その状況についていけない人は出てきてしまう。管理する側は、それを把握しなければならないが、実際の訓練は山の中に潜伏して行う関係で、体調不良者が発生した場合でも直ちに救急搬送ということが難しい環境だとは思う。それをどう改善するか悩ましい問題だと思う。
 情勢の変化から能力の見直しというのは、山での活動だけでなく、市街地での活動が考慮されたりするのだろうか。
 とにかくずっと続けられてきた訓練が1年間中止となるということは、かなり大事な事態だということだけは理解できた。

■2025年4月2日(水曜日)
 昨日から新入生が入ってきて、研究科学生(大学院生)となる学生たちも着校している。彼らは、一度現場で仕事を経験し、その後希望して試験に合格し大学院生となっている。その多くが卒業生なのだが、今日は、その研究科の学生2人から声をかけられた。
 1人は5年前の卒業生。授業でも一生懸命やってくれた印象が残っており、最後の1年は陸上競技部に転部してきて、熱心に長距離を走っていた。もう一人はモンゴルの留学生。彼は12年前の卒業生。久しぶりに日本へ戻ってきたのだろうが、しっかりとした日本語で、「先生!」と声をかけてくれた。自分は同じところに20年近く生活していて、何の進歩もないような感覚だが、卒業生たちはみんな立派になって戻ってきてくれる。そういう姿を見ることができる先生という仕事は、いい仕事だなぁと思ってしまった。

■2025年4月1日(火曜日)
 職場と市内に勤務している同期で同期会。自分を除けば全員自衛官なので、次から次へと、同期の情報で話が盛り上がる。全く面識のない同期もいたが、同期というだけで急に距離が縮まってしまうところがとても良い。参加者が7人だったので、人数も適度で、個別に話をするのではなく、同じ話題について全員で話ができたことがとてもよかった。それぞれの立場で、それぞれの喜びや悩みがあり、一人ひとり違った人生で面白いなぁと思った。

■2025年3月31日(月曜日)
 3月は年度の区切りということもあるのか、大学の同期、後輩たちが自衛隊に一区切りをつけて転職する。年齢は20代から50代まで様々。それぞれが経験してきたことを次の職場でも何か活かせつつ新たな職場でもみんな活躍するのだろう。
 自分は、今の職場で勤務して19年目が終わった。いよいよ20年目が始まる。何かなしたことがあるかと考えてみると、これといって言葉にできることがない。定年まではあと15年。このままこの職場で定年を迎えるのかどうか、先のことはわからないが、何か自分でこれをやり切ったという思いをもてるよう日々生活していきたい。

■2025年3月30日(日曜日)


3m80の跳躍
 今日に延期になった次男の出場する記録会へ。肌寒い感じはあったがしっかりと太陽が出ていて、日向にいればそれほど寒さは感じず、中長距離種目であれば、かなり良いコンディションだが、跳躍選手にとっては少し氣温が低かったかもしれない。
 次男が出場した棒高跳びは男女合わせて6名が出場した。次男は3m40から登場し、1回目の跳躍で、バーの遙か上を越え、4mは越えているのではないかという高い跳躍をした。その後も、3m60、3m70,3m80を1回でクリアーし、自己ベストの3m50を大きく上回った。3m90は、1回目の跳躍で、體は問題なくバーを越えていたのに、最後にポールがバーの方へ倒れてきて、バーを落としてしまい失敗。2回目と3回目は、動きが急激に悪くなってきて、完全に疲労で跳べなくなり競技終了。本人は空中動作が1度も納得のいく動きができなかったらしく、自己ベストの割にはあまりうれしそうではなかった。県選手権標準記録の4m00を目標にしていたからということもある。まだ、助走の歩数が12歩で、昨年はもっと硬いポールを使っていたということもあり、まだまだそのままでも記録が伸びる要素があり、本人は、今日は練習だからということで、納得の跳躍ができなかったことについては、あまり氣にしてなさそうだった。来週は県記録会。3周連続で記録会があるそうなので、シーズン最初としてはとても良い始まりとなったのではないかと思う。

■2025年3月29日(土曜日)
 昨日までは氣温が25度を上回るような暑さだったが、今日は、朝から雨で気温は10度を下回り、季節が急激に戻ってしまった。次男が今シーズン最初の記録会に出場するとのことで、応援に行った。しかし、次男の出場予定だった棒高跳びは、あまりの雨と氣温の低さにより、明日に延期となった。今日、競技をやっていたら納得のいく結果は間違いなく得られなかっただろうから延期になって良かったが、他の競技は予定通り行われていて、選手たちはかわいそうだった。
 横須賀市も春季記録会が行われていたが、今日の時点で、記録会の結果が掲載されていなかった。横須賀市は、中高生のコンディションに配慮して、天候によって中止にする場合もよくあるので、中止になった可能性もありそうだ。 

■2025年3月28日(金曜日)


横須賀でも桜が開花
 ミャンマーでマグニチュード7.7の巨大地震が発生し、周辺地域にも大きな影響が出ている。特に驚いたのは、震源地から約1000km離れているタイのバンコクでもとんでもない影響が出ていたこと。いくつかのビルは、爆破解体したかのような崩れ方で、一氣にビルが崩れ落ちた。1000kmは、東京から大分くらいの距離がある。東京で起きた地震が大分まで影響を及ぼすくらいの影響力が今回の地震にはあったということになる。信じられないくらいの影響力だ。普段地震の起こらない場所での建築というのは、ここまでもろいものなのか、それとも手抜き工事ということなのだろうか。高層ビルに住むということのリスクは大きいなぁと思った。また、バンコクの高層ビルの上には、プールがあったりするようで、地震の揺れで、プールの水が地上に落ち続けるという動画もいくつかあった。ビルの屋上あたりに眺めの良いプールがある光景は、とてもかっこいいが、日本ではあまり見かけないのは、地震が起こるからという理由もあるのかもしれない。被害が少ないことを祈るばかりだ。

■2025年3月27日(木曜日)
 昨夜から、微弱電流はかけっぱなしにしていて、歩くだけであればそれほど痛みを感じなくなり、昨日よりは痛みは緩和している。しかし、階段を下るときには、痛みが走り、まだまだといったところか。3月9日に日常の自転車をこぐ動作で右下腿内側(ヒラメ筋)を肉離れし、やっと回復して走れるようになったのに、また振り出しに戻ってしまった。前回は日常生活のなかでの肉離れだったので、そういう年代になってしまったのかという、ちょっとしたショックもあったが、今回は強度を上げた結果の肉離れ。しかし、そういう年代だと言われれば、その通りかもしれない。強度の上げ方をもう少し慎重にしていく必要がある。

■2025年3月26日(水曜日)
 練習はお昼にサーキットトレーニング、4000mペース走、300m。
 サーキットトレーニングは、今月は5回目ということで、比較的回数が詰めているので、動きは良く、3セットともほぼ同じタイムでとても安定していた。
 4000mは1000mあたり3分40秒くらいで行ければと思いスタート。最初の1000mが3分39秒7。ここまでは余裕があったが、その後は、徐々に両股関節に痛みが出てきて、動きが悪くなり、タイムをキープするのに必死だった。しかし頑張って體を動かしたお陰で、2000m以降は3分39秒2,3分38秒2、3分35秒3ということで、最後までペースを落とすことなく走り切れた。
 最後にゆっくりとした動きから速い動きに帰るべく300mを走ったのだが、股関節の痛みもあるため、思ったような動きにはできず、フィニッシュ直前に、右下腿外側にピキッと痛みが走り、それ以上下腿に負荷をかけないようにしてフィニッシュ。タイムは44秒2ということで、800mのペースくらいでは走れた。しかし、その代償は大きく、また肉離れという結果となってしまった。比較的軽い症状だと思うので、しばらくは、微弱電流を流し、明後日は行きつけの治療院で診てもらおうと思う。

■2025年3月25日(火曜日)
 昨日は次男が、今日は三男が1年間の学校が終業となった。それぞれ通知表をもらって帰ってきたが、次男の通知表は、A4の普通紙1枚に印刷されているだけで、これが通知表?という感じで驚いた。字が小さすぎて裸眼ではなかな読みづらかった。体力測定は2年連続学校で最も良い成績で、授業中もしっかり取り組めていたはずなのに、体育は最高評価の5ではなかった。次男本人も自分が5ではなかったとしたら、誰も5をもらった人はいないだろうと話していた。そんなことってあるのだろうか?
 三男は、この半期の出席が5分の1ほど。ほとんど受けていない授業があったりする。テストも全く受けていない科目もあり、さすがに最低評価の1が沢山あるかもしれないと予想していたが、1の評価は2科目だけで、2と3の評価の方が多かった。休んでいた割には、成績は良かったので本人は満足そうだった。9月10月はほとんど登校していなかったことを考えれば、最終的に5分の1出席できただけでも、意外と通うことができたのだなぁと思えた。新年度からはしっかりと通うと話しているが、親が車で送るのではなく自分の脚で通ってもらえるとありがたい。

■2025年3月24日(月曜日)


菜の花になってしまった水菜



誕生日プレゼント
 一昨日の夜は、2時間寝たところで鼻づまりで鼻呼吸ができなくなり、どうやって鼻づまりを解消するかというところで、その場で運動してみたり、できうることをいろいろとし、また2時間ほど寝たところで、鼻づまりが復活し、その後寝られず朝になり、睡眠不足で目がしょぼしょぼという感じで1日を過ごすこととなった。しかし、帰宅後は鼻が通るようになり、昨夜は1番しっかり寝ることができ、鼻呼吸ができることがいかに幸せなことかということを改めて実感した。普通に呼吸ができて生きていられるというだけで幸せだと思えると、目の前は幸せに満ちた世界でしかなくなる。
 鼻づまりの時には、水のような鼻水がひたすら垂れてくる時もあれば、鼻の中が完全に乾燥して鼻の穴の表面がカリカリに固まる時もある。鼻水が垂れているときの方が、鼻が通りやすく、乾燥しているときの方が厄介な感じがある。また、片方が詰まっていて、もう片方が通っていて、あるタイミングで場所が逆転したりする。何がきっかけでこういった違いが出てくるのかがよくわからない。何かきっかけはあるのだろう。鼻のことだけでも自分のことなのに知らないことがありすぎる。
 今日は1日、比較的鼻は通っていて過ごしやすかった。土日は、森の中にある建物で生活していたため、花粉が多く飛んでいたのかもしれない。自宅の方が症状が軽く、我が家が一番と思えるところが、また幸せなことだと思えた。

■2025年3月23日(日曜日)


夕日
 ランニング学会2日目。特別講演やシンポジウムが開催された。
 シンポジウムでは、「箱根から世界へ、次の100年に向けて」というテーマで、実業団や大学で指導されている指導者がシンポジストとして競技力だけでなく、文化的な面などについても話し合われた。青山学院大学の選手は、箱根駅伝だけではなくマラソンでも学生記録を次々と更新するなど、素晴らしい成果を出しているが、その裏には、昭和的な泥臭い練習がしっかりできていて真夏には月刊1500km走る選手もいて、その距離をしっかりと走り込んでいるという裏付けが貯金のように効いていて、箱根駅伝後のマラソンでも結果を出せるのではないかとの考察があった。さらに、最近の選手は、マラソンが辛い種目というよりも楽しむものというようなマインドで走っていることも成果の出る要因ではないかとのことだった。練習の傾向としてははリティアードのトレーニングが根底にあり、流行に流されない伝統的な練習がしっかりできており、その練習ができる裏には、指導者との信頼関係がしっかりできていることが大きいようだ。最近は、海外からたくさんの情報が入ってきて選手は、その流行りの練習をやりたがるという。大迫選手がオレゴンプロジェクトへ行くようになり、東海大学がそれに続いたが、スピード重視の練習では、箱根駅伝で勝ち続けるのはなかなか難しいのではないかと考察されていた。
 学連の選抜チームについて、現状は、廃止の方向で動こうとしているが、どのように考えているかシンポジスト全員に質問したが、全員が意義があると回答してくれた。この意見が関東学連の駅伝対策委員に届くわけではないが、とても心強い回答だった。

■2025年3月22日(土曜日)


近代五種オブスタクルの施設




ワークショップ参加者
 ランニング学会大会参加のため、千葉のリソルの森(旧エアロビクスセンター)へ。
 学会プロジェクト事業報告、ポスター発表、シンポジウム、特別講演、口頭発表、ワークショップなどが行われた。
 プロジェクト事業報告では、「ハーフマラソンプロジェクト 〜フルマラソンの至適ペースを探る〜」と題して、ハーフマラソンの結果からフルマラソンのタイムを予測するなどの情報が公表された。気象条件に大きく影響を受けるが、日本時でも2時間03分台のタイムは、今の選手でも出せるのではないかと希望の持てる話しが最後に示されていた。
 シンポジウムでは、「障がい者スポーツの現状と未来〜パラリンピックを通じて〜」と題して、現役の指導者とランナーが参加して、詳しすぎるマラソン解説で有名な増田明美さんが司会をしながらシンポジストから様々な言葉を引き出していた。視覚障がいの選手たちは、視覚情報の言語化、相手にきちんと言葉で伝える・表現できるという伴走者を必要としていて、なかなかなり手が増えていかないことが常に問題としてあるとのことだった。
 特別講演ではカンボジア代表としてリオデジャネイロオリンピック男子マラソンを走った猫ひろしさんが、自身がマラソンと関わるきっかけから、その後の活動について講演した。カンボジアでは、マラソンのスタート時刻は決まっていても、その時刻よりも早くスタートしてしまうなど、ありあえないことがいくつもありえてしまうそうで、そういったことに対してもイライラしないおおらかさがあるというのがカンボジアらしさのようだ。
 ワークショップは、セビリア世界陸上(1999年)日本女子マラソン代表だった市河麻由美さんによる、「ピラテス&ランニング」に参加。ピラテスで、腸腰筋を緩め、胸椎を動かすことをし、股関節を動かすことで、ランニング中の空中局面の時間が長くなり、一歩の移動距離が長くなることを実感できた。

■2025年3月21日(金曜日)
 昨日の練習はしっかりできて満足だったのだが、その後両脚の大転子付近が激痛。歩いていても氣になるほどになってしまった。治療院では、骨盤の前傾が強い影響で痛みが出ているのではないかという指摘を受け、骨盤前傾を緩和する運動などを指導して頂いた。股関節の痛みは、昨年から続いているので、かなり長い。右ヒラメ筋の痛みがなくなりやっと走れるようになったというところだったが、體の方は、まだまだ整えなければきちんと走ることはできないよと教えてくれているのだと思う。體の声に耳を傾け、とにかく改善を目指したい。

■2025年3月20日(木曜日)


近所の神社
(本殿の上に太陽)
 午前は、昨日転勤で横須賀へ戻ってきた同期が会いに来てくれ、その同期と60分ジョグ。話しながら走っているので、あっという間の60分だった。
 午後はサーキットトレーニング、3000m+300m+200m×2+100m×3。サーキットトレーニングは、1セット目から3セット目までで徐々にタイムが落ち、最後はかなり疲労を感じた。そのまま3000mのペース走へ移行したので、1000mあたり3分50秒くらいで行ければいいなぁと思いながらスタートした。結果は、3分52秒9、3分49秒8、3分45秒8ということで、だいたい思っていたとおりのタイムで走れた。
 300m以降は、次に走る距離をジョグでつないだ。300mは51秒1、200mは、31秒5と31秒2だった。100mは15秒0、14秒6、13秒6ということで、少しずつ速度を上げていくことができた。300mは48秒(目標とする1500mのペース)では走りたかったが、まったく速い動きには対応できていなかった。しかし、100mは13秒台まで上げられたので、そのうち300mも走れるようになるだろう。

■2025年3月19日(水曜日)
 今日は、昨日までと比べ氣温が低く、かなり雨が降った。横浜より北は雪で、都内も雪が積もったとの報道があった。関東学連春季オープンが行われている上尾公園陸上競技場は雪が積もったため中止となったようだ。春の天候は、日々変化があって、面白いが、氣温の変化の激しさは、體への負担が大きいなぁと思う。庭の植物たちも、新芽を出そうとしているところで、急に冬に逆戻りという感じで、人間同様、負担が大きいのではないかと思ってしまった。三寒四温と言われるが、その通りの氣候が続いている。

■2025年3月18日(火曜日)
 関東学連春季オープン2日目。学生は、110mHと400mに出場予定だったが、110mHに出場する学生は、ウォーミングアップのスタートダッシュで、肉離れになりそうな感覚になったため、招集時点で棄権となった。400mに出場の学生は予定通り出場。周りは彼よりも格上の選手が多く、うまくいけば自己ベスト(48秒50)を越えるタイムが出るのではないかと思って期待していたが、日が出ている割には意外と寒く、選手たちの動きはあまり良くなく、上位3名が49秒台で、本校学生は6着で51秒16だった。シーズン初戦であり、関東インカレのA標準は既に突破しているので、本番となる関東インカレで、最高の結果が残せるよう練習を積んでいってくれればと思う。

■2025年3月17日(月曜日)


本校学生
 学生が関東学連春季オープンに出場のため、サポートで上尾へ。行きの横浜横須賀道路は、入った直後から大渋滞。どうやら横須賀インターよりも先で事故があったようだ。全く進まないので、横須賀インターよりも手間で下道に降りた。しかし、こちらも大渋滞。普段であれば、20分くらいあれば横浜市に入ることができるのだが、今日は横浜市に入るのに1時間半ほどかかり、学生のウォーミングアップの時刻には間に合わず。サポーターとしてはあまり役に立たなかった。
 今日は氣温が高かく風が強かった。風の吹き方によって暑かったり寒かったりで、中途半端な氣候だった。特にホームストレートは向かい風で、記録会にはまったく向かないコンディションで、400mHは、最後はみなジョグをしているような感じでかわいそうだった。
 本校学生は3名が5000mエントリーしていたが、出場したのは1名のみ。最初の1000mは、先頭集団の最後方で3分ちょうど。このまま行けば15分前半は行けるのではないかと思ったが、1000m通過後、先頭集団から離れてしまい、その後は、フィニッシュまで一人旅。1000mあたり3分10〜20秒の間でラップを刻み何とか15分台でフィニッシュ。本人も先日のハーフマラソンを走っている時のような感覚だったと回想していた。今シーズンは始まったばかり。今シーズンは14分台を期待している。
 明日も記録会は続くため、往復の交通費を払うよりも宿泊した方が安く済むため大宮へ宿泊。夜は、昔の上司と飲んだ。その上司も70歳になったとのこと。最近は様々な動画を視聴しているとのことで、お金の仕組みや政治の話しで盛り上がった。

■2025年3月16日(日曜日)
 実業団と大学チームが出場したエキスポ駅伝の中継を前半だけ視聴。1区は大学生に先頭を引っ張らせて、じっと後ろで待機し、最後にスパートをかけて先頭に立ったトヨタ自動車の吉井選手が区間賞。ちょっとずるい走りだなぁと思ったが、実業団は実業団で、絶対に大学生には負けられないというプレッシャーの中、勝つための作戦だったので仕方がない。2区では、一旦駒澤大学に追いつかれたトヨタ自動車だったが、後半は、駒澤大学を引き離し、その後は独走で。フィニッシュまで先頭を譲ることなく優勝。2位争いは、実業団と大学が混じってなかなか見応えのあるレースだったのでないかと思う。区間賞は、7区間全てで実業団選手が獲得したが、多くの区間で大学生が区間2位となっていることからも、大学生の実力も実業団選手から大きく差を付けられるほどではないということが示された。実業団は、外国人ランナーを出場させ、大学は、卒業した4年生を走らせた学校もあったが、4年生の参加は少なく、明らかに不利だったのではないかと思った。
 実業団対学生対抗の試合は、トラックとフィールドでは昔から継続されているが、お客さんも少なく注目度は低い。駅伝は、テレビ放送があるので、注目してもらいやすい。この実学対抗の駅伝版が今後も続けばいいなぁと思う。

■2025年3月15日(土曜日)
 昨日痛みが強かった右股関節は、一晩寝ても変化なく痛い。座骨神経痛を緩和する方法はないものかと、昨年末セミナーを受講させてもらった土信田先生のYouTubeで検索してみたところ、ちょうど良い動画を発見。思いも寄らない部位を触ることで緩和することがわかり、早速試してみた。
 いじった部位は、肘筋、棘上筋、小臀筋。小臀筋は股関節にくっついている筋肉なのでわかっていたが、肘にある肘筋と肩甲骨上部にくっついている棘上筋が関係していると思わなかった。しかし動画で話しながらデモをする先生の指示に従ってこの3つの筋肉をいじってみると、一氣に股関節の動きが軽くなり、痛みが激減し驚いた。運動がしばらくできないのではないかと思っていたのだが、すぐに動けるようになったので、2週間ぶりにサーキットトレーニングを実施。座骨神経の痛みを感じることなく、2週間前よりも速いタイムで3セットをやり切ることができた。その後調子乗ってトラック練習もやろうと思って、スタートしたが、スタート直後にまた座骨神経の痛みが発生し中止。調子に乗りすぎた。痛みを緩和する術を手に入れることができたので、體と相談しながら練習は継続できそうだ。

■2025年3月14日(金曜日)
 昨夜から、花粉症の症状が強くなり、常に水のような鼻水が垂れ、その度に鼻をかまなければならず、逆に鼻水が出ないときには鼻づまりになり、寝ている間も常にティッシュペーパーが必要で、寝たのかどうかわからないうちに朝になるという感覚だった。いよいよ花粉症が猛威をふるいだした。
 学生たちは、今日から春季休暇前段。18日には戻ってきて22日の卒業式の準備という予定なのだが、春合宿の計画はなく、競技場には練習をする学生は1名のみだった。来週の記録会で110mハードルに出場する学生だったので、一緒にハードルの練習をさせてもらった。
 ハードル間のインターバルを実際の距離よりも1.5足長短くしてミニハードルを5つ並べて、ハードルのリズムでダッシュをしたのだが、後半は、無理に足を出さなければ越えられない感じで、実際の距離では3歩で走るのは不可能だと思った。その後、ジュニアハードルの高さで2台並べて実際のインターバルで走ってみたが、逆足でハードルを越えることができないので、5歩でインターバルを走るしかなかった。抜き足が戻ってくるのが遅いので、ハードルを越えた直後の着地姿勢が後傾して、次の走りにつながらないというのがもどかしかった。とりあえず十種競技での完走 が目標なので、自分のできる範囲でやっていくしかない。ハードルを跳んだ後は、100mを3本走ったのだが、抜き足の右股関節が激痛となった。また座骨神経痛の痛みだ。またまた困ったことになってしまった。

■2025年3月13日(木曜日)
 夜は、卒業予定学生たちによる謝恩会が開催された。横須賀市の副市長を始め多くの来賓が出席された。その中には学校を支援する団体の役員をされている陸上競技部OBの大先輩方2名もいらっしゃり、先輩方に今回卒業する部員たちを紹介することができた。今回の卒業生たちは、緊急事態宣言中に入校してきた。しかし、陸上競技の試合は再開され始めた時期でもあった。やっと試合に出られるようになるはずが、横須賀市からまん延防止等重点措置が適用となって、学校側から試合に参加を止められるなど、まだまだもどかしさが続いた時期だった。2年生まではコロナの影響が強かったが、3年生以降は競技に集中できる環境となり、コロナで崩れてしまった新入生歓迎会、夏合宿、納会など部のイベントを復活させるなど、部のまとまりや再構築に力を注いでくれた期別だった。彼らの尽力に感謝しつつ、思い出話に花が咲く時間だった。

■2025年3月12日(水曜日)
 自衛隊に進まず医者を目指していた卒業生から、大学に合格したという連絡があり、とてもうれしく思った。高校時代の知識を詰め込み直すのにかなり時間がかかり、浪人生活も長かった。走ることが好きな子だったが、なかなか走ることもできず、じっと耐えながら勉強に取り組み、やっとスタートラインに立つ権利が得られた。大学に入ったら、また陸上部に入って中長距離に取り組みたいというコメントもあり、陸上に対する情熱は変わっていないようで、さらにうれしくなった。関東の大学への進学なので、試合会場での再開の可能性も高い。こちらも当時より進化した身体技法があるので、再開の際には彼に紹介できればと思う。

■2025年3月11日(火曜日)


つくしを発見
 手のひらの親指の中手骨と人差し指の中手骨の間にある合谷と呼ばれるツボがかなり凝っていて、反対側の指でゴリゴリとほぐそうとするとかなり痛みを伴い辛いのだが、ほぐしたい側の上腕三頭筋をほぐしてあげると、なんと合谷部分もほぐれてしまうことを知った。さらに手のひらの部分の他の指の中手骨の間をほぐしてあげると、肩の高さが急激に下がり、腕が良く回る。その状態で、上腕骨を触って骨ストレッチの基本の動きをやってあげると、さらに肩の位置が下がり、より腕の重みを感じることなく氣持ちよく腕が回る。動きの悪い部分に油をさしたようなスムーズさ。久しぶりに氣持ちの良い腕回しができた。これによって肘の位置が整い、やった側の足で片足立ちをすると、力感なく立つことができる。やっていない側との比較は歴然としていて、やっていない側は明らかに筋肉で力を使って立っていた。腕をいじっただけなのに脚の状態まで変化するというのが面白い。前腕の力みが全くなくなり、バイクの全力こぎをやってみると、腕の存在感がなくハムストリングスでこいでいる感覚がより強まった。いつもどれだけ腕に力を入れてバイクをこいでいたのかということが実感できた。體の変化というのは本当に面白い。

■2025年3月10日(月曜日)


竜巻のような雲
 昨日痛めた右ふくらはぎは、今朝は犬の散歩の際に若干氣になるくらいで、午後には、痛みをkなじなくなった。夜は、行きつけの接骨院へ行き、右ふくらはぎの状態を超音波診断装置で確認してもらった。感覚の通り、少し痛めているようで、触診してもらうと、硬くなっていて、痛みがある部位があった。痛みがなければ、どんどん動かしていけばいいとアドバイスを頂いた。またゼロからのスタートという感じに戻ってしまったが、今できることを淡々とやっていくしかない。

■2025年3月9日(日曜日)


新芽が出始めたウコギ
 三男がトイレにこもることが多く、今日もなかなかトイレから出てきてくれないので、我慢ができず、近所の公園へ向かうことにした。かなり緊急を要す状況だったため、自転車に乗り公園へむかったのだが、右脚でペダルを踏み込む際に、ピキッと右ふくらはぎに痛みが走った。その後ペダルをこぎ続けると右に体重をかけるたびに痛みを感じるようになった。公園へ着き、歩いてトイレへ向かったが、右足を接地するたびに痛い。せっかく治りかけていた肉離れが再発してしまったようだ。今日はサーキットトレーニングをする予定だったが、結局運動をすることができなかった。

■2025年3月8日(土曜日)


新しいスマホ
 右ふくらはぎの痛みが緩和し、ジョグもできるようになってきたので、トラック練習を再開。
 メニューは3000m+300m+200m×2+100m×3。3000mは、3分50秒/kmくらいのペースで走れればいいかなぉと思ってスタートしたのだが、結果的には3分40秒kmよりも速く、意外と走れて驚いた。しかし300m以降は、體が浮いてもがいているだけで全く進んでいる感覚がなく、現状がどういった状態なのかということがよくわかった。右ふくらはぎについては、全く問題がなくなったが、左臀部の違和感は相変わらず残っている。月末に市の記録会があるが、出場するかどうか迷うところだ。
 午後は、携帯電話の調子が悪くなってきた三男を連れて近所のヤマダ電機へ。契約している電話会社との契約を解約し、自分の契約している電話会社へ乗り換えることで、安くスマートフォンを手に入れようと思って、店員さんに相談にのってもらった。結果としては、電話番号を変えずに乗り換えるだけのつもりが、電話番号は、自分の契約している会社に乗り換え電話としてその番号を使い続けると共に、eSIMで別の電話会社と契約し、そこから新たなスマートフォンを手に入れ、データ専用で使うという想像もしなかった方向で契約することとなった。最近は、スマートフォンの購入先と契約の会社が一致しないことはよくあるらしく、最も安くできる選択を、時期を見ながらどんどん変えていくというのも当たり前になりつつあるという。なんだかよくわからないが、9月頃まではかなり安く使用できるらしく、それ以降は、また相談して最も安いプランを選択することになるようだ。時期を忘れないようにしなけらばならない。

■2025年3月7日(金曜日)
 20年ぶりぐらいに大学時代の仲良しと再会。彼の大学と大学院時代の研究指導教官が年度末で定年退官となり、明日は研究室の関係者で退官記念パーティーが開催されるため前日から横須賀へ入ったとのことで、わざわざ会いに来てくれた。明日のパーティーでは、指導教官とゆっくり話ができないということもあり、午後はたっぷり指導教官と話しをしてきたようだった。
 彼とは年賀状ではやりとりをしていたが、昨年の郵便料金の値上げをきっかけに年賀状を出すのをやめてしまい、彼は、携帯電話を1度も所持したことがないという珍しい人物のため、連絡を取ることもなくなっていたので、改めてつながることができて良かった。
 3,4年ほど前に、ある病となり、薬を常用しなければならなくなったようだが、何事にもちょっとやる氣のない感じが昔と変わらず、周りにも公言しているというところが唯一無二の存在だと思った。出会った頃から、疲れることは嫌いで、当然走ることも嫌いだと公言していて今も変わっていないのだそうだが、毎日走っていて、多いときには朝昼晩の3回走ることもあるという。言っていることとやっていることがあべこべでよくわからないが、病と共存していると言いながらも見た目は昔と変わらず元氣そうで安心した。またの再開を楽しみにしたい。

■2025年3月6日(木曜日)
 最近車を運転していると目に見える物理的な空間と心の中の精神的な空間を行ったり来たりしている自分がいることを認識させられる。車で通過するある場所を意識的に確認しようと思っていたのに、頭の中で何か別のことを考えていて、目標地点を目では見ているはずなのに、氣が付くとその場所をすでに通過していて確認できなかったということがよくあるのだ。運転をしながら上の空という状態。自分で車を運転していてとても危ないなぁと思う。車を運転するときだけは、考えごとは安全上良くない。目に見えることよりも目に見えないことの方が優先されるということなのか。

■2025年3月5日(水曜日)
 アメリカのトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の会談において予定されていた合意ができず、ゼレンスキー大統領は追い出されるようにヨーロッパへ渡り、ヨーロッパの首脳たちと今後どうするかという相談をしているような報道がなされている。
 トランプ大統領は、とにかくウクライナ国民の犠牲者をできるだけ出さないよう直ちに停戦に持っていきたいという感じなのに対して、ゼレンスキー大統領は、ウクライナが守られる保証が欲しいとごねて、けんか別れをしたように見えるが、こういった場面をわざわざ公の面前でやるものなのかと不思議に思った。
2022年3月にウクライナとロシアの間で停戦交渉が行われていてまとまりかけていたところに、イギリスのジョンソン首相のウクライナ訪問があり、ロシアとの交渉が決裂している。こういった経緯や今回の会談の直前には、ゼレンスキー大統領は、アメリカの民主党関係者とも会合を開いているとのことで、なんとか戦争を継続する方向で動く意図があったとの報道もある。
 一つの事象の裏側には、あまりにも複雑な要因が重なっている。何が善で何が悪かは見方によって変化する。今の報道が、とにかく偏ったものばかりに見えるので、本当のことがよくわからない。

■2025年3月4日(火曜日)
 こども家庭庁が10億円をかけて導入しようとしていた虐待判定AIが、判定ミスが6割とのことで、実用は困難となり、導入が見送られたとの報道があった。作成業者はできる見込みがあり、入札で勝ち取った事業なのだろうが、失敗した場合でもこの10億円は受け取ることになるのだろうか。受け取れるのであれば、わざと低い価格を設定して入札を通過し、やっぱりできませんでしたという詐欺ができてしまう。契約通りにいかなかったのであれば、10億円返還請求をしてほしい。
 こども家庭庁がどんな政策を推進したのか全く知らないが、この1年で出生数は過去最低を更新している。三原大臣は、1,2年で効果が出るものではないとの発言をされているようだが、自民党が民主党から政権を取り戻して10年以上は経つだろう。その間、ずっと子どもが減っているのだから、政府は本氣で人口を増やそうとしているようには見えない。先週、ハンガリーでは、2人以上の子どもがいる母親は所得税を生涯免除という政策を打ち出した。ロシアでは、母親資本という政策で子どもが生まれる度に田舎であれば家が一軒買えるくらいのお金が支給され、出生数が回復したという。いらぬ省庁を増やさず、このくらいの大胆なお金のかけ方をすればいいのに、ケチなことばかりをしているように見えてしまう。

■2025年3月3日(月曜日)
 昨日は、半日三浦海岸で過ごしたことで、花粉にまみれてしまったのか、夜はとうとう鼻づまりとなり、眠りづらかった。朝起きた時には目の下にクマができていた。鼻づまりとの戦いが始まってしまった。
 今日は天氣は久しぶりの雨。雨の日は、花粉の飛散は少ないので大歓迎。朝から、風と雨が吹き荒れる荒天だった。雨が降ると、庭に水をまかなくてよくなるので、水道代も浮いて得した氣分になる。特に、今は茶色い枯れたような状態の芝生が緑に再生していく時期にかかっているので、水は欠かせない。朝の水やりの時間を削ることができるだけで、時間も得したような氣分になる。
 反面、犬は散歩に連れて行くことができない。犬にもカッパを着せて散歩をする家庭もあるが、我が家にはなく、雨に濡れて帰ってきた後の処置が大変すぎて、朝から雨の中散歩に行くという選択肢はない。車があれば、トンネルに連れて行って、そこで散歩をする場合があるが、今朝は、妻が次男を駅まで送っていってしまったため、車がなく散歩は断念。そのおかげで、時間に余裕ができ、朝はゆったりとした時間を過ごせたような氣がする。明日、明後日も雨や雪の予報が出ているが、たくさん庭に水分を落としていってほしい。

■2025年3月2日(日曜日)


三浦海岸の日の出





三浦海岸の河津桜
 三浦国際市民マラソンにエントリーしていたが、まだジョグを再開したばかりで、速度を上げて走るのは危険なため、レースは棄権。しかし学生3名が出場するので、荷物番として会場入り。家族が自転車を使うため、移動手段は車しか選択肢がなく、車になると駐車代を安くしなければならないため、駐車代のかからない駐車場を目指し、朝6時過ぎには会場入り。学生が会場入りするまでには時間があるので、満開となっているであろう京急沿線の河津桜を見に行った。6時台なのに、すでに河津桜を見に来ている人が想像以上に多かった。舗装されていない空き地なはずの臨時の駐車場もすでに稼働してて、駐車すると1000円。砂埃であっという間に車が汚れそうな駐車場なのだが、いい商売だなぁと思った。河津桜は満開で、素晴らしい景色だった。日中は、歩くことが困難なくらい人でごった返すだろうと想像していたが、今日は、妻と三男が、日中訪れて、20分で行けるとの表示があったところが3時間以上かかったと話していて、想像通りだった。
 レースに出場した3名は全員ハーフマラソンを走った。そのうち2名は走る前から脚が痛いと訴えていたので、棄権を勧めたが、本人たちは、どうしても走れないと判断した場合には途中棄権するとのことでスタートしていった。今年は、計測用のタグが短冊状の紙に印刷され軽量化が図られていた。薄っぺらいが折ってしまうとタイムの計測ができないらしく、靴紐に通して両面テープのある両端を合わせて円にしなければならなかった。走っているときに視界に入るとなんだか嫌な感じはあるが、両足についていることで、どちらかの足がフィニッシュラインに入った時にタイムが止まるということで、より正確なタイムが出るようになったのかもしれない。
 学生3人の結果は5位、11位、19位で全員完走。とにかく坂が多く、タイムを出せるコースではなく、練習だと思って耐えて走ったとのことだった。脚の痛みがより強くなった感じでもなかったので、無事にレースが終了できただけで安心した。

■2025年3月1日(土曜日)


3兄弟の走り





珍しく揃った家族
 年に1度の子どもたちの50mタイム計測を実施。今年で10年目。今年は、子どもたちに指示しなくても、自然と測定器材の設置を始めてくれ、とても助かったし、準備時間が以前よりも格段に短くなった。しかしながら、器材に電源を入れ、通電のテストをしてみると、上手くつながっておらず、機器の接続部分を一つ一つ確認していったところ、きちんと接続部がはまっていないところを多数発見。最終的には、こちらで確認しないとまだまだうまくはいかない。2018年から続いていた20m〜40m区間の内、器材末端4m分の計測ができないという症状は、原因がフィルターをONにしていたということがわかり、長年の問題がやっと解決し、今年は20m〜40m区間の値がすべて計測できた。
 今回は、長男と三男が3回、次男は計測用に2回、自分の探求のために2種類のスパイクで2回ずつ走った。途中からデータが取れていないことがわかり、原因を探求していくと計測ゾーンにゴムマットが入ってしまっていることがわかり改善。とりあえず、全員が1回目の測定タイムが最も良いタイムで、その3回はきちんとデータが測定できていたので問題はなかった。しかし、次男は、スパイクで走った際のデータがきちんと取れていなかったため、2回目を走ることとなり、タイムが遅くなってしまったのは申し訳なかった。
 今年は、三男が次男よりも身長が高くなり、垂直跳びの値が劇的に上がった。最も驚いたのは、普段全く運動をしていない長男が、タイムを落とすことなく、この3年では最も良いタイムで、陸上競技を一生懸命やっている次男と比べても、それほど遜色のないタイムだったことだった。
 普段は、家族がそろうことが少なくなり、なかなか時間を合わせて何かをするという機会はなくなったのだが、50mの計測は、子どもたちも意外と楽しみにしているのか、なんとかスケジュールの都合がついた。それだけでも有り難いなぁとしみじみと思ってしまった。



[昔のいずみ]