薫製(2000.9.5) セブンスターの箱から一本の煙草を取り出す。愛煙家にとってはほとんど意識されない行動である。意識されないが故に葉の方をくわえ、フィルターに火を付けることなど造作もないことである。ところで、セブンスターのパッケージには白地に黒文字で Seven Stars と明記されているのであるが、よくよく注意してみると複数形の S が付されていることに気づく。正確にはセブンスターズ、いやさ、もっと厳密に言えばセヴンスターズなのである。下唇を血も滲まんばかりに噛みしめ、涎よ天まで届けとばかりに一気に下唇を発射するのである。う゛っ。
下唇から血が滲まないようでは一人前のセヴンスターズィストにはなれない。とどうでもよいことをごちゃごちゃと書いているのであるが、ここに一人の非喫煙家がいる。私の右斜め前2メートルの距離に鎮座して居る。こやつは極度の煙草嫌いである。煙草の臭いが服に付いちゃうからとかそういう生やさしいレヴェルではない。ここでもヴの発音には気を付けていただきたいが、とにかく全く以て理解不能なほどの嫌煙家なのである。
振り返るほどの年月でもないが私の27年間という人生を振り返ってみると、確かにそのような人は存在した。私がまだ福岡にいた頃の話である。私が自分の部屋で煙草を吸っていると、ゴホゴホと咳をしながら「今、煙草吸ったでしょゲホヘホ」という電話が隣町からかかってきたというのは有名な逸話である。まあそれは嘘であるとしても煙草の煙が嫌いとかそういう話ではなくて体が受け付けないのである。涙、咳はもちろんのこと、気分まで悪くなると言う。
こういう体の病人はまあ、アレルギーか何かで病気であるから仕方ないとして、こういう人はちょっと可哀想で刑事コジャックとは友達になれそうにもないし、セヴンスターズィストにもなれない。なりたいとは決して思わないかも知れないが。
ともかく、私の右斜め前2メートルに物理的に存在する人物はハイデガーの言う二元論的な身体を持たず、嫌いだから嫌いという大層わがままな思想を研究室中に布教して回るのである。こやつはアレルギーでもなんでもない。ただ単に嫌いなのである。思うに前者、体が受け付けないタイプの嫌煙家はしょうがない。同情の余地がある。しかし嫌いだから嫌いというまるで子供のような理由を振りかざす嫌煙家は好きだから好きという喫煙家と大して変わりがないように思われる。
こういう輩はとっておきの秘策として医学なるものを持ち出す。煙草が肺癌云々、母胎に云々、副流煙が然々、なるほど説得力があるではないか。一瞬納得してしまいそうな理論を切々と語る。涙ながらに。しかし、彼らの言う医学というものは今でこそ学問としてある程度の一般的認知を受けているが、その源流をさかのぼると実はみのもんたが創始した学問であって科学的なトリックを多分に含んでいる。そのトリックに気づかず盲目的にみのもんたを崇める人々はやはり、異教の民であると言わざるを得ない。異教の民と闘う。私の脳にそういったある種の使命感が去来した。古より異教の民は捉えられ、磔にされ、業火で焼かれたのである。映画エリザベスでみたのだから間違いない。私は煙草の業火で異教の民を薫製にするべく総決起集会を開いた。一人で。
聖戦である。パッケージから煙草を取り出す。ライターで火を付ける。しゅぽっスパー。パッケージから煙草を取り出す。ライターで火を付ける。しゅぽっスパー。ふぇふぇふぇ異教の悪魔もんたを操る魔女よ煙草の業火で薫製となり朽ち果てるがよい。
ぴっ
ん?なんだ?パッケージから煙草を取り出す。ライターで火を付ける。しゅぽっスパー。
ぴっ
何の音だろうか。私が煙草に着火するたびにどこからともなくかような電子音が聞こえる。ぴっ
何だこの音は。異教の魔術に違いない。敵をじっくりと観察しながら煙草に火を付ける。しゅぽっ。
ぴっ
発見した。唖然とした。私に向けられていたのは恐ろしい異教の呪術器具、扇風機ではないか。こやつは私が煙草に火を付ける刹那、扇風機で煙を私の方に逆流させていたのだ。何喰わぬ顔をして。恐ろしいことである。
しゅぽっ
ぴっ
何が「ぴっ」だ。あほう。
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