ワシントン条約の香り(2000.12.03) ここんところ、めっきり寒くなってまいりました。夜間、外出するときなどは、ほら、吐く息がこんなに白く、ほぁっと、あ、これは煙草の煙でした。私の右手の指にしっかりと挟まれている物、それは例のセブ(ヴ)ンスター(ズ)であります。とまあ、このような軽いジョークをば飛ばしつつ、紳士的な物腰でもって軽やかなステップを踏む私ですが、ここのところめっきり忙しく、てっきりText の更新を、うっかりと忘れておりました。ええ、そうですとも、すっかり忘れておりました。いや、本当は気づいていたんですが、そういうことにしておきましょう。それが大人ってもんです。ええ、そうですとも、大人って素敵な言葉ですね。
ところで紳士的な物腰と言えば、やっぱりダーク・グレーか紺色のコートだったりするわけなんですが、その他のアイテムとして考えられるのは、なんだか上等そうな生地でできた、ふわふわのマフラーなんかもあります。どうしてそうなるのかなんて野暮なことを聞いてはいけません。ほら、よく映画とかで見る初老の紳士、粉雪の降る石畳かなんかを紳士げな物腰でコツコツと歩くその後ろ姿には、やっぱりコートと、ふわふわのマフラーでしょう。あ、ベレー帽やステッキなんてのも良いかも知れません。凍った星空の下、街灯が照らし出すそのシルエットは、こうでなくっちゃあいけません。コーディネイトはこーでねーと、なんて洒落も思わず飛び出しちゃう程であります。そして地下のバーなんて、ちょっとわくわくするような店に立ち寄り、木製の重いドアを開けた紳士は、スエードか、なんかの手袋で、肩と、そしてベレー帽に積もった粉雪をササっと、それこそ紳士的な物腰で掃らうのであります。あ、アイテムにスエードの手袋も追加です。なんだかいいではないですか、紳士的な物腰。喧嘩腰や誘惑の腰つき、腰巾着、丸腰刑事などとは、ひと味違った腰の代表格と言えるでしょう。あ、ちなみに最後の刑事っていうところはデカと読んで下さい。
そんなわけで、私の中では、ここのところ紳士的な物腰というキーワードが流行っているわけなんですが、とにもかくにも紳士的な物腰を修得するためには先ず、コートが必要です。以前はフリマで購入した黒っぽいコートを所持していたのですが、なにせ私は衣服の扱いが乱暴で、コートの袖を通す際、例の腕時計を引っかけてしまい、裏地がビリビリになったという悲しい過去を持つ人間なのです。この辺りから直さないと紳士的な物腰には到底おぼつかないような気がするのですが、まあ、その辺りは一つ、大人ということで置いておくことにしました。それと、もう一つ。私の衣類が全てメイド・イン・フリマであるという誤解をなさっている方が居りましたら、ここでその誤解を解きたいと思います。私はメンズ・ノンノに載っている洋服しか着ません。嘘です、ごめんなさい。っていうか、メンズ・ノンノは無いだろう、オレ。
斯様な理由で折を見て、コートを探していたのですが、やはり紳士的な物腰に似合うコートと言えば、それなりに値が張ったりするのも悲しい事実で、私の購買意欲と市場に出回るコートの価格は反比例。経済原理のように神の見えざる手が働き、需要と供給が一致して、適正価格が定まるわけもなく、2つの曲線は二度とは出逢えぬ逃避行曲線を描くのでした。そしてデパートに行くたびに私は、貧乏人は麦を食え、という宣告を言い渡されるのです。クエェェ。コート屋さんにコート強盗に入る勇気も無く、かくなる上は高い物を安く買うしかない。ユーズドだろうが知ったことではない。このような正当な手順を踏んで私はフリマ会場へと紳士的な歩みで赴いたのでした。ええい、分かって居る、皆まで言うな。
タイミング良く、コートがたくさん出回っていました。知っているか知らないか知らないので敢えて書いてみると私は体が小さいです。ん、体が小さいと言うよりは細い。身長はまあ、普通にはあるんだけど、胴回りとか胸板が華奢ですね。だから普通の紳士物を着るとなんだかダブついて貧相に見えてしまうので、サイズのある限りは M、場合によっては S なんかを購入します。当然、フリマがそのような少数派のニーズに応えきれる訳もなく、デザインはよいのだけれど体に合わない、っていうのが続出して、結局良いコートには巡り会えなかったりしました。ここでもまた、痩せは子供服を買えという手厳しい宣告を受けてしまったようです。
フリマ会場を、しょぼくれ返ってしょぼしょぼと歩いていると、なにやら野獣の香りが周囲にみちみちと満ち満ちてきました。なんだかユーズドのジーンズだの、ハードなブーツだの、革ジャンだのという紳士的な物腰とは縁遠い、反骨精神剥き出しの、一連の洋服達が曇り空の下、ハンガーに吊られたまま、周囲に毒づいていました。大人は何も分かっちゃくれない、その洋服達はそう言いたげな目線で私に訴えかけました。荒くれどもの言い分を聞いてやるのも紳士的な物腰には必要です。私はやはり最近身につけた紳士的な物腰でもって彼らの言い分を聞いてやることにしました。ええ、紳士にはそれぐらいの器量があって当然です。彼らのささくれ立った激情の波を軽くスエードの手袋でササっと掃らい、私は恐らく、その中のリーダー格であろう黒い革ジャンを手に取りました。
分かった、分かった、どうだ、コホン、紳士的な私が話を聞こうじゃないか。私はおもむろにそのライダース・ジャケットに袖を通し、彼らの心の叫びを聞くことにした。む、ジャストサイズ。値札を見る。適正価格の約5分の1、安い。をっと、いかん、いかん、若者の言葉に耳を傾けるつもりが、ついつい本気になってしまった。私は君たちとはもう仲間になれないほど紳士的な物腰を身につけて居るのだよ、はっはっは。
牛革だ。羊とはわけが違うそのハードさ。店員が口添えをする。「雄牛の革だよ。最近シングルは人気でね、数も少ないよ。似合ってるねえ。」私は紳士的な物腰で店員に尋ねた。「もうちょっと、何とかならないかね?」
数分後、ワシントン条約違反の香りをぷんぷんさせ、黒のライダース・ジャケットを着込んだ男が街を闊歩していた。その歩きぶりはおよそ紳士的な物腰とは縁遠く、喧嘩腰で、ハードロックを聴きながら体制側に蹴りを入れんばかりの勢いであったという。風の噂で、その男は、今年の冬はコートなんて着ねえと宣わっていたそうである。
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