最近のいずみ

Last Update:2025/10/13



パートタイムアスリートいずみ 25年目に突入 

■2025年10月13日(月曜日)
 練習は早朝にサーキットトレーニングと4000mペース走。
 左親指の突き指から2週間以上が過ぎたが、全く痛みがとれず、治療院で屈曲と伸展の制限を加えるテーピングをしてもらって、テーピングを着けたままで生活している。さらに右肩の痛み(いわゆる五十肩)もこの2週間でひどくなってきて、右腕を回すことが辛くなってきている。そういう状況なかでサーキットトレーニングができるだろうかと約2週間ぶりのサーキットトレーニング。バーピーで手を床に着くときに、親指が伸展されるので若干痛みがあり、シャフトやダンベルを持つ際にも若干痛みを感じた。親指はできるだけ関与しないように運動をしているつもりでも動員されてしまうことを実感した。右肩は、バーベルを担ぐ、フライングスプリットやスクワットで痛みがあり、クリーンアンドジャークをしたときに、ジャークで腕を挙げて肘を伸ばす手前で痛みが走った。クリーンアンドジャークは3セットをこなすのはかなり厳しいのではと思った。1セット目最後の綱上りは、左手親指も右肩も違和感を感じながらの動作で、特に親指が使えないことで、思っていた以上に綱を握ることができず、上る速度にかなりの影響を与えていた。1セット目が終わったところで、2セット目に入るかどうかの葛藤が一瞬だけあったが、やれるところまでやろうと思い2セット目に突入。その後は、いろいろと痛みを回避する工夫をしてみたところ、なんとか痛みを強く感じることなく継続でき、タイムは遅くなったが、3セット目までやり切ることができた。
 4000mペース走は、伊豆の島々に台風が直撃している影響で、小雨と風の中走ることとなった。1000mあたり4分を目指して走ったが、予定通りに走れたのは最初の1000mだけだった。その後も、自分の中では同じリズムで走っていたが、4分以上のペースになってしまった。いろいろと痛みを抱えているので、まずは、練習を継続することを第一目標としているため、走り切れて良かった。痛みを緩和させつつ練習を継続させていきたい。

■2025年10月12日(日曜日)


スタート



1周目第2コーナー



残り1周



フィニッシュ
 横須賀市民体育大会800mに出場。昨年は11月初旬に800mのレースに出場したものの、膝の痛みなどで練習をしておらず、学生のペースメーカーとして300mまでしか走ることができなかった。今年も5月末に横須賀市選手権で800mに出場したが、左膝の違和感などにより、1周目を60秒くらいで回った直後に棄権。2レース連続での棄権をしており、800mを完走したことがない状態が1年間続いている。3連続途中棄権は避けたいが、中距離的な練習は、9月と10月でそれぞれ1回だけという状況。火曜日の練習の状況から、2分05〜07秒くらいが、今の力かなぁと予想はしつつも、今日もフィニッシュラインまで走りきれるのだろうかという不安を抱えながらのスタートとなった。予選は4組あり、各組1着と2着以降タイムの速い上位4名が決勝進出できた。
 同じ組に2分を切っている知り合いがいたが、今日は棄権とのことで、走る前から順位が一つ繰り上がったと思った。レースは、2人の高校生が飛び出して、自分が3番手で1周目を通過した。1週間ほど前に学んだばかりの松果体のイメージと、9月に学んだ足の指のイメージをこころがけながら走ったのだが、これが上手くフィットし、1周目を60秒台で通過したが、かなり余裕があった。あと1分で回れれば2分でフィニッシュできると思い、うれしくなった。
 しかし、2周目に入った途端、先頭の高校生がペースダウンし、2番手の高校生もなかなか前に出てくれず、自分が前に出ようかと思ったが、この1年完走できていないほどの未知の距離なので自分で出て行く勇気はなく、自分も速度を落として我慢して3番手を走った。残り250mくらいから2番手の高校生が先頭に出たので、自分もその後ろについていった。このままペースアップをしてくれれば良かったのだが、先頭に出た高校生は、それほどペースを上げることなく、後ろについている自分の状況を見ながら速度を調整して走っていた。残り100mになり、こちらがペースを上げると、それに合わせて追いつかれないようにペースアップをするということが2、3度あり、そのまま先頭に立つことはできずに2着でフィニッシュとなった。
 タイムは2分06秒72。想定通りのタイムだったが、2周目のラップがあまりにも遅くて悲しくなった。2周目のペースダウンがなければ2分03秒くらいは行けた可能性があると感じ、次に期待の持てるレースとなるとともに、自己最低のシーズン記録(2021年の2分07秒97)を回避できた。
 学生たちは、400mハードルで男女とも優勝。男子は大会新記録で女子は学内新記録だった。男子4×400mリレーでは、学内新記録を狙って走ったが全く届かず、期待はずれなタイムとなったものの大会新記録での優勝を飾った。

■2025年10月11日(土曜日)
 今日と明日は横須賀市民体育大会なのだが、学生たちはなぜか月曜授業の日。3連休に授業を持ってくるのはちょっとどうかと思うが、授業優先とのことで、大会出場はかなわなかった。次男は、棒高跳びにエントリーしていた。しかし、台風に関連する雨や風の影響で棒高跳びのみ明日に延期。明日に延期となっても、一昨日の肉離れのため出場はかなわなかった。自分は明日行われる800mにエントリーしていて、今日は走らないため、学生たちの棄権を役員の担当者に伝えるべく、午前だけ競技場へ行った。気温は20度前後で雨が降り、風もあるため、特に短距離にはあまり向かない氣候で、出場している選手たちがケガをすることなく1日終わってくれるといいなぁと思いながら競技場を後にした。
 今日は、明日に向けて最終調整の刺激を入れるつもりでいたが、雨と寒さのため、まったく氣が乗らず、刺激を入れるのはやめて40分ジョグ。ジョグをするのもきつく、速歩くらいの速さでトボトボとジョグをした。本当に明日800mを走るのだろうか、という全くやる氣の感じられない練習となった。

■2025年10月10日(金曜日)
 公明党が与党から離脱する決断をした。20年以上協力関係にあって、自民党にとっては、公明党関係者の組織票により、当選している議員が沢山いたはず。今後、公明党の協力がなければ当選できない議員が多発する可能性がある。首相指名選挙では、過半数を獲得できなければ、上位2名の決選投票となるが、野党がまとまって野党の候補に投票すれば、自民党はまた野党に転落することになる。しかし、野党は、それぞれ主張していることが違うため、まとまるようにも見えず、まとまって新政権を誕生させたとしても、政権内で意見の相違が発生し、短命政権になってしまいそうなので、なかなか統一候補を立てることは厳しく、決選投票は、白紙で投票するか、本来記載すべき候補ではない名前を書いて無効にするかという感じになり、結局自民党の高市候補が首相になるのではと思える。
 高市氏が首相になっても、石破政権の時と同じく、野党の協力がないと何も政策は進められない。結局状況は何も変わらないように思えるが、公明党が与党から去ることは、国土交通大臣のポストを明け渡すこととなり、外国人の日本の土地取引規制は進めやすくなりそうだ。
 昨日肉離れをして歩けなかった次男は、接骨院で借りた松葉杖をついて登校した。駅から上り坂の続く通学路のため、友だちが荷物を持ってくれ、何とか登校できたとのこと。そして、今日も接骨院へ行き、微弱電流、ハイボルテージ、超音波のフルコースで治療をしたという。昨日は全く歩けなかったが、今日は、かなりぎこちないが歩くことが少しできるほど回復していた。しかし、医師の診断を受けていないため、夜は整形外科へ連れて行った。先生は次男の話を聞き、触診をして、「肉離れだね」との発言をされ診断終了。接骨院で巻いてもらったテーピングを剥がして、また微弱電流での治療をした。わざわざ病院や治療院で微弱電流を流さなくても、我が家に器材があるので、それを使えば移動の負担は少なくなって回復も速まるのではないかと思った。

■2025年10月9日(木曜日)
 昨日は、自学学習が軌道に乗って、上機嫌だった三男だが、今朝は、妻と大げんか。昨夜は犬が夜中に吠えて、その対応をしていた自分と妻は、朝から調子が悪く、三男に犬の散歩を頼んだところ、「勉強があるからできない」と言い、妻は、「動画を見ているから時間はあるでしょ?散歩は少しの時間じゃない?」と説得したが、彼は聞き入れず。これ以上何かを言ってもややこしくなるので、それ以上は話をせず、洗濯物干しなどの家事をこなした後、自分が犬の散歩へ行き、朝食を食べられずに出勤となったのだが、散歩から帰って来た際には妻と三男の間がかなり険悪な雰囲氣になっていた。
 親に対し、「お前」とか「てめえ」とか言ってみたり、「死ね」とか「早く死にたい」と言ってみたり、最後に、「勉強なんかやめた」とふてくされていた。妻は、それに対して「誰のために勉強しているの?」と追い打ちをかける言葉をかけたため、その場にいるのが苦痛だった。
 帰宅後もどうなっているのか不安だったが、意外にも普通に会話をしていた。あまりにも感情の起伏が激しすぎてついていけない。これが思春期というものか。長男はおとなしめで何事も黙り込んでいて、次男は、ある程度感情の起伏があったが三男ほどではなかった。みんな違ってみんないいということで、親としては受け入れるしかない。
 今日は、夕方次男が「練習で肉ったから車で迎えてきて欲しい」と電話をかけてきた。あわてて時間休を取得し、次男の学校へ行ったのだが、次男は全く歩けない状態で、保健室の車いすに乗って車まで移動しなければならなかった。棒高跳びの踏切で左のハムストリングスから「ブチッ」という音が聞こえたという。跳躍はそのまま通常の跳躍からマットに着地できたそうだが、その後は痛みで動けなかった。行きつけの接骨院の超音波で筋肉の状況を見てもらったところ、半腱様筋が切れていることがわかったという。3から4週間で日常生活レベルには戻れるのではないかとのこと。明後日は市民体育大会で優勝を狙うつもりだったが、出場できなくなってしまった。残念だが、仕方がない。

■2025年10月8日(水曜日)
 学校へ行っていない三男が、昨日は学校へ行った。運動会のリレーで、練習の度にクラスの順位が最下位のため、走るのが速い三男にどうしても出て欲しいと要請を受けての登校だった。結果は4チーム中3番で、グラウンドの段差につまづきそうになり、大事なところで順位を落としたらしく、本人は納得がいかなかったようだが、クラスメイトは登校したことに喜んだとのこと。
 今日からまた登校はしていないのだが、9月から始めた自学自習が、軌道に乗ってきたようで、数学ではわからないことはAIに質問し、解き方を学び、それが応用できるようになり少し面白くなってきたとのこと。やる氣のスイッチを入れられるのは、本人しかいないということ。面白くなってきたことで、予定よりも1日の学習時間が長くなったりしているという。1年以上学習をしていなかったが、これまでの分を何とか取り戻して欲しい。

■2025年10月7日(火曜日)
 練習は一人で600m、500m、400m。休息は15分。感覚としては8割くらいで無理をしない走りをするつもりだったが、普段全く走っていないため、どの距離も途中から8割なのか全力なのか区別がつかなくなり、腕も脚が張ってきて最後は失速氣味になってフィニッシュという感じだった。
 600mは1分35秒くらいかなぁと思って走り、1分34秒?。最初の400mは61秒台で入ったが残りの200mで33秒もかかってしまった。残りの200mがとても長く、800mを走りきるのに更に200mがあると思うと、試合での完走は危ういと思った。
 500mは、残りの100mで急激にハムストリングスが張ってきて、完全に試合の時の最後の100mのような苦しさだった。走り終わった直後にえづき、ハムストリングスが張りすぎて、しばらく動けなかった。76秒くらいで走れればと思ってスタートしたが結果は77秒?だった。
 400mは、500mの疲労が回復せず、スタートから動きが鈍く、全くスピードが上がらず、中途半端な走りしかできなかった。64秒くらいで走れればと思ってスタートしたが、結果は65秒?で2本連続で目標には届かず・・・
 今日は久しぶりにカーボンの入っていない古いスパイクで走った。カーボン入りのスパイクは、どうしてもコーナーに入ると靴の中で足がぶれてしまう。古いスパイクは、足形に合わせて作られているので、フィット感も良くコーナーがとても走りやすかった。古いスパイクを履くのは4年ぶりくらいか。反発は全くないが、地面からの反力は、直に伝わってきて、タイミングのズレがなく走りやすい。しかしカーボンのように體が動かなくなったところで、上手く乗れば何とか進んでくれるというごまかしが効かないというデメリットもある。試合ではどちらを選択すべきか、なかなか悩ましい。
 久しぶりの中距離練習だったが、週末は800mのレース。今日の600mの感覚からすれば、2分10秒を切って、2分1桁というところかもしれない。1分台への道はなかなか険しい。

■2025年10月6日(月曜日)


まだ生きていたトンビ
 待ちに待った歯科受診。10日くらい前から右の奥歯が痛み出し、痛いところが、少しずつ移動してきて、今日は、前歯に近いところの歯茎が特に痛かった。歯の状況を見てもらい、レントゲンまで撮影したが、レントゲンには原因となりそうなものは写っておらず、今のところは推測でしかないが、かなり深刻な状態だと説明を受けた。
 歯茎の状況をチェックしたときに、1ヶ月ほど前は3mmくらいしか器具が入らなかった部位が、今日は9mmも入ってしまっていて、さらにそこから膿らしきものが出てきてしまっている。歯茎はかなり腫れていて、少し触れるだけでも痛いということは、歯の奥の方まで菌が入り込んでしまっている可能性がある。なぜ入り込んでしまったかを考えると、歯のかぶせものの下にある歯自体がレントゲンには写らなかったが縦にひびが入っているのではないかとのことだった。自分は寝ているときにかなりの歯ぎしりをしているようで、マウスピースを装着して、歯への負担を減らそうとしているが、そのマウスピースがすり減るくらいなので、歯への圧力が強く、この推測が正しければ、歯は竹を割ったような状態のため、最終的には全て抜くしかないようだ。すでに隣の歯が抜かれた状態のため、2本続けて歯がないという形になってしまう。その場合は入れ歯を入れるかお金をかけられるのであればインプラントという選択肢となるとのことだった。
 今日のところは、抗生剤と消毒のうがいを使って、歯茎の腫れを一旦緩和させるということになり、次回は、痛みのある歯のかぶせものを除去し、中の歯の状態を確認するという。面倒なことになってしまった。

■2025年10月5日(日曜日)
 近所の神社には犬の散歩で、毎日参拝するのだが、今日は、最初の鳥居をくぐる前に、鳥居の先の左側にトンビが座り込んでいて驚いた。トンビも犬がいたので驚いたのか、飛び立とうとしたが、左の翼にケガを負っているらしく、飛び立つことができずひっくり返って仰向けになってしまった。何とか体勢を立て直したいようだったが、思うようにはできず、ひっくり返ったまま、時々瞬きをするような感じでじっとしていた。参拝後も姿勢は変わらず、このまま死んでしまうのかもしれないと思いながら、神社をあとにした。
 夕方、トンビのことが氣になって、また散歩がてら神社へ行ったが、トンビの姿はなかった。いなくなっているということはどこかで生きているということなのかもしれない。
 この神社では、2ヶ月ほど前にカラスの死骸があり、1ヶ月ほどで羽根は残っているものの残りの部分は白骨化して、今も神社の片隅に残っている。トンビもカラスと同じ運命になってしまうのではと思っていたので、姿がなくなりホッとした。
 昨日は、注目の自民党総裁選が行われ、高市早苗氏と小泉進次郎氏の決選投票となり、高市氏が当選した。小泉氏は、ステルスマーケティングや勝手に党員を離党させた問題など、いろいろとありすぎた影響があったのかもしれない。党員票は、前回の総裁選と同じく高市氏の方が多く、前回のように議員票により逆転ということになると、党員は意志が反映されず、いてもいなくてもいい存在となってしまうところだったが、それは回避できたようだ。誰が総裁となっても、少数与党であることに変わりはない。野党と協力しなければ何もできない。ということで野党の主張する減税に耳を傾けてくれるといいなぁと思う。

■2025年10月4日(土曜日)


隅田川沿いの建物



彼岸花とスカイツリー



浅草寺



五重塔撮影中の三男
 WTラインシューズ感謝祭で浅草へ。WTラインシューズとは、シューズのアウトソールを他にはない加工をしてあるシューズで、履くだけで、からだの動きが良くなるのが特徴。これを考案したのが骨ストレッチの創始者の先生。今日のイベントは、シューズの試し履きと先生の無料講習会が受けられるということで、三男を連れて参加。
 講習会の前に、先生に自分の五十肩の状態を話し、どこをほぐすべきか聞いたところ「お代は高いよ」と冗談を言いながら、先生から見た自分のからだの状態を教えてもらうことができた。完全に重心が右に寄っているのが最も大きな特徴だった。さらにねじれてもいるらしい。まずほぐすべき所は、右の上腕三頭筋。もう一人の先生に協力して頂き、徹底的にほぐしてもらった。激痛だった。その後、第7頸椎の右側をほぐし、右足親指の人差し指よりの付け根をほぐしてもらった。ほぐしてもらった後に立ち上がると、ほぐす前とは全くからだのバランスが変わり、左に重心がよっているように感じた。いままで右に寄っていたため、バランスが整っただけなのだが、かなり感覚が変化していた。その後、三角筋周辺に振動刺激を入れてもらい、右の三角筋を抑えながら右の大腿直筋を立ち上がるたびにずらして押して大腿直筋もほぐしてもらった。ほぐしてもらった後は、かなりからだがかるくなり、五十肩の痛みは緩和した。重心やねじれは本当は自分で感じなければならないのに、内観力が足りないことを実感した。しかし、重心がみぎによっていることは、ワットバイクの左右差で解釈できたはずだと思った。もっと自分を感じられるようになりたいと思った。
 三男は、講習会を通して、いろいろと新たな発見があったようだ。しかし、今回は初心者向けの講習だったので、最新の講習会の話をして、動きを確認してもらったところ、そちらの方が劇的に動きが良くなり、それに感動していた。
 イベント終了後は、後かたづけを手伝い、先生やシューズメーカーの方々と昼食会。今日が誕生日の方もいたため、昼からお酒が入り、完全に飲み会になっていた。先生からは、今回の世界陸上の選手の動きについて話を聞くことができ、テレビの解説では絶対に聞くことのできない話はとても貴重だった。
 昼食会が終わった後、店の外へ出ると大雨だった。しばらく待てば雨は止むとのことで、松屋浅草の中で雨宿りをしていたが、三男は、雨の写真が撮りたいと言って、雨の中街の写真を撮りに行ってしまった。雨が止むと、東京スカイツリーと彼岸花を写真におさめたいとのことで、隅田川沿いを歩き、時々写真を撮りながら、汐入公園まで約1時間かけてあるいた。公園の彼岸花は、最もきれいな時期が過ぎ、多くの花が枯れかけていた。それでも彼岸花を熱心に撮影し、本人が納得したところで、横須賀へ戻るために、一旦浅草へ。
 都営浅草線に乗る手前の地下街が、昭和感が漂う場所で、三男は写真を撮りたいと言いだしたので、そこで氣の済むまで撮影してもらった。そして駅へ行く前にお腹がすいて、浅草で夕食を摂ることにした。裏路地の揚げ物の定食屋さんに入ったのだが、定食1つで約3000円。東京価格で高いと思った。

■2025年10月3日(金曜日)
 昨日から自分の担当する後期の授業が再開。久しぶりに授業を受ける学生の前に立った。久しぶりに裸足になり、芝生の上に立って、自分のからだの動きを確認したが、靴を履いて腕を回すのと裸足で地面に立って腕を回すのとでは、明らかに裸足の方が動きが良い。靴って、足を守るためにあるのだろうが、動きが悪くなるのだから、地面からの衝撃を緩和はしても足を守っているとは言えないのではないかと思ってしまった。

■2025年10月2日(木曜日)
 練習は、ロングスプリントの学生たちとダウンヒル走。150m×3を2セット。休息は4分。セット間は10分。
 1セット目は、1本目のタイムを取り忘れたが、2本目と3本目は19秒3と18秒7。10日くらい前に同じ練習をしているが、その時は、2セット目の1,2本は20秒台。3本目でやっと19秒8だったことを考えると、今日は、かなり速度が出ていた。
 2セット目は、18秒4、18秒5、18秒6ということで1セット目以上にタイムを上げることができた。10日前は右のハムストリングスに不安を抱えながらの走りだったが、やっとそれを氣にせず、アキレス腱の不安はあるものの全力で走ることができるようになったのだと思った。
 最後は300mのタイムトライアル。ダウンヒル走で少し速度が上がったお陰か、いつもスタートダッシュでついていけなかった1年生に離されることなく、いつもよりピッチを上げた状態で100mまでは走れうれしくなった。しかしコーナーに入った途端、リズムが崩れ以前の走りになり、一氣に離されてしまった。最後は、フォームは完全に乱れ納得のいく走りにはならなかった。タイムは41秒2。前半の走りであれば40秒を切れたかもしれないと思うのだが、コーナーになると、スパイクの中で足がぶれて上手く走れない。何か対策をして、次は、もっと長く学生の後ろで走れるようにしたい。

■2025年10月1日(水曜日)


急に氣温が下がりました
 今日からいろいろな商品が値上げするのだという。参議院議員選挙は、物価高を解消することが争点の一つとなったが、相変わらず米は高いし、物価が下がった感覚は全くない。実際に今日を境に値上げがなされるくらいだから、選挙前と状況は何も変わっていない。野党が主張していたガソリンの暫定税率廃止は11月1日からという法案が提出されていたが、どうなることやら・・・。
 マスメディアは、自民党総裁選挙でああでもないこうでもないというように、評論家の話を垂れ流している。次の首相候補を決める選挙なのかもしれないが、自民党員の意見しか反映されない選挙でもある。大半の国民には何もできない選挙なので、どうしてもしらけてしまう。

■2025年9月30日(火曜日)
 練習は長距離のインターバルに部分的に参加。メニューは400m×20。ペースは68秒、休息は200mジョグ。しばらく持久系のトレーニングをしていない自分は、1本おきに7本走ることを目標に走った。
 結果は68秒9、68秒9、69秒0、67秒6、68秒4、71秒2、70秒2だった。4本目までは比較的余裕を持って走れていたが、5本目は余裕がなくなり、走り終わった後に倒れ込むほどの疲労となり、6本目以降は、前半200mは集団について行けたが、後半は離されてしまい、最後はえづいてしまった。5本目までは一定のピッチで走り切れたが、6本目以降は、ピッチが乱れ、歩幅も狭まりもがいているような感覚だった。まずは、目標の本数を走り切れたことを喜びたい。

■2025年9月29日(月曜日)


日の入り
 一昨日学生のサポートで、大腰筋の動きを良くするために、大腰筋を触りながら、大腰筋を動かしてもらうことをしていた際、学生の大腰筋を触れるのに、左手の親指を除く4指で触れようとしていたのだが、学生のお腹が硬すぎて、奥まで指が入らず、力の入りやすい親指で押し込んだ所、急に押し返されて親指のMP関節辺りが「ボキッ」と大きな音を立て、その後はずっと痛みが続いている。突き指のような痛み。
 今日は、通っている治療院の超音波で、皮膚の下の状態を探ってもらった。MP関節横の靱帯が少し痛んでいるかもしれないということくらいで、1週間くらいすれば、ある程度回復するのではとのことだった。MP感節をあまり動かさないようテーピングが施され、日常生活がしづらくなった。
 この2週間くらいで右肩にも激痛があり、五十肩の症状。そして、右の奥歯が金曜日くらいから痛み、食事が摂りづらく、両アキレス腱は毎朝痛い。まさに肉体は満身創痍という感じなのかもしれない。精神面は、満身創痍というほどでもないので、回復のため今できることを黙々とやっていきたい。 

■2025年9月28日(日曜日)


1500m1周目(3番手)



教え子が先頭に
(防大生は5番手)



最後の直線



東海大記録会スタート前



東海大記録会1周目
 関東学生新人3日目。今日は男子1500mに2年生が出場。予選は、最後に後ろを振り向きながら速度を若干落としてフィニッシュ。前を向いて、そのまま速度を落とさなければ自己ベストが更新できたのだが、残念ながらセカンド記録で1着フィニッシュ。
 予選の状況から、優勝争いができることは確信していて、決勝は、レースの流れに身を任せつつ、予選では、集団の内側に入ったために走りづらかったことから、できるだけ集団の内側には入らないようにし、残り1周で、2〜3番手について、ラスト勝負という計画で決勝に臨んだ。
 決勝は、予選と同じくらいのスローペースで、集団の内側へ入ってしまった。残り500mからは、小学生の陸上スクールで指導していた教え子が先頭に飛び出し、見せ場を作ってくれ自分の中ではもの凄く盛り上がってしまった。教え子がペースアップしてくれたことで、集団がばらけ、うちの学生は残り300mからペースアップし、バックストレートで2番手煮上がり、残り150mで先頭を走る東洋大学の選手を捕まえ、そのまま後続の選手を引き離しフィニッシュラインヘ。結果は自己ベストでの優勝。この大会でうちの学校が優勝したのは16年ぶり。
 彼は2日前の800mにもエントリーしていたが、定期テスト中とのことで、外出が認められず、800mは棄権せざるを得なかった。その悔しさを晴らすことができ、ほんとうに良かった。
 試合後は、東海大学へ。東海大学長距離競技会に出場する学生のサポートに行った。今日は箱根駅伝予選会標準記録突破が認められる最後の試合。昨年の時点で標準記録突破者は9名であと1人突破できればスタートラインへ立てるという状態だったが、今日まで突破者は増えず、最後のチャンスにかけた。突破の可能性がある2年生をすでに標準を突破している3年生がサポート。この記録会は、トラックの内側に設定タイムごとに色分けしたライトが点灯し、選手の適正なペースを示してくれていた。注目の2年生は、残り2000mでペースダウンし、かなり厳しい状態となった。サポートの3年生が走りながらも必死に声をかけ続け、一旦はぺーサーライトに並ばれ、抜かれそうになったが、とにかくこのライトよりも先にフィニッシュすればいいという目安が確認できたので、最後は、必死に逃げ切り、見事5秒ほど標準記録を上回ってフィニッシュしてくれ、標準記録突破となった。
 今年もなんとか予選会のスタートラインに立てることとなった。あと3週間で本番となる。本番はハーフマラソン。ハーフマラソンを走れる練習はできていないが、残りの期間で、少しでも対応できるように練習をしていくしかない。

■2025年9月27日(土曜日)


女子400mH
 関東学生新人で相模原ギオンスタジアムへ。今日は、女子400mハードルと男子4×400mリレーに学生が出場した。
 女子400mハードルは、1年生が出場。昨年は県総体で優勝するほどの選手だったが、入学後は、なかなか思うように走れず、試合に出場するのが今シーズン初めて。この1週間は、ぎっくり腰のようになり、腰に痛みを抱え不安を感じながらの調整をしていた。こちらで腰の痛みを緩和できるようできるだけのサポートをし、スタートラインに立ってもらった。目標は来年のこの大会に出場するための標準記録。自己ベストからは4秒ほど遅いタイムなので、現状からすれば妥当な目標だと考えていた。レースは、残り100mの地点で決勝進出ラインの2位争いができるくらいの位置に残っていたが、その後は、上位選手に離されていき4着。タイムは目標の67秒00を切る66秒71で、大学記録となった。走る前は憂鬱そうな顔をしていた学生は、レース後は走って良かったと晴れ晴れとした顔になっていて、腰の痛みがひどくなることなく無事走り終えることが出来てホッとした。
 男子4×400mリレーは、上位チームには全く歯が立たたなかったが、今シーズン2度目の3分20秒切りのタイムで走ってくれた。チームとしては、メンバーを変えても3分20秒を切れるのは、この20年間では初めてということで、チームのレベルアップを実感できるレースではあった。

■2025年9月26日(金曜日)
 YouTubeでNoborder「わずか8ヶ月で潰された鳩山政権・世界を支配する”ユダヤ金融資本”の正体」を視聴。その内容に衝撃を受けた。当時の鳩山首相は、沖縄県民の民意に基づき、米軍の普天間基地移設をしようとした際、外務省から65海里(120km)以内でなければ米軍基地移設の代替は無理」という制約があると説明されたため、「最低でも県外」と宣言したものの、制約に従えば、移設先は沖縄県内しか選択肢がないという問題に直面してしまい、結局移設はかなわなかった。
 しかし、その5年後、外務省が鳩山首相をだましていたことが発覚した。鳩山首相は、「外務省の偉い人、課長クラスから直接(65海里に関する資料を)渡されたのに、それは知らない」と回答され、何もなかったことになってしまったとのこと。日本の総理大臣がこういう扱いを受けるなんて、役所というのはどういう立場なのか?と、自分も役所の一員ではありながら本当に驚いてしまった。この件について、当時マスメディアで報道されていたことを全く知らず、鳩山首相は、何を訳のわからないことをやっているのか?と思っていたが、自分は20年もこの事実を知らず20年間だまされ続けていて、日本の国益を優先しようとしていたのが鳩山元首相だったということを今更知ることとなり、的はずれな考え方をしていて、鳩山元首相に申し訳ないと思ってしまった。。
 あらためて、マスメディアの情報は良く精査し、別のルートからの情報も総合して、判断しないと、真実とは真逆のことを信じることとなってしまうということを実感する動画だった。

■2025年9月25日(木曜日)
 自民党総裁選に関連して、小泉進次郎農水大臣がニコニコ動画でステルスマーケティングをするよう陣営関係者に要望していたと週刊文春で報じられた。ステルスマーケティングとは宣伝・広告であることを消費者から隠して行う宣伝活動のことを意味するとのこと。結果的にウソをつくように消費者をだますマーケティング手法だという。令和5年10月1日から、ステルスマーケティングは、景品表示法違反になっているということは、民間では法律違反ということになる。総裁選は商品を売っているわけではないが、ある意味、議員を売り込むイベントではある。動画内で、小泉候補に好意的な意見を書き込むようにしつつ、他の候補への誹謗中傷とも取れるコメントの例もあったという。民間で法律違反とされることを法律を作る側が行ってお咎めなしだと、矛盾しているように思える。今後の自民党そして小泉陣営の動きを注視したい。

■2025年9月24日(水曜日)
 練習は、お昼休みにワットバイクで20秒全力こぎを6本。休息は10秒。最近はバイクトレーニングをさぼり気味なため、こぎ始めのピークパワーが低く、20秒間力を加え続けることが満足にできない。以前は、平均パワーは400ワット、ピークパワーは600ワットを下回ることはなかったはずだが、後半3セットは、この値に満たなくなり、自分の感覚だけでなく数値でもはっきりと力の低下が示されてしまうところが悲しい。左右差を表示する項目があるのだが、左右差が広がっているのも氣になる。最初は左右は50対50なのだが、数値が低下し始めると46対54まで変化していた。最近この差がどんどん広がってきている。何が問題なのかがわからないが、體の動きが良くないことの原因を探求する材料にはなるのだと思う。
 ワットバイク後は、ジョグをするのだが、以前であればジョグをしているとだんだん動きが良くなってきて氣持ち良くジョグができるようになるのだが、そのジョグも、いくら時間が経っても歩くペースでしか走れずまったく氣持ち良く走れない。問題はいろいろとあるが、練習ができているということだけでも體に感謝したい。

■2025年9月23日(火曜日)
 練習は、朝はサーキットトレーニングと4000m、午前は150mのダウンヒル走×3を2セットと300mタイムトライアル。
 この1ヶ月は右腕を回すと三角筋のあたりに激痛が走る。サーキットトレーニングで、20kgのシャフトを担ぐと、その部位が痛くて、若干運動に支障がある。それが原因ではないとは思うが、今日は、全体的に動きが悪くタイムが遅かった。4000mについても1000mを4分くらいでは走りたいと思ってスタートしたが、結果は4分09秒6,4分14秒8、3分59秒7、4分00秒3ということで、前半は、全く動かなかった。
 150mのダウンヒル走は、1セット目はタイムを測らなかったが、2セット目は20秒6、20秒0、19秒8ということで、3本目は自分の速度を超える動きができたのではないかと思う。
 300mのタイムトライアルは、スパイクではなくアシックスのウインドスプリントを履いて走った。学生にはスタート直後から大きく離され、一人で走る感じになり42秒4。42秒前半くらいを目安にしていたので、だいたい想定通りだった。ケガなく練習を終えることができて良かった。

■2025年9月22日(月曜日)
 2,3日前から、夜の氣温が下がってきて、エアコンを使わずに寝られるようになった。しかし、蒸し暑さは残っているので扇風機が必要だった。昨夜も窓を開けて扇風機をつけて寝たのだが、蒸し暑さは全くなく快適に寝ることができた。しかし今朝は寒くて目が覚め、あらためてタオルケットを體にかぶせないと寒いくらいだった。
 今日は1日涼しく、急に秋が来たような氣候だった。半袖だと涼しいというよりも肌寒い感じだった。先週まではセミの声が聞こえていたはずなのに、今日は、全く聞こえなくなっていた。
 昨日まで、夕方になると世界陸上が放送されているのが当たり前だったのに、今日からはそれがない。急に寂しくなってしまった。

■2025年9月21日(日曜日)


ニラの花
 神山まるごと高専のオンラインオープンキャンパスを視聴。最近始まったばかりの学校で、寮生活は5年間。現在は最上級生が3年生。企業の寄付で廃校となった中学校をリノベーションし、デザインが素晴らしく開放的で明るい校舎だった。寮は学生の自治が基本。学校の職員だけでなく町民も皆協力者で、町全体が家庭的な雰囲氣のある場所でありながら、協賛企業とのコラボレーションにより、最先端の学びを経験できる場所となっている。1年生から自分のやりたいことで必要な経費をプレゼンテーションによって獲得していくなど、企業のようなシステムもある。
 今回は体験授業やワークショップがあった。ワークショップというのは、昨年の実際の入試の課題を題材に一部を体験。実際の入試でのワークショップでは、最後に受験生相互による評価がある。最もアドミッションポリシーにふさわしい受験生をグループの4人から2名を推薦する。自分自身を推薦してもいいが、とにかく客観的に評価しなければならない。この評価が成績に反映されるわけではなく受験生の行動全てを見ているとのことだが、なかなか難しく厳しいやり方だ。事前の志望動機作成やワークショップは、言葉の定義をはっきりさせるなど、物事の本質を問うて、その本質から回答をするということが最も大事だと感じた。中学生がこういった部分にまで責任を持って入試に臨まなければならないというのが、自分たちの頃の入試とは全く違う人を見る入試なのだと思った。
 世界陸上は最終日。男子400mリレーでの上位入賞を期待して見ていた。選手紹介の際の日本チームのパフォーマンスはかなり盛り上がったが、そのパフォーマンスを見て最もはしゃいでいたのがアメリカ4走のライルズ選手だったのが面白かった。レースは日本チームは前半から他のチームに先行され、上位チームとの差を縮めることはできず、最後はドイツに抜かれ6位だった。3走の桐生選手は、脚をつったとのことで、その状態でよく走りきったと思う。今回はしれなかったメンバーも含め、次のロサンゼルスオリンピックではレベルアップした姿を期待したい。
 最終日の競技で最も驚いたのは、男子1600mリレー。優勝したボツワナは、最後の直線で、いったんは後退し、やっぱりアメリカが優勝かと思わせおいて、フィニッシュ直前に、またアメリカに追いつき追い抜いてフィニッシュした。同時に南アフリカもアメリカに追いつきフィニッシュ。1位と2位の差は0秒07で、2位と3位は着差ありの同タイムだった。男子マラソンも1位と2位が同タイムで着差ありで順位が着いたが、今大会は、こうしたフィニッシュ直前の順位変動のある種目が多数あってとても面白かった。
 體の大きい選手が有利なはずだが、100mをはじめ身長の高くない選手が活躍する種目が沢山あり、黒人選手が常に上位に位置する種目であっても、黒人ではない選手が優勝するなど、どの選手にも優勝するチャンスがあるということを示してくれる大会だったようにも思う。
 国立競技場にサブトラックがなく、選手はウォーミングアップを織田フィールドで行い、バスで15分ほど移動しなければならず、選手にとってはあまり良いウォーミングアップ環境ではなかったかもしれないが、選手たちは環境にかかわらずベストを尽くしてくれたことで、観客にとってはどの種目もワクワクする戦いを見ることができた。選手を含め大会関係者に感謝したい。

■2025年9月20日(土曜日)
 練習は約2週間ぶりにロングスプリントの練習。メニューは200m+200を2セットと300m。200mと200mの間の休息は5分。セット間は15分。300mとの間も15分だった。2週間ほど前に右ハムストリングスの内側が肉離れになりそうなっているので、ある程度スピードを抑え、スパイクではなくアップシューズで走った。ペースは、全力は危険なので、800mのペースくらいを目安に、女子学生のペースメーカーとして走った。
 1セット目は、28秒8と29秒0で、比較的余裕を持って走れたが、2本走り終わった後で、右ハムストリングスの内側が、ちょっと悲鳴を上げる手前のような感じがあり、これ以上走るべきかどうか迷った。15分の間にいくつかケアをして、不安はある程度なくなったので2セット目も走った。2セット目は28秒7と28秒5。2セット目は、前半から女子学生に並ばれてしまし、ペースメーカーになり切れなかった。1本走ったところでまた右内ハムが嫌な感じで、なんとかケアして2本目も走り切ることができた。
 今日はここで終了した方が良いもしれないと思ったが、もう一度ケアをして、スタートラインに立つことにした。200mよりはペースを落として45秒を目安に300mを走った。女子学生のちょうどいいペースメーカーにもなることができ、右ハムへの負担もそれほど感じることなく、氣持ちよく走り切ることができた。
 市民体育大会まで1か月を切った。けがなく当日を迎えられるよう注意をしながら練習を継続していきたい。
 世界陸上は8日目。午前は女子20km競歩で藤井選手が見事銅メダルを獲得。午後は、400mリレーと1600mリレーの予選があった。400mリレーは、南アフリカとイギリスのバトンがつながらず、日本は3着で決勝進出。南アフリカとイギリスは有力チームだったので、決勝でもこの2チームがいないことで、メダル獲得の可能性は高まったのではないかと思う。1600mリレーは、アメリカが上手くバトンパスができず予選落ち。日本は前半から上位に位置して勝負するようなメンバー構成でスタートしたものの、上位争いができず、組で6着となり予選落ちだった。女子5000mは、レースはスローペースとなり、残り1周でペースアップ。田中選手は残り1周までは先頭集団に含まれていたが、ペースアップにはついていけず12位。男子800mは、ケニアのワニョンイ選手が1周目から49秒台のハイペースで引っ張り、残り200mからはカナダのアロップ選手に並ばれながらも、先頭は譲らず、最後まで先頭で走りきり、1分41秒86の大会新記録で優勝した。力のある人は力でねじ伏せることができるという走りだった。

■2025年9月19日(金曜日)
 国際政治学者という立場からサイバーセキュリティと安全保障について研究されている土屋大洋先生の講演を聴講。講演のテーマは「サイバーセキュリティと国際政治」だった。
 インターネットをはじめとするサイバースペースというものは多岐にわたっており、自分たちのような一般市民が目にするサイバースペースは氷山の一角でしかなく、サイバーセキュリティに関係する人たちが認識する範囲は、把握できないほど広大で、日々より深く、より暗く、より汚くなってきているという。
 サイバーセキュリティの世界では、サイバー攻撃をしている犯人や場所を特定するアトリビューションがとても難しいと言われているが、最近は特定できるようになってきているという。アメリカの国家安全保障局(NSA)は、確実に特定できているということを様々な報道記事や関係者からの話を交えて説明があった。戦争も直接武器でやりとりする必要はなくなり、敵のコンピューターのソフトウェアを操作することで、発電所や石油精製プラントなどの物理的な破壊も可能になっていて、攻撃は、チャンスがあればするのが当たり前というのが今のサイバー戦争なのだという。
 サイバースペースというのは、通信機器+通信チャンネル+記憶装置であり、海底の通信ケーブルは、むき出しのまま海の中を這っている。町のいたるところで、通信機器やマンホールの中のケーブルは目にすることができるため、それをちょっと破壊するだけで通信は途絶えてしまうという脆弱性がある。
 日本では、海底ケーブルの大きな中継地点が2か所あり、千葉県千倉と三重県志摩となっている。アメリカのハワイも中継地点となっているが、ここは、アメリカがアジアを監視するための場所でもあるという。現在のサイバーセキュリティについて一般人が認識するのに役立つ映画が「シチズンフォー スノーデンの暴露」。元NSAの職員でロシアに亡命しているエドワード・スノーデン氏のインタビューを元にアメリカのスパイ活動や国民監視の状況を暴露しているという。
 日本のサイバーセキュリティの状況は、なかなか厳しい状況で、最近やっと政府が動き出し、能動的サイバー防御法案が提出され、成立した。警察と自衛隊が中心となってこの国を守っていくということのようだが、人材が足りなさすぎるという。中学生くらいからこの道で生きていく人を育てていく必要があるとのこと。通信を監視する能力はサイバー防衛を著しく改善することになるが、個人のプライバシーとのバランスが重要で、プライバシーを無視すれば、ただの監視社会となってしまう。日本では憲法21条により勝手に情報を取りに行くことができない。重要インフラの企業と合意も必要で、法的な議論が必要となる。そういった面では、共産圏の国は、国の意向で簡単にできてしまいそうだが、民主主義の国ではなかなか前には進んでいかないように思う。アメリカは、勝手に国民を監視しているという感じか。
 講師は、Gメールはグーグルのサーバーにあり、中身はグーグルのものであり、タダでアカウントを持たせて、その情報はすべてグーグルが得るというシステムであり、アカウントを持っている自分のものと考えない方が良いと述べていた。LINEは論外であり、隣国にデータはすべて筒抜けで、やめた方がいいとも述べていた。国産で、データも国内企業のサーバーで管理できるようなものはないのだろうかと思ってしまった。

■2025年9月18日(木曜日)
 TーBOLANの森友嵐士さんのfacebookの投稿がたまたま表示され、「笑ってごまかした夜よりも、本気で泣いた一瞬の方が、ずっと生きてるって実感できる。涙は弱さじゃない。勇気がこぼれ落ちた証なんだ。君は、最後に心から泣いたのはいつだ?」と記載されている文章が氣になった。
 世界陸上では、一昨日、男子110mハードルの村竹選手、今日は女子800mの久保選手が、競技後のインタビューでくやし涙を流しながら回答していた。本氣でぶつかってきたから流せる涙だった。本氣で泣いた一瞬だった。
 自分が心から泣いたのはいつだったか?それは、2001年6月9日の日本選手権で予選落ちした時。3年連続であと1人で決勝進出を逃すというレースだった。走り終わった後、観客席で待っていた結婚する前の妻と顔を合わせた時涙がこぼれ落ちた。睡眠時間を削ってやれることはすべてやったが実を結ばず終わってしまった悔しさは今も忘れない。あれから24年、その後本氣で泣いた記憶がない。
 世界陸上は、男子400m決勝で中島選手が6位。34年前の高野選手の順位を上回った。日本歴代パフォーマンス上位3番目までが今回の予選から決勝までの3レース。いつでも44秒台の走りができるというアベレージがすごい。今後は、前半の速度を上げていくことが課題か。高野選手のように、100mや200mへの参戦もあるのかもしれない。
 女子400mでは、マクローフリン選手(アメリカ)が、47秒78の世界歴代2位の記録で優勝。40年ぶりの47秒台。世界記録47秒60というコッホ選手の記録は、東ドイツの選手ということで、いろいろと疑惑があるが、47秒台を出すことはほぼ無理なのではと思っていた。このレースでは2位のパウリノ選手(ドミニカ共和国)も47秒98を出した。選手の努力はもちろんのこと、この40年で競技場のサーフェイスやスパイクの機能が向上した結果なのだと思う。世界記録更新が楽しみな種目になってきた。
 男子200mは3連覇中のライルズ選手(アメリカ)が先頭に立った後も流すことなく19秒51。周りの選手たちに力の差を見せつけた。決勝進出を狙った鵜沢選手は、残念ながら決勝進出ならず。400mの世界記録保持者のバンニーキルクも鵜沢選手と同じ組で走っていたが、準決勝敗退となったのが残念だった。決勝進出者は全員が準決勝で19秒台というとんでもないレベルになっている。決勝のレースではボルト選手の世界記録にどれだけ近づけるのか。楽しみにしている。

■2025年9月17日(水曜日)
 毎朝、犬と散歩して、犬と戯れているのだが、散歩が終わると、口を開け舌を出して必死に呼吸をしている。犬は熱の調節が皮膚ではできず、唯一できる場所が口とのことなので、體温を下げるために荒い呼吸となっているようだ。ただ歩いただけなのに、相当つらそうに見える。年齢は6歳で、人間の年齢に換算すると40代くらいらしい。人間の40代となると、運動不足であれば、歩くだけで呼吸がつらいということもあるのかもしれない。最近はあまり走らなくなり、歩く速度もゆっくりになってきた。エサは少し減らすようにしているのだが、体重は逆に増えている。中年太りなのだろうか。何歳まで生きてもらえるかはわからないが、一緒に過ごす日々を大事にしていきたい。
 横たわって苦しそうに呼吸をしている犬の姿を見ていると、命ってなんだろう?と思う。1月にインコが亡くなったときにも思ったことだが、命が亡くなった瞬間から體はだたの入れ物だったということがわかる。體はただの物體。命がなければ體は活用できない。命は目に見えない。数値にもならない。まったく科学的な証拠はないが、これがなければ、生きることができない。科学は、人類の進歩に寄与はしてきたが、命のことを考えると、科学がすべてではなく、目に見えないものの方がどう考えても大事に思えてくる。命が何かがわかるのは、自分が死ぬ時か?、死んだ後か?簡単には答えが出せないということだけは間違いない。

■2025年9月16日(火曜日)
 世界陸上4日目。男子110mハードル準決勝では、予選落ちをしたはずの泉谷選手がまさかの復活出場。準決勝を棄権した選手の代わりに走れることになったらしく、その知らせを聞いたのが競技開始1時間ほど前だったとのこと。ウォーミングアップはほぼなしの状態で協議に臨んだのではないかと思う。結果的には転倒してしまい勝負ができなかった。対照的に村竹選手は、準決勝を着順で決勝進出を決め、本人もメダルを狙ってスタートだったようだ。前半は先頭争いをしていたが中盤に両脇のジャマイカの選手に差をつけられ、その差を埋められず5位。この1年間メダルを取るためにやれることすべてをやってきて「何が足りなかったんだろう」という言葉を何度も決勝後のインタビューで涙ながらに繰り返していたのが印象に残った。次はロンドンオリンピック。次は夢をかなえてほしい。
 男子400m準決勝は、前半有力選手がハイペースで走っていく中、上位選手に差を広げられながらも中島選手は自分のペースを守り、最後の直線で、上位選手が失速したところをとらえて抜き去り、2位でフィニッシュ。着順で決勝進出となった。34年前の高野さん以来の決勝進出。高野さんは7位だったが、中島選手は、レースの流れによっては、それ以上の結果が期待できる。明後日の決勝が楽しみだ。 

■2025年9月15日(月曜日)


昭和が漂うゴールデン街



国立競技場外観



地元の後輩と



競技場内



3番手に上がる三浦選手



世界記録に挑戦



世界記録更新の瞬間
 念願の世界陸上観戦。観戦チケットは夜からのものだったのだが、次男が記念Tシャツが欲しく、会場での購入はかなり並ぶことになるため、競争率の低そうな新宿の京王百貨店でオフィシャルブースの開店と同時に入ることを目論んで朝9時台に新宿へ。しかし、店には、次男が欲しかったデザインのTシャツは、そもそも商品としては並べられていなかった。その後、しばらく新宿を散策し、会場最寄り駅の千駄ヶ谷へ。駅を降りてすぐの東京体育館の広場にもオフィシャルブースがあり、そこでも販売商品を確認したものの、次男の欲しいデザインのTシャツはそもそも販売していなかった。競技場に入ってからもオフィシャルブースがあったが、やはり希望のデザインの商品は置いてなかった。東京体育館も競技場内もTシャツをはじめとする商品の多くがすでに「SOLD OUT」というシールが貼ってあり、グッズの売れ行きはなかなか好調のようだった。
 昼前に会場へ着き、何か食事をしようと歩きまわり、土地が土地だけに価格が高かったり、安めのところはお客さんが多くて入れなかったりで、結局昼も夜もコンビニでおにぎりやパンを買うとことになってしまった。  競技場へは17時台には入場可能だったが、競技開始は19時半頃。18時10分からは、競技場の外で昨日の種目の表彰式が開催されるというので、表彰式を見てから競技場へ入ろうということになり、近くの喫茶店に入り、次男は勉強、自分は図書館で借りた本を読んだ。お店の中は、常にお客さんの列ができて、お客の入れ替わりも激しく、店内のBGMも大きめだったが、3時間近く過ごすことができた。その際、店の外に、小中学校の後輩を見つけ、慌てて店内の外へ出て彼を捕まえることができた。部活も一緒ではなかったし、小中学生の頃に大きな接点は何もなかったにもかかわらず、お互い高校と大学は陸上競技をしていたからなのか、Facebookでつながっていたため、何の違和感もなく話ができた。直接話をするのは、小学生以来かもしれないし、中学生以来かもしれないというくらい、久しぶりだった。SNSと世界陸上がなければこの再会が実現することがなかった。めぐりあわせって面白いと思った。
 表彰式の時間になり会場へ行ってみると、表彰を見られるのは1000名限定ということで、すでに入り口が閉じられて入ることができなかった。ジャマイカのTシャツを着た老夫婦が入り口でうろうろしていたのだが、ご婦人の顔が、どう見ても昨日男子100mで優勝したセビル選手の顔にそっくりで、ご両親ではないかと思った。警備員に「パスはあるか」と聞かれて、パスを持っていないということで会場に入れてもらうことができなかった。ご両親が、息子の晴れ姿を直接見届けられないというのは何とも見ていてもどかしかった。自分たちも表彰式を直接見ることはできなかったが、競技場へ入った後、オーロラビジョンで表彰の様子を見ることができた。
 競技場へ入ってまず、棒高跳びの世界記録保持者デュプランテス選手のご両親が、日本のファンと一緒にトラックをバックに写真を撮っていて、ご両親の前の階段に長蛇の列ができているのが目に入った。選手だけでなく、ご両親まで有名人になってしまっているというのが面白い。時間の許す限り快く撮影に応じているご両親も素晴らしいと思った。
 競技は、トラックでは、男子400mH予選、女子100mH準決勝・決勝、男子110mH予選、男子1500m準決勝、男子3000m障害決勝があり、フィールドは、男子棒高跳決勝、男子走幅跳予選、女子ハンマー投決勝が行われた。男子400mHでは、世界記録保持者のワーホルム選手が走ったが、緩めの走りで、着順も組で3着ということで、際立った走りを見ることができず残念だった。男子3000m障害は、三浦龍司選手が、最後の水豪前で3番手に上がり、会場の声援は最高潮になったが、最後のハードルで、ケニアの選手に後ろから押され接触した影響でバランスを崩し8位となってしまったのが残念だった。
 今日は、5万6000人の観客だったそうだが、全員のお目当ては棒高跳びの世界記録更新。今までにない史上最高レベルの戦いを目撃することができ、最後に残った2人はなんと6m20での決戦。ラビレニ選手の世界記録よりも高い位置で優勝争いが行われ、会場は盛り上がった。優勝したデュプランテス選手は、6m20まですべて成功し優勝を決めると6m30の世界記録に挑戦。ここで、新たなポールを出してきて本気モードへ。1回目も2回目も、高さには余裕があるのに体の一部が当たってしまい失敗。追い込まれた3回目も、バーに體の一部が触れたもののバーは落ちることなく、跳躍は成功となり世界新記録。お客さんの期待を背負い、音楽と拍手でもってさらにそのプレッシャーが高まった中で、結果を残すメンタルの強さに驚嘆した。3回目に成功させるというドラマチックなストーリーを紡ぐデュプランテス選手は役者だなぁと思った。3回目の試技では、観客が総立ちで応援し、その熱気は最高潮に達した。歴史的な瞬間に立ち会え、選手と観客との一体感を現場で味わうことでき幸せな時間だった。
 競技が終わったら、急いで駅へ向かった。京急の終電に乗れなければ、帰宅ができないというギリギリの時間だった。一度に大勢の人が駅へ詰めかけ、少しずつしか進まず、韓国の梨泰院の押し倒しの事故を思い出した。しかし、誰も押すようなことはせず、お互いの距離をきちんと保ち、何事もなく階段を降りることができ、日本は安全なところだと思った。地下鉄を1つ乗り継ぎ、京急の終電に乗ることができ、深夜1時過ぎに自宅へ帰宅できた。

■2025年9月14日(日曜日)


発電所周辺
 練習はサーキットトレーニングと4000mペース走。先週は、1か月ぶりのサーキットトレーニングで、全く體が動かず、実際にタイムもかなり遅かった。今日は、月曜日に肉離れ手前の痛みが回復したばかりの割には、少し動きが回復し、タイムも各セットとも10秒前後よくなっていてホッとした。4000mも先週は1000mあたり4分20秒以上かかるというひどい結果だったが、今日は何とか4分はかかることなく走り切ることができた。市民体育大会まであと1か月。とにかく怪我なく当日を迎えられるよう練習を継続していきたい。
 世界陸上東京大会2日目。注目の男子100mの準決勝と決勝が行われた。昨日の時点で日本選手は全員予選落ちとなってしまった。日本選手が残っていないのは残念だったが、準決勝はどの組も決勝のようなレベルで、個人的には決勝よりも準決勝の方が面白かった。優勝はジャマイカのセビル選手。2位もジャマイカのトンプソン選手。4連覇を狙ったライルズ選手は3位だった。せびる選手は身長が170cmということで、他の選手と比べ圧倒的に身長が低い。身長はハンデではないということを示してくれ、それほど身長が高くない日本の選手にも希望を持たせてくれる優勝だった。
 朝行われた女子マラソンでは、前半から積極的に先頭集団で走っていた大塚製薬の小林香菜選手が、7位となり、日本人では3大会ぶりの入賞となった。海外勢のスピードにはついて行けなかったが、後半は、前から落ちてくる選手を一人ずつ拾い、入賞につなげた。上位でメダル争いをしている選手でも、あと少しというところで、立ち止まって棄権となってしまうほど、昨日に続き今日も過酷な氣候だった。

■2025年9月13日(土曜日)


勝木選手フィニッシュ




インタビュー中の勝木選手




友人がコメントしてました

 世界陸上東京大会が始まった。東京開催は34年ぶり。当時は高校2年生で、夏休みの勉強合宿期間だった。我が家にたくさんの友達が寝泊まりして、日中は勉強会場へ行って勉強し、夜は、我が家のテレビで世界陸上観戦というルーティーンだった。高野選手の400m決勝進出、カール・ルイスの100m世界新記録、マイク・パウエル選手とカール・ルイス選手の激戦の末のパウエル選手の世界新記録、谷口選手のマラソン金メダル、そして、地元高校の1つ学年が上だったスーパースターの女子高生が女子1600mリレーを走ったことが印象に残っている。当時は、テレビの世界でしかなかったが、いつかこういう大会に出てみたい、現地で応援してみたいと思いながら、テレビを見ていた。出場はかなわず、2007年に大阪世界陸上があり、2021年に東京オリンピックがあり、どちらも見に行くことができなかった。今回も見に行く予定はなかったのだが、棒高跳びをやっている次男が、受験勉強が忙しい中、この日だけは現地に見に行きたいと言い出し、棒高跳びのデュプランテス選手の世界記録更新を見るために、昨日残り少ない席となったチケットを購入した。次にこういった大会が国内で開催され、見に行くことができるかどうかはわからないので、一生に1回の買い物かなぁと思いながら2万円の1階席を2席購入した。
 最初の競技は男女の35km競歩。自衛隊体育学校の後輩勝木選手が出場しており、前半から集団を引っ張り、10km過ぎには3名の先頭集団を引っ張っていた。30kmを過ぎると、後続の選手が追いついてきて、順位が目まぐるしく変わっていったが、勝木選手は常に3番手の位置でレースを継続し、見事銅メダルを獲得した。世界選手権でのメダルは、体育学校では50km競歩の谷井選手以来。一時は先頭に立っていた前回と前々回のメダリストの川野選手は、残り4kmくらいで、立ち止まり吐いていた。その後は、フラフラになりながらもなんとかフィニッシュ地点まで歩き切り、その後は、倒れるとともに、からだ中が痙攣して意識もあるかないかわからないような感じに見えた。マラソンも含め夏にこの競技を行うのは過酷すぎる。選手のためにこれらの種目だけは時期をずらしてあげた方がよいと思った。
 夜開催された女子10000m決勝では、廣中璃梨佳選手が、中盤までに順位を10番手当たりまで落としたが、後半、前から落ちてくる選手を一人ひとり拾って順位を上げ、6位入賞した。最後まであきらめない走りは素晴らしく、最後は氣持ちが結果を左右するということを見せつけてくれるレースだった。

■2025年9月12日(金曜日)
1か月ぶりに、CPAPのデータを確認するため病院へ。この1か月間も、CPAPを装着せずに寝たのは2回だけ。どちらも眠気に負けて氣がつけば寝ていたというもの。先週日曜は、講習会後、講習かのメンバーと暑気払いとスタッフの誕生日パーティーを兼ねた飲み会を行い飲みすぎ、CPAP装着にまで意識が回らなかった。しかし、お酒を飲み過ぎた日は眠りが浅いことはわかっているので、その時であっても、CPAPが有効で、無呼吸になっていないということを観察することができる絶好の機会だった。そのデータを取ることができなかったのは残念だった。
 この1か月のデータを見た医師からは、全く問題ない。絶対に装着しなければならないと思うほど、頑張らなくてもいいですよと言われた。そんなにがんばってはいないが、最近、マスクを装着してもやっと落ち着いて寝れらるようになってきた。呼吸が楽だし、だんだん目覚めもよくなってきている。この調子で続けていけばいいとのこと。次は2か月後に来てくださいと言われた。CPAPは月4000円くらいと言われていたが、診察した際の支払額がだいたいその金額になるのだが、これが、CPAP代なのだろうか?2か月後の受診になれば、平均すれば月2000円くらいになる。先生もできるだけ出費を抑えられるよう配慮してくれていると思いたい。

■2025年9月11日(木曜日)
 まだまだ暑さは続いているが、昨日は近所のイチョウの木の下に、銀杏が落ち始めていて、時期的に早いなぁと思っていたのだが、今朝、犬の散歩をしていたところ、別のイチョウでも同じように銀杏が落ちていた。木々は季節の変わり目を感じていて、適正な反応をしているとすれば、そろそろ秋なのだ。しかし、感覚としては急に秋がやってきたという感じだが、セミの声は聞こえてはくるが、全盛期のような勢いはなく、遠くで聞こえる程度になってきている。夜には、セミの声よりも、秋の虫の声に変わってきている。自然は、氣温が何度とか数値を知らなくても、きちんと1年のサイクルがわかっている。あらためて凄いなぁと自然に対して畏怖の念が湧いた。

■2025年9月10日(水曜日)


部の運営が3年生に
 右はハムストリングスの痛みは、昨日は、筋腹付近に範囲が狭まったのだが、今日は、痛みが少し下に下がり、歩行中の遊脚期後半の痛みは相変わらず続いている。バイクであれば膝を伸ばしすぎることはないので練習は30分のバイクこぎ。サウナに入っているのでないかと思えるほど、汗が噴き出し、持っていたタオルは、絞れるほどの汗を吸収していた。適度な負荷でこぎ続けると、脚の筋肉だけでなく呼吸器系にも負荷がかけられる。しばらくはこの運動を継続することになるのだろう。
 仕事を終えた後に、行きつけの歯科医院へ。以前の治療が終わってから半年以上が経過してので、定期検診をお願いした。最近氣になる部位があるかを問われ、7月中旬に2週間ほど、歯磨きの時に歯が染みたことを話すと、その原因を探ってくれ、窪みの深くなっている場所があり、エナメル質が削れているため、染みやすくなっているのではないかと診断され、次週は、その部位の治療をするということになった。今は染みていないので、放っておけばいいかと思ったが、また通院することになってしまった。虫歯ではないので、歯は削らないでほしいなぁと思う。

■2025年9月9日(火曜日)
 昨夜は右の半腱様筋あたりに微弱電流を流して寝た。その後もずっと夜の風呂の時間まで長し続けた。昨日と比べると、右足遊脚期後半の膝が伸びる瞬間の痛みは軽減し歩きやすくはなった。半腱様筋の痛みの範囲が狭まり筋腹の真ん中に痛みは集まってきている感じがする。
 練習は、ただ学生を眺めているしかなかったが、昨日ケガをする前までは今日の練習をやるつもりでいたので、なんであちらに自分がいないのか?というもどかしさを感じた。

■2025年9月8日(月曜日)


満月
 練習は、短距離ロングスプリントと200m快調走×3を2セット。休息は4分でセット間は10分。最後に300mタイムトライアル。
 200m×3は、最初からスパイクを履き、フォームを意識し、無理な動きをせずに、タイムも氣にせず氣持ちよく走るというイメージで走るはずだったが、走り始めてみると、全く氣持ちよく走れない。昨日学んだイメージを取り入れて走っているはずなのだが、昨日のような動きの氣持よさが出てこない。結果的には、速度を上げるのに歩幅を広げ、膝から下の部分を使って走っているように感じた。1セット目は、28秒0、28秒8、28秒7だった。それほど速いタイムではないが、努力感や疲労感は28秒台にふさわしくないほど高かった。
 2セットは、なんとか膝下を使わないようにと思ってスタートはしたが、今日は全く思うようにはいかず、努力感と疲労感は高いのにタイムが遅いという感じで1本目は29秒2。2セット目もいろいろと頭の中で考えイメージしながら走ってみたもののうまく走れていなかった。残り50mくらいのところで、右のハムストリングスが攣りそうな感じになり、痛みが走ったので直ちに速度を緩めて止まった。肉離れ寸前のところで食い止めたような感覚だったが、その後は、膝を曲げると患部に痛みが走り、右膝を曲げて歩くのは厳しく、軽い肉離れの可能性もありそうだった。
 夜は、行きつけの接骨院へ行き、超音波で、筋肉の状況を診てもらった。多少炎症を起こしている部位はあるものの、肉離れには至っておらず、ホッとした。1週間くらいで痛みは取れてジョグを始められるのではないかとのことだった。1か月後の市民体育大会の申し込みの時期になったのだが、今の状態から、1か月後の状態を想像し、どの種目に出場するか考えなければならない。

■2025年9月7日(日曜日)


講習会後の懇親
 2ヶ月ぶりの骨ストレッチ講習会。今まで学んできた立ち方が根底から覆ると事前に通知を受けて楽しみにして参加したのだが、確かに根底から覆る内容だった。ブレイクスルーは、既存のものを壊してこそ現れるという感じで、今までは避けた方が良いと言われていたことに首を突っ込み、素人からすれば避けていないように見えるが、長らく経験してきた者からすれば、避けるべき所は避けながら、少しずらした部分を意識することで劇的に立ち方が変化して驚いた。言葉で表現することはなかなか難しく、イメージと感覚の話にしかならず、物理的には見た目は何も変わらないため、メモを取るのも大変だった。立ち方が変われば、重心や力の発揮が大きく変わる。見た目は一緒でもイメージが変わると、體は大きく変化するということを、今までも何度も経験してきたが、今回も信じがたい変化だった。
 その後、尾骨と筋肉のつながりについて解剖図で説明を受け、そのつながりのイメージを持つことで、更に體がまとまり、體幹から力が出せる感覚が強くなり、手脚を部分的に使うのではなく全身で力を発揮できる感覚が出てきた。今回は、何のほぐしもしておらず、ただ意識を変化させただけ。人の體って、何と繊細にできているのだろうか。面白すぎる。

■2025年9月6日(土曜日)


さつまいもの花
 練習は、250m+150m、600m+400m+300m+200m。前半は、短距離のロングスプリントの練習で、後半は、長距離の練習。長距離はこれを3セットということだったが、自分は1セットのみ。左アキレス腱の痛みがある中での走りのため、全力で走ることはできず、全て8割くらいの感覚で、ちょうど中距離の中間疾走のようなつもりで走った。
 250m+150mは、スタートは一緒でも、その直後から学生に大きく離されてしまうので、全く別の練習のようになってしまったが、女子のペースメーカーとしてちょうど良い感じになった。250mは37秒2、150mは22秒6だった。
 長距離の練習は、ペース設定が400mあたり64秒で、休息は次の距離をジョグだった。600mはほぼ設定通りに走り1分35秒1。意外と走れたが、その直後のジョグをついていくのが必死で、次の400mはジョグの延長のような形となり72秒3。その後は、後ろのグループに吸収され、後ろのグループの集団で300mと200mを走りきった。300mは49秒9、200mは32秒1だった。

■2025年9月5日(金曜日)
 先日、NHKで「AIは人間を超えるか」というテーマの番組を見て、あらためてAIの重要性を認識した。特に「言葉が心を生んだ」という研究者の考えが、言霊(コトタマ)の考え方と同じで驚いた。2年前に生成AIを学ぶ動画を購入したのだが、2年間何もしていなかったが、あらためて学んでみようという氣持ちになり、動画のサイトへ行って見たのだが、2年前とは全く違う者に変わっていて、新しいプログラムとなっていた。ログインするのもパスワードが何だったか思い出せず、新たにパスワードを作るなどして、いくつかの手続きを経て何とか新たなページにログインできた。AIは命令の仕方によっては、幼稚園児のようであり、アインシュタインのようでもあるため、命令の仕方を学ぶ必要がある。この命令がプロンプトと呼ばれるもので、まずはこれを学んでいくこととなる。2年前は、少しだけかじって、その後やらなくなってしまったので、今回は、できる限り、毎日継続して知識を積み上げていきたい。

■2025年9月4日(木曜日)
 練習はお昼休みにワットバイク、夕方は長距離のペース走に参加。
 ワットバイクは、1000m×2をやったが、1ヶ月半ほどさぼっていたので、體からの力をペダルに上手く伝えられず、もがくような感じで、ペダルをこぐ時間がとても長かった。平均パワーもピークパワーも予想していた以上に低く、かなりバイクをこぐ力が落ちていることをじっかんした。
 長距離練習は12000mのペース走。自分は1000mあたり3分50秒のペースで走るグループに入って、6000mの完走を目指した。スタート直後は、左アキレス腱の痛みが氣になっていたが、途中からその痛みは消え、右臀部の痛みの方が強くなり、4000mで継続するのが厳しくなり、4000mで終了。ラップは3分52秒1、3分52秒5、3分51秒2、3分51秒2だった。フィニッシュ直後にはえづいた。このペースでえづくということで、呼吸器系もかなり弱っていることを実感した。とにかく、できる範囲で練習を継続していきたい。
 昨日生活習慣を変えると宣言した三男だったが、朝は、少なくとも7時半には起きるはずだったが、起きてくることはなかった。計画倒れか?と思ったのだが、午前中から学習を行い、夕食後はいつも通りスマートフォンをいじっているように見えたが、氣がつけばまた机に向かい学習している姿を見ることができた。1年以上かけて作ってきた生活習慣を変えるのは簡単なことではないかもしれないが、学習する姿を目にして自分ができることからとにかく変えていくという強い意志を感じることができた。今回は本氣だということがわかり、サポートをしていきたいと思った。

■2025年9月3日(水曜日)


燃えるような夕焼け
 夕食時に、三男が話があると言って、話を始めた。自分の進路を考えたときに、今のままの生活では何も希望が叶わないことはわかっているので、長男とAIに協力してもらって、今後の自分の生活についてどうすべきかということを考えたとのことだった。 平日と土日に分けて1日のスケジュールを印刷した紙を見せてくれ、寝る時間を早めて、起床は少なくとも朝7時半に、午前中と夜に学習の時間が記載されていた。昨年7月以降、学校へほとんど行っておらず、家にいる際にはゲームか動画を見るという生活をしてきたため、ほとんど学習はできていない。その穴埋めをきちんとして、次の定期試験はきちんと受けるのだという。どこまで本氣かは、彼の行動でわかることになるが、今日の夕食後は、いつも通りゲームや動画だった。計画実行は明日からなのか?とにかく自分でスイッチを入れ、自分で計画したところは、今までにはなかったことで喜ばしいことだ。

■2025年9月2日(火曜日)


激励に来てくれたOBと
 練習は、短距離のロングスプリントと120mのマーク走を5本。マークは18個あり、6個通過するたびに幅が広がっていき、6足長、7足長、7.5足長と長くなっていった。自分が足を合わせられるのは最初の6つだけで、その後は、完全にオーバーストライドになってしまうため、あまりマークは氣にすることなく、速度が段階的に高めていくことだけを考えた。学生たちは、当然マークを目安にきちんと走れている。自分との速度の差は、歩幅の差が大きいということを改めて実感した。最初の4本は薄底のアップシューズで走り、最後の1本はスパイクに履き替えて走ったが、どちらもコーナーを走るとアキレス腱への負担が大きいためか若干痛みが出てしまう。コーナーで痛みを出さずに走るにはどうしたら良いのか、いろいろと意識しながら走ってみたが解決策は見つからなかった。
 マーク走後は300mタイムトライアル。学生たちには全くついて行けず、一人旅になったが、41秒3ということで、この1か月ほとんど練習ができていなかった割には、よく走れたと思えるタイムだった。

■2025年9月1日(月曜日)
 先週に引き続き、卒業生が、所属する学校の学生たちを連れて練習に来た。今日は、短距離が2名、中距離1名、長距離1名の学生たちが来てくれた。短距離の2名は、以前から練習に来ている学生なので、うち学生の練習に混じって練習をし、中長距離の学生たちは、骨ストレッチを基礎から学びたいととのことで、最初から骨ストレッチの実技講習となった。
 基本の立ち方や骨ストレッチを伝えると、直ちに體は反応し、動きが変わってしまい、骨ストレッチを1種目する度に長距離の学生は、「ちょっと走ってきて良いですか?」と言って、走りの動きの変化を堪能していた。動きの変化を実感し彼らが笑顔になったり驚くたびに、こちらもうれしくなる。今日は基本だけをやればそれで時間一杯かなぁと思っていたが、学生たちの吸収と體の変化は速く、応用となる目の使い方やコーナーの走り方など、初めての人には伝えないような内容まで伝えることができた。目の使い方については、長距離の学生がいつもイメージしてやっていることだったそうで、自分のやっていたことが間違っていなかったということで、自分の感覚を褒めた称えつつ大喜びしている姿が印象的だった。目の使い方を自分であみ出すほどの感覚があるので、今日やったことの吸収力も高かったという事なのだと思う。彼らは10月初旬まで夏休みとのことなので、再会の日を楽しみにしている。

■2025年8月31日(日曜日)
 家族が全員外出し、午前は、犬とリビングでゆったりと過ごしていたのだが、犬が寝てしまい、自分も眠くなり、お昼前から昼寝をしてしまった。家族が帰ってきたのは1時ごろだったので、おそらく2時間ほど寝たのだろう。家族で祖母の家にいる夢を見た。祖母と大叔母が台所で昼食を作っていて、自分が今日は8月31日だと話をしていた。夢の中で今日の日付を覚えているということに目覚めてみて驚いた。祖母も大叔母もすでに亡くなっているので現実では会えないが、夢の中であっても久しぶりに祖母と大叔母に会えてすごくうれしくなった。祖母は、自分と同じ誕生日。昭和元年生まれ。祖母が今生きていたとしたら何歳だろうと計算してみたところ今年で99歳になることがわかった。最近昭和100年という言葉を目にすることが多くなったが、祖母のことを思いだし、あらためて昭和が始まってから100年が経つということを実感した。

■2025年8月30日(土曜日)
 練習は、短距離のロングスプリントパートの学生と一緒に250m+200m。学生たちは、全力なので、20分休息で2セット。自分は、アキレス腱や右臀部の痛みがあり全力では走れないので、女子のペースメーカーをする程度に6,7割の感覚で走ったので、学生たちが帰った後3セット目を追加して走った。
 1セット目は37秒8と30秒4、2セット目も37秒8と30秒34、3セット目は36秒4と29秒3だった。2セット目までは女子が後ろについてこられるよう後ろを氣にしながら走ったので、かなり余力があったが、3セット目は一人になり、少しペースアップして氣持ちよく走るつもりで走ったが、あまり氣持ち良く走ることはできず、タイムの割にはかなり辛かった。
 脚の痛みが続いているが、なんとかでいる範囲で練習を継続し、来月のレースには出場したい。

■2025年8月29日(金曜日)


国立競技場
 早朝ランニングで国立競技場まで走った。2週間後には、世界陸上が開催される場所なので、そろそろサブトラックもできているだろうと予想していたのだが、オリンピックの際にサブトラックとなった草野球場は、野球場のままで、何の工事もしていなかった。あと2週間なのにサブトラックが見あたらない、今回はサブトラックなしで開催するのか、それとも来週から工事が始まるのか?どういう計画なのか知りたいと思った。
 学会は3日目。印象に残った発表は、体育哲学分野の発表だった。スポーツ科学研究についての考察で、最新の研究は、計測機器の開発がめざましいが、どちらかと言えば追試が多いのではないかと考えられ、その理由について語られていた。人を相手にするため、条件が無限にあり、目的関数を最大化する解をを求めようとするが、それは極大値や極小値でしかない。探索範囲が膨大なので、全てを対象にすることは計算量が多すぎて現実的ではなくまともに相手にできないため、統計的な処理をし、不確定要素はノイズにして、妥当な解を導き出そうとしている。結果的に、ブレイクスルーのない同じような研究の繰り返しになることになる。體は一人として同じ人はいないので、全員に共通するようなメソッドを開発するということは、あらためて無謀なことが認識でき、それぞれが自分に合うメソッドを探して活用するしかないのだと思った。

■2025年8月28日(木曜日)
 学会2日目。午前の発表で最も印象に残ったのはに帝京大学の跡見順子先生の「身心一体科学 考え方と方法」という発表。先生は81歳だと年齢の話をされていたが、自分で考案した丹田制御の方法により腰痛などを克服したそうで、全く80代には見えないほどお若く、目の前に存在されているだけでエネルギーを感じるような情熱的な方だった。理科と体育の狭間で抜け落ちている「生きている自分」ということについて、伝えたいことがたくさんあり過ぎて、発表時間では全く足りず、とにかくみんなに知ってほしいという氣持ちがものすごく伝わってくるとともに、身心一体科学についてもっと知りたいと思わせてくれる発表だった。
 午後は、2つのシンポジウムに参加。一つ目は、学校保健体育研究部会のシンポジウムで『身体の主体的・対話的学びから「深い」学びへ』というテーマだった。子どもたちの学校ではタブレット端末などICT機器が導入されているが、それらを使うと、これだけ学びに効果があったとか深い学びになったというエビデンスがほとんどない状態で始まった取り組みのようで、いくつかの検証研究が紹介されていたが、はっきりと効果があるとは言えない結果ばかりで、現場の先生たちの葛藤や試行錯誤が理解できた。ICT機器とは関係ないが、試技の度にアドバイスをするのと、試技を2回やるごとに1回アドバイスをするのでは、アドバイス直後の変化はどちらも同じだが、しばらく時間が経過した後の技の保持は2回に1回のアドバイスの方が結果が良かったり、詳細にアドバイスをし続ける場合と、アバウトにアドバイスをし続ける場合とでは、アドバイス直後の変化はどちらも同じだが、しばらく時間が経過した後の技の保持はアバウトの方が結果が良かったという研究結果も紹介され、アドバイスをICT機器に置き換えると、使った方が良いのかどうかわからなくなってしまった。また、ICT機器では、第三者から見た動きとして動画を見ることになるが、本人の内部の変化まで見ることができないし、そもそも実施者の體の感覚と実際の動きがマッチしていないと内観力が働かず、動作改善は難しいのではないかと思った。また、実施する本人の内面については何も考慮されることがないため、運動が苦手な子にとっては、動画を撮られること自体がいやだったり恥ずかしかったりして、それを自分で見なければならないというのはかなりつらく、改善点を見出そうというモチベーションにつながらないのではないかと思った。動画は情報量も多すぎ、子どもたちを混乱させるだけかもしれない。
 2つ目のシンポジウムは、本部企画で「身体性の価値を再考する−冗長性や不可視性を手掛かりに−」というテーマで、昨日のシンポジウムと連動した内容だった。3人のシンポジストの発表タイトルはそれぞれ、『「できる」だけが正解か? 身体の可能性と多様性』、『「うまくいく」だけが正解か? 熟達化の非線形科学』、『「最速・最短」だけが正解か? 遠回りするランニングの楽しさとGPSアートの活用』で、タイトルを見ただけでも「おっ!」となるようなタイトルだった。
 『「できる」だけが正解か?』という話は、第三者の目で見る「できる」「できない」に対して、実施者の立場から見る〈できる〉〈できない〉を区別し、第三者から「できない」とみなされていても本人はもうちょっとで〈できる〉という場合もあり、客観的指標だけがすべてではないことを実感した。実施者本人の〈できない〉という感覚がなければ〈できる〉ようにはならないので〈できない〉ということはとても大事なことで、特にリハビリの場では、〈できない〉ことが究極的には生死に関わることにもなってしまうので「できなくてもいい」にはならないとのことだった。
『「うまくいく」だけが正解か?』の話では、非線形性という言葉がキーワードとなっていて、本来独立していると考えられるものが、重ね合わせると、結果的に全く違った性質をもったりすることがあり、「うまくいかない」にも、複雑な要素のゆらぎがあるからであり、試行錯誤の結果、揺らぎが小さく安定してきて「うまくいく」という状態になるのではないかと考察されていた。「うまくいかない」という揺らぎの中にも正解は潜んでいて、常に「うまくいく」というのは、逆に問題であり、実はその人の成長につながっていない可能性もあるのではないかと思った。非線形科学の世界をもっと知りたいと思う話だった。
 『「最速・最短」だけが正解か?』の話では、ランニングをしながら、GPSで走った軌跡を絵にすることをしているGPSアートランナーの特徴が示され、最速・最短ではない走りの楽しみというものが提示されるとともに、学校教育でも取り入れてみたらどうかという提案がなされていた。GPSアートというものを初めて目にしたが、有名なGPSアートランナーは、最初から頭の中に絵を描いていて、地図を確認することなく走破して絵を描いているとのことで、プロのサッカー選手が、全体を俯瞰するイメージができているという話を聞いたことがあるが、同じようなことをしているのではないかと思った。
 自分の競技では、タイムが良くうまくいったというレースは、どの部位をどのように使ったかという力感は全くなく、後から振り返ると、上手くいった理由がわからなかったりする。そこには結果的に主体性はなく、「できる」「できない」ということを超越している感覚だった。ゾーンに入ると、すべてのことがどうでもよくなり、とにかく氣持ちがよく、この感覚をずっと味わっていたいと思うだけの世界だった。トレーニングの原則に意識性というものがあるが、上手くいくときには、意識はないというのが実感なんだよなぁとスポーツ科学の基本を疑うようなことを考えてしまった。

■2025年8月27日(水曜日)


長谷川町子記念館にて





25年頃前によく通った所
 日本体育・スポーツ・健康学会大で日体大世田谷キャンパスへ。
 開会にあたり、会長から、中央教育審議会が、教員採用試験申し込みの数がピーク比6割弱まで減少し、教員免許取得について大学での履修単位の負担が重いとのことで、単位数を大幅に削減する方針を固め、その中で教養科目の合理化ということで、体育が廃止となるという話があった。教員免許を取得するのに、体育は必要ないと言われているようなもので、体育関係者は危機感を共有し、このままでよいのかという議論が必要ではないかとのことだった。体育がそこまで軽視されるようになってしまったのかと驚くしかなかった。身体活動量が減り健康問題が増え、医療費が増大するという時代になり、ますます体育の重要性が高まってくるものだと思っていたのだが、全く逆の方向に世の中は動いている。一昔前は飢餓と闘っていた人々が今では肥満と闘っているのではないのか。このままでは、ますます人々は動けない體になっていき、生物としての当たり前の機能が失われていってしまうように思える。
 今日は、本部企画シンポジウムとして「テクノロジーと身體文化の共創−体育・スポーツ科学が切り開く新しい価値創造−」というテーマで議論があった。テクノロジーが発達して、様々なことが数値化・言語化できるようになってきたが、トップ選手たちのひらめきのようなものはなかなか数値化・言語化は難しい。数値で示すことはできても言語化できないことも多々あり、言語化については、長所と短所があることを認識しておく必要がある。テクノロジーが可視化することで、言語で表現できないことの代わりができる可能性はある。
 言語によって身體動作を変化させようとすると、見た目の表面的な動作の変化はできるかもしれないが、本来求めている変化に到達することができない。骨ストレッチをすると、勝手に求めている動作に変化できてしまうという経験を何度もしていることから、骨ストレッチは、今回議論されているテクノロジーのような役割をしているのではないかと思った。
 人間は失敗する生き物だと認識し、テクノロジーは自分のトライアンドエラーをもたらしてくれる鏡のようなものとして、活用していけば良いのではないかとシンポジストが述べていたことが印象に残った。

■2025年8月26日(火曜日)
 2か月ぶりに中長距離パートの学生たちと一緒に練習。メニューは10000mペース走。4グループに分かれて、最も設定タイムの遅い4分/kmペースのグループで6000mを目標に走った。グループを引っ張ろうとする学生がいなかったため自分が引っ張ることとなった。
 久しぶりの集団ペース走で、全くペース感覚がなく、1周目からペースが乱れ、全く設定タイム通りのペースを刻むことができず、一緒に走った学生たちは走りづらかったかもしれない。1000mごとのラップタイムは、4分04秒1、4分02秒6、3分58秒0、4分02秒4、3分53秒9、3分58秒4だった。最初は、左アキレス腱の痛みが氣になっていたが、途中から、右アキレスけんの痛みが出てきて、左側は痛みがなくなった。後半は、右大転子付近の痛みが強くなってきて、接地の度に力抜ける感じで、何とか6000mまで走り切った。終わった直後は、えづきかなり苦しかった。
 最後に、ロングスプリントパートが200mの全力走をするというので、女子学生のペースメーカーになるつもりで一緒に走った。10000mを終わったばかりの長距離の学生も入ってきて、ちょうどいいレベルで走れた。タイムは27秒3。厚底シューズで走ったので走りづらかったが、思ったよりも良いタイムだった。しかし、走り終わった後は、また左アキレス腱が痛み出した。

■2025年8月25日(月曜日)
 大学院研修中の卒業生が、所属する大学の短距離選手2名を連れて3か月ぶりに練習に来てくれた。うちの学生と一緒に練習した後に骨ストレッチを教える予定だったが、こちらの家庭の都合で早く帰らなければならなくなったため、学生との練習はなしにして骨ストレッチの講習のみにしてもらった。
 初めて骨ストレッチを体験する人もいて、基本から教えてもらいたいということで、残りの2人は復習となる部分が多かったが、少しだけ教えていなかった内容を加え、骨ストレッチを使ったクラウチングスタートについて、順を追って伝えていった。一つやるごとに、信じられないという反応で、骨ストレッチにより體はいい動きをしているのに脳はそれに追いついていないという感じが面白かった。途中からは自分の體の動きを認めざるを得ないという感じになり、受け入れてくれるようになった。来週も練習に来る予定になっているが、今日初めて体験した学生は、用事があり来られないとのことで、とても残念そうだった。彼らの大学は、8月初旬から夏休みになり、夏休みが終わるのが10月初旬だという。まだ夏休みは始まったばかり。うちの学校はすでに夏休みが終わって授業が始まっている。一般大生は、休み過ぎではないかと思ってしまった。

■2025年8月24日(日曜日)


男子走高跳





氣温が高過ぎです
 関東選手権3日目。この3日間で最も太陽が照っていて、湿度も高いため空氣が重苦しい感じだった。3年生が走り高跳びに出場。エントリー人数が41名ということろで、1回跳躍したら、次に跳躍の順番が回ってくるのは20〜30分かかり、氣温は体温よりも高い37度台。選手はフィールドにいるだけで体力を消耗しそうな環境だった。
 試技は1m90から始まった。いきなり2回失敗し、もうあとがないという状態の3回目でクリアー。1,2回目とは違い、かなり高いジャンプができていて、同じ動きが再現できれば自己ベストが出るのではないかという跳躍だった。高さは1m95となり、1回目は失敗、2回目にギリギリ成功。2m00へ挑戦することとなった。2m00も2回連続で失敗し、3回目は、ジャンプすることなく、バーの下を通過して終了となった。本人の話によると最後の試技は、助走がものすごくうまくいってよかったそうで、ジャンプはできなかったものの、良い感覚は得られたとのことで収穫はあったようだった。
 帰りは行きのルートとは違い、東北道から首都高に入るルートで帰った。熊谷の競技場を出発する時点で車の温度計は42度を表示していて驚いた。渋滞はなく首都高まで行くことはできたが、首都高は、アフリカ会議の影響か海外の首脳が羽田空港を使用するらしく、警察官が道路内のいろいろなところで立っていた。大井手前で大渋滞で全く進まず、かなりの時間停車していた。大井の分岐へ来た時に、車の温度計を見てみるとまた42度を表示していた。窓は開けていないので體感はしなかったが、東京も熊谷並みの暑さだったようだ。横須賀へ帰ってきて感じるのは、海風があること。海の近くは涼しいと改めて感じることができた。

■2025年8月23日(土曜日)


男子800m



男子400mH



激励に来たOBたちと
 朝練は渋沢栄一記念館方向に走っていき30分経ったところで折り返しの60分ジョグ。今日は左右のアキレス腱、右の臀部の痛みが強く、ジョグ自体が苦行のようだった。
 試合は、昨日400mを走った4年生が400mハードルに、2年生が800mに出場。800mは、予選から同じ組に格上の選手が4人ほどいて、1着と2着以降でタイムの良い4名が決勝進出という条件。なかなか厳しい条件だった。1周目から流通経済大の学生が先頭を引っ張り、うちの学生は外側の3番手でいいポジション取りで走っていた。1周目は57秒台で、500m手前で2番手に上がり、残り300mで先頭がペースアップ。2番手のまま必死についていったが最後の直線で少しずつ離され2位でフィニッシュ。タイムは1分52秒89で大幅な自己ベスト。2周目を55秒台で回るというネガティブラップ。着順では拾われなかったものの、全体2番目のタイムで決勝進出。
 決勝は、1周目が62秒台となるスローペース。残り100mでの勝負が目に見えていて、スパート合戦に自信のなかった学生は、残り200mで先頭に立ち、逃げ切りを図ろうとしたが、逃げ切れず、最後の直線は、集団となった5人での勝負。結局その勝負には勝てず5位でのフィニッシュ。タイムは1分57秒60だった。優勝は1分57秒24ということで、1位から5位までが0秒36の中にいるという大混戦のレースだった。
 400mハードルは、自己記録付近のタイムで走れば、予選を通過できたが、今日も思うような動きができず4着でフィニッシュ。53秒60だった。

■2025年8月22日(金曜日)


深谷駅



25年前に住んでいた建物



男子400m



男子1500m
 朝6時過ぎから60分ジョグ。せっかく深谷へ来たので、25年前に住んでいた熊谷基地が近いと思い熊谷基地を目指しジョグをした。自分の方向感覚を頼りに走ったため、最短距離で進むことはできなかったが、30分ほど走ったところで、熊谷基地の外周のフェンスにたどり着き、自分の生活していた建物が目の前に現れて、当時の記憶がよみがえってきた。基地の正門側へ回ってみると、建物がなくブルーインパルスが展示してあり、本部隊舎は新しくなっていた。基地周辺の道路も整備され、多くの飲食店の並ぶ通りになっていて、時の流れを感じてしまった。
 試合の方は、4年生の主将が400mに、3年生が1500mに出場。主将は、夏合宿後ヨーロッパ各国をめぐる旅行に行き、まったく練習を継続できておらず、日曜からの6日間で刺激を入れて今日にいたった。400mは明日の400mハードルの刺激と決めていて、結果は求めないとのことだったが、組で6着の49秒01。49秒はかかりたくなかったようで悔しそうにしていた。その悔しさを明日晴らしてくれることを期待している。
 1500mに出場した3年生は、夏合宿後、自動車免許取得のための2週間の合宿に参加していたということで、こちらも全く走っていない状態だった。しかし、レースは、決勝進出ラインの4番手に位置し、1000mまでは理想的なポジションで走り、通過タイムも2分38〜39秒あたり。このまま行ってくれれば、決勝進出だと思ったのだが、1000m通過後、急激に失速し集団から大きく遅れ、次々に後続の選手に抜かれ、4分09秒06で14人中13番でフィニッシュ。こちらも決勝進出できなかった。タイムがあまりにも悪いということで、とても悔しがっていた。
 両者とも練習ができていない状態で悔しがっているので、また練習で立て直し、秋に自己ベストを更新してほしい。
 試合後、ホテルへ戻る途中で、25年前に使っていた籠原駅付近へ寄ってみた。駅自体は当時と変わっていないように見えたが、駅周辺は整備され、当時あったはずの自転車置き場や建物がなくなっているように思えた。当時の記憶が全くなく、駅から基地までの道のりは、初めて通るような感覚だった。25年前の記憶というのは、いい加減なものだなぁと思ったりもした。

■2025年8月21日(木曜日)


雲が発達中
 関東選手権が埼玉県熊谷市で開催されるため、明日出場する学生2名を連れて夕方車で宿泊先の深谷まで移動。事前に渋滞予測があったが、海老名サービスエリアまでは思ったよりも早く到着でき夕食休憩。圏央道は渋滞が続いたが、車の動きが止まることはなく、こちらも思ったよりも苦痛な氣分になることはなく3時間半ほどで宿泊先へ到着できた。
 先月末、合宿先へ移動中、高坂サービスエリアで下車した際に、車の温度計は40度を表示していて、車を降りた瞬間に、湿気を含んだ熱氣を感じたこともあり、深谷も同じようなものだろうと想像していたが、夜になったこともあってか、湿度は思っていたよりも低く、意外と涼しいと感じた。

■2025年8月20日(水曜日)
 朝の通勤中、左側に歩行者が歩いてきて、右側に対向車が向かってきて、左側には電柱があるという状況になった。自分は電柱の手前で停車し、対向車が通り過ぎた後、歩行者が電柱の手前で止まり、こちらが歩行者の横を通過して、その場面が終わった。その後、急に電柱が氣になり始めてしまった。自分の進む先を眺めてみると、無数に電柱が並んでいる。20m〜30mに1本は立っていて、中には、民家の敷地に立っているものもあった。日本独特の景色なのかなぁと思うとともに、よくこれだけたくさんの電柱を立ててきたなぁと思った。
 以前妻は、対向車を避けるために左側に寄って、結果的に電柱にぶつかったことがあったが、電柱は通行の妨げだと感じることが多い。自宅付近の歩道を歩いていても、電柱があるために、人がすれ違うことができなかったりする。神奈川県は40年前から無電柱化に取り組んでいるらしく、無電柱化推進計画というものが令和4年3月に出されていた。これを確認してみると、横須賀市では浦賀駅や久里浜周辺が一部無電柱化されていた。その地域の景色を思い起こすと、確かに歩道が広くスッキリしている感じがする。そのスッキリしていると思わせる要因が電柱がなかったことなのだと今更ながら氣づかされた。我が家の近所も、片側だけ歩道が広く電柱がないことに氣がついたのだが、こちらは特に計画とは関係なく、初めから電柱が立っていなかったのかもしれない。無電柱化は主要な整備方式では1kmあたり5億円程度という費用がかかるとのこと。電柱の立っている道の長さを考えると、氣の遠くなるような年月がかかるのだろうと思った。

■2025年8月19日(火曜日)
 次男が目が乾いて目が辛いという話をしていたので妻が、新たに購入した目薬がドライアイに効果があるとのことで、その目薬を次男に勧めた。次男は、目薬を手に取り、その成分を見てみると、「硫酸」「塩酸」という言葉が記載されていて、理科で学んできた知識からすると、これらの成分は手に触れることは危険であるという認識なので、「これ使って大丈夫なの?」という疑問がわいてきたようだ。結局ドライアイが辛いので、疑問を持ちながらも目薬を使った。しかし、目薬を入れた瞬間から目に痛みを感じ、それがしばらく続いたため反対の目には入れなかった。
 目薬はよほどのことがない限り自分は使わないのだが、あらためて目薬の成分について調べてみると、「塩酸○○」と書いてある成分は、目の白目の部分の血管を無理やり収縮させるコカがあり、それが、充血を取るということになっていた。しかし、充血の根本原因を改善させるものではなく、対処療法的な意味合いしかないようだ。
 硫酸は調べていないが、塩酸や硫酸をそのまま使っているわけではなく、化合物なので、まったく作用は違うので心配する必要なないようだ。しかし自分の體に入れるものの成分を把握するという次男の行為は良い行為ではないかと思った。

■2025年8月18日(月曜日)


ゴジラのような雲
 職場で天氣の話になった。今年は暑いという話だったのだが、個人的には、今年は涼しいという感覚なので、「暑さに慣れたのではないか」とのご意見をいただき、お互いの意見は一致しなかった。しかし、涼しいということで言えば、「今年は風があるからそう感じるのかもしれない」とも言われた。確かに、風があるから、木陰に入るといつもの夏よりも涼しく感じるのかもしれない。今は、まだ夏真っただ中で、セミの声が激しく聞こえる時期なのだが、今日はここ最近では最も暑かった感じなのだが、セミの声は激しくなく、勢いがなくなっているような弱弱しい声のように聞こえた。週末に行く予定の熊谷は、相変わらず最高気温が高い。間違いなく空氣が違う。横須賀を基準にしていると、熊谷の氣候だけで、肉体的にも精神的にも能力が削られてしまいそうだ。

■2025年8月17日(日曜日)


練習参加学生



昭和の遺物
(木造の電柱)
 午前中は、職場へ行き、投擲パートの練習を眺めつつ、短距離のロングスプリントパート2名の練習に加わった。メニューは150m×3を2セット。休息は4分、セット間は10分。来週末に関東選手権へ出場する予定の学生は、夏合宿後海外旅行へ行ってきたため、全く走っていないとのことで、1セット目が終わったところで、かなり苦しそうだった。関東選手権では400mと400mハードルに出場することになっているが、今日が最も強度の練習で、明日からは調整すると話していて、それで本当に走り切れるのだろうか?と不安に思った。
 練習は、自分を含めた3人が同時にスタートはしているが、スタート直後から、学生たち2人が、あっという間に離れていき、自分は自分の走るをするしかなかった。1セット目はアップシューズで2セット目はスパイクを履いたが、スパイクを履いてからのコーナーの走りが、夏合宿で痛めた左アキレス腱にダメージを与え、痛みが復活してきてしまった。またしばらく様子を見る必要がありそうだ。
 夜は、久しぶりにスーパー銭湯へ。久しぶりにサウナにも入ったのだが、サウナには、サウナハットをかぶっていたり、自前のサウナマットの上に座っている人がいたり、いわゆるサウナ―さんが何人かいた。サウナに入っているときには、頭や耳が熱くてサウナハットが欲しくなった。また、目を開けていると、目も辛いので、目を覆えるものも欲しいと思った。サウナと水風呂の交替浴と休憩を3回くらいやって、いくらかスッキリして、今年の夏休み最後の日が終わった。

■2025年8月16日(土曜日)


蛇の抜け殻発見





拡大
 横須賀リトルの練習会に参加。通常通り、基礎練習のグループに入って、子どもたちを指導した。今日は、最も走るのが速いグループの指導だったため、動きが良く、とても指導しやすかった。基礎練習の後は、800mのタイムトライアルということで、しばらく休憩があったのだが、その時間に、中学生が800mのタイムトライアルをするということで、誰かのペースメーカーになれればと思い中学生の後ろに並んでスタートした。30分前に1500mのタイムトライアルをしているので、多くの子が疲労のためか、スタートから勢いがなかった。そんななかでも先頭の子だけが飛び出していったので、まずはその子に追いつくことを目指した。1周目は67秒台。残り300mのところで、やっと先頭に追い付いた。その頃には先頭の子も疲れてきたのか速度が落ちてきたので、彼を引っ張るべく先頭に立った。すると、それに負けじと速度を上げてきたので、先頭を譲り、最後は、こちらも體が動かなくなってきてので、走りながらひたすら声掛け。あっという間に、距離が離れていき、自分のペースの低下を必死に抑えてフィニッシュ。タイムは2分14秒2。最後は手足がしびれかけて、ほぼ全力だった。
 その直後に、小学生の800mタイムトライアルということで、呼吸が激しいままスタート。第2グループあたりのペースメーカーを目指し、一番後ろから第2グループを目指した。動かなくなった體を必死に動かすくらいのペースが、ちょうど良いペースで、小学生と並走しながら3分くらいを目指して走った。結果は2分58秒9。ほぼ想定通りだった。
 ウォーミングアップなし、アップシューズでの走りだったが、昨日のペース走のことを考えると、今日は、想像できないくらいの速いペースで走ることができた。ウォーミングアップをしてスパイクを履けば、2分10秒を切るくらいでは走れそうな氣がした。

■2025年8月15日(金曜日)
 2週間ぶりに體をまともに動かした。練習メニューはサーキットトレーニングと4000mペース走。サーキットトレーニングは約1ヶ月ぶりで、スタート直後から體は重く、左アキレス腱に若干痛みがあり、ジャンプ系の運動の際には特に氣になった。1ヶ月前よりも、1セットあたり10秒以上タイムを落とし、あまりの動きの鈍さに水中で運動をしているような感覚だった。
 4000mは4分/kmくらいでは走りたいと思ってスタートしてみたものの、こちらもタダのジョギングのような感じになり、4分20秒前後のタイムで、速度を上げようと試みたが、全く上げられず、左アキレス腱と、右臀部の痛みが強くなり、フィニッシュまでほぼ同じペースでしかはしれなかった。2週間で、一氣に動けなくなり、合宿でのトレーニングの効果は全くない状態となってしまった。左アキレス腱の回復が優先だったので仕方なく、運動ができるようになっただけでも前進だと理解したい。

■2025年8月14日(木曜日)


久里浜海岸
 朝は、次男の学校へ記録会で使った棒高跳びのポールを返しに行き、次男は部活の練習に参加しないとのことで、すぐに家に帰ってきた。次男の学校へ行くと、必ず学校近くのガソリンスタンドへ寄る。価格表示が横須賀と比べて10円以上安いからだ。1回の給油で、何百円しか変わらないのだが、得した氣分になれ、氣分良く帰ってこられる。
 帰宅後は、この夏にやろうと思っていたことの3つ目を実行。それはお隣さんのお庭の草刈り。今年はゴールデンウィークに1度やっているので、その時と比べると作業量も作業時間も短かった。氣温も日がしっかりと出ている割には、低く感じ、木陰の中での作業は、涼しく快適なくらいだった。作業中に、お隣さんのお隣さんとも顔を合わせて話をすることもでき有意義な時間だった。

■2025年8月13日(水曜日)


庭にいたイトトンボ?



色分けがすごいオシロイバナ
 今朝は、早朝に起きて、サーキットトレーニングをしようと思って5時台に目覚ましを鳴らしたのだが、昨日の芝刈りの影響か起きるのが辛かった。いったんは、トイレへ行って、洗濯機を回すなどして動いてみたが、やっぱり體が辛く、もう一度寝てしまった。氣がつけば9時半を過ぎていた。
 各地で相変わらず猛暑が続いているという報道がなされているが、我が家の周辺は、報道で言うほどの暑さは感じられない。意外と蒸し暑さがなく、木陰は涼しく、外にいても我慢のできる氣温だったりする。
 昼ご飯を食べた後くらいから頭痛になり、夕方まで続き、何もやる氣が起きず、ちょっと横になってみたり、芝生の草を抜きに行ってみたり、やることが定まらず何となく時間を過ごすことになってしまった。もったいない時間の使い方かもしれないが、逆に贅沢な時間の使い方だったようにも思えてくる。
 日が沈む直前くらいから、犬の散歩をした。夕方はちょっとそよ風があり涼しい。今年の夏は、夕方になると、比較的涼しく、自分が子どもの頃の夏を思い出す。

■2025年8月12日(火曜日)
 職場に行ってトレーニングをしようと思っていたが、午前中は妻が買い物に車を使いたいというので車を譲り、この夏にやりたいことの2つ目を実行。それは芝刈り。午前中は、コニシキソウを中心とした芝生に生えた雑草取り。最初はしゃがんでやっていたが、だんだん腰や脚が辛くなってきて、体育座りのような感じでやることになった。結局どの姿勢をしていても腰や背中は痛くなる重労働だ。
 昼食後、一眠りして、午後は、芝生が茂りまくっている壁際をハサミで切って芝生を整えた。ハサミを使っていると、どうしても、指の一部がハサミの握りと接触して摩擦により皮膚が削れてくる。その痛みが辛くなり、一旦やめて、手動の芝刈り機で芝刈りをした。思っていたよりも、芝を深く刈りすぎて、芝が茶色くなってしまったが、芝刈りもずっと同じ姿勢になるので、これはこれで腰が痛くなった。芝刈りが一通り終わったところで、また壁際の作業に戻った。地道な作業だが、イヤな作業ではない。こういったことがイヤではないということは、工場のライン作業も適応できるかもしれないと思った。 

■2025年8月11日(月曜日)
 夏休みの期間に、やりたいことがいくつかあるのだが、今日は、その一つ、布団の洗濯をした。自宅の洗濯機を使っての洗濯は困難なため、4枚の布団を以前使ったことのあるコインランドリーへ持っていった。しかし、そのコインランドリーはなくなっていた。コインランドリーの隣にあるローソンが閉店するということは知っていたのだが、そのローソンもコインランドリーも同じ建物の中にあり、その建物自体が取り壊されていた。このコインランドリーでは、どの器材を使うのが適切かなど、アドバイスをくれる店員がいて、それが他のコインランドリーとは違っていて、また来たいと思うお店だった。
 コインランドリーは別の場所にもあるので、その場所から最も近いコインランドリーへ行き洗濯をすることにした。次のコインランドリーは、スマートフォンにアプリを入れれば、全てアプリ内で処理でき、洗濯の残り時間もわかるので、アプリを入れて洗濯をした。2枚の布団が入る洗濯機が2台空いていたので、2台を使い、それぞれダニ撃退のオプションをつけて洗濯をした。1台分で1800円。思っていたよりは価格が安くホッとした。
 洗濯時間は50分。待っている間は、屋外へ出て散歩をした。今日は曇っていて、それほどの暑さはなかった。普段歩いたことのない場所を歩くというのは、冒険で、いろいろな発見があって楽しかった。
 洗濯が終わって、布団を取り出してみたが、若干乾燥が甘く、もう少し乾燥機にかけたいと思ったが、乾燥機はすべて使用中ですぐに使えないこともあり、使用は諦めて、自宅へ持って帰り、干すことにした。乾燥できれば、やっと布団をしまうことができる。夏の課題を一つ終えることができそうだ。

■2025年8月10日(日曜日)
 家族は、朝から外出していて、1日家にいたのは自分一人だった。こういった時にしかできないことをしようと思い、撮りためていたテレビ番組を一氣に視聴した。大河ドラマを2週分、民放のドラマを2週分、1時間の番組を2つ、さらに30分番組をいくつか見た。その中でも東京国際大教授である社会学者トーマス・ブラックウッドさんを特集するNHKの「最深日本研究〜外国人博士の目〜」という番組が面白かった。彼は、日本の部活を研究している。この活動は日本にしかない特殊な活動で、この活動が教育の一環でやられているということが面白くて研究をしているとのことだった。
 特に、レギュラーではない補欠と呼ばれる生徒やマネージャーの生徒は、3年間試合に出られないのに、なぜ一生懸命やれるのかという疑問があった。普通は、認知的不協和により、やり甲斐を感じられなくなるのではないかというのだが、部活に参加している生徒たちは主観的幸福感があり、日本独特の青春という概念や、高校生はこうあるべき、こうするべきという概念があり、勝ちようがないのに頑張るという美学が日本には存在しているからではないかという考察をされていた。そして、さらに、レギュラーになれなかった人たちの方が偉いという考え方すらあるというのが特筆すべき事として挙げられていた。
 日本にいると当たり前だと思えることが、海外からは異質に見える。海外に行ってみて、あらためて日本のことがわかるということを今までにもいろいろと経験したが、外国人の視点を知ると、別の切り口が出てくるのでとても面白い。

■2025年8月9日(土曜日)
 次男を連れて筑波大学競技会へ。11時から競技開始ということで、8時半には現地へ着き、次男は9時前からウォーミングアップを始めた。一般的には11時競技開始となると9時頃には競技化できるようバーを載せる支柱などが準備されるものだが、9時半になっても準備が始まる氣配がなく、本当に今日競技会が行われるのだろうかというくらい審判の学生たちは集まらず、のんびりしていた。10時頃にやっと学生たちが集まり、準備が始まったが、招集がどこで行われるか注意事項に書かれいなかったので、棒高跳びの付近にいた学生に確認してみると、特に招集はなく現地集合であり、ポールを使ったウォーミングアップも好きなようにやってもらって良いということだった。事前のエントリーでは7名の名前があったが、当日エントリーもあり15名の出場となった。
 次男はウォーミングアップの時点で、今まで使ったことのない強いポールを使っていた。顧問の先生がわざわざ応援に来てくれたので、先生にアドバイスを受けながら、本番もそのポールを使って跳躍する方向で試行錯誤していた。最初の高さは3m60。今までのポールであれば問題なくクリアーできる高さなのだが、新たなポールで跳躍すると、上手く使いこなせず、バーよりはかなり高い位置まで體が上がっているにもかかわらず、バーに触れてしまう位置で落下するため、クリアーできなかった。バーの位置を2回目、3回目の跳躍で5cmずつ手前に変えていったが、3回目の跳躍でも引っかかり、記録無しで終わってしまった。調子が良く、大幅な自己ベストがとなる高さが出ていたので、とても残念な結果だった。今までに使ったことのない強いポールに挑戦できたということが自己ベストへ向け前進した証ではないかと思う。また次に期待したい。
 競技場では、筑波大学の先生たちに挨拶ができ、たまたまその場に居合わせたオリンピックで8つの金メダルを獲得した体操の加藤沢男先生にも挨拶ができた。現役の日本代表クラスの卒業生も練習をしていたりして、次男も生でそういった選手を見ることができただけでも来た甲斐はあったのではないかと思う。

■2025年8月8日(金曜日)


ぎんなんが育っています



満月
 医務室へ受診。7月30日に400mハードルで痛めた左アキレス腱を診てもらった。結果はアキレス腱の炎症という診断を受けた。受傷してから10日くらいが経ち、特に腫れもなくこのまま痛みが引くまで様子を見るという方向で良いようだ。
 今日は、もう一件受診。睡眠時無呼吸症候群の改善のため、毎晩CPAPを装着して寝ているのだが、毎晩の睡眠時の呼吸状況などが計測を終了する度にデータとして送信されて病院に蓄積されている。診察では装着してから今朝までのデータの確認があり、「頑張ってますね」というコメントを頂いた。昨日あたりから、少し寝られている感が出始めたのだが、どの患者さんも、最初は装着感に違和感があったりして、慣れるのに時間がかかり、毎日確実に計測するというのは難しいそうだが、器材が届いてから山に入った2日間を除いて、ほぼ毎日全睡眠時間に渡って計測ができているだけでもなかなかエネルギーのいることで頑張っているという評価だった。呼吸の状況については、無呼吸になる回数は、1時間あたり0.7ということで、以前は6前後の値だったため、大幅改善しているので、このまま続けてもらえればいいとのことだった。とりあえず無呼吸がほぼなくなり、體への負荷も減っていることがわかり安心した。

■2025年8月7日(木曜日)
 週末に次男が筑波大学競技会で棒高跳びに出場する予定となっている。次男の学校が明日からお盆休みになってしまうため、今日棒高跳びのポールを学校から取り出さないと、試合にポールを持っていくことができないということで、ポールを受け取りに次男と共に次男の学校へ。今日は休み前の最後の練習だったのだが、結果的にその練習をずっと見守るという感じで、部活参観となった。ウォーミングアップ、サーキットトレーニング、種目練習という流れで、参加した部員は6名。部員は少ないのに、毎年南関東の大会に出場する生徒がいる。大きな流れは先生が示しているのだろうが、生徒の種目はそれぞれ違うので、最終的には自分で考えてやらなければならない。結果的にそれが好結果に結びついているように思えた。
 棒高跳びは、次男と1学年下の後輩の2人で練習している。この種目は一人で練習するのはなかなか辛いが、二人いればお互いの跳躍を見ることで、いろいろと議論が出来る。さらに棒高跳びが専門も顧問の先生もいてくれて、アドバイスを頂くことができ、生徒たちは楽しく向上心を持って練習をしている姿が印象的だった。今日は先生も認めるとても良い跳躍を見ることができた。この調子で土曜日も跳ぶことができれば大幅なベスト更新も期待できる。

■2025年8月6日(水曜日)


阿弥陀堂門



御影堂



阿弥陀堂から見た京都タワー



京都タワーから見た東本願寺
 朝9時過ぎに、両親と下の妹と京都駅で合流。今日は、祖母と大叔母(母の叔母)ののど仏の骨を東本願寺(真宗本廟)に収骨するために家族が集まった。大叔母が亡くなって先月で10年、祖母が亡くなって9月で10年となるのだが、本来は葬儀が終わって収骨するものらしいが、コロナの時期があったり、祖母の家の処置(土地の売却など)に時間がかるなど、なかなか東本願寺まで行くタイミングがなく、10年間ずっと近所のお寺さんに骨を預かってもらっていた。今ではそのお寺さんに骨を収めることもできるのだが、30年程前に祖父が亡くなり、東本願寺へ収骨しに行った際、祖母も同じようにして欲しいと話していたということもあり、今日はやっと祖母の希望を叶えることができた。
 両親は、京都駅からタクシーで寺まで行くつもりだったようだが、駅から地下道を通って行くと、日に当たらずにお寺の区画の手前まで行けた。タクシーにお願いしてもあまりにも近すぎて断られたかもしれない。
 東本願寺は、門から立派で、敷地内にはいると、阿弥陀堂と御影堂という2つの巨大な建物が目に入ってきて、その大きさに圧倒された。受付で収骨の手続きを終えると、これから収骨をする家族は集められて、最初に大阪から来られたお坊さんによる法話を聞いた。お釈迦様の話や親鸞聖人の話があった。また、これまでのことを悩んでも仕方がなく、これからの生き方次第でこれまでのことの解釈が変わり肯定できるようにもなる。これからの生き方を変えていけばいいというような 主旨の話もあり印象に残った。
 法話の後、収骨となり、関係者全員が、御影堂へ移動した。堂内正面中央の親鸞聖人の御真影がある場所の裏へ集まり、小さな桐の箱へ入れ替えられたそれぞれの骨を御真影の真下にある蔵のような所へ収めた。最後に正面へ周り、それぞれが焼香をして終了となった。
 その後は、京都駅ビルの地下で昼食。上の妹が昼には合流することとなっていたため、店で待ち合わせて合流し昼食となった。こういった形で家族全員が集まるのは生まれて初めてのこと。兄弟は3人が全く違う県で生活していて、妹たちはこんな平日に家族全員が京都で集まるなんて奇跡だと話していた。祖母や大叔母のプレゼントだったようにも思え、30年前の祖母の一言でこの日がやってくることはすでに決まっていたのかもしれない。
 全員が日帰りなので、少しだけ観光をすることとなり、駅前の京都タワーに上り京都市内を上から眺めた。その後、京都の駅ビルへ戻り、茶寮都路里というお店で抹茶のパフェをみんなで食べ解散となった。短い時間だったが、ちょっとした家族旅行となった。

■2025年8月5日(火曜日)


トンビ
 イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続き、フランス、イギリス、カナダなどはパレスチナ国家承認に向けた動きが相次いでいる。日本では、野党から国家承認を求める発言が相次いでいるが、石破首相は、「何が国際社会のためになるかよく考えたい」とのことで、直ちに国家承認することについては明言を避けた。アメリカが国家承認しない方針ということが理由の一つなのかもしれないが、イスラエルのネタニアフ首相はガザの完全占領を示唆したという報道もあり、時間が経てば経つほど、ガザで亡くなる人が増えていくことは間違いない。
 イスラエルはやりたい放題やって、何もお咎めなしというのが納得がいかない。ロシアが、ウクライナへ攻め込んだとき、西側のいわゆる国際社会は、いかなる理由があろうとも攻め込んだロシアが悪いと、ロシアを非難していた。そして日本は、ロシアの資産を凍結し、その資産をウクライナへ送るという行為を行った。イスラエルが一方的にイランへ攻撃した際、日本はロシアと同じ対応をしなかった。この差は何なのか?
 国連がガザへの食糧を届けようとしても、食糧はアメリカとイスラエルから渡すとのことで、国連ですら介入できず、イスラエル軍は、食糧の配給に集まった群衆に対して攻撃をして多くの人が亡くなっている。なぜ、こんな無茶苦茶なことをする国が野放しになっているのか?
 イスラエルのシンクタンク国家安全保障研究所はユダヤ系市民の7割以上がガザの人道状況について「苦痛でない」と回答したという調査結果が3日に発表された。国内でのガザの報道がまともになされていないのか、きちんと報道されていて何とも思わないのかはわからないが、イスラエルは、建国の経緯も含めて、無茶苦茶すぎることが多過ぎる。

■2025年8月4日(月曜日)
 朝は休暇を申請すべく一旦車で職場へ向かったのだが、職場へ向かう途中の上り坂で、一旦は点灯しなくなったエンジン制御システムの異常を示す警告ランプがまた点灯した。ペダルを踏んでもなかなか速度が上がらず、上り坂を時速20kmくらいでノロノロと上がっていくことしかできず、今日修理日にしてよかったと思った。ディーラーの営業開始時には車を預けることができ、16時前には、作業終了の連絡が届いた。問題が発生して1週間。高速道路のパーキングで残置したり、レッカーで移動したり、今までに経験したことのないトラブルに遭遇したが、何とか乗り切ることができた。車にもお疲れさまと言ってあげたい。
 夜は、行きつけの治療院へ。金曜以降何も運動はしていないので、起床直後は痛みがあるが、日中は痛みを感じることがなくなり、経過は良好とのことだった。この週末くらいまでは走らず、運動はバイク程度にすれば、より改善するだろうと言われた。過伸展した右手親指については、母指球筋の拘縮が始まっているので、この拘縮をほぐすことを自分でやった方が良いとのことだった。日常生活でどうしても親指を使うので、使うたびに鈍い痛みが伴う。ほぐしも鈍い痛みが伴う。少し我慢してほぐしていかなければならないということだ。

■2025年8月3日(日曜日)
 昨日と同じく目覚ましをかけず寝られるだけ寝るつもりだったが、6時過ぎに目が覚め、一旦トイレへ行って、CPAPは付けずに、また横になったら、そのまま寝入ってしまい、氣が付けば9時半になっていた。久しぶりに10時間以上寝た。CPAPはマスクとの接触点付近がかゆかったり汗をかいたりして、いまだに不快な感覚があり、何もつけずに寝られる幸せを感じてしまった。
 金曜に発熱し、熱は下がったものの喉と鼻の具合があまり良くない妻は、明日出勤するのに診断を受けて薬をもらっておいた方がいいということで救急医療センターへ車で連れて行った。妻が受診中は、近所のポートマーケットを散歩。民間企業に委託することで、とても活氣のあるワクワクする場所になったのではないかと思った。
救急医療センターはかなり空いていたようで妻の受診はあっという間に終わり、ポートマーケットでゆっくりとコーヒーでもすすろうかと思っていたが、そんな時間もなく散歩は終了。時間はお昼を過ぎていたので、帰宅前に、久しぶりにはま蔵で昼食。妻と二人で直近で外食をしたのは、10年以上前ではないかと思う。子どもたちのこともあり、なかなか二人で食事をする環境にはなかった。海鮮のお店なので海鮮の定食や寿司などを食べようかと思ったが、妻は温かいものが食べたいとのことで、二人ともうな重の定食を注文。久しぶりに贅沢な食事と時間を過ごすことができた。
 車での移動中、妻とお墓の話になった。妻の両親は、お墓を購入したのだが、和泉家は、父の実家が数年前に墓じまいをし、お寺で永代供養となったためお墓がなくなってしまった。父と母は、お墓について何か考えがあるのだろうか?父は、亡くなった際には献体をすることが決まっているが、その先のことについては考えを聞いたことがない。そういったことを聞いておく必要があり、自分たちはどうするのかということも考えておかなければならない。お墓があるということは、残された子孫が、それを守るという義務が生じる。祖先を大事にするという意味では、あった方が良いのだろうが、子孫の負担になるようであれば、ない方が良いのかもしれない。これからはデジタルで何でも残せる時代なので、お骨は残さず、AIを絡めた自分たちの意識のようなものを残す時代が来るのかもしれないし、選択肢は広がってくるのかもしれない。関係する人々の氣持とコストのバランスを考え結論を出すことになるのだろう。

■2025年8月2日(土曜日)
 合宿が終わって、肉体的にも精神的にもやっと體を休める時間を作ることができた。朝は目覚ましをかけず、寝られるだけ寝ようと思っていたが、6時半には目を覚まし、寝室にはエアコンがなく扇風機が回っているだけなので、それ以上その場で寝ることができず起床。
 屋根の塗装でローンを組んだが、その書類の訂正で業者さんが来ること以外は何の予定も組んでいなかったので、基本的には、エアコンの効く部屋でくつろいだ。
 録画してあった日本テレビの「ちはやふる―めぐりー」を3話分を一気見。子どもたちは中学校で百人一首を学び、毎年競技会形式で校内大会があったようだが、自分は、まったく百人一首に関わったことがなく、どういったものか知りたくて、ドラマを見ているのだが、素早くかるたを取るために、運動部のようなトレーニングをしたり、レベル別の昇級試験のようなものがあったり、競技会のルールだけでなく、この競技に関わる知識全般を垣間見ることができ、知識のない人にとっては、とても興味深い内容だ。百首すべてを覚えておく必要がある時点で、スタートラインに立つまでの準備が大変で、スタートラインに立った後も、反射神経を鍛える工夫が必要で、奥が深い。

■2025年8月1日(金曜日)


野尻湖2周30km走




30km走完走後




短距離練習後




諏訪湖
 校外合宿5日目(最終日)。4時15分に宿泊先を出発予定だったが、学生たちの集まりが悪く5分遅れで出発。自分の車が戻ってきて大人数を運べることができ、さらに走る人数も減ったことで、往復する必要がなくなり、4時半ごろには野尻湖へ到着。Aグループは1kmを4分20秒のペース、Bグループは4分50秒のペース設定で、4時40分ごろ一斉スタート。氣温も湿度も低くとても走りやすいコンディションだった。野尻湖では、男子では駒澤大学、富士通の選手がジョグをしていて、女子ではしまむらが集団で距離走をしていた。
 Aグループは、設定よりも速い4分くらいのペースでまとまって余裕を持って走ることができ、Bグループは2つに分かれてしまったが、後ろのグループは設定通りに走れ、前のグループは、しまむらの集団に抜かれた後、なぜか対抗意識を燃やし、最後は3分30秒くらいまでペースアップしてフィニッシュとなった。とにかく脱落者はなく全員が30kmを完走できて良かった。
 午前は、中長距離はフリー。短距離はロングスプリトはジョグだったが、ショートスプリントは、競技場で100mのタイムトライアルをしたいとのことで、競技場へ。最大2本のタイムトライアルを行い、10時頃には、宿へ戻り、10時半には帰りのバスが迎えに来て、全員で宿のおかみさんにお礼の挨拶をして、11時には行きと同じ乗車区分で学校へ移動となった。
 自分の車には、行きと同じく、顧問1名と2名の学生が乗り込んだ。長野の手前で、またエンジン制御システムの異常を示すランプが点灯し、昨日のディーラーへ行くかどうか迷ったが、検査の結果がセンサーの異常ということが分かっているので、警告を無視して、そのまま運転を続行することにした。警告が出ると、極端に加速が悪くなるので速度を押さえながら、なんとか学校まで耐えてくれと思いながら運転した。ルートは諏訪湖回りの中央道を通った。山道が続き、加速の効かない車にはなかなか厳しかったが、渋滞の状況からはこちらの道を選択するしかなかった。
 中央道から圏央道の間で、台風の影響で激しく雨が降りつける場所もあったが、渋滞予測に反して、思ったよりもスムーズに東名高速まで入ることができ、渋滞で車が止まることはなく、何とか動き続け、17時前には学校へ到着できた。学生たちのバスは16時過ぎにはすでに到着していた。
 学生と顧問を学校で降ろした後は、すぐに行きつけのディーラーへ連絡し、対応してくれることが確認できたので、すぐにディーラーへ。これまでの経緯を説明し、長野で受け取った検査結果とセンサーの見積書を渡したところ、エンジンの回転数が3000〜4000回転くらいでセンサーが働いてしまい、燃料などの入り具合を低出力にするよう調整するので、上り坂を走るには厳しくなってしまうとのコメントを頂いた。改めて検査をしてもらったところ、長野での検査と同じ結果が出たので、センサー交換をするしかないという結論になった。検査をしたので検査代を支払うものだと思っていたが、検査は長野で既にやっているので、検査代はなしということになり、本当に感謝しかない。最短で月曜日にセンサー交換ができるとのことで、台車はマニュアル車しかないため、台車なしで月曜日にセンサー交換を依頼した。
 帰宅後は行きつけの治療院へ。400mハードルで痛めた左アキレス腱の状態を超音波で確認してもらったところ、長母指屈筋に炎症があるということがわかった。しばらくは走ることを止めた方が良いと言われ、踵をホールドするようなテーピングをしてもらい、痛みが和らぐ感じがあった。



[昔のいずみ]