息しているだけ(2001.01.19)


 いや、皆様、明けました。と喪中であることをすっかり忘れ、1月も後半にさしかかろうとする時分に、新年の挨拶などを申し上げてしまう辺りが、既にして今年の私を象徴しているようで、なんとも間抜けで、かつ慇懃無礼である。いや、慇懃無礼って言うのをちょっと使ってみたかっただけなんだけどね。勿論、漢字で書けませんよ、慇懃無礼。慇懃無礼、なんだか凄そうであります。玉葱を股に挟んで、ををい、ををい、と鳴いている姿が目に浮かぶのは私だけでしょうか。私だけのようでした。

 まあ、これは今に始まったことではないが、敢えて言うならば、今の私は非常に忙しい。全く以て忙しいのであります。非情に忙しい、肥饒に忙しい、卑情に忙しい、なんていうのも後に控えていたりするのだが、それは置いておくとしても、この2、3ヶ月の忙しさと言ったらもう、東奔西走で、可及的速やかに対処せねばならなくって、思わず清涼飲料水を飲んでちょろちょろっとしたくなるほどである。

 かくいう理由で Text なんていう雑文を書いてる暇なんぞ有りはしないはずが、出来てしまったのである、暇が。とは言うものの、それ程、長大な暇ではない。時間にして3時間ほど、以前、何かの Text で煙草1本吸うのに約1分20秒としたことがあるから、それを根拠にするならば、煙草を立て続けに吸って、きっかり235本吸えてしまうほどの時間であると想像していただきたい。

 私の研究室では年に1度、このような時間のエアポケット、シュレーディンガーの猫張りの超時空パラドクスが起こる、それはビッグバンのように何の前触れもなく起こるのではなく、実は1年前から分かっていることなのである。勿体ぶってここまで書いてきたが、要するに論文の提出期限である。年によって日付はまちまちだが、私の諸属する大学の修士論文提出期限は1月の第3火曜日である、多分。故に、論文提出者は、入学年、つまりは提出期限の2年弱前からその日付のことを知っているはず、である。周知の事実ではあるけれども、締め切り期限にピタリと照準を合わせてくるような奴はそうそういない。なので、この時期、というか提出期限直前の2、3日は、どこの研究室でも遅くまで明かりがついており、論文執筆者は徹夜を重ね、論文執筆者以外の研究室の面々は、彼、もしくは彼女の精神的、肉体的なバックアップ体勢にはいるのであった。

 さて、今日の日付は1月14日、そろそろ15日に変わろうかとする時刻である。論文提出期限は1月16日、私の研究室にも、どうやら、この段になって、おたおたとしている輩がいる。仮にこの愚かな輩を小林、とでも呼んでおこう。あ、本名出しちゃった。先に、提出直前の2、3日と書いたが、こやつの場合は少々事情が異なる。2、3日前どころか、1年中おたおたして居る。しかも自分がおたおたしていることに気づきもしないほど悠長な強者である。こういう輩は一番困る。直前まで何とかなると思い込み、本当の本当に土壇場に立たされて初めて、事の重大さに気づくのである。当然、任務遂行のためには周囲にいるものが巻き込まれる羽目となるのであった。

 私は今、待っている。ただひたすら待っている。彼の原稿が上がるのを。かれこれ2時間にもなろうかというところである。しかしこの待機時間は、ほとんど無駄と言ってよい時間である。何故ならば、待てど暮らせど原稿が上がるはずがないのからである。連日徹夜を続けた小林は脳味噌が既にして真空状態である。モニターに向けるその顔は色を無くし、石英の結晶のような色をしている。申し訳、キーボードの上に置かれた両の手は先程からぴくりとも動かない。既にしてこやつは生きながらにして研究室のオブジェとなり果ててしまったようである。モニターに向かって永遠に腹式呼吸を続けるオブジェの完成である。

 息しているだけのオブジェが完成してしまうと、こちらはする事がない。ここに、時間のエアポケットが誕生するのである。幾ら何でも論文の代筆をやるわけにはいかんので、兎に角、無茶苦茶な文章でもなんでも、本人の手から文字列の並んだA4用紙が、私の元へ届けばよいのである。そうすれば、修正という名の、大幅な代筆が可能である。しかし、文字列の並んだA4用紙は未だ私の元へは届かないのである。現在、1月15日の午前3時、私は暇を持て余し、この雑文をガチャガチャと書いているのである。オブジェと化した論文執筆者は、突然のキータッチの音に、此方を少し見たようである。私はそれに気づかぬ振りをしていたが、その目は内心、「もしかしたら第2章の第3項部分を書いてくれてるのか」というような期待の混じったものであったように思う。

 そんなわけはない。私は論文の代筆なんぞしない。キミのそのオブジェっぷりを全国の皆様に披露すべくキーボードを叩いて居るのだよムフフフフ。オブジェの期待とは裏腹に、私のモニターには次々と小林のオブジェっぷりが並んでいくのであった。自分の論文執筆でも徹夜などというものはしたことがない私であるから、これくらいの暴露は許されるだろう。しかし、徹夜は辛い。本当に体が疲労しているかどうかは別にして、徹夜をしたという事実が私にダメージを与えるのである。小林よ、論文が完成した暁には、玉葱を股に挟んで、ををい、ををい、と鳴かせてやる。


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