気がつけばいつも雨降り(2000.6.27) こうやって意味の無い文字列を連ねていると、書き進めるうちにテーマが決まってくるなんていうことはよくあるのだけれども、今回ばかりはそうもいかないぞと誰かが耳打ちするのを聞こえないふりをしながら、そいつを屋根裏の埃だらけの秘密の場所に押し込んで、何事もなかったかのようにタバコを吹かして気を落ち着けたりする。
だいたい書きたいことが最初から決まっていることなんてほとんどありはしない。ただ、決まっているのは書きたいという気持ちであって、その気持ちがどこから湧いてくるのかは、多分、不安や苛立ち、そして幸せな気分や悲しい気持ち、そしてこういう感情がぐにゅぐにゅと湯煎されたチョコレートみたいに溶け合うときだったりする。
チョコレートなんてあんまり食べたこと無いくせに湯煎だなんてことばを知っているのは小学校の時、隣に座っていた女の子が教えてくれたからだ。その子は真っ赤な顔をして憎まれ口を叩きながらボクにチョコレートを投げつけたのは朧気ながら覚えているんだけれど、そのお話はまた今度にして今は雨降りについて考えている。
雨降りについて考えているのはどうしてかっていうと、いつもと違ってTextのタイトルを先に思いついちゃったからで、まあ、思いついたっていっても、こんなタイトルは歌の歌詞やなんかにもう使われちゃっているんだろうけどボクはボクなりに「気がつけばいつも雨降り」を考えてみたいと思う。
考えてみたいといったって、チョコレートの話からいきなり雨降りに繋げるのはなかなか難しくって、ようするに言いたいのは書きたい気持ちは不安にしても幸せにしても喜びにしても悲しみにしても、とにかく胸の中にあるもやもやがむずむずと動き出したときであって、そんな時はちょっと間違えるとマコチンをいじめてしまってたりする。ごめんなマコチン。
そんなわけで、今ボクがこの文字を並べているっていうのは、もやもやがむずむずしているってことで、でもそのもやもやがなんなのか分からないことがあって、今まさにそれがそうだったりするんだけれども、あんまり嫌な感じではないことだけは分かる気がする。
人様の時間を取っておいて、このもやもやに付き合ってもらうってのもちょっとどうかと思ったのだけど、よく考えたらこれを読んでる人ってのはそんなにいないことに気づいて、それでもいいやなんて考えているうちに、それがまたちょっぴり寂しくなったりして、テーブルの上に散らばった銀貨みたいにガチャガチャとうるさい音を立ててその音はこうして一つ一つの文字になって並んでいく。
でも、結局このもやもやが幸福であっても、不安であっても喜びでも悲しみでも、ボクには大差ないように思えてきて、心ってのはぶにゅぶにゅしたゼリーみたいなものでできていて、それがどんなもやもやでも、同じようにちょっとだけそのゼリーをプルプルと揺さぶるだけなんじゃないかなとか考えてしまう。
時にはゼリーが真っ二つになっちゃったりすることもあるんだろうけども、そのへんはまあゼリーだし、なんとかなるんで、よくよく考えたら甘い甘いお菓子のことばっかり書いているボクってばどうなってんのか聞きたいような気がする。
そんなわけで気がつけばいつも雨降りってタイトルとは何の関係もない文字が並んでいるんだけれど、ボクはなんとなくこの文章は気がつけばいつも雨降りなんじゃないかなと思う。